高校からプロ入りし、たった1年在籍しただけで、史上最年少の19歳で人的補償選手になったのが、奥村展征だ。
日大山形高時代は4番主将として13年夏の甲子園で本塁打を放つなど、山形県勢初の4強入りに貢献。同年のドラフトで巨人が4位で獲得し、“ポスト坂本勇人”と期待された。
ところが、1年目のシーズンを終えた直後の15年1月、ヤクルトからFA移籍してきた相川亮二の人的補償として、まさかの移籍が決まる。
19歳の人的補償選手は史上最年少。プロ2年目の移籍もNPB史上最短記録だった。高卒2年目の選手が人的補償になることはないだろうと、プロテクトから外したことが、「若い野手が手薄で、将来性を最優先した」(小川淳司SD)というヤクルトのニーズと合致した結果だった。
自主トレ先の熊本で移籍を知らされた奥村は驚きながらも、「どのチームでもプロの世界で戦えるので」と気持ちを切り替え、新天地での飛躍を誓う。
移籍1年目は腰痛で出遅れたものの、翌16年7月9日の中日戦で1軍デビュー。翌17年には7月の古巣・巨人戦で菅野智之から1軍初安打を記録するなど、44試合に出場、ショートのレギュラー候補に名乗りを挙げた。さらに19年にはキャリアハイの74試合に出場し、西浦直亨、広岡大志との定位置争いも激化した。
だが、20年開幕前に右膝を手術し、1軍出場ゼロに終わってからは出番に恵まれず、長岡秀樹の台頭もあり、苦闘の日々が続く。崖っぷちで臨んだ今季も出場3試合に終わり、シーズン後に戦力外通告を受けると、11月10日に引退を発表した。
「選手としては終わってしまいますが次の道でまた1から、いや、0からコツコツ積み重ねて成長して行きたいと思います」の抱負とともに、来季は楽天の2軍内野守備走塁コーチとして新たなチャレンジが始まる。