大越裕
【現代の肖像】哲学者・國分功一郎「社会が揺らぐと哲学が必要となる」<AERA連載>
学生にはいつも「哲学者は賢者ではない。知ることが好きな人間なんだ」と教えている(撮影/篠田英美)
※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
今の日本は不安だらけだ。政治への不信、不安定な雇用、原発の問題……。考えれば考えるほど、先が真っ暗にしか見えない。この混迷深まる日本で、どう生きていけばいいかを考えるために、國分功一郎の哲学や言葉が求められている。「哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ」と言う國分の言葉が重く響く。
一人の哲学者を紹介するにあたり、何から書き始めるべきかを考えたとき、その哲学の一端を知ってもらうに勝る方法はない。そこでまず読者の方々に、一つの哲学的な問いを提示したい。暗い夜道を歩いているあなたの前に突然、ナイフを持つ男が現れ「金を出せ」と脅してきた。いわゆる「カツアゲ」だ。命が惜しいあなたは、ポケットから財布を取り出して金を渡すと、男は走って去っていった。
さて、このときあなたは、自らの意志によって金を払った(能動)と言えるだろうか。それとも脅された結果、金を払わされた(受動)と考えるべきか? 確かに男は暴力をちらつかせあなたを畏怖させた。しかし金を渡す行為自体は物理的に強制されたものではない。あなた自身がポケットに手を入れ財布を出し、男に金を渡したのだ。これは自発的行為と言えるのではないか?
國分功一郎(45)は、「この問題を考えるためには、我々が慣れ親しんでいる『能動態』と『受動態』という言葉の枠組みから離れる必要があります」と語る。そのかわりに國分が提示するのが、ギリシャ語や英仏独露語などの母体となった数千年前の古代インド=ヨーロッパ圏の諸言語で、広く用いられた「中動態」という言語様式である。
「カツアゲされてお金を渡す人は、一見『お金を払う』という行動を自分で決めたように見えますが、その行為は本人の意志や能力の表現ではありません。むしろカツアゲする側の意志と暴力が自分の体を通じて表現された結果の行動なのです」
そうした「自分自身の意志は関係ない状況だが、その行為の中心に自分がいたときの行動」が中動態という様式でかつては表現されたのだという。國分は古今東西の哲学者、言語学者が残した文献を渉猟し、この「中動態」という古くて新しい概念を再発見した。その成果をまとめた2017年刊行の『中動態の世界――意志と責任の考古学』は哲学書としては異例の3万6千部を売り上げ、同年の小林秀雄賞を受賞している。優れた評論やエッセーに贈られる賞だ。
昨年6月、國分が座長を務めたドゥルーズ学会のサマースクールでは、能のワークショップも行われた。海外の学会で発表を続けたことで「東京の回は國分が座長をやって」と頼まれたという(撮影/篠田英美)
■長髪に黒い服を着た姿、教室でも異様に目立った
探検家の角幡唯介(43)は『中動態の世界』の書評で「(自分も)妻に銃を突きつけられたわけではないが、状況に従ううちに気がつくと結婚しており、子供ができて、この前など家まで買うことになってしまった。完璧に中動態で記述されるべき事態なのだ」と我が身に引き寄せユーモア交じりに解説した。中動態という概念を知ると、確かに私たちの日々の行動も、自分の意志で決めているとは言えないことが多々あることに気づく。
古代ギリシャの哲学者プラトンは「哲学は驚きから始まる」と述べたが、國分の哲学の大きな特徴も「人々がハッと驚くような新たな視点」をもたらすことにある。その思考領域は、民主主義や原子力などの大問題から、若者の恋愛や就職の悩みなどの身近な話題まで及ぶ。過去の偉大な思想をわかりやすく紐解きながら、複雑にこみいった問題の本質を提示できる識者として、メディアに意見を求められる機会も増える一方だ。
「ドイツの劇作家ブレヒトは『英雄がいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ』と述べました。最近よくそれをもじって『哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ』と言うんです」
そう笑う國分は、1974年、千葉県柏市に生まれた。父は市の公務員で母は専業主婦。公立の小中学校から早稲田実業高等部に入学すると、通学電車で安部公房や遠藤周作の小説を読みふけった。成績は優秀で早稲田大学政治経済学部に進学。入学後は「政治経済攻究会」というサークルに入り、そこで初めて本格的に「思想」と出会った。
「ホッブズやルソー、マルクスなどの著作を読んで、政治思想についてあれこれと議論するのが活動の中心でした。間違った意見や差別的な考えには容赦ない反論が飛んで、そこで鍛えられた。そういう自分の考えを批判される機会を持たぬまま大人になる人も珍しくないと後で知り、得難い経験になりました。後輩には政治学者になる白井聡君もいて、僕は幹事長も務めました」
大学で國分と同級生だったTBSラジオプロデューサーの長谷川裕(45)は、印象をこう語る。
「黒い服を着て長髪を後ろでまとめ、大教室でいつも最前列に座っていたので異様に目立ちました。3年時に同じゼミに入ると、カントなどの課題図書を僕は日本語訳で読んでいくのに、國分君はドイツ語やフランス語の原典で読んでくるんです。彼を中心としたゼミの仲間の議論がものすごく知的レベルが高くて、聞くだけで楽しかった」
ときは90年代半ば。「ニューアカ」と呼ばれた現代思想ブームの残り香が漂い、社会学者の宮台真司が売春する「ブルセラ女子高生」を論じ、漫画家の小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』で薬害エイズ訴訟やオウム真理教問題を描くなど新たな思想の潮流が起きていた。國分らの議論はそうした現実の問題も俎上に載せた。ゼミには12人所属していたが、後に國分を含め5人が研究者となったことからも、そのレベルの高さが窺える。
研究者の途を志した國分は、フランス語で卒論を書いて早稲田を卒業すると、東京大学大学院に進学。東大に籍をおきながらフランスに留学し、政治哲学を本場で学ぶ。留学の壮行会でTBSに就職した長谷川は、「いつか國分君たちのような若い学者が活躍できる番組を作る。その日を楽しみにしてほしい」と語ったという。
「留学前から自分が関心を持っていたのが、17世紀のヨーロッパの思想でした。16世紀の宗教戦争で焼け野原になった社会をどう立て直すかという時代で、現代に通じる国家や主権といった概念が形作られていったのがその時期なんです」(國分)
ドゥルーズ学会には現代思想の大家、アルフォンソ・リンギスも来日した(撮影/篠田英美)
■同世代の活躍を横目に、もやもやした30代前半
國分がとりわけ関心を抱いたのがオランダのスピノザという哲学者だった。17世紀の有名な思想家には近代を支配する科学的思考の礎をつくったデカルトがいるが、スピノザの思想は「科学的思考では扱えない領域を考えるところが魅力だった」。「真理はエビデンスによって証明でき万人に共有できる」と考えるデカルトに対し、人間の「主体」や「意志」といった、形はないが確かにある重要な存在についてスピノザは思索を深めた。
「スピノザの『エチカ』に、厳しい親に育てられた子どもが、成長して暴君のもとで勇猛な兵士となる話が出てきます。その兵士は自分の意志で戦っているように見えて、実は親や暴君の意志を表現している。現代にも通じる話ですよね」
留学時には現代思想界を代表する哲学者、ジャック・デリダの最晩年の授業に出席した。
「授業のテーマは『死刑』でした。デリダといえば日本では難解な哲学者として知られていますが、実際の人物はきわめて明快で、フロイトの精神分析をはじめあらゆる知見を総動員して自由に物事を考える人でした。その授業で一人の生意気な学生が『死刑を考えるのに哲学が必要なんですか?』と質問したことがあったんです」
デリダはその問いに「私は哲学が好きだからです」と答えた。國分はそれを聞き「いい答えだな~。やっぱりそうだよな」と感動したという。
帰国して東大の研究員となってから2年後、33歳のときに國分は高崎経済大学に講師の職を得る。東京から半日かけて鈍行電車で高崎まで行き授業をして、また半日かけて帰るという日々を送った。その電車の中でも國分は先人の哲学書を読みふけった。後に『中動態の世界』を書きはじめるにあたり、國分は「ギリシャ語を学ばなければこの本は書けない」と考え、1年半にわたって東京・駿河台のアテネ・フランセに通い古典ギリシャ語を学んだ。哲学の祖ソクラテスが説いた「知を愛すること」を國分は自らも実践し続けてきた。
「30代前半はなかなか仕事も決まらないし、同世代で世に出る人もいて、もやもやする時代でしたね。2004年に翻訳書の『マルクスと息子たち』を出版してから、自分の名前で本が出せるまで7年かかりました。今思えば、自分の思想をまとめるのに必要な時間だったと思います」
11年、國分は本格的な哲学書の『スピノザの方法』と、一般の人々を対象とした『暇と退屈の倫理学』という2冊の本を著し、一気に世の注目を集めた。そしてその年、先の長谷川がディレクターを務めていたTBSラジオの番組「小島慶子キラ☆キラ」に、國分をゲストとして招くと、その語りを聞いたマスコミ関係者が、続々と彼に出演や執筆を依頼するようになっていく。メディアで國分は、哲学の視点から現実の問題を鮮やかに解説していった。國分自身は11年3月11日に東日本大震災と福島の原発事故が起こり、日本が混乱状態に陥ったことが、自分に発言機会が与えられる契機となったと考えている。
「ギリシャで哲学が生まれたのは政治が腐敗して乱れたときです。社会がうまくいっていれば哲学は必要ない。物事の基礎を問い直すからこそ、基礎が揺らいだとき哲学が必要となるんです」
今も2週に1度、高崎経済大学の授業に東京から新幹線で行く(撮影/篠田英美)
■依存症や原子力発電など、哲学は現実生活と結びつく
12年の初頭、国会前で原発反対デモが起き、それに対して「デモなんかに意味はない」という冷笑的な意見がネットに多数書き込まれると、國分は「みんなデモの本質がわかっていない」と感じた。そしてフランス留学時代に何度も見た、群衆がゴミを撒き散らして行進するデモの光景から始まる次の文章を記した。
<デモとは何か。それは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである><デモは、体制が維持している秩序の外部にほんの少しだけ触れてしまっていると言ってもよい(中略)そうした外部があるということをデモはどうしようもなく見せつける。だからこそ、むしろデモの権利が認められているのである>
スタジオジブリの雑誌「熱風」12年2月号に掲載されたこの文章は、ネット上で拡散され、国会前デモに集まった人々の相当数が読んだという。
立命館大学准教授で哲学者の千葉雅也(41)は、02年ごろの東大大学院在籍時に飲み会で國分と初めて会った。雑誌「批評空間」最終号で、ちょうど國分が執筆したフランスの現代思想家、ジル・ドゥルーズについての論考を読んだときだった。
「論文の怜悧な筆致から物静かな人かと思っていましたが、江戸っ子のようなべらんめえの口調で話す快活な人で、そのギャップに驚きました」
それ以来、千葉は國分と交流を持つようになり、研究者となってからは雑誌の対談やイベントで仕事を度々ともにするようになった。
「國分さんの哲学は、頭の中だけで遊んでいるんじゃなく、哲学を人生の問題として引き受けることにある。人間の実生活と哲学との結びつきを、鮮やかに強烈に見せてくれる人です」
千葉の言葉通り、先の『中動態の世界』は医学書院の雑誌「精神看護」に連載された原稿が元になっているのだが、実際に『中動態の世界』を読んだ医療関係者から、「依存症や慢性疾患の治療に役立った」という声が多数届いているという。
高崎で教える学生たちと書店イベントへ向かう(撮影/篠田英美)
近年、著名人が違法薬物の所持や使用で逮捕される度に報道で「本人の意志の問題だ」と叫ばれる。だが医療の専門家の間では、アルコールや薬物などの深刻な依存がやめられないのは「意志の問題ではなく自己のコントロールを失う病」であることが常識となりつつある。編集を務めた白石正明(62)が國分の講演を聞いて「中動態という概念は哲学や言語学の世界の話だけではなく、依存症など現実の問題に向き合う人にもヒントになるのではないか」と考えたことが発刊に結びついた。
自閉症と哲学の研究にも力を入れている。昨年6月、國分は東京大学駒場キャンパスで行われた「第7回アジア・ドゥルーズ/ガタリ研究国際会議」の座長を務めた。ドゥルーズを研究する世界中の学者が100人以上集まったこの会議で、國分は「自閉症とドゥルーズ」の研究について発表した。
「この20年程の間に、自閉症の当事者の方々が、幼少期から自分が世界をどう認識していたかを語ることが増えました。自閉症の場合、他者の存在を想定せずに世界を知覚していることがありますが、ドゥルーズの哲学は、そもそも人間の知覚のあり方はそのようなものだと考えるんです」
現在、國分はこのテーマで、東京大学先端科学技術研究センター准教授で医師の熊谷晋一郎とともにジャンルを超えた共同研究も行っている。
最新刊『原子力時代における哲学』では題名通り、哲学の観点から原子力発電の問題を考察した。登場する哲学者はプラトン、ピタゴラス、ヘラクレイトス、スピノザ、ハンナ・アーレント、ハイデガーなど数十人に及ぶ。
「原子力問題を考える上で重要なのは1950年代です。当時、日本に落とされた2発の原爆の被害から、核兵器に対して世界中で大きな反対運動が巻き起こりました。しかし原子力発電に対しては『原子力の平和利用』というスローガンのもとで人類を救う技術のように喧伝されていました」
『ヒロシマ・ノート』を後に書く作家の大江健三郎ですら茨城県東海村の日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)を訪問し、原子力という新たなエネルギーに人類の希望の光を見ていた。しかし世界でただ一人、ハイデガーだけは「原子力の平和利用」という言葉の欺瞞を見抜いていたことを國分は同書で解説する。
「ハイデガーは1963年に日本人研究者に宛てた書簡の中で、たとえ原子エネルギーを管理することに成功したとしても、その管理の不可欠なことが、この力を制御し得ない人間の行為の無能をひそかに暴露している、と指摘したのです」
國分は学生への授業を一番大切にしている。「僕は学生のとき、『世の中にそんな考え方があったのか』と知ってハッとするのが何より面白かった。今の学生も、打てば絶対に響いてくれるんです」と語る(撮影/篠田英美)
■答えが出ない問いを考え続けるのが哲学者
このハイデガーの指摘は60年近くの時空を超えて、未だ終息の途が見えない福島第一原発事故の処理問題を抱える日本人の胸に突き刺さる。一方で國分は「ただ原発はダメだと言っているだけではいけない」とも語る。
「原発のような問題は一人ひとりが自分の頭で考え続けることが大切なんだ。それが本書を通じて伝えたいことなんです」
同書の担当編集者である晶文社の安藤聡(59)は國分について、
「真理の探究のために平凡な日常生活を維持する努力を全力で続け、社会の具体的な課題に対して哲学者として取り組む姿勢に敬意を覚えます。願わくば、政治に携わる人間に、このような哲学を期待したいところです」と語る。
哲学者とはどんな人間なのか。國分に問うと、「答えが出ない問いをじっと考え続けることができる人だと思う」と返ってきた。
「ハンナ・アーレントは『答えが出ない問いを考え続けることで、人は問うことができる存在になれる』と語っています。民主主義や立憲主義も決して絶対的に正しいわけではありませんが、今の世の中の根本を支えている制度です。それがダメになったとき、きちんともう一度定義し、説明し直す必要がある。そういう役割を、哲学者が担っていると思うんです」
「知を愛すること」は哲学者だけの特権ではない。政治や社会が混迷を深める今の日本で、我々一人ひとりにも求められている。
(文中敬称略)
■こくぶん・こういちろう
1974年 千葉県生まれ、柏市で育つ。地元の小中学校を卒業後、当時ファンだった小室哲哉が卒業生だったことから、早稲田実業高等部を受験し入学する。
93年 早稲田大学政治経済学部入学。政治経済サークルの部室で仲間と議論する毎日を過ごす。卒論は17世紀の思想家ライプニッツについてフランス語で執筆。
97年 研究者になると決め、東京大学大学院総合文化研究科に入学。この年、仏ストラスブール大学哲学科に留学し、以後長きにわたるスピノザの研究を始める。「自分は日本の大学では一度も哲学科の学生であったことはない。それが、他の人と少し違う視点でものを考えられる理由かもしれません」
2000年 パリ第10大学哲学科DEA課程入学。
04年 初めての翻訳書としてジャック・デリダ著『マルクスと息子たち』を岩波書店から刊行。
06年 東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。同研究科の「共生のための国際哲学交流センター」(UTCP)特任研究員に就任。
08年 高崎経済大学経済学部の講師となる。
09年 博士論文「スピノザの方法」で東京大学大学院の博士課程を修了。同論文は2年後みすず書房から書籍として刊行。
11年 高崎経済大学経済学部准教授。TBSラジオ「小島慶子キラ☆キラ」への出演を皮切りに、「荻上チキSession-22」「文化系トークラジオLife」などに次々ゲスト出演。『暇と退屈の倫理学』で第2回紀伊國屋じんぶん大賞受賞。
12年 NHK Eテレの哲学トークバラエティー「哲子の部屋」にメインパーソナリティーとして出演。
13年 本格的な哲学書『ドゥルーズの哲学原理』、現実の政治の諸問題を扱った『来るべき民主主義』、読者の人生相談に答える『哲学の先生と人生の話をしよう』など多様な本を刊行。
15年 『近代政治哲学――自然・主権・行政』刊行。
17年 『中動態の世界――意志と責任の考古学』を刊行。同書で第16回小林秀雄賞、第8回紀伊國屋じんぶん大賞受賞。
18年 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授に就任。
19年 『原子力時代における哲学』刊行。
■大越裕
1974年生まれ。フリーライター。理系ライター集団チーム・パスカルに所属し、研究者や先端企業を取材。本欄では「哲学者 鷲田清一」「京都大学総長 山極壽一」などを執筆。
※AERA 2020年1月20日号
※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
AERA
2020/06/10 18:41