検索結果1730件中 1201 1220 件を表示中

「有働由美子さんのまぶし過ぎる明るい“野心”」矢部万紀子
矢部万紀子 矢部万紀子
「有働由美子さんのまぶし過ぎる明るい“野心”」矢部万紀子
矢部万紀子(やべまきこ)1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年に朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』 「NEWS ZERO」のメーンキャスターとなる有働由美子さん(c)朝日新聞社  有働由美子さんのことを考える時、どうしても思い出してしまう光景がある。  昨年10月の「あさイチ」だった。その日は「金曜プレミアムトーク」で、ゲストが伊東四朗さん。伊東さんは江戸っ子らしく「ひ」と「し」を混同させつつ、楽しそうに「喜劇」について話していた。    正確な記憶でないが、確か「しん」という言葉が伊東さんから出た。「笑いには『しん』が必要」というような文脈で。前後の関係から「品(ひん)」のことだと私は思った。が、有働さんは「芯」と理解した。「笑いに必要な『芯』とは何か」と深掘りを試みた。が、伊東さんはあまり乗らず、ちょっとチグハグな空気が流れた。でも有働さんはためらわない。話が他にいった後に、又「さっきの芯ですが」と戻ったりた。 「笑いには品が必要」なら、何にでも品は必要だから、その通りですねで終わってしまう。が、「芯が必要」なら芯とは何か、必要な理由など、話が膨らみ、そこから伊東さんがもっと浮き彫りになる。元新聞記者としては、よくわかった。  が、わかった上で、有働さんの前のめりな感じに、ちょっとたじろいだ。「私はその一言を見逃さなーい」という意欲が伝わり過ぎた。「まっすぐな野心」という言葉が浮かび、隠さないんだな、と思った。  そうこうするうちに有働さんは「あさイチ」の司会を終えて、NHKを退社した。マツコデラックスさんらの所属する芸能事務所に入ったと話題になり、6月2日に日本テレビに民放初出演した。「日本テレビ+ルーヴル美術館『その顔が見たい!』」という番組だったので、日テレなどが主催する「ルーヴル美術館展」を紹介する番組の司会かと思ったら、有働さんの顔や年齢を話題にするバラエティー番組だった。  その4日後、有働さんが10月から日テレの報道番組「NEWS ZERO」のメーンキャスターになると発表されたから、あれは顔見世興行だったのね、と納得した。  有働さん、順風満帆だ。NHKを辞めて半年での大抜擢。いや抜擢ではない、数字を持っている有働さんに、低迷気味の「NEWS ZERO」が頼ったという報道もあった。  5月1日発売の著書 『ウドウロク』(新潮文庫)も、すごく売れている。このところ、地下鉄に乗るたびに、この本の中吊り広告を見かける。真っ白な歯で、ニッコリ笑う有働さん。「50歳目前の『人生で一番悩んだ』決断。その真相と本心を初めて綴る」と笑顔の下のキャッチコピー。 読んでみた。4年前に出た本の文庫化だから、NHKを辞めた話は「文庫版あとがき」に短く書いてあるだけだった。 「あさイチ」は大切な番組だが、入社27年になるから、そろそろ若手にバトンタッチしなくてはならない。そう思う一方で「いつまでも現役で、現場にいたい」という「仕事の虫」の自分がいる。このエゴは、組織の中では通らないという結論に達した(から辞めた)とあった。わかるけど、案外あっさり。そんな説明だった。 それより、この本を読んで実感したのは、有働さんは「ライフとワークをバランスさせようなんて、夢にも思わず働いてきた人なんだなー」ということだ。 『ウドウロク』には、恋愛の話がたくさん出てくる。好きだった人に言われて傷ついた言葉、一緒に住みたいと言われた話、結婚したくてお見合いをしまくった話もある。見かけも心も素晴らしい人に出会った。結婚を前提にした交際を求められたが、素敵すぎて釣り合わないと思い、断ったという「自慢なのか?」な話もあった。  それは「ライフ」の充実を目指す姿ではないか、十分にライフとワークをバランスさせようとしているではないか、と思われる方も多いと思う。が、違うのだ。  有働さんは1991年にNHKに入った。時はまだバブル。好きな男性に「男社会で長く生きすぎ」と言われたと『ウドウロク』にあったが、組織に認められるべく、懸命に生きてきたことは至る所から伝わってきた。  恋愛はする。当然だ。人間だもの。でもその先に「ワークとバランスさせるべき、ライフの充実」があるとは、全く考えなかったと思う。ワーク優先というか、人生すなわちワークで、恋愛は「人間部門」の余技くらいな気持ちだったろう。  その証拠に、恋愛を書く有働さんは自虐的だ。だめんずだと自分を笑っている。仕事の話になると一転、ストレートだ。紅白歌合戦の司会に抜擢され、ニューヨーク特派員になり、あさイチを世に出した。どんなに努力し、結果を出したかをグイグイ書いている。 「美人でもない、きれいな声でもない」私、と繰り返し書いている。コンプレックスをもとに頑張る女子。働く女子なら、誰でも心当たりがある話だ。低い声だから可愛い仕草が似合わないと書き、ひとつだけよかったと思ったのは「低い声のほうがニュースが聞きやすい、と言われたことだ」とまとめていた。有働さんのすべての道は、仕事に通じる。 『ウドウロク』の本文冒頭は、「大人になってからの失恋」という文庫のための書き下ろしエッセイが載っている。「大人になってからの失恋は、孤独でいいと思う」と書き、恋をしている最中も孤独かもしれないと続ける。相手と完全に想いをシェアできないことがわかっている、そのくらい自分の“なにか”ができあがっている、と。そして、犬を飼ったと告白する。犬との暮らしは居心地が良すぎる、と。 「寿退社」などという憶測を一時書かれたことがあった。だが犬と暮らしているのだ。私にとってライフよりワークです。だからライフは、人でなく犬と共に。そう宣言している。  伊東四朗さんとの「プレミアムトーク」が像を結んだ。有働さんはもう、ライフはワークそのもので、バランスなんかさせない。そしてそのことを、隠さないことにしたのだ。「笑いに『芯』が必要」だ、いい話が聞けそうだ、だからそれを、ひたすら追いかける。正面から、グイグイと。仕事で成果をあげる。その意欲を、てらいなく外に出す。あの時、彼女はもう、とっくにその心境に至っていたということだ。 「文庫版はじめに」で有働さんは、このエッセイを書いていた40前後の自分を「結婚」「出産」というオンナとしての「結果」にこだわっていた、と振り返っていた。今の自分の心境については、「こうも変わるものか」と表現している。 「オンナ」の結果から、「仕事」の結果へ。犬と暮らし、10月からは「NEWS ZERO」のキャスターをする。きっと彼女はグイグイと、意欲をてらいなく見せて、成果をあげていこうとするだろう。  私は地下鉄で、『ウドウロク』の中吊り広告を見るたびに、ちょっと居心地が悪かった。有働さんの、まっすぐな笑顔。隠さない、明るい上昇志向。  隠してくれとは言わない。だけど、それがまぶし過ぎて、ちょっと居心地が悪くなるのだ。(文/矢部万紀子)
矢部万紀子
dot. 2018/06/11 11:30
おじさんも涙、アラサー女子あるあるが詰まった香港映画「29歳問題」
坂口さゆり 坂口さゆり
おじさんも涙、アラサー女子あるあるが詰まった香港映画「29歳問題」
彭秀慧/1975年、香港生まれ。香港で最も有名な舞台俳優で舞台演出家の一人。「29歳問題」は、2005年に自ら手がけ大成功した一人芝居「29+1」を映画化したもの(撮影/ザジフィルムズ/ポリゴンマジック提供) 「29歳問題」/対照的な人生を歩む二人のヒロインに共感してしまう人生応援物語。全国順次公開中 (c)2017 China 3D Digital Entertainment Limited  AERAで連載中の「いま観るシネマ」では、毎週、数多く公開されている映画の中から、いま観ておくべき作品の舞台裏を監督や演者に直接インタビューして紹介。「もう1本 おすすめDVD」では、あわせて観て欲しい1本をセレクトしています。 *  *  * ■いま観るシネマ  30歳になる前の揺れる女心――。多くの女性が抱える「あるある」な思いが詰まった映画「29歳問題」。キーレン・パン監督(43)が脚本、演出、主演した一人芝居「29+1」を自ら映画化した初監督作品だ。  主人公は美しく、日々努力してキャリアを積み、恋人もいるクリスティ(クリッシー・チャウ)。30歳を前に「上っていた階段から転げ落ち」、全てを失った彼女は、パリへ旅行中のティンロ(ジョイス・チェン)の部屋を借りることに。そこにあったティンロの日記を読むうちに、クリスティは次第に自分自身を取り戻していく。  パン監督はクリスティ同様、美しく聡明で多彩なキャリアの持ち主。彼女が29歳で書いた脚本だけに、てっきり自身の気持ちを描いたのかと思っていた。だが、 「私は当時舞台俳優でした。毎日劇団に通うのが楽しくて、30歳への恐れはありませんでした(笑)」  パリへの憧れ、部屋を借りる体験などは実体験だが、「もともと興味があった」この年齢の女心を掘り下げたと言う。  監督の転機はむしろアラフォー。舞台劇「29+1」が初演以後高く評価され再演を繰り返し、2013年には観客動員数がのべ4万6千人に上っていた。 「能力が尽き果てたと思いました。舞台を一度打ち止めにすることを決め、自分に問うたんです。本当は『何がやりたいのか』って」  映画化を決めたのはそんな時だ。映画では「観客がより物語を理解しやすいように」(パン監督)、主人公とは体形も性格も異なるもう一人のヒロインを登場させた。何もかも持っているようで幸せに見えないクリスティに対し、ぽっちゃり体形でいつも笑顔のティンロは小さなレコード店で働く。一見対照的な二人だが、映画を見ているうちに、二人は一人、どちらも「私」ではないか。そんな気持ちになってくる。  実は本作、アラサー女子の共感を呼んだだけではない。「私の前で涙を流す40代以上の男性もいて、私自身意外でした」とパン監督も驚くほど、男性客にも支持されたとか。誰もが自分の幸せを思い巡らせずにはいられない時代なのだろう。 ◎「29歳問題」 対照的な人生を歩む二人のヒロインに共感してしまう人生応援物語。全国順次公開中 ■もう1本 おすすめDVD 「花様年華」 「29歳問題」の舞台は2005年だが、至るところに1980~90年代の香港カルチャーの香りが充満している。  クリスティが友人のために、ティンロの働くレコード店で購入したのは、ウォン・カーウァイ監督のサインが入った映画「花様年華」のポスター。「恋する惑星」や「天使の涙」をはじめ、カーウァイと撮影のクリストファー・ドイルがタッグを組んだ作品は、香港映画のイメージを一気にモダンに変えた。 「花様年華」はそんな2人が放った大人向け恋愛映画。主人公は新聞社勤めのチャウ(トニー・レオン)と、商社の秘書チャン(マギー・チャン)。マギーとトニーという最高のキャスティングで見せる大人の、既婚者同士の愛の行方に自分の鼓動が聞こえるほど緊張しながら見たことを思い出す。マギーが次々にまとうチャイナドレスの美しさはため息の連続。年齢を重ねるとこんな艶やかな女性になれるのか。そんな幻想さえ抱かせてくれた。息詰まる男女の愛と圧倒的な映像美に酔う。 ◎「花様年華」 発売元:アスミック・エース 販売元:KADOKAWA 価格1500円+税/DVD発売中 (フリーランス記者・坂口さゆり) AERA 2018年6月11日号
AERA 2018/06/09 16:00
“カンヌ女優”唐田えりかが明かす 東出昌大の危なさ
福井しほ 福井しほ
“カンヌ女優”唐田えりかが明かす 東出昌大の危なさ
 マザー牧場出身の女優と聞いて、どんな女性が浮かぶだろう。純朴、天真爛漫、飾り気がない? 女優・唐田えりかは初めてヒロイン役を演じた映画でカンヌ行きの切符を手に入れたシンデレラガール。是枝作品が最高賞を受賞するなど、邦画史に残るカンヌに参加したばかりの唐田がAERA dot.のインタビューに応じた。 Kosuke Koyama / Asahi Pub  取材当日、スタッフの後ろからひょこっと姿を現した唐田は屈託ない笑顔を見せ、インタビュー中のくるくる変わる表情にはまだあどけなさが残る。映画で初ヒロインにして初カンヌという女優としてできすぎた一歩を踏み出したが、実は演技に苦手意識が強く、楽しいと思えなかったという。  しかし、今回の作品『寝ても覚めても』が一つの転機となる。濱口竜介監督や東出昌大らキャスト陣とのエピソードや忘れられない恩師との思い出、今回のカンヌでパルムドールを受賞した是枝作品への思いまでを語ってもらった。都会の街並みも、レッドカーペットもとびきり似合う20歳の女の子。唐田えりかの素顔に迫る。 * * * ――デビューのきっかけが、マザー牧場だったとか。  アルバイトをしていたんです。スカウトしていただいたのは高校2年生になる前で、子どもたちが遊ぶ広場の受付をしていました。田舎にいたので、アルバイトするならコンビニかファミレスかマザー牧場の3択。コンビニもファミレスも知り合いばっかりだけど、マザー牧場は近すぎて地元の人はあんまり行かないだろうって(笑)  その日、マスクをしていたんですけど、当時のマネージャーさんに「子どもと一緒に写真を撮ってください。せっかくだからマスクも取ってください」って話しかけられたんです。マネージャーさんはプライベートで来ていたから名刺も持っていなくて、急いで売店で牛のボールペンを買って、パンフレットか何かをちぎった紙に名前とかを書いて渡してくれました。 ――その後すぐに事務所に所属することが決まったんですか?  後日、地元のファミレスで私と母とマネージャーさんと3人で話しました。元々モデルになりたいと母に伝えていたので、芸能界には賛成してくれていました。でも、祖母は大反対。実はそれまでも東京に遊びに行ったとき、スカウトしていただいたこともありました。でも、名刺を家に置いていると「全部捨てなさい、芸能界なんて絶対ダメ」って。 ――今はどうですか?  一番のファンというか、一番うるさいです(笑)。雑誌や新聞も全部切り抜いて、私のファイルを作ってくれています。千葉県警の110番のポスターをやらせていただいたんですけど、そのポスターがリビングにドンと貼ってあって、めっちゃ恥ずかしい(笑)。恥ずかしいからやめてよ、ってたまに喧嘩になります(笑)。 ――でも、自慢したくなっちゃう気持ちも分かります。  初めてのCMが決まったとき、祖父もそのCMのサービスに登録してくれたんですけど、電話相手に私の話をずっとするんです!「孫が出ているから登録するよ」って。相手の方もびっくりしちゃいますよね(笑)。 小学生時代から事務所をリサーチ!完璧だったはずなのに… Kosuke Koyama / Asahi Pub ――モデルになりたかったのには理由があったんですか?  姉の影響で小学生のときに『Seventeen』を読んでいて、桐谷美玲さんや榮倉奈々さんがすごく好きでした。同じ人なのにかっこよかったり、可愛かったり全然違う人になっている。そういうのを見て、モデルに憧れるようになりました。 ――それで、今の事務所(FLaMme)に?  小学生の頃からどの事務所が良いかずっと調べていました。所属するなら、有名な人がたくさんいて、でも少数で埋もれないところって考えていました(笑)。色んなところに声をかけていただいていたんですけど、「ここじゃないな」って思ったりもしていました。でも、応募するまでの勇気は持てなくて……。スカウトされたとき、実はフラームのことは知らなかったんです。調べてみたら有名な人がたくさんいて、それでいて少数。「ここだ!」って思いました。  ただ、一つ気づいていなかったことも。演技レッスンを受け始めて、「あれ、もしかして女優さんの事務所だった…?」って。リサーチは完璧だったはずなのに、そこだけちょっとぬけていたんです(笑)。なので、モデルをやりたい気持ちとのギャップで苦しい時期もありました。でも、今はこの事務所に入れて良かったなって思っています。 ――元々はモデルがやりたかったけど、演技のお仕事をしてみてどうですか?  苦手意識が強くて、『寝ても覚めても』に出会うまでは全然楽しいと思えませんでした。でも、この作品をやってからやっと前向きになれました。まだ、「楽しい」って思えるところには達していないけれど、そこに達したいから頑張りたいというか。もっと演技を知りたいなって向上心が出た作品。「出会っていなかったらどうなっていたんだろう」っていうくらい特別です。  撮影に入るまでに2カ月くらい準備期間があって、その間に監督や東出さん、他のキャストの皆さんとコミュニケーションをたくさんとっていました。東出さんはみんなをご飯に誘ってくださったり、関係性を作るためにタメ口で話そうって言ってくださったり。 Kosuke Koyama / Asahi Pub ――今は、雑誌『MORE』で専属モデル、『mini』で連載も。  最初は何となく「写真のお仕事が楽しいです」、「モデルさんに興味があります」って伝えていたんです。でも、演技レッスンを受けていく中で、モデルになりたいということを言いづらくなってしまった時期もありました。そのまま1年くらい経ったときに、「モデルをやりたいです」、「好きな韓国と関わることがしたいです」って自分の気持ちを言おうと思えるようになりました。  気持ちを伝えるようにしていたら、お仕事で関わらせていただく機会も増えていって、今は韓国の事務所(BHエンターテインメント)にも所属させていただいています。きっかけは1年くらい前に同じ事務所のハン・ヒョジュさんという方の主演ドラマの現場見学に連れて行っていただいたこと。そのとき、向こうの事務所の方にお会いして、そこから気にかけてくださっていて。「韓国で何か撮影ができたらな」くらいの気持ちだったので、まさか所属までできるなんてとびっくりしました。  実は、所属が決まったのは『寝ても覚めても』の撮影期間中。でも、私を興奮させないためにマネージャーさんは黙ってくれていたんです。クランクアップの夜に2人でカフェに行って、「韓国の所属とCMも決まったよ」って言われて。すごく興奮しちゃったので、撮影中に聞かなくて良かったって思いました(笑)。 『寝ても覚めても』キャストは超仲良し瀬戸康史の得意なモノマネは? ――所属とCMが同時に!芸能界で友達はできましたか? 『寝ても覚めても』のみんなはすっごい仲が良くて、月に3回くらい集まることもあります。一度集まったら朝までいる。瀬戸(康史)くんはよくライングループにモノマネをボイスメッセージで入れてくるんです(笑)。ちょうど昨日もそれがきて、撮影現場にいたのか、すごく小声で頑張って録音したモノマネが届きました。なかなか聞き取れなくて、台風中継のときみたいになっていました(笑) ――結局誰のモノマネだったんですか?  平泉成さんです!「おぉ、元気かぁ。(カンヌから)帰ってきたかぁ」って(笑)。めちゃくちゃ似てました。ドナルドのモノマネとかもうまいし、芸達者というか。 ――今回、映画初ヒロインで、初カンヌ。いかがでしたか?  映画祭自体も初めてで、ずっと実感がありませんでした。帰国して、写真を見返してやっと「行ってきたんだなぁ」と。でも、まだ夢見心地な感じです。  日にちもしっかり覚えているんですけど、出品が分かったのが4月12日でした。東出さんはスタッフさんたちと撮影前から「カンヌ行けたらいいな」って話してたみたいなんですけど、それを全然知らなくて! 私は編集段階のときに初めて「カンヌ行けたらいいね」って聞いたんです。  そこから「カンヌ、もしかしたら行けるのかな?」ってずっとドキドキしていました。発表の日までずっとマネージャーさんに連絡していました。「まだ?まだ?」って。気になりすぎて、夜も2時間おきくらいに起きていたんです。発表の日もちょうど5時くらいに目が覚めて、そのときに連絡を受けました。もう、鳥肌がぶわぁって。すぐに家族と『寝ても覚めても』のグループラインとプロデューサーさんに連絡したのに、朝早すぎて誰からも返信がこなかったです(笑)。 photo by FLaMme ――レッドカーペットはどうでしたか? 緊張しました?  それが、意外と緊張はしなくて。でも、ヒールをドレスに引っかけてしまって、階段のところで動けなくなってしまったんです。隣にいた濱口監督と東出さんが助けてくれました。2人とも「唐ちゃんらしくていいんじゃない?」って言ってくれて。地元の友達からも「さすがえりか」、「海外行っても変わらないね」って連絡がありました(笑)。 ――唐田さん演じる朝子は普段穏やかなのに、時々すごく情熱的です。演じていて難しさはありましたか?  難しいと思うことは不思議と一つもなかったんです。撮影が始まってすぐ、監督から「何も考えなくていいから、ただ周りの人に頼ってください」って声をかけてもらいました。「周りの方の演技を見ること。見ることができないときは、ちゃんと聞くこと」という監督の言葉を意識していたら、自然と難しいなと思うことがなかったです。  演技に苦手意識があるということも、最初に隠さず伝えていました。それをふまえて、みんなが包み込んでくれたんです。撮影に入るときには自然と不安がなくなっていて、それこそ「やっと撮影だ!」という感じでした。 ――朝子とリンクするところはありますか?  初めて脚本を読んだときから、自分のこととして読めていました。朝子と私は別人なんですけど、すごく似ているなと感じています。朝子の直感で動いてしまうところや嘘がないところ、友達といるときの佇まいが自分っぽいなって。 ――朝子が恋をする麦と亮平を演じるのは東出さんです。一つの作品で同じ人が演じる、違う相手に恋をするってなかなかないですよね。  どっちも東出さんなのに、麦と亮平は全然違うんです。麦といるときの私は不安でいっぱい。でも、亮平のときは安心感があって、頼ってしまう。そう感じさせてくれた東出さんって本当にすごいです。 ――カメラが回っていないときもそうなんですか?  東出さんは東出さんなんですけど、麦のときはちょっと怖かったかも。人のことをじっと観察するようなときがありました。一緒のシーンを撮っていた伊藤沙莉と「東出さんってめっちゃ人のこと見るよね?」、「そのときに目を合わせると、ちょっと怖くない?」とか話してました(笑)。見られていることは気づいているけど、それに目を合わせられないというか。そういう危なさ、怖さはありましたね。 Kosuke Koyama / Asahi Pub ――麦と亮平、現実にいたとしたらどっちと付き合いたい?  絶対亮平です!麦の危なっかしさ、ミステリアスな感じに惹かれちゃうのもわかりますけど、引っかかったらダメだなって。危ない(笑)。 ――朝子はずっと麦の面影を求めていましたが、唐田さんにとって忘れられない人や思い出はありますか?  中学校のときにすごく仲良くしていただいていた先生がいて、卒業しても私の親友2人と先生2人の5人でご飯によく行っていたんです。すごく仲が良かったんですけど、『寝ても覚めても』の撮影中に一人の先生が亡くなってしまいました。まだちゃんと挨拶に行けていなくて、お葬式にも出られませんでした。年上なのに、一緒の立場になっていつも笑わせてくれるような先生でした。「女優紹介してよ」とかふざけて言うんですけど、すごく応援してくれていました。だから、映画を観てほしかったなというのもありますね。でも、ずっと見守ってくれている感じというか、近くにいてくれているような気がしています。 是枝監督『万引き家族』への本音 ―――カンヌでは是枝裕和監督が最高賞をとられました。どう受け止めましたか? 『万引き家族』は試写で見ていたんですけど、見終わった後、率直に「すごいな」って思いました。うまく言えないけれど、すごかった。マネージャーさんと「何か賞をとりそうだね」って話してはいたんですけど、結果発表を見て、「とったんだ……。しかも、パルムドールじゃん!」って。しかも日本からは21年ぶりの快挙。受賞を聞いて、また「すごい」って思いました。悔しい気持ちというよりも、私もまたカンヌに行って、賞をとりたい気持ちが強いです。あれ、これだと悔しいになるのかな? ――結果発表の瞬間も起きて待っていたんですか?  完全に寝てました(笑)。カンヌから帰ってきて、丸一日寝ているようなときだったので、寝惚けながら「パルムドールじゃん……。えっ? パルムドール!?」ってびっくりしました。今回カンヌに行って、「濱口監督にもいつか賞をとってほしい」、「濱口さんならとれる」って夢を見ていた気がします。私もそういう作品に出て、また行きたいです。 ――プライベートでハマっていることはありますか?  フィルムカメラにずっとハマっていて、インスタグラムもフィルムで撮ったものを載せたりしています。それと、銭湯も好き。一人で行って、湯船を四往復くらいしています。他にはホットヨガをしたり、友達と遊んだり、ひたすら寝たり。 Kosuke Koyama / Asahi Pub ――カメラはカンヌにも持って行ったんですか?  持って行きました。フィルムを3本くらい使い切っちゃいました。でも、『寝ても覚めても』の撮影期間中は1カ月で14本使っていたんです。キャストの皆さんやスタッフさん、風景ってなんでも撮っていました。たくさん撮ったから共有したくなって、撮影が終わってからキャスト、監督、プロデューサーさんたちにアルバムを作ってプレゼントしました。めちゃくちゃ喜んでくれて、撮ってて良かったって思いました。  写真は撮るのも撮られるのも好きで、ファッション誌も全部チェックしています。モデルさんを見ながら表情やポージングも研究するけど、「この写真良い!」って思ったらカメラマンさんもチェックします。素敵だなって思う写真を撮っている人が同じカメラマンさんのこともあるし、「この人と仕事ができるようにしよう」って頑張れるきっかけになったり。 ――全誌チェックはすごい! 洋服を買うのも好きですか?  買うのも、見るのも好きです。「いいな」って思うのは、ちょっと高くても、悩むけど買っちゃいます。月3着くらいは買います。後、先輩の有村架純さんにもお洋服をいただいたり。すごく優しくしていただいています。 Kosuke Koyama / Asahi Pub ――目標の女優さんはいますか?  好きな方はたくさんいます。でも、誰かこの人がというわけではなくて、好きな人たちの素敵な部分を盗みたい。ずっと、どうして自分は特定の人がいないんだろうって思っていました。でも、ある番組で山崎賢人さんが同じことを言っていて、それがすごくしっくりきた。番組で山崎さんは「俺はその人じゃないし、その人になれるわけじゃないから憧れみたいなものはない」って話していて、私もそんな感じだなって。やっと自分の気持ちに納得できたんです。 ――今、お仕事もめちゃくちゃ楽しそう。  はい! 今は頑張りたいっていう気持ちがすごく強いですね。 ――今後やってみたいお仕事は?  なんでもやりたいんですけど、映画が一番やりたいです。『寝ても覚めても』が特別すぎて、こういう作品にまた出会いたい。 ――次も恋愛映画がいいですか?  恋愛映画も好きですね。そのときに恋愛できるから(笑)。それと、女子校だったので、女の子のさわやかな青春モノにも挑戦してみたいです。(聞き手/AERA dot.編集部・福井しほ) ■唐田えりかさんからのメッセージはこちら! Erika Karata / Asahi Pub check the movie! (c)2018映画「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS  9月1日(土)、テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷シネクイントほか全国公開!
dot. 2018/06/08 11:30
北原みのり「“サブカル”に隠された暴力」
北原みのり 北原みのり
北原みのり「“サブカル”に隠された暴力」
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表 女にとっての90年代(※写真はイメージ)  作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、「女にとっての90年代」について。 *  *  *  作家の雨宮処凛さん『「女子」という呪い』の出版イベントで、雨宮さんと田房永子さんと私でフェミについて語る機会があった。  90年代、ゴスロリファッションで愛国する雨宮さんは衝撃的だった。リストカットや自殺未遂の体験を語り、生きにくさを抱える若者たちに言葉を届けてきた彼女だが、今回は、初めてフェミ的な視線を意識した本になったという。  フェミニズムとは何か。雨宮さんの本を読んで、改めて考えさせられた。というのも、『「女子」という呪い』には驚くほど、死者が登場するから。10代で自殺した従姉妹、AV女優の井島ちづるさん、作家の雨宮まみさん、電通社員高橋まつりさん……。彼女たちの死を、雨宮さんは「もしかしたら私もだったかもしれない」という目線から描く。なぜなら彼女たちの死は決して、ジェンダーと無関係ではないから。いやむしろ性差別そのものの結果かもしれないのだから。  イベント後に食事をしながら、90年代って女にとって何だったの?という話をした。雨宮さんと田房さんは90年代に青春を過ごした世代だ。私は雨宮さんより4歳年上で、あの時代、俯瞰するように彼女たちを見ていた。エンコー世代と言われ、遊ぶ金ほしさに“自由意思”でセックスを売り“性的自己決定”を行使しているかのように大人たちが不用意に持ち上げるのを、見ていた。“サブカル”の文脈で、女性への暴力を極限まで表現する“作品”がAVとして発売され、リベラル言論人やフェミが高評価するのを見ていた。  私はただ、見ていた。でも、あの時、10代の女性たちにとっては地獄だったかもしれない。女として生きる上で、この社会に居場所などあるのだろうか。生き抜くためのリスカ、生き抜くためのAV、生き抜くための自虐や冷笑。女であることの痛みに目を閉じ、男と同じように女を食い物にする側にたつことも、女の子たちのサバイブ方法だったのかもしれない。それが自分をいつか殺すかもしれないとわかっていながら。  90年代が少しずつ遠くなる今、改めてあの時代のこと、フェミの問題として考えなければいけないと思った。考えてみれば91年は「慰安婦」問題が「問題」になった年でもある。この国の「性」の問題が剥き出しになった90年代に、私たちは何を置いてきてしまっているのだろう。  様々な話をしながら最後、90年代の産物は、暴力的なロリコン表現をここまで野放しにしてしまったことなのではないかという結論になった。実際に乗っている方には本当に申し訳ないが、ネットでは数年前から「ハイエース」という隠語がある。幼女を誘拐し暴行することを表す。書店の広告などにも、車名がそのまま掲載されていたりする。こういう「遊び」は恐らく氷山の一角なのだろう。幼女への暴力を何かゲームのように、まるで必要な娯楽表現として消費するのは、文化でもなんでもない。ただの暴力だ。どうせネット上の戯言、どうせ少数のお遊び……として放置してきたものが、実は大きな闇となって多くの女たちをのみ込んできている。その事実に向き合うことでしか、私たちは変われないのではないか。 ※週刊朝日 2018年6月8日号
北原みのり
週刊朝日 2018/06/02 16:00
世界から後れをとる日本の性教育 「寝た子を起こすな的なクレーム」も
世界から後れをとる日本の性教育 「寝た子を起こすな的なクレーム」も
現在使われている小学校、中学校、高校の保健体育の教科書。昭和のものより、表紙からして明るい(撮影/写真部・小山幸佑) 裸だったイラストが、体操服を着用したイラストに変わった教科書も。『教科書にみる世界の性教育』(橋本紀子、池谷壽夫、田代美江子編著、かもがわ出版)から(撮影/写真部・片山菜緒子) 世界では何を教えている?(AERA 2018年5月28日号より)  過去の教科書を読み倒し、学校での性教育の変遷を徹底調査した。見えてきたのは、バッシングが起きるたびに萎縮し、世界と比べて大きく遅れる性教育の現場だ。 *  *  *  体操する人の抽象画を配したデザイン。オレンジ色の表紙のフチがこすれて、白っぽくなっているところまで見覚えがある。そう、これぞ自分が中学校のときに使っていた、保健体育の教科書で間違いない。  過去のさまざまな教科書を閲覧できる教科書図書館(東京都江東区)での、四十数年ぶりの再会だった。試しに同年代のほかの教科の教科書もチェックしてみたが、見覚えのある表紙は皆無。どうやら中学生の自分は、保健体育の教科書だけ、やたら念入りに読んでいたみたい。きゃー。  それにしてもなんで今、古い保健体育の教科書なんてめくっているのか。今回編集部から与えられたミッションは、歴代の保健体育の教科書の読み倒し。教科書から見える、学校での性教育の変遷を「調べてみて」というお題を与えられたからだ。  学校時代に受けた性教育について、覚えてないか、覚えていても、物足りなさを感じている人は多い。アエラネットでのアンケートでも、自身や子どもが学校で受けた性教育について、こんな回答が寄せられた。 「小4のときに、女子男子別々に生理の話などを聞いた。セックスについてや、若年でも子どもができることなどは一切触れず」(47歳・女性)、「高校でやったが、内容は忘れました」(50歳・女性)、「小5で雄しべと雌しべに例えて、子どもができる仕組みを教わった。性行為などは登場せず、当たり障りのない内容」(38歳・男性)などなど。  また、「1986年生まれの息子が小1のとき、保健の先生が人形を使って、出産について解説。寝た子を起こすな的なクレームがあったと聞いた」(60歳・女性)、「80年代後半の高校時代、セックスの過程を説明する米国の性教育ビデオを見せられた。生々しくて気分が悪くなる女子が続出」(47歳・女性)など、チャレンジングな性教育の試みが引き起こした騒動を語る人も少なくなかった。 「今なら絶対、問題になっていると思うけど」  そう前置きして、小学校の保健体育を振り返るのは、専門学校に通う女子大生(19)だ。 「男女の身体の違いを描いたイラストを黒板に貼ったところ、教室はやんややんやの大盛り上がりに。先生が興奮している1人の男子をつかまえて、『落ち着かないと、服を脱いでモデルになってもらいますよ』と言って、一気にシーンとなった」  そうそう。「今なら問題になる」で思い出した。自分(50代・女性)にも、中学での男女別の性教育の授業のあと、生理のことをオザワくんという男子にからかわれた思い出が。「そんなに興味があるなら」とオザワくんのカバンに、女子みんなで、配られた生理用ナプキンをごっそりイン。オザワくんはカバンを開けたとたん、驚いて泣き出してしまった。ごめんね。  そんなことより、ミッションだ。まずは自分が使っていた70年代の中学の保健体育の教科書から年代順に見ていくと、性教育に関わる部分が大きく変わっていることがわかる。だいたいページ数からして違う。70年代は思春期の身体の変化などを、文字だけであっさり2~3ページで紹介するだけの教科書が多い。それが80年代になると図版も増えて、ページ数も倍増していく。  2000年代に入る頃にはカラー化、大判化の波が、保健体育の教科書にも押し寄せるように。巻頭グラビアで生命誕生の様子がカラーで紹介されたり、生殖器の様子をカラーイラストで詳細に解説したり。何だかんだで10ページ近くを割く教科書もあった。  そして現在。例えば、多くの学校で採択されている保健体育の教科書「新・中学保健体育」(学研)は、こんな感じ。「心身の発達と心の健康」という第1章では、内臓の発達などとともに、生殖機能の発達を紹介。女子の排卵や月経、受精、着床などの仕組み、男子の射精の仕組みなどが、カラーイラスト入りで解説されている。  またこうした理系の情報のほか、性との向き合い方を説いたページも用意。「インターネットなどで調べ物をしているときにも、性に関する言葉ばかり探してしまう」などの悩みがイラスト付きで紹介されたり、欄外の豆知識的な情報として、「デートDV」なんていう言葉も見える。  とまあ、こうして中学の保健体育の教科書を例に早足で見ていくと、学校の性教育は大きく進歩したかのように見える。  でもちょっと待って。よく見ると、顕微鏡レベルの受精の仕組みは紹介されていても、そこに至るまでのセックスについての話が、ほとんど見当たらないんですけど。学校の性教育は、前進してきたわけではないんですか? 「たしかに中学の教科書でも、性教育に当たるページ数は増えているのですが……」  解説してくれたのは、女子栄養大学非常勤講師で、保健学博士の茂木輝順さんだ。戦前から現在までの日本の性教育を研究し、特に戦後の性教育については、保健体育など歴代の学校の教科書をヒントに、その歴史を追っている。 「性教育のブームが起きたり、反対にバッシングが起こったりして、そのたびに盛り上がりや停滞を繰り返しています。今は00年代前半から始まった性教育バッシングが尾を引き、長い停滞期に入っているところですね」(同)  昭和の時代から、てっきり前進あるのみかと思っていた学校の性教育。でも実際は前進と後退を繰り返し、教科書で一時は解禁されたものの、その後使われなくなった用語なども少なくないという。「ペニス」や「ワギナ(ヴァギナ)」、そして「性交」などの言葉もそれだ。  まずはここでざっと、日本の性教育の歴史をおさらいしておこう。茂木の著書『性教育の歴史を尋ねる~戦前編~』によると、「性教育」なる用語が使われるようになったのは大正時代以降。それ以前の明治期は、代わりに「性育」とか「色情教育」「性欲教育」「性的教育」など、いま見るとかえってなまめかしい言葉が、性教育の意味で使われていたらしい。 「戦後も70年頃まで、性教育とほぼ同義の『純潔教育』という言葉がよく使われていました。私が学生だった20年ほど前まで、性教育と言わず、純潔教育と言う年配の研究者もけっこういましたね」  そんな純潔教育が花盛りだった終戦直後、GHQの指導などで、性教育ブームの第一波がやってくる。49年、中学の保健体育に、性に関する内容をまとめた「成熟期への到達」という単元が登場したのだ。  成熟期に起こる身体の変化や受精についてなどを丁寧に説明した厚めの資料も作られ、ここに日本の性教育が花開くと思われた。ところが、だ。学校の現場ではなかなか定着せず、52年には「成熟期への到達」の内容も簡略化。日本は早くも、性教育の低迷期に入っていった。 「次に本格的な性教育ブームが来るのは70年代前半です。女性運動の高まりなどを背景に、科学に基づく性教育ブームが始まった。高校の保健体育の教科書に、避妊が登場するのもこの頃でした」  80年代後半になると、今度はHIVの感染拡大をきっかけに、性教育の重要性が叫ばれるように。続いて空前の性教育ブームが起こり、「性教育元年」の異名を持つ92年がやってくる。小学校の理科でも生命の誕生を学ぶようになり、小学校で初めて保健の教科書が使われ始めた。  前出のペニス、ワギナなどの用語が教科書に見られるようになるのも「元年」の前後。ところが00年以降になると、今度は過熱した性教育ブームに逆風が吹き始める。ピルの使い方などを紹介した中学生向けの教材「思春期のためのラブ&ボディBOOK」や、東京都立の養護学校(当時)でおこなわれた人形を使った性教育の授業が国会や都議会でやり玉に。  ネガティブな“陰”の字が使われることの多い日本語の性器の表現にかわり、教科書で広まっていたペニスやワギナなどの外来用語も、03年度の教科書検定で「学術用語ではない」という物言いがつき、小学校のすべての教科書が削除。06年には中学校、07年には高校の保健体育の教科書からも、姿を消した。  またセックスを意味する「性交」という言葉も、同じ頃の検定でなぜか「性的接触」と言い換えられるようになり、12年に一部教科書で使われたあとは中学の保健体育の教科書から消えたという。  その「性的接触」にしても、指導要領に「妊娠の経過は取り扱わないものとする」と書かれている中学の教科書では、ほとんど説明がない状況だ。  例えば現在、中学校の学習指導要領では、性感染症の予防について「性的接触をしないこと、コンドームが有効であることにも触れるように」と明記されているが、教科書には、性的接触とは何かについてそもそもの説明はなし。またコンドームは出てきても使い方やつけ方の説明もないという。  そんななか今年3月には足立区の中学校で、高校で取り扱うことになっている避妊や人工妊娠中絶に触れる授業が行われたことが都議会で批判され、ニュースにもなった。 「世界の学校での性教育と比べても大きく遅れているうえ、現場が萎縮して、さらに日本の性教育が歪んでいくのではないか心配です」  と茂木さんも話す。  意外にも昭和の「うれし恥ずかし」キャラを、この時代になってもキープしていた学校の性教育。保健体育の授業にはしゃぎすぎて女子に報復される「オザワの悲劇」、ノーモア!(ライター・福光恵) ※AERA 2018年5月28日号
AERA 2018/05/28 07:00
大坂なおみ、シード選手として全仏上位進出へ ! 「仲良くない」クレー克服がカギ
大坂なおみ、シード選手として全仏上位進出へ ! 「仲良くない」クレー克服がカギ
苦手のクレーコートで真価が問われる大坂なおみ (c)朝日新聞社   クレーコートシーズンは楽しみ――?  その問いに彼女は、目を見開いて口角を上げると「ノー!」と小さく抗議の声を出した。クレーコートは足元が滑りやすく、しかも滑ったかと思えば時折足が土に突き掛かり、転びそうになることが多いと言う。バウンド後に球速が落ちるため、彼女の武器である高速サーブの優位性も薄れがちだ。 「クレーとは、まだあんまり仲良くなれていないの」  大坂なおみは、自身と赤土の関係性をそのような言葉で表現した。  それら多少の苦手意識が、好不調時の振れ幅を増大させるのだろうか。今季の大坂の赤土での戦績は、やや両極端なものとなっている。先週のイタリア国際では、初戦で元世界1位のビクトリア・アザレンカを6-0、6-3で圧倒したかと思えば、その2日後のシモナ・ハレプ戦では12ゲームを連続で失う1-6、0-6の完敗を喫した。  イレギュラーや、天候によるコンディションの変化が大きな赤土の上では、不測の事態にも揺らがぬ精神面の強さが求められる。ハレプ戦後の大坂は「普段なら入るボールがどういう訳か入らなく、何をしたら良いか分からなくなった」と言い、「今季そのように感じたのは、この試合が初めてだった」とも加えた。心身の安定が今季の大坂の躍進を支える最大の要因ではあるが、足元の安定せぬ赤土では、その真価がさらに試されると言える。  今年の全仏オープンは、20歳の大坂が初めて“シード選手”として挑むグランドスラムである。3月のBNPパリバ・オープンの優勝により、大坂のランキングは21位まで上昇。その結果獲得した今大会の第21シードの地位は、3回戦までは自分より上位の選手と当たらないドローの位置づけを約束するものだ。実際、今大会の大坂が初戦で対戦するのは92位の米国人選手。その数字だけを見れば、大坂の圧倒的優勢が予想されるだろう。  ただ大坂と対戦する19歳のソフィア・ケニンは、ここ最近の女子テニスで最も勢いのある若手選手の一人である。昨年9月の全米オープンで3回戦まで勝ち上がり、今年3月にトップ100入りを果たしたばかり。国籍は米国だが出身はロシアで、周囲や本人の自己評価は「努力を惜しまず、どんな状況でも必死に戦うファイティングスピリッツの持ち主」というものだ。  その強い上昇志向の持ち主が、初戦で“次期女王候補”と目される上位選手と対戦するのである。失う物のない強みも加味され、一層危険な存在となるのは間違いない。ちなみに両者は同じアカデミーを拠点としたこともあり、かつては共に練習もした間柄だ。公式戦での対戦はツアー下部大会での一度だけで、その時はケニンが勝利。今から4年前……大坂が16歳、ケニンが15歳の時のことである。  追われる者の苦しみは、成長過程で必ず通らなくてはならない、ある種の通過儀礼でもあるだろう。初のシード選手として、グランドスラムでは初となる年少者との対戦――それらがもたらす重圧を「仲良くない」クレーで乗り越えた時、大坂なおみの上位進出への道は大きく開けるはずだ。(文・内田暁)
dot. 2018/05/26 16:00
人に聞けない息子の「皮被り」問題 医師の回答は?
人に聞けない息子の「皮被り」問題 医師の回答は?
赤ちゃんのおちんちんが包茎なのは、全世界共通だ。宗教儀式や風習として乳児の包皮の一部を切除する、「割礼」を行う国や地域もある(撮影/編集部・常冨浩太郎)  最初は気軽に考えていたマユミさん(仮名)も、全身麻酔で意識を失った息子を見て、急に不安がこみ上げてきたという。 「目を覚まさなかったらどうしようと、麻酔が切れるまで気が気じゃありませんでした」  現在大学生の息子が、包茎の手術を受けたのは小学2年の時。 「赤ちゃんの時に保健師さんから、おちんちんが剥(む)きにくい、大きくなってもそうだったら手術した方がいいと言われたのが引っかかっていたんです」  小学校に上がっても状況は変わらず、受診した病院で手術を勧められて決心した。手術は無事終わったが、実は、この手術、早計だったのかもしれない。  包茎とは、亀頭が包皮に覆われた状態のことをいう。包皮は先端の包皮口を境に、亀頭に接する内皮(内板)と外側を覆っている外皮(外板)の二重になっている。赤ちゃんは、尿道下裂など先天性の異常がない限り、おちんちんが朝顔のつぼみのように包皮で包まれており、9歳頃から自然に剥けて、通常思春期の頃には亀頭が露出する。  包茎には仮性包茎、真性包茎、嵌頓(かんとん)包茎の3種類がある。包皮をペニスの根元に寄せると内皮が反転し亀頭が現れる状態が仮性包茎で、見た目を気にしなければ機能上は問題ない。欧米では仮性包茎は包茎と見なされないことが多い。  真性包茎は内板が亀頭に癒着していたり、陰茎に対して包皮口が狭く、包皮を反転できない状態をいう。亀頭と包皮の間に炎症が生じると膿がたまったり、尿道が閉塞して排尿に障害を起こしたりすることもある。嵌頓(かんとん)包茎とは、包皮を反転させて亀頭を露出させた後戻らなくなり、包皮によって陰茎が締め付けられた状態をいう。激しい痛みを伴ったり、ペニスが鬱血して赤紫に腫れ上がったりすることもあり、緊急の処置が必要だ。包皮が元に戻らない場合は、手術が必要になる。 「うちの子、包茎かも」と気になってもなかなか人に尋ねにくい。東京女子医科大学病院泌尿器科の迫田晃子医師は「何もしないこと」と、明言する。 「外国の教科書には、Leave it alone、つまりそのままにしろと記述してあります。日本では一部の医師や保健師が小さい時に剥いた方がいいと推奨していますが、痛みを伴い、処置が適切でないと剥いたときに生じた傷が元で亀頭包皮炎などを起こしたり、傷からの浸出液で亀頭と内皮が本格的に癒着してしまうこともあります」(迫田医師)  迫田医師によると、小児は、包皮と亀頭の間にたまった恥垢も取る必要がないという。 「この垢は上皮が古くなって剥がれたもの。汚くはありません。何百人かの垢を培養して検査した結果、悪菌は出なかったというデータもあります。むしろ、垢があることによって包皮と亀頭の間に隙間ができ、剥けやすくなるという利点もある」(同)  ただし、におうようならば感染の疑いもあるので要注意だ。  思春期になって本人が気にするようであれば、手術を検討する。仮性包茎の場合は保険が適用されず、専門のクリニックで行うのが一般的だ。メンズサポートクリニック新宿院では、相談に来る約7~8割が仮性包茎だという。 「セックスの最中に包皮が動くのが気になるとか、陰毛が中に入り込んで擦れるなど機能的な問題もありますが、ほとんどはやはり見た目です」(葉山芳貴院長)  高校生からの問い合わせもあるが、卒業までに剥ける可能性もあるので手術を控えるように助言するという。例外もある。ある男子生徒は、高校からサッカー部の寮に入る予定で、入浴時に包茎がばれてしまうので手術をしてほしいと強く希望した。 「未成年は親の同意が必要なので、私から親御さんに電話して了解を得ました」(同)  最近では60歳以上の高齢者が、将来介護されることを見越して手術を依頼するケースが増えているという。手術は、余分な包皮をぐるりと切り取って縫い合わせる。満足のいく結果が得られずトラブルに発展することもあるそうなので、クリニックは慎重に選びたい。(ライター・柿崎明子) ※AERA 2018年5月28日号
AERA 2018/05/26 07:00
ベストセラー続出!人気コミックエッセイ作者の“素顔”
ベストセラー続出!人気コミックエッセイ作者の“素顔”
真船佳奈(まふね・かな)/テレビ局内を歩くと多くの社員から声がかかる人気者。AD時代とはファッションも変わったそうだ(撮影/写真部・東川哲也)  ここ10年ほどで急成長してきたマンガの新ジャンル「コミックエッセイ」の多くは、作者が“私小説”のようにプライベートをさらけ出して人気を博している。作者本人はマンガで描かれているとおりなのか? 気になる“素顔”に迫った。 【真船佳奈、テレビ局社員が描いた番組制作の裏】 テレビ局内を歩くと多くの社員から声がかかる人気者。AD時代とはファッションも変わったそうだ。そもそもテレビ局社員の真船佳奈さんが、なぜコミックエッセイを描いたのか。本人はそれを「棚ぼた」と言う。入社3年目に制作局に異動してADとして番組制作の現場を見ると、「毎日が驚きの連続。“コイツら、ヤバイ”って思ったんです。変なことばかりの番組作りの裏側を記録に残しておこうと趣味でマンガにしただけ。発表しようなんて思ってもいなかった」と真船さん。  そのマンガを、上司でもあるプロデューサーがツイッターで紹介して注目された。すぐに編集者の目に留まり出版へ。だが、真船さんは弱り果てた。何しろ、マンガの正しい描き方がわからない。AD業務の殺人的なスケジュールのなか、ネットで描き方を勉強しながら描き続けた。  早くも続編を望む声が多いが、真船さんはADではなくなってしまった。現在は「制作局以外の部署の人を取り上げて描くのはどうだろうかなど、構想中」という。 ■どんな作品? 『オンエアできない!女ADまふねこ(23)、テレビ番組つくってます』真船佳奈著 朝日新聞出版 本体価格1000円。一晩でドングリ600個を集めたり、男性の裸の下半身の映像すべてにボカシを入れたり……。テレビ制作の最前線で働く作者がAD時代に経験した、番組制作にまつわる悲しくも笑えるエピソードをマンガ化。現場ならではのトリビアも満載。 ■プロフィール 真船佳奈(まふね・かな) 1989年、福島県生まれ。2012年、テレビ東京に入社。アニメ事業部を経て3年目に制作局に異動。ADとしてバラエティー番組を担当した後、ディレクターを経て、現在はBSジャパン編成局勤務 【オーサ・イェークストロム、北欧人の目で見た日本を描く人気シリーズ】 子供の頃から日本のアニメやマンガが好きで、マンガ家を志したのは13歳の時。「できれば日本でマンガを出版したいと思っていた」とオーサさん。故郷スウェーデンでマンガ家・イラストレーターとして活動した後、夢だった日本移住を決断した。ところが──。 「来日した翌日に東日本大震災が起きたんです。怖くて2週間で帰国してしまいました」  しかし、チャンスは今しかないと10月に再来日し、日本での生活を4コママンガにしてブログに掲載していたところ、出版社の目に留まり2015年3月に日本デビュー作が出版される。 「住めば住むほど日本の不思議が見えてくる。だからネタには困ったことがない」と言うオーサさんにとっては、生活そのものがネタ。シェアハウスに住み、日本の友人たちと交流するなかから題材を採り、時にネタ探しの一人旅をする。  課題は描くのが遅いこと。3〜4カ月缶詰め状態になることもあるが、それさえもネタにしてしまう。夢は、日本で出版した自分の作品をスウェーデン語に翻訳して出版することだという。 ■どんな作品? 『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』1~4 オーサ・イェークストロム著 KADOKAWA 本体価格1100円(1、2巻は1000円)。 ちょっとオタクで日本が大好きなスウェーデン人女性が日本で体験した、日本人には気づきにくい不思議のあれこれを独自の視点で描く。コンビニおにぎりの便利さや、ホストの髪形についてなど、アニメ好き外国人女性ならではの視点が斬新。 ■プロフィール オーサ・イェークストロム 1983年、スウェーデン生まれ。「セーラームーン」と「犬夜叉」を知ってマンガ家になることを決意。夢がかなって2011年に東京移住、15年にデビューを果たす。現在、4巻まで出版される人気シリーズとなっている。 【たまきちひろ、“人生リセット留学”後に出会ったビットコイン投資体験のトキメキ】  青年誌でデビュー、著書がドラマ化されるなどマンガ家として華々しい活躍をしていたたまきさん。ところが、2014年には大スランプに。「もう描くのが嫌だし、描きたいものもなかった。編集者は“売れるものを描け”と言うけど、もうアウトプットするものが何もない状態」(たまきさん)。すべてを捨てて英国留学して、人生のリセットを試みたが、待ち受けていたのは日本より苦しい留学生活。6カ月で帰国したが、貯金はない、仕事はない。そんな時に友人からビットコインの話を聞く。なぜか未来を感じてときめいた。 「リスクがあるとは思いましたが、どうせどん底。最悪でもネタにはなると考えて保険を解約、有り金を突っ込みました」  一喜一憂しながら実地の勉強を続け、昨年の仮想通貨ブームにも乗って、大金をゲット。しかもこの一連の体験を描いたマンガは共に好評。人生何が幸いするかわからない。 ■どんな本? 『ビットコイン投資やってみました!』 たまきちひろ著 ダイヤモンド社 本体価格1300円。 人生の一発大逆転を狙っての英国留学体験を描いた『人生リセット留学。』。その後帰国した作者が再逆転を狙い、全財産をなげうって汗と涙を流しながら体当たりで学んだビットコインなど仮想通貨取引の全貌をわかりやすくリポート。 ■プロフィール たまき・ちひろ2001年、「ビッグコミックスピリッツ」でデビュー。08年、『Walkin’ Butterfly』がドラマ化され、6カ国語に翻訳される大ヒット。日本を捨てて英国に留学した体験を描いたコミックエッセイ『人生リセット留学。』など著書多数 【田房永子、誰にも言えなかった深刻な悩みとの闘いをマンガ化】  2000年にマンガ家デビュー後は、実話系雑誌などに売り込みに行き、ルポマンガを描いていた。そんななか、人気が上がってきたのがコミックエッセイ。田房さんにも声がかかった。「そのころ悩んでいた母のことをマンガにしようと考えて描き始めたんです」(田房さん)。それが12年刊行の『母がしんどい』で、ベストセラーになった。  その後も、子育て、男性社会などをテーマに描いてきたが、田房さんには人に言えない悩みがあった。夫への暴力である。 「これではいけないと真剣に取り組んで、その体験をマンガに描こうと決めました。男性から女性へのDV加害についての本はあっても、男性にキレてしまうことで悩む女性に寄り添う本はない。悩んでいる人に役立つのではないかと思ったんです」  題材は常に身の回りにあるが、「子供が小学校に入学して忙しい。描きたいことはたくさんあるので、もっと描く時間が欲しい」のが目下の悩みだという。次回作は『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』。今の子育てに自分の母の影響がどう出ているかについて真剣に向き合った作品だ。 ■どんな本? 『キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』 田房永子著 竹書房 本体価格1000円。 今まで誰にも言えなかった深刻な悩み“夫に対してキレること”をやめるため、セラピーに通うなどして真剣に立ち向かった体験をコミック化。試行錯誤の末に多くの気づきを体験し、穏やかな生活を手に入れるまでをリアルに描く。 ■プロフィール 田房永子(たぶさ・えいこ) 1978年、東京都生まれ。2000年にマンガ家デビューし、01年にアックスマンガ新人賞佳作受賞。12年に発表した『母がしんどい』が大きな反響を呼ぶ。『ママだって、人間』『それでも親子でいなきゃいけないの?』など著書多数。本誌連載「ニッポン スッポンポンNEO」(北原みのり)のイラストも手がけている。 (本誌・鈴木裕也) ※週刊朝日 2018年5月25日号
週刊朝日 2018/05/25 16:00
萩本欽一「僕が教えたいのは『マヌケ学』。ダメなヤツほどダメじゃないんだ」
萩本欽一「僕が教えたいのは『マヌケ学』。ダメなヤツほどダメじゃないんだ」
萩本欽一(はぎもと・きんいち)/1941年、東京都生まれ。66年、7歳年上の坂上二郎と「コント55号」を結成。国民的な人気となる。その後、ソロ活動。「いい若いヤツがいたら『欽ちゃん』の名前をあげたい。でも、そこまでがんばろうってのがいなくてさ。時代が違うんだね」。(撮影/写真部・小原雄輝)  あのとき、別の選択をしていたら──。人生に「if」はありませんが、誰しもやり残したことや忘れられない夢があるのではないでしょうか。著名人が「もう一つの自分史」を語ります。今回はコメディアンの萩本欽一さんです。 *  *  *  子どもは男が3人。それなりにユニークに育ったかな。でも、たくましいところがないんだよね。あるとき、息子に「なあお前、一発勝負してやろうって気はないの?」って聞いたら、「普通がいいよ。普通というのは、たいへん素晴らしいことですよ」って諭されちゃった。  コメディアンとして、変わった家庭を作らなきゃっていう気持ちが少しあったからかな。僕ね、もう一回、人生をやるとしたら、普通に会社勤めをして〝マイホームパパ〟をやってみたいの。奥さんは夫を立ててくれて、子どもたちもお父さんを尊敬してる。家族サービスも思いっきりするし、家族旅行も行っちゃう。  実際の萩本家? もう、ぜんぜん。子育ては奥さんに任せっきりで、番組を作るのに忙しくて家にはあんまり帰らなかった。子どもが小さいとき、たまに家に帰って子どもと遊ぼうとしても、なんかしっくりこないんだよね。子どものほうが気を使ってるみたいでさ。奥さんにも「あなた、無理しなくていいから」なんて言われちゃった。  後悔してるわけじゃないんだよ。仕事が好きなら思いっきりやればいいわよっていうスタンスでいてくれたことには、とっても感謝してる。もっといいパパになってちょうだいと言われてたら、プレッシャーでどうにかなってたかもしれない。  僕は今でも、家族の旅行に連れていってもらえない。僕をのけ者にしているんじゃなくて、芸能人といっしょだと、見えを張っていいホテルに泊まったりするから、わずらわしくて嫌なんだって。  戦時色が色濃くなってきた1941年に、東京・台東区の下町で生まれた。戦時中は浦和に疎開。当時は父親のカメラ会社が好調で羽振りがよかった。だが、戦後次第に会社は傾き、下町の長屋に舞い戻る。  浦和の家はそのころは珍しい洋館風で、広い庭があって、お手伝いさんもいて「欽一お坊ちゃま」なんて呼ばれてたんだよね。会社がうまくいっているころのおやじは、子どもたちに会社を継がせて事業を大きくしようと思っていて、長兄は次の社長、次兄は大学の工学部に進ませて工場長、僕には商学部を出て営業担当の重役になれって、しょっちゅう言ってたなあ。  でも、戦後しばらくして会社が傾き、小学校4年生のときに浦和の家を売っぱらって、また下町の長屋に戻ってきちゃった。それから、おやじの会社はますます傾いて、人手に渡っちゃった。もし、会社が好調に続いて、僕は大学に行って、おやじの会社に入っていたら、それこそマイホームパパになってただろうね。  東京の下町に生まれて、浮き沈みがあって、また下町で過ごしたっていうのは、最高にラッキーだったと思っている。僕はあそこで人生とはどういうものかを教わった。  中学時代、借金取りに土下座するおふくろの姿を見たとき、決意したんだ。「お金持ちになるぞ」と。それが、コメディアンを目指すきっかけ。  あの町じゃなくて、どこか静かなところに生まれていたら、芸能界の激しい動きについていけなかったかもしれない。そもそもコメディアンになっていないよね。  でも、おふくろは、僕がテレビで有名になっても、「あんなに人に笑われて恥ずかしい」ってずっと言ってた。お笑いとか、まったくわかんない人だったんだよね。98年に長野オリンピックの閉会式の司会をしたとき、初めてホメてくれたなあ。  80年代前半には『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『欽ちゃんの週刊欽曜日』が軒並み超人気番組に。「視聴率100%男」と呼ばれる。  がむしゃらに突っ走っているころから、テレビっていうのは、45歳が限界かなって思ってたのね。  もうすぐ44歳になる85年に、休養宣言なんてしちゃった。まだそれなりに人気番組だったけど、ピークに比べたら視聴率も下がり始めたんだよね。でも、周りはピークの数字を要求してくる。  いつまでも「欽ちゃん」でいられなくなってきたのも、自分としてはいやだなあって感じてたんだ。いつの間にか「大将」になっちゃった。自分らしくない、すごいニセモノが歩いている感じがした。  いろんなことに疲れちゃって、休養って言うとカッコいいけど、逃げたんだよ。僕のモットーは、勝つか逃げるか。あれ以上やっていたら、自分を嫌いになっていたかもね。  テレビには、声がかかればたまに出ることはあるけど、僕はテレビに出ることが好きなわけじゃない。番組を作るのが好きなの。 ●留年じゃない延長戦なんだ  2015年4月、73歳で駒澤大学仏教学部に入学。この春から4年目の学生生活を送っている。それはやり残した「人生の忘れ物」であり、心の片隅にあった〝普通の人生〟の歩み直しなのかもしれない。  まさか自分が大学生になるとは思っていなかったけど、70歳を過ぎて「よし、入ろう!」と思って、がんばっちゃった。おやじやおふくろが生きていたら、なんて言ったかな。おふくろは「やっと真面目な道に進んでくれたのね」って喜ぶかもね。  今まさに、もう一つの人生を送っているのかもしれない。忘れてきた人生が、目の前に現実の光景としてあるんだよね。  毎日、キャンパスを歩くのが楽しくて。雨で傘がないと、知らない女子学生が「ぬれるわよ」って入れてくれる。僕が欽ちゃんだからじゃない。困っていそうな年配者に対して、そういうことをスッとできる空気がある。世間とちょっと違うんだよ。  こんな楽しいところ、4年で出ちゃったらもったいないからね。まだしばらく卒業する気はないよ。同級生には「留年したって言うな。延長戦なんだ」って言ってる。僕は単位がほしいわけじゃないから、いい成績を取れそうにないテストはパスするの。先生に失礼だからね。  でも、勉強っていいね。やればやっただけ結果がついてくる。テストにしたって、ゴールが見えているからそこに向かってがんばれる。テレビの番組作りは、何が正解で、どうがんばればいいのか、さっぱりわからないままやってきたからね。  学校って、知識を得るだけの場所じゃない。人間として必要なこと、生きていく上で大切なことに気付かせてくれるって役割もあるよね。  学部を卒業したら、大学院に進む予定だ。教壇に立って学生たちに自分の考えを伝えたいと思っている。  大学の人に、「大学院に行けば、教壇に立てますよ」って言われたの。面白そうだよね。ぜひやってみたい。そのころ僕は、いくつかな。えーっと、ま、そこはいっか。  僕が教えたいのは「マヌケ学」。人間はマヌケでいいんだ、マヌケをマヌケとして伸ばしていこうって話。最近はちゃんとしていないと許されないみたいな雰囲気があるけど、「愚者一得」っていうことわざがある。自分がマヌケだったから、マヌケだからこそ人がやれないことをやれるんだって言いたい。マヌケ大好き、ダメなヤツほどダメじゃないんだって言ってくれる人間がいれば、自分はダメだって思い込んでいるヤツの人生は、きっと変わるよ。 (聞き手・石原壮一郎) ※週刊朝日 2018年5月25日号
週刊朝日 2018/05/25 11:30
玉置浩二、全国ツアー日程発表&オリジナルアルバム13タイトルが紙ジャケで再発決定
玉置浩二、全国ツアー日程発表&オリジナルアルバム13タイトルが紙ジャケで再発決定
玉置浩二、全国ツアー日程発表&オリジナルアルバム13タイトルが紙ジャケで再発決定  玉置浩二が、新たな全国ツアーのスケジュールが発表した。  【玉置浩二 CONCERT TOUR 2018 ~60’CARNATION~”】と名付けられたこのツアーは、ツアー中の9月13日に60歳の誕生日を迎え、新たな節目となるツアーとなりそうだ。  またツアーに先駆けて、8月15日にはこれまでに発表したソロのオリジナル・スタジオ・アルバム、全13タイトルを初の紙ジャケット仕様、そして、より一層原音に忠実なSHM-CD(ユニバーサルミュージックから発売の2タイトル)とBlu-spec CD2(ソニー・ミュージックダイレクトから発売の11タイトル)で一挙再発売される事も決定した。  ツアーは8月17日の市川市文化会館大ホールを皮切りに、11月18日の東京国際フォーラム・ホールCまで全国29か所31公演が予定されている。 ◎リリース情報 『玉置浩二 オリジナルアルバム13タイトル 紙ジャケット・コレクション』 2018/8/15 RELEASE 完全生産限定盤 2,593円(tax out) 『All I Do』 1987年作品/UPCY-9820 『あこがれ』 1993年作品/UPCY-9821 『カリント工場の煙突の上に』 1993年作品/MHCL-30521 『LOVE SONG BLUE』 1994年作品/MHCL-30522 『CAFE JAPAN』 1996年作品/MHCL-30523 『JUNK LAND』 1997年作品/MHCL-30524 『GRAND LOVE』 1998年作品/MHCL-30525 『ニセモノ』 2000年作品/MHCL-30526 『スペード』 2001年作品/MHCL-30527 『今日というこの日を生きていこう』 2005年作品/MHCL-30528 『PRESENT』 2006年作品/MHCL-30529 『惑星』 2007年作品/MHCL-30530 『GOLD』 2014年作品/MHCL-30531 ◎ツアー情報 【玉置浩二 CONCERT TOUR 2018 ~60'CARNATION~】 2018年08月17日(金)千葉・市川市文化会館 大ホール 2018年08月23日(木)東京・かつしかシンフォニーヒルズ 2018年08月26日(日)愛知・常滑市民文化会館 2018年08月28日(火)宮城・東京エレクトロンホール宮城 2018年08月30日(木)群馬・伊勢崎市文化会館 2018年09月02日(日)富山・富山オーバード・ホール 2018年09月03日(月)長野・長野市芸術館 メインホール 2018年09月09日(日)埼玉・川口総合文化センター リリアメインホール 2018年09月13日(木) 大阪・フェスティバルホール 2018年09月14日(金)大阪・フェスティバルホール 2018年09月21日(金)兵庫・篠山市たんば田園交響ホール 2018年09月23日(日)大阪・河内長野市立文化会館(ラブリーホール) 2018年09月24日(月・祝) 滋賀・ひこね市文化プラザ グランドホール 2018年09月30日(日)山口・周南市文化会館 2018年10月01日(月)広島・上野学園ホール 2018年10月05日(金)東京・昭和女子大学 人見記念講堂 2018年10月06日(土)東京・昭和女子大学 人見記念講堂 2018年10月08日(月・祝)栃木・佐野市文化会館 大ホール 2018年10月14日(日)北海道・苫小牧市民会館 2018年10月16日(火)北海道・札幌文化芸術劇場hitaru 2018年10月20日(土)大分・エイトピアおおの(豊後大野市総合文化センター) 2018年10月21日(日)福岡・アルモニーサンク北九州ソレイユホール 2018年10月27日(土)奈良・奈良県文化会館 国際ホール 2018年10月28日(日)兵庫・赤穂市文化会館ハーモニーホール 2018年10月31日(水)静岡・焼津文化会館 大ホール 2018年11月02日(金)大阪・豊中市立文化芸術センター 大ホール 2018年11月03日(土)京都・宇治市文化センター 大ホール 2018年11月10日(土)福島・とうほう みんなの文化センター(福島県文化センター) 2018年11月11日(日)山形・やまぎんホール(山形県県民会館) 2018年11月13日(火)北海道・旭川市民文化会館 大ホール 2018年11月18日(日)東京・東京国際フォーラム・ホールC
billboardnews 2018/05/23 00:00
フィギュア女王・ザギトワ 祖母が明かす過酷な練習の日々「バタンキューです」
フィギュア女王・ザギトワ 祖母が明かす過酷な練習の日々「バタンキューです」
平昌五輪のエキシビジョン (c)朝日新聞社 女子フリーの演技を終え、右手を上げる (c)朝日新聞社 女子SPの得点を確認し、笑顔を見せる (c)朝日新聞社 女子SPでの演技 (c)朝日新聞社  史上3人目となる15歳でフィギュアスケートの五輪女王に輝いたアリーナ・ザギトワ。幸せを感じる一方「心にぽっかりと穴が開いた」と振り返った。その言葉の裏には、壮絶な日々の練習があった。 *  *  *  その差は、わずか1.31点だった。2月23日、平昌五輪のフィギュアスケート女子。五輪史上に残る僅差の名勝負を制したのが、アリーナ・ザギトワだった。 「(演技中は)手が震えていた。でも、体が練習で繰り返したことを覚えていた」  重圧をはねのけての金メダルだった。  祖国のロシアは、国家ぐるみのドーピング問題に揺れる。国際オリンピック委員会(IOC)は、国としての参加を認めなかった。ザギトワは「ロシアからの五輪選手(OAR)」として個人資格で出場。ライバルは同じくOARで、しかも同じエテリ・トゥトゥベリーゼコーチに師事する世界女王で18歳のエフゲニア・メドベージェワだった。  21日のショートプログラム(SP)から、2人は激しく火花を散らした。まずはメドベージェワが完璧な演技を見せた。自身の持っていた世界歴代最高記録を0.55点更新する81.61点。だが、2人おいて滑ったザギトワは「ナーバスになっていた」と振り返ったものの、さらにそれを上回る82.92点をたたき出した。出場全選手で唯一構成に入れた3回転ルッツ─3回転ループの2連続ジャンプを鮮やかに決め、1.71点を稼いだ。  23日のフリーは、ザギトワが先にリンクに立った。七つあるジャンプ要素の全てを得点が1.1倍になる演技後半に組み込む高難度のプログラムだ。最初に跳ぶのは、最大の得点源の3回転ルッツ─3回転ループ。だが、2連続にならず単独になった。 「ショックだった」  だが「乗り越えなければならない試練」と瞬時に切り替えた。二つの連続ジャンプを決めた後、さらにスピードを上げる。そして、単独の予定だった3回転ルッツに3回転ループをつけた。体力の消耗が激しい中、13.91点を得る美しいジャンプで、ミスを帳消しにした。演技を終えると、右拳を握りしめ、笑った。  最終滑走者はメドベージェワだった。トルストイの名作『アンナ・カレーニナ』の物語を巧みに表現し、完成度の高さで観衆を魅了した。だが得点は、ザギトワと同じ156.65点。SPのリードを守り切って金メダルが決まると、控室にいたザギトワは涙を浮かべた。  シニア1年目で、無敗で五輪女王に駆け上がった。15歳での金メダルは史上3人目の快挙だ。栄冠を手にしたザギトワは「とても幸せ」と素直に喜びを表現したと同時に、こんな思いも去来したという。 「心に穴が開いたような気分になった。10年近く頑張って、いろいろなものを乗り越えて手にした金メダルだったから」  ザギトワの故郷は、ロシア西部のウラル山脈の近くに位置する人口約60万人の都市・イジェフスクだ。この街で4歳の時に、フィギュアに出合った。6歳から本格的に競技を始め、2015年から祖母のナジリャさんと一緒に首都・モスクワに移り住み、練習を積む。 「イジェフスクから24時間、列車に乗るのよ」とナジリャさんは言う。  練習拠点は、モスクワ市の国家指定の五輪選手養成クラブ「サンボ70」だ。14年のソチ五輪団体金メダルのユリア・リプニツカヤらを育てた名門クラブ。競技者を目指す約200人と、その予備軍500人の子どもたちが所属する。  日々の練習は、過酷を極める。午前9時半には自宅を出て練習を開始。昼の休憩時間を挟んで、午後3時半から8時過ぎまでトレーニングを積む。練習を見ながら、コーチはジャンプなどを採点し、改善点を指摘。「いかにして得点を稼ぐか」を徹底的にたたき込まれる。選手はテストを繰り返し受け、ふるいにかけられる。 「孫は家に帰ってきたら、いつもボロボロ。お風呂に入ったら、バタンキューです」とナジリャさんは語る。それでも、決して練習を投げ出さないという。 「自分の目標を達成するためには、ものすごく努力します。どこか痛くても言わないし、やり遂げる。とても善良な孫です」  体形を維持するために、食事も制限する。国際大会で優勝した時にナジリャさんが作る寿司ロールを食べるのが、つかの間の息抜きだ。  金メダルの歓喜から1カ月半が過ぎた4月上旬。アイスショーのために来日したザギトワに、次なる目標を尋ねた。だが「特に自分に目標を立てるということはしない」と素っ気なかった。22年の北京五輪で連覇したいかと聞いてみても「もう答えましたよね? 先のことは考えないって」とかわされた。  来日直前の世界選手権では、フリーで3度転倒するなど精彩を欠き、5位に沈んだ。シニアで初めての敗北だった。「サンボ70」の後輩で、13歳のアレクサンドラ・トルソワは、3月の世界ジュニア選手権で女子史上初となるサルコー、トーループの2種類の4回転ジャンプを成功させた。  北京五輪に向け、さらなるレベルアップが予想される女子フィギュア界。その中で、どんなスケーターを目指すのか。ザギトワはこう語った。 「良いスケーターでありたい。今日を一生懸命生きることしか、考えていない」 (朝日新聞スポーツ部・前田大輔) ※AERA 2018年5月21日号
AERA 2018/05/22 16:00
サバ缶で生活習慣病に打ち克つ!? 医師もおすすめの理由
サバ缶で生活習慣病に打ち克つ!? 医師もおすすめの理由
3分でできる! サバと豆苗の蒸し煮●材料(2人分)サバ水煮缶(内容総量200g) 1個、豆苗1袋●作り方(1)豆苗の根を切り落とし、フライパンに広げる。そこにサバ水煮缶を汁ごとのせる。(2)蓋をして中火で3~4分蒸し煮して、できあがり。(撮影/写真部・大野洋介) サバ缶とトマトのオーブントースター焼き●材料(2人分)サバ水煮缶(内容総量200g)1個、プチトマト3個、黒胡椒適量●作り方(1)サバ水煮缶を開け、半分に切ったプチトマトをのせる。(2)オーブントースター(*撮影に使用したものは1100W)で約15分焼き、黒胡椒を振ってできあがり。(撮影/写真部・大野洋介) 牧野直子(まきの・なおこ)さん/管理栄養士。女子栄養大学卒業。在学中から栄養指導に携わる。雑誌、テレビほか、病院 や保健センター等で活動中。栄養のバランスがとれた、簡単なおかずレシピに定評あり。(撮影/写真部・大野洋介)  いやはや、「水煮缶」が大ブームである。中でも注目したいのは、やはりサバ缶だ。サバは動脈硬化の予防につながるEPA、DHAを多く含んでいるので、医師のお墨付き。しかも缶詰ならば骨まで食べられ、値段もかなりリーズナブルだ。さあ今日から、食卓に取り入れてみよう。 *  *  *  雑誌でも書籍でも、そしてウェブ上でも、最近「水煮缶」の文字を目にすることが多くなってきた。 「水煮缶の四天王といったら、サバ、サケ、トマト、大豆です。水煮缶はノンオイル&栄養価抜群のヘルシー食材。健康意識の高まりと共に、幅広い世代の支持を集めているのでしょう」 と女子栄養大学栄養クリニック所長の田中明さん。水煮缶の中でも特にサバ缶は「健全な血管を保ち、ドロドロで不健康な血液の状態を改善するのに役立つといわれています。高血圧、脂質異常症、糖尿病等の生活習慣病が気になる世代の方々には特に日々の食事に取り入れてほしいですね」。  実際サバの水煮缶の売り上げは、水産加工品メーカー大手のマルハニチロでは前年に比べて33%も増えている。 「サバは良質なたんぱく質に恵まれており、青魚の中でもトップクラスの栄養価を誇ります。そして体脂肪増加を予防する不飽和脂肪酸の一種、『EPA(エイコサペンタエン酸)』と『DHA(ドコサヘキサエン酸)』をとても多く含んでいるのが特長です」  このEPAとDHAが、体内の血液の巡りをスムーズにするのに役立っているようだ。 「血液の流れが滞ると体の機能が低下すると共に、血圧が上昇して血管が詰まったりするリスクが高まります。サバのEPAやDHAはそのような症状を予防してくれるのです。またDHAは人間の脳にとっても大事な栄養素です。脳を活性化する働きを持ち、記憶力や学習能力を高めたり、脳細胞の発育や機能維持に欠かせない役割を果たすといわれています」  またEPAやDHAは血液中の中性脂肪や悪玉コレステロールの低下にも、役立っている。 「40代以降になったら、やはり一番気を付けたいのは『動脈硬化』です。動脈硬化にはアテローム性動脈硬化(粥状動脈硬化)、細動脈硬化、中膜硬化の3タイプがありますが、一般的に動脈硬化というと『アテローム性動脈硬化』をさすことが多いです。動脈硬化の最大の危険因子は、悪玉コレステロールです」  血液中にコレステロールが増えると血管壁の内側の細胞が傷つき、そこから悪玉コレステロールが血管壁に入り込みプラーク(こぶ)を作る。このプラークができると血管内腔が狭くなるので十分に血液が流れなくなり、狭心症を引き起こしたりする。またプラークが破裂するとそこに血栓ができ、動脈が詰まり、心筋梗塞や脳梗塞といった深刻な状況につながることも。 「EPAやDHAには、体内にたまったコレステロールや中性脂肪を肝臓に運び、血管をきれいにする善玉コレステロールを増やす効果が認められています。そもそもサバの水煮缶は油を使っていませんから、たんぱく質の摂取にはなっても余分な脂質の摂取にはならないところもいいと思います」  なるべく油や調味料を使わず、野菜やキノコ類などたくさんの食物繊維と合わせて調理すれば、立派なダイエットおかずになる。 「肥満は万病のもとですが、60歳を過ぎて極端な食事制限をしたり、急激に痩せようとすることはストレスにしかなりません。肥満が気になる方は50代が最後の減量のチャンスと思ってください」  さて、そこで管理栄養士の牧野直子さんに、余分な油や調味料を使わないで作れる、サバ水煮缶おかずを提案してもらった。 「サバの水煮缶はうっすらと味がついているものが多いですし、サバがもともと含んでいる脂質がありますから、蒸したり焼いたりするだけで十分おいしいおかずが作れます」と牧野さん。  まずは「サバと豆苗の蒸し煮」だ。 「サバ缶も豆苗もスーパーですぐに手に入るリーズナブルな食材なので、節約おかずとしてもおすすめです。 作り方はいたって簡単。豆苗をフライパンに広げ、そこにサバ水煮缶の中身を広げて蒸し煮するだけです。豆苗に水煮缶の汁の味がしみこみ、あっというまにできあがりです」  あっさりとしたやさしい味。しかも約3分でできるとあれば、疲れているときにとても重宝しそうだ。 「これからの季節であれば、豆苗をピーマンやオクラに替えてもいいですよ」  もう一品は「サバ缶とトマトのオーブントースター焼き」だ。これは缶詰を開けて、そこにプチトマトを並べ、オーブントースターで焼くだけで、できあがり。 「魚焼きグリルで焼いてもいいです。アツアツになったら取り出し、お好みで黒胡椒を振りましょう」  う~ん、トマトの酸味とサバの水煮がこんなにも相性がいいとは! 「缶詰のままでできてしまいますから、これはキャンプのときなどにもおすすめです。サバ缶は骨を強化するカルシウム、ビタミンDも豊富。体の老化防止のためにも、適量を積極的に摂取したいですね」 (エディター・赤根千鶴子) ※週刊朝日  2018年5月25日号
週刊朝日 2018/05/22 16:00
5位「あさが来た」3位「あまちゃん」1位は? 矢部万紀子が選ぶ朝ドラベスト5
矢部万紀子 矢部万紀子
5位「あさが来た」3位「あまちゃん」1位は? 矢部万紀子が選ぶ朝ドラベスト5
岸和田城を訪れた、「カーネーション」出演当時の尾野真千子さん (c)朝日新聞社  好視聴率が続くNHKの連続テレビ小説「半分、青い。」(主演・永野芽郁)は、通称、朝ドラの98作品目となる。『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)を上梓した矢部万紀子氏がそのベスト5を解説する。 *  *  *  NHKが毎朝8時から放送しているドラマ。通称、朝ドラ。これを2010年から、連続して見続けている。きっかけは2010年、放送開始時間が15分早まり、午前8時になったことだった。民放の午前8時からのワイドショーに押され、朝ドラは視聴率が下がる一方だったから、時間変更が話題になった。なので、8時スタート「ゲゲゲの女房」を見てみた。何ということでしょう、向井理が出ているではありませんか。  以来、欠かさず見ている。素敵な俳優ゆえ、ではない。朝ドラが「おてんばの一代記」だからだ。おてんば=型にはまることをよしとしない女子。ヒロインは皆おてんばで、何者かになろうと奮闘していた。その姿に己を重ねたのだ。その中で私の大好きなベスト5をセレクトしたい。 【1位:カーネーション(2011年下期)】  ヒロイン糸子(尾野真千子)は、コシノ3姉妹を育てた小篠綾子がモデル。だんじり祭りで有名な、岸和田で生まれ育つ。女はつまらない、だんじりも曳けない、商売人にもなれないと小さい頃から悔しがる糸子。ミシンに出合い、洋裁で身を立てていく糸子の物語であるにも関わらず、「カーネーション」は働く女子に「成功せよ」と言わない。「堂々とせよ」と言う。女子へのエールだと思う。  糸子は戦争で夫を失った後、妻子ある男性と恋に落ちる。朝ドラ史上空前絶後の「ヒロインの不倫」。その恋の切なさも特筆すべきものだが、もう一つ、「戦争」と向き合った作品だったことも強調したい。  戦争は壮大な徒労でしかないということが、糸子を通して実にきちんと描かれていた。だが衝撃だったのは、戦争で息子を失ったある女性が、息子の「加害」を知る場面が描かれたことだ。描いた脚本家・渡辺あやは、1970年生まれ。戦後25年も経って生まれた女性が加害を描いた。その事実に感動する。 【2位:ひよっこ(2017年上期)】  ヒロインみね子(有村架純)をはじめ、「普通の人」しか出てこない。東京オリンピック直前の1964年に始まり、そこから4年が描かれた。  北茨城村の高校を卒業し、集団就職で上京して勤めた工場が倒産し、縁あって赤坂の洋食店で働くみね子。出稼ぎ先の東京で行方不明になった父の代わりに、農家である実家に仕送りをする。料理を運び、恋をし、別れ……そんな毎日を積み重ね、成長していく。  一生懸命生きる以外に成長する方法などないのだと再認識させられる。「成長するためにどうするか」をプレゼンさせられるような現代に生きる若者の苦しさに思いを馳せる。  イチ押しは、みね子のおじさん・宗男(峯田和伸)。お正月、実家に帰ってひたすら眠り続けるみね子を見て、「心も使ってるんだな。都会的でカッコいいな」とつぶやく。働く女子を肯定してくれる、ステキな台詞をいっぱい口にする。威張らない、差別しない、女子に効く人だ。 【3位:あまちゃん(2013年上期)】 「じぇじぇじぇ」をはやらせ、「あまロス」が社会現象とまで言われた作品を3位にしたのは、ヒロイン・アキを演じた能年玲奈が、のんになってしまい、大人の事情を思わずにいられない後日談ゆえ。作品そのものは「ひよっこ」と甲乙つけがたい。脚本家・宮藤官九郎の男と女をヒョイっと超えた感じが、軽くて明るい空気になっていて、とてもよい。  東京から北三陸にやって来たアキと、アイドルを目指して夢破れた母の春子(小泉今日子)と、海女であるその母・夏(宮本信子)。3人を通し、宮藤はいろんな「かくあるべし」を打ち破ってくれる。例えば春子は、自分の娘であるアキに、「バーカ」「ブース」と言う。けれど小泉が演じるから、それが愛情の表れだとわかる。  アイドルになったアキのマネージャー・水口(松田龍平)は、アキを「おまえ」と呼ばず「君」と呼び、呼び捨てにせず「アキちゃん」と呼ぶ。「男かくあるべし」と関係ない、ぶっきらぼうで、脱力系で、カッコいい水口に胸キュン。 【4位:ゲゲゲの女房(2010年上期)】  午前8時スタート第1作で向井理が演じたのは、水木しげる。放送当時、水木はまだ存命で、よくテレビにも登場した。飄々としていて、チャーミングな人だったが、「ゲゲゲの女房」も飄々、チャーミングなドラマだった。  二つの台詞を紹介する。貸本漫画家として、貧乏暮らしが続く水木の言葉。一つ目。「お互い苦戦が続きますなー。でも、くよくよしないで、ほがらかーにやっとればええんです」。二つ目。「自分も貧乏しとりますが、好きな漫画を描いて生きてるんですから、少しもかわいそうなことありません。自分をかわいそうがるのは、つまらんことですよ」。  苦戦して自分をかわいそうがりがちな私への、励ましと戒めに聞こえた。他にも水木の仕事への情熱、妻への愛情がキュートに描かれ、働く女子の「こうだったらいいな」が詰まった作品だ。 【5位:あさが来た(2015年下期)】  明治に変わる直前に大阪の両替屋に嫁ぎ、女性実業家になり、日本初の女子大をつくるヒロインあさ。あさを励ます五代を演じ、ディーン・フジオカを「おディーンさま」にしたことでも有名。23.5%の平均視聴率は、今世紀朝ドラで最高。  個人的には、実在の女性がモデルで成功を約束されたあさより、その姉・はつ(宮崎あおい)と夫・惣兵衛(柄本佑)がお気に入り。大阪一の両替屋の跡取りだった惣兵衛だが、時代に乗り切れず夜逃げ。農家の納屋で暮らし、やがてみかん農家になる夫婦。  宮崎は一瞬上げる口角で、喜びを表現する。苦労が多くとも、人生と折り合いをつけようとする意志が伝わる。柄本が演じた、死の直前の惣兵衛は、誰に愛想笑いをするでなく、頭を下げるでなく、地に足つけて生きて来た、みかん農家になってよかったと語る。当時29歳の柄本の台詞で、60年以上であろう惣兵衛の人生が確かに感じられた。2人のうまさに、感動。  と、ここまでで興味を抱いてくださった方、拙著『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』をお読みいただけたら、こんなにうれしいことはないと申し上げて、おしまいとしたい。(矢部万紀子)
ドラマ
dot. 2018/05/21 07:00
「ゆとり世代」早熟アスリートが大ブレイク 背景にあのレジェンド選手
作田裕史 作田裕史
「ゆとり世代」早熟アスリートが大ブレイク 背景にあのレジェンド選手
【体操】白井健三(21、左):男子史上最年少の17歳1カ月で世界選手権金メダル獲得。床運動で初めて「後方伸身宙返り4回ひねり」を成功させたことでギネス認定された/【野球】清宮幸太郎(18、中央):プロデビューから7試合連続安打で高卒新人新記録。高校では歴代最多の通算111本塁打/【格闘技】那須川天心(19、右)/小学5年で極真空手ジュニア世界大会で優勝。プロでは16歳で二つの王座、17歳でISKA世界王座を獲得。プロ戦績は25戦25勝 (c)朝日新聞社  10~20代前半の「ゆとり世代」が躍進している。スマホとともに育ち、旧世代の常識に とらわれない彼らは新たに「Z世代」とも呼ばれ始めた。  4月29日。東京都渋谷区の東京体育館で、新たなスターが誕生した。体操の全日本個人総合選手権で、谷川翔(19=順天堂大)が優勝。2位には白井健三(21=日体大)が入った。大会11連覇を狙ったものの敗れた内村航平(29=リンガーハット)は、晴れやかな表情でインタビューに答えた。 「悔しいというよりも、若い選手がしっかり勝ってくれてうれしい」  体操では、ゆかでギネス世界記録の認定を受けた白井やリオ五輪女子日本代表の村上茉愛(21=日体大)など、若返りが進んでいる。スポーツジャーナリストの生島淳さんは、その背景をこう語る。 「iPadなどで自分の演技をすぐに確認できる環境で練習してきたことで、自身の感覚と演技のズレを瞬時に確認できる。かつては練習場に連続写真が貼ってあったのですが、身体感覚とイメージとのズレを即座に修正して練習を重ねる体操では、この環境変化は大きい」  他にも、5月にはプロ野球日本ハムファイターズの清宮幸太郎(18)が高卒新人のデビュー戦からの連続試合安打記録を更新したり、格闘家の那須川天心(19)がプロデビューからの無敗記録を伸ばしたりと、スポーツ界をにぎわせた。  近年、卓球の張本智和(14)、サッカーの久保建英(16)、水泳の池江璃花子(17)など、10代前半から国際大会で活躍し、注目を浴びる選手が目立つようになった。  アスリートが「早熟化」しているのはなぜか。トレーニング技術の進歩や、スポーツ医療、栄養学の発達などもあるだろうが、生島さんは「選手たちの意識」も重要な要素だと語る。 「イチローがメジャーデビューしたのが、2001年。この頃に生まれた選手たちは、日本人が世界で活躍する姿を普通にテレビで見ている。それゆえ、世界進出を『挑戦』だとは捉えていない。日本一を目指し、そこから世界に挑戦と段階的に考えておらず、常に目線は・世界・にある。幼少期から、世界で活躍する姿を自然とイメージできている世代なのです」  天才プログラマーで起業家の山内奏人さん(17)のように、10代はビジネス界でも存在感を示し始めた。将棋の藤井聡太(15)、ピアノの牛田智大(18)など、多岐にわたる分野でも若手の活躍が目覚ましい。「ゆとり世代」「さとり世代」などと言われ、物事に熱くならず覇気がない若者の代表として揶揄(やゆ)された世代でもあるが、その評価は急激に変化している。(編集部・作田裕史) ※AERA 2018年5月21日号より抜粋
AERA 2018/05/19 07:00
いつか誰かと居たことを懐かしむ前に、差し込む光のように
いつか誰かと居たことを懐かしむ前に、差し込む光のように
 かつて新人類と呼ばれた世代に「少年A」よりもずっと前に幼女を数人殺害し、「おたく」という言葉に対してネガティブな印象を日本中にもたらした宮崎勤がいた。彼は数千本のビデオテープの孤独な籠城だけが拠り所だった。ある人が彼と同じ姓である宮崎駿の作品を観ていたら、宮崎勤はきっとあんな犯罪を犯さなかっただろうと言ったらしいが、その数千本のビデオテープの中でラベルに唯一「さん」づけされていたのがその監督だと昔何かで読んだことがある。宮崎勤だけではなく、「少年A」と同学年である九州バスジャックや秋葉原通り魔事件に、PC遠隔操作事件の犯人であるかつての少年たちは書きかけの小説やなんらかの表現をしていたと言われている。だが、それらは未完成だったりしたし何よりも他者には届かなかった。彼らが表現しようとしたものは一体なんだったのか? 何を見ようとしていたのか?   物語とは世界を理解するモデルであり、人間の中身や世界の構造について知りたいという欲望と、自分と他者との関係性は、創作というものに関してかなり大きく影響してくる。『さよなら、ニルヴァーナ』の中でルーが晴信にそれらのことを端的に告げている箇所が出てくる。  物語≒小説を書くという行為と読むという行為はこのどうしようもなく救いのない世界で自分の内部に降りていくものであり、この繋がりすぎてしまう世界においてはかなり孤独なメディアであると言えるはずだ。それは著者と読者の密接な対話だ。だけども受け手が降りていく内部にいるのは受け手本人だけで、その降りるキーがその物語や著者だったりする。そこで僕らが見てしまうのは自分という人間と向かい合うことだし自分の見たくない本音だったりする。  『さよなら、ニルヴァーナ』はそこに降りさせてしまうタイプの小説であり著者である窪美澄さんの八冊目の単行本であり、この度文庫化された。それまでの窪作品にあったものがここに一気に集結しているそんな作品になっている。この小説は各章ごとに主人公が変わる。主要人物は大きく四人いる。  一人目は東京でOLをしながら小説家を目指していた今日子。2011年の震災後の翌年に夢を諦めて実家に戻るが、自分勝手な妹夫婦とその娘と母との生活に倦む中、過去に凶悪犯罪を起こした少年Aが地元にいるという噂を聞いて彼を追いかけようとする。  二人目は神戸生まれで1995年の阪神淡路大震災で父を亡くし東京で育った莢。仕事で忙しく家を留守にしがちな母を持つ大学生の彼女は少年Aをハルノブさまと敬い、彼に関する詳細なウェブサイトを作成していた。目撃情報があるとお金を貯めてその場所に行っている。  三人目は少年Aに当時七歳の娘・光を殺された片山(なっちゃん)という主婦。彼女は神戸で夫と大学生の息子と平穏な暮らしを取り戻したが、酒に溺れる母や鬱病から自殺未遂を起こした夫の世話に追われていた。少年Aが住むと噂される場所を訪れた片山は、彼を崇拝している莢と出会ってしまう。彼女は光が生きていたらこんな娘になっていたかもしれないという少女だった。  四人目はかつて少年Aであった晴信。彼は施設を出たあとには名前を倫太郎に変えられて静かに暮らしている。  『さよなら、ニルヴァーナ』は窪さんの三冊目だった『アニバーサリー』の流れの延長線にあるのだろう。『アニバーサリー』は戦前から東日本大震災以後に母親になった女性を軸に描いていた。戦前に生まれ戦争が終わって高度経済期を生きてきたおばあちゃん世代の晶子と、1995年に女子高生だった真菜という世代を交互に描いて最後に結びつけていく。意識的に窪さんがやっていると思ったのは、前二作『ふがいない僕は空を見た』『晴天の迷いクジラ』の要素を掛け合わせた上で二つの時代を書いているということだった。  性的な衝動や行動は人間の性であり、それは子供を作る行為でもある。「なぜ、わたしはここにいるのだろう?」という存在意識の根本として。故に家族を描く際に避けては通れない。それを出産という始まりから書いている。セックスをして子供が生まれたから家族になったの? なれるの? 血の繋がりがあろうが個人個人の関係のなかで一緒に暮らすと言う事はどういうことなのか?   抱えきれなくなった想いの行く先はどこなのかということが書かれていた。そして辛かったら逃げてもいいんだよというメッセージや登場人物の行動、そして血の繋がった家族ですら居場所がなくても、疑似家族的な血の繋がりもないけどれど関係性を築ける人々の元に逃げる、あるいは作れるのならそれでいい、死ぬよりは絶対に生きていけるその可能性を示していた。  『アニバーサリー』は前二作で窪さんが書いてきたものと震災後の人の心のありようや想いや不安を母になった真菜が感じている中で、祖母のような晶子との関わりの中で少しだけ和らいでいく。真菜のこんな世界に産んでしまってごめんねという気持ちが少しでも青空に近づくように書かれていて、描写や台詞が、ふいに心の奥にある泉に小石が投げられて波紋が広がる。しかし、彼女が見上げた空は移ろいやすく放射性物質も舞っているのかもしれない。それでも真菜が再び抱きしめた娘と歩き出すこの世界には色彩があり音があり匂いがしている、肌が感じる風の揺らぎも生きているから感じられるものだった。  窪さんを含め五十代と四十代後半の作家群が2011年を経て書かざるえなくなったのは、やはり1995年という時代でそれはただの近過去ではない。彼らが二十代や三十代の頃に同世代が起こした世界の終わりに向けてのことを含めて日本が確実に変化した1995~2011年の季節。リアルタイムで見て聞いて感じて知っていた事を、2011年の震災が原発問題の風化される速さを思う時にあっという間に風化された時代を語りなおそう、しなければいけないという書き手の人がたくさんいる。窪さんは『さよなら、ニルヴァーナ』も含めてそう意識していたように思える。  窪作品の核としてあるものは母と娘の関係性と父性の不在、家族ができるが誰かが損なわれるor自ら出ていく喪失感や捨てた側の後悔の念というものがある。家族とはいちばん「小さな共同体」であり、この社会の最小単位だ。僕らは誰も両親や生まれなどを選んで生まれてくることはできない。気がつけばその共同体の中にいて、もがき苦しんだりする。そうじゃない人もいるかもしれないが、自我が生まれて他者との自分が一緒ではないと気づいた後にはその共同体が祝福なのか、呪縛なのか、守るべきものなのか、出て行くべきなのか、がわかるようになってくるしそう行動するようになっていく。  『さよなら、ニルヴァーナ』の主要人物である三人の女性は小説を読めばわかるが、どの女性も母と娘の問題が大きく人格に人生に影響を与えている。男性である晴信も同様だ。そして父親の不在がある。このことは窪作品におけるテーマであり、実は戦後日本の問題点だと言える。村上春樹はずっと父の不在ではなく近年までずっと父になれない主人公を書き続けてきたのも実はそれに関係しているのかもしれない。  今作で窪作品において珍しいなと感じられるのはルーという存在だ。彼はこの国には父がいないと語ったり、他にも物語の中における語部として機能している節がある。主要人物三人をそのまま著者と結びつけるのは短絡的ではあるが、何かに夢中になっている十代の少女、作家志望であるが作家になれない三十代の女性、結婚し出産して子供を育てている四十代の女性と窪さん自身の体験や経験も投影されているようにみえる。そこに現れるルーという存在の客観性、外部性は今までにはあまり感じられなかった気がする。  窪さんは母と娘(あるいは息子)という関係性においてデビュー作から書き続けている小説家でもある。『アニバーサリー』においては真菜と母、今作では<少年Aと母>の関係が<創作物と作り手>にも見えてくる。だからきっと書き手である窪さんと書かれた小説の関係でもあるのだろう。  生み出されたものは自然発生的に自我による彷徨を始める。涅槃にあるのは父性でも母性でもないのだろう。だから窪さん自身にもこの小説について書いたのにわからないことがあるはずだ。だからルーという存在は著者と表現物における批評としての意味合いもあるかもしれない。  莢と片山の関係は少年Aで繋がってしまった赤の他人だが、代理の娘と母として機能していきある種の疑似家族のようになっていく。血の繋がった母娘ではない他人だからこそ、優しくできて甘えることのできる関係性が、実際の母娘問題で損なわれたものを補っていく。莢の母が言う「誰かが急にいなくなってしまうことがほんとうに怖いのよ」という台詞は窪さんの想いでもあるのだろう。  僕たちはいつかいなくなる。大切な人も嫌いな人も急にいなくなる。日々はすり減っていつか時間は永久に止まってしまう。『さよなら、ニルヴァーナ』という物語は僕らの内部に深く浸透して自分でも知らなかった感情や想いと向かい合わされる作品だから、絶賛されるか拒絶されてしまうかに分かれてしまうのかもしれない。だからこそ気持ちが揺さぶられるし途中で読むのがしんどくなってしまう人もいるだろう。でも、少し休んで続きを、この物語を最後まで読んでみてほしい。そこには小説家である窪美澄の作家としての強い覚悟があり、読み手である僕らの知らなかった感情がむきだしにされる。その感情には僕たちを取り囲んでいる世界に対しての想いでありどうしようもないことやくだらなくて下卑したくなるものもはらんでいる。だからこそ、その反対側にある想い。そこに思い浮かんでくる人はあなたの世界においてもっとも大切な人物であるはずだ。だけどその人もいつかいなくなるから。だとしたらあなたはその人の名前をもっと愛おしく感じるし会いたいと思うし、話したいと感じるだろう。この世界は残酷だけど時折素晴らしい瞬間がある。その時に誰と居たいのか、居るべきなのか、この物語を読み終わった後には柔らかだがしっかりとした光が差すように教えてくれるはずだ。いつだって僕らは大切な人と笑っていたいのだから。大切な人が笑っていてくれる世界で生きていたいと願うように。 文/碇本学(Twitter : @mamaview)
BOOKSTAND 2018/05/18 17:00
中瀬ゆかり「ジャバザハット感満載のあたしが奮い起す幸せになる勇気」
中瀬ゆかり 中瀬ゆかり
中瀬ゆかり「ジャバザハット感満載のあたしが奮い起す幸せになる勇気」
中瀬ゆかり(なかせ・ゆかり))/和歌山県出身。「新潮」編集部、「新潮45」編集長等を経て、2011年4月より出版部部長。「5時に夢中!」(TOKYO MX)、「とくダネ!」(フジテレビ)、「垣花正 あなたとハッピー!」(ニッポン放送)などに出演中。編集者として、白洲正子、野坂昭如、北杜夫、林真理子、群ようこなどの人気作家を担当。 彼らのエッセイに「ペコちゃん」「魔性の女A子」などの名前で登場する名物編集長。最愛の伴侶、 作家の白川道が2015年4月に死去。ボツイチに。 ジャバザハット感満載のあたしが奮い起す幸せになる勇気(※写真はイメージ) 「生涯未婚率」(生涯独身率)。これは50歳時点で一度も結婚したことがない人間の割合をいう。1950年時点では男性1.5%、女性1.4%だったのに対し、最新データでは、男性は23.4%、つまり4人に1人が、そして女性は14.1%、つまり7人に1人が未婚だという、非婚時代。この割合は今後さらに高くなるとみられている。私は20代で一度結婚離婚を経験しているので、未婚率にはあてはまらないが、トウチャンとは18年間事実婚だったし、気持ちの上ではこの数字はぶっ刺さるのである。ちなみに50から54歳の女性の初婚率は0.3%、再婚率は1.58%というデータもある。私の年代では独身者の100人に2人弱しか初婚も再婚もしないということだ。もちろん年齢が上がれば、この数字はもっと低くなる。結婚するかどうかはともかく、50代からの人生を再び一緒に歩めるパートナーがほしい、と思い始めた身にはなかなかシビアな現実である。私はまず、自分のスペックを客観的に点検してみることにした。  そもそも50代って数字だけでも恋愛のハードルはあがりまくっているのに加え、このデブリきったボディはぽっちゃりを通り越し、ジャバザハット感満載だ(そもそも女性なのにあだ名が「親方」っていうのも、どうよ!)。浪費家のトウチャンにつぎ込んでいたので、貯金残高はスズメの涙、かろうじてマンションは自分名義の持ち家だが、住宅ローンはたっぷり残っている、いや残っているなんてもんじゃなく、定年過ぎても払い続ける計算、ヤバイじゃん! お世辞にも美人とはいえない顔には、加齢とともにシミもあるし、デブだから皺は少な目とはいえゴルゴラインもしっかり刻まれている。せめても色白ならば救われるのだが、あいにくの色黒。そして、せっかくの豊富なお肉がなぜか胸にだけは集まらず、そこは過疎地帯。たわわな腹にひきしまった胸。ウエストなんざ子供の頃から行方不明だし、形の悪いお尻は横に広がり規格外にでかいので、通常サイズの可愛い洋服なんか入らない。不摂生がたたっているとはいえ、なんというぶさいくボディ!こんな姿のわたしを「素敵」なんて恋してくれる男性がいたらお目にかかりたいわ!風呂上りに鏡に全身を映し出し、不覚にも爆笑してしまった。「こりゃ、えらいこっちゃ。再出発って、いったいどっから取り掛かったらええの?」と。  いやいや、と首を振る。いいところも探そう。私は仕事柄読書体験は豊富だから、最低限のインテリジェンスはあるつもりだ。交友も広いし、冗談が好きで、一緒にお酒が楽しく飲めると定評がある(はず)。あ!お酒といえば大事なスペックであるはずの料理……、台所関係は料理上手なトウチャンに任せ切っていたので、ほとんどしない。せめて床上手なら救われるのだが、あいにく、こちとら、「21世紀処女」の異名をとるくらい、そっちのほうもとんとご無沙汰ときた。あちゃー、私ってば、壊滅的に女子力低すぎ!!  セルフチェックの酷さに、少々落ち込んできたので気晴らしにゴールデン街のEちゃんママの店に出かけることにした。ゲイバーではないのだけれど、客の90パーセントはゲイで、ママと客の丁々発止のやりとりが笑える馴染みの一軒。ママのマシンガン毒舌を浴びれば、逆にすっきりするはずだ。  その日も小さなカウンターは開店と同時に満席になり、私の隣には馴染みのゲイのKが座った。パーソナルトレーナーを生業にしている、おしゃべりで楽しいナイスガイだ。「ゆかりさん、ヤッホー。珍しいじゃん、ひとりだなんて」「うん、なんか自己嫌悪でさ……あ、そうだ、K!あんた、からだの専門家でしょ?私の肉体を鍛えて、アンジェリーナ・ジョリーみたいにできないの?」「やっだー、いくらオレでもそれは無理。骨格レベルで取り換えないと。ちょっと、そこに立ってみて」。Kはおもむろに私の全身を遠慮なくこねくり回しはじめる。「ひどいわね、なに、このお腹。でも、足の筋肉は悪くない。うん、ナイスバディにはならないけど、今よりマシなからだ造りになら貢献できるカモ。週一くらいで無理なくやってみる?」。両手でハイタッチし、商談成立。とりあえず、肉体改造はこいつにゆだねてみよう。ここからひとつずつ改善していけばいいんだ!  その夜、私が書棚から手に取ったのはアドラー心理学を説いてベストセラーになった『嫌われる勇気』の完結編、『幸せになる勇気』。このシリーズは元気をくれ、迷いが減るので大好き。好きな頁をめくり、人生に必要なのは「自立」と「愛」であることを改めて噛みしめながら眠りにつき、なぜか、黙ってタバコをくゆらせるトウチャンの姿を夢で見た。(中瀬ゆかり)
中瀬ゆかり
dot. 2018/05/17 16:00
吉田羊、キスシーンで「女になってる」? 鈴木おさむ初監督映画
吉田羊、キスシーンで「女になってる」? 鈴木おさむ初監督映画
すずき・おさむ(左):1972年4月生まれ。大学在学中、19歳で放送作家としてデビュー。ドラマや映画の脚本執筆のほか、ラジオパーソナリティーなど多方面で活躍/よしだ・よう/1997年に舞台でデビュー。2014年にドラマ「HERO」で注目される。主な映画出演作に「映画ビリギャル」「ボクの妻と結婚してください。」。ドラマ、CMなどでも幅広く活躍(写真:篠塚ようこ) 映画「ラブ×ドック」はアラフォー女子の心に響く、大人のためのラブコメ。主演の吉田羊をはじめ出演陣も豪華。5月11日から全国公開 (c)2018『ラブ×ドック』製作委員会  ファンタジーのふりをした残酷物語だという。放送作家の鈴木おさむさんが映画「ラブ×ドック」で監督デビューを果たした。ヒロインは、女性から圧倒的な人気を誇る吉田羊さん。お二人に作品の裏話を語ってもらった。 *  *  * 鈴木おさむ:脚本を書き終えた後に主人公を考えたんですが、難しいなと思いましたね。30代後半から40代を演じられる女性で、しかもコメディーができて。 吉田羊:独身で(笑)。 鈴木:そう、それ大事なんですよ(笑)。考えていたら「あ、羊さんがいる」ってひらめいた。 吉田:勇気のある人だと思いました。吉田羊主演で恋愛映画を撮るなんて、当たると思っているの?って(笑)。でも、アラフォーの恋愛作品というと一般的にドロドロの不倫劇ですが、「ラブ×ドック」は違います。ファンタジーで恋愛をオブラートに包み、エンターテインメントに仕上げている。見事な脚本だなと思いました。 鈴木:恋愛映画をやりたいという思いはあった? 吉田:ご縁のないものだと思っていたので、人生経験の一つのつもりでチャレンジしました。私が演じた剛田飛鳥さんには共感できるところはいくつもありました。「人生に無駄な恋なんてない」は映画のテーマでもありますけど、私自身、恋に限らず人生に無駄なことはない、と思っています。飛鳥さんの魅力は不器用ながらも、正直なところだなと思ったので、飛鳥さんとの共通項をきちんと自分に取り入れて演じました。そこをリアルに演技することで彼女の正直さが伝わればいいなと。 鈴木:日本のエンターテインメントでいつももったいないと思うのは、アラサーからアラフォーの恋愛ものが少なすぎること。ハリウッド映画だとたくさんあるのに。例えば、「ニューイヤーズ・イブ」(2011年)という映画。羊さんに見てほしい。群像劇で、その中の一つのエピソードに、ミシェル・ファイファーとザック・エフロンが出てくる話があるんです。実はそれが「ラブ×ドック」の元ネタ。年の離れたファイファーとエフロンでこれを作ってしまうというのがすごくいいんですよ。 吉田:見てみます! 鈴木:「ラブ×ドック」はファンタジーのふりをした残酷物語。吉田鋼太郎さんが演じた、飛鳥の不倫相手の行動は、見ている男性のほうが痛いと思います。男が不倫したいがために気のある女性に「才能ある」って言っちゃう。最低の行為ですけど、そういう男性っていますよね。それに釣られちゃう女の人もいるし。僕はそういう恋愛を見たこともありますし、友達がたくさんいるので多くの恋の話を聞きます。不倫で明らかにだまされている女性は、本人にそう言っても聞かないでしょ。 吉田:痛い目に遭うまでね(笑)。 鈴木:そう。恋の相談をする人は自分が納得する答えが欲しいだけ。なんてずうずうしいやつなんだと思いますけどね(笑)。 吉田:おさむさんはすごく優しいし相手の言うことをくんであげるから、相談が多いんだと思います。相手の欲しい言葉をあえて言ってあげるからですよ。 鈴木:だってそうしないと終わらないんだもん(笑)。 吉田:おさむさんはいつも演じる人から「人(ニン)」が見えてほしいとおっしゃってましたよね。 鈴木:そう。どんな物語でも役者さんが演じているから役なんですけど、その役が本人と重なった時の最強ぶりってある。「人」が見えた時の爆発力ってすごいよなぁと常々思っています。 吉田:おさむさんはそこに基準があるから、ご自分で脚本を書かれているのに役者に渡したら役者のものだという潔さがあります。だから現場で「羊さん、このせりふはどういう気持ちで言いますか」って自分で書いたのに聞いてくる(笑)。いい意味で役者に任せていただいているんだと思ったので、本当に自由に感じたままに演じました。 鈴木:やりたいことは台本に全部書きました。世界観の構築は信頼しているアートディレクターに入ってもらったりしたので、映画のイメージは見えていました。この映画を見た僕の周りの30代以上の女性たちがみんな言ってくれるのは、最後の橋のシーン。まさに映画はそのクライマックスに向かって走っていきます。そのシーンの爆発力は羊さんの「人」が重なっていないと出ないと思っていました。だから、あのシーンが撮れたときはすごく安心しました。 吉田:私もです。リハーサルでは過呼吸になりましたから。それにしても今回のように、年下から年上までイケメン3人に言い寄られることはこの先の人生でないと思うので、ぜいたくな体験をさせていただきました。キスシーンも……。 鈴木:僕は「キス大喜利」だと思って作ったんです。そのくらいのつもりで書かないと印象に残らないなと思ったから。 吉田:でも、脚本に書かれていてもどれくらいの「強度」でキスをするかは書かれていない(笑)。役者さんにお任せでした。私はひそかにキスシーンもそれぞれの個性が出るなと思いながら受けていました(笑)。 鈴木:鋼太郎さんの口説きは緊張しました? 吉田:台本を読んだときはいかにもなセリフに「そりゃないわ」って思いましたけど、撮影現場では鋼太郎さんが万全の態勢で雰囲気を作ってくださるので、本当に乗せられていく。だから、こちらが応えないと、その温度差に私が損しちゃう(笑)。だったら乗っちゃえって。 鈴木:わかるな。カメラを引いたときの羊さんの顔が……。 吉田:女になってる? あれは鋼太郎さんに引き出していただきましたね。 鈴木:僕は映画でもドラマでも小説でも、ありそうでないことが一番優れていると思っているんです。なぜこれをやらなかったんだろう、とかね。この映画のように女性が主人公で三つの恋をする、しかも大人が見られて、楽しい気持ちになれる。映画館を出た後に(映画に出てきたゲームの)「太鼓の達人」をやったり、水族館へ行ってシャチを見たり。同じシーンをまねしたいなと思ったり、楽しい気持ちになってほしい。それが、この映画を作った僕の、一番大きな思いですね。 吉田:私は最初に申し上げたように、この映画のテーマである、人生において無駄がないということが伝わると一番うれしいです。最後の最後に飛鳥さんがどんなに傷ついてボロボロになっても、最終的にはそれがあったからこそ今がある。今の自分を肯定してあげているからこそ、すがすがしく見ていただける。恋でも仕事でも一歩踏み出すことを躊躇しない生き方の後押しになったらいいなと思います。 (構成/フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2018年5月14日号より抜粋
AERA 2018/05/15 11:30
過激派組織ISにSNSで対抗する市民ジャーナリズム集団「RBSS」とは
中村千晶 中村千晶
過激派組織ISにSNSで対抗する市民ジャーナリズム集団「RBSS」とは
「ラッカは静かに虐殺されている」/スマホを武器にラッカの惨状を伝える市民ジャーナリスト集団「RBSS」。メンバーはいまも国内外に分かれ、死の恐怖のなかで発信を続けている。アップリンク渋谷、ポレポレ東中野で公開中。ほか全国順次公開 [アップリンク提供 「ラッカは静かに虐殺されている」(c)2017 A&E Television Networks,LLC | Our Time Projects, LLC] 「ラジオ・コバニ」/IS占領下のコバニでラジオ局を立ち上げた20歳の大学生ディロバン。戦闘のただ中から復興の兆しがみえるまでの彼女の3年間を追う。5月12日(土)からアップリンク渋谷、ポレポレ東中野ほか全国順次公開(写真:アップリンク提供) 「カーキ色の記憶」/シリア人のアルフォーズ・タンジュール監督が「なぜシリア社会が混迷し、革命が始まったのか」を解き明かしてゆく。詩情と悲しみをたたえた映像が美しい。5月12日(土)から、アップリンク渋谷でアンコール上映(写真:アップリンク提供)  今世紀最大の人道危機とされるシリア内戦。イスラム国(IS)の占領と暴力、破壊を経た現地の状況を内側から伝えるドキュメンタリー映画「ラッカは静かに虐殺されている」が現在公開されている。ここで取り上げられている市民ジャーナリスト集団「ラッカは静かに虐殺されている(RBSS)」とはどのような組織なのか。 *  *  * 「ラッカは静かに虐殺されている」は、アメリカ生まれのドキュメンタリー作家、マシュー・ハイネマン監督による作品。2014年、過激派組織「イスラム国」(IS)に占領されたシリア北部の街・ラッカの惨状を、スマホを武器にSNSに投稿し続ける市民ジャーナリスト集団「ラッカは静かに虐殺されている(RBSS)」の活動を追ったものだ。  ISに斬首された人々の首が広場の柵に無造作にさらされる様子など、海外メディアが報じられない真実は世界に衝撃を与えた。一方で彼らの勇気ある行動は、大変な危険に満ちている。脅威を感じたISは彼らの自宅を探し出し、脅迫を繰り返す。仲間が捕らえられ、次々と処刑され、危険は家族にも及んでいく。マシュー監督は話す。 「ISについて調べているときにRBSSの活動を記事で知った。彼らとISの闘いをもっと広く世界に知ってもらうために映画を作ったんだ」  メンバーの日常生活を描くことで、彼らの“人間としての顔”を国際社会に訴えることも大きな目的だったと言う。 「さらに重要なのはISが“イデオロギー=思想”であることだ。たとえISが去っても、その思想が残り、ほかの団体がほかの場所で似たような旗を揚げるかもしれない。僕はその危険性を映画で伝えたかった」  シリア国内で身に危険の迫ったRBSSの中心メンバーたちはドイツ・ベルリンへと逃れていく。しかし、そこで彼らが遭遇するのはネオナチによる「難民・移民ヘイト」のデモ。さらに同じ難民のなかにもISの思想を持つ敵が潜み、脅迫はやまない。Skypeインタビューに応じてくれた、RBSSメンバーの一人、ハッサンは話す。 「ヨーロッパも決して安心できる場所ではありませんでした。特にドイツの状況は悪く、私はすでにドイツを出ています」  RBSSのメンバーはもともとジャーナリストだったわけではない。ハッサンはロースクールの学生だった11年、アラブの春で巻き起こった反政府主義を弾圧したアサド政権に抵抗し、立ち上がった。 「日々、恐怖を感じるし『もう、こんなことはやめたほうがいいのでは』と思うこともある。でもシリアの自由は達成されていない。ここまできてやめていいのか、という思いが勝つのです」  17年10月に米軍・有志連合の援護を受けたSDF(クルド人主導のシリア民主軍)がラッカを解放。だがまだまだ彼らが帰国できる状況にはない。現在も国外を拠点にシリア国内にいるメンバーからの映像と情報をSNSにアップし続けている。 「街中での戦闘は収まりましたが、現在ラッカでは暗殺が横行しています。SDFとISとの話し合いの仲介役だった人物が暗殺され、先日はラッカ再建委員会の委員長が暗殺された。また、いつ戦闘が始まるかわからない状況です」  暴力と破壊に満ちた世界に、復興の兆しと希望を見せてくれるのが「ラジオ・コバニ」だ。  舞台はラッカよりさらに北、トルコとの国境に近いクルド人の街・コバニ。14年にISの占領下にあったこの街でラジオ局を立ち上げた女子大生ディロバンの3年間の活動を追う。イラク出身でオランダ在住のラベー・ドスキー監督は偶然ラジオを耳にし、彼女に“一目ぼれ”して映画を撮り始めたと話す。 「14年の夏に、ISが3千人以上の女性と子どもを拉致し、性奴隷として売る事件がありました。そのことを知ったディロバンやコバニの女性たちは『自分たちはどうする? 逃げるのか、闘うのか?』と迫られた。そして彼女たちは『闘う』ことを選んだのです。私はそんな彼女たちに光を当てたかった」  自らの武器に“ラジオ”を選んだディロバンは、がれきの建物の地下に簡易スタジオを作り、放送を始める。市民をはげます音楽を流し、家を失った人々の苦境をインタビューして伝える。その姿は実にたくましく美しいが、やはり危険もあった。 「彼女のいた地区はクルド人に守られていましたが、一度だけスタジオを3人のISメンバーに襲撃されたことがあったそうです。クルド人の若者たちが彼らを殺害した、と彼女は言っていました」(ドスキー監督)  監督自身も撮影中、トルコ人兵士に拘束され暴行を受けた。  15年にコバニは解放され、映画は明るい兆しを見せ始める。しかし、一方でがれきから掘り起こされる遺体の生々しさが目に焼き付く。撮影は16年に終了したが、監督はその後もディロバンと連絡を取り続けている。 「彼女は元気で、前から夢見ていた教師の仕事を得ました。しかし、シリアの状況はまだ何も変わっていません。ディロバンも『街の60%が放置されたままで、再建に必要なセメントや鉄が手に入らない状況だ』と言っていました」(同)  シリアの悲劇は11年に始まったわけではない。シリア人のアルフォーズ・タンジュール監督による「カーキ色の記憶」は、叙情的な映像が美しい異色のドキュメンタリーだ。  1980年代にアサド体制に反対し、国を追われた作家や画家など4人に焦点を当て、監督自身の経験を振り返る。静かな語りが「問題の根っこに何があるのか」を教えてくれる。 (ライター・中村千晶) ※AERA 2018年5月14日号より抜粋
AERA 2018/05/13 11:30
「昭恵さんは一度だけ晋ちゃんと別れたいと言ったことがある」安倍首相夫妻の恩人が今だから明かす
上田耕司 上田耕司
「昭恵さんは一度だけ晋ちゃんと別れたいと言ったことがある」安倍首相夫妻の恩人が今だから明かす
今年の園遊会での安倍夫妻 (撮影/写真部・東川哲也) 【独占入手】31年前の若き日の安倍夫妻の結婚式 【独占入手】31年前の若き日の安倍夫妻の結婚式  加計疑惑で5月10日、国会招致された柳瀬唯夫・元総理秘書官が安倍晋三総理の「腹心の友」である加計孝太郎理事長と出会ったのは、山梨県にある河口湖近くの安倍家の別荘だ。柳瀬氏はこう答弁した。 「ゴールデンウィーク(GW)で総理の河口湖の別荘にご一緒した時、ご親族、ご友人が集まり、バーベキューをやった時、加計学園の理事長や事務局長がいらっしゃった」  その後、計3回も柳瀬氏は加計学園関係者と獣医学部新設を巡り、面会を重ねることになるのだが、この答弁でにわかに5年前の「総理の別荘」が関心を集めることになった。  5年前のゴールデンウィーク、安倍総理の別荘でどんなBBQ、ゴルフ会があったのか、様子を知る格好の記録がある。それは昭恵夫人のfacebookだ。  2013年5月4日、安倍夫妻はロシア、サウジアラビア、トルコなどの外遊から帰国。昭恵氏は同日、自らのfacebookに<羽田到着。帰ってきました~。帰国してすぐに河口湖。焼き肉なう……>などと綴り、めずらしく義母の洋子さんの写真も載せていた。  安倍夫妻はGWや夏休みに静養のために滞在するのが慣習になっており、昭恵氏は翌5日には、<今晩はみんなでBBQ。主人が持って帰ったユニフォームを着てみました>と綴り、読売ジャイアンツのユニフォームを着た夫との仲睦まじい写真を載せていた。  翌6日には、<富士山がきれいです!>と書き、ゴルフ場から見える富士山の眺めの良い写真をアップ。コメント欄には「最高のゴルフ場ですね」「ゴルフを思い切り楽しんで下さい」などとゴルフにまつわるものが寄せられた。  昭恵氏のゴルフの腕前について、安倍夫妻の結婚のキューピット役を務めた元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏はこう語る。 「昭恵さんはゴルフはシングルプレーヤーですよ。ゴルフがうまかった父親の松崎昭雄さん(森永製菓元社長)から、聖心女子専門学校の学生時代にみっちり手ほどきを受けたそうです」  昭恵氏のサポートのおかげで、さぞや加計理事長ら加計学園関係者とのゴルフとBBQでの交流が深まったことだろう。昭恵氏は加計学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」で名誉園長を務めていた。  安倍首相に近い萩生田光一幹事長代行は自らの当時のブログで、<GW最終日(13年5月6日)は青空のもと安倍総理とゴルフをご一緒させていただきました……スコアは国家機密です。前日は夕方から川口湖の別荘にてBBQ。>などと書いていた。  5年前と同様、今年のゴールデンウィークも、安倍夫妻はイスラエルなどの中東を訪問。帰国してからは別荘でゴルフを楽しんだようだ。数カ月前までは「別居」や「離婚の危機」と報じられたが、外遊では息のあったパフォーマンスが繰り広げられた。やはり夫婦の絆は強いようだ。ここに独占入手した写真がある。  写真は1987年6月9日、安倍夫妻が東京都港区赤坂の霊南坂教会で晴れて結婚式を挙げたときのもの。 「結婚披露宴の写真はたくさん出回っているんですが、結婚式の写真は私的に撮った、これしかないのでは。式場にカメラマンがいなかったから」(安倍家と親しい人物)  写真はちょっとピントが合っていないものもあるが、教会の中で、昭恵氏は微笑み、晋三氏はまっすぐ前を見ていた。幸せそうな2人を囲む人々は約100人。仲人夫妻、晋三氏の兄の安倍寛信氏、母親の洋子さん、洋子さんの兄弟ら親族、友人一同が顔を揃えた。二人は結婚まで3年の交際期間があった。長い春。別れの危機は結婚前にもあった。前出・濱岡氏はこう振り返った。 「交際を始めた当時は、電通に勤めていた昭恵さんと父親の安倍晋太郎元外相の秘書をしていた晋ちゃん。2人の交際中、昭恵さんから何度か相談を受けました」  ある日、深刻な顔をした昭恵氏がレストランで濱岡氏にこんな相談を持ちかけたという。 「昭恵さんが晋ちゃんと『もう別れたい』と言うんです。どうしたのかとワケを聴くと、『晋三さんから、いつまでたっても結婚してくれと言われない』と悩みを言うんです。私は昭恵さんに『晋ちゃんは銀のスプーンをくわえて生まれてきた。将来、ファーストレディもあるんだよ』となぐさめました。別れ話を聞いたのはその際、一度だけです」  昭恵氏が悩んでいることを晋三氏に伝えたところ、「バラの花を贈ったりしているのに……」と驚き、プロポーズし、2人は晴れてゴールインした。  その後、社交的で気さくな昭恵氏が安倍首相を支えてきた。 「晋ちゃんの祖父の岸信介さんから、2人の交際中に事務所に呼ばれ、『いい人を紹介してくれた。これでうちもロイヤルファミリーの一員』と、お礼を言われたのを覚えています」(濱岡氏)  だが、昭恵氏が東京都千代田区内神田に居酒屋「UZU(うず)」を出店した約6年前から母、洋子氏との間に嫁姑戦争が勃発。 「洋子さんは気が強い。怒ると大変。昭恵さんは全国いろんなところを回っていたから、叱ったんですね。それから昭恵さんは自宅によりつかなくなったそうです」(濱岡氏)  そんな安倍首相はそんな2人の間に入り、家でも気苦労が絶えないとのことだ。結婚式から31年の歳月が流れ、2人をどんな運命が待ち受けているのか。(本誌・上田耕司) ※週刊朝日オンライン限定記事
安倍政権
週刊朝日 2018/05/13 11:10
東大女子の葛藤 「ワンオペ」育児、キャリアの限界に「納得していないんですが…」
熊澤志保 熊澤志保
東大女子の葛藤 「ワンオペ」育児、キャリアの限界に「納得していないんですが…」
女性をめぐる社会の動きとAERAが伝えた男女の生き方(※赤字はアエラの目次などから抜粋。[ ]の数字は掲載号)[AERA 2018年5月14日号より、写真= (c)朝日新聞社] 女性をめぐる社会の動きとAERAが伝えた男女の生き方(※赤字はアエラの目次などから抜粋。[ ]の数字は掲載号)[AERA 2018年5月14日号より、写真= (c)朝日新聞社] 女性をめぐる社会の動きとAERAが伝えた男女の生き方(※赤字はアエラの目次などから抜粋。[ ]の数字は掲載号)[AERA 2018年5月14日号より、写真= (c)朝日新聞社]  1996年から男女の生き方について誌面で取り上げてきたAERA。20年余りの時を経て、男女の関係、とりわけ女性を取り巻く環境には多くの変化があり、そうした環境の変化は様々な問題も生じさせてきた。しかしその一方で、新たな男女の関係も生まれ始めている。  仕事と家庭の対立構造に問題がある、と指摘するのは、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささん(45)だ。 「仕事を『競争』、家事や育児や介護を『ケア』と定義すると、高度経済成長期は、ケアを女性に任せ、男性は競争に注力していればよかった。現代は、男女間の格差は過去に比べれば緩和されましたが、競争かケアかという問題は、今では男女両方に立ちふさがっています」  仕事と家庭の間で、男性もまた葛藤するようになった。いま、おおたさんが注目するのは、東大女子の生き方だ。 「東大という学歴の頂点で『競争』を象徴し、女性でもある彼女たちの生き方から、課題と可能性が見えてくるのでは」  96年、新卒で銀行に就職した東大卒のある女性(45)は、終電やタクシー帰りは当たり前、バリバリ働いてきた。結婚し、04年に第1子を出産。夫より稼いでいたが、育児休暇は「議論することなく、当然のように」自分が取った。夫は出張が多く、育児はいまでいう「ワンオペ」状態。保育園のお迎えのため18時過ぎに社をあがり、翌日出社すると、仕事の話がひっくり返っている。キャリアの限界を感じ、07年に独立した。仕事を選び効率的に進めるようになり、仕事の幅も広がった。軽やかな成功例に見えるが、いまだに納得できない部分は残る。 「夫と私の仕事に優劣はないはずなのに、子どもの急な用事が入るときは、私が必ずアポを調整して駆けつけます。夫が譲ったことはない。私は納得していないんですが……」(女性)  家事の負担を可視化すべく、タスク表をつけた。夫20、妻90、ベビーシッター48……。数字が出ても、夫の胸には響かない。  男女の仕事と家庭をめぐる葛藤は、時代を経ても変わらないのか。  価値観が大きく変わることもある。01年から恋バナを収集している桃山商事の清田隆之さん(37)は、「恋愛相談が『恋愛』というカテゴリーに収まらなくなってきた」と語る。その傾向が特に顕著になったのは、東日本大震災のあった11年以降だ。 「00年以降に働きだした世代は、実感としてバブルを知らず、不況という認識もないままに生きてきました。忙しく働いても給与はそう上がらず、40歳、50歳と年を重ねて仕事を続けていけるか不安に思っている。3.11で価値観が根底から揺さぶられたことも大きいと思います。若いのに、『いつか孤独死するのでは』と恐れている人が多い」(清田さん)  日本型雇用の恩恵から漏れた世代は、1人ではもはや人生の見通しも立っていない。  時代は必ずしも理想通りには進まないが、時代を表す言葉は次々に生まれてきた。女性がひとりでも堂々と行動できる世の中を願って発信された「おひとりさま」、30代以上・未婚・子ナシを女性が自虐的かつユーモラスに表現した「負け犬」、産後夫婦仲が悪化する現象を再発見した「産後クライシス」。女性の家事育児労働を正当に評価しないことを指摘した「家事ハラスメント」は、妻が夫に過剰に家事のダメ出しをすることと誤解された。積極的に育児参加する男性「イクメン」、自分の時間を求めてさまよう「フラリーマン」……。  一方、若い世代の価値観はフランクだ。現在、結婚1年前後の男女が見据えるものは、20年前と明らかに違う。  メーカーのマーケティング職にある東大卒の女性(27)は、「女性管理職を応援する職場で、就職活動時から今まで、女性で不利だと思ったことはない」と語る。結婚して1年あまり、官公庁に勤める夫と共働きだ。「思った以上に忙しくて、家事を分担通りにできず、イラついたことはある」が、イライラは「お互いさま」。二人とも一人暮らし経験者。結婚してから、家事の負担は2分の1になった。 「いずれ子どもができても、仕事を諦めたくないから、育休は夫にも検討してほしいし、夫も検討してくれている。制度は整っているので、普段から職場の関係性を良好に保っていれば、やっていけると思います」(女性)  エンジニアとしてプラント事業に携わる男性(28)も、同い年の妻と共働きだ。毎日の夕食はどちらかが作る。ある晩、彼が用意したのは、鮭のちゃんちゃん焼き、キノコのソテー、ごはんと味噌汁。調理時間は1時間程度。一汁三菜の縛りはない。 「家事の分担は特に決めていませんが、揉めたことはありません。もし片方が主婦か主夫として家庭に入ったら、家事は楽になるかもしれないけれど、その分片方が稼がなくてはいけなくなるので、結局労働量は同じになるのかな」(男性)  彼にとって、仕事は競争ではなく、家事もケアではなく、両方とも「生きるために必要なこと」。仕事をするのは稼ぐためであり、つらいこともあるが人とつながる楽しい場だ。 「子どもが生まれたり、仕事が極端に忙しくなったりしたら、今のところは、妻が『一度家庭に入る』と言っています。忙しさが一段落したら、また仕事復帰すると思います」(同)  もし妻から、家庭に入ってほしいと言われたら? 「妻に好きなことをしてほしいし、それで生活が成り立つなら、主夫になるのは構わない。いずれ社会復帰しないといけないから、子育てしながら資格を取るかな。その時になってみないと、わかりませんけど」(同)  二組の夫婦のライフステージは、これから変わっていく。  それぞれの世代が年を重ね、人生の新しい局面に向かい合う。AERAのテーマはそこにある。人が変われば、時代も変わる。(編集部・熊澤志保) ※AERA 2018年5月14日号より抜粋
働き方
AERA 2018/05/11 11:30
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

ロシアから見える世界

プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

ロシアから見える世界
カテゴリから探す
ニュース
〈先週に読まれた記事ピックアップ〉「カフェでお仕事」コーヒー1杯で“長居”問題に店が悲鳴  「8割がカフェワーカー」の切ない現実
〈先週に読まれた記事ピックアップ〉「カフェでお仕事」コーヒー1杯で“長居”問題に店が悲鳴 「8割がカフェワーカー」の切ない現実
カフェ
dot. 2時間前
教育
人手不足が深刻化する介護現場の“救世主”マッチングサービス「スケッター」の可能性
人手不足が深刻化する介護現場の“救世主”マッチングサービス「スケッター」の可能性
朝日新聞出版の本
dot. 2時間前
エンタメ
〈あのときの話題を「再生」〉「メリーはライオンで私はシマウマ」「相続税はすべてお支払い」…ジュリー氏を知る元ジュニアが感じた“違和感”
〈あのときの話題を「再生」〉「メリーはライオンで私はシマウマ」「相続税はすべてお支払い」…ジュリー氏を知る元ジュニアが感じた“違和感”
ジャニーズ事務所
dot. 2時間前
スポーツ
中日の“功労者”ビシエドの去就は立浪監督退任でどうなるか 「コーチ兼任」で残留の可能性
中日の“功労者”ビシエドの去就は立浪監督退任でどうなるか 「コーチ兼任」で残留の可能性
プロ野球
dot. 3時間前
ヘルス
〈あのときの話題を「再生」〉サラリーマン家庭で医学部に息子2人進学 親子で目指した合格 父「決意を確かめる意味で違う道も提案」
〈あのときの話題を「再生」〉サラリーマン家庭で医学部に息子2人進学 親子で目指した合格 父「決意を確かめる意味で違う道も提案」
医学部に入る2024
dot. 9/26
ビジネス
〈見逃し配信〉単身女性が40代で「広めの中古マンション」を買ったワケ 専門家が指摘する「老後破綻」の注意点
〈見逃し配信〉単身女性が40代で「広めの中古マンション」を買ったワケ 専門家が指摘する「老後破綻」の注意点
家が高すぎる
dot. 2時間前