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<現代の肖像>オカダ・カズチカ どこへ行ってもカネの雨を降らせる
吉井妙子 吉井妙子
<現代の肖像>オカダ・カズチカ どこへ行ってもカネの雨を降らせる
プロレス界に「カネの雨を降らせた男」は大の釣り好き。船舶免許も取得し、時間が許す限り湖面に浮かぶ/加藤夏子撮影 10月、両国国技館で行われた対SANADA戦。負けて悔し涙を流したSANADAは後日、「オカダさんとの試合はワクワクする。試合の度に高度な技が見せられるようになったのは彼の懐が深いから」/加藤夏子撮影  2012年にIWGPヘビー級王者を史上2番目の若さで戴冠した新日本プロレスのオカダ・カズチカさん。以降、「レインメーカー」としてプロレス界にカネの雨を降らせ続けている。その人気、実力はどこから来るのか。中学を卒業してすぐにプロレスの道に入ったオカダさんのこれまでを追った。AERA 2019年12月30日‐1月6日合併号に掲載された「現代の肖像」から一部紹介する。  冷たい雨が降りしきる10月中旬、東京の両国国技館は常夏のような熱気に覆われていた。会場をぎっしり埋めた観衆の吐き出す歓声が、場内の空気を激しくスピンさせている。眩い照明に浮かぶリング上の選手の一挙手一投足に呼応し、野太い声、黄色い歓声、子どもたちの甲高い声が激しく飛び交っていた。  プロレス人気が凄い、とは聞いていた。だが、これほどまでとは──。    1万人収容の会場は、目算で男性5割、女性4割、子ども1割。カップルやグループが多く、家族連れも目立つ。この試合は新日本プロレスが主催する年間約150試合の一つだが、IWGPヘビー級選手権など幾つかのタイトルマッチが組まれていたことから、大きな注目を集めていた。  第1試合から会場は盛り上がり、試合が進むにつれボルテージは増していく。その興奮がマックスに達したのは、メインイベントのIWGPへビー級王者オカダ・カズチカ(32)の名前がコールされた時だった。リングアナウンサーの声がかき消されるほどの「オカダコール」が沸き上がる。  191センチの長身に孔雀が羽を広げたような豪華なガウンを纏い、自分の顔がプリントされた大量の紙幣が宙を舞う中、オカダは金剛力士のような風情でリングに向かった。彼のニックネームである「レインメーカー(カネの雨を降らす男)」を地で行くような演出だった。  オカダに挑戦するのは、夏のG1クライマックスでオカダを下したSANADA(31)。身体を極限までに鍛え上げた100キロ超の2人の身体能力は高く、SANADAがオカダを両手で高く掲げマットに突き落としたと思えば、オカダがSANADAの頭までスタンディングジャンプし、空中飛び蹴りを食らわす。  お互いに受け身をしっかり取りながらそれぞれの得意技を繰り出し、あっという間に2人の身体には汗が迸る。打撃を受けた身体のあちこちがミミズ腫れのようになった。それでも2人は闘うことをやめない。フラフラになりながらも、3カウントを取られる直前に肩を上げ、再び立ち上がるのだ。その度に観客が熱狂。  試合を見ながらかつてオカダが語っていたことを思い出した。 「相手に攻められ、疲れや痛みで朦朧となりながらも、お客さんの様子を捉える意識だけはクリアにしておきます。会場が何を求めているのか、どんな技を見たいと思っているのか、お客さんの反応を瞬間的に判断し期待に応えます。また、敢えて期待の逆を行き、観客の感情を煽るような手法を使うこともあります」  リング上の激しい肉弾戦中に、そんな冷静な判断が出来るのかとその時は理解できなかったが、オカダの試合を見ているうちに、おぼろげながら理解できた。オカダ対SANADAの試合には、激しく身体をぶつけ合いながらも、そこはかとなく感じる余白があった。その余白に観客がそれぞれの色を塗り、その色彩の変化を見ながらまた新たな技で闘うという、心と身体を高い次元で操るプロレスラーの真髄を見た気がしたのだ。  オカダはギブアップ寸前に追い詰められながらも、SANADAののど元に右腕を叩き込む得意技のレインメーカーで倒しカウントを取った。  この試合でIWGPヘビー級王座のベルトを守ったオカダは、棚橋弘至(43)の持つ最多通算防衛28を超え、29に記録更新。  プロレスが変わった。一昔前は遺恨や確執、流血というイメージがあり、女性や子どもには近寄りがたい場所だったが、今やプロレス界は筋骨隆々のイケメン選手が顔を揃え、競技性の高い総合エンターテインメントになった。「プ女子」と形容されるプロレス好き女子が急速に増え、家族連れも多くなった。新日本プロレスが主催する年間約150試合のチケットの95%は完売で、首都圏の興行はほとんどチケットが手に入らない状況という。  その立役者の一人がオカダだった。  1987年、愛知県安城市で会社員の父・竜弥(63)、看護師の母・富子(59)の次男として生まれた。5歳上の兄が1人。両親共に忙しかったせいか、手のかからない子どもだった。そんな素直な子が、小学校5年の夏、長崎県の五島列島に転校したいと言い出し、両親を慌てさせた。母が言う。 「五島列島には私の実家があり、毎年夏休みに帰省していたのですが、自然の遊びが豊かな五島列島で暮らしたいと。10歳の子どもを手放すのはつらかったけど、言い出したら聞かない」  中学は安城市に戻り、野球部や陸上部で活躍。陸上100メートルで11秒68を記録し陸上強豪高校から勧誘も受けた。だがこの頃、オカダ少年の心を捉えたのは、兄が借りてきたプロレスのDVD。特に、技が多彩でスピード感のあるメキシコプロレスにすっかり魅了され、プロレスラーになると決意。父は息子を何度も諭した。 「高校だけは行ってくれと。でも、小5で五島列島に一人で行ったように、一度決めたら折れない」  中学卒業と同時に神戸市のプロレス養成学校「闘龍門」に入門。あまりの厳しい練習に30人いた同期が1カ月で8人に減った。 「他の練習生は大卒か高卒で入門しているのである程度体は出来ている。でも僕はまだ少年体形。反吐が出るほどつらかったけど自分で決めた道なので、後戻りはできなかった」 (文/吉井妙子) ※記事の続きは「AERA 2019年12月30日‐2020年1月6日合併号」でご覧いただけます。
現代の肖像
AERA 2019/12/23 17:00
京大院卒の元フィギュア選手・審判員「芸術点はどうやって付ける?」を知りたくて
京大院卒の元フィギュア選手・審判員「芸術点はどうやって付ける?」を知りたくて
かんざき・のりゆき/大学時代は農学部で、腸でエネルギーを使うダイエットに有用な成分を探すなど、食品成分の機能性について研究。サントリーに入社後は、「グルコサミンアクティブ」「ロコモア」などの商品の機能を実証するための試験を担い、現在は 「特茶」や「伊右衛門」など健康茶の研究に携わる。 国際学会でも賞を受けた(撮影/小黒冴夏)  エキシビションで『冬のソナタ』の“ヨン様”に扮し、会場を沸かせた選手を覚えている人もいるかもしれない。6歳からフィギュアスケートを始め、国際大会で2位という好成績を残しながら、京都大学大学院を卒業し、食品研究の道へ。異色の経歴を持つサントリーの研究者・神崎範之さん(37)は、今も審判員としてフィギュアスケートと関わり続けている。  人生100年時代と言われ、アスリートだけではなく、あらゆる立場の人たちがセカンドキャリアを考える今。神崎さんは自称「ゲーマー」だった少年時代から、家と勉強(仕事)以外の“第三の場所”に身を置きながら、「自分のポジションを客観的に見て、実現できる道に進む」というしなやかな方向転換を続けてきた。長い人生をより豊かにするヒントがそこにあるのかもしれない。 *  *  * ――フィギュアスケートを始めたころ、自分の将来をどう描いていたのでしょうか。  学生時代にフィギュアスケートをやっていた両親と、先にレッスンを受けていた兄の影響で、6歳からスケートを始めました。月並みですが、当時は「オリンピックに出たい」と言っていて、同時に「サラリーマンになる!」とも言っていたそうです(笑)。サラリーマンの父の影響ですが、小学校低学年のころには、将来の夢に「会社員」と書いたこともありました。  勉強は好きではなかったんですが、しないといけないものだと思って、それなりにやってきました。勉強とスケートを両方続けていたのは、実はちょっと不純な動機で……。テストの点数やスケートの順位が良かったときに、ご褒美としてゲームを買ってもらうのが一つの目的でしたね。ドラクエやファイナルファンタジーのようなロールプレイングゲームが大好きで、いまでもめちゃくちゃゲーマーです。 ――練習と受験勉強を両立していくのは大変だったのでは?  今振り返ると、一番忙しかったのは中学生の頃でした。放課後は週5日で練習、週4日は塾。帰宅は夜10時、11時になりました。どちらもできるだけ集中してこなそうと考えてはいましたが、リンクまで車で送り迎えをしてくれた親の協力なくしては不可能だったと思います。  中学3年のころは高校受験のために滑るのを控えましたが、そこまでして両方を続けていた理由は、実は今でもよくわからないんです。滑るのが楽しい、新しい技ができると嬉しいという気持ちはもちろんありましたが、高校ぐらいまではとにかく辞めたくないという気持ちが強かったと思います。ずっと続けていたものを辞めてしまうと、ぽっかり穴が空いてしまうのかなと。特に男子の選手はみんな仲間のようで、その関係性も失くしたくなかった。  自分が勉強している間に、ほかの選手が成長していく姿を見ることもありましたが、焦るというよりは「しょうがない!」と割り切って、ポジティブに切り替えるようにしていましたね。 「オールジャパン メダリスト・オン・アイス2006」で『冬のソナタ』の“ヨン様”に扮し、会場を沸かせた(撮影/浅倉恵子) ――トップアスリートの中では、目標を一つに絞って集中する人が多いと思います。  中学生のころは成績も全国中学校スケート大会5位ぐらいで、あまり自分の中では「トップアスリート」といえるレベルの選手ではなかったと思っています。当時は特に男子の競技人口が少なかったので、今振り返ると「そんなレベルで?」って思うぐらいですよ。いい具合に、スケートに絞るレベルまでいかなかったというか……(笑)。  今でこそフィギュアスケートは地上波でも中継されるような人気スポーツになりましたが、当時はスケートを職業にするとは考えられなかったというのも正直なところです。親からも「スケートで食っていくのは大変だよ」と散々言われていました。 ――1位になれなかったとしても、くさらず止めないというのも一つの能力ですね。才能がないかもと諦めてしまいそうですが。  才能は……なくはないかなと思っていました。もちろん自分よりレベルが高い選手はたくさんいましたが、実は下にもたくさんいて、自分はこのあたりかなと何となくポジションは理解しつつ、もうちょっと練習したらここまでいけるかなと考えていました。実現できる道というか、自分がいけるところはどこかなと。  それに、悩んでも意味が無いときは、前向きに考えなきゃいけないなと切り替えるようにはしていましたね。それは今もそうです。 ――そして、スケートと両立しながら、食品の研究をするため京都大学に進むんですね。  ゲームが好きだったので、ゲームメーカーに就職したいとも思っていたんですが、大学受験のときに、得意な試験科目から農学部の食品系に志望を切り替えました。ここならいけるかなという感触と、選手時代からサプリメントや食事に興味があったことも理由です。  しかし、学部時代は実験が毎日入り、練習を続けるのも大変でした。同世代の選手達と同じように学部の4年間できっぱり引退すると決めていました。 現役時代の神崎さん。2006年の全日本フィギュアスケート選手権大会での演技(撮影/森田正美)  ただ、大学4年のときにネーベルホルン杯という国際大会で2位という好成績が残せたのに、これで最後と決めていたその年の全日本選手権で4回ぐらい転倒してボロボロで……。そのまま引退できず、目標としていたユニバーシアード出場に向けてもう一度挑戦したいと決心し、大学院1年のシーズン(2006-07)を最後と思い選手を続けました。すると、選考を通過して出場が決定し、そのシーズンに全日本4位という想像以上の結果もついてきて、四大陸選手権にも出場し入賞できました。自分の目標が達成できたことと、スケート選手として限界を感じていたこともあり、潔く引退できました。  でもやっぱりその後は、ぽっかり心に穴が空いたというか、物足りなく感じて……。気晴らしで行ったスケートリンクで審判員の方に声をかけてもらったことがきっかけで、審判員の資格を取りました。今も、有給休暇を取ってボランティアで審判員をやっています。国際大会になると、夏休みを使って1週間ぐらい行くこともありますね。交通・宿泊は手配していただけますが、基本的には無給なので、「どうしてやってるの?」とよく聞かれます。  これも当初は全然やるつもりがなかったのですが(笑)、やってみると「芸術点はどうやって付けているんだろう」という選手時代の疑問が、明確にルールに則って評価されていることがわかったり、理系の自分の性格に合っているなと思っています。フィギュアスケートというスポーツの振興のために役に立っている実感もあり、全日本選手権など選手として自分が目指した場所にいられるというのも嬉しいですね。そして、審判員は審判員の仲間がいて居心地がいい。私には、そういう場所が必要なのかもしれません。 ――現役時代とはフィギュアスケートも大きく変わっていると思います。どんなところに注目してほしいですか。  そうですね。当時は私もトリプルアクセルが得意でしたが、いまは女子選手でも4回転を飛ぶ時代ですからね。ジャンプだけではなく、凝ったスピンやエネルギーを使うステップをしないと点数や順位が上がらなくなっているので、今の選手たちは大変だと思います。 「健康長寿は一日にして成らず。日々の積み重ねによって数年後、数十年後の体が大きく変わります」と神崎さん。「やはりすべての基本は食事と運動、睡眠。バランスの良い食事やひと駅分長く歩く、寝る前にスマホは見ないなど工夫をしながら、免罪符としてではなく、意識付けの手段として、当社の健康茶や健康食品を活用してほしい」と語る(撮影/小黒冴夏)  最近のテレビ中継では、ジャンプやステップ、スピンのレベルが瞬時に表示され、点数がわかるようになっているので、「どうしてこれがレベル3だったのか」「レベル4だったのか」と考えながら見てもらうと、より面白いのではないかと思います。  審判員には基本的に2つの役割があります。一つはジャンプの種類や回転数、スピンの種類やレベル、ステップの種類やレベルを認定していく技術役員。そして、技の出来栄えにプラス・マイナスを付け、芸術的な要素も評価するジャッジですね。私はいま、国際大会で技術役員ができる資格を持っていますが、ゆくゆくはオリンピックで審判員をすることが今の目標ですね。難しいかもしれませんが、実績を積めば、できるかもしれないなと思っています。 (AERA dot.編集部・金城珠代)
dot. 2019/12/22 11:30
瀬戸内寂聴の「タカラヅカ」 お目当てが中原淳一と結婚し愚痴を聞く?
瀬戸内寂聴の「タカラヅカ」 お目当てが中原淳一と結婚し愚痴を聞く?
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「もしもタカラジェンヌになっておられたら」  セトウチさん 「タカラヅカに入りたかったのよ」というセトウチさんの言葉に吃驚(びっくり)仰天。じゃ、行きましょうと宝塚劇場にセトウチさんをご案内したことがありましたよね。この頃、僕は宝塚の公演ポスターを描いていて、色んな組のトップスターと親しくなっていたので、彼女からプラチナシートという舞台の一番前のド真中(まんなか)の席のチケットを入手して、「ベルサイユのばら」を観(み)に行きました。そして、フィナーレが終わった直後、楽屋で男役トップスター、娘役トップスター、そして準主役の三人と逢って、記念写真を撮ってもらいましたよね。憶(おぼ)えていらっしゃいますよネ。  プラチナシートに座ると、トップスターから、投げキッスがあったり、ウィンクを送られたり、目と目を合わせて歌をプレゼントされたりで、他のお客からやっかみを受けたかもしれないほどの名誉な特別席なんですよ。この日はセトウチさんが来ているというので舞台のタカラジェンヌの間で話題になって、大変だったんじゃないかな。  今から21年前の話です。僕が初めて宝塚を観たのは1998年。雪組の「浅茅が宿」でした。この時の男役トップは現在専科の轟悠さんでした。「こんな世界があったんだ!」と感動した僕は劇場を出るなり、宝塚関連商品を販売している店で、タカラジェンヌのブロマイドをいっぺんに1000枚買ったのが、宝塚に病みついた最初です。  そして帰京するなり、主役の轟悠さんと対談することになり、その後、月組の真琴つばささんの口利きで月組公演「LUNA」のポスターを作ることになってからというもの、他の組のポスターも次々と描くようになって、最後は、やはり轟悠さんの「タカラヅカ・ドリーム・キングダム」の舞台美術まで手掛けるようになったのです。その後も観劇を続け、宝塚歴10年、押しも押されもしない立派なおやじファンになりました。  宝塚は世界でも類のない女性ばかりの演劇集団です。男役は現実の男性も足元に寄れないほど格好良く、この地上のどこを探しても見当たらない美の結晶とも言うべき美の化身で、特に男役は両性具有として芸術の美神なのです。だから僕が彼らに惹(ひ)かれない訳はないでしょう。  芸術の創造は、男性原理と女性原理の結合によって作品が誕生するのです。女性が受信したインスピレーションを男性に与えることによって創造が成立するのです。そんな感動を宝塚歌劇は感性によって観る者に伝えてくれるのです。そこに僕は共鳴、共感、まいっちゃったんです。  そして、生まれ変(かわ)って来世こそはタカラジェンヌの男役トップスターになろうと思ったんです。このことはこの間の手紙に書きましたよね。僕が宝塚に惹かれた理由は以上ですが、セトウチさんが宝塚に憧れてタカラジェンヌになろうとされた動機は一体何だったのですか。ぜひ、セトウチさんの宝塚のお話をお聞きしたいものです。男役ですか、娘役ですか、どっちに憧れておられたんですか。もしなっておられたら、97歳の元タカラジェンヌのおばあちゃんとお友達で別の歓(よろこ)びがあったかも。 ♪すみれの花咲く頃 はじめて君を知りぬ ■瀬戸内寂聴「初めてタカラヅカ観たのは1935年かな」  ヨコオさんがタカラヅカを初めて観たのは、1998年ですって?  私が初めてタカラヅカを観たのは、12歳の時だから、今から85年前、1935年じゃなかったかな、私はアタマのいい優等生といわれて育ったけれど、実は算術が一番きらいで、今でもお金の計算が全くダメなのです。だからこの年の数も合ってないかもしれない。  いずれにしろ、私の計算によれば、私がヨコオさんより63年も前に、タカラヅカを観たというわけです。  忘れもしない、その頃、スターのトップは男役の葦原邦子で、女役のトップは小夜福子でした。小夜福子は男役もかねましたが、どちらの役も美しさと可憐さがあり、後に女優になって、これは女役でスターになりました。葦原は、顔は美人ではないけれど、男役になって舞台に立つと、セクシーな男の魅力が出て、女客はキャーッとなっていたようです。  12歳の私は、そんな色気など、何もわからず、ただ目の前にくり広げられるこの世ならぬ華麗な舞台に、夢中になりました。初めての舞台の題も覚えていませんが、「マグノリア」という舞台は、なぜか題も中身も、今でも思い出されます。これは葦原邦子が男役で主役でした。  五つ年上の姉が、私以上に宝塚に夢中になったので、二人で船に乗って神戸へゆき、走りこみで追ったものです。  当時は、女学校では、映画も禁じられていたのに、宝塚は、男が一人も舞台にはいないので、見ることを許されていたのです。土曜の夜の船で神戸に往き、日曜の夜の船で徳島に帰り、月曜の授業を受けるという離れ業を毎回しました。  帰った日は、授業が終わると、私のクラスの生徒はみんな残り、私から、宝塚の舞台のすべてを聴くのが楽しみでした。私は口をきわめて舞台を語り、セリフまで真似しました。残念ながら歌が下手なので、主題歌が伝えられません。  でも、そうやって、何度通ったでしょうか、女学校を卒業して、東京女子大に入ってからは、ピタリと熱がさめ、年に一度か二度くらいしか観ていません。愕(おどろ)いたのは、あの男役のスターの葦原邦子が、「昭和の夢二」といわれた抒情画の名手で、少女たちの憧れの的だった中原淳一と恋愛結婚したことでした。  中原は私の故郷の徳島の出身なので、私は格別の好意を持っていて、その絵を愛していた為、この結婚にはびっくり仰天しました。  後年、「ひまわり」や「それいゆ」という女性向けの雑誌を出版した中原と個人的にも親しくなったので、葦原との結婚があまり幸せではなく、後年、中原は妻子と別れ、一人住むようになり、度々、彼から話を聞くこともありました。  葦原邦子は、中原の子供も産み、女としての主婦役も務めましたが、気性がしっかりしていて、中原は結局、支配される形になったようでした。家族たちは母親につき、中原の晩年は独りになり、孤独なものでした。  人の一生は、終ってみないと、幸、不幸もわかりませんね。  それにしても十二月に入って急に寒くなりましたね。どうか風邪などひかないようにして下さい。では、またね。 ※週刊朝日  2019年12月27日号
週刊朝日 2019/12/21 07:00
いつかはトップスケーターにも訪れる引退の時… 羽生結弦が考えるターニングポイントは?
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いつかはトップスケーターにも訪れる引退の時… 羽生結弦が考えるターニングポイントは?
引き際の美学を持つ羽生結弦 (c)朝日新聞社  師走に入った2019年の12月13日、ロシアの地からフィギュアスケート界に衝撃のニュースが広がった。  女子の平昌冬季五輪金メダリスト、アリーナ・ザギトワが活動休止を発表。トップスケーター6人のみが出場できるGPファイナルを終えたばかりのタイミングだった。17歳にして五輪を筆頭に世界選手権、GPファイナル、欧州選手権などビッグタイトルを総なめ。第一人者として歩んできた華やかな時間は、いったん時計の針を止めることになった。  どんなスケーターにも、そのキャリアと向き合う時期が来る。ザギトワのように競技を休止し、今後について自らと対話していくケースもあれば、銀盤を勝負の場と捉えてきっぱり引退する選手もいる。自己表現の理想を追求し、年を重ねるごとに輝きを増すスケーターもいる。  では、男子のトップスケーター、羽生結弦はどうか。札幌市で行われた11月のGPシリーズNHK杯。国民栄誉賞にも輝いた王者が、引き際の美学を披露する一幕があった。  ショートプログラム(SP)の演技後、外国人記者からある質問が飛んだ。「38歳でも滑っていたい」という女子の平昌五輪銀メダリスト、エフゲニア・メドベージェワ(ロシア)のコメントを引き合いに、自らはどうか問われた。五輪連覇を果たした王者の答えは、こうだ。 「僕はスケートを勝つためにやっている。みじめな姿を見せたくないというのが1つありますし、自分ができるMAXの構成ができないなら辞めると思います」  今も勝負の世界に生きている。そのプライドがにじみ出る発言だった。羽生はかつて五輪で金メダルを獲って、引退。そう考えていたという。だが、勝利への欲は尽きない。新技成功へのチャレンジ、深遠な表現への探究心も、25歳となった羽生の本能を衝き動かし続けている。 「僕も人間なので、弱い時は凄く弱い」  過去に積み重ねてきた輝かしい数々の実績が、多くの人に大きな期待を抱かせる。世間からの“羽生結弦”という虚像と、強くあろうとする等身大の自分。その葛藤を何度も乗り越えたことで今がある。周囲からの期待は、羽生にとってのやる気の源でもある。「それが時にはプレッシャーになって、弱い自分が露呈してしまうきっかけにもなる」。そう吐露した上で言った。「でも、そのプレッシャーがあるから強くありたいと思う」  羽生が自身に求める理想は高い。その高いハードルを、今でも越えようと悪戦苦闘する日々だ。12月のGPファイナルでは練習中に前人未到の4回転半(クワッドアクセル)を初めて披露。フリー『Origin』の演技では、ルッツ、ループ、サルコー、トーループの4回転4種5本に着氷してみせた。「自分ができるMAXの構成」――。それを完璧に演じ切るまで、競技者としての羽生の旅路は終わらない。
dot. 2019/12/20 16:00
「生真面目な女子高生」のよう? 文書から見えた皇后雅子さまの“素顔”
矢部万紀子 矢部万紀子
「生真面目な女子高生」のよう? 文書から見えた皇后雅子さまの“素顔”
即位のパレードでは、沿道の歓声を受けて涙ぐむ雅子さまの姿が見られた/11月10日、東京都千代田区で (c)朝日新聞社 (c)朝日新聞社 天皇陛下と雅子さまが目を合わせて談笑する姿から、和気あいあいとした雰囲気が伝わってきた/12月3日、東京・赤坂御所で(写真:宮内庁提供)  皇后雅子さまの誕生日に公表された文書には、雅子さまらしさが浮かぶキーワードがあった。そこから見えた、これまでの道程と現在の思いとは。文書から見えた雅子さま素顔についてつづったAERA 2019年12月23日号の記事を紹介する。 *  *  *  皇后雅子さまが12月9日、56歳の誕生日を迎え、「感想」を文書で公表した。皇后になって初めての文書。そこで何度も語られていたのは、周囲への「感謝」の思いだった。  40字詰めで80行にわたる文章に「感謝」という言葉を6回、「御礼」という言葉が2回。上皇ご夫妻、陛下(59)、愛子さま(18)、そして国民への気持ちを述べていた。皇太子妃として最後となった昨年の誕生日の文書でも「感謝」が5回、「お礼」が2回使われていたから、大切にしている気持ちなのだとわかる。  もう一つ皇太子妃時代から変わらないのが、自分のことはごく抑制的に語るという姿勢だ。雅子さまの文書に接するたび、生真面目な女子高生の姿が頭に浮かぶ。スカートも靴下も校則通りにはく。長かったり短かったりというような、はみ出すことは決してしない。たぶん雅子さまは、具体的エピソードを明かすことは、はみ出すことだと感じているのだろう。今回の文書でも雅子さまは、あくまでも真面目で優等生だ。  上皇后美智子さま(85)は、具体的な場面を紹介しエピソードを語ることが多かった。その時の光景が手に取るようにわかり、美智子さまの素顔のようなものが感じられた。雅子さまの文書からも、体温がもう少し伝わってきたらいいのに。そんなふうに感じないこともない。  とは言え、素顔が全く見えないかと言えば、そうでもない。ごく抑制的な表現の中から、静かに「雅子さまらしさ」が浮かび上がる。そういうキーワードが、何かしら見つかるのが雅子さまの文章だ。  昨年の文書では「研鑽(けんさん)」という言葉がそうだった。代替わり目前、皇太子妃として最後の誕生日にあたり「この先の日々に思いを馳せ」て、このように述べていた。 <少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております> 「努力」でなく「研鑽」。努力の先にまだ努力が続く。そのようなイメージを持った。私が雅子さまを「真面目な優等生」ととらえた一つに、この言葉がある。  今年の文書にも、雅子さまの素顔が垣間見えたところがあった。やや長くなるが紹介する。キーワードは「思いがけない」だ。 <天皇陛下のご即位以来、5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております。また、この7か月の間に、地方への訪問、都内での行事などを通して、国民の皆様と接する中で、多くの方々から温かいお気持ちを寄せていただいたことを嬉しく、またありがたく思いながら過ごしてまいりました>  令和になって以来、陛下と雅子さまの行くところには大勢の国民が集まる。「陛下ー」「雅子さまー」と声を掛け、お二人の笑顔を撮ろうとスマホやカメラが列をなす。今では見慣れた光景なのだが、そのことを雅子さまは「思いがけないほど」のことだったと表現しているのだ。  二つのことを思った。一つは、雅子さまという方はごく控えめな方なのだということ。もう一つは、皇室に入って以来の日々が、雅子さまの「自信」のようなものをずいぶんと奪ってしまったのだろうということだ。  だって、皇后なのだ。唯一無二の存在だ。「日本国の象徴であり、国民統合の象徴」であると憲法に定められているのは「天皇」だが、新しく「皇后」になった人のことを国民がお祝いするのは当然と言えば当然で、驚くことではない。  なのに、それを当の本人が、「思いがけない」と言い、「本当に」「温かい」お祝いだったと重ねて形容している。その事実に驚いてしまう。  雅子さまを直接知る人は、雅子さまのことを「控えめな人だ」と口をそろえる。一般の友人だけでなく、雅子さまと交友のある記者もそう証言している。そのことは知ってはいたが、「ハーバード大学→東大→外務省」という華麗なキャリアからどうしても「強い女性」をイメージしてしまっていた。  努力をし、結果を出してきた人なのだから、もちろん「強さ」がないはずはない。だが、雅子さまの「強さ」は「図太さ」とセットのそれではなく、「繊細さ」と共にあるものなのだろう。そのことの表れの一つが「控えめな人」という証言。そのことをやっと実感した。  そうなると、皇室に入って以来の雅子さまの苦労がますます胸に迫ってくる。  外交官という職を中断し入った世界で求められたのは、何よりも「男子出産」だった。努力だけでは結果の出ないミッションに、さぞ戸惑ったことだろう。図太さがあれば開き直ることもできたかもしれないが、そうでない雅子さまは「適応障害」という病を得てしまった。健康と同時に、「自信」というものも失ったことは想像に難くはない。  だが、雅子さまの負った傷はこちらの想像を超えるほどだった。その結果、雅子さまは国民との距離も遠く感じるようになっていたのだろう。そのことを「思いがけない」という言葉が表している。だからこそ先ほどの文章の続きを読むと、しみじみとした気持ちになる。 <日本国内各地で出会った沢山の笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います> (コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2019年12月23日号より抜粋
皇室
AERA 2019/12/20 07:00
【2019】芸能界結婚ラッシュ 得したカップル・損したタレント総決算
丸山ひろし 丸山ひろし
【2019】芸能界結婚ラッシュ 得したカップル・損したタレント総決算
山里&蒼井夫妻(上)、イモトアヤコ(左下)、新川優愛 (C)朝日新聞社  元号が変わり歴史の節目となった2019年。今年も多くの芸能人がゴールインしメディアを賑わせてきた。とくに11月22日「いい夫婦の日」は大安が重なったこともあり、タレントや有名人が相次いで結婚を発表したことは記憶に新しい。それぞれ夫婦生活をスタートさせているが、芸能人にとって結婚は好感度が変化したりファン離れが加速したりと、人気を左右することもある。果たして、今年結婚が大きな話題となった芸能人たちはどのような影響があったのだろうか。 *  *  * 「最も好感度がアップしたのは、6月に結婚を発表した山里亮太・蒼井優夫妻でしょう。意外な組み合わせに世間が騒然としましたが、最近は山里だけでなく蒼井も新婚生活を語ることがあります。9月に放送された『男子ごはん』(テレビ東京系)に出演した際は、夫の山里が料理をしないという話に。これに、同じく料理をしない共演の国分太一が『やればできる子なんですよ、俺は』と言うと、蒼井は『うちの旦那さんと同じこと言ってる』と返答。SNS上では『山ちゃんのこと“うちの旦那さん”って言ってるところにホッコリした』と、視聴者も幸せな気分になっているようです」(女性週刊誌の芸能担当記者)  また、9月に水川あさみと結婚した窪田正孝や、漫画家と入籍した壇蜜の高感度がアップしているという。 「窪田は年上と結婚したことでアラサー女子からの好感度がアップしたと思いますし、奥さんが『あざとい系』ではないのもポイントが高い。11月に行われたイベントでは『幸せですか?』と聞かれ、窪田は『ありがとうございます。はいっ!』と笑顔で返答。これにもネット上では、『笑顔が見れて嬉しい!』『幸せでよかった』と好感の声が多く、人気は落ちていないと思います。さらに、11月に漫画家の清野とおる氏と結婚した壇蜜は相手が漫画家ということや、プロポーズの場所が『西友の自転車置き場』だったことが報じられ、派手さがないことでかえって好感を持った人は多いです」(同) ■イモトは担当ディレクターと結婚  ところで、一般人と結婚した芸能人はどうだろう。8月に新川優愛がロケバス運転手、10月には多部未華子が写真家と結婚。さらに、11月22日の「いい夫婦の日」を皮切りに橋本マナミが1歳年下の医師、イモトアヤコが「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)のディレクター、オードリーの若林正恭が一般女性とゴールインした。  新川は結婚のなれそめについて、「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系、9月21日放送)でこう語っている。3年前から夫に惹かれ、担当のヘアメイクに相談して彼女の方からアプローチをして電話番号を入手したという。そんな、一途で打算のない結婚に好印象を抱いた人は多いだろう。 「新川の場合は自分からアタックしたことで男性からの支持も高くなっていますね。多部未華子も全く仕事に影響ありません。WEBマガジンで『芸能界に友達が多いほうではない』と明かすなど、芸能人らしくない感で元々好感度は高く、結婚によって多くの視聴者が祝福するのは自然な流れです。また、橋本マナミもキャラ的には年の離れたお金持ちと結婚しそうですが、同年代の勤務医を選んだのは好感が持てます。イモトは数々の海外ロケで行動をともにしたディレクターということで、視聴者も『お似合い』とお祝いムードに溢れていました。若林の場合は、15歳年下の看護師と交際3ヶ月でのスピード婚で、ネット上では祝福の声だけでなく『同士だと思っていた…地味にショック』『人見知りキャラの若林が好きだったのに』と、素直に喜べないファンも見られましたが(笑)。といっても、力はあるので、負のオーラが減って芸がつまらなくなるということはないと思います」(同)  今年、結婚で話題になった芸能人たちは、おおむね結婚が良い方向に働いているようだが、一方で結婚後に「もったいない」と言われた女優も。 「5月に結婚と妊娠を発表した川栄李奈の場合、祝福ムード一色にはならなかった。今年は『3年A組』(日本テレビ系)、『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系)、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』と、数々の話題作に出演しており仕事は順調でした。そんな中、知名度的には今ひとつの俳優との授かり婚。SNS上では『もったいない』という声が目立ち、素直に祝福できないという視聴者が多かったと思います。今後は、プラベートを出さず女優に専念した方がいいかもしれませんね。たとえ好感を持たれていても、結婚の話題は反感も買いやすいので幸せオーラを振りまき過ぎるのは注意が必要です」(同)  TVウォッチャーの中村裕一氏は、芸能人の結婚についてこう分析する。 「今年、結婚した芸能人カップルは世間からも総じて好意的に迎えられており、これから先のキャリアにもプラスの作用が働くことは想像できます。ただ、SNSの普及により、応援してくれるファンとの距離が近づいたことは、良い面もあり悪い面もあります。温かい祝福の声だけでなく、心ない中傷も可視化されてしまうので、それを目にしてしまった際に精神的なダメージを負う危険性を常にはらんでいると言ってもよいでしょう。ただし、あまりにもファンの声を気にしすぎて、好感度を得るためだけに結婚したり、夫婦生活をアピールしたりするようなことは本末転倒です。いずれにせよ、イメージが大事な女優やアイドルにとって『結婚』は非常に大きな選択なので、情報化社会が加速する今後はより一層、慎重なSNS対策が求められることは間違いないでしょう」  おめでたい結婚でも株が上がったり下がったり、人によって評価は様々。何より人気商売の芸能人にとっては、良好な夫婦生活を続けていくことが大切だろう。(丸山ひろし)
dot. 2019/12/15 11:30
瀬戸内寂聴「困っているのは、死にたいのに死にそうにないこと」
瀬戸内寂聴「困っているのは、死にたいのに死にそうにないこと」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「長寿の秘密、隠していることあるでしょう?」  セトウチさん  世間が興味を持って怪しく思っていることはセトウチさんの元気で長寿の秘密です。長寿の秘薬でも飲んでいるのでは? と誰もが疑ってもおかしくないですよ。よく食べて、よくしゃべって、よく悪口を言って、よく書いて、よく眠って、だけではないでしょう? 他に何か隠していることがあるでしょう。こんな質問を読者を代表してぼくがお聞きします。  97歳で現役で連載を何本も抱えて、これを全部こなすことのできるセトウチさんは化物(ばけもの)です。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の古都にはそんな魔界の霊力の点滴薬を注入してくれる病院でもあるのですか、あるなら、ぜひ紹介して下さい。病院の好きなぼくなら長期入院も糸目をつけません。ねえ、皆さん、そう思いませんか?  現実に話を戻しましょう。セトウチさんの意見を聞く前に、バリバリの老人ではない、チンピラ老人のぼくの場合はこうです。以前にもこの書簡で触れたかな? とも思うんですが、病気にならない元気のヒミツは先(ま)ずストレスのないことだと思います。ストレスのある人は何かにつけてピリピリしています。そのピリピリをはずせばストレスもなくなりますが、ピリピリ以前に、思うようにならないからピリピリするのです。そのピリピリの根源にあるのは人間の欲望、執着です。仏教徒のセトウチさんに代(かわ)ってしゃべっています。喝(か)!!  ──とぼくは自分の経験を通してしゃべっています。そしてもうひとつ。生活のクリエイティビティです。創造というと芸術的に聞こえますが、何でもいい、想像したり、空想するだけでもいいのです。何故いいかというと、それらは全て遊びにつながるのです。遊びのない人はストレスが大きいです。では遊びとは何か? というと、役にたたんこと、大義名分的な、何かのためという目的を持たないことです。やっていること自体を目的にすれば、それそのことが、すでに遊びになっているのです。何かのために何かをやろうとするとそこには遊びがなくなります。  そして、無頓着な性格でいることです。「どうでもエエやんけ、それがどないしたんや」という暢気(のんき)さが必要です。関西人は口癖(くちぐせ)のように「しゃーないやんけ」と言ってすぐ諦めます。この諦めるということが大事です。「まあ、何とかなるでえ」という気持(きもち)が必要です。宿命とか運命は、それに逆らってがんばる人もいるけれど、「なるようにしかならへんで、それでええやんけ」という生き方ができる人は、知らず知らずの内に上手く運命に従って生きることのできる人です。ラテン系ですね。  そんな生き方が寿命を延命し、健康な生活を送ることができるのです──とぼくは思っています。そして死ぬことがあると、それは寿命だと思うしかないのです。生きるということは、ある意味で諦めることでもあると思います。自分の欲望に振り廻(まわ)されない生き方ですね。お後は寂聴先生の面白い説法が始まります。よろしくお願いいたします。ハイ皆様、拍手!! 「ハイ、私、横尾さんの難聴じゃなく、寂聴です(笑)。横尾さんは聴くのが難しい、というより、人の言うことを聴かない人です(笑)。だから横尾さんの言うこと聴く必要ないです」 ■瀬戸内寂聴「逃げずに好きなように生き、長命に」  ヨコオさん  年の瀬もせまってきて、また一つ歳をとりそうです。数えでいえば、今度の正月で、私は九十九歳になるんじゃなかったかな。  ヨコオさんは私の長寿に何か秘密がありそうだといってたけれど、そんなもの何もないよ。ただ、ヨコオさんのいわれるように、私も好きなように生きてきたのが、一番長命の役にたっているのではないかしら。  そのかわり、家庭をとび出したおかげで、さんざん、世の中からひどい目にもあわされたけれど、それは自業自得と割りきっていて、当然受ける罰だとすべて逃げずに受けてきたのが、薬になっていたのかもしれない。  しかし、今ふりかえってみると、ひどい偏食で、栄養失調だった私が、二十の時、突然、新聞広告にうながされ、東京の女子大の寮を飛びだし、大阪の断食寮へ飛びこんで、四十日の完全断食をしたおかげだとしか考えられない。  全く食べないのは二十日間で、あと二十日かけて元食に戻り卒業する、その間、掃除くらいさせられるが、そんなことも出来なくなり、ただ、うつらうつらと寝てばかりいる。  食べないのには馴(な)れるが、元食にかえる時、同じ食堂でたきたてのご飯など食べている人をみると、殺してやりたくなった。出山釈迦のように骨と皮ばかりになって女子大に帰った時、皆に気味悪がられた。  私は断食寮で教えられたことを、守りつづけ、砂糖は一切取らず、割合ぜいたくな女子大の食事も半分も食べなかった。しかし、体は次第に肉がつき、断食式の食事がすっかり身について、私は全く別の体に生まれ変わっていた。  その後はほんとに丈夫になった。少し加減が悪くなると、一日、二日、断食すればすぐ治ってしまう。結婚して、北京へゆき、子供を一人産んで、終戦で親子三人で引きあげてきてからも、ずっと達者になった。婚家を着のみ着のままで飛び出し、小説を書き始めてからも、苦労はしたが、それを苦労と自分で感じたことはなかった。  ヨコオさん、あなたのおっしゃる通り、健康は心の持ちようからですよ。九十二歳で、ガンが見つかった時も、即、切ってくれと医者に告げ、取ってもらいました。五十一歳で出家したことも健康の基になっていると思います。今、困っているのは、もう死にたいのに、一向に死にそうにないことです。  ものが書けなくなれば、私の場合は、生きていても無用だと思います。  ただし最近体は徐々に衰弱してきました。あとは呆けないで、さっぱりとあの世に旅立ちたいものです。  それにしても寒いですね。でも今年の紅葉はかつてない程、きれいでしたよ。出家して四十六年にもなりました。  あ、そうそう、まなほに十二月三日、赤ちゃんが生まれました。男の子で美男子です。頭の中身はまだわかりませんが──。二十日も早く生まれて親孝行な子です。まなほは益々元気一杯です。生きている私に、自分の赤ちゃんを抱かせたと、自慢していました。  風邪がはやっているようです。ひかないようにしましょうね。  では、また。 ※週刊朝日  2019年12月20日号
週刊朝日 2019/12/15 08:00
姉・真凜に続き米国へ…12歳の本田紗来が、世界で戦うため選んだ“厳しい道”
姉・真凜に続き米国へ…12歳の本田紗来が、世界で戦うため選んだ“厳しい道”
姉・真凜と同じく米国に拠点を移した本田紗来(C)朝日新聞社  リンクに黄色い衣装を着た本田紗来が登場すると、そこだけスポットライトが当たっているように目を惹く。ジュニア世代の選手に混じると一際小柄な本田には、12歳ならではの愛らしさに加え、スケーターにとって強力な武器である“華"があることを感じた瞬間だった。  11月15~17日、KOSE 新横浜スケートセンターで行われた全日本ジュニア選手権。本田は、16日に行われた女子シングル・ショートプログラムに22番滑走で登場した。全日本ジュニアには、ジュニア(6月末時点の年齢が13~18歳)より年下のカテゴリー・ノービスでの国内最高峰の大会、全日本ノービス選手権・ノービスA(6月末時点の年齢が11~12歳)で好成績だったスケーターの推薦出場枠があり、4位だった本田もその一人として出場している。  本田は一昨季、全日本ノービス・ノービスB(6月末時点の年齢が9~10歳)で優勝、脚光を浴びた。昨季も全日本ノービス・ノービスAで2位、初出場の全日本ジュニアで総合17位、さらに国際大会2戦目となるチャレンジカップ(アドバンスド・ノービス女子)でも優勝と、好成績を残している。  しかし、2度目の全日本ジュニアはほろ苦いものとなってしまった。本田は、最初に跳んだ3回転ルッツ―2回転トウループではエッジエラー、続く3回転ループでは回転不足の判定を受ける。最後のジャンプ、ダブルアクセルも両足着氷気味となり重度の回転不足をとられ、ショート28位でフリーに進むことができなかった。ノービスAではショートを滑ることがないハンディを差し引いても、ジャンプが本来の出来ではないことは明らかだった。滑り始めると光を放つような魅力がある本田を、フリーで見ることができないのは残念だった。  不調の原因は、おそらく環境の変化にある。昨季まで濱田美栄コーチの下で練習していた本田は、今夏から姉・真凜も師事するラファエル・アルトニアンコーチの教えを仰ぐ決断をした。現世界王者ネイサン・チェンも指導する名伯楽から学ぶことは多いだろうが、拠点をアメリカに移すという決断は、まだ小学生である本田にとり簡単なものではなかったはずだ。4位に終わった全日本ノービスの際、日本で通学しアメリカでスケートをする環境下で、ジャンプの練習が不足する時期があったという主旨の発言をしている。日本では本田武史コーチの指導を受けているとはいえ、環境が変わって初めて迎えるシーズンの難しさは容易に想像がつく。  紗来より1シーズン早くアメリカに拠点を移した姉の真凜は、本格的なシーズン開幕を前にした今年10月初旬、昨季感じた難しさについて語っている。環境に慣れたかを問われた真凜は「まだ完全になじんでいるとは言えないんですけど、二年目ということで、少しずつ過ごしやすくなったかな」と話した。 「去年はアメリカに行って、なかなか環境に上手くなじめている感じがなかった。言葉の壁も自分の中ではすごく大きくて、自分を閉ざして、シャットアウトして生活していた部分もあった。それが、少しずつスケート以外の部分でも抜け出せているかなと思うので、今は悪い波をいい方向に変えていけている最中なんじゃないかな」  6歳上の姉も苦労した環境の変化が、12歳の本田に影響しないとは考えにくい。2022年北京五輪には規定の年齢に達しないため出られない本田は、26年五輪出場を目指している。あえて厳しい状況を選んだ12歳の道程は、まだ始まったばかりだ。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
dot. 2019/12/12 17:00
「勝てないと思ったけど…」 羽生結弦、チェンとの戦いで見せた“勝負師のプライド”
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「勝てないと思ったけど…」 羽生結弦、チェンとの戦いで見せた“勝負師のプライド”
勝負師としての矜恃を見せつけた羽生結弦(C)朝日新聞社  フィギュアスケート14年ソチ五輪、18年平昌五輪で連続金メダルの羽生結弦が、憧れの地で舞った。GPファイナル、シーズン序盤の大一番となる舞台は、2006年トリノ五輪の行われた会場「パラベラ」だった。当時11歳の羽生が、名スケーターたちに魅せられ、五輪金メダルを目指すきっかけになった場所だ。  SP曲「秋によせて」はジョニー・ウィアー(米国)、フリー曲「Origin」は、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)へのオマージュ作品でもある。羽生と同じアイスリンク仙台で育ったトリノ五輪女子金メダルの荒川静香も含め偉大な先人たちが全身全霊を込め、滑った地。羽生には特別な感情があった。 「会場自体に凄く大きなエネルギーがある。自分が凄くスケートにのめり込んでいた時期の五輪があった場所。いろんな思い出がある。もちろん、記憶としての思い出もあるんですけど、記録として残っている。ここに残っているものは一生消えない。やっぱ、そういうものに勝手にですけど、勝手に力をもらいながら演技したい」  自らを奮い立たせて臨んだ3年ぶりのファイナルの舞台。結果は満足するようなものではなかった。SPでは4回転トーループで着氷が乱れ、コンビネーションにつなげられず。ライバルのネーサン・チェン(米国)と12・95点の大差がついた。自身にとって最大の逆転劇を目指したフリーでは、2年ぶりに試合で封印を解いたルッツを含む4回転4種類5本の構成で臨んだ。さらに、トリプルアクセル―トリプルアクセルという新コンビネーションも組み込み、賭けに出た。  もう後がない。それでも、何も爪痕を残さないまま沈むのは、羽生結弦の美学に反する。「SPの後、ほぼすぐ(4回転)5本にしようと思った。勝てないとは思っていたけど、なにかここで成し遂げたいと思っていた」。4回転5本は意地で降りた。2連続トリプルアクセルの新コンビネーションは前半のジャンプが抜けてしまった。  自己ベストには遠くおよばない194・00点。合計点も291・43点でチェンとの差は広がり、2位のままフィニッシュ。5度目の優勝はならなかった。それでも、勝負師としての矜恃を見せつけた魂の4分間だった。  初めて足を踏み入れたトリノの地。25歳の誕生日となった12月7日、フリー当日までコーチ陣が不在のハプニングもあった。だからこそ練習中に、将来的な完成を目指すクワッドアクセルに試合会場で初挑戦することができた。11歳の少年が夢を持った地で起こった事象全てが、次なる“何か”の伏線になる。「ここがまた、自分にとってのきっかけの地になった」。羽生結弦が紡ぐストーリーは続いていく。
dot. 2019/12/10 17:00
松本ちえこさん死去 70年代を象徴する記憶に残るアイドルだった
宝泉薫 宝泉薫
松本ちえこさん死去 70年代を象徴する記憶に残るアイドルだった
松本ちえこさん (C)朝日新聞社  松本ちえこさんが大動脈瘤破裂のため、60歳で亡くなった。多くのメディアは「タレント・女優」として紹介しているが、ある世代以上の人にとっては「アイドル」としての印象が強いだろう。 *  *  *  74年に「お小遣い稼ぎのつもりで『ものまね番組』に出た」のがきっかけで歌手デビュー。2年後、16歳のとき、資生堂・バスボン石鹸シャンプーのCMに起用され、注目された。「まんまる顔の女の子はいい妻になれるって」とたどたどしく歌うCMソング(「バスボンのうた」)が人気を博し、CMからブレイクしたアイドルの先駆けといえる。その勢いでサードシングル「恋人試験」はオリコン5位のヒット曲となった。  この曲は、男性相手にテスト形式で自分に関する質問を繰り返したあと「知っているのにワザとまちがえる」ような「65点のひとが好き」と、オチをつけるというもの。彼女自身、庶民的でちょっとはすっぱな、普通のコっぽい可愛さが売りだったし、日本中の普通の男子をその気にさせるような、アイドルソングの極意というべき内容だった。それとともに、受験戦争などという言葉が盛んに使われる時勢も反映していたわけだ。  また、シングル5作目の「ぼく」は当時現れ始めていた男の子の一人称で話す女子(最近でいう「ボクっ子」)の心象風景を歌にしたもの。ちなみに、前出の「バスボンのうた」はまだ世間的に無名だったコピーライターの糸井重里が作詞していたりする。70年代を象徴するアイドルといえば、山口百恵やピンクレディーが代表的だが、彼女もまたそのひとりであり、時代の先取りもしていたのである。  ただ、歌も芝居も抜群に上手いわけではなく、所属事務所も小さかったから、絶頂期は短かった。78年には映画「博多っ子純情」でヒロインを務めたものの、その直後に妊娠疑惑騒動が発生。アイドルとしてのイメージは低落した。  しかし、ここで彼女は本人いわく「賭け」に出る。「PLAYBOY」79年12月号でヌードになったのだ。「20歳・女への出発(たびだち)」と題された全15ページのグラビアは話題になり、彼女は男性週刊誌の対談企画などに引っ張りダコになった。2年後には、こう振り返っている。 「事務所にも内緒だったけど、あれで私の『清純派』のイメージがふっきれたんですもの。きっと、あのまま『清純派』を気どっていたら、私、精神病院行きだったかもしれないな」  つまり、彼女はアイドルがヌードによって過去のイメージを脱却して新たなステージへと進む、という手法の第一号となった。これはやがて「アイドルヌード」の定番と化していく。91年に宮沢りえが脱ぐまでは、この松本ちえこ型が主流だったのだ。  こうしてひとつの歴史を作った彼女は、にっかつロマンポルノに進出。その後は女優・タレントとして地道に活動を続けた。が、90年に「未婚の母」となることがわかり、また世間を驚かせることに。娘を出産後、6歳下のミュージシャンと入籍して、しばらくは育児に専念することとなる。  やがて、育児が一段落したのを機に活動を再開。当時のブームにのって、ヘアヌード写真集も出した。その後、夫とは離婚したが、娘が芸能界入りしたことにより、バラエティ番組での母娘共演も実現。娘は一般人と結婚して、一児の母だというから、孫にも恵まれたわけだ。  亡くなったのは11月17日で、同居していた娘が発見。前日まで元気だったようだ。また、死の前月には「フォークソングカフェ」というブログがアイドル時代の彼女のことを取り上げており、そのコメント欄を見たら、11月25日に「匿名」で「昨晩 お通夜でした」という短い書き込みがされていた。  60歳という年齢も含め、一世を風靡した芸能人の最期としては淋しい印象もなくはないが、ネットではかつてのファンを中心に惜しむ声や懐かしむ声が数多く見られた。実際、彼女ほど親しみやすさを感じさせたアイドルはなかなかいない。また、30歳以降の活動が少ないため、そのイメージはもっぱら若いころのまま保たれているともいえる。  とりわけ70年代に青春をすごした世代にとっては、ひとつの時代が去り行くことを感じさせる、記憶に残る死になりそうだ。  ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。
dot. 2019/12/06 14:16
ジャンプだけがフィギュアじゃない! 素晴らしい「表現力」を誇るスケーターは?
ジャンプだけがフィギュアじゃない! 素晴らしい「表現力」を誇るスケーターは?
芸術性の高いプログラムでファンを魅了するメドベデワ(C)朝日新聞社 宮原知子も素晴らしい演技力を誇る一人(C)朝日新聞社  4回転時代到来といわれる今季女子シングルだが、芸術性の高いプログラムで魅了するスケーターもまた、静かな輝きを放っている。彼女たちは、フィギュアスケートにはジャンプ以外にも見どころがたくさんあることを教えてくれる。  定評のある表現力にますます磨きをかけているのが、エフゲニア・メドベデワだ。今季のフリースケーティング(ジェフリー・バトル、シェイ=リーン・ボーン振付)に数年間温めていたという映画『SAYURI』の曲を使っている。満を持して採用した和の曲に合わせ、着物風の衣装をまとって滑るメドベデワは、一つの道を究めようとする女性を演じる。国や文化の違いを超えて音楽の本質的な部分を感じ取り、それを卓越したスケーティングで表現するメドベデワは、この『SAYURI』で拠点を母国ロシアからカナダに移した勇気ある挑戦の成果を示している。  日本のテレビ局の取材を受けたメドベデワは、表現者として大切なのは「いつも豊かな心でいることです」と話していた。 「人生で多くの感情を経験するほど、氷の上でイメージをより良く伝えられると思います」  芸者の生涯を演じるメドベデワのフリーに深みがあるのは、彼女がたくさんの感情を経験してきたからだろう。人生の蓄積があってこそ、表現できることもあるのだ。 『SAYURI』は平昌五輪のショートプログラムで宮原知子が滑り、日本女性の美しさを表現して深い印象を残した曲でもある。そして、宮原が平昌五輪フリーで滑った『蝶々夫人』と、今季のプログラムの選曲は、ピアニストであるジョン・ベイレス氏と宮原の交流から生まれたストーリーでつながっている。  宮原は、今季フリー(ローリー・ニコル振付)の曲に「シンドラーのリスト」とラフマニノフ「鐘」が入り混じるピアノ曲を使っているが、これはジョン氏の編曲によるものだ。宮原の平昌五輪フリー『蝶々夫人』をテレビで観て、自身の編曲した音楽がスケートによって美しく表現されていることに感動したジョン氏が宮原に連絡をとったことから二人の交流が始まり、宮原はジョン氏のリサイタルに招かれる。その際に聴いて滑りたいと感じたのが、今季のフリーに使っている曲なのだという。  宮原は、自身のブログで「悲しみ、苦しみ、そしてヒューマニティを表現するプログラムであり、何か心に残るものをお届けできれば」「深いプログラムを作ることができたように思います」と書いている。宮原は苦手だと感じていたというコンテンポラリーダンスの要素がある振付を見事に滑りこなし、自身の言葉通り深い味わいを氷上に描き出す。  グランプリシリーズ開幕前の10月初旬、アレクサンドラ・トゥルソワが4回転を4本着氷したジャパンオープンの記者会見で、宮原はいつものように静かに、しかし芯の強さを感じさせる口調で次のような発言をしている。 「観て下さるすべての方が惹きつけられるような演技ができるようにしたい」 「自分の強みを見つめ直して、そこを磨いていきたいです」  11月19日に20歳になったメドベデワは、グランプリ1戦目のスケートカナダでは5位に終わったが、2戦目のロシア杯では2位になり、底力を見せた。21歳の宮原は連戦となったグランプリ2戦目のロシア杯では4位に終わったが、1戦目の中国杯では2位になり表彰台に立っている。ファイナルで彼女達の滑りが観られないのは残念だが、大切なシーズン後半に向け、国内選手権での二人の健闘を祈りたい。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
dot. 2019/12/05 17:00
カリスマ芸人占い師が断言「来年は山羊座が12年に一度の幸運期」
中西正男 中西正男
カリスマ芸人占い師が断言「来年は山羊座が12年に一度の幸運期」
芸人の信者も多いLove Me Do氏(撮影/中西正男) Love Me Do(らぶみーどぅー)/1975年、千葉県出身。吉本興業所属。芸人としてキャリアをスタートさせ、デビュー3年目の頃に歳の時に働いていた新宿二丁目のバーで占いを学び始める。その後、本格的に占いを学び、手相、タロット、占星術、四柱推命、風水、九星術、易、人相占い、数秘術、ルーン占い、姓名判断などを習得。12月12日には最新刊「『もしもし神さまですか?』幸運を呼び込む開運スマホ術」が発売  衝撃的な薬物事件、未曽有の結婚ラッシュなど多くのニュースが飛び出した2019年の芸能界。年末に向けて、そして、来年の芸能界の動きがどうなるのか。  芸人としてキャリアをスタートさせ、現在は風水師、占い師として活動するLove Me Do(ラブミードゥー)氏に今後の流れを聞いた。  同氏はこれまで、サッカー女子日本代表・なでしこジャパンのドイツワールドカップでの優勝、ドナルド・トランプの大統領就任など数多くの出来事を的中させ、横澤夏子さんら芸人仲間からも「恐ろしいほど当たる」と言われる存在。著書にプレミアがつき、過去に出した本に数万円の値段が付くほどの存在にもなっている。 「今年は亥年なんですけど、細かく言うと、亥年の上に己(つちのと)がついている『己亥』の年なんです。『己』が大地を表していて『亥』はイノシシは水を表す。この二つが組み合わさると“湿った大地”というイメージが出てくるので、そこから出てくるのは『田』とか『井』とか『さんずいが付く漢字』に注目が集まる年ではあったんです」  この“注目”が集まるというのには二つの側面があり、良い意味も、悪い意味も両方あるというのが同氏の考えで、良いことをしていると良い形で、ネガティブな隠し事があるならば悪い形で注目を集める。勝手に世の中の流れがそうなっていくものだという。  同氏の考えでは、芸能人などの著名人において、この“注目”はほぼネガティブな形で出てくる。唯一例外として考えられるのが結婚だという。 「今年だったら新井浩文さん、田村亮さん、徳井(義実)さん、田代まさしさん。さんずいならピエール瀧さん。結婚という良い方向で出た人で言うと、小泉進次郎さん、滝川クリステルさん、新川優愛さんとか、速水もこみちさんとか、やっぱり水系の名前が多いんです」 ■宇宙で新たな発見があるかも?  ちなみに、この取材をしたのは11月8日だったが、そこから沢尻エリカ容疑者も逮捕されることになった。では、来年はどのようなところに注目が集まる年になるのか。 「2020年は子年でこちらも細かく言うと庚(かのえ)がついた『庚子』。『子』も水系の意味なので、来年も引き続き、水系の名前に注目が集まると思います。さらに『庚』は“原石”とか“加工される前の金属”とか“月”とか“木”を表すんですね。『金』『月』『石』『岩』がつく名前に良い悪い両方の意味で注目が集まる年になると思います」  さらに、一年を通じて見ると大きな動きも見えてくると持論を展開する。 「子が水を表して、庚が鉄を表す。“水の上の金属”というイメージが出てくるので、例えば、沈没船が出てくるとか、海底資源が大量に見つかるとか。もしくは、月の方を考えると、宇宙で新たな発見があるとか。あと、来年は山羊座が12年に一度の幸運期になるんです。山羊座は安心・安全がテーマなので予防医学にさらに光が当たる。また、今、すごく光が当たっているクラウドファンディングとか仮想通貨に対して、安心・安全という観点から疑問視する声が上がったり。そういう年になると思います」  来年、最大のイベントと言えば東京五輪となるが、同氏いわく、アスリートのような勝負事の世界ではこの“注目”が良い形で出ることが多い。すなわち、メダル獲得が期待できるような流れになるという。 「山羊座というのは“伝統”という意味合いも入っているので、そこから考えると、日本として伝統的な競技、分かりやすいところで言うと、柔道。ここのメダルは通常の大会以上に期待できますし、かつての強さということで言うと、バレーボールも良い結果が出るかもしれません」  来年の今頃、この占いがどう出ているのか。まさに神のみぞ知るところではあるが、注意深く見守っていきたい。
dot. 2019/12/03 11:30
森保ジャパン、人気ない。スタジアムに空席、視聴率はついに1ケタも…
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森保ジャパン、人気ない。スタジアムに空席、視聴率はついに1ケタも…
日本代表の森保一監督 (C)朝日新聞社  日本中が熱狂と興奮に包まれた2018年ロシアワールドカップから1年半。サッカー日本代表を取り巻く状況が厳しさを増している。2019年は1~2月のアジアカップ準優勝というまずまずの成績からスタート。9月から始まった2022年カタールワールドカップアジア2次予選も前半戦4連勝と取りこぼすことなく来ているのに、森保ジャパン人気は高まるどころか、盛り上がりに欠ける印象が否めないのだ。  それを如実に表しているのが、テレビ視聴率。11月14日の2次予選・キルギス戦の地上波平均視聴率(関東地区)は10.6%(以下ビデオリサーチの公開データ参照)と辛うじて2ケタをキープしたものの、現代表の主力である長友佑都、吉田麻也、南野拓実、大迫勇也らを欠いた19日の親善試合・ベネズエラ戦に至っては8.6%と、とうとう1ケタまで落ち込んでしまった。  川島永嗣や柴崎岳、原口元気といったロシア16強戦士が揃ってピッチに立ったにもかかわらずこの数字とは、サッカー業界全体のショックは大きかった。  9~11月に開催されたラグビーワールドカップで日本代表が大躍進したこと、2020年東京五輪が近づき、陸上や水泳、バドミントンや卓球などメダル有力競技への関心が高まっていることも逆風になっているのか、サッカー人気が相対的に落ちているのは事実のようだ。11月18~24日のスポーツ番組の平均視聴率を見ると、大相撲九州場所、NHK杯フィギュアと人気スポーツが上位にランクイン。ベネズエラ戦がこれらより下というのは仕方ないが、今回は全日本実業団女子駅伝やエリエールレディスオープンゴルフよりも数字が低かった。  日本代表が前半から4失点を喫する惨敗も苦境に追い打ちをかけ、ネット上では「かつては20%が当たり前だったサッカーがついに1ケタか」「サッカーももう終わったな」「見たい選手がいない」などという書き込みが相次いだ。こうした一般人の反応は観客動員数にも表れており、2019年の親善試合は満員にならない試合が目立つ。  2次予選初戦・ミャンマー戦直前に行われた9月5日のパラグアイ戦はアクセスの悪いカシマスタジアムでの平日夜開催ということもあったが、2万9071人と3万人を割ってしまった。日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「代表チームがヤンゴンにすぐ移動できるように鹿嶋開催を選んだ」と説明していたが、ここまでスタンドが閑散としていたのは近年稀に見る出来事だった。 「本田圭佑や長谷部誠、香川真司といったロシアまでのスター選手が揃って代表から去り、『本田ロス』『長谷部ロス』『香川ロス』と言われるように、今は目玉選手がいない。ここまでスターらしいスターがいないのは、93年にJリーグが発足してから初めてと言ってもいいかもしれない。期待の18歳・久保建英もA代表ではまだ出番がほとんどなく、所属のマジョルカでのインパクトも今一つ。他にお客を呼べる選手がいないとなると、森保ジャパンの不人気に拍車がかかるのもやむを得ない」と長年、日本代表に携わる関係者も頭を抱えている。  加えて、森保監督のスター性不足を指摘する声も上がっている。93年10月28日の『ドーハの悲劇』を経験したレジェンドであり、指揮官に転じてからはサンフレッチェ広島を3度もJリーグ優勝に導いた彼は、非常に真面目で人当たりがよく、周囲の信頼も厚い。森保批判をする関係者はまずいないという。しかしながら、「発言が地味すぎて面白味に欠ける」「内容も(現役時代のポジションである)ボランチらしく守りの姿勢でリスクを回避する」といった意見も聞こえてくる。  指揮官自身もそのことを自覚しているのか、しばしば記者会見で「面白いことを言えなくてすみません」と苦笑いしながら自ら詫びることもあるが、歯に衣着せぬ発言でズバリ指摘してきたトルシエやハリルホジッチに比べると物足りなく、ジーコやザッケローニ、岡田武史やオシムのような存在感も乏しい。また、日本代表の非公開練習の多さ、選手取材対応日の少なさも相まって「強く、魅力ある代表」を発信できていない点も問題ではないだろうか。  代表人気低下の影響もあるのか、11月のキルギス戦でお披露目された2019-20年用の新ユニホームの売れ行きも芳しくない模様だ。  東京都内の大型スポーツ店の店員によれば「新ユニホームになってから熱心に購入されるのは外国人観光客」だという。一方で、日本人サポーターの反応はやや鈍い様子。「ださい」と批判されている迷彩柄のデザインのせいという側面もあるだろうが、歴代ユニホームだって公開当時は酷評されていたものだ。  背番号に関しては、まだレギュラーになったわけでもない久保の17番が一番人気とのこと。久保がブレイクしなければ、代表ユニホームの爆発的ヒットもなさそうだ。新スターの出現を、協会も、テレビ局も、メディアも、メーカーも待ち望んでいるのが現状なのだろう。  2020年は東京五輪もあるし、ワールドカップアジア最終予選もスタートする。そこで日本代表が快進撃を見せて、久保や堂安律ら若い世代が急成長すれば、停滞感を一気に払拭できるかもしれないが、そうならなければ、冬の時代はしばらく続くかもしれない。
日本代表
dot. 2019/12/02 17:00
ディーンの「シャーロック」は「相棒」をよく研究しているんだけど…
矢部万紀子 矢部万紀子
ディーンの「シャーロック」は「相棒」をよく研究しているんだけど…
音楽活動も精力的なディーン・フジオカ (C)朝日新聞社  最近イチオシの女優さんは、この秋に見つけた山田真歩さんだ。38歳。とても良い。 「シャーロック」(フジテレビ)に出演中だ。ディーン・フジオカ主演のドラマで、原作はコナン・ドイル。って、おいおい。ではあるのだが、ディーンさんは「モンテ・クリスト伯」とか「レ・ミゼラブル」とか、「だいぶ前から21世紀ですけど」と誰もが思う謎のシリーズ(フジテレビ)にずっと出ていて、まあ、「継続は力」だろうと、見てみたのだ。  そうしたら案外おもしろくて、「シャーロック・ホームズ」は詳しくないけど「相棒」(テレビ朝日)に似ていると思い、熱心に見るようになった。で、心ひかれたのが、山田さん。事件解決の道筋が見えてくるとなぜかバイオリンを引くディーンさんは確かにカッコいいが、どうも心がときめかない。その点、山田さんは、少ない出番にもかかわらず存在感があるのだ。  演じているのは、警視庁捜査一課の巡査部長・小暮クミコ。「相棒」で言うなら鑑識課員・米沢守こと六角精児さんだと思う。相棒ふたりの近くにいつもいるというわけではないが、毎回必ず登場し、いい味を出す。米沢は六角さんという役者を得て人気になり、スピンオフも作られた。山田さんの演技は、そんなことも思い起こさせる。  ドラマを簡単に説明すると、ディーンさんは犯罪コンサルタント・誉獅子雄役。誉に仕事を依頼する捜査一課の警部の部下が、小暮巡査部長。なお、ホームズの「ホ=H」と「ム=M」から誉だとして、シャーロックはなぜ獅子雄? ネーミングの苦労を忍びつつも、つい疑問符。  警部役は佐々木蔵之介さんで、背が高い。山田さんは小柄だ。2人は並んで登場することが多く、そのデコボコ感もキュート。小暮はメガネをかけ、いつも同じグレーのスーツを着ている。トータル仕事のできる女だという感じが伝わり、キュートさも合わせて「鑑識の米沢さん」に通じる。  小暮の台詞はほぼ、警部への一言のみ。「いっつも、あの人の言いなりじゃないですか」とか「全然、自分で動きませんよね」とか。その皮肉めいた調子が好きだ。クセがあるけど仕事ができないわけではない、そういう男性上司の下で働く女子の正義感みたいなものが伝わってくる。「わかるわー」と思えて、ハマる。  フジはぜひ、小暮巡査部長でスピンアウトを作るべきだと思う。ちなみに六角さん演じる米沢はシーズン14(2015年)を最後に消えてしまい、とても寂しい。そのせいで最近「相棒」から足が遠のきがちだと、この場を借りてテレ朝にアピールしておこう。 ■「バディもの」という分野   「シャーロック」はたぶん、「相棒」を相当研究していると思う。超長寿にして高視聴率ドラマだから当たり前だが、もっと言うなら「シャーロック・ホームズ」なら「相棒」が作れると思ったのではないだろうか。 「相棒」は「バディもの」という分野に「非アクション」の新風を吹き込み大ヒットさせたのだが、どこも「相棒」と同じことはやりにくいのだろう。数多い刑事ドラマの中に案外「男性2人」のものはない。だが、ホームズとワトソンだったらぶっ飛んだところでありかも。そう思って始めたのではと、勝手に推測している。  ところで小暮巡査部長を見ながら、「この人、知ってる」とずっと思っていた。が、どこで知ったのか、思い出せなかった。だが、別のドラマを見て思い出した。「朝ドラで知ってたんだ」と。  順番に説明するなら、この秋は「少年寅次郎」(NHK)も見ていた。渥美清さんにそっくりな子役が話題になったが、すごく切ないドラマだった。だって寅次郎は「フーテンの寅」になるのだ。別れが待っているとわかっている。そして切なさマックスの最終回、山田さんを発見した。  寅次郎の産みの親・お菊だった。映画「男はつらいよ」ではミヤコ蝶々が演じた役。初回にも登場し、とらやの前に生まれたての赤ん坊を置いていったのだが、その時は気づかなかった。最終回は中学生になった寅次郎に会いたくて、学校まで訪ねてきたという設定だったから台詞も多く、声で「小暮巡査部長だ」とわかった。  お菊は着物姿だった。それで山田さんが「流行作家の宇田川満代先生」だったと思い出した。NHKの朝ドラ「花子とアン」に、華やかな大正っぽい着物で出ていた。2014年の作品だから5年前から知っていたわけで、ちょっと感激。 ■「相棒」はまもなく20年  最後に「シャーロック」の話をもう少し。心に残った2話があり、これが「相棒風味」だったのだ。一つはとんでもないパワハラ野郎が出てくる「社会問題摘発物」。もう一つは戦後の貧しさが関係する「忘れてはならない歴史物」。そのようなテーマがありながら、面白い謎解きものに仕上がっている。それも、相棒風味。  社会問題物は、第5話。パワハラ野郎の下で働かされた若手社員の悲劇を描いていた。圧巻は、母親を演じた若村麻由美さん。「シャーロック」は毎回、犯罪周りに豪華ゲストを配していてこれも「相棒」方式だが、若村さんは別格だった。  母としての愛情、自分のキャリア、さまざまなものを結集して罪を犯す。終わってみれば、哀愁が残る若村さんの一人舞台。「相棒」の屈指の名作「ミス・グリーンの秘密」(season8、2009年)における草笛光子さんの演技を思い出した。  歴史物は、子役が大活躍した7話。山城琉飛くんが孫で、祖父役に伊武雅刀さん。伊武さん演じる男は秘密を抱えていて、背景には戦後の貧しさがある。伊武さんはさすがの演技なのだが、私が引かれたのは山城くんの可愛い&達者な芝居。「相棒」には、中学生になった“子ども店長”こと加藤清史郎くんが出演した「BIRTHDAY」(season11、2013年)という超名作がある。山城くん、将来有望とみた。 「相棒」は現在、season18を放送中。土曜ワイド枠で「警視庁ふたりだけの特命係」が放送されたのが2000年だから、もうすぐ20年になる。ずっと高視聴率を維持しているのは、ドラマを支える視点が確かだからだろう。その視点こそが「社会問題摘発」だったり「忘れてはならない歴史」だったりするのだが、そこに名女優や名子役を配し、心に残る名作に仕上げている。だから信頼され、チャンネルを合わせる人が減らない。 「シャーロック」は、そこをちゃんと分析している。しかも「相棒」より若いバディにして、棲み分けもできている。だけど、どうも視聴率は下がっているらしい。ディーンさんのバイオリンのシーンなど、再考の余地はあるような気がするけど、どうかしらん。
dot. 2019/12/02 11:30
小説家・朝井まかての忘れられない“読者のはがき”
小説家・朝井まかての忘れられない“読者のはがき”
朝井まかて(あさい・まかて)/1959年、大阪府生まれ。2008年、小説現代長編新人賞奨励賞を受けてデビュー。14年『恋歌』で直木賞、同年『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞を受けた。15年『すかたん』が大阪ほんま本大賞。16年『眩』で中山義秀文学賞、17年『福袋』で舟橋聖一文学賞、18年『雲上雲下』で中央公論文芸賞、19年『悪玉伝』で司馬遼太郎賞。 (撮影/写真部・掛祥葉子) 朝井まかてさん (撮影/写真部・掛祥葉子)  気になる人物の1週間に着目する「この人の1週間」。ふんわりした大阪弁。お洒落もおいしいもんも、大好き。嫌いなんは、サクリャク。そんなやわらかい人当たりは、人との垣根を取り払う。仕事ぶりはしかし、挑戦的だ。円熟の時代小説作家・朝井まかてさんを追った。 *  *  *  その記念写真では40人余りの人が肩を寄せ合っている。朝井まかて夫妻だけでなく、柔和な表情を浮かべる大人たちがいた。  今年2月、大阪・梅田のレストラン。朝井が受けた司馬遼太郎賞贈賞式の後、ゆかりの人々が集まった。  関西在住の人気作家らのほか、司馬賞受賞作『悪玉伝』の版元KADOKAWAや講談社などの担当編集者らが、東京から大挙して顔をそろえた。  宴は未明まで続いて場所を移し、記者も末席を汚した。順々に聞かされるスピーチから、お祝いだけでなく、それぞれの「まかてさん」への思いが伝わってきた。場の空気はお仕着せの会にありがちな、業務や義務という色合いからほど遠かったように思う。  若き編集者は後日、冗談ともつかない口調で、不意に明かした。 「ぼく、まかてさん家の息子になりたいなあ」  多忙極める直木賞作家にして、こんなに慕われる作家は、どんな人なのか。  連載などいま、並行して進める作品の数を尋ねた。 「いくつかな……五つ。後先を考えずに引き受けて走るたちで。あほなんです(笑)。作品ごとに頭を戻さな、あかんのにねえ。でも効率を考える人間なら小説を書いてないでしょうね。効率云々とは無縁の世界ですから」  描く時代の幅は作品によって広く、江戸時代初期から昭和の戦後まで筆は至る。「いろんな人の感情を抱いて、いろんな土地に行っています」  最新刊は、幕末の長崎で茶葉の海外貿易に独り乗り出した大浦慶を主人公にした『グッドバイ』(朝日新聞出版)。明治維新に至るうねりの中、果敢に生き抜く姿を描いた。  このお慶と朝井。なみなみならぬ情熱と覚悟の持ち主という点で、重なっていると見た。  書くことは幼い頃から好きだった。甲南女子大学に進み、日本文学を学ぶ。広告制作会社勤務を経て独り立ち、ライターとして長く働いた。  物語に親しみ始めたのは物心ついたときから。気がついたら好きで、小説は“友であり師”。いつもそばにあり、寝る前に読むのが至福。それは作家になった今もまったく変わらない。  40代半ばに至った頃、 「死ぬまでに1作、自分で書いてみたい」  そんな願いが芽生える。でも全く書けない。一念発起し、小説好きの老若男女が集まる大阪文学学校の門をたたいた。 「合評」というかたちで、それぞれの習作について、少人数で語り合う。率直に、それぞれの意見を交わす営みが伝統だ。その場に浸ることが、朝井の創作意欲に火をつけた。  ほどなく小説現代長編新人賞奨励賞を受け、デビューを果たす。どんどん書きつづけ、次々と賞を受ける人気作家へと駆け上る。  立ち止まるわけにはいかない日々で、夫の存在は大きい。直木賞を受ける頃、スケジュールが日々混乱するほど忙しくなった。同じ頃には、近くに住む義理の親の在宅介護も分担した。世話をされる人の切実さ、気の抜けないケアの大変さが身に染みた。 「もうあかん」と思い、同じく居職で広告業を営む夫に家事をシェアするよう“交渉”に乗り出した。 「時間がなかったので、スパルタで料理など仕込みましたが、えらい抵抗に遭いました。教えられるの、いややったんでしょうね。ほとんどけんかしたことなんかなかったのに、互いに包丁を持ったまま怒鳴りあって危ないこと(笑)」  そもそも温和な夫はやがて買い物上手になり、おでんにカレーライス、ガパオ飯までこしらえるようになった。今では日々おいしいごはんをいただき、活力を得ている。「洗濯の仕方も、私よりきめ細かいかもしれません」  23歳という猫、年老いてから引き取った犬の存在も大きい。鳥も虫も好きで、クモ、カメムシ、ゴキブリが現れても「ああ、いてるなあ」とスルーする。  今年の年賀状は初めて、夫婦ふたりと犬猫の写真を使った。このメンバーがそろってるのもそう長くはないか、と。 「猫は女子やけど年をとるにつれ、伊東四朗さんに似てきました。テレビに出てはると、つい呼びかけてしまうぐらい」  サービス精神からユーモラスに語りつつ、隠しきれない情愛がのぞく。 「朝はえっちらおっちら、2階の私の寝床に来て、眠っている私にのっかって、かなりいろいろ仕掛けてくるらしい(笑)」  らしい、というのは、朝方まで書いて熟睡するので、めったなことでは目を覚まさないからだ。 「ほっとかれたら、サザエさんの番組が始まる夕方頃まで眠るかも。睡眠が大好きなんです」  さほどに厳しいスケジュールだが、不思議な感覚に包まれることがある。 「40代後半からと、大変遅いスタートやったから。私、小説を書いてるんだなあ、夢みたいやなあ、とふと思うんです」  大阪人として、あまたの作品を残した井原西鶴に思いをはせることがある。かつてのインタビューでこんな信条を明かした。 「西鶴は好奇心がにぎやかな作家ですね。はるかな存在ですけど、忙しさにへこたれそうになった時、ふと西鶴の姿が過(よ)ぎるんです。物書きとしてかくあるべしと、腹を括(くく)り直す」  遮二無二書くうえで、心がけは、ただひとつ。  自己模倣だけはすまい。 「書き方なり、人称なり、時代なりと方法は様々やけど、いつも初めての道を進みたいんです」  辞書や年表ではたった2行ほどの記述でも、不意に何かを感じる。なぜそんな事態に陥ったのか。あるいはこの人がなぜこんなことをなしえたのか。 「想像を広げ、発見するのが、楽しくて。書いていると、時を忘れてしまう」  だから、締め切りは怖いが、執筆を仕事にしている感じはない。読者はありがたい応援団、そして貴重な示唆をくれる人々。  編集者経由で便りが届く。どれもうれしいが、ひときわ忘れられないはがきがある。91歳男性からだった。  ……私はまだ生きている。そのことを確認するために、小説を読んでいます。  この言葉はずっと胸にある。そして、たくさん書くことで何を生み出せるか、と自身への興味も抱く。 「今書いているものは、今の私にしか書けないのだ、と信じています」  透明な存在になること。  執筆の前提をそう語る。スタート前に用意するのは手づくりの年表だけ。プロット(筋書き)は用意しない。  例えば『グッドバイ』は、欧米諸国の思惑や、幕府や雄藩の動きで坩堝(るつぼ)のような時代を、一介の女性商人の目に映る世界から描き出したかった。坂本龍馬や大隈重信らとも交誼(こうぎ)を結び、経済的に支えたお慶だったが、詐欺事件に巻き込まれ、巨額の借金を背負い込む。 「そのときの彼女の心情を知りたくて、ただ追いかけたんです。そしたら『お慶はこう考えたのではないか』と思い至った。書きたくなるのはいつも、そういう『?』の大きな人です」  資料をひもとき、地図を追い、言葉を探る。言葉が言葉を呼び、文章が文章を呼ぶ。物語のほうから要請があり、突き動かされる。 「背筋がぞくぞくする瞬間、あるんです」  見たことのない世界が見える醍醐味。それは作家に許された果実の味だろう。  近頃、自身の変化を感じている。 「ずっと登場人物の気持ちを推し量ってつづってきたせいか、自分自身の感情にこだわらなくなった。もちろん腹も立つし、舌打ちすることもあるけれど(笑)、負の感情は長続きしない。とっとと小説に戻るから」  ただ、この人の物語の泉は枯れることがないだろう。デビューまもない頃聞いたペンネームの由来を、記者は忘れられない。 「まかて」とは、36歳で娘5人を残して世を去った祖母の名からいただいた。沖縄出身だ。一言では言いがたい思いを残して逝った人の心も込め、小説をこれからの「人生の芯」にしたい。淡々と、しかしきっぱりと語っていた。  独りで書いているわけではないのだ。  デビューから11年の心境は…… 「ラッキーな女と言われます。そのとおりと思います。だからその運に応えるためにも、守りの姿勢はとらない。いつも挑んでいたい」  きょうも朝井は透明な存在と化し、いろんな時代を渡り歩くのだろう。持ち前の好奇心を発揮し、どこかの町角できょろきょろしながら。=敬称略(本誌・木元健二) THIS WEEK 10月28日(月) かかりつけの鍼灸師のもとへ。お昼に若布蕎麦を食べ、帰宅。新たに始める連載小説に着手するもタイトルと冒頭に苦しみ、さほど進まず。夕食は残り物。 10月29日(火) 秋雨が冷たい。雑誌の連載原稿の校正ゲラを確認。遅い昼食後、昨日の原稿の続きに取り組む。さほど進まず。夕食は豚しゃぶ(夫、作)。 10月30日(水) ストーブを出さねばと思いつつ、原稿執筆。少し進む。夕食は鶏の塩焼きと根菜の温サラダ(夫、作)。 10月31日(木) 原稿執筆。ストーブ、出せず。夕食はおでん(夫、作)。 11月1日(金) 原稿執筆。やっと目鼻がつき、ストーブを出す。夕食はお好み焼き(外食)。 11月2日(土) 新幹線で東京へ。いくつかのインタビューと打ち合わせ。銀座の日本料理店で編集者さんと夕食後、ホテルで読書。 11月3日(日) サイン本作成のために、朝から新聞社へ出向く。午後は、自作にかかわる講演を聴きに神楽坂へ。夕方、移動して取材を受け、遅い新幹線に乗る。ハンバーグ弁当を車中で食べ、新大阪まで本を開いたまま眠りこける。 ※週刊朝日  2019年12月6日号
週刊朝日 2019/12/02 07:00
羽生結弦も注目するフィギュア女子の4回転 急に跳べるようになった“秘密”
羽生結弦も注目するフィギュア女子の4回転 急に跳べるようになった“秘密”
アレクサンドラ・トルソワ (c)朝日新聞社  ロシアのアレクサンドラ・トルソワ(15)やアンナ・シェルバコワ(15)ら、4回転ジャンパーが登場したことで、フィギュアスケート女子が大きな変化の時を迎えている。彼女たちのジャンプには、女子選手だけでなく男子選手も注目しているという。AERA 2019年11月25日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  ロシアの女子選手たちの4回転成功に、羽生結弦(24)も注目している。スケートカナダ後にこう語った。 「彼女たちからはインスパイアされています。女子は筋肉の質や骨格が男子とは違うなかで、あれだけスムーズに4回転やトリプルアクセルが跳べる。魔法ではないので、ちゃんとしたパターンがある。自分も線が細いタイプで、また力を使わずに跳びたいという信念があるので、参考にしています」  スケートカナダでは、エキシビションの練習でトルソワから「同時に4回転トウループを跳ぼう」と誘われた羽生。見事に2人でシンクロさせ跳んだ。 「トルソワは回転を始めるスピードがすごく速く、自分のタイプではないけれど、そういう強さもこれから高難度(4回転アクセル)をやっていくにあたって必要だと思った」  この羽生の言葉には、急に女子が4回転を跳べるようになった秘密が隠されている。  そもそも4回転を跳ぶには、従来よりも回転速度を速くするか、滞空時間を延ばすかになる。従来の男子の跳び方は、後者のアプローチだった。脚の筋力を使い高く跳ぶか、飛距離を出すか。見た目がダイナミックで加点が望めるが、空中での体重移動が大きく体幹の強さも必要。紀平のように体幹が強い選手はこちらのタイプだ。  一方で、多くの女子は回転に着目したアプローチをとる。身体が細く、物理的に回転速度が速い。さらにこの2年で増えたのは、氷から完全に離れる前から氷上で回転を始めるものだ。この事前回転(プレローテーション)は、すべてのジャンプで回転力を起こすために行われるが、180度より多く回転すると減点される。回転を強くかける技術で、ギリギリの180度回転させてから跳び上がり、実質的な空中での回転角度を減らす。  羽生が指摘するのは、この事前回転の技術。羽生がそのまま導入することはないが、回転を強くかける技術は4回転アクセルへの応用が可能だと判断した様子だった。  女子選手の次なる課題は、このジャンプを維持できるかどうかだ。成功者のほとんどが、まだ13~16歳。とかく小柄で、体重が30キロ台だ。身長が伸び、思春期で体形が変わる頃に、変化を乗り越えられるか。そのためには、身体の細さに頼った跳び方ではなく、スピードや筋力をある程度使った跳び方に変化していく必要があるだろう。  ザギトワは、五輪後に身長が10センチ近く伸びた。 「一時期は、手足がどこにあるのか分からずバラバラに感じてジャンプに苦労しました」  ザギトワほどの身体能力でも、身長が160センチを超えた今や、大技は難しい。  それらを加味しても脅威なのはトルソワだ。彼女は言う。 「身長はだいぶ伸びましたが、身長と共にジャンプ力も伸びているのでスランプはありません」  22年北京五輪では、女子も4回転ジャンプが必須になることは間違いない。この戦いに、もっとも食い込んでいる日本選手は、紀平。今夏には、海外合宿で4回転サルコウと4回転トウループを成功させている。 「今季の終わりには練習で4回転をコンスタントに跳べている状況にして、来季には毎試合しっかり挑戦できるくらいにして、北京五輪のシーズンでは完全に身につけて臨みたいです」  12月のGPファイナルでは紀平、トルソワ、シェルバコワらが直接対決することになるだろう。(ライター・野口美恵) ※AERA 2019年11月25日号より抜粋
フィギュアスケート
AERA 2019/11/21 07:00
フィギュア女子4回転ジャンパーの続出 背景にネットの影響?
フィギュア女子4回転ジャンパーの続出 背景にネットの影響?
紀平梨花 (c)朝日新聞社  昨季まではトリプルアクセルが最高の武器だった。だが、今季はそれでは通用しない。紀平梨花ら日本勢の前に立ちはだかるのは、ロシアの4回転ジャンパーたちだ。AERA 2019年11月25日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  下克上。それが今のフィギュアスケート女子の戦いにふさわしい言葉だろう。今季シニアに上がった若手が、4回転やトリプルアクセルを軽々と成功させ、グランプリ(GP)シリーズの金メダルを独占し続けている。平昌五輪女王のアリーナ・ザギトワ(17)も、昨季GPファイナル女王の紀平梨花(17)も、GP初戦は2位だ。  話題の中心にいるのは、シニアデビューしたロシアの3人。まずアレクサンドラ・トルソワ(15)は、フリーで4回転を4本入れる驚異のプログラムで、10月のスケートカナダでは241.02点の世界最高をマークした。別次元の戦いだ。  アンナ・シェルバコワ(15)は4回転ルッツを武器にGPシリーズを連覇。アリョーナ・コストルナヤ(16)は4回転はないがトリプルアクセルを武器に、世界歴代3位の236.00点をマークした。彼女たちはみなロシアのコーチ、エテリ・トゥトベリゼの門下生。同門の12、13歳に4回転ジャンパーがさらにいて、姉弟子たちを刺激している。  トリプルアクセルを武器に昨季のGPファイナルで優勝した紀平は、トルソワに敗れたスケートカナダの後にこう言った。 「昨季は、トリプルアクセルを跳べることで一歩リードしていたのが、今季はトリプルアクセルしか跳ばないことで一歩遅れている。一気に時代が変わってしまった」  まさに時代は変わった。30年間ジャンプのレベルが変わらなかった女子に訪れた大変動だ。  女子のジャンプを語るには、1988年カルガリー五輪を忘れることはできない。3回転2種類を成功した選手が金メダルを獲得した一方、伊藤みどりは3回転5種類7本を降りた。まだ女子は芸術性が重視された時代で、アジアの無名選手についた順位は5位。しかし「たった1度の演技が、フィギュアスケートを芸術からスポーツに変えた」と評価され、女子に“ジャンプの時代”が訪れた。  伊藤は88年秋にトリプルアクセルを女子で初めて成功したが、その大技を武器にできる女子はほとんど現れず、次に代名詞にしたのは浅田真央。2005年の世界ジュニアでは、伊藤のお下がりの衣装でトリプルアクセルを成功させた。 「みどりさんに憧れて子どもの頃からトリプルアクセルを跳びたいと思ってきました」  と、浅田は語っていた。その後再びジャンプは停滞期を迎え、平昌五輪の入賞者にトリプルアクセルジャンパーは不在。次なる気鋭は、浅田に憧れた紀平だった。紀平は昨季にシニアデビューすると、トリプルアクセルをショートで1本、フリーで2本入れ、GPファイナル優勝。伊藤と浅田は「私たちが繋いできたトリプルアクセルのバトンを渡せた」と喜んだ。  女子にとって最高難度の技は、30年間にわたりトリプルアクセルだった。しかし水面下では、新たな潮流がうごめいていた。平昌五輪と同じ18年の3月にあった世界ジュニアで、トルソワは4回転2種類を成功させて優勝。この時の技術点は92.35点で、五輪優勝のザギトワの技術点81.62点を上回っていた。  トルソワがシニアデビューする19年秋に向け、どのチームも高難度ジャンプを練習した。  19年世界選手権では、カザフスタンのエリザベート・トゥルシンバエワ(19)がシニア女子で初めて4回転サルコウを成功。今季は、コストルナヤと韓国のユ・ヨン(15)がトリプルアクセルを成功。米国のアリサ・リウ(14)もトリプルアクセルと4回転ルッツを降りた。  一方のトルソワは今季、3種類の4回転を成功させ、さらに4回転フリップとトリプルアクセルも練習している。  日本勢も負けていない。紀平と同門の細田采花(あやか・24)やジュニアの横井きな結(ゆ)(14)、吉田陽菜(はな・14)らが、国内大会でトリプルアクセルを成功させた。  なぜ、ここにきて大技の成功者が次々と現れたのか。それには、技術の進化がある。  まず現在はインターネットで有名選手の映像をいつでも見て、イメージトレーニングができる。各チームで研究が進み、効率的なフォームが確立された。  かつて伊藤は、カルガリー五輪後の凱旋ツアー中に、ブライアン・オーサーのトリプルアクセルを見て研究し、帰国後に記憶に頼りながら試行錯誤したという。浅田は、プロ転向した伊藤が目の前で練習していた。そんな貴重な機会がなければ、昔は練習すらできなかったのだ。  またハーネスという補助具が発達した。真上に吊り上げる補助具で、回転軸や飛距離をサポートし、感覚を身につけるもの。先に成功体験をすることで、間違ったフォームで練習するような“回り道”がなくなった。(ライター・野口美恵) ※AERA 2019年11月20日号
AERA 2019/11/20 08:00
織田信成氏が紀平梨花選手の女性コーチをパワハラで提訴 関大スケート部監督辞任で
織田信成氏が紀平梨花選手の女性コーチをパワハラで提訴 関大スケート部監督辞任で
大阪市内で会見した織田信也氏(撮影・今西憲之)  フィギュアスケート元男子代表の織田信成(32)氏が18日、関西大アイススケート部の監督を辞任したのは、関大所属の濱田美栄氏(60)によるハラスメントが原因だったとして、1100万円の慰謝料などを求め大阪地裁に提訴した。  濱田氏は18年のグランプリファイナルに初出場で優勝した女子の紀平梨花選手(17)らの指導者として知られる名コーチ。  今年9月に監督を辞任後、濱田氏によるハラスメント行為が一部のマスコミで報じられる中、織田氏は「フィギュアスケート界の悪弊に一石を投じる思いで濱田コーチを提訴しました。それはあきらめに近い勘定でした」と提訴の理由を語った。  大学での部活動を巡って、元監督がコーチを提訴するという前代未聞の民事訴訟に発展した。  織田氏によれば、濱田氏のハラスメントの数々で体調を壊し、監督辞任に追い込まれたという。  織田氏は今年3月に体調を崩し、入院した後、濱田氏のハラスメントに対して、関西大学と7月から話し合いしていたという。 「大学からは、ハラスメントはなかったと発表があった。しかし、弁護士が大学に聞いたところ、ハラスメントの調査はしていないと聞かされた。話に矛盾がある。大学の学長からは『この件を公にするなら、僕と濱田コーチどちらも辞めてもらう』と聞かされていた。だが、現実は違う。大学も今回のことを、調査、明らかにするつもりはないんだと感じました」  織田氏が受けたとされるハラスメントの中身とはどのようなものか。 「濱田コーチから氷上での危険な練習をしていたので、すごくあぶなかったので、やめて頂きたいというと『あんたの考えは間違っている』と激高。その後1か月間、無視された。無茶なお願いをしてないのに、激高されて驚いた」 「濱田コーチにスケートリンクのことで電話しました。練習時間の変更などについて、会った時になぜ、伝えてくれなかったのか、というと『私の義務じゃない』と言われた。濱田コーチのハラスメントの行為、僕に敵意ある発言でリンクに行くのがつらいと言っても、謝罪もなかった」 「濱田コーチは僕が好き勝手にやっているような、事実ではないことを噂として流したり、リンクに行きづらくされた。氷上でもリンクの貸切時間、みんなで決めたことにもかかわらず、怒鳴られた。僕を直接、傷つける言葉も言われた。ハラスメントを指摘しても濱田コーチは『へぇ~』としか言わずに謝るつもりはないのかと感じた」  こう思いの丈を訴えた織田氏。だが、濱田氏はコーチなので、権限は監督の織田氏にあるはず。だが、その実態を涙を浮かべながらこう訴えた。   「年も30歳以上違い、関大リンクでは濱田コーチが一番、権力や発言力がある。自分には力がなかった。僕だけでなく、他の人も何も言えない。もう関大に戻るのは難しいかもしれない」  無念の心中も打ち明けた。今後は、裁判の中でハラスメントの詳細な中身を主張してゆくという。  一方、関大関係者はこう頭を抱える。 「織田氏が濱田氏個人を民事訴訟までするというのは、驚きだ。確かに、濱田氏は有力な選手を育て、その力が強くなっているのは事実。織田氏が監督となり、自分の立場に危機感を抱き、排除したいとの思いから、ハラスメントにつながったのかもしれない。大学として穏便に収めることができなかったのか」  裁判の行方に注目だ。(本誌取材班) ※週刊朝日オンライン限定記事
フィギュアスケート
週刊朝日 2019/11/18 17:27
松本穂香「私よりもっと可愛い子がたくさんいた」高校時代の思い出
松本穂香「私よりもっと可愛い子がたくさんいた」高校時代の思い出
松本穂香(まつもと・ほのか)/1997年、大阪府生まれ。主演短編映画「MY NAME」で女優デビュー。連続テレビ小説「ひよっこ」(2017年)、テレビドラマ「この世界の片隅に」(18年)主演など。主な映画出演作に「恋は雨上がりのように」「世界でいちばん長い写真」(18年)、「チワワちゃん」「君は月夜に光り輝く」「きみと、波にのれたら」「おいしい家族」(19年)など。最新作映画「わたしは光をにぎっている」は、11月15日全国公開予定。 [撮影/片山菜緒子(写真部)、ヘアメイク/倉田明美、スタイリング/李靖華] 松本穂香さん(左)と林真理子さん [撮影/片山菜緒子(写真部)、ヘアメイク/倉田明美、スタイリング/李靖華]  NHK連続テレビ小説「ひよっこ」でおかっぱ眼鏡の大食い娘・澄子を演じ、注目を集めた松本穂香さん。以来、話題作やCMに次々と登場し、11月15日からは最新作映画「わたしは光をにぎっている」も公開と、じわじわと活躍の場を広げています。欲がないようでいて、信念は曲げずに貫いてきた若き女優の今に、作家・林真理子さんが迫ります。 *  *  * 林:松本さんは、高校のときに自分で事務所の門をたたいたんですって? 松本:そうですね。自分で応募して今の事務所に入りました。 林:高校のときから女優さんになろうと思ってたんですか。 松本:はい。ちょっと変わったお仕事をしたいと思ってたんです。飽き性なので、同じサイクルの仕事は続かないと思っていて、このお仕事以外に選択肢がなかったんです。それで自分で応募して、大阪から東京に出てきました。 林:事務所に写真とかを送ったんですか。 松本:はい。写真撮って、自己PRとか書いて送りました。 林:すぐ採用になったんですか。 松本:いや、東京に行って、面接とかカメラテストとか、けっこう何段階もあって、やっと入れたという感じでした。 林:高校生のときは演劇部だったんですよね。どんなお芝居をされてたんですか。 松本:高校生が考える脚本なので、ファンタジーっぽいものが多かったです。共学だったんですけど、女子が多くて、中でもアニメオタクの子がけっこう多かったのもあって、ファンタジーばっかりでしたね。 林:高校の演劇部で培った演技力って、実践にどのぐらい役立ったんですか。演技指導の先生はいらしたんでしょう? 松本:それがいなかったんです。 林:誰に教わったんですか。 松本:部員みんなで、みんなに意見を言い合うみたいな感じでした。演じる子だけじゃなくて、小道具の子とかも芝居を見てダメ出ししたりとか。配役は、オーディション制だったんです。 林:えっ、部活にオーディションがあったんですか。 松本:はい。部活内で「配役決めるぞ」ってなると、「じゃ、オーディションしよう」となって。だからいつも同じ子に主役を取られたり、地区大会で優秀賞止まりだったりして、悔しくて泣いたこともありました。振り返るとその葛藤の時間も、けっこう大きかったのかなと思います。 林:大阪にもいろいろお芝居が来ると思いますけど、みんなで見に行ったりしたんですか。 松本:高校生向けのお芝居は、たまにみんなで見に行ったりしましたね。 林:自分では言いづらいだろうけど、「可愛いね」とか「芸能人になったら?」とか周りから言われました? 松本:いや、私よりもっと可愛い子が周りにたくさんいたので、そんなに言われなかったです。モテたりすることもなくて、クラスの中にジミ~にいました。 林:自分で応募して女優さんになった松本さんを見て、今みんなびっくりしてます? 松本:たぶんびっくりしてると思います。たまに知らない人から連絡が来たりしますけど、あのときの松本だってちゃんとわかってるのかな、と思うぐらい地味でした。 林:そのまま大学の演劇に行こうとは思わなかったんですか。 松本:大学って将来の夢を探したりする場所だと思うんですけど、私はやりたいことが決まってたので、行く意味があんまりないなと思って東京に出ました。 林:そうなんだ。しっかりしてますね。舞台にお出になったことは? 松本:上京したてのときに1回だけ出たんですけど、それ以来やってないので、やりたいなと思ってます。 林:今、映像で売れてる人もみんな舞台をやりますから、松本さんもぜひぜひ。今はふだんからお芝居はよくご覧になってるんですか。 松本:見たいんですけど、舞台はお値段がちょっと……。 林:何をおっしゃる(笑)。ドラマとか映画のヒロインをやってる人がそんな。 松本:映画は頻繁に見るんですけど、舞台は知り合いが出てたりすると見に行く程度ですね。お高いので、なかなか手を出しにくいところがあります。 林:時代劇はもうやりました? 松本:来年秋の公開なんですけど、「みをつくし料理帖」という映画の撮影が終わって、それが初めての時代劇でした。かつらをかぶって。 林:前にテレビで黒木華さんがやったドラマの原作の映画化ですね。 松本:はい。主役の澪を演じます。また「澪」という名前なんです(笑)。 林:料理がお好きなんですって? 松本:「みをつくし料理帖」は料理人の設定なので、その役づくりで服部学園(調理師、栄養士の専門学校)に通いました。 林:ああ、服部(幸應)先生のところですね。 松本:ええ。あそこに行って料理を練習して、クランクインまで家でずっと野菜を切ったりしてました。 林:監督は誰なんですか。 松本:角川春樹さんです。 林:えっ……。角川さんに会いました? 松本:会いました。監督なので(笑)。 林:私たち世代のヒーローというか、時代の反逆児という感じで、角川文庫と映画をドッキングさせて、「犬神家の一族」とか横溝正史さんの作品をシリーズ化して、文庫も映画もメガヒットさせたんですよ。 松本:すごい方みたいですね。 林:お金をガンガンつぎ込んで、「戦国自衛隊」とか大作を次々とつくって、一つの時代を築いたんです。今で言うホリエモンと少し前の前澤社長を一緒にしたみたいな感じで、まさしく風雲児だったんですよ。 松本:今回、石坂浩二さんもお出になってて、当時の話をいろいろとうかがいました。 林:石坂さんは「金田一シリーズ」で金田一耕助をやったんです。 松本:石坂さんから聞いたんですけど、角川監督、当時は撮影現場に特攻服を着てきて、「映画の現場は戦場だ!」とか言ったって(笑)。今回の撮影も破天荒なところがたくさんありました。いま77歳で、6歳のお子さんがいらっしゃるんですって。奥さんも現場に連れてらっしゃったんですけど、40歳年下だそうです。 林:ひ、ひぇ~(笑)。角川さんが監督だっていうから、思わずコーフンして話がそれてしまいましたが、「みをつくし料理帖」はすごくヒットした小説の映画化ですから、映画も評判になると思いますよ。 松本:だといいですね。 林:松本さん、そのうち大河ドラマにも出るかもね。 松本:やってみたいですね。 林:NHKって、朝ドラで評判が良かった女優さんを、今度は大河に、という流れがよくありますよね。 松本:そうなればいいですね。NHKの番組にはちょくちょく出させてもらってて、このあいだは高校演劇の全国大会というのがあって、初出場の鹿児島県の屋久島高校に密着するというドキュメンタリーに出させていただきました。 林:レベル高かったですか。 松本:素晴らしかったです。レベルも高いし、高校生たちの真っすぐさも加わって、パワーがすごかったです。 林:ところで松本さん、時間があるときは何をしてるんですか。 松本:お笑いを見に行ったりします。ルミネ(ルミネtheよしもと)とかに。 林:急に「お笑い芸人さんと結婚」なんてことないですよね(笑)。 松本:今のところ予定はないですけどね。 林:予定はなくても、電撃的にありそうな気がする。お笑いの人って頭いいし、話がおもしろいから、モテるみたいですね。ルミネが終わったあと、お笑い芸人さんたちと飲みに行ったりとかあるんですか。 松本:ぜんぜんないです。ふつうにお客さんとして、自分でチケットをとって行くのが基本なので。 林:でも、ある方が言ってましたよ。ステージからカワイイ子をすぐ見つけちゃうって。「前から何列目のあの子、すごくカワイイ」って楽屋で話題になって、「うちの事務所に入れよう」とまで思ったら、その子はすでに芸能界入りしていたとかって。 松本:へぇ~、舞台上からよく見つけますね。 林:松本さんがいたら目立つと思うな。「ひよっこ」のときは眼鏡だったしすぐにわからないかもしれないけど、「この世界の片隅に」のすずちゃんをやってからは、どこへ行ってもすぐに見つかるでしょ。 松本:いや、私、あんまり(視線を)感じないんですよね。 林:電車に乗ったり、スーパーに行ったりもします? 松本:ぜんぜん電車に乗りますし、買い物も普通に行きます。 林:今度の映画とか「みをつくし料理帖」とかで次々と主演したら、大変なことになると思いますよ。もうルミネに行けないかもしれない。 松本:それは困ります。ルミネにだけは行きます!(笑) 林:うふふ。これからのご活躍も楽しみにしています。 (構成/本誌・松岡かすみ) ※週刊朝日  2019年11月22日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2019/11/18 11:30
頭皮マッサージでふさふさ!? “簡単10秒でスッキリ”のコツ
頭皮マッサージでふさふさ!? “簡単10秒でスッキリ”のコツ
両手のひらで頭をはさみこみ、ぎゅっと押す  (撮影/大崎百紀) 耳たぶをつかんで下に引っ張ったりして耳全体をほぐす  (撮影/大崎百紀)  硬くなった頭皮をほぐしたら、全身の疲れがとれる気がしませんか? 専門家によると、頭皮を柔らかくすれば体がほぐれ、健やかな髪がよみがえるといいます。頭皮ほぐしは「癒やしのツボ」。ふさふさヘアも夢じゃない!? わずか10秒でできる頭皮と頭髪によいケア法をお伝えします。 *  *  * 「最近は、スマホやパソコン画面の見すぎによる目の疲れだけでなく、お仕事の悩みや介護疲れなど、精神的な疲れから頭痛や頭皮のこわばりを感じる方が増えてきました」  そう話すのは東京・自由が丘と恵比寿に店舗を構える漢方ヘッドスパ「キャスパ」のケアリスト、小原望美さん。頭皮診断のもと、センブリなどの漢方薬草を一人ひとりの頭皮状態に合わせて配合し、クリームを使ってヘッドマッサージを行う。サラサラヘアが印象的な女優の手塚理美さんが通うという人気店で日々、年齢もさまざまな男女の頭皮に触れてきた。頭皮にも社会の変化が表れるようだ。  実はいま、頭皮ほぐし店がすこぶる人気だ。「日本初の頭のほぐし専門店」を宣伝文句にする「悟空のきもち」は11年前に京都に開店。その後、大阪、東京、ニューヨークなどに展開した。髪をぬらさず、気軽に受けられるところから、サラリーマンや主婦、学生など性別年齢問わず人気を呼び、常にキャンセル待ち状態が続いている。 「頭皮マッサージは、頭の芯からアプローチする感じ。何よりも、癒やしパワーが強いですね」  こう話すのは定期的に小原さんのケアを受けている麻理恵さん(仮名・50歳)。30年間、OLをしているが、毎日体も頭も凝りまくり。指圧師や整体師からは、「硬くて指が入りません」と言われるほどの疲労女子。それなのに、「頭皮をほぐされるとすぐ寝ちゃう」そうだ。  日常的に頭皮ほぐし店に通うのは大変という方に向けて、小原さんに、どこでもできる簡単な頭皮ほぐし法を聞いた。かかる時間は、なんと、わずか10秒。さっそくやってみよう。 ★耳ほぐし 「耳たぶをつかんで下に引っ張ったり、耳全体をつかんだり、上下横にと動かします」  ポイントは耳を根もとから動かすこと。しっかり親指と人さし指の関節で耳たぶをはさむようにするとやりやすい。 「小顔効果も期待できるんですよ」  さっと5秒でも効果があるという。次にコレ! ★頭はさみ 「両手のひらで頭をはさみます。テーブルの上に両ひじをついてやると固定しますよ。気持ちよいと感じるところを掌底で圧をかけてぐりぐりと押してもよいでしょう」  余裕があれば頭頂部のツボ(百会=ひゃくえ)を押したり、周辺から百会に向かって押したりするのもよいという。  本誌デスク(56)は「これなら仕事中にもできる」と日常的に「10秒ほぐし」に取り組み始めた。年を重ねるごとに額が広くなっていく髪の後退スピードを緩めることができれば、と期待している。  小原さんによれば、自分の頭皮の健康状態は、色やむくみで判断できる。 「頭皮の理想の色は、青白い状態です。赤みがかっていれば少し荒れ気味。血行が不良の場合、頭はむくみます。額の上、髪の生え際を指の腹や関節で強く押してみて数分経っても、そのくぼみが消えなければ頭部がむくんでいるといえます。頭皮と顔はつながっています。凝り固まった頭皮をほぐすことで、全身の血流も促進され、体もぽかぽか。健康になれます。さらにフェースラインも引き上がるので、見た目も変わりますよ」  頭皮ほぐしは、頭髪にもよい影響を与える。  頭皮、頭髪専門クリニックとともに、頭皮環境を整えるシャンプー開発を20年前から続け、延べ190万人の頭皮と向き合ってきたアンチエイジングケア企業「アンファー」に話を聞いた。基本的なことではあるが、「正しくシャンプーして、丁寧にタオルドライ」、これが極めて大事だという。 「シャンプー剤をつける前に、最初に湯洗いをして頭髪の汚れを落とします。シャンプーを頭頂部にのせてそこで洗うという人が多いのですが、そういう人の多くが、後頭部が洗えていない。ですから、手のひらでシャンプーを伸ばし、襟足部分からしっかり洗いましょう。髪ではなく『頭皮を洗う』。流すときも下から。全部後頭部から行うと覚えてください。毎日のシャンプーを意識すれば髪は変わります。タオルドライも丁寧に。生乾きは菌の繁殖、ニオイの元になってしまうので、タオルドライをしてからドライヤーをしっかりかけて髪を乾かすこと」(広報担当者) ■じんわりと効く ケアの積み重ね  長年、ミドル男性のニオイ対策商品の開発を続ける「マンダム」は、30~40代男性特有のニオイを発見し「ミドル脂臭」と名付け、ねっとり頭皮アブラもニオイも防ぐミドル脂臭対策「薬用スカルプデオシャンプー」を販売している。頭皮の汚れをとることは、頭髪だけでなく、ニオイ防止にも有効だ。  気になる抜け毛、薄毛。「攻めの治療」をしたい人は、まずは発毛剤を使ってみよう。  市販の発毛剤もいろいろだ。中でも、アンファーの看板商品である男性用発毛剤「スカルプD メディカルミノキ5」には、国が認可する最大濃度の5%の発毛成分ミノキシジルが配合されている。クリニックで処方していたものを一般用に商品化したそうだ。 「発毛剤なんて、オジサマ、オバサマになってから使うもの」と、ためらうべからず。加齢とともに髪はやせ細り、密度も薄くなる。突然ウィッグ(かつら)をつけていきなりふさふさヘアに変身すれば、周囲を驚かせてしまうが、日ごろのケアの積み重ねでじんわりボリュームアップなら、大丈夫。 「20~30代の人にも使ってもらえたら」(アンファー広報担当者)  女性専用の「Dクリニック東京ウィメンズ」院長の浜中聡子さんも、「早めの治療で、印象の変化も抑えられます」と話す。そして、髪に対するコンプレックスが軽減できれば、対人関係にも積極的になれるという。 「自身の髪の状態にどう不満なのか、どこまで治したいのか(ゴールはどこにあるのか)によって選ぶ手段も変わってきます。もし最初に市販薬を試すのであれば、半年ほど様子を見てください。それでも効果が見えなければ、クリニックへ。女性の場合、濃度の高い外用薬で治療することになりますが、患者さんの6割が、内服薬と併用ならば8割が視覚的な効果を実感できます。だいたい半年ぐらいで効果実感が出てくるのです。何より、髪の毛は治療できる、ということを知っていただきたい」(浜中さん)  しなやかな頭皮は、心もほぐし、心も髪も豊かにする。さぁ、今日から頭皮ほぐしを始めよう。(本誌・大崎百紀) ※週刊朝日 2019年11月22日号
週刊朝日 2019/11/15 17:00
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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