奥田:そして療養後に、漱石と一緒に愚陀仏庵で過ごしたんですよね。大喀血後の弱々しい体で詠んだかと思うと、何とも切ない。心象的に〈色里〉は、随分と遠くに感じられたはず。〈秋の風〉も、ことさら肌身を冷やしたんではないかと。

夏井:やりたいこと、見たいことが、まだまだたくさんあるのに、思うように生きられず、諦めざるを得ない。ひょっとしたら、自由に生きられない遊女と我が身を、重ね合わせていたフシもあったのかもしれない。

奥田:精神的な思いはいくらでも遠くに飛ばせられる子規だけど、肉体的な限界は、どうしたって受け入れざるを得ない。そこが、遊女たちに惹きつけられた理由の一つかもしれませんね。「体は売っても、心は売らぬ」という、おもねらない生きざまに。

夏井:遊女たちの中には、肺病を病んでいる女性たちもいただろうし。そして、客を選んだり、拒んだりすることができない彼女たちの境遇に、逃れられない運命に置かれた者同士の共感を感じていたのかもしれない。

 子規の艶俳句には、「傾城」の語が出てくるものだけでも、百数十句。そして、「傾城」というキーワード以外にも明らかに遊郭関連を示す言葉もたくさんある。「出女」「辻君」「禿」の他にも、「吉原」や「見返り柳」など。吉原遊郭の入り口に構えていた「大門」も、吉原情緒たっぷりに詠んでいる。

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きぬぎぬに蚤の飛び出す蒲団哉