カネ・コネのある貴公子は幼時から高価な書籍を読み周囲から手ほどきを受けた。当時の児童教育書 を見ると漢文のハイレベルさに驚く
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 6月30日放送の大河ドラマ光る君へ」ではいよいよ、藤原道長の娘・彰子が一条天皇に入内。遠からず、まひろ(紫式部)がこの彰子に仕えることになり、「源氏物語」の執筆が始まるはずだ。

 平安貴族は、男子は官人(政治家兼公務員)か僧侶、女子は主婦(一家の女主人)になるものと決まっていた。トップ・オブ・トップ貴族である藤原道長の一族では、娘が次々に天皇に入内していくが、これも後宮(后妃らの住む宮殿)の女主人である后(中宮ともいう)まで出世することを目指しての、いわば「就職」である。このような将来に備え、貴族の男児は漢学、女児は衣服の調製(染色法や製糸、縫い物)を習った。そのほかには何を、どこでどのように学び、その「学歴」はどう評価されたのか。『源氏物語もの こと ひと事典』(砂崎良・著)から紹介したい。

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 夫の装束の仕立ては妻の仕事で、当時の女性にとって、「夫の装束」は縫いや色のセンスを含め優秀さのみせどころであると同時に、自身と実家の力量を示す機会でもあったということは、6月23日に公開した記事【「光る君へ」本日25話】踊って出世「庭の清掃」が権力の証 現代の常識で捉えきれない源氏物語の世界に詳しい。

 男女共に必須のスキルは、書道や和歌。教育は基本的に各家庭で行われたため、親や近しい親族がその技能にたけていて子どもに教授できるか否かで差がついた。親にかわいがられている子はそうでない子に比べて、圧倒的に有利だった。平安皇族・貴族の社会では、授かっている位階や官職などに応じて国から給料を支給される。よい位階・官職に就けた者は、富や人脈を手中にし、子どもによい教育をほどこせる。平安遷都から200年以上、この制度をたもってきた都では、「家柄がよいと教養があって優秀」と見なされるほど、格差が拡大・固定化されていた。

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紫式部の批判精神