野水:先生たちの中にも、子どもに枠組み自体に疑問を持たせると大変だ、という発想があるのかなと思います。校則もそうですし、非行に走らせないために全員部活に参加させる学校もそうですね。
鴻上:そうなんですよ。だから現場の先生の気持ちもわかるんだけど、僕はずっと劇団をやってきた人間で、劇団員の指導と学校教育って、似たようなところがあると思ってるんです。つまり管理して枠組みを疑わせないで統一感を出すことは意外と簡単なんだけど、やがてたどり着く場所がすごく低いっていうか、子どもたち、僕で言うと俳優の未来はすごくやせ細るんですよ。枠組みを取っ払ってやるだけやってみないか言って一度やらせてみたほうが最後たどり着く地平は豊かだっていうのは、長年やってきた確信としてあるんですよね。ずっと枠組みを問いかけることをやってきた感じです。
野水:我々も、生徒から相談があればアドバイスするということはできるだけしていますが、教師側から言うのはできるだけ避けようとしてますね。修学旅行もどこに行くかということから生徒たちが決めて、三つか四つ候補を挙げ投票で決める。そこに決まったら、そこでどんなアクティビティをするか、どう班に分かれるかも自分たちで決める。教員はそばで見ていますが、ほぼ決まったところで生徒たちの計画が危険がないかチェックするぐらいですね。
鴻上:いちいち口に出したくなるのはわかるんですけどね。親でも「それをやっちゃダメ」、「こっちにしなさい」と一日に何度も言う人いますよね。多分無自覚に、悪気なく言っていることが多いです。それって子どもの可能性をつぶしているんじゃないか、と思うこともあります。もっとぶっちゃけて言わせてもらうと、全く子どもを信じていないってことにもなるんです。それを自覚してない人は多分、子どもとの関係性はだんだん難しくなっていくんだろうなと思います。あなたはまともなチョイスができるわけがないから私がちゃんとアドバイスしてあげなきゃいけない、と思っているわけで。
野水:うちの学校では、中学に入ったら、もうあまり子どもには口を出さずに学校に任せてください、と保護者にお話ししています。親は受験だなんだと心配しますけれど、運動会の準備でも高2から高3の5月にかけては夜遅くまで喧喧諤諤(けんけんがくがく)、議論しているわけです。でも彼らにとってはそれが人間性やソーシャルスキルを伸ばす大事な場なんです。学校行事や部活動で後輩が先輩に教わる良さもあります。その中で憧れの先輩もできますし、親や教員とは違う関係性ができます。