吉井妙子
<現代の肖像>オカダ・カズチカ どこへ行ってもカネの雨を降らせる
プロレス界に「カネの雨を降らせた男」は大の釣り好き。船舶免許も取得し、時間が許す限り湖面に浮かぶ/加藤夏子撮影
10月、両国国技館で行われた対SANADA戦。負けて悔し涙を流したSANADAは後日、「オカダさんとの試合はワクワクする。試合の度に高度な技が見せられるようになったのは彼の懐が深いから」/加藤夏子撮影
2012年にIWGPヘビー級王者を史上2番目の若さで戴冠した新日本プロレスのオカダ・カズチカさん。以降、「レインメーカー」としてプロレス界にカネの雨を降らせ続けている。その人気、実力はどこから来るのか。中学を卒業してすぐにプロレスの道に入ったオカダさんのこれまでを追った。AERA 2019年12月30日‐1月6日合併号に掲載された「現代の肖像」から一部紹介する。
冷たい雨が降りしきる10月中旬、東京の両国国技館は常夏のような熱気に覆われていた。会場をぎっしり埋めた観衆の吐き出す歓声が、場内の空気を激しくスピンさせている。眩い照明に浮かぶリング上の選手の一挙手一投足に呼応し、野太い声、黄色い歓声、子どもたちの甲高い声が激しく飛び交っていた。
プロレス人気が凄い、とは聞いていた。だが、これほどまでとは──。
1万人収容の会場は、目算で男性5割、女性4割、子ども1割。カップルやグループが多く、家族連れも目立つ。この試合は新日本プロレスが主催する年間約150試合の一つだが、IWGPヘビー級選手権など幾つかのタイトルマッチが組まれていたことから、大きな注目を集めていた。
第1試合から会場は盛り上がり、試合が進むにつれボルテージは増していく。その興奮がマックスに達したのは、メインイベントのIWGPへビー級王者オカダ・カズチカ(32)の名前がコールされた時だった。リングアナウンサーの声がかき消されるほどの「オカダコール」が沸き上がる。
191センチの長身に孔雀が羽を広げたような豪華なガウンを纏い、自分の顔がプリントされた大量の紙幣が宙を舞う中、オカダは金剛力士のような風情でリングに向かった。彼のニックネームである「レインメーカー(カネの雨を降らす男)」を地で行くような演出だった。
オカダに挑戦するのは、夏のG1クライマックスでオカダを下したSANADA(31)。身体を極限までに鍛え上げた100キロ超の2人の身体能力は高く、SANADAがオカダを両手で高く掲げマットに突き落としたと思えば、オカダがSANADAの頭までスタンディングジャンプし、空中飛び蹴りを食らわす。
お互いに受け身をしっかり取りながらそれぞれの得意技を繰り出し、あっという間に2人の身体には汗が迸る。打撃を受けた身体のあちこちがミミズ腫れのようになった。それでも2人は闘うことをやめない。フラフラになりながらも、3カウントを取られる直前に肩を上げ、再び立ち上がるのだ。その度に観客が熱狂。
試合を見ながらかつてオカダが語っていたことを思い出した。
「相手に攻められ、疲れや痛みで朦朧となりながらも、お客さんの様子を捉える意識だけはクリアにしておきます。会場が何を求めているのか、どんな技を見たいと思っているのか、お客さんの反応を瞬間的に判断し期待に応えます。また、敢えて期待の逆を行き、観客の感情を煽るような手法を使うこともあります」
リング上の激しい肉弾戦中に、そんな冷静な判断が出来るのかとその時は理解できなかったが、オカダの試合を見ているうちに、おぼろげながら理解できた。オカダ対SANADAの試合には、激しく身体をぶつけ合いながらも、そこはかとなく感じる余白があった。その余白に観客がそれぞれの色を塗り、その色彩の変化を見ながらまた新たな技で闘うという、心と身体を高い次元で操るプロレスラーの真髄を見た気がしたのだ。
オカダはギブアップ寸前に追い詰められながらも、SANADAののど元に右腕を叩き込む得意技のレインメーカーで倒しカウントを取った。
この試合でIWGPヘビー級王座のベルトを守ったオカダは、棚橋弘至(43)の持つ最多通算防衛28を超え、29に記録更新。
プロレスが変わった。一昔前は遺恨や確執、流血というイメージがあり、女性や子どもには近寄りがたい場所だったが、今やプロレス界は筋骨隆々のイケメン選手が顔を揃え、競技性の高い総合エンターテインメントになった。「プ女子」と形容されるプロレス好き女子が急速に増え、家族連れも多くなった。新日本プロレスが主催する年間約150試合のチケットの95%は完売で、首都圏の興行はほとんどチケットが手に入らない状況という。
その立役者の一人がオカダだった。
1987年、愛知県安城市で会社員の父・竜弥(63)、看護師の母・富子(59)の次男として生まれた。5歳上の兄が1人。両親共に忙しかったせいか、手のかからない子どもだった。そんな素直な子が、小学校5年の夏、長崎県の五島列島に転校したいと言い出し、両親を慌てさせた。母が言う。
「五島列島には私の実家があり、毎年夏休みに帰省していたのですが、自然の遊びが豊かな五島列島で暮らしたいと。10歳の子どもを手放すのはつらかったけど、言い出したら聞かない」
中学は安城市に戻り、野球部や陸上部で活躍。陸上100メートルで11秒68を記録し陸上強豪高校から勧誘も受けた。だがこの頃、オカダ少年の心を捉えたのは、兄が借りてきたプロレスのDVD。特に、技が多彩でスピード感のあるメキシコプロレスにすっかり魅了され、プロレスラーになると決意。父は息子を何度も諭した。
「高校だけは行ってくれと。でも、小5で五島列島に一人で行ったように、一度決めたら折れない」
中学卒業と同時に神戸市のプロレス養成学校「闘龍門」に入門。あまりの厳しい練習に30人いた同期が1カ月で8人に減った。
「他の練習生は大卒か高卒で入門しているのである程度体は出来ている。でも僕はまだ少年体形。反吐が出るほどつらかったけど自分で決めた道なので、後戻りはできなかった」
(文/吉井妙子)
※記事の続きは「AERA 2019年12月30日‐2020年1月6日合併号」でご覧いただけます。
AERA
2019/12/23 17:00