東京パラリンピックを支える「最強のパートナー」
パラアスリートにとって、車いすや義足、義手などの道具は体の一部といえる。時間をかけて自分のものになったとき、それは「最強のパートナー」となる。パートナーと共に練習を積み重ねるアスリート、彼らをサポートする人々をライター・川村章子氏が紹介する。
タックルを共に耐えた傷だらけの初代ラグ車。「懐かしいなぁ」と笑顔がこぼれる池透暢 (撮影/写真部・小山幸佑)
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■車いす
激突が許される車いすラグビー、「弱み」を武器に変える池透暢
ガシャーン、ドン、ガガーン──。車いす同士のぶつかり合いが許される唯一のパラリンピック競技である車いすラグビー。初めて観戦する人はその激突音と衝撃に驚かされる。
その競技用車いすは「ラグ車」と呼ばれ、攻撃型と守備型の2種類に分けられる。主に障害の軽い選手が乗る攻撃型は小回りがきくようにコンパクトで丸みを帯びており、主に障害の重い選手が乗る守備型は前に突き出したバンパーをぶつけて相手の動きを封じる。
日本代表の中で頭一つ飛び出すほどのひときわ高い攻撃型の車いすに乗っているのが、日本代表キャプテンの池透暢(39)だ。
19歳のとき、交通事故で左足を切断。左手にまひを負い、全身の75%にやけどを負う。座面の高い車いすに乗るのは、右ひざが曲がらず、低い座面だと車いす自体が長くなり旋回性が悪くなってしまうからだ。
激しいタックルを受ける車いすラグビーでは座面が低いほうが安定するのだが、池は高さを武器にする。
「攻撃では高さをパスやキャッチに生かして、守備ではパスをブロックするときの強みにしています。重心が高くなるためタックルされたときに倒れやすかったり、スピードが出にくかったりというデメリットはありますが、それを補うために体幹や走力強化のトレーニングを行っています」
その激しさと選手の機敏な動きを見ているとつい忘れてしまうのだが、車いすラグビーは上肢と下肢の両方に障害を持った選手がプレーする競技だ。非常に障害の重い選手もいる。そのため、ラグ車は個々の障害や体形、特徴に合わせてそれぞれカスタマイズする。
たとえば左足を切断している池は「ボールを膝上に置いて運ぶときに転がってしまうのを防ぐため」にオプションでボールホルダーも取り付けている。ほかにも、体幹の弱い選手はベルトを付けたり、手の力が弱い選手は軽くこげる高圧タイヤにしたり、クッションや背もたれに気を配ったり、それぞれ自分とラグ車が一体となるよう工夫を重ねている。
池の場合、だいたい1年半くらいでラグ車を作り変えるという。激しいプレーにさらされて劣化することもあるが、改良を加えて常に上を目指す。現在乗っているラグ車は4台目で、東京パラリンピックを見据えて昨年の秋に新調した。通常はフィットするまで1年はかかるが、今回はラグ車の出来がよく、3カ月ほどで「いいな」と思えるところまできたという。
一昨年、日本は世界選手権で強豪オーストラリアを下して金メダルを獲得した。しかし、昨年10月、日本開催のワールドチャレンジでは3位に終わる。
「今の時点で今までの最高のラグ車だし、最高の自分です。個人としての目標は、世界でだれにも負けないところまでいきたい。やるべきことをやっていれば結果はついてきますから」
ラグ車と自分が一体となることを突き詰めて、常に細心の注意を払ってトレーニングに取り組んでいく。
■義足
最もタフなパラトライアスロン、秦由加子の痛みと闘う職人魂
「この義足、とても軽くできているんですよ」と話す秦由加子 (撮影/写真部・小黒冴夏)
日本人女性ではただ一人、太ももからの切断により大腿(だいたい)義足をつけてパラトライアスロンに挑む秦由加子(38)は昨年12月、水戸市にある義肢・装具の製作・販売を行っているアイムスを訪れた。新しいラン用義足が「今の体には合っていないので、すごく走りにくいし、脚が痛い」という。
2016年リオデジャネイロパラリンピックから正式競技となったパラトライアスロン。スイム(750メートル)、バイク(20キロ)、ラン(5キロ)の合計タイムで順位を競う。
昨年9月から、バイクは義足なしで乗っている。片足で乗る練習を重ね、義足をつけるよりもよいタイムが出るようになった。
「これで一本、義足の悩みが減りました」
と秦。そして、最大の課題がラン用の義足だ。これが、痛みとの闘いなのだ。
脚に合うものを求め、年に1回は作り直す。慣れるまで3カ月ほどかかる。義足を履くときはソケットと呼ばれる部分に脚を入れるのだが、ソケットは硬く肌に当たると痛みが出る。これまで痛くなかったことはなく、ラン用の義足は「基本、痛い」のだという。
「私の場合は、13歳で脚を切断しているので、切断した大腿骨の先がだんだんとがって伸びてきているんです。激しい運動をすると、その骨がグリグリ当たり、どうしても痛みが出てしまうのです」
秦の義足を作る義肢装具士の齋藤拓は言う。
「そもそも義足で走ること自体、特別なコツや筋力が必要なのに、その上で、5キロというパラの義足の競技の中で一番長い距離を走り続けるというのは本当に大変なことです」
それだけ脚に負担がかかるため、練習では距離を走り込むことができない。
「本番は5キロ走らないといけないのに、練習では8キロまでしか走れないのが一番の悩みです。もっと練習したいのに、それ以上走ると、翌日の練習にも支障が出てしまいます」
そこで、秦の義足を担当するメンバーが集まり、とにかく脚への負担が少なくて済むよう、軽くて痛くない究極の一本を目指し、知恵を絞っているのだ。
この日はミズノと共同開発した板バネを持って岐阜から今仙技術研究所のスタッフも訪れ、齋藤らと作戦会議が開かれた。
板バネとは義足の足部にあたり、荷重を反発力に変える機能を持つ。また、秦の義足の足裏には、ブリヂストンが特別に開発したゴムソールが付けられている。高いグリップ性能と耐久性を兼ね備えたソールで、秦の義足は、日本の技術と知恵、そして職人の技と熱い思いが詰まってできているのだ。
秦には大きな目標がある。
「これまでお世話になった人たちの目の前で、表彰台の上からお礼を言うことです。パラスポーツは、本当にいろいろな人たちの力があってできることだと思っています。義足一つ取ってみても、これだけの人たちが私のために労力と時間を費やしてくれています。最後にみんなで喜びを分かち合えたらうれしいですね」
■義手
形状と重さを選手ごとに最適化、本番では「つけない」選択肢も
[左]「ペンギンの羽」をイメージして作られた義手をつけて走る重本沙絵 (c)朝日新聞社 [右]義肢装具士の藤田悠介(撮影/横関一浩)
義足の選手に比べると圧倒的に少ないのが競技用の義手をつけたアスリートだ。主に陸上の選手が使っており、義手の選手として記憶に新しいのはリオパラリンピック女子陸上400メートルで銅メダルを獲得した重本(旧姓・辻)沙絵だろう。リオ以降、彼女の義手を作っているのが鉄道弘済会義肢装具サポートセンターの義肢装具士、藤田悠介(32)だ。パラ陸上の競技用の義手としては、重本のほか、三須穂乃香、鈴木雄大を担当している。
陸上競技の義手の役割について藤田は、こう話す。
「走っているときのバランスをもっとよくしようというのが一番の目的です」
重本の義手を見てみると、リオではこれまで主流とされてきたパイプを付けたタイプを使用していたが、「腕を振ると体に当たるから、もっと曲げて作ってほしい。もっと重さを調整してほしい」というリクエストがあり、藤田は、薄くて強度が高いカーボンを使い、義手の内側を空洞にするなどして120グラムという軽量化に成功した。
しかし、重本は「軽すぎて振っている感じがしない」。そこで先端に10グラムの重さを加えたら、今度は「重くなっちゃった。重さ10グラムを真ん中にほしい」。そんな試行錯誤をした後、重本から「軽く作った義手に外側からカバーをはめて重さを調節できるようなタイプを作ってくれないか」と言われ、昨年の6月、最新型が完成。カーボン製の130グラムの本体と、それにかぶせる20グラムと40グラムのプラスチックのカバーを作り、自分で重さを調整できるようにした。重本は軽いほうのカバーを付けたタイプがしっくりいったようだった。
ところが、ここで義手ならではの微妙なポイントが浮上してくる。
つけなければ走ることができない義足と違い、義手は「初めからつけない」「つけていたけれど、やめる」「やめていたけれど、つける」など、さまざまな選択肢があるのだ。ついこの間まで最強のパートナーだったはずなのに、タイムが伸びない、結果が出ない、気分を変えたい、というとき、義手を外してみる、という選択をすることがある。現在、重本は「義手をつけなくてもタイムが上がってきているので、つけない方向で検討している」(日体大・水野洋子監督)とのこと。
藤田は、こう言う。
「個人的には使ってもらいたいですし、海外の選手はわりとみんなつけている印象だったのでつけたほうがいいのではないかなと思いながら、でも、それは監督と選手が決めること。義手には『これが正解』というものがないので悩ましいのですが、改良には力を尽くしました。大会に向けて、ちょっと離れたところから静かに『頑張れよ』と見守っていようと思います。あっ、終わったら、みんなで焼き肉に行こうって話はしていますけどね(笑)」
3人の陸上選手は、義手というパートナーを使うのか、別れる(使わない)のか、復縁する(再び使う)のか、注目したい。
■ハンドサイクル
少ない空気抵抗が生むスピード、一体感生む選手の姿勢に注目
[左]米国製のハンドサイクルで疾走する土田和歌子(c)Satoshi TAKASAKI/JTU [右]メカニックの塩野谷聡 (撮影/倉田貴志)
アスリートが安心して道具を使うことができるのは、しっかりと管理し、メンテナンスをしてくれるスタッフがいるからだ。
パラトライアスロンで車いすの選手が出場する座位クラス(PTWC)では、ハンドサイクルと呼ばれる手でこぐ自転車を使う。現在、このクラスで東京パラリンピック出場を狙うのは、男子の木村潤平と、女子の土田和歌子だ。その二人のハンドサイクルのメンテナンスやレース時の組み立て、調整、修理などを行うのがメカニック、塩野谷聡(40)である。
「普通の自転車に比べて地面に近くて空気抵抗が少ないので、けっこうスピードが出るんです。海外の男子のトップ選手だと時速50キロを超えますね」
塩野谷がハンドサイクルの魅力を教えてくれた。
「乗った印象は目線が低い。そして、ハンドサイクルのハンドルは戻ろうとする力が大きいので、小回りが利かないんです。低くて、長いので、車両の感覚がわかりにくい。なかなかコントロールが難しい」
そう、ハンドサイクルを目の前にして驚くのがそのサイズ。けっこう大きいのだ。しかし、木村・土田どちらの車体もカーボン製なので、片手でひょいと持ち上げられるほどだという。
塩野谷がハンドサイクルに出会ったのは木村が出場した15年のリオパラリンピックのテストイベント。リオの空港のロストバゲージで到着が遅れた木村の機材をホテルの部屋で組み立てたのが最初だった。
そして18年、リオパラリンピックまで、夏・冬合わせて7回出場し、日本人初の夏・冬の金メダリストとなったパラリンピック界のレジェンド、土田和歌子が陸上からトライアスロンに転向。現在、塩野谷はメカニックとして全面的に土田の競技用機材の整備を任せられている。
ハンドサイクルにおいて最も重要なのは、ポジション、つまりより速く走れる姿勢を取ることができるかどうか、だという。
スピードの出やすいハンドサイクルは、腕だけでなくしっかり体幹を使ってコントロールする必要がある。そのために体とハンドサイクルを一体化させるよい姿勢は大事な要素だ。木村と土田はそれぞれ、いい姿勢が取れるように、ハンドサイクルを改良しているとのこと。
「土田選手の場合は、所属の八千代工業でカーボン製のフットレストを作ってもらっているところです。木村選手も広島の義肢装具士に空気抵抗も考慮したフットレストを作ってもらったようです。ハンドサイクル自体は二人とも何年も乗っているものですが、新しいフットレストを付けて、さらなる記録の向上を狙っています。東京パラのトライアスロン会場はお台場ですが、無料で観戦できるエリアがたくさんあります。ぜひじかに見てもらいたい。あっという間に目の前を行ってしまって、びっくりすると思いますよ」
操縦の難しいハンドサイクルと選手が一体となったときに生まれるスピード感を、目撃してほしい。(文中敬称略)
(ライター・川村章子)
※週刊朝日 2020年2月28日号
週刊朝日
2020/02/24 11:30