「東大に受かって身体検査に上京したとき、駅で1500円おどし取られたんですよ。映画鑑賞会か何かに入れというて、若い男がしつこく迫ってくるので、捨てるつもりで出したらしいのですが、そいで子どもは東京がイヤになったんですね。空気は悪いし、ごみごみしているので東京は好かん、といって帰ってきました」(「週刊朝日」1974年5月3日号)
恐喝と公害。このころ、東京など住むところではない、と思っていた人たちがいたようだ。
福島県内の県立高校出身者は、1浪で理IIに合格したが、福島県立医科大へ進む。当人がこう話す。
「県内で医者をやろうとするのなら結局は福島医大ということになって。昨年、はじめからここを受けていたら、そりゃあ入ったかもしれませんが、浪人して挫折感も味わいましたし、東京での1年間の予備校生活は無意味じゃなかったと、自分では満足しています」(同・前)
浪人、予備校生活に意味があったことを証明するために、東京大を受けたようだ。
次に紹介するのは、おそらく東京大史上最優秀の辞退者であろう。1993年、前期試験で理IIIに合格。入学手続きをとらず、後期試験を受けて京都大生となった。出身は高知県の私立高校で、こう記している。
「京大理学部が第一志望。ここの数学の研究には定評がありましたし、昔からの憧れでした。ただ、日本の理系の最高峰といわれている東大理3は受けておこうと思いました。申し訳ないんですが、記念受験というやつです」(『天才たちのメッセージ 東大理III1993』データハウス)
(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)