よく何かの頂点に立つ人々を「四天王」と呼ぶ。スポーツや勝負の世界、あるいは芸術、エンターテイメント界においても「平成の四天王」などと常にトップを争う実力者たちを指す意味で使われているようだ。ご承知のようにこの四天王とは、仏教用語である。「方便」「金輪際」などわれわれは知らないうちに多くの仏教用語を使っている。今回は「四天王」について少しご紹介してみたい。
◯四天王は帝釈天の部下
四天王のそれぞれの名前は、持国天王、広目天王、増長天王、多聞天王という。十二天という(仏のいる)世界を守護している12の神のうち、東の守護神である帝釈天の部下である。ちなみに12の神は、東西南北とその間である東南、西南、北西、北東の8方向、加えて天と地、太陽と月を合わせた12の場所の神とされている。例えば焔摩(閻魔)天は南を、梵天は上を守護する神である。
もちろん十二天はインド出身の神々であり、仏教渡来の初期にすでに日本にやってきている。平安時代にはさかんに絵画として描かれていたようだ。しかしながら、残っている十二天像はかなり少なく、現在日本にあるものは国宝・重文級の貴重なものばかり。博物館などで見る機会を得なくてはならないほどである。
◯東西南北の守護を務める四天王
一方、後世では十二天よりも帝釈天の部下4神のほうが好まれていたようで、現在でもお寺などで製作され続けているし、名だたる仏師たちが腕をふるったのも四天王像と言えるかもしれない。日本一有名な四天王像といえば、奈良・東大寺の戒壇堂に鎮座する四天王像だろう。他にも奈良の興福寺・南円堂、唐招提寺・金堂、京都の東寺・講堂などにも鎮座するが、東大寺では大仏殿でも二天を見ることができる。
持国天は東、広目天は西、増長天は南、多聞天は北を守護すると言われ、この位置関係で配置されているお寺は多い。つまり、持国天がいる方角が東になるということだ。ただし、堂内では方角に従えない場合もあるので、真ん中に中尊を置き、右前・持国天、左前・増長天、右後・多聞天、左後・広目天と配置されることとなる。山門の両脇に四天王が祭られる場合には、このような形になっているので確認してみてほしい。本来は帝釈天を中尊とするはずの四天王は、やがて各本尊の四方を守護する神へとなっていくのである。