
そんなわけで、90年代からゼロ年代にかけて、ジャニーズ勢の出場はSMAPとTOKIOの2組という年が多かった。それでも、2003年にはSMAPが「世界に一つだけの花」で初の大トリを務めている。そのインパクトは絶大で、合戦の結果を決める投票では白組が15対0で史上初の完封勝利。翌年は草彅剛の不祥事で出場しなかったが、05年に復活すると、早速また大トリに起用された。
06年からは中居が4年連続で司会を担当。SMAPはかつての美空ひばりのような「紅白の顔」になったのである。
そんななか、NHKも本格的に「ジャニーズ紅白」へとかじを切る。09年、すでに国民的アイドルグループとなっていた嵐が初出場。この年はデビューまもないNYC boysも初出場したが、そのあたりがジャニーズ側との交渉の落としどころだったのだろう。
嵐は翌年から5年連続で司会も担当。結局、06年から19年まで、ジャニーズ勢が司会を務めることとなった。嵐は変則パターン(14年に「ふるさと」を他の出場者とともに合唱)も含めると、大トリを4回経験。また、同じ年に司会と大トリを兼ねたのはひばりと嵐だけだ。
ジャニーズ勢の出場は12年から昨年まで5~6組をキープ。20年には「幻の7組」というのもあった。初出場が決まっていたSnow Manがメンバーのコロナ感染により辞退して6組となったのだが、それがなければ、白組出場歌手の3分の1を占めるところだった。