ギフテッド、天から授けられた才能は「知能」に限られたものではない。都内在住のユウ君(10)は小学4年生。聴力と視力が突出して高い。幼少のころから音に敏感で、掃除機やクラクションの音に敏感ですぐに泣いてしまう。音が痛くてつらいというのだ。視力の面でも望遠鏡を使わなければ見えないような遠くのものはよく見えるが、近くのものがよくわからないという。「もうがんばりたくない」という息子を前に、母親は自分の息子が何か普通の子とは違うことに気づく。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集>
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■驚異の視力
2022年10月、木の葉が色づき始めた東京都内の公園で、私はある親子と待ち合わせをしていた。出迎えてくれた母親と短いあいさつを交わし、公園の舗道を歩いていく。向こうから青色の自転車をこぐ少年がやってきた。
少年は、都内に住む小学4年のユウ君(10)。毎日、母(42)と2人でこの公園や近くの河川敷で、野鳥観察をしている。朝ごはんを食べた後、2人で自転車に乗って来るのが日課だそうだ。長い日は、昼過ぎまでずっと観察しているという。
ユウ君はキャップ帽、母はハット帽をかぶり、おそろいの軽登山靴を履いて鳥を追いかけている姿は、見ていてほほえましい。毎日来るため、常連のバードウォッチャーとも仲良くなり、母自身もずいぶん野鳥には詳しくなったという。その手には、ユウ君の愛読書である『野鳥図鑑670』があった。「雨の日も来るの?」と聞くと、ユウ君はうなずいた。母によると、雨の日は、水たまりにいる虫を狙いにくる鳥を見るのが、楽しいのだという。
ただ、楽しさだけではない苦悩を、母は打ち明けてくれた。
「息子は、目や耳の感覚がとても敏感です。自宅でさえ休める場所ではありません。できるだけ人が少なく自然が多いところで時間を過ごそうとして始めたのが野鳥観察でした」
「学校はどうしていますか?」と私が聞くと、母の顔は少し曇り、それでもその不安を振り切るように言った。
「今はもう学校に行かせなければ、という思いはありません。にぎやかな学校は、とても居づらい場所なんです。私がそれに気づいてあげるのも遅くて、息子はだいぶ苦しみました」
何があったのだろうか。親子に話を聞き、私は特異な才能とともに障害を併せ持つ人の存在を知ることになる。