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北朝鮮問題で韓国・平昌五輪が開催危機? ピョンヤンとピョンチャン混同も
北朝鮮問題で韓国・平昌五輪が開催危機? ピョンヤンとピョンチャン混同も
スキージャンプの高梨沙羅 (c)朝日新聞社 66年ぶりの金メダル連覇を狙う羽生結弦 (c)朝日新聞社  開幕まで5カ月を切った平昌五輪。2連覇を狙うフィギュアスケートの羽生結弦を筆頭に日本選手のメダル獲得に期待がふくらむ中、気がかりな話が聞こえてきた。  北朝鮮の核実験とミサイル発射によって国際社会の緊張が高まる中、欧州で平昌五輪の参加の是非と問う声が挙がり始めている。  事の発端はフランス・スポーツ相の「フランスチームを危険にさらすようなことは絶対にしない。安全が保障されないのであれば国にとどまる」との発言が報道されたこと。  これを受け、オーストリアのメディアは同国オリンピック委員会の会長が「事態が悪化し、選手の安全が確保されないのであれば韓国には行かない。ただ、現時点でそうなることは想定していない」と述べたことを報じている。  ドイツ五輪スポーツ連盟は、公式サイトで会長の「チームの安全が最優先だが、現時点で具体的な対応について協議するのは時期尚早」との談話を発表。同連盟の幹部会合における最重要議題が韓国の安全だったことも伝えた。  日本でも、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長が「予定通り平昌五輪に選手を派遣する」との見解を出したことが報道されたばかり。  こうした動きについて、平昌五輪を取材予定の大手メディア記者は「JOCが北朝鮮のことで揺れ動いたというわけではなく、日本の対応について外国から問い合わせがあったらしいですよ」と明かす。  いずれも様子見のスタンスだが、日本に関して言えば五輪不参加の可能性が差し迫っているという感じはない。  しかし、欧州では捉え方が少し違うようだ。ドイツのアルペン男子エースでメダル候補のフェリックス・ノイロイターは「まだ先のこと」と前置きしながらも、「このままの状況なら当然考えることになる。(国境から)80キロの場所だ。申し訳ないけれど、滑っている時にミサイルが頭上を飛んでいったらどうすればいいんだ? 狂気の沙汰だよ」と発言。スター選手の言葉だけに“参加断念を検討”と大きく取り上げられた。  それぞれの反応には温度差も感じるが、背景には国の置かれた状況も関係するだろう。  この十数年、日本では北朝鮮の動向が逐一報道され、私たちは喜び組や天才キッズの存在まで覚えた。「日本ごとき瞬時で焦土化」と脅しを受ける中でJアラートが鳴っても、大パニックに陥ることはない。  私は以前ドイツに長く住んでいたが、当時のニュースなどで詳しい北朝鮮情勢を見聞きした記憶は数えるほど。得体の知れない怖さがあっても不思議ではない。  平昌で現地取材もしている前述の記者は、「五輪組織委員会の人が『ピョンヤン(平壌)じゃなくてピョンチャンですよ。間違えないでください』と言ったという笑い話があるんですよ。冗談交じりでしょうが、それが象徴していますよね」と話す。日本では考えられないが、多くの国では“あるある”かもしれない。  万が一、本当に不参加の国が出た場合に心配なのは五輪の価値が下がってしまうこと。オーストリアは世界最強のスキー王国。そしてドイツは自他ともに認めるスポーツ大国だ。  前出の記者はこう指摘する。「北米アイスホッケーリーグは、リーグ戦を優先するために五輪には出ないと発表した。カナダやスウェーデンなどではアイスホッケーは人気が高く目玉競技の一つ。トッププロが参加しないのは痛手。韓国は雪上競技が全体的に弱く、盛り上がっていないところにさらに拍車がかかる可能性もある」  日本にとって、ノルディックスキーのジャンプと複合はメダルの期待大の種目。  高梨沙羅と伊藤有希の2枚看板を擁するジャンプ女子では、五輪や世界選手権の大舞台になると金メダルをかっさらっていくドイツ選手が最大の難敵。レジェンド葛西紀明が45歳で悲願の金メダルに挑むジャンプ男子では、昨季ワールドカップ(W杯)個人総合王者のオーストリア選手が優勝候補の一角だ。  そして、エース渡部暁斗が日本勢初の個人金メダルを狙う複合は、昨季W杯総合上位5人のうち3位の渡部を除く4人がドイツ選手という“ワタベvsジャーマン”の構図が出来上がっている。  またフィギュアスケート男子シングルでは66年ぶりの金メダル連覇を羽生結弦が狙う。  飛車角落ちは大げさにしても、トップ選手不在ではメダルの輝きもどこか色あせてしまうかもしれない。そうならないことを祈るばかりだ。(ライター・小林幸帆)
フィギュアスケート北朝鮮平昌五輪羽生結弦
dot. 2017/09/28 00:00
Chara「いい夢をみたいね」 25周年イヤー締めくくるツアーファイナルに愛息HIMIの姿も
Chara「いい夢をみたいね」 25周年イヤー締めくくるツアーファイナルに愛息HIMIの姿も
Chara「いい夢をみたいね」 25周年イヤー締めくくるツアーファイナルに愛息HIMIの姿も  Charaが、9月24日 東京・昭和女子大学人見記念講堂にて全国ライブツアー【Sympathy】のファイナル公演を行った。Chara ライブ写真(7枚)  デビュー25周年イヤーの締めくくりとして、7月19日にリリースされたニューアルバム『Sympathy』に伴う今回のツアーでは、CharaをサポートするAurora Bandのメンバーはマイナーチェンジ。長年ツアーを共にして来たものの初のバンマスとなる白根賢一(dr)を筆頭に、Charaの楽曲のプロデュースも手がける皆川真人(key)、名越由貴夫(g)、竹本健一(cho)といったおなじみのメンバーに加え、キタダマキ(b)と庵原良司(Ts、As、Ss、Flu他)が初参加。ビックキャバレーのショウを思わせるオープニングナンバー「Sympathy」ではCharaも含むメンバー全員がデイジーの花が施されたベネチアンマスクをつけたままで演奏していく。  「Darling Tree」では、タヒチアンダンサーのYOSHI2が登場して会場を盛り上げ、水曜日のカンパネラのケンモチヒデフミ提供曲「Herbie」では打ち込みのリズムトラックを流し、バンドメンバーは巨大なサーチライトを持って、ステージ上で照明の演出を担当。「KILIG」ではChara、皆川、名越がピアノの連弾をし、さらに、「Rachel」ではクマの着ぐるみを着た白根がCharaと踊った後、着ぐるみのままでパワフルなドラムを響かせるなど、これまでにない演出で満員の観客を楽しませた。  MCで「私たちの自分を信じる力を持って帰ってね」と語りかけたCharaは、9月21日でデビュー26年目、来年の1月で50歳を迎えることに触れ、「進化系一筆書きアーティストだから、先のことはわからないけど、好きなことをやればいいんじゃない?」と変わらぬ姿勢を強調。新たなバンドアンサンブルによる親密なムードの中で、アルバム収録曲を中心にデビューのきっかけとなった「Break These Chain」や初期の代表曲「Happy Toy」「タイムマシーン」「やさしい気持ち」など、全18曲を優しく、神秘的に歌い上げた。  アンコールでは「ありがとう。楽しかったです」と感謝の気持ちを伝え、「また来てね。多分、本当にお祝いやるから」とバースデーライブ開催に向けた意気込みを語る。続けて、「最後にロマンチックなことが全て正しい方向にいけばいいなっていう思いで書いた曲です。ライブが終わったら、同じ月を見ながら家に帰って、いい夢をみたいね」とあいさつし、センチメンタルなシーズンにぴったりなラブソング「Sweet Sunshine」で締めくくった。  しかし、ライブはこれだけでは終わらなかった。白根を含むメンバー全員がステージ前方に出て、ラインナップをしている最中に再び、クマの着ぐるみが登壇し、ドラムを叩き始めると、メンバーはビートに合わせて後ろ向きでダンス。観客の大きな拍手に見送られてメンバーがステージを去った後、クマの着ぐるみはステージ中央のCharaに歩み寄った。着ぐるみを外すと、そこには、この日も披露した「Funk」の作詞も担当していた愛息 HIMIの姿が! 二人はそのまま肩を組んで笑顔でステージを降りた。オフマイクで紹介もなかったため、HIMIであることに気づいた人は少なかったかもしれないが、母と息子のステージ上での共演が実現した記念すべきライブとなった。  なお、バースデーライブは現在、検討中で詳細は未定。決定次第、オフィシャルホームページで発表されるとのこと。 写真:(c)山田智和 ◎セットリスト【Chara Live Tour 2017 “Sympathy”】9月24日(日)東京・昭和女子大学人見記念講堂01. Sympathy02. Funk03. Love pop04. Darling Tree05. Tiny Dancer06. Stars☆☆☆07. Herbie08. KILIG09. 小さなお家10. Rachel11. Duca12. 月と甘い涙13. スカート14. Happy Toy15. タイムマシーン16. Break These ChainEC1. やさしい気持ちEC2. Sweet Sunshine charaweb.net
billboardnews 2017/09/26 00:00
竹内智香「何でもかんでも力んだりしない」
竹内智香 竹内智香
竹内智香「何でもかんでも力んだりしない」
竹内智香(たけうち・ともか)/1983年12月生まれ。スノーボードアルペン種目選手。ソルトレーク、トリノ、バンクーバーと冬季五輪に続けて出場し、2012年12月にはワールドカップで初優勝。ソチ五輪では日本人女性スノーボード選手で初のメダルとなる銀メダルを獲得。5度目の五輪となる平昌では自身の集大成として金メダルを目指す  ソチ冬季五輪で銀メダルを獲得したスノーボード女子アルペン・竹内智香選手が「AERA」で連載する「黄金色へのシュプール」をお届けします。長野五輪を観て感動し、本格的に競技をスタート。2018年2月の平昌五輪では念願の金メダル獲得を目指す竹内選手の今の様子や思いをお伝えします。 *  *  *  選手として自分自身と向き合う中で気がついた。必ずしも「努力=結果」ではないと。己を知り、自分の能力にプラスをするのが、努力だと思った。  どんな競技でも、アスリートと言えば体を鍛え、フィジカルトレーニングを積むことが当たり前だと思われています。ただ、私が本格的にジムなどで体を鍛え始めたのは、実は2014年のソチ五輪後、もっと言えば昨年のケガ以降のことなんです。  私も23歳ぐらいまでは結構やっていました。拠点が日本だったその頃は、吐くまで追い込むこともあった。でも、思うように結果が出ませんでした。  それが、07年からスイスに拠点を移し、フィジカルトレーニングをやめた途端に結果が出始めたのです。そして世界ランキングも3位まで上昇。若さもあったし、過去のトレーニングの貯金もあったと思います。でも、スイスの生活や環境に慣れることを優先したこと、アスリートである以前に人間としての自分を見つめ直したことで、結果が出るようになりました。  この時に悟ったのは、必ずしも「努力=結果」ではない、ということでした。努力は裏切らないとよく言いますが、それならみんな優等生、スーパーアスリートになれる。だからと言って努力を疎かにしたわけではないですが、何でもかんでも力んだり、努力自体にすがってはいけない、甘えてはいけないということを学びました。「これだけやったのだから、間違いない」という思いほど、ある意味怖いものはない。それより勝つための絶対的なテクニックとメンタルが大事。その能力に、努力をプラスする。努力は付録みたいなものだと理解しました。  自分で言うのも変ですが、私、もともと滑ること自体のセンスはそれなりにあったと思います(笑)。特に昔から、見たものをイメージして、真似をすることが得意でした。トップ選手の滑りを目に焼き付けて、体現する。それが私の武器だったことは間違いないです。  それをベースに、スイスでは自然体でスノーボードと向き合うことが自分には合っていることを学んだ。そんな中、キャリアの終盤に差し掛かっている今、高みに向けて何を強化すべきかを考え、ここに来て最終的にフィジカル面を強化すれば、まだまだ伸びるという答えに行き着いたのです。これまで手をつけてこなかった部分ですが、経験を積んで肩の力が抜けた今の自分にだからこそ、必要な要素だと思えたのです。おかげで今はフィジカルの状態が大きく変化しています。最後の伸びしろにかけている最中です。(構成/西川結城) ※AERA 2017年9月25日号
AERA 2017/09/25 11:30
安室奈美恵が25年かけて「解放」したもの
安室奈美恵が25年かけて「解放」したもの
安室奈美恵 画像提供:avex  9月20日、自身のホームページで「1年後の引退」を発表した歌手の安室奈美恵。瞬く間に、元アムラーたちの間に「アムロス」が広がった。 *  *  *  1990年代、茶髪、細眉、ミニスカートに厚底ブーツといういでたちの女性たちが街にあふれた。当時ティーンエージャーだった安室奈美恵(40)のメイクやファッションをまねた「アムラー」たちだ。  9月20日、安室奈美恵が電撃的に「1年後の9月16日で引退」と発表。アラフォー世代は「アムロス」に暮れた。アラフォーだけではない。東京都内に住む団体職員の女性(55)は言う。 「年下だけど歌手としても人間としてもカッコイイ。誰にも媚びず、絶対的な信念に基づいて行動しているのが分かるから」 ●子どもと共通の趣味に  一番好きな曲は2007年の「Baby Don’t Cry」。「眠れない夜は何度も寝返りばかり」「考えても分かんない時もあるって」などの歌詞には、 「背中を押されるというより、ありのままの自分に寄り添ってくれるようで共感するんです」  彼女の歌を聴いて育った長男(25)、長女(23)とは、ライブやカラオケに一緒に出かける仲だ。思春期の難しい時期も「安室ちゃん」という共通の趣味が互いに理解し合う助けになった。娘の小学校の卒業式には安室が婚約会見で着ていたバーバリーのチェックのスカートを買った。  引退はショックだが、 「これだけやりきった人だからこそ、これからもその決断に自信をもって人生を歩んでほしい。子どもたちと、最後のライブにも行きたい」(女性) 「アムラー」がユーキャン「新語・流行語大賞」トップテンに入賞したのは1996年。バブルがはじけ、前年には阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件など、不安な時代の幕開けを予感させる出来事が相次いでいた。世代・トレンド評論家の牛窪恵さんは言う。 「大人が元気をなくす中、女子高生が文化や市場をリードしていく動きのきっかけになったのがアムラーブームです。この動きが、その後のプリクラやメール絵文字の普及につながっていきました」  そして、トレードマークだった「赤くない口紅」に代表されるように、安室が男性ウケではなく自己表現を追求したことは、女性たちの価値観を解放した。 「バブル期は高学歴・高収入・高身長の“三高”の男性を結婚相手に選ぶのがトレンドでしたが、安室さんは人気絶頂の20歳で自身より知名度が低い相手と、できちゃった結婚をしました。『自分が幸せならいい』と女性の自由な生き方を体現したことは、その後の女性たちのライフスタイルに大きな影響を与えたと思います」(牛窪さん)  出産で休業し、その後離婚。それでもトップアーティストとして君臨し続けたことは、「シングルマザーも仕事を通じて輝ける」というメッセージとなって、女性の多様な生き方を広めることに貢献したと牛窪さん。 ●自分を卑下せずすんだ  そして、菅義偉官房長官が「沖縄出身で日本を代表する」と引退報道に言及したように、その活躍は女性のみならず沖縄をも勇気づけた。 「自分を卑下せずにいられたのは安室ちゃんのおかげです」  と話すのは、沖縄出身で東京の大学に進学した女性(32)だ。両親や祖父母から、仕事で「本土」に行ったときは沖縄出身というだけで差別や嫌がらせを受けた、と聞かされて育ったが、大学に進学すると、 「本土での安室ちゃん人気に驚きました。出身地が同じということでうらやましがられたりして。NHKの朝ドラ『ちゅらさん』でのんびりぐだぐだした沖縄像が広く受け入れられた一方で、安室ちゃんは音楽界のカリスマで居続けてくれた。沖縄にはこんな面もあると社会に示してくれたことは大きかったですね」(女性) (編集部・竹下郁子) ※AERA 2017年10月2日号
AERA 2017/09/23 00:00
【ドラマのミカタ】挑戦を続けるカンテレの心意気
【ドラマのミカタ】挑戦を続けるカンテレの心意気
●『GALAC(ぎゃらく)』最新号のご案内 AmazonでGALAC10月号を買う  視聴率は初回から低迷。しかし、SNSなどのネット上では、「よくやってくれた」と、やんやの喝采を浴びている。  その物語は実に挑戦的だ。ある日、仲間をボコボコにされたトビオ(窪田正孝)たちは、いたずら心で不良たちの通う高校に小型爆弾を仕掛けた。「ちょっとビビらせてやろう」のはずが、まさかの大爆発が起き、10人の死者を出す大惨事に…。トビオたちは爆破事件の容疑者となり、家族や好きな子と別れて逃亡する――。  同作は、ただの逃亡劇ではなく、罪悪感と現実逃避、友情と裏切り、理性と欲望の間で揺れる姿を描く人間ドラマ。未熟だからこそ迷い、間違い、それでも成長していく高校生の人間くさい姿が生々しく映し出されている。喝采を浴びているのは、それらを際立たせるために、暴力、エロ、いじめ、喫煙などの際どいシーンを躊躇なく放送しているからだ。  法令遵守とクレーム対策で表現の自主規制が進むなか、21時台の放送であることも含め、同作は異例尽くし。当然と言うべきか、BPOに苦情が寄せられ、討論されたが(審議は見送り)、制作サイドに屈する様子は見られない。そもそも暴力やエロは単なる話題性狙いではなく、視聴者にスリルやドキドキを感じさせ、感情移入を促すための演出だけに、その姿勢は当然だろう。ただ、昼ドラ「やすらぎの郷」で倉本聰が嘆いているように、萎縮傾向にある昨今の制作事情を踏まえると、胸がスカッとするのだ。  今後の業界を担う若手俳優たちに暴力をふるわせるほか、主演俳優はゴミ箱の廃棄ドーナツを食べ、同性愛者に押し倒される始末。さらに17歳の女子高生女優と元AKB48のアイドル女優に濡れ場を仕掛けるなど、思い切りの良さは特筆すべきものがある。ところが、「カンテレが制作している」と聞けば、納得できる人は多いのではないか。思えば前期の「CRISIS」、前々期の「嘘の戦争」も、法令遵守やクレームなんてどこ吹く風の挑戦的な作品だった。その心意気は必ずしも視聴率にはつながらないが、間違いなく熱狂的ファンを生んでいる。  昨年10月、カンテレが約20年にわたって放送していたドラマ枠が22時台から21時台に移動した。結果的に22時台は後発のTBS「火曜ドラマ」が単独の連ドラ枠となり、「逃げるは恥だが役に立つ」「カルテット」「あなたのことはそれほど」が立て続けに高視聴率や絶賛を獲得。関係者の忸怩たる思いは想像に難くないだけに、ささやかながら「カンテレさん、いつも攻めてますね」とエールを送っておきたい。 ※『GALAC(ぎゃらく) 10月号』より 木村隆志(きむら・たかし)/暴力もエロもイジメも喫煙も、ドラマのエンタメ性を高める重要なものに違いない。そして、自分がそうだったように、「テレビ番組の中でダメなものを知る」という学びの機会もあってほしいと思う
dot. 2017/09/19 16:00
新学期に多発する子どもの自死 防止のために必要なのはどんな大人?
島沢優子 島沢優子
新学期に多発する子どもの自死 防止のために必要なのはどんな大人?
いじめられ続けた石川県の女性。サポートハウスを出る際に山本実千代さんにあてて手紙を書いた。「わがままで素直じゃなく誰にでも嘘をついてきた。それでも手離さずに見守ってくれた。ありがとう」と。いまは結婚し、夫とともに穏やかに暮らす(撮影/ライター・島沢優子) 20歳未満の自殺者数のみ増加(AERA 2017年9月18日号より)  9月1日は「18歳以下の自殺者数が一年で最も多い日」だ。テレビやSNSで「死んではいけない」のメッセージが飛び交う中、今年もこの日の前後に何人もの中高生が首をつったりマンションから飛び降りたりした。いずれも自殺とみられるという。  ずっと死のうと思っていた。  石川県内で暮らす20代の女性。小学校4年のときに母親が病死し、姉、妹とともに児童養護施設に預けられた。転校した学校で、壮絶ないじめが始まった。給食のうどんをすくったら黒いものがへばりついている。誰かが放り込んだゴキブリの死骸だった。 「死ね!」「消えろ!」  そんな落書きでノートは真っ黒。大量の押しピンが置かれた椅子に座ってしまったこともある。机と机をくっつけようとしたら、その席の女子にシャープペンシルで腕を刺された。  施設では、風呂に入れるのは数日に一度。男子は寄ってきては叫んだ。 「臭い!」「汚い!」  同じ施設で暮らし、やはり学校でいじめられていた1学年下の女子と、帰り道で言い合った。 「もう、いやや。このままどこか高いところから飛び降りたほうがいいね」 「うちら、なんで生まれてきたんやろ」  痛くて、つらくて、何度も家出した。担任や施設の職員に訴えても、 「あんたが悪いんちゃう?」  女性は振り返る。 「大人は自分の考えしか言わない。自分の話は聞いてくれない。全員、敵だと思った」 ●中高年の自殺は減ったのに20歳未満の自殺は横ばい  卒業するとき、教室を出ようとしたら担任が抱きついてきた。 「いじめられてるの、止められなくてごめんね」  泣き叫ぶ担任の体は温かかったけれど、女性の心は冷え切っていた。 「ほったらかしにしたくせに」  大人の欺瞞(ぎまん)が許せなかった。  同級生が全員一緒に進学した中学校でも、いじめは続いた。靴や体操着がなくなるのは日常茶飯事。クラス全員に無視された。いじめを知った担任は別のクラスだった同じ施設の女の子を自分のクラスに移すという措置を講じたが、案の定、無駄だった。 「私は気持ちを聴いてほしかっただけ。いじめだけじゃなく、自分の身の上とかいろんなことがつらかった。今の若い子が追い込まれる原因も、ひとつじゃないと思う」(女性)  厚生労働省自殺対策推進室発表の「人口動態統計に基づく自殺者数」によると、2016年の自殺者は2万984人。過去10年で最も少なく、特に中高年の自殺が減った。  しかし、20歳未満の自殺者は依然として減らない。  16年は499人で15年の535人から少し減ったものの、17年は1~3月の3カ月で135人。昨年同時期の108人より27人も多い。  兵庫県などでカウンセラーを務め、『学校現場から発信する 子どもの自殺予防ガイドブック いのちの危機と向き合って』の著者でもある阪中(さかなか)順子さんは、「(27人増は)重い数字」と話す。少子化で子どもの数は減っている。自殺者数が横ばいでも人口あたりの自殺死亡率は高まっていることになるのに、実数も増えている。  18歳以下の自殺者数が最も多いとされるのは、新学期が始まる9月1日。今年も8月30日から9月1日にかけて首都圏で中高生4人が自殺を試みたとされ、うち3人が死亡している。  阪中さんによれば、自殺を伝える報道も自殺を誘発する要因となっている可能性がある。中高生は、ネットニュースなどで同世代の自殺の詳細を知る。 「報道の影響を受けると、ハイリスクな子どもは自分も命を絶つしかないんだという感覚に陥る傾向がある。自殺予防のための記事が増えたのはいいことですが、ハイリスクな子にとってプラスなのかどうか、悩ましいところです」(阪中さん) ●誰かと充実感を共有すれば子どもの心はほぐれる  若い命を守るにはどうすればいいのか。冒頭の女性を救った「おばちゃん」がヒントをくれた。 「いつ、どうやって死ぬか」を考えているうちに高校生になっていたという石川県内の女性。高校でもいじめは続き、女子更衣室でお金がなくなって犯人にされたことから不登校に。かろうじて卒業し、住み込みで働き始めたもののほどなく辞めてしまう。  今度こそ生きていても仕方ないと思ったとき、金沢市内の自宅を開放して生きづらさを抱えた人たちの日常生活を支援する「サポートハウス」代表の山本実千代さん(57)と出会った。 「大人は敵」と思い込む女性は当初、住人たちが「おばちゃん」と慕う山本さんにも心を開かず、わざと目の前でたばこを吸ったり「ババア、ウザいんだよ!」と暴言を吐いたり。ところが、山本さんは動じない。何も言わず黙って、ただただそばに居続けた。 「こっちも人間。腹が立てばけんかもしたし、『ウザいおばちゃんです!』とジョークも言った。『この子を何とかしなければ』と肩に力を入れるのをやめれば、大概のことは待てる。大人の都合ではなく、子どもに合わせることが大事なんです」(山本さん)  不登校の女子高生から軽度の障害を抱えた大人まで、さまざまな人との共同生活。山本さんは女性にも、掃除や洗濯の当番をやらせた。自身が取り組む「子育て農業応援団」も手伝わせた。 「土を触ると人は穏やかになり、周囲と交わることで心も耕せる。そもそも、生きづらさの根っこは孤立。その子の心に寄り添う人がいないと、子どもの心は孤立し簡単に壊れてしまう。黙って話を聴いて寄り添うことが一番だと思う」(同)  土を触ることに限らない。台所に立って料理をする。一緒に食べる。空腹を満たす充実感を誰かと味わうことで、子どもの心はほぐれるという。 ●励ましも心配も望まない 大人は子どもの安全基地に  前出の阪中さんは長く、自殺予防プログラムの出前授業も行っている。中学生や高校生に「信頼できる大人はどんな人?」と尋ねると「話を聴いてくれる人」と答える生徒が多い。  NPO法人「暮らしのグリーフサポートみなと」代表の森美加さん(46)も、このことを実感している。06年に中学2年生だった長男をいじめによる自殺で亡くした。いじめを誘発する担任の不適切な発言にも、長男が言葉の暴力を含む激しいいじめを受けていたことにも、気づかなかった。 「死んでやる」と言う長男を同級生らはトイレで取り囲み、「こいつ死ぬって。最後だからズボンを脱がせよう。明日は来るな」とズボンを脱がせた。その日のうちに長男は命を絶った。傍らにいじめを示唆する遺書があった。 「まさか自分の息子が死を選ぶなんて、信じられなかった」  と森さん。小2から少年団でバレーボールを続け、中学でもバレー部。厳しい指導に耐えてきた長男は根性がある、強い子だと思い込んでいた。 「息子は逆に、嫌なことや理不尽なことも我慢しなくてはいけないと考え、それが限界に達したのかもしれない」  長男の自殺後は、「親の対応が悪かったのでは?」「親なのに気がつかなかったの?」という声も聞こえてきた。不眠症などに苦しみ、精神科に通って薬の力を借りてやり過ごした。  次男と三男の子育ての手が離れた11年に上京。知らない土地で知らない人と人生をやり直すと決めてケアマネジャーの資格を取り、新たな人生を歩み始めたが、長男を失った喪失感が消えることはなかった。 「同じ悲しみを抱えた人と話したい」  ネット検索でヒットしたのが、「グリーフサポートせたがや」だった。  グリーフは「悲嘆」の意味。大切な人を亡くした人をケアする組織だった。グリーフケアの講習会に参加し、「元気のない子がここに入ってきたらどうするか」という質問に自信を持って「励まして理由を尋ねます。どうして元気がないの?って」と答えたら、こう言われたという。 「それは森さんが心配だからだよね?森さんの意思でしょ? でも、大切にするべき軸は、自分ではなく、向き合う相手である子どもに置いたほうがいい。励まされることさえ、子どもは望んでいないかもしれないよ」  グリーフケアは生きづらさを抱える子どもにも有効だ。何も言わず、ただただ寄り添う。これは、サポートハウスの山本さんの姿勢とも重なる。  森さんにとってグリーフケアを学ぶことは、我が子の自殺を防げなかった自分自身と向き合うことでもある。「あんなこと言っちゃった……」と泣き叫びながら当時を思い出す作業は、過酷を極めた。亡くなる直前、長男は突然「競馬の騎手になりたい」と言い出した。部活がハードなのに減量も始めた。来年は3年生なのに、ばかなことはやめなさい──。森さんはそう言って取り合わなかった。いま、こう思う。 「息子にとって、私は『話を聴いてくれる大人』ではなかったのかもしれない。心の不調に敏感になるのも大事ですが、前もって大人が子どもの安全基地になることは何よりの予防になる」  長男を亡くして11年。長い年月をかけてたどり着いた結論だった。 ●子どもを信じない大人を 子どもたちは信じない  自治体も、若い命を救う方法を模索している。  森さんの長男が亡くなった06年、足立区は自殺者161人と東京23区でワースト1になった。以来、自殺対策に力を入れ、16年までの5年間は減少傾向にある。若年層についても09年、他区に先駆けて自殺予防教育を導入。現在は公立の小中学校で「SOSの出し方教育」の出前授業を続けている。授業後は「大人に相談しようと思う」と答える生徒が増えるなど、一定の効果を上げている。  昨年からは、夏、冬、春の長期休業明けに連絡なく欠席した生徒の安否確認も始めた。電話が通じなければ教員が自宅へ行き、ドアをノックする。同区衛生部こころとからだの健康づくり課の馬場優子課長は言う。 「子どもだけでなく、親御さんのほうも生きづらさを抱えていることも少なくない。親子とも、ここまで生き抜いてきた自分は『大切な存在だ』と誰かに認めてほしいはずです」  自分を肯定できて初めて自分を大切にできるのだが、日本の子どもは諸外国に比べて自己肯定感が低いというデータがある。これは、日本の大人に「子どもを尊重する=甘やかす」という考え方が色濃く残るからではないか。  子どもを信じない大人を、子どもたちが信じるはずがない。変わるべきは大人だ。生きづらさを抱える人々と向き合う山本さん、長男を失った森さんの「子どもを軸に」という言葉を、改めてかみしめたい。(ライター・島沢優子) ※AERA 2017年9月18日号
AERA 2017/09/18 07:00
黒柳徹子も驚いた 高梨沙羅、葛西紀明らスキージャンプの賞金が少ないワケ
黒柳徹子も驚いた 高梨沙羅、葛西紀明らスキージャンプの賞金が少ないワケ
スキーージャンプ 葛西紀明 (c)朝日新聞社 表彰台で笑顔を見せる高梨沙羅 (c)朝日新聞社  ノルディックスキーの夏の大会グランプリ(GP)は9月10日にジャンプ女子の最終戦が行われ、高梨沙羅が3勝目を挙げて6連覇を果たした。女子のGPが始まった2012年から総合王者の座を守り続けている高梨だが、オフに出演した「徹子の部屋」でワールドカップ(W杯)の賞金額を明かし、徹子さんを「……それくらいなの?もうちょっと高くてもいいと思うけど。だってあんなこと命がけじゃないですか」と驚かせた。  ちょうど同じ頃、ジャンプ界のレジェンドこと葛西紀明もバラエティー番組で「もっとお金が欲しい……」とW杯賞金に愚痴をこぼすと、ネットでは意外な話として取り上げられていた。  ジャンプW杯は男子が30試合弱、女子も20試合近くが行われ、各試合で順位に応じて与えられたポイントの合計で総合順位を争う。  賞金はスポンサー料やTV放映権から大会主催者が出し、男子W杯の場合、個人戦は上位30人に賞金が与えられる。優勝は1万スイスフラン(CHF)で日本円にして約114万円。2位は約91万円で、30位だと約1万1400円だ。これに6戦ほど行われる団体戦の賞金が加わる。昨季男子W杯で最も稼いだのは総合王者のオーストリア選手だったが、総合優勝争いが最終戦までもつれ込む混戦だったこともあり、賞金総額は約2150万円にとどまった。  W杯が始まってまだ6シーズンの女子は優勝で約34万円とちょうど男子の3割。昨季の賞金トップは9勝で4度目の総合王者となった高梨の498万円だった。高梨はソチ五輪の2013/14シーズンに18戦15勝という驚異的な勝利数を挙げているが、この時の賞金総額は現在のレートで約675万円になる。 ■昔はテレビ、ラジカセなど賞品の現物支給だったジャンプ  賞金のことは「マイナーな競技なので仕方がない」と言う葛西。2013/14シーズンに10季ぶりのW杯優勝を果たし、奇跡的な復活で総合5位に食い込んだ時の賞金総額は現在のレートで1264万円。確かに、賞金が軽く億を超えるテニスやゴルフとは比べようがない……。  同じスキーでも花形のアルペンとも大きな開きがある。アルペンのW杯創設は1967年と、1979年に始まったジャンプ男子より10年以上も早く、テレビ放映の歴史もはるかに長い。W杯の賞金額も試合により異なるが、昨季の個人戦優勝最高額は約918万円で、賞金ランキングトップの男子は約6037万円、女子はさらにその上を行く約6822万円を稼ぎ出した。  徹子さんではないが、板2本とヘルメットだけ与えて時速100キロ超の中、250メートルもの飛距離を飛ばすことを考えると(※男子の最長記録は253.5メートル)ちょっと安いかもしれない。  ただ、スキージャンプならではの事情もある。男子ジャンプの場合を考えてみたい。  そもそも、ジャンプW杯の賞金制度は90年代に入ってからと比較的新しい。それまでは賞品という名のテレビやラジカセ、ビデオデッキなどの現物支給だった。1988年に16歳でW杯デビューを果たし、ジャンプのあらゆる歴史に立ち会ってきた葛西は、かつてビデオカメラをもらったことがあるそう。「ちょうど流行り始めた頃だったから、うれしくて回した」と楽しげに思い出していたが、欲しいものがもらえるかは運頼み。あるドイツ人選手はフィンランド遠征で電子レンジ3台を押し付けられたというから、ご褒美というには不都合な制度だ。  アルペンはスキー板など用具が一般向けにも売れるのに対し、ジャンプ用具を買うのは競技者限定。ジャンプ用の板を作るメーカーが相次いで撤退しているのもマーケットの大きさと無縁でないはず。  ジャンプ男子のレースディレクターを務めるワルター・ホファー氏は、「アルペンは人気の高さに加えて、観光業につながるのも強み」と指摘する。もちろんスキー場の近くまたは隣接するジャンプ台もあるが、周りに何もなく気を抜いたら食いはぐれそうな会場もある。  アルペンは、前述の最高賞金が振る舞われる伝統のキッツビューエル(オーストリア)大会などはリゾート地としても有名。同大会前のパーティーには、サッカーやF1などスポーツ界からの関係者はもちろん、常連ゲストとして知られるアーノルド・シュワルツェネッガーら俳優やモデルが訪れる。メディアは“ミニ・ハリウッド”と呼び、自撮りに忙しいセレブたちの登場を報告するのが1月の風物詩にもなっている。キッツビューエルは数日間に大会関連で4000万ユーロ近く(約52億円)もの売上があるという。ホファー氏は「冬季競技で同じ条件なのはボブスレー、スケルトン、スピードスケート」と話す。なるほど、だ。 ■トップ選手の賞金より競技の底上げ優先  賞金が少ない理由はもう一つある。国際スキー連盟(FIS)は2009/10シーズンから賞金対象を上位10人から30人に変更した。1試合の賞金総額は変わらないため1人あたりの取り分が減る。優勝賞金は3万CHFから1万CHFに激減、2位、3位の賞金も半分ほどになった。当然トップ選手たちは反発したが、競技発展のためには自国スキー連盟のサポートが少ない選手を支援する必要があった。  新制度で賞金額が下がったのは4位までで、5位以下は上がった。その理由をホファー氏は「トップ3くらいまではスポンサー収入や用具の優遇で十分に補える」と説明する。  当時、賞金変更に反対した1人が2002年ソルトレークと2010年バンクーバーの五輪2大会で個人2冠に輝いたシモン・アマン(スイス)だ。アマンは導入シーズンに総合王者となっており、かなりの損をした1人。それでも今は「最初は理解できなかったけど、結果さえ出せば十分な賞金をもらえるからこれでよかったと思っている。もちろん表彰台に上がった選手が倍くらい稼げればそれに越したことはないけど」と理解を示す。葛西も「いいことだと思う。選手のモチベーションが全然違う。30位に残りたいという気持ちが強くなっているからレベルも上がった」と話し、FISの狙いが実を結んだことが分かる。  欧州のジャンプ人気が高い国では男子トップ選手はスター扱い。ジャンプ会場では、華奢な選手たちよりはるかにたくましい女の子達が絶好のポジションに陣取ってワーキャーの世界。女子を巻き込めば潤うというのは万国共通で、スタージャンパーになれば賞金以外で億は稼げるという。誰もができる競技じゃないからこその価値や魅力もあり、世界トップになればそれなりに稼げる。そう考えると、スキージャンプは夢もお金もあるスポーツなのでは?(ライター・小林幸帆) ※週刊朝日 オンライン限定記事
週刊朝日 2017/09/17 00:00
議員会館内保育所に夜間保育園… 働く母の「最後の砦」に見る現実とは
作田裕史 作田裕史
議員会館内保育所に夜間保育園… 働く母の「最後の砦」に見る現実とは
「第2どろんこ夜間保育園」定員55人/0~5歳/11~22時(最長7~26時)/1982年5月開設/20年以上前から玄米給食、モンテッソーリ教育などを導入(撮影/江藤大作)「第2どろんこ夜間保育園」定員55人/0~5歳/11~22時(最長7~26時)/1982年5月開設/20年以上前から玄米給食、モンテッソーリ教育などを導入(撮影/江藤大作) 衆議院議員 金子恵美さん(39)/早稲田大学卒。新潟県議などを経て2012年の衆院選で初当選。2期目。夫は元衆議院議員の宮崎謙介氏。16年2月に長男を出産(撮影/門間新弥) SGホールディングス「SGH Kids Garden」 定員20人/0~2歳/7~18時(延長19時)/2017年4月開設/グループ会社が保有する森林の間伐材を施設や玩具に使用(撮影/岡田晃奈)  仕事と子育ての両立は、どうしてこんなにつらいのか。そう感じながら、毎日必死で走り続けている人は少なくない。待機児童のニュースを聞くたびに、上司や同僚に気を使い、後ろ髪をひかれながら会社を後にするたびに、いつになったら楽になるの?と思ってしまう。小学生になっても、ティーンエイジャーになっても新たな「壁」があらわれると聞けば、なおさらだ。AERA 2017年9月18日号では、そんな「仕事と子育て」を大特集。「職育接近」が最後の切り札になりそうだ。 *  *  *  自民党の金子恵美衆議院議員(39)の一日は、午前6時に始まる。1歳半の長男がムズムズと起きだすと、眠い目をこすりながら朝食の準備。ほぼ大人と同じものが食べられるようになって、食事の支度は少し楽になった。それでも、自身の身支度をしながら子どもにご飯を食べさせ、着替えさせて保育園の登園準備をする朝の時間帯は、目が回りそうな慌ただしさだ。  東京・赤坂の議員宿舎を出るのは午前8時30分過ぎ。約1キロ離れた議員会館内にある認証保育所まで約20分、ベビーカーを押して坂道を上る。 「夜は地元の新潟県での会合も多い。だから私は主に送りを担当し、迎えは夫。夫婦でどうにもならないときは実家の母を頼っています。私4、夫3、母3の割合で育児を分担し、何とか回しています」(金子さん) ●国会議員ばかりズルい  今年6月、週刊新潮が、当時総務政務官だった金子さんが議員会館内の保育所への息子の送迎に公用車を使っているのは公用車の私的利用にあたる、と批判したことは記憶に新しい。  批判、擁護から同情までさまざまな声が上がったが、都市部を中心に多かったのは「私たちは雨の中、傘を差しながら必死でベビーカーを押しているのに、国会議員が公用車で登園なんてズルい」という声だ。金子さんは、公用車での送迎はその前後に公務があるときのみだったと説明しつつ、謝罪した。 「以前から徒歩でも送り迎えしていたし、『謝るべきではない』というご意見もいただきました。ただ、批判は真摯に受け止めて公用車を使うのをやめ、政治家はもちろん、誰もが堂々と子育てしながら仕事ができる環境づくりをしなければならないと思ったんです」(同)  金子さんへの批判は、仕事と子育ての両立がまだ多くの当事者にとって決して楽なことではないという現実の裏返しだ。待機児童問題を筆頭にいつまでも状況が変わらないから、政府が「女性活躍」や「子育て支援」を声高に叫び、多くの企業が産休や育休、復帰後の時短勤務などの制度を整えても、私たちは国会議員が出産や子育てで仕事を休むことに寛容になれない。  だが、子育て政策や待機児童問題に関する立法を担う国会議員に妊娠や出産、育児を認めない社会が健全だと言えるのか。7月にも、無所属の鈴木貴子衆議院議員(31)が、切迫早産と診断されて安静を余儀なくされたことをブログで報告したところ、「任期中の妊娠はいかがなものか」「辞職すべきだ」などの声が届いた。金子さんは言う。 「議員にはいろんな立場の人がいるべきで、出産、子育てをしながら働くことの大変さを肌で知る政治家も必要です。代理人制度やテレワークの導入はできないか。国会議員の働き方にも議論の余地はあるはずです」  そもそも、国会議員や「特別職国家公務員」にあたる公設秘書などは原則として労働基準法の適用外で、産休や育休の制度がない。妊娠や出産で国会を休んでも歳費や手当が満額支給されることが、逆に批判の的となっている。議員秘書歴20年以上で『国会女子の忖度(そんたく)日記』(徳間書店)の著書がある神澤志万(かみざわしま)さんも、こう話す。 「出産後に復帰した公設秘書はほとんどいません」  数少ない子育て中の秘書は、国会が遅くなるときは子どもを保育園から議員会館の事務所に連れてくる。共謀罪法案の審議中は、夜10時くらいまで子どもたちが走り回っていた。神澤さん自身、議員会館内を子どもを抱っこして歩いていてベテラン男性議員に「けしからん」と怒られたり、元保育士だった女性議員に「出ていけ」と言われたりしたこともあるという。 ●大量着信の夢を見る  国会議員は24時間365日国民のために働き、公設秘書も同様に働く。その結果、議員の原稿草案を作成する各省庁の官僚や公務員、それを報じるマスコミなどが長時間労働を強いられる。こうした人々の受け皿になっているのが夜間保育園だ。  テレビカメラマンの女性(37)は、今年4月から1歳半の長男を福岡市内の第2どろんこ夜間保育園に預けている。飲食店経営の夫の帰りは深夜で、毎日の迎えは女性がするしかない。  出産前は早朝7時から深夜2時までという「ありえない働き方」をしていたが、出産後は夜の仕事をセーブ。それでも通常の認可保育園の時間内に迎えに行けず、夜10時までの夜間保育園に行きついた。毎日の迎えは9時半くらい。長男はいつも、起きて帰りを待っている。 「撮影中はどうしても電話に出られない。気づいたら保育園から何十件も着信があって息子が大変なことになっている、という悪夢を見ます(笑)。子育て中の女性カメラマンはゼロに近く、私もこの園がなければ、仕事は諦めていたと思う」  この園の園長で、全国夜間保育園連盟会長の天久(あまひさ)薫さん(67)は言う。 「夜間保育園というと、いわゆる夜の仕事をするシングルマザーが子どもを預ける場所というイメージが強いかもしれないが、いまは違う。残業が多い公務員、マスコミ、医者なども多くいます。うちの園に通う46世帯のうち、約5割は会社員で、あとは飲食店などの自営業です」  夜間保育園は、働き方を変えられない業界で働く親たちの「最後の砦(とりで)」なのだ。  夜間保育園が国の制度として認められたのは、1981年。それ以前は劣悪な環境で子どもが死亡する事故などが相次ぎ、行政も対策に乗り出した。だがいまも、認可の夜間保育園は全国でわずか82園。増えないのは、 「行政側に『夜間保育園が増えると育児放棄を助長する』という間違った認識が残っているから。子どもにとってよくないのは夜間保育ではなく、『夜間に子どもの世話をする人がいない』という環境です」(天久さん)  ソフトウェア企業に勤務する三浦孝之さん(30)は、長女(6)が1歳のときからこの園に預けている。クライアントの都合に左右される仕事で、急な対応を求められると断れない。飲食店で深夜まで働いていた妻とは、昨年10月に離婚した。 「ここに預けている限りは、クライアントの急な依頼にも対応できる。それに、園にはいろいろな立場の人がいるし、シングルでも引け目は感じません。ただ、小学校に上がった後が不安です。小学校内の学童では遅くまで預かってはもらえないので、仕事を変えることも含めて、どうするか考えています」  本田彩子さん(33)も3歳の長男と1歳の次男を預けて西日本新聞の記者として働く。事件や事故が起きれば現場にかけつける社会部員。小さな子を持つ女性記者は少ない。しかも夫の勤務地は鹿児島県で、平日の育児は本田さんのワンオペだ。  入社5年目で長男を出産した後は極端に仕事をセーブして午後6時前にはお迎えに行った。 「周りが過度に気を使ってくれる分、こちらも遠慮して、仕事は中途半端になった。心が仕事に残ってしまうせいで育児にも全力投球できない。これでは働いている意味がないと思った」  次男の出産後は土日勤務の際は夫に預け、平日は夕食を終えるまで保育園に預けるスタイルに。会社の残業制限制度を利用しつつ、興味のある教育分野を重点的に取材している。 「園の夕食は栄養バランスも緻密に考えられていて、私が作るより健康的(笑)。子育て政策を検証する立場の私たちも、変わるべきです」(本田さん) ●風土が変わらなければ  実際、社内に色濃く染みついた「男性的価値観」を変えようと試みる企業もある。  今年4月、佐川急便などを擁するSGホールディングスは、東京事務所近くの自社ビルにグループ初となる企業内保育所「SGH Kids Garden」をオープンした。2011年にトップダウンの女性活躍推進プロジェクトが発足。従業員の8割が男性で、社内は圧倒的に男性社会だったが、「収益の30%を女性が担う」を目標に従業員や管理職の女性比率アップを目指す方針に舵を切った。  各営業所に女性専用トイレや更衣室を設置することから始め、育休や時短勤務の期間も延長。企業内保育所の開設は懸案だった。人事部シニアマネジャーの小林香織さん(43)は、保育所の開設は女性従業員の復職支援だけでなく、男性従業員の意識改革という狙いもある、と話す。  次男(1)を預けるグループ会社社員の中島佑介さん(36)は江戸川区在住。認可保育所の年長に在籍する長男(6)のときはなかなか入所できず苦労した。次男も同様で、送り迎えの利便性も考えて企業内保育所を選んだという。 「家事と送迎は妻と分担。自宅から1駅なので、私の職場近くにすれば便利だと思いました」  男性社員にはこんなふうに育児に参加するよう促したい、と小林さんは言う。 「制度をつくっても、風土が変わらないと実効性を持ちません。理解は体験から生まれます」  8月には栗和田榮一会長、町田公志社長をはじめ国内各事業会社の社長がイクボスを宣言。男性の育児休業取得の目標値設定も検討しているという。 「女性が働きやすい職場は男性にとっても働きやすい。女性の活躍推進がひいては従業員全体のワーク・ライフ・バランス向上につながります」(小林さん) (編集部・作田裕史、石田かおる) ※AERA 2017年9月18日
AERA 2017/09/16 11:30
ムロツヨシ、高橋一生、星野源…「チョロッとイケメン」がブームな理由は?
ムロツヨシ、高橋一生、星野源…「チョロッとイケメン」がブームな理由は?
イマドキのモテ男、ムロツヨシ (c)朝日新聞社 高橋一生 (c)朝日新聞社 星野源 (c)朝日新聞社  気がつけば、テレビCMには俳優・ムロツヨシが引っ張りだこ状態。今や“バリバリのイケメン”ではなく、“チョロッとイケメン”に女子の心は傾いているらしい。これも3高(高収入・高身長・高学歴)ではなく、4低(低姿勢・低リスク・低依存・低燃費)志向という世相の表れなのか。  ちょっとなんだ。なんなんだ。俳優・ムロツヨシが席巻する2017年。いわゆる“脇役の人”なのだが、今年に入ってから大手電機メーカーのテレビCMに石田ゆり子(これまたモテ期再来の女優)と夫婦役で出演したり、大手製薬会社の男性用スキンケア製品のCM、マンガアプリのCMにも登場したり。大手飲料メーカーのCMでは「カモねカ~モね♪」と舞い踊るツヨシ。  ラーメン髪、くりくり眼、しっかりした骨格。いわゆる正統派イケメンではないのだが、人に親近感を与える、チョロッとイケメンな感じが世の女性にも男性にもウケているらしい。今年4月にインスタグラムを開設したところ、フォロワーは19時間で36万人を突破。現在は100万人に迫る勢いだ。  ムロツヨシといい、大泉洋といい、濱田岳といい、近年“脇役・二枚目半”の大躍進が目立つ。この3人に共通しているのは、「タオル」と「焼きそばのヘラ」が似合いそうなことだと筆者は思う。頭にタオル、首にタオル。住んでいる地域の町内会の祭りで汗をにじませながら焼きそばを焼いている姿が似合いそう。「2皿ちょうだい」と言ったら、「あいよ、喜んで!」と言ってくれそう。子どもが所属するサッカーチームでもお父さんコーチをつとめていそう。そんな“ご近所さん”な香りが女性の心をつかむのか。 「やっぱりホッとするんですよ、女性は。ムロさんとかは見ていて安心感があるじゃないですか。よく『美人は飽きる』と言いますが、イケメンすぎると顔ばかりに目がいって、暑苦しいでしょ(笑)。適度に整った顔で、三枚目もできる男性って女性にとっては“癒やし”。癒やしを求める女性が多い時代なのかもしれませんね」  と、コラムニストの山田美保子さんは語る。  そして精神科医の片田珠美さんは“チョロッとイケメン”台頭の背景には、女性の「4低」志向があると分析する。 「低姿勢・低リスク・低依存・低燃費。今の時代の女性が結婚相手に望むのは、この4項目です」  女性を見下さず、いばらない「低姿勢」、高収入より安定した収入で、かつ浮気の心配もない「低リスク」、家事、育児もこなし、自分のことは自分でできる「低依存」、お金がかからない&お金を使わない「低燃費」である。 「チョロッとイケメンの人たちは、この『4低』すべてがそろっているような匂いがするのでしょう。いくら格好よくても、結婚してから不倫騒動を起こされ自分自身が恥をかかされてはたまりません。そして女性が結婚しても出産しても働き続けるには、夫がそれを容認し、女性に協力的であることが大事です。『結婚したら女は家に入れ』『俺は家事なんかしない』なんて居丈高な男性は論外なんですよ」(片田さん) 「家庭科」は1993年度から中学で、94年度から高校で、男子も必修科目になった。今や男性もひととおりの家事はできて当たり前。加えて家計の管理(節約・貯金)も、できて当たり前なのだ。 「バブルの時期は『高収入』『高身長』『高学歴』がそろった『3高』の男性がモテはやされましたが、今は相手に高望みをせず、女性自身が“共に堅実な人生を歩んでいけそうな相手”を選ぶ時代なのです」  そして片田さんは、SNSの発達もチョロッとイケメン人気の理由のひとつではと推測する。 「インスタグラム、フェイスブック、ツイッター等、SNSの発達によって、有名人との距離感がグッと縮まりました。普通の人が著名人のアカウントをフォローし、コメントが書き込める。すると、まるで友人になったような気になり、親しみが一気に増します。そして、もしかしたら自分も恋愛の対象にしてもらえるかも……という疑似恋愛の感情も生まれるわけです。そうなってくると、いわゆる“雲の上の王子様”的な大スターよりも、自分と同じ次元で生きていそうな、“普通っぽい”人がウケるのです」  そしてSNSの向こう側の“普通っぽい”“近所にいそうな”“やさしそうな”疑似カレシは絶対に自分を拒まない。自分を傷つけてくることもない。だからますます評価が高くなる。さらに山田さんが指摘する。 「今はネット社会で、情報が溢れかえっていますよね。著名人は、生い立ちから今現在までばっちり情報が出てくるでしょう。そうすると、けっこう複雑な家庭環境で育ったことや、デビューしてから大ブレークするまで時間がかかったことなどいろいろな情報が出てきて、そこがまた女性の母性本能をくすぐることも多いのです。ムロツヨシさんしかり、高橋一生さんしかりですね」  なるほどムロツヨシも、今をときめく高橋一生も壮絶な生い立ちであることは有名だ。ムロツヨシは大学を中退し、下積み時代を経て、メジャー映画、テレビドラマへの出演のチャンスをつかんできたという経歴の持ち主。高橋一生も子役デビューし、小学生のころから芸能界でがんばってきた実力派俳優だ。 「2人に共通して言えることは、“苦労人”だということです。デビューしてからずっとスター街道を歩いてきたわけではない。きっといろいろなことを乗り越えてきたんだろうな……と思わせてくれるところに、人は心が動かされるのです」(山田さん)  そう考えると、これまた今をときめく星野源も2012年、31歳のときにくも膜下出血と診断され、活動を休止。病気の治療を経て復帰後の大ブレークだ。 「ポッと勢いで世の中に出てきたわけではなく、苦労、努力、実力でのぼってきた人が花を咲かせる。その火付け役になったのが星野源さん、高橋一生さん。そこに続く形になったのがムロツヨシさんだと思いますよ」(同)  前出の片田さんは、チョロッとイケメンの人気は、傷つきたくない、というイマドキの若者らの深層心理を反映しているとも指摘する。 「今の時代、“恋愛で傷つきたくない”というのは、男性も女性も一緒なんです。少子化で、親が子どもを大事にするでしょう? 親は子どもが挫折しないように、目の前の石をどけておく。学校の先生もモンスターペアレント(子どもかわいさゆえに、学校等に対して理不尽な苦情や要求を突き付けてくる親)はこわい。なので、先生たちも子どもには無難に指導するわけです。そうやって育てられた世代は、リスクを避けて生身の人間とは恋愛しない。ゲームやネットの世界の疑似恋愛なら傷つかないからいいけれど、現実世界で人と恋愛関係になるのはNGなのです。そんな“恋愛不可能”な人たちは今非常に増えているんですよ」  こうしてイマドキの女子は、どこまでもリスク管理が行き届いてしまうのであろう。厚生労働省のデータによると、日本の婚姻率は09年から下がり続けている。源様、一生様、ツヨシ様の人気が続く限り、もしかしたらこの婚姻率の低下に歯止めはかからないカモね♪なのである。(ライター・赤根千鶴子) ※週刊朝日  2017年9月22日号
週刊朝日 2017/09/15 11:30
女子の合コン“あるある”で話題! 中村千尋「カサネテク」収録の新作決定
女子の合コン“あるある”で話題! 中村千尋「カサネテク」収録の新作決定
女子の合コン“あるある”で話題! 中村千尋「カサネテク」収録の新作決定  雪印メグミルク「重ねドルチェ」WEB限定CMソング「カサネテク」を初収録した、注目の女性シンガーソングライター 中村千尋が、待望の新作を11月8日にリリースする。中村千尋 キュートな画像  「カサネテク」は、“SNSで相手を検索、合コン相手の予習はぬかりなく!”“攻める夜なら3つの首出せ首に手首に足の首”“作り笑顔の常習犯 上目づかいは中2でマスター”といった、女子のしたたかな本音が次々に飛び出す楽曲。そんな女子が合コンに臨む「あるある」が共感を呼び、4月4日に動画が公開されて以降、女子中高生の間で、歌ってみた、踊ってみたの動画投稿が殺到している。  この反響を受けて、5月31日に中村千尋のデジタルシングルとしてリリースされると、各メディアに取り上げられ、さらに楽曲は浸透。LINE MUSIC リアルタイムランキング 最高3位、Mix Channel ルーキーランキング 1位などを記録し、爆発的に拡散しながら現在YouTubeで850万回以上の再生をされている状況だ。  結果、多くのユーザーからCD化の要望が寄せられ、11月8日にこの作品を初めて収録した作品がついに発売されることとなった。今作のタイトルは、『女の袋とじ』。中村千尋の3rdミニアルバムとなる。  中村千尋が、「カサネテク」を企画した広告代理店のCMプランナー 関俊洋と再びタッグを組み、女性の「あるある」を徹底的に追求したコンセプトアルバムを完成させた。失恋、別れ時、片思い、コンプレックス、、女性の様々な感情を歌った全6曲収録で、従来のコミカルな目線で女子の気持ちを歌うスタンスから一歩踏み込んだ詩世界は、女性が普段決してみせることのない「ホンネ」が凝縮された作品となっている。 ◎リリース情報ミニアルバム『女の袋とじ』2017/11/8 RELEASE<CD> NCRO-0001 1,500円(tax out.) ◎中村千尋 プロフィール1988年6月15日生 (熊本県八代市出身) 両親の影響で13歳の頃から作詞・作曲を始め高校卒業後、上京。2014年夏、全国17か所にて路上ライブツアーを決行。そのアクションがTwitter上でも話題となり、同年10月、1stアルバム『どーも中村です。』で全国デビュー。 2015年7月15日、2ndアルバム『雨、上がれば』をリリースし、47都道府県ストリートライブを敢行。2016年、初のフルアルバム『◯△□(まるさんかくしかく)』をリリースし、自身最大規模のワンマンライブを新宿BLAZEにて大成功させた。2017年4月に公開されたWEB CM動画「カサネテク」が850万回再生(2017年9月15日現在)を越える大ヒット。10代~20代の女性を中心に話題となり、各メディアに取り上げられるhttps://nakamurachihiro.com/
billboardnews 2017/09/15 00:00
BUMP OF CHICKEN 新曲「記念撮影」が石井杏奈(E-girls)/雨宮天/神谷浩史ら演じるカップヌードル新CM「ハイジ篇」でもオンエア
BUMP OF CHICKEN 新曲「記念撮影」が石井杏奈(E-girls)/雨宮天/神谷浩史ら演じるカップヌードル新CM「ハイジ篇」でもオンエア
BUMP OF CHICKEN 新曲「記念撮影」が石井杏奈(E-girls)/雨宮天/神谷浩史ら演じるカップヌードル新CM「ハイジ篇」でもオンエア  BUMP OF CHICKENの最新ナンバー「記念撮影」が、日清食品『カップヌードル』2017年CMシリーズ第2弾「HUNGRY DAYS アルプスの少女ハイジ篇」でも引き続きCMソングとして使用される。  「HUNGRY DAYS」は、「すべての人に青春はある。あらゆるものに青春は宿る。何事にも熱くて、青くて…そんなハングリーな日々を応援する」をテーマとした日清カップヌードルのキャンペーンだ。6月19日よりオンエアされていた第1弾「魔女の宅急便篇」では「もし、魔女のキキが17歳の女子高生だったら」を軸に、マンガ家の窪之内英策がキャラクターデザインを手掛けたキキととんぼを中心とした青春物語が展開された。  シリーズ第2弾「アルプスの少女ハイジ篇」では、「もし、ハイジとクララが現代の日本の女子高生だったら」をキーに、パラレルワールドが描かれる。キャラクターデザインは第1弾に引き続き窪之内英策、ハイジ役は石井杏奈(E-girls)、クララ役は声優の雨宮天、ペーター役は声優の神谷浩史が担当。CMはテレビオンエアに加え、日清食品グループの公式YouTubeチャンネルでも視聴可能だ。  なお、BUMP OF CHICKENは9月16日から全国ツアー【BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER】をスタート。現在、再追加公演として発表されたばかりの東名阪ライブハウス公演に関し、イープラス2次プレオーダー受付を実施している。ライブハウス公演についてはこの受付が最後の申し込みチャンスだ。 ◎ツアー情報【BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER】2017年9月16日(土)千葉県 幕張メッセ国際展示場1~3ホール2017年9月17日(日)千葉県 幕張メッセ国際展示場1~3ホール2017年9月23日(土・祝)北海道 北海きたえーる2017年9月24日(日)北海道 北海きたえーる2017年10月3日(火)新潟県 朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター2017年10月8日(日)静岡県 エコパアリーナ2017年10月9日(月・祝)静岡県 エコパアリーナ ※追加公演2017年10月24日(火)愛知県 Zepp Nagoya ※再追加公演2017年10月25日(水)愛知県 Zepp Nagoya ※再追加公演2017年10月31日(火)大阪府 大阪城ホール2017年11月1日(水)大阪府 大阪城ホール2017年11月8日(水)東京都 新木場STUDIO COAST ※再追加公演2017年11月9日(木)東京都 新木場STUDIO COAST ※再追加公演2017年11月18日(土)広島県 グリーンアリーナ2017年11月19日(日)広島県 グリーンアリーナ ※追加公演2017年11月27日(月)大阪府 Zepp Osaka Bayside ※再追加公演2017年11月28日(火)大阪府 Zepp Osaka Bayside ※再追加公演2017年12月9日(土)宮城県 セキスイハイムスーパーアリーナ2017年12月10日(日)宮城県 セキスイハイムスーパーアリーナ ※追加公演2017年12月16日(土)石川県 石川県産業展示館4号館2017年12月26日(火)徳島県 アスティとくしま2018年1月10日(水)愛知県 日本ガイシホール2018年1月11日(木)愛知県 日本ガイシホール2018年1月16日(火)兵庫県 神戸ワールド記念ホール ※再追加公演2018年1月17日(水)兵庫県 神戸ワールド記念ホール ※再追加公演2018年1月27日(土)福岡県 マリンメッセ福岡2018年1月28日(日)福岡県 マリンメッセ福岡2018年2月10日(土)埼玉県 さいたまスーパーアリーナ ※再追加公演2018年2月11日(日・祝)埼玉県 さいたまスーパーアリーナ ※再追加公演http://www.bumpofchicken.com/live2017_2018/
billboardnews 2017/09/14 00:00
アルバイト三昧の医局員 患者より医師の「生活」が優先されてしまう背景とは
上昌広 上昌広
アルバイト三昧の医局員 患者より医師の「生活」が優先されてしまう背景とは
首都圏の病院を襲う危機とは?(※写真はイメージ)  東京を中心に首都圏には多くの医学部があるにもかかわらず、医師不足が続いている。だが、現役の医師であり、東京大学医科学研究所を経て医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏は、著書『病院は東京から破綻する』で、経営難に直面している病院についても警鐘を鳴らしている。首都圏の病院を襲う危機とは。 *  *  *  経営難に苦しむ首都圏の病院が、まず切り詰めるのが、医師の人件費です。  東京には医師数が多く、大学病院には教授や准教授を希望する医師も多くいます。供給が多ければ、価格は下がるという、経済原理が働きます。  東大医学部の後輩で、現在、都内の大学病院の准教授を務める40代の医師は「手取りは30万円台」と言います。彼の妻は専業主婦で、二人の子供がいます。家賃補助などの現物給付も微々たるものなので、彼はアルバイトに明け暮れています。毎週一日は都内のクリニックで外来、週末は当直です。これで月額50 万円程度稼いでいるようです。  月額50万円は、サラリーマンの平均から比べると高額ですが、彼は毎朝8時から午後11時くらいまで働いています。土日も出勤します。勤務時間と外科医という重圧を考えれば、就労環境は過酷です。  この私大病院は都内で最も経営状態がいいとされています。  確かに、極端なコストカットをすれば、短期的には収益は上がるでしょう。しかし、人材に投資しなければ医師は育ちません。医師が育たなければ、医療レベルは上がりません。  対照的に、福島県いわき市の常盤病院は人材に投資しています。著名な研究者を雇用し、若い医師の論文の指導を依頼しています。この研究者は医師ではないため、短期的には病院に一円の売上ももたらしません。しかし、若い医師は臨床で経験した問題を論文としてまとめ上げ、実力をつけていきます。また、医学者として重要な論文実績も積み上がります。  この病院には、多くの若い医師が勤務を希望するようになってきました。 ■医療事故を招きかねない  人材に投資しなければ、病院のレベルは上がりません。女医が増えた昨今、福利厚生が貧弱なまま、アルバイトに依存する生活を強いれば、優秀な人材は集められません。  前出の都内の大学病院の准教授を務める医師は、「昼間、病棟には研修医以外いません。スタッフは外来、手術、そしてアルバイトに行かないといけないからです」と言います。大学病院の病棟が無医村状態になっているのです。患者の治療が二の次になれば、被害を受けるのは、やはり患者です。  その象徴が、14年2月に東京女子医大で起こった医療事故です。頸部囊胞性リンパ管腫の硬化療法を受けた2歳の男児が、3日後に急性循環不全で亡くなりました。  その後の調査で、人工呼吸中の男児が暴れないよう、小児への使用が禁止されている麻酔薬プロポフォールを用いたことが原因と判明しました。成人用量の2・7倍も投与されていたそうです。東京女子医大が依頼した第三者委員会は「投与中止後すぐに人工透析をしていれば、男児の命は助かった可能性があった」と指摘しました。  東京女子医大では、小児に対するプロポフォールの過剰投与が常態化していたことも明らかになりました。13年末までの5年間、のべ63人に対し投与されていたそうです。病院側は、医療安全体制を見直し、15年2月6日には「平成26年2月に発生いたしました医療事故の件」という声明を発表しています。この中で、「法人組織での『医療安全管理部門』の設置」や「病院長直属の外部委員により構成する病院運営諮問委員会の新設」などの15項目を提言しています。  事態を重くみた厚労省は、東京女子医大の特定機能病院の承認を取り消しました。特定機能病院は、大学病院などの高度医療を提供する施設に対し、診療報酬が優遇される制度になっています。東京女子医大に厳罰を与え、医療事故の再発を防止しようとしています。  しかし、組織改革や厳罰では、医療事故はなくなりません。むしろ、東京女子医大のように特定機能認定を取り消せば、病院の医療安全体制は損なわれるでしょう。特定機能病院でなくなれば、益々、経営が悪化するからです。東京女子医大が発表した14年度の財務報告では、売上高利益率こそ1.4%と黒字ですが、収益の9.3%は補助金や交付金です。  東京女子医大ほどの名門病院のスタッフ医師が、普通に診療していれば、今回のような過剰投与は見落とさなかったのではないか。患者の安全性より「アルバイト」という医師の「生活」が優先されがちな背景があり、急変時の対応が後手にまわったのではと私は考えています。これは、組織論や職業倫理だけでは改善しない構造的な問題です。  東京女子医大に限らず、首都圏の私大病院の医療安全対策の最大の課題は「アルバイトの合間に診療する体制」だと私は考えています。経営がひっ迫すれば、医師の給与を下げ、かわりにアルバイトを許可しなければ、医師はやっていけません。悪循環です。  それを裏づけるように、首都圏の私大病院では医療事故が多発しています。社会の関心を集めた2000年代以降、首都圏の私大病院では埼玉医大抗がん剤過剰投与事件(00年)、東京女子医大人工心肺事件(01年)、慈恵医大青戸病院事件(02年)、東京女子医大麻酔薬過剰投与事件(14年)などが起こっています。貧すれば鈍するということでしょう。モラルを糾弾するだけではなく、医局員の立場に立った実効性のある対策が必要です。 ※『病院は東京から破綻する』から抜粋
朝日新聞出版の本病院
dot. 2017/09/08 07:00
2度引退の”レジェンド”伊達 思い出の対決相手はやはりあの人
2度引退の”レジェンド”伊達 思い出の対決相手はやはりあの人
思い出のコートで会見に臨む伊達公子 (撮影/大塚淳史) 笑顔で花束を受け取る伊達公子(撮影/大塚淳史) 一番の思いではグラフとの勝負だったという。2000年のエキシビションマッチの後、グラフと笑顔で話す伊達=東京体育  女子テニスの伊達公子(46)は9月7日、引退会見を開いた。会見会場に選んだのは、思い出のつまった東京・有明コロシアムのセンターコート上だった。26歳でいったん引退したが、37歳で現役に復帰。今回は2度目の引退会見となった。 「こんな幸せなアスリートはいない」  と笑顔で競技人生を振り返った。  長年、日本の女子テニス界を引っ張り続けてきた“鉄人”。8月28日にブログ上で引退を発表していた。引退を決断したのは8月上旬だったという。 「7月に大会のためにアメリカに行ったのですが、昨年4月に手術したひざに加えて、肩にも問題がでた。自分の中で整理してみると、決断しないといけない時期なのかなと思った」  1990年代にはテニス4大大会の女子シングルスで3度4強入りした。95年には世界ランキング4位になり、日本人初の4大大会での優勝が視野に入っていた。163センチとプロテニス選手としては小柄だが、ボールのバウンド際を打つ「ライジングショット」を武器に闘った。  96年に突然1度目の引退を表明した時の心境を、こう語る。 「当時は海外でプレーする(日本人)アスリートは今と違って、数は少なくて、環境も違いました。それを受け入れるだけの精神力も器もなかった。勝ち続けなければいけないという、いっぱいいっぱいの中で戦って疲れ果てていた」  長年テニスの取材をしているテニスクラシック・ブレーク編集部の村山純一さんは、 「伊達さんは90年代のころは、海外ツアーの時は炊飯器や米を持参してました。ウィンブルンドンへ取材しにいく際、『伊達さんから梅干しを持って来て欲しい』と人づてに頼まれ、買っていたことがあります。当時の伊達さんは、試合前となるとピリピリした雰囲気で近寄りがたかった。引退後に現役に復帰してからは、(メディアとの)距離感も変わって近寄りやすくなった」  と思い出を語る。やはり、海外で試合が続くことは大変だったのだろう。  2008年に現役復帰してから、一時は女子シングルスの世界ランキングで50位以内にまで上がった。40歳を超えてもウィンブルドン選手権で3回戦に進出するなど、結果を出した。  思い出の試合について問われると、伊達はやはり、シュテフィ・グラフ(ドイツ)との激闘をあげた。96年に有明コロシアムであったフェドカップ(国別対抗戦)で、当時世界ナンバーワンのグラフと長時間戦って勝利した試合が忘れられないという。同年のウィンブルドン準決勝でもグラフと、日没での中断を挟んで2日間に渡って戦った試合も思い出深いとした。 「グラフはダントツの強さでした。真のアスリートで、目標とか憧れとか呼びたくても呼べないくらいの格別の存在でした」  3度目の現役復帰の可能性を聞かれると笑顔で、 「やれるなら本当は続けたい。でもさすがにもう無いですね」  9月12日には、現役最後の大会となる「ジャパンウイメンズオープン 2017」(会場・有明テニスの森公園コート)に挑む。 「肩の痛みがひどくて、本来の自分自身の思うようなプレーが何パーセントできるのか、ふたを開けてみないとわからない。アドレナリンが出て痛みが忘れるかどうか。何か見えない力がいてくれると信じる」  今後の活動については明言しなかった。 「今は、まず試合のこと、次に肩のこと。それと並行して、少しずつ自分が何をやりたいか、できるのかを考えていくのかなと思っています。だから1回目の引退の後のように、しばらく何もしたくないとか、ラケットも握りたくない、コートも見たくないということにはならないと思います」  今度は本当にコートを去るが、全てを出し切った伊達は会見中も終始笑顔だった。(本誌・大塚淳史) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2017/09/08 00:00
「いくつになっても僕はミニスカートの中を覗きたい」銀杏BOYZ・峯田和伸インタビュー
「いくつになっても僕はミニスカートの中を覗きたい」銀杏BOYZ・峯田和伸インタビュー
峯田和伸さんは「最近すごい技を覚えた。わざと一重まぶたや四重まぶたにできる」とおどけてみせた(撮影/川島小鳥、ヘア&メイク/赤塚修二[メーキャップルーム]) 相次いで発売される(左から)「エンジェルベイビー」「骨」「恋は永遠」。「骨」の歌詞にはビートルズやニルヴァーナも登場する  NHK朝ドラ「ひよっこ」で全国の老若男女の注目を集める中、シングル3枚を立て続けにリリース。10月には初の武道館公演も控える。お茶の間を賑わすロッカーの素顔に迫った。 ――朝ドラで強烈な存在感を示していますね。  脚本家の岡田惠和さんに「ビートルズが好きな、ちょっと変わったおじさんの役をやってほしい」って言われたとき、おもしろそうだし、これならできるかもしんないなと思って。ビートルズが日本に及ぼした影響の全体像を描いてもらえるのはうれしいですね。 ――撮影にあたって心がけたことは?  セリフを覚える、遅刻しないってくらい。NHKの朝ドラだからって特別なアプローチはしません。 ――楽しんでいますか。  はい。僕が演じる宗男はビートルズが好きだけど、結局武道館公演を見る夢が叶わない。ほかの登場人物もそれぞれ夢を持っているけれど、必ずしもうまくいかない。でも、悲観だけでは終わらないんです。みんな違うかたちで、予期せぬ幸せが待っている。その描き方がうまいなあって。 ――役づくりがうまくできている実感ありますか。  怒られるかもしれないですけど、まったくないですね(笑)。監督がOKしたとしても、今の演技でよかったのかなあって思ってばっかり。自分の中では正解かどうか分からないまま、撮影が進んでいく感じ。でも、音楽と違い、芝居では自分を監督に預けるわけですから。 ――ミュージシャンが俳優に転じる例は少なくありません。ショーケン(萩原健一)も陣内孝則も……。峯田さんは今後、どうされるのですか。  音楽が自分のすべてです。でも、音楽活動を続けながらいいタイミングで役者の仕事が来るなら、積極的にやろうかなあと思っています。今年は結構忙しくやってるんですよ。それでもシングルを3枚も出せる。これまでの20年間で、シングルを3枚も出せた年はなかったですから。サボらないで忙しくしていた方が僕には合ってるのかなって(笑)。 ――山形県南東部の山辺町のご出身。年商5億の電器店の御曹司だとか。  どこの情報ですか(笑)。 ――ネットで見ました(笑)。  借金もある中で、ちょっとだけ上向きになって……5億に達した年なんてあったのかなあ。 ――要するに照明器具とか冷蔵庫とか売っている街の電器屋さんですか。  そうです。特に裕福でもなく、ふつうの家庭です。 ――生まれたのは1977年。米国ではエルヴィス・プレスリーが亡くなり、英国ではパンクの風が吹き荒れた、ロック史では重要な年です。どんな子どもでしたか。  小学生のころははしゃいでいましたけど、中学に入っておとなしくなったかな。オタクとかヤンキーとかクラスの委員長とか、極端な存在ではなく、ふつうの子でした。 ――公立の小中学校を経て、商業高校に。どんな青春を過ごしましたか。  楽しかったけど、女の子とデートすることはなかったですね。男同士で音楽の話とか。全校生徒の6割が女子だったんですけど、ぜんぜんしゃべってないですね。好きなコもいたんですけど、話しかけることもなく……。 ――初めて買ったCDは?  中学生のときに買った久保田利伸さんのアルバム。 ――ロックにめざめたのは?  高校1年。友だちが貸してくれたニルヴァーナのCDがきっかけでした。 ――著書『恋と退屈』では、洋邦問わず、時代もジャンルも超えて、多様な曲を紹介しています。さすがに詳しいですね。  中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました。電気グルーヴさんや大槻ケンヂさんら、いろんな人が音楽の話をして曲を流してくれるのをカセットに録音していました。あと、実家の店が家電販売だけでなく、ビデオやCDのレンタルもしていたんです。僕はバイトで店番をしていたので、入荷したCDを次々に聴いていました。 ――音楽を自分でやろうと思い立ったのはいつ?  高校時代、コピーバンドをやっている友だちに頼まれて歌ったことはあったんです。BUCK-TICKのコピーバンドと、ラフィンノーズとかパンクのコピーをしていたバンド。でもそのときはイヤイヤながらやっていました。高校の終わりですね……なんとなく自分でもバンドやってみたいなって思ったのは。 ――上京して大学に入ってから本格的に……。  卒業したら電器屋を継ぐという条件で学費を出してもらっていました。だったら大学の4年間で好きなことをやってみよう、と。僕の周りにいるバンド未経験の友だちに「楽器やってみねえ?」って感じで声をかけて始まったんです。そしたら面白くてやめられなくなってしまって。山形に帰るつもりだったのに。そうやって結成したのがGOING STEADY(以下、ゴイステ)です。3年生だった99年、最初のアルバムを出しました。大学を休みながらツアーをして、先生に単位をもらえるように頼み込んだりしてました。 ――バンド名の由来は、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズの曲かと思っていましたが、バズコックスですってね。  あはは。どっちも入っていますよ。 ――ゴイステは、主に恋愛をテーマに若者の衝動を歌い、“青春パンク”と評されました。歌詞は、自分の思いや経験をモチーフにしていたんですか。  そうです。当初は歌詞も書いたことなかったし、演奏も自己流で……。かっこいいなあと憧れるバンドはいっぱいあったけど、どうあがいてもそうはなれそうになかったので(笑)、メンバー間で「しょうがねえよな」って言っていました。 ――でも、2001年のアルバム『さくらの唄』は大きな評判を呼びました。安達哲の漫画『キラキラ』にも通じる、若者だけに許されるピュアな叫び……。  あ、漫画から拝借してタイトルをつけることはよくあります。『さくらの唄』もそうですし、「漂流教室」という曲も楳図かずおの漫画からですし。 ――ギタリストを入れ替え、銀杏BOYZとして再出発したのが03年。05年に同時発売したアルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』の2作は傑作でした。この2作は会心の出来だったのでは?  どうですかねえ。あの頃はよく分かんないまま出していました。自信があるのは14年に出した『光のなかに立っていてね』の方ですね。 ――『光のなかに立っていてね』が出るまで長かったですね。  シングルは出してましたけどね。 ――9年間、アルバムは出ませんでした。  スタジオにこもってゴソゴソやってましたよ。ずっと曲づくりばっかり。できもしない曲を延々と……。 ――『光のなかに立っていてね』が完成したタイミングで峯田さんを除くメンバー3人が脱退しました。その理由を説明できますか。  まあ、いろいろあって。お互い人間なんで。どう言っていいか分からない。察してくれよとしか言いようがない。でも、メンバー同士、愛し合っていました。メディアもファンも知らないところで僕らは愛し合っていました。 ――いまはサポートメンバーとのコラボですね。  はい。それぞれ別のバンドでも活動しています。 ――今年7月にシングル「エンジェルベイビー」を発売。8月末に「骨」、9月には「恋は永遠」と、3枚続けてリリースします。ポップで聴きやすい仕上がりになっていますね。  昨年に出した「生きたい」が重たいテーマだったので、次は、ちょっと明るめの曲をやりたいなって。 ――「生きたい」は15分に及ぶ大作ですね。「僕は僕を罰しなければ。おまえは間違っていると」と自分を断罪するような歌詞。  そうですね。メンバーが抜けるなどいろいろあった中で、まずこういう曲を作らないと先へ進めないな、と。で、実際に作ることができた。「生きたい」を完成させたことで、自分の中では決着をつけることができた。 ――10月には初の武道館公演がありますね。  僕は何も言っていないのに、マネジャーが勝手に決めたんです(笑)。 ――ライブでのメンバーたちとの一体感は出てきましたか。  まだこれからじゃないですかね。今のメンバーでのライブも10回に満たないんで。 ――12月で40歳。「不惑」を迎えます。  はい。 ――ステージを転げ回り、客席に飛び込む。擦り傷、切り傷は当たり前、ときには骨折までした激しいライブ・パフォーマンスが魅力の一つでしたが、これからは……。  肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない。かつては「この日が最後のライブになってもいい」ってくらいの勢いでやっていました。今はできるだけ長生きして、いっぱい歌っていたいという気持ちになっています。 ――これまでの重要なテーマは“恋”でした。たとえば名曲「青春時代」の「桜咲く放課後に初恋の風がスカートを揺らす」みたいな作風は、年齢とともに変わっていくのでしょうか。  60歳になっても70歳になっても、僕は女の子のミニスカートの中を覗きたい(笑)。今後もそういう詞を書いていきたいです。 ――「エンジェルベイビー」の歌詞は「どうして僕 いつもひとりなんだろ」と始まり、「自意識で息が詰まる頃ラジオからロックが流れた」「ロックンロールは世界を変えて」と続く。峯田さんが解き放たれていく印象を受けます。「ひよっこ」、初の武道館、40歳。今年の峯田さんは大きく変わろうとしている……そういう見方は当たってますよね。  当たってるんじゃないですか。やっぱり「生きたい」を出せたのが大きいと思いますね。 *  *  *  インタビュー後、差し出がましいこととは思いつつ、峯田さんが歌ったらきっと似合うだろうと勝手に考えた12曲のリストを示した。沢田研二、河島英五、西田敏行、上條恒彦、浜口庫之助……山口百恵も含め、古い歌ばっかり。リストを眺めていた峯田さんが突然目を見開き、ある曲名を指さして言った。 「この曲、どうして選んだんです? これ、そのうち歌いますよ。いやあ、びっくり! 驚いたなあ」 (構成・佐藤修史) 峯田和伸(みねた・かずのぶ)/1977年、山形県生まれ。GOING STEADYのボーカル&ギターとして99年にCDデビュー。2003年から銀杏BOYZでバンド活動を続ける。今年7~9月に新曲「エンジェルベイビー」「骨」「恋は永遠」を相次いで発表。10月には初の武道館公演に臨む。映画「アイデン&ティティ」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」、NHKドラマ「奇跡の人」で主演を務めるなど、役者としても活躍している。 ※週刊朝日 オンライン限定記事
週刊朝日 2017/09/05 16:00
人妻は「女神度」が高い? アラーキー、10年以上続く連載を語る
人妻は「女神度」が高い? アラーキー、10年以上続く連載を語る
荒木経惟(あらき・のぶよし)/1940年、東京都生まれ。千葉大学卒業後、電通に入社し写真部に所属する。64年「さっちん」で第1回太陽賞を受賞。71年、妻・陽子との新婚旅行を写した『センチメンタルな旅』を自費出版。同書で「私写真家宣言」をする。『愛しのチロ』『荒木経惟写真全集』(全20巻)など写真集は約500冊におよぶ。日本文化デザイン大賞、織部賞、オーストリア科学・芸術勲章、安吾賞など受章・受賞多数(撮影/写真部・小原雄輝)  愛妻と愛猫に先立たれ、前立腺がんや右目失明に見舞われながらも、今年喜寿(77歳)を迎え、ますます精力的に活動を続ける写真家・荒木経惟の展覧会が目白押しだ。「老いるほどいい写真が撮れる」と語るその原動力とは? ──今年開催する個展は、「写狂老人A」(東京オペラシティアートギャラリー)、今は亡き愛妻・陽子さんをテーマにした「センチメンタルな旅 1971─2017─」(東京都写真美術館)をはじめ15以上もあるそうですね。喜寿を迎えた年がアラーキー・イヤーとなりました。 「やっと時代が追いついてきたね、アタシの天才に。今年これだけ展覧会が続いているのは美術館の応援団が増えてきたから。77歳になって見かけは元気だけど、血尿は出るし、右目は見えないし、病気のことを思うといろいろ大変なのよ。でもアタシは生まれたときから背中に死をしょってるからね。どの写真も晴れ晴れしてないだろ? 死の影なんだ。死に神が近くにいるの。ところがアタシには女神もいるわけ。今その女神たちが応援してくれてるのよ。すべて女性のおかげ。男はいらないね」 ──「センチメンタルな旅」展の陽子さんの写真は特に死の影が濃いです。 「陽子はあの世なの。だから彼女が死んだ後に日記をやめて陽子のリトグラフを作ったとき、唇に色をつけなかった。死に化粧したらあの世に行くから、まだこの世にいてもらいたくて。それでしばらくして区切りがついたと思ったら、今度はチロちゃん(愛猫)が死んだろ? だからアタシは生に向かうより死に向かう旅が多かったんだよ。でも生きるってことはセンチメンタルってことじゃない? それで今までずっとやってきて、今年あたりで、もう旅も終わりかなと漠然と思ってたわけ。だから今回の展覧会は、陽子への最後のプレゼントなんだよ。そしたら偶然、すごいものが贈られてきたね。鎌倉にある『港の人』っていう小さな出版社から『荒木陽子全愛情集』っていう分厚い本が届いたの。陽子が書いた文章を全部探して一冊にまとめてくれたのよ。これは絶対、陽子からのプレゼントだと思ってる」 ──なんという不思議な偶然! でも旅の終わりはまだ早いのでは……。 「旅の終わりは死だからね。77歳なんていつ死んでもおかしくないじゃない。そういうことを考えてる時期に、アタシを神輿(みこし)に乗せて担いでくれる女たちがどんどん増えてきたから、ツイてるんだよ。それでせっかくだから、『私写真家宣言』をして私写真こそが生きてることだって言った手前、本当にそう思える写真を撮り続けてきたかどうか確かめてやろうと思ったの。今まで自分の写真を見返すことなんてなかったんだけどね。愛情というシャッター音を相手に響かせているかどうか、相手が響き返しているかどうか。それを確かめるためにこれだけ大きな展覧会をやったんだけど、全部見返してみて思ったね。やっぱり写真は荒木が一番だ!って。ハハハハ」 ──人も空も花も、愛情を返してくれていた? 「そういう気がしたね。だって空にも花にも、お互いの秘密まで写ってるんだから。面白いと思ったのは、撮ってから10年、20年経ち、当時と違う見方ができる写真があったこと。たとえば陽子が舟でゴザに寝ている写真あるでしょ。下町では死者をゴザに寝かせるから、あれは三途(さんず)の川を渡っている完全な死の写真だと思ってたわけ。ところが今見るとさ、あれは胎児なんだよ。生まれたばっかりで生に向かってる写真なの。だからこの写真展のタイトルの最後に『1971─2017─』と『─』を入れたんだよ。旅はまたはじまるの」 ──「─」はそういう意味だったんですね。生に向かっているという意味では、「写狂老人A」展の「大光画」シリーズの迫力ある人妻ヌードもまさに生命力にあふれています。陽子さんの写真とあわせてみると、生と死のコントラストのように感じました。 「陽子は死に神度が高いけど、人妻のほうは女神度が高いからね。あれは10年以上続いている『週刊大衆』の連載なんだけど、応募の数がすごいのよ。太っている女性も年とった女性もいて、週刊朝日の表紙に出るスタイルのいい女子大生とは比較にならないけどさ。アタシは『生きてる』ってことを中心にしてるから、みんな魅力あるんだよ。旦那には内緒で脱ぐ人が多いけど、アタシと同い年だからって旦那に勧められてきた77歳の女性もいるからね(笑)。堂々と脱いだ女性には存在感がある。“女在感”だね。でもよくよく見ると、ちょっとした恥じらいや照れが残ってるでしょ。それがちらっと見えるのがアタシが狙ってる女っぽさなの。そこをうまく引き出すために背中を押してあげるのがアタシの役目。だからアタシの写真っていうのは切ない真実、『切実』なんだよ」 ──今年のアラーキー・イヤーは集大成という意識もありますか? 「そういうふうに結論づけるような言葉は嫌いなんだけど、すべてのものに入れ込んでやってみるかっていう気持ちはあるね。年をとればとるほどいい写真が撮れるんだよ。経験は多ければ多いほどいい。最近はアンチエイジングって言葉が流行(はや)ってるけど、それじゃダメなんだ。人間は老いていかなくちゃいけないの。どんどん老いてみんなババァとジジィになれって言いたいね。年をとってはじめて感じることやわかることがあるんだから。何百人、何千人という女に会えば会っただけ、教えてもらえることもあるわけ。だいたいね、女がどんだけズルくてセコいか見えてくるからねぇ。まあ男はそれ以上だけどさ。目も衰えてくると、そういう部分にピントが合っちゃうのよ」 ──今年はあと五つの展覧会があるそうですね。 「最後は、12月からはじまる香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の個展で、それを終着駅にしようと思ってたんだけどさ。今ものすごく冴(さ)え渡っていて絶好調だから、まだ終わりそうもないね。むしろテンション上がりすぎて困っちゃう。だからまだ死にたくない。俗物のままもっと長生きして、もっとアバンギャルドな写真を撮りたいね。若いころの肉体的な勃起と違って、老人が精神的に勃起しちゃうと大変なんだよ。ハハハハ」 ※週刊朝日  2017年9月8日号
週刊朝日 2017/09/01 11:30
新学期が死ぬほど苦しい君へ 「義務教育は1日も通わず卒業できる」
石井志昂 石井志昂
新学期が死ぬほど苦しい君へ 「義務教育は1日も通わず卒業できる」
学校へ行かないのは「詰み」じゃないと、いま石井さんは感じているという (※写真はイメージ)   これから始まる新学期。9月1日は子どもの自殺が1年で最も多い日だ。苦しい気持ちを誰にも打ち明けられずに、学校へ向かう子もいるかもしれない。「不登校新聞」編集長の石井志昂さんは、自身も不登校だった経験から「予想に反して学校へ行かないことは『人生の詰み』じゃなかった」と振り返ります。 *  *  *  あの日、学校へ行かなかったから、私は自分の命を拾ったのだと今でも思っています。1年のうちで最も子ども自殺が多くなる「9月1日」を前にすると、自分が不登校だったころのことをどうしても思い出します。  14歳のころ、学校へ行こうとすると自分が溶けてしまいそうなほどつらかったのです。先生のなかにはいい人もいたし、友人も好きでした。でも許せない先生もいたし、許せない同級生もいました。クラスのなかはいつも暴力が飛び交っていました。  階段から突き落とされた同級生もいました。それを見ていた私は一秒たりとも同級生を救おうとは思いませんでした。自分に暴力が向けられるのが怖かったからです。  小学生のころからずっと嫌われ、軽蔑されていた女子生徒は、いつも「クサイ」と言われていましたが、いまどうがんばっても彼女がどんな匂いだったのか思い出せません。彼女は私たちの幻想で苦しめられていたのです。  そんなことはいくらでもありました。私もいじめられもしたし、いじめたし、止めることもできませんでした。先生がいじめを先導しているときもありましたが、基本的には教室で飛び交う暴力が過ぎていくのを見守るだけの日々でした。  学校がつらいのは自分が弱いせいだとも思えたし、学校が悪いんだとも思えました。とにかく、あれだけまわりの空気を読んで自分を演じ、自分を殺してきた時間が長く続くと、自分が何を感じているのかよくわからない状況になっていました。 ■「学校よりイヤなこと」無かった 「学校へ行けない」と親に伝えた日があります。どうしてそんな勇気が湧いたのか今でもわかりませんが、その日から登校していません。  それからすぐに楽になったわけではありません。私の場合は、しばらく「自分には生きる価値がない」と思う日が続きました。「生きていてはいけない」と死ぬ日を決めたこともあります。  結局、死ねずに、自分が情けなくてしょうがなかった日を重ねた結果、「もう一度、死ぬほどイヤな目に会うまで生きていよう」と決めました。あの日以来、いまに至るまで20年間、学校へ行くよりイヤなことなんて一度もありません。 ■義務教育は子どもの義務じゃない  学校へ行く代わりに知ったことがあります。同じように学校へ行かない人が集まる場があることです。そこでは、「どうして行かないの?」なんて聞かないし、学校へ行かないことを責める人もいませんでした。 「小中学校の義務教育は一日も通わずに卒業ができる」ということも知りました。出席日数に関係なく校長が認めれば卒業は認められます。中学2年生から一度も通っていない私も、中学を卒業しています。友だちは小学校の入学式にしか行かずに卒業しています。校長と交渉して卒業を認めさせてくれる大人もたくさんいます。  義務教育は子どもの義務ではありません。  高校はもっと自由です。転校もできるし、学校へ通わずに、試験を受けて高校卒業と同程度の資格をもらうこともできます(これを高等学校卒業程度認定試験といいます)。 ■学校へ行けないのは「詰み」じゃない  あれから20年、私は大量のゲームをクリアし、大量の漫画を読み、夜中に中継されるサッカーと五輪を思うぞんぶんに楽しんできました。憧れていた糸井重里さんに会いに行き、記者になり、いまではなぜか忌み嫌っていた将棋が大好きです。  不登校当時、私は「この先、生きてても何の意味があるんだ」と思っていました。意味はいまだにわからないし、当時、想像した理想の人生も送っていません。でも想像以上に「生きててよかった」と思うことにも出会ってきました。  私の予想に反して学校へ行かないことは「人生の詰み」ではありませんでした。  もしいま、これから始まる学校が怖いと感じている人がいるならば、私のように生きている人を知ってもらいたいと思っています。  どうか「死ぬ以外の選択肢がある」ことを信じてもらいたいと思っています。 (文/石井志昂) <子どもの相談先一覧> 24時間子供SOSダイヤル 電話:0120-078-310 子どもの人権110番 電話:0120-007-110 チャイルドライン 電話:0120-99-7777
dot. 2017/09/01 07:00
Tiara 盟友AZU/片桐舞子(MAY’S)との女子会ソング「My Girl Friends」ミュージックビデオ公開
Tiara 盟友AZU/片桐舞子(MAY’S)との女子会ソング「My Girl Friends」ミュージックビデオ公開
Tiara 盟友AZU/片桐舞子(MAY’S)との女子会ソング「My Girl Friends」ミュージックビデオ公開  恋愛ソングの歌姫 Tiaraが、3年ぶりのアルバム『あいすること』(9月20日発売)より、盟友 AZU、片桐舞子(MAY’S)とタッグを組んだ女子会ソング「My Girl Friends」のミュージックビデオを公開された。  「My Girl Friends」についてTiaraは、「歳が近い女性アーティストと一緒に歌ってみたいなと、前々から考えていたのですが、今回こうしてAZUと舞子ちゃんとのコラボレーションが実現し、とっても嬉しいです! ライバルのように見えるかもしれませんが、私としては二人は戦友のような存在。今回久しぶりに会って、お互いの近況や悩み等の話についつい夢中になりながら、楽しいレコーディングはあっという間に終わってしました。そんな楽しいノリで歌った曲なので、仕事や恋に頑張っている女性にぜひ聴いて頂いて、ご友人と一緒に歌って頂けたら嬉しいです!」とコメント。またAZU、片桐舞子(MAY’S)もコメントを寄せている。(下部に掲載)  また、アルバムのリリースを記念して、9月23日には、流山おおたかの森 S.Cにて、3年ぶりのインストアライブの開催が決定。そして、9月1日からは、カラオケDAMでTiaraの楽曲を歌った方が応募できるプレゼントキャンペーンもスタート。あわせて、チェックしておこう。 ◎コメント・AZU「To. Tiaraリリースおめでとう!結婚して母親になって、いろんな経験を積んで、いつも誰より先を歩く貴方は女の子や私達ミュージシャンの憧れです!また新しいTiaraがこのアルバムでどんな顔を見せてくれるのか皆が楽しみにしてるよ!歌手として、母親として、そして1人の女性として、これからもいろんな表情を見せて沢山の人を魅了して幸せと笑顔いっぱいにしてあげてねっ♪ 本当にリリースおめでとう!!!」 ・片桐舞子(MAY’S)「女同士集まれば自然と巻き起こる最近のアレコレトーク、そんなリアリティが詰まった楽曲で、レコーディングもとても楽しかったです。デビュー当時から仲良くしてるメンバーでコラボできたからこそ、楽曲の楽しさが伝わる曲になったと思います。Tiaraリリースおめでとう! そしてありがとう!」 ◎リリース情報アルバム『あいすること』2017/9/20 RELEASE<CD> CRCP-40524 2,778円(tax out.)収録曲:1. あなたとめぐる季節の中で2. Innocence ~許されない恋~3. 東京の空4. さようならも言えないまま5. New Love ~Interlude~6. あいすること7. 陽炎8. #happyholiday9. My Girl Friends / Tiara × AZU × 片桐舞子 (MAY’S)10. One Way Love11. たしかなこと ◎インストア情報【Tiara「あいすること」発売記念ミニライブ&サイン会】2017年9月23日(土)16:00~ 流山おおたかの森 S.C 本館1F 正面入口(ケヤキ前)広場http://www.crownrecord.co.jp/artist/tiara/whats.html ◎Tiara、カラオケDAMのプレゼントキャンペーン情報全国のカラオケ「DAM」設置店でTiaraの曲を歌って、応募するとプレミアムパーティーご招待!応募期間:9月1日(金)~9月30日(土)プレゼント内容:A賞:プレミアムパーティー(ミニライブ&トーク)15組30名B賞:直筆サイン入りポスター 5名http://www.clubdam.com/app/damtomo/common/page.do?type=damtomo&source=P00763&subType=present
billboardnews 2017/09/01 00:00
「宿題が手に付かない」は前兆かも… 自殺最多の9月1日を前に親がやれること
石井志昂 石井志昂
「宿題が手に付かない」は前兆かも… 自殺最多の9月1日を前に親がやれること
「休ませる勇気こそ親の愛情表現です」と、心理カウンセラーの内田良子さんは話します。 (※写真はイメージ)  全国の多くの学校で、夏休みが終わろうとしている。9月1日は子どもの自殺が1年で最も多い日だ。「宿題が手に付かない」「体調不良を訴える」など、親が一見ワガママとも思える子どもの言動はSOSのサインかもしれない。「不登校新聞」編集長の石井志昂さんは、専門科への取材から3つのポイントが見えてくるという。 *  *  *  1年間のうちで、子どもの自殺が最も多くなるのは夏休み明け前後です。  約40年間分の18歳以下の自殺者を内閣府が調べたところ「9月1日」に自殺した人は累計131人で、突出して多かったというデータが2015年に発表されました。また、9月2日(94人)や8月31日(92人)も自殺が多く、夏休み前後は子ども自殺のピークだと言えます。  「9月1日」とは全国的に「2学期初日」にあたります。北海道や東北、そして2学期制の学校では初日が異なりますが、東京、名古屋、大阪など多くの学校は今年も9月1日に2学期初日を迎えます。 ■SOSとその対応  夏休み明けの子どもの自殺の前兆としては「宿題が手につかない」「体調不良を訴える」「学校に行きたがらない」という3点が挙げられており、児童精神科医・高岡健さんは「一見ささいなサインのようだが軽視すべきではない」と指摘します。  こうしたサインに気がついた場合、まわりはどう対応をすべきなのでしょうか。「これが絶対」と言えるものはありませんが、専門科への取材を総合すると3つの大事なポイントが見えてきます。 (1)相手の気持ちを軽く見ない  「死にたい」と子どもから言われたとき「死ぬなんてバカなことを」とか「本気じゃないだろう」などと答える人がいます。しかし、それは死にたいほど苦しい気持ちを軽く見られたと、子どもは受け取ってしまいます。まずはそれほど本人が苦しかったんだ、という前提で話を聞いてください。 (2)話を最後まで聞く  「宿題が終わらない」と子どもから言われると、親ならば「だから、やっときなさいって言ったでしょ」と言いたくなります。でも、そこをぐっとこらえて最後まで話を聞く必要があります。行動の一つひとつをくりぬいて善悪で考えずに、そうならざるをえなかった状況を理解する必要があります。 (3)安全を確保する  心理カウンセラー・内田良子さんは「休ませる勇気こそ親の愛情表現です」と話します。「不登校ができた子どもは命を絶たずに済むから」です。本人にとって心から安心・安全だと思える場所はどこなのか。まずは安全な場所で気持ちを落ち着かせることが大事です。  このほか「気持ちを尋ねる」、「心配しているなど自分の気持ちを伝える」なども基本的な対応の一つだと言われています。 ■「9月1日」はなぜつらいのか  昨年12月、大津市は子ども自身が回答した「いじめアンケート」の調査結果を発表しました。大津市は2011年に起きた大津いじめ事件以後、いじめ対策に力を入れており、アンケート結果は信頼できる数少ないデータの一つです。  アンケート結果によると、9月は1年間のなかでもっとも「いじめ」が多い時期でした。それには9月特有の理由があります。  前出の心理カウンセラー・内田良子さんによれば、9月は学校行事が多く、先生の管理が厳しくなる、部活がなくなりストレスの発散場がなくなるなどの理由から「いじめが起きやすくなる」そうです。  そのいじめを受けてしまう側にとっても、9月というのは、ほかの月とはちがう意味合いを持ちます。というのも、学校がなくてホッとできる夏休みから、いきなりいじめのピークを迎える学校へ行くことになるからです。一度でも9月にいじめを受けたことがある人ならば「またあの時期がやってくる」と思うのがふつうです。  以前、不登校経験者から9月1日は「ジェットコースターが落ちる前のような恐怖感があった」という話を聞きました。 ■弱音を聞いてほしい  さまざまに傷つけられて子どもは大人に相談しますが、残念ながら、その気持ちは軽視されることのほうが多いです。  昨年、いじめに耐え切れず、先生に相談すると「ウソをつくな」と一喝された女子中学生がいました。彼女はそれが悔しくてつらくて、カミソリで自分の手首を切りました。すると親から「バカなことを」と怒られました。誰からも「なにがあったの?」とは聞かれなかったそうです。  教師からのいじめを受けてきた男子中学生は「学校に問題があるのに、学校を休むと僕が問題にされる」と私に訴えてきました。彼が感じてきた理不尽さは「誰にも共感されなかった」とも話してくれました。  いずれも2015年に「9月1日は子ども自殺が多い」というニュースが流れた後の話です。「学校よりも命が大事」なんてメッセージは、子どもたちに届いていません。いまだにこの国では学校で苦しむ子どもに冷たいのです。  多くの方にお願いしたいのは、子どもが弱音を吐いたら気持ちを聞いてほしい、ということです。  15年間、学校で苦しんだ人への取材を続けていますが「気持ちを聞いてくれる人に出会って状況が変わった」という声をよく聞きます。その相手は友だちや親などさまざまです。「気持ちを聞く」という行為は一見、抜本的な解決策に見えません。しかし、一番大切なのは、まずは本人の気持ちが救われることです。そこから新しいスタートなのです。  どうしてつらいのか、どうして休みたいのかを尋ね、その気持ちを一人でも聞いてくれる人がいれば状況は変わります。そういう人をたくさん見てきました。  学校を変える、教育制度を変える、そういうことも必要です。しかし、もっと誰にでもできることの積み重ねのなかに、救われる魂があるのだと私は思っています。(文/石井志昂) ===子どもの相談先一覧=== 24時間子供SOSダイヤル 電話0120-078-310 子どもの人権110番 電話0120-007-110 チャイルドライン 電話0120-99-7777
出産と子育て
dot. 2017/08/31 07:00
大企業が熱視線、「高専」の底力
大企業が熱視線、「高専」の底力
木更津高専 情報工学科/向かって右から、望月さん、小高さん、丸山さん、米村准教授。持っているのは、情報危機管理コンテスト優勝カップと賞状(撮影/岡田晃奈) 米子高専 物質工学科/向かって右が前田さん、左が山村さん。掲げているのはIntel ISEFで使用したパネル。「実験より英語のほうが大変だったかも(笑)」(前田さん)(撮影/柿崎明子)  オープンキャンパス真っ盛りのこの季節。最近では親同伴で学内を回る姿も珍しくない。教育環境や入試倍率、学費もそうだが、“出口”の就職率なども気になるところ。AERA 8月28日号で、コスパのいい進学先を調べてみた。  大学しか見ていないそこのキミ、「高専」を知ってるか。技術者育成を狙い、15歳から5年間、一貫教育を施す高等教育機関だ。時代が求める人材が次々輩出しているぞ。 *  *  *  今年5月にあった「第12回情報危機管理コンテスト」。エントリーした千葉県の木更津工業高等専門学校(高専)は1次、2次予選と勝ち進み、決勝戦の地、和歌山県田辺市へと乗り込んだ。ところがメンバーが目にした新聞記事には「(決勝戦進出は)東京大、早稲田大、関西大、岡山大など5チーム」とあり、木更津の名がない。うち一人の丸山泰史さん(情報工学科2年)はこう振り返る。 「あと1校なんだから、うちも書けよと。でも高専だから仕方ないかなとも思った」 「サイバー犯罪に関する白浜シンポジウム実行委員会」が主催した同コンテストには、大学・大学院や高専から計26チームが参加。木更津高専からは小高拓海さん(5年)、望月雄太さん・齋藤遼河さん(3年)、丸山さんの4人のチーム、Yone-laboが出場した。 ●在学中に企業から誘い  競技内容はこうだ。まずチームが架空の企業から情報システム管理を委託されたという設定で、主催者側がさまざまなシステム障害を意図的に起こし、その解決能力を競うというもの。企業の担当者役がチームの代表者と電話やメールで連絡を取り、競技を進めるのだが、そこでYone-laboの技が光った。  そもそもの連絡が来る前に自ら事故を把握して報告。顧客対応も優れており、総合的に審査員から高い評価を得て最優秀賞の経済産業大臣賞を獲得。試合後は一転、スマホで見たニュースには母校の名前が躍っていた。  チームの4人は情報工学科・米村恵一准教授の研究室に出入りする有志だ。木更津高専は「高専情報セキュリティ人材育成事業」において関東近郊の拠点校に指定され、ハイレベルな教育環境にある。近年はサイバー犯罪が大きな社会問題になっているご時世。優勝した4人は注目を浴び、在学中ながら複数のIT企業などから共同研究の誘いもかかった。  例えば望月さんと齋藤さん、丸山さんの3人は、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)が主催するセキュリティー研究者育成事業、SecHack365に合格。1年間イベントや遠隔実習で腕を磨くことになった。また、望月さんは友人が設立したIT企業の最高技術責任者に就任。小高さんはIT企業のラックが、若手エンジニアを支援する目的で開催している「すごうで2017」に選ばれて活動支援金100万円を獲得。今後は研修などに参加し、技術を磨くつもりだ。さらに将来の目標まで変わった。 「元々ゲームが好きでクリエーターを目指していましたが、今はセキュリティーのエンジニアになって日本を守りたいと思う」  在学中から企業も関心を寄せる人材が輩出する高専とは、一体何者か。  元々は技術者を養成する目的で1962年に設置された高等教育機関。15歳から5年間(商船学科は5年半)の一貫教育で、高度成長期に日本が誇る「ものづくり」を支える人材を送り出してきた。現在は国立51校、公立3校、私立3校があるという。 ●海外にも“高専モデル”  カリキュラムは、低学年のうちは高校で学ぶ教養科目が中心だが、学年が上がるにつれて専門科目の比重が増す。費用も安く、学費は入学料8万4600円、年間授業料23万4600円と国立大学の半分以下。さらに国立高専すべてが寮を併設し、月700~800円と破格の安さだ。経済的な事情を抱える子どもの進学の受け皿にもなっているという。  高専で指導する教員の中には、博士号を取得した研究者も多く、それぞれの研究室を持ち、雰囲気は高校というよりも大学に近い。実際に「生徒」ではなく「学生」と呼ばれ、ある学生は「入学後のオリエンテーションで、先生から『あなたたちは生徒ではなく学生です』と言われ戸惑いましたが、大人として扱われたようで誇らしかった」と話す。  いまやASEAN・中南米・アフリカ諸国から視察が訪れるほど。さらに国立高等専門学校機構は途上国支援の一環としてモンゴル、ベトナム、タイにこの“日本型高専モデル”を展開しているという。  引く手あまたなのは在学中に限った話ではない。就職率は例年ほぼ99%以上と大学を上回り、三菱重工、JR東日本、日立製作所といった大企業にも就職している。大手で活躍している卒業生も多いのだ。  さらに新しい動きも。最近増えているのは“女子学生”。年々増加傾向にあり、現在は約20%を占めるほどに。大舞台で成果も上げている。  高校生年代を対象とした世界最高峰の科学大会で上位入賞したのは、米子高専(鳥取)の前田千澄さん(物質工学科5年)と、山村萌衣さん(同4年)のペアだ。16年5月8日から1週間、米国アリゾナ州フェニックス市であった「インテル国際学生科学技術フェア(Intel ISEF)2016」。世界77の国と地域から選抜された約1700人の生徒が参加するこのフェアで、燃料電池の電解質膜を卵の膜で代用し発電させることに成功していた前田さんら2人は、研究成果を発表。結果、エネルギー・ケミカル部門のグランドアワード第2等(全体の上位6%)に選出されたのだ。 ●「テスト期間をのぞいた1年間ほぼ毎日研究」  受賞の背景には、腰を据えて研究に取り組める環境があった。前田さんは2年、山村さんは1年次に、同科の谷藤尚貴准教授が主宰する「B(biology)&C(chemistry)研究同好会」に参加。先輩が行っていた燃料電池の研究を受け継ぎ、既存の電解質膜に代わる材料として「空気を通すけれども中身は腐敗させない」性質を持つ野菜や果物の皮、卵の膜に着目した。卵の膜が一番適していることがわかり、性能を上げる実験に取り組んだのだ。 「テスト期間をのぞいた1年間ほぼ毎日、土日や夏休みも研究室に通いました。まったく変化があらわれず、このまま続けて成果を上げることができるのか、気持ちがなえそうになったこともありました」(前田さん)  地道な実験が実り、電池キット2個でLEDライトの赤色、5個で青色を灯すことに成功。15年に開催された、intel ISEF提携フェアで朝日新聞社など主催の高校生科学技術チャレンジコンテストに入賞し、出場権を獲得したという。米国大会までは5カ月間。2人は発表資料を英訳するかたわら、想定される質問の受け答えを英語で猛特訓し、大会では通訳の助けを借りずにポスターセッションに臨んだ。 「他国の生徒たちは、多少英語ができなくても、堂々と発表していた。世界を肌で感じることができました」(山村さん)  来春卒業する前田さんは広島大への編入が決まっており、大学での研究を楽しみにしている。 ●2割超が大学に“編入”  時間をかけて学び、専門性も身につける高専の学生には、同じ教育機関からも熱い視線が送られている。前田さんのように大学に編入する道が広がっているのだ。  通常、3年生へ編入するといい、16年度の国立高専本科卒業生9千人のうち、大学への編入率は23.6%。東大をはじめ、京大、東工大など難関大に進む学生も多い。17年は東京大へ13人、東工大へ35人が編入した。  東大院で建築学を専攻する石田崇人さんは、小学校の頃から建物好きで明石高専(兵庫)の建築学科に進学。14年に卒業し、東大工学部に編入したという。大学卒業時には各学科1人に与えられる工学部長賞を受賞。卒業制作でも、学部の最優秀賞を獲得した。 「すでに建築の専門的な研究を高専で行っていたので、同期に比べて広い視点で学ぶことができたと思う」(石田さん)  現在の研究テーマは、建物を長持ちさせるためのメカニズムの解明で、「人が住む家には、人の記憶が残る。そんな家をいつまでも残したい」という。  企業や大学、最先端の現場から注目される高専の強さはどこにあるのか。国立高等専門学校機構学生指導支援室・本江哲行室長は言う。 「高専の授業は知識と実体験・実習のバランスが良く、実践的なカリキュラムで学ぶため即戦力として社会的ニーズも高い。そこが重宝されているのでしょう」  今、高専が熱い。(ライター・柿崎明子) ※AERA 2017年8月28日号
AERA 2017/08/27 07:00
8月22日 秋風が迎えに来た最期~「藤村忌(とうそんき)」
8月22日 秋風が迎えに来た最期~「藤村忌(とうそんき)」
二十四節気・立秋も今日までとなりましたが、まだ秋と夏が行ったり来たりの日々ですね。74年前の今日、「涼しい風だね」と最期の言葉を残し、浪漫主義を代表する詩人・小説家の島崎藤村(1872~1943)がこの世を去りました。晩年を過ごし、埋葬された大磯の地福寺と信州の菩提寺(遺髪と遺爪が収められている)では、それぞれ毎年忌日に供養が行われています。今日は藤村が吟じた「詩」を頼りに故人を偲びたいと思います。藤村が眺めた景色 詩人として文壇に登場「若菜集」 島崎藤村(1872~1943)は、現在の岐阜県中津川市馬籠の旧家の末っ子として誕生し、9歳で学問のために上京しました。親せきの家から日本橋の泰明小学校に通い、明治学院普通科へ進みます。この時代にプロテスタントと出会ったことが後の作品へ影響を与えたと考えられます。卒業後は明治女学校(東京)の教師をしながら、日本初の女性雑誌「女子雑誌」に詩やエッセイなどの寄稿を始めます。その後、雑誌「文学界」の立ち上げにも参加しました。東北学院(仙台)へ移り教師をしていたころに、処女作の「若菜集」を出版しました。「若菜集」と言えば、「初恋」が浮かぶ方が多いのではないでしょうか。初恋の径と高瀬資料館 初秋の優しい景色が浮かぶ『初恋』 『初恋』 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ 日本人になじみ深い七五調を文体で、初恋の甘酸っぱさを描いています。「薄紅の林檎」が育ち切っていない少女の初々しさを感じさせます。「若菜集」には他にも少女をモデルにした詩が多く収められていますが、「初恋」は秋を感じさせ、浪漫主義の詩として外せない作品と言えるでしょう。薄紅の林檎がなる林檎畑 友との語らいから生まれた詩「椰子の実」 ある時、友人で民俗学者の柳田國男が渥美半島で浜へ打ち上げられた椰子の実の話を藤村に聞かせました。そこから生まれた詩が「椰子の実」です。藤村自身は見ていない景色を、柳田からの話を元に想像力と表現力をもって作った作品です。この詩は後に曲がつけられ、唱歌となりました。今でも時折CMソングなどに起用されていますので、耳にしたら「知ってる!」と思われる方が多いことでしょう。舞台となった渥美半島の浜は、今では「恋路ヶ浜」と呼ばれて恋人たちの聖地となっています。 当初は詩人として活躍していた藤村ですが、結婚・子供や妻の死を経てやがて小説家へと転身します。「破壊」や「夜明け前」が著名ですね。昭和10年には日本ペンクラブの初代会長に就任しました。 最期を迎えた時に小説「東方の門」を執筆中だった藤村。大磯の自宅で原稿の進み具合を気にしながら「涼しい風だね」とつぶやき、二度目の妻に看取られて亡くなりました。享年71歳。大磯には今日も涼しい風が吹いているでしょうか。恋路ヶ浜 参考・出典 『藤村詩集』 島崎藤村 新潮文庫 『藤村記念館』公式サイト(下記リンク) 『旧島崎藤村邸』isotabi.com島崎藤村資料館
tenki.jp 2017/08/22 00:00
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

ロシアから見える世界

プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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