練習に対する態度が変わりました。自分たちが最高学年になり、自覚も芽生えてきました。

 ところが、秋季県大会の初戦で、松坂は同じ失敗を繰り返しました。捕手が相手のスクイズを察知して立ち上がって外角高めのボール球を要求したのに、松坂はそのまま真ん中の高めに投げてしまい、捕手が捕れずに暴投になってしまいました。

 夏と同じような失敗をしたんです。幸いにも試合には勝ちましたが、この時はかなり叱りました。「まだ自分のことしか考えていない」と。

 二つのミスで松坂は大きな教訓を得ました。このころから、「ワン・フォー・オール(みんなのために)」と口にするようになりました。

 結果的には、この試合が公式戦44連勝のスタートになりました。松坂は11月の明治神宮大会で球速150キロをマークし、「平成の怪物」と呼ばれるようになりました。

 騒がれすぎて自分を見失わないようにすることを今度は考えました。目標はまだ先にある。甲子園の優勝であり、プロの世界で活躍することだろう、と。とは言っても、本人の自覚もできていたので、松坂自身のことで、うるさく言うことはなくなりました。

 6月の招待試合で情けない内容の試合をした日がありました。雨が降っていたせいもあり、選手に集中力が感じられない。松坂も本塁打を打たれました。

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