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「失敗したくない」は「挑戦したくない」と同じ グーグル首席デザイナーが心がける“成長の糧”3つのこと
49歳のときに米グーグルのNo.1デザイナーになった韓国出身の女性がいる。彼女の名は、キム・ウンジュさん。韓国で勤めていた会社を27歳で辞めて、渡米。簡単な英語のフレーズすらまともに話せない状態で始まったアメリカ生活だったが、その後はモトローラやクアルコムなどでキャリアを積んだあと、グーグルに入社。25年間で10回の転職経験をした彼女がグローバル企業で身につけたこととは――。著書『悩みの多い30歳へ。世界最高の人材たちと働きながら学んだ自分らしく成功する思考法』(CCCメディアハウス)から、ここでは「失敗を成長の糧にする3つの心がけ」を紹介する。
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ママ友からの攻撃にPTA役員は「もたないかも」と泣いた 母親たちを敵に回したPTAの「改革」
PTAというのは不思議な組織だ。任意加入の団体で、活動はボランティアのはずなのに、多くの保護者は不平不満を抱きながら嫌々活動している。ところが、それを見直そうとすると古参の役員は徹底的に抵抗する。「今までこのやり方でやってきたんです」と。筆者が小学校でPTA会長を務めていたとき、この言葉を何回聞いたことか。不必要な活動をなくすため、会則を全面改正するのに4年もかかった。その際、心の支えとなったのが現在、千葉県船橋市PTA連合会で顧問を務める宮下博さんだ。宮下さんは同市の習志野台中学校でPTA会長だった4年前、組織を解体し、激しい抵抗を受けながらまったく新しいPTAを立ち上げた。

美空ひばりという孤高の女王の強さとは 天才少女歌手から“昭和の歌姫”へ
“昭和の歌姫”美空ひばりは昭和20(1945)年、8歳のときに横浜の杉田劇場で初舞台を踏んだ。芸能界に本格デビューしたのは昭和23年で、芸名の“美空ひばり”を名乗ったのがこの前年だった。児童福祉法公布のタイミングともあいまって非難の目も向けられたが、歌謡曲だけでなくジャズも歌いこなし、映画や舞台でも大活躍。とんとん拍子にスターダムを駆け上がり、昭和という時代の終幕とともにこの世に別れを告げた。不世出の歌姫は、孤高の女王たる強さをあわせもっていた。『あの時代へ ホップ、ステップ、ジャンプ! 戦後昭和クロニクル』(朝日新聞出版)から抜粋して紹介する。


