『説文解字』の「弟九下」にある「貘」の項(最終行の中央あたり/国立公文書館デジタルアーカイブ)
『説文解字』の「弟九下」にある「貘」の項(最終行の中央あたり/国立公文書館デジタルアーカイブ)

 中国の古い書物に『爾雅(じが)』というものがあります。成立時期は不詳ですが、漢代の初めごろには確実にあったものと思われます。さまざまな事物の名を挙げ、解説を附したもので、一種の百科事典のようなものと言えるかもしれません。この書物は漢代以降、学者たちに重視され、研究が重ねられていきます。この『爾雅』の「釈獣」(動物に関する語の説明)に「貘」がありますが、そこには「貘とは、白豹(はくひょう)のことである」と記されているだけです。

 3世紀末、重要な人物が現れます。郭璞(かくはく、276~324年)が『爾雅』の注釈を執筆したのです。昔の中国では、研究は主に以前から伝わる重要な書物に注釈を付けるという形で行われます。つまり、『爾雅』の郭璞注は、3世紀末から4世紀初めにかけての研究成果と考えてよいものです。

 郭璞は「貘」に、「似」「黒白駁(黒と白の模様)」「舐食竹骨(竹を食べる)」などの説明を加えました。ここまで特徴がそろってくると、これはパンダではなかろうかと思えてきますね。つまり、3世紀ごろ、パンダを指す言葉として「貘」が使われていたらしいということは、かなり確信をもって言っていいのではないかと思います。

 宋代に、けいへい【「けい」はへんが廾の上に一、つくりはおおざと、「へい」は日の下に丙】(932~1010年)という人が『爾雅』に注釈を付けています。ただし、このころすでに権威ある先行研究として受け入れられていた郭璞注にさらに説明を補足するという形をとっています。この書物に限らず、昔の中国の学者は、過去の文献を渉猟して、確からしい記述を支持し、不足している部分を補うという方法で研究を重ねるのが普通です。けいへいも郭璞の注をそっくり引用した上で、ほかの書物から「似熊」「白黄(色は白と黄)」「出蜀郡(蜀に出没する)」「一名白豹(またの名を白豹)」という説明も引用しています。

 時代がくだり、鄭樵(ていしょう、1104~62年)という人も『爾雅』に注釈をつけました。鄭樵も、「熊に似ている」「黒と白の模様」「竹を食べる」とほぼ郭璞注を踏襲した記述をしています。ただ、この二人が実際にパンダを見てこう言っているかどうかはわかりません。おそらく見ていない可能性のほうが高いのではないでしょうか。さまざまな文献資料を調査し、照らし合わせて、貘については郭璞の記述が正しいという見解を示したものでしょう。

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パンダは銅や鉄を食べていた?