巨人に移籍後は苦しんだ野口茂樹(OP写真通信社)

 今年に入って大きな話題となっているのがフリーエージェント(FA)における人的補償だ。このオフは日高暖己(オリックス→広島・西川龍馬の人的補償)、甲斐野央(ソフトバンク西武山川穂高の人的補償)の2人がこの制度によって移籍することとなった。

【写真】「人的補償」でブレイクした選手といえば、やはりこの選手!

 対象となるのはFAによって選手を獲得した球団がプロテクトした28人以外の選手ということもあって、過去の例を見ても実績のない若手や選手としてのピークを過ぎたと見られるベテランが選ばれることが多い。しかし中にはFAで移籍した選手と比べても遜色ない、もしくはそれを上回る成績を残している選手も確かに存在している。

 まず1人目として挙げたいのが2001年のオフに加藤伸一の人的補償で近鉄からオリックスに移籍したユウキ(本名・田中祐貴)だ。当時ユウキはプロ入り4年目を終えたばかりの若手ながら通算7勝をマークしていたものの、2001年は一軍昇格がなく、またチームもリーグ優勝したこともあって多くの選手が活躍しており、プロテクトリストからは漏れることとなった。

 しかし加藤が3年間の在籍で8勝に終わったのに対し、ユウキはオリックス移籍1年目にいきなり7勝をあげるなど7年の在籍で加藤の倍となる16勝をマークすることになるのだ。故障もあって投げられないシーズンもあったものの、オリックスにとっては貴重な戦力となったことは間違いないだろう。ちなみに2004年オフに球界再編によって近鉄とオリックスは合併することとなるが、加藤は2004年限りで自由契約となっており、ユウキとチームメイトとなることはなかった。

 次に挙げたいのが2005年オフに巨人から中日に移籍することになった小田幸平だ。FAで巨人に移籍した野口茂樹は中日時代のような投球を見せることができず、3年間の在籍でわずか1勝に終わっている。一方の小田は谷繁元信の控え捕手として存在感を発揮。最終的には巨人時代を上回る9年間中日に在籍し、3度のリーグ優勝と1度の日本一にも貢献した。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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リーグ屈指の成績を残した“人的補償”選手も