夏井:なぜ、そこで吉原が出てくるのか、理解が難しいけれど(笑)。
奥田:当時はまだいろいろと抗っていたのかな。
夏井:大人になっても、まだ分別にまみれないぞと。
奥田:でも、行ってみると、もう本当に心が殺伐としてしまった。もはや何の感動も喜びもなく、帰りの道をトボトボと歩いて帰っていったあの侘しさといったらなかった。
季節は三月で、子規のように秋ではなかったけれど、心に冷たい風が吹きすさび、言いようのない物哀しさに襲われて。当時の荒涼たる我が心を、まざまざと思い出してしまった。
夏井:この句に、生身の体験がそれほど乗っかる人がいることに、驚くわ(笑)。
奥田:どうしても、秋の持つ二面性のうち陰の方を感じてしまって。天高くさわやかな秋空は清々しい。けれど、心に穴を抱えた人間にとって秋は、心の隙間にスッと入り込んでしまうような寂しさを感じさせる季節でもある。
夏井:もしかしたら子規は、色里に対して、季語〈秋の暮〉が内包している「もののあはれ」のような感覚を持っていたのかもしれないね。常に心のどこかで、〈十歩はなれて秋の風〉を感じている。
奥田:そうなんです。子規の艶俳句は、どこか冷静で、心の底からのめり込んではいない。客観性が見事だと。
夏井:〈色里や十歩はなれて秋の風〉は、明治二十八年の句。子規の年齢は、明治の年号とほぼ重なるので、明治二十八年なら、二十八歳と考えればいいからとても分かりやすいの。この年、子規は、日清戦争の従軍から帰る船で大喀血をしてしまう。