というのも、生きるのが面倒くさい人は、他人はどうせ自分なんか助けたくないと思ってしまうのだ。厭な顔をされて、他を当たってくれと、すげなく断られるのが関の山だと思ってしまう。それなら、最初から助けなど求めない方がいい。

 路上生活者になった人には、人に相談したり福祉の手続きをしたりするのが、とても面倒なことに思えて、そんな面倒なことをするくらいなら、路上生活で我慢するといったケースが少なくない。通常の感覚では理解できないかもしれないが、それくらい人に頼ったり相談したりすることが、煩わしいと感じてしまう人もいるのだ。

 多くの人は、路上生活に陥るほど、面倒くさがりではないだろうが、それでも肝心なことほど人に相談できないという人は多い。相手が煩わしそうにするのではないかと思い、またみっともない内情を知られて恥をかくのではと恐れ、それなら自分で何とかしようとする。それで、大抵は事態をもっとこじらせることになる。

生きるのが面倒くさい

 何事も面倒くさい人にとって、この世は、面倒くさいことだらけである。生きることは喜びや楽しさよりも、心配や煩わしさに満ちている。何かしようと思えば、人の好意や親切にもすがらなければならないが、たとえ相手がこちらの言い分を聞き入れてくれるにしろ、本当にそうしてくれるのか、やきもきしなければならない。ましてや、相手が約束を破ったり、理不尽なことをしてきたりすれば、もう苦痛は耐えがたいものになる。悪いことばかりが起こるように思い、自分はひどい目にばかり遭っていると感じてしまう。

 またうまくいかないことが起きるのではないか、最後の最後に悪いことが起きて、すべてが台なしになってしまうのではないかと、悪い想像や心配ばかりを膨らませてしまう。

 生きることは楽しいことというよりも、苦痛に耐え、面倒ごとや危険から逃れるのが精いっぱいの、不愉快な苦役になってしまう。

 かといって、死ぬのも怖いし、痛くて、苦しむかもしれない。それもいやなので、仕方なく生きているという消極的な生き方になってしまう。その無意味さや不安を忘れるために、神経を麻痺させる行為に逃げ続けている場合もある。

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「面倒くさい」の根底にあるのは?