「胃ろう」とは、口から食事がとれない時に、おなかに「小さな口」を作る手術を行い、チューブを通して直接、胃に栄養を入れる「経管栄養」のこと。「人工透析」は、腎臓の機能が低下した人に、機械を使ってその機能を人工的に代替し、血液を浄化する治療をさす。

 美津子さんが言う。

「だって、嫌じゃないですか。単に生きているだけだったら。そうなったら、もういいです」

 正さんは最後の数カ月は在宅医療を選択、日本の在宅医療の草分け的存在である「いらはら診療所」の苛原実医師が主治医を務めた。苛原医師によると、黒田さん夫婦のように延命治療を望まず、「自然死」型の死を求める高齢者が増えているという。

「この10年ぐらいで大きく変わった印象です。ウチに来る人やその家族は、延命治療を望まない人が大半ですね。高齢者が増え、亡くなっていくのも高齢者ばかりです。社会構造が変わるにつれて、終末医療も変わっていっているのだと思います」

 とはいえ、それは在宅医療での話。依然として死亡者のうち7割以上が病院で亡くなっている。何らかの病気をきっかけに入院するなどで医療と関わり始め、治療やリハビリ、介護、入退院を繰り返しながら徐々に衰弱していき、最後は病院で亡くなる──これが、高齢者の亡くなり方のまだまだ多数派だ。

 ただ、日本人と死の関係を振り返ると、病院で迎える死の「歴史」が意外に長くはないことに驚く。グラフを、もう一度ご覧いただきたい。たかだか50年前は、死亡者の半数以上が自宅で亡くなっていた。

 医療・介護に詳しい国際医療福祉大学の高橋泰教授が言う。

「昔は自由に病院をつくれたことに加え、1973年に始まった老人医療費の無料化によって、80年代の中ごろまで日本の病院は右肩上がりで増え続け、それまで自宅で療養していたお年寄りが続々と入院し、病院のベッドは高齢者であふれかえるようになったのです」

 そこから過剰診療とでもいうべき事態が始まる。「患者の病気を治すのが医師の仕事」と教えてきた医学教育の影響もあって、医師たちは「一日でも長く生かす」ための治療に専心するようになった。

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