背番号25のユニホームを披露した山川穂高=2023年12月19日、福岡ペイペイドーム

 福岡の民放テレビ関係者は、「和田が西武に移籍」の一報が報じられた際に複数のソフトバンクの選手から連絡を受けたという。

「選手たちは『本当に和田さんが移籍するの?』と動揺していました。甲斐野が西武に移籍することが両球団で公式発表されましたが、『何が起きているのか全然分からない。自分が放出されても不思議じゃないよね』と戸惑っていました」と証言する。

 和田のインスタグラムにはSNS上で、「ゴネ得」など誹謗中傷のコメントが多く書き込まれる事態に。臆測に基づいて傷つけるような書き込みは絶対に許されない。和田もこの一件の「被害者」と言えるだろう。

 大きな波紋を呼んだ移籍劇だったが、西武は山川をソフトバンクに流出し、甲斐野を獲得するという結果になった。

 スポーツ紙デスクがこう話す。

「実質トレードと言ってもいいのでは。山川はブランクがあり、シーズンを通じて稼働するかは計算できない。32歳という年齢を考えると長年活躍するイメージはわかない。故障も多いですしね。一方、甲斐野は27歳と脂が乗り切った時期に差し掛かり、リリーバーとして十分に期待できる。明るいキャラクターでチームに溶け込むのも早いでしょう。長期的な視点に立てば、FAの人的補償で甲斐野を獲得した西武の方が得になるかもしれない」

 甲斐野は上茶谷大河(DeNA)、梅津晃大(中日)と共に「東洋大3羽ガラス」と形容され、大学球界を代表する守護神として評価を高めた。同学年には中川圭太(オリックス)、末包昇大(広島)、藤井聖(楽天)もチームメートで一緒にプレーし、まさに「黄金世代」だった。

 アマチュア野球を取材するスポーツ紙記者は、

「甲斐野は当時最速158キロを計測していたが、直球の回転数が他の投手より多く、ホップするような軌道だったので球速以上の速さを打者が感じていた。140キロ近いフォークを織り交ぜられるとバットに当てることさえも難しい。メジャーのスカウトも熱心に視察していた逸材でした」

 と振り返る。

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