トライアウトを経て育成選手で再出発も、わずか7カ月後に“エースナンバー”で1軍登板をはたしたのが、田中豊樹だ。

 日本文理大から15年のドラフト5位で日本ハム入りした田中は17年、19試合に登板して3ホールドを記録。後輩から兄貴分と慕われ、豊樹をもじった“トニキ”の愛称も定着したが、1軍登板なしで終わった19年オフに戦力外通告を受けてしまう。

 その後、12球団合同トライアウトを受験した田中は、巨人と育成契約し、背番号「018」で再スタート。イースタンで10試合に登板し、最速157キロの速球を武器に奪三振率17.18を記録したことが認められ、7月26日に支配下登録をかち取った。そして、過去に上原浩治や菅野智之が着けていた19番を背負うことになった。

 同日のヤクルト戦は新背番号が間に合わず、「018」でリリーフのマウンドに上がった田中は、1回を3者凡退の無失点に抑えた。さらに8月19日の阪神戦も2回無失点でプロ初勝利を挙げるなど、自己最多の31試合に登板した。

 背番号が「59」に変わった翌21年も、前年を上回る39試合に登板し、0勝0敗2ホールド、防御率2.84を記録したが、オフに右肘手術を受け、再び育成選手に。

 心機一転背番号「69」で臨んだ今季だったが、15試合で0勝1敗3ホールド、防御率4.09に終わり、12月9日に引退を発表。「この先の人生は長いので、前を向くしかない」と第2の人生に1歩を踏み出した。(文・久保田龍雄)

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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