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パリ五輪日本代表の出身大学ランキング 1位は阿部一二三、詩兄妹の日本体育大、2位は早稲田大
パリ五輪日本代表の出身大学ランキング 1位は阿部一二三、詩兄妹の日本体育大、2位は早稲田大
パリ五輪、柔道混合団体決勝後の阿部兄妹。二人は日本体育大出身     第33回オリンピック競技大会(2024/パリ)が開幕した。  世界中のトップアスリートたちはパリ五輪への出場、そしてメダル獲得をめざしてきた。われらが日本代表も血のにじむような努力を重ね厳しい練習に取り組み、少年少女時代からの夢だったオリンピック出場をかなえた。  日本代表のなかには高校、大学時代からアスリートとして活躍していた選手も少なくない。彼らはどのような大学で力をつけ、技を磨いてきたのか。日本代表選手たちの出身大学を調査、集計し、ランキングを作ってみた。 *   *   *  まず、最近40年間に行われたオリンピック11大会について、日本代表の出身大学ランキング1位校を紹介しよう。 1984年ロサンゼルス大会:日本体育大(39人) 1988年ソウル大会:日本大(27人) 1992年バルセロナ大会:日本大(33人) 1996年アトランタ大会:日本大(26人) 2000年シドニー大会:日本大(18人) 2004年アテネ大会:日本体育大(22人) 2008年北京大会:日本体育大(26人) 2012年ロンドン大会:日本体育大(23人) 2016年リオデジャネイロ大会:日本体育大(28人) 2021年東京大会:日本体育大(57人) 2024年パリ大会:日本体育大(38人)  日本大、日本体育大が長くトップ争いを続けていたが、04年大会以降、日本大がふるわなくなった。5位以内にはほかに早稲田大、筑波大、明治大が入ってくる。 2024年パリ大会日本代表選手の出身大学ランキング ◎JOCが発表した代表名簿をもとに集計。出身大学や高校、所属機関、競技団体などの資料から作成した。リザーブ、補欠は含まない。パラリンピックは含まない。    24年パリ大会における日本代表の出身大学ランキング上位校を見てみよう。(※JOCが発表した代表名簿をもとに集計。出身大学や高校、所属機関、競技団体などの資料から作成した。リザーブ、補欠は含まない。パラリンピックは含まない) 1位:日本体育大(38人) 『体育スポーツの普及·発展を積極的に推進する人材の育成』を建学の精神に掲げる大学だけあり、国内の精鋭が集まっている。インターハイ上位成績者の高校生トップアスリートが、オリンピックをめざして日本体育大へ進むというケースが定着し、最近20年の6大会で出身大学ランキングのトップを守り続けている。  注目は柔道の阿部一二三、詩の兄妹だ。2人そろって2大会連続で出場し、兄・一二三は2大会連続で金メダルを獲得した。ほかには水球(男子)9人、レスリング(男女)6人を送り出しており、得意とする分野がよくわかる。  一方でトライアスロンやマウンテンバイク、飛び込み、オープンウォーターなど、競技者人口が多くない種目でも代表を出しており、大学がさまざまなスポーツに力を入れていることをよく示している。スポーツを満遍なく愛しているのだろう。ちなみにオープンウォーターとは川、湖、海、水路といった自然の水域で行われる長距離の水泳競技である。なお、日本体育大は「にっぽんたいいくだい」と読む。 ◎JOCが発表した代表名簿をもとに集計。出身大学や高校、所属機関、競技団体などの資料から作成した。リザーブ、補欠は含まない。パラリンピックは含まない。   2位:早稲田大(30人)    大迫傑(陸上・マラソン)、張本智和(卓球)、瀬戸大也(競泳)など著名なアスリートがいる。在学生(学部)には、上記の張本のほかに和田彩未(アーティスティックスイミング)、松本信歩(競泳)、池田瑞紀、垣田真穂(以上、自転車)、中山楓奈(スケートボード)がいる。中山は21年大会で銅メダルを獲得している。龍谷富山高校1年の時だった。今年、早稲田大スポーツ科学部に入学した。  松本信歩は簿記、宅建、スペイン語検定など複数の資格を取得している。こう話している。「スポーツ以外の分野にも興味があり、スキルを身につけたいと考えたからです。宅地建物取引士の資格は、将来活用できればという期待から取得しました。また、スペイン語検定は、メキシコでの合宿中に英語がうまく通じず、現地の方々とコミュニケーションを取りたいという思いから、自ら勉強しました」(早稲田大競技スポーツセンターのウェブサイト 24年6月13日)  なお、柔道女子の池田海実(スポーツ科学部 4年)は韓国代表、渡邊聖未(スポーツ科学部 19年卒)はフィリピン代表としてオリンピックに臨む。大学のグローバル化を示すものだ。 3位:筑波大(19人)  21年大会から採用されたスポーツクライミング代表の森秋彩は、15歳で世界選手権に出場し銅メダル獲得した。22年に筑波大体育専門学群に入学。大学での学びについてこう話す。 「研究室は体育スポーツ哲学を選びました。教職を取っているのでまだ他の分野もたくさん学ぶんですけど、その中でも去年一番印象に残った哲学と倫理学を自分の経験と絡めて卒論にしたいと思いました」(スポーツ系ニュースサイトCLIMBERS」24年3月8日)   もっとも実績がある選手は熊谷紗希(サッカー女子)であろう。2011年の FIFA女子ワールドカップで優勝、12年大会で準優勝している。いずれも筑波大在学中だった。24年大会のサッカー女子には南萌華、清家貴子、長野風花がいる。  自転車競技の與那嶺恵理は、16年大会、21年大会に続いて3度目の出場となる。大学2年のときに自転車競技を始めたが、その経緯がおもしろい。こう振り返っている。 「元々自転車を始めたのは、大学のテニス部を辞めたことがきっかけだったんです。体力はあるのにセンスが無くて、先輩の球拾いとかサポートばっかりやっていたんですね。私は体育会系だから競技に出ていないと楽しめなくなって、もういいかなぁって思っちゃったんです。(略)たまたま趣味としてロードバイクに乗っていた伯父さんが『その脚は自転車に向いているから、気分転換にでも乗ってみれば?』と言ってくれました」(サイクリングファンのための情報サイト「シクロワイアード」13年12月18日) 4位:日本大(16人)   日本大の学生数(学部)は約6万7000人であり、他大学を圧倒する(2位は早稲田大の約3万7000人)。学内にはスポーツの各種目で競技者が多く、つまり数の論理で多くのアスリートを送り出してきた。  池江璃花子(競泳)は16年大会、21年大会に続いて3大会連続出場となる。池江は19年に日本大スポーツ科学部に入学したが、白血病のため療養生活を送っていた。東京大会が21年に延期となったことで、彼女は驚異的な回復をみせて同大会の代表入りを果たした。  池江は23年に大学を卒業したとき、取材に応じて次のように話している。「苦しいことの方が多かった。生きるか死ぬかを経験した4年間。多分、誰よりも充実した4年間を送れたかな」「つらくなったときは、もっとつらい時期もあったと思い出し、どんどん前に進めたら」(朝日新聞デジタル23年3月25日) 4位:明治大(16人)  射撃女子で2大会続けて在学生の代表を送り出した。21年大会の平田しおり、そして今回の野畑美咲だ。明治大は射撃の全日本大学選手権で男子総合2連覇、女子総合6連覇を達成するほどの強豪だ。野畑は大学のスポーツ新聞にこう話している。 「今回が私の五輪初出場となります。慣れないこともあり、プレッシャーも大きく感じることもあるかと思いますが、私なりの射撃ができるよう、謙虚に楽しく射撃をしていきたいと思います。また残り少ない期間ではありますが、いい調整ができるように頑張ってまいります。応援のほどよろしくお願いいたします」(「明大スポーツウェブサイト」24年7月19日)  20代前半の野畑の親世代にあたるベテランアスリートも明治大出身には健在だ。馬術の大岩義明(48歳)、戸本一真(41歳)である。 6位:東洋大(14人)  陸上競技で7人が代表に選ばれている。中島佑気ジョセフ(400メートル)、池田向希(20キロメートル競歩)、小川大輝(400メートルハードル)、桐生祥秀、栁田大輝(以上、4×100メートルリレー)、吉津拓歩(4×400メートルリレー)、川野将虎(男女混合競歩リレー)。桐生は16年大会(4×100メートルリレー)での銀メダルを獲得したとき、在学中だった。陸上部短距離部門アシスタントコーチの土江寛裕さん(法学部教授)はこう話す。 「オリンピックは4年に一度ですから、大学在学中には基本的に1度しか訪れない訳です。実力が伴う時期と開催が重なる選手には、世界選手権やアジア大会といったオリンピックにつながる大会を意識してきっちりとプランを立てながらトレーニングします。結果が出始めると選手も自信になりますが、うまくいかない場合もある。トレーニングも本人が納得した上で行わないと結果は出にくいもので、お互いにオリンピックを目指すパートナーとして対話しながら信頼関係を築くことは必須でしょうね」(東洋大広報誌「TOYO UNIVERSITY NEWS」2024年7月) 7位:中央大(13人)  24年大会の開会式はセーヌ川に浮かぶ船上で行われた。日本選手団の旗手をフェンシング女子の江村美咲が務めた。江村は世界選手権2連覇の実績を誇る。陸上競技の飯塚翔太は4度目のオリンピック出場となる。大学時代の思い出をこう話す。「総合大学特有のスポーツとは全く異なる勉強、そして部活動がありメリハリのある大学生活を過ごしました。陸上部の自分と勉強する学生の自分がそれぞれいるような感覚でいい意味でスイッチが入りました」(大学ウェブサイト) ◎JOCが発表した代表名簿をもとに集計。出身大学や高校、所属機関、競技団体などの資料から作成した。リザーブ、補欠は含まない。パラリンピックは含まない。    日本代表には私立大学出身者が圧倒的に多いが、国公立大学出身もいる。筑波大のほかに鹿屋体育大、岐阜大、東京学芸大、一橋大、大阪市立大(現大阪公立大)だ。  神戸親和女子大の名前もある。23年に男女共学化するとともに神戸親和大に校名が変わった。  世界のトップアスリートを送り出した大学を眺めると、各大学の特徴が見えてくる。また、意外性も示されるので、なかなか興味深い。  日本代表の経歴を見ることで、オリンピックの楽しみ方がひとつ増える。 <文中敬称略> (文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)
パリ五輪大学ランキングオリンピック
dot. 2024/08/07 08:00
アデル、【パリ・オリンピック2024】陸上女子100M決勝観戦のためミュンヘン公演を中断
アデル、【パリ・オリンピック2024】陸上女子100M決勝観戦のためミュンヘン公演を中断
アデル、【パリ・オリンピック2024】陸上女子100M決勝観戦のためミュンヘン公演を中断  アデルが、現地時間2024年8月3日にドイツ・ミュンヘンで行われたコンサート中に、【パリ・オリンピック2024】の陸上女子100メートル決勝を見るためにパフォーマンスを一時中断した。彼女は8月2日から特設のアデル・アリーナで10日間のレジデンシー公演を開始している。 米NBCオリンピックのX(旧Twitter)アカウントに投稿された、ファンが撮影した映像によると、36歳のアデルはこの11秒間のレースを大スクリーンに映し出し、会場に集まった75,000人あまりのファンに見せている。セントルシアのジュリアン・アルフレッドが10秒72で金メダルを獲得すると、ミュンヘンの観衆は静まり返った。米スター選手であるシャカリ・リチャードソンとメリッサ・ジェファーソンがそれぞれ銀メダルと銅メダルを獲得した。 セントルシア史上初のオリンピック金メダルとなったアルフレッドの勝利の後、アデルは観客にこの快挙を称えるよう求めた。【グラミー賞】を16回受賞している彼女は、「彼女に拍手を送りましょう! ショーを続けましょう。ファンタスティック、セントルシア!」と述べた。 このミニ常設公演を開始した3日の金曜日にも、彼女はオリンピックを意識していた。ファンが捉えた動画で彼女は、「世界トップクラスのアスリートたちを見ながら、“おや、あの着地はちょっとぎこちなかったね。あら、彼女の足はちゃんとまっすぐじゃなかったわ”とか言ってるけれど、その一方で、もし私が彼女たちのようなことをしようとしたら死んじゃうわ。ちょっとでも、どんな動きでもしようとしたら絶対に死んじゃう」と語っていた。 アデルはまた、このコンサート中に、複数の金メダルを獲得した米国の体操選手シモーネ・バイルズを称賛し、彼女を“ものすごく優秀"と呼んだ。 アデルのミュンヘンでの10夜公演は8月31日に終了する。米ラスベガスのザ・コロシアム・アット・シーザーズ・パレスでのレジデンシー公演【Weekends With Adele】は10月に再開される。
billboardnews 2024/08/05 18:07
“晩熟タイプ”は中学受験で不利になる? 塾講師が教える「中学受験向きの子」「高校受験向きの子」の違い
“晩熟タイプ”は中学受験で不利になる? 塾講師が教える「中学受験向きの子」「高校受験向きの子」の違い
写真はイメージ(GettyImages) 「わが子は、中学受験と高校受験、どちらを選んだらいい?」「中学受験を始めたが、そもそも向いていないのでは?」――。そんなお悩みに、Xで「東京高校受験主義」として受験情報を発信する高校受験塾講師・東田高志さんは「子どもには中学受験向きの子と、高校受験向きの子がいる」「わが子がどちらのタイプなのか、見極めることが重要」だと言います。『「中学受験」をするか迷ったら最初に知ってほしいこと』(Gakken)からお届けします。 「早熟タイプ」の子どもは中学受験に向いている   まずは、どんな子どもが中学受験に向いているのか見ていきましょう。中学受験への適性を見極めるためには、子どもの成長の特性を把握することが大切になります。結論を先に言うと、知的好奇心が強く、心の成長が早い「早熟タイプの子ども」は中学受験に向いていると言えます。  川口大司先生(現・東京大学大学院教授)は、「誕生日と学業成績・最終学歴」という論文で、中学生よりも小学生において、女子よりも男子において、相対的な年齢が学業成績に強く影響を与えていることを明らかにしています。早生まれや晩熟タイプの小学生は、精神的な成長度合いが同級生よりもゆっくりで、努力だけではその差を埋められずに、中学受験では不利になってしまうことがあるのです。  これを裏付ける関西の私立中学の最難関・灘中学校合格者の生まれ月のデータがあります。4月~6月生まれの子どもは197人が合格(全体の36 ・4%)という結果に対し、10 月以降に生まれた子どもの合格者は大幅に減少し、1~3月生まれにいたっては、合格者はわずか76 人(全体の14 ・1%)にとどまります。中学受験の場合、入試による選抜時期が早すぎて、生まれ月が学業成績に直接的な影響を及ぼしているのです。  最もわかりやすいのは国語の読解問題です。中学受験は「大人度」を測るテストです。「恋愛感情」をテーマにした小説の出題がその象徴と言えます。難関私立中学の入試では、三島由紀夫の『豊饒の海』が出典だったこともありました。こうなると、努力量よりもむしろ、生まれ持って定められた〝脳の成長の早さ争い〟になってしまいます。  このハンデも、15 歳まで待てば成長の差が埋まってきます。小学校では体の小さかった子が中学で急激に成長し、言動も大人びていくのを目の当たりにしたことのある人も多いのではないでしょうか。  高校受験のトップ校・都立国立高校の2023年度新入生161人の誕生月を独自で調べたところ、4~6月生まれが27 人、7~9月生まれが53 人、10~12 月生まれが35 人、1~3月生まれが46 人と、受験で不利と言われる早生まれの割合が高いという結果になりました。  早熟タイプの秀才が中学受験で抜け、晩熟タイプが相対的に有利になった可能性を示す興味深いデータです。 一番怖いのは自己肯定感の破壊   のんびりした晩熟タイプが中学受験を経験すると、努力が結果につながらず、学習への意欲を失う恐れがあります。それだけでなく、〝自己肯定感〟というポジティブに生きていくための感情までもが破壊されてしまうことがあります。  自己肯定感とは、「ありのままの自分を受け入れ、自分は価値のある人間だと感じることができる心の状態」のことです。自己肯定感が下がれば、不登校やうつ病、自殺につながることもあります。日本人は、外国人に比べて自己肯定感が著しく低いという研究結果もあります。教育熱の高いエリアの進学塾には、早い段階で「偏差値」や「点数」「クラス」を意識させられ、長期間、劣等感を抱く環境にいたことによって自己肯定感が低下してしまった子どもたちもいます。  これは、ある小学6年生の男の子の話です。  母親に連れられて高校受験コースにやって来ました。偏差値は45 。塾からは習い事の野球も辞めるよう迫られ、中学受験をやめるかどうかの相談に来たのです。入塾面談の際、彼は終始うつむいていました。ある日、彼と一対一で話をしました。叱るわけでもないのに、彼は涙をこぼし、「僕はバカなんです」と絞り出すような声で言うのです。彼の自尊感情はボロボロでした。彼は決して勉強ができないわけではありませんでした。中学受験の日能研・四谷大塚での偏差値は45 、高校受験だと「中の上」です。つまり、高校受験組に回った瞬間、彼はどちらかというと勉強ができる人、という扱いを受けるわけです。たしかに精神的に幼いところがあり、勉強姿勢にも甘さが見られました。こういう子は、競争の世界からは距離を置いて、じっくりゆっくり育てると伸びます。中学受験をやめる選択をしたあとは、大好きな野球を小学校卒業まで続けることができました。  その後、彼の性格は一変しました。本来のお調子者、ムードメーカーの性格を取り戻し、中学1年生で初めての定期テストの際には、満面の笑みで点数を自慢してくるようになりました。中学入学以降は、心身ともに急激に成長し、希望の進路を自分から見つけ、努力できるようになりました。高校受験という壁のほうが彼には合っていたようで、順調に成長しながら、自己肯定感を取り戻していきました。  これは、超難関校に合格したサクセスストーリーではありません。ただ、自己肯定感を破壊し、ネガティブ思考の塊にさせてしまう受験もあるということをお伝えしたかったのです。劣等感をバイタリティに変えられる子どもは、実際にはほんのひと握りです。中学受験の舞台から思い切って降り、高校受験で自己肯定感を取り戻した子の例をたくさん見てきた私だからこそ、言えることだと思っています。 「競争適性」のある子は中学受験に向いている  中学受験のし烈な競争の中で、子どもが備えるべき大事な要素が「競争適性」です。  東京のある大手塾では、子どもの成績が、クラスのみならず座席順にまで影響を及ぼすシステムを導入しています。テストの結果が良ければ前のほうに座る、成績が振るわなければ後ろへ。子どもは全員が序列化され、競争が常に子どもたちの日常に影を落とします。このシステムがもし、〝普通の子〟が中心の高校受験に導入されたら……? 精神的なプレッシャーで病んでしまう子が続出するでしょう。大人ですら耐えがたいプレッシャーが、10 歳、11 歳の子どもにのしかかっているのが中学受験の現状なのです。  ところが、競争適性のある子どもたちは、これをまるでゲームのように楽しむことができます。偏差値やクラスが下がっても心が折れることなく、ライバルに追いつこうと闘志を燃やし、勉強への意欲へとつなげます。こういった子にとって、し烈な受験はむしろ「成長のきっかけ」となるでしょう。偏差値やクラスが上がると、ライバルをしのぐ喜びで自己肯定感が満たされます。スポーツで、敗北をバネにがんばれるタイプの子も同じで、中学受験向きの子どもと言えるでしょう。反対に、いわゆる〝普通の子〟が現代の中学受験に参加するには、強いプレッシャーに耐えられる競争適性が必要なのです。  競争適性の低い子が中学受験に「参戦」してしまうとどうなるのでしょうか。  「うちの子どもが受験ストレスで嘔吐してしまって」「子どもが円形脱毛症になってしまいました」「うちの子はアトピーが悪化して、かきむしって困っています」  これらはすべて、実際の保護者の会話です。さらに、NHKの番組『ニュースウオッチ9』でも、東京の心療内科に、中学受験のストレスで心身に不調が出た小学生の受診が相次いでいるという報道がありました。軽い気持ちで始めた受験でこんなことになるとは……と後悔する保護者の姿がそこにあったのです。  そうはいっても、現代は「競争社会」です。子どもに早いうちから競争に慣れさせたほうが良いという考えを持っている親御さんもいるでしょう。  しかし、焦らなくても、競争適性は子どもたちが日常を生きているだけで少しずつ身についていくものです。クラスメイトの前での発表、運動会の本番、班長への選出、習い事のコンクールや発表会、部活動の試合。読者のみなさんも小中学生のころ、「あのときは緊張で足が震えた」という経験を何度も重ねてきたはずです。これらの経験が、子どもたちに年齢相応のプレッシャーを与え、彼らを強くしていきます。 高校受験は「競争適性のない子」にも配慮された制度  中学受験をやめた場合、子どもは高校受験をすることになりますが、高校受験は、競争適性の低い子にも選択肢のあるシステムになっています。たとえば、どの学校からも合格通知を得られない子がいないよう、少なくとも1校から合格を得られるように併願優遇(併願確約)という制度が存在します。だれもが一度は「合格」という成功体験を得られるようになっているのです。一発勝負の緊張感に耐えられない子への対策として、持続的な努力を評価する単願・推薦入試なども設けられています。高校受験は、競争適性のない子にも配慮された制度設計がなされています。  競争心の低い子でも学びへの意欲は高く、勉強が得意であるケースも少なくありません。小中学生を見てきた塾講師としての経験から、こういうタイプの子は、競争心をあおるよりも、学問的な楽しさをたっぷり味わい、学習の成果を他人との比較などに求めないほうが、高いパフォーマンスを発揮することができるでしょう。
中学受験高校受験
AERA with Kids+ 2024/08/05 06:30
「スケボー金 吉沢恋」の好きなものは「焼き肉」と「学校」 コーチ、校長、スケボー仲間…地元関係者が明かす“愛され素顔” 
板垣聡旨 板垣聡旨 上田耕司 上田耕司
「スケボー金 吉沢恋」の好きなものは「焼き肉」と「学校」 コーチ、校長、スケボー仲間…地元関係者が明かす“愛され素顔” 
パリ五輪スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋    パリ五輪スケートボード女子ストリートで吉沢恋(ここ)選手(14)が金メダルを獲得したことに日本中が沸いた。7月31日、羽田空港に降り立った吉沢選手は「練習のときに足首をケガしてしまって、最初はちょっと無理かなと思ったんですけど……(中略)運というのも自分にあったんじゃないかな。全部が奇跡だった、うれしかった」と喜びを語った。国際大会での経験が浅い吉沢選手はスポンサーなし、マネジメント事務所なしという状況だったが、地元・相模原市の公園などを拠点に技術を磨いた。パリ五輪で一躍脚光を浴びた中学3年生の少女の素顔について、地元関係者を取材した。 *  *  *  吉沢選手の原点ともいえるのが、相模原市中央区にある小山公園のスケートボードエリアだ。4歳年上の兄の影響で7歳からスケートボードを始めた吉沢選手は、当時からここで練習していたという。 吉沢選手が拠点としていた小山公園のスケートボードエリア(撮影/板垣聡旨)    公園で練習する息子を迎えに来たという保護者は、吉沢選手の金メダル獲得の瞬間を「長い間ずっと見ていた子が世界を取る瞬間を見て、言葉が出なかった」と振り返る。 「いつもあいさつを欠かさないココちゃんはとても明るくて、みんなに分け隔てなく接してくれていました。こうすると良いよ、とアドバイスもくれて、励ましてくれる。みんなから頼られているし、友達みたいにフランクに接してくれました」 パリ五輪女子ストリートで優勝を確実にして喜ぶ吉沢恋選手   「相模原市はすごいと思う」  別の保護者は吉沢選手のプレイについてこう話す。 「プレイが安定して、トリックの成功率が高い。でもその裏には、とにかく負けず嫌いで、納得いくまで練習をする努力があります。スケートボードエリアが閉まる午後10時以降でも場所を見つけて、秘密の特訓をしていたと聞きます。また、大きな大会前には海老名や高座郡などに行き調整していました」  また、吉沢選手を小さい頃から知るという保護者の男性はこう話す。 「私は、ココちゃんがここでスケボーを始めたときからずっと見ていました。ココちゃんは最初の頃はレール(手すり)に乗るときに怖がっていたので、お父さんが手を持ってあげたりしていましたね。小学生のときは、この公園で滑ってから、『塾へ行ってくる』と言って、2~3時間で戻ってきたこともありました。小学生のときは英会話を習っていたようです。あとトランポリンの施設が近くにあるので、体幹を鍛えるために通っていました」  吉沢選手が通っているという英会話教室の先生は「保護者や本人から許可をいただいていないのでしゃべれないの。本当にごめんね」とのことだったが、おだやかな表情で吉沢選手の活躍を喜んでいるようだった。  吉沢選手が通う小山中学校の山﨑真理校長は、彼女が小山公園スケボーパークについて話したことを覚えている。 「本人は『市がああいう場所を造ってくれたから、自分はこういう経験ができたし、相模原市はすごいと思う』と言っていましたね」 パリ五輪ストリート女子の予選で演技する吉沢恋選手   スケボーをやめようとした過去  地元で練習ができる環境に感謝していたという。だが、山﨑校長によると、吉沢選手はスケボーの道を諦めようとしたこともあったようだ。 「本人から聞いた話だと、中学に入る前、本当は彼女はスケートボードをおしまいにするつもりで、(中学では)テニス部に入ろうと思っていたらしいです。ただ、ちょうどその時、東京五輪で初めて種目として採用されたスケートボードで金メダルを獲った子が注目を浴びて、技をテレビで見たら、『あれっ、これ私できる』と思ったとか。それでパリ五輪を目指すきっかけになったらしいです。だから中学1年になってから、少しずつ大会に出場するようになり、本格的にオリンピック出場という話が出てきたのは、今年に入ってからなんです」  小山中学の正門にはPTAがつくった「祝 スケートボード 吉沢恋」という横断幕が飾られていた。大々的なセレモニーをしたのかと思いきや、「実は学校で大々的に壮行会はやってないんです」と山﨑校長は言う。なんでも、吉沢選手は派手なことを好まないことを皆知っており、プレッシャーをかけてはいけないという配慮があったからだという。ただ、パリ出発の前日、クラスでささやかな壮行会は開いた。その時の様子を山﨑校長はこう振り返る。 「ココちゃんは意外とシャイなんです。壮行会でも、あまり前面に出たくないみたいで、教室に入ってくるときも、照れくさそうにしながら、『ヨッ』って言いながら入ってきたみたいです。みんなと一緒にお昼を食べたり、円陣組んだりした後、じゃあ、『行ってきまーす』と教室を出たそうです」 中学校でも愛されキャラだという吉沢恋選手   「学校が大好き」な14歳  クラスメートたちは自分たちの声をボイスレコーダーに吹き込んで、それをぬいぐるみに仕込んで、『持って行ってね』と吉沢選手にプレゼントしたという。  吉沢選手は帰国後の会見で、クラスメートの壮行会について、「これをプレッシャーととらえずに楽しんできてね、という言葉が一番心に残っています。初めての出場ということで緊張とかプレッシャーがあったんですけど、それをほぐすことができて本当にありがたいなと思います」と語っている。  山崎校長は学校での吉沢選手の様子についてこう話す。 「大会で何日か学校をお休みにするときには、同級生が授業のプリントを自分の分と吉沢さんの分のプリントを2枚取っておいてあげたりしています。それも授業の内容が書き込まれているプリントで、授業のノートをとってあげているんですね。そのあたりも、彼女の人柄なんだと思います。吉沢さんがクラスで好かれているからでしょう」  吉沢選手はとにかく「学校が大好き」なのだという。 「パリへ出発する1週間くらい前は五輪の壮行会や取材などで、立て込んでいたんですが、それでも少しでも時間があると学校へ来ていました。1週間前から出発前日まで、ほとんど毎日、登校していました。出発前日も『お昼をはさんで2時間だけ学校へ行ける』と言って、2時間だけ学校へ来たんですよ。ここ(校長室)にも来てくれて『頑張ってきます。行ってきまーす』と言ってくれました」 スケボーショップ「ACT SB STORE」のオーナーでコーチの寺井裕次郎さん(撮影/上田耕司)   コーチには「焼き肉に連れていけ」  吉沢選手が所属するスケボーショップ「ACT SB STORE」のオーナーでコーチの寺井裕次郎さん(40)さんも、忙しい合間をぬって取材に応じてくれた。開口一番、 「いやぁ、うれしいです、本当に」  と顔をほころばせると、金メダルを取れた秘訣についてこう話す。 「とにかく練習ですね。それもただスケボーに乗る練習ではダメで、練習の仕方も工夫していました。私はココちゃんのコーチもしていましたが、いつも練習をみるのはお父さん。しっかりと指導していました。私はスキルを教えてあげるという感じで、お父さんが中心です」 好きな食べ物は「焼き肉」だという吉沢恋選手    吉沢選手の趣味や好きなことを聞くと、こう教えてくれた。 「中学生らしく、携帯をいじることじゃないですかね。本人は『携帯の見る専』と言ってました。TikTokとかを“見る専門”で楽しんでいるみたいですよ。好きな食べ物は焼き肉だと思います。私にはよく、『焼き肉に連れていけ』と言ってます(笑)。といっても、焼き肉には一緒に行ったことがなくて、サイゼリヤに連れて行ったときには、ココちゃんは『小エビのサラダ』を食べてました。でも、本当に食べたいのは焼き肉だと思いますよ(笑)」  吉沢選手がよく行くといわれる焼き肉店を訪れると、店長は「吉沢選手が来ていたことは知らなかった」としたうえで、「また早くお店に来てもらえたら誇らしい。お祝いできれば」と笑顔を見せた。 技をきめる吉沢恋選手   「ロス五輪で連覇を狙いたい」  吉沢選手は帰国後の会見で、「まずはみんなに金メダルを見せて、遊びたいなと思います。高校受験も控えているので、少しずつ勉強も始めないとな、と思っています。次のロサンゼルス(五輪)で連覇を狙いたい」と目標を語った。  前出の山﨑校長は言う。 「8月26日に始業式があるので、吉沢さんの時間をつくる予定です。その時に、お話をしてもらえたらいいなと思っています」  地元でみんなから愛されて育った「ココちゃん」。14歳の少女の前途は、明るい希望に満ちあふれている。 (AERA dot.編集部・上田耕司、板垣聡旨)
吉沢恋パリ五輪スケートボード
dot. 2024/08/02 06:00
愛子さまはスケートにバスケとテニス、佳子さまのダンスから悠仁さまのバドミントンまで 皇室のスポーツは何のため?
永井貴子 永井貴子
愛子さまはスケートにバスケとテニス、佳子さまのダンスから悠仁さまのバドミントンまで 皇室のスポーツは何のため?
天皇誕生日の一般参賀で、集まった人びとにお手振りをする天皇ご一家と、秋篠宮ご夫妻と佳子さま=2024年2月23日、宮殿東艇、JMPA    パリ五輪が始まった。オリンピックは、普段なじみのない競技にも関心が高まる機会でもある。皇室のスポーツと言えば「テニス」の印象が強そうだが、ほかにゴルフやスケート、バドミントンといった五輪の競技種目としておなじみのものからダンスまで、さまざまな運動をたしなんできた。 *   *   *  皇族がたしなむスポーツと言えば、「テニス」の印象が強いが、昭和天皇が好んでいたのが「ゴルフ」だった。  1917年の朝日新聞には、当時16歳の皇太子だった昭和天皇が、神奈川・箱根の宮ノ下御用邸(現・富士屋ホテル別館菊華荘)から仙石原のゴルフコースへ向かい、ご学友とコースデビューを果たして「御機嫌麗しく御帰邸」した、とある。  昭和天皇の弟の秩父宮、高松宮もゴルフを始め、静岡県の沼津御用邸や都内の新宿御苑、赤坂御所にコースをつくって練習するようになった。  同じ記事では、ゴルフの指南役だった西園寺八郎・宮内庁式部官は、3人の殿下が将来、欧米を訪問して各国の王族と交際するにあたって適した遊戯だとして、「心胆を落ち着け物に動じない精神を涵養(かんよう)する点においてもふさわしい」と述べている。 来日したエドワード英皇太子と「ゴルフ対決」を楽しんだ皇太子時代の昭和天皇=1922年、東京・駒沢    1921年に訪欧した際には、往復の軍艦の甲板で熱心に「デッキゴルフ」に興じている様子が報じられた。  朝日新聞によると、翌年には来日した英国のエドワード皇太子と東京・駒沢のコースでゴルフ対決。この日に向けて特訓に励んだ昭和天皇だったが、「たった1点差で摂政宮の負け」となったようだ。  昭和天皇とともに、妃の香淳皇后(良子東宮妃)もゴルフがお好きだったようだ。  当時の報道によれば、新婚旅行で訪れた福島県ではおふたりでゴルフを楽しみ、香淳皇后が懐妊した際は毎週の習慣になっていたテニスとゴルフをお休みしたという。     【こちらも話題】 祝・愛子さま学習院大学ご卒業 小1で二重跳び、中2で遠泳とスーパーアクティブな学校生活を振り返る https://dot.asahi.com/articles/-/217424   セーラーデザインのテニス服で運動を楽しむ東久邇良子女王(香淳皇后)。この時は、皇太子時代の昭和天皇と婚約中=1922年   セーラーデザインのドレスでテニス  そして皇室のスポーツといえば、やはり「テニス」だろう。  上皇ご夫妻が、長野・軽井沢のテニスコートで「運命の出会い」をしたのは有名だが、天皇家では明治時代からテニスを楽しんでいたようだ。  日本テニス協会のウェブサイトによると、1876年に横浜の外国人居留区から伝わったテニスは、男女の社交の場として日本人の間に急速に広まった。1886(明治19)年には、東京高等師範学校(現・筑波大)に「ローンテニス部」が誕生し、まもなく軟式(ソフトテニス)が全国に広がったという。  1905年の朝日新聞には、皇室でも親王や内親王がテニスで運動する様子が、翌06年には皇太子嘉仁親王(大正天皇)の妃だった節子妃(貞明皇后)の近況として、女官を相手に散歩やテニスで運動する様子が伝えられている。  1922年には、昭和天皇と婚約中だった東久邇良子女王(香淳皇后)も、セーラーデザインのドレスでテニスをする写真が残っている。  上皇さまと美智子さまは、3人のお子さまとともに、よくテニスコートでご一家の時間を過ごされていた。なかでも秋篠宮さまは、学習院中等科でテニス部に所属。12歳以下の男子シングルスの部で3度優勝しているほどだ。 1987年の訪米時にブッシュ米副大統領(左端)、シュルツ国務長官(右端)とのテニスの試合を前に歓談する皇太子時代の上皇さま。変則混合ダブルスのゲームで上皇さまは、女子プロテニスのパム・シュライバー選手(右)と組んだ=1987年、ワシントンD.C.郊外の米副大統領公邸   「まだボールは見えます」と愛子さま  天皇ご一家にとっても、テニスは大切な時間のようだ。皇太子時代から貴重なプライベートの時間に全力で楽しみ、日常の疲れを癒やす場になっている。  長年、ご一家のテニスのお相手を務めていた元プロテニス選手の佐藤直子さんは、かつて記者がインタビューをした際に、こう明かしていた。  陛下と雅子さま、佐藤さんが練習しているコートに、天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが合流。夕方になってボールが見えにくくなっても、「まだボールは見えます」とニコニコしながら元気にプレイしていたという。     【こちらも話題】 【祝ご卒業】意外にもパワフルな愛子さま 体力は「まさに無尽蔵!」と元プロテニス選手 「そろそろ水分補給を」と気遣う天皇陛下 https://dot.asahi.com/articles/-/217360      実は陛下は皇太子時代、テニス界のレジェンドであるロジャー・フェデラー選手と試合をしたことがある。  2006年10月、野村一成・東宮大夫(当時)は定例会見で、テニスの国際大会のために来日していたフェデラー選手を赤坂御用地に招待し、ダブルスを楽しんだと明かした。  陛下は昨年5月の春の園遊会で、国民栄誉賞を授賞した車椅子テニスの国枝慎吾選手と懇談した際に、 「ちょっとテニスをするんですけれど、フェデラーさんに見ていただいたことがあって」  と振り返っている。   愛子さま、佳子さまもスケートを 長野県の奥志賀高原で愛子さまを抱っこしながらスキーを楽しむ皇太子時代の天皇陛下と見守る雅子さま=2005年2月、宮内庁提供    運動が好きな天皇ご一家。ウィンタースポーツも例外ではない。  天皇陛下は、幼い頃から上皇ご夫妻とゲレンデに立ち、英国留学中も休暇を利用して、フランス・アルプスなどへスキー旅行に出かけている。  リヒテンシュタインの皇太子とは何度か一緒に滑り、スキーを通じて交流を深めたようで、「最高の大使だ。有能、知的で、責任感が強く、若くして経験も積んでいる」とベタ誉めされている。  愛子さまも小さな頃から、ご両親とスキーに親しんできた。  東宮時代のご一家は、長野・奥志賀高原で春スキーなどを楽しみ、宮内庁も愛子さまの写真や動画をご成長の記録として公開している。     【こちらも話題】 天皇陛下の英国晩餐会「席札」アップ、愛子さまのタケノコ堀り…宮内庁“攻め”のインスタの評判 https://dot.asahi.com/articles/-/226629   カルガリー・オリンピックの銅メダリスト、黒岩彰さんに誘われ、東京・高輪の品川プリンスホテル・アイスアリーナでスケートを楽しむ浩宮(天皇陛下)さまと礼宮(秋篠宮)さま=1988年、東京・高輪    また、スケートも身近なスポーツだ。  1924年の朝日新聞では、秩父宮さまと高松宮さまが栃木・日光の金谷ホテルのスケート場で仲睦まじく1日スケートをした様子が伝えられている。  天皇陛下と秋篠宮さまも、小さな頃からスピードスケートの元五輪選手である長久保文雄さんと妻の初枝さんの指導のもと、スケートを練習していた。  1988年には、東京・高輪の品川プリンスホテルのスケート場で、元五輪メダリストの黒岩彰さんとスケートを楽しむこともあった。  愛子さまも小さな頃、長久保夫妻の指導を受けている。愛子さまは、雅子さまやお友だちと明治神宮外苑のアイススケート場や江戸川区の公営アイススケート場を訪れている。  秋篠宮家の次女佳子さまも、初等科2年生から習い始めたフィギュアスケートに熱中し、初等科時代は明治神宮外苑のアイススケート場で開催された年齢別の地方大会で2度優勝した。 明治神宮外苑のアイススケート場で開催されたフィギュアスケート競技大会で演技する秋篠宮家の次女、佳子さま=2004年、都内   愛子さまはバスケ、佳子さまはダンス  ほかにも、愛子さまは初等科高学年のときにバスケットボール部に入部。コーチを務めた人物によれば、お住まいだった東宮御所の職員と練習をするほど楽しんでいたという。  パリ五輪からは、ダンススポーツであるブレイキン(ブレイクダンス)が競技種目に採用されたが、ダンスといえば佳子さまだろう。佳子さまは高等科からダンスに熱中し、大学時代はダンススクールにも通っていた。スクール主催の発表会では、ヒップホップからジャズまで幅広いダンスを披露している。  そして、秋篠宮家の長男、悠仁さまが高校の部活動に選んだのがバドミントン。悠仁さまは上級生やコーチのアドバイスを受けながら、熱心に練習しているという。    海外の王室との関係づくりなども見すえて考えられていた、皇室とスポーツ。これからも人と人とをつなぎ、純粋に楽しく心身をリフレッシュさせるものとして、スポーツは大切な存在であり続けることだろう。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 社会人の愛子さまと18歳の成年を迎える悠仁さま 天皇家と秋篠宮家はどんな「夏休み」を過ごしてきた? https://dot.asahi.com/articles/-/228622  
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dot. 2024/07/31 10:00
50周年のTHE ALFEE ファンが選ぶ「一曲」の16~20位は大混戦 「何度も励まされた」とファンを奮い立たせた名曲の数々
50周年のTHE ALFEE ファンが選ぶ「一曲」の16~20位は大混戦 「何度も励まされた」とファンを奮い立たせた名曲の数々
THE ALFEEの高見沢俊彦    8月にデビューから50周年を迎える「THE ALFEE」。その名を全国に知らしめた「メリーアン」「星空のディスタンス」だけでなく、多くの名曲を発表してきたが、ファンがお勧めする「一曲」は何か。3500件を超える回答が集まったアンケート結果から、この記事では16位~20位にランキング入りした曲を発表する。「一曲なんて選べない」――。そんなコメントがいくつも寄せられたとおり、「大接戦」「大混戦」の結果となった(アンケートは7月9~20日、AERA dot.の記事や公式SNSアカウントで実施し、3559人から回答があった)。 【11位~15位はこちら〉〉〉50周年のTHE ALFEE ファンが選ぶ「一曲」の11~15位 古希の3人のカッコよさが世代を超えた「一番熱い曲」】 *   *   *   【THE ALFEEファンが選ぶ「この一曲」ランキング】 #1 1位~5位 1位は「この曲のためにライブに」 https://dot.asahi.com/articles/-/229297 #2 6位~10位 「泣きのギターに艶ボイス」がランクイン https://dot.asahi.com/articles/-/229298 #3 11位~15位 カッコよさが世代を超えた「一番熱い曲」 https://dot.asahi.com/articles/-/229563 #4 16位~20位 「何度も励まされた」とファンを奮い立たせた名曲 https://dot.asahi.com/articles/-/229566     第16位 Promised Love  16位に入ったのは35枚目シングル「Promised Love」(1992年2月5日リリース/作詞・作曲:高見沢俊彦 編曲:THE ALFEE)。  90年代はまだラジオから流れる音楽を聴いていたというファンの声もある。この曲にも、ちょっと“面白い”エピソードも。 「中学生の頃、初めて聴いて、歌っている人を見たら、驚いた。こんなひげの人かと。あの顔から、こんないい声が出るとは想像もつかなかった」(40代・男性)  ひげにサングラスの桜井賢の見た目と声の美しさのギャップに、かえって引き込まれてしまったファンも多いだろう。 「子どものころから、THE ALFEEの存在は知っていたのですが、高校時代にラジオで『Promised  Love』を初めて聴いたときの桜井賢さんの素晴らしい声と素晴らしいコーラスに聞き惚れてしまいました」(40代・男性) 「アルフィーという名前を初めて知った曲です(メリーアンとか曲は知っていたけど、アーティストまでは知らなかった)ラジオで聴いていい曲だな~と思い、歌番組で昔の映像として芸人さんみたいなことをやっているのを見て曲とのギャップに驚き、トークコーナーでずっと喋っていた高見沢さんがボーカルかと思ったら、ずっと無言だった桜井さんが歌い出して衝撃を受けました。実は本格的なファンになるのはもっと後の話だったりします(笑)」(40代・女性)    三人三様のトークもイケてるところもTHE ALFEEの大きな魅力であり、本当に稀有なアーティストだ。   【こちらも話題】 50周年のTHE ALFEE ファンが選ぶ「一曲」の16~20位は大混戦 「何度も励まされた」とファンを奮い立たせた名曲の数々 https://dot.asahi.com/articles/-/229566       第17位 祈り  17位は同票で2曲がランクインした。1曲目は「祈り」(作詞・作曲:高見沢俊彦 編曲::ALFEE)で、「暁のパラダイス・ロード」(1983年3月21日リリース)のカップリング曲。  今回のアンケート全体で多かった声は、「1曲に絞れない」だ。もちろん、この曲にもそんなコメントが。 「どの曲も好きで本当に選べなかったのですが、あえて挙げた理由は3声コーラスの美しさでしょう。3人がボーカルをとれて、ハモれる。これにつきます!」(50代・女性) 「散々迷った末『祈り』を選びました。全曲を対象にすると迷い過ぎて決められないので、一覧の中から選ぶという縛りを自分で掲げました。『祈り』はTHE ALFEEの古い楽曲ですが、生きづらいこの世界で自分の力で生きていくことを心にずしっと問いかけてきます。  あるいは戦争や平和をイメージさせる短くも重い歌詞です。若き日の高見沢さんの歌詞には独特で魅力的な世界観の楽曲がたくさんあります。“夢を繋げられる力はあるか”挫けそうになると思い出すフレーズです。もちろん70歳になった高見沢さんの楽曲も大好きです」(50代・女性)  美しい3声コーラスで歌われる不変のメッセージは「神聖な気持ちになる」(50代・女性)という声もあったほどだ。   バンド・アルフィーが中田宏・横浜市長(当時)にトライアスロン世界選手権の応援ソングを贈呈。中田宏市長(左から2人目)に曲を贈呈したジ・アルフィーの桜井賢さん(左端)、坂崎幸之助さん(右から2人目)、高見沢俊彦さん(右端)=横浜市役所 2009年4月17日   第17位 Victory  同票だった第16位のもう1曲は、雰囲気ががらりと異なる37枚目シングル「Victory」(1993年4月28日リリース/作詞・作曲:高見沢俊彦、編曲:THE ALFEE)。  選んだ理由にひとこと「元気になる」(50代・女性)というように、サッカー・Jリーグの横浜フリューゲルスのオフィシャルソングらしいコメントが並んだ。 「文字通り勝利の歌! 検定試験前にこれを聞いて臨み、パーフェクトで合格した思い出があります!」(50代・女性)「最高の応援歌です!」(20代・男性)  当時のフリューゲルスのサポーターのみならず、THE ALFEEが届けるみんなへの応援歌だ。 「今はなき横浜フリューゲルスの応援歌。フリューゲルス大好きでした。Jリーグ初年度に天皇杯に優勝し、ファン感謝デー(的な催し)でお三方がこの曲を披露されていたのは今でも忘れられません。この曲はフリューゲルスのサポーターだけでなく、どの世代の方も共感できる応援歌だと思います。サビのお三方のハモリやラストの転調はTHE ALFEEのみなさんの真骨頂とも言うべきパフォーマンスかと」(男性・40代)    THE ALFEEの曲は、大阪国際女子マラソンのイメージソングになったものもあり、スポーツとの結びつきも強い。   【こちらも話題】 デビューから50周年のTHE ALFEEファンが選ぶ「この一曲」 「タカミーの泣きのギターに桜井の艶ボイス」もランクインした6位~10位 https://dot.asahi.com/articles/-/229298     一夜限りのバンド「MACHIKO BAND with THE ALFEE」のステージでのTHE ALFEE=2013年2月11日   第19位 Pride  19位に「Pride」(作詞・作曲:高見沢俊彦 編曲:THE ALFEE)がランクイン。アルバム「Nouvelle Vague」(1998年3月25日リリース)収録曲だ。  母娘、2世代に渡るファンから、「ぜひ聴いて」と激推しの声が。 「桜井さんの艶のある声、沁みる歌No.1です。今年で30歳になります。母がファンで幼い頃の子守唄はTHE ALFEEでした。LIVEも小学生の頃から行っていて20年以上母と一緒に参加しています。LIVEで『Pride』を3人がアカペラで歌ったとき、3人の歌声が三位一体となりでとても感動しました。是非聴いてほしい一曲です!」(30代・女性)  この曲には、コンサートで生歌を聴いてほしいというファンの声がとても多かった。 「バラード曲で、心に沁みる1曲です。2019年の代々木第一体育館でのライブで生で聴きましたが、終盤でメンバーのマイク無しのアカペラでの力強いコーラスが胸に詰まった思いが弾け、涙が止まりませんでした。歌詞がとても背中を押してくれ、前に進ませてくれる曲です」(40代・女性)「この1曲にアルフィーのバックボーンのすべてが表現されています。ライブでの最後のアカペラは涙なしには聴けません」(50代・男性)  中には「イントロを聴いただけで涙が流れる」(50代・女性)の声もあった。  8月17日と18日に行われる夏のイベント「THE ALFEE 2024 Wind of Time 50年目の夏祭り」では、どんなセットリストなのか? 楽しみでならない!   第20位 風曜日、君を連れて     名曲の豊富さを示すかのように、多くの曲に票が集まった今回のアンケート。それを象徴するかのような結果となったのが20位。3曲が同じ票数で並んだのだ。 1曲目は、22枚目シングル「風曜日、君を連れて」(1986年3月5日リリース/作詞・作曲:高見沢俊彦、編曲:ALFEE)。  今年50周年のTHE ALFEEのコンサートに何百回も足を運んだというファンからはこんなコメントが。 「当時、高見沢さんがインタビューで“1週間で風がないなぁと思って風曜日と決めた”的なニュアンスの事を話しておられました。何て素敵な発想なんだろうと高校生だった私は感動したことを覚えています。それから、何百回とコンサートに足を運んでいますが時々この曲が演奏されるとやはり当時感動した気持ちは変わらず蘇ります。またいつかこの曲が聴けるようコンサートに参加し続けます」(50代・女性)   【こちらも話題】 THE ALFEE 桜井賢「人生のほとんどがアルフィー」 2900本のライブ経た3人の50年間 https://dot.asahi.com/articles/-/227168      全日空の夏の沖縄キャンペーンソングだったこの曲がきっかけで、なんと上京したファンも! 「それまでもお気に入りなグループのひとつでしたが、この曲で唯一無二の存在になりました。全日空のCMソングですが、軽快なメロディ&リズム、転調、爽やかなコーラスにどっぷり浸かり、今に至ります。ちなみに大学進学ではアルフィーの後輩となる明治学院を選びました。アルフィーを知らなかったら、地方出身者では明学も知らなかっただろうなぁ」(50代・男性)    夏らしい疾走感があるメロディーながら、“風曜日”の歌詞はとても奥深い名曲だ。   第20位 無言劇  同票の2曲目は、7作目シングル「無言劇」(1980年3月21日リリース/作詞・作曲: 高見沢俊彦 編曲:ALFEE、矢野立美)。  あまたあるTHE ALFEEの曲だが、初期の曲もおすすめしておきたいという声も。 「50周年を迎えアルフィーを知ってもらうなら最近の楽曲も勿論いいけど初期の楽曲も聞いて欲しい。選んだ楽曲はアルフィーの歴史が詰まっているから」(50代・女性)「所謂、フォークの流れにある曲も聴いて欲しいです。メロディー・ハーモニーの素晴らしさが体験できます。その中で自分が一番好きな『無言劇』を推薦」(50代・男性)    高見沢俊彦と坂崎幸之助のアコースティックギターの掛け合いのようなメロディーは耳心地がよく素晴らしい。そして、歌詞にストーリー性があり一度聴いたらクセになるような名曲だ。   THE ALFEEの坂崎幸之助 「“シュプレヒコールに耳を塞いで”、学生運動が盛んだった頃の空気感が伝わってくる歌詞が特徴の曲です。“君のアジテーションを聞いていた”“白いヘルメット”など細かく登場人物の設定がされていて、まるで小説を読んでいるかのような世界観に引きこまれます。七色の声を持つ坂崎さんの渋いヴォーガルとサビの桜井さんの力強い歌唱、ふわっとかぶさる高見沢さんのコーラスはこれぞTHE ALFEEという美しさ。ライブでは、坂崎さんと高見沢さんのアコースティックギターの掛け合いを聞くことができます。ギターの神様の戯れといっても良いような高度な技巧を駆使した演奏を聴いたときには、鳥肌が立ちました」(40代・女性)     【こちらも話題】 デビューから50周年のTHE ALFEEファンが選ぶ「この一曲」 「タカミーの泣きのギターに桜井の艶ボイス」もランクインした6位~10位 https://dot.asahi.com/articles/-/229298     第20位 太陽は沈まない            20位に入った3曲の最後は「太陽は沈まない」(2002年8月14日リリース/作詞作曲:高見沢俊彦 編曲:THE ALFEE)。オリコン週間シングルチャートでは4位を獲得している。 “新米”アルフィーファンから熱烈なコメントが。 「長い人生の中でも立ち上がれないくらい落ち込んでいた時のことです。たまたま目にしたツィッターでALFEEファンの方のおすすめ曲が『太陽は沈まない』でした。その時の私は精神的に相当参っていたようで聴きながら声を出して号泣してしまいました。嗚咽が止まなかったのを今でも覚えています。それから他の曲を検索し片っ端から聴きまくりました。立ち上がれないほどだった私が今ではせっせとLIVEに足を運び、右腕を振り上げ推し活に精を出しております。ファン歴3年目の新米です」(60代・女性) 「太陽は沈まない」は、江角マキコ主演ドラマ「ショムニ FINAL」(フジテレビ)の主題歌で、痛快なお仕事ドラマとして人気な同作に提供された曲なだけに“応援ソング”だ。それだけに、この曲に励まされたという声は多かった。 「私が初めてリアルタイムで聞いたTHE ALFEEの曲です。当時中学生だったのですが、学校でも家庭でもつらいことがあり、この曲に何度も励まされました。つらいとか苦しいとか、そんな気持ちに押しつぶされそうになった時、『太陽は沈まない』をぜひ聴いてほしいなと思います」(30代・女性)「仕事でもう辞めたいなと思うとき、奮い立たせてくれました」(30代・男性)    8月25日、THE ALFEEが50周年を迎える日まで、まもなくだ。三人がさらにこれから、どんなカッコいい姿を見せてくれるか、楽しみでならない。 (AERA dot.編集部)   【THE ALFEEファンが選ぶ「この一曲」ランキング】 #1 1位~5位 1位は「この曲のためにライブに」 https://dot.asahi.com/articles/-/229297 #2 6位~10位 「泣きのギターに艶ボイス」がランクイン https://dot.asahi.com/articles/-/229298 #3 11位~15位 カッコよさが世代を超えた「一番熱い曲」 https://dot.asahi.com/articles/-/229563 #4 16位~20位 「何度も励まされた」とファンを奮い立たせた名曲 https://dot.asahi.com/articles/-/229566  
THE ALFEEランキング50周年
dot. 2024/07/31 06:00
「娘は先生にほめられたくて頑張りすぎているのでは」と心配な小2女子の母に、教育家はどうアドバイス?
「娘は先生にほめられたくて頑張りすぎているのでは」と心配な小2女子の母に、教育家はどうアドバイス?
(写真はイメージ/GettyImages)  小学校の支度も宿題も自分で完璧にできるという小2の女の子。周りから見ればうらやましくも思えますが、親御さんは「頑張りすぎているのではないか、先生からの評価を気にしているようで逆に心配だ」と悩んでいる様子。教育家で、見守る子育て研究所所長の小川大介さんは「シンプルにできていることをほめてあげればいいのでは」と言います。AERA with Kids+の連載「小川大介の『才能が見つかる!』子育て相談」。今回は、頑張りすぎている子への対応についてアドバイスをいただきました。 【相談内容】  2年生(7歳)の娘は、学校ではいわゆる「しっかり者」。学校の支度や宿題を自ら進んでするなど感心する半面、その目的が「先生にほめられたい」「失敗したくない」になっている気がして、いつか頑張りきれなくなるのではと心配しています。「先生の言うことがすべてではないよ、失敗してもいいんだよ」と伝えていますが、その声かけ自体も彼女の頑張りや価値観を否定してしまうのかなと思ったりもします。 【お子さんについての情報】  好きな遊びは、以前は編み物、本みたいなものを書くこと。最近は読書、マンガ、ぷにるんず。ほめられたときは、じっくり味わうタイプ。表面上は強がったり、ハグを拒否したり、あまり喜ばないけれど、じんわり噛み締めている様子。好きなことは、何かを作ること。最近は動画や本を見て、マジックを習得したり、ダーツを作ったりする。公園では友達がいたら鬼ごっこなどをして遊ぶ。少し前まではママと「一緒に」が強かった。初めての場所に行くときは、反射的に「行きたくない」と言うことが多い。いろいろみて、安心してから動き出すことが多い気がする(場見知り、人見知りが強いと感じるが、習い事の先生にはそんな様子はまったくないと言われる)。 「私はできてるよ」と伝えたいだけ 小川さん 「先生にほめられたいからかな」と感じるのは、どういうときですか? 相談者 例えば、自分で考えて書いたものに先生が二重マルをくれたとき、私は内容そのものが面白いなと思って声をかけたりするんですが、先生のマルによって彼女自身の評価が左右されてしまったりすることがあります。あとは「今日は先生にほめられた」とか「100点じゃなかった」とか、外発的なものに対するコメントが多いなと感じています。 小川さん お母さん自身と娘さん、どのくらい似ていると思いますか? 相談者 私も娘も完璧主義の傾向はあります。ただ、私は片付けの仕事をしていますが忘れっぽいところもあり完璧ではない。娘は、スケジュールや物の管理ができて忘れ物もほぼしません。 小川さん 今のお話やいただいたお子さんの情報から、「学びの傾向」と「行動の傾向」に分けて分析すると、娘さんの学びの傾向は「聴覚」と「身体感覚」をよく使うタイプ(※下記チェックリストも参照)。お母さんはおそらく「視覚」優位で「聴覚」や「身体感覚」も使うタイプと思われます。視覚をよく使うので片付けが得意な半面、買い物に行くと何を買うか忘れたりする。 「学びの傾向」を探るチェックリスト(小川式才能タイプ診断「コドモトメガネ」から抜粋)  娘さんは「聴覚(言葉)」タイプで、論理的で手順を追って物事を進めるのが得意なので、本の内容をしっかり覚えているし決まりも守れる。「行動の傾向」は社交性の高さを感じます。おそらく、自信はあるが周りがよく見えていて評価も気になるタイプ。気付く力やコミュニケーション力に優れている半面、自信がないときは周りからどう見られるかが気になります。周りと関わろうと頑張ってつらくなってしまうこともありそうです。  推測するに、娘さんは自分がほめられたいというよりも、親御さんや先生に自分ができていることを報告して安心してほしいと思っているのではないでしょうか? 周囲の大人のために一つひとつ確認してくれているような気がします。娘さんは「言葉」で確認して、コメントがほしい。でも親御さんからすると、一つひとつの確認が周りの評価を気にしているように見える。 子どものタイプによって安心させる方法は違う 相談者 なるほど……! もっと引き算でよかったんですね。では「頑張ってるね」と声をかけてあげるのがいいのでしょうか? 小川さん 声かけは、「教えてくれてありがとう」「安心した」「さすがだね」、たまに「できるの知ってたよ」とか。頑張りが伝わっていることを示してあげると、娘さんは安心できると思います。  それから、親御さんが大事なことを忘れないように、娘さんに最終チェックをお願いしてはいかがでしょう? 親御さんと同じ土俵に立たせてもらえていると安心でき、うれしさも感じられると思います。  ひょっとして、お母さん自身もそういう「安心感」をもらい損ねた経験がありませんか?ご自身が頑張ってきた分、娘さんを心配しすぎているような気がします。 相談者 「頑張りすぎないで」とは言われていたかもしれません。 小川さん それって本当は素直に「頑張ってるね」と言ってほしかったのではありませんか。完璧主義度がそれなりに高く、身体感覚を使うので「言葉になってないもの」を感じとってしまうんですよね。それは娘さんも同じです。  どういう伝えられ方だと「安心感」が得られるかもタイプによって違います。お母さんの場合は、たとえば満面の「笑顔」(=視覚)をもらえると安心できると思います。娘さんは「聴覚」タイプなので、言葉でほめると安心できると思います。ただ、娘さんはいろいろなことができているので、大人側はそれに慣れて当たり前になってしまって、「そんなに頑張らなくてもいいよ」が先に立ち、「できてるね」の声かけを忘れている可能性があります。娘さんにしたら「できてるね」の確認がないから、「大丈夫だよ」って言われると「大丈夫じゃなかったんじゃないか?」と思ってしまう。頭がいいから。もっとシンプルに、できていることをほめる!でいいと思います。 相談者 娘が疲れているとき、外で頑張る分、家でずっとベタベタくっついてきたりしていたんですが、今のお話で「安心感」のチャージが足りなくなっている時なんだなと気付きました。 もっと「親バカ」全開でいい 小川さん 大人は子どもの頑張りに慣れてしまうところがあります。子ども側からすれば、前はほめられたのに6、7歳になったら「できて当然」という対応になって、急に不安になる。もっと頑張らなくてはいけないのかなと思うこともあるわけです。  子どもは、親が自分のことをどれだけ好きで、どれだけ見てくれていて、どれだけ安心しているかを日々欲しています。親御さんは子どもの年齢に関係なく、もっと素直に、お子さんの報告に喜んだりウキウキしたりしていい。「親バカ全開」でいいんです。  娘さんは、1、2年経ったら今度は「そんな簡単なことでほめないで」と怒ってくるかもしれません。そのときは反抗期や思春期ととらえずに、本人の中で自信が高まって基準値が上がっているのだと理解すれば、お子さんの成長に合わせて対応していきやすくなると思います。 (構成/布施奈央子) 小川大介さん ○小川大介(おがわ・だいすけ)/教育家。見守る子育て研究所®所長。大手予備校などで看板講師として活躍後、中学受験専門個別指導塾を創設。6000組を超える親子との面談で培われた経験に裏付けられたアドバイスに定評があり、各メディアで活躍中。才能診断システム「コドモトメガネ」を用いた各種サービスを提供。著書に『自分で学べる子の親がやっている「見守る」子育て』(KADOKAWA)ほか多数。 ※小川さんのYouTubeチャンネル「小川大介の『見守る子育て研究所®』」や、AERA with KidsのYouTubeチャンネルで、小川さんの話を動画で配信しています。
小川大介子育て声かけ
AERA with Kids+ 2024/07/27 11:00
競泳界の新星・平井瑞希の三つのこころの安定剤 「だから本番も絶好調で臨める」
島沢優子 島沢優子
競泳界の新星・平井瑞希の三つのこころの安定剤 「だから本番も絶好調で臨める」
ひらい・みずき/2007年3月7日生まれ、愛知県刈谷市出身。4歳で水泳を始める。24年、パリ五輪代表選考会の女子100mバタフライで派遣標準記録を突破して優勝し、五輪代表に内定(撮影/写真映像部・上田泰世)    パリ五輪で女子100mバタフライとメドレーリレーに出場する平井瑞希は、こころの安定剤を三つ持っている。  コンマ何秒が勝負を左右する競泳は、最高のコンディションに近づける「ピーキング」が重要になる。 「毎日、常に良い状態でいられるように心がけているので、たぶん本番も絶好調で臨めると思います」  時折首をかしげつつ、穏やかな表情でゆっくり話す17歳からは、五輪代表選考会で池江璃花子を破った豪快な泳ぎっぷりは想像できない。  自信の根源は、12歳から始めた「五感への刺激」だ。指を引っ張ったり、膝をふるふると震わせたり、身体に変化を与えることで自分の身体により向き合っている。よくある調整法は筋肉を縦に伸ばすストレッチなどが一般的だが、筋肉を横に揺らすことで体の疲労を軽減できるという。今は応用し身体のよい変化から心を整えられるようになった。 「ケアした後にチェックすると、肩回りや股関節の可動域や呼吸の入り方が良くなっていることに気づきます。(この方法の)おかげで自分の体と向き合えるようになった」  始めて5年経ち、コツがつかめてきたからか、昨年あたりから好不調の波がなくなった。  二つめは徳を積む「トイレのスリッパそろえ」。試合会場に行った際はそろえているそうだ。始めた理由を尋ねると、「自分(の運)が良くなるっていうより、きれいなほうがみんなが使いやすいから」と答えた。レースにも気持ち良く臨める。些細【ルビ:さ・さい】なことの積み重ねが「自分は大丈夫」という自尊感情につながり、不安を払拭【ルビ:ふっ・しょく】できるのかもしれない。  三つめの安定剤は、高校水泳部のマネージャーたちがつくってくれたお守りだ。  高校入学から1年弱ほど、タイムが一向に伸びなかった。 「苦しかったです。なんでかな? どうして(タイムが)出ないのかな?って、ずっと考えてました」  理由として頭に浮かんだのは「自分のレース課題に向き合えていないこと」だった。練習でうまくいったのに、本番でできない。つまり、力を出し切れていなかった。良い練習を積むだけではダメだと気づいた。それまでは、練習が足りないのではと考えすぎたり、練習でやっていないことをいきなりレースでやろうとしたり。どれも不安に駆られたゆえの失敗だった。 「レースで結果を出すために何をするべきか、にこだわるよう、考え方を転換した」  泳ぎ込みや技術練習だけでなく、コンディショニングに気を配るように。その過程で、自分の体と向き合い、状態をうまく言語化できるようになった。言語化することは、コーチやトレーナーとの円滑なコミュニケーションにつながる。苦境を無駄にしなかった。 平井瑞希は3月のパリ五輪代表選考会女子100mバタフライ決勝で、56秒91で優勝。その後も、6月の神奈川県高校総体で56秒33と0秒58も自己ベストを短縮した(写真/朝日新聞社)    レース前夜は、自分の泳ぎたいレースのイメージをつくってから就寝することを続けている。池江に勝った五輪予選は緊張したものの「自分の力を出し切ることが大事なんだ」と思い直したら、こころの震えが止まった。  とはいえ、初めて上がるオリンピックという大舞台である。一時はナーバスになった。が、世界水泳に出場した経験を持つ同じクラブの先輩から「世界のトップ選手と戦えることにワクワクした」と聞かされ不安が消えた。 「自分もワクワクした気持ちで本番に挑めるといいなと思う。挑戦するイメージをしっかりつくっていきたい」  輝く目に自信があふれていた。 (ジャーナリスト・島沢優子) ※AERA 2024年8月5日号    
AERA 2024/07/27 08:00
早田ひな、張本智和らに期待「金」を狙える種目も 日本卓球勢はパリ五輪でもメダル獲得なるか
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早田ひな、張本智和らに期待「金」を狙える種目も 日本卓球勢はパリ五輪でもメダル獲得なるか
パリ五輪でメダルが期待される卓球の早田ひな  いよいよパリ五輪がスタートする。夏の五輪における日本のメダル獲得総数が直近4大会で右肩上がりとなっている中、パリの舞台で4大会連続のメダル獲得を期待されている競技が「卓球」である。  五輪卓球の歴史は思ったよりも浅く、1988年ソウル大会で正式種目となったばかり。長く“中国一強”の時代が続き、日本勢もメダルには手が届かなかった。その流れが福原愛の登場からの日本の卓球人気上昇とともに変化し、2008年北京大会では団体で女子が4位、男子が5位と“あと一歩”に近づくと、2012年ロンドン大会の女子団体(平野早矢香、福原愛、石川佳純)で悲願のメダル(銀メダル)を獲得した。  さらに続く2016年リオ大会では、男子団体(水谷隼、丹羽孝希、吉村真晴)が銀メダル、女子団体(福原愛、石川佳純、伊藤美誠)が銅メダルを獲得し、男子シングルスで水谷隼が個人初の銅メダルを手にした。そして前回の2021年東京大会では、男子団体(水谷隼、張本智和、丹羽孝希)が銅メダル、女子団体(石川佳純、伊藤美誠、平野美宇)が銀メダル、女子シングルスで伊藤美誠が銅メダルを獲得すると、混合ダブルス(水谷隼、伊藤美誠)で日本卓球史上初の金メダルを獲得して“ハグ拒否られ事件”がありながらも大きな歓喜に包まれた。  迎える2024年パリ大会、日本男子は張本智和、戸上隼輔、篠塚大登の3人が出場する。エースは張本で、現役引退した水谷の分の期待も背負っている。一時は世界ランキング2位となった実力を持つ張本だが、7月23日に発表された最新の世界ランキングは9位(戸上は15位、篠塚は39位)となっている。張本の魅力は大舞台での爆発力にあり、シングルスでもメダルを狙える存在であることに間違いはないが、最近は安定感を欠いており、現在の世界ランキングはライバルが多いことも意味する。  最大の敵は、世界ランキング1位から4位までを占めている中国勢(王楚欽、梁靖崑、馬龍、樊振東)で、当然、個人戦だけでなく、5大会連続の金メダルを狙う団体戦も死角がない。さらに他にも強力なライバルたちがおり、2022年の欧州王者で27歳と脂が乗っている世界ランキング11位のダン・チウに、オフチャロフ(同14位)、ボル(同24位)のドイツ勢、そして20歳の兄アレクシスと17歳の弟フェリックスのルブラン兄弟を擁する地元フランス勢は、かなりの強敵だ。特に2023年の欧州王者で、最新の世界ランキング5位のフェリックスは中国勢を倒せる実力と勢いを持っており、地元開催であることもプラス。団体では、スウェーデン、チャイニーズタイペイ、韓国も簡単に勝てる相手ではない。張本が“エース力”を発揮できるかどうか。戸上の攻撃的なスタイルがハマるかどうか。客観的に見ても、メダル争いは面白い展開になりそうだ。  一方の日本女子は、早田ひな、平野美宇、張本美和が出場し、最新の世界ランキングは、早田が5位、張本が7位、平野が13位となっている。こちらも1位から4位までを中国勢が占めており、今回のパリ五輪には東京大会と同じメンバー、23歳の孫穎莎(1位)、25歳の王曼昱(2位)の2人に、大舞台に強いベテラン・30歳の陳夢(4位)が選ばれた。それに続くのが日本勢となる。韓国代表の申裕斌も注目の選手ではあるが、男子と違って女子は「中国vs日本」の一騎打ちの様相を呈している。  エースとして最も期待される早田は現在24歳。安定感、爆発力を持ち合わせ、3人とも右利きの中国勢に対しての左打ちも有効だ。前回の東京大会ではリザーブに回ってチームをサポートする役割に徹したが、今度は自らの力でメダルをもぎ取るため、闘志満々にパリに乗り込んだ。同じ24歳の平野の爆発力、16歳の張本の成長力に期待しながら、大会の中で3人がどこまで相乗効果を発揮できるかどうか。準決勝が大きな山となり、中国の壁は高いが、団体でのメダル獲得は確実で、シングルスでも早田は中国勢に勝てる力がある。  卓球競技は、男子シングル、女子シングル、混合ダブルス、そして男子団体、女子団体の5種目で争われる。その中で最も「金」の可能性があると言えるのが、世界ランキング2位の「張本智和&早田ひな」ペアが出場する混合ダブルスだ。第1シードの中国ペアに対して、第2シードを獲得して決勝まで当たらないことも大きく、勢いを強めながら辿り着いた決勝で“流れ”を掴めば、東京大会に続く2大会連続の金メダルも夢ではない。この混合ダブルスと女子団体はメダル獲得が大いに期待され、男子団体が奮起し、シングルスでも歓喜の瞬間があるとすれば、メダルの数は計4つ。あとは、その“色”だけだ。
卓球パリ五輪
dot. 2024/07/26 17:30
川崎鷹也、自身最大規模の全国ツアー東京公演オフィシャルレポート
川崎鷹也、自身最大規模の全国ツアー東京公演オフィシャルレポート
川崎鷹也、自身最大規模の全国ツアー東京公演オフィシャルレポート  今年7月よりスタートした【川崎鷹也2024-2025 Hall Tour “愛心 -MANAGOKORO-”】の東京公演が、7月23日に昭和女子大学・人見記念講堂にて開催されオフィシャルレポートが到着した。 本ツアーは15都市を巡る、自身最大規模となる全国ツアーで、東京公演は3か所目となる。今年に入ってからすでに4曲の新曲をリリースしている川崎。今回のツアーではライブの定番曲に加えてそんな新曲たちも多数組み込まれた、今までのツアーとはまた一味違った新鮮なセットリストとなっている。バンド編成で行われている今回のツアーだが、川崎の真骨頂ともいえる弾き語りの魅力を存分に味わうことができるシーンも。川崎のライブのもう一つの大きな魅力である軽快なトークも健在だ。 さらに今回のツアーのために書き下ろした、”たくさんの場所で出会えたお客さんたちとまた色んな場所で再会できるように”という想いを込めた未発表の新曲「再会歌」を披露し、観客の「Hey!!」の掛け声で会場の盛り上がりは最高潮に。これからツアーに参加される方は、川崎のレギュラーラジオTOKYO FM『MAGIC NOTE』のオフィシャルTikTokにて公開中の「再会歌」の生演奏動画で「Hey!!」の予習をしていただければ、より一層ライブをお楽しみいただけること間違いなし。 自身の音楽活動の中で、お客さんに直接歌を届けることのできるライブを一番大切にしており、その実力が非常に高く評価されている川崎鷹也。今まで川崎のライブを見たことがない方にも、ぜひその生の歌声の魅力をライブ会場で体感していただきたい。PHOTO:スエヨシリョウタ◎映像情報tiktok『「再会歌」生演奏動画』https://vt.tiktok.com/ZSYWEv9q2/◎リリース情報【川崎鷹也2024-2025 Hall Tour “愛心 -MANAGOKORO-”】08月04日(日)北海道・千歳市民文化センター 北ガス文化ホール08月18日(日)新潟・長岡市立劇場 大ホール09月14日(土)広島・広島文化学園HBGホール (広島市文化交流会館)09月27日(金)埼玉・さいたま市文化センター 大ホール10月06日(日)香川・サンポートホール高松 大ホール10月14日(月・祝)宮城・東京エレクトロンホール宮城11月03日(日)熊本・市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)12月01日(日)大阪・グランキューブ大阪 メインホール12月07日(土)愛知・Niterra日本特殊陶業市民会館 フォレストホール12月15日(日)福岡・福岡市民会館12月20日(金)岩手・盛岡市民文化ホール 大ホール01月12日(日)神奈川・パシフィコ横浜 国立大ホール
billboardnews 2024/07/24 19:16
2度の結婚・離婚を経験した「南果歩」が語る“新しい恋” 「出会った人と感情が動いたらお付き合いします」
上田耕司 上田耕司
2度の結婚・離婚を経験した「南果歩」が語る“新しい恋” 「出会った人と感情が動いたらお付き合いします」
南果歩さん(撮影/植田真紗美)    これまで200本を超える作品に出演してきた俳優の南果歩さん(60)は、私生活でも波瀾万丈な人生を歩んできた。【前編】では、5人姉妹の末っ子として生まれ育った環境や在日3世というパーソナリティーへの思いを語ってもらったが、【後編】では2度の結婚と離婚への思い、シングルマザーとして育てた息子が結婚して“初孫”ができた喜びなどを聞いた。 ※【前編】<「南果歩」60歳だから語れる“波瀾万丈”の人生 「在日3世として生まれたことは私の“核”になっています」>より続く *  *  *  南さんは、最初の夫で作家・アーティストの辻仁成氏との間にひとり息子がいる。辻氏と離婚した際、長男はまだ5歳だったが、南さんは幼子を抱えながら仕事をして、シングルマザーとして息子を育てあげた。そこには南さんなりの“子育て観”があったという。 「もちろん、かわいいし、愛情を持って育てましたが、子どもが全てとか、子どもが自分の人生の真ん中にいるっていう考え方は危険だなと思っていました。私の役目は、息子をいつかきちんと社会に送り出すこと。それを第一に考えて子育てをしてきました。もちろん、仕事をしながらの子育ては大変でしたし、周りの力を借りながらでないと成立しなかったと思います。今は、息子は大学を卒業して独立したので、私の子育ても終わりました。やっと1日の24時間が自分の時間になったような感じで、20代に戻ったような感覚ですね。かなり経験を積んだ20代ですけどね(笑)」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)   再婚して「良かったこと」  シングルマザーとして子育てをしていた南さんは、ドラマ「異端の夏」で共演した渡辺謙氏と、2005年12月に再婚した。南さん41歳、息子は10歳だった。 「再婚して新しい家族を築く中、母として子どもと向き合う時間をより多く持てたことは良かったですね。シングルマザーだった頃はとにかく時間がなかったので。私にとってもそれまでの子育てを取り戻す貴重な時間でした」  再婚後は家族3人でロサンゼルスに移住し、3年ほど暮らした。南さんが運転する車に息子を乗せ、毎朝小学校まで送り、その後、南さんは語学学校へ通うような生活だった。 「ロスにいても、家庭内では子どものために日本語を話していたので、私の英語力は日常会話ができるくらいですよ(笑)」  だが、幸せな生活に暗雲が立ち込めたのは、17年3月のこと。週刊誌で渡辺氏と年下女性との不倫が報じられ大騒動となった。当時の心境を聞くと、南さんは、 「もうそれは過ぎたことなので……」  と言葉少なだった。  この騒動により、南さんは体調を崩してしまう。医師からは「重度うつ病」と診断されたという。22年に出版された南さんのエッセー『乙女オバさん』(小学館)では、主治医から「山のように出された薬」と記されていた。そのときは大量の薬を飲んで耐えたのだろうか。 「薬は飲んでいないんです。私がどうしてメンタルのことをエッセーに書こうと思ったのかというと、コロナ禍でメンタルを患っている方がたくさんいらっしゃると感じたからです。薬を使わなかった私のケースを一例として見ていただきたい。決して参考にしてほしいと思っているわけではなく、あくまでも一例として見て頂きたいんです。同じ病気でも千差万別、それぞれの症状があるわけですから。まずは自分にあった処方を主治医と相談しながら探すことが必要です」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)   新しい恋のきざしは?  このとき、南さんは大量の薬を全て捨て、息子が大学に通っていたサンフランシスコへ向かったという。 「サンフランシスコへ行ったのは転地療法のためです。しばらく滞在してまた東京に戻ってくるような生活で、それを何度か繰り返しました。私の場合、それで心身がゆっくりと回復していきました」  大学生だった長男も無事に卒業して独立。今は結婚をして、子どもも生まれた。  6月16日、自身のインスタグラムでは“初孫”を腕に抱いた写真を披露し、スポーツ紙などでもニュースになった。南さんは、そのときの感触をこう振り返る。 「とうとう、グランマになりました(笑)。実際に触れてみると、やっぱりとてもかわいいし、不思議な感覚がありました。私がというより、息子が父親になったんだなという感慨のほうが大きいです」  初孫もできた南さんは、今年1月に還暦を迎えた。現在は独身だが、新しい恋のきざしはあるのだろうか。 「出会った人と、感情が動いたらお付き合いしますけど、特にタイプの人を探したりはしていませんね(笑)」  身の回りの変化は他にもあった。2020年には、所属していた芸能事務所から独立し、個人事務所を設立した。独立後は海外での仕事も増えてきた。 「個人事務所なので、仕事を決める際もスピード感を持って決められるようになりました。現在は日本のマネジャーとアメリカのマネジャーとの体制です。アメリカのマネジャーは、海外のオーディションの話を持ってきてくれます。ネイティブ並みに英語がしゃべれるわけではないですが、私の語学力と演技力が必要であれば、アメリカに限らず、どこの国にでも出かけて行きたいと思っています」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)   海外の配信ドラマにも出演  22年3月から、Apple TV+で配信中のアメリカのテレビドラマシリーズ「Pachinko(パチンコ)」に出演している。これは韓国系アメリカ人作家のミン・ジン・リー氏の同名小説に基づいたドラマだ。 「ご縁があって、いろいろな話をいただくなかで、面白い役、良い作品だと思ったものに出演させていただいています。最近は、それがたまたま海外にベースがある作品だったりしています」  一方、来年公開予定の映画「ら・かんぱねら」は、佐賀県の有明海で、海苔師として生きる徳永義昭さんが、フジコ・ヘミングさんが演奏する「ラ・カンパネラ」を聴いて感動し、ピアノ演奏に挑戦するという物語。南さんは主人公の妻役を演じている。 「この映画は実話をベースにしていて、実際に海苔師さんがピアノを弾くまでのプロセスを追っているんです。実際に佐賀県でロケをして、その土地に滞在して、その土地の空気を吸いながら撮影できました」  還暦を迎え、海外にも活動の幅を広げている南さん。プライベートも含めたこれまでの経験のすべてが、“演じる力”に昇華されているようだ。 (AERA dot.編集部・上田耕司) ●南果歩(みなみ・かほ)/1964年1月20日、兵庫県尼崎市生まれ。地元の高校を卒業後、桐朋学園芸術短期大学演劇科に入学。同大学在学中にオーディションで応募した映画「伽椰子のために」でヒロイン役に抜擢されて女優デビュー。NHK連続テレビドラマ小説「梅ちゃん先生」やNHK大河ドラマ「麒麟がくる」「定年女子」などに出演。朗読も定評があり、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震後などの被災地へボランティアで出むき、子どもたちに絵本の読み聞かせも行っている。
南果歩
dot. 2024/07/24 10:00
松山英樹ら4人全員が“射程圏内” パリ五輪、ゴルフ日本代表は男女ともにメダルの期待高まる
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松山英樹ら4人全員が“射程圏内” パリ五輪、ゴルフ日本代表は男女ともにメダルの期待高まる
メダルも期待される山下美夢有  現地時間26日から8月11日まで開催されるパリ五輪。ゴルフ競技はル・ゴルフ ナショナルを舞台に、男子が8月1日から4日、女子が8月7日から10日まで実施される。  日本オリンピック委員会では今月4日に日本代表を認定・発表し、丸山茂樹監督、服部道子コーチのもと、男子は松山英樹と中島啓太、女子は笹生優花と山下美夢有が金メダルを目指すことになった。  パリ五輪はこれまで同様、男女のオリンピックランキング上位60名に出場資格が与えられている。このランキングは世界ランクがベースになっており、世界ランクで15位以内に入れば同じ国・地域から4名まで出場可能。同16位以下なら同じ国・地域から2名まで参加できる(上位15位に2名以上選手がいる場合は該当しない)。  五輪ランクによると、男子は松山が9位で中島が31位、女子は笹生が10位で山下が17位で出場権を獲得。ゴルフ競技が行われるのは、112年ぶりに復活した2016年のリオ、2021年の東京に続き3大会連続だが、日本勢は霞ヶ関CCが舞台となった東京大会で女子の稲見萌寧が銀メダルを獲得しており、稲見に続くメダル獲得に期待がかかる。特に今回の4名は今年好調なプレーを展開しており、快挙に向けて視界良好と言えそうだ。  では実際、日本勢にどのくらい表彰台の可能性があるのだろうか?  まずは松山と中島が出場する男子。出場選手を見渡すと、強豪ひしめく米国は、マスターズなど今季6勝のスコッティ・シェフラー、東京大会金メダリストで今季メジャー2勝のザンダー・シャウフェレ、ウィンダム・クラーク、コリン・モリカワの世界ランク上位勢が顔を揃えた。  普段LIVゴルフでプレーするブライソン・デシャンボーは今年の全米オープンを制したものの、上記のプロたちがいるため出場資格はなし。昨年の全英オープン覇者であるブライアン・ハーマンも同様で、米国のトップ4が勢揃いするとはいえ、こうしたメンツが参加できないのは五輪ならでは。日本を含め様々な国と地域にメダル獲得のチャンスがあると言える。  他に日本勢のライバルとなるのは五輪ランク2位のロリー・マキロイ(アイルランド)、ルドヴィク・オーバーグ(スウェーデン)、ジョン・ラーム(スペイン)あたりか。トミー・フリートウッドとマシュー・フィッツパトリックの英国コンビも強力だが、普段プレーするPGAツアーやメジャー大会の選手層の厚さに比べると、五輪のフィールドはやや見劣りする。  特に今季の松山は、PGAツアーのザ・ジェネシス招待で2年ぶりのツアー通算9勝目をマーク。6打差をひっくり返し復活を印象付けた。また、全米オープンとザ・プレーヤーズ選手権で6位と上位進出。この他にもトップ10入りが2試合あり、五輪ではメダル候補の一人と見てよいだろう。  そして中島にもメダル獲得のチャンスがある。DPワールドツアーで戦う今季は、ラアス・アル=ハイマ選手権で4位になると、ヒーローインディアンオープンで日本人史上5人目となるツアー制覇を達成。6月頭のヨーロピアンオープンでも6位とトップ10に食い込んでおり、主戦場の欧州が舞台の五輪で躍進が期待される。  また中島は、アマチュア時代にナショナルチームのメンバーとして長年にわたり日の丸をつけてきた。普段とは違う国や地域を代表して挑む舞台でのプレーは、他のプロよりも心得ている。さらに、大会コースのル・ゴルフ ナショナルは、7位となった2022年のアイゼンハワートロフィー 世界アマチュアゴルフチーム選手権の会場。中島には、2年前の雪辱もかかっているだけに、気合のこもったプレーを見せてくれるはずだ。  一方の女子も日本勢にメダル獲得の期待がかかる。金メダルの本命は前回優勝で今季すでに6勝している米国のネリー・コルダだが、笹生と山下にも表彰台のチャンスは十分にあるだろう。  まずは笹生。現在23歳の笹生は、全米女子オープンで3年ぶり2度目の優勝を飾った。その後は、ショップライトLPGAとアムンディ エビアン選手権で予選落ちしており、やや心配な部分もあるが、五輪の舞台はフィリピン代表として臨んだ東京大会に続き自身2度目。国や地域を背負うという普段とは異なる雰囲気は体験済みで、今回は日本代表としてどんなプレーを見せてくれるのか興味深い。  そして現在22歳の山下は今年から積極的に海外にチャレンジしており、メジャーのシェブロン選手権で17位になると、全米女子オープンで12位、そして全米女子プロでは2位となりメジャー制覇まであと一歩に迫った。21日まで開催されていた国内ツアーの大東建託・いい部屋ネットレディスでも2位を記録しており、五輪という大舞台で大輪の花を咲かせる可能性も十分だろう。  特に女子は優勝候補筆頭のコルダが、シーズン6勝目を挙げた5月のみずほアメリカズ・オープン以降、3試合連続で予選落ちと不調に陥っている。特に全米女子オープン初日にパー3を10としプロ転向後の自己ワーストとなる80を記録したほか、全米女子プロでは2日目に81と大叩きし涙を流す場面も。エビアン選手権では26位とやや持ち直したものの、突然の急降下に不安が残る。  笹生と山下は、エビアン選手権でメジャー制覇を達成した古江彩佳、全米女子オープン2位の渋野日向子、米女子ツアー6勝の畑岡奈紗らを抑えて出場権を手にした。混戦を抜け出せたのは、五輪出場権獲得を左右すると言われた今季のメジャーでそれぞれが好成績を挙げたことも要因の一つだ。2人には、この勝負強さを五輪でも発揮してもらいたい。
ゴルフパリ五輪
dot. 2024/07/22 17:30
「いよいよパリ五輪 「すい星のごとく現れるスター」にワクワク」ローソン社長・竹増貞信
竹増貞信 竹増貞信
「いよいよパリ五輪 「すい星のごとく現れるスター」にワクワク」ローソン社長・竹増貞信
竹増貞信/2014年にローソン副社長に就任。16年6月から代表取締役社長   「コンビニ百里の道をゆく」は、54歳のローソン社長、竹増貞信さんの連載です。経営者のあり方やコンビニの今後について模索する日々をつづります。 *  *  * いよいよ7月26日から、パリオリンピック・パラリンピックが始まりますね。  私には今回も楽しみにしていることがあります。オリンピックというといつも、「すい星のごとく現れるスーパースター」がいますよね。  実際には「すい星のごとく」ではなくて、その国ではすでに名声を獲得している選手のはずなのですが、一観客からすれば突然目の前に現れたように感じるスーパースターが、どの大会でも必ず登場します。それが今回はどんな人なのか。  そんな選手のおかげでその競技に一気に注目が集まる。東京パラリンピックにおける「ボッチャ」もそう。その盛り上がりが他の競技にも伝播し、さらに大会が熱を帯び、見ている私たち日本中も沸き立つ。そんなことがパリでも起きるのか。ワクワクします。  日本の選手では、競泳の池江璃花子選手はまだ「次」のロス五輪もあると思いますが、個人種目では出場できなかった東京の分を含めて、悔いなく思い切り、現時点での万全の体調でのぞんでもらいたいですね。  ゴルフでは全米女子オープンを制した笹生優花さんと、最後の最後に大逆転で代表の座を取った山下美夢有さんの活躍に期待したいです。   競泳の池江璃花子選手   国枝慎吾さんが引退された後の車いすテニスでは若い小田凱人さん、東京パラ女子シングルスで銀メダルをとった上地結衣さんにもぜひ金メダルをとってほしいですね。  五輪に向けてひじょうに「良い流れ」で来たなと思うのはバレーボールですね。五輪の前哨戦であるネーションズリーグで男女ともに銀メダルと大盛り上がりでした。  大会のあり方についても、商業的な成功を求める五輪から、時代の流れとともに「持続可能な大会にしていこう」というテーマも突きつけられています。その面でもどんな工夫とともに開催されるのか、楽しみにしたいと思います。 ※AERA 2024年7月29日号
竹増貞信
AERA 2024/07/22 16:00
中学生の夏のスポーツ大会「子どもたちの大きな夢」でも最優先すべきは「命」 暑熱対策の限界とは
米倉昭仁 米倉昭仁
中学生の夏のスポーツ大会「子どもたちの大きな夢」でも最優先すべきは「命」 暑熱対策の限界とは
全国中学校体育大会が2027年以降の9競技の実施中止と11競技の規模縮小を決めた。22年8月、山形県で行われたサッカー競技  来月、全国中学校体育大会(全中大会)が開催される。日本中学校体育連盟(日本中体連)は6月8日、全中大会について、2027年度以降は9競技の実施中止を発表。大会を続行する11競技も規模の縮小を決めた。背景には3つの事情があるという。 *   *   * 炎天下、息子の部活が心配  関東甲信越地方も梅雨が明け、連日、屋外はやけつくような猛暑だ。 「熱中症は心配です。息子は、カンカン照りにもかかわらず、水筒や帽子を忘れて部活動に行ったりするんです」  ソフトテニスの夏の大会を目前にした男子中学生の保護者はこう話す。 「中学生の息子は熱中症がどれほど危険か、きちんと理解していない気がする。顧問の先生が水分や塩分の補給をきちんと考えて指導してくれていればいいのですが……」 27年度以降は規模を大幅に縮小  全中大会とは、中学校の部活動の全国チャンピオンシップだ。  だが、27年度以降は規模を大幅に縮小することが、今年6月、発表された。女性の息子が励むソフトテニスも大会を縮小する競技のひとつだ。  こうした決断に競技団体の一部からは反発意見が出ているが、日本中体連の事務局長、平本浩実さんは「暑熱対策は大会縮減に向けた大きな理由の1つであり、子どもの命を守ることは大会を運営する者として最優先事項になります」と話す。  全中大会の多くは夏に開催される。熱中症のような症状を訴える選手が出るたび、識者らから「屋外競技の大会を夏に実施するのは、見直すべきでは」という声が上がってきた。 熱中症は中学生で増加  名古屋大学大学院教育発達科学研究科の内田良教授は、今回の決定を「大きな前進であり、英断」と評価する。 「熱中症や過度の練習など、部活動に起因する子どもの命にかかわる問題の根本は夏の大会にあります。その大会のあり方がようやく変わり始めた」  3年前に環境省と文部科学省がまとめた「学校における熱中症対策ガイドライン作成の手引き」によると、熱中症で特に注意が必要なのは体が小さな子どもだ。  熱中症の発生件数は、小学校では比較的少ないが、部活動が一般的になる中学生でグッと増える。また、小学6年生では年間200件以下だが、中学1年生では600件以上と3倍以上だ。小中高生の部活動とそれ以外での発生件数を比較すると、部活中の発症は約85%にものぼる。 平本浩実さんは今春まで東京都の公立中学校の校長を務めながら、都中体連会長などを歴任してきた=東京都内、米倉昭仁撮影   「部活をやりたい」という気持ち  内田教授はこう指摘する。 「大会に向けて、どうしても練習をしたい先生や生徒がいる。炎天下での練習がどんなに危険であっても、『部活をやりたい』という気持ちが勝ってしまう。スポーツ庁や競技団体は、熱中症の危険性を訴えるだけでなく、夏の大会の中止も含めて、子どもたちの命と真剣に向き合ってほしい」  今回、日本中体連は、3年前から「全国大会組織の在り方改革プロジェクト委員会」を立ち上げ、持続可能な全国大会について協議を重ね、今回の全国大会の規模縮減にいたった。  水泳やハンドボール、体操、新体操、ソフトボール男子、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9つの競技について実施しないことを決めた一方、陸上競技、バスケットボール、サッカー、軟式野球、バレーボール、ソフトテニス、卓球、バドミントン、ソフトボール女子、柔道、剣道の11競技は継続する。  継続する競技についても会期を3日間以内、大会規模についても30%減とする目標を定めた。3日間は「あくまで目標値」で、最優先するのは「子どもたちの安全」だという。 これ以上の暑熱対策に課題  日本中体連は、これまでも全国大会を運営するにあたってさまざまな熱中症対策をとってきた。  特にサッカー、軟式野球、陸上などの屋外競技は熱中症の危険度も高く、なかでもサッカーは運動負荷がかかる時間が長い。そのため、試合をできるだけ涼しい時間帯に行ったり、休息や水分補給の時間を設けたりして、選手の健康状態を確認してきた。  ただ、これ以上の対策しようにも課題があるという。たとえば、日中ではなく夜間に試合を行うためには、照明装置のある会場が必要だ。会場が限られるうえ、借用費用もかさむ。 「会場までの距離が離れていれば、参加選手や観戦者の送迎、宿泊施設の夕食の時間、健康管理の問題が出てきます。大会運営には大勢の教員や中学生が関わっているので、子どもたちを夜間に手伝わせていいのか、という課題も出てきます」(平本さん)  夏の屋外競技に限って、冷涼地で固定開催する案もある。実際、全国高校総体(インターハイ)サッカー男子は、この夏から福島県のJヴィレッジ(楢葉町・広野町)を拠点に固定開催される。 「開催地の教員に偏ってしまう負担をどう解決するかも課題です」(同) 2023年度、香川県丸亀市で開催された全中の女子ソフトボール競技 教員の負担をどう減らすか  全中大会縮小の背景にあるもう一つの大きな理由は、教員の負担だ。  たとえば、サッカーの場合、6日間の会期中、「会場駐車場」「記録報道」「救護」「観戦者案内」などに200人以上の教員が携わる。  協力する多くは地元の教員で、「先生方のボランティアに頼っている部分も多い」(平本さん)という。 「地方だと人手も限られてしまうため、競技の専門外の先生方にお願いせざるを得ないケースもあるでしょう。今後は教員の負担はできるだけ大会運営の骨子に絞って、受付や駐車場係などの業務は外部に委託していくべきでは、と考えています」  だが、運営の一部を民間業者に委託すれば、そのぶん費用がかかる。費用をまかなうために、「企業の社会貢献の一つとして、全中大会を支えてもらえないか、スポンサー企業を探しているところです」という。 子どもたちのスポーツ離れ  一方で、世の中には「子どもたちのスポーツ離れ」というまた別の事情もある。  総務省の「社会生活基本調査」によると、年に1日でもスポーツをしたと答えた割合は、10~14歳では1996年は97.3%だったが、2021年は86.3%と11.0ポイント減った。この間、野球やサッカーをする子どもは約2割も減少した。スポーツ庁によると、13年、部活動に加入する中学生は228万人だったが、22年は187万人と、約18%減少した。  教員の働き方改革の一環として、部活動を地域のスポーツクラブなどにまかせる「地域移行」の取り組みも始まった。 学校が荒れていた時代の意義 「これまで日本の子どもたちのスポーツは部活動が中心でした。特に中学校の部活動は専門的な競技に触れる最初の機会であり、その存在意義はとても大きかった」と、少し寂しそうに平本さんは言う。 「部活動が競技力の向上を担ってきたこともありますが、学校が荒れていた時代は、放課後、居場所のない生徒たちを受け入れるといった生活指導の側面を担ってきたのも部活動でした」  また、部活動をする子どもの数が減れば、部活動の設置率は下がり、地域移行もさらに進む可能性もあるだろう。 「いずれは、全中大会はなくてもいいという意見も出てくるかもしれません」  ただし、スポーツクラブや指導者の数が少なく、施設面などで子どもたちのスポーツの「受け皿」に悩む地域は少なくなく、地域移行は順調ではないケースも多いという。  課題は山積だが、平本さんはこう語った。 「決断すべき事情があるにせよ、スポーツをする子どもたちにとって、全国大会は大きな夢のひとつに違いない。苦渋の決断だったのは間違いありません」 日本中体連が入居するジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエアのビル。右は国立競技場=東京都内、米倉昭仁撮影   (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
全中大会熱中症
dot. 2024/07/22 06:30
SHELLYに聞く子どもへの“性教育”のコツ「『なにを質問してもいい』という親子のオープンな関係をつくることが第一歩」
SHELLYに聞く子どもへの“性教育”のコツ「『なにを質問してもいい』という親子のオープンな関係をつくることが第一歩」
SHELLYさん  テレビのバラエティ番組やラジオなどで活躍中のSHELLYさん。性にまつわるさまざまな話題をていねいに解説するYouTube「SHELLYのお風呂場」も人気です。8歳、6歳、1歳の3姉妹のママとして、性教育について意識していること、実践していることをうかがいました。 ※前編<SHELLYが「性教育」を発信する理由「“知識がない”ためにつらい体験をする子も。学生時代の違和感がベースです」>から続く SHELLYの娘たちへの教え「大人との“秘密ごと”はNGだよ」 ――ご家庭では、お子さんたちにどんなふうに性の話をしていますか?  いちばん上と二番めの娘たちには、2歳半くらいからお風呂場で「プライベートゾーン」の話をすることから始めました。プライベートゾーンは特別な場所で、人に見せたり触らせたりしてはいけないし、逆に人にもしてはいけない。そして、自分のからだはもちろん、人のからだはリスペクトすること。これは、子どもを守るための基本です。「もしだれかがプライベートゾーンを見せてと言ってきたら、それはおかしいことだからすぐに教えてね」とも繰り返し伝えています。  さらに「大人との秘密ごとはいけないよ」という話も大切にしています。これは、皆さんけっこう見逃しがちなんです。 ――具体的には、どういうことでしょう?  最近、小児性愛者による犯罪が問題になっていますね。その多くは、まず「グルーミング」といって子どもたちと関係性を築くことから始まります。いきなりバッと行動に出るのではなく、子どもやその親たちと仲よくなってから犯行に及ぶ。それも、ごく身近にいる人たちであることが多いのです。  私は、2~6歳までアメリカに住んでいたのですが、その当時は「stranger danger」といって「知らない人のことは警戒しなさい」と教わりました。でも最近では「tricky people」と伝えることが増えています。「ちょっと危険な人、怪しい人」というニュアンスで、身近にいる見知った大人たちの中に、危険な人がもいるかもしれないということなんです。 シェリーさんが子どもたちとよく読む絵本の中から、2冊ご紹介。 (『ふたりママの家で』パトリシア・ポラッコ/作 中川亜紀子/訳 サウザンブックス社)ふたりのママたちのもとへいちばんはじめに養子にやってきた長女の「わたし」が、その日常を語ります。にぎやかで楽しくて愛にあふれた日々に、思わず笑顔になります。 (『あかちゃんはどうやってできるの?』コーリー・シルヴァーバーグ/文 フィオナ・スミス/絵 たち あすか/訳 岩波書店)人が生まれるしくみについて、わかりやすく、楽しく教えてくれます。性別を表す言葉をいっさい使わず、肌の色を特定しないカラフルな色づかいで多様な「生」と「性」を尊重する一冊。  これをふまえて、子どもたちには「誕生日とか、誰かを喜ばせるサプライズはいいけれど、サプライズ以外で大人との秘密事はいけないよ」と話しているのです。大人が「このことは秘密だよ」ということは、とても危険なこと。「秘密」や「内緒」というワードにフラグが立つように、娘たちが幼稚園のころから伝えています。  性教育は、親が子どもに「招待状」を出しましょう ――子どもから性的な質問をされたときに、うまく答える自信がありません。 「性教育」といっても、いきなりセックスの話をしようというわけではありません。まず「なにを質問してもいいんだよ!」という、親子のオープンな関係をつくることが第一歩だと思います。  とはいえ、子どもがなにか性的な話題を聞いてきたときに、思わず「え、どこで聞いたの?」「なんでそんなこと知ってるの?」と動揺してしまう場面ってありますよね。それもすごくわかります。親として当然気になりますから。「ママ、中絶ってなに?」なんて聞かれたら「えっ、なんでそんな言葉を知ってるの?」って速攻で返してしまいますよね。  でも、こんなふうに質問で返すと、子どもは「あ、これはお母さん(お父さん)に聞いちゃダメなことなんだ」と思ってしまうといわれます。すると、そこからは一切性的な話をしなくなってしまうでしょう。そうなったら、なにかあったときに……たとえば、ある程度の年齢になって、好きな人とセックスのようなことをしたけれど、その後「生理がこない」など。子どもが誰にも相談できずに思い悩んでしまうというような状況は、とても怖いことですよね。  ですから、そこはグッとおさえて「よく知ってるね」とまず受け入れましょう。「中絶」について教える、教えないはその時点の判断でいいと思います。でも、どちらにしろ、子どもがちゃんと質問してくれたことに関しては、オープンな気持ちで受け入れることを大切にしたいですね。  どう答えたらいいのかわからないときは「おっ、それは大切な質問だね!でもちょっと待って、お母さんはまだきちんとした知識を持っていないの。ちゃんと調べて説明するから、待っててね!」と、その場はそれでいいと思うのです。 YouTube「SHELLYのお風呂場」から。ゲストを迎えて、10代が今セクシュアリティやジェンダーとどう向き合っているかをインタビュー。  でも、そこからが大切。親は、子どもの質問に対してきちんと説明できるようにしておきましょう。そして、次に扉を開けるのは親側から。「ねえねえ、この前の質問、お母さんなりに調べたの。いつでも説明するから言ってね!」と、子どもに「こちらは準備オッケーだよ!」という招待状を出すのです。あとは、それを受け取った子どものペースに任せましょう。「あなたのペースで、あなたに必要な情報をこちらは提供するよ!」というスタンスがベストだと思います。   「お母さんたちの時代は、同性婚はできなかったの?」って言われたい! ――今の子どもたちが大きくなるころ、どんな世の中になっているといいな、と思いますか?  今、アメリカであるお母さんがSNSに投稿した話題がバズっているんです。11歳の娘がスクールバスで学校から帰ってくる途中で、はじめて生理になったときのエピソードです。バスで隣に座った14歳の男の子が、女の子にそっと「ズボンに生理の血がついてるよ」と教えてくれたのだそうです。女の子が恥ずかしくてあわててしまったら、男の子は「僕の上着、使わないから腰に巻いて帰って」と、シャツを脱いで渡してくれました。女の子は恐縮して断ろうとしたのですが、男の子は「いいのいいの。僕はお姉ちゃんが二人いるから、わかってるんだ」と言ったのだそうです。  女の子は上着を腰に巻いて家に帰って、この話をお母さんにしました。そして、お母さんは「バスで娘に声をかけてくれた14歳の男の子のお母さんに届け! あなたは素晴らしい子を育てている!」と投稿したのです。「はじめての生理で、ともすればトラウマになったかもしれない出来事を、あなたの息子がポジティブなものに変えてくれた」って、素晴らしいエピソードですよね。  私も、これを読んで「これ! こういうこと!」と思いました。私たちが育てている次の世代は、このエピソードが当たり前になる世の中を生きてほしい。ですから、幼稚園のころからプライベートゾーンの話もするし、からだのパーツ、生理の話はもちろん、いろんなジェンダーやセクシャリティ……さまざまな考え方を、性教育を通して伝えていくことが大切だと思っています。  動画チームのみんなといつも話すのが、私たちの子どもたちが大人になったときに「え、お母さんたちの時代って、同性婚が認められてなかったの?」「夫婦別姓が認められていなかったの?」「えーなにそれ!」なんて言われたいよね、ということなんです。  今、私たちが小さい子どもにちゃんと教えることによって、その子たちは偏見を持たずに大きくなっていきます。そうすると、嫌な思いをする人が圧倒的に減ると思うのです。本当の自分を隠したり気をつかったり、変ないじりやいじめもなくなるのではないかなと。  そんな将来を願いながら、動画配信を続けていきます。 ※前編<SHELLYが「性教育」を発信する理由「“知識がない”ためにつらい体験をする子も。学生時代の違和感がベースです」>から続く (取材・文/三宅智佳) ○SHELLY/1984年生まれ、神奈川県横浜市出身。父はイタリア系アメリカ人、母は日本人。2歳~6歳までアメリカで過ごす。14歳でモデルデビュー以後、タレント、MC、YouTuberなど幅広く活躍。8歳、6歳、1歳の女子のママ。YouTube「SHELLYのお風呂場」 https://www.youtube.com/@SHELLY_SexEd
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AERA with Kids+ 2024/07/21 11:00
池江璃花子独占インタビュー「パリ五輪の目標は16歳の自分超え」 オーストラリアで磨かれたレース感覚
吉井妙子 吉井妙子
池江璃花子独占インタビュー「パリ五輪の目標は16歳の自分超え」 オーストラリアで磨かれたレース感覚
池江璃花子(いけえ・りかこ):2000年生まれ、東京都江戸川区出身。横浜ゴム所属。16年、高1のときにリオ五輪に出場し日本人最多の7種目に出場。19年に白血病と診断されて入院。21年の東京五輪ではリレー種目に出場。現在、個人種目11種とリレー種目6種で日本記録を持つ。初の自著『もう一度、泳ぐ。』を発売(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)    競泳の池江璃花子が2大会ぶりに個人種目で五輪に出場する。闘う表情が戻ってきた池江に、東京からパリへ、この3年間での進化を聞いた。まもなく開幕するパリ五輪を特集したAERA 2024年7月22日号より。 *  *  * ——3月に行われた競泳のパリ五輪代表選考会。女子100mバタフライで池江璃花子(横浜ゴム)は、決勝で派遣標準記録を上回る記録で2位に入り、2大会ぶりに個人種目で五輪切符を手にした。  個人種目でパリに行くことが私には最も大事だったので、バタフライで五輪出場を決めた時は本当にうれしかったです。ただ、自由形に関しては、あれだけ練習してきたのに50mも100mも派遣標準記録を突破できず、こんな結果で終わってしまったと自分に対して怒りも湧きました。  それでも、個人種目でパリ行きを決めたので、練習拠点をオーストラリアに移して本当に良かったと思いましたね。 「心も体も変わった」 ——オーストラリアに単身で乗り込んだのは昨年秋のこと。早朝5時頃に起床し、屋外のプールで6時半から4千〜5千キロ泳ぎ、2部練の日は、昼寝で体力の回復を図って午後にも同距離を泳ぐ。ウェートトレーニングは週3回。綿密で負荷の高い練習メニューをこなしているうちに徐々にタイムが上がり、筋肉のよろいをまとった身体に。半年間で体重は5キロも増加した。  今、オーストラリアは冬なので、早朝練習を始めるときは、あたりは真っ暗。プールに入っているうちに陽が昇る感じです。  実はこちらに来る前は、ポジティブな思考ができていなかったんです。思うような結果も出せず、自分の悪い部分ばかりが目についてしまって、「今日もだめだった」「どうしてできないんだろう」と自分を責めることもありました。振り返ると、その頃のインタビュー記事には、ポジティブな言葉がほとんど出てこないんですよね。  免疫系の病気だったこともあり、負荷の高い練習で追い込むと体調を崩したりするので、ずっときつい練習は避けるようにしていました。 3大会連続で五輪に出場する池江璃花子。個人種目では女子100mバタフライで派遣標準記録も突破し、2大会ぶりの代表に=2024年3月18日の競泳・五輪代表選考会    ただ、「このままじゃダメだ」「環境を変えたい」と考え、以前お世話になったこともあるオーストラリアのチームで練習をさせていただくことにしたんです。日本から離れた環境で、現地のコーチやスタッフ、仲間たちと、これまでと異なった練習方法に慣れようと努力する過程で結果的に、私は心も体も変わりました。 ——一緒に練習する仲間たちにはメダリストや世界記録保持者もいる。しかも練習はかなりハードだ。当初は取り残されている感じもあったという。  コーチやスタッフの意識がとても高く、最初はこの人たちに付いていけるのかと不安でした。その頃は自分に自信がなかったので「良かった」と言われても「どこが?」と思っていたんですけど、質問するとコーチやスタッフが具体的なことを挙げ、ロジカルに説明してくれる。そうすると自分でも納得できるし、徐々に自信が芽生えてくるんです。コーチや周りの人たちが私の気持ちをグングン引き上げてくれました。 チーム仲間からの刺激  コーチに言われました、以前は闘う人の顔じゃなかった、弱気な表情をしていたって。自分でもオーストラリアに来てから変わったと思いますね。日本にいたら絶対に自分に甘えていたと思うし、闘う表情にはなっていなかったかも。  オーストラリアでは選手たちが自分自身に厳しく、目指す目標値も高い。たくさん刺激をもらいました。世界のトップまでどうやってたどり着いたか、世界記録を出すまでにどんな努力をしたか、あるいは練習している時や試合で意識していることは何かとか。普段の何げない会話から、モチベーションにつながるような話を聞けたのは本当に良かった。私も病気になる前に常に世界を意識していた記憶が蘇り、その頃の表情を取り戻せたのかなと思いますね。だからこそ、念願だった個人種目でのパリ行きを決められたかなと。 ——3月の代表選考会の会場に池江が登場したとき、ひと回りもふた回りも大きくなった体つきに驚いた人も少なくなかっただろう。ハードなトレーニングに加え、食事も変化したという。 3月のパリ五輪代表選考会で女子100m自由形で優勝した池江璃花子    食事も意識して多く食べるようになりました。練習がきついので、たくさん食べないと体がもたないんですよ。バランスの取れた食事を提供していただいていますが、時には自分で材料を買って作ることもあります。  練習が終わり、家に帰ってシャワーを浴び、夕食を済ませるともう何もしたくない。でも、そんな自分にムチ打って、英語の勉強だけは毎日やっています。 結果出す難しさ感じる ——白血病という重篤な病を克服し、個人種目で五輪に出場するという快挙は、金メダルや世界記録以上に人々に与えるインパクトは大きい。それでも、トップアスリートの顔に戻った池江は、今の状況に決して満足していない。  東京五輪は、これまで戦ってきた選手たちと、もう一回戦える場所に戻れたっていうことがすごくうれしかった。でも戻るだけで満足はしていません。  高校生の時は、「今日は日本記録を出す」と言ったら絶対に出すことができたんですけど、今はどんなに頑張っても結果が出ないことがほとんどなので、結果を出す難しさをひしひしと感じていますね。  世界ランク1位の時に病気になり、奈落の底に突き落とされましたけど、退院したときはまだ速かった頃の感覚が残っていたので、5年あればメダルを獲れると考え、(2019年12月に退院したときにホームページで)「パリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたい」と書いたんです。でも現実はそう簡単じゃない。メダルを獲る難しさ以上に、体を戻していくこと、タイムを縮めていくことがこんなに大変なことだとは思ってもいませんでした。  それでも一念発起してオーストラリアに来たことによって、レース感覚が磨かれた。泳ぎの技術は悪くないし、練習できつくなった時でもフォームを崩さない練習をかなりやってきているので、これに感覚がカチッとはまれば、パリオリンピックでも納得のいくタイムが出せるような気がします。目標は、16歳で出場したリオデジャネイロ五輪の自分超えです。 3月の代表選考会で女子100mバタフライでパリ五輪の代表に内定した池江璃花子   ノミになってやろうと ——池江はいま自分自身を「ノミ」にたとえて表現する。  ノミってふたをした瓶に入れられるとふたの下までしかジャンプできないけど、ふたを外されるとかなり高く跳べるという話を聞き、じゃあノミになってやろうと。今はふたを感じずに気持ちよくジャンプしている実感がありますね。ただ、限界点にはまだまだ到達していないので、これからも跳び続けていきます。 ——パリ五輪の開会式の翌日、7月27日の最初の種目が女子100mバタフライ予選だ。  私の泳ぎで周りに弾みをつけたいという思いももちろんありますが、それ以前に、これまでの練習をすべてプールで出し切ることの方が私には大事です。  パリ五輪の先も競技人生は続きます。私の一番好きな種目は実は自由形の200mです。パリ五輪後は、得意なバタフライをさらに突き詰めていきたいし、自由形でも世界大会で結果を残せるよう泳ぎに磨きをかけていきます。 (構成/スポーツジャーナリスト・吉井妙子) ※AERA 2024年7月22日号  
パリ五輪
AERA 2024/07/21 10:30
社会人の愛子さまと18歳の成年を迎える悠仁さま 天皇家と秋篠宮家はどんな「夏休み」を過ごしてきた?
永井貴子 永井貴子
社会人の愛子さまと18歳の成年を迎える悠仁さま 天皇家と秋篠宮家はどんな「夏休み」を過ごしてきた?
17歳の誕生日を前にした秋篠宮家の長男悠仁さま=2023年8月、茨城県つくば市の農業・食品産業技術総合研究機構、宮内庁提供    皇室にも「夏休み」の時期が近づいてきた。自由気ままには動きけない皇族としての「立場」があり、皇室内にも厳密なルールがあるなかで、貴重な休暇のひとときを楽しもうとしてきた皇族方。今年はどんな夏の思い出ができるのだろうか。 *   *   * 「ご静養」は、普段忙しい天皇ご一家や皇族方が、心身を休めることができる貴重な機会だ。  宮内庁の公式インスタグラムは先日、黒い長靴を履いてタケノコ掘りに挑戦した天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが、大きなスコップを手にしゃがみ込むショットを公開。自然体の姿が「かわいい」と話題を集めた。  これは今年5月、ご静養のために訪れた栃木県の御料牧場で撮影されたものだ。    皇室の各宮家が、夏をどう過ごすかはそれぞれだが、天皇家については大正期から昭和期に天皇や皇太子が滞在するためにつくられた「御用邸」で過ごすのが一般的だ。  天皇陛下と雅子さま、愛子さまは、夏は静岡県下田市の須崎御用邸か、栃木県那須町にある那須御用邸でご静養されることが多い。  しかし、御用邸の建物は古く、小さい子どもが遊べる施設も周囲には限られる。かといって、天皇家や皇太子家が自由に施設を選んで宿泊することはなかなか難しい。  そこで天皇ご夫妻は、愛子さまと御用邸に滞在しながら、夏を楽しく過ごせるように苦心されていたようだ。  愛子さまがまだ小さい頃、那須御用邸の滞在中には、「那須ステンドグラス美術館」や「那須テディベア・ミュージアム」に出かけたほか、愛子さまのお友だち家族と那須岳の南月山に登ったり、「那須どうぶつ王国」や「那須高原りんどう湖ファミリー牧場」で花火を鑑賞したりしたこともあった。  また、近くにあった「二期倶楽部」や「東急ハーヴェストクラブ那須」といったホテルで、お友だち家族との食事会や、プールで水泳の練習をすることもあった。     那須御用邸で愛犬「由莉」と過ごす天皇ご一家。由莉のバンダナは、梅干しやシソ、ゴマのおにぎりのイラストが描かれたユーモアたっぷりの柄だ=2019年8月、栃木県那須町、JMPA    休暇中の大きな楽しみといえば「食事」だが、那須御用邸近くにあるイタリアンレストラン「ジョイア・ミーア」は、天皇ご一家がよく通っていたというレストラン。  そして、「パパ」がインターネットで食事をする店をリサーチすることもあり、関係者によると、天皇陛下ご自身が調べてホテルのレストランを訪問されたこともあったという。  宮内庁関係者は当時、ご一家の様子をこう振り返っていた。 「皇太子さま(当時)も雅子さまも、普段は決められたメニューのお食事を黙って召し上がります。そのため、プライベートな休暇で外食をする機会を、ご一家で楽しみにしておられたようです。ご自分たちでレストランを調べ、メニューを眺めて、お好きな品をアラカルトで注文する。何よりの贅沢であったのではないでしょうか」   秋篠宮家は民間のホテルなどに  那須、須崎、葉山(神奈川県)の御用邸は、天皇が静養するための施設であり、本邸に宿泊できるのは天皇家のみだ。皇太子家であっても、滞在できるのは隣接する付属邸とされていた。  秋篠宮家ご一家は2008年、単独で那須御用邸に滞在したが、宿泊が許されたのは当時築82年の「供奉員宿舎」。職員用の木造の宿泊施設だった。  秋篠宮家が御用邸に滞在するのは、天皇ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)とご一緒に過ごされるときで、宿泊先は主に民間の施設だった。    しかし、御用邸などがあっても、皇族方が民間のホテルで過ごすことは珍しくない。  秋篠宮家の「定宿」として有名なのが、長野・軽井沢にある老舗「万平ホテル」。オーナーが飼っていた白いフワフワの犬は、長女の小室眞子さん、次女の佳子さま、長男の悠仁さまともよく遊んでいた。  上皇さまは東宮時代から、夏は長野県軽井沢町にある「千ケ滝プリンスホテル」でよく過ごされていた。美智子さまと結婚してからは、浩宮さま、礼宮さま、紀宮さまらとご一家で滞在されていた。平成に入ってからも、群馬県草津町での音楽祭に出席する際には、町内の「ホテルヴィレッジ」に宿泊していた。     【こちらも話題】 「ねぇ、今日の夕食はなあに?」眞子さんと佳子さまもペロリと食べた 秋篠宮家元料理番の特製カレーレシピ https://dot.asahi.com/articles/-/202365     静養先の葉山御用邸近くの海岸を散策し、地元の人たちと笑顔で交流する秋篠宮ご夫妻と悠仁さま=2008年9月、神奈川県葉山町、JMPA    皇族方が利用する宿泊施設のなかには、もともと御用邸や元皇族の別荘が戦後に払い下げられて、民間の宿泊施設となったところが少なくない。  上皇さまが独身時代に避暑のために訪れていた「千ケ滝プリンスホテル」は、旧朝香宮別邸だった。  秋篠宮家が家族で泊まったことのある箱根の老舗ホテル、富士屋ホテルの「菊華荘」は、もともと宮ノ下御用邸。無類のゴルフ好きだった昭和天皇が、ゴルフデビューを果たした場所として知られている。   「こわい」と泣いた眞子さんと佳子さま  お子さまたちが小さい頃、長期休暇にはご一家で旅行に出かけるのを慣例としていたのが秋篠宮家だ。  秋篠宮さまがお子さま方のために、ひと目につきにくい場所で過ごそうとしていた面もある。 「天皇家の孫が眞子さんや佳子さまだけ、という状態が長く続いたこともあり、静養中もマスコミが追いかけていた。小さな眞子さんと佳子さまが『こわい』と怯えたため、秋篠宮さまが知り合いの研究者に相談して、大学の敷地で山登りをして過ごしたこともありました」(事情を知る関係者)    そして悠仁さまが生まれると、ご両親は日本各地に連れて行った。  悠仁さまがお茶の水女子大付属幼稚園に通っていた2012年の夏、北海道網走市の東京農大オホーツクキャンパスで講義をする秋篠宮さまに同行して、紀子さまと悠仁さまも現地を訪問。釧路市動物園やアイヌの文化や生活を伝える阿寒湖アイヌコタンの施設を回った。  やんちゃ盛りの男の子らしい、ほほ笑ましいエピソードもあった。  この施設で悠仁さまたちは、クマの神さまを主人公とする「ふんだりけったりクマ神さま」という人形劇を鑑賞。川を渡ろうとして濡れてしまったクマ神さまが、 「ちんちんたまたま濡れちゃった」  と話す場面で、悠仁さまは大笑い。劇が終わると舞台に上がり、クマ神さまやキツネの神などの人形の背中に手を入れ、自分で動かしては笑顔を見せていたという。     【こちらも話題】 【写真特集】「お姉ちゃん」を追いかける佳子さまとおっきな犬にタッチする悠仁さま 秋篠宮家の「休日」の顔とは? https://dot.asahi.com/articles/-/221294   赤坂御用地で木登りする秋篠宮家の長男、悠仁さま=2011年、宮内庁提供  悠仁さまは、中学生になってからはご両親とは別に休暇を過ごす機会が増え、秋篠宮さまから紹介された研究者と出かけることもあった。  そして悠仁さまにとって、今年は高校生として最後の夏となる。  一方、愛子さまは社会人になって初めて迎える夏休みだ。  ふたつのご家族は今年、どんな夏を過ごすのだろうか。 (AERA dot.編集部・永井貴子)     【こちらも話題】 【写真特集】優しい表情にほっとする 天皇陛下と雅子さま、愛子さまが「休日」に見せた特別な素顔 https://dot.asahi.com/articles/-/221179    
愛子さま悠仁さま天皇陛下秋篠宮さま皇室
dot. 2024/07/21 09:00
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黄金世代で最多勝利、小祝さくらの“異常な安定感” 競争激しい女子ゴルフ界で“強さ”保てるワケ
抜群の“安定感”を誇る小祝さくら  今季の国内女子ツアーは前半戦が終わり、後半戦に突入している。  毎年新ヒロインが誕生しているトレンドは今季も変わらず、ここまで臼井麗香、阿部未悠、竹田麗央、天本ハルカ、リ・ヒョソン(韓)、桑木志帆と6人が初優勝を達成。竹田は3勝という活躍ぶりで、メルセデス・ランキングで2位につけている。  また近年のツアーを支える岩井明愛、岩井千怜の岩井ツインズや今年30歳になった鈴木愛も勝ち星を記録。2年連続女王の山下美夢有も優勝こそないが、メルセデス・ランクではトップにつけている他、KPMG全米女子プロゴルフ選手権で単独2位とその強さは相変わらずだ。  そんな中で、数年にわたり好不調の波がなく常に上位につけているのが小祝さくらだ。  3月のヤマハレディースオープン葛城で節目となるツアー通算10勝目を飾った小祝は、6月のアース・モンダミンカップでシーズン2勝目を記録。6打差トップで最終日を迎えると、3バーディ、2ボギーの1アンダー71と手堅くまとめ、ツアー史上4度目となる“月曜決着”を制した。  小祝は1998年生まれの26歳で、いわゆる“黄金世代”の一人。渋野日向子、畑岡奈紗、勝みなみ、原英莉花を中心とするこの世代はコロナ禍前あたりからツアーを席巻する活躍を見せているが、小祝も同世代の代表格といえる。  その理由は毎年優勝しているその安定ぶりにあるだろう。2017年7月のプロテストに合格してプロ転向した小祝は、実質のルーキーシーズンとなった2018年に優勝こそなかったものの、いきなり賞金ランク8位となった。  翌年の2019年にはサマンサタバサレディースで初勝利を挙げ、このシーズンも賞金ランク8位。コロナ禍で変則となった2020-21シーズンは5勝して獲得賞金が2億円を超え、このシーズンの賞金ランクは3位と躍進した。  その後も毎年勝利を重ね、ここまでの通算優勝回数は11回。これは黄金世代の中では最多だ。確かに渋野、畑岡、勝と同世代のメンバーは米女子ツアーを主戦場にしており、彼女たちが国内に残っていればこの記録が変わっている可能性もあるが、小祝の毎年優勝できる安定ぶりは十分、賞賛に値する。  そして、今季はメルセデス・ランクこそ3位だが、高額賞金大会のアース・モンダミンカップに勝ったことで、ここまで1億2,126万円を稼ぎ出し賞金ランクではトップ(7月7日現在)。メルセデス・ランク、賞金ランクとも初の女王獲りの可能性は高いだろう。  では小祝の強さはどこにあるのだろうか。  まずは小祝が持つそのタフさにある。小祝は、プロテスト合格翌年の2018年開幕戦から2022年のリゾートトラスト レディスまで“皆勤”、つまり全試合に出場しており、歴代4位の国内142試合連続出場を記録。ここで一旦、記録は途切れたが、これは全米女子オープンに出場したことが原因で、その後も今日にいたるまで日米で“皆勤”を続けている状態なのだ。  その小祝は、アース・モンダミンカップ優勝後に、全英女子オープン(8月22日~)に出場するため前週のCATレディース(8月16日~)を欠場することを明かした。いよいよツアーを“お休み”することになるが、試合に出続けるだけではなく好成績を挙げ続けていることは、“鉄人”以上の存在と言える。  またショットに定評があることも小祝のプレースタイルの特徴だ。今季はパーオン率が5位なら平均飛距離ランクは9位。トータルドライビング(ドライビングディスタンス順位とフェアウェイキープ率順位を合算した値)とパーオン率を合計したボールストライキングではトップだ。  ちなみにこのボールストライキングにおける順位は、ルーキーシーズンが4位で、今季を除いたそれ以外のシーズンも10位前後と安定しており、小祝はプロになってから一貫して、ツアーで「飛んで曲がらない」を実践している。  このスタッツを生み出しているのが小祝のスムーズなスイングだ。手首の動きをあまり使わず“タメ”が小さいのが特徴。こうするとスイングは安定して再現性は高くなるが、飛ばしにくくなるため女子プロの中では珍しいタイプと言える。しかし小祝はもともと飛距離が出るタイプ。飛ばすスイングをしなくても、曲げない動きをすることで、飛んで曲がらないショットを実現できるというわけだ。  また小祝は、その口調の通りおっとりとした性格でも有名。例えば通常は優勝が決めるパットが決まった瞬間などはガッツポーズが飛び出すものだが、小祝の場合はどのようなシーンでも帽子のツバをちょこっと触るだけで感情を大きく表現することはない。逆にパットが決まらなくても落胆した表情を見せることは少なく、プレー同様にリアクションが薄い。  小祝は、これにインタビューやメディア出演時の天然系のキャラと相まって“動じない”というイメージになっている。プロ転向以降、常に上位に居続ける要因は、安定したスイングだけでなく、こうしたマイペースなキャラクターとの相乗効果があってのことだ。  今後も小祝が小祝らしくある限り、新陳代謝が激しいツアーの中でも輝きを失うことはないだろう。
ゴルフ小祝さくら
dot. 2024/07/17 17:30
タレント・杏さゆりが物心ついてから高校卒業式まで受けたいじめとは 少女漫画で「死を踏みとどまれた」
平尾類 平尾類
タレント・杏さゆりが物心ついてから高校卒業式まで受けたいじめとは 少女漫画で「死を踏みとどまれた」
杏さゆりさん(撮影/いずれも写真映像部・東川哲也)    2000年代前半にグラビアアイドルとして人気を集め、バラエティー番組などでもタレントとして活躍した杏さゆりさん(40)。その後は「GACKT眠狂四郎無頼控」に出演するなど舞台を中心に活動している。コミュニケーション能力が高く、ハキハキとした受け答えで明るい性格のイメージが強いが、小学生の時から高校までいじめを受け続けていたという。【前編】では学生時代に受けた凄絶ないじめ、心の支えになった存在、家族に明かした時の心境などについて語ってもらった。 ――杏さんがいじめを受けたのはいつごろでしょうか。 写真の顔には画びょうや塗りつぶし  物心ついてからずっといじめられていた感覚でした。通っていた小学校は全校生徒が180人しかいなくて、1学年に1クラスしかなかったんです。1、2年でいじめの標的になると、クラス替えがなく同じメンバーで学年が上がるのでいじめがずっと続く。無視されたり、物を隠されたり……。遠足の写真が廊下に貼り出されるじゃないですか。その時に私の顔だけ画びょうが刺さっていたり、ペンで塗りつぶされていたりしていました。  やっているのは特定の人たちです。いじめのきっかけは些細なことだと思うんですけど、ストレス発散でイライラの感情をぶつけられていた感じでした。つらいんですけどいじめられている環境に慣れてしまって……。今振り返れば良くないんですけどね。両親に心配されたくなかったので、学校は休みませんでした。負けず嫌いというか、強がりだったのかもしれない。だから家族は私がいじめられていたことを当時はまったく知らなかったです。     ――楽しい思い出はなかったですか。  小6の時に少人数で立ち上げた演劇クラブで過ごした時間が唯一の心のよりどころでした。当時大人気だった少女漫画『姫ちゃんのリボン』の真似っこをしていたら楽しくて。私はポコ太役でした。演じることが楽しかった思い出がありますね。 生きていればいつかいいことが… ――中学時代もいじめは続きましたか。  はい、中学は3つの小学校の生徒が集まるので、人間関係がリセットされるかなと思ったら、またいじめられて。男子はいじめてこなかったです。女子のいじめは複雑なんですよ。いじめのリーダーが好きだった男の子が好きな色と、私の好きな色が重なったことが気に食わなかったらしくて。そんなのどうでもいいじゃないですか(笑)。でも大ごとになって、入学して数日で女子たちからの無視が始まりました。もうその空間にいるのがつらい。  休み時間は隣のクラスに行って、演劇部で知り合った数少ない友達と過ごしていました。いろいろ我慢していたんですけど、体育の授業だけは無理でしたね。女子同士でペアを組むんですけど、私は誰も組んでもらえない。1人で過ごすのがつらくて、体育の授業だけ保健室で過ごしていました。 ――精神的につらかったと思います。心の支えは何だったんでしょうか。 『ふしぎ遊戯』という少女漫画に救われました。主人公が「もう私のことを放っておいて。あなただけ助かって」と言ったら、柳宿(ぬりこ)というキャラクターが「生きてりゃあねえ!! つらいことでもいつか笑って懐かしく話せる時が来るのよ!」って助けるシーンがあるんです。その場面を読んで号泣しました。「私も生きていればいつかいいことがあるかもしれない」って。死を考えないように踏みとどまれました。   ――杏さんは2000年にミスヤングマガジンで準グランプリに輝いています。当時高校生でしたが、この時も学校でいじめは続いていたんでしょうか。  高校に入ったら新しい生活を楽しめると思ったんですけどね……。高1の時に雑誌のグラビアに出始めたので、仲良しだと思った1人の女子だけに伝えたんですよ。「こういう雑誌に出るんだけどびっくりしないでね」って。自慢とかそういうつもりはまったくなくて、隠していると思われるのが嫌なので先に伝えたら、その子が他の女子たちに「雑誌に出ることを自慢された」と広まって。また無視されるようになりました。でも、小・中学校でいじめを経験したので、もうあんな思いをしたくないと思って、他の女子に話しかけにいったんですけど逃げられて。 卒業式の後に呼び出されて  卒業式の後、「私たちのイライラを聞け」と数人の女子に呼び出されました。高校生って進路で悩むじゃないですか。私はA子に「大学に行くか迷う」、B子には「海外留学を考えている」と話していたんです。そしたら「あいつはバラバラなこと言う嘘つき」と裏でなっていて。その怒りを一人一人にぶつけられました。もうどうしようもできませんでしたね。 ――小学生の時から受けたいじめで心に深い傷を負ったと思います。家族に伝えられないままだったんでしょうか。  高校卒業後に家族の転居に伴って私もイギリスに留学したのですが、「一番近い家族のことを愛せない人は他人を愛せない」と気づいて。父、母、兄、姉と、家族一人一人と話す時間をつくってもらい、「私は小学生の時からいじめられていた」と伝えました。母は正義感が強いので「なんでその時、言ってくれなかったの?」って泣いて、私も「ごめんね」って涙が止まらなくなって……。2人でずっと泣いていました。     ――いじめられた経験を心の中でどう整理していますか。  当時は逃げる選択肢がなかったし、我慢することしか考えられませんでした。でもいじめる側じゃなくてよかったと思います。美化するわけではないですが、いじめられることによって人の心の痛みが分かる人間になった。いじめる人に言いたいのは、暴言や陰湿ないじめはすべて自分にはね返ってくるということです。  芸能界で仕事をするようになってから仕事先の人に「杏さんと同じ高校の方に『仲良しでした』と言われました」って伝えられたことがあって。名前を聞いたら当時いじめてきた女子でした。その時は「そうなんですね」と返しました。恨むとかではなく、嫌いな人に関わらず前を向いて歩いていきたいです。 逃げても、頼ってもいいんだよ、と伝えたい ――杏さんの言葉には重みを感じます。  いじめはいつの時代もあります。セミナーなどでいじめの体験談を話す機会があったんですけど、10代の女の子が「話を聞いてください」って声を掛けてくれて、2人で30分ぐらい話したことがありました。その子は学校でいじめを受けていて家庭環境も複雑でいろいろ抱えていて。その子は話す時に斜め下を見るんです。目を合わせるではなく。でも本人は一生懸命に目を合わせて話を聞いているつもりなんです。病気だった時の昔の私が同じだったから気持ちがすごくわかる。下からのぞき込むようにして目を合わせていろいろ悩みを話してもらって。 「笑おう! 自分で口角を上げて、毎日トレーニングしてみよう」って伝えたら、ちょっと笑ってくれたので、「いい笑顔してるじゃん! すごくいいよ」って話したら、その子が泣きながら笑顔で帰っていきました。今回のインタビューもそうですが、私はいじめられてこんなに悲しかったというつもりはないんです。私の話を見聞きして、生きることに前向きになる方が一人でも増えれば幸せです。いじめから逃げても大丈夫だし、我慢する必要はない。家族や周りの人たちに頼っていいんだよと伝えたいです。 (平尾類) 杏さゆり(あんず・さゆり)/1983年9月20日生まれ。神奈川県出身。15歳の時に原宿でスカウトされ、2000年にミスヤングマガジンにて準グランプリを受賞。「くびれの女王」と呼ばれた。グラビアで絶大な人気を誇るだけでなく、英語力を生かして「100語でスタート!英会話」(NHK)にレギュラー出演し、バラエティー番組やCMにも出演するなど幅広く活躍。00年代後半以降はドラマ、映画、舞台、ミュージカルに精力的に出演し、女優としても評価を高めている。
杏さゆりミス・ヤンマガグラビア
dot. 2024/07/13 11:00
Revo、Sound Horizonのオーケストラコンサート初日公演のオフィシャルレポート到着
Revo、Sound Horizonのオーケストラコンサート初日公演のオフィシャルレポート到着
Revo、Sound Horizonのオーケストラコンサート初日公演のオフィシャルレポート到着  Revoが、6月29日および30日に【Revo's Orchestra Concert】を東京・昭和女子大学人見記念講堂にて開催した。下記にて、同公演のオフィシャルレポートを掲載する。=== 6月29日、30日に【Revo's Orchestra Concert】が開催された。 本公演は、サウンドクリエイターのRevoが主宰するSound Horizonが、2024年にメジャーデビュー20周年を迎えることを記念したイベントの一つだ。ただ、Sound Horizonに限らずLinked Horizon名義の楽曲も含めて、Revoがこれまでに生み出してきた楽曲も、本人監修の元にオーケストレーションアレンジし、フルオーケストラによる完全生演奏でお送りする催しとなっている。演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮者は栗田博文が務めた。両者は数多くのクラシック音楽コンサートのみならず、『鬼滅の刃』オーケストラコンサートや【FINAL FANTASY XIV ORCHESTRA CONCERT 2022 -Eorzean Symphony-】、『銀河鉄道999』シネマコンサートなど、現代音楽をオーケストレーションアレンジしたコンサートで数多くのファンを魅了してきた。 Sound Horizonはその特異な音楽スタイルで知られるが、このオーケストラコンサートはRevoの作曲家としての才、エンターテイナーとしての矜持を感じさせる2夜でもあった。Revoが用意した、良質の音楽を楽しく味わえる時間について、まずは1日目となる6月29日の昼・夜公演を振り返る。 【Revo's Orchestra Concert】の公演は、二日間それぞれで昼夜2回ずつの計4公演が行われた。場所はその音響で定評のある昭和女子大学人見記念講堂。各公演はさらに2部構成となっており、1部は純粋なるオーケストラコンサートであり、オープニング楽曲はオーケストレーション向きな王道RPGを感じさせる楽曲「希望へ向う序曲」(『BRAVELY DEFAULT』)。だがそこからは、『Chronicle 2nd』といったインディーズ時代のアルバムなどの初期楽曲を経て、メジャーシーンで作り出してきた曲群へ移り変わり、その中でももいろクローバーZやアニメ『進撃の巨人』に提供した楽曲も演奏され、Revoが世に送り出していった時系列を感じられる流れに。 MCでRevoは「一発屋にも歴史がある」と語ったが、事実、幻想的で神秘的な小曲が多かった初期に比べ、現代に近づくにつれて演奏時間は長く、クラシック楽曲のように一曲の中での起伏に富んだ構成へと楽曲は変貌していた。それでいてメロディのポップさは増していることにも気づかされ、作曲家Revoとしての進化と方向性を感じ取れるのもボーカルレスならではの妙味だ。 無論、原曲ではボーカルが入っていたところをフルートやバイオリン、ハープなどさまざまな楽器で置き換えられ、そのアレンジも原曲を知っている者が聴くと思わず笑みがこぼれる巧みさ。知名度の高い曲でいえば、狂気のソプラノを雄大なホルンで表現という真逆のアプローチでありながらも変わらず威容な「暁の鎮魂歌」、ボーカルソロを各楽器にあてがう王道以外にも「ムーンライト伝説」のフロアタムを思い起こさせるカスタネットの三連符を交えた「MOON PRIDE」など、楽曲への愛情に満ちた遊び心は聴者に数限りない喜びを提供していく。 遊び心の例を挙げれば、まず「暁光の唄」。曲の最後に「ムッティ ひかり あったかいね」という台詞から本を閉じる効果音が原曲に入っていたが、ステージ上にいる者が一斉に楽譜をめくり、その音で楽曲を締めた。しかも、指揮者と演奏者の楽譜にはその指示が書き込まれる入念さ。マウリシオ・カーゲルの「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」は楽譜のラストに、パーカッショニストがティンパニに頭から突っ込む、と記載があることで有名だが、それを彷彿させる仕掛けだ。他にも、「神話-Μυθοs-」で鳥の囀りをバードコールで、「schwarzweis ~霧の向こうに繋がる世界~」で風の音をウインドマシーンで表現したが、両者共にクラシックコンサートでも使用されることがあり、耳を楽しませつつクラシックへの扉を開いてもいる。 1部が終了し、指揮者とオーケストラの休憩時間を兼ねたトークコーナーでRevoは「ローラン」(=Sound Horizon愛好家)との細やかな交流を図ったあと、馴染みのあるボーカリストをゲストに迎え、かつRevoも加わって歌唱曲が演奏される2部へと突入する。 29日昼公演のゲストはRIKKI。原曲では、RIKKIを含む4人の女性ボーカル&男性ボーカル一人で歌った「石畳の緋き悪魔」を、RIKKIとRevoが一人何役もこなして披露。Revoにいたってはファルセットと地声を瞬時に使い分ける妙技を見せた。同じく、原曲でRIKKIが歌唱した「11文字の伝言」では、当時から17年の歳月を経て母性に深みを増したボーカルで、交響楽団という最高に情緒を揺り動かす舞台で聴かせる。 夜公演のゲストボーカルはFuki。数々の絶唱を見せてくれたが、曲中に「何故なの?」という台詞が入る「Star Dust」では、該当箇所で指揮者の栗田に向かって問いかける場面も。実はこれはRevoが指示したアドリブ。栗田は「それは私が知りたい。何故なの?」と巧みに返したが、ライブとは自由奔放さをはらむものというRevoのエンタテインメント精神に心打たれる。ラストには、競技用ピストルを使用して銃声を再現、原曲を知る観客の口角を上げもした。 アンコールでも「オーケストラで歌ったことある人ー?」という会場への問いかけを前振りに、会場全体での合唱という機会を設ける心意気。終始変わらず、良質の音楽が耳をくすぐると同時に、楽曲内外に用意された仕掛けは緊張した聴き手の心を解きほぐした。栗田も、手のひらの色が変わるくらいに拍手を、と観客に感情を正直に表現しても良いと促したが、芸道の探求者であるRevoの意気を感じたものではなかったか。2公演のどこを切りとってもRevoというクリエイターの才知に感服させられる一日であった。Text by 清水耕司(セブンデイズウォー)Photo by 江隈麗志(C-LOVe CREATORS/YAT)、藤村聖那◎公演情報【Revo's Orchestra Concert】2024年6月29日(土)、30日(日)東京・昭和女子大学人見記念講堂
billboardnews 2024/07/11 18:11
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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