
がんを罹患しても避けたい「引きこもり」 建築家・安藤忠雄さんに元気づけられる理由
石弘光(いし・ひろみつ)1937年東京に生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院を経てその後、一橋大学及び放送大学の学長を務める。元政府税制会会長。現在、一橋大学名誉教授。専門は財政学、経済学博士。専門書以外として、『癌を追って』(中公新書ラクレ)、『末期がんでも元気に生きる』(ブックマン社)など
一橋大学独自のゼミナール制度のもと、石ゼミの教え子たちと志賀高原でスキーを楽しむ。がん発覚の3カ月前、2016年3月に撮影
一橋大学名誉教授の石弘光さん(81)は、末期すい臓がん患者である。しかも石さんのようなステージIVの末期がん患者は、5年生存率は1.4%と言われる。根治するのが難しいすい臓がんであっても、石さんは囲碁などの趣味を楽しみ仲間と旅行に出かけ、自らのがんを経済のように分析したりもする。「抗がん剤は何を投与しているのか」「毎日の食事や運動は」「家族への想いは」。がん生活にとって重要な要素は何かを連載でお届けする。
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社会とのつながりを大切に がんに関連した文献を読むと、がん治療としてよく免疫力を高めることが重要だと強調されている。このためには身体を動かすことが重要となり、自宅でじっとしていてはダメで、機会を見つけて積極的に外で活躍することが勧められている。がんは罹患してもかなり病状が悪化するまである程度の期間、通常の日常生活はできるはずである。そこでがん患者として重要なことは、公私にわたり社会とのつながりをできるだけ維持することだろう。
■心の張りを保つためにも、仕事は続ける
2016年6月にがんが見つかった時に、公職は完全に退いていわゆる定職を持っていないご隠居さんの状況であった。しかしながら、非常勤でまだかなり多くの仕事が残っていた。新潟大学や各種の財団の非常勤理事など10近い仕事が残っており、この公の仕事をどうするかが大きな問題であった。
末期のすい臓がん患者となれば、世間の常識に従えば任期をまっとうできない可能性が大きいので、辞任を申し出るべきであったかもしれない。しかしながらその時、身体は全く健常者並みであったので、残りの任期1~2年なら十分にまっとうできそうな気がした。と同時に、やはりすべての公の仕事をやめてしまっては、心の張りがなくなり急速に老け込むのではないかと心配した。
つまり公的に社会とのつながりを持つことが闘病の上でも重要と考えたからにほかならない。それ以来、新潟へ2カ月に1回は行くし、他の財団関係の会議にほぼ皆勤してきている。過去2年間を振り返ってみると、公の仕事を辞さないで本当によかったと思っている。
■社会とのつながりを深め、積極的に人と交わる
がんに罹患しても、自宅に引きこもらず外出し個人的にも社会とのつながりを深めるべきである。このためには、積極的に人と交わる必要が生じてくる。幸いなことに、長年大学で学生を指導してきたので教え子たちは多い。また大学外での活動も多かったので、マスコミ、省庁など各方面でさまざまな人との交流がある。
がん治療が始まってから、基本的に夜の会合、外出は控えることにした。昼間は通常のように活動できるが、夜になると抗がん剤投与のためにやはり疲労がたまり、しんどくなるので家でゆっくりとすることにした。初めは病気の様子を見ていた友人たちは、私が昼間元気に外出できると知り次第に面会の誘いがかかるようになってきた。そうなるとどこで、昼食を一緒にということになることが多い。私がひとりのこともあるし、また家内も同伴ということもあるが、この会食でいつも楽しい時間を過ごしている。
一橋大学独特のゼミナール制度のもとで、公私にわたり接触してきた教え子たちは280人ほどにのぼり、三石会と称するOB会を作り交流を続けている。がんが発覚してからは特にわれわれ夫婦のことを心配してか、卒業年次ごとに集まり昼食会を企画してくれる。いつもとは異なり、北海道、長野、山梨、関西など遠方からわざわざ来てくれるゼミの教え子も多い。病気が病気だけに、皆心配してくれているようだ。
その他、現役時代に一緒に仕事をした財務省の仲間、当時は緊張関係にあったマスコミの皆さん、いろんな出会いで知り合った知人、そして趣味のスキー仲間など、さまざまなグループとの交流ががんに罹患した後も、続いている。毎月2~3回ぐらい、どこかのグループが私並びに時にはわれわれ夫婦に昼食時に声をかけてくれ、皆で食事を楽しんでいる。
談論風発、時間も忘れ思い出話に花を咲かせている。知人と会う時には、ご夫妻と私たち夫婦の4人で席を設けることもしばしばである。このような外出そして会食を通じて、私の免疫力は大いに刺激され治療上よい結果を生んでいるはずである。
■5年生存率1.4%。データから自分の人生の終わりを感じる
がん患者といえども、社会的に活躍している人も多い。なかには、最も生存が厳しいといわれているすい臓がんを患っていた人もおり、それに見習うことにした。自分がすい臓がんの患者となり今後どうしようかと考えた時に、同じようなすい臓がんに罹患した人は一体どんな生活を送り人生をまっとうしようとしているのかということが気になった。
一般に難治がん中の難治がんに罹患した以上、統計的には長期の生存率は極めて低い。ステージIVのすい臓がんでは、5年間の生存率はわずか1.4%にすぎない。このようなデータを見せられると、自分の人生はこれで終わりと感じる人がいても不思議でない。
そんななかで同病者が元気にすい臓がんと向き合っているのを見ると、自分も元気づけられるものである。とりわけ社会的に活躍し大きな貢献をされている人のことを知ると、自分も負けていられないとファイトが湧いてくる。がんが発覚して1年ぐらい経ったころ、建築家の安藤忠雄さんのことを知った。
「私は私の人生を、倒れてもまた進む」……安藤忠雄さんの講演が新聞に採録されているのを読む機会があった。そのなかでもすい臓がんの罹患のことをたんたんと語られている。
2009年に胆嚢(たんのう)、胆管、十二指腸にがんが見つかり、三つの臓器を全摘。さらに5年後にがんが見つかり、すい臓と脾臓(ひぞう)も全摘している。術後は医者の言うことを聞いて生活を一変させ、毎日規則正しい生活を送って、現在健康に過ごしているとのこと。この記事を読んで、こんなに重篤なすい臓がんを患いながら社会的に大活躍をしているのを拝見すると同病者として大いに元気をもらえた。
◯石弘光(いし・ひろみつ)
1937年東京に生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院を経てその後、一橋大学及び放送大学の学長を務める。元政府税制会会長。現在、一橋大学名誉教授。専門は財政学、経済学博士。専門書以外として、『癌を追って』(中公新書ラクレ)、『末期がんでも元気に生きる』(ブックマン社)など