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サレ妻「笹崎里菜」がバラエティー出演で見せた“強心臓” 自虐ネタで“露出を増やす”戦略も?
サレ妻「笹崎里菜」がバラエティー出演で見せた“強心臓” 自虐ネタで“露出を増やす”戦略も? 笹崎里菜アナウンサー。夫・中丸雄一との出会いの場となった「シューイチ」の公式YouTubeチャンネルでロケでの食レポの反省を告白/日テレ公式チャンネル【公式】シューイチ 笹崎アナの反省会&ロケ裏話(2月4日放送分)より    8月に、夫のKAT-TUN・中丸雄一が都内のアパホテルで20代の女子大生と密会していたことが「週刊文春」で報じられ、“サレ妻”と呼ばれるようになった元日本テレビの笹崎里菜アナ(32)。妻としてこのスキャンダルをどう乗り越えるか世間の注目が集まっている。  9年近く在職した日本テレビを2023年末で退職しフリーとなり、24年1月に中丸との結婚を発表した笹崎アナ。人気アイドルの妻という“勝ち組”感が漂ったのもつかの間、夫が女性スキャンダルで活動休止に追い込まれる予期せぬ事態に見舞われている。  笹崎アナといえば大学時代、日テレから15年度入社の内定を受けるも、過去にホステスのバイトをしていたことが問題視され、内定が取り消される騒動が発生。それに対して彼女は内定の有効性を主張して日テレを提訴するという大胆な行動に出て、和解が成立。その結果、日テレに入社したという経緯がある。  波乱の社会人デビューとなった笹崎アナについて、エンタメ誌の編集者はこう語る。 「執念で日テレに入社した笹崎さんは、ラグビーワールドカップ日本大会の担当に抜擢されるなど、アナウンサーとして見せ場もつくりました。しかし、入社時の騒動があったことで、“腫れ物アナ”のイメージを引きずってしまったこともあり、局アナとしてはいまいちブレークしきれませんでした。人気アイドルとの結婚という誰もがうらやむポジションをゲットしましたが、今度は夫への“文春砲”という困難に直面。そんな彼女にネット上では『笹崎アナはそういう星の下に生まれたのか?』と同情する声も散見されます」 笹崎アナは日テレ時代にラグビーワールドカップ日本大会の担当に抜擢された/日テレスポーツ【公式】YouTubeチャンネル/【#日テレ女子アナラグビー部 】#杉原凛 アナ × #笹崎里菜 ヘッドコーチ 〜前編〜より   “サレ妻”佐々木希との違い  なお、中丸は「文春」報道を受けて先月、専属契約しているSTARTO ENTERTAINMENTの公式サイト上で謝罪コメントを発表。そこには《何より、妻に対しては悲しい思いをさせてしまい、後悔の念しかございません。妻からは「しっかり自分と向き合って」という言葉をかけてもらいました》と笹崎アナに対する思いもつづられていたが、8月19日配信の「週刊女性PRIME」によれば、笹崎アナが“離婚しない条件”として中丸に「反省コメントを出させた」という。  騒動後、さっそく笹崎アナは動きだす。9月2日放送のクイズバラエティー番組「ネプリーグSP」(フジテレビ系)に解答者として出演。笹崎アナはあっけらかんとした表情で「ちょっと今、いろいろあるみたい、私」と自虐ネタを投じるなど、自ら矢面に立った。  こうした笹崎アナの姿に、ネット上では「さすが、日テレを訴えて入社するほどの強心臓の持ち主」「笹崎さん強い妻だね。渡部建の不倫騒動時の佐々木希を思い出した」といった声も見受けられた。前出の編集者が話す。 「佐々木さんは騒動後のインタビューで“離婚という選択肢はなかった”と告白していますが、今回、困難を乗り越えようと前を向く笹崎さんと重なった人も多いようですね。ただ、佐々木さんは騒動の時も自身のSNSのコメント欄は開放し続けていましたが、笹崎さんは“文春砲”の前日までにそっとコメント欄を閉鎖。世間からの言葉に『自分は耐えられない』と判断したのではないでしょうか」 「イメージよりいい子」という声も  笹崎アナについて、芸能評論家の三杉武氏は次のように話す。 「入社に至る経緯から、最初は局内でも腫れ物扱いする人がいたようですが、地道に努力を重ねて仕事仲間や周囲から信頼を勝ち取り、『よく頑張っている』『一緒に仕事をする前のイメージよりいい子』といった声も同局の局員や番組スタッフから耳にしました。中丸さんとの交際・結婚に関しては同局の『シューイチ』での番組共演がキッカケということもあり、比較的好意的な見方も多かった印象です。それだけに、夫の密会騒動には同情的な声も多いですし、図らずも注目度はアップしています。中丸さんが謹慎を発表するなか、経済的な部分で家庭を支える必要もあるでしょうし、今後は露出を増やす戦略を考えているかもしれません」  1月に配信された「CLASSY.」のインタビューでは、「友達は狭く、深くタイプで、3人しかいません(笑)」と語っていた笹崎アナ。佐々木は騒動時、所属事務所の女性マネジャーに励まされていたというが、笹崎アナにも支えとなる人がいることを願うばかりだ。 (小林保子)
【「光る君へ」本日34話】じれったいほど奥ゆかしい藤原彰子がゴッドマザーになる日
【「光る君へ」本日34話】じれったいほど奥ゆかしい藤原彰子がゴッドマザーになる日 敦成親王の生誕50日を祝う藤原道長(下中央の男性)。敦成親王を抱くのが道長の妻・倫子、向かい合って座るのが彰子、右下隅に見えるのが紫式部とされる/東京国立博物館/ColBase  NHK大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長の娘・彰子が一条天皇の中宮となり、まひろ(紫式部)は彰子の女房として、藤壺で「源氏物語」を書き始めた。9月8日放送の第34話の予告によれば、「源氏物語」は宮中の話題をさらう一方で、この物語をきっかけに一条天皇と彰子の仲を深め、彰子の懐妊を――と願う道長の目論見通りには事が進まないようだ。  この藤原彰子、現段階では不自由な暮らしを強いられる奥ゆかしい女性として描かれているが、実際は、道長の権勢を支えて一族に栄華をもたらし、後に二人の天皇の母となって「大女院」とも称された人物だ。  彰子に始まる道長の婚姻政策について、『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)はこんなふうに解説している。 ***  道長の権勢を支える大きな力となったのが婚姻政策である。一条天皇の中宮となった長女・彰子は、敦成親王・敦良親王という皇子を生み、後年、二人が後一条天皇・後朱雀天皇として即位し、摂関家にかつてない栄華をもたらすこととなる。  一条天皇に代わって即位した三条天皇の中宮も、道長の娘・姸子であった。しかし、三条天皇は道長を敵視し、たびたび対立した。そこで道長は、三条天皇の病につけこんで退位を迫り、孫の後一条天皇を即位させて摂政に就任。皇太子には敦良が立てられ、道長は天皇と皇太子の外祖父となった。  政治力のある彰子は、幼い後一条天皇の母后として天皇大権を代行し、道長は実質的な摂関として重要事項を決定し、後一条天皇と道長の長男・頼通の政権をも支えた。  1018(寛仁2)年には、三女・威子が後一条天皇の中宮に、次女・姸子が皇太后となり、太皇太后となっていた彰子とあわせて、未曽有の一家三后を実現し、道長の栄華は頂点に達した。道長が有名な「望月の歌」を詠んだのはこの時である。  そもそも、道長の兄・藤原道隆の娘で、一条天皇の寵愛を受けた中宮・定子に対抗する形で入内した彰子。彰子の立后を後押ししたのは、小野道風・藤原佐理とともに「三跡」と称される能書家・藤原行成だとされる。有能な官僚でもあり、藤原斉信・公任、源俊賢らとともに一条天皇を支えた「寛弘の四納言」に数えられている。  彰子が入内した当時、一条には皇后・定子がおり、本来なら中宮は立てられないはずだが、故実に通じた行成は、先例を調べて彰子の立后を正当化し、前代未聞の「一帝二后」を実現。道長に栄華の道を開いたのである。 *** 『平安 もの こと ひと事典』(著 砂崎 良/監修 承香院)の「彰子」の項にも、彰子が皇子を2人も生んだことが、「道長と藤原氏の最盛期を実現させた」とあり、さらにこう続く。「出家後は上東門院と名乗って87の長寿を保ち、政治にも影響力を発揮しました。そのサロンでは紫式部、和泉式部、赤染衛門らが活躍しています」。  紫式部は「源氏物語」を著しただけではなく、彰子の出産の様子や道長らとの交流など宮廷生活を「紫式部日記」に記した。和泉式部は敦道親王との恋愛を情熱的につづった「和泉式部日記」を、赤染衛門は女流歌人として多くの歌を残した。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂 永井優希)
「ジャニーズ問題と玉音放送」「ひとしとたけし」……高橋源一郎が物事の本質を見出す一冊
「ジャニーズ問題と玉音放送」「ひとしとたけし」……高橋源一郎が物事の本質を見出す一冊 たかはし・げんいちろう/1951年、広島県生まれ。作家。88年の『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、2012年の『さよならクリストファー・ロビン』で第48回谷崎潤一郎賞など受賞歴多数。近刊に『DJヒロヒト』『「書く」って、どんなこと?』など(写真/加藤夏子)    AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。  ジャニーズ問題と玉音放送。料理家・土井善晴さんの味噌汁と親鸞の「南無阿弥陀仏」。最新の話題や流行、いま広く支持されている作品と過去の傑作、出来事を同時に論じたコラム・シリーズ「これは、アレだな」から早くも3冊目の書籍化が本書。同時代に生まれているものと過去の人間の英知を合わせて考えることで、話題の本質が見えてくる一冊となった『「不適切」ってなんだっけ これは、アレじゃない』。著者の高橋源一郎さんに同書にかける思いを聞いた。 *  *  *  好奇心と経験。そのいずれも豊富に持つ著者が、最新流行とそれに関連する過去の作品を同列に並べ、週刊誌の連載というハイペースで次々に論じていったら……。世にも楽しいコラム・シリーズの書籍化第3弾が本書だ。 「ぼくはミーハーな人間だと思います。それに、傑出した才能はその時代にいちばん人気のあるジャンルに集まるから、いま流行っているものが面白くないはずがないんです」  高橋源一郎さん(73)はそう語る。「サンデー毎日」の連載「これは、アレだな」は、映画やマンガ、アニメ、舞台に本と、ジャンルを問わず、いま評価されている作品を追いかけつつ、そこから想起された過去の傑作を呼び出して一緒に論じるスタイルを取っている。一例を挙げれば、宮藤官九郎脚本のテレビドラマ「不適切にもほどがある!」を取り上げ、この「不適切」という概念の考察から、かつて社会党の浅沼稲次郎委員長が刺殺された事件に際して書かれ、その「不適切」さが批判された大江健三郎の小説『セヴンティーン』『政治少年死す』や深沢七郎『風流夢譚』について書いている。 『「不適切」ってなんだっけ これは、アレじゃない』(1760円〈税込み〉/毎日新聞出版) ジャニーズ問題と玉音放送。料理家・土井善晴さんの味噌汁と親鸞の「南無阿弥陀仏」。最新の話題や流行、いま広く支持されている作品と過去の傑作、出来事を同時に論じたコラム・シリーズ「これは、アレだな」から早くも3冊目の書籍化が本書。同時代に生まれているものと過去の人間の英知を合わせて考えることで、話題の本質が見えてくる   「人間の好みって、どの時代でも、そんなに変わらないんです。30年前、60年前とだいたい同じものがヒットしている。新しさってちょっとしたマイナーチェンジに過ぎず、ほんとうに新しいものはほとんどありません」  とはいえ、歴史には時々、例外が現れる。 「たとえば、カフカの小説は、それまで書かれたどんな小説にも似ていない特異なものでした。宮澤賢治の作品もそうです。まれにそういう天才が現れます。それはもしかしたら、同じ文学という枠組みの中では比較できるものがないけど、音楽とか、同時代のまったく別ジャンルの作品と比べると何かが見えてきたりするのかもしれません」  流行作と過去作を比較検討する本について聞く中で、こんなふうに何にも似ていないものに話が及ぶのは面白い。それにしても、快活に語る高橋さんだが、長期連載のパワーの源はなんだろうか。 「ネタのストックなんてまったくありませんよ。だから常にアンテナを全開にしてないといけなくて、それがいいんです。常にそう考えているので、“なんか面白いことないか”とワクワクしていた中高生の頃に戻る感覚があります。それと、家族の存在も大事です。“最近のアニメ、なにが面白い?”と息子に聞くと、ドバーッとリストが出てきます。また妻も子どもも、ぼくの好みをよくわかっていて、音楽にしても映画も本も、“お父さん、これ好きだと思うよ”なんて教えてくれる。この連載のおかげで彼らと話す時間が増えて、家庭円満になりました(笑)」  旺盛な探求心と、長年の読書をはじめ観たり聴いたりの蓄積、そして家族のサポート。「これは、アレだな」は、当分、続きそうである。(ライター・北條一浩) ※AERA 2024年9月9日号
「日々の会話は楽しいアイデアが生まれる企画会議みたいなもの」 食品サンプルのクリエイター夫婦
「日々の会話は楽しいアイデアが生まれる企画会議みたいなもの」 食品サンプルのクリエイター夫婦 若松信也さん(右)、若松桃子さん(撮影/写真映像部・上田泰世)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年9月9日号では、ハンドワークス レナインの若松信也さんと若松桃子さん夫婦について取り上げました。 *  *  *  夫28歳、妻25歳で結婚。長男(9)、次男(7)、長女(2)、妻の母、犬1匹、猫2匹の6人と3匹で暮らす。 【出会いは?】妻の履歴書の写真を見た夫が、一目ぼれ。絶対結婚するなと思った。 【結婚までの道のりは?】先輩である夫は、新卒の妻が入社した半年後、アプローチ。3年間付き合って、2010年10月10日の大安に結婚した。 【家事や家計の分担は?】夫は子どもの送り迎えや動物の掃除、お世話をすることをメインで担当する。その他は妻が行う。家計は妻が管理している。 夫 若松信也[42]ハンドワークス レナイン アーティスト わかまつ・しんや◆1982年、愛知県生まれ。デザイン系専門学校を卒業後、名古屋の食品サンプル会社に就職し、製造を担当後に、夫婦で開業。サンプルは土産物店、デパ地下のショーケースなどに置かれている他、東京都庁45階で都SEENとのコラボ商品も販売中  僕たちは24時間ずっと一緒なんです。朝からずっと工房で二人で作業しています。 「夫婦二人きりでいたら息が詰まる」とよく聞きますが、朝から晩まで色々しゃべります。子どものこととか、仕事のこととか。  たまに意見がぶつかることはありますよ。僕が突っ走ったとき、いつもは「いいんじゃない」と言う妻がそうは言わない。僕は内心、ブレーキをかけられたなと思います。でも、何が引っかかるのか妻の意見を聞いているうちに冷静になり、一晩寝たら「その通りかも」と思うことが度々あります。  原石を見つけて「どうだ!」と言うのが僕。その原石を見て妻は調べたりデザインを考えたりして「こうすればもっといいんじゃない?」と、磨いて宝石にするんです。  子どもの教育方針も工房の経営方針も、基本的に夫婦で向いている方向がほぼ一緒なんだと思います。日々の会話はお互いが楽しくなるアイデアが生まれる企画会議みたいなものかもしれません。 若松信也さん(右)、若松桃子さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   妻 若松桃子[39]ハンドワークス レナイン クリエーター わかまつ・ももこ◆1985年、広島県生まれ。四国大学に進学、養護教諭免許を取る。名古屋の食品サンプル会社に就職。2016年12月、実家のある広島県呉市で、夫とともに食品サンプル会社を開業。食品サンプル制作体験教室も開いている  食品サンプルの会社の先輩だった夫は、模型制作などが好きで、ずっとモノ作りをしていたいタイプ。通勤時間ももったいないと思ってる。私もモノを作るのが好きなので、いつか夫婦で独立しようと話していました。  2人目を妊娠した時、私たちだけで子育てをするのは大変だなと思ったので、母に相談したんです。私の父は早くに病気で亡くなっており、実家のアトリエが空いていたこともあり、そのタイミングで実家で工房を開くことになりました。  会社員時代に「これしか作りたくない」みたいな、変なこだわりがなかったことがよかったと思います。職人とはいえ、いろんな仕事をさせてもらいました。1人目を妊娠した時には、経理に異動させてもらうことができ、その経験が独立してから役に立っています。  私たちは食品サンプルを制作する職人ですが、別々のことも学んできました。だから、相手が得意なことは、お互いに任せたいなと思っています。 (構成/編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年9月9日号  
血小板が減り、出血リスクが高まる難病。「特発性血小板減少性紫斑(しはん)病(ITP)」を正しく知ろう
【PR】血小板が減り、出血リスクが高まる難病。「特発性血小板減少性紫斑(しはん)病(ITP)」を正しく知ろう 元サッカー選手の丸山桂里奈さん・本並健治さん夫妻。丸山さんは知人にITP患者さんがいて、診察に付き添ったことも 国の指定難病、「特発性血小板減少性紫斑病」(Idiopathic Thrombocytopenic Purpura、略称「ITP」)という病気を知っていますか。ITPの発症や治療などについて、患者さんのお話をもとに制作したマンガ動画がアルジェニクスジャパン株式会社のYouTube公式チャンネルで現在公開されています。ITPの症状や患者さんの生活について、元サッカー選手で日本代表として活躍した丸山桂里奈さん・本並健治さん夫妻が、大阪大学医学部血液・腫瘍内科招へい教授の柏木浩和先生に聞きました。 柏木:今回の座談会にあたり、丸山さん・本並さんには「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)患者さん、マチコさんのストーリー」のマンガ動画をご覧いただいたのですが、この病気についてはご存じでしたか? 丸山:実は私の知人に、ITP患者の人がいるんです。病院での検査や診察に付き添ったこともあり、動画を見たときは「同じ病気だ!」と思いました。 本並:僕は、病名は聞いたことがあったのですが、症状などについては知らないことも多かったです。あらためて、ITPはどのような病気なのでしょうか。 柏木:血液中の血小板の数が減り、その結果、出血のリスクが高まる疾患です。血小板は出血を止める役割を果たしているので、血小板が足りなければ出血しやすくなったり、血が止まりづらくなったりするというわけです。  健康な人なら血小板の数値は15万~40万/µLほどですが、ITPの患者さんは数値が低く、症状が出ていなくても血液検査で判明するケースも多いんですよ。 本並:血小板の数が減ってしまうのは、なぜでしょうか。 柏木:それは、免疫の仕組みの異常によるものです。免疫は本来、体内に侵入したウイルスを攻撃して体を守っていますが、何らかの原因で血小板を攻撃する「自己抗体」がつくられ、血小板が減ってしまう。なぜこの自己抗体ができるのか、その原因ははっきりと分かっていません。  このようにITPはまだ全容が解明されておらず、国の指定難病になっていて、現在、患者さんは約2万5000人と考えられています(※1)。 ※1「成人特発性血小板減少性紫斑病治療の参照ガイド 2019改訂版」 足のアザや口内の血豆、脳出血。長引く月経が診断につながることも 丸山:患者さんの年齢や性別などに特徴はありますか。 柏木:すべての世代や性別において発症する可能性はありますが、特に6歳以下のお子さんと、20~34歳の女性や高齢者に多く見られます(※1)。ただ、お子さんの場合、多くは半年以内に治るのに対して、大人の場合は慢性になるケースが大半です。 丸山:私の知人も高齢で、今も治療中です。動画「マチコさんのストーリー」では、ITPを発症したマチコさんは、体にアザができたりしていて知人と同じ症状だと思ったのですが、これはITPの一般的な症状なのでしょうか。 柏木:そうですね。動画の「マチコさん」は、私が診ている特定の患者さんの例ではありませんが、一般的な症状です。  ITPの特徴的な症状として、血小板の数が2万~3万/µL以下になると、足に点々とした出血斑や、「紫斑」とよばれるアザができます。さらに、舌に血豆ができたり、歯茎からの出血や血尿、血便、もっと重篤になると脳出血を起こしたりするリスクもあります。  また女性の場合は、月経時の出血が長引くことも。月経がなかなか終わらず出血が続いたことで、病院を受診し、診断につながるケースも見られます。 大阪大学医学部 血液・腫瘍内科 招へい教授 柏木浩和先生 大阪大学医学部卒業後、同大学大学院医学研究科、同大学医学部附属病院輸血部部長などを歴任。長年にわたりITPをはじめとする血小板減少症の研究を行い、「ITP診断参照ガイド」作成委員会の委員も務めている ピロリ菌の除菌で、血小板の数値が改善 本並:どのような治療が行われているのでしょうか。 柏木:まず行うのが、ピロリ菌の検査と除菌です。 丸山:胃の粘膜の中にいる、あのピロリ菌ですよね? なぜITPとピロリ菌が関係あるのでしょうか。 柏木:実は、ピロリ菌検査が陽性のITP患者さんの場合、ピロリ菌を除菌すると、約半数の人は血小板の数値が改善することが分かっているんです(※1)。  その理由については、まだ解明されていないのですが、ピロリ菌に対する抗体が血小板にも何らかの作用を及ぼしているのではないか、と考えられています。 本並:では、ピロリ菌の検査が陰性の人や除菌しても改善しない人には、その後どのような治療が行われるのでしょうか。 柏木:血小板の数値や症状によって変わってきますが、血小板数が2万~3万/µL以下で出血症状が強い場合は、すぐに治療を始めるケースが多いですね。  通常、最初に行われる治療は副腎皮質ステロイドの投与です。ただ、ステロイドは長期間使用すると様々な副作用が表れるおそれがあるため、徐々に減量していくのですが、それに伴い血小板数も減ってしまうケースがあります。  そういった場合に行われていたのが、脾臓摘出です。脾臓の中で血小板が破壊されるため、脾臓を摘出すると、3分の2ほどの患者さんは血小板の数値が改善するのです(※1)。 丸山:脾臓は、摘出しても体に大きな影響はないのでしょうか。 タレント 丸山桂里奈さん 元サッカー選手。日本代表FWとして2011年、女子サッカーの世界大会優勝に貢献し、国民栄誉賞を受賞した。現役引退後は、タレントとして活躍。20年に結婚し、23年2月、第1子を出産 柏木:大人の場合は、ほとんど影響がないと言われています。また、10年ほど前から血小板の産生を促す薬や、自己抗体を作りだす「Bリンパ球」を攻撃・破壊する薬などが使えるようになり、新たな選択肢が増えました。  こういった様々な治療法があり、年齢や持病、ライフスタイルに応じ、患者さんと相談して決めていきます。 通院治療で病気とつきあう。スポーツや妊娠・出産も可能 本並:動画の「マチコさん」は緊急入院していましたが、入院する必要はありますか。 柏木:「マチコさん」のように、血小板数が極めて少なく、脳出血などの重篤な出血のリスクが高い場合は、入院し、免疫グロブリン製剤を大量に5日間連続で投与することがあります。これは、重篤な段階を一時的にしのぐための治療法です。  退院後は、血小板の数値を見ながら必要に応じて投薬による治療を続けます。治療薬には内服薬、注射薬、点滴薬とありますが、定期的な通院のみで、病気とうまくつきあいながら生活している患者さんはたくさんいらっしゃいます。 丸山:仕事や家事など、毎日の生活に支障はないのですか。 柏木:血小板数が3万/µL以上あれば、日常生活では大きな問題はありません。基本的に普段どおりの生活を行えます。 本並:出血が止まりにくいということですが、ITP患者さんは、スポーツはできるのでしょうか。僕らのようにサッカーをすることはできますか。 柏木:これは、年齢、スポーツの種類、目的によって変わってきます。小児のガイドラインでは、ボクシングや柔道、ラグビーなど体に強い衝撃が与えられるスポーツは高リスク、サッカーや野球は中間リスク、テニスや水泳、ジョギングなどは低リスクと分類され、それぞれのリスクに応じて目安となる血小板数も示されています(※2)。 ※2「日本小児血液・がん学会 2022 年小児免疫性血小板減少症診療ガイドライン」  成人では、以前のお二人のようにプロとしてプレーするとなると話は別ですが、日常的に楽しむ程度であれば、高リスクのスポーツは血小板数が10万/µL、中間リスクのスポーツは5万~8万/µL以上が目安で、低リスクのスポーツなら血小板数が3万~5万/μL以上あれば問題ないと考えますが、主治医の先生とよくご相談ください。 「ITPの患者さんはスポーツをやってはいけない」と思われがちですが、何でもかんでも制限する必要はないんですよ。 丸山:20~34歳の女性に多いとのことで、妊娠・出産への影響も気になるのですが……。 柏木:妊娠するとITPが悪化するケースは多く、薬を用いて妊娠と並行して治療を行います。また、分娩時にはやはり大量出血のリスクがあるため、一定の血小板数が必要になり、免疫グロブリン大量療法などで一時的に数値を上げる措置を取ることもありますが、適切な治療を行うことで、妊娠・出産は十分可能です。 社会に理解が広がることが、患者さんの不安軽減につながる 丸山:患者さんからは、他にどのような悩みが多く聞かれますか。 柏木:やはり日常生活を送るなかで感じる不安が大きいことでしょう。風邪をひいた後、急に血小板の数値が下がることがあるので、普段から感染症に気をつけ、大きなケガをしないように気を配っている方は多いです。  血小板の数値は病院で検査しなければ分からないので、検査結果を見て一喜一憂する患者さんもいらっしゃいます。 丸山:私の知人を見ていても、不安は強いだろうなと感じます。もちろん、家族も同様ではありますが、病気の全容が解明されていないこともあり、患者さん本人の気持ちは、計り知れないですね。 本並:「マチコさんのストーリー」では、ITPを発症したマチコさんの夫が、マチコさんを支えていました。もし、自分がその夫の立場だったら、何ができるでしょうか。不安な気持ちに寄り添うなど、メンタル的なケアでしょうか。 サッカー解説者 本並健治さん 元サッカー選手。日本代表GKとして国際Aマッチに出場。2012年、日本女子サッカーリーグ 「スペランツァFC大阪高槻」の監督に就任。現在は都内の私立中学校・高等学校で指導中 柏木:ええ、精神面でのご家族の支えは重要です。また、患者さんは投薬によって免疫力が下がっている場合があるので、インフルエンザなどの感染症をうつさないよう、ご家族はまずご自身の体調を整えてほしいですね。 丸山:「マチコさん」と同様、我が家も小さい子どもがいるので、どうしても外でウイルスをもらってくるし、熱を出すこともあります。そういった場合も、子どもの看病はパートナーが積極的に取り組むのがよさそうですね。 本並:「症状がなく、血液検査の結果で判明した患者さんもいる」とのことでしたので、健康診断をきちんと受けるのも大事だと思いました。僕らは仕事柄、体のケアには気を使っていて、定期的に健康診断は受けていますが、それはこれからも続けたいです。  また、患者さんがひとりで抱え込まないように、周囲や社会がITPに関する正しい知識を持つことも大事ですね。 丸山:ITP患者さんも、この病気や症状について知っている人が周りにいることで少しでも安心できるのではないかと感じました。  今回、柏木先生に教えていただいて勉強になりましたし、「マチコさんのストーリー」の動画はとても分かりやすかったので、こういった情報を周囲に伝えていきたいです。 柏木:ぜひそうしていただけるとうれしいですね。9月はITP啓発月間ですので、この機会に社会に理解が広がっていくことを願っています。 9月のITP啓発月間に向けて対談した3人。正しい情報を周囲に伝えていくことも、やさしい社会につながる大事な一歩に 全国9つのラジオ局で、ITPの情報を発信 ITP啓発月間の9月中に、全国9つのラジオ局(TBSラジオ、MBSラジオ、NACK5、STVラジオ、東北放送、東海ラジオ、中国放送、RKB毎日放送、熊本放送)で、医師とパーソナリティーによる対談を実施し、ITPに関する基本情報を紹介予定。 ※YouTubeは、Google LLC の商標です。
「私は確実に保守」と自認する自民党総裁選候補・小林鷹之氏が語った「選択的夫婦別姓」と「妻のこと」
「私は確実に保守」と自認する自民党総裁選候補・小林鷹之氏が語った「選択的夫婦別姓」と「妻のこと」 自民党総裁選に立候補した小林鷹之衆院議員(左)とたかまつなな    9月12日の告示を前に、続々と出馬表明が続く自民党総裁選の候補者たち。そのトップバッターとなったのは、8月19日に立候補した小林鷹之衆院議員(49)だった。突如として現れた自民党の“ホープ”はどんな方向に日本を導こうとしているのか。弁護士だという妻との謎めいたプライベートとは――時事YouTuberのたかまつななが迫った。(本記事は9月1日にオンエアされたラジオ番組「PEOPLE〜たかまつななの政治家とだべろう〜」から一部抜粋して再構成しました。収録は8月10日に行われたものです) *  *  * ――自民党内で小林さんに期待する声が上がっていますが、どんな思いを託されていると感じますか? 小林:日本は国際情勢の中で非常に厳しい状況に置かれていますから、総裁選では骨太の議論をすることが期待されていると思います。私は国会議員の仕事を12年間する中で、その時々に先輩や同期、後輩と力を合わせてやってきたので、仕事を通じて人間関係をつくってきた自負がございます。そういう中で、一定程度の評価をしてくださった方がいると受け止めています。 ――新聞でも、小林さんは政策通で、根回しが非常に丁寧だと書かれていました。自民党内での立ち位置についてご自身はどう感じていますか? 小林:いわゆる保守かリベラルかという指標で見ると、私は確実に保守のほうに入っていて、自民党の中でも保守のほうです。いわゆる中道右派というか。極端な思想を持っているわけではないですが、保守的な考え方の持ち主だと思っています。 ――どんなところが保守だと感じていますか? 小林:一人一人の人間は、時に間違いを犯してしまうこともあります。それを素直に認めた上で、自分一人のちっぽけな理性や知性に頼るのではなく、できるだけ大勢の知恵に頼るために民主主義があると思っています。ただ、大多数も間違える可能性があります。これまで多くの先人たちが試行錯誤の中で積み上げ、時代の風雪に耐えてきた伝統や文化、慣習などに頼りながら、時代に合わないところを少しずつ変えていくのが保守だと思います。なので、保守の人の改革は、できるだけ少しずつ変えていく。その代わり、遠くを見据えて目指すべきところを把握し、手前から少しずつかじを切っていくイメージです。 ――私はどちらかと言うとリベラルで、選択的夫婦別姓や同性婚などの政策を早く実現してほしいのですが、それは反対の立場なのでしょうか。 小林:賛成、反対という二分論ではなくて、一人一人の権利を守っていくことが重要だと思っています。それを実現するためのアプローチとして、例えばこれまでの日本の慣習を全て無視して、いきなり社会を右から左へ、左から右へというのは、一般論としてはあまり良くないと思っています。目指す方向性は議論すればいいと思いますし、できるだけ少しずつ社会を変えていくというスタンスです。 小林鷹之氏   自民党の裏金問題について ――小林さんが総理大臣になったら、やりたいことは何ですか? 小林:世界をリードする日本を作りたいですね。具体的には、本当の意味で自律した国にする。例えばアメリカがこうしたから日本も追随しますとか、中国がこうきたから日本も受け身で対応します、ではなくて、「日本としてはこうします」という基軸となる戦略を持って、ほかの国の動向に右往左往しない。そういう日本を作ることが一つの柱だと思います。  もうひとつの柱は、信頼されるだけではなく、日本が世界から「必要とされる国」になることです。この分野は日本がいないと成り立たない、日本がどうしても必要だ、という強みをしっかり作っていくことが重要です。弱みを解消して強みを獲得することによって、国際社会での日本の立ち位置、プレゼンス、存在感は高まります。発言力も大きくなるし、国際的なルールを自分たちの国益にもかなうような形で作っていくことだと思います。 ――いまの政権には裏金問題で厳しい声が寄せられています。小林さんは二階派に所属されていましたが、小林さん自身は裏金事件について責任を感じている部分はありますか? たかまつなな   小林:私個人で言うと、全く関係はなかったんですが、派閥の話、党全体の話、政治資金の話で多くの国民の皆さんにご心配をおかけしました。そして紆余曲折ありながらも、自民党を長年支えてきてくださった党員の方たちに対して本当に申し訳ない思いです。おわびを申し上げなければいけないと思います。 ――派閥にいながらも、全く知らなかったんですか? 小林:私は分からなかったですね。自分の団体の政治資金については、当然全部(政治資金収支報告書に)載せるんですけど、自分の所属している派閥の会計については、正直全く分からなかったです。ただ、「分からなかった」で済む問題ではないので、党所属の一人として、しっかりと政治改革をやっていくしかないと思っています。 ――国民としては、今後どう向き合っていくかが気になると思います。もし総裁になったら、裏金が問題になって党内で処分された議員を次の選挙で公認しますか? 小林:党のルールにのっとって処分がなされたので、それは処分が下されたということで受け止めなきゃいけない。もし他に個々の議員が疑念を抱かれるのであれば、それは一人一人の議員が自分の責任で説明をするということだと思います。 たかまつなな(左)と談笑する小林鷹之氏   妻との出合いは「ビビッときた」 ――時事通信が7月に実施した世論調査では、「次の衆院選後に期待する政権の在り方」を聞いたところ「政権交代」が39%と最も多い結果になりました。この数字をどのように受け止めますか? 小林:まず自民党の支持率が低いので、駅頭活動に立っても怒られないんですよ。声すらかけられない。無関心というか諦めというか、空気が冷たく感じています。なので、政権交代を望む人が増えてきているのは体感としても分かります。今はまだ申し上げられる立場ではないかもしれませんが、経済にしても安全保障にしても憲法にしても、私は自民党が国家の運営を担わなければいけないと思っています。やはり自民党だねと思ってもらえるように政策で結果を出すしかないと思います。 ――プライベートについてもお伺いしたいです。財務省在職中の2006年に12年半交際していた東大時代の同級生と結婚されたそうですね。交際期間がとても長いですね。 小林:早く決めろよって感じですよね(笑)。私は中学高校の6年間は男子校で、浪人して大学に入ったら、50人のクラスで女性が10人いました。東大に入るときにボート部に入ると決めていたので、合宿所に入って寮で4年間生活することになります。(寮生活は)外にも基本出られないので、合宿所に入る前に彼女をと思って、そのとき自分の中でビビッときたのがいまの妻です。醸し出す雰囲気とか、かわいらしいなと思ったんですよね。 ――結婚の決め手は何だったんですか? 小林:07年にアメリカに赴任することが決まったので、それが一つの理由ですかね。さすがにそろそろ……ということで。 ――政治家になると言ったときはどんな反応でしたか? 小林:普通だったら反対すると思うんですよ、安定している国家公務員がいきなり政治の世界に入るんですから。しかも自民党が野党で、この先10年ぐらい政権復帰がないと言われていたときでした。でもそこまで思うなら徹底的にやればいいと(言われました)。ただ条件がある。泣き言だけは言わないでほしいと言われて。そのときかっこいいなと思いました。その言葉にポーンと背中を押された気がしましたね。 ーー奥さまはどんなご職業ですか? 小林:弁護士です。子どもの権利や、虐待を受けた子どもに対する政策に強い関心を持ってライフワークとしているので、妻と話をする中で、いろいろな視点をもらえて非常に助かりますね。 小林鷹之氏   日本の安全保障はどうあるべきか ――理想的な夫婦ですね。小林さんは、安倍内閣の時に防衛大臣政務官を務めました。いまの日本の安全保障環境をどう見ていますか。また、イスラエルに対して世界から強い批判の声が上がっていますが、日本としてはどう対応するべきだと思いますか? 小林:何を目的として動くかが重要だと思います。いま現場で起こっているのは、無辜(むこ)の民の命が奪われているという現実ですから、イスラエルがどう、パレスチナがどうということではなく、日本が対話の枠組みを作るべく、外交努力をすることが求められていると思います。 ――私は、G7の西側諸国として、日本は架け橋になれるのではないかと外交に期待しています。 小林:それはすごく重要で、いま国際秩序が大きく変わろうとしています。G7をはじめとする先進国と、インドをはじめとするグローバルサウス(振興途上国)、この両者の溝がどんどん開いてきている。例えば先進国は環境問題が重要な話ですが、後発国は価値観を押しつけるなと反発をしています。そういう中で、日本は外交で蓄積してきた世界からの信頼がありますから、両者の架け橋となる役割を果たさなければいけないと思います。 (取材・構成/たかまつなな) ●小林鷹之(こばやし・たかゆき)/1974年、千葉県八千代市生まれ。開成高校を卒業後、東京大学法学部に進学。大学ではボート部に所属し4年生のときに主将を務める。卒業後、99年に当時の大蔵省(現・財務省)に入省。在職中にハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、公共政策修士を取得。2007年から2010年まで在米日本国大使館で書記官を歴任したあと、10年3月に財務相を退職した。12年の衆議院選で初当選し、以後4選を果たす。21年、第1次岸田内閣で初入閣。経済安全保障担当大臣と内閣府特命担当大臣を務めた。
男性中心の社内風土から脱却を “OBN”に染まった行動を変える10カ条をチェック
男性中心の社内風土から脱却を “OBN”に染まった行動を変える10カ条をチェック デロイトトーマツの社員有志の勉強会。男性だけではなく、女性、外国籍など様々な背景のメンバーが参加している(写真:デロイトトーマツ提供)    男性中心に物事が決まる、雑務は女性に振るなど日常にあふれるオールド・ボーイズ・ネットワーク(OBN)。その文化を変えようと動き始めたある企業の取り組みを紹介する。AERA 2024年9月2日号より。 *  *  * 男性中心のルールの中で、居心地が悪いのは女性だけではない。AERAが8月に実施したアンケートでは、男性たちからこんな意見が寄せられた。 「男性は仕事という価値観を周囲が押し付けてくるように感じる」(35歳、神奈川県、会社員) 「子どもが調子が悪くて迎えに行ったり、看病したりするために早退、休もうとした時に『奥さんに行ってもらえ』と言われる」(62歳、静岡県、会社員)  職場にある男性側のモヤモヤも「男は仕事」という価値観があるからだ。  デロイトトーマツグループのパートナー栗原健輔さん(41)は22年から、社内で女性活躍を考える勉強会を月に一度、開いてきた。きっかけは、栗原さん自身が、社内でマイノリティーになったことだった。 「私自身、多数派の男性として何不自由なく過ごしてきましたが、家事・育児を夫婦で半々にして気づきました」 自分が動かなければ  妻はフルタイム勤務で、2人の娘がいる。保育園のお迎え担当の日は、定時になったら、ミーティングの途中でも「すみません、帰ります」とパソコンを閉じて、電車に飛び乗って保育園に向かう。仕事は終わらないし、本当に大変だった。 「これを共働きの人たち、なかでも育児家事の中心を担わされがちな女性はずっとやってきたのに、今も全然楽になってないと感じました」(栗原さん)  どうすれば共働き家庭の夫婦が、キャリアを諦めずに済むか。そう考え、J-Winの勉強会に参加した。そこで、講師にこう問いかけられたという。 「経営戦略としてダイバーシティーを進めているにもかかわらず、どの会社もダイバーシティー担当は女性。女性のためだと言いながら、男性は協力せずに、高みの見物をしていませんか?」  マジョリティー側の男性がリードしなければ進むわけがない。  自分が動かなければ。栗原さんは、社内の男性たちに声をかけ社内勉強会を始めた。 AERA 2024年9月2日号より    栗原さんは「OBNは、単なる男性中心の働き方を指すものではない。同質性・同調意識の高い環境や風土の中で構造的に作り上げられた文化だと実感した」と話す。だが、参加者の中には、OBNが問題だと腑に落ちない人もいる。その場合は「疑似体験」をしてもらった。  例えば「女性数人の輪の中に男性1人が入り、ランチに行く」設定で話した。まず、どこに行くのか。女性たちは「カフェに行ってゆっくり食べたい」と言っている。いつもラーメン、丼ものというタイプの男性からすると居心地がよくない。何を話すのか。女性に交ざって、仕事以外の共通の話題もなかなかない。マイノリティー体験だ。 変わり始めた社内風土  また、ダイバーシティーの推進に協力すると割を食うと思っている人たちもいる。早く帰らなければならないメンバーの代わりに残業しなければならず、負担が増えると考えているのだ。勉強会では「育児や介護中の人に配慮しすぎて、割を食っている人」の立場に立って、議論。どこが問題なのか、とことん本音で話すことができるという。  勉強会にはこれまでに約200人の社員が参加。当初は男性だけで始めたが、今では女性、外国籍の社員も参加している。「少しずつ会社の文化風土が変わっています。弊社では会議やイベントのパネリストは男性ばかりでしたが、男性4、女性4、多様性のある人2の割合にしようとして、今は常に多様なメンバーが参加することが普通である状態にだいぶ近づきました。グループのガバナンスを統括するボードメンバーのうち、女性が40%以上を占める等、目指すジェンダーバランスに少しずつ近づいています」(栗原さん)  男性中心の文化を乗り越えるために何ができるか。東レ経営研究所のDE&I共創部部長の宮原淳二さんらJ-Winのメンバーは「男性の行動を変える10カ条」を考えた。  すぐできるのは、「歩行中もランチタイムも貴重なコミュニケーションの機会と捉える」。ランチタイムに部下の悩みなどを聞くのもよいだろう。相手の置かれている事情を知らないから、仕事を振らない、無理な残業を強いるなどのトラブルが起きるのだ。宮原さんは全ての男性に呼びかける。 「自分の行動を変えてOBNに風穴を開けましょう」   ●男性の行動を変える10カ条(「J-Win 男性ネットワークの会」議論から作成) 1.成功体験は押し付けず、あなたの宝物としてしまっておく 2.上司の顔色より、部下の仕事の成果を見る 3.仕事の進めやすさ、振りやすさに関係なく、平等に仕事が分担できるようマネジメントする 4.話の腰を折らず、最後までしっかり聞く 5.一人ひとりの仕事に対する価値観を尊重する 6.仕事の目的、背景をしっかり説明した上で、部下に仕事を任せ、伴走する 7.部下から誤解を招く固有のネットワークづくりはやめる 8.物事はオープンな場所で決める(喫煙所、飲み会、ゴルフ場等では決めない) 9.歩行や食事のスピードに配慮。冷房のかけ過ぎにも注意する 10.歩行中もランチタイムも(部下との)貴重なコミュニケーションの機会と捉える (編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年9月2日号より抜粋  
愛子さまのメイクの目元が女性らしく華やかに! 「完璧メイク」の佳子さまに、オリエンタルメイクが「神秘的」な元皇族は?
愛子さまのメイクの目元が女性らしく華やかに! 「完璧メイク」の佳子さまに、オリエンタルメイクが「神秘的」な元皇族は? 上皇ご夫妻の卒寿を祝う音楽会に出席した天皇家の長女愛子さまと秋篠宮家の次女の佳子さま=2024年7月10日、皇居・東御苑の桃華楽堂    天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが、4月に日本赤十字社での勤務をスタートしてから、まもなく半年になる。新社会人生活は多忙のようで、両陛下の那須(栃木県)でのご静養には同行せず、皇居の御所でお留守番となった。一方で愛子さまのメイクには変化が見え、大人の女性らしさが増していると、ファッションの専門家は指摘する。 *   *   *  上皇ご夫妻の卒寿を祝う音楽会が7月、皇居・東御苑の音楽堂で開かれた。  演奏を披露したのは、上皇ご夫妻とゆかりのある音楽家で、おふたりと天皇ご一家、秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、黒田清子さん夫妻らも集まり、和やかな空気に包まれた催しとなった。愛子さまと佳子さまが隣に座って笑顔で会話を交わすなど、ほほ笑ましい光景も見られた。  社会人となった愛子さまの「変化」について、長年パリコレで取材を続けてきたファッション評論家の石原裕子さんはこう話す。 「4月の入社式では、大学生の爽やかな表情がまだ残っていましたが、新社会人生活も数カ月たった7月の音楽会では、大人の女性らしい、しっとりした落ち着きが感じられます」   切れ長の美しい目元 学習院大学文学部の卒業式に臨む愛子さま。「アイメイクも目尻をすこしはねさせるくらいのワンポイント。春風のような可愛らしいお化粧がよくお似合い」と専門家=2024年3月20日、東京都豊島区の学習院大、代表撮影/JMPA    大きく変わったポイントは、目元だという。  これまでも白系のラメでハイライトをつけるのが「定番」だった。しかし、音楽会ではアイメイクの表情がガラリと変わっていたという。  印象的なのは、奥二重を生かした切れ長の美しい目元だ。上下のまぶたから目尻までアイラインを引くことで華やかさが増した、と石原さんは指摘する。 「はっきりと黒い線が出るアイライナーよりも、自然な影をつけられるアイシャドーを使うことで、ナチュラルだけれども華やかな目元になっています」  弓なりに整えられた眉も、丁寧に色をのせることで、目元のメイクと美しく調和しているという。    ふだんの愛子さまは、卵形の輪郭と若い素肌を生かしたナチュラルなメイク。 「卒業式では、目尻をすこしはねさせるぐらいのワンポイント。春風のような可愛らしいお化粧が、振り袖と袴によくお似合いでした」(石原さん)   初の園遊会出席となった愛子さま。目元はアイシャドウを多く用いて、ふんわりと優しい仕上がり。コーラルピンクの口紅が桜色の洋装によく映えている=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)   ふんわり優しいメイク  愛子さまが初めて出席した、2024年春の園遊会。大きな皇室行事であり、両陛下と皇族方は、招待者を接遇する立場。愛子さまは、さくら色の洋装にコーラルピンクの口紅がよく映えていた。場にふさわしく、しっかりとメイクをしているものの、アイライナーよりもアイシャドーを多く用い、ふんわりと優しい仕上がりだった。 「園遊会では、目の『きわ』に、細い筆で描かれたラインの上にポンポンとお粉を置いていらっしゃる。アイライナーのようにはっきりと線が出るのは、お好みではないのかもしれませんね」    愛子さまは、場に合ったメイクの使い分けが明確だ。  今年5月、ご一家で栃木県の御料牧場に滞在した際には、取材カメラの前の愛子さまは、ほんのりお化粧をほどこしているものの、休日にふさわしい自然な仕上がり。  ご一家が到着したときに笑顔を見せた愛子さまの写真を見て、石原さんはこう話す。 「愛子さまは、お母さまと同じ、ぷっくりと花びらのような形のよい唇。雅子さまも愛子さまもお笑いになるときは、口をあけてほんとうに楽しそうな表情をなさる。笑うたびに白くきれいな歯がのぞく飾りのなさもあいまって、見る人をホッとさせてくれるのでしょう」    6月には、故・三笠宮崇仁さまの次男、桂宮宜仁さまの「十年式年祭」が、都内の豊島岡墓地で営まれた。  初めて参列した愛子さまは、目元にいつもの白いラメの入ったアイシャドーとアイラインをうっすら入れているものの、祭祀にふさわしく、控えめなメイクだった。   佳子さまのパーフェクトメイク 春の園遊会に出席した佳子さま。眉を太めに仕上げ、大きな目がより印象的に。衣装に合わせて目元とほおにもオレンジ系の色をのせるなど完璧なコーディネート=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA    自然な仕上がりをお好みの愛子さまの一方で、佳子さまは「ご自身の魅力をよくご存じ。隙のないパーフェクトメイク」が特徴だと、石原さんは話す。  大きな二重のぱっちりとした目が魅力的な佳子さまは、太めの眉にクルンと巻いた上下のまつげが印象的だ。下のまつげまできっちりとマスカラが塗られるなど、完璧なメイク。  公務の経験が豊富な佳子さまも、場に合わせた装いが上手だ。  たとえば、手話を披露する場では、手の動きが相手に見えやすいように深い青やワイン色、グレーなど濃い色の服装を選ぶなど、メイクと服装の足し算をしていることが伝わってくる。     【こちらも話題】 〈2024年上半期ランキング 皇室編3位〉愛子さま大統領との午餐デビューで待ち遠しい宮中晩餐会 雅子さまや佳子さまらの美しいドレスとティアラ姿 https://dot.asahi.com/articles/-/227336   英国留学から帰国した秋篠宮家の長女、小室眞子さん。長く重めの黒髪をたらし、ひと重の目元を黒々と塗るオリエンタルメイクで「変身」した姿は注目を集めた=2015年9月、羽田空港    愛子さまと顔立ちが近いのが、秋篠宮家の長女の小室眞子さんだ。きれいな奥二重やひと重をもつおふたりは、切れ長のアイメイクがよくお似合いだと、石原さんは話す。  眞子さんのメイクが大きく変化したのは英国留学時代だ。2015年9月末、英中部レスター大学大学院での留学を終えて帰国した眞子さんは、海外の東洋系のモデルや女優によくみられるオリエンタルメイクで登場し、話題を集めたのだ。  24歳の誕生日を間近に控えた眞子さんの「変身」ぶりに、世間は驚いた。 「カラスの濡れ羽色のような東洋人の黒髪は、海外では神秘的に見られます。このときの眞子さんは、長い黒髪を日本人形のように垂らし、ひと重を生かして目元を黒々と塗るアジアンメイクです。眞子さんは、ご自身のオリエンタルな顔立ちに、オリエンタルメイクが映えて神秘的に映ると、英国留学時代に気づかれたのでしょう」(石原さん)  帰国したのちは、やや薄めになったものの、神秘的なオリエンタルメイクは眞子さんの個性になった。    メイクや装いには、その人の心の機微や細やかな変化があらわれる。  愛子さまからは春風のような可愛らしさと凜とした強さ、佳子さまからは、パーフェクトな美貌とこまやかな配慮、眞子さんは神秘的な魅力―――。それぞれの装いから、それぞれの人柄が伝わってくるようだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 愛子さま 2490円でも7万円でもワンピースに「清潔感」と「品ある可愛らしさ」の理由は「永遠に愛されるタイムレス」な装い https://dot.asahi.com/articles/-/231450  
「タンポン・ティム」と「田舎者の哀歌」 米大統領選、民主・共和の副大統領候補の素顔
「タンポン・ティム」と「田舎者の哀歌」 米大統領選、民主・共和の副大統領候補の素顔 8月19日、シカゴで開幕した民主党大会で拍手を送る民主党大統領候補のカマラ・ハリス副大統領とティム・ウォルズ・ミネソタ州知事(写真:AP/アフロ)    民主党の副大統領候補は「タンポン・ティム」、共和党は「田舎者の哀歌」。両党の副大統領候補は知るうえでキーワードになる言葉だ。2人はどんな人物なのか。AERA 2024年9月2日号より。 *  *  *  8月20日夜(米中部時間、以下同)、米ウィスコンシン州ミルウォーキーで1万5千人が集まった民主党の選挙集会。副大統領候補に選ばれたティム・ウォルズ・ミネソタ州知事(60)は、大統領候補のカマラ・ハリス副大統領が演説する後ろで、両手を前で合わせて立っている。何をするのかと見ていると、ハリス氏が決めゼリフを言うと、誰よりも早く拍手を始める。観衆はそれに続いて拍手と歓声をあげる。この晩、彼は一言も発することなく、ハリス氏の後ろを歩いてステージから去った。 「パパみたいな人物」  ドナルド・トランプ共和党大統領候補を含め、共和党幹部がウォルズ氏につけたあだ名が「タンポン・ティム」。ウォルズ氏は昨年5月、小学4年生以上の公立校の児童・生徒が必要な場合に生理用品を無料で提供する法に州知事として署名した。副大統領候補に抜擢(ばってき)された途端、共和党がこの法を非難。「トランスジェンダーの生徒のために、必要となれば男子トイレにもタンポンなどを置く」とする法が、共和党支持者の神経を逆なでした。彼らは、LGBTQなど性的少数者を毛嫌いしている。  米紙ニューヨーク・タイムズによると、同法は緩い適用で、ミネソタ州教育局は公立校が順守しているか調査をするつもりはないという。しかし、両親に月経が始まったことを言えない、あるいは経済的な理由で生理用品に手が届かない生徒が増えていることを背景に、同州民主党議員らが生徒らとともに法案を後押しした。  8月19日から始まった民主党大会で支持者に聞くと、ウォルズ氏は「パパみたいな人物。ハグしたい!」と評される人気者だ。人口400人の街の貧しい家庭で育ち、教師兼フットボールチームのコーチだったという中間層の代表だからでもある。教師だった父親が急逝し母子家庭となった。17歳で陸軍州兵になったことで学費を得て大学を卒業。結婚後、ミネソタ州の高校で地理教師となる。そこで負け続けていたフットボールチームのコーチ陣に加わり、3年後に州の選手権優勝に導いた。 米ノースカロライナ州のイベントに登場したトランプ氏とバンス氏=8月21日(写真:ロイター/アフロ)    8月21日、ウォルズ氏の妻グウェンさんから、夫の副大統領候補指名受諾演説を前に支援者向けメッセージが来て、夫の教師歴を強調した。 「家族、先生、国民にとって素晴らしい夜になる」  教師であるとともに20年以上の兵役の間、政治に関心を持ち大統領選挙のボランティアをした後、2007年に連邦下院議員に初当選。19年、ミネソタ州知事となり、22年に再選した。  ウォルズ氏は21日の副大統領候補指名受諾演説で、 「カマラ・ハリスは準備ができている。今は第4クオーターだ。攻めている。私たちの仕事は、ブロックし、タックルすることだ!」  と、フットボール用語で盛り上げ、会場からは「コーチ、コーチ!」というコールが起きた。コミュニケーションの取り方はコーチ風で、盛り上げが上手いことを党大会で副大統領候補となってから初めて見せた。 貧困家庭出身の苦労人  一方、共和党の副大統領候補となったJ・D・バンス上院議員(40)は、貧困家庭の出身だ。彼は16年、『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(光文社刊は17年)を出版し、ベストセラーとなった。筆者は16年、トランプ氏vs.ヒラリー・クリントン元国務長官の大統領選挙戦を取材しながら、「田舎者の哀歌」と題されたこの本を読み、米貧困層ではこれほど希望のないつらい子ども時代があるのかとショックを受けた。  バンス氏は「ラスト・ベルト(錆びついた工業地帯)」と呼ばれた中西部アパラチア山脈の田舎町で育った。町には大卒が一人もいなかった。母親は情緒不安定で麻薬のヘロインに依存し、夫やボーイフレンドがコロコロ代わる。子どものバンス氏は母親の看病を試みるが虐待されて、小学校に行くのも苦労する。祖母の家で暮らし始めるが、祖父母もアルコール依存症で暴力と暴言の連続。ただ、粗野だが地頭のいい祖母のおかげでバンス氏は学業を続ける。大学に進学するお金はないため海兵隊に入り、除隊後、努力を重ねて州立大学からエール大ロースクールへと進んだ。  とはいえ、貧困地帯の出身であるために授業や会議では戸惑うことの連続。服装も習慣も異なる中、少しずつ人間関係を築いていき、シリコンバレーの投資会社経営に関わった後、中西部オハイオ州に移り、22年、連邦上院議員に当選した。  7月に開かれた共和党大会の副大統領候補指名受諾演説では、こう強調し大歓声を受けた。 「米国は、権力の中枢から遠く離れて生まれた労働者階級の少年が、次期副大統領としてステージに立つことができる国だ」 以前は反トランプ派  しかし、見捨てられた白人労働者の家庭から、上院議員になったため、極めて庶民的かと思うとそうではない。トランプ氏と同じほど過激発言が多い。  実は前述の著書出版後は、強烈な反トランプ派で「トランプはヒトラーだ」「頭が悪い」「私は永遠に反トランプだ」と公言していた。しかし、上院議員選に立候補する直前、トランプ氏に頭を下げた。反トランプ派だったのは、「メディアが作り上げたトランプ氏のイメージに惑わされていた」というのだ。  バンス氏は、ロースクール時代の同級生ウーシャさんと結婚し、2匹の犬とともに選挙戦によく伴って、ソフトイメージを印象付けようとしている。トランプ氏は、ハリス氏のことをすでに「意地が悪い」「頭が良くない」と誹謗(ひぼう)し、非公式な場では「雌犬」とまで言ったことが報道されている。バンス氏からのハリス氏攻撃はまだ聞かれていないが、今後は過激な発言が出てきそうだ。(ジャーナリスト・津山恵子=シカゴ) ※AERA 2024年9月2日号より抜粋  
東出昌大「電撃再婚」で不安視される育児スキル 元恋人が指摘する「大きな赤ちゃん」に子育てはできるのか
東出昌大「電撃再婚」で不安視される育児スキル 元恋人が指摘する「大きな赤ちゃん」に子育てはできるのか 再婚&お相手の妊娠を公表した東出昌大    俳優の東出昌大(36)が「電撃再婚」したことにいまだ世間がざわついている。  2021年から関東近郊の山中で狩猟生活をしながら俳優活動を続けている東出は今月27日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新し、「花林さん」と紹介する元俳優の松本花林さんと再婚することを発表した。  2人は、2年ほど前に役者の先輩、後輩として仕事現場で知り合い、今年に入ってから交際に発展。東出はYouTubeチャンネル内で、「結婚しようかと言ったのも最近の話」と明かし、「お相手のどこに惹かれた?」という質問に対しては「めちゃくちゃ優しくて、人の悪口を言わなくて、あんまり愚痴を吐かない。僕にはできないことだから、強い人だなと思う」などと胸中を吐露。さらに、「来年の冬か新春の頃には、予定通りなら子どもが生まれる」と子供を授かったことも明かしている。  東出といえば、ファッション誌のモデルとして活躍後、12年公開の映画「桐島、部活やめるってよ」で俳優デビュー。15年1月、ドラマで共演した杏(38)と結婚し3児をもうけたが、20年に若手女優との不倫が原因で離婚した。  元妻の杏が22年8月に3人の子どもとともにフランスへ移住する一方、東出は21年の秋頃から関東近郊の山奥へ移住。山中での狩猟生活と俳優活動を併行する中、22年2月には交際中の20代の女性を出演作品の地方ロケに呼び寄せ、共演者やスタッフと同じホテルに泊めたことなどを週刊誌で報じられた。それを受けて、当時の所属事務所から専属契約を解消された。  こうした経緯もあり、再婚というおめでたい発表ながら世間の反応は微妙なものとなっている。ネット上では「今は独身だし、好きにすればいいと思うけど、前妻や子供たちに与える影響もあるんだし、わざわざYouTubeで大っぴらに発表する必要はなかったのでは?」「相変わらずというか、何と言うか。世間の喧騒を避けたくて山暮らしを始めたのかと思っていたけどな」といった厳しい意見も見受けられる。  世間の目が厳しいことについて、放送作家はこう語る。 「一つには、過去に一部女性誌が伝えた前妻の杏さんと子どもに対する“養育費1万円”報道の影響はあるでしょう。子ども3人を育てる元妻に対して、もし月に3万円しか養育費を払っていないとすれば、新たな家族をつくることに疑問を持たれても仕方のない面はあるでしょう。それに加えて、最近口にした“新しい家庭を持つことは全然考えていない”という発言との矛盾を指摘する声も散見されます」 フランスに移住して3人の子どを育てている元妻の杏   感情や欲望に忠実なタイプ  東出は、今年5月19日にABEMAで配信された「世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた season2」に出演した際、過去の結婚について、「僕はオイタしたっていうことが別れる直接の原因だったけど……」と回想したうえで、「うちの娘、息子が大きくなった時に、『お父さんのところにいつでも来ていいよ』って言えるオヤジでいたいんですよ」と語り、「だから、新しい家庭を持つとかっていうことは全然考えていない」と発言していた。  それからわずか3カ月後の電撃再婚発表ということもあり、首をかしげる人も少なくなようだ。  もっとも、映画制作会社のスタッフは「いかにも東出さんらしい」と苦笑まじりにこうフォローする。 「東出さんは昔から良くも悪くも自分の意思や感情、欲望に忠実なわが道をいく人ですから。以前に東出さんの地方のロケ先のホテルに呼び寄せられた恋人の女性が彼のことを“大きな赤ちゃん”と表現していたのが印象深いですね。仕事は別にして、私生活に関しては、その時の感情のおもむくままに泣いたり、笑ったりする赤ちゃんと同様、自分がどう見られるかといった印象や周囲の状況などはほとんど気にせず、自分がこうしたいという思いを尊重するタイプです。本人にしてみれば、3カ月前の発言との矛盾を指摘されたところでそこに悪意はなく、『その時は心からそう思ったけど過去と今は違う』といった感覚なのではないでしょうか」  前出の放送作家は東出の今後の結婚生活についてある不安も語る。 「杏さんとの結婚時、育児はほぼワンペだったとも報じられています。自由奔放に生きてきて子育て経験が少ない東出さんが、はたして赤ちゃんの世話をできるのか心配する声もあります。もっとも、そこは再婚した女性との間で話し合いができているのかもしれませんが」  新たな門出を迎えた東出だが、今後もその動向が注目を集めそうである。 (立花茂)
カポーティ生誕100周年 セレブリティの栄華と終焉描く「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」
カポーティ生誕100周年 セレブリティの栄華と終焉描く「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回はガス・ヴァン・サント監督の配信ドラマ「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」について。 「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」BS10 スターチャンネルにて11月放送予定 TM & © 2023 FX Networks LLC. All rights reserved. 【製作総指揮】ライアン・マーフィ【監督】ガス・ヴァン・サントほか【出演】ナオミ・ワッツ、ダイアン・レイン、クロエ・セヴィニー、キャリスタ・フロックハート、トム・ホランダー *  *  *  1960~70年代のアメリカにはため息が出る。陽につけ陰につけ、あれ以上ドラマティックな時代はなかった。それを自負しているのか、向こうのクリエイターは腕によりをかけて「時代」を描く。  今回その中で出色の作品に出合った。それは「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」。『ティファニーで朝食を』で知られる作家トルーマン・カポーティとニューヨーク最高峰のセレブ妻たちとの間で起こったスキャンダラスでゴージャスな実話を名匠ガス・ヴァン・サントがメガホンをとって映像化した。  カポーティはセレブ妻を「スワン」と呼ぶ。「美しく優雅な社交界という池を滑らかに漂っている。だが、心中は悩みばかり。浮くためにアヒルの2倍速くバタ足している」 「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」BS10 スターチャンネルにて11月放送予定 TM & © 2023 FX Networks LLC. All rights reserved. 【製作総指揮】ライアン・マーフィ【監督】ガス・ヴァン・サントほか【出演】ナオミ・ワッツ、ダイアン・レイン、クロエ・セヴィニー、キャリスタ・フロックハート、トム・ホランダー  一方、セレブたちは小男の流行作家カポーティを「同性愛者の宮廷道化師」とバカにしていた。宮廷とは自分たちこそアメリカの王族という意識があったからこそ出た言葉だろう。  ただ双方とも表面上は大の仲良し。フレンチレストラン「ラ・コート・バスク」のランチに集ってはハイソサエティの噂話や諍いに花を咲かせ、夫や家族に関するプライベートな悩みをカポーティに話していた。  ランチといえど彼女らは大酒を飲み、タバコを吸い、店の者を下男のように扱う。行儀が悪いのがお洒落とでもいうように。  同席したカポーティの恋人兼マネージャーは耳打ちする。「金の山だ。あのランチはとんでもない鉱脈だ。書け」  カポーティは「彼女たちの社交を書くのは『冷血』より難しい。針穴に糸を通す繊細さが必要だ」と言いながら、じわじわ彼女たちの真実に詰め寄っていく。 「フュード/確執 カポーティ vs スワンたち」BS10 スターチャンネルにて11月放送予定 TM & © 2023 FX Networks LLC. All rights reserved. 【製作総指揮】ライアン・マーフィ【監督】ガス・ヴァン・サントほか【出演】ナオミ・ワッツ、ダイアン・レイン、クロエ・セヴィニー、キャリスタ・フロックハート、トム・ホランダー  それにしても、登場する言葉のなんと優雅なことか。  ジバンシィ、コンコルド、黒と白の舞踏会、メルセデス、ジャクリーン・ケネディ、プリンセス・マーガレットにミック・ジャガー……。どれも当時のキーワードだ。 「パーティーの楽しみはなに?」と彼女たちに訊かれたカポーティは彼女らに答える。「それは誰を招かないかだよ」。そう、セレブの本質は「いじわる」なことなのだ。  また、カポーティ(トム・ホランダー)はスワンの中で最も親密だったテレビ局CBS会長夫人ベイブ・ペイリー(ナオミ・ワッツ)にこう囁き、喜ばせる。「君の唯一の欠点は“完璧”なことだ」  そして1975年、「エスクァイア」にカポーティの新作が掲載される。タイトルは「ラ・コート・バスク」。そこには決して明かしてはならないセレブの秘密が暴かれていた。  スワンの逆鱗に触れ、社交界から放逐されたカポーティとスワンたちのその後の行く末は、本物のセレブリティの終焉を示していた。  今年はトルーマン・カポーティ生誕100周年、没後40年。そのメモリアルな年にナオミ・ワッツ、ダイアン・レイン、クロエ・セヴィニー、キャリスタ・フロックハート、デミ・ムーア、モリー・リングウォルド、ジェシカ・ラングら名だたる女優が集結した。 (文・延江 浩) ※AERAオンライン限定記事  
東MAXが語る、50代になってからの大学生活「講義はいつも一番前。30歳年下の同級生と楽しく」
東MAXが語る、50代になってからの大学生活「講義はいつも一番前。30歳年下の同級生と楽しく」 東貴博さん  タレントの安めぐみさんとの間に、9歳の長女と2024年に生まれたばかりの次女を育てる東貴博さん。東さんは、仕事、育児に加え、2021年に駒澤大学法学部政治学科に入学。24年3月までの3年間で、必要単位を全て取得し、自主中退したことで話題を呼びました。仕事に子育てに「学び直し」にと奮闘する東さん。そのバイタリティーの源とは? ※前編<東MAXが語る、9歳長女の子育て「朝ごはんもリクエストに合わせて作っています」>から続く 一か八かで大学入試に挑戦。「学ぶなら今しかない」 ――2024年春、駒澤大学法学部での学びを終えられたとのこと。芸能界で活躍され、とてもお忙しい中、大学進学を決めた理由は?  昔から、大学にはいつか行ってみたいという気持ちはあったんです。でも、18歳の時は受験に失敗して、さらに父親(故・東八郎氏)が亡くなってしまったこともあり、大学に行ってる場合じゃなくなったんですよね。  そこからはもう仕事だけに突き進んで、おかげさまで順調にやってこられて。ずっと大学のことなんて、忘れていたんです。でも、師匠である欽ちゃん(萩本欽一氏)が、古希を過ぎてから大学に入学したと聞いて、「すごいな!」って。やっぱり楽しそうだなぁと思ったんですよね。自分も挑戦してみたいと思うようになったんです。 ――でも、よく勉強する時間が取れましたね。  幸か不幸か、当時、コロナ禍で、仕事にも少し空きができたんですよ。大人の学び直しで「リスキリング」も話題になってたでしょう。僕は、学び直したいんじゃなくて、元々、学んでないんですけど(笑)、「大学に行くなら今しかない」と思って。  受かるとも思ってなかったけど、まずは半年くらい勉強してみて挑戦することにしました。社会人入試は苦手な英語もないですしね。ちょうど長女も小学校受験をする時だったので、「パパも一緒に勉強するわ」と伝えて頑張りました。そうしたら、なんと合格をいただいたんです。通うかどうかも迷いましたが、とりあえず行ってみようと。 家族旅行の様子(東さんのブログから) 長女と夜景デートを楽しむ様子(東さんのブログから)  行ってみたら、大学での勉強は、めちゃくちゃ楽しかったです。なんていったって、友達がみんな18歳ですからね。僕のことは、世代的に「知ってるようで、知らない」。でも「親が、なんか『すごい!』って言ってた」みたいな微妙な感じで(笑)。そういうのも楽しかったですね。  大学には、週4でがっつり通いました。朝、6時に起きて娘を駅まで送り、そのまま大学へ行くというルーティンができて、効率的な生活でしたね。 成績は学部でトップクラス。価値がわかるから学べた ――大学ではなぜ法学部を選ばれたんですか?  法学部政治学科という学科で、ここなら「社会のしくみ」をある程度理解できるんじゃないかな、と思ったんです。それまで本当にざっくりと生きてきた人間だから、いろいろと社会のことを学び直したかった。  将来、子どもにいろいろ聞かれた時も、「今、社会はこういうことだから、こうなってるんだよ」って伝えられたらいいな、と思って。 ――お子さんに背中を見せてあげるためでもあったんですね。  そう、そうやって教えられるようになりたいなーって思ってたんですけど、でもやっぱり、今、もう子どもたちは、iPadで授業受けたり、英語もできたり、そういう面では子どものほうが先を行ってますよね(苦笑)。 ――授業成績は学部でトップクラスだったそうですね。  なんかすごいことですよね。まあ、18歳の学生さんは、まだどれだけ手を抜いて進級するか、みたいなところもあるかもしれない。遊ぶことも大事ですしね。  でも僕は、やっぱり自分で稼いで大学に通っているから、なんていうか元を取ろうとするんですよね(笑)。仕事も勉強も全部一緒だから。 ――大事な時間とお金を使ってこそ、学びができるということを、大人になるとわかりますよね。  そう、だから僕だけ一番前に座ってね。すごく熱心に聞いてうなずくものだから、先生もやりづらそうだった(笑)。先生から質問があっても誰も答えないから、僕ばかり答えてしまったり。でも、だんだん僕が間違えたりしながら答えていると、ほかのみんなも発言しやすくなったみたいで、授業が活性化してくるのも面白かったです。 東さんが長女につくった朝食(東さんのブログから) 次女のお食い初めをお祝い(東さんのブログから) ――ほかの学生たちとの交流は?   楽しかったですよ。グループワークでの発表の機会なんかもあって。消極的な子にはその子にあったポジションを作ってあげて、やる気があんまりなくても参加できるようにして。あとは「こっちでだいたいやっとくから」みたいな感じで(笑)。そのときの講義は全員S評価をもらえました。 「飛田さん(東さんの本名)はプレゼンが上手ですね」ってまわりから言われたんだけど、人前で話す仕事をしてるから、当たり前ですよね(笑)。 大学に誰でも行けるよう3年間で卒業できる仕組みを ――卒業をせず、3年修了時に自主退学された理由は?  卒業に必要な単位を全て取得したものの、駒澤大学には3年で卒業できるしくみがなかったからですね。飛び級で大学院に行くことはできるけど、卒業は基本的にできないしくみなんです。でも、今、私立の大学に4年間通うと、400〜500万円の学費がかかります。家が裕福な子はいいかもしれませんが、難しい子たちは奨学金を借りなくちゃいけない。これはそのまま借金になってしまうじゃないですか。  もし、3年でも卒業が可能なら、少なくとも100万円は学費を減らすことができる。大学在籍年数を4年か3年か、選べるしくみが今後できたらいいのでは、という気持ちもあって。それで、僕自身は3年で退学を選ぶ、ということをしました。  もちろん4年かけてしっかり学ぶことが基本です。ただ、家庭の事情はそれぞれなので、いろいろなニーズに応えていけるといいのかな、と。3年で卒業できる優秀な子がいたら、早く就職できるし、社会にとっても即戦力になる若手人材が増える。いいことずくめなんじゃないか、と僕は思っているんです。 ――それは学生を見ててそう思われた?  コンビニで100円のコーヒーをおごったら、すっごく喜んでくれた子がいたんです。地方から出てきて、当時はコロナ禍でバイトも制限されていて。「親にも負担してもらってるけど、自分では思うように稼げないから、飲み物は一切買わない。食堂に行けば水は飲めるから」って言うんですよね。そういうのを聞くと、若い子が大学でしっかり勉強をして早めに必要単位を取って、就職活動も頑張って1年早く社会に出られるというしくみがあっても、いいんじゃないかなあって。 ――東さんの行動に影響を受ける学生も生まれそうです。  僕の場合は3年生で退学ですが、4年生分の学費約101万円を、能登半島地震の支援金に寄付させてもらいました。時間もお金もいろんな使い方ができるといいですよね、という意味を込めて。  早く社会に出て早く稼ぐことができたら、結婚も早くなって、少子化対策にもなるのでは?ってそこまではわからないけど。少なくとも大学に行くことをあきらめる人が、少しでも減ったらいいな、というふうには思っています。  ま、家族には「あれもこれも、やりすぎじゃない?」ってあきれられていますけどね(笑)。 長女が次女にミルクをあげる様子(東さんのブログから) (取材・文/玉居子泰子) ※前編<東MAXが語る、9歳長女の子育て「朝ごはんもリクエストに合わせて作っています」>から続く 〇東 貴博(あずま・たかひろ)/1969年東京都台東区浅草生まれ。お笑いコンビ・Take2として人気を博し、俳優としても活躍。通称「東MAX」。亡き父は、昭和を代表するコメディアン東八郎。妻はタレントの安めぐみ。2021年、駒澤大学法学部政治学科への社会人入学が話題に。24年に、必要単位取得後中退。小学4年生になる長女と、生後6カ月になる次女の子育てをしながら、公私共に精力的に活動を続けている。
東MAXが語る、9歳長女の子育て「朝ごはんもリクエストに合わせて作っています」
東MAXが語る、9歳長女の子育て「朝ごはんもリクエストに合わせて作っています」 東貴博さん  お笑いコンビTake2で人気を博し、タレント、俳優としても活躍する東MAXこと、東貴博さん。2011年、タレントの安めぐみさんと結婚し、2015年に長女をもうけます。今年次女が誕生し、同時に駒澤大学法学部政治学科を単位取得後中退したことで話題を呼びました。仕事に子育てに「学び直し」にと奮闘する東さん。「長女担当」の東さんに、9年ぶりの赤ちゃん子育てや小学4年生になる長女うたさんとの関わり方について聞きました。 ※後編<東MAXが語る、50代になってからの大学生活「講義はいつも一番前。30歳年下の同級生と楽しく」>に続く 2度目の赤ちゃんは気持ちが楽。すでに次女はたくましい子に ――今年1月、約9年ぶりに2人目の娘さんがご誕生。ますますお忙しいことと思います。久しぶりの赤ちゃんとの生活はどうですか?  もうしっちゃかめっちゃかですよ(苦笑)。生後半年を過ぎたので、離乳食を始めたところです。長女が生まれてから9年。新生児のお世話はどうなるかなと思っていたけど、やってみれば、おむつ替えも手が覚えていたというか、感覚は割とすぐ取り戻せた気がします。 ――おむつ替えも東さんがやっているんですね!  いやいや、なんでも僕がやっているわけじゃないですよ。ただ、今は安が完全母乳で育ててくれているんで、夜は彼女に任せています。次女は、母乳さえ飲めば、夜中はけっこう寝てくれる子で。第1子の時ほど大変という感じではないかな。その分、洗濯や掃除などの家事を率先してやっています。  僕らもやっぱり慣れもあるから気持ちが楽ですよね。長女の時はちょっと泣いただけで「なんで泣いてるんだろう、どこか悪いんじゃないか!?」とか、オロオロしていろいろ考えましたけど、今はもう、「あ、泣いてんな~」って思いながら、手が離せない時もあるし、すぐに駆けつけなくても大丈夫だろう、と(笑)。  その分、次女はどんどん強くなって、泣き声もどんどん大きくなっていく。すでにたくましく育ってくれています(笑)。 ――9歳になる手前で妹ができたお姉ちゃんの反応はいかがですか? 次女のお食い初めを家族でお祝い(東さんブログから)  赤ちゃんのことはすごくかわいがってくれていますよ。ただ、今はどうしても、ママが赤ちゃんにつきっきりになる時期。やきもちを焼いている感じはあまりないけど、寂しくならないように、長女の担当は僕がやっています。一緒に遊ぶし、夜寝る時も今はだいたい僕とですね。 長女が次女にミルクをあげるところ(東さんのブログから)  朝ごはんも、娘のリクエストに合わせて作ります。前は玉子焼きとかも作ってたんですけど、最近は「おにぎりだけでいい」というので、楽になりました(笑)。 東さんが長女につくった朝食(東さんのブログから) 宿題に親が感想コメント。ネタが尽きて困ってます ――小学4年生ともなるとしっかりしているんですね。  いや、でもまだ学校の持ち物チェックとかは欠かせないですよ。忘れ物が多いんですよね。あとは宿題を一緒にやったり、テストの復習に付き合ったりもしますが、これがなかなか難しい……!  筆算とか分度器の使い方とか、「あ〜、こんなのあったな!」と思うけど、大人になると忘れちゃってますよね。でもとりあえず、宿題を見て、サインをして、一言コメントを書かないといけないんですよ。 「がんばったね」とか「おしかったね!」とか……。だんだんコメントのネタが尽きる(笑)。ほかにあります? みんな、どうしてるんですか!? ――勉強も教えているなんて、いいお父さんですね。  娘は、「勉強はパパに聞く」っていうふうに思ってくれてるみたいで。今のところは、なんとかわかるので、できる範囲で答えていますけどね……。もうちょっと学年が進んだら全然わからなくなるだろうな。 娘が「やりたい」と思うことは全部やらせる。わがままに育てるくらいがちょうどいい ――そろそろ思春期に入りますが、娘さんに変化は感じますか。  まだ親に反抗するとかはなくて。僕にもよくなついてくれていますね。スキンシップも嫌がらないし、甘えてきてくれるしね。とはいえ、生意気なところも出てきたし、やっぱり放課後はゲームして部屋にいたりする時間も多いんですけど。学童や塾にも行かせてるんですが、家がいいみたいで、すぐ帰ってきてのびのびしています。 家族旅行の様子(東さんのブログから) ――ゲームを禁止したりはしないですか?  禁止は特にしないです。オンラインでゲームを通して友達と遊んだりもしてるみたいだけど、今の子はそういう遊び方をするものなんだな、と思ってみています。  ゲームを介して、幼稚園の時の友達や、学校外の友達ともつながったりしていて、それはそれでいいんじゃないかな。僕自身も昔、散々ゲームして遊んでいましたからね。 ――丁寧にお子さんを見ながら、穏やかに子育てをされていますね。  まあ、年を経てからの子どもだということもありますよ。芸人の後輩たちも、もう40歳を過ぎて、家族もいて、夜な夜な飲み歩くこともなくなったから(笑)。夜に仕事が入らなければ、18時か19時には家に帰って、みんなでご飯を食べて、21時には子どもを寝かせて自分も寝る、みたいな生活です。朝6時には起きないといけないんでね。 ――子育てで困ることはないのでしょうか?  僕が困ることはないけど、安に「甘やかし過ぎ!」と怒られることはあります。娘が、「今度の休みはあそこに行きたい」とかいろいろ言うんですが、僕はすぐ「いいよ、いいよ、行こう」って言っちゃう。それで娘が友達に「今度、遊園地行くんだ」ってLINEするから、その子のお母さん経由で安が知るという(苦笑)。「勝手に決めないでください」って怒られます。 長女と夜景デートを楽しむ様子(東さんのブログから) ――子ども同士でもLINEですぐやりとりしますよね。  今はもう、小学生もほとんどスマホを持っていますね。でも、僕はあまりそういうことも禁止したくないんです。新しい機械は次々出てくるけど、早く使って、早く覚えたほうがいいと思っていて。失敗したり怒られてたりして学ぶことも大事だな、って思ってるんです。  うちは、基本的に、ゲームでもスマホでも、遊びに行くことでも、あまり我慢をさせない。子どものうちは、わがままでもいいと思うんです。やりたいとか欲しい、ということはできるだけかなえてあげたいなと思っています。そこから学ぶことがあると思うから。 (取材・文/玉居子泰子) ※後編<東MAXが語る、50代になってからの大学生活「講義はいつも一番前。30歳年下の同級生と楽しく」>に続く 〇東 貴博(あずま・たかひろ)/1969年東京都台東区浅草生まれ。お笑いコンビ・Take2として人気を博し、俳優としても活躍。通称「東MAX」。亡き父は、昭和を代表するコメディアン東八郎。妻はタレントの安めぐみ。2021年、駒澤大学法学部政治学科への社会人入学が話題に。24年に、必要単位取得後中退。小学4年生になる長女と、生後6カ月になる次女の子育てをしながら、公私共に精力的に活動を続けている。
紆余曲折の人生を隠さない 亜希「ここまで歩んできた自分の生き方、考え方が全部自分の肥やし」
紆余曲折の人生を隠さない 亜希「ここまで歩んできた自分の生き方、考え方が全部自分の肥やし」 野球観戦で日焼けした肌も、料理を作ってきた手も、すべて自分の証し。その潔さが人々の心を揺さぶる    ブランドディレクター・モデル・料理家、亜希。いつ会っても、明るくて朗らか。料理も、ブランドディレクターも、モデルも、すべて100%の力で向き合っている。その明るさは強さに裏打ちされている。幼少期に両親が離婚し、生活は貧しかった。芸能界に入るも、なかなか芽はでなかった。結婚、離婚を経験し、マスコミにも追われた。逆境のときこそ強く生きる。大事な人が幸せでいられるよう、いつも考えている。 *  *  * 「おまたせいたしました~!」  その明るい声がキッチンスタジオを夏の向日葵(ひまわり)のようにパッと照らした。雑誌「オレンジページ Cooking」の撮影現場。エプロン姿の亜希(あき・55)は、登場するやいなや、テキパキと手際よく料理を作っていく。メニューは「無水鍋で作る万能カレー」。鍋に玉ねぎとトマトを丸ごと入れる工程でカメラマンから「待って、待って」とストップがかかると「ごめーん、せっかちだから」と大きな笑顔で返す。鶏肉を一枚、豪快に焼きながら「うちでこれをやるとカレー泥棒が出現するのよ。肉を全部、持ってっちゃうの。(次男の)勝児が」と笑わせる。そしてスタジオにたまらなくいい匂いが漂い出したころ、亜希はスタッフたちに言うのだ。 「みんな座ってて? 口だけ開けて待ってて!」  その姿は、まさに万人の「母ちゃん」だった。  モデル、ブランドディレクター、料理家である彼女は、元プロ野球選手、清原和博の元妻として紆余(うよ)曲折の人生を隠さない。ともに球児として活躍する長男・正吾と次男・勝児を女手ひとつで育て上げ、息子たちへの豪快な手作り弁当を紹介した著作『亜希の「ふたが閉まるのか?」弁当』は重版出来の人気ぶり。YouTube「亜希の母ちゃん食堂」ではその名のとおり、飾らない母の味のノウハウを披露する。「よい食事が体をつくる」の実体験からタンパク質たっぷりのレトルトカレー「亜希ちゃん印 無水でつくった満足カレー」をパーソナル・トレーニングジムのトータル・ワークアウトと共同開発し、即完売&予約待ちの売れ行きだ。 「オレンジページCooking」の撮影風景。「オレンジページnet」編集長の小栁恵理子は言う。「亜希さんの料理は美味しいだけじゃなく『誰かのおなかを満たしたい』『食べさせたい』という思いがすごいんです」   貧しかった子ども時代 何もかもが羨ましかった 「亜希ちゃん印」カレーの共同開発者でトータル・ワークアウト代表の池澤智(48)は、25年来の友人として亜希を見守ってきた。 「今回のカレーの発売イベントでもマスメディアはよくも悪くも“清原さんの~”という部分に注目する。亜希さんはそういう視線も理解した上である意味、覚悟を持って活動している。彼女をしたたかだ、という人もいるんです。でもいや、そんな考えでこれだけのことはできないよ?!って言いたい。なにより子どもたちが父親のことを悪く言わないことがすべてだと思います」(池澤)  その通りだと、亜希に対面するとしみじみ思う。誰に対しても気さくに語りかけ、自ら胸襟を開き、相手の気持ちをほぐす。亜希がブランドディレクターを務めるアパレルブランド「AK+1」でトータルマネージメントを担当するビームスの須藤衣麻(43)にとっては、仕事だけでなく子育ての先輩としても頼りになる存在だ。 「亜希さんは“陽”の雰囲気しかない方。お目にかかってからこの11年、楽しいことだけじゃなかったと思いますが、いつだって本質は変わらない。仕事も絶対に手を抜かないし、いつも両手を広げてくれているような感じで、みんな亜希さんに人生相談をしたくなっちゃう。ブランドのイベントでトークショーをすると、みなさん泣きながら亜希さんの話を聞いていたりするんです」(須藤)  当の亜希は笑いながら言う。 「やっぱりここまで歩んできた自分の生き方、考え方が全部自分の肥やしになっている。いまインスタグラムに写真をアップすると『亜希さんの手が好きです』って言われるんです。シワッシワだし全然綺麗(きれい)じゃないんだけど、めっちゃ嬉しいんですよ。生きてきた証しじゃないですか。綺麗に見えるほうがそりゃあいいけれど、いまはそれよりもっと大事なものが写真に写る自信はある。これは育て上げて、作り上げて、いろんなことをしてきた手なんだって」  最強の「母ちゃん」はどのように作られたのか。  亜希は1969年、福井市に生まれた。3歳上の兄がいる。小学校低学年のころは歌が好きな目立ちたがり屋だった。人生が変わったのは小学4年のとき。両親が離婚し、母・鈴枝と兄との3人暮らしが始まったのだ。  引っ越し先は6畳と台所二間の風呂なし公営住宅。母は建設会社の事務職をして子どもたちを養ったが、暮らしは楽ではなかった。後に亜希は息子たちに当時の話をよく聞かせたと言う。 「息子が『今日のマグロ少ないね』なんて言うと『マグロなんて食べられなかったんだから! ツナ缶にお醤油(しょうゆ)かけて食べてたんだから!』ってつい言っちゃうんです。『出た、貧乏自慢』って言われるけど、でも教えたいんですよ、あの経験を」  友人の家に遊びに行くと、おやつのショートケーキも洋服も何もかもが羨(うらや)ましくみえた。帰り道、ボロボロの家へと足が向くのが悲しかった。嫉妬心や自分の恵まれない環境への負の感情を恐ろしいほど知った。だが両親への怒りは感じなかった。 「母が本当に一生懸命だったからだと思います。少ないお金でやりくりしているのが見えるからこそ、私がやるしかない、みたいな使命感があった」  亜希の「母ちゃん魂」の原点はすべて母・鈴枝にある。明るく天然な性格は母から譲り受けた。母は145センチほどと小柄ながらふくよかで、化粧もせず髪はふわふわ。派手さや贅沢(ぜいたく)とは無縁だったが、とにかく笑顔が素敵だった。 「歯並びも綺麗で、笑うと口角がガーッとあがる。美人ではないけれど、こんなに可愛い人っているんだと、私のなかで初めて感じた人です」  母は子どもたちの前で父の悪口も言わなかった。 「どうしたら母を幸せに、贅沢な暮らしをさせてあげられるか」ばかりを考えていた中学時代、思いついたのが、当時ブームだった芸能界のオーディション。中3の夏に「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募し、地区大会を勝ち抜き、母と東京行きの飛行機に乗った。当時42歳の母は飛行機初体験。その嬉しそうな顔を見たとき「私が頑張ればハワイにだって連れていってあげられるかも」と心のマグマがグワッと動きだした。 〈AK+1〉で須藤衣麻(奥の右から2人目)やスタッフと打ち合わせ。「亜希さんは本当にゼロから一緒に物づくりをしてくれる。私たちの『いま着たい』を本能で察知しているようで驚かされます」(須藤)   東京に向かうバス停で 母から渡された化粧品  応募総数18万350人のなかから、決選大会に進む16人に選ばれた。受賞はしなかったが「いい経験だった」と素直に思えた。福井に帰ると電話が鳴った。「3人組でデビューしませんか」。母は反対しなかった。 「あなたもわかっているように、ここにいたって何もない。自分の人生なんだから自分のやりたいようにやりなさい、と母は言ってくれました」  中3の冬にデビューし、東京で寮生活をしながら高校に通うことになった。出発の日、空港行きのバス停で母から缶を渡された。中にはファンデーションや口紅などのメイク道具が入っていた。高級品ではなかったが、化粧などしたことのない母からの精一杯の気持ちに涙が止まらなかった。  亜希がデビューした1985年はアイドル全盛期。斉藤由貴が「卒業」で大ブレークし、先輩の早見優、松本伊代らが華々しく活躍していた。売れっ子とそれ以外では現場でのお弁当も違う。亜希たち3人組にブレークは訪れず、1年半足らずで「解散」を言い渡された。16歳で芸能界の残酷さが身にしみた。 「結局私ってこうなっちゃうんだなとは思ったけれど、挫折という言葉はふさわしくない。大人になったらもっとつらいことがいっぱいあったから」  高3でモデルの仕事を経験し「やっていけるかも」と感じた。卒業後はモデル事務所に所属しながら、蕎麦(そば)屋や焼き鳥屋などのアルバイトを掛け持ちした。どこに行っても「おはようございます!」と誰よりも大きな声で挨拶(あいさつ)し、場を盛り上げるのが得意な亜希は人気者になった。  現在、東京・広尾で名店と名高い蕎麦屋「三合菴」を営む加藤裕之(57)は、亜希のアルバイト時代を知るひとりだ。「竹やぶ」で蕎麦修業していた26歳のころ、亜希が給仕担当で入店した。 「テキパキして頭も切れるなと思いました。一を聞いたら十を返してくれるし、こちらが意図することをくみ、かつプラスαをしてくれるというか」  付き合いのあるいまも当時も深い話をしたことはない。それでも当時から彼女の明るさのなかに相当な苦労やがんばりを感じていた。 「確実に何かを積み上げたい、という思いを持って一生懸命に生きている方だと思う。僕からみても“かっこいい”の一言に尽きますね」 「亜希ちゃん印 無水でつくった満足カレー」の発売記念イベントで。「こういうの、結婚会見みたい」「やめなさい(笑)」(池澤智・左)と、絶妙な掛け合いで、会場を笑いに包んだ   「この人を支えたい」 結婚後は料理でサポート  飲食店でのアルバイト経験はその後の料理の基礎になったと亜希は言う。 「焼き鳥屋ではタコ飯が人気だったんです。なぜそんなに流行(はや)るのかな?と、洗い場でフライパンにこびりついたご飯をこそげて味見をした。いまもその味を再現したレシピを使っています」  25歳ごろからモデルの仕事が軌道に乗り、母をハワイに連れて行くこともできた。そして1998年の8月、知人の紹介で清原和博と出会った。  結婚までの1年半で思ったのは「この人を支えたい」ということ。当時、西武から巨人に移籍していた清原はケガに悩まされてもいた。前出の池澤は駆け出しのパーソナルトレーナーとして、99年に米・シアトルに自主トレにきた清原をサポートし、結婚前の亜希に会っている。 「清原さんはやり慣れないトレーニングや食事でかなりストレスをためていたと思うんです。そんなとき『彼女が来るから。べっぴんだけどビビんなよ』と言われて、空港に亜希さんを迎えに行った。本当に人生で初めて見る美人だ!と思いました」(池澤)  しかし気取ったところなど皆無でとにかく明るい。旅行気分で来たのではなく「彼のためになることをしたい」とランニングにも付き合っていた。 「よく耐えているな、と思ったこともあったけど亜希さんは楽しそうなんですよ。『1万円の桃を買ってこいって言われちゃった。ないよね? でも絶対見つけてやる』と笑って出かけていくんです」  実際、亜希は楽しかったという。結婚後は自分が作った料理がアスリートの体を形成し、パフォーマンスにつながることを知った。料理教室にも通い、米の研ぎ方や出汁(だし)の取り方も学んだ。 「ホームランを打ったら『あれを食べたからかもしれない』とか、えのきを残すと調子が悪いなとか。結果を出す人だったからこそ、私も料理がどんどん面白く、好きになったんだと思います」  だが結婚3年目に悲しい別れが訪れる。母・鈴枝が腎臓がんで亡くなったのだ。60歳だった。病気などしたことがなく「おしっこが赤いけど、スイカの食べ過ぎかしら」くらいの呑気(のんき)さだった。がんの発覚後、福井から東京に呼び寄せ、兄とともに亡くなるまでの10カ月を一緒に過ごした。悔いが残らないといえば嘘になる。最後まで病名を伝えず、福井に帰る予定も立てていた。もし伝えていればもうちょっと最後に踏ん張れたかもしれない。自分たちに最後の言葉を残すこともできたかもしれない、といまは思う。だが当時はそれが自分にできる精一杯だった。  母の死から2カ月後に長男・正吾が誕生。「母の命を授かってくれたと救われる思いだった」と亜希は言う。次男・勝児が2歳のとき、モデルの仕事のオファーが舞い込んだ。結婚後は一切表に出ず、裏方と子育てに徹してきた。迷いもあったが清原に背中を押された。 「男の子はお母さんが綺麗で頑張っている姿が武器になる。うちの母ちゃんすげえんだぞ、って。だからやったらいいんじゃない、と言ってくれて」 テレビ番組の企画でバイオリン演奏にチャレンジして以来、定期的に習っている。著作のタイトルも筆で何十枚も書く。何事にも全力投球、が亜希のスタイルだ   野球と息子がきっかけで 清原との交流が再開する  08年から雑誌「STORY」のカバーモデルとして人気を博す。同年、清原は現役を引退。夫の状態が徐々に悪くなっているのは感じていた。だが子育てに没頭し、いろいろなものを「見ないようにしていた」と振り返る。 「いまならずっとやってきたこと(野球)が突然なくなる日常がどんなに空虚なものかわかる。でも結局、苦しみは本人にしかわからない。当時は燃え尽き症候群かな、なにかのタイミングでなんとかなるかな、と思っていた。それに週刊誌に書かれたようなひどいことはなかったんです。家で発散するようなことはなかった」  それでも週刊誌で違法薬物使用疑惑が報じられ、2014年に子どもたちを連れて家を出た。すぐに離婚が成立。だがマスコミに追いかけられた日々も、いまは「忘れちゃった」と笑う。 「私、離婚後に一番『綺麗だね』って言われていました。たぶん負けず嫌いなんです。子どもたちにも言っているんですが、人から見たら不幸そうなときほど元気に見せることで、周りをシャットアウトできる。『あの人、可哀想(かわいそう)だね』って言われるときほど元気でいれば『恐れ入りました!』って相手をねじ伏せられるんだよって」  16年に清原が覚醒剤取締法違反で逮捕されたときはさすがに衝撃が走った。家族3人で友人の家に身を寄せたことで、気持ちが安定したという。 「なにより子どもたちが、学校を一日も休まないって言うんです。え? この状況で? 恐れ入りました!って私のほうが教えられた」   子どもたちへの影響を考えると腹が立つこともあり、離婚後の連絡は絶っていた。そんな思いが変化したのは19年。次男・勝児の一言だった。 「あぱっち(父)に野球を教わりたい」  野球はずっと父と息子たちの共通点だった。家族旅行の際にスーツケースにまず入れられるのはボールとプラスチック製のバット。正吾は勝児が生まれた病室でペットボトルをバットに銀紙をまるめたボールを打って遊んでいた。  弁護士を通じて清原に連絡を取り、再会の場を設けた。清原は著書『薬物依存症の日々』(文春文庫)で、薬物依存症と重いうつ病に苦しむ自分に、家族との再会がどれだけ大きな助けとなったかを切実に綴っている。亜希は言う。 「きれい事じゃなく、子どもたちに悪口も言いましたよ(笑)。でもやっぱりリスペクトはあったので、そこは絶対に落とさなかった。『いろんなことしちゃったけど、あの人は本当に凄(すご)い人なんだよ』っていう言い方はしたかな」  うつ病や依存症の専門医の教えを受け、いまも家族でサポートを続けている。 「この病気はアップダウンがよくない。ものすごく楽しいことがあると一人になったときドーンと落ち込んでしまうから、ゼロか100かではなく常に50℃くらいの温度で接してあげることが優しさだと教わりました。適度な距離を保ちながら、ときどき普通に『お蕎麦食べよう』とか」  そんな亜希を前出の池澤は「いつも誰かのために生きている人だと感じる」と言う。 「清原さんだったり、お母さんだったり、子どもたちだったり。私も彼女からエネルギーをもらっている。人って年を重ねるごとにその生き方が顔に表れますよね。彼女がずっと美しいのは、やってきたことが表れているからなんだと思うんです」  亜希は「いやいやいや」と笑って言う。 「みんな同じですよね。特に年を重ねれば、お互い支え合うしかない。夫婦も友人も子どもとの関係も形が変わっていくことが結局、人生。そしてどんなに形が変わってもそれは続いていく。それがこれからの自分のテーマかな、と思っています」  次男・勝児は来年、大学進学で家を出る。一人になったこれからをどう生きるか、新たな世界がいま、亜希の目の前に広がっている。 (文中敬称略)(文・中村千晶) ※AERA 2024年8月26日号  
「最後までバッターボックスに立ち続ける」と言ってくれた妻 不安定な時期や独立の支えに
「最後までバッターボックスに立ち続ける」と言ってくれた妻 不安定な時期や独立の支えに 伊賀上将司さん(右)、伊賀上恵さん(撮影/MIKIKO)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年8月26日号では、コアラプロダクションの伊賀上将司さんと伊賀上恵さん夫婦について取り上げました。 *  *  *  夫35歳、妻29歳で結婚。夫婦ふたりと猫2匹と暮らす。 【出会いは?】2014年に出会い、笑いのツボや話が合ったことで意気投合。妻は夫の好きなゲームを始めるようになり、7時間「モンスターハンター」に付き合ったことも。 【結婚までの道のりは?】出会って1年で交際がスタート。その後、まずは同居を始め、猫2匹も加わり、出会いから4年後の18年に結婚。 【家事や家計の分担は?】基本1日8時間就労だが、猫の世話や料理なども「仕事の一環」として配慮する「家庭内フレックス制」を導入。家計は夫が妻に給与を支払い、食費などのみ妻が負担。  夫 伊賀上将司[42]コアラプロダクション 代表  いがうえ・まさし◆1982年、愛媛県生まれ。2004年に同志社大学卒業後、野外教育インストラクター、ベネッセスタイルケア勤務を経て22年にコアラプロダクションを開業。企業からの依頼で広告・PR用の写真や動画製作を行い、YouTubeチャンネルで映像製作のノウハウも発信している  大学時代から映像製作を始めましたが、当時は仕事としてやる覚悟はなく、30歳で介護施設の施設長職に就きました。しかし、責任の重さから体調を崩してしまった。そんな時に妻と知り合いました。笑いのツボが同じなのが楽しかったし、彼女にも似た経験があったので不安定な時期を支えてもらいました。僕は気持ちに波があって、お付き合いが長続きすることが少なかったんです。でも彼女は「私は違う。最後までバッターボックスに立ち続けるから」と言ってくれました。  2017年からYouTubeに趣味のゲーム解説動画をアップし、そのつながりで映像製作を頼まれるようになりました。22年に思い切って独立を決めた時も妻がどっしりと構えて支えてくれた。彼女は勉強熱心でいまでは編集仕事の3分の1を任せられる。感謝しています。  結婚したことで自己中心的な考え方から他者を思いやるように変わりました。誰かの役に立つことが自分の幸せにつながると学んだと思います。 伊賀上恵さん(右)、伊賀上将司さん(撮影/MIKIKO)    妻 伊賀上恵[35]コアラプロダクション 撮影アシスタント・動画編集・レタッチ  いがうえ・めぐみ◆1989年、徳島県生まれ。2009年に大阪ビューティーアート専門学校卒業後、エステティシャンとして働く。通信関係の仕事を経て、22年からコアラプロダクションで撮影アシスタントや写真レタッチ、動画編集を担う  出会った時、夫は単に恋愛の愚痴を聞いてくれる相手でした。でも2回目のデートで王子動物園に行ったときすごく楽しくて「あ、この人と結婚するな」と感じたんです。そこから不本意ながら、私が彼を追いかける側になってしまった。1年後に彼が「早くおじいちゃんおばあちゃんになっていっぱい遊びたいなあ」と言ったときやっぱり一緒にいたいと確信しました。彼の好きなゲームもやるようになり、いまでは二人共通の趣味になりました。  私は美容の専門学校出身で色彩検定の資格を持っているんです。彼に「ちょっと色を見てくれへん」と言われるところからはじまって、今では編集やレタッチ作業を担い、撮影現場にも同行。年々クライアントも増え、求められるレベルも上がっているので二人で頑張っています。朝起きてから寝るまで一緒ですけど、ずっと喋りっぱなしでも飽きない。先日、彼が仕事で1日いなかった時、作業時間がいつもの3分の1で終わって「ありゃ」と思いました(笑)。 (構成・中村千晶) ※AERA 2024年8月26日号
「俺たちは捕まらない」と言う米兵も 性暴力が続く沖縄の構造的な問題
「俺たちは捕まらない」と言う米兵も 性暴力が続く沖縄の構造的な問題 米軍嘉手納基地。米軍基地の約70%が集中する沖縄では、米兵による性暴力事件が後を絶たない。「基地あるゆえに起きる問題だ」と指摘されてきた    沖縄で、米兵による性暴力事件が相次いで起きていたことがわかった。米兵の犯罪も増え、日米地位協定や、米軍の持つ構造的な問題などが指摘される。米兵による性暴力を根絶するには、何が必要か。AERA 2024年8月26日号より。 *  *  *  いつまで繰り返されるのか。沖縄でまた、米兵による性暴力事件が起きた。 「怒りがこみ上げてきます」  沖縄県豊見城市(とみぐすくし)に住む50代の女性は、涙を流しそう話す。  6月25日、米軍嘉手納基地(沖縄県)に所属する米空軍の兵士(25)が不同意性交罪などで起訴されていたことが発覚した。被害者は未成年の少女。米兵の男は昨年12月、沖縄県内の公園で少女を誘い自分の車で自宅に連れ込み、16歳未満と知りながら性的暴行をしたとされる。その2日後には、別の在沖縄米海兵隊員が、不同意性交致傷の容疑で今年5月に逮捕されたことが明らかになった。さらに、この2件とあわせ、性暴力事件が昨年以降計5件あったことも分かった。  先の女性には娘がいる。 「どうして女性や子どもに対してこんなことができるのか。心がえぐられます。絶対に許せないです」  相次ぐ性暴力に、沖縄県の玉城デニー知事も「強い憤りを禁じ得ない」と述べた。特に今回、問題とされたのが、通報体制が機能不全に陥っていたことだ。1995年に起きた米兵3人による小学生の少女暴行事件を受け、97年の日米合同委員会で、米軍関係の事件・事故は「地域社会に対して正確かつ直ちに提供することが重要であると認識する」と明記された。本来であれば、事件は米側が把握した時点で米軍から日本の外務省、防衛省、沖縄防衛局、そして沖縄県へと情報伝達される。  ところが、昨年から今年にかけて発生した5件の性暴力はいずれも沖縄県に情報が伝わっていなかった。昨年12月の事件が速やかに県に伝わっていれば、注意喚起によって5月の事件は防げたかもしれない。  なぜ沖縄県に連絡がなかったのか。政府は「被害者のプライバシーを保護するため」などと釈明した。 嘉手納基地近くでは相次ぐ性暴力を非難する「フラワーデモ」が開かれるなど、怒りの声は高まっている=2024年6月28日   沖縄県と政府の関係悪化、情報共有に問題が  だが、国際政治学が専門の沖縄国際大学の野添文彬(ふみあき)准教授は、被害者のプライバシー保護は前提だとした上で、「恣意的に行われたと考えざるを得ない」と批判する。 「4月に日米首脳会談が開催されましたが、岸田(文雄)首相は国賓待遇で歓待され議会でも演説することになっていました。岸田首相にとっては晴れの舞台。そうした中で、性被害の問題を持ち出してアメリカ側の機嫌を損ねたくなかったのだと思えてなりません」  また、6月16日には沖縄県議会議員選挙があったが、選挙前に米軍による性犯罪が表沙汰になれば基地問題が争点となり、米軍普天間基地の名護市辺野古移設に反対する「革新側」に有利になる可能性を避けたかったのではないか、という。 「もっと言えば、辺野古移設の問題を巡り、沖縄県と政府との関係がこれまでになく悪化している中、情報共有ができなくなっているのではないかと思います」(野添准教授)  国内の米軍基地の約70%が集中する沖縄では、米兵による性犯罪が繰り返されてきた。 「沖縄戦で米軍が沖縄に上陸した1945年から2021年までの76年間で、わかっているだけで少なくとも950人の女性が、米兵による性被害に遭っています」  こう語るのは、沖縄女性史研究家で「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」メンバーの宮城(みやぎ)晴美さんだ。  宮城さんたちは95年の少女暴行事件を受け、「性暴力の実態を明らかにしたい」という思いから地方紙や米軍資料、書籍などあらゆる記録を掘り起こし、証言を集め、冊子『沖縄・米兵による女性への性犯罪』をつくった。初版は96年。改訂を続け、最新の第13版が昨年完成した。  宮城さんによれば、沖縄が日本に復帰した72年以前、琉球警察は米兵による事件を「発生」と「検挙」の両方を発表していた。だが復帰以降、県警になると発表は「検挙」件数と人員数となったという。950件は氷山の一角で実態はこの何倍もの被害があったはずで、発表の仕方を変えたのは警察の米軍への「配慮」以外の何物でもないと見る。そしてこう言う。 「沖縄で性犯罪が起きるのは、行きつくところは、日米地位協定にあると思います」 AERA 2024年8月26日号より   日米地位協定の問題「俺たちは捕まらない」  1960年に結ばれた日米地位協定は、「公務中」の事件は日本側に容疑者の身柄拘束権も裁判権もない。「公務外」の事件では日本側の裁判権は優先されるが、米側に身柄がある場合、起訴されるまで米側が身柄を拘束すると定めている。  95年の事件では、米側が日米地位協定を根拠に、3人の容疑者の身柄引き渡しを拒否。起訴までの26日間、日本の警察は逮捕できなかった。昨年12月の事件の被告の兵士は起訴後に保釈され、引き続き米軍の管理下に置かれたまま身柄は勾留されていない。性犯罪では極めて異例だ。 「日米地位協定は日本の憲法の上にあります。米兵の犯罪は憲法で裁くことができず、地位協定という枠組みの中でしか日本の法律は適用されません。最近発覚した米兵による性犯罪のほとんどが不起訴で、過去に『俺たちはレイプをしても捕まらない』と言う米兵もいたといいます」(宮城さん)  沖縄県警によれば、1972年から2023年の51年間で、米軍構成員など(米軍人、軍属、その家族)の刑法犯の検挙件数は計6235件に上る。摘発は増加傾向にあり、昨年は72件と4年連続で増え、過去20年間で最悪だった。  犯罪が増え続ける背景には何があるのか。在日米軍に詳しい、琉球大学の山本章子(あきこ)准教授は(1)米軍の持つ構造的な問題、(2)米軍の住環境──の2点があると指摘する。 「米国では、ベトナム戦争後に徴兵制から志願制になり、米兵の数は慢性的に不足しています。その穴埋めをするため、犯罪歴や精神疾患など問題を抱えた人間もリクルートしていきます」  とりわけ兵士不足が悪化したのは、01年9月11日の同時多発テロ以降だ。米国は「テロとの戦い」を宣言し、アフガニスタンやイラク・シリアなどで軍事行動を展開し、IS(イスラム国)掃討と戦線を拡大していった。兵士不足が深刻化する中、米国は強盗やレイプなど犯罪歴のある人物は、入隊すれば犯罪歴を免責する制度をつくった。その結果、犯罪歴を消したい人間が軍隊に入ってくるようになった、という。 AERA 2024年8月26日号より   「07会計年度だけでも、計861人の元犯罪者が陸軍と海兵隊に入隊しています。また、14年に米陸軍と米国立精神衛生研究所が発表した調査結果によると、入隊したばかりの米兵の25%にADHD(注意欠陥・多動性障害)や、突然怒りを爆発させる間欠性爆発性障害などの症状があったといいます」(山本准教授)  無論、そういった症状があるから犯罪者になるわけではない。ただ16年に、うるま市で米軍属の男が20歳の女性を暴行し殺害した事件では、男に複数の症状があったことがわかっている。子どもの頃からADHDと「向社会的、非攻撃的な素行障害」の治療を受け、高校生の頃から「強姦殺人願望」があった。海兵隊に志願する際、志望動機を「人が殺せるから」と答え、採用された。こうした罪を犯すリスクの高い米兵が沖縄に一定程度いる米軍の構造的な問題があると、山本准教授は言う。 「2点目の米軍の住環境の問題は米軍関係者と地元住民との居住地の近さです。沖縄では、米兵は階級が高く結婚をし、長期滞在していれば基地の外に住むことができます。沖縄の米兵は20代前半で安易に結婚することが多いという研究結果がありますが、基地の外に住みたいというのが大きな理由です」 基地負担の軽減が必要、国内法を米軍にも適用  昨年12月の事件を起こした米兵の男は、結婚をして基地の外に住んでいた。犯行前日に妻と口論してむしゃくしゃし、気晴らしのため車で公園に来ていて、そこにいた少女に声をかけ自宅に連れて帰り行為に及んだという。 「それぐらい精神的に未熟な人が、結婚しているという理由で基地の外に簡単に住めてしまう現状が問題です」  この二つの要因に加え、アルコールも関係していると山本准教授は言う。 「国防総省の調査結果では、性犯罪を起こした米兵の約6割が事前にアルコールかドラッグを摂取しています。基地内では、アルコールは厳しく取り締まられて飲むことはできませんが、一旦基地の外に出れば、自由に飲むことができます」  沖縄で米兵の犯罪が起きるたび、米政府は綱紀粛正を誓うが実効性はほとんどない。また、今回の問題を受け、日本政府は捜査当局が米軍人を容疑者と認定した性犯罪事件を「例外なく」沖縄県に伝達する方針を表明した。  だが、先の野添准教授は、「通報体制の見直しは本来あるべき姿に戻っただけで、性犯罪の再発防止には繋がらない」と指摘する。 「根本的には、沖縄に米軍基地が集中している構造そのものが問題です。性犯罪をなくすには、沖縄の米軍基地を減らしていき沖縄の基地負担を軽減させていくことが必要になってきます」  その上で、「日米地位協定の見直しも重要」と説く。 「具体的には、国内法を米軍においても適用するということです。公務外はもちろん、公務中であったとしても、米軍が犯罪を行った場合は身柄を日本の捜査機関が確保して日本の法律で裁けるようにするのがあるべき姿です」  前出の山本准教授は、「性犯罪をゼロにすることができない以上、対症療法として、米兵を基地から出さないことしかない」と強調する。 「そのためには、基地外の居住を認めないか限りなく制限する、あるいは、一般住民がいないところに基地や米軍住宅地をつくるしかありません。住民と米兵が雑居している状態をなくさなければ、特にローティーンの少女が狙われる犯罪は、繰り返し起こります」  沖縄女性史研究家の宮城さんは、「米軍基地問題を女性の人権の視点から捉えることが必要」と語る。 「軍隊は『男らしさ』の表象です。日常の訓練の、ストレスの発散として基地外で弱いものを襲い自身の『男』としてのステータスを上げる。それがレイプ事件だと思います。日米地位協定を含め性犯罪が『構造的暴力』といわれるゆえんです」  今回の事件の後、沖縄以外にも米軍基地のある青森、神奈川、山口、長崎などで、在日米兵による性暴力事件は未公表だったことが露見した。宮城さんは、こんな思いを口にする。 「日本政府の責任は重い。米政府に忖度しているとしか思えません。日本人の有権者が、自身の問題として米軍基地問題を考えなければ、米兵による性暴力は解決できません」  性暴力は人を殺す。これ以上、米兵が人を殺すのを許してはいけない。(編集部・野村昌二) ※AERA 2024年8月26日号  
自民党総裁選「小泉進次郎」選挙関係者が明かす「同僚へのライバル心」と「妻・クリステルへの不安」
自民党総裁選「小泉進次郎」選挙関係者が明かす「同僚へのライバル心」と「妻・クリステルへの不安」 小泉進次郎元環境相    8月20日、小泉進次郎元環境相(43)が自民党総裁選に出馬する意向を固めたと報じられた。今回の自民党総裁選は11人もの候補者の出馬が取り沙汰されているが、小泉氏が出馬すれば、一気に本命に浮上する可能性もある。すでに出馬に必要な20人の推薦人は確保しており、旧派閥を横断的に40人以上の支援者がいるとされる。来週以降に出馬記者会見を開くとみられるが、小泉氏が出馬に踏み切った背景には何があるのか。 *  *  *  小泉氏の父・純一郎氏元首相はかつて「50歳になるまで総裁選に出るな」とアドバイスしたとされる。それに対し、小泉氏は8月10日、ラジオNIKKEIのポッドキャスト番組で、「私、今43歳ですけと、仕事上のさまざまな判断、決断をいちいちオヤジに仰ぎますか? 歩みを進めるのも引くも、自分で決めるのは当たり前のことだ」と語った。総裁選出馬については「今、言うべき時ではない」と明言を避けたが、出馬への意欲をにじませる発言だと注目を集めた。  これまで、メディア各社の調査で「次の首相」として名前が挙がり続けてきた小泉氏だが、自らが出馬の意志を示すことはなかった。なぜ今回は“決断”を下したのか。小泉氏を推す菅義偉元首相の周辺はこう話す。 「進次郎にとっては、今がベストタイミングなんです。今回ほど“新鮮さ”が求められている自民党総裁選はないでしょう。もしここを見送って、3年後や6年後まで待ったら、今ほど新鮮さは求められない時代になっているかもしれない。『まだ若い』『経験不足』という世間の声があるのは本人もわかっているが、今ほどのチャンスはないとみているのだろう」  人生には、巡って来たチャンスを逃すと2度目はない、という場面は多々あるもの。小泉氏にとっては、じっくりと待って得られる経験や知見よりも、最大限にアピールできる新鮮さを失ってしまうというマイナス面の方が大きいのかもしれない。 「進次郎にとって、菅さんと森喜朗元首相という大物2人が担いでくれるというのも心強いだろう。父の純一郎さんはかつて、森さんと同じ『清和研』(旧安倍派)に所属していたし、純一郎さんと森さんの縁も深い。森さんの影響力は今でも絶大です。しかし、進次郎がもし今回の総裁選に出ず、次は3年後、6年後となれば、今のようなキングメーカーとしての力は失っているかもしれない。一方、菅さんは政権は1年という短命でしたが、まだ元気で意欲は消えてない。進次郎で総裁選に勝つことは、菅さんの戦いでもあるんです。だから2人が力を持っている今のうちなんですよ。2人には健康問題もありますしね」(前出の菅氏周辺) 若手議員同士でも「駆け引き」がある?   「小林陣営」福田達夫氏へのライバル心  若手、新鮮さという意味では、出馬を一番乗りで表明した小林鷹之前経済安全保障担当相(49)の名前も上がる。自民党総裁選に40代の候補者が2人も出るとなれば異例の展開だが、小泉氏の決断には、小林氏の出馬表明も影響している、と見る向きもある。 「小林氏を推す中心的な人物は、福田達夫元総務会長です。福田赳夫元首相を祖父に持ち、福田康夫元首相を父に持つという政界のサラブレッドですが、進次郎氏は昔から、福田氏に対してライバル意識が強い。お互いに父親が元首相で、3世、4世と続く世襲政治家ですからね。福田氏も進次郎氏を意識しているところがあります。今回、福田氏を中心とした若手が小林氏を担ぎ上げることとなり、進次郎氏が出馬しないとなれば、やはり存在感がうすくなることに危機感はあったと思います。また、小林氏を推す20数人の若手、中堅議員は半数以上が旧安倍派、旧二階派です。若手といえども、こうした旧派閥体質を引きずるイメージがある小林に対して、選挙に強く派閥に縛られない進次郎が出ることのインパクトも強い。そこに勝算を持っているのではないか。そういう意味では、小林氏が出馬表明しなかったら、進次郎氏も出ていない可能性があったと思います」(永田町関係者)  だが一方で、小泉氏の地元・横須賀では複雑な反応もあるようだ。地元の後援者が明かす。 「進次郎に近い人たちの間では『まだ、早い。総理大臣になったら長くは続かないだろうし、退任した時点で終わってしまう』という声が出ていて、もったいないと思われています。総理はゴールですから、その後がない。政治家として“あがり”になってしまうのではと心配しているんです。進次郎から少し遠い人たちは『頑張って総理になって』と応援していますけど、地元を挙げて総理になってほしいという雰囲気ではないですね」 2019年8月、首相官邸で結婚報告をした進次郎氏とクリステルさん    プライべートでは、2019年にフリーアナウンサーの滝川クリステルさんと結婚し、4歳の長男と生後9カ月の長女がいる小泉氏。もし小泉氏が総裁選で勝利し、国会で首相指名を受けて、首相になった暁には、クリステルさんがファーストレディーになる。それについて、地元ではどう受けとめられているのか。 「彼女と会ったことがありますが、話がわかりやすく、人に伝わるコミュニケーションができる人という印象です。英語もフランス語も堪能で、進次郎と一緒に外遊し、海外の首脳と会談するときにはうってつけだと思います。東京五輪招致の際、彼女が『おもてなし』と発言したことから、この言葉が世界に広まったわけですし、適任じゃないでしょうか。クリステルさんは今でも仕事をしていて、家事は夫婦で分担しているみたいだね。進次郎は学生時代、コーヒー店でアルバイトをしていて、友達の経営する地元の居酒屋を手伝っていたこともあるから、掃除や皿洗いは得意なんじゃないの」(同) 妻でフリーアナウンサーの滝川クリステルさん(写真:つのだよしお/アフロ)   横須賀には来ないクリステルさん  ただ、不安材料がないわけでもないようだ。 「クリステルさんは仕事をしているから、夫の選挙を手伝うのを私は見たことがありません。そもそも、横須賀の改築した家にも住んでないし、めったに横須賀には来ていないようです。結婚した直後くらいは、横須賀の企業家たちの集まりに出席していましたが、その出席者の一人がクリステルさんの映った写真をSNSにアップしたら、『お忍びで来たのに』とひんしゅくをかった。それ以来、クリステルさんを公の場では見かけなくなりました」(同)  もちろん、ファーストレディーの在り方も時代と共に変化しており、クリステルさんが新しい「首相の妻」を開拓してくれる可能性も高いだろう。  自民党総裁選は9月12日告示、27日投開票となる。15日間という選挙期間は、現行の規程が設けられた1995年以降で最長となる。もし、小泉氏が首相に就任すれば伊藤博文の44歳を抜いて、史上最年少の首相となる。前出の永田町関係者は選挙戦についてこう語る。 「選挙期間が長くなった分、立候補者たちのオンライン討論会を最大限に増やす予定です。進次郎氏は、演説はご当地ネタを取り入れたりしてとてもうまいけど、ディベート(討論)は得意ではない。2週間も論戦が続くとなると、そこは不安材料かもしれないですね」  今後、小泉氏は出馬会見で何を語るのか。日本中が注目している。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
“男子たるもの稼いでナンボ”の「生きづらさ」 ジェンダー平等に向けた「令和モデル」に切り替えを
“男子たるもの稼いでナンボ”の「生きづらさ」 ジェンダー平等に向けた「令和モデル」に切り替えを 写真はイメージです(写真:Getty Images)   「男は仕事、女は仕事と家事・育児」の男性優位社会が今も続く理由は、稼ぎ手=男性という性別による役割を前提としていることも大きい。主夫となった記者が、役割によるストレスと妻の苦労に気づいたきっかけとは。AERA 2024年8月26日号より。 *  *  * 女性が家事・育児などの家族ケアを一手に引き受けることによって、男性は長時間労働を受け入れ、仕事に集中できる。その優越的な地位を会社でも家庭でも保ち続けることをよしとし、さらには手放すのを恐れている男性も多いことだろう。  男性の優位性を表す上で、最も分かりやすいのは収入だ。政治記者時代の私は、男性が下駄を履いていることに気付かず、「男子たるもの、メインとなって稼いでナンボ」という感覚に完全に呪縛されていた。渡米して、初めて「稼得能力=稼ぐ力」を失い、茫然自失となった。  同じ思いを抱いたのは、決して私だけではない。  拙著『妻に稼がれる夫のジレンマ』(ちくま新書)では、スーパーでの買い物時、自分の欲しいモノを一度は手にしたものの、妻が稼いだお金を使うことに躊躇し、棚に戻したり、夫婦げんかの際「今、ニューヨークに住めてるのは、私のおかげじゃん」などと妻から捨て台詞を吐かれ、打ちひしがれた駐夫の姿を描いた。駐夫とは別に、妻の年収が上回り、大黒柱の座を失った自らに悶々とする男性の複雑な意識変容も取り上げた。  一方で、私自身は仕事の世界とは異なる領域に身を置き、新たな景色も見えてきた。  食事づくりや洗濯、子どもの習い事の送迎、さらには現地校や習い事の先生向けのクリスマスギフトの用意など主夫業に専念し、渡米前に妻が担っていた役割を追体験。家族を何よりも大切にする米国人の価値観に直接触れ、子どもの迎えで学校に出向く保護者のうち、半数近くが父親である実態も知った。  そして、日本時代に抱えていたストレスの主体が、実は男性役割を演じようとしていたがゆえの「生きづらさ」であることを知ることとなったのだ。 AERA 2024年8月26日号より   男性の「生きづらさ」  関西大学の多賀太教授(家族社会学)は、こうした状況を「夫のモヤモヤ、妻のイライラ」として、男性稼ぎ手社会が引き起こす労働慣行の歪みを是正し、ジェンダー平等に向けた働き方改革の必要性を提唱する。  23年版の男女共同参画白書は、「男は仕事」「女は家庭」の「昭和モデル」から、全ての人が希望に応じ、家庭や仕事で活躍できる「令和モデル」に切り替える時だとして、性別役割分業を前提とした長時間労働などの慣行を見直すよう訴えた。  男女共同参画社会の実現に向け、女性は十分に役割を果たしてきたものの、いまだ実現に至っていないのは、男性が他人事として受け止めているためだ。もはや変わるべきは男性であり、企業だろう。男性の意識を変えるのは容易ではないが、収入逆転や早期退職、育児や病気、介護などに伴うキャリア中断など、価値観が変わる可能性があるきっかけは少なくない。 他人事ではなく自分事  男性は社会的規範への忠誠を求められ、束縛される。長時間労働と相まって、どことなく生きづらさを抱える。そんな男性のあおりを受け、女性にもストレスが直撃し、生きづらさに直面する。男女ともに生きづらさを抱く底流には、この側面があると考えている。  夫婦は、いわば合わせ鏡のようなものだ。どちらかが心身のバランスを崩すと、もう片方のバランスにも影響を与える。仕事や家事・育児についても同じことが言える。  男らしさやメインとしての稼ぎ手意識から自らを解放した時、男はラクになるし、不平等な両立を強いられている女もラクになる。要は、男女ともラクになるのではないだろうか。ジェンダー不平等が解消に向かい、男女共同参画社会が訪れたとき、女性だけでなく、男性にもメリットがあると強調したい。  男性たちはまず家庭内にジェンダー不平等が存在していることを自認し、他人事ではなく、自分事として捉え直すことから、全てが始まる。 (ジャーナリスト・小西一禎) ※AERA 2024年8月26日号より抜粋  
「決して喋ってはいけない」禁忌を犯してしまったきこりに手を掛けなかった雪女の事情
「決して喋ってはいけない」禁忌を犯してしまったきこりに手を掛けなかった雪女の事情    極寒の地に古くから伝え継がれてきた話…ではなかった。格調高い小泉八雲の「雪女」は、地域の伝説というよりは創作的要素が強いという。作家・吉田悠軌氏の著書「教養としての最恐怪談 古事記からTikTokまで」(ワン・パブリッシング)のなかから、「雪女」を一部抜粋の形で紹介する。 * * *  ある村に、2人のきこりがいた。ひとりは年老いたモサク、もうひとりは若いミノキチ。2人はいつもペアを組んで、森での作業を行なっていた。  寒い冬の夕暮、二人は川向こうの森から帰る途中で吹雪に襲われた。なんとか船の渡し守小屋に逃げ込んだものの、火がおこせないなか、2人はつい眠り込んでしまう。  ふと目が覚めたミノキチは、いつのまにか白く美しい女が小屋にいて、モサクを覗き込んでいる様子を見た。女はモサクの顔にむかって、白くきらめく氷の息を吹きかけている。怯えて震えるミノキチに、女はにこりと笑いかけて。 「お前は若く、美しいから見逃してあげる。でも、この夜のことを決して誰かに喋ってはいけないよ。たとえお前の母親にだって……」  そう言い残し、女は消えた。  翌朝、気を失ったミノキチ、そしてモサクの凍死体が、渡し守によって発見された。    それから1年後の冬。ミノキチは、オユキという色白の美しい娘と出会い、恋をし、結ばれた。オユキは素晴らしい嫁で、家事をよくこなし10人の子にも恵まれる。母も臨終の際、オユキを褒めながら死んでいった。ミノキチたち家族は何年も幸せに暮らした。  そんなある晩のこと。オユキは行灯の光で針仕事をしていた。彼女の容姿は出会った当初から全く老いていない。すやすやと眠る子ども、淡い光の中で針を動かす美しい妻。ミノキチはこの愛に満ちた光景を眺めているうち、自分でも知らず言葉が漏れた。 「お前を見ていると、18の時のことを思い出す。お前と同じ、白く美しい女だった……」 「その人のことを話してくださいな……」  オユキが裁縫から目を上げず返事したので、ミノキチはあの夜のことを全て語った。 「お前と同じくらい美しい女を見たのは、あの時だけだ。ひどく怖ろしかった。怖ろしかったが、美しかった……あれは夢なのかどうか、今では分からないが……」 「……その女こそ、わたし、わたし、わたしです!」  オユキはすっくと立ちあがり、ミノキチの顔を見下ろした。 「一言でも漏らしたらあなたを殺すと言ったでしょう。もしここに眠っている子たちがいなかったら確かにそうしていたのに……。くれぐれも、子どもをよろしくお願いします」  そう叫ぶ声は風になり、その姿はきらめく霧となって昇り、煙穴から消えた。それきり彼女は、二度と戻ってこなかった。   🔳(解説)  ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の、あまりにも有名な「雪女」の話である。 よく誤解されがちだが、これは極寒の北の地、どこか雪深い村に伝わっている昔話ではない。そう、日本で最もよく知られている「雪女」の怪談とは、あらゆる意味で、「雪国に昔から伝わる怪談」ではないのだ。  ハーンの『怪談』(1904)の序文には「〝雪女〟は武蔵国、西多摩郡調布村の農夫が語ってくれたもので、彼の故郷に伝わる伝説だという」と記されている。つまり現在の東京都青梅市のあたりだ。近年ではここからさらに推測を広げるかたちで、「雪女」の現場は青梅駅にほど近い多摩川に架かる調布橋付近と見られている。地元有志は調布橋のたもとに「雪おんな縁の地」の碑を建てており、ほぼ公認状態となっているようだ。  「雪女」の怪談は信越か東北地方の話かと思われがちだが東京が舞台だった。これだけでも意外に思う人はいるだろうが、探索はここで終わらない。  遠田勝は『雪女百年の伝承』(2023)にて、ハーンの「雪女」怪談がいつのまにか「日本の民話・昔話」になっていった経緯を解説している。ハーンが東京の大久保村(現在の新宿区百人町)に住んでいた時代、府中調布の農家のものが家に出入りしていたのは事実である。宗八とお花という父娘がそれだ。ハーンが記しているとおり、一般的にはこの父・宗八から聞き及んだ民話が「雪女」だとされている。  ただしハーンの「雪女」草稿を確認すると、決定稿に至るまで大きく改作を続けた跡が見受けられる。ましてやミノキチとモサクという名前が完成直前まで出てこないところを見ると、どうしても宗八の話をそのまま英語に写した作品だとは考えにくい。  つまり「雪女」は青梅の昔話というより、ハーンによる創作の度合いが強い。さらにハーンの死後、彼の手を離れた「雪女」の怪談は、あたかも昔から根づいていた日本の民話のごとき扱いを受けていったのである。  もちろん一般的な意味での雪女にまつわる話は、それこそ日本の雪深い地域では昔から語り継がれてきた。雪山に現れた女を風呂に入れたら、雪のように溶けていなくなってしまったという類の昔話である。   質の高さゆえ各地の民話に  しかし悲哀を滲ませる格調高い怪談としてのハーン版「雪女」は、クオリティの高さゆえに各地の民話になり替わってしまった。遠田勝の調査によれば、1930年刊行の青木純二『山の伝説 日本アルプス篇』がその皮切りだ。同書ではハーン版「雪女」を白馬岳に伝わる話として紹介したため、その後これを長野や富山の口碑伝説とする誤解が広まっていった。いやそれどころか「白馬岳の雪女伝説は、本当の口碑として流布し始め、ついには、これをハーンの原拠とする勘違いにまで至る」といった逆転現象まで生じてしまうのだ。  この誤解は1950年代や1970年代にも再燃し、ついには民話の里・遠野ですら「雪女」が当地の昔話として見なされるようになった。つまり我々は何重もの誤解を経た上で、「雪女」をどこかの雪国で実際に語り継がれてきた怪談として味わっている。それは確かに誤りだが、この真相はハーン版「雪女」の価値を下げはしない。あの怪談はむしろ民衆の昔話ではなく、ハーンの個人的な物語という点に意味があるのだから。  雪女はミノキチにとって死の運命を握る女だった。自分よりはるかに強いこの女に、青臭いミノキチは完全に蹂躙された。しかし命の危機を乗り越え、いっぱしの大人となった彼は、妻を娶り子を育て生活を築いた。すべてが充足しきったところで、ふと昔出会った女の想い出が甦り、けっして言ってはならない言葉を妻に伝えてしまう。   3人の「わたし」 「……その女こそ、わたし、わたし、わたしです!」  正体を明かす時、ハーンの雪女は三度「わたし」と叫んだ。若い時に自分を圧倒した雪女、共に幸せな生活を築いた妻オユキ、さらにいうなら最期まで嫁を称賛し続けた母親……この3人の女は、ミノキチという男にとって同じ一人の女だったのだ。男が命を許されたのは子を育てる使命のため。人生の各場面にいた3人の女はもう男から永遠に去ってしまい、傍らでは残された子たちが静かな寝息をたてている。  このひどく短い怪談には、捨て子であるハーンが抱いていたであろう、母と女への恐怖と憧憬があますところなく詰め込まれている。だからこそ我々は、この怪談を昔から日本各地で語り継がれた民話として求めてしまったのだ。
「夫婦でペアローン」に3つの落とし穴 マンションの「資産価値が下がらない」は幻想か
「夫婦でペアローン」に3つの落とし穴 マンションの「資産価値が下がらない」は幻想か (写真はイメージ/gettyimages)  家があまりに高すぎて――。マンション価格の高騰と共働き世帯の増加により、すっかり一般的になった「ペアローン」。だが、専門家は「3つの落とし穴」を警戒する。何がリスクとなりうるのか。高騰する住まいと向き合う現代人を追った連載の2回目。 *   *   * 「ペアローン」はいまやスタンダード 「夫婦でペアローンを組む例は、いまやスタンダードになりつつあります」  こう話すのは、住宅ローンに詳しく、これまで数多くの住宅購入希望者の相談に乗ってきたファイナンシャルプランナーの有田美津子さんだ。  ペアローンとは、1つの物件に対して、夫婦や親子がそれぞれ契約者となり、原則として同じ金融機関から住宅ローンを借りる方法で、夫や妻がそれぞれ相手の連帯保証人になる。会社員を中心に利用者が増えており、首都圏で新築マンションを買った既婚の共働き世帯では、54%が夫婦の「ペアローン」で契約しているという調査結果(リクルート「2023年首都圏新築マンション契約者動向調査」)もある。 都心のファミリータイプは中古で1億円近く  背景には、マンション価格の高騰と、共働き世帯の増加がある。今年、不動産経済研究所が発表した2023年の新築マンション平均価格は、東京23区が前年比39.4%上昇の1億1483万円と、1974年以降で初めて1億円を突破した。首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)の平均価格も、同28.8%上昇の8101万円だ。 「中古マンションでも、都心のファミリータイプになれば1億円近くします。1億円を超えるマンションを検討する会社員は普通にいます。夫婦でペアローンを組んで借入額を増やして物件を購入する人が、私の相談者にも増えています」(有田さん) 35年ペアローンで繰り上げ返済に励む  有田さんの相談者でペアローンを組むのは、30代半ば〜40歳前後の共働きで、世帯年収は1500万円前後というケースが多い。基本的には35年ローンを組み、定年時までになるべく返済できるよう、繰り上げ返済に励むという。  ペアローンの場合、8千万〜1億円程度の物件を、8千万円なら4千万円ずつ、あるいは5千万と3千万などの配分でローンを組む。夫婦ともに同程度の収入があるケースが多く、2人合わせた貯金額は「1千万円程度だと少ないほうで、2千万〜3千万円ほど」(同)という。その中から、教育費や生活資金、諸費用を確保したうえで頭金を算出し、ローンを組む。 「夫婦が同じぐらい稼いでいるので、子育ての負担も、ローンを組むリスクも、何事も2等分して考える方が多い印象です」(同) 8千万~1億円の物件に落ち着く  都内での物件探しは、人気の沿線の駅近など、立地を重視し、築浅の物件を23区内で探すところからスタートする。だが、人気エリアは高すぎて買えないことが多く、現実的な資金計画を前に、少しずつ条件の優先順位を下げていく。 「23区内にこだわる人が多いですが、最終的に8千万〜1億円の物件に落ち着くケースが多い」(同)  ペアローンの最大のメリットは、借入額を増やせることにある。夫1人の収入では5千万円しか借りられない場合でも、同じ収入の妻がペアローンでもう5千万円を借りることで、1億円の物件にも手が届くことになる。 住宅ローン減税も2人分  住宅ローン減税を2人分受けられるというメリットもある。物件の種類によって控除対象となる金額の上限は変わるが、1人あたり最大で455万円の還付を受けられる。 「晩婚化や晩産化の影響から、住宅の購入年齢も上がっていますが、40代から35年ローンを組むと定年退職してからも返済が続くことになる。希望の返済期間やローン額、金利で借りられない場合があります。ペアローンであれば借りられる額も高くなり、良い審査結果が出やすい」(同) 増える「こんなはずじゃなかった」  一方で、気になるのがリスクだ。借入額が多いということは、多額のローンを背負うということでもある。 「実際、こんなはずじゃなかった、という相談も増えています」(同)  有田さんによれば、ペアローンには3つのリスクがある。  1つ目が、購入後の「収入の減少」だ。住宅を購入後に子どもが生まれ、子育てのために夫婦どちらかが働くペースを落とせば、計画通りの返済は難しくなってしまう。 実際に子育てが始まると… 「出産後も共働きを続ける前提でペアローンを組む人が多い。ですが、実際に子育てが始まると、“働き方を変えたい”“子育ての時間を確保するために、一度仕事から離れたい”というケースも増えています。子育て後も仕事が続けられることを十分に確認したうえで、ペアローンを検討することが望ましいのですが……」(同)  子育てのみならず、病気で思うように働けなくなるなど、状況が変わった時に返済が難しくなることもある。 「正社員として働きたくても働けなくなる可能性もあれば、金利が上がったり、教育費が想定よりかさんだりと、予想外の事態が起こることも考えられます。ある程度は収入の減少も想定して、それでも返済できる額がいくらなのかをよく考えることが必要です」(同) もし離婚したら「ペアローン」はどうなる?  2つ目のリスクが、購入後の「離婚」だ。離婚率は年々上がる傾向で、直近20年ほどの特殊離婚率は約35%だ。3組に1組が離婚すると考えれば、購入時には円満な関係でも、返済期間中に離婚する可能性は十分ある。  ペアローンはお互いが連帯保証人になるのが前提で、共有名義となる。そのため、物件を売却などしない限り、離婚後も連帯保証人は解消できない。また、売却する場合も賃貸に出す場合にも、双方の合意が必要になる。 「ペアローンで購入した物件に、離婚後も夫婦どちらかが住み続けるなら、単独ローンに切り替える必要があります。夫婦2人の収入を基準にローンを組んでいれば、単独で返済を続けるのは困難なケースが少なくありません。売却するにしても、価格が高いタイミングで売却できるとは限らず、ローン残高を返済できない可能性もあります」(同)  3つ目のリスクが、配偶者との「死別」だ。単独ローンの場合、契約者が死亡すると、保険で住宅ローンが完済される。だが、ペアローンの場合は一般的に、どちらかが死亡しても、もう片方のローンは残るため、返済を続けなければならない。 「相続が発生した場合、子どもがいないと、配偶者の親族と共有名義になる可能性もあります。今後はこうした『想定外の事態』に関するトラブルも増えてくるかもしれません」(同) 上限ギリギリで組んだ「ペアローン」の影響は  ペアローンを組む夫婦の増加が、今後、どのような事態を引き起こすのか――。  上限ギリギリで組んだペアローンが、「相対的な消費を冷え込ませている」と指摘する声もある。前回の記事のA子さんは、旅行や外食を控えるなど、以前より生活費を切り詰めることになった。 「ローンのために他の消費を諦める。あるいは子どもを持つことを諦めるといった影響も考えられます。つまり、ペアローンを組むことにより、人生の送り方が決まってしまう側面もある。よく考えることが必要です」(東京カンテイ・井出武さん) 資産価値が上がる前提での購入は「勧めない」  また、ペアローンを組む人々の多くが念頭に置いているのが、物件の資産性だ。首都圏の新築マンション契約者を対象にした調査(リクルート「2023年首都圏新築マンション契約者動向調査」)によれば、住宅の購入理由(3つまでの限定回答)は「子どもや家族のため、家を持ちたいと思ったから」が36%と最も高いが、次いで32%を占めるのは「資産を持ちたい、資産として有利だと思ったから」だ。  だが、有田さんはこうした傾向にも「リスクもよく考えて」と釘をさす。 「資産価値が上がる前提で、物件を買うことはお勧めしません。投資的な発想と、自分が住む家とは、分けて考えたほうがいい。住宅は投資ではなく、『そこで安心して幸せに暮らすために買うもの』で、購入にかかる費用はそのためのコストと割り切って考えるべきです」 低金利時代に不動産価格は上昇する傾向  前出の井出さんも、「安定を求めてマンションを買っても、この先、それがリスクになることも十分考えられる」と指摘する。これまで住宅ローン金利が低く維持されてきたが、今後は上がる可能性もある。 「ここ10年ほどの傾向だけを見れば、『マンションの資産価値は下がらない』と考えがちですが、そうとは限らない。過去を見ても、低金利時代に不動産価格が上昇し、金利を上げる際にこの動きが逆転する傾向にあります。遠くない将来、今の状況と全く逆の循環になってもおかしくない」(井出さん)  安易にペアローンに飛びつくのではなく、慎重に検討したほうがよさそうだ。  では今、平均的な所得の層は、どんな物件を買っているのか。年代別のローンの組み方のコツと併せて、次回の記事で解説する。

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