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東京パラリンピックを支える「最強のパートナー」
東京パラリンピックを支える「最強のパートナー」
 パラアスリートにとって、車いすや義足、義手などの道具は体の一部といえる。時間をかけて自分のものになったとき、それは「最強のパートナー」となる。パートナーと共に練習を積み重ねるアスリート、彼らをサポートする人々をライター・川村章子氏が紹介する。 タックルを共に耐えた傷だらけの初代ラグ車。「懐かしいなぁ」と笑顔がこぼれる池透暢 (撮影/写真部・小山幸佑) *  *  * ■車いす 激突が許される車いすラグビー、「弱み」を武器に変える池透暢  ガシャーン、ドン、ガガーン──。車いす同士のぶつかり合いが許される唯一のパラリンピック競技である車いすラグビー。初めて観戦する人はその激突音と衝撃に驚かされる。  その競技用車いすは「ラグ車」と呼ばれ、攻撃型と守備型の2種類に分けられる。主に障害の軽い選手が乗る攻撃型は小回りがきくようにコンパクトで丸みを帯びており、主に障害の重い選手が乗る守備型は前に突き出したバンパーをぶつけて相手の動きを封じる。  日本代表の中で頭一つ飛び出すほどのひときわ高い攻撃型の車いすに乗っているのが、日本代表キャプテンの池透暢(39)だ。  19歳のとき、交通事故で左足を切断。左手にまひを負い、全身の75%にやけどを負う。座面の高い車いすに乗るのは、右ひざが曲がらず、低い座面だと車いす自体が長くなり旋回性が悪くなってしまうからだ。  激しいタックルを受ける車いすラグビーでは座面が低いほうが安定するのだが、池は高さを武器にする。 「攻撃では高さをパスやキャッチに生かして、守備ではパスをブロックするときの強みにしています。重心が高くなるためタックルされたときに倒れやすかったり、スピードが出にくかったりというデメリットはありますが、それを補うために体幹や走力強化のトレーニングを行っています」  その激しさと選手の機敏な動きを見ているとつい忘れてしまうのだが、車いすラグビーは上肢と下肢の両方に障害を持った選手がプレーする競技だ。非常に障害の重い選手もいる。そのため、ラグ車は個々の障害や体形、特徴に合わせてそれぞれカスタマイズする。  たとえば左足を切断している池は「ボールを膝上に置いて運ぶときに転がってしまうのを防ぐため」にオプションでボールホルダーも取り付けている。ほかにも、体幹の弱い選手はベルトを付けたり、手の力が弱い選手は軽くこげる高圧タイヤにしたり、クッションや背もたれに気を配ったり、それぞれ自分とラグ車が一体となるよう工夫を重ねている。  池の場合、だいたい1年半くらいでラグ車を作り変えるという。激しいプレーにさらされて劣化することもあるが、改良を加えて常に上を目指す。現在乗っているラグ車は4台目で、東京パラリンピックを見据えて昨年の秋に新調した。通常はフィットするまで1年はかかるが、今回はラグ車の出来がよく、3カ月ほどで「いいな」と思えるところまできたという。  一昨年、日本は世界選手権で強豪オーストラリアを下して金メダルを獲得した。しかし、昨年10月、日本開催のワールドチャレンジでは3位に終わる。 「今の時点で今までの最高のラグ車だし、最高の自分です。個人としての目標は、世界でだれにも負けないところまでいきたい。やるべきことをやっていれば結果はついてきますから」  ラグ車と自分が一体となることを突き詰めて、常に細心の注意を払ってトレーニングに取り組んでいく。 ■義足 最もタフなパラトライアスロン、秦由加子の痛みと闘う職人魂 「この義足、とても軽くできているんですよ」と話す秦由加子 (撮影/写真部・小黒冴夏)  日本人女性ではただ一人、太ももからの切断により大腿(だいたい)義足をつけてパラトライアスロンに挑む秦由加子(38)は昨年12月、水戸市にある義肢・装具の製作・販売を行っているアイムスを訪れた。新しいラン用義足が「今の体には合っていないので、すごく走りにくいし、脚が痛い」という。  2016年リオデジャネイロパラリンピックから正式競技となったパラトライアスロン。スイム(750メートル)、バイク(20キロ)、ラン(5キロ)の合計タイムで順位を競う。  昨年9月から、バイクは義足なしで乗っている。片足で乗る練習を重ね、義足をつけるよりもよいタイムが出るようになった。 「これで一本、義足の悩みが減りました」  と秦。そして、最大の課題がラン用の義足だ。これが、痛みとの闘いなのだ。  脚に合うものを求め、年に1回は作り直す。慣れるまで3カ月ほどかかる。義足を履くときはソケットと呼ばれる部分に脚を入れるのだが、ソケットは硬く肌に当たると痛みが出る。これまで痛くなかったことはなく、ラン用の義足は「基本、痛い」のだという。 「私の場合は、13歳で脚を切断しているので、切断した大腿骨の先がだんだんとがって伸びてきているんです。激しい運動をすると、その骨がグリグリ当たり、どうしても痛みが出てしまうのです」  秦の義足を作る義肢装具士の齋藤拓は言う。 「そもそも義足で走ること自体、特別なコツや筋力が必要なのに、その上で、5キロというパラの義足の競技の中で一番長い距離を走り続けるというのは本当に大変なことです」  それだけ脚に負担がかかるため、練習では距離を走り込むことができない。 「本番は5キロ走らないといけないのに、練習では8キロまでしか走れないのが一番の悩みです。もっと練習したいのに、それ以上走ると、翌日の練習にも支障が出てしまいます」  そこで、秦の義足を担当するメンバーが集まり、とにかく脚への負担が少なくて済むよう、軽くて痛くない究極の一本を目指し、知恵を絞っているのだ。  この日はミズノと共同開発した板バネを持って岐阜から今仙技術研究所のスタッフも訪れ、齋藤らと作戦会議が開かれた。  板バネとは義足の足部にあたり、荷重を反発力に変える機能を持つ。また、秦の義足の足裏には、ブリヂストンが特別に開発したゴムソールが付けられている。高いグリップ性能と耐久性を兼ね備えたソールで、秦の義足は、日本の技術と知恵、そして職人の技と熱い思いが詰まってできているのだ。  秦には大きな目標がある。 「これまでお世話になった人たちの目の前で、表彰台の上からお礼を言うことです。パラスポーツは、本当にいろいろな人たちの力があってできることだと思っています。義足一つ取ってみても、これだけの人たちが私のために労力と時間を費やしてくれています。最後にみんなで喜びを分かち合えたらうれしいですね」 ■義手 形状と重さを選手ごとに最適化、本番では「つけない」選択肢も [左]「ペンギンの羽」をイメージして作られた義手をつけて走る重本沙絵 (c)朝日新聞社 [右]義肢装具士の藤田悠介(撮影/横関一浩)  義足の選手に比べると圧倒的に少ないのが競技用の義手をつけたアスリートだ。主に陸上の選手が使っており、義手の選手として記憶に新しいのはリオパラリンピック女子陸上400メートルで銅メダルを獲得した重本(旧姓・辻)沙絵だろう。リオ以降、彼女の義手を作っているのが鉄道弘済会義肢装具サポートセンターの義肢装具士、藤田悠介(32)だ。パラ陸上の競技用の義手としては、重本のほか、三須穂乃香、鈴木雄大を担当している。  陸上競技の義手の役割について藤田は、こう話す。 「走っているときのバランスをもっとよくしようというのが一番の目的です」  重本の義手を見てみると、リオではこれまで主流とされてきたパイプを付けたタイプを使用していたが、「腕を振ると体に当たるから、もっと曲げて作ってほしい。もっと重さを調整してほしい」というリクエストがあり、藤田は、薄くて強度が高いカーボンを使い、義手の内側を空洞にするなどして120グラムという軽量化に成功した。  しかし、重本は「軽すぎて振っている感じがしない」。そこで先端に10グラムの重さを加えたら、今度は「重くなっちゃった。重さ10グラムを真ん中にほしい」。そんな試行錯誤をした後、重本から「軽く作った義手に外側からカバーをはめて重さを調節できるようなタイプを作ってくれないか」と言われ、昨年の6月、最新型が完成。カーボン製の130グラムの本体と、それにかぶせる20グラムと40グラムのプラスチックのカバーを作り、自分で重さを調整できるようにした。重本は軽いほうのカバーを付けたタイプがしっくりいったようだった。  ところが、ここで義手ならではの微妙なポイントが浮上してくる。  つけなければ走ることができない義足と違い、義手は「初めからつけない」「つけていたけれど、やめる」「やめていたけれど、つける」など、さまざまな選択肢があるのだ。ついこの間まで最強のパートナーだったはずなのに、タイムが伸びない、結果が出ない、気分を変えたい、というとき、義手を外してみる、という選択をすることがある。現在、重本は「義手をつけなくてもタイムが上がってきているので、つけない方向で検討している」(日体大・水野洋子監督)とのこと。  藤田は、こう言う。 「個人的には使ってもらいたいですし、海外の選手はわりとみんなつけている印象だったのでつけたほうがいいのではないかなと思いながら、でも、それは監督と選手が決めること。義手には『これが正解』というものがないので悩ましいのですが、改良には力を尽くしました。大会に向けて、ちょっと離れたところから静かに『頑張れよ』と見守っていようと思います。あっ、終わったら、みんなで焼き肉に行こうって話はしていますけどね(笑)」  3人の陸上選手は、義手というパートナーを使うのか、別れる(使わない)のか、復縁する(再び使う)のか、注目したい。 ■ハンドサイクル 少ない空気抵抗が生むスピード、一体感生む選手の姿勢に注目 [左]米国製のハンドサイクルで疾走する土田和歌子(c)Satoshi TAKASAKI/JTU [右]メカニックの塩野谷聡 (撮影/倉田貴志)  アスリートが安心して道具を使うことができるのは、しっかりと管理し、メンテナンスをしてくれるスタッフがいるからだ。  パラトライアスロンで車いすの選手が出場する座位クラス(PTWC)では、ハンドサイクルと呼ばれる手でこぐ自転車を使う。現在、このクラスで東京パラリンピック出場を狙うのは、男子の木村潤平と、女子の土田和歌子だ。その二人のハンドサイクルのメンテナンスやレース時の組み立て、調整、修理などを行うのがメカニック、塩野谷聡(40)である。 「普通の自転車に比べて地面に近くて空気抵抗が少ないので、けっこうスピードが出るんです。海外の男子のトップ選手だと時速50キロを超えますね」  塩野谷がハンドサイクルの魅力を教えてくれた。 「乗った印象は目線が低い。そして、ハンドサイクルのハンドルは戻ろうとする力が大きいので、小回りが利かないんです。低くて、長いので、車両の感覚がわかりにくい。なかなかコントロールが難しい」  そう、ハンドサイクルを目の前にして驚くのがそのサイズ。けっこう大きいのだ。しかし、木村・土田どちらの車体もカーボン製なので、片手でひょいと持ち上げられるほどだという。  塩野谷がハンドサイクルに出会ったのは木村が出場した15年のリオパラリンピックのテストイベント。リオの空港のロストバゲージで到着が遅れた木村の機材をホテルの部屋で組み立てたのが最初だった。  そして18年、リオパラリンピックまで、夏・冬合わせて7回出場し、日本人初の夏・冬の金メダリストとなったパラリンピック界のレジェンド、土田和歌子が陸上からトライアスロンに転向。現在、塩野谷はメカニックとして全面的に土田の競技用機材の整備を任せられている。  ハンドサイクルにおいて最も重要なのは、ポジション、つまりより速く走れる姿勢を取ることができるかどうか、だという。  スピードの出やすいハンドサイクルは、腕だけでなくしっかり体幹を使ってコントロールする必要がある。そのために体とハンドサイクルを一体化させるよい姿勢は大事な要素だ。木村と土田はそれぞれ、いい姿勢が取れるように、ハンドサイクルを改良しているとのこと。 「土田選手の場合は、所属の八千代工業でカーボン製のフットレストを作ってもらっているところです。木村選手も広島の義肢装具士に空気抵抗も考慮したフットレストを作ってもらったようです。ハンドサイクル自体は二人とも何年も乗っているものですが、新しいフットレストを付けて、さらなる記録の向上を狙っています。東京パラのトライアスロン会場はお台場ですが、無料で観戦できるエリアがたくさんあります。ぜひじかに見てもらいたい。あっという間に目の前を行ってしまって、びっくりすると思いますよ」  操縦の難しいハンドサイクルと選手が一体となったときに生まれるスピード感を、目撃してほしい。(文中敬称略) (ライター・川村章子) ※週刊朝日  2020年2月28日号
2020東京五輪
週刊朝日 2020/02/24 11:30
丸山茂樹「何をどう信じていいのか」新型肺炎対策に困惑
丸山茂樹 丸山茂樹
丸山茂樹「何をどう信じていいのか」新型肺炎対策に困惑
丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 ダイヤモンド・プリンセス号と救急車 (c)朝日新聞社  丸山茂樹氏は、日本に一時帰国し、緊迫したという。 *  *  *  ここロサンゼルスで、新型コロナウイルスの日本発のニュースを毎日チェックしています。  報道機関のニュースを読んだあとに、ネット上の事実かどうか分からない情報に触れると、複雑な気分になります。後者の内容にゾッとさせられるようなものが多いので。  僕にも知り合いから送られてきたりするんですよ。動画が。「これ、ヤバくない?」って。武漢の街の中で起こってることとして拡散されてるんですけど、日本では放送できないレベルの内容のものが、結構あるんですよね。  僕は先週、3泊5日で日本に戻ったんですけど、ちょっと自分の中で緊迫してましたね。もう、アルコール消毒と手洗いとうがい。そればっかり。日大ゴルフ部のパーティーだったんで、人と接触しますし、そういう意味では気を使ってましたね。だからもう、ずっと日本にいらっしゃるみなさんは気が気じゃないんじゃないかと思って。横浜港の大黒埠頭(ふとう)に停泊した大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」からも、多くの新型肺炎患者が出てますしね。  あと、マスクにはそこまでの防御効果はないという話も出てきたじゃないですか。結局防御をするには、自分で消毒だったり手洗いだったりとか、何かを触ったらすぐ消毒、手洗いをする。そういう心がけの方がいい気がしますね。何をどう信じていいのか分からないから、自分の中では手洗い、消毒、うがい、これだけを信じようと。それを続けて、僕はいまのところ何ともないですけどね。それにしても大変なことになってしまったなと思いますね。  2月下旬にタイとシンガポールで開催されるはずだったアメリカの女子ツアーも中止になって、出場を予定していた渋野日向子ちゃん(21)も、3月の国内ツアー開幕戦からの始動になりました。まあ、こればっかりはね。もともとのヤツよりも潜伏期間も長くなってるそうですから。  さて、米PGAツアーではフィル・ミケルソン(49)が30シーズン連続のトップ10入りをなし遂げました。  49歳にしてあの飛距離というのは、本人の自信につながってるんじゃないですかね。「飛んでるから、シニアにはいかない」と言ってましたから。体の調子もよさそうですしね。彼は生涯シードも持ってますから、もういつでもいいんじゃないですか? 自分の好きなタイミングで次のステージにいけば。  日本ではプロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務められた野村克也さんが亡くなられましたね。84歳でした。長い間、野球界を牽引(けんいん)してこられた方だと思います。奥さまの沙知代さんが2017年に亡くなられてから、寂しい気持ちが強くて、大丈夫なのかなと感じてはいました。  僕は野村さんと特別深い交流はなかったんですけど、ニュース番組なんかでご一緒していただいたときなんかは、合間に話しかけてくださったりしました。「長い間お疲れさまでした」という言葉しかないですね。  奥さまとまた、あちらの世界で仲よくしていただけたらいいなと思います。 ※週刊朝日  2020年2月28日号
丸山茂樹新型コロナウイルス
週刊朝日 2020/02/23 07:00
今年ブレイク確実・上白石萌歌は10歳で「東宝シンデレラ」グランプリ
高梨歩 高梨歩
今年ブレイク確実・上白石萌歌は10歳で「東宝シンデレラ」グランプリ
 演技力にも定評のある、上白石萌歌 (C)朝日新聞社 オーディションサイト「デビュー」が発表した、今年エンタメ界で飛躍が期待される「2020年ネクストブレイク」の女優部門の1位に上白石萌歌(20)が輝いた。昨年は話題作となったドラマ「3年A組」(日本テレビ)やNHK大河ドラマ「いだてん」で強い印象を残した上白石。「いだてん」では、競泳で日本人女性初の金メダリストとなった前畑秀子を演じるにあたり、水泳練習のほか、7kgもの増量に挑戦。みごと肉体改造に成功し、文字通り体当たりの演技で伝説のスイマー前畑を好演した。  彼女の芸能界入りのきっかけは小学校5年生のときに参加した「東宝シンデレラ」オーディション。なんと10歳の史上最年少でグランプリに輝いた。姉の萌音(22)も同じオーディションで審査員特別賞を受賞し、史上初の姉妹同時受賞でも話題をさらった。 「当時10才ながら、審査員の満場一致でグランプリとなりました。『東宝シンデレラが持っていてほしいものをすべて持っていた』と絶賛されての受賞でした。審査員たちの見る目は間違っていなかったようで、上白石さんはそのマルチな才能をつぎつぎと開花させています。劇場アニメ『未来のミライ』では声優、トーク番組『A-studio』ではサブMC、『adieu』名義での歌手活動など幅広い分野で活躍しています」(テレビ情報誌の編集者) 「午後の紅茶」のCMで披露した透明感のある歌声が耳に残っている人も多いのではないだろうか。2016年に1作目のCMが流れるや「歌っている子は誰?」とSNSなどで話題となった。上白石が歌うCharaの「やさしい気持ち」などのヒット曲に乗せて、高校生カップルの恋愛模様を描いた同作は好評を得て、4作に渡ってシリーズ化。ドラマ「義母と娘のブルース」(TBS、2018年)で幼なじみ役だった井之脇海と上白石との共演に「ギボムスの2人だ」「ナイスキャスティングすぎ!」などSNS上でも喜びの声が多くあがっていた。  現在は姉の萌音と同居中という上白石。情報番組「バケット」(日本テレビ、2月5日放送)に出演した際は、自身が頼りにしている存在として萌音の名を挙げ、「甘えてるわけじゃなくて、お互い頼りにしてるんだと私は思ってます」とコメント。また2人暮らしのルールや役割について聞かれると「お互いやれる時にできることをやる」と語っていた。姉の誕生日には、「全世界の全妹の中でわたしが1番幸せだ!」とインスタグラムに投稿し、その深い姉妹愛に反響が相次いでいた。 ■広瀬すず・アリス姉妹に対抗?  一方で上白石の華やかな芸能人との交友も有名だ。なかでも女優の橋本環奈との関係は特別で、「ハルチカ」(2017年)での共演をきっかけにプライベートでも親交を深め、親友と呼び合う仲になったという。ときにツイッターでやりとりすることもあり、お互いのSNSに登場するたびにファンは大喜びのようだ。 「他にも意外な交友網もある上白石。1月31日に金曜パーソナリティとして出演した『ZIP!』(日本テレビ)では、『お祝いしたい人』として、誕生日が同じ日の香取慎吾の名前を挙げていました。ドラマ『幽かな彼女』で教師と生徒役で共演経験があるのですが、ラストシーンで香取さんが生徒みんなの手を握ったことを明かし、『すごく思い出深いです』と当時を振り返っていました」(同)  2月22日には父親を殺した女子大生という難役を演じた「ファースト・ラヴ」(NHK)が放送されたばかりだが、共演した女優・真木よう子は「安定していた芝居をしていた」「役者としての信頼感はあった」と彼女の演技を絶賛。2月28日には初の写真集の発売も決まっている。同日の20才の誕生日を記念したもので、10代最後のありのままの素顔を切り取った透明感あふれる写真集となっている。    ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、上白石の今後についてこう予測する。 「現在、彼女は中島裕翔(Hey! Say! JUMP)主演の深夜ドラマ『僕はどこから』で、間宮祥太朗の妹役を演じています。中島と間宮という圧倒的な主役クラスの2人に囲まれながらも、ドラマオリジナルのキャラクターをしっかりと自分のものにし、存在感を発揮しているのはさすがです。もちろん演技だけでなく、歌手としても評価が高い。素性を隠してシングルリリースし、のちにそれが上白石萌歌であることを公表しましたが、下手をしたら失敗に終わるかもしれないプロモーションを成功させたのは、他ならぬ彼女の歌声がそれだけ魅力的だったから。まさに『天はニ物』どころかそれ以上を与えていると言わざるを得ません。広瀬アリス・すず姉妹が近年、ドラマや映画で大活躍していますが、これからは上白石姉妹がエンタメ界を席巻していくでしょう」  すらっとしたスタイルに相反するたぬき顔が親しみやすさを与える好材料にもなっている上白石萌歌。次々と新たな一面を見せてくれる新成人から目が離せない。(高梨歩)
dot. 2020/02/21 11:30
「がん哲学外来」で言葉を処方する医師・樋野興夫<現代の肖像>
「がん哲学外来」で言葉を処方する医師・樋野興夫<現代の肖像>
「ほっとけ、気にするな」「人生いばらの道、されど宴会」など数々の「言葉の処方箋」を贈る(撮影/岸本絢) 樋野の手帳はぎっしり文字が書かれている。愛読書の新渡戸稲造『武士道』や内村鑑三『代表的日本人』なども線や書き込みでいっぱいだ。愛用の黒のかばんは、本や資料でずっしり重く、持ち手もはげている(撮影/岸本絢) 「病気であっても、病人でない」「八方ふさがりでも天は開いている」。がん哲学外来を提唱した樋野興夫さんは、そんな言葉を贈り続ける。いま、樋野が始めた「がん哲学外来メディカル・カフェ」は全国約170カ所まで広がり、多くのがん経験者や家族らが集い、力を得る。無医村で育ち病理医となった樋野は、なぜ「哲学」に目覚めたのか? 温かなまなざしが育まれた軌跡をたどると、ある「芯」が見えた。  紺色のややくたびれた感じのスーツに青いワイシャツ、ネクタイも紺色で細めと決まっている。 「近所に買い物に行くときもスーツだよ。ネクタイは1本。毎日締めていると、2、3年で擦り切れてしまう。ワイフに注意されるんだけどね」  樋野興夫(ひの・おきお 65)は、故郷の出雲地方のなまりで、ゆったりと語る。松本清張の『砂の器』でも知られるように、出雲は島根県なのにズーズー弁である。物腰は柔らかく、自身について「暇げな風貌」という表現を好んで使う。  樋野は病理医である。同時に、2000年ごろに「がん哲学」を提唱し、08年に「がん哲学外来」を立ち上げた。以来、数千人のがん患者や家族らと面談して、さまざまな言葉を届けてきた。 「言葉の処方箋(せん)だよ。無料で、副作用がないよ」  19年11月30日、東京・お茶の水で開かれた「がん哲学外来 お茶の水メディカル・カフェ」の個人面談に立ち会った。会場はお茶の水クリスチャン・センター8階のチャペル。机はなく、いすが向かい合わせに置かれている。樋野はいつもの服装で、カルテもない。「聴診器は対話」という。  50代後半ぐらいだろうか。初めて来たという女性は最初、こわばっていた。胸に腫瘍(しゅよう)があるが、精密検査を受ける決断がついていない。 「純度の高い専門性を持った、がん専門の病院で診てもらって。曖昧(あいまい)なままだと一日中悩むよ」 「そうなんです」 「病気になっても、病人ではないよ。自分でコントロールできることには全力を尽くし、コントロールできないことには一喜一憂しない」 「この10カ月、もやもや悩んでいて。純度の高い医療に任せるところは任せて、自分にできることに集中する。分けなきゃいけないんですね」 「そういうことだね。そうすると、たとえ問題が解決しなくても、悩みは解消するよ」 「すっきりしました。夫が『どうせ人は死ぬんだから』と言うので、恨んでいたんです。でも、怒りも収まりそうです。違う自分になれました」  いつの間にか、女性は進むべき道を自ら見いだしている。たった十数分で、表情が一変していた。  日本では、2人に1人が生涯にがんになり、年間100万人ががんと診断される。がんは1981年以来、死因の第1位でもある。  人は自分や家族ががんになると、戸惑い、ときに死を意識する。人生を振り返り、今後どう生きるかを考える。そこで、がんを科学的に、人生を哲学的に学び、がんと共存していく。大まかに言えば、それが「がん哲学」である。樋野は「生物学の法則と人間学の法則を融合した」と言う。  各地で毎日のように行う講演でも、面談同様に、ヒントになりそうな言葉を繰り出す。 「八方ふさがりでも、天は開いているよ」 「夢を追いかけると逃げる。持ち続けると、夢から寄ってくる」 「困っている人とは一緒に困る。犬のおまわりさんだね」 「人生には、(過去の経験が)もしかするとこのときのためだったのでは、と思うときが来る」 「(象の横に子どもが座る写真を見せて)支えることはできなくても、寄り添うことはできるよ」 「ゲーテは言ってるよ。『涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない』と」  19年12月には、東京都文京区の小学校で6年生に授業をした。大人向けとほぼ変わらない、小学生には高度な内容だ。だが、感想文を読むと、 <「がん」も個性という話を聞き、考え方が変わった気がします>(女子) <「病気であっても普通に接する」と聞いて、「がんと共存」し、心配しすぎないようにすることが大切だと思いました>(男子) <特に印象に残ったのは人との関わり方です。人を評価することはやめようと思います>(男子)  などと、それぞれの感性で、自分なりに受け止めたことがわかる。樋野はこう語った。 「子どもたちの中に、将来残る言葉が、ひとつでも二つでもあればいい。僕の授業は、大学生は半分寝る。でも、小学生は全員、起きてるよ」  樋野には40冊近い著書がある。何冊かは英語、中国語、韓国語、ベトナム語に翻訳されている。  1954(昭和29)年3月7日、樋野は、出雲大社から北へおよそ8キロにある島根県大社町(現出雲市)の鵜峠(うど)で生まれた。「出雲風土記」にも登場する、日本海に面した小さな村だ。  姉が2人いる。興夫という珍しい名前は、「家を興す」という願いを込めて、船乗りだった祖父の卓郎が付けた。母の寿子(としこ)の兄2人が戦死したのだ。父の廉平(れんぺい)は婿養子で、貨物船やタンカーの機関長をしており、年に1、2カ月しか帰らなかった。家は広く、ニワトリを飼い、ヘビやイノシシが部屋に入ってきたこともあったらしい。  村に医師はいない。樋野が病気になると、母が背負い、トンネルを抜けて数キロ先の鷺浦(さぎうら)にある診療所まで連れていった。山道を母の背中で揺られながら、3歳のころから、子ども心に「大きくなったらお医者さんになろう」と決めたという。(文/中村智志) ※記事の続きは「AERA 2020年2月24日号」でご覧いただけます。
現代の肖像
AERA 2020/02/17 16:00
チョコの数も怪物級の松坂 福留は60代男性から…バレンタイン悲喜こもごも
久保田龍雄 久保田龍雄
チョコの数も怪物級の松坂 福留は60代男性から…バレンタイン悲喜こもごも
ルーキー時代の福留孝介は“まさか”の人物からチョコをゲット (c)朝日新聞社  明日2月14日はバレンタインデー。この日は各地でキャンプ中のプロ野球選手たちにも、女性ファンからチョコレートが届けられる。 「選手」と書いたが、すでに現役を引退してコーチになっているのに関わらず、現役選手をしのぐ女性人気を誇っているのが、中日の浅尾拓也2軍投手コーチだ。  昨年4月、名古屋テレビの朝の情報番組『ドデスカ!』で発表されたドラ女子100人による中日イケメンランキングでは、根尾昂、松井雅人、高橋周平ら現役組を抑え、19票で堂々のトップに輝いた。  現役時代は“浅尾きゅん”の愛称で親しまれた“球界一のイケメン”だが、まだそれほど有名ではなかったルーキー時代の2007年の沖縄キャンプでも、甘いマスクが女性ファンのハートをつかみ、約40個のチョコを手渡されている。 「疲れたときによくつまんでます。あと体重増やしている途中なので、貰ったのは部屋で食べています」(同年2月15日付中日スポーツ)と頂き物を肉体改造に活用した浅尾は、“チョコ効果”で2年目にリリーフとして44試合に登板。北京五輪に出場した岩瀬仁紀に代わって守護神を務めるなど、中継ぎエースに成長した。  すると、翌09年のバレンタインデーは、宿舎に届いた分こそ、25個の荒木雅博がトップで、浅尾は岩瀬と同じ15個の3位タイ(2位は井端弘和の20個)だったが、球場でファンから手渡された分が約80個もあり、前年から倍増。翌10年は、前年12月に結婚した影響から宿舎に送られてきたチョコの数も減少し、「もうこの話はいいですよ」と報道陣を制しながらも、グラウンドでは次々に手渡しのチョコを受け取っていた。  その後もイケメンナンバーワンの座は揺るがず、16年に「Woman Excite」が発表した「チョコをあげたいスポーツ選手ランキング」でも、野球選手ではトップの8位(1位はフィギュアの羽生結弦、野球選手の次点は10位のイチロー)に入っている。  それでは、過去に最も多くチョコレートを貰った選手は誰か?比較的記憶に新しいのが99年、西武ルーキー時代の松坂大輔だ。キャンプ地の高知に届いたその数は、なんと1000個。所沢の球団事務所に届いた分と合わせて約1200個になった。  山積みになった段ボール箱を前にして、さすがの“平成の怪物”も「チョコは溶けてしまいますし、一人じゃとても食べきれない」と困惑の表情。球団と相談し、「全国のファンから頂いて大変ありがたいんですが、無駄にもできませんし」と高知市内4カ所の児童養護施設に約500個をプレゼントした。  西武は森祇晶監督時代にも渡辺久信、清原和博、工藤公康の人気トリオがチョコの数を競い合い、87年にチームトップの1214個を貰った渡辺は「最高で2000個貰った」と回想している。  89年にはロッテのルーキー・前田幸長が1500個貰い、毎年1000個以上をキープも、結婚直後の92年に114個と10分の1に激減。トップの座も180個の愛甲猛に奪われた。「愛甲さんも結婚してるわけでしょ。だから、結婚が原因ってわけじゃないと思うんですよ」と首を捻った前田だが、日本ハムのトレンディーエース・西崎幸広も、結婚して子どもが生まれたあともトラック数台分のチョコが届き、娘の莉麻(現タレント)が「父に届いたチョコを食べていた」と明かしている。結婚したから必ずしも数が減るとは限らないところも面白い。  ちなみに西崎の独身時代の88年には、ファンからチョコを貰って喜んだある選手が、裏側に「西崎さんに渡してください」と書いてあったことから、ガッカリしたという悲話も伝わっている。また、80年代初めの広島では、1番人気の高橋慶彦に対抗して、自分でお金を払って女の子にチョコを買いに行かせた選手もいたという。 「せっかくの機会を見過ごす手はない」と商戦に便乗したのが、菓子メーカーが親会社のロッテ。84年から「バレンタインキャンペーン・愛の直送便」と銘打ち、自社製品のチョコをお目当ての選手に贈る企画をスタートさせたところ、87年、落合博満との大型トレードで移籍してきた牛島和彦に1123個が届き、前年まで3年連続トップだった山本功児を余裕で抜いてトップに。「中日時代は最高で200個だった」という牛島は「1日3個食べても1年かかる。みんな食べたいけど、そりゃ無理ですわ」とうれしい悲鳴を上げた。  17年からは「あなたがチョコを渡したい選手」投票を実施しており、昨年まで成田翔が3年連続1位に輝いている。  チョコを贈られるのは、選手や監督、コーチばかりとは限らない。11年のヤクルトは、1位・青木宣親(250個)、2位・由規(180個)に次いで、3位に球団マスコットのつば九郎(98個)がランクイン。その後、数は減ったものの、17年にも山田哲人(350個)、広岡大志(36個)に次ぐ3位(28個)に食い込むなど、女性層から根強く支持されている。  そして、贈る側も、必ずしも女性とは限らない。中日時代の福留孝介は07年にチームトップの70個を貰ったモテ男だが、入団1年目の99年は、同じ大物ルーキーながら、1200個の松坂と別の意味で注目された。バレンタインデー当日、選手宿舎前で外出するのを待っていた60歳ぐらいの男性からチョコをプレゼントされ、目を白黒。「こんな物を頂いても……」と複雑な表情だった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール 久保田龍雄 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。
dot. 2020/02/13 16:00
「50代未経験」で転職成功も 定年70歳時代の“息切れしない”働き方を考える
渡辺豪 渡辺豪
「50代未経験」で転職成功も 定年70歳時代の“息切れしない”働き方を考える
写真はイメージ(写真/gettyimages)  70代まで働くのが当たり前の時代がやってきた。道のりの長さには呆然とするが、働き方の自由度が高まっているのも事実。息切れしないよう、ときにペースを緩めることだってできるのだ。AERA2020年2月17日号では「働き方」を特集。2人の事例をもとに定年70歳時代の働き方を考える。 *  *  *  授業中、黒板にチョークで文字を書いていると、肩に激痛が走った。それでも、痛みに耐えながら生徒に気づかれないよう、だましだまし授業を続けた。 「痛みを理由に休むわけにはいかない」  英語の教師だった関西地方の50代の女性は大学卒業後、複数の公立、私立の中学・高校でがむしゃらに働いてきた。だが40歳を過ぎ、過労で体調に不安を覚えるようになった。 「優秀な生徒を育てたい」と意気込んで転身した私立の中高一貫校では、1学年4クラスに配置された英語教師は女性のみ。4クラスすべての宿題やノートのチェック、小テストの採点も1人でこなさなければならなかった。このため、毎日午前8時から午後8時まで勤務しても対応しきれず、土曜もフル出勤して何とかこなした。  ちょうどこの頃、手足などの関節が不意にしめつけられるような痛みに見舞われる。仕事量が増えると激痛の頻度が増し、寝返りを打つこともできず眠れない夜が続いた。たまらず整形外科を受診したが、なかなか原因が特定できなかった。5カ所目の病院でようやく「関節リウマチ」と診断された。  人を育て、教える仕事に熱意を持って打ち込んできた。だが、自分の働き方をあらためて振り返り、「ストレスが原因」と判断し、退職を決意した。  実家で投薬治療を続け、症状が落ち着くようになった頃、かつての同僚から検査業務の会社を紹介され、7年前に転職した。  50歳を過ぎて未経験の異業種に転職するのは不安もあった。だが、飛び込んでみると、意外に肌に合った。  数人の社員が働く小さな会社。主な業務は英語でのパソコン入力とメールのやりとり。午前9時~午後5時の定時勤務で残業も出張もないため手当の上乗せはないが、自分のペースを維持し、平穏な心持ちで働ける職場を心地よいと感じている。 「今の環境だったらまだ頑張って働けます。海外との取引が多く、英語を生かすこともできるため、自尊心を失わず働くことができるのもいい。納得して働ける環境にたどり着けたのは良かったと思います」(女性) 「人生100年時代」を迎え、政府は本人が希望すれば、70歳まで働ける機会をつくる努力義務を企業に課す方針だ。法律の改正案を今期の通常国会に提出、来年春からのスタートを目指す。 「定年」が延び、給料が上がり続けるわけでもない。ずっとハイペースで走り続けるのは、もう難しい。長く現役でいるために、自分の軸足をどこに置き、どうペース配分したらよいのか。 「他の会社で働いていたら自分の人生はどうなっていただろう」  首都圏在住の会社員男性(47)は、45歳を過ぎた頃から時折、自問自答するようになった。  与えられた課題を着実にこなしてきた実感はあったが、技術職の職場は1人で対応する仕事が多く、他人と成果を比較することもなかった。しかし、新卒で入社した「同期」がどんどん出世し、課長に昇進する人も出始めると、さすがに意識せずにはいられなくなった。妻と小・中学生の娘の4人暮らし。 「生活を考えると、この年になって下手には動けないですね」  男性は機械メーカーに就職したが、数年後に倒産。新卒時、第1志望だった輸送サービス会社に再チャレンジし、中途採用された。30歳のときだ。  中途採用者が「ノンキャリア」として扱われることは承知していた。しかし、10歳も若い新卒採用の同期が昇進する中、大学院卒の自分が中途採用という理由だけで、今もヒラ社員であることに割り切れない思いがある。 「人事制度上、仕方がないとは思っています。しかし正直、楽しくはないですね」  このまま、会社だけの人生ではつまらないという思いが募った。そんなとき、地元で女子中学生が誘拐される事件が起きた。被害者と年齢の近い2人の娘が頭をよぎり、男性は地域防犯に関心をもつようになる。 「自分に何かできないか」  自治体の防犯パトロールのボランティアに応募した。2年前のことだ。 「働き方改革」の波に乗り、会社のフレックス制度も充実し、気兼ねなく年休が取れるようになった。昨年からはPTA会長も務め、地域で頼られる存在として新たな居場所を確立した。  男性は、課された仕事はこれまで通りこなしながら、「今はワークよりライフのほうが上回っているかな」と明かす。 「出世コースに乗って会社だけの人生を送っていたら、できなかった選択です」  活動の場を地域に広げることで、結果的に長く社会に貢献できる道を歩み始めている。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2020年2月17日号より抜粋
働き方
AERA 2020/02/11 11:30
“氷上の妖精”リプニツカヤが「楽しみ」と語った選手の名前
“氷上の妖精”リプニツカヤが「楽しみ」と語った選手の名前
取材に応じたリプニツカヤさん(中央)(撮影/白鳥純一) 子どもたちに指導するリプニツカヤさん(撮影/白鳥純一) ”氷上の妖精”と呼ばれた現役時代のリプニツカヤさん(中央)(c)朝日新聞社  “氷上の妖精”と呼ばれたフィギュアスケート元ロシア代表で、2014年ソチオリンピック団体金メダリストのユリア・リプニツカヤさん(21)が来日した。6日には、明治神宮外苑アイススケート場(新宿区)でスケート教室を開催するなど、滞在中は日本各地で精力的に活動する。  17年に現役を引退したリプニツカヤさんは昨年、高橋大輔さん、荒川静香さんらとアイスショーに出演するなど、活動の幅を広げている。 「最近は、すべての試合をリアルタイムで見られているわけではありません」としたうえで、昨今の日本フィギュアスケート界ついて語ってくれた。  まず、彼女が男子フィギュアの注目選手に挙げたのが羽生結弦だ。 「先日の四大陸選手権から、平昌オリンピックで演じていた『ショパンの1番』と『SEIMEI』を使ったプログラムに戻し、高得点をマークしました。羽生選手はこれまで、長い間フィギュア界のトップを走り続けてきました。若手の追い上げも厳しいなかでの活躍を期待しています」  復調を目指す宇野昌磨については、「今シーズン序盤、コーチをつけずに試合に出て苦しんでいましたが、ステファノン・ランビエール氏(トリノ銀メダリスト)と組んだ今後も楽しみです」と語った。  女子フィギュアについては、「日本人の女子フィギュア選手も、4回転ジャンプとトリプルアクセルを入れてくると聞きました。注目しています」と語った。  四大陸選手権の後には世界選手権が3月に控えている。今シーズンの女子フィギュア界を席巻した「ロシア3人娘」こと、トゥルソワ、シェルバコワ、コストルナヤらと紀平の再戦も予想される。近年、圧倒的な強さを見せているロシア女子フィギュア選手の強さの秘密はどこにあるのか。リプニツカヤさんは「エテリ・トゥベリーゼコーチの存在があると思う」とかつて自身も指導を受けたコーチの名前を挙げる。 「彼女は、指導する選手たちの力を最大限に引き出しています。彼女を目標に、他のコーチがエテリコーチの指導を模倣し、それが全体的な底上げに結びついている」  シーズンも終盤。今後のさらなるフィギュア界の盛り上がりに期待したい。最後に、リプニツカヤさんは今回の来日についてこう語った。 「日本のファンは最高です。いつも空港に出迎えて歓迎してくれますし、手も振ってくれる。温かく熱い気持ちのあるファンが多い。私はもちろん、ロシアの選手たちも、皆さんからの会場での声援を喜ばしく受け取っています。今回は、東京、大阪でのレッスンのほか、福島でのチャリティーイベントにも参加します。フィギュアスケートを普及するという使命を持って、子どもたちのために全力で取り組みたい」  10日には東京ソラマチ(墨田区)で、コーチ陣とともに小学生とのスケートレッスンを行う予定だ。 「21歳になりました。今後について考えながら、今目の前にあることを頑張りたい。私自身、これからどうなるかわかりませんが、もっと成長していきたい」  今後もフィギュア界を盛り上げる彼女に注目だ。(取材・文/白鳥純一)
フィギュアスケート
dot. 2020/02/09 08:00
大久保佳代子を変えた愛犬「パコ美と晩酌が一番幸せ」
鮎川哲也 鮎川哲也
大久保佳代子を変えた愛犬「パコ美と晩酌が一番幸せ」
パコ美から学んだのは“モテテク”。「上目遣いで見つめたり、朝にキスで起こしたり、膝にちょこんと座ったりと、自然にできる女子はなかなかいない!」(撮影/写真部・松永卓也) この子が来て、私の感情が豊かになった 大久保佳代子さんとパコ美ちゃん(4歳メス) おおくぼ・かよこ/愛知県生まれ、千葉大学文学部文学科卒業。1992年、幼なじみの光浦靖子さんとコンビ「オアシズ」を結成。同年にデビューし、バラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」でブレーク。情報番組のコメンテーターなど幅広く活躍。(撮影/写真部・松永卓也、ヘアメイク/金子友美、スタイリスト/野田奈菜子) 「飼い始めた当初は、仕事中に気になっちゃうし、疲れて帰ったら帰ったで、ケージの中でうんちまみれのパコ美を洗わなきゃいけないし、育児ならぬ犬ノイローゼ状態。生き物を飼うのは大変なんだなって」  大久保佳代子さんがチワワとダックスフントのミックスであるチワックスのパコ美ちゃんを迎え入れたのは4年前のこと。テレビ番組のロケでペットショップに行き、そこで出会った。 「18歳で一人暮らしを始めてからずっと飼いたくて仕方がなかったけど、仕事が忙しくて。この機会を逃すとますます飼えなくなりそうで、いい子がいたら飼おうと決めてました」  40代も半ばを過ぎ、仕事は順調で安定感が出てきた。その半面、独身の大久保さんは自分のことしか考えなくてもいい今の状態に疑問を感じるようになった。 「本能的に自分ではないものにエネルギーを注ぎたいという時期だったのかも」  かつては仕事の後、友人と飲み歩いたり、夜中に呼び出されて飲みに行ったりするのが日常だったが、生活習慣が一変し、交友関係もかなり狭まったそう。 「犬が早起きするから、まず早寝。12時前にはベッドに入っているから、夜中に飲みの誘いがあっても気づかない。そのうち誘い自体も少なくなって。飲みに行くときも、家に帰って散歩とご飯を済ませてから出るようになりました。近所で仲のいい友達と飲んで、『パコ美見ていく?』ってうちに誘うコースが増えました」  何よりも、家でパコ美を相手に晩酌するときが一番幸せと感じるようになった。 「外で人に好かれようと気を使って頑張って飲んで、その結果気分悪くして、二日酔いになって、内臓を壊して時間を無駄にする意味って何だろう?って。ほろ酔いしたいなら、家でパコ美相手が一番いいなと」  もう一つ変わったことと言えば、保護犬や保護猫への関心の高まりだ。 「山路徹さんや青木さやかさんといった身近な人が保護猫の活動に携わっていることもあって、興味を持ち始めました。トークイベントに出たり、譲渡会の情報をツイッターでリツイートしたりと、自分にできることをやっています」  パコ美と暮らし始めて4年、気づいたことがある。 「もともと感情を出すタイプじゃなかったけど、パコ美と一緒にいて楽しかったり、パコ美に万が一のことがあったらと想像して悲しくなったりと、パコ美の存在が、私の感情を豊かにしてくれています」 (文/本誌・鮎川哲也、吉川明子) ※週刊朝日  2020年2月14日号
動物
週刊朝日 2020/02/07 08:00
エリカさま「女優復帰の資格ない」 事務所がクビを切らない本当の理由
上田耕司 上田耕司
エリカさま「女優復帰の資格ない」 事務所がクビを切らない本当の理由
法廷では「女優復帰は考えていない」と述べた沢尻エリカ被告だが…… (c)朝日新聞社  女優・沢尻エリカ被告(33)の初公判が1月31日、東京地方裁判所で開かれた。沢尻被告は東京都目黒区の自宅マンションで合成麻薬MDMAやLSDを所持したとして、麻薬取締法違反の罪で起訴されていた。  2千人超が傍聴券を求めて並んだ。抽選で当たったのは19人。117倍の高倍率で傍聴券を引き当てた会社員・松本俊幸さん(54)に話を聞いた。 「沢尻さんは黒髪で、うっすらと化粧をしていました。心労でやつれているのかと思いましたが、きれいでした。『自身の甘さのため、仕事先、ファンの方々を裏切ってしまい、深くお詫びします』と、謝罪していましたね。検事から何度も『どうしてクスリをやってしまったんですか』と問い詰められ、かわいそうなくらいでした」  起訴内容については「間違いありません」と認めた沢尻被告。職業を尋ねられると「無職です」と答え、女優復帰は「考えていません。復帰を語る資格はないと思います」と述べた。  この日は、証人として沢尻被告の兄も出廷。今後同居して、更生に向けて支援していくと話した。  また、所属事務所エイベックスの担当者からの書面も読み上げられた。「女優業への復帰が前提ではない」としつつも「当社も、信頼回復に努め、指導をしていきます」という内容で、事務所が沢尻被告の支援を継続することが明らかになった。  なぜ、事務所は世間を騒がせた沢尻を支えるのか。ある芸能事務所の代表はこう語る。 「エイベックスは、前の事務所を契約解除になった彼女に『何があっても切らない。守るから』と言って誘ったそうです。だから簡単にはクビにできないと聞いています」  ただ、芸能人はイメージが大事。仕事はあるのだろうか。 「コカインを使ったとして麻薬取締法違反で執行猶予付きの有罪判決を受けたピエール瀧は、電気グルーヴの石野卓球と昨年10月、新会社を設立。2人のマネジメントを軸に様々な事業を展開しています。地上波は厳しくても映画やステージなら活動の可能性があるということなのでしょう。ならば、沢尻だって、復帰した暁には、引く手あまただと思いますよ」(芸能事務所代表)  傍聴券を求める列には、復帰を待ち望むファンもいた。18歳の女子大生は「沢尻さんは演技力があり、自分の思っていることをはっきり話すのが他の芸能人にはない魅力です。ずっと見ていたいです」と話した。  検察は「懲役1年6カ月」を求刑、2月6日に判決が下される予定だ。世間の受け止めにも注目したい。(本誌・上田耕司) ※週刊朝日  2020年2月14日号
週刊朝日 2020/02/05 11:30
「東出と八郎はここが違う」 朝ドラウォッチャーが東出の不倫騒動を「スカーレット」から読み解く
矢部万紀子 矢部万紀子
「東出と八郎はここが違う」 朝ドラウォッチャーが東出の不倫騒動を「スカーレット」から読み解く
東出さん(左)と唐田さんは、映画「寝ても覚めても」で共演。現場でも親密な様子が話題だったという/2018年5月14日、フランス・カンヌ (c)朝日新聞社  不倫騒動中の東出昌大さんへのバッシングが過熱している。NHK「朝ドラ」ウォッチャーのコラムニスト・矢部万紀子が、「スカーレット」八郎との共通点と相違点を指摘する。 *  *  *  八郎さんがとうとう出ていってしまった。まさか都内の家具付きマンスリーマンションに移っていったということはないはずだ。だって1969年だし、だって滋賀の信楽(しがらき)だし、それに24歳の女子との関係は踏みとどまったのだから……。  と、ついて来ていただけてますかー?  放送中の朝ドラ「スカーレット」の八郎と満身創痍の俳優・東出昌大さん(32)を重ねてみた。共通点が多く、相違点も多い。順を追って説明していく。  まずはざっくりと「スカーレット」の話から。ヒロインは川原喜美子(戸田恵梨香)、八郎はその夫(松下洸平)で共に陶芸家。そこにやってきたのが弟子の松永三津(黒島結菜)。  世間的には受賞歴のある八郎の名が通っているが、八郎は喜美子に自分にはない天才性を見ている。そこから、八郎と三津の微妙な展開が始まる。詳細は省くが、台詞を少しだけ。  三津が八郎に、恋人と別れた理由を語る。「才能のある人は無意識に人を傷つけます。耐えられなくなって、別れました」  個展の作品づくりに行き詰まった八郎が、三津に思わずつぶやく。「喜美子の隣におるのは、しんどいな」  そもそも東出さんが、妻の杏さん(33)と結婚したきっかけは朝ドラだ。2013年スタートの「ごちそうさん」で、ヒロイン杏さんの相手役に抜擢されたのがほぼ無名の新人、東出さん。  朝ドラウォッチャー(あ、私です)としては東出さんの素人っぽい演技が印象深く、放送終了翌年の結婚には「やるなー」と感心した。彼の演技力も評価され、映画やドラマで次々主演するように。が、やはりハリウッドスターを父にもつ「先輩女優」との暮らし。「杏の隣におるのは、しんどいな」だったのかもしれない。  ここまでが東出さんと八郎さんとの共通点(東出さんに優しめバージョン)。で、ここからが相違点。八郎と三津の微妙な展開を、即物的に説明する。  工房で眠る八郎の唇に、三津がキスを挑んで超接近。八郎、目を覚ます。キス未遂。ややあって八郎、三津にごく遠回しに「なかったことにするよ」と優しく告げる。三津、工房を去る。  心に“すき”はありながら、女子との関係を踏みとどまった八郎。三津は冒頭にも書いたが24歳。唐田えりかさん(22)は東出さんとの出会い時、未成年。キス未遂時、八郎の妻・喜美子は陶芸に驀進中。杏さん、東出さんと唐田さん接近時、妊娠中。三津の弟子入り期間、1年未満。キス未遂、一瞬。東出さんと唐田さん、3年。八郎、家事能力高く、息子の寝かしつけその他に積極関与=昭和のイクメン。東出さん、「ほとんど何もしてないのが本当のところ」(夫婦を知る芸能関係者)。  と、東出さん関連はすべて週刊文春の受け売りだが、世間のワーキングマザーなどの怒りっぷりもわかるというものだ。  なお冒頭で、八郎さんが出ていったと書いたが、これは三津とは無関係。気になる方は、「スカーレット」をご覧ください。  最後に申し上げたいのだが、朝ドラファンは不倫を全く受け付けないかといえば、そんなことはないと思う。私が歴代ナンバーワン朝ドラと勝手に認定している「カーネーション」(11年~)は、ヒロインと妻子ある人との恋愛が描かれた。  戦争で夫を亡くした洋裁店店主(尾野真千子)と、原爆で何もかもなくし大阪に来た紳士服職人(綾野剛)の恋愛。2人の気持ちが痛いほどわかり、幸福感の向こうに悲しみが待っていることも伝わってきた。出会いから別れまで、2人が登場したのはたった3週間。毎日、息をのむように見続けた。  ドラマと現実は違う。にしても東出さんが描いた「ドラマ」は、いけてないにもほどがあった。満身創痍の理由は、そこだろう。よい「ドラマ」を見せる。俳優の仕事って、それなのに。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2020年2月10日号
男と女
AERA 2020/02/04 11:30
史上初「週刊朝日」表紙を読者モデル愛犬が飾る!おやつ作戦が成功し神ショットも
松岡かすみ 松岡かすみ
史上初「週刊朝日」表紙を読者モデル愛犬が飾る!おやつ作戦が成功し神ショットも
ノリル君の撮影風景(撮影/写真部・東川哲也) 表紙モデルを務めてくれた、ノリル君(雄・9歳)(撮影/写真部・東川哲也) 「週刊朝日」2020年2月14日号(2月4日発売、定価430円)の表紙に、98年の歴史ではじめて、公募による愛犬が登場する。  昨年末から年始にかけ、約3週間の募集期間で、多数の応募が集まった愛犬表紙モデル企画。たくさんの応募の中から、厳正な審査を経て表紙を飾るのは、ふわっふわの毛並みに愛くるしい瞳、そして笑ったような口元が印象的な、ポメラニアンの「ノリル君」(9才・雄・東京都在住)。飼い主である村瀬玲さん(37歳・東京都在住)に連れられ、スタジオに現れたノリル君は、騒いだり怯えたりすることなく、堂々と撮影に応じてくれた。  とは言え、思うようなポーズやカメラ目線を引き出すのは至難の業。好物のおやつをレンズに近づけてカメラ目線を促す“必殺おやつ作戦”を始め、飼い主の村瀬さんとカメラマンとの必死の掛け合いで、思わず口元が緩むような可愛らしい魅力が詰まった撮影に成功。 表紙は、一見、何の動物か分からないような“究極のもふもふショット”。リラックスムードの中、ごろんと仰向けになって、微笑んだような一瞬を切り取って実現した“神カット”は必見だ。  犬の表紙のほか、今号は犬特集がてんこ盛り!  惜しくも表紙モデルに選ばれなかった読者の愛犬も一挙掲載。また、天皇家の愛犬「由莉」と天皇皇后両陛下、愛子様との心温まる写真と、知られざるエピソードは必見。さらに、五輪フィギュアスケート女子金メダルのアリーナ・ザギトワ選手と、秋田犬MASARU(マサル)ちゃんとの“その後”の暮らし、そして“妹犬”との知られざる交流についても迫る。  俳優の浅田美代子さんやタレントの大久保佳代子さん、モデルの森泉さんら総勢5人の有名人と愛犬との撮り下ろし写真と、「愛犬との暮らし」や「愛犬がくれたもの」について余すところなく語ったインタビューも、読み応えたっぷり。  そのほかにも、愛犬を長生きさせるための食事・運動・しつけなどからなる“秘策”や、記憶を取り戻したり、動かなくなった手足が動くようになったりとさまざまな効果を上げているセラピードッグの実態などなど、犬好きならぬとも関心が高い大特集となっている。 (本誌・松岡かすみ) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2020/02/03 16:43
SNSで事件に巻き込まれないために 子どもたちができること
SNSで事件に巻き込まれないために 子どもたちができること
SNSで相手に誘われても会わないのが基本だ(写真/iStock)  子どもたちがSNSで事件に巻き込まれるニュースがたびたび報じられる。どうしたら巻き込まれずに済むのか。小中学生向けのニュース月刊誌「ジュニアエラ」2月号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  さみしい、つまらない……。そんな思いを、SNSにつぶやきたくなったことはあるだろうか。  昨年、大阪市の小学6年生の女の子を誘拐したとして、35歳の男が逮捕された。女の子はツイッターに「家出したい」と書き込み、男が「うちに来ない?」と誘った。女の子は、男の本名も住所も知らなかったという。  ネット上では、名前や住所はもちろん、年齢も職業も性別も、簡単に偽れる。顔画像だってごまかせる。「同年代の同性だよ~」と言ってくる相手が、実は下心を持つ大人の可能性もあるのだ。  相手は、優しい言葉であなたの気持ちに共感してくれるかもしれない。それでも、本名や学校名、住所を教えたり、顔画像を送ったりするのは避けよう。それらの情報をもとに脅されたり、学校や家の近くで待ち伏せされたりすることがある。  しつこく色々と要求してくる人には「親(学校)に禁止されているから」と断っていい。それで怒るような相手は、あなたの気持ちよりも自分の欲求を優先している。もはや友情でも愛情でもない。  SNSで知り合う人とは、誘われても会わないのが基本。「とりあえず待ち合わせして、怪しそうなら逃げればいい」と思うかもしれないが、最初は一人で来た相手が、途中で仲間を呼んであなたを取り囲む場合もある。カラオケ店や車に連れ込まれ、性的に暴行される被害も多発している。  ただ、相手と趣味などが合い、過去の投稿内容も見て「信用できる」と判断し、会ってみたくなることもあるだろう。そんなときは事前に、相手のアカウントや会う場所を親に伝え、万が一に備えておきたい。  実際にSNS絡みで嫌な目にあったらどうするか。そこにどんな理由があろうと、あなたは悪くない。悪いのは、まだ子どものあなたを狙う大人たちだ。だから安心して相談しよう。信頼できる大人が身近にいなければ、LINEやチャットで相談できる窓口もある。  一人で悩む必要はない。あなたは、守られていい存在なのだから。 【子どもたちの声】 ・同じ学校の友達と一緒に、SNS上で会ったことのない他校の女子と会話することがある。鍵を付けた上でも、写真や本名などは絶対に載せない。(中3女子) ・キッズケータイを持っている。親のスマホでゲームをするが、SNSはやっていない(小3男子) ・親のスマホでLINEをする。YouTubeやTikTokをよく見ている(小6女子) ・中1からスマホを持っている。LINEはひんぱんにするが、その他のSNSは見ているだけ。知らない人に会うのはこわい(中1女子) 【困ったときの相談窓口】 ●24時間子供SOSダイヤル 0120-0-78310(24時間)文部科学省 ●チャイルドライン 0120-99-7777(毎日・16:00~21:00) ●ほっとネットライン 0952-36-5900(月~金曜・9:00~18:00)/LINE ID @hotnetline (メディア教育評論家・渡辺真由子)
ジュニアエラ朝日新聞出版の本読書
AERA with Kids+ 2020/02/03 11:30
有安杏果が撮る東京の文化財「深大寺」
有安杏果が撮る東京の文化財「深大寺」
 撮影ポイントを見つけては立ち止まり、少しずつ撮影位置を変えては、愛用のソニー製デジタル一眼カメラ「α(アルファ)9」を構える。  有安杏果さんは、日本大学芸術学部写真学科で写真を学んだ。大学時代は、いろいろなカメラを使ったそうだが、有安さんの手に一番なじんだのが、現在使っているソニー製のカメラなのだそうだ。ライカ製のレンズをつけるのがお気に入りの組み合わせ。「自分の好きなボケた感じが出せるのと、色みの優しさが好き」とほほえむ。  アーティストとして各地でライブをする一方で、2019年から写真家としても活動を始めた有安さんと東京都内の神社仏閣を訪ねる企画「ももかアイズ」を紹介しよう。  第1回は東京都調布市にある創建1300年の古刹(こさつ)・深大寺。奈良時代の733(天平5)年に開かれたとされる天台宗の寺院だ。わき水が流れ、緑があふれる境内。 「都心から少し足を伸ばすだけで、こんなに自然に囲まれ、癒やされる場所があるんですね」    有安さんはこう目を輝かせる。 江戸時代の火災を逃れ、境内最古の建物となった山門  境内最古の建物である山門を抜けると、正面に、ふだんは非公開の本堂が見える。どっしりと構えた存在感のある造りで、幕末の火災で焼失後、1919(大正8)年に復興した。 多くの参拝者が手を合わせる非公開の本堂  今回は特別に、深大寺の学芸員、菱沼沙織さんの案内で、撮影が許可された。 有安さんが間近で撮影した本堂の装飾  本堂に入ると、天蓋(てんがい)の下で黄金に輝くご本尊の宝冠阿弥陀如来像(ほうかんあみだにょらいぞう)が有安さんを迎えた。ご本尊を際立たせる、きらびやかな装飾の美しさに目が留まった有安さんがすかさず近寄り、シャッターを切る。宝冠阿弥陀如来像は、栃木県日光市の輪王寺など、まつられている寺院は少ないという。 きらびやかに輝く宝冠阿弥陀如来像 「如来」は出家後の釈迦(しゃか)の姿をモデルにしているため、大日如来を除き、装飾品を捨てた衣一枚に、小さくカールした螺髪(らほつ)と呼ばれる髪の毛の姿を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、深大寺の宝冠阿弥陀如来像は、引き締まった体に髪を結い上げ、その名の通り、宝冠をつけ、結跏趺坐(けっかふざ)する。菱沼さんがこう教えてくれた。 「天台宗の修行に常行三昧(じょうぎょうざんまい)というのがあります。阿弥陀仏の像のまわりを歩きながら、その名をたたえて、阿弥陀仏を念じます。このお像は当初、修行のご本尊としておまつりされていました」  面貌や衣文表現などの特徴から鎌倉時代前期の作風を示す。また、像内には室町時代の修理銘が記されている。 本堂内部には、境内から柔らかな日差しが差し込んでいた  次に向かったのは、元三大師像(がんざんだいしぞう、慈恵大師像とも呼ばれる)をご本尊として安置している元三大師堂。有安さんが着くと、僧侶の読経が堂内に響くなか、護摩焚きが行われているさなかだった。この日は親子での参拝も多く、子どもの何げないしぐさに、有安さんも目を細める。 護摩焚きが行われていた元三大師堂  平安時代の高僧である良源(912~985年)は、元月(1月)3日の命日にちなんで、「元三大師」と呼ばれる。まつられているお像は鎌倉時代から室町時代初期の作で、座像だが、2メートルに及ぶ巨大な姿をしている。 魔除けとして玄関入り口などによく張られる降魔札  元三大師は、鬼の姿になり、疫病神を退治したことから、「厄除け大師」として信仰が厚い。この「角大師」の姿を刷ったお札は江戸時代以降、魔除けとして、玄関入り口などに貼られてきた。  天台宗の中興の祖であり、おみくじを作った人物としても知られる。深大寺では、大吉、吉、半吉、小吉、末吉、末小吉、凶の7種類があり、「凶は吉に転じる」という考えから、古来のまま、凶の割合が多いそうだ。 おみくじ結びの前で撮影をする有安杏果さん=アプリコット提供  深大寺では、2020年4月18日(土)から5月17日(日)にかけて、秘仏の元三大師像を修繕勧進のため、特別開帳する予定(拝観料1000円)。 「銅造釈迦如来像」(白鳳仏)が安置されている釈迦堂  2017年3月、地元が祝賀ムードに沸いた。深大寺に伝わる「銅造釈迦如来像」(白鳳仏)が国宝に指定されたからだ。都内の寺院に伝わる仏像として初めての国宝となった。 国宝に指定された「銅造釈迦如来像」(白鳳仏)=深大寺提供  白鳳仏は高さ約84センチ、重さ53キロ。深大寺が創建される以前となる飛鳥時代の7世紀後半ごろに、奈良周辺の畿内で造られた金銅仏で、その後、関東に運ばれ、深大寺の本尊となったとみられる。美術史としては白鳳時代にあたるため、地元では「白鳳仏」と呼ばれてきた。釈迦堂で拝観することができる(拝観料300円、高校生以下無料)。 国宝に指定された「銅造釈迦如来像」(白鳳仏)=深大寺提供  深大寺によると、江戸時代は本堂内の脇仏として安置されていたが、幕末の火災の後、再建された元三大師堂の須弥壇(しゅみだん)の下の地袋内に置かれたままになって、その存在が忘れられていたという。  1909(明治42)年に発見され、1913(大正2)年、古社寺保存法により国宝に指定された。1950年の文化財保護法施行でそれまでの国宝はすべて重要文化財になり、その中から毎年数件ずつ新たな国宝が選び直され、今回、改めて指定された。  白鳳仏の前で、有安さんは手を合わせた。 「穏やかで、ずっと安心感を与えてくれる柔らかな表情が素敵です。どのような経緯で深大寺に伝わったのか。いろいろと想像をふくらませてしまいますね」。  深大寺といえば、江戸時代より門前に「深大寺そば」のお店が軒を連ね、今もその光景が有名だ。地元では、そばの栽培やそば打ちを通じて、深大寺そばを深く理解する「深大寺そば学院」も開かれる。深大寺の張堂完俊住職が、学院長を務める。  深大寺そばを食した有安さんに感想を聞くと、「ツルツルとしていて、のど越しが良かったです」と満足そうだった。 山門の前でたたずむ有安杏果さん=アプリコット提供 「門前にお店がたくさんあって、女子旅にぴったりのお寺ですね。女子にとって、ご飯屋さんが多いことは必須ですから」 (写真・有安杏果、文・平野圭祐) ※週刊朝日オンライン限定記事 《アクセス》 深大寺 東京都調布市深大寺元町5-15-1 042・486・5511 釈迦堂は拝観料300円。京王線調布駅からバスで「深大寺行き」15分。JR三鷹駅など、ほかの交通手段もある。詳しくは深大寺公式HP(https://www.jindaiji.or.jp/)で。 <写真>有安杏果(ありやす・ももか)/1995年3月15日生まれ。歌手、写真家。0歳から芸能活動を始め、CMやドラマ、MVなどに出演多数。2017年3月日本大学芸術学部写真学科卒業。芸術学部長特別表彰受賞。写真学科奨励賞受賞。09年7月から8年間アイドルグループで活動し、18年1月卒業。19年1月、音楽や写真などを通して表現し伝えていく活動を発表。有安杏果オフィシャルサイトhttps://www.ariyasumomoka.jp/20年3月5日の名古屋公演を皮切りに、全国ツアー「サクライブ2020」がスタート。詳細はhttps://www.ariyasumomoka.jp/special/sakulive2020/ <文> 平野圭祐(ひらの・けいすけ)/1970年、京都市生まれ。毎日新聞社を経て、2004年、朝日新聞社入社。大阪本社社会部記者などの後、大阪企画事業部で「国宝 阿修羅展」「国宝 鳥獣戯画と高山寺」「運慶」をはじめとした展覧会を担当。現在、寺社文化財みらいセンター事務局長。著書に「京都水ものがたり―平安京1200年を歩く―」など。
週刊朝日 2020/02/03 11:30
岡本太郎から秘書にスカウトされ…瀬戸内寂聴が見た夢
岡本太郎から秘書にスカウトされ…瀬戸内寂聴が見た夢
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「長寿の秘密のひとつ、すぐ眠れることでしょ」  セトウチさん  眠ることに関しては天才的なセトウチさんはバタンQですよね。僕は反対にカッと見開いてしまって時々不眠症になることがあります。セトウチさんの長寿の秘密のひとつは、すぐ無意識になってコロンと眠れることでしょう。どうしたら、あんなに催眠術にかけられたようにコトンと猫みたいに眠れるんですか?  さぞ、たっぷりと夢もご覧になると思うんですが、セトウチさんからあんまり夢の話は聞いたことがないですね。三島(由紀夫)さんは「夢は見たことがない」とおっしゃっていました。「俺には無意識はない」と言う方だから、夢を見るはずがないですよね。そんな三島さんが小説の中で夢を見る話があるんですが、その夢の話は如何(いか)にも作り話で、僕みたいに夢をよく見る者から言わしていただくと、かなりインチキ夢です。如何にも予定調和的な夢で、ああこの人は夢を見たことがない人だな、と思って「夢は見ますか?」と聞いたら案の定、「見たことがない」とおっしゃったのです。  去年、セトウチさんの夢を見ました。京都の五条通で、占師になって、手相を見ているセトウチさんです。大勢の女性が行列を作っていました。通りかかった僕は「あら、またインチキ占いなどして!」と思いました。いつか四国の造船会社の社長だかにおみくじを頼まれて、「皆んなが喜ぶようなことばっかり書いちゃうの」とおっしゃったことがありました。そのおみくじのデザインを頼まれたんです。「ヘエー、インチキおみくじのデザインかア」と、結局実現しなかったんですかね。そんなことがあったので夢の中の手相見のセトウチさんのいい加減な占いに、若い女性が行列を作って……、まあ鑑定代はいくらか知らんけれど、騙(だま)されたい女性がいっぱいいるんだと、夢の中で僕は思ったもんです。  僕は昔、神仏が出てきたり、UFOに乗せられて地球外惑星を見物したりするスペクタクルズな超常的な夢ばかりを見る時期が7年間ほどありましたが、最近は、現実的な日常とさほど変わらない、実に面白くもないつまんない夢ばかりを見せられています。  でも今でも、昼の現実に対して夜の現実も評価して二つの現実をひとつに合体させて、これが僕の現実だと考えるようになりました。そーいう意味で絵は、昼と夜の夢のコラボだと思っています。三島さんじゃないけれど、僕も夢がだんだん現実化してきているので、そのうち、三島さんみたいに「僕には無意識がない」と言いだすかも知れません。  でも死後の世界からこの現実を見れば、それは夢なんじゃないでしょうかね。怒ったり泣いたり、笑ったり悩んだりするこの現象そのものが夢だとすると、われわれは五欲に振りまわされたシンドイ人生を、これこそが現実だと思って生きていることになりますよね。そう考えるとこの現界は仮象の世界で、あちらが実相ということになりますね。そこでワーワー騒ぎながら結局三島流に言うと「仮面の告白」ということになるんでしょうか。無意識がない三島さんは仮面をはずした状態ってことかな。仮面をはずして生きられれば最高です。せめて夢では仮面をはずしましょう。いい夢を見ておやすみになって下さい。 ■瀬戸内寂聴「バタンQ…夢になつかしの岡本太郎さん」  仰せのごとく、私は、閑(ひま)さえあればバタンQと眠りに落ち、目が覚めれば、何やら食べつづけ、あわただしく喋(しゃべ)り疲れ、またバタンQと眠りに落ちています。夢さえ見ないと、言いたいところですが、夢はたっぷり流れてくれます。  昨夜は、まるでこの手紙にお書きなさいというような夢が訪れましたよ。岡本太郎さんと、そのカノ女、平野敏子さんが、揃って現れてくれました。ほんとになつかしかったです。  このところ万博の話がよく出て、太郎さんの太陽の塔にテレビでお目にかかることが多いせいでしょうか? 夢の中の太郎さんは、私がはじめてお目にかかった頃から二、三年めあたりの若々しい姿でしたよ。まだ晩年の認知症の気ぶりなど、全くなく、小さな目を倍くらいに見開いて、早口に、トツトツと喋っていました。そばには秘書(実は実質妻)の平野敏子さんが、背中いっぱいになる長い豊かな髪を、無造作にまとめて、全くの化粧気なしの素顔で、にこにこしていました。  彼女は東京女子大の私の二、三年下の学生でしたが、在学時は、全く無関係でした。在学時代から、ずば抜けた秀才だったということでした。太郎さんは本を次々出版していますが、それは、太郎さんが喋るのを敏子さんがすべて聞きとり、見事な文章に仕上げるのでした。  青山の太郎さんのアトリエ兼住居は、親の一平、かの子の時代からの住所でした。私が毎日のように出入りしていた頃は、横長の階下が応接間兼、太郎さんの絵や文筆の仕事場でした。棲(す)み込みのお手伝いのよしえさんの仕事場(台所)や寝室もありました。二階は、太郎さんの寝室や、食堂、平野さんの部屋などでした。  ある日、太郎さんが私に向かって、 「きみは、いつも和服を着ているから、畳の部屋がいいかい? 六畳がいい? 四畳半がいい?」  と言い出しました。何でも、平野さんの仕事が多くなって大変なので、 「きみはまあ、文章も書けるから、ここへ来て、平野くんを手伝ってやってよ」  と言うのです。そのため私の部屋を二階に造るとか。あわてて、私が断ると、 「バッカだなあ、ろくでもない小説家になるより、天下の天才の岡本太郎の秘書になる方が、ずっとすばらしいのに!」  と言われました。それでも私は断り通しました。  太陽の塔の企画会議の席に、なぜか私も連れていってもらいました。太郎さんが情熱をこめて太陽の塔の説明をしていた声と顔が、今でもありありと浮かんできます。  夢の中の太郎さんの横には平野さんもいて、三人でどこかの料亭で、豪華な食事をしていました。昔、昔、そういうことがよくあったのです。支払いはいつも太郎さんでした。平野さんがサインしていました。夢の中で、太郎さんが食事をとめ、平野さんにボーイを呼ばせました。私はそれを聞くなり、席を立って食堂の外へ逃げ出し走り始めました。呼んだボーイに、この肉はくさってるとか、焼けてないとか、太郎さんが文句を言うのに決まっています。いつもそうなのでした。でも心の芯のやさしい人でした。また、夢に出てきてほしいです。では、また。 ※週刊朝日  2020年2月7日号
週刊朝日 2020/02/02 11:30
畑岡奈紗、米ツアー惜敗 丸山茂樹「ガッツがすごくある」
丸山茂樹 丸山茂樹
畑岡奈紗、米ツアー惜敗 丸山茂樹「ガッツがすごくある」
丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 奈紗ちゃん、よく粘った(EPA=時事)  丸山茂樹氏は国内外で活躍する後輩たちにエールを送る。 *  *  *  いやあ、この連載も333回目ですか。これからも読者のみなさんの心を「さん・さん・さん」と照らすようなコラムでありたいですね!  先週も少し触れましたけど、ロサンゼルスの自宅に戻ってます。去年は雨が多かったんですけど、今年は天気がいいです。気温は上が20度、下が10度ぐらいで、朝晩は少し冷え込みますけど、日中は暖かいですね。  さて、アメリカの女子ツアー開幕戦「ダイヤモンドリゾート トーナメントofチャンピオンズ」(1月16~20日、米フロリダ州のフォーシーズンG&スポーツCオーランド)で、畑岡奈紗ちゃん(21)が優勝争いをしました。  彼女を含む3人によるプレーオフに入ったんですけど、日没順延を挟んで7ホール目で負けちゃいました。プレーオフはずっと18番パー3でやってて。何だろうな。別のホールでもやればいいのに。ちょっとよく分からなかったです。奈紗ちゃんには、ちょっとかわいそうでしたよね。  終始落ち着いてて、素晴らしいゴルフをしてたと思いますよ。欲を言えば、もう一個ぐらいバーディー取れなかったかな、と思いますけどね。プレーオフやらずに勝つチャンスもあったと思いますけど、なかなかうまくいかないのがゴルフですから、しょうがないです。  奈紗ちゃんは技術もさることながら、ガッツがすごくあると思ってます。そのあたりが彼女の持ち味で、プレースタイルもいつも、頼もしいものを感じながら見てますよ。  国内男子ツアーの開幕戦「SMBCシンガポールオープン」(1月16~19日、シンガポールのセントーサGC)で木下稜介(28)が通算11アンダーで日本勢最高の6位に入って、7月の全英オープンの切符を手にしました。  初メジャーでしょう。よかったですよね。彼は僕に会うとゴルフの質問をしてきてくれたりするので、ちょくちょくしゃべってるんです。  ちょっと辛口で言わせてもらうと、プレースタイルとしてとくに何か特筆すべきものがあるわけでもなく、まんべんなく上手な選手かなという。本人の中ではまだまだウィークポイントがショートゲームにあるようなんで、いつもそういう話になりますね。  でも今回の試合会場だったセントーサでああいう成績を残せるってことは、ショットがうまい証拠だと思うんで、そういう意味ではショートゲームを伸ばしていけたら、もっと活躍できる選手になると思います。  7月の全英オープンまで、いいモチベーションができたでしょうし、それに全英開幕の日が誕生日なんですって? 自分で最高の誕生日にできるようにね。頑張ってほしいです。  少し前になりますが、バドミントンの桃田賢斗選手(25)が遠征先のマレーシアで交通事故に遭いました。24歳の運転手が亡くなるほどの事故。桃田選手はすぐ帰国して精密検査をしたところ、体には異常がなかったとのことでした。  早めに練習には復帰できそうなんで、また頑張ってほしいですよね。とはいえ心の傷があると思うんで、そういうところのケアをしてあげて、また立ち直ってほしいなと思いますね。 ※週刊朝日  2020年2月7日号
丸山茂樹
週刊朝日 2020/02/02 07:00
メンタルの弱さだけじゃない 全豪敗退の大坂なおみが抱える“もう一つ”の弱点
メンタルの弱さだけじゃない 全豪敗退の大坂なおみが抱える“もう一つ”の弱点
全豪で弱点を露呈した大坂なおみ(写真/Getty Images)  全豪オープンテニスのディフェンディングチャンピオンとして臨んだ第3シードの大坂なおみ(WTAランキング4位、1月20日付)が、3回戦でコリ・ガウフ(同67位/アメリカ)に、3-6、4-6で敗れて全豪2連覇を達成することはできなかった。 「本当にサーブが良かったと思います。ファーストサーブの確率がとても高かったです」とガウフが振り返ったとおり、ファーストサーブの確率が75%で、しかもコンスタントに時速170~180キロ台を記録した。ガウフが試合スタートからオーバーペース気味にハイレベルなテニスをしていたため、第2セットの途中で調子が落ちることも想定されたが、ガウフのテニスのレベルは最後まで落ちなかった。逆に、大坂のバックハンドストロークのミスが目立つようになり、ついに大坂は反撃の糸口を見出すことができなかった。  まず、ガウフの出来の良さをほめるべき試合で、本当に末恐ろしい15歳なのだが、67分のストレートで敗れた大坂にもの足りなさを感じたのも事実だ。 「ディフェンディングチャンピオンとしてタイトルを守れなかったことよりも、彼女(ガウフ)に負けたことがつらい。自分より若い選手に負けることを私は好まないです」  試合後、このように振り返った22歳の大坂はランキングも経験もガウフを上回っており、勝たなければいけない試合ではあった。大坂にやはりディフェンディングチャンピオンとしてのプレッシャーがなかったといったら嘘になるだろう。 「自分は、本当にまだチャンピオンのメンタルを持ち合わせていない」と大坂は自己分析をしたが、ガウフに対する淡泊な負け方からも鑑みると、メンタル面で課題を残すことになった。大坂に再びグランドスラムチャンピオンになりたいというモチベーションがどれだけあるのか、勝利へのハングリー精神がどれだけあるのか疑問符を付けたくもなる。  こういう状況だからこそ、2020年シーズンから大坂に帯同し始めたウィム・フィセッテコーチの手腕が問われることになる。試合データなどを駆使するのが有名なフィセッテコーチだが、まずは大坂のメンタルの立て直しを図るのが先決になるのではないだろうか。  また、大坂は2年前ぐらいからミスを減らすために時速200キロのファーストサーブを打たなくなった。大坂のファーストサーブは、ガウフと同じように時速180キロ台がコンスタントに出るが、このスピードだけでもほとんどの女子選手と比べれば優位に立てる。そのため無理に時速200キロのファーストサーブを打つ必要はなくなった。実際ガウフとの3回戦では、大坂のファーストサーブでのポイント確率は74%で悪くなかった。  問題はセカンドサーブだ。ファーストサーブと違って、大坂に大きなアドバンテージはない。特にガウフ戦では、時速130キロ台のセカンドサーブでコースも深さも甘く、ガウフにリターンを強打されて先手を取られ、セカンドサーブでのポイント獲得率はわずか33%に留まった。  今後、大坂のセカンドサーブはフィセッテコーチと取り組むべき改善点に挙げられる。他の選手による大坂対策に屈しないためにも、セカンドサーブの改良と戦術をフィセッテコーチと取り組み、大坂もさらにレベルアップしなければならない。 「私がウィムとまず目指すべきメインゴールは、トーナメントで優勝することであり、グランドスラムで優勝することです。彼も同じことを感じていることを確信しています。私たち2人は、すごく似たようなビジョンを持っています」  大坂は、フィセッテコーチと一緒なら、再びグランドスラムタイトルを奪取できると思えたからこそ新しくタッグを組んだのだ。  昨年の全豪優勝のランキングポイント2000点のうち、今回は130点しか守ることができなかった大坂は、大会後にWTAランキング4位から11位前後に落ちてトップ10陥落の可能性も秘めている。  世界の頂点を目指すために出直しとなる大坂だが、フィセッテコーチと共にセカンドサーブをはじめ、たとえ100%のコンディションではなくても勝ち続けられる粘り強いテニスと、トッププレーヤーであり続けるための強靭なメンタルを身に付けていく必要がある。2020年シーズン、再びグランドスラムの優勝争いをするような大坂の巻き返しに期待したい。(文・神 仁司)
dot. 2020/01/29 16:00
落ちた我が子をどう抱きしめる? 中学受験は「人生で何度もある椅子取りゲームの一つ」と開成校長
黒坂真由子 黒坂真由子
落ちた我が子をどう抱きしめる? 中学受験は「人生で何度もある椅子取りゲームの一つ」と開成校長
昨年12月に千葉県習志野市であった中学校の推薦入試受験のために集まった受験生と保護者たち (c)朝日新聞社 開成中学校・高等学校校長 柳沢幸雄さん(やなぎさわ・ゆきお、右):1947年生まれ。東京大学名誉教授。シックハウス症候群、化学物質過敏症研究の第一人者/鴎友学園女子中学高等学校名誉校長 吉野明さん(よしの・あきら):1950年生まれ。一橋大学を卒業後、鴎友学園の社会科の教師に。以来46年間、女子教育に邁進(撮影/今村拓馬)  中学受験がピークを迎える。思うような結果が出なかったとき、親はどうしたらいいのか。中高一貫の男子校と女子校で長年の教育経験を持つ開成中学校・高等学校校長の柳沢幸雄さんと鴎友学園女子中学高等学校名誉校長の吉野明さんが語り合ったAERA 2020年2月3日号の記事を紹介する。 *  *  * ──中学受験がピークを迎えます。結果が思うように出なかった子どもに親はどんな言葉をかけ、どう接したらいいでしょうか。 柳沢:まず覚えておいてもらいたいのは、中学受験というのは第1志望に合格しない割合が非常に高い、ということです。ほとんどの子が第1志望に落ちるんですよ。 吉野:「第1志望に受かった」という子の中にも、願書提出の前に志望校を変えている場合がありますからね。表面上第1志望に受かっていたとしても、その子の中にわだかまりがあることもあります。親がそのわだかまりをわかっておくだけでも、気持ちの持ちようが変わってきますよね。 柳沢:受験生に私が伝えているのは、受験というのは「椅子取りゲーム」だ、ということです。開成の場合、中学受験なら椅子は300。それに早く座れれば合格するし、遅れれば落ちる。そういう意味では、椅子取りゲームは生きているうえで何回もあるんです。 吉野:中学受験は特に、椅子が非常に少ないゲームということですね。 柳沢:椅子取りゲームのない世界はいいかもしれない。実は日本人はそれを経験しているんですよ。それは江戸時代。「士農工商」で職業が決まっていましたから。 吉野:生まれたときから椅子が決まっているということですね。 柳沢:子どもたちに「どっちがいいの?」と聞くと、「椅子取りゲームがあっても、自分がやりたいことをやりたい」と言います。そうなると、自分がやりたいことと同じことをやりたい人がいれば、椅子取りゲームが厳しくなる。ただ、椅子取りゲームは人生で1回だけじゃありませんから。1回失敗したら、次に頑張ればいいんです。だから親子ともに、そんなにがっかりすることはないんですよ。 吉野:特に母親との共振性が高い女の子の場合、お母さんの気持ちがものすごく子どもに伝わるんです。だからお母さんはお芝居でもいいから、平静でいてほしい。それが、まず親ができることです。一番いいのは、抱きしめてやることですね。体温を伝える。鼓動を伝える。そうやって「私はあなたのそばにいつもいるよ。味方だからね」という気持ちを、お子さんに伝えるのがすごく大事だと思います。 ──逆に、こういう態度はとってはいけないというのはありますか。 柳沢:その子の持っている能力や存在価値が傷ついたわけではないですからね。あくまでも競争の中での「1回の出来事」でしかない。それなのに落ちた子の前で号泣する親御さんもいるからね……。 吉野:本当に困ります。親は自分が悲しむのではなく、子どもの気持ちに共感する役割を担わなくてはなりません。特に女の子にとっては「横の関係性」がすごく大事なので、親子という「縦の関係性」で慰めてもらうよりも、「そうだよね」という感覚を一緒に共有してもらえるほうが心が落ち着きます。共感といっても難しいことはありません。子どもが「つらい」と言ったら、「つらいよね」と言葉を鸚鵡(おうむ)返しにして、「そうだよね」と言ってあげればいいのです。一緒になって気持ちを分かち合う場を持つことが必要なんです。また、子どもの受験なのに、「自分がやってきたことが報われなかった」という感覚を持つ親御さんもいます。第1志望ではなく、併願した学校にお子さんが通うことになり、「こんな学校にしか受からなかった」という気持ちを親が持っていると、それを感じ取って子どもはずっとモヤモヤを抱え続けることになる。 柳沢:例えば併願校含めて、二つ三つ受けるとしたら、どこに行ってもいいんですよ。大切なのは「入った学校に早く馴染めるかどうか」。経験上、入学試験の成績と卒業時の成績には、あまり関係がありませんから。 吉野:確かにそうですね。 柳沢:関係があるのは「1年生の終わりの成績」。これは、将来を予測するのにかなり有効な資料になります。つまり、どれだけ早くその学校に馴染んで、そこで自分の力を発揮できるか。そういう意味では、心の中に何かわだかまりがあると、自分のエネルギーをマイナスの解消に使うことになってしまいます。早く馴染めれば、自分なりの力が発揮できるものです。 吉野:むしろ「不合格だったところには行かなくて良かった」と思えるよう、決まった学校を最善の場とするように、親が働きかけることが大切です。学校が「自分の居場所」にならなければ、安心して学校生活を送ることはできません。 柳沢:人生には運もありますからね。実は受かった場所が一番いい場所なんですよ。学校の先生が試験問題を作るのですから、受かったということは、「その先生たちと相性がいい」ということなんだな、と。 吉野:入試は学校の顔ですからね。学校側は「こんな子に来てほしい」という思いを試験問題に投影しています。例えば鴎友では、理科の問題に女性の身体についての設問を出したことがあります。これは「自分自身の身体を大切にできる子に来てもらいたい」という思いがあるからです。そういった意味でも、受験の合格、不合格は一つの「縁」と捉えることができます。また、受かった学校の授業に十分についていけるということを表してもいますしね。 柳沢:教師もそうですが、親にも演技が必要です。合格発表の後ではなく、試験を受ける前から準備しておいたほうがいいですね。三つ受けるとしたら、「どこに行っても面白そうだね」「第1志望がここなのは知ってるけど、こっちも面白そうだと思うわ」とかね。落ちたときのために「想定問答」も用意しておいたほうがいいですね。とっさに対応できるように。 吉野:親自身の希望もあるかもしれませんが、子どものこれからを考えれば、悲しんでいる場合ではありません。子どもが新しい環境で自分の力を発揮できるように、受かったところを最善とするように振る舞うことが親に求められることです。 ──不合格だったとしても、もちろん次につながることがあるわけですね。 柳沢:人間、成功したときは、誰も反省しませんよ。失敗すると「ここが悪かった」「あそこが悪かった」といろいろ考える。そういう意味では、失敗は成功のチャンスをつかんだということなんです。野球で3割バッターというように、10チャレンジして3当たれば、人生本当にプラスなんですよ。半分以上が失敗だと考えると、なるべく早く経験しておいたほうがいい。 吉野:多くの女の子は「失敗しちゃいけない」とずっと思って育ってきています。お母さんからもお父さんからも言われて。小学校のときも「塾でこんな点数とったらお母さんが嫌な顔をした。失敗しちゃいけないなぁ」と。ですから「失敗していいんだよ」と言うと、ふっと肩の力が抜けて、いろいろなことができるようになるんです。鴎友では、入学式の日に「教室は失敗していい場所です。いっぱい失敗しようね。そこから始まるんだよ」と伝えています。 柳沢:多くの子どもや親御さんにとって、中学受験は最初の失敗かもしれませんが、大学入試にしたって人生の途中経過に過ぎないわけです。子育てのゴールは、自分が死んだ後、子どもが自分で飯を食えるようにすること。これを忘れないでいてほしい。 吉野:11歳、12歳ですから、これからまだまだ先があるわけです。合格した子というのは、最初のゴールを早く通過しただけのこと。そこで失敗しても、この後頑張れば次のテープを早く切ることができるのです。中学受験が最後のゴールじゃないんですから。 柳沢:40歳になって初めて失敗、などとなったら、人生本当に大変ですよ。失敗は早いほうがいいんです。 (ライター・黒坂真由子) ※AERA 2020年2月3日号
受験
AERA 2020/01/29 11:30
シニアの「てんかん」に交通事故リスク 認知症との深い関係も
シニアの「てんかん」に交通事故リスク 認知症との深い関係も
イラスト/和田慧子 (週刊朝日2020年1月31日号より) 高齢者てんかんの原因 (週刊朝日2020年1月31日号より)  子どもが急にけいれんを起こして意識を失い、バタンと倒れる──。てんかんには、そんなイメージがあるが、実はシニアになってから発症するケースにこそ注意が必要だ。認知症や交通事故との関係も指摘されている。「高齢者てんかん」の最新事情を専門家に取材した。 *  *  *  てんかんとは、大脳の神経細胞が突然、過剰に興奮して、発作を起こす病気。日本では60万~100万人の患者がいると推定され、決して珍しい病気ではない。  子どものころに発症する病気と思われがちだが、最近は高齢になって初めて診断される「高齢者てんかん」が増えている。背景にあるのは高齢化。高齢者人口の増加に伴い、今後も患者数は増える可能性が高い。  高齢者てんかんに詳しい国際医療福祉大学医学部教授で、福岡山王病院てんかん・すいみんセンター(福岡市早良区)の赤松直樹さんは次のように説明する。 「高齢者てんかんで注意しなければならないのは、一般的なてんかんのイメージとは違う形で発作が表れることがあることです。もちろん、多くの人が想像するような発作を起こすケースも、半数ほどあります」  高齢者てんかんの半数に見られる特徴的な発作とは、けいれんが起こらない「焦点意識減損発作(焦点発作)」だ。スーッと意識がなくなったと思うと、その間、口をもぐもぐ、くちゃくちゃさせたり、フラフラと歩き回ったり、手をたたいたりといった自動症と呼ばれる動作を繰り返す。これが30秒~3分ほど続く。意識が戻ってもボーッと一点を見つめ、しばらくはもうろうとしていることが多い。 「焦点発作は、脳の1カ所の神経細胞がショートすることで起こります。特に言葉や記憶、聴覚に関わっている側頭葉や、記憶をつかさどる海馬の神経細胞で発生しやすいことがわかっています」(赤松さん)  原因の半分は脳の病気。なかでも脳卒中が最も多く、全体の3分の1を占める。そのため、「脳卒中後てんかん」を、他のてんかんと区別して呼ぶこともある。脳卒中のほかには、脳腫瘍や脳炎、頭部外傷、認知症などが原因となる(認知症とてんかんの関係については後述)。 「脳卒中では脳の血管が切れたり詰まったりしますが、その際に神経回路の一部がダメージを受けてしまう。それがてんかん発作の原因となります。脳卒中を発症した後にてんかん発作があり、ほかに原因がなければ脳卒中後てんかんを疑います」(同)  残り半分の原因は今のところわかっていないが、赤松さんは「加齢によるもの」と推測する。加齢によって脳の一部が変性し、てんかん発作を起こすという。  こうした高齢者てんかんで注目したいのは、シニアの自動車運転中の事故と無関係ではないことだ。実は、物損や軽傷の事故がきっかけでてんかんが見つかるケースは少なくないと、赤松さんは指摘する。 「初診の患者さんに話を聞くと、3カ月前に追突事故を起こしたとか、ガレージに車をぶつけたとか、そんなことを話される方もいます。車に限らず、自転車に乗っているときや機械操作をしているときに事故を起こした例もあります」  高齢者が引き起こす交通事故は、記憶力や判断力などの認知機能の低下が影響しているといわれている。そのため、2009年からは、運転免許証の更新期間が満了する日の年齢が75歳以上のドライバーは、高齢者講習の前に認知機能検査を受ける必要がある。  東京女子医科大学東医療センター(東京都荒川区)脳神経外科講師の久保田有一さんは、さらに、「高齢者は認知症だけでなく、てんかんの可能性も疑ってほしい」と訴える。 「認知機能の低下で想定される交通事故は、ブレーキとアクセルを踏み間違える、とっさに状況判断ができないといったことで生じます。一方、てんかんではボーッとして意識がない状態になるので、赤信号になってもアクセルを踏みっぱなしでいるとか、逆走しても気付かないまま走行するという可能性が考えられます」(久保田さん)  てんかん発作は、突然、起こり、しばらくすると治まる。意識が元の状態に戻った後は認知機能も脳波も、健康な人とまったく変わらない。交通事故が起こっても、本人の申告がなければ、それがてんかん発作によるものなのか、事故後に究明するのは難しい。  だから、心当たりがあったら医療機関を受診して、てんかんかどうかを調べてみること。状況に応じて、勇気を持って免許証を返納するというのも選択肢だ。 「これは、“てんかんの人は運転するな”ということではありません。診断を受けて治療し、発作が起きないことが確認されれば、再び、ハンドルを握ることはできます」(同)  てんかんについての啓発活動や相談などを行っている日本てんかん協会の理事、田所裕二さんによると、「2年間、運転に支障が生じる発作がなく、今後、症状が悪化する恐れがないと医師が認めた場合、免許を更新したり取得したりすることができる」という。 「最終的には、適性検査を受けて決まります。気になる点があったら、まずはてんかん治療に詳しい医師にご相談ください」(田所さん)  続いて診断だが、これは問診と脳波検査から総合的に判断される。特に重視されるのは、本人と家族からの聞き取りだ。 「焦点発作はご本人が気付かないで起こっていることが多い。ですから、ご本人からは、“最近、気付くとあざができている”とか、“違う場所にいる”とかの症状がないかをお聞きします」(赤松さん)  一方、家族からは、ボーッとしていて家族の声掛けに反応がないときがあるか、ボーッとしているときに口をもぐもぐさせたり、手足をばたつかせたりしていないか、夜にフラフラと歩いて転倒したことはないかといった、周囲が見てわかる異変について聞き取る。  さらに赤松さんは家族に対し、「てんかんかもしれないと思ったら、やってもらいたいことがある」と話す。 「気になる様子をスマホの動画で撮ってほしいのです。それにより、どんな症状が出ているのか、症状が出ている時間がどれくらいか、私たち医師もリアルに知ることができます。また、てんかんなのか、せん妄などほかの病気なのか、その鑑別もできます」(同)  繰り返すが、発熱や血圧が高いといった症状とは違い、発作が出ていないときは健康な人と変わりない。そのぶん診断が難しい。早期診断につなげるためにも、スマホの動画が有効なのだという。  幸い、てんかんは薬物治療が非常に有効で、高い確率で発作を抑えることができる。赤松さんは「特に高齢者の有効性が高く、9割ほど」と話す。  現在、処方されているものは新しいタイプの抗てんかん薬。レベチラセタム(商品名はイーケプラ。以下同)、ペランパネル(フィコンパ)、ラコサミド(ビムパット)、ラモトリギン(ラミクタール)などがある。いずれも昔に使われていた薬で頻発しためまい、ふらつきといった副作用が出にくい。錠剤で、1日1~2回服用する。基本的には1種類の薬ですむが、効果の表れ方によっては、2種類を服用することもある。 「高齢者は降圧薬や血糖降下薬など、複数の薬を処方されていることが多いですが、こうした薬との相互作用もなく、比較的安全な薬といえます」(同)  重要なのは、きちんと診断を受け、薬を飲み忘れないこと。服用をやめると発作は再発しやすい。  てんかんと交通事故で思い出されるのは、12年、京都市の祇園で起こった暴走事故だろう。軽ワゴン車を運転していた男性(当時30歳)が車を暴走させ、男性を含む8人が死亡、12人が重軽傷を負った。11年には栃木県の鹿沼市でもクレーン車を運転していた男性(当時26歳)が交通事故を起こし、児童6人が死亡した。これもてんかん発作が原因だとされた。  2件とも高齢者が起こした事故ではない。だが、田所さんはこう話す。 「報道されている交通事故では、てんかんという持病があるにもかかわらず、きちんと薬を飲まない人が多い。てんかんは薬で発作を抑えることができる病気なのに、残念でなりません」  治療の継続や普段の生活においては、家族の関わりが大事になる。 「薬の飲み忘れをしないように、しっかりチェックしてほしい。また、患者さんは発作が起こることにとても不安を覚えていて、家に閉じこもりがちです。最初のうちは一緒に出かけるなどして、薬で発作が出ないことに自信を持ってもらえるようサポートをお願いします」(田所さん)  もう一つ、高齢者てんかんで関心を集めているトピックがある。てんかんは認知症と深い関わりがあることがわかってきたのだ。  昨年12月に開催された米国てんかん学会に参加した久保田さんは、「実は、高齢者てんかんとアルツハイマー病は、お互いに作用し合い、負のスパイラルをもたらしていることが、専門家の間で指摘されているのです」と報告する。  認知症の一つアルツハイマー病では、患者の脳の神経細胞にアミロイドベータやタウタンパクといった不純物が蓄積していることが知られている。これらの不純物には神経毒性があるため、それが原因で神経細胞が“ショート”し、てんかん発作を起こすというのがそのメカニズムだ。  加えて、てんかん発作が起こると神経細胞からはある種のアミノ酸が放出される。それが神経細胞にダメージを与え、アルツハイマー病を進行させてしまう。  この指摘はまだ検証中であり今後の研究結果が待たれるが、アメリカの医学誌には、アルツハイマー病の患者の7~10%に高齢者てんかんが、高齢者てんかんの患者の10%にアルツハイマー病があることが報告されているという。 「これはたいへん重要なことだと考えています。なぜなら、現段階ではアルツハイマー病は治すことはできませんが、てんかんをしっかり治療することで、アルツハイマー病の進行を抑えられる可能性があるからです」(久保田さん)  抗てんかん薬が認知症の予防薬になるかもしれない──。久保田さんらはそう期待して、近い時期に認知症の前段階であるMCI(軽度認知障害)の人を対象にして、抗てんかん薬にアルツハイマー病の予防効果があるかどうかをみる臨床試験を多施設共同で開始する予定だ。  子どもが発症するイメージが強く、これまで見過ごされることも多かったシニアのてんかん。家族や自分の行動に不安や心当たりがあれば、一度医療機関に相談してみてほしい。(本誌・山内リカ) ※週刊朝日  2020年1月31日号
シニア
週刊朝日 2020/01/28 11:30
沢尻エリカの「帰蝶」に未練も? ”大河通”の「麒麟がくる」の楽しみ方
上田耕司 上田耕司
沢尻エリカの「帰蝶」に未練も? ”大河通”の「麒麟がくる」の楽しみ方
その高い演技力を評価する声は多い沢尻被告(c)朝日新聞社 時代劇初挑戦の川口春奈。「麒麟がくる」は女優の成長物語としても楽しめる(c)朝日新聞社  沢尻エリカ被告(33)の降板による再撮影で、2週間遅れでスタートしたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。代役に抜擢された川口春奈(24)は、織田信長の正妻の帰蝶役を演じる。初回は視聴率もよく、評判は上々だ。  大河通で知られる上智大学新聞学科の碓井広義教授(メディア文化論)は、初回を見た感想をこう語る。 「久々に歴史ドラマの王道が帰って来たなという感じで、面白かった。『いだてん』は機関銃のようなセリフとものすごく短いカットを積み重ねていく編集でしたが、『麒麟がくる』は真逆です。たっぷり、ゆったりしているので、落ち着いて見られる」(同)  特に、碓井教授は主演の長谷川博己(42)を絶賛する。 「いい年齢なんだけど、時おり少年のような純な表情になったり、ある時は中年男の思慮深さみたいなものがにじみ出たり。定番の光秀のイメージはちょっと脇に置いといて、(長谷川演じる)新たな光秀の人生を楽しもうと思ってますよ」  注目の川口春奈の演技はどうか。 「もしかしたら画面の中に沢尻がいたのかと思うと、ちょっと寂しさを感じました。私は女優としての沢尻をかなり前から評価しているんですよ。出世作となった『パッチギ!』や竹内結子と共演した『クローズド・ノート』を見て、ああいい女優さんが出てきたなと思っていたから」  沢尻被告は昨年11月、麻薬取締法違反で逮捕され、12月6日に保釈された。撮り終えていたおよそ10話分の出演は再撮影されたという。沢尻被告の違約金はCMなども含めると10億円とも報じられた。  沢尻被告が演じるはずだった帰蝶(濃姫とも呼ばれる)は美濃の大名・斎藤道三の娘で、明智光秀とはいとこ。尾張の大名・織田信長に嫁いだ。第1話では、帰蝶は戦をすると知り、嫁ぎ先から馬に乗って、父のもとに駆けつけた。そして、戦をするなら自分も軍勢に加えてくださいと、父に申し出るが、父からは嫁に出した娘に助けてもらうつもりはないと断られた。「エリカ様」だったらどう演じただろうか。 「帰蝶は気性が激しく、一筋縄ではいかないお姫様。沢尻だったら、凛とした美しさを演じられたと思います。歴史上ナゾの多い存在ではありますが、これまでの小説やドラマだと、『マムシと言われた道三の娘だぞ』というように毅然とした態度をとり、夫の織田信長に対しても簡単には手を出させない、気が強く、自分を持った女性として描かれています。従順とはかけ離れたイメージが帰蝶の魅力なんです。フランス人の母を持つ沢尻は異次元な美しさで、これまでの人物像を超える帰蝶を見せてくれたのではないか。そう思うと見る側としては残念ですよね」(碓井教授)  タラレバの話はさておき、川口の演技はどうだったか。登場は乗馬のシーンだった。 「川口さんは、時代劇に初挑戦という新鮮さがありましたね。彼女は24歳という年齢にしてはフレッシュ。ヘタをすると、女子高生みたいにも見える。かわいさ、温かさという魅力はあっても、どうしてもお嬢さんのイメージが抜けない。強い女のセリフと川口さんのたたずまいのギャップを感じました」(同)  と、辛口。だが、こうエールも送った。 「川口さんは火中の栗を拾った功労者。こんな状況の中で引き受けるのはプレッシャーもあったと思うし、このドラマの中で、初々しい演技がどう変わっていくのかが楽しみ。この大河は、女優・川口春奈の成長物語でもあると思っています」(同)  今年は仕事が充実しそうな川口。民放のテレビ局員は、川口の私生活についてこう話す。 「わりと開けっぴろげな性格で、インスタにすっぴんの写真を載せたりして、すごいアクセスをとるのでも知られてます。インスタ力では、沢尻被告よりも上ですね。熱愛報道が出た格闘家とは、昨年末、彼が試合で勝って、川口は泣きそうになって喜んでいました。順調なようですよ」(テレビ局員)  川口にとっては、福が転がりこんで来たことになるか。 (本誌・上田耕司) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2020/01/26 16:00
「シャイな性格の選手は…」平井コーチが“日本新”青木玲緒樹を語る
平井伯昌 平井伯昌
「シャイな性格の選手は…」平井コーチが“日本新”青木玲緒樹を語る
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数 今月の東京都新春大会で日本新に迫る泳ぎを見せた青木玲緒樹 (撮影/堀井正明)  指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチの連載「金メダルへのコーチング」。第4回は「才能」について。 *  *  *  25メートルプールで争う昨年10月の短水路日本選手権の女子50メートル平泳ぎで青木玲緒樹が自身初の日本新記録を樹立しました。予選で出した日本新を決勝で0秒09更新し、29秒97で優勝しました。  2000年1月、男子200メートル平泳ぎで当時高校2年の北島康介が短水路日本新を出して以来、20年連続で担当する選手が日本記録を更新してくれました。  才能は発掘するもの。今年25歳で五輪出場とメダルを狙えるところにきた青木の歩みを振り返ると、そんな思いを強くします。  北島を教えていた東京スイミングセンターで青木の泳ぎを初めて見たのは小学3年か4年のとき。左足の動きがぎくしゃくしていて、足のすねで水を蹴るような感じで、ずいぶん変則的だなあと思いましたが、一蹴りでびっくりするくらい進むんです。蹴った後に足を広げて引きつけるので水の抵抗が大きい。グィーンと進み、ブワーッとブレーキがかかる。マイナス点は大きいけれど、推進力に将来性を感じました。  小学生のときは食が細くて、私が声をかけてもあまりしゃべらない。シャイな性格の選手はゆっくり成長することが多いので、長期的な視野で育てる必要があると思っていました。中学1年の07年JOCジュニアオリンピック杯の11−12歳女子100メートル平泳ぎで優勝して、10月、北島や中村礼子(アテネ・北京両五輪女子200メートル背泳ぎ銅メダル)ら五輪を目指す選手を中心に行った米国の高地合宿に連れていきました。  本人に刺激を与えることに加えて、家族や周囲の人に対して将来を見据えて指導していることを理解してもらいたかったからです。  私が東洋大の水泳部監督に就任した13年、青木も東洋大に進学しました。自分自身にもっと自信を持つとか、目標をしっかり設定させるとか、心技体でいうと心の成長を促すような指導を心掛けてきました。  大学4年の16年、リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた4月の日本選手権は100メートル、200メートルともに5位でしたが、「初めて日本選手権で自己ベストが出ました。すごくうれしい」と喜んでいました。いい機会だと思い、会場の仮設スタンドのところで2人で話をして、卒業しても競技を続けるように伝えました。本人は卒業したらやめるつもりだったようですが、「お前はこれからだと思うよ」と言って、社会人になって女子100メートル自由形の日本新を出し、ロンドン五輪女子400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得した上田春佳の話をしました。  27歳のときにロンドン五輪女子100メートル背泳ぎの銅メダルを取った寺川綾を指導した経験もあったので、メンタル面が成熟する社会人になって伸びるという確信がありました。青木は17、18年の日本選手権で100メートル、200メートルに2連覇し、昨年の世界選手権(韓国・光州)の100メートルでは4位に入りました。  実力がついてきて、自分から勝ちたいと思えるようになったのは、この1年くらいでしょうか。成長を待つこともコーチングには重要だと考えています。  合宿の疲れが残る中で出場した1月11、12日の東京都新春大会で、青木は短水路日本新まで100メートルで0秒10、50メートルで0秒02に迫りました。シーズンに向けて、手応えを感じています。 (構成/本誌・堀井正明) ※週刊朝日  2020年1月31日号
2020東京五輪平井伯昌
週刊朝日 2020/01/24 17:00
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