
「自分の言葉で伝えたい」天皇陛下が17年間学び続けるスペイン語 “先生”が振り返る愛子さまとのレッスン
2013年6月、フェリペ皇太子同妃主催の晩餐(ばんさん)会で、あいさつに立つ皇太子さま(当時)/マドリードの王宮
63歳の誕生日を迎えた天皇陛下。国内はもちろん、世界のロイヤルや要人などと交流する立場だけに、語学も重要だ。英語以外にフランス語、スペイン語も学ぶ陛下。17年間にわたり、スペイン語を天皇陛下に教えるカルロス・モリーナさん(70)に、授業を通じてはぐくんだ陛下との交流について、話を聞いた。
* * *
「つい先週も天皇陛下の授業を行ったばかりです」
そう話すのは、カルロスさんだ。
コロナ禍が始まった当初は授業を中断した時期もあったが、2020年7月には再開。皇太子時代から続く授業は今年で17年目に入った。
「いまは、仕切りもマスクもせずに勉強しています。というのも、勉強をする部屋の机は3メートルほどもあり、すごく大きいためです」
カルロスさんが初めて天皇陛下と対面したのは、また陛下が皇太子だった06年のこと。陛下のライフワークである「水」問題の国際会議がメキシコで開かれることを受けて、陛下はスペイン語に関心を持ったという。
メキシコの母国語でもあるスペイン語は、ラテンアメリカ地域を中心におよそ20の国や地域以上に広がる。英語とスペイン語を習得すれば、コミュニケーションには苦労しないといわれるほどだ。
実際には、陛下が海外の人と交流する場面では、通訳が必ず立ち会う。しかし陛下は、「自分の言葉で伝えたい」と、勉強することを望んだという。
外務省職員のスペイン語の主任講師を務めていたカルロスさんに、外務省の儀典官室から打診がきた。
「皇太子さまの『先生』をして欲しい」
思いがけない依頼に驚きつつも、宮内庁で面接を受け、その2日後に「採用」の連絡を受けた。授業は、当時の東宮御所の一室で行われた。初めてのカルロスさんとのあいさつのやりとりは、勤勉できまじめな陛下らしいものだった。
カルロスさんはスペイン語で、皇太子殿下を表す「Su alteza」という敬称を用いて、あいさつをした。スペイン語については、ほぼゼロからのスタートであった陛下は、カルロスさんにこう質問した。
「それは、どういう意味でしょうか」
2013年6月、スペインで歓迎を受ける皇太子さま(当時)
カルロスさんの説明を経て、無事に対面のあいさつは交わされたという。
多いときは週に1回、忙しい時期でも月に1回ほどのペースで10年以上にわたり授業は続く。
また、ゆくゆくは公務を担う愛子さまの立場を考えたのだろうか。
「愛子には、英語より先にスペイン語に触れさせたいのです」
そうした陛下の願いで、当時6歳の愛子さまもカルロスさんの授業に参加した時期がある。カルロスさんは、スペイン流に頬を合わせて愛子さまへあいさつをした。
お父さまの隣にちょこんと座る愛子さま。陛下が文法などに取り組む間、カルロスさんと愛子さまは絵のついたカードを使い、遊びながら簡単な会話や単語に触れた。
勤勉な陛下らしく、事前の準備は欠かさず、授業中はしっかりメモを取るなどをして、愛子さまのサポート役も務めたという。
授業の様子はどうだったのか。
カルロスさんは、思い出したように少し微笑んで、こう言った。
「6歳の子どもが外国語を学ぶのは難しいものです。集中力が途切れると、隣の(当時の)皇太子さまに『ピアノの楽譜はどこにあるの?』などと授業に関係ないことを話しかけていらっしゃいました。(愛子さまとの)授業自体は1年ほどでしたが、楽しい思い出です」
それから10年以上の歳月が流れた。
カルロスさんは、愛子さまが学習院大学での第二外国語としてスペイン語を選択したことを陛下から聞き、嬉しさを感じたという。
陛下は、「自分の思いを自分の言葉で伝えたい」という思いを実行に移している。
13年、「日本スペイン交流400周年」を機に行われたスペイン訪問。当時のフェリペ皇太子夫妻主催の晩さん会のあいさつで、陛下は東日本大震災での支援に感謝を示している。 この時、陛下に同行した外務省の通訳は、カルロスさんの研修所での教え子だった。後日、カルロスさんはその教え子から、陛下があいさつで触れた震災への支援のお礼と、漫画やアニメ、フラメンコやワインといった日本とスペインの文化交流の部分については、外務省が準備した原稿ではなく、陛下自身が言葉を選び、あいさつ文を練ったと聞いた。
そのときのあいさつは、次のようなものだった。
【日スペイン間の温かい友情は、両国の皇室と王室との関係にとどまるものではありません。2011年3月、日本が未曾有の震災に襲われた際、スペイン王室はもとより、スペイン国民の方々から心温まる支援や励ましを頂きました。また,福島原発事故の初動対応に従事した「フクシマの英雄たち」に対し、スペインで最も権威のある「アストゥリアス皇太子賞」が授与されたことについては、日本でも大きく報じられました。こうした温かい友情と連帯の表明を通じ、両国の絆(きずな)はさらに強いものになりました。「逆境の時の友が真の友(El amigo en la adversidad, es amigo de verdad)」という諺(ことわざ)の意味を,我々日本人は改めて深く噛かみしめました】
また、和食やアニメなど、日本文化への関心が高まっていることを挙げ、両国の交流への期待を寄せた。
【近年では、新鮮な食材の持ち味を引き出す和食の魅力がスペインの皆様に広く親しまれ、漫画やアニメーションなどの日本文化もスペインの若者になじみ深いものになっています。日本でもスペインへの関心が高まっており、フラメンコ、スペイン料理やワイン、ファッション、そしてサッカーなども注目を集めています。このように、国民レベルで双方への関心が高まっている中で、交流を通じ,両国国民の相互理解と友好関係がますます深まることを期待しております】
スペイン訪問を前に陛下は、どう表現すれば自然なスペイン語になるのかと熱心にカルロスさんに質問したという。陛下のスペイン語は、欧州人の基準でみても中級には達しており、日常会話には不自由しないレベル。ゆっくりではあるが美しい発音でスペイン語を話すという。
天皇陛下の誕生日やお祝いのお茶会へ招待されて、カルロスさんは御所にうかがう機会もある。そして、令和の天皇ご一家への期待を寄せる。
「今年は、陛下と皇后雅子さまのご結婚から30年の節目にあたり特別な年です。国籍の垣根を越えて、世界中の人と自分の言葉で対話を望む陛下。その裏には、外交官として活躍した雅子さまの存在も大きいのではと感じます。勤勉で誠実な令和の天皇陛下は、国内そして海外との交流においても存在感を増していかれるでしょう」
◯カルロス・モリーナ/スペイン語専門学院アカデミア・カスティージア学院長。1953年マドリード生まれ。外務省研修所スペイン語課主任講師。2006年より当時皇太子であった天皇陛下のスペイン語の講師を務めている
(AERA dot.編集部・永井貴子)