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「子どもや家族のために働くのも尊い仕事」 “家庭のマネジメント”としての専業主婦の価値
「子どもや家族のために働くのも尊い仕事」 “家庭のマネジメント”としての専業主婦の価値 いま専業主婦世帯は少数派だ。かつての「お金がないから働く」構図も崩れ、キャリアを積む女性が増える中、専業主婦である女性たちは何を思うのか(写真:山本倫子)    共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回って30年、結婚後も女性が働くのが当たり前のような風潮になっている。今や少数派となった専業主婦はこの風潮をどう感じているのか。AERA 2024年11月4日号より。 *  *  * 共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回ってはや30年。2024年の総務省「労働力調査」によると、いま両者の比率は7:3となっている。そんな時代となった今、社会の隅に追いやられがちなのが「専業主婦」という存在だ。働かずに生活できることへの羨望もあれば、稼ぎをもたない立場に同情されることもある。  だが一口に「専業主婦」と言っても状況は千差万別だ。他人にどう思われようと、専業主婦である自身に価値を感じ、敢えてその立場を貫く人もいる。 「わが家では『家族はチーム戦』と考えています。私は専業主婦であることに納得して生きてきました」  千葉県に住む女性(40)はこう話す。保険会社で働いていたが、社外のセミナーで知り合った男性と13年前に結婚し、退職した。長く続けてきたダンスを生業にしようと夢に向かって動き出した矢先に予定外の妊娠をし、専業主婦になる道を選んだ。 「最初は葛藤もありましたが、だんだんと考えが変わってきたんです。子どもや家族のために働くのも尊い仕事だと気付いて、そちらを優先したいと思うようになりました」  実際に専業主婦になってみると、女性は自らが家族のなかで生みだす価値を強く実感するようになったという。 「夫の仕事のパフォーマンスが上がるように食事を作ったり、毎日ワイシャツにアイロンをかけたりすることは、私にとって『家庭のマネジメントをしている』という感覚です」 夫の年収増に貢献  マネジメントは功を奏した。結婚時に700万円だった夫の年収は、転職や昇進を経て現在は1200万円にまでアップ。女性は「この500万円の年収増には、私も大きく貢献したと自負している」と話す。  収入が増えたばかりではない。女性は簿記の資格を取得し、各種のセミナーに参加して資産管理を学んだ結果、毎月の貯蓄率は25%に。夫も妻の働きに感謝しており、「洋服など自分が好きなことにも堂々とお金を使ってきた」という。 AERA 2024年11月4日号より    女性は子どもの頃、自営業を営む両親が経済的に苦労している様子を見て育った。祖母からは繰り返し「安定した収入の相手と結婚しなさい」と言われてきたことも、自身のパートナー選びに少なからず影響したと振り返る。共稼ぎするにせよ専業主婦になるにせよ、「結婚相手は『チームとして一致団結できる人』を選ぶ」と、昔から心に決めていたという。 「世間ではよく『専業主婦は狭い世界しか知らない』などと言われますが、私は趣味の仲間やママ友など様々なコミュニティーに属し、充実した時間を過ごしてきました。世界が狭いというのは誤解だと思います」 (ライター・大塚玲子) ※AERA 2024年11月4日号 より抜粋  
老後に「友達」って本当に必要? 改めて「人とのつながり」について考えたい時に読む本
老後に「友達」って本当に必要? 改めて「人とのつながり」について考えたい時に読む本 仕事や育児に一生懸命で、気づけば友達が少なくなった、いなくなった…そんなふうに思っている方は少なくありません。また、中高年期を豊かに生きるために、かけがえのない友達の存在が必須…といった内容の記事もよく目にします。 国は「人とのつながり」を推奨 2024年、日本は世界初の「50代以上の人口が50%を超える国」となりました。超高齢化社会に突入し、国民医療費のさらなる増加も予想できることから、「人生100年時代に向けて健康寿命を伸ばそう」ということがさかんにいわれています。つまり長生きしようだけではなく、健康でいられる時間を長くしよう、ということです。 そのために呼びかけられているのが「フレイル予防」。フレイルとは、心身の活力が低下し、要介護状態となるリスクが高くなった状態のことをいいます。 参照:東京都福祉局HP(  https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/kaigo_frailty_yobo/index.html ) フレイルを予防することで、その先にある要介護状態になるのをなるべく先送りしようというわけですね。 そのフレイル予防に必要といわれている大きな3つの要素が「栄養」、「体力」、「社会参加」です。今回のテーマでいうと、「社会参加」に関しては、社会活動を通して人とつながることで、情報や刺激を受けることができ、認知症予防にもなるということです。 そう聞くと確かに「人とつながる」ことは大切なように思えてきます。 「人とのつながり」=「友達」なのか? 本を参考に改めて考えてみよう 誰しも老いを迎えるにあたり、心豊かな時間を過ごせたらと思っているでしょう。寂しい老後を過ごしたくないから、友達をつくらなくちゃ!と思っている人もいるかもしれません。 でも一歩立ち止まって考えてみると、必ず友達をつくらないと、社会で人とつながることはできないのでしょうか? そもそも友達って知り合いとどう違うの?など、いろいろ疑問がわいてきます。 そこで今回は「友達」という存在や、「人とのつながり」について考えるときに参考になる本をご紹介していきます。 異才・押井守監督による「友達」論 やっぱり友だちはいらない。 商品価格¥1,401 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   進化心理学から考える友だちと友情 なぜ私たちは友だちをつくるのか: 進化心理学から考える人類にとって一番重要な関係 商品価格¥3,080 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   必要なのは「ひとりになる勇気」 友だちってなんだろう?: ひとりになる勇気、人とつながる力 商品価格¥1,430 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   コラムニスト小田嶋 隆氏による友達論 小田嶋隆の友達論 商品価格¥1,650 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「孤独感」を感じたときに読みたい 大人の友だちづくりはむずかしい 商品価格¥1,540 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「社会とのつながり」の実践方法を教えてくれる みんなの社会的処方: 人のつながりで元気になれる地域をつくる 商品価格¥2,200 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   社会的問題としての「孤立・孤独」を捉えた本 孤独と孤立: 自分らしさと人とのつながり (Nursing Today ブックレット) 商品価格¥990 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「孤独」を自由と捉えると楽しい! 孤独こそ最高の老後 (SB新書) 商品価格¥300 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「孤独」は癒さない、楽しむもの ちょうどいい孤独 商品価格¥1,386 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「みんな仲良く」のプレッシャーから開放される 友だち幻想 (ちくまプリマー新書) 商品価格¥814 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「ゆるい友達関係」を推奨 大人のゆる友活 ちょうどいいつながりが人生を豊かにする 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「健康課題」としてのつながりを考える 孤独の本質 つながりの力――見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす 商品価格¥2,640 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   「つながり」が私たちの健康に与える影響 「つながり」と健康格差 なぜ夫と別れても妻は変わらず健康なのか (ポプラ新書) 商品価格¥880 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   まとめ さまざまな視点から「友達」や「人づきあい」について論じられた本をご紹介しました。人によって、他の人とつきあいたい距離感や、心地よい関係性は違うはず。自分にとっての最適はなにか、改めて考えてみるのも良いですね。 (暮らしとモノ班・担当A) モノ系を得意とする編集・ライター。ユニクロですら店舗で商品を見ても通販で買うほど通販が好き。出版社での雑誌編集経験やファッション通販サイト運営会社でのコンテンツ・マーケティング経験を生かして、みなさまにおすすめのモノや買い方の情報をお届けしています。  
涙で懇願した丸川珠代氏を「助けなかった」有権者の怒り 赤い選挙カーが通ると「だませないからな!」
涙で懇願した丸川珠代氏を「助けなかった」有権者の怒り 赤い選挙カーが通ると「だませないからな!」 落選後に敗戦の弁を語る丸川珠代氏(撮影/上田耕司)   「どうかお助けください!」。総選挙期間中の街頭演説で、涙ながらにそう訴えた丸川珠代元五輪担当相(53)が落選した。822万円の“裏金”が発覚した丸川氏について、東京7区の有権者は「助けない」という選択をしたことになるが、そこにはかなり強い“怒り”があったようだ。地元の有権者や支援者らを取材した。 *  *  *  総選挙の投票が締め切られた27日の20時。NHKの開票速報が始まると、最初に当選確実の「即打ち」が流れたのは、東京7区の松尾明弘氏(立憲民主党)だった。投票が締め切られた直後、丸川氏の落選が決まったのだ。  前述のように、選挙期間中は「お助けください!」と懇願したり、応援に駆け付けた安倍晋三元首相の妻・昭恵さんと涙を浮かべながら抱き合ったりと、感情をあらわにすることも多かった丸川氏。その理由について、丸川氏を支援した自民党区議はこう話す。 「テレビ朝日のアナウンサーから政界に入ったのは安倍元総理のお声掛けがあったからです。政界入り後もかわいがってもらっていたし、安倍さんが亡くなったことに相当ショックを受けていた。だからこそ、昭恵夫人が応援に来てくれたのは感無量だったと思います。丸川さんは(演説の)第一声の時も涙ぐんでいたけれど、支援者が集まったところでは、何かグッとくるものがあるのだと思います」  だが、落選確実が決まってからはまったくのノーリアクション。丸川氏が事務所に現れたのは、落選報道から2時間以上が経過した午後10時過ぎになってからだった。その瞳がうるんでいたことからも、心を整理するのに2時間余りの時間が必要だったのかもしれない。  選挙カーもジャケットも「赤」がイメージカラーだった丸川氏は、この日は黒のジャケットに黒のパンツ姿。平静を装いつつ、こう切り出した。 「しっかりと、みなさまにご信任をいただくことができず、誠に申し訳ございませんでした」  そう言って深々と頭を下げる丸川氏。記者から「政治とカネ」の問題について質問されるとこう答えた。 「大きく影響したと思っています。私も言葉の限りを尽くして説明をさせていただいたつもりですが、それがご信頼を得るには至らなかったということだと思います」 丸川珠代氏(撮影/上田耕司)   「ウチにあいさつも来ない」  今後の政治活動については、 「(議員)バッジはついていませんが自民党の一員であることには変わりはありません。自民党がしっかりとやり直していける、地域の仲間と一緒に、もう一度ちゃんとしたスタートが切れるようにしっかりと力を合わせていきたいと思います。どうも、ありがとうございました」  と言って、もう一度頭を下げ、去って行った。  丸川氏の選挙事務所の付近にある食品ストアの店主はこう話す。 「ウチはここで90年商売をしているけど、丸川さんの事務所が近くに来るとは思わなかった。まあ、丸川さんは渋谷が拠点の人だから、本人はウチにあいさつにも来てないね。商売をしていると、ウチなんかでも、1円単位で税金でしっかり持っていかれるから、そういうことをちゃんとやらずに、裏金(をつくる)っていうのはダメだよね。私は保守的な考え方だしこれまでは自民党に入れていたけど、今回は丸川さんには入れませんでした」  近くにある居酒屋の店主はこう話す。 「この辺は富裕層や会社経営者が多いエリアですから、丸川さんの裏金問題にもシビアで、冷ややかな雰囲気ですよ。どこが問題かをよくわかっているんです。店の近くを丸川さんが乗った赤い選挙カーが通っても、お客さんは『お前、悪いぞ。だませないからな!』と言っていたくらいですからね」  丸川氏に対する有権者の怒りは想像以上だったようだ。だが、前出の区議は「本当は負けるはずのない選挙だった」と語り、選挙戦をこう振り返る。 「港区の区議は自民11人、立憲3人、公明4人です。今回、公明党さんからは推薦が得られませんでしたが、立憲につくことはないと思いますので、本来なら負ける可能性はなかったんです。今回は(自民党が非公認の候補者に支給した)2000万円にトドメを刺されたような感じ。われわれが厳しい立場にあるということを党本部にも気づいてもらいたかったですね」 落選後、支援者たちに頭を下げる丸川珠代氏(撮影/上田耕司)   演説日程を公表しなかったワケ  選挙期間中、丸川氏は街頭演説の日程をほとんど公表しなかった。そのため、有権者が演説を聞きに行く機会やメディアが取材をする機会も限定的だった。その理由を前出の区議はこう話す。 「これは、ある朝に丸川さんが品川駅で街頭演説に立ったときの出来事が原因なんです。活動家のような人がマスクをして『裏金議員が憲法改正するな』というプラカードを突きつけてきて、演説を邪魔されました。スタッフが止めようとすると、『触った、触った』と叫ぶ。だから、仕方なく警官を呼んだんです。マスコミもいいことは書いてくれず、萩生田(光一)先生と2人で集中砲火を浴びました。とにかく厳しい選挙戦でした」  この区議は、落選が決まってからも丸川氏と電話したが、丸川氏は「申し訳ない、力不足で」とだけ話したという。  丸川氏が再び赤いジャケットを羽織り、表舞台に出てくることはいつになるのだろうか。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
「友達いないおじさん」問題はこれで解決? タメ口OK、肩書NG…平均年齢76歳の「仲良しグループ」が実践していること
「友達いないおじさん」問題はこれで解決? タメ口OK、肩書NG…平均年齢76歳の「仲良しグループ」が実践していること 手品の練習をする佐藤基行さん(左)と渡辺淳三さん。共に80歳だ(撮影/國府田英之)    日本の男性はコミュニティー作りが苦手とされ、特に定年退職後の「友達がいない問題」はたびたびクローズアップされる。だが、中には80歳でも、思い切って外に出てみたら友達ができた、毎日が楽しくなったという人もいる。そんな「友達ができた」男性たちは何が違うのか。定年後に人との輪を作り、人生を楽しむ男性たちに話を聞き、ヒントを探ってきた。 *  *  *  高齢者の孤立・孤独の問題は、日本だけではなく海外でもクローズアップされている。生活がすさみ、健康を害する大きなリスク要因でもあるためだ。  とりわけ日本の男性はコミュニティー作りが苦手との指摘がかねてあり、「定年後の友達いないおじさん」問題がたびたび取り沙汰されている。  だが、高齢になってからできた「友達」同士で生きがいを見つけて活動している人たちもいる。  東京・足立区。下町のとある福祉施設で、入所者らの前で手品を披露する男性たち。足立区内の施設などを訪問し、手品を披露する活動をしている男性グループ「てじなーず」のメンバーだ。  全員が高齢といえる年齢だが、一生懸命に手品を披露する。成功すれば客から拍手があり、ミスをすれば愛のあるヤジが飛ぶ。時には「タネ(仕掛け)が分かっちゃうよ!」と鋭い突っ込みが入る。トリに登場した男性は、見事な技で客を楽しませ、喝采を受ける。  足立区社会福祉協議会では、高齢者の孤立対策の一環として、住民が運営者となり、趣味などを通じてつながり合う「ふれあいサロン」作りを進めている。その一つとして、今年から活動を始めたのが「てじなーず」だ。  メンバーで、「先生役」を務めるのが、手品歴二十数年の馬場幸男さん(76)。前述のイベントでトリを務めて拍手喝采を浴びていた男性だ。それと渡辺淳三さん(80)、中澤宏文さん(68)、佐藤基行さん(80)、内山洋さん(74)の「ど素人」4人を含めた5人組である。  平均年齢は75.6歳……とハイアベレージだ。   【こちらも注目!】 無料会員「アエラドットメンバーズ」始まりました! 記念キャンペーン実施中 https://dot.asahi.com/articles/-/237075 「てじなーず」のメンバー。右から、中澤宏文さん、渡辺淳三さん、佐藤基行さん(撮影/國府田英之)   年の差があっても「ほぼタメ口」  別のサロンで顔見知りだったメンバーもいれば、「てじなーず」で初めて会った同士もいる。  月一回、全体で集まる練習で馬場さんから手ほどきを受けるほか、メンバー同士で声をかけあって自主練習にも励み、福祉施設などでのイベントに備えるという。  未経験者への敷居を低くするため、手品の道具にはなるべくお金をかけない。100円ショップで材料を買ったり、自作した道具も使う。 「部屋が手品の道具だらけになっちゃったよ」と渡辺さんがげらげら笑えば、佐藤さんも「素人なのに無鉄砲と言うか、自分でもよくやってるなって思うよなあ」と笑い返す。  最年長と最年少は一回り違うが、その会話はほとんど「ため口」に近く、長年の友人のような雰囲気だ。筆者にもうれしそうに手品を披露してくるし、とにかく楽しそうだ。  だが、ここにいる全員が、もともと人付き合いに積極的だったわけではない。  佐藤さんは、どちらかと言えばそうではなかった一人だ。  会社を定年退職後、資格を生かし独立して仕事をしていた佐藤さんだが、2018年、74歳の時に前立腺がんが見つかった。 「医師から(余命は)3年から5年くらいと言われて、さすがにショックを受けました。仕事も辞めてね。いつも病気のことが頭から離れなくて、抗がん剤の副作用もつらくて、ウジウジした気持ちで過ごしていました」と振り返る。  妻と二人暮らし。たまに外に散歩に出る程度で、人付き合いはなかった。遺言書も作り、「その時」に備える日々を送った  ところが――。  体調に問題がないまま、5年の歳月が経過したのだ。気付けば80歳が近い。 「なんだよ、5年経っちゃったじゃないかって。病気のことなんて気にしなくてよかったじゃないか、仕事も辞めて損しちゃった。どうせ余った人生だ、あと何年あるかわからないのだから、何かに使おうと思ったんですよ」  と、その当時を振り返る。  そんな時、あるきっかけで、足立区社会福祉協議会の職員に勧められたのが「てじなーず」だった。 和気あいあいと手品の練習をするメンバーたち(撮影/國府田英之)   上から目線や人の話を聞かない人はダメ  手品をやった経験はない。というより、手品をするなんて想像したこともなかった。人前に立って、芸をした経験もない。だが、思い切って参加してみると、その面白さにハマってしまった。 「これは楽しいなあってね。現役時代も、仕事を理屈で考えるのが好きだったんだけど、手品のタネも、ちゃんと理屈が通っていて、なるほどって思わされるんですよ」  加入からわずか3カ月で踏んだ初舞台では、人生で味わったことのない緊張感に襲われた。お客さんに目線を送りながら喜ばせたいのだが、手元ばっかり見てしまったという。 「終わって緊張が解けて、ホッとして。でも、お客さんが失敗も楽しそうに笑ってくれるのって、すごくいいなって感じたんですよ。やっぱり、いろいろな人生経験を積んだ人たちの、あったかい反応がね」(佐藤さん)  人生の大先輩たちに、ひとつ、疑問をぶつけてみた。  どうして、仲良くなれたのですか?  率直に聞いてみると、渡辺さんはこう話した。 「80歳になっても、まだ昔の仕事の肩書を言いたがる人がいるけど、僕らはそういうことは一切しないんですよ。手品が楽しい、もっとうまくなりたい。それだけですから」  巷間言われる「昔は〇〇社の部長で~」なんて自慢げな話はやはり、定年後の人間関係づくりにはご法度のようだ。他のメンバーも渡辺さんと同意見で、「みんなが自分の意思で来る場所ですから、『俺が顔だ』というような上から目線や、人の話を聞かなかったり場を仕切ろうとしたりする人はダメですよね」と中澤さんも話す。  佐藤さんによれば、メンバーの関係性は「若い時の友人とは違って、気遣いをし合いながらの友達関係」なんだそう。  例えば先生役の馬場さんは、「できる人に合わせない」ことを意識している。  それぞれができることから始めて、飽きないように少しずつ難度を上げ、さらに、見栄えがよく、楽しめる手品を選ぶ工夫をしているのだという。その気遣いを、他のメンバーたちも「ちゃんと考えてくれている」と感じ取るのだ。 楽しそうに手品の練習に励む佐藤基行さん(撮影/國府田英之)   世の中に恩返しをしたいという思い  その馬場さんは、「共通の目的を持って活動できるか。それが大事なんじゃないかと思います」と話す。  手品をとことん楽しむことと、もう一つ大切なのは「やりがい」だ。  手品の習得だけが目的なら、多分飽きてしまっただろうと全員が口をそろえる。 「サラリーマン生活を終えてから、世の中に恩返しをしたいという思いがどこかでありました。イベントで手品を披露して高齢者の方たちに喜んでもらえると、逆に僕たちもうれしくなるんですよ。だから、もっと楽しんで元気になってもらおうって、やる気が出るんです」(中澤さん)  共通の思いと目的があれば、そこには昔の肩書も上下関係も、エゴも無用。自然に仲良くなるだけなのかもしれない。  12月のイベントに向け、練習を重ねる「てじなーず」。目下、新メンバーを募集中だ。  佐藤さんは、「今」をこう話して笑う。 「本当にいい仲間と出会えましたし、人生を楽しんでいますよ。人それぞれ個性があるから、高齢者が絶対に友達作りをしなきゃいけないとは思いません。でも、楽しいことがあるかもしれないから、思い切って外に出てみてもいいんじゃないかな」  そんな軽い気持ちを持つことが、定年後の「友達いない問題」を解決する一歩なのかもしれない。 (國府田英之)
天皇陛下は「公務で疲れたら、漫画でリラックス」 「妃殿下方はお化け好き」と園遊会で明かされた、漫画好きな皇族方の姿
天皇陛下は「公務で疲れたら、漫画でリラックス」 「妃殿下方はお化け好き」と園遊会で明かされた、漫画好きな皇族方の姿 2017年春の園遊会は、雅子さまが久しぶりに着物をお召しになり、華やかな雰囲気に包まれた=2017年4月、赤坂御苑、JMPA    いまや世界中で評価されている日本の漫画やアニメ。園遊会でもこれまでに数々の著名な漫画家が招待されてきた。天皇陛下も「みんな(漫画を)読んでいますよ」と明かすなど、皇室でも漫画やアニメといったポップカルチャーの人気は高い。 *   *   * 「皇室の方も漫画を読まれるのですか」  2013年10月にあった秋の園遊会。招待された漫画家のちばてつやさんが、当時皇太子だった天皇陛下にたずねると、陛下はこう答えたという。 「結構みんな、読んでいますよ」 「公務で疲れたときに読むと、リラックスできる」  陛下は、ちばさんの代表作である「あしたのジョー」も読んだことがあり、 「日本の漫画やアニメーションが世界中で認められて、すごくいい文化に育ててくださいましたね」  と伝えたという。 園遊会に出席した漫画家のちばてつやさん。ちばさんが「皇室の方も漫画を読まれるのですか」と質問すると、陛下(当時、皇太子さま)は「結構、みんな読んでいますよ」と応じた=2013年10月、赤坂御苑、JMPA  陛下から、ちばさんに、 「医学だとか歴史だとかを漫画が表現してくれるので、勉強になります」  と伝えた言葉には、実感がこもっている。  水の研究者でもある陛下は、古代ローマの風呂設計技師が日本にタイムスリップする漫画「テルマエ・ロマエ」も読んでいた。陛下の研究について相談役を務めていた元建設省河川局長の尾田栄章さん(83)は、こう話す。 「水が貴重な時代に、水を潤沢に使うローマ時代の設備に関心を抱かれたようです。皇太子時代に学習院女子大学で学生に講義をした際にも、『テルマエ・ロマエ』の漫画や、女性アーティストの『トイレの神様』の歌詞にからめて話をされたとうかがっております」     【「週刊朝日」なども読める登録キャンペーン中!】 無料会員「アエラドットメンバーズ」始まりました! 記念キャンペーン実施中 https://dot.asahi.com/articles/-/237075   園遊会に出席した漫画家・妖怪研究者として知られた水木しげるさん。「天皇家はお化け好き」とインタビューに答えた=2011年10月、赤坂御苑、JMPA   「ドカベン」の色紙に喜んだ皇族は?  漫画に親しんできたのは、秋篠宮家でも同様のようだ。  2015年11月の秋の園遊会では、「ドカベン」「あぶさん」といった野球漫画で知られた水島新司さん(22年に死去)と秋篠宮さまのあいだで、話が盛り上がったようだ。  実は秋篠宮さまが高校生のときに、水島さんからドカベンのキャラクター「殿馬」が描かれた色紙をもらったことがあったという。水島さんは、園遊会に出席していた長女の小室眞子さんからも、「父が色紙をいただいて非常に喜んでいる」と伝えられたという。  次女の佳子さまは16年、鳥取県にある人気漫画「名探偵コナン」の作者を紹介する「青山剛昌ふるさと館」を訪問。「コナン」を読んだことがあるかたずねられた佳子さまは、 「はい、あります」  とにっこり。同じ青山さんの作品「まじっく快斗」も読んでいると明かした。   「天皇家はお化け好き」と水木しげるさん 「天皇家はお化け好きですよ。根っからのお化け好き。近づいたときに感じます」  そう答えたのは、漫画家・妖怪研究者として知られた水木しげるさん(15年に死去)。  水木さんは11年秋の園遊会に、妻の武良布枝さんとともに園遊会に出席。上皇さまや陛下とも、妖怪について話が盛り上がった。  水木さんは、都市では深夜でも明るく、人びとの生活から暗闇が消えたことについて、「電気が妖怪を消した」と講演などで話していた。陛下は、この水木さんの言葉をご存じだったという。  妻の布枝さんも、 「妃殿下方はみなさん、(お化けに)関心がおありのようでした」  と取材に応えている。   日本美術の研究者である三笠宮家の彬子さまは、「キングダム」の筋金入りのファンとして知られている=2024年4月23日、赤坂御苑、JMPA    皇室で最も漫画やアニメといったカルチャーに詳しいのは、日本美術の研究者でもある三笠宮家の彬子さまだと言われている。  彬子さまは、講演会などでアニメなどのサブカルチャーについて言及することも珍しくなく、人気漫画「鬼滅の刃」について触れたエッセイも書かれている。そして、中国の春秋戦国時代を舞台にした漫画「キングダム」の筋金入りのファンであることが特に知られている。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 〈2024年上半期ランキング 皇室編1位〉愛子さまは素早くふり返り、佳子さまが「コクン」 見る人を笑顔にした愛子さまの「園遊会デビュー」 https://dot.asahi.com/articles/-/227356  
「わからないことは徹底的に取材」 異世界と人間の不思議を描く短編集『四つの白昼夢』
「わからないことは徹底的に取材」 異世界と人間の不思議を描く短編集『四つの白昼夢』 しのだ・せつこ/1955年生まれ。90年に『絹の変容』で小説家デビューし、97年に『女たちのジハード』で直木賞を受賞。『斎藤家の核弾頭』『百年の恋』『ブラックボックス』など多彩な作風で知られる。2020年に紫綬褒章を受章。近著に『ロブスター』など(写真/写真映像部・上田泰世)    AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。  『四つの白昼夢』は現実と非現実を行き来しながら、四つの短編を通し人間という生き物の不思議を描く。日常と異世界の橋渡しをするのは、物語の細部に宿るリアリティーだ。物語の大きな枠組みが頭のなかに自然発生的に立ち上がったら、わからないことは徹底的に取材をする。著者の篠田節子さんに同書にかける思いを聞いた。 *  *  *  コロナ禍が広まり始めた2020年、篠田節子さん(68)は病院のベッドにいた。命にかかわる、腸の大手術。全身は管で繋がれている。そんななか、爬虫類に関する本を差し入れとしてもらった。なかでも目に留まったのは「亀」についての記述だ。身動きが取れないなか、屋根裏を巨大な亀が這うイメージが膨らんだ。篠田さんは言う。 「江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』とも瞬間的に結びつき、“亀”に関わる人物たちの事情が次から次へと浮かび上がってきました。スマホに物語の断片を書き留めていると、気づけば自然に枠組みができあがっていました」  篠田さんの小説集『四つの白昼夢』は、日常のちょっとした隙間から広がる異世界を描いた四つの短編からなる。前述の「屋根裏の散歩者」、ヴァイオリンを抱えたまま電車内に遺骨を忘れた高齢の男性を描く「妻をめとらば才たけて」、コロナ禍で店が経営難に陥った男性が謎多き植物アガベにハマっていく「多肉」……。日常と隣り合わせにあるシュールな世界、その先にある切なさ、優しさ。コロナ禍において、私たちは周囲を思いやりながら懸命に生きた。後から思えば不可解な行動を取っていたこともあるかもしれない。そんな、一つの時代の“記録の物語”でもある。 「年を重ねると時代小説を書くようになる方もいらっしゃるなかで、思えば私はずっと現代小説を書いてきました」 『四つの白昼夢』(1870円〈税込み〉/朝日新聞出版) 現実と非現実を行き来しながら、四つの短編を通し人間という生き物の不思議を描く。日常と異世界の橋渡しをするのは、物語の細部に宿るリアリティーだ。物語の大きな枠組みが頭のなかに自然発生的に立ち上がったら、わからないことは徹底的に取材をする。「文章はディテール勝負。小説は細かな描写で語らなければいけない、と思っています」(篠田さん)    そう篠田さんは言う。 「後から振り返ってこの時代を描くのと、その最中(さなか)にいる人間が書くのではきっと鮮明さが異なる。同時代性を重視しながら、一つの時代を書き残せるのはありがたいことだなと思いますし、10、20年後振り返ったときに『面白い小説だな』と思って頂けたらいいな、と」  幻想的な世界を描きながらも、一つ一つの物語の入り口はどこか地に足が着いている。たとえば、最終話の「遺影」。数時間前に母を亡くした男性が、大急ぎで遺影となり得る写真を探すことから物語は始まる。同様の経験がある人は、きっと少なくない。 「飛躍した部分が飛躍に見えないように、絵空事に見えないように」。無理があるように思える展開も、日常の断片と緩やかに繋ぎ合わせていく。 「その“繋ぎ目”をどう描くかが小説家としての腕の見せどころだなと思いますし、書いていて面白いな、と感じるところでもあります」  音楽家特有の習慣、介護の日々。物語のディテールとして描かれるのは、篠田さん自身が経験してきたことだ。 「趣味を通して付き合いたい人と付き合い、母の介護を通してご近所付き合いにもどっぷりと浸かってきました。つねに当事者として、そのなかにいた。いい体験をさせてもらったな、と思います」  人間という生き物は、やっぱり面白くて愛おしい。そんな読後感は、篠田さんの圧倒的な経験の蓄積から生まれている。 (ライター・古谷ゆう子) ※AERA 2024年10月28日号  
世耕氏リードで陣営は「総理大臣を目指していいですか!」 和歌山「二階王国」の危機に俊博氏の秘策はあるか?
世耕氏リードで陣営は「総理大臣を目指していいですか!」 和歌山「二階王国」の危機に俊博氏の秘策はあるか? 二階伸康氏(左)の応援にかけつけた石破首相    衆院選で全国でも注目される和歌山2区。自民党は、引退した二階俊博元幹事長の後継として二階氏の三男・伸康氏を公認。一方、裏金事件で党から処分を受けて離党した世耕弘成・前参院幹事長が無所属で出馬し、白熱の戦いだ。渦中の選挙区に10月20日朝、伸康氏の応援のため石破茂首相が姿を見せた。  和歌山県内では昨年4月、衆院補選の応援に来た岸田文雄首相(当時)に爆弾が投げつけられて爆発するテロがあった。さらにこの石破首相の和歌山来訪の前日(19日)には、自民党本部に火炎瓶が投げつけられ、首相官邸手前のフェンスに軽乗用車が突っ込む事件があったばかり。海南市のJR南海駅前であった石破首相の演説会では厳重な警備態勢が敷かれることになり、石破首相と聴衆の間には20m以上の「空白地帯」が設けられ、メディアが取材できる場所は、さらに30mほど下がった位置だった。  厳重な警備のもとでマイクを握った石破首相は、 「こんな離れたところからしゃべるのは好きじゃない」  と言いながら、 「あらゆることに公平、公正、謙虚な政治。自民党を取り戻す」  と裏金からの脱却を主張したが、10秒ほど触れただけで、聴衆の反応は鈍かった。 首相来訪でも聴衆は300人ほど  この日、自民党和歌山県連は石破首相が応援に来るとあって、「1000人動員」を目指して人を集めたという。しかし、日曜の朝という時間帯もあってか、実際に集まったのはその3割ほどだった。  人が集まらないのは、和歌山2区の情勢にも起因しているようだ。  この地域は当選13回を誇る二階元幹事長が長く地盤としていた。一方の世耕氏は参院和歌山選挙区で当選5回、経済産業相や参院幹事長などを務めてきた大物。これまでも衆院へのくら替えを模索してきた世耕氏だが、二階氏が裏金事件の責任を取る形で引退し、伸康氏を後継に立てたタイミングを好機とみて、勝負に出た。  自民党は伸康氏を早々に公認し、手厚くサポートしている。一方の世耕氏は安倍派5人衆の1人として裏金事件で処分を受けて離党し、無所属での出馬だ。このため当初は、伸康氏には世襲批判はあるものの、世耕氏と接戦になるのではという見方が多かった。  だが、自民党やメディアの情勢調査が出てくると、世耕氏が大幅にリードしている状況だった。「二階王国」と呼ばれた和歌山2区では、“政権交代”か、とささやかれている。 二階俊博元幹事長 「情勢調査の数字は驚きや」  石破首相の応援演説の「前座」として、鶴保庸介元沖縄北方担当相が二階伸康氏の選対委員長として挨拶に立とうとしたとき、 「世耕選対……」  と地元の市議が言い間違えるハプニング。鶴保氏は、 「それほど(世耕氏は)縁が深い方。ずっと仲良くやってきて、二階氏が自民党公認で出馬が決まっているのに、その後に出てくる。まったく大義がない」  とフォローしつつ、 「(世耕氏には)私が直接、候補者が決まっていない和歌山1区から出ればと言いました。しかし、断ってきた」 と恨み節を披露。  続いて候補者の伸康氏も、 「選挙で走っているとあちこちで、私と相手方のポスターが並んで貼ってある。残念な気持ちでいっぱいだ」  と世耕氏を意識した発言を続けた。  自民党としては、公認候補に反旗を翻した世耕氏に敗れるわけにいかない。和歌山2区には石破首相に続き、森山裕幹事長も入って2カ所で応援。小渕優子組織運動本部長や野田聖子元総務相らも入った。  二階氏の有力後援者がこう打ち明ける。 「情勢調査の数字は驚きや。選挙直前に出馬表明した世耕氏がここまで勝っているとは思わなかった。世耕氏は離党して無所属なので、お金も自前、政見放送もプロフィール紹介程度しかない。こちらは用意周到に戦える準備をしていたんだが」 事務所の「ため書き」は二階氏が圧倒  確かに、二階氏の御坊市の選挙事務所に入ると、圧倒的な組織力を感じる。壁から天井にまで必勝祈願の「ため書き」がうなるように張られていて、真ん中には大きく、 「祈 必勝 元自由民主党幹事長 二階俊博」  という父・俊博氏のため書きがあった。それをはさむように、石破首相や和歌山県の岸本周平知事のため書きが並び、林芳正官房長官や三原じゅん子少子化担当相のものはスペースがなかったのか、天井のほうに貼られていた。各種団体の推薦状なども大量に並べられている。組織力では世耕氏を圧倒しているのが見て取れる。 世耕弘成氏と妻の林久美子氏 ミカン箱で作った台上で演説  一方の世耕氏の陣営には派手なものはない。世耕氏の出陣式は、海南市の小さな会社の敷地で行われた。選挙事務所に「ため書き」は10枚ほど張られているだけで、国会議員は安倍派だった高木啓前衆院議員のものしか見当たらなかった。  世耕氏の集会には約300人の支援者が集まり、3つのミカン箱を連結した台に乗った世耕氏は裏金の問題に触れ、 「大失敗した。申し訳ない」  と頭を下げた。続けて、 「(裏金に)関係した議員の中では最も重い離党という判断を、黙って、言い訳もせず受けた。無所属の議員となって、裸一貫で活動している」 「大きな企業、団体からドーンというような票はありません。積み重ねるだけ」  と訴えた。  支援者から、 「世耕先生が総理大臣を目指していいですか!」  と声が出ると大きな拍手がわき、世耕氏は破顔一笑。  その傍らには、元民主党参院議員で妻の林久美子氏が「Wife(妻)」という白たすきをかけてずっと寄り添った。世耕氏が有権者と握手でスキンシップを始めると、久美子氏が周囲を見回して、 「弘成さん、あちらにも」  と息の合った「内助の功」を見せていた。 昭恵夫人が「主人の魂が残っている」  21日には安倍晋三元首相の昭恵夫人が世耕氏の応援に駆け付け、 「世耕ちゃんのところへ行ってあげてと主人が言っていると思う」  と安倍派の幹部だった世耕氏を応援。  世耕氏は安倍元首相と靴のサイズがまったく同じといい、選挙戦では「形見」としてもらった靴を履いているという。昭恵夫人は、 「主人の魂がこの靴の中にも残っている」  と言って支援を訴えた。  連立与党の公明党は自主投票を決め、二階氏に推薦を出していない。だが、世耕氏は情勢調査の結果も見て余裕が出たのか、10月20日の演説ではこんなことを口にした。 「正直に皆さんに言います。比例は公明党に入れてあげてください。公明党さんとは連携しており、戦略的なこともあります」  あたかも、公明党と「密約」があるかのような口ぶりだ。 並べて貼られてある世耕氏と二階氏のポスター 姿を見せない俊博氏は動くのか  世耕氏を支援している地元市議は、 「二階俊博氏は公明党が推薦してくれないことをカンカンに怒っているそうだ。情勢も厳しく、企業や団体などにきつく締め付けをしているが逆効果になっているとも聞かれる。伸康氏が俊博氏の秘書を10年以上もやって、裏金のことは何も知らんとばかりに選挙をしていることにも反発が強い。世耕氏は裏金のことを最初に謝罪して演説に入っている姿勢が『ええわ』という有権者が多い」  と裏事情を打ち明ける。  一方、和歌山県町村会の会長で伸康氏を最初から推してきた九度山町の岡本章町長は、 「これまで、お父さんの俊博氏は始まる前から当選確実という選挙ばかりだった。保守が割れ、接戦になるような選挙は最近なかった。俊博氏はよう知っているが、伸康くんって誰?という感じの有権者もかなりいる。知名度で負けているのが情勢調査に出ているのかな。世耕氏は、もう衆院選では勝ったような雰囲気だが、裏金事件が今も問題になっているのに、おかしいでしょう。自分のことばかりだ」  と憤慨する。  石破首相が伸康氏の応援でマイクを握っていた時、父の俊博氏は会場に姿を見せなかった。「体調不安」説も流れる俊博氏だが、和歌山県議の一人はこう話す。 「このままいけば、世耕氏は勝てるでしょう。伸康氏は比例復活も危うい情勢です。ただ、俊博氏がなんらか動き出した時、何かが起きる気がします」  「二階王国」の危機に、俊博氏の秘策はあるのだろうか。  和歌山2区ではほかに、いずれも新顔で立憲民主党の新古祐子氏、共産党の楠本文郎氏、諸派の高橋秀彰氏が立候補している。 (AERA dot.編集部・今西憲之)
斎藤元彦氏の対抗に「不倫辞職議員」宮崎謙介氏の出馬はあるのか 大混戦模様の兵庫県知事選
斎藤元彦氏の対抗に「不倫辞職議員」宮崎謙介氏の出馬はあるのか 大混戦模様の兵庫県知事選 不倫を認めて謝罪し、国会議員を辞職した宮崎謙介氏    斎藤元彦前知事が県議会から不信任を突き付けられ、失職したことに伴う兵庫県知事選は大混戦模様。事前の立候補予定者説明会には、意外な人の名前があった。  10月18日に開かれた兵庫知事選(10月31日告示、11月17日投開票)の説明会には、既に出馬表明した予定候補者7人に加えて、立候補を検討する6人の陣営関係者、計13陣営が出席した。今後も立候補者は増える可能性があり、かつてない大混戦模様だ。  出直しで再挑戦する斎藤氏の陣営からは、説明会に「斎藤」と名乗る人物がやってきた。取り囲んだ記者には「斎藤氏の親族」と話したという。  ほかに出馬表明しているのは、共産党が推薦する医師の大沢芳清氏、尼崎市前市長の稲村和美氏、維新を離党した参院議員の清水貴之氏、加西市元市長の中川暢三氏、元経済産業省官僚の中村稔氏、レコード会社社長の福本繁幸氏の6人だ。  このほか説明会に出席した陣営には意外な名前があった。元衆院議員の宮崎謙介氏だ。  京都3区が地盤で衆院議員を2期務め、妻は元衆院議員でコメンテーターの金子恵美氏。宮崎氏は2016年に週刊文春で「不倫疑惑」が報じられ、事実を認めたうえで議員辞職し、現在はテレビのコメンテーターなどとして活躍している。 「説明会に出席した宮崎氏の代理人という人は、マスコミに囲まれて宮崎謙介氏の代わりにきたと認め、『説明会を聞くためにきた』と言っていた。代理人は宮崎氏の職業欄に、『テレビコメンテーター』と書いていたので、気づいたマスコミが慌てた様子でした」(兵庫県関係者)  宮崎氏は9月に、自身のXに、 〈兵庫県知事の問題では公益通報制度が守られていたかどうかが大きなポイント。覚悟をもって告発した小さな勇気を、大きな権力で捻り潰したのだとしたら私は許せない〉 〈泉さん(房穂・元明石市長)と斎藤さん(兵庫県知事)の差は、圧倒的な民意の支持があるかないか。泉さんは時にパワフル過ぎたけどそれを上回る強烈な可愛げさえ感じる。斎藤知事は首長を辞めた後に道はなかなか開かれにくいだろう。潔さもなければ、他社(注:ママ)への想像力の欠如が絶望的〉  などと斎藤氏の対応に疑問を呈するポストをしていた。 宮崎謙介氏と妻の金子恵美氏 宮崎氏の名前に維新は警戒感  2021年の前回知事選で斎藤氏を推薦した維新は、斎藤氏の疑惑を受けて、批判を受ける立場になった。衆院選の候補者からも「今回の選挙が厳しい情勢なのは、斎藤氏の問題が影響している」と怒りの声が上がっている。  今回の知事選で維新は、元アナウンサーで維新の参院議員、清水氏を擁立すべく動いていた。清水氏は離党して無所属での出馬を表明したが、それでも維新は清水氏の支援にまわるとみられている。  維新の県議は、こう警戒感をあらわにする。 「突然の知事選で短期決戦。清水氏は民放局のアナウンサーで顔が売れていることが大きな理由で出馬が決まった。しかし、今もバリバリ、奥さんとともにテレビに出ている宮崎氏が出るならえらいこと。奥さんの金子氏が応援にくれば、うちは吹っ飛んでしまう」 手慣れた様子でサインに応じる斎藤氏  一方、出直し選挙となる斎藤氏は、衆院選の公示直前まで、兵庫県内の駅前に毎朝7時半から1時間ほど立って、 「おはようございます」「いってらっしゃい」  と挨拶を繰り返していた。  サインを求める人がいると、「お名前は?」と尋ねながら、 〈元兵庫県知事 斎藤元彦〉  と手慣れた様子でペンを走らせていた。  中には、「これで3回目です」と、“追っかけ”のような女性もいて、斎藤知事に手紙を手渡す場面もあった。  斎藤氏はほとんど更新していなかったSNSを選挙戦に向けて“復活”させ、7月の都知事選で2位に躍進した広島県安芸高田市の前市長、石丸伸二氏がかつて登場していたYouTube番組に出演するなど、ネットを活用した運動を進め、「石丸方式」とも呼ばれる選挙スタイルを展開している。  それも影響してか、ネットでは、 〈さいとう前知事がんばれ〉 〈さいとう元彦頑張れ〉  などというキーワードがトレンド入りし、ネットで注目を浴びている。  また、石丸氏の「軍師」だった選挙プランナーの藤川晋之介氏は、 「斎藤氏が失職してまもなく、知人の大学教授の紹介で斎藤氏から電話があった。知事選を助けてほしいという内容だった」  とも明かした。  斎藤氏の選挙を手助けするかどうかについて、藤川氏は、 「私は維新の国会議員秘書もやっていたため、参院議員の清水氏はよく知っている仲だ。まだ斎藤氏の要請に返事をしていない。ただ、私も大阪人で同じ関西なので、石丸氏のときのようにお手伝いをとの思いはある」  と含みを持たせている。 有権者と笑顔で握手をする斎藤氏    街頭に立っていた斎藤氏に「石丸方式」について聞いたところ、 「SNSで発信しますが、(石丸さんのような)戦略的というか、そんな感じではない。流れでやっていくだけ」  といい、ネット選挙の専門家をつけたのかとさらに聞くと、 「いや、ありませんよ」  と話した。 知事選とともに進む疑惑追及の百条委員会  この斎藤氏には、知事選の告示前に“関門”がある。  兵庫県議会の文書問題調査特別委員会(百条委員会)は、斎藤氏らが内部告発された問題の調査を続けている。10月24、25日に開催される委員会では、阪神とオリックスの優勝パレードの寄付金集めの疑惑について追及が予定されている。ただし、知事選に影響を与えないよう考慮して、斎藤氏本人の証人としての出席要請は見送られた。  内部告発では、優勝パレードに必要な金額を寄付で集めようとしたが集まらなかったため、信用金庫への県補助金を増額し、寄付としてキックバックさせたと指摘されていた。AERA dot.編集部の取材では、片山安孝前副知事が、パレード直前に兵庫県内の金融機関に出向いて寄付を要請し、その一方で兵庫県から金融機関へ補助金を約束するという「寄付と補助金はセットだった」という金融機関幹部の証言を得ている。(記事参照) 「内部告発された疑惑の中でも、優勝パレードに伴う寄付金は検察や警察が動く可能性があり、最大の焦点。知事選が終われば、斎藤氏が当選か落選かは別にして、本人を百条委員会に呼んで徹底追及することになる」(自民党の兵庫県議)  AERA dot.編集部が新たに入手した兵庫県の資料に、片山氏の公用車の運行記録がある。  それによると、パレード前日の23年11月21日には、片山氏が公用車を使用し、 〈加古川市加古川町溝之口 往復〉  という記載があり、兵庫県庁から加古川市の但陽信用金庫本店とみられる場所に行っていたことがわかる。  但陽信用金庫もその日に片山氏が、 「直接、本店に来られ優勝パレードの寄付を依頼された」  という趣旨をAERA dot.編集部の取材に認めている。  また、内部告発を知った斎藤氏に告発者探しを依頼された片山氏が、元西播磨県民局長に対して、 「何言うとんねん、お前、(内部告発を)作った覚えないと言い張るんか」 「最後まで知らんて言い張る? 嫌疑かけとんや」  などと恫喝のような事情聴取をしていたことが百条委員会で問題になった。  片山氏が問題の恫喝の日、3月25日の朝8時50分に公用車を使い、 〈上郡町光都 往復〉  という西播磨県民局の所在地に言った記録も資料にはある。  斎藤氏や片山氏らの動きを証明する材料は、百条委員会にも集まってきている。 「知事選が終われば(百条委員会で)手を緩めず徹底的にやるしかない。万が一、斎藤氏が知事に再度、当選しても同じや」(自民党県議)  斎藤氏には、知事選とともに、百条委員会の審判が待ち受けている。 (AERA dot.編集部・今西憲之)
開成中の課題本に鴻上尚史の本、採用なぜ? 「論破より対話の発想」校長と教諭が語る
開成中の課題本に鴻上尚史の本、採用なぜ? 「論破より対話の発想」校長と教諭が語る 著者の鴻上尚史さん(中央)と開成学園の野水勉校長(左)、国語科の塚本綾子さん(右)で鼎談をしてもらった。「この本を読んだ子たちが今後どう変わるか楽しみ」(鴻上さん)(撮影/写真映像部・和仁貢介)    友人関係や進路など10代には悩みがつきもの。あの開成の生徒も例外ではない。そんな生徒たちに、1冊の本が夏休みの課題として手渡された。鴻上尚史氏が10代に向けて書いた新刊だ。この本が開成中で課題図書に選ばれた理由や開成中生の反応などについて、鴻上氏と開成中の校長、教諭が語り合った。AERA 2024年10月21日号から抜粋。 *  *  * 鴻上尚史:今回、この本(『君はどう生きるか』)を開成中で夏休みの課題に採用していただいたのはどんな理由からですか。 塚本綾子:現在私は中3の現代文を担当しています。そこでテーマとしているのは、今を知り、10年後を考える、なんですが、2学期の授業内容を考えjjhjbhjgていたときに鴻上さんの新刊を読ませていただき、これはうちの中3に読ませるべきだな、と。 鴻上:それはなぜ? 塚本:開成はどの行事も生徒が主体的になって取り組むんですが、特に5月の運動会は一大行事です。高校生になると生徒同士で話し合い、考えて動く、ということが求められるので、特に最初の章で書かれているコミュニケーションについてはすごく参考になるだろう、と。「論破ではなく、対話がかっこいい」とか「51対49で説得すること」などですね。 鴻上:生徒さんたちのアンケートをいただきましたが、刺さった章は「コミュニケーションについて」がいちばん多かった。 「救われた」生徒も 野水勉:開成の運動会ってすごく特徴的なんです。高校と中学を縦割りにして8色のチームに分けて戦います。高校は1学年8クラスありますからクラスごとになりますが、中学は7クラスしかないので7クラスを八つの組に分ける。そして各組で下級生をどう指導するか、どうしたら勝てるのか、前年度から喧々諤々の議論をするんですが、自分の意見を押し付けてしまって反発される、といった光景もよく見られます。ですからコミュニケーションの技術は必須です。 鴻上:中学の7クラスを八つに分けるのはどうやるんですか? 野水:各クラスで出席番号順に1クラスを八つに分けます。 鴻上:なるほど! それなら公平ですね。さすが長年の知恵ですね。 開成中学校・高校校長:野水 勉さん(70)(のみず・つとむ)/開成高校卒、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。1990~91年米国ハーバード大学医学部に研究留学。名古屋大学教授を経て、2020年から現職(撮影/写真映像部・和仁貢介)   野水:とにかくうちの生徒はそれなりに個性が強いので、相手を論破してリーダーとして動こうとする子も多くて、なかなか議論を導くファシリテーターになろう、という発想はない。なので、鴻上さんの本は非常に新しいセンスを教えてくれるなと感じました。 鴻上:それは嬉しいですね。将来日本の中枢に入る人が多いだろうから、そのときに引っ張ろうと思うんじゃなくて、ファシリテートをするっていう発想を持ってくれたらいいですよね。 塚本:部活や自分の進路にモヤモヤ悩んでいる子もいて、救われた、自分の人生に役立った、と書いている子も多かったです。 鴻上:でもこういうのって、先生に提出するものだから、先生の気持ちもおもんぱかって「役に立った」って書きがちになりません? 塚本:1学期の授業を通して、素直な感想を書く下地ができていたと思うので、生徒たちは本音を書いていると思います。今回も字数などは設定しませんでした。そもそも私自身が読書感想文が嫌いなので(笑)。 鴻上:なるほど。僕なんか良くも悪くも聡い子だったんで、とにかく先生を喜ばそうとする作文を書いていたなあ。 ルッキズム・スマホ 鴻上:開成の子たちはそこまで反応していなかったようですが、「ルッキズム」の章は特に女子に伝えたかったことです。外見で人を判断し、容姿によって人を差別する「ルッキズム」が日本はとても強く、生きにくさにつながっています。それを逆手にとって大人が「コンプレックス・ビジネス」を展開しているのが汚い。だから、それに対して、基本は身構えるっていうか、気をつけてっていうことは伝えたかったことです。 塚本:スマホのマイナス面として、鴻上さんも本でおっしゃっていたように、広告が追いかけ続ける、という点がありますが、生徒の中にはそれは企業の戦略だから仕方ない、という意見もありました。 鴻上:今の子たちって体制に対して許容度が大きいというか、文句は言わないですね。そもそも最近の若者は「そんなことしていいんですか?」ってよく聞くんですよ。例えば、演劇でもスタッフが演技の小道具で釣りざおを買ってきて役者に渡し、それで演技していたんだけど釣りざおが長い。じゃあ、ちょっと切ろうか、って僕が言ったら「そんなことしていいんですか?」とか、地方の劇場だと舞台裏が広いので小道具を広く置こう、って言ったら「そんなことしていいんですか?」と。要は決められた枠組みの中ではきっちりやることはすごく考えるんだけど、枠組みそのものを疑うっていう訓練を受けてないんです。だからさっきのスマホも、広告が追いかけてくる中でどうするかっていうことはすごく考えるけれど、広告が追いかけてくる枠組み自体に対する問いかけはあまりないっていうのはすごく感じます。 開成中学校・高校国語科教諭:塚本綾子さん(47)(つかもと・あやこ)/大妻高校、千葉大学教育学部卒。2000年から開成中・高校で非常勤講師を務め、11年から専任教員に。22~23年、中学教務委員長(撮影/写真映像部・和仁貢介)   野水:先生たちの中にも、子どもに枠組み自体に疑問を持たせると大変だ、という発想があるのかなと思います。校則もそうですし、非行に走らせないために全員部活に参加させる学校もそうですね。 鴻上:そうなんですよ。だから現場の先生の気持ちもわかるんだけど、僕はずっと劇団をやってきた人間で、劇団員の指導と学校教育って、似たようなところがあると思ってるんです。つまり管理して枠組みを疑わせないで統一感を出すことは意外と簡単なんだけど、やがてたどり着く場所がすごく低いっていうか、子どもたち、僕で言うと俳優の未来はすごくやせ細るんですよ。枠組みを取っ払ってやるだけやってみないか言って一度やらせてみたほうが最後たどり着く地平は豊かだっていうのは、長年やってきた確信としてあるんですよね。ずっと枠組みを問いかけることをやってきた感じです。 野水:我々も、生徒から相談があればアドバイスするということはできるだけしていますが、教師側から言うのはできるだけ避けようとしてますね。修学旅行もどこに行くかということから生徒たちが決めて、三つか四つ候補を挙げ投票で決める。そこに決まったら、そこでどんなアクティビティをするか、どう班に分かれるかも自分たちで決める。教員はそばで見ていますが、ほぼ決まったところで生徒たちの計画が危険がないかチェックするぐらいですね。 鴻上:いちいち口に出したくなるのはわかるんですけどね。親でも「それをやっちゃダメ」、「こっちにしなさい」と一日に何度も言う人いますよね。多分無自覚に、悪気なく言っていることが多いです。それって子どもの可能性をつぶしているんじゃないか、と思うこともあります。もっとぶっちゃけて言わせてもらうと、全く子どもを信じていないってことにもなるんです。それを自覚してない人は多分、子どもとの関係性はだんだん難しくなっていくんだろうなと思います。あなたはまともなチョイスができるわけがないから私がちゃんとアドバイスしてあげなきゃいけない、と思っているわけで。 野水:うちの学校では、中学に入ったら、もうあまり子どもには口を出さずに学校に任せてください、と保護者にお話ししています。親は受験だなんだと心配しますけれど、運動会の準備でも高2から高3の5月にかけては夜遅くまで喧喧諤諤(けんけんがくがく)、議論しているわけです。でも彼らにとってはそれが人間性やソーシャルスキルを伸ばす大事な場なんです。学校行事や部活動で後輩が先輩に教わる良さもあります。その中で憧れの先輩もできますし、親や教員とは違う関係性ができます。 作家・演出家:鴻上尚史さん(66)(こうかみ・しょうじ)/早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げし、以降多数の作品を手がける。「AERA dot.」での連載「鴻上尚史のほがらか人生相談」が人気(撮影/写真映像部・和仁貢介)   SNSとのつき合い方 塚本:生徒たちにはやはり「スマホ」の章が刺さっていました。 鴻上:僕らはスマホがあるときとないときを知ってるから、スマホを手放す意味もわかるんだけど、物心ついた時からスマホを持っている子からすると、スマホの問題点はわかりにくい。本ではスマホのマイナス面を七つ紹介しましたが、ピンとこない子もいるかもしれない。 野水:スマホの扱いは難しいです。我が校では基本的に持ってくるのは問題ないのですが、中学の段階ではロッカーに入れて教室には持ち込まないなど、各学年の先生方に扱い方を委ねています。昨年から中1全員にiPadを支給し、授業でデバイスを使う機会は増えました。 塚本:生徒からはSNS運用で自己肯定感が高まる人もいる、という意見もありました。 鴻上:それができれば願ったり叶ったりなんですが、SNSに居場所を頼りすぎると、それが急になくなったら大丈夫なのか、という懸念はありますけどね。自慢できることをとことん他人に見せつけていたのに、もっとすごいやつが現れてうっちゃられるみたいなこととか。だからやっぱりSNSに自己肯定も自己否定も荷重をかけすぎるのは怖いと思います。 塚本:中学生や高校生を対象にした鴻上さんのワークショップはありますか? 鴻上:その依頼は時々あるんですが、だったら子どもでなく、先生を対象にやった方が早いかな、って思ったりするんです。特に小学校だと表現豊かな先生が担任のクラスってやっぱり子どもたちも表現豊かになるんですよ。すごく無口っていうか無表情の先生のクラスは無表情な子が多くなる。あと子ども対象の場合、小学生はどんなに最初緊張してても軽いゲームなんかやっていくとだんだん楽しくなって表情豊かになるし、高校生ぐらいになると身構えていても、「これやって、表現力がアップしたらモテるぞ」っう言うと態度が変わるんです(笑)。一番面倒くさいのは中学生。男女問わず、自意識の塊みたいな存在なので。だから今回この『君たちはどう生きているか』を中3に読んでもらってよかったです。少しでも自分の中のモヤモヤが晴れた子がいたらいいなと思いますね。 (構成/編集ライター・江口祐子) ※AERA 2024年10月21日号より抜粋・加筆  
「夫と金銭感覚が合わない」と悩む妻  「平等にこだわると損をする」と語る西村ゆか&ひろゆきからの三つの提案
「夫と金銭感覚が合わない」と悩む妻  「平等にこだわると損をする」と語る西村ゆか&ひろゆきからの三つの提案      ひろゆきさんとゆかさんは、何もかもが合わないデコボコ夫婦。付き合い当初から喧嘩も絶えなかったそう。そんな経験をヒントに、渾身のアドバイスをお届けします。 *   *   * 質問  ゆかさんひろゆきさん、こんにちは。  パートナーとの金銭感覚が合わず、困っています。自分はイベントごとなどにはしっかりとお金を使いたいタイプ、相手は最小限で済ませたいタイプです。家具の値段ひとつとっても、まったく意見が合いません。  困ったことは、話の着地点が見つからない場合は、共有財産であっても自分自身がすべてのお金を出していることです(相手の方が稼ぎが多いのに!)。  にもかかわらず、相手は自分の趣味にはしっかりお金をかけており、不公平感が否めません。うまく折り合いをつける方法はないものでしょうか。   ゆかの回答  自分のお金で好きなだけこだわれば良いのではないでしょうか。稼ぎの大小関係なく、価値を感じられないことに時間やお金をかけたくないと思うのは、至極当然のことだと思います。  夫婦とはいえ価値観はさまざまですし、文章を読む限り、相手の方は、質問者さん自身のお金を使うことに反対はしてなさそうです。  一方で、質問者さんが「相手は自分の趣味にはしっかりお金をかけており、不公平感が否めません」と、相手が価値を感じるものに、相手のお金を使うことを否定的にとらえる書き方をしている点が気になりました。    イベントにこだわりたい質問者さんと、趣味にこだわりたい相手の方、共に価値を感じるものにお金をかけたい点では同じだと思います。  夫婦は共有財産といっても、もちろん程度にもよりますが、基本的には自分で稼いできたお金は、その人が自由に使うという心持ちでいた方が、お互い気持ち良いと思います。  自分だけがお金を出して、相手がそれをタダで使っているのが不公平ということなら、夫婦2人なら、生活用品は各自揃えるのでも良いわけですし。   ……と、厳しめの意見多めで書いてしまいましたが、例えば大型家具などの場合は、個別に揃えることは現実的ではないし、頻繁に買い換えるわけでもない。  ある程度値段と性能が比例するケースもあるでしょう。そういう場合は、耐久年数、使用頻度、お金をかけることで得られるメリットの視点から交渉するのも一手です。半額ずつ負担するところから話し合って、最終的に質問者さん6割、相手の方4割くらいの着地点になるかもしれません。検討を祈ります。     ゆかさん&ひろゆきさんの日々が描かれたコミックエッセイ『だんな様はひろゆき』(原作:西村ゆか、作画:wako)は6万部突破!     ひろゆきの回答  共有財産と言いつつ、折り合いがつかないものは、買いたい人が買う。それ以外はお互いのお金を各自自由に使うという話なので、平等性で言えば問題ない話だと思います。  パートナーさんは、共有のものでも安価なもので十分だと考えてるので、そのレベルでないと合意形成出来ないということだと思います。 案1  例えば、パートナーさんは2万円の電子レンジで良いのであれば、お互いに50%:50%で1万円ずつ出す。その後に貴方が1万円追加して、3万円の電子レンジを買うというのではどうでしょう? 少なくとも、「共有財産であっても自分自身がすべてのお金を出している」という事態よりはだいぶ良くなってると思います。  共有として合意した支出以外は、お互いに自由にお金を使う話なので「自分の趣味にはしっかりお金をかけており、不公平感が否めません」という部分を不公平だと感じるのは、あなたの問題だと思います。  相手の稼ぎの方が多いので、平等にすると、相手の方が自由に使えるお金が多いのは当然です。そこが不満なのであれば、金銭的平等を追求するべきではありません。 案2  生活の中で、料理や掃除や洗濯などのパートを請け負う代わりに、共有支出の負担割合を変えてみるのはどうでしょう?  例えば、週2回部屋掃除を1ヶ月間するのを10%分とか話し合いで決めます。んで、共有財産として合意した買い物に関して、60%:40%で負担します。2万円の物を買うなら、1万2000円と8000円に分かれます。金銭の代わりに、労力を提供する事で平等にするというパターンですね。 案3  そもそも、稼ぎの額が違うので、稼ぎの額に合わせて共有財産の負担分を決めるという方法。年収600万円と年収400万円だったら、共有財産の負担は60%:40%という、平等ではなく公平性を求めるパターンですね。  個人利益が最大化する三つ目の案を出して、怯ませて、一つ目、二つ目案にするのが落とし所とかですかね……。       夫婦で話し合ってみた ゆか「君、具体的な交渉法まで提案していて偉いね!」 ひろ「その方が親切だと思って。君が書いてる『最終的に質問者さん6割、相手の方4割くらいの着地点』を望んでいるけど、そうならないから相談してるんだと思うんだよね。んで、平等にこだわり過ぎて損してる人に見えるんだよね」 ゆか「というと?」 ひろ「今までの質問者さんのやり方だと、質問者さんが3万円支出して、パートナーさんは無料で電子レンジ使えることになってたわけでしょ。そういう交渉を今までしてなかったのは、パートナーさんに言いくるめられたのか、質問者本人さんがやたらに平等にこだわる性じゃないかと思うんだよね」 ゆか「なるほど。他にも、『イベントごと』という、相手も含むこだわりにお金を使いたい質問者さんと、『趣味』という、自分のためのこだわりにお金を使いたい相手の方っていう、価値観の違いの可能性もあると思った」 ひろ「なんで、相手も含むイベントだと思ったの? 単にアーティストのライブとかかもしれないじゃん」 ゆか「『自分の趣味にはしっかりお金をかけていて不公平』という書き方に、その趣味には質問者さんは含まれていないように感じた。アーティストのライブでも推しのイベントでも良いんだけど、もし質問者さんがそういうことにこだわるタイプの人だったら、相手が自分の趣味にお金をかけることに否定的な書き方はしないのでは?と想像したんだよね。家具だって2人で使うものだし」 ひろ「言われてみると、その可能性高そうだね」 ゆか「例えば、自分はあなたとの記念日にお金を使いたいのに、どうしてあなたは自分のことだけなの?みたいな不満も隠されているのだろうかと想像した。あくまで想像だけどね」 ひろ「『お互いの記念日はきちんとお金を使うのが当然である』って思ってる女性は多いよね……と、質問者が女性であると推測するおいら。パートナーが喜ぶからやってるというだけで、『記念日イベント大好きです!』って男性は少ない気がする。結婚式もその傾向」     ゆか「記念日とかイベントとかどうでもいい勢代表のひろゆき君としては、そこに関して何か解決策って思いつきますか?」 ひろ「そもそも、なんでこだわるの?」 ゆか「昔は私も、誕生日や記念日はお祝いしたい派だったけど、突き詰めてしまうと、自己満足じゃない? 例えば『付き合った記念日』とか、自分には思い入れがあって嬉しいものだから、相手もそう思ってくれていたら嬉しい。でもそれって、心の中で『嬉しい』って思っているだけでも十分なのに、オシャレなレストラン行くとか、プレゼントを買うとか、なんか見える形になっている方が、よりわかりやすくて(自分が)満足するみたいな」 ひろ「例えば、クリスマスケーキとか、1日過ぎた方が安いじゃん。レストランにしても、お金は有限なのに、なんで高い日に行くんだろう……と」 ゆか「2人で過ごすクリスマスを、私はこんなに大切に思っているのに、1日過ぎた方がケーキが安いとか、そんなケチり方するほど愛情ないんか?みたいな話にもなるじゃん。ちなみに、今の私は自腹で好きなケーキ買うけどね。んで、君もそれ絶対食べるから『あ、お金出さないくせに食べるんですね。なるほどですねー』とかネタにしながら楽しむ」 ひろ「ケーキがなくても、クリスマスツリーがなくても、2人で過ごせるんじゃね?……と」 ゆか「でも、そういう気の利いた言葉すら言えないじゃないですか。そういう勢は」 ひろ「押忍! そういう勢です!」   ゆか「話を戻すと、記念日とかイベントごとがどうでもいい勢が、それを大切にしたいって相手の人に言われた場合に、『あきらめてください』以外の落とし所ってあるもの?」 ひろ「無理して付き合うくらいじゃない? 例えば、家族で毎年墓参りをするのがとてつもなく大事だと思ってるのであれば、しょうがなく付き合う……みたいな」 ゆか「『しょうがなく付き合う』が行動で解決する場合は、この質問者さんの相手の方は付き合いそうな気がするよね。でも、金銭の支払いとなるとすごくハードルが高そう。なので、冒頭の話に戻るけど、ひろゆき君が書いていたような提案が現実的な落とし所なのかなと思った」 ひろ「案1が通らないってのは、なかなかないと思うんだよね。んで、案2はいつか必ず通らなければいけない道だと思うんだよね」 ゆか「案2は、否定されたら『そもそも付き合い続けて大丈夫か?』って案件だしね」 ひろ「どっちかが病気や怪我になって、共有コストも払えないとか、失業とか、出産とか。お互いが平等に負担し続けるって長期的にはかなり難しい。なので、夫婦は案2か案3に行くしかないと思うんだよね」 ゆか「質問者さんの場合、お子さんの有無がわからないのだけど、夫婦2人と仮定して、家計費と家事の分担の合計で、50:50に近づけるのを目指すとかね。子どもができたらそこに育児が加わるし」 ひろ「その公平性が維持されてたら、不公平とは感じないでしょ。昨今は、『男女平等』という言葉が流行ったせいで、柔軟な見方ができなくなってしまうこともあるんだよね。 女性が稼いで、男性が家事をやるのも公平だし」 ゆか「家庭においては、男女平等より男女公平を目指すという感じかもね」   総括 ・家庭では『平等』より『公平』を目指そう ・(家計費以外の)お互いのお金は、各自自由に。互いのこだわりも尊重しよう ・夫婦共有物の金銭負担は、ひろゆき案(1〜3)を試してみよう     【お悩みを募集中!】 連載「西村ゆか&ひろゆきの夫婦のトリセツ」では、夫婦・パートナーにまつわるお悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム から!(https://publications.asahi.com/feature/nishimura/)   西村ゆか/Webディレクター。東京北区出身。インターキュー株式会社(現GMOインターネットグループ株式会社)、ヤフー株式会社を経て独立。2015年よりフランス移住。著書に『だんな様はひろゆき』(wakoとの共著、朝日新聞出版)、『転んで起きて』(徳間書店)がある。 ひろゆき/1976年、東京都生まれ。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。主な著書に、『論破力』(朝日新書)、『1%の努力』(ダイヤモンド社)などがある。     【こちらも話題】 ひろゆきの妻が語る「論破王」相手でも交渉を有利に進める方法 https://dot.asahi.com/articles/-/41181  
妊娠出産で“ときめき不足”の鈴木涼美が取り戻した「妄想力」 アラフィフの「恋の予感」への向き合い方とは
妊娠出産で“ときめき不足”の鈴木涼美が取り戻した「妄想力」 アラフィフの「恋の予感」への向き合い方とは 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。   Q. 【vol.25】恋愛に手を伸ばしてしまいそうな自分が怖いワタシ(40代女性/ハンドルネーム「あお」)  もうすぐ50歳のアラフィフです。子育ても落ち着き始め、フリーランスで仕事を再開しました。仕事は順調で、人間関係も今までのママたちのみの世界から出会いが増え、ずっと忘れていた「異性」のいる世界に急に足を踏み入れることになり、ときめきを思い出してしまう自分に戸惑っています。  若い頃、恋愛に疲れてもう二度と恋愛をしなくもよい結婚生活に安心感を持っていました。平穏を崩すつもりはありません。ところが、50歳近くても世に放たれてみると、まだそこかしこに恋愛になってしまいそうな機会が転がっていて、つい手を伸ばしてしまいそうな自分が怖いです。  まだ異性としてみてもらえたことが嬉しく思ってしまう自分に罪悪感もありつつ、まったく枯れ果てておばちゃんになりきってしまうことも寂しく思っていて、そんな感情とどう付き合っていけば良いのか、と悩んでいます。肉体的な欲求はもうありません。 A. 小さな恋のかけらを拾い集めて大きな妄想に  以前、西荻窪の熟女キャバクラや半熟女キャバクラで働く人妻女性たちにちょっとしたインタビューをしたことがあります。意外というか印象的だったのは、経済的な理由や時間的な都合などを第一の動機として語る人は少数で、お話を聞いた多くの方が「子供が生まれてから旦那とは家族という感じでときめきがないので異性と触れ合いたくて」とか「まだまだ女性として終わってないことを証明したくて」「可愛い女扱いされたり口説かれたりするのが楽しい」といったことをおっしゃっていたことです。  いきなり熟キャバの話題で恐縮ですが、家庭が円満で子どもが可愛かろうが、仕事で大成功していようが、女として可愛がられたり崇められたり他人より評価されることが必要な夜ってあるよね、と私も四十年以上女として生きてきてつくづく思うわけです。私自身、この一年、妊婦生活と産後生活で優しくされることはあっても女として評価されるとか口説かれるとか、ましてときめきがあるような恋の予感とか、そんなものと無縁だったわけで、尋常じゃないほどのときめき不足になっています。 恋愛妄想体質でも、妄想すらしなくなった  おたよりにあるような、罪悪感を覚えるほどの生真面目さも、平穏を崩すつもりがないと言い切れる潔さも持たない私ですが、さすがに妊娠中の黒々とした乳首や変な毛が生えまくっていたお腹で実際に恋に落ちてみるかという気にはなかなかならず、目下の悩みも醜い産後太りをどう克服するかといったことであって、やはり現実的な恋愛とはかなり遠い場所にいます。そうなってくると不思議なことに、あんなに恋愛妄想体質だった私でも、それらと遠く離れすぎると妄想すらしなくなるということに気づきました。  結局、私は長らく独身で、自由にいろんな異性と触れ合い、恋に落ちる可能性を常に背負いながら生きていたが故に妄想に花を咲かせていられたわけで、人はそのかけらも摂取しないと妄想の種にもありつけないのだと実感した次第です。実際、普段そんなに読まなかったレディコミやちょっと年齢層高めの少女漫画雑誌を読みふけってみると、多少肥料が与えられたのか、雑草程度の妄想力なら戻ってきた気がします。NHKでニュースを読んでいるアナウンサーを見てもちょっと妄想するくらいには回復してきました。  さて、お仕事に復帰されて小さなときめきや恋の予感が散らばっている日常が久しぶりすぎてどう距離をとったらいいのかわからないというお話だったと思いますが、ときめくこと自体は誰にも裁けないと思いますし、小さな恋の予感を楽しむことも何も悪いことだとは思いません。というか女に生まれた以上、そういう瞬間がどうしても必要だという人は結構多いんじゃないでしょうか。 「女の色気」はどこから来るのか  今の家庭を壊す気がなく、肉体的欲求もないということは、変な執着や束縛、眠れないほどの嫉妬や性的な自信喪失とも無縁な、まさにちょっとした恋愛未満みたいな、場合によっては一番楽しい「初デート」とか「たわいもないLINE」とか「ちょっとした駆け引き」くらいを味わえる、特権的な立場にあると私には見えます。今のパートナーが了承しているのでもない限り、がっつりとした不倫のリスクは結構大きいようだし。  そしてそういう恋のかけらを味わうことの一番の良いところは、私から言わせてもらえば妄想力がたくましくなり、少なくとも日々脳内が潤うことで、美容や服装選びにもハリが出たり、女としての色気のようなものが徐々に醸し出されてきたりすることです。今の私にはない肌の艶とかうなじの匂いとかそういうものは、恋愛の可能性を軽く背負った異性が周囲にいてこそ作られるような気がするのです。  それでどんどん色っぽくなったり、たくましくなった妄想力で徐々になかったはずの性的欲求が刺激されたりすれば、それはそれで禁断で背徳感もあるアフェアを楽しむのもありかと個人的には思ってしまいますが。先月発売された私の『不倫論』もよかったらご参考までにパラ読みしてください。結婚している関係とは別に刺激的な関係をつくり、そこで人生を味わっているような人は歴史を振り返るといつだっているし、結婚外の恋愛も流儀を守れば素敵なものだと、私はそれこそ妄想してしまいます。 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム(https://forms.gle/vH3KMGRGBPJb2TE5A)から! ●鈴木さんからのメッセージ 私はずっと地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
「パキスタンは非常に矛盾に満ちた国」 家父長制の苦しみを男性目線から描いた映画「ジョイランド わたしの願い」
「パキスタンは非常に矛盾に満ちた国」 家父長制の苦しみを男性目線から描いた映画「ジョイランド わたしの願い」 (c)2022 Joyland LLC    ハイダル(アリ・ジュネージョー)は失業中。妻は仕事にやりがいを持っているが家父長制を重んじる彼の父はよく思っていない。やがて仕事を見つけたハイダルはそこでトランスジェンダーの女性ビバと出会い──。昨年の米アカデミー賞国際長編映画賞パキスタン代表&ショートリスト選出となった「ジョイランド わたしの願い」。脚本も務めたサーイム・サーディク監督に本作の見どころを聞いた。 *  *  * (c)2022 Joyland LLC (c)2022 Joyland LLC (c)2022 Joyland LLC    私はパキスタンで生まれ育ちラホールに住んでいます。本作は私がこれまで見たり感じたりしたことからインスピレーションを得ました。一見幸せそうに見える人でも実は家父長制における「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という規範に苦しんでいます。私自身もそうです。誰の利益にもならないのに家父長制のシステムはいまだ世界中に存在し、闘いや対立が起こっている。そのことについてシェアしたいと思いました。  本作はフィクションなので私自身にハイダルと全く同じ苦しみがあったわけではありません。でも例えば少年のころクリケットに興味がなかっただけで「男らしくない」と見られてしまう。そんな些細なことからはじまって、私は常になにかがフィットしない、ここには自分の居場所がないと感じてきました。もちろん女性にも同じ悩みがあると思います。劇中に登場するハイダルの兄嫁ヌチは家父長制のなかで「私は与えられた役割でOKです」と言っているように見える。しかしそういう女性でも実は苦しみを持っているのです。 サーイム・サーディク(監督・脚本)Saim Sadiq/ラホール経営科学大学、コロンビア大学で学び、初の長編となる本作で第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞ほか多数受賞。18日から全国順次公開    パキスタンは非常に矛盾に満ちた国といえます。すごく進歩的な面があり、2018年から世界でも珍しく公的な身分証明書に男性でも女性でもない「第三の性」の記載が認められました。本作でトランスジェンダーのビバを演じたアリーナ・ハーンは“ミストランスパキスタン”も受賞しているロールモデルです。しかしその反動ともいえるヘイトクライムもあります。「社会にいるのは知っているけれど自分の家やオフィスには迎え入れたくない」という扱いを受け、経済的な機会を奪われることもある。ただ10年前より状況は少しずつですが変化している。そして最も安定して継続的な変化は、女性たちが起こした変化なのです。 (取材/文・中村千晶) ※AERA 2024年10月14日号  
ヘンリー王子の単独ツアーの本当の評判 メーガンさんは人気回復までの時間稼ぎ中か
ヘンリー王子の単独ツアーの本当の評判 メーガンさんは人気回復までの時間稼ぎ中か  メ―ガンさん(42)の雲隠れが続く中、へンリー王子(40)の長い単独ツアーが終わる。 2024年9月24日、ニューヨークであったクリントン・グローバル・イニシアティブ国際会議でスピーチするヘンリー王子(photo アフロ) ヘンリー王子が単独ツアーで見せた笑顔に…   9月下旬、ヘンリー王子はニューヨークに到着した。国連総会ハイレベル・ウィーク期間中に合わせた訪問で、ダイアナ賞の授賞式に出たり、ビル・クリントン元大統領が主催するクリントン・グローバル・イニシアティブ(CGI)のパネル展に顔を出したりと忙しく過ごし、ニューヨークには計8日間滞在した。  精力的に活動したヘンリー王子には、滞在中に何度かスピ-チに立つ機会があった。だが、その内容に疑問の声があがった。スピーチは「メンタルヘルス」のことが多かったが、そもそも王子は何の資格をもとにメンタルヘルスを語るのか、心理学や精神衛生学などの権威でもないのに、と首をかしげる人が続出した。これは、かつて新型コロナウィルスについてメーガンさん(42)がスピ-チをした時、ウィルスの専門家でもないのに「まるでプロのようにふるまった」ことと似ているとまで指摘されてしまった。  結局、ヘンリー王子が一番大きく取り上げられたのは、アメリカのNBCテレビの番組で司会者と幽霊迷路に挑戦したことだった。10月末のハロウィーンを前に、ニューヨークに設けられたお化け迷路を歩き、いくつもの仕掛けに震え上がり、放送禁止ワードさえ使って絶叫した。この姿には「王室の恥だ」と怒る人たちもいたが、「王子はいかにも楽しそうに怖がっていた」「王子の遊び心が健在であることを示した」「メーガンがいないと緊張が解け、たちまち素に戻る」などの声も上がった。 ロンドンではチャールズ国王に会えず 2024年9月30日、ロンドンでのウェルチャイルド賞授賞式に出席したヘンリー王子(photo AP/アフロ)  さらに、ニューヨークのイーストサイドにあるセレブ向けタトゥーショップに1時間ほど滞在した。1992年にオープンしたショップで、料金は1時間で約6万円。ヘンリー王子は身体のどこかにタトゥーを入れたのだろうか。「母ダイアナの名前に違いない」「I LOVE MEGHAMに決まっている」など憶測が飛び交っている。  その後、ヘンリー王子はロンドンに飛び、9月30日に慈善団体「ウェルチャイルド」の授賞式に臨んだ。難病の子どもたちを励まし、介護者をたたえる恒例イベントで、ヘンリー王子は17年ほどパトロンを続けている。大歓迎を受けたものの、故郷のロンドンにも関わらず、父のチャールズ国王(75)や兄のウィリアム皇太子(42)らと会うことはなかった。  次に向かったのは、アフリカのレソトだ。南アフリカに囲まれた内陸の国で、ここで現地の子どもたちのための慈善団体セントバレを訪問するためだ。当初、レソトにはメーガンさんも同行するといわれていたが、単独訪問になった。メ―ガンさんと子どもたちの暮らすアメリカの自宅に戻るのは、出発から約半月も経ってからになる。 切り取られた?写真に激怒  このところ、メーガンさんの不在が続く。彼女はいま、不機嫌なのだろう。きっかけは、ヘンリー王子の40歳の誕生日に英王室から祝意を表すメッセージが送られたことに関係している。チャールズ国王に続いて、ウィリアム皇太子とキャサリン妃(42)も同じようにお祝いを発表したが、皇太子夫妻のイニシャル「W」と「C」の直筆サインもなく、「ハリー」と親しく呼びかけることもなく、型通りのものだった。 2019年9月25日、アーチ―王子とともに南アフリカのケープタウンを訪問したヘンリー王子とメ―ガンさん。このところ、ヘンリー王子の各地への訪問に同行していないメ―ガンさんだが、母親として子どもたちと一緒に過ごす時間を優先しているのかもしれない(photo ロイター/アフロ)   それでも、メーガンさんが最もショックを受けたのは、メッセージに添えられた写真に自分が含まれていなかったからだ。ヘンリー王子がメーガンさんと共に2018年にアイルランド・ダブリンに公務で行った時に撮影された一枚で、2人が並んで座っていた写真から王子だけ切り取られていたのだ。  エクスプレス(オンライン)によると、メーガンさんは「なぜ自分は切り捨てられたのか」と激怒。一方の英王室は「写真はプレス・アソシエ―ションから既存の形式で提供されたことを確認した」と発表。ヘンリー王子だけを選びとったわけではないとしている。  しかし、メーガンさんは、この一件から「英王室はヘンリー王子は許す用意ができている」との意思表示と受け取ったようだ。周囲に「私は王室から無視された」とこぼし、けれど「しかし、そのまま追い出される私ではない」と強気に話しているそうだ。 スタッフの離職率の高さに批判  そんなメ―ガンさんだが、エクスプレス(オンライン)によると、スタッフの離職率が高いことでメーガンさんの責任を問う声が英王室ばかりでなくアメリカからも上がったため、イメージが回復するまで時間を稼ぐために姿を見せないのだという。そして、この間に英王室時代を振り返る回想録を執筆し、ヘンリー王子の暴露本「スペア」以上の注目度と発行部数を狙っているとされる。「ゴ―ストライターは私には必要ない」と自分で書くことにこだわっているが、タイトルや発行予定日などは未定。さらに、自身が立ち上げたもののトラブル続きのブランド「アメリカン・リビエラ・オーチャード」の立て直しに奔走しているとも伝えられている。  ヘンリー王子は国際的な慈善活動家、一方のメーガンさんはあくまでアメリカでビジネスの成功を目指す。2人の人生目的には徐々にずれが目立つようになった。 (ジャーナリスト・多賀幹子) *AERAオンライン限定記事   
ストロング系「1日10缶男」断酒後に体に起きた異変 アルコールから離れても、一件落着とはならずに…
ストロング系「1日10缶男」断酒後に体に起きた異変 アルコールから離れても、一件落着とはならずに… かつて1日10缶もストロング系飲料を飲んでいた筆者。アルコール依存症と診断された後は一滴も酒を飲まない生活を続けていますが、断酒したことで、体には新たな"異変"が起きることになったといいます(筆者撮影)    前回の記事(「ストロング系」毎日10缶飲んでた男の驚きの出費 「さすがに、詰んでるな…」計算して天を仰いだ)では筆者がかつて毎日10缶、ストロング系缶チューハイ(以下、ストロング系)を飲んでいたこと、その数年後には健康診断で「γ-GTP 2410(通常は40~60)」という数字が出たことをお伝えした。まだ、30歳にもなっていないのだから、ロクでもない話だ。  そして、医者にアルコール依存症と診断されて以降、一滴も酒を口にしなくなった筆者だが、だからといって健康的な生活を送れているわけではない。断酒したことで、体が他に依存対象を求めたのだろうか。異常なまでに糖分を摂取したくなってしまうようになったのだ。 散財癖のおかげで、暴食は防げた学生時代  改めて振り返ると、学生時代、親に学費も家賃も払ってもらっていたが、バイト代が入れば古本、CD、レコードに溶かしていた。それでも、毎晩レンタルDVDをTSUTAYAで借りて見たいし、もっとiTunesに音楽を保存したい。  そこで、食費を削ることにした。朝起きたら講義の始まる30分前のため、朝食なんて食べる暇なく大慌てで大学に行き、昼は学食か売店で300~500円程度の弁当を食べる。十分安いがそれでも節約したいときは、自宅から炊いて冷凍したご飯を持ってきて、それをサークル室のレンジで温めて、コンビニのホットスナックコーナーの揚げ物をおかずに食べていた。しかし、さすがに後輩たちから哀れみの目で見られたため、おにぎりとフライドチキンを食べるようにした。それで、300円以下だ。  そして、晩は可能な限り深夜に食べる。というのも、夜遅くに食べてすぐに寝ることで、体内での食べ物の消化のスピードが遅くなるのか、日中空腹感に襲われることがないのだ。そこで、夜はカップラーメンやコンビニやオリジンで500円以下の弁当(当時は結構あった)をアルコール度数37.5%のウォッカで流し込むようにしていた。  当然、体に悪そうなことをしている自覚はあったが、それでも金がないので深夜の食事にすべてを託していた。食費を削ればもっと本が読めるし、見たことのない映画も見れるし、新しいバンドを発見できる……。サブスクリプションサービスがない時代は、とにかく能動的にインプットすることが重要だったのだ。食事は二の次で、すでに健康的とは言えない食生活だったが、良くも悪くも筆者の散財癖のおかげで暴食は防げた。 社会人になり、ストレスの吐け口が「食事と飲酒」に  しかし、社会人になると、あまりの忙しさに、古本・レコード・CD収集、レンタルDVD鑑賞ができなくなってしまった。こうなってしまうと、もう趣味は酒と飯しかない。しかも、学生時代よりも多少は実入りが良くなったので、一晩に食べる量も徐々に増えていった。  ストレスの吐け口が食事と飲酒しかなくなった時点で、今後の人生の道筋は考え直したほうがいいと思う。しかし、筆者は「忙しい」という焦燥感に駆られることで、アドレナリンが出ていたのか、仕事量がどんどん増えて土日も休みがなくなっても、「楽しい」と思えたのが運の尽き。「今を全力で生きる」を必死で実行したのである。そう威張っているが、その結果、社会人になって1年も経たないうちに、体重は30キロ増えた。  一体、どうすればそんなに太るのかというと、朝はギリギリまで寝て、朝食を取らずに家を出て、会社に着くと昼食を取る暇もなく、晩まで一生懸命働く、そして終電で家に帰ってようやく一段落ついたら、夕食の時間である。日付が変わってから初めて食事を取るのだから、これで太らないわけがない。  最寄りのコンビニを2軒回り、ストロング系を5缶購入。これだけでまず1000円。それに追加で、コンビニか牛丼屋の500円の弁当、それにプラスしてホットスナックコーナーのフライドチキンや、ツナマヨのおにぎりかツナマヨのサンドウィッチ(晩ご飯用)を購入するため、毎日だいたい2200円くらいは食費に費やしていた。つまり、毎月の食費は6万6000円である。 「食費にいくらかけているんだよ!」という気持ちはわかるが、当時は一気にそれらを口に頬張りながら、喉に詰まった食べ物をストロング系で、胃に洗い流すことくらいしか楽しみがなかったのだ。  やがて、近所に松のやができたので、そうすると毎晩カツ丼かトンカツ定食のテイクアウトだ。そこに酒のつまみとして、しば漬け、横浜家系ラーメンのテーブルに置いてあるようなきゅうりの漬物、ニンニク醤油漬けなど、血糖値が上がりそうな漬物までも食べるようになったため、いよいよ1日の食費は3000円を超えるようになった。 当時、筆者の部屋は常にこんな感じだった(筆者撮影)    当時はコロナ禍だったため、これといった飲み会がないにもかかわらず、ひとりで飲み食いして9万円なのだから、さすがに使いすぎた。給料の半分が酒と飯で消える。体重もクレジットカードの負債も増えていくのだが、見ないようにしていた。  しかし、同時に「これだけ飯を食っているのであれば、アルコール依存症ではなさそうだな」という、今考えると荒唐無稽な見立てをしていた。というのも、アルコール依存症になると連続飲酒状態が続き、食事よりも酒を優先して、痩せこけると思っていたからだ。 断酒後の食生活はこんなふうに変わった  しかし、いくら酒をがぶ飲みしても、食べている量が量なので、痩せることはなく、年齢を重ねていくと、新陳代謝も低下して運動しても痩せにくくなる。  その結果、前編で書いた通り、酒の飲みすぎで肝臓値の値であるγ-GTPの値が「2410」という大台を叩き出した。町にいる「酒飲み」を自称するおじさんでも、彼らの数値は「400」程度らしいので、会話の次元が違う。 戒めとして、今でもX(旧ツイッター)のヘッダーに使っている(筆者撮影)    ちなみに、γ-GTPの値が「2410」と診断された際、実は血糖値の値である「HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)」も6.0%を超えていた。この数字が何を意味するかというと、「糖尿病予備軍」になってしまったということである。糖尿病と診断されるのは6.5%からなので、もう少しで丸々としたお腹にインスリン注射である(ここまで読んでいてわかると思うが、筆者は球体みたいな体をしている)。  そこで、まずは強制的に酒はやめさせられた。正直、自分でも「誰かに止めてもらわないと……」と思っていたので「助かった」と思った。自分ひとりの力で減酒や禁酒、断酒はできないのである。家族や友人たちのサポートが必要になる。  すると、1カ月でγ-GTPはすぐに200程度に戻った。同時にストロング系の人工甘味料を飲まなくなったからか、暴食はやめて、可能な限り1日3食取るようにしたところ、HbA1cも途端に5.5%に戻った。大体のことは酒をやめればなんとかなる。  また、「レグテクト」という飲酒欲求を抑える薬を処方されたおかげか、8年近く夜になるととどまることを知らなかった「早く泥酔して失神するように眠りたい」という願望もなくなった。 現在、忘年会や宅飲みをするときは…  ただ、それを処方されたのも半年程度なので、今は自分の思いで飲酒欲求は抑えている。周囲からは「えらい、えらい」と褒めてもらえるのだが、最近は飲みたいという気持ちも復活しつつある。  筆者が飲まなくなってから登場した、アサヒビールの「マルエフ」、サントリーの「翠ジンソーダ」、リニューアルした「-196ストロングゼロ」のCMを見ると心が揺らぐ。これが昔みたいに「ゴクゴク……ぷはぁ!」などと音声を入れられていたら耐えられなかっただろう。「アルコール健康障害対策基本法」の賜物だ。普通の人にしてみれば、「だから、なんだ?」と思われるかもしれないが、あの音がどれだけ、アルコール依存症患者にとって危険なのか身に染みてわかるようになった。  さらに、コンビニに行ってもコカ・コーラの「ジャックダニエル&コカ・コーラ」やアサヒビールの「未来のレモンサワー」がある。飲んでみたいが、ちょっとでもアルコールを口にすると、一気に結界と覚悟が崩れてしまい、スリップ(断酒失敗)してしまうことは十分わかっている。  その飲酒欲求に打ち勝つため、会社での忘年会や宅飲みをするときは、自分が飲んでみたい酒を大量に購入していく。それをタダで飲んでもらい、相手が酔っていく姿を見ているときに「あぁ、楽しそうだな……」と喜びを感じるのだ。懐かしさと一抹のセンチメンタルさを味わいながら、自分専用として購入したノンアルコールビールを6缶すべて飲み干す。  やはり、酒を飲みたいという気持ちはあるが、過去に飲みすぎたことで苦しんだことを体が覚えているので、迂闊に手は出ない。ただ、飲み会や居酒屋は好きなため、飲まなくてもひとりで入店することもある(ちなみに、この原稿はスポーツバーのHUBでコーラを飲みながら書いている)。 アルコールではない、その他の依存先を見つけた  そして、食生活も可能な限り1日3食を目指しているが、今でも仕事が忙しいのは変わらないため、難しいときもある。とはいえ、飲酒と同時に食欲が増進するようなことはなくなったので、かつてのような暴食はしていない。  その一方で、体内からアルコールが抜けた結果、ドーパミンを分泌させるためなのか、毎日ホールケーキ半分程度のコンビニスイーツを口に頬張っている。 「中島らもや吾妻ひでおの本に書いてあった通りだ!」と当初は体の変化にワクワクしたが、酒よりも甘いもののほうが金はかかるのだ。ようやく酒をやめられたのだが、毎月の食費がいくらかかっているのか、考えたくもない。 今は減ったが、断酒して間もない頃は、体が糖分を欲し、大量のコンビニスイーツを食べていた(筆者撮影)    おまけに前編でも書いたが、今は毎晩ノンアルコール飲料を5缶も飲んでいる。それもジュースではなく、ノンアルコールビールやノンアルコールレモンサワーだ。今はこれがないと飲酒欲求を抑え込むことができず、さらに眠ることができない。 飲酒欲求を抑え込む意味もあって飲んでいるノンアル飲料。もちろん、飲み過ぎは体に良くはないが、背に腹は代えられない(筆者撮影)    また、深酒しなくなったため、最近はよく夢を見る。筆者は中学2年生から父親の仕事の関係でアメリカに引っ越すことになったのだが、なぜか渡米初日の光景が繰り返される。当時は不安と楽しみの両方を抱えていたのだが、今見ている夢の中で筆者は「アメリカにもノンアルコールのレモンサワーはあるのかな?」と両親に聞いている。夢の中の自分は中学生だが、その夢を見ている筆者の頭の中は30代なのだ。いよいよ、ノンアルコール飲料に依存し始めている。  このように、今ではアルコールではない、その他の依存先を見つけた(見つけてしまった)。幸か不幸かわからないが、今は毎日ストロング系を10缶飲んでいた頃よりも健康ではある。定期的に通っている病院では体重が減らないことを心配されているが、それは夕食の代わりにコンビニスイーツを大人買いして、一気にかき込んでいるからだ。  今後、ノンアルコール飲料、スイーツ、そして今回詳しくは書かなかったが、睡眠導入剤を、また酒のときのように止められてしまっても(むしろ、止められたい)、結局次の依存先を見つけることになるのだろう。「今のうちにNintendo Switchでも買っておこう」と思うと同時に、なにかに依存していないと生きていけない読者(同志)には、筆者の体験談が少しでも学びになることを願っている。 (千駄木雄大 編集者/ライター)
「仕事を続けていたら今頃どうなっていたのだろう」 キャリアにブランクができる駐妻の心情
「仕事を続けていたら今頃どうなっていたのだろう」 キャリアにブランクができる駐妻の心情 駐在ファミリーカフェは、海外駐在中または経験のある20~50代が活動中。定期的にオンラインミーティングを開き情報交換している(写真:駐在ファミリーカフェ提供)    海外赴任が決まると、家族も一緒に赴任先で数年生活することが当然のようなイメージがある。しかし、共働き世帯が増えた現代で、それまでのキャリアを中断することに悩む配偶者が増えている。AERA 2024年10月7日号より。 *  *  * 都内在住の30代の会社員の女性は、夫の米国赴任が決まった時は育休中だった。渡米時は20代で、子どもは生後半年を過ぎたばかり。慣れない土地での子育てはそれほど余裕はなかったが、「子どもにとって母親以外の人と関わることも大事だと思い、同世代の子どもがいる日本人親子と積極的に交流を持ちました」と話す。  一方で、「私が下手こいたら、このコミュニティーの中で私たちは行き場を失うという強迫観念はすごくあった」と思い返す。当時、コミュニティー内の母親で最年少だった女性は、「美味しいお店を見つけ、いち早くみなさんにお知らせすること」を自分に課した。 「例えばピザパーティーなどの企画力、食材の調達から部屋の装飾のセンスが求められました。これまで仕事で求められたスキルとは別物でしたね」と振り返る。英語を学ぶ余裕はなかったという。  2年間の育休も満了になる頃、今後のキャリアについて人事に相談した。すると、一度退職しても再雇用の確率が高まる制度があることを知り、退職を決意。帰国後、その制度を活用して無事同じ部署に同じグレードで戻ることができたが、「同世代の女性が出世をしているのを見ると、『この5年間仕事を続けていたら今頃どうなっていたのだろう』と思うことは正直あります」とぽつりとつぶやく。  海外駐在情報を提供する「駐在ファミリーカフェ(旧・駐妻カフェ)」が海外駐在員、または過去3年以内に海外赴任経験のある会社員に実施したアンケート結果によると、駐在員の配偶者の約45%が勤務先を退職していることがわかった。 無理解な夫にキレる  冒頭の女性のように、自分のキャリアをいったん止めたことで、帰国後に悩むケースは多い。働く女性にとっての海を渡る決断はとても重いが、気持ちを理解してもらえないことに苦しむケースもある。 AERA 2024年10月7日号より    金融企業からコンサルティング会社に好条件で転職した都内在住の女性(40)は、入社2週間で夫から英国赴任が濃厚だと聞いた。元々海外が好きで、駐在妻(駐妻)に憧れはあったため喜んだのも束の間、「あれ? 待って、私のキャリアどうなるの? 入社したばかりなのに……」と、気まずさが一気に押し寄せた。  人事に再雇用制度を利用できるかと聞いたところ、「渡英したら気持ちも変わるかもしれないから、帰国時に再入社したいと思ったら門を叩いてください」とやんわりと“お断り”された。「試用期間中だったこともあり強く言えませんでした。ショックでしたね」  後ろ髪を引かれながらも退職し、当時2歳の子どもと渡英。半年後には、趣味が高じて自宅でお菓子教室を開くなど充実した日々ではあったが、夫とケンカをした時のこと。「私はキャリアを中断している。何のために同行したと思っているのか」と問いただしたところ「遊びと子どものお世話」と言われキレた。「それだったら、子どもを置いて私は日本に帰ります」と言い放つと、ようやく夫は妻の本心を理解したようだったという。 (フリーランス記者・小野ヒデコ) ※AERA 2024年10月7日号より抜粋  
「石破茂氏」の地元後援者が明かす「高市早苗氏」との数奇な運命 「茂さんの“家老”が高市さんを救ったんです」
「石破茂氏」の地元後援者が明かす「高市早苗氏」との数奇な運命 「茂さんの“家老”が高市さんを救ったんです」 石破茂新首相(左)と総裁選を争った高市早苗氏    10月1日の首相指名で新首相となった石破茂氏(67)。自民党総裁選の決選投票では、1回目の投票でリードされた高市早苗氏を大逆転するというドラマチックな展開で総裁の座を勝ち取った。その後の人事で、石破氏は高市氏に総務会長への打診をしたが固辞され、2人の間にはすきま風が吹く。だが、石破氏の地元・鳥取県の支援者や元秘書らを取材すると、石破氏と高市氏の奇妙な「縁」も見えてきた。 *  *  *  9月27日、今村雅弘元復興相は自民党総裁選の選挙管理委員会のメンバーとして壇上に座っていた。  石破氏が新総裁に選ばれた瞬間は、会場に集まった300人を超える国会議員よりも、先に結果を知ることとなった。発表前、票の確認のために今村氏は投票箱の中を見る立場にあったからだ。 「箱の中には、投票用紙がゴムで束ねて並べてありました。決選投票では石破さんも高市さんもほとんど同じくらいの票の数に見えた。票の束だけではどちらが多いかわからないほどの僅差でした」  結果は21票差で、石破氏が勝利した。 「数字を見た瞬間、えーこんなことがあるのかと思ったね(笑)。私も総裁選の選挙管理委員は今年で3回目だけど、今回が一番ドラマチックでした」  今村氏は旧二階派だが、「1回目も2回目も石破氏に投票した」と語る。今村氏は石破氏との交流についてこう話す。 「衆院予算委員会では、50音順の並びで石破さんと私はいつも隣に座っていました。隣同士だから、自然と話をするようになってね。石破さんは鉄道マニアで私は九州の旧国鉄(現・JR九州)の出身なので、共通の話題で仲良くなりましたね。いくら石破さんが鉄道マニアだといっても、私にはかなわないですよ。石破さんからは『鉄道の話をいろいろ聞かせてくれ』と言われていました(笑)」  石破氏はこれまで「真面目だけど付き合いが悪い」と言われてきたが、今村氏はこう話す。 「本当はそんなに付き合いが悪いというわけではないのですが、群れをなすことは好まない。だけど、国会議員たちは政治家として信頼感は持っているから、評価は高いですよ」 事務所に集まった支援者と握手して感謝の思いを伝える石破茂氏の妻・佳子さん(右)=2018年9月   地元事務所は「お祭りムード」  総裁選で最後まで争った高市氏は党総務会長を打診されたが固辞したとされる。今村氏は高市氏の心情をこう推察する。 「高市さんにしてみれば、そんなお情けなんていらないよ、ということなんでしょう。よっぽど悔しいんだよ。応援してくれた人たちがあんなに大勢いるんだから、人事を受け入れて『何やっているんだ』と言われるのがイヤなんでしょう。だから意地でも戦っている姿勢は見せておくということだと思います」  鳥取市の石破事務所は、お祝いの花で埋め尽くされていた。総裁選の翌日、事務所に応援で来ていた自民党の山本暁子県議はこう話す。 「地元の悲願でしたので、会う人、会う人、お祭りムードです。自民党員以外の方も『おめでとうございます』と事務所に立ち寄ってくれます。事務所に『石破かかし』が置いてあるんですが、その前で親子連れが写真を撮ったりされています」  石破氏の実家のある、鳥取県八頭町は田園地帯で、秋の収穫期には、かかしが多いのが風物詩。山本県議によると、 「『石破かかし』は、若い頃の石破さん似です(笑)。地元の方が作ってくれて、それが事務所の中に置いてあるんです」  この八頭町は石破氏の実家であり、地盤でもある。石破氏の父・二朗氏は八頭町の出身で、鳥取県知事を15年間務めた後、1974年、参院議員に当選。自民党田中派に所属し、自治大臣に就任したが、わずか5カ月で病魔に襲われた。石破氏の元秘書で元鳥取県議の中尾亨氏はこう振り返る。 「二朗さんは知事時代に『ツバメと県民は知事室へ』という言葉をスローガンにして、情報公開が不十分だった時代に、県民の声に耳を傾け、知事室を開放していた。二朗さんが亡くなった時には、田中角栄さんがヘリコプターで鳥取まで来てくれました。そのくらい、角栄さんにとっても、大事にしていた人だったんです。その二朗さんの息子ですから、やはり国会議員も党員・党友も、石破茂さんという人をずっと見ていたんだと思いますよ」 石破茂の父で自治大臣を務めた石破二朗氏=1980年8月   高市氏を「救った」石破氏の支援者  この二朗氏とのつながりで、実は石破氏と総裁選で争った高市氏は奇妙な“縁”を結ぶことになる。地元後援会関係者はこんな秘話を明かす。 「二朗さんの参院選のお手伝いをしていた森山亮夫さんという人がいたのですが、森山さんは茂さんが29歳で初当選するときから石破事務所の責任者、いわば“家老”として支え続けたんです。森山さんは茂さんが5期になるくらいまで支えていました。しかし、次第に茂さんと対立することが多くなり、石破事務所を辞めてしまったんです」  その一方、当時から森山氏は高市氏と縁があったという。 「キャスターから政界入りした高市さんは、最初は苦労されて、自民党比例近畿ブロックで当選したのは議員になって3期目でした。最初の選挙では無所属で落選、それ以降は無所属や新進党で当選し議員活動をしていました」(同)  森山氏と高市氏がしっかりと結びついたのは、高市氏が2003年11月、自民党から奈良1区で出馬し、落選した頃だった。 「高市さんが落選した時、森山さんは奈良にアパートを借りて、選挙のテコ入れをし、高市陣営の組織づくりにも尽力した。そのかいもあって、次の衆院選では高市さんが当選を果たしたんです。森山さんが高市さんを救ったのです。それ以来、高市さんは森山さんに感謝していました。10年くらい前、森山さんが体調を崩し鳥取で療養生活を送っていた時、高市さんがお見舞いに来られ、『あなたのおかげで今の私がある。ありがとうございます』と声をかけたそうです。それから間もなくして、森山さんはお亡くなりになりました」(同)  そして、こう続ける。 「森山さんは人生の多くを石破父子にささげた。そしてまた、高市さんの当選も支えた。森山さんを通じて2人には不思議な縁があったんですね。その2人が今回の総裁選で戦った。何か大きな運命を感じると同時に、森山さんは天国からどんな気持ちで眺めていたのかなと思いました」(同)  さまざま先人たちの思いを乗せて船出した石破政権。臨時国会が召集されて即時の解散表明はすでに批判を浴びているが、石破氏は首相としてこれから“筋”を通すことができるのか。日本中が注視している。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
【訃報】稀代の風刺画家、山藤章二さん死去  「週刊朝日」を後ろから開かせ続けた45年
【訃報】稀代の風刺画家、山藤章二さん死去  「週刊朝日」を後ろから開かせ続けた45年 山藤章二さん(撮影・岡田晃奈)  イラストレーターで稀代の風刺画家であった山藤章二さんが9月30日、老衰で亡くなった。87歳だった。葬儀は未定。週刊朝日で「ブラック・アングル」を45年、「似顔絵塾」を40年にわたって連載した(いずれも2021年終了)。「ブラック・アングル」などで様々な作風を駆使した風刺画やパロディー画を発表し、「現代の戯れ絵師」を自称していた。  遺族によると、最近は次のように過ごしていたという。 「ブラック・アングルの連載を終えた後は、締め切りのない日々を穏やかに過ごしていました。昨年の阪神優勝も大変喜んでいました。最愛の妻と、毎日一緒にテレビを見て、茶飲み話をし、時々手を繋ぎ、本当に仲の良い夫婦でした。昨年末、妻に先立たれてから急に元気がなくなったように感じています」 週刊朝日の「奥座敷」で生まれたブラック・アングル  山藤章二さんが「週刊朝日」で「ブラック・アングル」の連載を始めたのは1976年。その前は週刊朝日の表紙を2年担当していたが、それほど評判は芳しくなかった。 「表玄関の表紙に山藤さんの“毒とエスプリ”はキツすぎるが、他誌に盗られるのは悔しい。奥座敷の最終ページを差し上げます。毒でもエスプリでも十分に発揮してくださいよ」  と、当時の編集長が口説き、「ブラック・アングル」が誕生する。   76年4月30日号のブラック・アングル  ちょうど田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された年だった。武者小路実篤さんの死去とロッキード事件の角栄・児玉・小佐野各氏の“金友関係”を組み合わせた「仲よき事は美しき哉」(76年4月30日号)は大きな話題となった。山藤さんは田中元首相について、『自分史ときどき昭和史』(岩波書店)に書いている。 〈スタートしたばかりの漫画の絵柄としては、とりあえず〝角さんだのみ〟だった(略)政治家個人にこれほど大衆の関心が集まったことはない(略)「ブラック・アングル」のスタートは、時の利とヒトの利を得ていた〉 政治家の顔が個性的な時代だった。  岸田劉生の代表作「麗子像」が大平正芳首相の顔になった「麗子微笑」(79年5月4日号)。小沢昭一さんがこの絵が好きで、 「あれ見てると元の麗子の顔がどうしても思い出せないのよ!!」 79年5月4日号のブラック・アングル  画風模写、切り絵、ヘタウマ絵、マチエール絵、和紙絵などの手法、テクニックを駆使して描き、落語や俳句、川柳、狂歌、パロディー、語呂合わせで鍛えた言葉を添える。なにより圧倒的なセンスで他の追随を許さず、「週刊朝日を後ろから開かせる男」と呼ばれた。 鏡に映る顔が「山藤の描く顔に似てくる」  山藤さんのファンは作家や芸能人、文化人にも多い。そのひとり、山口瞳さんの「山藤の前に山藤なく……」(80年)という文章がある。銀座を山藤さんと並んで歩いていると、向こうから酔った野坂昭如さんが現れ、すれ違いざまに山口さんにいった。 「ヘッ、よく描かれようと思って……」  当代の似顔絵師にお世辞を使ってやがると、いいたげだったという。  その野坂さん曰く、 「山藤の描くわがご尊顔はヒトというよりチンパンジーに近いのだが、ふと鏡を見れば、映っている顔はどんどん山藤の描く顔に似てくる」 「ブラック・アングル」の快進撃が続くなか、山藤さんは81年から週刊朝日で「山藤章二の似顔絵塾」の連載も始め、塾長として読者から寄せられた似顔絵から誌面に掲載する作品を選別し、論評した。美男美女をきれいに描いた作品はまず採用されない。あらゆる手法がOKで、奔放なデフォルメ作品が誌面を飾り、山藤塾長は描かれたモデルから苦情を貰うこともしばしばだった。 週1回、フラリと現れる山藤さん  私が山藤さんの担当になったのは1985年だった。「ブラック・アングル」が始まって9年、「似顔絵塾」が始まって4年である。  円熟期の山藤さんには新聞、雑誌などの注文が殺到し、テレビにもよく登場されていた。そんな多忙な山藤さんが、週に1回、朝日新聞社にフラリと現れる。 甲子園球場で高校野球を観戦する山藤さん(1998年8月)   「ブラック・アングル」の打ち合わせで、編集部員が4、5人集まって、山藤さんとおしゃべりをする。話題のニュース、スキャンダル、政治家、犯罪、芸能(とくに落語)と話題が次々に飛ぶ。静かに聞く山藤さんが、時に鋭く質問する。  そして翌日、打ち合わせでは全く話題にものぼらなかった「ブラック」が編集部に届けられる。毎週、魔術を見る思いだったが、描き始めるのはきまって締め切り前日の夜中だったという。ひらめきが必ず降りてきて、それを圧倒的なスピードで仕上げていく自信があっての離れ業だったようだ。 距離感を保った「タイガース愛」  ダンディな山藤さんだが、85年は浮かれ気味でもあった。阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグ優勝を決め、日本一になった年でもあった。ただし、山藤さんのタイガース愛は、実にクールだった。横浜スタジアムに試合を一緒に見に行ったことが何度かあるが、七回ごろに、山藤さんはすっと帰ってしまう。 「阪神が勝ってるうちに急いで帰ったほうがいい。負けていたら逆転はまずない。中華街もしまっちゃうからさ」  阪神とも適当な距離を保つのが山藤さんらしい。  キレキレの山藤さんに疲れが見えてきたのは、70歳代半ばからだと思う。 「最近の政治家の顔を描く気がしないんだよ」  ということが多くなり、その時期にいただいた手紙にはこうあった。 〈マッカーサーは「老兵は死なず…」と言いました。(略)「週刊朝日」からいつか引退しなくてはなりません。これは致し方のないことです。いまのまま、居座っていいのか、どうか迷っています〉  80歳前後からは右ひざが痛み、歩きづらくなった。手術や長期入院にも耐えつつ描いた「ブラック」だが、さすがに昔日の輝きが薄れてきたのを本人がいちばんわかっていたと思う。  21年12月に「ブラック・アングル」は2260回、「似顔絵塾」は1990回で終了することになった。  山藤さんは『自分史ときどき昭和史』に書いている。 〈私の選んだ道は諷刺であり、皮肉であり、滑稽である。すべて観察と距離感を必須とする世界だ。ホドのよい賢さと愚かさ。ホドのよいマジメさとフマジメさ。ホドのよい協調性と孤立性。ホドのよい自信と不安。こういった二律背反するものの微妙なバランスの上で成り立っている商いである〉  自分を分析しつくし、辞め時もスマートな山藤さんだった。  山藤さんはその後、ときどき文章を書き、絵を描きつつも、公式的な活動は控えていた。コロナ禍であまり外出することもなく療養していた。87歳の生涯で、私たち多くのファンに笑いと示唆を与えてくれた山藤さん。ありがとうございました。 山藤章二さん(撮影/写真映像部・東川哲也)   (週刊朝日OB・村井重俊)
意欲先走りの準備不足戒めたバスケ早慶戦の敗北 ライフコーポレーション・岩崎高治社長
意欲先走りの準備不足戒めたバスケ早慶戦の敗北 ライフコーポレーション・岩崎高治社長 各店の購買データから客層を価格に厳しい、健康志向、品質重視など9類型に分類。店ごとに類型に沿った品揃えや配置にして、同質化競争から脱した(写真/山中蔵人)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年 9月30日号より。 *  *  *  1999年5月、英リバプールの三菱商事の食品子会社から帰国し、食品トレーディング部からスーパーマーケットチェーンを展開するライフコーポレーションへ出向、取締役・営業総本部長補佐に就いた。33歳。三菱商事は当時、ライフの株式を持つなど関係を深めていて、出向者は3代目だった。  ライフの前身は、清水信次氏が大阪市で1961年に設立したライフストア。大阪府豊中市に1号店を開き、近畿圏と首都圏で出店を重ね、いまそれぞれに約150店を持つ。店ごとに来店者のデータからニーズを分析し、品揃えを思い切って変えるなど、人口減という小売業への逆風に備えを進めている。キーワードは「準備力」だ。  慶応大学で体育会バスケットボール部に所属し、思い出深いのが早稲田大学との伝統の早慶戦。3年目の86年6月は早大キャンパスであり、慶大は関東大学リーグで3部に落ちていた低迷期。圧倒的に早大有利とされたが、調子がよくてシュートを次々に決め、勝負どころで3ポイントシュートも入れて、5年ぶりの勝利に貢献した。  翌年6月、横浜市の慶大・日吉キャンパスであった部活最後の早慶戦は、OBがたくさん観にきて、自身も意気軒昂として迎えた。だが、思わぬ点差で惨敗する。振り返ると、前年の活躍で力が入り過ぎ、気持ちも舞い上がって、勝つための準備を十分にしていなかった。ここで「事を成すには力まず、はやらず、徹底的に準備することだ」と胸に刻む。岩崎高治さんが、ビジネスパーソンとしての『源流』になったとする体験だ。 バスケの始まりは中学校(写真/本人提供) 「準備力」を発揮し全店回って話を聞き徹底的に課題を知る  ライフへ出向して約1年で、当時あった約190店、すべてを回った。店長らの話を聞き、店ごとの立地条件や課題を知って、改革すべき点をみつける。全店を回らなくても課題くらい分かる、との声もある。だが、新しい舞台に立っても力まず、はやって何かに着手する前に、やるべきことに備える『源流』からの流れは、10年の間に水量を増していた。  ライフは清水氏の強気な出店で規模は大きくなったが、既存店への投資は後回し。物流や情報のシステム構築も遅れ、社員たちは息切れし、若くして退職してしまう例も続いていた。  支店巡りでそんな状況をみて「もったいない」と思う。みんな、朝から晩まで懸命に仕事をして、会社への忠誠心は強く、何よりも商売好き。でも、一つの目標へ向かって気持ちが揃わず、問題があると「あいつが悪い」と言い合っていた。スポーツのチームなら、絶対に勝てない。逆に言えば、ベクトルさえ合えば勝てる、と受け止めた。  だが、店回りで聞いた「本当はこうしたい」との本音に「やればいいではないか」と返しても、「いままでダメだと言われてきた」と渋る。一例が、残業だ。戦争を経験し、労苦を続けて事業家になった清水氏は、長時間労働は美徳と考えていた。「業績も厳しく、残業はダメ。するならファクスで申請しろ」と、事実上、残業を規制していた。現場は、改善策を考えていたが、就業時間中には手が回らない。トップへ「残業します」とも言えない。結局、サービス残業をするか、売り場の課題を放って帰ることになる。  それでは客が離れ、売り上げが落ちる。そこで、自分が清水氏に「何々店、残業します」と言うことにした。「改装してオープンです」「大きなチラシで集客するので」などと理由を付け、残業代を払い、現場の空気を変えていく。すると、業績が上がった。 「小売業は、すぐに結果が出て面白い」と頷く。出向期間は両社の合意で2年間。だが、清水氏は、知らないうちに三菱商事へ延長を求めていた。小売業の手応えに戻る気はないし、考えてもいない。『源流』からの流れが、流域を広げていく。 高校から誘われた中学校3年生の区大会の決勝戦  1966年3月、東京都中野区に生まれた。父は小さな町工場の工場長で、母と姉2人、祖母の6人家族。父はよく働く人で、家族で出かけるのは年一度の海水浴くらいだった。  バスケットボールは、区立第五中学校で始めた。『源流』につながったのが、3年生の夏の区大会だ。区に中学校は16校あって、決勝まで進む。最後は負けたが、指導教諭に「慶応高校にくる気はないかと声をかけられているが、どうだ」と聞かれた。同校の関係者が区大会の決勝戦を観にきて、関心を寄せてくれたらしい。そこで日吉キャンパスにある慶応高校を受験、合格してバスケットボール部へ入る。慶大経済学部へ進んでも続け、前述の早慶戦の苦杯から『源流』が生まれた。  89年4月に三菱商事へ入社、食品トレーディング部へ配属され、果汁の輸入を担当する。5年後、英リバプールのプリンセスという食品子会社へ出た。ここで3年目に、ライフの清水氏と出会う。同氏は妻や社員と英国の小売業を視察にきていた。  上司と自分の車2台に分乗してスーパーなどを巡ったが、怖い人だと聞いていたのに気遣いもしてくれ、話しやすかった。でも、このときにライフで一緒に仕事をすることになるとは、思ってもいない。後になって聞いたが、清水氏は案内役を務めた3日間のやり取りで何かを感じ、帰国後に三菱商事へ「岩崎君をうちへ出向させてほしい」と要請。「すぐには出せない」と断られても、数年待って会長や社長に直談判したらしい。 「15の改革」掲げた東西一体の経営計画経常利益は3倍に  04年4月、営業統括本部長になって、東西の営業を一体にした中期経営計画をまとめ、「15の改革」を掲げた。競争力のある新しい形の店を出す一方、役割を終えた店は閉めていく。残す店は手を入れ、売り場の配置を最新のものにして品揃えも内装も変え、働きやすい職場にする。システムも更新、店員教育を体系的に実施する、などだ。  出向したころは約190店で売上高が約3700億円、経常利益が18億円から20億円。「15の改革」で、売上高や店数はあまり変わらなくても、06年の経常利益は約3倍の60億円に増えた。サービス残業も解消、処遇も改善し、早期に辞める人も減った。事前に近畿圏の声も十分に聞いた「準備力」の勝利だ。  06年3月1日、出向のまま社長に就任。清水氏は体調が優れず、40代直前の若さに託したようだ。トップに就いて19年目。この間に打った改革は次号で触れるが、変えていない基軸もある。例えば、出店は近畿圏と首都圏に限っている。日本は人口減とはいえ、東京は地域によって増えているところもあり、近畿も細かくみると増えるけれど店が少ないところもある。まだ出店余地はある、との判断だ。  次に市場が大きい中京圏や福岡圏は未開拓だが、そこには、地域の食文化に根差したスーパーがある。いまさら出ていっても、勝負はついている。あるとすれば、地域企業との提携だ。そう口にしたのは、また「準備力」が動き出しているのかもしれない。『源流』からの流れは次に、どこへ向かうのか。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2024年9月30日号  
橋本環奈さんがAERAの表紙に登場 「私の“原点”はここだ」に込めた思い/『AERA』9月30日発売
橋本環奈さんがAERAの表紙に登場 「私の“原点”はここだ」に込めた思い/『AERA』9月30日発売  9月30日発売のAERA10月7日号は、俳優の橋本環奈さんが表紙に登場。朝ドラ「おむすび」のスタートを前に、ヒロインを演じる思いや出身地福岡での撮影で感じたことなどをたっぷり語ります。巻頭特集は「女性の健康とキャリア」。更年期やPMSなど、女性をめぐる様々な不調でキャリアの中断などが起こると、なんと経済損失は3.4兆円にのぼるという試算もあります。女性は不調とどう向き合えばいいか、様々な面から考えます。混戦の自民党総裁選は石破茂氏が新総裁に選ばれました。新総裁が直面する今後の課題などを考えます。星野源さんは約7年半ぶりにエッセイ集を刊行。「書く」理由やそこに込める思いを、星野さんならではの表現で語るインタビューに引き込まれます。大好評連載「松下洸平 じゅうにんといろ」は、ヒップホップ・アクティビストのZeebraさんとの対談が続きます。音楽をめぐり意気投合する二人の様子をぜひご覧ください。ほかにもさまざまな企画が詰まった一冊です。   表紙+インタビュー:橋本環奈 表紙に登場する橋本環奈さんは、9月30日スタートの連続テレビ小説「おむすび」に主演。朝ドラは「とにかく保有する台本の量が違う」という大変さですが、楽しく意欲的に役に取り組んでいる様子が伝わってきます。撮影は出身地の福岡でもあり、その際には実家から現場に通っていたとか。両親と食卓を囲みながら「親の存在って偉大だな」とつくづく実感し、「私の“原点”はここだ」と心から感じたと言います。そんな橋本さんの今が詰まったインタビューです。表紙とグラビアの撮影はもちろん蜷川実花。その透明感に吸い込まれる、その目に釘付けになる、写真の数々です。ぜひ誌面でご覧ください。 巻頭特集:女性の健康とキャリア 月経前に起こる不調のPMSや、閉経前後の更年期障害、妊娠・出産時の変化など、不調を抱えて悩む女性は多いでしょう。女性が長く働くようになり、責任ある仕事に加え、家事や介護、育児などが重なり、心身共につらいという声もよく聞きます。経済産業省の試算によると、女性が不調を感じ離職したり、パフォーマンスが低下したりすることによる経済損失は3.4兆円にのぼるそうです。ただ、更年期症状で悩む女性のうち8割が受診をしていないという調査もあり、不調を抱えながらも適切な対応ができていないことがわかります。女性自らも、その周囲も、正しい知識がなく、我慢を重ねて症状が悪化することも起きています。どう対応すればいいのか、専門家たちから様々なアドバイスを聞きました。 自民党総裁に石破茂氏 史上最多の9人が立候補した自民党総裁選は、投開票当日まで結果が読めない大混戦となりました。決選投票の結果、誕生したのは石破茂新総裁。次の首相となる石破氏が直面する課題は? 解散総選挙の行方は? など、結果速報を受けた最新情報を詳報します。 星野源が「書く」理由 星野源さんの約7年半ぶりのエッセイ集『いのちの車窓から 2』が刊行されました。「心がピタッと凪いだ状態」から書き始めたという特別な一冊だといいます。星野さんは書く作業について、「書いているうちになんとなく自分の心の押し入れを開けてしまって、そこから広がっていく。そんなことが多かったです」と語ります。また、大切にしたのは「心の機微や感触を、感情や主張を加えずに描くという姿勢」だと言います。最終話では“ゾーン”に入っているような感覚さえ味わったとか。星野さんの「書く」ことに込める深い思いが伝わるインタビューです。 松下洸平×Zeebra 大好評連載「松下洸平 じゅうにんといろ」は、ヒップホップ・アクティビストのZeebraさんがゲストの全6回の対談のうちの4回目。ZeebraさんがDJを始めたころの話で盛り上がります。当時を振り返り「むしろ不便だったからこそ熱が続いた」とZeebraさんが言えば、松下さんも「不自由だからこそ、自分の足で探しに行かないと手に入らないものが多かったですよね」と応じます。二人の音楽への熱い思いが伝わる対談です。それぞれにフォーカスした貴重な撮り下ろし写真もお楽しみに。 ほかにも、 ・中国・深圳の男児刺殺事件 インプ稼ぎで「反日」 ・障害×女性、当事者が語る複合的な困難 ・【女性×働く】“駐妻”に変化、キャリア中断に悩み ・SBI証券・髙村正人社長語る「1位へのこだわり」 ・Xの新奇才 SNSで出合う「才能」と「芸」 ・息吹き返したアナログ技術 フィルムカメラやレコード再評価 ・正門良規(Aぇ! group)「使えるものは何でも使って」 ・SAM & DJ KOO 還暦超えユニットで「人生100年時代」の音楽 ・百田夏菜子 この道をゆけば ゲスト・芳根京子 ・田内 学 経済のミカタ ・武田砂鉄 今週のわだかまり ・ジェーン・スーの「先日、お目に掛かりまして」 ・2050年のメディア 下山進 @cosmeと化粧品業界 ・職場の神様 エミー賞音響賞を獲得 ADRは仕込みが命 ・現代の肖像 高田 茜・英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル などの記事を掲載しています。 ※9月30日(月)正午から、公式X(@AERAnetjp)と公式インスタグラム(@aera_net)で、最新号の内容を紹介する「#アエライブ」を行います。ぜひこちらもチェックしてください。 AERA(アエラ)2024年10月7日号 定価:600円(本体545円+税10%) 発売日:2024年9月30日(月曜日)
申請を忘れると年金200万円の損…荻原博子「もらえるものはとことんもらう」ための賢者の知恵
申請を忘れると年金200万円の損…荻原博子「もらえるものはとことんもらう」ための賢者の知恵 ※写真はイメージです(gettyimages)    申請をしないともらえない年金があることを知らない人は多い。ジャーナリストの荻原博子さんは「65歳の年金支給開始時に年下の配偶者がいる人は、申請しないと大損する年金がある」という――。 年金支給開始時に申請し忘れると大損する  日本ではまだ60歳で定年という会社が多いのですが、60歳定年の企業でも、本人が希望すれば65歳まで再雇用しなくてはなりません。ただし、給料の規定はないので、それまで月40万円だった給料が、半分の月20万円になってしまったなどというケースはザラにあります。  65歳まで働いて、やっと年金生活に入っても、厚生年金の平均額は男性16万3875円、女性で10万4878円(令和4年度)。夫婦ふたり暮らしだとしたら、夫婦の厚生年金を合わせて月額約27万円。妻が専業主婦だとしても月5万円くらいの年金はもらえるので、ふたり分を合わせて21万円ほどあれば、なんとかやっていけるかもしれません。  けれど、1人の年金でふたりが生活していくというのは、かなり厳しいのが現状です。そこで、公的なものでもらえるものはとことんもらい、少しでも生活の足しにすることが必要でしょう。  実は、多くの人が知らない、忘れがちな年金の1つに、「加給年金」があります。この年金は、申請しないともらえないタイプのため「定年すれば年金事務所がお知らせをしてくれる」と思っていたり、そもそもその存在を知らなかったりしたら、家計全体では「大損」してしまうかもしれません。  詳しく説明していきましょう。 事実婚のパートナーでも、「加給年金」はもらえる  厚生年金に加入していた人が年金をもらえる65歳になったときに、まだ年金支給年齢に達していない配偶者(妻または夫)や、扶養する子どもなどの家族がいれば、「加給年金」という“家族手当”のような年金をもらえる可能性があります。 「加給年金」がもらえる受給条件は、厚生年金加入期間が20年以上、または共済組合等の加入期間を除いた厚生年金の加入期間が40歳以降(女性と坑内員・船員は35歳以降)15年から19年以上あることです。  また、本人が65歳になるか、あるいは定額部分支給が始まる時点で、配偶者や子どもがいる人です。  年金をもらえるのは、同一住所に住んでいる配偶者で65歳未満であること(大正15年4月1日以前に生まれた配偶者には年齢制限はありません)。また、一緒に住んでいるのであれば、18歳到達年度の末日までの子ども、または20歳未満かつ1級・2級の障害がある子も対象となります。  さらに戸籍上の夫婦だけでなく、事実婚のパートナーであっても対象となります。  夫婦がともに20年以上厚生年金に加入していても、相手が特別支給の老齢厚生年金などをもらっていなければ対象となります。ただし、65歳になってからの「振替加算」はもらえません。  また、配偶者やパートナーに850万円以上の年収があると、「家族手当はいらないだろう」という観点から、支給されません。 配偶者が、5歳年下なら200万円もらえる可能性 「加給年金」でもらえる年金額は、配偶者、1人目・2人目の子どもは年間に各23万4800円。3人目の子どもからは各7万8300円となっています。  さらに、配偶者の「加給年金」には、老齢厚生年金を受けている人の生年月日によって「特別加算」も付きます。  つまり、年下の配偶者がいたら、23万4800円にさらに17万3300円が加算されるので、年間40万8100円の年金がもらえるということ。  たとえば、妻が5歳年下の場合には、妻が65歳になるまでの5年間もらえ、総額は200万円を超えますから結構な金額です。 出典=日本年金機構HP   「加給年金」は、年下の配偶者が65歳になって自分の年金をもらえるようになったら停止しますが、その代わり大きな額ではありませんが「振替加算」が付きます。ただし、「振替加算」は昭和41年4月2日以後生まれからは付きません。 「繰下げ受給」と「加給年金」の恩恵を両方受けるには 「加給年金」をもらう際に注意しなくてはいけないのが、年金の「繰下げ受給」です。  少しでも多くもらうために、65歳からもらえる年金を70歳までがまんして、増やしてもらおうと考える人もいるでしょう。ちなみに、65歳でもらう年金を70歳までがまんすると、142%増えた金額を毎月もらえることになります。  ただし、「加給年金」は、老齢厚生年金を「繰下げ支給」してしまうともらえないケースが出てきます。  たとえば、65歳の夫と60歳の妻の場合、夫が70歳まで老齢厚生年金をもらわない選択をしてしまうと、妻の「加給年金」ももらえなくなるのです。  では、どうすればいいでしょうか?  夫が65歳からもらう年金は、「老齢基礎年金」と「老齢厚生年金」の2階建て。「老齢基礎年金」と「老齢厚生年金」は、それぞれ別々に「繰下げ受給」にすることができます。そして「加給年金」は、2階部分の「老齢厚生年金」に付いているもの。  ですから、2階部分の「老齢厚生年金」は65歳から「加給年金」と一緒にもらい、1階の「老齢基礎年金」は70歳まで「繰下げ受給」すれば、こちらは142%増えたものを70歳からもらうことができるのです。  詳しくは、最寄りの年金事務所に出向いて確認するといいでしょう。  人生100年時代。定年後の約30年、少しでも生活不安をなくすためにも、さまざまな情報をチェックしておくことが大切です。「~だろう」「~だから」という思い込みは禁物。申請し忘れ、受給し忘れても、年金事務所は親切にハガキなどでお知らせしてくれません。年金は自ら調べて行動し、取得するのが基本だと肝に銘じてください。 (荻原博子 経済ジャーナリスト)

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