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元外交官・東郷和彦「ロシアは全面撤退しろ」はダメ ウクライナ戦争停戦のための「出口戦略」慶應大教授・廣瀬陽子と語る
元外交官・東郷和彦「ロシアは全面撤退しろ」はダメ ウクライナ戦争停戦のための「出口戦略」慶應大教授・廣瀬陽子と語る ウクライナ兵だった夫の葬儀で涙する妻(手前右)。激戦が続く東部ドネツク州で戦死した夫は22歳だった/キーウ近郊(写真:AP/アフロ)  ウクライナ戦争の勃発から1年経つが、停戦の見通しは立っていない。西側諸国が武器給与を拡大すれば、戦争がエスカレートする可能性もある。どうすれば戦争を止められるのか。元外交官の東郷和彦さんと慶應義塾大学教授の廣瀬陽子さん。ロシアに詳しい2人がウクライナ戦争について意見を交わした。AERA 2023年3月13日号の記事を紹介する。 *  *  * 廣瀬:ロシアは中国に仲介してほしかったみたいですね。ガルージン前駐日ロシア大使は「中国に頼んだけれど、イエスと言ってくれなかった」と言っていたそうです。私がウクライナの外交団に中国仲介の可能性を聞いたら、「あり得ない」と言っていましたけど。 東郷:しかし、現状では停戦に向かうインセンティブがどこにもありません。特に今年に入ってから、戦車にはじまり、長距離ロケット砲や戦闘機など兵器供与の話題で盛り上がるばかりです。武器がエスカレーションすればするほど、戦禍は大きくなります。そこにずるずるっと押し込まれていくと本当に恐ろしいことになる。 廣瀬:確かにそうですね。戦闘機が投入されれば、今度はロシアが戦場になり、難民が大量に出ます。ウクライナ難民に対しては、みんな同情して支援していますが、ロシア難民が同じ支援を受けられるのか。単に難民が出るだけではなく、新たな問題を生み、相当混乱すると思います。 東郷:やはり一日も早く戦争をやめるための「出口戦略」を考えるマインドに切り替えていく必要があります。そのためには「ロシアはウクライナから全面撤退しろ」という主張では絶対にダメです。「双方が負けていない」というギリギリの線を見つけ出す。ロシアに「お土産」をだすことになる。 廣瀬:私はロシアにお土産を与える解決には反対なのですが、確かにお土産を用意すれば、ロシアが交渉に応じる可能性は高いです。その場合、ロシアへのお土産の最低限のラインはクリミアと東部2州(ルハンスク州、ドネツク州)でしょう。クリミアは絶対に放棄しないでしょうし、東部2州についてはそもそもそこにいるロシア系住民を救うことを理由に始めた軍事作戦なので、国民に説明がつきませんから。ウクライナのゼレンスキー大統領は停戦交渉の前提として「一人たりともロシア兵がウクライナにいない状態」を求めていますが、クリミアにはもともと合法的にロシア軍がいたこともあり、細かい問題がいろいろとあると思います。 東郷和彦さん(78、右)。政治学者・元外交官。外務省で欧亜局長、オランダ大使などを歴任。著書に『プーチンVS. バイデン ウクライナ戦争の危機』など/廣瀬陽子さん(50、左) 慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、旧ソ連地域研究。主な著書に『ハイブリッド戦争 ロシアの国家戦略』など(photo 写真映像部・高野楓菜)  クリミアは非常にセンシティブです。もともとロシア系住民が大多数だった地域であり、現実問題として、クリミアをウクライナに戻しても新たな問題が出てくると思います。私は2015年にクリミアへ行きましたが、完全にロシア化していました。インタビューした住民が口をそろえて「ロシアになってよかった」と言っていました。経営者や小売業は、ウクライナ時代は「みかじめ料」を徴収されていたけれど、ロシアになってからは自由にビジネスができている、と。当局の目もあったため本音を言っていない可能性もあるのですが、クリミアのロシア化が顕著なのは事実で、どのように再ウクライナ化するのかは大きな課題でしょう。 (構成/編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年3月13日号より抜粋
なぜロシアは経済制裁を受けても戦い続けられるのか? 元外交官・東郷和彦×慶應大教授・廣瀬陽子
なぜロシアは経済制裁を受けても戦い続けられるのか? 元外交官・東郷和彦×慶應大教授・廣瀬陽子 東郷和彦さん(78、右)。政治学者・元外交官。外務省で欧亜局長、オランダ大使などを歴任。著書に『プーチンVS. バイデン ウクライナ戦争の危機』など/廣瀬陽子さん(50、左) 慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、旧ソ連地域研究。主な著書に『ハイブリッド戦争 ロシアの国家戦略』など(photo 写真映像部・高野楓菜)  ウクライナ戦争が始まってから1年が経った。なぜ長引いているのか。元外交官の東郷和彦さんと慶應義塾大学教授の廣瀬陽子さん。ロシアに詳しい2人が意見を交わした。AERA 2023年3月13日号の記事を紹介する。 *  *  * 東郷:ウクライナ戦争が、こんなに長くなるとは思っていませんでした。私は一日も早く戦争を終わらせなければならないと考えていますが、事態は逆行し、終わりが見えないステージになだれ込んでいる。日々、胸が張り裂けるような思いでいます。 廣瀬:そうですね。私はそもそも戦争が始まるとも思っていませんでしたから、この1年は驚きの連続でした。当初、この戦争は非常に短期で終わるか、長期化するか、どちらであるか見極めができなかったのですが、1カ月経った時点で長期化するだろうと思うようになりました。そして、欧米が兵器の供与を始めてからは、長引けば長引くほどウクライナが得だと考えていました。各国から永遠に支援が続くウクライナに対し、ロシアは原油輸出による収入のみで、経済制裁によって輸入ができなくなるので先細っていくだろう、と。でも、今は逆に、長引くほどロシアが得をするように感じています。 東郷:ロシアが徐々に弱くなっていくのが多数説だけれど、戦い続けることができる、ということですね。 廣瀬:はい。現在のロシアは制裁で欧米からの輸入はできないけれど、並行輸入で欧米の製品も入手できていますし、代替物も充実してロシア人に不満はないようです。また、国内では兵器を製造できないとされてきましたが、最近はできるようになってもいる。白物家電を並行輸入して、その半導体や電子チップを抜き取って戦車の補修にも使っているようです。  さらに見逃せないのは、イランとの軍事協力で、ロシアはすでにドローンを買い取っています。もともとイラン製のドローンは寒すぎる場所では飛ぶことができませんでしたが、ロシアの技術によって真冬でも飛べるように改良されたようです。イランはこれまで核開発問題などで、世界最高レベルの制裁を受けてきた国です。そんな「先輩」から制裁下を生き抜く術が共有され、兵器の損耗はいくらでも補うことができるようになった。そんなことからも意外とロシアはしぶといんではないか、と思うようになりました。 ウクライナ兵だった夫の葬儀で涙する妻(手前右)。激戦が続く東部ドネツク州で戦死した夫は22歳だった/キーウ近郊(写真:AP/アフロ) 東郷:ロシアの弱点は半導体です。最新の技術を持っていないため、どこからか入手しなければならないわけですが、廣瀬先生のおっしゃったイランと、もう一つ、中国もポイントでしょう。現在、中国がロシアに半導体を提供しているとの報道がありますね。中国にとっては、戦略論としては、この戦争が長期化することで米国とNATO(北大西洋条約機構)の関心がヨーロッパとウクライナに釘付けになるほど、東アジアで自分たちの地場を固めるのに好都合な話はない。「敵の敵は味方」です。中国の敵である米国の力を弱くするなら、ロシアを陰で支えることは国際戦略として当然でしょう。武器の供与はやりすぎでも半導体を巧妙な形で提供するくらいはやるのではないか。中国製の半導体の性能はそれほどよくはないらしいけれど、ロシアにとっては助けになるでしょう。 廣瀬:その事実が公になれば、中国は制裁されるのですか? 東郷:うーん。相手は中国ですからね。制裁をかければ、激怒するでしょう。米国としては、当面の敵ロシアと、これからの最強の敵、中国と全面対決することになる。それは避けたいシナリオでしょう。中国が目立たない程度に動いてほしいと思っているのでは? 廣瀬:トルコが裏切って軍事部品をロシアに輸出しているという情報もあります。米国製品までもがトルコから輸出されているようで、米国がいらついています。トルコは昨年3月29日、ロシアとウクライナの和平会談を仲介していますが、おそらく「いいところ取り」するつもりでしょう。トルコは常に目の前の状況を国益に還元しようとしていますね。 東郷:あの和平会談では、あと一歩で停戦できるかもしれないという案をウクライナが提示しています。その場を提供したトルコは、非常に特異な立ち位置にいます。NATOの一員ですが、明らかに価値観が違う。トルコはこの戦争を早く終わらせたほうが利益になると判断すれば、あの場をもう一度提供することはあると思います。 廣瀬:トルコは現在も稀有な交渉仲介が可能な国であることは間違いないです。昨年の和平会談後も双方から意見を聞くことは続けているようです。 東郷:仲介国としてもう一つ可能性があるとすれば、インドではないでしょうか。両国と話ができると思います。 (構成/編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年3月13日号より抜粋
定年後は“終活”より“就活” 「87歳」で介護職に就いた例も
定年後は“終活”より“就活” 「87歳」で介護職に就いた例も 全国300カ所のハローワークには「生涯現役支援窓口」が設けられている 「定年後は悠々自適に」なんて今は昔。人生100年時代、隠居生活なんてしていたらお金は続かない。60歳でも65歳でも「就活」なのだ。資格を取ったり、プロに相談したりして次の働き場を見つける。そんな生き方を実践するためのノウハウやアドバイスを紹介する。何歳からでも遅くないのだ。 *  *  *  兵庫県加古川市の山のふもとにある「さとうさんちのピザ屋さん」。戸建ての1階にある店で、ランチ時は行列ができる。  60歳で定年退職した佐藤愼剛さん(67)が63歳のときに妻の多美子さん(65)と開業した店だ。 「若いころからキャンプやボランティア活動をしていて、バーベキューとか薪を使って何かを作るとかが好きだったんです。結婚後も個人でやっているピザの店によく行きました」  佐藤さんがそう話すと多美子さんが続けた。 「私からピザはどうって提案したんです。夫はラーメンぐらいしか作ったことがない人で(笑)。でも私たちは昔からいつもピザばかり。だから、『ピザしか出さない、ピザが好きな人に来てほしい店』にしたかったんです」 「さとうさんちのピザ屋さん」の外観 いちごやマンゴー、レンコン、カキなど旬の食材を使ったピザを提供  佐藤さんは、55歳を過ぎたころから定年後の“仕事”を考えるようになったという。雇用延長すれば65歳まで働けたが、「65歳になった時点ではどうなんだろ、馬力が出ないのでは、という思いがあって。やるなら早めがいいと」。  多美子さんに相談し、ボランティア活動の仲間や会社以外の友人らにも聞くなどして58歳のときに決断した。定年までの2年間は準備期間で、家の改装などは定年後に手がけた。  開業資金は1千万円。窯を買い、家を改装した。図面を見ながらモノづくりをする会社員時代の経験が生きた。できる限りは自分たちで造り、節約した。 「『これで第二の人生!』という気負いを持ちたくはなかったので、週3日の営業にしました。自分が遊べる時間や、家に友人たちを招いて過ごす時間も大切にしたかったんです」  現在、娘2人も店の手伝いをしているといい、家族だけで回している。 「年をとるとね、だんだん人付き合いが少なくなるけど、お店をしていることでいろんな人と知り合える。ここでみんなの笑顔が見られる。それが楽しいんです」  佐藤さんのように、定年前からその後を考えて準備を始める人もいれば、定年後に別の活動を経てから仕事に就く道を選んだ人もいる。  川崎市の美子さん(仮名・69歳)は、70歳を目前にして仕事の場に復帰する。 「保育士として37年間働き、60歳で定年退職しました。その後7年間はボランティアをしてきましたが、『もうすぐ70になっちゃう』って急に焦りだしたんです。『今しかない』と思って、67歳のときに福祉の学校に入学しました」  専門学校に2年通い、この春卒業したら介護福祉士として働く予定という。国家試験は1月に終えている。  介護の世界で働くことを決めた理由は、がんで旅立った母が通っていたデイサービスで職員に助けられた日々が忘れられず、次は自分が、と思ったからだという。 「70歳からの再就職なんて例外」と思う人がいるかもしれないが、今はそれほど珍しいケースではない。 ■今年度の最高齢85歳の男性就職  中高年の就活を無料で支える公益財団法人産業雇用安定センターは、全国の労働局やハローワークと連携し、これまでに29万人もの再就職や出向を支援してきた。  全国の地方事務所で展開される「キャリア人材バンク」では、一人の求職者に同世代のコンサルタントがつき、キャリアの棚卸しをしながら再就職への道を伴走する。 「我々が行っているのは、いわゆるマッチング。中小企業からの要望を聞いたコンサルタントが求職者の性格やキャリアをもとにつなぎます」(担当者)  ほかにもシニアが多く就労相談などに訪れる「東京しごとセンター」。運営主体の公益財団法人東京しごと財団の担当者がこう話す。 「70歳を過ぎても80歳を過ぎても就職できます。85歳前後でも大丈夫です。今年度の最高年齢は85歳の男性で、労務のお仕事に就かれました。過去には87歳の女性が介護事業所に就職されましたよ」 週刊朝日 2023年3月10日号より 提供元:産業雇用安定センター(週刊朝日 2023年3月10日号より)  現在は、紹介する職種はマンション管理や介護、警備などが“王道”だが、シニアでもパソコンを使える人がいることに中小企業が目を向け始めており、職種は徐々に広がる兆しがあるという。  同財団も、65歳以上を対象とした職場体験のマッチング事業を行っている。希望する職種や収入、働き方のほか、略歴やアピールポイント、活用できる能力、知識、資格などを書き込む専用シートを提出し、それをもとに担当の相談員がマッチングする。当日は職員が同行し、企業から説明を受けたり、見学・体験ができたりするというものだ。  産業雇用安定センターも東京しごと財団も、定年退職後の働き方を考えるセミナーやシニアの就活支援のためのプログラムが数多くあり、下調べするだけでも就活に向けた知識や情報を得ることができそうだ。  これらはいずれも東京都がメインだが、地方企業とのマッチングで定年間近に就職した人もいる。 ■どんな人にも役立つ力がある  神野憲治さん(55)は昨年6月、32年間の会社員生活に終止符を打ち、9月から石川県で単身、働いている。建設業やアミューズメント業などを経験してきた神野さんは、定年前に別の仕事に就くと決めていた。  神野さんの場合、70~80代に比べたらまだまだ若く、体力もある。さらに家庭環境が整っていた点が大きいという。 「3人の子どもも巣立ち、親の介護も終わったタイミング。家のローンもなく妻も仕事をしていたんで」  神野さんは、石川県にある「協同組合全国企業振興センター」が実施している、大都市圏の中核人材と地域企業をマッチングするプログラムに応募して合格した。同センターは、全国で約1千社の中小企業が組合員となっており、異業種交流を通じて様々なマッチングの場を提供している。  神野さんは、金沢大学の客員研究員となり、派遣された石川県内の企業の課題を解決する仕事をしている。派遣先は電機会社で、期間は6カ月、報酬は月30万円。 週刊朝日 2023年3月10日号より 「今回、この企業と巡り合えて本当にラッキーだった。中小企業が持つ底力や課題、魅力を知ることができた。人材確保や若手社員をどう戦力化すべきか。課題はいっぱいある。この経験はこれからの働き方を考えていく上で非常に役立つと思う。この年齢で国立大学で学べることも魅力的です。この体験が残りの人生で生かせるといい」  神野さんは、派遣期間の終了後は東京に戻る予定だが、同センターは、プログラム修了後の地域内への定着も目指した取り組みをしているという。  リクルートワークス研究所の「全国就業実態パネル調査」によると、「仕事に満足している人の割合」は50歳が35.9%、60歳が45.3%、70歳が59.6%と定年後に圧倒的に増えていることがわかる。  リクナビの編集長などを経て、企業の人材育成などに取り組むFeelWorksの社長を務める前川孝雄さんに話を聞いた。 「昔は『60歳で定年し、余生は10年ほど』でしたが、今や90歳代まで生きるようになり、60歳からは30年ぐらいあります。余生というより、『もう一度生き直す』と考え、頭の切り替えをしないといけません」  前川さんが考える仕事に向かう三つの力、「WILL(今やりたいこと)」「CAN(今できること)」「MUST(今やらなければならないこと)」のうち、自分のやりがいにつながる力はWILLという。 「しかし、30年余り会社勤めをしてきた人は、自分のWILLを鍛えるトレーニングを日頃からしていないので、『キャリア自律筋肉』が鍛えられていないのです。そこで自分の働きがいを見つけるためにまずはCANを探すこと。どんな人にも、誰かのために役立つ力があります。そのCANを見つけて伸ばすことが、『生き直し=働き直し』につながると思います」  それが見つからない人はどうしたらいいのか。 「多様性の場に身を置くことです。若い世代とか、様々な価値観を持っている人々と交流しましょう」  退職をせず副業も「ありですね」と前川さん。 「最近は便利で、副業のマッチングサイトもいっぱいあります。会社勤めをしながら、副業で経験を積むのも良いでしょう」  野村証券を定年退職後、経済コラムニストとして活躍する大江英樹さんは、 「今の時代はワークロンガー。資産運用も大事ですが長く働くことのほうが大事。これは老後の肝」と言い切る。  リタイア後の人生のため、会社勤めの50代にはこう助言している。 「早く会社で成仏せよ」。会社人生の後も、仕事人生は続く。次の居場所づくりのため、早めに気持ちを切り替えようということだ。 「在職中から定年に向けて資格を取っておこうという人もいますが、大事なのはその資格を取って何をやりたいのか、ということです」  定年後、どんな仕事をしたいのか、ビジネスとして成立するのか、顧客は開拓できるか。これらを考えることがまず先だという。 「資格があれば仕事になると単純に考えるのは間違いです。資格よりまずは『顧客』です」 ■記者、編集者から鍼灸師目指す「死ぬまで続けたいと思う」 地域の合唱団では副団長を務める堀井正明(撮影・清野夏希) 「資格+経験」で顧客開拓につながりそうな仕事に就こうとしている定年間近の就活男性が、週刊朝日編集部の中にもいた。編集長代理の堀井正明(60)はこの3月に退職し、4月から鍼灸(しんきゅう)師を目指して専門学校に通う。  これまで経験してきた新聞記者や編集者とはまったくの畑違いだが、先輩記者が定年後にスペインで始めた豆腐屋をみて、退職後は自分も違う仕事をしようと考えていたという。ただ、鍼灸師と具体的に決めたのは、ここ何年かのことだ。  45歳で頸椎ヘルニアを発症し、50代半ばには四六時中続くしびれに精神的に追いつめられた。アテネ五輪で取材した北島康介さんが鍼(はり)治療を受けていたことを思い出し、鍼を試してみた。  週1回のペースで2カ月ぐらい治療したころ、少し変化が見られた。 「あ、ちょっといいかも」と感じたときの心の晴れ。絶望の淵から救出されるような思い。以来ずっと鍼灸が生活の中にあった。定年延長せずに60歳での退職を決意したのは58歳のとき。その少し前から鍼灸を学べる学校の資料を集め、体験入学を進めていた。  定年後の選択肢としては、赴任経験のある栃木県に移住し、当時学び始めた米作りに取り組むことも考えていたが、最後は「誰かの役に立ちたい」という思いが勝り、鍼灸師への道を選んだ。 「鍼灸師の資格を取得できるのは最短で63歳。国家試験もある。チャレンジングな決断だけど、楽しみでしかない。若い人に比べると記憶力は衰えているが、34年間人に会い、話を聞く仕事をしてきたという経験は大きい。これに勝るものはない。治療家として絶対に生きることだし、死ぬまで続けたいと思っている」 (大崎百紀)※週刊朝日  2023年3月10日号
「野球選手の妻なんだから…と厳しい意見も」板野友美がブランド経営で挑む“働く母の壁”
「野球選手の妻なんだから…と厳しい意見も」板野友美がブランド経営で挑む“働く母の壁” 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)  結婚、出産を経て、2022年に自身のライフスタイルブランドの新会社を設立し、経営者としてもスタートを切った板野友美さん(31)。夫は今年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選ばれた東京ヤクルトスワローズの高橋奎二投手。手料理で家族の健康を守りつつ、「妻だからとバッググラウンドに囚われて、好きなことを諦めて後悔したくない」と仕事と子育ての両立に奮闘している。自身と同じく子育て中で、地方に住むデザイナーを採用するなど、多様な働き方も取り入れる思いとは。  *  *  * ――出産後、芸能活動を続けながら、自身のライフスタイルブランドを立ち上げています。どんな生活ですか? 産後1カ月半で徐々に仕事に復帰して、娘が1歳になった今は週3~4日、1日6~7時間を仕事の時間と決めています。でも娘を寝かしつけた後、夜10時~2時ぐらいまで家でできる仕事をやってしまうこともあって……。夜間授乳もあるので睡眠時間は細切れで4、5時間ぐらい。 昼前にベビーシッターさんにタッチして仕事に行き、夕方6時半にスーパーに寄って帰ります。旦那さんが帰宅していたら娘を見てもらっている間に夕飯を作り、お風呂に入れて寝かしつけですね。土日は基本的に家族の日にしています。 楽しいから倒れずにやれていますが、結局、そうしないと会社が回らないんですよね……。働くときは働く、子どもといるときは子どもと向き合って、短くてもギュッと密に時間を使うようにしています。 母娘でお揃い水着コーデ(本人のSNSより) ――子育てのモットーや家族と過ごすときに決めていることは。 旦那さんの栄養管理は妻としてやらなきゃいけないと決めていて、どんなに仕事が忙しくても旦那さんと娘の食事は作ります。それは母から「ご飯はちゃんと作るもの」とずっと言われてきて、私も食べることが好きだし、家に帰ったら温かい食事があったから私も芸能生活を頑張れたという経験があるので。 結婚した時に、アスリートフードマイスターの資格を取りたいなと思っていた時期もあったのですが、旦那さんは好き嫌いが多いのでやめました(笑)。決められた通りにやるより、自分達らしく、好きな料理の中で少しずつ野菜を増やして、栄養バランス良く食べられるようにしていく方がいいかなと。もちろん栄養士の方にも相談して、今の食事で大丈夫と言ってもらっています。 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) ――普段の料理の写真を見ると、品数も多いですよね。 明太子とかを1品に数えちゃうと(笑)、6~7品。シーズン中は昼ご飯を球場で食べるので夜だけ、シーズンオフだと昼も夜も作ります。 芸能の仕事も会社の経営もやっていて、子育てもしていると、結局はそれだけに100%集中できる人には勝てないと思う。それでも中途半端にしたくないなっていう気持ちがあります。負けず嫌いなんですよね。手が抜けない。一緒に働いている方たちに「子育て中だからあまり仕事ができないのかな」と思われたくないので、自分の時間を削ってでも真剣にやりたいですし、だからこそ達成感もすごくあります。 ――ライフスタイルブランド「Rosy luce」を始めた理由は。 コロナ禍で娘を妊娠して、旦那さんも遠征があったりするので、(妊娠期間の)10カ月のうち半分以上を家で1人で過ごしていました。スーパーに行くのも避けるような生活で、ちょっと不安になったり気持ちが落ち込んだ時、ファッション雑誌を読んだりメイクをしたりすると、すごく気分が上がったんですよね。 それまでは、お仕事で人に見せるためにメイクをしたり、着飾ったりすることが多かったんですが、女性にとってメイクやファッションって自分自身を勇気づけてくれたり気持ちを上げてくれるものなんだと、すごく感じました。 私はもともと花が好きなので、女性を花に例えてブランドのコンセプトをつくりました。女性は男性よりも選択肢が多いからこそ、人と比べて悩んだり、今まで一緒に歩んできた友達とタイミングによって共感できることが少なくなってしまったり、フェーズが変わってしまうことも少なくないと思うんですが、自分で自分を大切にして、水や肥料をあげていればそれぞれのタイミングで花開いていく。咲く時期も色も形もさまざまでそれぞれが美しい、そういう思いを込めて花柄や花のモチーフを多く使っています。女性をエンパワーメントするようなプロダクトや言葉を届けたいと思っています。 夫婦2人で笑顔で入籍を報告(本人のSNSより) ――10代からアイドルとして活躍されてきて、仕事と結婚・出産のタイミングなど自身の悩みも原点にあったのでしょうか。 そうですね。母も祖母も30歳で子どもを産んでいるので、「30歳で私も!」という意識は幼いころからあって、でも仕事もすごく好きなので、結婚のタイミングや自分のキャリア、仕事と結婚のどっちを取るかという悩みはありました。 今も疑問に思っているのは、10代、20代の頃は周りの大人たちに「やりたいことは?」「好きなことを見つけなさい」と言われて、みんな頑張って勉強したり、いい大学を目指したり、働くことをイメージしますよね。私も頑張って芸能界でキャリアを重ねてきました。 それなのに年を重ねていくと、いつからか女性だけが「結婚するか仕事するか」どちらを優先するのかを考えたり、周りからも「そろそろ子どもは?」「いい人いないの?」と心配されたり期待されたりします。そんな時にやはり今まで積み上げてきた仕事をどうしていくべきか、なかなか答えを出せず……。男性みたいにどっちも選択できたらいいんですが、どうしても出産の期間は休業しなきゃいけないし、子どもの預け先が見つからなかったり高額だったりして、すぐには仕事復帰が難しく、結局キャリアを諦めたり、自分の立ち位置を誰かに譲らなきゃいけなかったりする場合も少なくないです。 私も出産前は「結婚しても子どもが産まれても仕事したい!」って軽く言っていたのですが、思っていたより何倍もパワーが必要でしたし、そのギャップに悩んでいる方もすごく多いんじゃないかと思うようになりました。仕事を続ければ「子どもがかわいそう」と言われることもあるし、すごく複雑。正直、まだまだ男女平等ではないのかなと感じる場面も多いです。 私が、妊娠が分かったときにライフスタイルブランドを立ち上げ、出産後すぐにスキンケアブランドを始めたのも、女性だって結婚も出産もやりたい仕事も夢も全部選択してもいいという考え方が広がるといいなと思うからです。考え方が変われば、保育園やベビーシッターが使いやすくなったり、男性も育児に参加できるようになったりするかもしれない。女性がやりたいことを犠牲にしない社会になってほしいですし、社会全体で子育てができて助けてもらえるといい。これって少子化問題にも関わってくると思います。 家族3人の様子(本人のSNSより) 私が仕事をしていることに対して、「プロ野球選手の妻なんだから、もっと家で旦那さんを支えた方がいい」と厳しい意見をいただくこともありますが、もっと長い目で考えると、いつか旦那さんが選手を引退するときに私が働いていた方が支えられるんじゃないかなとも思います。それは経済的にも、精神的にも、ですね。 ――自社内の働き方はどうしていますか。 地方在住で小さなお子さんを子育て中の女性のデザイナーさんとは、打ち合わせはすべてオンラインにしています。私がSNSで作品を見かけて素敵だなと思い、自分でアポイントを取って仕事をお願いするようになったのですが、詳しく話を聞くと彼女も結婚前はバリバリ働いていて、転勤族の旦那さんとの結婚を機に仕事を辞めていて、「自分って何なんだろう」と考えた時期もあったそうです。 一緒に働くスタッフは、今は独身の子が多いので、勤務時間は夕方18:30までにしていますが、今後は20代で積み重ねてきたキャリアと子育てを両立できたり、女性が働きやすい、多様な働き方ができる企業を目指してベース作りをしていきたいです。もちろん経営者として、成果とどうバランスをとっていくかも考えたいです。 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) ――忙しくて心身ともに疲れてしまったり、悩みを抱えたりすることもありますか。 会社を経営しているとショックなことや、いきなり起きてしまう出来事も多いので、一喜一憂していられないです。どうやって問題解決していくか考えて、すぐに意思決定していかなきゃ務まらないので、引きずらなくなったのかもしれません。仕事もあって、旦那さんとの時間も娘との時間もあるから、切り替えができて良いバランスなのかな。 それでも精神的に疲れたときは、まず寝ますね。悩みやモヤモヤしていることがあれば、その日のうちにマネージャーさんや会社のスタッフに話して、アドバイスを聞きながら自分の頭を整理します。私が弱音を吐いても、周りに心配をかけてしまったり皆を振り回してしまうだけですし、会社のスタッフの皆がいつも前向きで意欲的なので私もその姿勢に励まされることも多いです。やってもどうにもならなかったことはきっぱり諦めたり、一時停止させたり。ぐるぐる考えることはしないです。これは芸能生活で身に付けた「切り替え」ですね。 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) ――仕事と家庭を回していくためには、自分にかける時間はすごく短くなってしまいますよね。 そうですね。以前は仕事の一部みたいな感じで、月2、3回は美容室に行き、週1でマッサージに通っていたんですが、今は休みがあれば進めておきたい仕事をやったりするので、美容室も月1ぐらい。マッサージも3カ月は行っていないですし、ジムにも行けていないです。でも食事に気を付けてセルフケアしていると、意外と体型はキープできています。そんなに行く必要なかったのかも(笑)。 でも我慢して後悔したり、それで家族や娘に当たったり仕事のせいにしたりしたくないので、ストレスは溜めないように睡眠時間を削ってでも行くこともあります。ちゃんと消化しているので、毎日ハッピーです! ――出産を経て、一般的には「ママタレ」と呼ばれることになりますが、どう感じますか。 独身時代にそれぞれ好きな世界観を発信していて、子どもを産むとひとくくりに「ママタレ」になってしまうのはもったいないなと思いますね。子どもができて変わるのは素敵なことだと思うのですが、全てを子ども色に染め本来の自分を失うのではなくて、ママという面も持ちながら、今までと変わらず“自分らしさ”も大切にしていきたいです。 お母さんだから爪を伸ばしちゃダメとか、髪を切らなきゃダメとか、妊娠中のヒールだって、みんな自分の子どもに危害を加えたいと思っているわけじゃないですし、子どもを大事にしてシーンを選びながら、たまには自分が好きなファッションを楽しむ瞬間がないと息が詰まってしまうんじゃないかなと思います。 独身だから、結婚しているから、お母さんだからというバックグラウンドに囚われて、今ある幸せを感じられなかったり、独身時代の方が自分らしかったなって後悔するのは悲しいじゃないですか。ずっと綺麗でいなきゃいけないわけでもないですが、やりたいことを自由に選択できる、なりたい自分になれる環境が大切だと思います。 私のファンの方は同世代で結婚や出産のタイミングという子も多いし、もっとずっと下の世代もいるので、「ともちんが仕事もして旦那さんと子どもとの生活も楽しんでいるからこそ、私もそうなりたい!」と言ってもらえることがすごく嬉しいですね。それがあるから、また頑張ろうと思えるんです。 (聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代) 
世界人口の半分がアフリカ人に 「アフリカ化」する世界が意味するもの
世界人口の半分がアフリカ人に 「アフリカ化」する世界が意味するもの  人口増加が著しいアフリカは、小麦の輸入をロシアとウクライナに頼っている。ウクライナ戦争が長期化するなか、食料依存も深刻な問題だ。日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所上席主任調査研究員・平野克己さんが解説する。 *  *  *  私の試算では、2080年代に世界の人口の半分はアフリカ人になります。一地域にこれほど人口が集中するのは人類史上初めてです。  アフリカは子どもの人口比が非常に高く、経済成長には不利。高齢化の日本とは逆です。アフリカ最大の輸出品である原油の価格が上昇しないと、2.5%の人口増加率を超える経済成長は起こりません。いまだに人口の半分以上が農村部にいますが、穀物の生産性は世界最低で都市を養えない。穀物輸入は人口増加と共に拡大してきて、現在アフリカは世界最大の穀物輸入地域です。なかでもロシアとウクライナからの小麦輸入が大きい。  ロシアとウクライナは特に今世紀に入ってから対アフリカ輸出を増やしてきました。ロシア小麦のほぼ4割はアフリカ向けです。そこに、ウクライナ戦争が起きた。米ロの関係では軍事面が注目されていますが、人口増がもたらす食糧依存はさらに深刻な問題です。  アフリカの食糧生産も伸びてきてはいますが、それは主に耕地拡大によるもの。耕地を増やすには労働力が必要で、そのことがアフリカの出生率が減らない背景にあります。アフリカの複婚比率は全体で20%を超えており、大衆的レベルで一夫多妻制が存続し、児童労働が日常的に定着しています。我々とは異なる社会編成原理を有しているから、国連が予想するようには出生率が低下していかないのです。アフリカ農業の最大の問題は水資源が乏しいことで、1950年時点から人口が5倍増した今、食糧自給化は実現が難しい。  人口分布がアフリカに集中し、いわば人類がアフリカ化していくことの問題を、いま我々はウクライナ戦争で垣間見ています。この危機を持ちこたえるには貿易の安定と拡大が必要ですが、ロシアはそれを“人質”にとっているわけです。※週刊朝日  2023年3月10日号
一之輔が焼き魚で思い返す“昭和最後の飼い犬”「ごめん、ベンジー」
一之輔が焼き魚で思い返す“昭和最後の飼い犬”「ごめん、ベンジー」 春風亭一之輔・落語家  落語家・春風亭一之輔さんが週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「昭和」。 *  *  *  昭和53年生まれの私は子どもの頃の原風景が『昭和』です。みなさん、今年は昭和98年ですよ。何でも昭和で勘定したほうが早くないですか?  先日「骨まで食べられる干物」なるモノを頂いた。なるほど、圧力調理で頭までサクサクいけて美味しい。こんな商品、昭和にはなかったなぁ。鯵の干物を食べ終えると目玉の硬いところがふたつぶだけ残った。なんか魚を食べた気がしない。どれだけ上手に魚を食べるかが、昭和男子の肝だと思っている私にはちょっと寂しい。  焼き魚の骨を捨てる時、私はいつも「ベンジーが居ればなぁ」と呟く。ベンジーとは幼い時に飼っていた雑種犬。私が生まれる前、姉が白い雌犬を拾ってきた。その「シロ」がどういうわけか孕(みごも)って、数匹の子を産んだ。それぞれを知り合いに分けて、我が家に残ったのが母親シロとその子ベンジーだ。犬が主役の映画『ベンジー』からとったらしい。シロよりは捻りがあってよろしい。私が物心ついた時、シロはもう居なかった。私よりひとつ年上のベンジー。5、6歳から散歩は私の係。昭和の犬の散歩は乱暴だ。令和はそんな小さな子に犬を散歩させないだろう。ベンジーがおしっこをしてもそのまま。ウンコをしてもそのままだったような気がする。うちの近所は舗装されてない道が多かったので便は全て「土に返す」システム。日本人が犬のウンコを持ち帰るようになったのはいつからなのだろう。昭和の飼い主はそんなことしてなかったんじゃないか。  もちろんベンジーは家の外で飼っていた。座敷犬なんて金持ちの道楽だ。犬の仕事は「番」。犬小屋に毛布が一枚。雪が降るくらい寒くないと家には入れない。  去勢する、なんて感覚はなかったから発情期になるとクルクル回ったり落ち着かない。やたらにしがみついてきてクンクンしてきた。私は意味もわからず「ベンジー、おかしいよー!」と訴えても、親は「ははは!」と笑うばかり。ははは、じゃないよ。他人の発情を笑うな。可哀想に。 イラスト/もりいくすお  ゴハンは朝晩2回。食器は使わなくなったアルミ鍋。基本的に人間の残り物を食べていた。夜に鍋物をしたらその残り汁に冷やご飯とオカズの残りを入れ温めてやると、顔を洗うようにムシャムシャ食べる。そんなだからドッグフードには一切見向きもしない。我々家族も「犬のえさに金をかけてなんになる?」という感覚だった。一番好きだった(と思われる)のは、味噌汁の残りにご飯と鯵の開きの残骸をぶち込んだもの。あんなに硬い頭と骨をガリガリと齧ってのみ込んでいた。ベンジー、凄えなぁ、と思いながら眺めていたっけ。 「この鯵の残り、ベンジーが居れば食べてくれたのに……」と言う私に妻が「いや、それ、明らかに塩分摂りすぎだから! 味噌汁と干物なんて絶対ダメでしょ!?」と全否定。そうだったのか。ベンジーの人生、否「犬生」11年。その時代なら長生きか。平成になる直前にこの世を去ったベンジー。まさに昭和最後の日本の飼い犬。令和のワンちゃんは幸せだ。  ちょっとだけごめん、ベンジー。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!※週刊朝日  2023年3月10日号
出生数80万人割れの衝撃 自民党女性局長・松川るい「児童手当の年収1200万円所得制限は引き上げるべき」
出生数80万人割れの衝撃 自民党女性局長・松川るい「児童手当の年収1200万円所得制限は引き上げるべき」 松川るい参院議員(写真/米倉昭仁)  日本の少子化が急激に進むなか、岸田文雄首相が掲げる「異次元の少子化対策」を巡る議論が国会で熱を帯びている。その背景の一つが、昨年の「出生数80万人割れ」の衝撃だ。80万人割れは2033年と推定されていたが、実際は11年も早かった。少子化が進めば、内需中心の日本経済に深刻な影響を与えるだけでなく、社会保障制度を維持するのも困難になる。少子化問題への取り組みについて、昨年10月に施行された「産後パパ育休」(出生時育児休業)制度の創設に深くかかわった自民党女性局長・松川るい参院議員に聞いた。 *   *   * 「異次元の少子化対策」の柱は、(1)児童手当などの経済的支援(2)幼児・保育サービスの拡充(3)育児休業制度の強化や働き方改革――の三つである。  一つ目の柱である児童手当などの経済的支援について尋ねると、財源の問題はひとまず脇に置き、松川局長はこう語った。 「もともと児童手当は、経緯からいえば、経済的に苦しい家庭であっても子どもを健全に育成できるようにサポートする、という発想で設けられました。ある意味、貧困対策の色彩が強かったわけですが、出生数が80万人を割り込む急激な少子化に直面する現在、これからは少子化対策として有効に機能することを目指さなくてはなりません。そのためには、これから結婚する人や家庭が『子どもを産んでも、児童手当があるから安心して育てられる』と感じられるように、支給額を大きく増やすべきだと思います」  現在、児童手当には所得制限が設けられている。世帯で最も収入が高い人の年収額が1200万円以上であれば支給されない。 「児童手当の所得制限については、今、自民党の中でも議論している最中ですが、私は所得制限撤廃に基本的に賛成です。少子化傾向を反転させていくためにも、制限を撤廃して、『子育てを国は全面的にサポートしていきます』という力強い明確なメッセージを打ち出すべきだと思います。ただし、財源が課題ですから、撤廃するなら、支給書類に『辞退します』というチェックボックスを設けて、児童手当を必要としない、例えば何億円も稼ぐような人には辞退を促す仕組みもつくるべきだと思います」 「1200万円」制限は見直すべき  いずれにせよ、現状の1200万円の線引きは「ちょっと低すぎる」と、松川局長は言う。 「年収が1200万円あったとしても、税金や社会保険料を引かれたら、手取り額は800万円ほどですから。それで、子どもが2人以上いて物価の高い都心に住んでいたら、生活に余裕がありあまるというわけではありません。仮に所得制限撤廃に至らなかったとしても、所得制限額は大幅に見直すべきだと考えます」 松川るい参院議員(2022年1月、参院議院運営委員会で)  また、障害児に対する児童手当も忘れられてはならないと指摘する。 「障害児は、車椅子や義肢などの器具を成長に合わせて買い替えていかねばならないので、障害のない子ども以上に多くの費用が恒常的にかかります。それにもかかわらず、所得制限の線引きは790万円と低くおさえられており、障害児を持つ親たちや障害児は大きな困難に直面しています。でも、少数派なのでその声がなかなか届かない。『お母さん、大きくなってごめんね』などとお子さんに言わせるような状況は何としても変えていかねばなりません。児童手当見直しが政治の中心の議論の一つとなっている今、せめて所得制限上限を引き上げるなど障害児に対する児童手当の所得制限の見直しにも取り組んでいきたいと考えます」  結局、財源が課題となるが、「所得制限撤廃には1500億円程度の財源が必要とされています。所得制限撤廃のプラスのインパクトは大きいと思いますが、所得制限撤廃よりも、上限を大幅引き上げをしたうえで、異なる少子化対策施策を講じるほうがよりよいポリシーミックスだという考えもありましょう。いずれにせよ、児童手当の拡充については財源も含めて、子どもの幸福を実現するために何がベストかを真ん中にしたきめ細かな議論をしていきたいと思います」。 家庭第一はブレていない  二つ目の柱は、幼児・保育サービスの拡充だ。自民党女性局のパンフレットには「すべての子どもの健やかな成長を社会全体で支える『こどもまんなか』社会を実現します」とある。  しかしそれは、これまで自民党が大事にすべきだと言ってきた“伝統的な家族観”と矛盾しないのかと聞くと、「まったく矛盾しないと思います」ときっぱり言い、こう続けた。 「まず、家庭が子どもをしっかりと育てましょう、というのは当然のことだと思います。親がわが子の子育てを放棄してはいけません。ただ、昔と比べて『家庭力』が落ちていますから、そのぶんを社会が支えないと子どもが不幸になってしまいます。家庭力には差がありますが、子どもは家庭を選べません。どんな家庭に生まれた子もちゃんと育つことができる社会をつくる必要がありますし、それは国の責務だと思います」  現在、日本の世帯の72%が共働きである(21年、妻が64歳以下の場合)。厚生労働省の調査によると、この10年で、一部の富める子育て世帯はますます富み、そうでない大多数の世帯との二極分化が著しくなっている。結婚したカップルも“3組に1組が離婚する”状況が続いている。 「要するに、家族の受容力が昔とはぜんぜん違うわけです。余裕を持って子どもをみることができない家庭が大半になってきている。私のうちも共働きです。夫婦で非常に忙しい仕事をしている。子どもに対する愛情はたくさんあるつもりですけれど、時間的にはなかなか見てあげられないのが実情です。幼いころ、子どもたちは昼間の大半の時間を保育園で過ごしました。となれば、やはり、保育の質がよくなければ困るわけです」  日本の家庭の現状に対処するためには、もっと国や社会が子育てや教育を全面的に支援していく制度に整えていかなければならないと、松川局長は訴える。 「総合的に子どもにとってよりよい環境をつくり出す、ということを国や社会が責任を持ってやるべきだと思います。それは家庭が第一という考え方と何も矛盾しないと思います。時代の変化に合わせて、『家庭か社会か』ではなく、『家庭も社会も』で、総力を挙げて子どもを育てるという発想が必要です」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁) ※インタビューの後半<<「家事育児、私が全部抱えるのは嫌」 松川るい自民党女性局長が第2子を産むことに踏み切った夫との確約>>に続く
認知症の父の介護で気づいた哲学との共通点 異色のノンフィクション「おやじはニーチェ」
認知症の父の介護で気づいた哲学との共通点 異色のノンフィクション「おやじはニーチェ」 高橋秀実(たかはし・ひでみね)/1961年、横浜市生まれ。ノンフィクション作家。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。『ご先祖様はどちら様』で小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』でミズノスポーツライター賞優秀賞(撮影/小山幸佑)  AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。 『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』は、高橋秀実さんの著書。母が亡くなり、高橋さんは認知症の父の介護をすることになる。高橋さんを兄貴と呼び、同じ話を繰り返す父。その言動が古今東西の哲学書や文学作品をひもとくことで全く違って見えてくる。認知症に新たな角度から光を当てる体験型ノンフィクション。高橋さんに、同書にかける思いを聞いた。※高は「はしごだか」 *  *  *  きっかけは「メモしてないの?」という妻の一言だった。認知症の父親は子ども時代に宮城県黒川郡に疎開して苦労したという話を繰り返す。またその話かとうんざりしていたとき、妻に指摘されて父親の言葉を一字一句ノートに記録することにした。 「書くことに集中するせいか気持ちが楽になったんです。面と向かって目と目を合わせていると苛立つけど、書くと視線が外れるから親父もしゃべりやすいようで」  文字にしてみると同じと思っていた話も内容が少しずつ変わっていく。ノートをもとに高橋秀実さん(61)の思索が始まった。 「以前ニーチェを読んだときは、何が言いたいのかよくわからなかった。でも親父のことだと思うとわかったんです。『永遠回帰』とは子ども時代の話を繰り返すということだし、偽善を見抜いて、すべてを力と力の関係として捉える。親父はニーチェのように美辞麗句に惑わされず、力関係に敏感なんですよ」  まず医者や先生に弱い。炎天下に散歩に行こうとしたときも「熱中症になって死ぬと先生が言ってたよ」と脅せば、「そうか、じゃあやめよう」となる。 「私の妻にも弱かった。通常、認知症の人には『大丈夫ですよ』と声をかけるというのが思いやりとされていますが、妻は父に『大丈夫じゃありません』と容赦なくダメ出しをする。厳しいようですが、いざという時に助けてくれるのは彼女だと動物的に感じていたのでしょう。ニーチェも愛こそが力と言っていましたし」  大学時代には歯が立たなかったヘーゲルも読んだ。父親は高齢者用の交通パスをよくなくす。「ない」「あるはず」と言いながら捜し続ける。 「ヘーゲルは『あるとないは同じ』と言っていました。パスが『ない』というのも、どこかに『ある』からこそ『ない』。ずっと『ある』と『ある』ことを実感できないので、時に『ない』ことによって『ある』。親父を通してヘーゲルも理解できました」  父親の言動を何とか理解しようとした結果、認知症に哲学の視点を持ち込んだ異色のノンフィクションが誕生した。哲学や宗教の古典のほか、シェークスピア『リア王』やサミュエル・ベケットの作品なども認知症の物語として再解釈される。  認知症はアルツハイマー型、レビー小体型が知られているが、高橋さんはもう一つ、「家父長制型認知症」を主張する。母や妻に頼ってきたために自立した生活ができない男性特有の症状で、一種の生活習慣病だと話す。  父親は3年前に亡くなった。 「横浜大空襲ですべてを失い、親父は小学校も卒業していないんです。『学問がないと孤独も何もありません』と言うくらいで、物事を徒手空拳で認知する人。正常な認知って何ですか?と問いかけるようで、それを伝えたいという気持ちはありますね」 (ライター・仲宇佐ゆり) ※AERA 2023年3月6日号
オンオフがなく24時間ずっと本のことを考えている夫 一人旅で毎年1カ月ほど家からいなくなる妻
オンオフがなく24時間ずっと本のことを考えている夫 一人旅で毎年1カ月ほど家からいなくなる妻 浅野佳代さんとアサノタカオさん(撮影/篠塚ようこ)  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2023年3月6日号では、サウダージ・ブックス代表の浅野佳代さん、サウダージ・ブックス編集人のアサノタカオさん夫婦について取り上げました。 *  *  * 妻27歳、夫29歳で結婚。娘(18)と3人暮らし。 【出会いは?】沖永良部島(鹿児島県)で開催された文化人類学者・今福龍太さん主宰の野外学舎「奄美自由大学」で出会う。夫は研究者だったが戻る予定のブラジルに戻れずに道を見失っていた。妻は大学院生で、夫と話をする中で同じ道を歩んでいく人だと思った。 【結婚までの道のりは?】子どもを授かり、出会いから約1年後に結婚。 【家事や家計の分担は?】家事は「基本、気づいた方がやる」(妻談)。逆に「気づかなければやらなくていいってこと、うまい表現だ!」(夫談)。現状は、夫7:妻3が共通認識。財布は一緒。 妻 浅野佳代[46]サウダージ・ブックス代表 あさの・かよ◆1976年、大阪府生まれ。中央大学で人類学と宗教学を学ぶ。大学院卒業後、2007年に夫と神奈川県の葉山で、旅と詩と野の教えをテーマに出版活動を開始。18年に鎌倉で出版社を始動し、代表として全体のマネジメントと販売管理を行う  今回の撮影地の江の島には、よく家族で散歩に来ます。夫は本を読んだり、私と娘はアイスクリームを食べたりしてぼーっとする。そんな何もしない時間って大事。  初めて夫に会った時、同志だと思いました。人類学で学んできた経験が似ていて、長く付き合わなくてもわかるものがある。「道行き」っていう言葉をよく使っていました。道って歩むと道になるから、一緒にやらなくちゃいけないことがあると予感したんです。私も夫もフィールドワークでいろんな島々にいたからこそ、そこに語られない声なき声があって、小さな声に耳を傾け、大事な知恵を拾って、本作りを通して伝えていきたい、と。それは今も続いています。  私たちにはオンオフがなく、夫は24時間ずっと本のことを考えている。食事中も睡眠中も。考えないのは無理だとわかっているから、そこは尊重しています。私の在り方にも、相当寛容でいてくれているんじゃないかな。異文化同士でも密接に助け合い、家族間に距離がないのは不思議です。 浅野佳代さんとアサノタカオさん(撮影/篠塚ようこ) 夫 アサノタカオ[48]サウダージ・ブックス編集人 あさの・たかお◆1975年、山梨県生まれ。名古屋大学大学院人間情報学研究科博士課程満期退学。2000年からブラジルのサンパウロ人文科学研究所で日系移民の文化人類学的調査に従事。新泉社や瀬戸内人など出版社勤務を経て独立、編集の仕事をしている  ブラジルの奥地に日系移民の古老を訪ね、自然の中に体を浸して聞き書きし、本が伝えるものとは違う知恵を教わりました。今の編集者の仕事でも、東京に打ち合わせなどに行くのと同じ頻度で江の島に行き、波の音を聞きます。僕には必要なバランスなので。  妻は一人旅をするのに、毎年1カ月ほど定期的に家からいなくなります。3日後にインドに修業に行くと言って急に旅立ったことも。家族はこうあらねばといった、しがらみを飛び越えているので、夫や父として振る舞おうとしたって彼女には全く通用しない。  若い頃は自分の思い通りにしたい気持ちが強くて衝突もしましたが、妻=異文化と捉えたらフィールドワーカー魂が目覚めてきました。文化人類学的な目線では、理解できない存在は面白いと思うのが基本。今は会いに行ける宇宙人が家にいる感覚です。  やるべきことをやったらいいと妻は言い、これまで僕の転職も移住も一切反対されなかった。その揺るぎなさに支えられています。 (構成・桝郷春美) ※AERA 2023年3月6日号
コロナ禍の政策は「恋愛ロックダウン」で若者が一番割を食った 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏
コロナ禍の政策は「恋愛ロックダウン」で若者が一番割を食った 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏 元衆院議員の宮崎謙介氏(左)と、独身研究家の荒川和久氏  少子化を食い止めるには、異次元の対策が必要だ。子どもだけ欲しい女性、一夫多妻を望む男性……。常識からは外れているが、ちまたの本音にはヒントも溢れているようだ。男性の国会議員として初めて「育休宣言」をした元衆院議員の宮崎謙介氏と、独身研究家の荒川和久氏の2人に、国会では聞けない、本当の少子化対策について議論をしてもらった。<後編> 【前編:「恋愛強者3割の法則」とは?少子化対策で見落としがちな視点】からづづく *  *  * ――「少子化」は、婚姻数の減少による「少母化」が大きいと指摘する荒川氏。ならば「子育て支援」だけでは少子化は食い止められないだろう。2人はどう考えるか。 宮崎 恋愛結婚をして子どもを産むことを想定すると、少子化を改善するには、男女が3つの山を順番に越えないといけない。子どもを生む前に、結婚があり、さらにその前に「恋愛」というハードルがあるのです。  最初の恋愛でつまずいてしまっている人が多い印象です。子育て支援だけではなく、ここも真剣に議論しないといけない。  また、結婚というハードルを取っ払って、恋愛からそのまま子どもを産める社会にするというのも考えの一つだと思います。  極端な例かもしれませんが、たとえば銀座や六本木のホステスの方と話していると、優秀な経営者を見てきて、一般の方との恋愛できなくなっている人も多い。でも、子どもは欲しいと。既婚者ばかり見てきて、結婚にはあまり夢がないと気づいたけど、子どもは欲しいという人もいました。 荒川 夫はいらないということですね。ノーベル賞学者の精子が欲しいというような話もありました。 宮崎 そう。優秀な遺伝子を1億円で買うというような話もある。将来、そうした遺伝子を手に入れるための「遺伝子ローン」という金融商品も出てくるかもしれません。  恋愛には、ちまたでまことしやかにささやかれている「グッピー理論」というのがあります。同じ水槽内に同数のオスとメスのグッピーを入れます。その中で1組のオスとメスが交尾をはじめたら、他のメスたちもそのオスを選んでしまうというものです。つまり、モテるオスをメスは選び、結局モテるオスに集中する。生物学の理論として本当に正しいのかはさておき、平等にマッチングするのは難しいということを言い当てている気がします。 宮崎謙介(みやざき・けんすけ) 会社経営者・コンサルタント・テレビコメンテーター。 2012年、衆議院議員総選挙で自民党から出馬し、初当選。男性国会議員で初めて「育休」を宣言して話題を集めたが、16年に議員辞職。著書に『国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。』。 荒川 実際、人間の社会でそういった側面はありますよ。たとえば、再婚する男性の割合は、再婚する女性と比べて多いです。私はこれを「時間差一夫多妻制」と呼んでいます。恋愛強者の男性が結婚を繰り返せば、一度も結婚できない男性が出てくることはありえます。 宮崎 経営者の方々と話していると「多夫多妻でいいんじゃないか」といった声をよく聞きます。彼らは異口同音に「2人目の奥さんをOKにしてほしい」と。「2人目の奥さんがOKになれば、お金をもっと使うようになるから経済も回るし、少子化対策にもなるだろう」って夜な夜な言っていますよ。納税額に応じて配偶者の数を増やす制度が導入されたら、経営者たちは節税に頭を悩ませるよりも、より納税をする方法を考えるかもしれません。 荒川 そういう経済的に余裕のある人が、社会で子どもを育てることにお金を回す仕組みがあればいい。アンジェリーナ・ジョリーみたいに、養子を迎えるのもいいでしょう。彼女は3人の実子と3人の養子を育てています。 宮崎 そうなんですよね。様々な家族のかたちというのをもっと考えるべきです。 ――結婚する、しないの判断には所得も影響する。若い世代はその点においても、かつてない厳しい環境に置かれていると2人は指摘する。 荒川 若い世代で可処分所得が減っている問題もどうにかすべきです。年収が上がっても、社会保障費や税金があがり、手取り額が減り続けています。 宮崎 その課題はあります。その結果として、「パパ活市場」がおそろしいくらいに大きくなっている印象があります。  先日、知り合いから「近くでご飯食べてるからおいでよ」と誘われていくと、男4人と女の子4人の食事でした。そしたら最後に「話はついているから」と。何のことかと思ったら「パパ活」の場だったんですね。若い子を1人当てがわれそうになりましたが、僕は「いやいや、そういうつもりで来てるんじゃないから……」と断りました。 荒川和久(あらかわ・かずひさ) 独身研究家、コラムニスト。大手広告会社において、企業のマーケティング戦略立案やクリエーティブ実務を担当。その後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として活躍。著書に『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』など。 宮崎 このようにパパ活マーケットはかなり定着している印象です。普通に働いている女の子がですよ。仕事をしているけど、それでは賄いきれず、家賃とか生活維持のために割り切ってパパ活をやっているんですよ。 荒川 かつての援交(援助交際)のようですね。 宮崎 そう。昔は高校生が小遣い稼ぎのためにやっているといわれていましたが、パパ活は社会人が生活のためにやっているんです。ショックでした。  今の政治家はこうした実態を知っているんでしょうか。マスコミの目を恐れて、飲み会も1次会で帰りますが、やはり2次会も行って、色んな話を聞かないとダメですね。冗談のような話ですが、ハプニングでパパ活の場に居合わせるようなことがないと、こうした声は聞くことはできません。 荒川 女性はパパ活で、男性はどうしているのでしょう。 宮崎 普通の仕事をしながら、闇金に手を出したり、ギャンブルに流れたりしているのではないでしょうか。「ルフィ」と名乗る人物が主導した闇バイト事件が問題になっていますが、あの事件に加担した若者には、やはり経済的背景もあるのではないかと見ています。 荒川 昭和の時代は、初任給が低くても数年後には給料が上がるという希望がありました。それが今では、先輩を見ていても、ハードワークな割に、給料が上がっていないのがわかる。若者は希望が持てません。 宮崎 右肩上がりであれば安心して結婚、出産となりますが、そうではないと「もう少し安定してから」となってしまいますよね。 荒川 コロナ禍で一番割を食ったのは、若者でした。オンライン授業や飲食店への時短要請、酒類の提供禁止は、若者の出会いの機会を奪いました。政府のコロナ対策は、若者にとっては、ある意味「恋愛ロックダウン」政策であり、今後の婚姻数の減少に大きな影響を与えます。 宮崎 様々なシワ寄せが若者にいっているところはありますよね。 荒川 先日、SNSで「デート代は男性がおごるべき」論争が起きていましたが、男性は自分にもおごってあげられないのに、かわいそうですよ。 宮崎 僕はよく起業を勧めています。夜のお店で働いている「黒服」(ボーイ)で、非正規で働いていて、「生活が厳しい」と言っていた。それで何に興味があるのと尋ねたら、「夜のお店ではない飲食」と。「それならそこに丁稚奉公に行ったらいい」と僕は言いました。  興味のあるところで働くほうが楽しいし、そこから起業すればより稼げますから。成功するかはまた別の話ですが、今のまま変化を起こさなければ環境は変わらないですからね。 ――ここまで、どうやったら子どもを持つことができるか、結婚できるか、恋愛できるかを考えてきた。しかし視点を変えたほうが、道が開けることがあるという。結婚の先に「幸せ」があると考えがちだが、実はその逆なのかもしれない。 荒川 結婚することや、子どもを持つことだけが幸せということではないと思います。恋愛することも、結婚することも、子どもを持つことも、自分が幸せになるための手段の1つであって、目的ではない。恋愛や結婚という手段に頼らずとも、幸せに暮らすことはできます。  これは、調査でも明確なんですが、オタクはものすごく幸福度が高い。コミケ(コミックマーケット)に行くとわかりますよ。みんなとても楽しそうです。 宮崎 行ったことないですが、行ってみたくなりました。 荒川 自分が幸せになれば、お金も結婚もついてくると私は思っています。 宮崎 それはありますね。僕の友達で、ぽっちゃり系で、第一印象はあまり冴えない人がいるんですが、彼はすごくモテるんです。付き合っている彼女のほかに、さらにいつも複数の女性が周りにいる。なぜモテるかというと、私の分析では、自己肯定感が高くて、人間力があるからです。  彼曰く、「昔はどうしようもないただの童貞だった」そうですが、いろんなことに詳しいんです。ワインとか、車とか。家電量販店で迷ったときに彼に相談すると即答で返事がくる。「ビックカメラの店員か」ってツッコミたくなるぐらいすごいですよ。 荒川 そういう人は頼られると嬉しいんですよ。そこは自己肯定感と大きくかかわっていると思います。 宮崎 専門的なスキルを身につけることは大切ですね。現状のままでいたら、キャリアパスはないということです。「明日になれば宝くじが当たるかも」と受け身の姿勢ではなくて、自分で宝くじをつくりにいかないと。  恋愛面なら、合コンするとか。筋トレをするでもいいですよ。そこから花が開くことがあります。最近ジムに通っているんですが、筋トレしている人は自己肯定感が高いですね。 荒川 鍛えれば、筋肉を人に見せたくなりますからね。それがコミュニケーションの入り口になります。 ――最後に、政府の取り組みについての正直な感想や、政治家への注文を聞いてみた。 荒川 内閣府の研究会で、恋愛支援として教育に「壁ドン」を取り入れてはどうか、という議論があって、SNS上で炎上したことがありました。国の婚活支援で「壁ドン」はありえないでしょう。 内閣府の「人生100年時代の結婚と家族に関する研究会」資料。批判的な意見が多数あった。 宮崎 アハハ(笑)。非モテの人がいきなり壁ドンなんかしたら、恐喝、脅迫になりますからね。  だけど、僕はそういう発想は大事だと思います。つまり、この問題についてはタブーのない議論を思い切ってしていくべきです。政治家は恋愛のメカニズムと恋愛現場のリアルをもっと勉強しないといけませんね。 荒川 今の政治家を見ると、還暦以上の方々が多いですよね。 宮崎 この問題は若い政治家が声を上げないといけません。 「結婚のメリットは何?」と聞かれたら、「楽しいよ」ぐらいしかないのは問題です。「結婚したら、このくらい有利な税制がある」「子どもをつくったら、国からのサポートが格段に増える」とか言える状況をつくらないといけないと思います。  しょぼい対策では若者のマインドは変わらない。明日が不安で結婚もできない、子どもも産めないというのであれば、思い切った対策をすべき、ということです。 荒川 ところで、宮崎さんは政治家には戻らないんですか。 宮崎 いやぁ、政治家に対して世間から厳しい目がありますよね。僕の元同僚も息苦しそうにしている人は多いですね。窮屈な立場だとまた皆様にご迷惑をおかけするかもしれないので、僕は民間の立場で、社会課題に向き合っていきたいですね。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
お笑い界で珍事? 「アンタッチャブル」が結成30年目で大ブレークした理由
お笑い界で珍事? 「アンタッチャブル」が結成30年目で大ブレークした理由 アンタッチャブルの山崎弘也(左)と柴田英嗣  山崎弘也(47)と柴田英嗣(47)によるお笑いコンビ・アンタッチャブルの快進撃がすさまじい。今年で結成30年目を迎え、4月からゴールデンタイムで初の冠番組をスタートさせる。2010年に柴田が女性トラブルを起こしたことが原因で休業となり、19年11月までコンビ活動を停止していたが、満を持してのゴールデン進出となる。紆余(うよ)曲折あった彼らが、なぜ今、ゴールデンでレギュラー番組を持つまでになったのか。  お笑い業界に詳しい放送作家はこう語る。 「アンタッチャブルはザキヤマさん(山崎)のブルドーザーのような笑いの取り方がクローズアップされがちですが、ツッコミの柴田さんのMC力やワードセンスもすごい。04年に結成10年で『M-1グランプリ』を制し、バラエティーでも対応力の高さを見せつけました。しかし、コンビ活動を休止したことでピンで活動したザキヤマさんは、どの番組でもとにかくしゃべり続けて、力技で笑いを取り続けるというバラエティーモンスターになっていきました」  19年、ようやく“みそぎ”が済んだのか、山崎が信頼を寄せるくりぃむしちゅー・有田哲平の計らいで「全力! 脱力タイムズ」(フジテレビ系)でコンビが復活。柴田さんがダマされるドッキリというかたちだったが、SNS上では視聴者の感動の声であふれかえった。 「あの伝説の『約10年ぶりのコンビ復活』から3年以上がたち、コンビでのバラエティー出演や特番MCもコンスタントに重ねられるようになりました。その結果、2人のコンビ芸も再評価されたことでゴールデン初のレギュラー番組となったわけです。柴田さんがうれしすぎてラジオ番組でフライング気味に明かしていましたが、タイトルは『アンタッチャブルTV』(フジテレビ系)。以前、『パンドラTV』というタイトルで特番をやっていた、その流れを組む番組だそうです。また、4月からは新たにレギュラー番組が3つ始まることも明かしていました。結成30年目にしての大ブレークは、過去のお笑い界でもなかなかない珍事です」  M-1を制し、本来ならその勢いに乗ってバラエティー界でも若くして大ブレークするはずだったアンタッチャブル。柴田による女性トラブルによって「コンビ解散危機」もささやかれたが、アンタッチャブルはここで終わらなかった。週刊誌の芸能担当記者は言う。 「柴田さんは1回目の結婚中に元交際相手と浮気をし、イザコザを起こした。その女性が警察に駆け込んだことで事情聴取を受けることになり、トラブルが事務所にバレて1年間の休業が決定しました。当時の事務所社長は柴田さんの謹慎を解く前に亡くなってしまい、またザキヤマさんも相当腹を立てていたため、柴田さんが芸能活動に復帰してもコンビ活動は無期限休止状態になっていました」  しかし、風向きが変わったのは16年。柴田の妻(当時)がファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤とダブル不倫をし、子どもを身ごもっていたことが発覚。だが、柴田は相手のファンキー加藤を責めなかった姿勢が評価を上げた。 「『女性トラブルを起こし、アンタッチャブルを活動休止に追い込んだ張本人』というイメージから、『有名人に妻を寝取られても、妻をかばい、相手のファンキー加藤まで許した寛大な男』という好印象に変わり、それがコンビ活動再開の追い風になったのは間違いない。柴田さんがピンでの活動をほそぼそとやっていたとき、ザキヤマさんは『自力ではいあがってきてくれ』と相方をずっと待ち続けていた。その間、柴田さんは『動物に詳しいキャラ』などを確立させ、徐々にバラエティーでの露出を増やすことに成功。そして、『脱力タイムズ』でのコンビ復活となったわけです。柴田さんが再婚して公私ともに落ち着いた今、再びコンビで人気が出始めたのは自然な流れでしょう」(前出の記者) ■東京芸人のブームが起きる!?  コンビ活動復活から3年余りが過ぎ、2人で番組に出る姿も見慣れてきた。「こんなにパワーをチャージしたコンビはかつていないはずだ」と語るのは、民放バラエティー班のプロデューサーだ。 「ザキヤマさんはどんな番組でも絶対に一番大きな笑いを取る。その功績が認められ、すでにMCも長くやっています。テキトーで陽気なキャラというスタンスは崩さずに、番組をしっかり回すこともできるため、制作現場からのニーズは非常に高い。そこに、待ちに待った相方と再合流したわけですから、本人たちも、視聴者にとっても新鮮味がある。また、彼らは東京勢の芸人として初めてM-1を取ったということもあり、実は今の若手に絶大な影響を及ぼしているんです。2000年代中盤に養成所に通っていた若手は、当時のアンタッチャブルの漫才をかなり真似していた。東京芸人の若手もたくさん育ってきていますから、アンタッチャブルがそのトップとして台頭することで、久しぶりに東京芸人ブームが起きるかもしれません」  お笑い評論家のラリー遠田氏は、アンタッチャブルについてこう評する。 「アンタッチャブルの復活劇で特筆すべきは、ここにきてコンビでの仕事が増えていることです。これは本当にまれなケース。最近のテレビではお笑いコンビの“バラ売り”が進んでいて、片方だけがテレビに出ることが多くなっています。特に、キャリアの長いベテラン芸人ほどその傾向が見られます。そんななかで、アンタッチャブルの2人は、それぞれがボケやツッコミ、仕切りと何でもこなせる器用さを備えているうえに、コンビで出ているときにも抜群のコンビネーションを発揮することができます。暴走気味に破壊力抜群のボケを繰り出す山崎さんを止められるのは柴田さんしかいません。不祥事さえなければ、10年早くこういう状況になっていたと思います」  長い長い助走期間をへて爆発したアンタッチャブルの快進撃が楽しみでならない。 (藤原三星)
徳川家臣団のなかで歴史学者が「智将」トップに選んだのは? 家康に近く安定感も抜群の家臣
徳川家臣団のなかで歴史学者が「智将」トップに選んだのは? 家康に近く安定感も抜群の家臣 gettyimages  徳川家康は、関白秀吉に「私は殿下のように名物の茶器や名刀は持たないが、命を賭して仕えてくれる五百ほどの家臣が宝」と、控えめに誇ったという。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』では、徳川家を支えた猛将、智将、忠臣などを、歴史学者の小和田泰経氏が採点。各武将の生き様と能力を解説している。今回は、予言者のごとく頭脳で支えた「智将」をピックアップした。1位となったのは――。 *  *  *  城一つを保つ程度の武士団なら、城主が将と参謀の役目を兼ねてもやっていけるが、複数の国を統治する大大名ともなれば、それなりに人材が必要となる。家康も、三河の小領主だった頃は武勇に優れ忠義を尽くす家臣がいれば事足りたが、版図を広げるにつれて頭脳で貢献する智将が必要とされるようになってきた。  領国経営を得意とする人材、土木に強い人材のほか、朝廷や公家社会とコネクションを持つ人材も欠かせない。  合戦一つ取ってみても役割分担は必要。刻一刻と状況が変化する火急の際には、主君の判断を一々仰ぐ余裕はなく、入手できた情報から適切な対応を導き出し、家臣が独断で実行できなければならない。  このような理由から、成長を続ける戦国大名には軍師、知恵袋と呼べる存在が不可欠だった。  例えば、豊臣秀吉には竹中半兵衛、黒田官兵衛、石田三成など、時代ごとにそれぞれ知略で貢献する右腕がいた。家康も、その前半生では酒井忠次や石川数正が、天下を争う頃からは本多正信や榊原康政らが知恵袋として仕えた。  もちろん家康自身も戦国における第一級の智将といえるが、常に正しい判断を下せるとは限らない。また独断専行タイプの主君ではなかったため、献策する左右の家臣の頭脳が求められた。  家康の創業期を支えた忠次と数正は、東三河と西三河の統治をそれぞれに任せられるなど、内政で活躍。外交面でも難しい判断を求められる対上杉、織田、豊臣外交の窓口となるなど、重用された。  そして、2人が表舞台から去るのと前後して台頭してきたのが本多正信と榊原康政だった。家康よりひと回りほど年長の忠次や数正と異なり、同年代の正信や年下の康政は、家康にとって政治から謀略まで忌憚なく言葉を交わせる相手だったことは想像に難くない。 1位 酒井忠次 / 家康にもっとも近く安定感も抜群  智将の第1位は、3項目が満点の酒井忠次だ。  忠次の妻が家康の伯母にあたり、自身は家康より16 歳年長で、人質時代の従者では最年長。これだけ年齢差があれば、若き家康から頼みにされたに違いなく、福谷城で柴田勝家の侵攻を退け、三河一向一揆では家康支持の姿勢を貫き通すなど、終生忠節を貫いた。  すでに家老の職にあったが、三河国統一達成時には東三河の旗頭をも任ぜられ、今川氏と縁のある国衆たちを統率。永禄七年(1564)の吉田城攻めでは先鋒を託され、無血開城を成功させた。  今川領の分割に際しては武田側との交渉を担当。長篠の戦いでは武田側本陣背後にある鳶ヶ巣山砦を奇襲により陥落させ、包囲されていた長篠城の救出を果たす。  しかし、天正七年(1579)の築山殿事件では、謀反の嫌疑を受けた家康の嫡男・信康のために十分な弁護ができず、生涯の汚点となる。  天正壬午の乱では甲斐・信濃国衆に対する懐柔工作に従事。小牧・長久手の戦いでは、松平家忠とともに羽黒に着陣した森長可に奇襲を仕掛け、敗走させた。  石川数正が出奔してからは唯一の家老としてますます責任が重く、その翌年には家中で最高の従四位下・左衛門督に叙任されるが、よる年波も考慮して、天正十六年(1588)には家督を嫡男の家次に譲り、隠居を許された。 ◎監修/小和田泰経(おわだ・やすつね)1972年、東京都生まれ。静岡英和学院大学講師。大河ドラマ『麒麟がくる』の資料提供を担当。最新著書に『すごい ヤバい 戦国武将図鑑』(カンゼン)、『タテ割り日本史5 戦争の日本史』(講談社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』から抜粋 
「犬のように忠節」と称された徳川家臣団のなかで“忠臣”トップは? 家康「人質生活」から仕えた近臣
「犬のように忠節」と称された徳川家臣団のなかで“忠臣”トップは? 家康「人質生活」から仕えた近臣 gettyimages  徳川家康は、関白秀吉に「私は殿下のように名物の茶器や名刀は持たないが、命を賭して仕えてくれる五百ほどの家臣が宝」と、控えめに誇ったという。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』では、徳川家を支えた忠臣、猛将、智将などを、歴史学者の小和田泰経氏が採点。各武将の生き様と能力を解説している。今回は、「忠臣」で採点した。「犬のように忠節」と称賛された徳川の家臣たちの中で1位となったのは――。 *  *  * 「忠臣は二君に仕えず」というのは江戸時代になってから奨励された概念で、生き馬の目を抜く戦国時代には、家臣から主君に見切りをつけて出奔したり、下克上におよんだりすることは珍しいことではなかった。  しかしそれだけに、家康麾下の家臣団の結束力の強さは異彩を放っていた。多くの戦国大名のなかでも、徳川軍団は三河一向一揆の最中を例外に、他へ寝返った者の少なさが際立っている。「人たらし」といえば、豊臣秀吉の専売特許のようにいわれがちだが、家康の人心掌握術もなかなかだった。“家康を裏切ることなく、命令に忠実ながら、間違っていると思えば諫言を恐れない。ただ従順なだけの者は論外で、課せられた役目を果たせないときは自死あるいは討ち死にして償う”。それが家康の生きた時代の家康にとっての忠臣像だった。  家康の忠臣とされる人物には、戦場の最前線で戦う者は少なく、本城の留守居や兵糧運搬の責任を負わせることが多い。  これには2つの理由が考えられる。1つは徳川軍団の拡大により、適材適所に人員を配置する余裕が生まれたため。合戦序盤の形勢を左右する先陣には、軍団で一、二を争う勇将か、手柄を欲する新参者を充てるのがよいとされ、忠義一徹の老臣は家康の身辺を固めるか後方勤務に専念させた。  もう1つは、妻子の生命を預け、将兵の命綱である兵糧の管理を任せるのに、信頼のおける老臣以上の適任者はないという発想による。 ■1位 天野康景 / 足軽を庇い、剛直を貫いた三河武士  忠臣の第1位は、3部門で満点の評価を受けた天野康景が選ばれた。  天野氏は三河国額田郡岩戸村を本拠地とする武士団で、祖父遠房は家康の祖父清康に、父景隆は家康の父広忠に仕えた、股肱の臣の家系である。  康景も家康が人質生活を送った駿河時代から近臣として仕えた。一向宗の信徒だったが、三河一向一揆の際には浄土宗に改宗して、一揆を討伐する側に立つ。代々の信仰よりも、代々の主従関係を優先させたのである。  その功績を認められ、三河統一時には、本多重次・高力清長と並び、三奉行の一人に任じられた。  所領の加増は緩やかだったが、近江国甲賀の地侍83騎の統率を任されるなど家康からの信任厚く、関東入国時には下総国内に3000石を与えられ、江戸町奉行も務めた。  慶長六年(1601)には駿河国のうち1万石を与えられ、天領(将軍家直轄領)2万石を預かる興国寺城城主に任ぜられるが、6年後に事件が起こる。  事の発端は城を修復するために集めていた竹木の窃盗事件にある。天野の足軽が窃盗犯と思しき公民(天領の農民)たちを見つけ、成敗したところ、代官は罪のない公民が殺害されたと上に報告。家康側近の本多正純から康景に対し、手を下した家臣を差し出すよう通達がきた。しかし康景は、「正しさを曲げて間違ったことに従うのは、自分の常の心がけと異なる」として、一族とともに興国寺城を放棄。幕府から改易処分を下された。  康景は自分の家臣とその証言を信じた。たとえ公民であろうと盗みは盗み。職務を忠実に果たした家臣を引き渡すことなど、家康の機嫌をどんなに損ねようが、三河武士の意地にかけて、できるはずはなかった。  ◎監修/小和田泰経(おわだ・やすつね)1972年、東京都生まれ。静岡英和学院大学講師。大河ドラマ『麒麟がくる』の資料提供を担当。最新著書に『すごい ヤバい 戦国武将図鑑』(カンゼン)、『タテ割り日本史5 戦争の日本史』(講談社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』から抜粋
雅子さまが柔らかな笑顔に変わった瞬間 ロイヤルブルーのドレスににじむ国民への思い
雅子さまが柔らかな笑顔に変わった瞬間 ロイヤルブルーのドレスににじむ国民への思い 半蔵門の帰りの通過時にリラックスした笑顔(提供・阿部満幹さん)  御料車のルームライトがついている。開いた窓から皇后雅子さまが顔をのぞかせて、手をふる。その笑顔には、柔らかさがにじんでいた。  天皇陛下が63歳の誕生日を迎えた2月23日午後4時過ぎ。天皇陛下と雅子さまは、宮殿での一般参賀と皇族方や三権の長、各国の駐日大使らが参列した「祝賀の儀」、そして上皇ご夫妻へのあいさつを終え、御所に戻った。 「天皇陛下ー。おめでとうございます」 「雅子さまあ」  半蔵門を通過する陛下と皇后雅子さまにお祝いの歓声があがる。この日の宮殿や外出を伴う日程が無事に終わった瞬間だった。仙洞御所への往路では、雅子さまの笑顔にはやや緊張感があったが、帰りは日程の大半を終えて安堵したような表情だった。   沿道の奉迎者のひとりは、半蔵門で御料車のルームライトをつけるのは珍しいと、上気した様子で話す。 「愛子さまそして雅子さまのお誕生日もそうでしたが半蔵門の通過時に限っては、車のルームライトはつけず真っ暗でお顔はよく見えません。しかし、昨日の天皇誕生日ではライトをつけて車もスピードを落としてくださった。おかげで開いた窓から両陛下のリラックスした笑顔を拝見できました」  この日の一般参賀で天皇ご一家と秋篠宮ご一家は、午前10時過ぎから3回、参賀に集まった人びとにあいさつをした。天皇陛下は、お祝いの言葉を述べた。  一般参賀では宮殿のベランダに天皇陛下を中心に集まり皇族方がお手振りをする。祝賀の日に欠かせない華やかな光景だ。  天皇誕生日の一般参賀(撮影・写真映像部 東川哲也)  なかでも一昨年に成年を迎えた愛子さまの初々しさは、より注目を集めた。 「皆さん1人1人にとって、穏やかな春となるよう願っています」   天皇陛下が参賀で述べたお言葉通り、淡いピンク色のローブモンタントと共布の小さな帽子。ドレスの首元と袖口には薄いオーガンジーの布が重ねられ、帽子にも同じオーガンジーのボウ(リボン)飾りがあしらわれた。成年を迎えるにあたり、新調された装いである。  天皇誕生日の一般参賀(撮影・写真映像部 東川哲也)  新年の一般参賀と違い、愛子さまや他の皇族女性がモンタントに帽子をお召しだった。帽子はお出かけする場合に身に着けるもので、行事の主催者側はつけない。今回は、お祝いを受ける天皇陛下の妻である雅子さま以外は、帽子をお召しだった。  女性皇族がお召しの彩りのローブモンタントの美しさも、ロイヤルならではの光景である。実は、日中の正装であるローブモンタントは、ハリ感のある布地で仕立ててある。愛子さまや紀子さま、佳子さまのモンタントのように、京都の絹織物の生地を用いて仕立てられるのが一般的だ。  対して雅子さまのロイヤルブルーのモンタントは、ベルベットのような柔らかい生地による仕立てだ。 天皇誕生日の一般参賀(撮影・写真映像部 東川哲也)  雅子さまは昔の衣装をお召しのことも多いが、こちらは令和に入って新調されたドレス。 ここ数年の天皇誕生日や「講書始の儀」などの行事で複数回召しだった。胸元と袖口、帽子にビーズで刺繍の入った豪華な装いだ。ロイヤルブルーのドレスは、愛子さまのピンクとの対比が美しかった。 「美しいロイヤルブルーのモンタントは、雅子さまにとって着心地のよいお召し物であると拝察します」(事情を知る人物)  同じドレスを大きな行事でお召しなのは、ご負担の軽減を考慮した側面もあると見られる。  天皇陛下はもちろん、陛下を支える皇后もまた重責を担う立場だ。実際、天皇をはじめ皇族方の務めは過酷だ。この日の宮殿での祝賀行事でも三権の長や各国の駐日大使らの祝賀を受ける厳粛な儀式のなか、天皇陛下や皇后さま、皇族方は長時間にわたり立ちっぱなしである。 天皇陛下がお誕生日を前にした会見で、雅子さまについて、「大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手」と語る一方で、「いまだに快復の途上で、体調には波があり、大きな行事の後や行事が続いた場合には、疲れがしばらく残ることもあります」と体調を慮かっている。  歴代皇后が現地の気候や状況、自身の体調を鑑みて衣装を選ぶのは珍しいことではない。 天皇誕生日の一般参賀(撮影・写真映像部 東川哲也)  陛下は、前述の誕生日会見で雅子さまの体調について説明したうえでこう気遣った。 「十分な休養を取ってほしいと思います。これからも、無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います」 (AERA dot.編集部・永井貴子) 
天龍源一郎が語る“ハワイ” 全日本プロレスに対抗して600万円を使ってハワイ旅行へ!
天龍源一郎が語る“ハワイ” 全日本プロレスに対抗して600万円を使ってハワイ旅行へ! 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)  9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、ハワイの思い出を語ってもらいました。 * * *  最近はようやく海外旅行へも行けるようになって、これまで行きたくても行けなかった人たちは喜んでいるだろうね。嶋田家の海外旅行といえば、なんといってもハワイだ。大相撲のハワイ巡業や全日本プロレスに入団した当初に何度か行ったことはあるけど、初めてハワイが楽しいと思ったのは、1989年に楽ちゃん(故・三遊亭円楽さん)たちと嶋田家で行ったとき。  そのときは楽ちゃんがいろいろな店や楽しみ方を教えてくれてね。俺も家族もすっかりハワイが気に入った。楽ちゃんはハワイに別荘のマンションを一室持っているくらいだからね。でも、その別荘には行ったことはなかったけど……。  そうやってハワイの楽しみ方を覚えてからは毎年のように年末になると家族でハワイ旅行だ。最初は5泊だったのが1週間、10日、2週間となり、最後は1カ月ほど滞在するようになった。さすがに1カ月もいるとやることがなくて飽きちゃったけど(笑)。  ハワイでは観光スポットに行くこともなく、ずっとホテルやビーチで過ごして、食事は中華料理やステーキが多かったかな。最初はホテルで食事していたけど、朝起きるとブッフェ、夜もブッフェで、夜は20ドル、ランチは7~8ドルもしてたいしたもんが食えないから、それじゃあ無駄だなって、外で食べるようになった。  よく行っていたのはステーキの「チャックス・セラー」。そこは俺が全日本プロレスに入団したとき、アメリカ修行にハワイ経由でアマリロ(テキサス州)へ渡ったんだけど、そのときにジャイアント馬場さんに連れて行ってもらった店だ。馬場さんがお気に入りの店だけあって、雰囲気も印象もよくて俺もすっかり気に入ってね。「こんな店を知っている俺」を見せたくて、女房や娘を連れて行くようになったんだ(笑)。 73歳のお誕生日ケーキを持ち抱負を語る(公式インスタグラム@tenryu_genichiroより)【大会情報】『WRESTLE AND ROMANCE』Vol.11 シリーズ最終戦/日時:3月26日(日)17:30OPEN/18:00GONG/会場:東京・新木場1stRING/【チケット料金】(前売りチケット)※当日券は500円UP/▽特別リングサイド…6,500円(東西南1列目、2列目)▽指定席…5,500円(南側ひな壇)チケット販売所・天龍プロジェクト…https://www.tenryuproject.jp/product/575  馬場さんはハワイが本当に好きで「天龍、ハワイはいいよなぁ」としみじみ言っていた姿を思い出すよ。ハワイにコンドミニアムを持っていて、俺も何度か行ったことがある。そこにプールがあって、ドロップキックの練習をさせられたんだ。俺のドロップキックはハワイ仕込みだ(笑)。馬場さんも年末はハワイに来ていたけど、一緒に食事をしたり年末年始のごあいさつに行ったりということはなかった。別にそういうことは気にしない人だったからね。  それから泊まっているホテルの近くにあった日本料理の店の「浪花屋」もよく通ったし、名前は忘れたけど中華料理の店もよく行っていたな。ほとんどの場合、ホテルを出て、右へ曲がって、左へ行ってなんて適当に歩いて見つけた店に入るから店の名前もあまり覚えていないんだよね。「浪花屋」も中華料理店もホテルの近くで見つけたから行くようになったんだけど、そうやって店を見つける楽しみもあったね。  ホテルは最初、モアナ・サーフライダーによく泊まっていた。ホテルの中庭にバニヤンツリーと呼ばれるデカい木があって、その下にあるレストランでのんびりするのが好きだったんだよ。  その後はロイヤル・ハワイアンに泊まるようになって、滞在期間が長くなるとコンドミニアム利用するようになった。毎回レストランで食事するのは金銭的なこともそうだけど、家族で英語ができるのが俺だけだから毎回注文するのは俺で面倒くさいし、向こうは量が多いけど俺以外はそんなに食わないから、食べたいときに食べたいだけ食べられるコンドミニアムの方が楽なんだよ。  滞在中はジムにも通っていて、散歩がてらに適当に歩くのにいい距離でね。妻のまき代と2人であちこち歩いて行きましたよ。ジムでトレーニングして、ビーチで日焼けするのがステータスだったね。「1時間のトレーニングよりも30分のタンニング(日焼け)」ってやつだ。それからキング・イヤウケアの息子、ロッキー・イヤウケアがカタマランボートのキャプテンをしていて、俺たちもよく遊びに行ったよ。イヤウケア夫婦とディナーを一緒にして、プロレスの話をしたりしたこともいい思い出だ。  ハワイに行くときは家族だけで行くのが基本だけど、WARの社員、選手たちと30人くらいで行ったこともある。当時、俺が退団した後の全日本プロレスの羽振りがよくなって、社員旅行で毎年ハワイに行っていたそうだ。それを聞いて俺も「全日本に負けていられない!」とWARの選手を連れてハワイへ社員旅行だ。みんなでワイキキのビーチコマーホテルに泊まって、小遣いを渡して遊ばせたりね。女房ともずっと後々「すごい出費だったね、あれは」と言うほど。たしか500~600万円くらい使ったよ!  最後にハワイに行ったのは2017年、娘の紋奈が結婚して新婚旅行で一緒に行ったとき。そこで紋奈と旦那が喧嘩しちゃって。その様子を距離を置いて眺めていたらまき代が来て「モメているからなだめに行こう」って言うから、2人を呼んで「お前ら新婚旅行でハワイまで来てなにしてんだ!」と説教をしたことを覚えている。その後は何事もなかったから、あの説教でちゃんと仲直りできたんだと思うよ(笑)。  なんだかんだで、ハワイに行ったら、いい家具が置いてあるホテルのロビーでのんびりしているのが一番優雅な感じがするね。そんな優雅な自分に酔うのが好きで、行くたびにホテルのグレードを上げていったり、滞在期間が長くなったりして「俺もここまで稼げるようになったか」と自惚れていたもんだ(笑)。  俺がそうやって優雅なひとときを過ごしている間、まき代はショッピング。といっても、自分のものじゃなくて俺の服や靴を買いに行ってくれるんだ。日本だとグッチやヴィトンの靴はサイズが限られているけど、向こうは大きいサイズがたくさんあるからね。いま、10足くらいある靴は全部ハワイで買ったものだ。思い出だけでなく、買ったものが長持ちしていつまでも使えるというのもいいね。  こうして振り返ると家族でハワイに行ったことを懐かしく思うけど、今は行きたいと思わないんだ。行ったら亡くなった女房との楽しかったことをたくさん思い出しちゃうからね……。なんかしんみりしちゃったけど、やっぱりハワイは最高、いいところだよ! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
豪華客船が難破、無人島に流れ着いた大富豪たちのトップに立ったのは…話題作「逆転のトライアングル」監督に聞く見どころ
豪華客船が難破、無人島に流れ着いた大富豪たちのトップに立ったのは…話題作「逆転のトライアングル」監督に聞く見どころ Fredrik Wenzel (c) Plattform Produktion  モデルで人気インフルエンサーのヤヤと、人気に陰りが見えてきた男性モデルのカール。二人は豪華客船でのクルーズ旅に招待される。が、船が難破。流れ着いた無人島でサバイバル能力を発揮したのは清掃係の女性だった──。連載「シネマ×SDGs」の41回目は、本年度米アカデミー賞3部門にノミネートされた話題作「逆転のトライアングル」のリューベン・オストルンド監督に話を聞いた。 Fredrik Wenzel (c) Plattform Produktion *  *  *  本作のきっかけはファッションフォトグラファーである妻から、ある男性モデルの話を聞いたことです。車の修理工をしていた彼は都会に来てスカウトされ、19歳にしてあっという間に高額のギャラを稼ぐモデルになった。それを聞いて「美」が貨幣のような価値を持ち、社会の階級を上るために使われることに興味を持ちました。同時に男性モデルが女性モデルの3分の1ほどしか稼げず、ゲイの権力者からの誘いを断るのに苦労する現状も聞きました。彼らの状況は男性優位社会における女性の苦労と変わらない。そこからカールという主人公が生まれました。 Fredrik Wenzel (c) Plattform Produktion  劇中でカールは恋人との関係でも無人島におけるサバイバルでも、男性として社会に期待される“役割”と格闘します。過去作「フレンチアルプスで起きたこと」「ザ・スクエア 思いやりの聖域」で描いた男性の苦悩にも重なり、意図せず3部作のようになりました。 Fredrik Wenzel (c) Plattform Produktion  僕の作品はすべて人間観察からはじまります。特に本作には行動心理学や社会学的な観点があります。社会学とはその人個人を「いい人だ」「悪い人だ」でみるのではなく、国家や社会という文脈のなかに「個」を置いてみる学問です。物質主義的な社会のなかで登場人物たちがどういう行動を取るのか、それが僕には興味深いのです。その原点には教師である両親、特にマルクスを信奉する母から母乳を浴びるように考え方を教わった影響が大きいと思います。常に距離を置いて世の中を観察しているんです。物事に没入する体験がないことは悲しくもありますが(笑)、しかし現代人は自分の視野でのみ物事を見てそれ以外を排除する傾向にある。ぜひ少し離れた距離から登場人物を観察し、社会のなかでの自分の行動にも思いを巡らせてもらえればと思います。(取材/文・中村千晶) リューベン・オストルンド(監督・脚本)Ruben Ostlund/1974年、スウェーデン生まれ。「ザ・スクエア 思いやりの聖域」と本作でカンヌ国際映画祭2作品連続パルムドール受賞。23日から全国で公開 (c) Sina Ostlund ※AERA 2023年2月27日号
「山里亮太」ライバルは麒麟・川島? 4月から“朝の顔”でMC芸人の頂点狙う超戦略家の素顔
「山里亮太」ライバルは麒麟・川島? 4月から“朝の顔”でMC芸人の頂点狙う超戦略家の素顔 南海キャンディーズの山里亮太  4月からスタートする新番組「DayDay.」(日本テレビ系)のMCに大抜擢されたお笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太(45)。同番組は3月末で終了する朝の情報番組「スッキリ」「バゲット」(同)の後継で、山里は新たな“朝の顔”を務めることになる。  現在、「東大王」(TBS系)、「土曜はナニする!?」(フジテレビ系)、「あざとくて何が悪いの?」(テレビ朝日系)など、多くの番組でMCを担当する山里。2月10日に放送された「オオカミ少年」(TBS系)では、体調不良のため欠席したダウンタウン・浜田雅功の代役MCを急きょ務めるなど、その司会スキルは高く評価されている。山里といえば、かつては“非モテ”の卑屈な毒舌キャラで売っていたが、場を回すトークが買われ、徐々にMC業にシフトしてきた。4月から“朝の顔”となれば、芸人としては頭ひとつ抜けた存在になるだろう。 「山里のMCは、芸人からも絶賛されています。以前バラエティー番組で、平成ノブシコブシの吉村崇が山里について『ちゃんとオンエアに残るワードを見つけてそれを発表している』とスキルをほめていました。また、かまいたちの濱家隆一は『第43回ABCお笑いグランプリ』のMCを務めた山里について、『集中力を切らさずに温かいまま、みんな気持ちよくネタができるような状況をつくる』とラジオ番組で話し、コメントのクオリティーや返しの速さを称賛。さらに昨年9月、千鳥の『相席食堂』で2週にわたってノブの代役MCを務めた際は、大悟が『すごいよな』と、何の違和感もなくMCを務めた山里の手腕をたたえています」(テレビ情報誌の編集者)  山里のMCスキルは同業者からも称賛されるほどだが、民放バラエティー制作スタッフも高評価をつける。 「2009年から『スッキリ』の天の声を連日担当しているのも、実はすごいことです。本来、芸人ならやはり前に出て笑わせたいところを、声だけで14年もやっているわけですから。彼がラジオ番組を大切にしていることからもうかがえますが、声だけで番組のコーナーを回し、爪痕を残し続けるのは並大抵のことではない。場数の多さに裏付けられた安定感と独創的なワードセンスをしっかり持っているので、特番会議のMC候補としては確実に名前が挙がります。若くして独自のポジションを築いた、珍しいタイプの芸人だと思います」  活躍の裏には、もちろん山里本人の努力もある。 「マイナビニュース」(19年6月26日配信)の記事では、「俺が俺が」ではなく、みんなで作り上げ、みんなが楽しかったって思えるものにするお手伝いができるようなMCを心がけていると話す。自分自身を「努力型の人間」だと言い、本を読みテレビを見るなど、日常の中で良いと思った言葉をメモし、ワード数を増やしているという。  また、「新R25」(19年4月12日配信)では、06年の「日本アカデミー賞」授賞式で会場を回すインタビュアーを担当するも準備不足で大失敗し、「あいつにMCを任せてはいけない」という空気になったと後悔も明かしている。それ以降、出演者の事前リサーチをしっかり行い、「その人はどんな話ができるのか」「どんなパスを渡せばいいのか」などを、数多くイメージしておくように心がけているという。大きな挫折を経験した後に、同じ失敗を繰り返さない努力をしてきたことが、現在の安定感あるMCぶりにつながっているのかもしれない。 ■相方との陰湿エピソードを披露  一方で結婚後は妻・蒼井優とのノロケ話を披露することも多く、「毒がなくなった」という声もちらほら。 「たしかに家族ネタに偏りすぎると、芸人らしさが薄れてしまいますが、山里の“陰湿さ”はまだまだ健在だと思います。1月放送の『超ホンマでっか!?TV』の『根に持つ芸人SP』に出演した際も、卑屈さあふれるエピソードが満載。相方のしずちゃんが注目された時期は、どうすれば彼女が売れなくなるかという考えが湧き上がり、台本でしずちゃんがしゃべるところを全て自分が覚えて先にしゃべっていたとか。一時期、コンビ仲が悪かったのは有名な話ですが、今でも隠さず話すところは、やはり芸人魂が残っているからでは」(前出のテレビ情報誌の編集者)  元「週刊SPA!」芸能デスクの田辺健二氏は、山里についてこう語る。 「千葉県出身の彼が大阪NSCに入学し、関西から芸人を目指したことからもうかがえるように、山里さんは芸人界随一の戦略家であり初志貫徹の人。04年に『M-1グランプリ』で準優勝して大ブレークし、全国区の知名度を獲得した後も、ほぼ毎日反省ノートをしたため、そこでツッコミのフレーズなどに磨きをかけ続けた努力家でもあります。驚異的なのは、M-1でブレークする前から、当時のマネジャーと『50歳までのプラン』を綿密に立てていて、その中に『政治や経済を語るポジション』という目標もあったそうです。また、『女性にモテたい』という動機で芸人になるも、売れるまで彼女をつくろうとはせず、最終的には大女優と結婚したということからも、彼がいかに戦略的だったかがわかると思います。2期先輩の麒麟・川島明さんが次世代のMC芸人として頭角を現していますが、山里さんはMC芸人として天下を取るために、川島さんをつぶすぐらいの勢いで新番組に臨むのではないでしょうか」  4月から自身の半生を題材にしたドラマもスタートする山里。お笑い界イチの戦略家の成功はまだまだ続きそうだ。 (丸山ひろし)
快楽性を極めたインド映画「RRR」の魅力 口コミが話題を呼び異例のロングランヒット
快楽性を極めたインド映画「RRR」の魅力 口コミが話題を呼び異例のロングランヒット インド映画界屈指の名ダンサーでもある主演二人が挑んだダンス「Naatu Naatu」は、振り付け担当者が100通り以上のパターンを考えた。撮影と編集に数カ月間費やしたという(c)2021 DVV ENTERTAINMENTS LLP.ALL RIGHTS RESERVED.  インド映画として初めて米アカデミー賞歌曲賞にノミネートされるなど、世界を席巻している「RRR」。その魅力はどこにあるのか。AERA 2023年2月27日号より紹介する。 *  *  *  昨年10月21日に公開されたインド映画「RRR」が、日本で異例のロングランヒットとなっている。前作「バーフバリ」2部作が世界的に大ヒットしたS・S・ラージャマウリ監督が、インド史上最高となる7200万ドル(約97億円)をかけて製作した娯楽超大作。第95回米アカデミー賞ではインド映画で初めて歌曲賞にノミネートされた。 ■「ムトゥ」上回る興収  舞台は1920年、イギリス植民地時代のインド。英国の総督夫妻に村の幼い娘を連れ去られ、ビーム(NTR Jr)は救出のためデリーへ向かう。その頃、デリー郊外では逮捕された反英活動家の釈放を求めて、群衆が警察署を取り囲んでいた。警察官のラーマ(ラーム・チャラン)は一人で群衆に飛び込み騒動を収拾する。ある日、運搬列車の爆発事故に遭遇したラーマとビームは、間一髪のところで少年を救い出す。二人はその日以来互いの素性を知らぬまま、厚い友情と信頼で親交を深めていくのだが……。  警察官1人対数十万人の大群衆との攻防、鉄橋での列車爆発事故からの少年救出劇、トラやヒョウといった動物たちとの死闘……。壮絶アクションからノンストップの耐久ダンスまで、見る者を飽きさせないどころか考える隙さえ与えない。観客はただただ圧倒されるほかない。  公開当初全国210館でスタート。12週で64館まで徐々に減ったが、13週で86館に復活。14週で108館、15週で112館と息を吹き返した。本作を買い付けた配給会社ツイン代表取締役の加畑圭造さんは、 「当初は『バーフバリ 王の凱旋』の興行収入3億円超えを目標に、できれば『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95年)が持つインド映画歴代興行収入記録4億円を塗り替えたいと考えていました」 (c)2021 DVV ENTERTAINMENTS LLP.ALL RIGHTS RESERVED.  だが2月13日現在、累計の興行収入は9億5319万7920円に。「ムトゥ」の記録を大きく塗り替えた。  映画がロングランヒットになるには、リピーターが続出することと口コミが必須だ。 「ムトゥ」で「それまで見たこともなかった世界を知ってインド映画のファンになった」と言う会社員男性(53)は、 「今回一番魅了されたシーンは、インド映画らしさの象徴ともいえるダンス。二人の主人公が白人相手に仕掛ける『Naatu Naatu』というダンスは強烈でした。ただ、このダンスもあくまで見どころの一つ。3時間という長さも忘れるほどですが、長さがあるからか前半で描かれる物語の伏線を後半できちんと回収してくれるのでスッキリ。また見にいくつもりです」 「ラージャマウリ監督のファン」と言う50代無職の女性も、 「期待通りの痛快作でスッキリしました。この映画は(性別にかかわらず)友人たちの間でも評価が高く『絶対見たほうがいい』と薦められた。前作の『バーフバリ』を見ている人ならみんなこの映画を見るのでは」  先の男性も、インド映画好きの上司に本作を薦めたと言う。 日本に特別な思いを持つラージャマウリ監督(写真)は本作公開時にキャスト、スタッフ総勢23人で来日し、宣伝に協力 ■語らずにはいられない 「観客を喜ばせるためにありとあらゆる工夫をてんこ盛りにして、娯楽性を極めたラージャマウリ作品」(加畑さん)は、見たら語らずにはいられない。  もっとも監督自身は、本作が世界中でヒットした理由を「わからない」と言う。ただ、この映画で一番見せたかったことをこう話している。 「私は感情を全面的に強く表現したい。例えば、観客を笑顔にするのであれば、微笑みではなく笑ってほしい。称賛するのであれば、ただパチパチと拍手するだけでなく、大声を上げて興奮してほしい。そういったものを届けたいと思っています」  その思いは間違いなく、日本の観客にも届いている。(フリーランス記者・坂口さゆり)※AERA 2023年2月27日号
高島礼子「こんなに気持ちがいいなんて!」 最高の気分転換は「大声」を出すこと
高島礼子「こんなに気持ちがいいなんて!」 最高の気分転換は「大声」を出すこと 高島礼子(たかしまれいこ)/ 1964年生まれ。神奈川県出身。88年「暴れん坊将軍III」で俳優デビュー。映画「陽炎」シリーズ、「極道の妻たち」シリーズ、「長崎ぶらぶら節」など、話題作に出演。2001年には、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。昨年は、「東京ラブストーリー」で初のミュージカルに挑戦した。NHK BSプレミアム「スイーツ列車紀行」が3月18日に放送される。(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃 ヘアメイク/佐々木大輔(TRINE) スタイリスト/村井緑 衣装協力/MOGA、ABISTE)  映画「いちばん逢いたいひと」で、主人公の母親役を演じる高島礼子さん。昨年は、「東京ラブストーリー」で初のミュージカルにも挑戦した。精力的に仕事をこなす高島さんだが、プライベートはどのように過ごしているのだろうか。 *  *  *  普段の生活で大切にしていることは、食事以上に睡眠。身体と精神を健康に保つためには、「ぐっすり寝たぞ」という満足感が大事なのだそうだ。とはいえ、20代からずっと枕難民。若い頃にカーレースをやっていて、何度か横転した後遺症で首がうまく回らない。今でも後ろを向くときは、腰から背中ごと振り返る。 「枕はいろいろ試しました。新しい枕を見ると、『使ってみようかな』と、すぐ衝動買いしてしまって、家に枕ばかり増えていく(苦笑)。オーダー枕も勧められるんですが、何週間とか待つほどの忍耐力がないんです」  最近、ミュージカル出演をきっかけに、最高の気分転換に出合った。ボイストレーニングだ。 「防音の、小さなレコーディングスタジオみたいな貸しスタジオがあるんですが、そこの会員になって、思いっきり声を出すんです。めっちゃ気持ちいいですよ(笑)。今までは、正直あんまり歌うことが好きじゃなかったんですが、ボイストレーニングを始めてから、認識を改めました。周りを気にせず、大声を出すのがこんなに気持ちがいいなんて! 最初は、あんまり思いどおりに声が出ないんですが、練習するとそのうちだんだん出るようになって、しかもダイエットにもなる。苦手な歌が少し歌いやすくなったりすると、本当に感動なんです。山に登って人がヤッホーって叫びたくなる気持ちが、ようやくわかりました。カラオケに行っても人の歌を聴いているほうが好きだったんですけど、これからは、下手でも堂々と歌おうと思います(笑)」 映画「いちばん逢いたいひと」は、福山駅前シネマモードにて先行公開中、24日からシネ・リーブル池袋ほか全国順次公開(c)TTGlobal  自分の限界を決めない高島さんが心がけていることは、絶対「もう無理」とか「できない」という言葉を使わないこと。 「若いときのほうが、『疲れた』『眠い』とか、平気で口にしてましたけど、最近は、起きたら二度寝ができにくい体になってしまって。長く寝ていられないなら起きちゃえばいいと開き直りました(笑)。ゴルフも、『仕事以外でなんで早く起きなきゃいけないの?』なんて思って、全然やってなかった。でもやっとここ数年やり始めたら、結構面白くて。30代は仕事ばっかりしながら、さらに『仕事したい!』なんて言っていたせいで、セリフ覚えはよくても、世間のことを何も知らずにいた。興味があること自体少なかったのが、大人になって、知識も雑学もない自分にあきれてしまって。常識を知らないことも恥ずかしいので、もっといろんなことに興味を持ちたいなと。一時期、閉所恐怖症だった時期があって、『地下鉄は一生乗れない』なんて思ってたのが、最近は、一人でバンバン地下鉄に乗って移動できるようにもなったし、そのうえ、一人で飛行機に乗って旅行に行っちゃったりもするんですよ! 人間、いくつになっても成長はできるものです」 (菊地陽子、構成/長沢明)※週刊朝日  2023年3月3日号より抜粋
鈴木おさむの小学1年の息子が、ゲームの有料ダウンロードを正当化するために話した内容とは
鈴木おさむの小学1年の息子が、ゲームの有料ダウンロードを正当化するために話した内容とは 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、息子の成長について。 * * *  息子・笑福は現在、小学1年の7歳。日々、色々なことを覚えていきます。最近は、自分のことを「正当化」することを覚えました。  息子はゲームが大好き。僕もまあまあゲームが好きです。親子ともにゲームが好きだと、一緒のゲームにハマった時に、7歳と50歳が43歳の年齢差を超えて同じエンタメで共通の興奮と感動を同時に経験出来るのがとても良い。  最近だと「ONE PIECE ODYSSEY」というプレイステーションのONE PIECEのゲームに親子ともにハマっています。  息子はユーチューブでゲームの攻略動画を見て僕に教えてくれる。このゲームをはじめてから父と息子の共通会話もかなり増えた。本当にありがたいんですよね。  で、このONE PIECE ODYSSEYのちょい前から息子は「スプラトゥーン3」という任天堂スイッチのゲームにハマっております。  元々は僕もこのゲームに興味があったのですが、いざやってみると、僕的にはゲーム酔いするんですよね。  なので、僕は離脱。息子に任せました。息子はスプラトゥーン3にがっつりハマりました。  かなりの期間やりまくっていたのですが、最近になり、有料配信で追加のゲーム的なものが出たのです。  息子は僕にそれをダウンロードしてくれと言いました。でも、最後までやり切ってはないので、僕は「ダメだよ。最後までやり切ってないんだから」と言いました。  僕はそのあと、お風呂に入っていたのですが、すると、息子がドカドカ走って来て、風呂のドアを開けます。なんか興奮している様子。  僕がダウンロードはしないと言ったことに対して納得してないのでしょう。そして、自分のことを正当化して、こう言ったのです。「あのさ、もともとスプラ3を買ったのは、とうと(僕の事)じゃん。それをさ、俺がやってあげたわけじゃん。全部俺に任せっきりじゃん。俺一人でやってんじゃん! それ、おかしいじゃん」と僕にぶつけます。つまりは「だからダウンロードしろ」と言っているのでしょう。  普通に「買ってくれ」では無理だと思い、自分がゲームをやってることを正当化し、僕を論破しようとしたんです。  が、そのあとに僕が「わかりました。一人でやらせてすいませんでした。だとしたら、今すぐスプラ3をやめてもらっていいですよ。今までありがとうございました」と言ったら、息子は「そういうこと言ってんじゃないじゃん」と諦めて撤退。  息子がションボリしながら帰る姿を見て、この行動には驚きましたし、こんなこと言うようになったんだと嬉しかったんです。  その数日後。息子は勉強が嫌いです。めちゃくちゃ嫌いです。妻が「学校行くの、嫌なの?」と聞いたら、息子は「学校ってさ、友達と遊ぶところだと思ってたらさ、勉強があるなんて聞いてないよー」と。  そうやって自分を正当化する息子。  この息子の成長を見ていて、ふと思う。自分もいつからかこうやって自分を正当化したり、言い訳したりすることを覚えて大人になっていったんだよなと。  人の成長って色々な色があるんだなと思う。おもしろい。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)、長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が好評発売中。漫画原作も多数で、ラブホラー漫画「お化けと風鈴」は、毎週金曜更新で自身のインスタグラムで公開、またLINE漫画でも連載中。「インフル怨サー。 ~顔を焼かれた私が復讐を誓った日~」は各種主要電子書店で販売中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が発売中。作・演出を手がける、今田耕司×鈴木おさむの第8弾舞台『正偽の芸能プロダクション』が3/15(水

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