プロとの交流も自由…甲子園を目指さない高校野球部が誕生(上)
2013年10月2日、芦屋学園高に「甲子園を目指さない野球部」を新設することを発表した兵庫・高下球団代表(芦屋大にて)
野球界の現状に対する“アンチテーゼ”とも言える画期的なアイデアが発表されたのは、2017年11月7日のことだった。
「甲子園を目指さない高校野球部」
関西を拠点に活動するプロ野球独立リーグのベースボール・ファースト・リーグ(BFL)が、来年2018年から高校生を受け入れるために構築する新たな育成システムの骨子をまとめると、こういうキャッチフレーズになる。
その仕組みと、こめられた意味を説明していこう。
BFLの兵庫球団が向陽台高(大阪府茨木市)と、そして和歌山球団も神村学園高(鹿児島県いちき串木野市)とそれぞれ教育提携を締結する。それぞれ発足させる「育成チーム」は独立リーグ球団、つまりプロの「下部組織」となる。
その育成チームに所属するのは、2018年度の新入生と転入、編入してきた高校生で、上限は31人。選手たちはそれぞれの通信制高校で学びながら、育成チームでプレーすることになるのだが、この2チームはいずれも日本高等学校野球連盟(高野連)には加盟しない。ここが大きなポイントになる。
高野連に加盟しないと、まず「甲子園」を目指すための各都道府県大会には参加できない。つまり「甲子園を目指すことができなくなる野球部」になるのだ。さらに、現状のルール下では、高野連に加盟する学校とは練習試合を行うこともできない。
一方で、日本学生野球憲章には従う必要がないため、同憲章で制限されているプロとの接触や直接指導を受けること、さらにはプロ相手の交流戦に出場することにはまったく制限を受けない。
「もうひとつの成功のための受け皿になるという理念です」
このプランの仕掛け人であり、兵庫、和歌山両球団の代表とGMという『4役』を兼任する高下沢(こうげ・たく)が、その狙いを明かしてくれた。言葉をほんの少しだけ生々しくすれば、『既得権』に対しての『新勢力』とでも言えるかもしれない。1984年生まれというこの若き経営者が、野球界に新たなる風を吹き込もうとしている。
このプランの下地作りは、実は6年前にスタートしていた。その経緯を追っていく前に、まずは高下という男のキャリアをたどっていきたい。その歩みの中に、今回のプランに秘められた思いや狙いが見えてくるからだ。
* * *
高下は選手として決して華々しいキャリアを歩んできたわけではない。プロを目指し、広島工業大でプレーを続ける中でもうワンランク、自分の実力を上げたいと考え、大学4年のときに休学。独立リーグの四国アイランドリーグ(当時、現・四国アイランドリーグplus)の香川への入団を決意した。
2005年8月23日。シーズン中でのプロ入りとなった高下は、ナイターでの試合にいきなり出場した。
「衝撃的でした。すごい世界でした」
独立リーグとはいえ、スタンドには数百人レベルの観客が詰めかけている。いいプレーには拍手が沸き、つまらないプレーにはヤジも飛ぶ。勝利を求め、自らのパフォーマンスを出し切ろうとする『プロ』の世界に、高下は魅了された。
「学生の自分でも、こういう環境でプレーすることができれば、自分はもっと野球がうまくなる。そういうことが学生だとどうしてできないんだろう? そういうものが作れないのかな。ずっとそう思っていたんです」
アマとプロをつなぐことができれば──。それは、野球界にとっての永遠のテーマでもある。1961年4月、社会人野球のシーズン真っただ中に日本生命の外野手・柳川福三が中日と契約。プロによる強引な選手引き抜きに反発した社会人側は、この「柳川事件」を機に翌62年からプロ球団退団者の受け入れを拒否。以来、プロとアマは事実上の断絶状態に陥った。また、1950年に制定された「日本学生野球憲章」でもプロ選手と学生との接触が厳しく制限されてきた。
同じ競技でありながら、今も厳然と存在しているプロとアマを隔てるその『壁』を何とか崩せないのか。学生時代の体験から生まれた発想を形にしたいという思いを、高下は抱き続けてきたのだ。
大学を卒業した高下は2009年に発足直後の関西独立リーグの明石へ入団し、2010年には同じ関西独立リーグの神戸に移籍。転機は、そのオフに訪れた。神戸は資金難から球団経営を断念しようとしていた。そんなとき、高下のもとへ思わぬ話が舞い込んできた。
「球団経営をやらないか?」
関西独立リーグは2009年、神戸、明石、大阪、紀州の4球団で発足した。兵庫球団の前身である神戸9クルーズは、当時16歳の女子高生投手・吉田えりを獲得。ナックルボールを武器に男性選手に立ち向かうその可憐な姿は大きな話題を呼んだ。
しかし、その華々しい船出の裏で、リーグも球団も資金難に苦しんでいた。開幕して1カ月足らずの5月に入っても、リーグ側が開幕に合わせて4球団に約束していた「3000万円」の分配金が振り込まれず、資金繰りがつかなくなった各球団が選手たちに給料が支払えない事態が発生した。リーグ代表は引責辞任。しかし、その後も状況は好転せず、翌2010年には選手の最低給与を月20万円から8万円にまで下げた。さらに同6月からは神戸、明石、紀州の3球団が全選手の「給与全額カット」が決定。プロを名乗りながら、報酬がゼロという異常事態に陥ったのだ。
それでも、野球を続けたい。その強い意志を持った神戸の選手13人が結束、兵庫県三田市を本拠地とする新球団『兵庫ブルーサンダーズ』が創設された。高下は選手兼任で球団代表に就任。NPO法人での球団経営という、日本の独立リーグでも初の試みに挑んだ。
選手給与は全員ゼロ。その厳しい環境の中、関西独立リーグ、BFLで今季までの7シーズンで5度の年間優勝を遂げている。その一方で「兵庫はボランティア活動が主なのか?」と言われるほど丹念な地域貢献活動を続け、本拠地の三田にとどまらず、篠山、西脇、猪名川、芦屋の周辺地域などでも野球教室を開催。選手たちは球団の活動に賛同した三田市内の企業や飲食店でアルバイトに従事するなど、地域とのつながりをしっかりと深めてきた。
こうした高下らの地道な取り組みに着目していたのが学校法人の芦屋学園だった。球団が続けていた、兵庫県内での「地域貢献活動」への協力態勢を築くために始まった両者の話し合いの中で、野球界の常識を越えたある構想が浮上してきたのだ。
* * *
芦屋学園は教員育成の一環としてスポーツ活動の充実を図ってきた。中学、高校、そして芦屋大学の10年一貫指導の中で、バスケットボールやボクシングにおいてプロのコーチの指導を受け、プロとの試合を通してその技術を磨き、また大学のスポーツマネジメントコースの中でプロスポーツクラブ運営のノウハウを学び、将来の経営者を育成したい狙いもあった。そうした中で、野球部を創設した場合にもプロの指導を受け、プロと試合を行うことはできないのだろうかと模索していた。
そこで、高下が提案したのが、芦屋学園の運営する芦屋大学が「全日本大学野球連盟に入らない」ことだった。
所属リーグの春季リーグで優勝したチームが出場する「全日本大学野球選手権大会」は毎年6月、神宮球場を中心に開催される。高校生の聖地が甲子園なら、大学野球の選手たちにとっては大学日本一をかけて神宮で戦うことが最大の目標だ。大学側にとっても、全国的な知名度を上げるのには絶好の大舞台でもある。ただ、連盟に所属しなければ、その挑戦権は得られない。
ところが、芦屋学園側は「それには興味がなかった」という。「埋もれた人材の才能をいかにして引っ張り出すか」という学園側の目的に合ったプランが「兵庫との話だった」と説明する。プロが常時、大学生を指導し、それによって新たな才能を開花させることができる。「日本学生野球憲章」の効力外なら、兵庫球団というプロと芦屋大学が“コラボ可能”になる。ならば、新たに立ち上げる芦屋大野球部は連盟に入らなければいい――。その結論に至るまでには、時間はかからなかったという。
2011年11月24日、芦屋大は高下が球団代表を務める兵庫との教育提携を発表した。その中に、球界に一石を投じるこの“仕掛け”が組み込まれた。
プロと学生の接触を制限している「日本学生野球憲章」に基づけば、兵庫球団に芦屋大の選手が加わって練習や試合を行うことは、まず実現不可能だ。全日本大学野球連盟に加盟しなければ、現行の全国大会やリーグ戦にも参加できず、連盟外のチームとの交流も同憲章で厳しく制限されているため、他大学との練習試合すら組めない。ただ、憲章によると「本憲章を遵守」する対象として明記されているのは、学生野球団体に登録された野球部員と加盟校および指導者とある。そこで、芦屋大側は日本学生野球協会にふたつの疑問点を問い合わせている。
(1)独立リーグは『プロ扱い』なのか?
(2)一般学生は憲章の適用を受けるのか?
これらの質問に対する連盟からの回答は(1)プロ扱い、(2)受けない、というものだった。
この回答の意味を説明していこう。
芦屋大が野球部を持つ目的は、将来的に高校や大学の教員として野球部の指導者を目指す人材を育てることにあった。現在でも全国レベルの強豪大学になると、100人超の部員を抱え、4年間で1試合も公式戦出場のないまま卒業する選手もいると言われる。それでは教えるための技術を高めたり、実戦経験を積んだりすることができない。
この問題を解消するために、高下はまず兵庫球団に2軍を作り、そこに芦屋大の選手を所属させるというシステムを考案した。ここで注目すべきポイントは『2軍=芦屋大の学生』『1軍=独立リーグ』という図式だ。つまり、プロと大学が事実上の同一チームを結成して1、2軍の練習も合同で行う。大学生が独立リーグの試合でプレーするのは、プロ野球で2軍から1軍に選手が昇格するのと同じ意味合いと考えればいい。この“飛び級”によって、芦屋大の学生はBFLの公式戦で実際にプレーしており、そこからドラフト指名を受けた選手もすでにふたり生まれている。
2016年に育成ドラフトで巨人から3位指名を受けた山川和大は、芦屋学園高の軟式野球部出身。芦屋大に進学後、兵庫球団の2軍でプレーしながら力をつけた。2017年にドラフトで楽天から5位指名を受けた田中耀飛も、英明高(香川)時代は甲子園でプレーできなかった無名の選手。芦屋大に進学後、3年から本格的にBFLの公式戦に出場し、巨人や楽天、阪神との交流戦でもその長打力を発揮してプロ入りの夢を実現させた。
田中は楽天への入団が内定した後、芦屋大で行われた記者会見でこう語っている。
「自分の友人も、強豪の大学に行っています。うまくいけば試合に出られるんですが、部員は150人、200人といるそうで、練習もなかなかできないと聞きました。でも、芦屋大では練習時間も平等で、みんなを平等に監督やコーチも見てくれます。この大学に入った理由はNPB(セ・パ12球団)出身の監督やコーチに指導を受けられ、試合も多く、野球と勉強の両立ができるからです」
連盟に入らなければ『芦屋大の選手=一般学生』という解釈が成立するため、先述のプランを芦屋大が実行に移す際には連盟のコントロールを受けることもなく、憲章を遵守する必要もない。大学に生徒を送り出す高校側にしても、野球の技術レベルは決して高くないもののリーダーシップが優れていたり、指導者になるためにきちんとした技術や指導法を学ばせたい教え子を抱える指導者たちには、芦屋大の打ち出した新機軸は魅力的に映ったようで、進学志望者は年々増加。2017年現在で、36人の芦屋大生が兵庫球団に在籍している。
高下は、このシステムを高校野球にも導入しようと考えたのだ。
※<中編>へ続く
(文・喜瀬雅則)
●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)を出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。
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2018/01/02 16:00