◯毘沙門天は別格の神に
さて、四天王の中でも特に多聞天は毘沙門天という別名を持ち、最も人気の仏さまとなった。四天王の中でトップとなった神である。毘沙門天だけを祭るお寺もあるし、七福神の中の1柱としても選ばれ、多聞天(毘沙門天)はまさに別格となった。
実は、多聞天=毘沙門天となった時点ですでに別格とも言えるのである。なぜならば、先に述べた十二天の北の守護神は毘沙門天とされていて、北の方角は帝釈天の部下としてだけでなく、世界の北を守護する神であるからだ。毘沙門天を特別の神としているのは、日本独特の風習ではなく、タイ、チベットなどの他の仏教国でも見られるようだ。
◯聖徳太子が戦勝祈願の末に建立した四天王寺
毘沙門天は日本の歴史の中で多くの武士たちからあつく信仰されてきた。最も有名なのは上杉謙信だろうが、古くは坂上田村麻呂、そして源義経、楠木正成らの名前も挙がる。毘沙門天は四天王の中でも特別の武神として信心されてきたのである。
実は、飛鳥時代に廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が争いを起こした際、蘇我氏側にいた聖徳太子が四天王の像を作り戦勝を祈願、戦いに勝った太子はお礼として難波に四天王寺を建立したという歴史がある。日本に仏教が入ってきた瞬間から四天王は戦勝祈願をする神であったのだ(その後の歴史の中で四天王寺の本尊は四天王ではなくなってしまった)。このためか、四天王は常に足で悪鬼を踏みつける姿をしていることが多い。
◯四天王と四神が習合すると
四天王が四方を守護するという仏教の教えは、日本に入ると四神とも交流する。四神とは四方を4つの獣が守るという中国の神話からきている考えで、東を青龍、西を白虎、南を朱雀、北を玄武が司っている。これは現在も神道ではよく見るし、たとえば大相撲の土俵の上にある屋根の四隅に4色の色が下がっているが、これが四神[東・青(緑)、西・白、南・朱(赤)、北・玄(黒)]を表している。この考えが四天王に加わり、仏像の顔は持国天は青(緑)に、広目天は白、増長天は赤、多聞天は黒に塗られるようになった。四神発祥の中国では、四天王の顔の色が日本とは違っているのも興味深い。
今でも、勝ち負けに関わる時には毘沙門天をはじめとした四天王に祈願するとよいと言われる。選挙、試験、スポーツ、ばくち、その他もろもろ。もし、「◯◯の四天王」と呼ばれることがあったら、「私は多聞天になりたい」と言うのがよいような気がする。いや、もしかしたら今の時代、千里眼を持つという広目天のほうが何でも一歩先を行くことができるかもしれない。実は私は戒壇堂の四天王の中では、広目天のお顔が一番好きである。手に筆と紙を持っているところなど、書くことを生業とする私が守護神と考えるに一番よいような気もするし。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)
※現在東大寺・戒壇堂は補修工事のため拝観停止中。その間、四天王像は東大寺ミュージアムに鎮座されている。