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“韓国の坂口健太郎”も! 次世代担う“韓流”実力派俳優4人
酒井美絵子 酒井美絵子
“韓国の坂口健太郎”も! 次世代担う“韓流”実力派俳優4人
「華麗なる誘惑」では、主人公(チュ・サンウク)の少年時代の重要な部分を演じ、名演技と評されたナム・ジュヒョク。日本でもファンが急増中で、旬の俳優の一人だ(c)YG. All rights reserved.  韓流ドラマファンといえば、かつては中高年女性が中心だったが、最近では10~20代の若い女性も増えつつある。昨年はイ・ミンホ、チ・チャンウクなど主演級の人気俳優が次々に入隊したが、彼らの不在を埋めるように、魅力溢れる20代の俳優が続々と頭角を現してきたからだ。ルックスも実力も兼ね備えた若手4人を紹介する。  今、乗りに乗っているのが“韓国の坂口健太郎”こと、ナム・ジュヒョク(24)。元女子フィギュアスケート選手の村上佳菜子さんも彼のファンの一人で、1月放送の「人生が変わる1分間の深イイ話×しゃべくり007 合体スペシャル」で「ナム・ジュヒョク愛」をアツく語っていた。  武器の一つが、少女漫画から出てきたような長身で整った顔立ちという抜群のルックス。そのイケメンぶりは、世界でも認められており、米国の映画レビューサイト「TC Candler」が年末に発表する「最もハンサムな顔 100 2017」では23位にランクインされた。  韓国最高のモデル事務所YG KPLUSに所属し、モデルデビューから1年で俳優に転身。2作目のドラマ「恋するジェネレーション」で主役級に抜てきされると、水泳シーンでは鍛え上げられた美体を披露する一方、子犬のように無邪気に笑い、見ている女性たちをキュンキュンさせた。「ハベクの新婦」では、人間界に降りてきた“神”役に挑戦。人間界のしきたりや仕組みに戸惑うキュートな姿と、神々しい銀髪姿で、再び女心を震わせた。  韓流エンターテインメントライターの安部裕子さんは次のように語る。 「『チーズ・イン・ザ・トラップ』では、友達以上恋人未満の年上女性に子分扱いされるかわいい年下男役を好演。彼女の言うことなら何でも聞いてあげる優男が時折みせる男らしさに萌え萌え。一方、バラエティー番組ではいじられ役。優しく真面目な人柄に応援したくなります」  衛星劇場のトーク番組「どっぷり韓国ドラマ」などにコメンテーターとして出演中のライターの高橋尚子さんはこう話す。 「彼の魅力はキラキラ感。素顔が天然というギャップもいい」  またインスタグラムにアップされる写真の“彼氏感”も人気の秘密だという。 「インスタにあがるプライベートショットや動画は、ナチュラルなものが多くて、隣にいるような錯覚に。本当に見つめられてるようでドキッとします」(20代ファン)  そのインスタのフォロワー数は、約950万人。日本の“インスタ女王”渡辺直美(約780万人)をゆうに超す。昨年は、タイ、フィリピン、台湾などを回るアジアファンミーティングを開催。日本でもブレークする日は近いだろう。  同じくモデル出身で、今年の飛躍が期待されているのが、俳優歴2年弱のヤン・セジョン。2016年に製作された「師任堂(サイムダン)、色の日記」で演技者の道へ。現代と朝鮮時代の二つの時代を描く同作で一人二役を演じ注目を集めると、「愛の温度(原題)」で早くも主演し、その年の「SBS演技大賞」男性新人賞を受賞するスピード出世だ。 「最近の若手俳優は総じて演技力が高い。その中でも新人とは思えない安定した演技力を持っている。演技派やベテランを相手にしても堂々と演じていることからも、相当肝が据わっているのでは」(高橋さん)  武器は、その「目」。目の強さや柔らかさなど、役柄や場面によって目の表情を変えられるという。 「キラキラ系ではないので一発でガツンとはこないが、知らぬ間に惹かれている。一度ハマると抜けられない魅力があります」(同)  最新作は、クローン人間vs.刑事のスリリングな追跡劇を描くクライムサスペンス「デュエル〜愛しき者たち〜」(日本でDVD発売中)。善と悪のクローン人間、リアル人間の3役を玄人好みの演技でこなす。その可能性は底知れない。  高橋さんが「20代で最強の主人公俳優」と言ってはばからないのが、イ・ジョンソク(28)。 「一言で言えば、“主人公オーラ”を放つ稀有な俳優。少年のようなはかなさともろさ、危うさを内包しつつ、憂いや切なさ、愛くるしさもある。ふいに漏れる大人の色気と、低く響く落ち着いた声もいい。武器はビジュアルに加えた繊細な感性と演技の多様な引き出し。繊細で感性を揺さぶる、暑苦しくない演技も好印象です」(同)  ヒットメーカーの脚本家パク・ヘリョン氏は3作連続で主役として起用、その演技力とスター性に絶大な信頼を寄せている。16年には「W‐君と僕の世界‐」でMBC演技大賞を受賞し、名実ともに認められた。入隊の上限年齢(満30歳の12月末まで)に近づいているため、年内に入隊といううわさも。今後の動向が注目される。  最後は、カラオケの十八番は中島美嘉の「雪の華」で、NEWSや山下智久、ドラマ「プロポーズ大作戦」も好きだと明言する“日本通”のパク・ボゴム(24)。高校の第2外国語では日本語を選択していたという。最近は抹茶にハマっているとか。 「圧倒的な清潔感と優等生オーラ」(安部さん) 「聡明で透明。無垢という言葉がぴったり。彼を見ていると清らかな気持ちにさせられる」(高橋さん) 「ずばぬけたスター性は、韓流界の羽生結弦のよう」(韓流ライター)  と、業界人がこぞってベタ褒めする。15年、ドラマ「恋のスケッチ~応答せよ1988~」で演じた純粋培養の天才棋士役でブレーク。旅番組「花より青春〜アフリカ篇」で、スタッフに突然車に乗せられ空港に連行されているにもかかわらず、道中「僕のせいで窮屈になってすみません」とスタッフを気遣う“聖人”ぶりと、旅の全てのものや出来事に感謝し感動する天使のような人柄が世に知れ渡り、「ボゴム熱」がヒートアップした。  翌年、宮中ロマンス「雲が描いた月明り」で初主演。男装女子に恋するツンデレ世子(世継ぎ)をロマンチックに演じると、スターの地位を確立した。人生順風満帆に見える彼だが、実は、幼くして母親を亡くし、家族の借金に悩まされた過去もあるという苦労人だ。 「雲が描いた月明り」が本国で放送終了後間もなく、日本でもKNTVで放送されると、韓流ファンが注目。昨年11月に地上波のテレビ東京「韓流プレミア」枠でも放送されるとファンのすそ野がぐっと広がった。昨年末に千葉・幕張メッセで開催した日本ファンクラブの発足記念ファンミーティングには、なんと1万人弱のファンが駆けつけたという。  日本の韓流雑誌業界で「表紙にして売れる俳優がいない」と言われる昨今。パク・ボゴムは、そんな日本の韓流シーンの救世主になるかもしれない。(ライター・酒井美絵子) ※週刊朝日 2018年3月23日号
週刊朝日 2018/03/20 11:30
ベッキーが語る「神棚と盛り塩」の意味とは?
ベッキーが語る「神棚と盛り塩」の意味とは?
「もうちょっと年相応に」。今後を語るベッキー(撮影/写真部・小山幸佑) 「もうちょっと年相応に」。今後を語るベッキー(撮影/写真部・小山幸佑)  タレント・ベッキー(34)がCMだけでなく、主演ドラマ、地上波レギュラー番組のスタート、バラエティー番組のメインMCなどのオンエアを控え、「復活してきた」と話題になっている。休業から丸2年。いまの心境を聞いた。 *  *  * ――地上波でのバラエティー番組やCMなど、目にする機会が増えてきました。復帰後に変わったことはありますか。  お仕事をいただけることのありがたみはすごく感じています。一つ一つのお仕事の予習復習の時間が長くなったり、取り組み方はより深くなりました。いまスケジュール的にゆとりがある分、時間をかけることができるのは嬉しいですね。  最近は「いろいろなことに挑戦しているね」って言われるのが嬉しくて、自分も楽しいので、バラエティーだけじゃなく、お芝居もファッションも、いろんな顔をもちたいなと思います。  14歳から芸能活動を続ける中で自分なりに決めてきた「ベッキールール」がいくつかありました。どの時代を見ても変わらない自分であってほしかったので、例えばメイクなら、アイシャドーはブラウン。通年同じ色で、季節感や流行を取り入れるのもナシ! 何年も同じ色です。服も黒は禁止。実際に明るい派手な色の服が好きだったし、暗い色を着ると悲しい気持ちになるからでした。  でも今はベッキー像をキープしていくことよりも、いろいろな顔を見てもらおうと思っていて、初めて会うメイクさんにも「お任せで!」ってお願いしたりしています。どうなるのか怖いし、時には自分の中で似合ってないかもと思うこともあったりするんだけど、それも見せちゃおうと思っています。 ――バラエティー番組でいつも元気な笑顔を見せているイメージがありましたが。  そうですね。「頑張ります!ハッピー!キラキラ!ベッキー!」というのは、もう34歳ですし(笑)、もうちょっと年相応に、本音を言ったり、自然体で、等身大な部分も見せていきたいなとは思っています。  プライベートでも普通の女性として最低限のことをできるようにしたいと感じますね。なので、普通の生活をちゃんとやることは心がけています。一番近いバス停の時刻表は頭に入ってるし、結局、移動はバスが一番いいってことに私は行き着きました! ほぼ確実に座れて、タクシーみたいに誰かに指示する必要もなくて一番楽なんです。これ、庶民派アピールじゃないですよ!(笑)バス移動はマイブームなんです。  ほかにも、私の周りのすてきだなと思う友だちが毎朝トイレを磨いていると聞いて、それをまねしたり、いい年になったのでちゃんと家に神棚作って盛り塩したり。  そういうことだけが大人の証だって意味ではなく、この仕事をしてると、いつでも周りの人が手伝ってくれるし、自然とちやほやされちゃうから、それが当たり前にならないようにしたいんです。自力で、できるだけ普通に生活したい。私よりもっと普通の感覚を持っている芸能人の方を見たら、まだまだだなと思いますね。 ――「くノ一忍法帖 蛍火」は初めての時代劇の主演ですね。  芸能界に入る前から「ハーフだから時代劇は無理だね」と言われていたし、私自身もやることはないだろうと思っていたので、お話しをいただいたときにはビックリしました。撮影に入る前、時代劇はただただ大変なものだというイメージがあったのですが、やってみたら新鮮で、毎日タイムスリップしてるみたいで「楽しいー!」という感じ。やりがいがありました。  私が演じるお螢(けい)は普段は町娘なので、着物のシーンが多かったのですが、衣装さんが手早くいい結び方をしてくださって、全然苦じゃなく逆に心地いいぐらいでした。 ――必殺技は何ですか。  お蛍は「蛍火」という忍法を使います。目で人の心を操り、色香を使って相手を惑わせたりすることはありますが、想像されているようなお色気ではないですよ。忍者仲間の子たちもいろんな忍法を使うので、忍法といえば何でもありなファンタジーで、面白いと思います。本格的な時代劇として、老若男女の方に楽しんでいただける作品だと思います。 ――昨年の「ゴッドタン」や「ガキの使いやあらへんで!」など、いろいろな反響がありました。今後、バラエティー番組への出演は続けていくのでしょうか。  私は視聴者のみなさんに楽しんでいただけるなら、いろいろなバラエティー番組は出たいなと思っています。「ガキの使いやあらへんで!」はずっと見ていた大好きな番組なので、タレントとして出させていただいて本当にありがたかったし、嬉しかったです。  バラエティー番組は一番のびのびと自分らしさが出る場所だと思っていて、私の基礎というか、ベースです。そこから、お芝居やファッション誌もやらせてもらうというスタンスは変わりません。だって、私が急に女優宣言とかモデル転向となったら、みんな「はあ?」「勘違い」って思っちゃいますよね(笑)。 ――これから一人の女性として、どんな人生プランを描いていますか。  40代は結婚していたらお母さん業を頑張っているだろうし、独身だったらセレクトショップをオープンしているかもしれないですね。50代は子育てや仕事などいろんなことが落ち着き、お稽古をしたりインプットの時間を増やしているかなと思います。  芸能人としての目標は、何歳になっても女子高生にカワイイって言われるようなタレントでいたいですね。例えば、黒柳徹子さんは、女子高生もカワイイって言っていると思うんです。昔からオシャレで、あんなふうにすてきな年の重ね方をしたいと思っています。それに、テレビが始まった当時からずっと活躍されていて、私も何かしらテレビの仕事を続けていたいなと思います。 ――テレビが好きなんですね。  好きですね。いまは配信番組やSNSやいろんなツールがあって、表現の場が広がったなと思います。テレビがなくなったら、前だったら泣き崩れているかも(笑)。いまでもそんなこと言われたら泣き崩れると思うけど、他にも表現の場があるのかなとは思います。 ――仕事をしていると一般的にはうまくいかないことや、気が進まないこともあるかと思います。前向きに仕事をするコツは。  私の仕事のモチベーションは、嬉しいという気持ちです。仕事をいただくってことは、「これはベッキーにかけよう」って決めてくれているわけじゃないですか。それがありがたくてしょうがない。だったら全力でやって恩返ししようって思います。なので、仕事に行きたくないとか、気持ちが進まないことは無いですね。いまちゃんとオフをいただけていて、心をリセットする時間があるから頑張れているかもしれないですが、絶対的にありがたい。  それに私、無駄が嫌いなんですよ。「行きたくないな」って悩んでいる時間は私の中では無駄な時間だなって。行かなきゃいけないなら、「行きたくない気持ちもあるけど、はい、頑張ろう」になりますね。落ち込むことは日々あるし、ある程度しっかり落ち込むことは大事なことだと思う。でも、いつまでたってもクヨクヨしているのは無駄だなぁって思います。やるしか無い、行くよ!って自分に何度も言い聞かせていきますね。やるしか無いんだよって(笑) べっきー/1984年、神奈川県生まれ。タレント。1988年にデビュー後、「笑っていいとも!」「世界の果までイッテQ!」「モニタリング」などのバラエティー番組を中心に、ラジオやCMでも活躍。一時休業後、「恋愛観察バラエティあいのり」などのバラエティーでMCを務めるほか、主演ドラマ「くノ一忍法帳 蛍火」(BSジャパン)が4月から放送
働く女性女子
dot. 2018/03/17 16:00
小島慶子「オーストラリアは世界初の子宮頸がんゼロの国になるかもしれない」
小島慶子 小島慶子
小島慶子「オーストラリアは世界初の子宮頸がんゼロの国になるかもしれない」
小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。近著に小説『ホライズン』(文藝春秋)。最新刊は『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社) 子宮頸がんのワクチンを開発したイアン・フレイザー教授 (c)朝日新聞社  タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。 *  *  * 「オーストラリアは、世界で初めて子宮頸がんを撲滅する国になるかもしれない」──IPVS(国際パピローマウイルス学会)がそんな声明を出しました。  イギリスのガーディアン紙などの記事によると、オーストラリアが2007年から開始したHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの学校での無料接種プログラムが功を奏し、今後の発症数は大幅に減るだろうという調査結果が発表されました。  この無料接種プログラムは、当初は12〜13歳の女子を対象に、13年からは男子にも拡大。それ以外の年齢でも19歳未満なら2回の無料接種が受けられます。  現地のハイスクールに通う私の長男も、8年生(中2)の時に学校でワクチンの無料接種を3回に分けて受けました。  HPVは、子宮頸がんや尖圭コンジローマの原因となるごくありふれたウイルス。セックスによって感染するので、女性だけでなく男性にもワクチンを接種することでより感染者を減らせるといいます。  16年の調査ではオーストラリアの15歳女子の78.6%、同男子の72.9%が接種済み。このプログラムの実施の結果、05〜15年の10年で18〜24歳の女性のHPV感染率は22.7%から1.1%にまで劇的に減少。男性の集団免疫も実現しつつあり、結果としてHPVの感染拡大防止や、接種を受けられない人たちを感染から守ることにも効果が上がりつつあるというのです。  オーストラリア政府は25〜74歳の女性に子宮頸がんの新たな定期検診制度の導入を決定。ワクチン開発者の一人であるクイーンズランド大学のイアン・フレイザー教授は「定期検診とワクチン無料接種との併用で10〜20年以内には新症例はなくなるであろう」と述べています。一方で、開発途上国など世界の3分の2の女性たちはこのような制度がないままだと懸念を示しています。 ※AERA 2018年3月19日号
小島慶子
AERA 2018/03/17 11:30
“中国のガッキー”に独占インタビュー 好きなタイプの男性は?
“中国のガッキー”に独占インタビュー 好きなタイプの男性は?
“中国のガッキー”ことロン・モンロウさん(撮影/中野哲平)  目の前に現れた美少女は、流暢な中国語を話すガッキー……。いや、しっかり訂正しておかねばならない。正確には、ガッキーではない。“ガッキーに似ている”とネットで話題沸騰中の現役女子大生・ロン梦柔(モンロウ)さんだ。  彼女は、1995年7月31日生まれの22歳。中国・湖南省出身で、現在、上海海洋大学に通っている。  日本で有名になったのは、インスタグラムがきっかけだった。ハンドルネーム・栗子で投稿した写真や動画が、「ガッキーにしか見えない」「そっくり」と評判を呼び、昨年4月の時点では800人だったフォロワーが、今やその数なんと13万3000人(3月7日現在)。写真をアップすれば2万近い“いいね!”をゲットする超人気者なのだ。 “中国のガッキー”は、いったいどんなコなのか。本誌はそのシンクロ率を確かめるべく上海へ飛び、日本メディア最速での撮り下ろし&独占インタビューを敢行した。 ──SNSで似ていると話題になっていますが、瓜二つとはまさにこのこと……。 「キレイな女優さんに似ていると言われるのはすごく嬉しいです。ありがとうございます」 ──日本で話題になっていますが、この反響の大きさをどう感じていますか? 「中国の友人に、似ていると言われたことはありましたが、日本で話題になっていることは、中国に住んでいるとあまり実感がありません。両親もなにが起きているのか、たぶんわかっていないと思います(笑)」 ──インスタグラムのフォロワーも激増していますね。 「もっと写真をアップしてと、たくさんのメッセージが届きます」 ──栗子というハンドルネームは? 「中学生のころに日本のドラマ『花より男子』を見て、小栗旬さんの大ファンになりました。以来、11年間、ずっと大好きなんです」 ──大ブームとなったガッキー主演のドラマ「逃げ恥」はご存じですか? 「はい。恋ダンス、ですよね。インスタに動画をアップしています」 ──ファンがいちばん気になっていることだと思いますが、今、付き合っている男性はいますか? 「いません(笑)」 ──ほんとに? 「はい」 ──モテるでしょう? 「いえいえ」 ──どんなタイプの男性が好きですか? 「細くて背が高い人。松本潤さんも好きです」 ──趣味や休日の過ごし方を教えてください。 「うーん、洋裁が得意です。休日はマフラーを編んだり、日本の映画やドラマを見たり、インスタ用の写真を撮ったりしています。体を動かすことも好きなので、ジョギングもします」 ──来日されたことがあるんですよね。好きな場所はありますか? 「はい、プライベートで旅行しました。行ったのは東京、神奈川で、ショッピングをしました。いちばん覚えているのは江の島で、とてもキレイでしたね。また行きたいです」 ──日本のどんなところが好きですか? 「建物が低いところ。上海は高いビルばかりなので、空があまり見えません」 ──座右の銘を色紙に書いてもらいましたが、これはどういう意味ですか? 「頑張って、頑張って、いつか必ず、夢がかないますように。自分の目標を忘れないように。という願いです」 ──栗子さんがかなえたい夢とはどんなことですか? 「多くの人に知ってもらって、認めてもらえるような存在になりたいです」 ──現在、モデルの仕事もされているそうですが、芸能界に興味がある? 「はい、中国でモデルやレポーターをしています。日本の文化を中国の人に紹介するような仕事ができたらと思っています。将来的には、日本でモデルをやってみたいですね」 ──こうやってお話ししていると、ガッキーと会っている気分になってきました。 「えー(爆笑)。とくに、意識して似せているわけではないです」 ──では最後に、日本のファンにメッセージを。 「みなさんと知り合えて、とても嬉しいです。これからもたくさんの応援、よろしくお願いします!」  もはや本人としか思えない激似ぶりは、写真のとおりだ。この記事が出るころには日本のテレビ番組に出演するために来日中。ますます注目度が上がるに違いない。  栗子さんが“中国のガッキー”と呼ばれる理由を、ぜひ、自分の目で確かめてほしい。 (取材・文/沖田十二) ※週刊朝日 2018年3月16日号
中国
週刊朝日 2018/03/12 11:30
沖田総司は美少年ではなかった! 司馬遼太郎「菜の花忌」で作家ら討論
沖田総司は美少年ではなかった! 司馬遼太郎「菜の花忌」で作家ら討論
シンポジウム終了後に観客には菜の花が配られた(撮影/伊ケ崎忍) 浅田次郎 作家あさだ・じろう 1951年、東京都生まれ。97年『鉄道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞、司馬遼太郎賞。08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞、16年『帰郷』で大佛次郎賞。著書に『輪違屋糸里』『おもかげ』など。(撮影/伊ケ崎忍) 原田眞人 映画監督はらだ・まさと 1949年、静岡県生まれ。79年「さらば映画の友よ インディアンサマー」でデビュー。「クライマーズ・ハイ」(08年)で日本アカデミー賞優秀監督賞、「日本のいちばん長い日」(15年)で日本アカデミー賞優秀監督賞、優秀脚本賞。「関ケ原」(17年)で日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞などを受賞。(撮影/伊ケ崎忍) 木内昇 作家きうち・のぼり 1967年、東京都生まれ。出版社勤務を経て独立。インタビュー誌を主宰し雑誌執筆や編集を手がける。2004年『新選組 幕末の青嵐』でデビュー。11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞。著書に『地虫鳴く新選組裏表録』『球道恋々』など。(撮影/伊ケ崎忍) 磯田道史 国際日本文化研究センター准教授いそだ・みちふみ 1970年、岡山県生まれ。茨城大学人文学部准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て現職。2003年『武士の家計簿』で新潮ドキュメント賞、15年『天災から日本史を読みなおす』で日本エッセイスト・クラブ賞。著書に『歴史の読み解き方』『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』『日本史の内幕』など。(撮影/伊ケ崎忍) 司会 古屋和雄 文化外国語専門学校校長、元NHKアナウンサー1949年、山梨県生まれ。72年NHK入局。菜の花忌の司会を第1回から務める。(撮影/伊ケ崎忍)  司馬遼太郎さんをしのぶ「第22回菜の花忌シンポジウム」が2月16日、東京都千代田区のよみうりホールで開かれ、千人を超す司馬ファンが駆けつけた。今年のテーマは「『燃えよ剣』『新選組血風録』──人は変革期にどう生きるか」。作家の浅田次郎さん、映画監督の原田眞人さん、作家の木内昇さん、国際日本文化研究センター准教授の磯田道史さんの4人のパネリストが活発な意見を展開した。司会は文化外国語専門学校校長で、元NHKアナウンサーの古屋和雄さん。司馬遼太郎賞を受賞した奥山俊宏・朝日新聞編集委員のスピーチも行われた。 *  *  * 古屋和雄:新選組司馬作品との出会いからお話しいただけますか。 磯田道史:まずいんですが、私は『燃えよ剣』を読んだ記憶がない。『新選組血風録』は大学院時代に読んでいます。あわてて先ほど渋谷の本屋さんで買って開いてみると拾い読みはしていました。私、歴史学者ですから裁判官と同じで、証拠資料はまず一次資料を読んでものにしてから読むようにしています。小説から読むと小説の頭で資料を見てしまう。新選組は資料が少ないニッチな集団。永倉新八(二番隊組長)の『浪士文久報国記事』などを読まないと、と思いながらそのままになっていた。先ほど慌てて数時間で『燃えよ剣』を読破しましたが、土方歳三(副長)、格好いいですね。 木内昇:私は中学時代だと思います。司馬遼太郎をバイブルみたいに読んでいた時期がありました。『燃えよ剣』を手にとって新選組女子がそうであるように土方歳三の格好良さに打ちのめされました。思想が入り乱れる中で、なぜ同じ尊皇攘夷(じょうい)の長州と新選組が戦うのかわからなかった。そこを理解しようとのめり込みました。 原田眞人:たぶん高校時代です。長州贔屓(びいき)の祖父から桂小五郎の話をよく聞いていてずっと新選組は敵でした。『燃えよ剣』を読むと祖父の言っていた新選組と違うと思った。新選組に走ったのはそれからです。今はいちばん映画化したいと思っている作品なので精読しています。『燃えよ剣』の近藤勇(局長)と土方と沖田総司(一番隊組長)との会話にしびれています。 浅田次郎:中学か高校の頃に読んだと思います。ぼくは新選組の小説を三つ書いていますが、歴史小説を書くとは思っていなかった。歴史は好きで読んで新選組マニアの一人でした。新選組ブームというのは20年に1回くらいくるのですが、その間にも新選組オタクが若い人の中に一定数いる。京都にある壬生寺の近藤勇の遺髪塔に行くと泣いている女性がいるんです。 磯田:います、います(笑)。 浅田:歴史上の人物であんなふうに愛着を持たれている人はそういない。でも熱病みたいなもので何年かで冷める。ところが熱冷めやらずに研究し続けている人が存在する不思議なジャンルです。私が『壬生義士伝』を書いてからも新発見がいくつも出ています。ただ、それほど歴史に影響を及ぼしていない。池田屋事件が起きたから維新が10年遅れたとかよく言うが、ぼくはそうは思わない。新選組はいてもいなくても歴史は変わらなかったはずです。純粋な草莽(そうもう)の志士。そこが新選組の最大の魅力です。みんな人間臭くて偉い人はいない。司馬さんは史実とフィクションとを織り交ぜて小説にするのがうまい。『新選組始末記』の子母澤寛さんも上手でした。もっともらしいうそ話がちりばめられている。新選組の小説をどこが史実でどこがフィクションか判別しながら読むのも面白い。 古屋:木内さんは熱病になられた? 木内:浅田さんのお話のような行動をしていたなと思って(笑)。京都には八木邸はまだ残っていますので、土方が芹澤鴨(初期の新選組局長)を襲った時の刀傷を見てどのように殺したのか妄想したり、彼らがたどっただろう道を歩いたり。池田屋事件の現場は小さな石碑があるだけですが、回想しながらそこに何時間もたたずんだり、緊迫感を持って高瀬川の縁を歩いたり。一緒に行った人には理解されず随分と友達をなくしました。函館の土方が死んだ場所でも瞑想(めいそう)を続けました。私のように熱に浮かされた人では友達をなくした人がたくさんいると思います。 磯田:司馬さんは敗者の視点から幕末を書いた。その時に三本の柱を立ててくれた。ひとつは最後の将軍の慶喜。将軍を支える会津藩の松平容保。もう一つが長岡藩の河井継之助。三本立てると家はできる。じゃあ新選組は何かというとその上のテントにかかっている色だと思います。 古屋:ほお、色ですか。 磯田:日本人とはどういうものか。負けるとわかっていながら倒れる家のためにあそこまでやるのか。新選組の色とは何か。日野で武士の世に生まれた。愛国心というか愛郷心というか節義を通して最後までその武士の志を保つようにやった。この対極にあるのが坂本龍馬です。龍馬は新時代に必要と勝海舟や横井小楠らを選んだら過去を捨てて愛す。『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』の二つを読むと日本人の両面をとらえて立体的に描かれている。司馬文学の奥深さだと思う。 古屋:『燃えよ剣』が昭和37(1962)年11月、『新選組血風録』が昭和37年5月、そして『竜馬がゆく』が37年6月から連載開始。幕末を勤皇と佐幕の両方から書いています。これはすごいことかなと思います。 磯田:司馬さんの立体史です。 原田:司馬先生は幕末の時代に最大の浪人結社が二つあった、一つが新選組でもう一つが長崎の亀山社中のちの龍馬の海援隊だと書いています。映画の構想を練っていると、龍馬とシンクロさせないといけないので『竜馬がゆく』もまた読んでいます。脇役の土方が冷血で面白い。特に池田屋事件はミステリーです。監察の山崎烝が中に潜んでいたとフィクションで司馬先生は小説を書かれています。ただ、報奨金に名前が載ってないので留守番部隊だったとされています。しかし、確実ではない。どこに真実があるか探るだけでも興味深い。龍馬の側と新選組の側からみるとどう見えるのか。それプラス『胡蝶の夢』の松本良順からみた新選組像もすごいですよ。 浅田:池田屋事件は仕組まれていたと思う。階段を駆け上がっていったのが近藤勇と沖田の2人。永倉新八は2人に負けず劣らずの剣客なのに他流派の神道無念流ですから下で待っている。小説家風の発想ですが、天然理心流の名を上げるために仕組んだパフォーマンスの大成功だった。そうでなければ、師範と師範代が命懸けで飛び込んでいかないと思います。 古屋:新選組のメンバーでいちばん好きなのは誰ですか。 磯田:史料を残した永倉新八とか斎藤一(三番隊組長)が気になります。逆にこの集団がなぜ必要だったか分析して舌をまくのは土方です。当時の武士社会ができなかった情報入手と即時攻撃をした。敵がどこにいるかを探る諜報(ちょうほう)力があって、見つけたらすぐに攻撃する。普通なら警戒する長州藩関係者も入隊させて泳がせ尾行して相手側の拠点を割り出す。会津藩や桑名藩がつかめない池田屋の情報を土方たちだけが知っていた。土方の頭脳は大したものだと思います。 原田:近藤と土方は最初からフライングするつもりだった。会津藩が来る1時間前にやっちゃおうと決めていた。現実に池田屋に後から駆けつけた土方らは会津藩兵を中に入れさせず封鎖しています。 浅田:彼らは名字帯刀を許された農民の出ですからコンプレックスが強かった。土方は武士道のひな型のようなことをしていたのもそのためです。 木内:『燃えよ剣』にも書かれていますが、土方は組織作りの天才だったと思います。ただ、政治色の強い組織ではなく、野性の勘と形骸化した士道の両立で組織を作っていた。隊士たちは土方の勘を理解できなかった。そこの面白さもある。池田屋事件の後に近藤が浮かれてしまった時に試衛館(天然理心流の道場)組の永倉と原田左之助(十番隊組長)ら一団が会津藩に非行五箇条を訴えた。土方は許せなかった。近藤や永倉が江戸に隊士募集に行った翌日に、永倉らと一緒に非行五箇条を出した伍長の隊士を切腹させる。今度こんなことをやったらただではおかないという土方流の粛清です。ただ試衛館組だけは特別に守った。矛盾した粛清ですが隊内を強くまとめていく。思想が二転三転した幕末ですが、一本筋が通ったスポーツ的なチーム作りの面白さを感じます。 原田:思想戦でボロボロになっていくのが近藤です。土方には司馬先生はイデオロギーを語らせていない。喧嘩師の生き様を全うさせている。土方は近藤と芹澤の蜜月を引き離す目的で洋式軍隊を作り取り入れたと思う。『燃えよ剣』ではこのノウハウを会津から学んだとなっていますが、むしろ、当時京都町奉行であった永井尚志に接触したのではないか。蘭学(らんがく)の達人ですから。土方のその後の組織作り、生き様も進んで西洋的なるものを取り入れている。安政の大獄で斬首された越前の思想家、橋本左内にも影響を受けていたように私は思います。 磯田:司馬さんが土方歳三をこんな生き生きと書けた理由は何か。土方が合理的だったことがひとつ。それに思想で動き回らない。土方がいちばん信じているのは剣です。 木内:司馬遼太郎の殺陣のシーンは迫力があります。瞬発力とか臨場感を感じる。読んでいていつも力が入ります。あの迫力はなかなか出せません。 原田:すごくリアルです。ただ、池田屋事件でも1時間40分の殺し合いで実際に死んだのは4人。現実にはサッカーのように前後半45分走りづめとはいかない。真剣は重いし、2分振り回したらまずダメです。ボクシングのように1ラウンド終わったら休んでまた斬り合いをしたと思います。司馬先生は小説で劇的に書いている。 磯田:チャンバラを実際にみた人の証言を集めたことがあります。にらみ合っている時間が長いそうです。斬り込んで指が飛んだり頭が斬られてまげが飛んだりしてまたじーっとにらみ合う。にらみ合う時間は映像化されないから。 原田:にらみ合って「数時間後」とか字幕入れて、また斬り合ってもいい(笑)。油小路の決闘の現場に斬り落とされた指がたくさん落ちていたという翌朝現場を見た老婆の証言もあります。指を切ったら刀を握れないから、そこを狙うせこい剣法も映像でやってみたい。 浅田:『一刀斎夢録』で小説にした斎藤一は謎の多い人で小説にしやすかったし好きです。他は司馬さんと子母澤さんで書ききっているから(笑)。怖い話ですが、指が落ちるのはコテが入るからでしょう。剣道では深い浅いで一本にならないこともありますが、真剣だったら浅くても当たったら指は落ちます。 古屋:土方が芹澤鴨を殺すところとか局中法度を出す場面など新選組が変わる場面があったと思いますが。 磯田:土方が新選組の方向を決めた局面が二つくらいあります。芹澤鴨を殺すと決断する場面と敗戦濃厚となった場面で甲府城を取りにいった前後です。近藤は自分の進む道をいつも女房役の土方に決めてもらっている。 浅田:ぼくは土方が近藤を引きずっていたと思います。近藤は純情で口下手な人。いろんな思想は持っていたが論客ではない。天然理心流でひと旗あげるために京都に来たが自分の思いとは違う方向に行ってしまう。土方はここまできたら引き返す訳にはいかないと引っ張っていく。それが流山の最後の別れになったと思います。 原田:幕末の江戸は道場が600ぐらいあった。大学だとすると北辰一刀流は東大ですね。天然理心流は東京近郊の私立の二流大学。伊東甲子太郎や山南敬助らは東大卒です。流派の違いやコンプレックスが面白い。 浅田:どこまで真実でどこまでうそを書くかは難しい。すべて真実ならノンフィクションか学術書になってしまう。史料を基礎にしながら、いかにうそをつくかが小説家だから司馬さんは本当に素晴らしい。うそに出会うたびにこう来ますかと。小説家から見るといちばん感心する小説です。 原田:虚実の混ぜ方がうまい。本当に薄皮一枚ですから。お雪の絵の先生の名前も出てきて、いるかと思って調べるといない。それに近い残酷絵を描いていた絵師は実在していた。私の中ではお雪のイメージがどんどん膨らんでいます。小説でいちばん気になる人はお雪です。箱館に行く場面も含めていかにリアルに見せるか。 古屋:女性から見て魅力的な人物は誰ですか。 木内:私は永倉新八が好きです。平常心というか、何にも影響されず淡々としていた気がするんです。独特の立ち位置。若い頃の写真と晩年の写真が残っていますが、表情は何一つ変わっていないことに永倉の人生を感じました。6尺(約182センチ)近くあって剣も達人だった。いざという時に近藤をいさめているのが永倉です。土方は近藤に甘いというか、あえて立てて利用していた。その中で正論を言って新選組を引き締めていたのが永倉だったような気もします。 磯田:『燃えよ剣』のラストシーンで土方が討ち死にする場面は剣士のオーラというか風圧を書いている。銃を構える新政府軍の兵士が馬上で剣を構える土方を恐れて近づけない。剣を振るって組織を作り上げた人です。流れ弾に当たって戦死したとしても最後まで剣を振るった。沖縄戦でも抜刀突撃がありました。どこかに日本人は土方的なものを抱えていると思います。 原田:永倉新八は私は読めば読むほどつまらなくなってしまった。土方を別格にするとリアルな人物でいえば井上源三郎(六番隊組長)です。最も古株で土方に反発する若者を源さんがなだめていた。彼は鳥羽伏見の戦いで戦死する。あそこで新選組は崩壊したと思います。 古屋:「男の一生というものは美しさを作るためのものだ、自分の」という土方の言葉があります。 木内:中学高校の時は私もそういう生き方を理想的だと思っていました。変節する難しい時代にあえて土方は自分の意志を曲げずに頑固に貫き通した。沖田総司は労咳で薄幸な美青年で天才剣士というイメージですが、ヒラメ顔という説があります。言葉を交わさなくても土方とツーカーで通じ合えたのが沖田だと思います。沖田も感覚的な人で剣は教えられない。自分が全部できる天才ですから。土方と方向性は違うけれど、土方のことが唯一感覚的にわかる理解者だった。 浅田:沖田が小柄な美青年というイメージはいったいどこから出たのか原典がわからない。色が黒くてヒラメ顔がいつ美青年に変わったのでしょう。 原田:明るいことは間違いなかった。明るさを映像化しようとすると中村錦之助になったりする。ぼくが映画を作る時も沖田は美剣士にします。 磯田:すごいハンディを持っているところが沖田の魅力です。スタミナがないと死ぬのに戦いに参加する。沖田の墓は麻布税務署の向かいにある。普段は閉鎖されていて塀の外からぴょんぴょん跳んでのぞきます。可哀想でいとしい感じがある。 原田:沖田がいることによって『燃えよ剣』が面白くなる。土方の男の美学はいま読むと少し鼻につくところはある。沖田だったら「女だってそうですよ」と言えるタイプ。2人の関係を司馬先生はうまく書かれています。 古屋:司馬さんは「血のにおいが鼻の奥に溜まってやりきれない」と書いておられるが、その小説の中にあえて清涼感のする明るい沖田を登場させたという見方は私の妄想でしょうか。 木内:そういう部分はあります。天真爛漫(らんまん)と剣の道を進んでいく少年で主人公の良き理解者。彼が出てくると安心する。 磯田:沖田だけは戦で相手を倒そうが生存はない。労咳で死が決まっている。そういう人間は無欲にしか見られない。だから必須の人物として描き込んだ。 原田:芹澤鴨を殺す時も土方から「お前は弟のように可愛がられているから部屋が真っ暗でも何があるかわかるようにしておけ」と言われた。最初は沖田は芹澤の寝顔が可愛いと言って断ろうとする。しかし最後は自分が先頭でやらせてくれという。あの明るさは小説として面白い。 浅田:ぼくは芹澤鴨はとても格好いい人だったと思う。スタイリッシュで尊皇攘夷の看板を背負っているスターです。武骨な近藤はその格好良さに影響され、まねをしていた。兄2人は水戸藩士で芹澤家は由緒ある古い名家です。血筋も正しいし教養もある。その芹澤を暗殺した時にハードルを飛び越えた。あそこが「新選組」になった瞬間だと思います。 古屋:『燃えよ剣』の解説で陳舜臣さんは司馬さんが土方と坂本龍馬を同時に書きはじめたことについて、2人は典型の中の典型で、悲劇的な最期を遂げたことも似ている、2人のレクイエムの意味もあったと書かれています。 原田:土方と坂本龍馬は鏡の裏表です。立場が違えば土方も坂本龍馬になっていただろうし龍馬も土方になっていた。2人の間にいるのが永井尚志です。その3人の関係にとても興味があります。 磯田:永井にきちっと証言してほしかった。彼が詳細な回顧を残していれば幕末期の謎はかなり解けると思います。永井は三島由紀夫の親戚ですね。 原田:父方の高祖父です。 磯田 司馬さんは必敗の兵として戦争に行った。武士の世の終焉(しゅうえん)である土方が弔われるシーンを書きたくてこの小説を発想した気がします。 木内:普通は黄金期を書きたくなるのですが、新選組の滅びていく過程を詳しく書いています。組織は崩壊したが最後はお雪さんのように見守ってくれる人がいた。温かみを感じます。 古屋:人は変革期をどう生きるのか。司馬作品を通してのメッセージをいただきたいと思います。 浅田:現在も大変な変革期にあると思います。IT化がすごい勢いで進んでいる。私はついていけない。テレビを見ていてもコマーシャルの半分はわからない。土方のすごかったところは柔軟性があった。変革期には新しいことを理解しなければ、と思いながら私はいまだに原稿用紙に万年筆で書いております。 原田:変革期には勝者より敗者から学ぶほうがいいと思います。才能があるのに無念の思いで死んでいった人たちから学ぶことに意味がある。関ケ原の映画を作った関係もあって石田三成と土方が重なってくる。筋を通して生きている。土方は徳川慶喜みたいな人間を嫌悪していたであろうし、志高く技術の勉強にも励んだ。職人の鑑のような人です。司馬先生が書く前は冷酷無比な男とされていた土方がこれだけ自由に生きて自分の人生を全うしたんだよと教えてくれた。そういう生き方を学んでいます。 木内:司馬さんが書かれるまでは土方も坂本龍馬もメジャーではなかった。そういう人から組織作りや時代を変える目線が生まれた。変革期というと時代を変えた人たちが称賛されますが、今の地盤を守ることも価値がある。変えるほうか踏みとどまるか。最終的に自分がどうしたいのか見誤らないことも大切です。幕末には日和見な人が多かった。得か損かで物事を考えない。自分を通した人生は豊かになると思います。 磯田:我々が直面している問題は土方の悩みそのものだと思います。土方も我々も苦しめられているのは「人間か機械か」という問題です。土方の時代は人間の持つ剣が集団の持つ銃、つまり機械に否定される。銃の前に剣は負けると突きつけられて武士はいなくなった。我々も人工知能・AIの発展に直面している。AIの画像認識もすごいスピードで進み、ここにある菜の花も将来は機械が並べる時代になる。タクシー運転手やスーパーのレジだって人間から機械に変わっていくかもしれない。ある種の人間の否定かもしれない。このテーマはとても大きな意味がある。 浅田:恐怖を感じるね。小説家はアナログな仕事です。会社員ならば最低限パソコンは覚えるのにそれさえできない。それ以前に人工知能が小説を書くかもしれない。 原田:映画界も変わってくる。役者が必要なくなるかもしれない(笑)。デジタライズしてイメージを作ってリアルにすれば、言うことをきくAさんBさんという大スターになっていくかもしれない。 古屋:やっぱり岡田准一さんや役所広司さんのほうがいい(笑)。 原田:もちろんそうですよ。私は土方歳三のように昔からの映画作りにこだわります。幕末には時代を変えようとする若い世代が同時多発的に出てきた。それが今と違う。 磯田:医療技術も進歩するから寿命の姿も変わってくる。何億円もかければ120歳まで生きられる技術ができたら、金持ちは長生きして貧乏人が早死にするのかという問題まで突きつけられる。私は京都に移り住んでから修学旅行の中学生5人を連れて幕末維新の名所を案内したことがあります。コースは彼らが決めて最初は壬生寺の芹澤鴨の墓に行き、新選組の屯所を見せて最後は霊山の幕末志士の墓でした。回った後で「時代は変わるけれども勝っても負けても人は殺さぬことが大事だ」と話しました。格好良く見えるけれど生身の人間が死んできたんだということを抜きにしては司馬さんの本旨に反する気がしました。この物語を読む時にね。 浅田:変革の時代だからこそ必要なのは文学や哲学だと思う。科学は積み重ねてどんどん進歩するから、それを支えるための教養主義がないと崩壊してしまう。 磯田:AIは目標とルールが決まったものについてはあっという間に実現してしまう。しかし、AIは目標を確立できない。原点に戻って考えるためにも教育や人育ての面でも哲学は非常に重要になると思います。 (構成・山本朋史) ※週刊朝日  2018年3月16日号
読書
週刊朝日 2018/03/11 11:30
国立大も「限界業界」に 教授100人分の人件費削減も…
国立大も「限界業界」に 教授100人分の人件費削減も…
人件費削減に揺れる北大 専任教員数の推移(週刊朝日 2018年3月9日号より) 主な私立大学の閉校(週刊朝日 2018年3月9日号より)  韓国や中国勢の躍進が著しい電機・ハイテク関連業界や、安定した業界と見られていた金融界にもリストラの嵐が吹き荒れる。  エリートが集まった銀行業界のみならず、学校法人でも人員リストラは避けられない。大学教授も失業者になり得る時代だ。  国立大学は法人化し、国からの運営交付金が年々少なくなる一方、資金集めの自助努力が求められる。東京大学なども例外でなく、事業収入を増やし、人件費など経費削減を進めている。  財務省はウェブサイトで、07年度以降に国立大学の学生数が1万7千人減少する一方、約2万人増加している教職員の適正規模について検討の必要性を指摘。ここでは北海道大学の事例をみてみよう。  北大は一昨年の前総長時代、教員人件費の大幅削減を含む中期計画を打ち出した。21年度までに約2千人いる教員の人件費を14.4%削減する。教員人件費は1ポイントで約1千万円、教授換算で1人分となり、削減規模は205ポイント、つまり教授205人分に相当する。削減ポイントは各部局ごとに細かく割り振られている。  その後、人件費削減に抑制的な考えの新総長が選ばれ、昨年4月に就任した。教員人件費の削減幅は7.5%、教授換算で100人相当となった。  関係者によると、教授100人分の人件費削減といっても解雇するわけでなく、退職者を補充しないとか、承認人事を控えるなどで対応せざるを得ないという。  北大側は現行中期計画を「昨年7月に策定して実施した」という。一方、教職員組合関係者は「昇進や新規採用など学内人事はほぼ凍結している」と述べ、現場は人件費削減に「猛反発している」と語った。  ある北大教授は「深刻なのは若手」と話す。「自分のような教授の立場と違い、若手教員は昇進が止まり、任期もあるため、北大から出ていかざるを得ない」と危機感を持っている。  北大が進める人件費削減計画を達成できないと研究費が影響を受ける。教職員組合関係者は「大学全体として予算が厳しい」と述べ、「外部から資金を稼げといわれ、みなさん必死になっている」と話す。「全体では収入が増えているが、自由に使えるお金は少なくなっている」と語り、研究費にしわ寄せがいくという。  教育ジャーナリストの斎藤剛史氏は、大学の組織運営が日米で全く異なると指摘する。米国は経営の専門家を外部から迎えるが、日本は学内から選び、運営ノウハウを持っているのか疑問を呈している。また、「米国では大学への寄付が盛んだが、日本では寄付行為が一般的でない」という。  定員割れしていない国立大学でも運営は厳しいが、より深刻なのは私立大学だ。私大は大学全体の8割を占め、うち4割ぐらいで定員割れ。少子化に、大学進学率が高止まりする中でも、私大新設が相次いでいた。  文部科学省の学校基本調査で、昨年5月1日現在の私大は604校、私立短期大学が320校、教員数は非常勤・兼務者を除く専任(本務者)だけでそれぞれ10万7425人、7446人。  教育関係者の間では2018年問題がささやかれている。120万人前後で推移してきた18歳の人口が18年以降に再び減少し、40年には80万人まで落ち込むと推計されている。  文部科学省は定員割れ大学に対して厳しい姿勢で臨み、補助金をさらに減額していく方針だ。  運営が限界状態の私大は、生き残りの模索のみならず、閉校も視野に入れざるを得なくなっている。  学校運営に詳しいコンサルタントの針生俊成クレイア・コンサルティング・マネージング・ディレクターは、こうした私大について「過当競争の構造不況業種」と指摘する。「収入を増やせる一部の私大を除き、最大のコストの人件費を削らざるを得ない」とみている。私大の収入源は主に学費や補助金で、定員割れで収入が減っている。  厳しい運営の私大では教職員の賞与を少額まで大幅削減したところもある。山口県下関市の梅光学院大学は16年4月に赤字体質で教員の給与や退職金などを引き下げ、これを無効と主張する教授ら10人が昨秋提訴し係争中だ。原告の一人によると、手当を含む給与が月4万~7万円程度減り、退職金が約700万円減る人もいるという。  私大ではさまざまな動きが出ている。例えば地元自治体がスポンサーとなる事例で、長野県の諏訪東京理科大学などは公立化する。  私大同士が統合した事例もある。09年に武蔵工業大学が東横学園女子短期大学を統合して東京都市大学となり、11年に上智大学が聖母大学を統合し、聖母大学が14年に閉校した。  系列関係の学校なら統合しやすいが系列関係がないと難しい。私大は独自の建学の精神を持ち、求める理想像が異なる。企業はライバル関係にあっても利潤追求の目標は同じで、経営統合も珍しくない。  私大には仏教系、カトリックやプロテスタントのキリスト教系など宗教・宗派が明確なところも多い。同じ宗教・宗派で統合相手を探すと選択肢は限られる。  閉校を選んだ私大もある。東京女学館は短期大学を4年制大学に転換したが、定員割れが続き、13年度から学生の募集を停止し、昨年閉校した。一方、系列の高校や中学校、小学校は存続している。  私大には高校、中学校を含めて学園が運営しているところが少なくない。学園内で定員割れが続く大学を閉校しても、職員を系列校で引き受けるよう備えているところもある。関係者によると、学園全体で正規職員は管理職など主要ポストにとどめ、一般職員をできるだけ非正規とし、柔軟に対応できるようにしている。こうした対応なら、大学を閉校しても職員は系列校への配置転換ですむ。だが、大学教員は別だ。高校、中学校は教員免許を要し、免許のない大学教員は系列校で引き受けられないという。  定員割れが続き運営が立ちゆかず、閉校せざるを得ない私大が相次ぐのは時間の問題とみられている。大学教授も柔軟な姿勢で民間企業などに転職できないと失業する可能性がある。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日  2018年3月9日号より抜粋
週刊朝日 2018/03/02 07:00
スケート一家に育ったパシュートの金メダリスト・菊池彩花の母親が明かす平昌五輪会場での過酷さ
上田耕司 上田耕司
スケート一家に育ったパシュートの金メダリスト・菊池彩花の母親が明かす平昌五輪会場での過酷さ
菊池彩花(c)朝日新聞社  平昌五輪女子パシュートで、悲願の金メダルを獲得した菊地彩花(30)。生まれ育った長野県南佐久郡南相木村は人口1034人、65歳が428人という過疎地域だ。5人姉妹の次女で、姉妹全員がスケート競技の経験者で、母の菊地初恵さんも高校時代にスケートで国体に出場したというスケート一家だ。母の初恵さんは平昌現地まで応援に行き、娘が金メダルをとった時の思いを本誌に語った。  パシュートは4人(高木美帆、菜那姉妹、佐藤綾乃、菊地)のうち3人が競技に出場するので、初恵さんは娘がいつ出場するのかも、わからなかったと振り返る。  しかし、決勝、準決勝が行われた2月21日の当日朝、娘から「準決勝に出してもらえる。私が壁を作るんだ」と聴かされた。 「私は『うん、そうか。いずれにしても応援するよ』と声をかけました。娘にはプレッシャーをかけないようにあまりスケートについては突っ込まないようにしてました。私の顔を見て、リラックスしてもらいたかったのです」  準決勝の対戦相手は強豪カナダ。高木美帆、菜那姉妹と菊地選手の3人の編成で臨んだ。初恵さんは夫の毅彦さんらと観戦した。菊地選手はチームの中で身長約170センチと一番高い。 「当日は準決勝と決勝と、高木姉妹は2試合出る。一番大きい彩花が風を受けて壁となり、後ろの2人の足の負担を軽くすることが役割でした。責任感の強い子ですので、役目を果たせて本当に良かったと思います。負けたら終わりの状況の中で、私から見ても快心の滑りでした」  決勝は高木姉妹と佐藤綾乃選手が出場。オランダとの直接対決を制した。 「決勝戦を見ながら、彩花はずーっと祈っているみたいな感じでしたね」  金メダルが決まった瞬間、菊地選手は、コーチにねぎらわれ、涙をぬぐっていた。決勝の翌日、メダルセレモニーが開かれたが、その歓喜の記憶は今でも脳裏に焼き付いているという。 「セレモニーが終わり、私は夫と一般の立ち見席にいました。選手の控室から彩花が出てきて、真っ先に夫に金メダルをかけてくれた。で、次に私にかけてくれました。彩花が小さい頃から、私は忙しくて、いつも背中でおんぶしていて、子供を抱きしめたという記憶がないから、このとき初めて抱きしめたというか、ハグをして思いが込み上げました。私が彩花の耳元で『あーよかった』と言ったら、彩花は『ありがとう』と短く答えました」  菊池選手の妹2人もショートトラック選手で姉妹3人で平昌五輪に出場したため、現地に応援に行った初恵さんは大忙しだった。  五輪のリンクまでの遠い道のりに途方に暮れる日々も多かったという。 「電車の中でも英語表記が見つからず、どうすればいいのという感じでした。市民の方の乗る普通の循環バスに乗って、どこで降りればいいのか迷いました。スピードスケートの場合、競技が夜になって始まったので、終了し、会場を出るのが午後11時半頃になり、循環バスに乗って駅まで行っても、タクシー待ちに長い行列ができ1時間待ったこともありました」  バスに乗ってこんなトラブルにも遭遇した。 「一度などは、会場からの帰りのバスに乗ったら、ぜんぜん関係のない海岸の近くで『終点ですよ』と下ろされてしまいました。行きも帰りも手さぐりの状態で観戦していました。帰国する2~3日前になったら、バスの中に英語表記を見かけるようになりました。もっと早くそうしてもらったらありがたかった」  しかし、そんな苦労も菊池選手の金メダルで吹き飛んだ。菊地選手の父方の祖父も、スケートを愛し長野県の様々な選手を育てていた。3世代にわたる思いをかなえた瞬間だった。(本誌 上田耕司) ※週刊朝日オンライン限定
週刊朝日 2018/03/01 00:00
井上苑子 パン屋でバイトするサバサバ女子に! “逃げ恥”海野つなみ原作の新ドラマ『デイジー・ラック』出演
井上苑子 パン屋でバイトするサバサバ女子に! “逃げ恥”海野つなみ原作の新ドラマ『デイジー・ラック』出演
井上苑子 パン屋でバイトするサバサバ女子に! “逃げ恥”海野つなみ原作の新ドラマ『デイジー・ラック』出演  シンガーソングライター 井上苑子が、4月20日22時からスタートするNHK総合 ドラマ10『デイジー・ラック』に登場するパン屋「北村ベーカリー」でアルバイトをする 箱崎るり役として出演する。  昨年、『逃げるは恥だが役に立つ』がコミック・ドラマ共に社会現象になるほど大ヒットした人気漫画家の海野つなみ氏原作の『デイジー・ラック』をドラマ化した同作は、幼なじみの楓、薫、ミチル、えみの「アラサー」女性を描いた作品。えみの結婚式で薫、ミチルと再会した日に仕事も恋人も失った楓は、子供のころの夢だったパン職人になることを決意するが、楓の新しい人生の始まりと共に薫、ミチル、えみの日常も思いがけない展開を見せていくというあらすじで、楓役に佐々木希、高級エステサロンの仕事に邁進する薫役に夏菜、極貧のカバン職人・ミチル役に中川翔子、新婚のえみ役に徳永えりがキャスティングされ、脚本は『ごくせん』シリーズや『1リットルの涙』などの横田理恵氏が手がけている。  井上苑子演じる箱崎るりは、現代っ子でサバサバしており、何事もそつなくこなす明るく可愛い女の子。昨年20歳になり、同世代の役柄をどう演じるのか期待が高まる中、4月21日から春ツアー【Inoue Sonoko Spring Rock!! Tour 2018~エレキで駆け抜けるで!!~】もスタート。 東京、愛知、大阪を巡り、これまでのアコースティックギター主体のライブから、エレキギターを多用したエモーショナルなコンセプトツアーとなる。 ◎ドラマ情報 NHK総合 ドラマ10『デイジー・ラック』  4月20日(金)より 毎週金曜よる10時~ ◎ツアー情報 【Inoue Sonoko Spring Rock!! Tour 2018~エレキで駆け抜けるで!!~ 】 4月21日(土) 東京 EXシアター六本木 4月28日(土) 愛知 名古屋E.L.L. 5月13日(日) 大阪 BIGCAT http://www.inoue-sonoko.com/
billboardnews 2018/02/26 00:00
昨年レコ大新人賞受賞のNOBU、地元宮崎県小林市のふるさと大使に任命
昨年レコ大新人賞受賞のNOBU、地元宮崎県小林市のふるさと大使に任命
昨年レコ大新人賞受賞のNOBU、地元宮崎県小林市のふるさと大使に任命  昨年7月に再メジャーデビューを果たしたシンガーソングライター NOBUが、2月23日 東京・大手町 3×3 Lab Futureで開催された宮崎県・小林市PRイベントにて、 “こばやしふるさと大使”に任命された。また本日、BEST ALBUM『スタートライン』を4月18日にリリースすることが発表された。  昨年、再メジャーデビュー曲「いま、太陽に向かって咲く花」が各所にて反響を呼び、第50回日本有線大賞「新人賞」、第59回日本レコード大賞「新人賞」を受賞するなど、輝かしい再スタートを切ったNOBU。地元である宮崎県小林市の高校生たちと約半年かけて作り上げた小林市のPRソング「田舎女子高生」(作詞:宮崎県立小林秀峰高校生 作曲: NOBU)をコミュニケーション・プランナー 越智一仁 氏らと発表したことから、その貢献が認められ“こばやしふるさと大使”に任命、今回イベント内にてセレモニーが行われた。  セレモニーでは、宮崎県小林市出身の“みやざき大使”女優 斉藤慶子氏、PRソング企画に携わった越智氏とともにNOBUが登壇。市長から3人へ、これからも小林市の発展をともに支えていってほしいとの言葉が添えられ、タスキと“こばやしふるさと大使”の名刺が贈られた。斉藤氏のスピーチで“いま凄く小林市に貢献されているお二方とお会い出来て、ものすごく光栄です”と受けたNOBUは、彼らしくスピーチではなく歌を届けることに。ここでは小林市の高校生たちと作り上げた「田舎女子高生」をふるさと大使のタスキをかけて披露。“音楽を通して宮崎県小林市を盛り上げていきたい!”そう語るNOBUの思いが会場いっぱいに響き渡る。続いて、“小林市で生まれ育ったからこそ出来た曲です”と「いま、太陽に向かって咲く花」も披露し、大きな拍手が鳴り止まぬ中、セレモニーも終わりを迎えていった。  また、この日NOBUは自身の音楽人生の全てを凝縮したBEST ALBUM『スタートライン』を4月18日にリリースすることを発表。“今までの自分を一旦精算したい。”そんな思いもあってベストアルバムとなった本作には、昨年話題を呼んだ「いま、太陽に向かって咲く花」、小林市PRソング「田舎女子高生」はもちろんのこと、HAN-KUN(湘南乃風)とNOBUが仲間へ捧げたメッセージソング「今日もハレ feat.HAN-KUN」や2015年公開の映画『夏ノ日、君ノ声』主題歌「君ノ風」など、これまで明かされて来なかったN.O.B.U!!!時代の楽曲に加え、最新の未発表曲などを収録。まさにNOBUの歴史の全てが網羅された完全盤だ。そしてタイトル曲である「スタートライン」は、これまで名だたるアーティストの楽曲を手がけてきた本間昭光プロデュースのもと制作された新曲で、20歳のときに作ったというこの曲が“その時が来た”と、今回満を持して発表となる。  地元・小林市の高校生と制作した「田舎女子高生」と新曲「スタートライン」でまた新しい一歩を踏み出すNOBU。30歳を迎える今年こそ夢である“紅白歌合戦”出場に期待は高まる。 ◎NOBUニューアルバム情報 NOBUの音楽人生の全てを凝縮したBEST ALBUM 『スタートライン』 2018/04/18 RELEASE UPCH-2160 税込:¥3,240(税抜:¥3,000) <収録曲> 1.いま、太陽に向かって咲く花 2.今日もハレ feat.HAN-KUN 3.ナガレボシ 4.Don’t Stop The Party -DJ CHIN-NEN Remix- 5.エビバディ!!! 6.Let’s Get It Started 7.Love On Sunday 8.君ノ風 9.スタートライン 10.Driving The Dream 11.Take Me Home feat.Matt Cab 12.田舎女子高生 13.あなたのこと祈ってる 14.name. 15.THE ONLY ONE ~桜梅桃李~ 16.優しい歌 [Bonus Track] 17.いま、太陽に向かって咲く花 -Remix- ◎ワンマンライブ情報 2018/5/11(金)宮崎・小林市文化会館 2018/7/3(火)東京・TSUTAYA O-WEST
billboardnews 2018/02/26 00:00
「難治がん」の記者 減った体重35キロ、羽生選手より軽く
野上祐 野上祐
「難治がん」の記者 減った体重35キロ、羽生選手より軽く
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた一昨年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中 カルガリー五輪、フィギュアスケート女子シングルで金メダルを獲得したカタリナ・ビット選手(東ドイツ)の演技 (c)朝日新聞社  働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。 *  *  *  体重計に乗ったのは気まぐれだった。冬季五輪で2連覇した羽生結弦選手の演技に「あの細い体のどこにそんな力が」と月並みな感想を持ち、彼と自分の体重を比べてみようと考えたのだ。  表示は45.4キロ。一時80キロを超えた体重が、がんで35キロも減った。身長172センチ、57キロの羽生選手に比べると、身長は2センチ低いものの、体重が12キロも少ないのは予想外だった。  それならば、と女子の荒川静香さんを調べることにした。背中をそり返らせた「イナバウアー」で金メダルを取るトリノ大会の9年前。新聞記者になって2年目の1997年冬に、長野大会に高校1年生で出場する彼女を取材したことがあった。当時164センチ、50キロ。私は女子高生にも届かなかった。  フィギュア選手の体重は、旧共産国では厳しく管理された。国際舞台で活躍させ、国威発揚に利用するためだ。美しいかどうかは見る側が決める。そんな競技の帰結ともいえた。  私にとってフィギュアといえば今も、旧東ドイツ出身のカタリナ・ビット選手だ。84年サラエボ、88年カルガリーの両大会を連覇。深紅のバラを思わせる衣装をまとい、歌劇「カルメン」の曲で舞ったカルガリー大会は歴史的名演と語り継がれる。  東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊後の94年。リレハンメル大会には歌劇から一転、反戦歌「花はどこへいった」で出場した。国の道具だった過去と決別し、新たな世界で生きる、との決意がにじんだ。  美しさに理由はいらないのかもしれない。だが、彼女が背負った重い歴史を思うとき、その美しさはより際立って感じられる。人の苦難さえ、美しさの一部とみなし、「消費」する。自分はなんと身勝手か。  思い出すのは、初任地の仙台時代、とある展覧会の記事をめぐってデスクと意見が割れたことだ。少しだけ作品に興味を示しているおばあさんと、無表情な若い女性。どちらが映った写真を添えるか。「読者はこっちを見たいもんなんだ。記者なのにわからないのか」。デスクが選んだのは、若い女性のほうだった。  他人のまなざしから逃れられない点では、がん患者が書く文章も変わらない。 「お前はすでに死んでいる、ってこと? 『北斗の拳』みたいだな」。末期がんを宣告された男性によるレシピ本の表紙に「余命ゼロの……」とあるのを本屋で見かけ、突っ込んだ。  私も男性と同じ「おっさん」である。その写真の笑顔がどんなに素敵でも、映画化され話題になった「花嫁」ほど読者の共感をよばないだろうと想像はつく。まして著者は表紙を見る限り、私でも知っているような著名人でもない。書店の本棚も限られた闘病記の「椅子取りゲーム」で争うには、病状の重さを打ち出すことだと考えた人が、周りに誰かいたのだろう。  なかなか鋭い。がんにまつわるレシピ本は少なくない。そのなかで、その表紙は少なくとも私の目に留まったのだから。  そのあたりに切り込んだのが、お笑い芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)だ。地上波のお笑い番組で政治風刺を披露した時の歯切れよさとは対照的に、ある日のAbemaTVの番組でさんざんためらい、ようやく切り出した。なお、実際の作品名は「余命1ケ月の花嫁」だが、そこは核心ではない。 「前に『余命10カ月の花嫁』みたいな映画があって、みんな見て、泣くわけよ。『バツ3の花嫁』やったら見るんかな? 結婚式場のトイレ掃除のおっさんが余命9カ月だったら映画にする? 花嫁がブスだったら映画にするか? 式場の受け付けが美人で『余命10年』なら『余命10年のめちゃめちゃ美人な受付嬢』って映画をやるんじゃないの? 『女』と『男』が同時上映されたら、か弱いイメージがある『女』を見る。それも差別ではないか』  だいたいそんな話だ。そこから「残り10%のアイフォン」「残り10ミリリットルのポカリ」へと展開する芸人の技は見事だが、ここでは省く。未明の放送をスマートフォンで見ながら、「闘病もの」を求める心に潜むものを突く言葉に驚嘆した。  言っちゃったよ。  その前に私は、膵臓(すいぞう)がん患者として彼の番組に呼ばれている。そこで彼は、がん患者であるファンの「おっちゃん」の話をしていた。隣り合わせになったジャーナリストの堀潤さんらとの間では、乳がんのため29歳でなくなったデザイナー、広林依子さんの話にもなった。何人ものがん患者の顔が思い浮かぶからこそ、腹を決めて視聴者に問いかけられたのだろう。  私も問われている。  昨年9月の連載開始にあたり、朝日新聞デジタルで不定期に書いていた当時のタイトルにあった「がん」を「難治がん」へと「昇格」させた。膵臓がんのシビアな生存率を盛り込んではとの提案が発端だったことを考えると、「余命ゼロ」の発想と地続きだ。がんの大変さは患部や進み具合だけでは決められない。それを考えると、自分のがんは大変だとことさらアピールしているように受け取られるのは気が進まない。一方で、まだよく知られていない「難治がん」の存在を世間に知らせる意味はある。それに、タイトルにうたうことでコラムに関心を持ってくれる人が増えるならば悪くない。若い女性の写真を選んだデスクではないが、「人間って、そんなもんだ」と思った。  また、「がん患者っぽい」と思ってもらえそうなエピソードは書き漏らさないように気をつけている。これも読まれ方を意識したものだ。 記者の感覚からすると、ほかの人と同じならばあえて書かなくてもいい、となる。だが逆に、同じであることに意味がある場合もあるのだ。コラムに寄せられる感想を見て、そう思うようになった。  がん患者については、当事者にもそうでない人にも、「このようにもがき、苦しんでいるのでは」というイメージがある。自分の日々の思い、考えを読者の心に届けるには、「ぽい」要素の最大公約数も一緒に示すほうがいい。フィギュアなら、自由演技と対(つい)になった「規定演技」といったところだ。  たとえば、病院のトイレで臭気に吐き気を催し、鼻にハンカチをあてたとき。道ばたで気分が悪くなり、生け垣に頭を突っ込んで吐いたとき。「これで書ける」と感じる。  そこが病院ならば待合室でスマートフォンを取り出し、原稿を書き出す。書きかけのまま寝かせている原稿にもがんにちなんだエピソードはあるが、「ぽい」ことへの関心が強い人にはまだ足りないかもしれない。これを盛り込めば……と、そばにいる配偶者に青い顔で話す。いなければ心の中でつぶやく。 「これを盛り込めば『ご期待』にこたえられそうだ」  そうした体のつらさには波がある。これに対し、心のほうは波があるにせよ、最初のショックが大きい。病気になる前、漠然とそう思っていた。  がんの疑いを指摘された人間ドックの結果を人にどう伝えるか。テレビドラマならば初回に出てきそうな話を次回、紹介する。  2016年1月15日夕。福島に単身赴任していた私は東京・築地の本社で打ち合わせを終え、配偶者と近くの銀座で待ち合わせていた。街並みのにぎわいも、空気の冷たさも、ふだんと何も変わらない。  ただ一つ、その日の昼間、福島の職場に届いた1通の封筒がカバンに入っていることを除けば……。
がん書かずに死ねるか病気野上祐
dot. 2018/02/24 16:00
羽生結弦、高木美帆、大谷翔平の「ゆとり世代」が黄金世代になった理由
羽生結弦、高木美帆、大谷翔平の「ゆとり世代」が黄金世代になった理由
エキシビション練習で笑顔をみせる羽生結弦 (c)朝日新聞社 1994年生まれのアスリートたち(編集部作成)  1994年生まれに日本中が熱狂している。  平昌五輪のフィギュアスケート男子で、66年ぶりの五輪連覇を成し遂げた羽生結弦、冬季五輪で日本初となる金・銀・銅の「メダルコンプリート」の高木美帆。野球界に目を向ければ、投打二刀流で世界を驚かせ、今季からメジャーリーグに挑戦する大谷翔平──。いずれも今を代表するアスリートで、1994年生まれの23歳。すでに日本のスポーツ史に残る黄金世代を形成し、「羽生・大谷世代」とも呼ばれている。  その顔ぶれには、驚かされるばかりだ。  2016年のリオ五輪では、水泳の萩野公介が男子400メートル個人メドレーで金メダルのほか、同大会で銀と銅も獲得した。高木と同じく「メダルコンプリート」の達成者だ。また、400メートル個人メドレーでは、瀬戸大也も3位で一緒に表彰台に立った。瀬戸も1994年生まれだ。  リオの金メダリストでは、レスリング女子の川井梨紗子に土性沙羅、柔道男子のベイカー芙秋も1994年生まれ。リオ五輪で日本選手が獲得した12種目の金メダルのうち、4種目を1994年生まれが占めた。   なぜ、これほどの逸材がそろったのか。スポーツ文化評論家の玉木正之氏は、こう分析する。 「2011年にスポーツ基本法が施行されて予算が増え、選手の海外遠征や外国人コーチの招聘にお金が使えるようになった。羽生結弦も高木美帆も、いずれも外国人コーチです。また、国の選手強化プログラムでも英語の授業が入るなど、“国際人”としてのスポーツ選手が増えている。メダリストの育て方が変わったのです」  一方で1994年生まれといえば、世間一般では「ゆとり世代」と呼ばれ、上の世代から批判されることも多い。「ゆとり世代」とは、授業時間と教科内容が削減された学習指導要領、いわゆる「ゆとり教育」のカリキュラムで小中の学校生活を過ごした世代を指す。広い意味で、1987年4月2日から2004年4月1日生まれが該当する。  なかでも1994年度生まれは授業時間が大きく減った世代で、2011年度から授業時間を増やす目的で始まった「脱ゆとり教育」の影響も受けていない。つまり、羽生や高木は“ど真ん中”ゆとり世代なのだ。ちなみに1995年生まれには、陸上100メートルで日本人初となる9秒台を出した桐生祥秀、リオ五輪で銅メダルに輝き、日本のバドミントン史上初のシングルスでメダリストとなった奥原希望、バレーボール日本代表のエース・石川祐希らがいる。こういった選手も“ど真ん中”のゆとり世代だ。  ゆとり世代については、「集団行動よりもプライベート優先」「コミュニケーションがとれない」などと批判されてきた。昨年4月、1994年度生まれの現役大学進学組が新社会人となったが、未知の新人に対して「ゆとり世代の再教育」が話題になったほどだった。  2016年5月には、馳浩文部科学相(当時)が2020年度以降に導入する次の学習指導要領について、「『ゆとり教育』との決別宣言を明確にしておきたい」と述べたこともあった。教育政策のトップである文科相が「ゆとり教育は失敗」と結論づけたようなもので、インターネット上では「私たちゆとりは失敗作だったって烙印されてるみたい」「欠陥品ってことよな、すごいなそういうこと言われるの、SFかなにかか??」といった書き込みが相次いだ。  それが今や、日本中がゆとり世代に熱狂している。かつて文部科学省に在職していた時代に、ゆとり教育の導入に関わった寺脇研・京都造形芸術大教授は言う。 「いわゆる『ゆとり教育』が目指したものは、個人の尊厳を尊重するということ。それは、子供の頃から好きなことに取り組み、主体的に考え、自ら学ぶ人間を育てる。羽生選手や大谷選手はそういった教育を受けてきた世代で、彼らの言葉を聞いていると、10代の頃からしっかりとした『自分』があり、ケガや逆境を乗り越える力も持っている。『ゆとり教育は失敗だった』という批判は先入観によるもので、根拠はないんです」  寺脇氏が特に影響が大きかったと考えているのが、「完全週休2日制の導入」だ。1994年度生まれは、小学2年生から完全週休2日制になった(それまでの土曜休日は月2回)。スポーツの世界では9~12歳は「ゴールデンエイジ」と呼ばれ、この時期の練習は運動能力を大きく伸ばすと言われている。寺脇氏は言う。 「70年代までの詰め込み教育は、スポーツや音楽などにすごい才能のある子供が、学校生活に縛られていた。それが完全週休2日制になったことで、一番才能が伸びる時期に学校に行く時間が減りました。基礎学力は大切ですが、知識は大人になってから学ぶこともできる。それよりも、子供の興味や関心、適性に合わせて好きなことに打ち込み、自ら学ぶことが大切。滅私奉公ではなく、それぞれの人が力を発揮できる力を身につけて『個人』を強くして、その結果として『公』も豊かにするというのが、ゆとり教育の理念でした」  たしかに、一昔前のスポーツ選手と違って、今の若いアスリートは大きな大会でも「楽しむこと」を大切にする。ゆとり新入社員の再教育の指南書でも、「彼らには指示ではなく、納得させることが重要」と書かれていることが多い。前出の玉木氏は言う。 「ゆとり教育の影響なのかはわかりませんが、今の選手は、『このトレーニングでどこの筋肉が鍛えられ、それはパフォーマンスにどう影響が出るのか』ということまで考えている。一方で、監督が精神論で『腕立て伏せをやれ!』と命令するような、旧来の日本の体育会系練習法では世界では勝てないことははっきりしている。その認識が若い選手やコーチに広がっているのは間違いありません」  ゆとり教育については、2007年の第一次安倍政権で見直しが叫ばれ、現在の授業時間数は約1割増えた。一部では、週休2日制の見直しを求める声も出ている。だが、寺脇氏はこう話す。 「授業時間はたしかに増えましたが、ゆとり教育で導入された教育理念は基本的に変わっていません。最近では学ぶ側が討論や体験などを通じて学習する『アクティブ・ラーニング』の重要性が言われていて、これはゆとり教育の進化系のようなもので、目指す方向性は同じです。世界を驚かせる若者は、これからも出てくるのではないでしょうか」  これまでいわれなき批判を受けてきた「ゆとり世代」。年上世代が「今どきの若者は……」などとうっかり口をすべらせると、世界を相手に戦う後輩に「今どきの中年はねぇ」と理路整然と論破される日も近いかもしれない。(AERA dot.編集部・西岡千史)
平昌五輪
dot. 2018/02/24 11:30
コーチに「鈍くさい」と言われ… 宮原知子が平昌で勝ち取った4位の価値
コーチに「鈍くさい」と言われ… 宮原知子が平昌で勝ち取った4位の価値
宮原知子(みやはら・さとこ)/1998年生まれ。関西大学に在学中。全日本選手権4連覇中。平昌五輪女子シングルではSP4位(75.94)、FS4位(146.44)、総合4位(222.38) (c)朝日新聞社 坂本花織(さかもと・かおり)/2000年生まれ。神戸市の神戸野田高校在学中。平昌五輪女子シングルではSP5位(73.18)、FS6位(136.53)、総合6位(209.71) (c)朝日新聞社  ワンツーフィニッシュという最高の結果を出した男子に続き、宮原知子、坂本花織の女子2人が韓国・江陵アイスアリーナを沸かせた。 *  *  *  鈍くさいけど芯が強い長女と、やんちゃで天真爛漫な次女。同じ関西出身の姉妹のような二人が、平昌五輪フィギュアスケート日本女子の快進撃を生んだ。 「長女」は、京都市出身の19歳・宮原知子。エースとして浅田真央(27)引退後の日本女子を引っ張ってきた。2月21日のショートプログラム(SP)、23日のフリースケーティング(FS)ともに自己ベストを更新する完璧な演技で、222.38点をマークし4位。メダルは逃したが、昨年初めの左股関節の疲労骨折から、見事な復活劇を見せた。 ●自分を信じて好成績  米ヒューストンで暮らしていた4歳のころ、フィギュアに出会った。初めての発表会で、一人でリンクの真ん中に行けずに泣いてしまうほどの恥ずかしがり屋。小学1年生が終わるころに京都市に引っ越し、浜田美栄コーチの指導を受けた。だが、 「陸上で1回転ジャンプもまともに回れなかった。本当に鈍くさい」(浜田コーチ)  でも、こうと決めたら絶対に諦めない。母の裕子さんからはずっと、「人にできて、あなたにできないことはない」と教え込まれた。リンクに汗がたまるほどの猛練習で成長し、全日本選手権4連覇。平昌五輪では、2月11日の団体でジャンプの回転不足を取られ不安が残ったが、「構成を変えるつもりはなかった」と振り返る。「自分はできる」と信じ切って好成績を生んだ。 「次女」も続いた。神戸市出身の17歳・坂本花織だ。平昌五輪の女子SPは自己ベストを更新する73.18点をマーク。 「(演技の)出だしで一歩つまずいて、自分の中で『んふふ』ってなって、楽になった」  と、笑みがこぼれた。FSでは後半のジャンプにミスが出て136.53点だったが、総合6位。世界の強豪と渡り合った。  3姉妹の末っ子。NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」で、フィギュアスケート選手だった主人公の姉を見て、4歳で競技を始めた。飽きっぽい性格だが、フィギュアは別。持ち味は、高くて幅のあるジャンプだ。  今季がシニア1年目。平昌五輪の代表争いで出遅れたが、昨年11月のスケートアメリカで2位に入り一気に開花。全日本2位で五輪代表の座をつかむと、今年1月の四大陸選手権優勝の際のSP、FSの合計得点は、今季初戦から45点以上伸びた。 ●女子も4回転時代に  日本勢は二人とも持ち味を出し切ったが、金メダル争いは次元が違った。ロシアから個人資格で参加した15歳のアリーナ・ザギトワと18歳で世界選手権2連覇中のエフゲニア・メドベージェワの二人が、SPから世界記録を更新。フリーはともに156・65点を出す五輪史上に残る名勝負を繰り広げ、ザギトワが今季無敗で頂点に立った。メドベージェワとの得点差はわずか1・31点だった。  モスクワで同じ女性コーチに教わる二人は、共通点も多い。SP演技序盤はステップやスピンでつなぎ、得点が1.1倍になる後半に三つのジャンプ要素を固める。手を上げながらジャンプして出来栄え点(GOE)を得るスタイルも同じだ。ザギトワはFSでも、七つのジャンプ要素すべてを後半に跳んだ。  3回転の2連続ジャンプが当たり前になった女子。強豪は、ロシア勢のように後半にジャンプを固めたり、手を上げてGOE加点を狙ったりする傾向が強まった。4年後の北京五輪に向けて、多くの指導者が「4回転を跳ぶ女子が出る」とみている。現に、ザギトワらのコーチ門下のロシアのジュニア勢には、4回転をプログラムに組み込む選手もいる。  日本勢も負けていない。昨年末のジュニアグランプリファイナルで、15歳の紀平梨花がトリプルアクセル(3回転半)-3回転トーループの2連続ジャンプを国際スケート連盟の公認大会で初めて成功。さらなる高難度を求め、女子の技術も進化する。(朝日新聞スポーツ部・前田大輔) ※AERA 2018年3月5日号
平昌五輪
AERA 2018/02/24 00:00
バブル女子は根性あり? 早見優、渡辺めぐみ、杉本彩に聞きました
バブル女子は根性あり? 早見優、渡辺めぐみ、杉本彩に聞きました
「Dynasty 東京 Surfer’s Night」( 恵比寿・アクトスクエア)には、バブル女子ら大勢のディスコファンが集まる ちょっとぜいたくで、華やかな場所に出かけることを惜しまないバブル世代に憧れた早見優さん 「バブルを体験している人はやると決めたらやり通します」と語る渡辺めぐみさん。水着姿を披露し、筋トレも欠かさない 25年以上にわたって動物愛護の活動をしている杉本彩さん。昨年末発売の社会派漫画『しっぽの声』の監修をしている  バブルを体感したエネルギッシュな女性の活躍がめざましい。社会は彼女たちに何を求めているのか。リターンした「バブル女子」たちを紹介しよう。  MXテレビ「ディスコトレイン」でDJ OSSHYさんと司会を務めるのは、歌手の早見優さん。ここ数年はライブハウス「銀座ケントス」などで洋楽のカバー曲を歌う機会が増え、昨年11月はマハラジャ六本木7周年イベントにも出演している。 「ライブの客層は40代後半以上のバブル世代が中心ですが、みなさん、ものすごくお元気ですねー。ちょっとぜいたく世代で、華やかな場所に出かけることを惜しまないのが特徴だと思います。このバブル世代がいるからこそ、経済はまわっていくのでは、とさえ思っています」(早見さん)  バブル全盛期は20代前半だった早見さんだが、少し上の先輩たちを見て、「うわぁかっこい~な。こんな大人になりたいな」と憧れていた。 「一生懸命働いた分、金曜日はマハラジャに行こう、みたいな感じですよね。全力で働くからこそ、すごく遊びが楽しいわけで」  当時、早見さんは仕事一筋。「横目でいいなぁと見ていたほうかな……」と言うが、CM撮影はいつも海外というぜいたくな時代。 「水着の撮影をスタジオでやった記憶がない。まだアナログの時代。フィルムカメラで撮影すると、ハワイの光がとってもキレイに写る。ある意味いい時代だったと思います。デジタルの今は、どこでもキレイな明かりで撮れちゃうんでしょうけど」  渡辺めぐみさんは昨年、50過ぎでビキニ姿を披露。渡辺さんといえば、モデル出身で、80年代に「笑っていいとも!」にレギュラー出演し、「よめきんトリオ」としても活躍した。数年前には、故・川島なお美さんが体調不良で降板した舞台に代役で出演した。昨年は「筋肉女子」として再ブレーク。 「まさか50を過ぎて、ビキニになるとは!」  渡辺さんは22歳のとき、「もう水着(の仕事)はやらない」と決めていた。だが、人生100歳時代、後半の人生をさらに充実させるためには、「筋力アップが不可欠だ」と考えた。繰り返し口にするのは、「健康寿命と医療費のかからない体づくり」。バブル時代、「ねぇ、あそこのカフェの男の子、かわいくない?」といったトークが中心だったのに、50歳を過ぎると、同世代と会うたび健康ネタや更年期トークで盛り上がる。しかし適度に運動し、よく眠り、ストレスもためない渡辺さんは、幸運にも病気もなく更年期症状とも無縁だった。  だが、将来を考え、良質の筋肉をつけることを決意する。週2~4回、1回1時間のパーソナルトレーニングと食事制限で美しい筋肉をつけ、WORLD LEGENDS CLASSICのビキニエリートで見事4位に入賞した。 「バブルを体験している人は意外に根性はある。やると決めたらやり通します」(渡辺さん)  最近は20代の後輩タレントから、 「こんな50代がいるなら、年をとるのは怖くない」  と声をかけられる。とはいえ、ライトを浴びない時期もあり、美容会社を立ち上げた。営業も商品説明もすべて自分でこなしたことも。当時をこう振り返る。 「芸能界で思いどおりにいかないときでも、いつお声がけいただいてもいいように自分の人生を充実させていたので、落ち込んだりしなかった」  川島さんの代役の話が来たときも、1~2日で返事をしなければならなかったが、自己責任が伴う大きな仕事の判断を全部自分で行い、挑戦してきた経験が、即決の返事を後押しした。  バブル女子がなぜパワフルなのか……。渡辺さんはこう言う。 「やったことが結果として出るというのをわかっている世代だからかな」  バブル世代のタレントで忘れてはいけないのが杉本彩さんだ。「オールナイトフジ」に、ハイレグ水着、学園祭の女王など、10代のころからずっと芸能界で活躍してきた。最近では動物愛護の活動や、バラエティー番組でも人気を集める。  20代のころは、常に走っている状態。物事をおおらかに捉えられるようになったのは40代半ばを過ぎてからだという。  派手なイメージが強いが、プライベートでは「石橋をたたくほう」(杉本さん)というから意外だ。ラグジュアリーな体験をしてきたことが無意識に体に染みつき、今に生かされているのだという。たとえば食だ。 「食べることの楽しみは、何を着てどこへ出かけるのかまで含めます。これはなかなか余裕がないとできないこと。でもそれが人生において大切なのだと学びました。TPOに合わせたドレスアップ、美しく振る舞うことなど、見えは一つの美意識なのです」  一方、若者たちの慎重な生き方に、もどかしさを感じることもある。 「もっとはじけてもいいのに。失敗も含めいろんな体験を通して、学んでこその人生だから。やんちゃな人が多かった時代を生きてきた私はそう思います」 「50!SIGN(ゴーサイン)プロジェクト」を進める「ビースタイル」の「アラフィフ主婦はたらき白書2016」調査によると、働いている人のほうが働いていない人より幸せを感じている。さらに、6割以上の人が、「仕事をすることで、外見がきれいでいられる」と回答した。50歳を過ぎても健康で、20年といわず、30年、40年と働き続けられたら最高だ。この取材のさなか、95歳で長編小説『いのち』を出版し、現在もまだ執筆を続ける瀬戸内寂聴さんと話す機会を得た。 「年齢なんて、関係ないですよね」  と記者が尋ねると、 「その人がね、35だと思ったら、もう35なの。年齢と精神は必ずしも比例しない。私なんて、よく75って言うのよ(笑)。25って言ったこともあるけれど(秘書に)怒られましたね(笑)」  と寂聴さんはけらけらと屈託のない笑みを浮かべた。多少の人生の凸凹も全部受け入れて明るく生きる。バブル女子たちの未来を見たような気がした。(本誌・大崎百紀) ※週刊朝日 2018年3月2日号より抜粋
週刊朝日 2018/02/23 11:30
帰ってきたバブル女子! 企業は20年後も「戦力」と高評価
帰ってきたバブル女子! 企業は20年後も「戦力」と高評価
バブルブームを牽引するDJ OSSHYさん。昔は「アッシー」「メッシー」、今「オッシー」!?  前を歩く美女。気になって追い越しざまに顔をのぞくと、おばさんだった! こんな体験、ありませんか。50~60代の女性はファッショナブルで着こなしも若々しい。中でもバブル世代のアラフィフの勢いは、まさに「怖いモノ知らず」系。腰かけ就職に、寿退社……。専業主婦という「空白の期間」を経て、華々しくカムバック。今、社会に増殖中だ。  バブル時代に「スッチー」と呼ばれ、美食にファッションにと、輝くような日々を送ってきた元客室乗務員を中心とした3人のバブル女子が立ち上げたプロジェクトがある。その名も「マダムズフェイバリット」。お気に入り商品を、インターネットや、主催する「マダムズマルシェ」で販売する。東京・広尾のハウスレストランで開催するマルシェは毎回大盛況で、マーケットというよりも、マダムズのファンが集うフェスティバルのよう。入場前から行列ができ、来場者の多くが長時間滞在し、マダムズの作る空間を楽しむ。 「一日中いらっしゃる人もいます。『買いたいものは特にないんだけど』と言いながら、心地よくお茶を飲まれています。70代の方もいますよ」(マダムズ代表)  洋服をはじめ、アクセサリーや小物、バッグ、靴、美容サプリや基礎化粧品といった商品が各回ごとに並ぶ。中でもカシミヤの服は人気でオールシーズンで出店している。客の平均単価は2万~3万円という。  きっかけは「何かやりたいね」。バブル時代は、国際線の客室乗務員で、世界中を飛び回り、各国のローカル情報を数多く手にした。当時のネットワークと「目利き力」を生かして、優れた商品をそろえられるし、仕入れだけでなく、オリジナルの商品も販売できる。たとえば、タイのクロコダイルのファームに出かけて製作依頼した財布は9万円(税別)と安くはないが、売り切れ続出だ。 「居心地がいい人たちが集まってきました。いいものを経験しているからこそ、ちょっと金額が高くても、欲しいものは買う人たちです。私たちはみなおしゃれが大好きです」(同)  ブランディングもぬかりはない。「アイコン(PR用)は英理ちゃん」(同)。マダムズの顔となった英理ちゃんとは、モデルの中村英理さん(60)。49歳まで専業主婦だったが、一念発起して、サプリメントアドバイザーの資格を取得。50歳でモデルとなった。 「これまで夫と2人暮らしで、夫一筋。夫しか見てこなかった(笑)」  と言う、そんな夫から最近はこう言われる。 「『すごいじゃん、はじめはお店屋さんごっこだったのに』って(笑)」  現メンバーのうち3人が還暦。そのうち代表の元客室乗務員は60歳には見えない。29歳と26歳の息子がいるというが、記者には30代にしか見えなかった……。 「私たちの世代はもっと働いて税金を納め、社会の一員という意識を持つべきです。引っ込んでいる主婦を引っ張りだして、日本をもっと元気にしたいんです」(マダムズ代表)  転勤族の夫とともに、住まいを転々としてきた主婦(49)は、「人生をぶつ切りされるのがつらかった」。そんな生活をしながら、短大に入り直し、栄養士の資格を取得。その後、関西に転勤となり、現地で乳幼児用栄養食品メーカーにパート社員として就職。「全国規模の会社を狙った」のは、転勤してもそのままキャリアを生かせるため。その後、東京に戻るとその働きぶりが認められ、正社員となった。大学時代には体育会応援団に所属し、根性はある。 「たとえ理不尽なことで怒られても私は大丈夫。打たれ強いし。バブル世代の私たちは、根拠のない自信が持てるのよね」  人生で大事なものは、次の三つだとか。 「『自由』と『酒』と『山』。これにまつわる人たち。人生は自分に納得できれば、それでいい。みんな違って、みんないい」  バブル女子を積極的に雇用する背景もある。「50!SIGN(ゴーサイン)プロジェクト」を進める「ビースタイル」によると、 「50歳でもまだ二十数年働ける。50代はパソコンを使える能力が高く、コミュニケーション能力や、一消費者目線のトーク力を備え、企業側からも高評価です。少子化で労働力不足の時代ですから、20年後だって『戦力』として重宝される可能性も十分です」  1月末の水曜日の夜。東京・恵比寿の多目的スペース「アクトスクエア」で開催されるディスコイベントに向かう記者(40代後半)に、常連バブル女子A子(53・会社社長)からメールが届いた。「ナンパされるかもよ」。さすがにそれはないだろうと思いながら、会場に着いて、驚いた!  50~60代の男女が年齢を感じさせず、瞳を輝かせながら、シャンパン片手に踊っている。会場の片隅のテーブル席には、そんな姿を眺め、雰囲気を楽しんでいるシニア男性まで。会場にはお決まりのミラーボールに80’sの音楽が大音量で流れる。青春の思い出が詰まった曲が連続してかかると、自然とステップを踏んでしまう。嗚呼(ああ)! まるでタイムスリップしたかのような気分。孫がいてもおかしくない年齢で、中には介護の悩みを持つ人もいるかもしれない。その顔にはしわもシミもあるが、それは人生の勲章とも言えよう。あっぱれ、日本のバブル女子! 常連のA子によれば、ディスコは社交の場。踊る仲間がどんどん増えていき、旅行まで一緒に行く仲になるとか。踊りを極めたがるのもこの世代の特徴で、A子の場合は、「この曲のステップを上手に踏みたいから」と、2年間スクールに通ったこともあるという。 「だってもっとキレッキレに踊りたいもん。まねっこじゃ身につかない」  バブル女子は極め女子、なのだ。このディスコイベントは、DJ OSSHYさん企画・出演の「Dynasty Tokyo Surfer's Night」。毎年4回開かれ、毎回約650人集まる。  会場には埼玉県草加市からやってきたショッピングセンターの関係者の姿があった。東武伊勢崎線草加駅東口のショッピングビル「アコス南館」への集客のため、「ディスコ」イベントを計画中だという。 「今、3世代を呼べるファミリーイベントは、バブル世代に訴求するのが一番有効です。バブルを知っている人はお金を使うし、遊び方も知っています」(ショッピングセンター関係者)  DJ OSSHYさんは、アナウンサーである押阪忍さんの長男。自身もバブルを謳歌し、ディスコDJの第一人者であり、現在のバブルブームを牽引する一人。15年ほど前に、「ファミリーディスコ」と称し、託児スペースを設け、休日の昼間に子連れでも参加できるディスコイベントを開催すると、ニュースで取り上げられ、話題となった。 「あの光景は涙ぐむほどうれしかった。バブル女子たちが子育てを終えて戻ってきた。彼女たちの遊び方はひとつも変わっていない。わーわーきゃーきゃーと(笑)。当時と同じ感覚のまま踊っている(笑)」(DJ OSSHYさん)  アバの「ダンシング・クイーン」やアース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」などの曲にあわせて、親子で踊る姿に思う。「嗚呼、すてきだな」(同)  ディスコイベントを企画したきっかけは、常設のディスコが減り、踊る場を失った「ディスコ難民」を救うためだった。現在、DJ OSSHYさんは「高齢者ディスコ」の活動にも力を注いでいる。 「ディスコを通して、日本を元気にしていく活動を続けていくつもりですが、その中心にいるのは間違いなくバブル女子」 (本誌・大崎百紀) ※週刊朝日 2018年3月2日号より抜粋
週刊朝日 2018/02/23 11:30
「僕は勝ちたい!」16歳の羽生結弦が語った屈辱
「僕は勝ちたい!」16歳の羽生結弦が語った屈辱
「AERA 2011年11月7日号」表紙の羽生結弦 撮影・坂田栄一郎。羽生の激闘のすべてを追いかけた「AERA増刊 羽生結弦」(定価980円)が好評発売中 「王者になる。まずそう口に出して、自分の言葉にガーッと追いつけばいい」  16歳の羽生結弦の言葉だ。  平昌五輪で見事、男子フィギュアスケートの金メダルを獲得し、66年ぶりの五輪2連覇を果たした羽生が、今から約9年前の「AERA 2011年11月7日号」表紙撮影で語ったこととは? 当時のインタビューをそのままに、掲載する。 *  *  *  線の細いしなやかな体つき。女子顔負けの柔軟性。そしてあどけない笑顔。思わず「可愛い」と言いたくなるが、口を開けばキャラは一転。 「『いい演技をするのが目標』なんて謙遜する選手が多いけど、完璧な演技で負けたら屈辱的でしょ! 僕は勝ちたい」  この潔さが心地いいのだ。  快進撃の始まりは12歳。全日本ジュニアで3位となり、15歳でジュニアの世界王者に駆け上がった。シャイな日本男子の中では珍しい、演技に入り込む表現派。シニアデビューの昨季は、試合で4回転ジャンプも成功させた。  原動力は負けん気だ。2010年11月のロシア杯。世界最高のスケート技術を持つと言われるパトリック・チャンと一緒の練習で、とった行動は「追跡」。滑る軌道やエッジの使い方を盗むためだ。 「王者に勝てば自分が王者。だからまねして滑ったんです」  今年2月の四大陸選手権では自己ベストを更新したが、その直後、仙台で練習中に東日本大震災に見舞われた。自宅は全壊。ホームリンクも営業停止に。練習場所を確保する目的もあって、夏はショーを転々とした。その数なんと60公演。 「本番だから全力で滑り切る。体力がついたし、新しい強化方法になりました」  転んでも、タダでは起きないのだ。  被災者としての葛藤もあった。 「インタビューには『被災者の代表としてスケートを頑張ることでみんなに勇気を与えたい』なんて答えたけれど、きれいごとじゃないか」  仙台空港へ向かったある日。見慣れた住宅街は消え、ガレキの先には海。海なんか見える場所じゃなかったのに。その衝撃で、もやもやが吹き飛んだ。 「被災したことに甘えたくない。実力で選ばれた日本代表のスケーターとして、結果に責任を持たないと」  今シーズンのGP初戦は11月4日からの中国杯。 「期待されてる感覚が好き。それはプレッシャーじゃなくて快感なんです」 (ライター・野口美恵) ※AERA 2011年11月7日号
フィギュアスケート平昌五輪羽生結弦
AERA 2018/02/22 07:00
ミッツ・マングローブ「女子も男子も関係ない『ミトちゃん』の絶対性」
ミッツ・マングローブ ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ「女子も男子も関係ない『ミトちゃん』の絶対性」
ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する 今や女子アナなくしてテレビ番組はほとんど成立しない?(※写真はイメージ)  ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「水卜麻美アナ」を取り上げる。 *  *  * 『女子アナ』という呼称が定着したのが80年代後半。昨今、特に女性に対する呼び方や扱いにはとかく神経質になる中、『女子アナ』だけは何故か誰も異論を唱えないのも不思議な話です。個人的には『看護婦』も『保母さん』も『スチュワーデス』もステータス感溢れる誇らしい呼称だと思うので、意識と注意を払いながら『看護師さん』などと呼び換える際には、いつも心のどこかで「もったいないな」と感じます。  むしろ私が気になるのは、そこかしこで氾濫する『女子』の方です。『男子』も然りですが、『女子会』に始まり『肉食女子』だの『カープ女子』、『厨房男子』に『お化粧男子』など、成熟・成人・オトナという現実や責任から逃げているようで、痛々しさすら覚えます。男子・女子がまかり通るのは高校生まで。百歩譲って女子大生・新入社員ぐらいまでじゃないでしょうか? 成人して納税し、ましてや配偶者や子供がいる身で、自らを『男子』『女子』と呼ぶのならば、せめてある程度の羞恥心や自虐の精神ぐらい持っておきたいものです。世間も男女同権と同じくらい、この歯止めの利かなくなってしまった『女子問題』とそろそろ真面目に向き合わないと。『理想のオトナ女子ナンバー1・天海祐希(49歳)』って、もはや気を遣っているのかバカにしているのか分からない状態になっています。  話を『女子アナ』に戻しましょう。今や女子アナなくしてテレビ番組はほとんど成立しないぐらい、画面上の必須要素なわけですが、そんな群雄割拠の女子アナ界においてここ数年ぶっちぎりの人気を誇っているのがミトちゃんこと日本テレビの水卜麻美(みうらあさみ)さん。女子アナに限らず、テレビアナウンサーというのは、実はテレビに出ている誰よりも純粋に「テレビに出たい」「テレビ画面の中に存在したい」という意思を抱いている人たちです。そもそもテレビというのは非現実や超現実との遭遇場所であるにもかかわらず、その中で粛々と一般標準代表として存在することに努めるのがアナウンサーだとすれば、ある種彼らは『最もテレビに魂を捧げている人たち』だと言えます。  ちなみに歴代のスター級アナたちを見てみると、不思議と『珍しい苗字』が多いのに気付きます。久米さん、福留さん、逸見さん、みのさん、古舘さん、生島さん、宮根さん、羽鳥さん、僭越ながら徳光さんなど。そしていずれも『苗字にさん付け』が呼び名として浸透しています。芸名でもニックネームでもなく、本名(みのさんを除く)だけで『テレビの中の人感』を体現できる。これこそがアナウンサーの性ではないでしょうか。ちなみに女性でその領域に達しているのは、今のところ『有働さん』だけ(安藤優子さんも小宮悦子さんもフルネーム呼びが一般的)です。そんな中『ミトちゃん』は、『珍しい苗字』な上に『読み方を変え』、しかも『ちゃん付け』というまったく新しいスタイルを確立しました。たかが呼称とはいえ、これは水卜麻美という局のアナウンサーが、女子アナの枠を超えたアイドルである証です。そのプロ意識と技術の高さはもちろんのこと、やはり彼女はテレビに選ばれた人なのだと思います。言わば『ミトちゃん』は、『サッちゃん(小林幸子)』や『キクちゃん(林家木久扇)』と同じ趣で存在しているということでよろしいかと。 ※週刊朝日 2018年2月23日号
ミッツ・マングローブ
週刊朝日 2018/02/21 16:00
「わろてんか」葵わかな、10代に見えない…なぜ落ち着いた風格が漂っているのか
丸山ひろし 丸山ひろし
「わろてんか」葵わかな、10代に見えない…なぜ落ち着いた風格が漂っているのか
葵わかな (c)朝日新聞社  NHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」が好調だ。2月5~10日の週間平均視聴率が21.0%(数字は関東地区、ビデオリサーチ調べ、以下同)を記録。2月15日に放送された第113話の平均視聴率が21.1%。前日の第112話も21.6%と、連日20%の大台を超えているのだ。  吉本興業の創業者・吉本せいをモデルとした同ドラマは、明治後期から昭和初期の大阪を舞台に、女優の葵わかな(19)演じるヒロイン・てんが「笑い」をビジネスにしようと奮闘する姿を描いた作品だ。現在、劇中ではヒロインが40歳を超え、さらに、てんの息子を演じる俳優の成田凌(24)も、実年齢が葵より5歳も年上だ。ネット上では葵について「ヒロインが全く老けない」との指摘がある一方、「19歳と忘れるほど見入ってしまう」など葵を評価する声も上がっている。  実際、共演者の濱田岳(29)は2月3日に放送された「土曜スタジオパーク」(NHK)で葵のことを「風格が出ている」と評しており、40代を演じてもさほど違和感のない彼女の佇まいもドラマが好調な理由のひとつだろう。となると、なぜ19歳にして落ち着いた雰囲気が出せるのか気になるところだ。テレビ情報誌の編集長は「葵は過去の出演作でも実年齢より上の女性を演じています」と話す。 「2016年に放送されたドラマ『女優堕ち』(BS朝日)で、森口瑤子(51)とW主演を務めました。過去と現在を交差させつつ、主演の2人がひとりの女優の半生を演じた作品で、葵は16歳から27歳までの主人公を演じました。年齢的に不自然に見えないか不安だったと自身のブログで吐露していましたが、色気を出すため脚の組み方や髪のかきあげ方を研究。見事、大人っぽい雰囲気を醸し出していましたね」  実年齢と10歳も差のある役を見事、演じきった葵だが、今回の朝ドラに出演する前からそんな難役にチャレンジしていたのだ。一方、彼女のプライベートに関して「大人の女性のような趣味で、インドア派。落ち着いた感じがします」と語るのはスポーツ紙の芸能担当記者だ。 「まず、アニメやマンガ、小説が好き。オフの日は家にいることが多く、録画したアニメを見たり小説を読んだりしているそうです。ちなみに、マンガに関しては『ずっと読める』という理由から長期連載している作品が好きで、全巻一気に大人買いすることも。小説では宮部みゆきや伊坂幸太郎の作品を好んで読むとか。さらに、宝塚が大好きだということを公言していて、一人で劇場に行くこともあると語っています。良い作品だったら、公演のDVDを購入するどころか、もう一度観劇することもあるそうです」  インドア派で宝塚好きな葵。宝塚ファンは礼儀正しくて品のある人が多いことで有名だが、葵も同様に一般的な10代に比べて上品なのだろう。 「高校生の時から既に『カッコいい大人になることが目標』だったと語っていましたね。今の朝ドラの撮影時は収録のある大阪で一人暮らしをしていますが、週末に料理をすることが気晴らしになっているとか。心を無にできるところがリフレッシュに繋がるようです。葵の場合、そんな私生活や過去の仕事が影響し、若くして落ち着いた風格が身についたのでしょう。これからも、今どきの女子から大人の女性まで老若演じ分ける、役の幅の広い女優へと成長していくと思います」(前出の編集者)  今回の朝ドラで葵は最終的に50代まで演じるという。役との年齢差が30歳以上もあり一筋縄ではいかないと思うが、どんな演技を見せてくれるのか楽しみだ。(ライター・丸山ひろし)
dot. 2018/02/20 11:30
2連覇・羽生結弦は“ただの天才”ではない…恩師が見た荒川静香との違い
2連覇・羽生結弦は“ただの天才”ではない…恩師が見た荒川静香との違い
SPの演技に臨む羽生 (c)朝日新聞社 競技後のセレモニーで並ぶ羽生(右)と宇野 (c)朝日新聞社 金メダルを獲得し、ファンを見上げる羽生結弦(C)朝日新聞社 「自分の人生史上、一番幸せな瞬間」。ケガを乗り越え、不死鳥が舞った。平昌五輪のフィギュアスケート男子で羽生結弦(23)が66年ぶりの2連覇。宇野昌磨(20)も銀メダルで続いた。異次元の高みに到達した“ゆづ”が、「僕の武器」というある戦略とは──?  やはり、羽生は「絶対王者」だった。  解説者の佐野稔氏が言う。 「ケガで3カ月のブランクからここまで復活したのは、超人的。普通の選手なら試合勘が鈍るなど影響が出るが、羽生に関してはまったく心配していなかった。五輪での勝ち方を本当の意味で知っているのは羽生だけ。色々なアクシデントを経験し、そこから不死鳥のような力強さや粘りを手に入れたと思います」  昨年11月、NHK杯の練習中に転倒し、右足首を負傷。3カ月間すべての試合を欠場し、練習を始めたのは1月。ほぼ“ぶっつけ本番”で臨んだ平昌五輪だったが、現地入りした羽生は落ち着いていたという。 「記者への対応も普段以上に、ニコニコして、開き直っている感じもありました。足首を痛めていたので、フリーはきつい。でも、彼はそういう逆境が実は好きなんです。『弱い自分がいるということは、これから強くなる余地がある』とおもしろがれるメンタリティーがある。万全な状態じゃないけど、それを楽しんでいるという感じに見えました」(朝日新聞スポーツ部・後藤太輔記者)  公式練習後の2月13日の記者会見では、「何も不安要素はない。クリーンに滑れば絶対に勝てる自信がある」と予告していた羽生。  だが、実際にはギリギリの勝負だった。フィギュアスケートに詳しいスポーツライターがこう語る。 「事前練習では跳べていないジャンプも結構あって、内心、焦りはあったと思う。そんな中での『絶対勝てる』発言は、自分に言い聞かせるような意味合いもあったのではないか」  羽生の出身校である東北高校フィギュアスケート部で顧問を務めた五十嵐一弥学園長はこう語る。 「今までの羽生と今回の羽生の一番大きな違いは『目力』。あの『目力』は、今までになかった。この1カ月、カナダのトロントでしっかりと練習してきて、自信を持っている表れなのかな、と感じました」    足首のケガという最大の危機を乗り越えての、フィギュアスケート男子での66年ぶりの五輪連覇。いったい何が、羽生をここまで強くしたのか。前出の後藤記者は言う。 「ケガで練習できない間、リハビリで陸上トレーニングをやったそうです。しかし、体力は落ちていたと思います。彼の練習時間は短く、1日約2時間、週4~5回程度です。今回、故障した足首はもともと弱く、食も細いので風邪をひきやすい。喘息(ぜんそく)の持病もあり、心肺能力が高いわけでもない。短時間に集中してやるしかない、という必然性もあると思います。短時間で効果を上げるために、記録、言葉、考えることを彼は大切にしてきた。羽生本人は自分の強みを『他人の考え方を自分のものにすること』『研究が僕の武器』と分析していました」  羽生は、コーチに受けた指導や体の動きで気づいたことをノートに書き、整理し、分析する習慣があるという。 「小学2年生のとき、コーチに『ノートをつけなさい』と言われ、つけ始めたのがきっかけだったそうです。今でも体の動きやタイミングを整理し、言葉にして記録に残しておく。羽生はその能力が高い。ジャンプが成功したときの共通点は何か。足や腕の位置などをずっとメモする。コーチに聞いたり、ほかの選手を見たり、家族の話を聞いたり。いろんな材料をいっぱい集める。そこから絶対必要なものを絞り込む。ジャンプ成功のために絞り込んだポイントを『最大公約数』と彼は呼び、再現していく。金メダルはその分析力が発揮された成果でしょう」(前出の後藤記者)  いわば“脳力”の強さが生んだ勝利。その力は、普段の取材の場面でも感じられるという。 「羽生の試合後の取材は、負けたときや失敗したときのほうがおもしろい。そのときの精神状態とか、体が開いたとか、失敗した理由はああでこうでと、饒舌に語るんです。動きを言葉に置き換えるのがうまいんですね。小学4年くらいからメディアの取材を受けてきたことが、良い効果を生んだと、本人も語っています。また、小さい頃から『なんで、どうして』とよく言う子どもだったそうです」(同)  羽生を知る関係者が口をそろえるのは、現在の強さは、人一倍の努力で培われたものということだ。東北高校フィギュアスケート部の後輩の証言を紹介しよう。 「ゆづは練習熱心でした。毎日滑っていたし、体力をつけるためマスクをして滑っていた。マスクをすると呼吸が苦しいので、肺活量が上がるらしいんです。でも、練習してても、人には言わないんですよ」  一方で、普通の高校生らしい一面もあったという。「おしゃべりで、どちらかというとボケ役で、私たちが突っ込むという感じ。練習の合間にちょこっと冗談を言ったりする。でも、全然オチがなくて、しらけたり。下ネタを言うこともある普通の男子高校生でした」(後輩女子)  ちなみに、研究熱心な性格は競技以外にも発揮されたようで、高校時代には意外な趣味もあったという。別の後輩の証言。 「ゆづ君の趣味は家電でしたね。見るのが好きで、家電量販店に一日中いられるくらいだった。ゲームも好きで、プレステ2とかを分解して遊んでいたそうです」  前出の五十嵐氏は、同じ高校の先輩である荒川静香と羽生を比較し、「荒川静香は天才少女だったが、羽生結弦は努力型の天才。本当に努力していた」と評する。羽生はアスリート一家に生まれたワケではない。 「結弦君の父も、父方の祖父も教員。特にスケートには縁がない一家だった」(羽生家を古くから知る知人)  羽生の幼い頃を知る親族がこう語る。 「スケートを始めたのは4歳ぐらいのとき。結弦はお姉さんと2人姉弟で、最初はお姉さんがフィギュアスケートをやってたんですよ。お姉さんについて行った結弦は『自分もやってみたい』と始めたんです。その後、お姉さんはやめましたけど、結弦がこんなに立派になって……。涙が止まりませんでした」  人一倍の努力で上り詰めた男は、まだ23歳。ただ、過酷な競技であるフィギュアスケートの引退年齢は早く、浅田真央も26歳で引退した。4年後も五輪の舞台で、史上初の3連覇をかけた演技を見ることができるのか。 「羽生は昨年、取材に対して『誰も跳んだことがないクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)を跳びたい』と語ったことがある。今回の五輪には間に合わないとも言っていたので、その夢を実現するまでは、競技を続けていくのではないかと思います」(ジャーナリストの田村明子さん) (本誌・小泉耕平、上田耕司、堀井正明) ※週刊朝日 2018年3月2日号
平昌五輪羽生結弦
週刊朝日 2018/02/20 07:00
アフガン紛争、ロヒンギャ難民…「紛争地域に行くことに不安はない」国境なき医師団・加藤寛幸医師の覚悟
井上和典 井上和典
アフガン紛争、ロヒンギャ難民…「紛争地域に行くことに不安はない」国境なき医師団・加藤寛幸医師の覚悟
  国境なき医師団日本会長の加藤寛幸医師「目の前にいる患者の命に向き合うだけ」(撮影/小林茂太)  医師を目指すうえで、誰しも覚悟を決めた瞬間がある。医学部志望生向けのAERAムック『AERA Premium 医者・医学部がわかる2018』では、医療のニーズがあるところに向かう「国境なき医師団」日本事務局会長の加藤寛幸医師に、医の道を選択するという「覚悟」を尋ねた。 *  *  *  想像できるだろうか。戦地で直前まで対峙していた兵士同士が、同じ施設内の一枚の壁を挟んで、けがの治療のために診療を受ける光景を。  医療・人道援助を行う「国境なき医師団」。絶えず世界中でわき起こる紛争や被災地域に入り込み、医療を中心とした支援活動をしている。冒頭のような光景は、中立性の精神を掲げるがゆえ、実際に遭遇しうるという。  同団体日本事務局会長の加藤寛幸医師は、アフガニスタンの紛争地域で、兵士と戦火に巻き込まれた民間人や子どもを同時に診る経験をした。国境なき医師団が支援する医療施設のなかに、銃器は持ち込めない。兵士とて、必ず入り口で外すのがルールだ。だが、その施設が空爆のターゲットになることもある。無論、国際人道法違反だ。  それでも加藤医師は、向かう。小児科医でありながら、エボラ出血熱、アフガン紛争、東日本大震災、ロヒンギャ難民など、世界中の困難に直面してきた。  ひとりの医師として、命のために去来するものとは――。 「損をすると思うほうを選びなさい」 ――加藤医師は小児救急を専門とされていますが、当初から小児科と決めていたのですか。  いえ。当時から小児科は大変であまり人気がなく、選択肢にありませんでした。加えて、島根医科大(当時)でも医師としての目標を持てず、医師国家試験に落ちました。自分で生活費を稼がなければならないので、保育士のアルバイトをするようになると、子どもが好きだったこともあり次第に小児科を意識しはじめました。 ――たとえ大変とわかっていても、ですか。  そのころ、日曜学校でお世話になっていた教会のある世話役の方に、こう言われました。「損をすると思うほうを選びなさい」と。まわりは裕福な医学生が多いのに、うちは母子家庭で母親に苦労をかけっぱなし。金持ちになってやろうと得ばかりを探していた自分が恥ずかしくなりました。苦労が多いかもしれないけど好きな子どもを診られる小児科医を選ぼう、と。 ――国境なき医師団には?  国境なき医師団の日本事務局ができたのは1992年11月。小児科認定医試験に合格した97年に、国境なき医師団の医師募集に応募しました。ただ、英語などの語学力が足りなかったことなどもあり、即座には採用されませんでした。その後、10年かかってスーダンに赴任しました。37歳のときです。 ――長い道のりでしたね。  20代で活動している医師には、おそらく巡り合っていません。現場では自分一人で診療を完結させる必要があるため、ある程度の経験が求められることはやむを得ない。 ――日本事務局として派遣された医師の人数は。  2016年までに医師や看護師など107人のスタッフが、34の国や地域で活動しています。私自身は、スーダンに始まり、インドネシア、パキスタン、シエラレオネなど。だいたい3カ月から長くても半年程度です。昨年はバングラデシュでロヒンギャ難民の援助活動に参加。11年の東日本大震災や16年の熊本地震でも緊急援助に入りました。 ――紛争地域に行くことに不安はありますか。  よく聞かれるのですが、不安はないんです。ニーズがある以上、そこを避けていたら「国境なき医師団」は務まりません。国内の医師から「外国好き」と揶揄されることもあります。しかし、たとえばエボラ出血熱が広がる前のギニアは、人口10万人に対して医師はたった1人です。一方で、日本は10万人対で約230人いますが、これでも偏在で問題になるほどです。国内外にかかわらず世界中でニーズがあるところで活動したい。 ――最後に聞かせてください。たとえば、紛争地域で加藤医師が懸命に治療した兵士が回復したものの、再び紛争地に出向いて人を傷つけることがあるかもしれません。  そうですね……。この人を治療したら、またどこかの戦闘へ行ってしまうと思うことは、これまでもありました。でも医師としては目の前の患者を助けること以外、考えられません。その人を裁く権利は私にあるとは思えません。目の前の命に向き合うだけです。 ◎加藤寛幸(かとう・ひろゆき)/小児科医、国境なき医師団日本会長。1965年東京都武蔵野市で生まれる。1983年、北海道大学理学部に入学するも、自身の入院をきっかけに、医師を目指す。1985年島根医科大学(当時)に合格。1992年島根医科大学を卒業。翌年から、東京女子医科大学病院の小児科で初期研修。1997年「国境なき医師団日本」に応募。英語力不足で不採用となる。2003年「国境なき医師団日本」に参加。初めての援助活動はスーダンの孤児院だった。2005年インドネシアやパキスタンで活動。2011年東日本大震災で援助活動。2014年エボラ出血熱対策でシエラレオネへ。2015年国境なき医師団日本会長に就任。2017年ロヒンギャ難民援助のため、バングラデシュへ。「いままで見たことがない劣悪な難民キャンプだった」と事態の深刻さを肌身で感じる (文・構成/井上和典) ※AERAムック『AERA Premium 医者・医学部がわかる2018』から抜粋
朝日新聞出版の本病院
dot. 2018/02/19 07:00
三江線「天空の駅」も3月で見納め 「父祖3代悲願の路線」の足跡たどる
福井洋平 福井洋平
三江線「天空の駅」も3月で見納め 「父祖3代悲願の路線」の足跡たどる
江津~江津本町間の江津市(島根県)街を走る三江線のキハ120。この部分は戦前に開通している区間で歴史も古い(撮影/今祥雄)  約80年間の陳情を経て、悲願の全通を果たした108.1キロの鉄路。地元の思いを乗せ、谷をまっすぐに突っ切る鉄路の駅に、乗客は今やほとんどいない。すべての人に開かれた公共交通機関は、その役割を評価されないまま、43年で命脈を閉じる。  広島空港から車で約2時間。高速道を降り数十分走り続けて視界が開けた先、田んぼの向こうにJR西日本・三江(さんこう)線の宇都井(うづい)駅(島根県邑南(おおなん)町)が姿を現した。地上20メートルにホームがある。通称「天空の駅」だ。  ここに来る列車は1日、上下合わせて8本のみ。午前11時過ぎから午後5時まで一本の列車も来ない。雄大な駅とギャップのある秘境感が旅情をくすぐるのか、ホームに併設された待合室の一角にはノートが置かれ、日本全国から「天空の駅」を訪れた感想がつづられている。20年近くノートを管理しているのは地元在住の松島喜久恵さん。 「宇都井駅ができる時は、大工さんのお手伝いで材料を担ぎに通ったりしたものです。鉄道ができて、町に出るのは本当に便利になりました」  今も月に数回、電動カートで15分ほどかけて駅に行く。列車を利用して、近くの温泉にも足を運ぶ。 「手すりがありますから、ホームに行くのは大丈夫ですよ」  三江線は山陰線の江津(ごうつ)駅(島根県江津市)から江の川沿いに中国山地を縫い、広島北部の主要都市・三次(みよし)市にある芸備線三次駅までを結ぶ。43年前に全通した比較的新しい路線だが、運営するJR西日本は2016年9月、全線を18年4月1日に廃止すると沿線の6市町に表明した。理由は、利用客の著しい減少だ。16年度の平均通過人員(1日1キロ当たりの利用客数)は83人とJR西日本発足時の1987年から約6分の1に。宇都井駅の1日の乗客数はここ数年0~1人。都市部のような高架駅にしてはあまりに寂しい。  島根と広島を結ぶ路線敷設の運動は明治中期からあり、26年に着工、37年に江津~浜原(島根県美郷(みさと)町)間が開業。戦争を挟んで三次から口羽(島根県邑南町)までが63年に開通、75年に浜原~口羽間が開通した。だがその時、すでに地域輸送の足は自動車に移行。三江線最大の乗客数だった石見(いわみ)川本駅(島根県川本町)は1日当たりの乗降客数が68年の約3千人からわずか3年で1868人と4割以上減った。期待された薪炭などの産品を山陽線ルートで運ぶ貨物輸送も、島根から広島までを結ぶ定期の優等列車も走らなかった。山の斜面を切り開いた部分が多く、落石や倒木があっても安全に止まれるよう厳しい速度制限がつく。91年には沿線を走る浜田道が全通し、自動車との差はますます広がっていった。  モータリゼーションの波は、60年代にはすでに予想できたはずだ。全通の1年後、76年2月2日の朝日新聞は三江線について「将来とも、黒字に転換する見込みは、まず、ない」と断言し、それでも全通した理由を「鉄道関係に影響力を持つ代議士に恵まれて」とする沿線住民の声を紹介した。口羽駅近くに立つ「全通記念」石碑の揮毫(きごう)者は元運輸大臣の大橋武夫氏。浜原駅の石碑の揮毫者は細田博之元官房長官の父である同じく元運輸大臣の細田吉蔵氏だ。 「父祖3代の悲願の路線」を地元もJR西日本もむげに扱ってきたわけではない。地元の踊り「神楽」にちなんだラッピング列車を走らせ、全35駅に神楽にちなんだ愛称をつけた。11年からは回数券購入費補助などの利用促進事業にも取り組んだが、利用客を上向かせるには至らなかった。廃止を前に、観光客や地元住民で車内がいっぱいになりダイヤにない臨時列車が走ることも。廃止の2週間前には直通列車を1往復増やすダイヤ改定まである。だが利用促進に携わった自治体関係者は「いまさら……」と心中複雑だ。  午後5時半すぎ。沿線に広がる川本町の中心駅、石見川本駅に近くの高校からパラパラと高校生が集まってきた。スクールバスがメインとはいえ、今も鉄道は通学の主要手段だ。高3の女子生徒は、約40分かけて自宅最寄り駅まで向かう。 「スクールバスだとちょうどいい時間に走っていないんです」  車内でウノを始める女子生徒もいた。  駅についた列車から、2歳の子が祖父母に連れられ降りてきた。鉄道好きで、家に帰るときはいつも列車に乗る。鉄道は、いつもそんな交通弱者のために開かれた存在だった。その役割は、果たしてどこに受け継がれるのだろうか。(朝日新聞出版・福井洋平) ※AERA 2018年2月19日号
鉄道
AERA 2018/02/16 11:30
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