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熟年離婚しないためには? AV界の巨匠・代々木忠「相手を思いやる『対人的感性』が必要不可欠」
熟年離婚しないためには? AV界の巨匠・代々木忠「相手を思いやる『対人的感性』が必要不可欠」 代々木忠(よよぎただし)/ 1938年、福岡県生まれ。若き華道家として将来を嘱望されるが、親友に請われて極道となる。カタギに戻ってからはピンク映画を経てビデオの世界へ。2021年に引退するまでAV監督としての作品は約600タイトル。愛称はヨヨチュー。著書に『プラトニック・アニマル』(幻冬舎アウトロー文庫)、『つながる』(新潮文庫)などがある。(撮影/写真映像部・上田泰世)  現代人の愛と性の悩みに回答する『人生を変えるセックス 愛と性の相談室』(幻冬舎新書)が話題だ。著者は伝説のAV監督・代々木忠さん。心の奥まで写し撮るドキュメンタリーの手法でAVを撮り続け、長年、性と向き合ってきた。そんな“ヨヨチュー”の回答には、老後を変えるヒントも詰まっている。そこで、中年・熟年世代の「あるある」の悩みに回答してもらった。 *  *  * Q:セックスが好きじゃないのは問題ですか? A:セックスが好きじゃない人はたくさんいます。嫌いとまでは言わないけれど、あまりしたくないという人まで含めると、セックスに興味を持てない人が多数派になろうとしている時代です。  生きる目的や意義は千差万別ですが、人はみな「快」によって生かされています。いい仕事ができたという達成感は快だし、功名心がくすぐられるのも快なら、収入が増えるのも快。人生における快は至るところに存在していて、セックスで気持ちよくなるのは、そのうちの一つです。  だからセックスなしの人生も、「今」に満足していれば、何の問題があるはずもありません。  余談ですが、人生を重ね、快を求め続けた先にあるのは「利他の心」ではないでしょうか。利他とは自分を犠牲にしてでも他人のために何かをすること。自分だけが幸せになるよりみんなが幸せになってくれたほうが嬉しい。人間とは、本来そう感じる生き物なのだろうとも思うのです。 Q:結婚生活が長すぎて愛がわからなくなります。 A:うちも結婚生活は長いですが、僕がたまにやっているのは、家族の思い出が詰まった昔の写真を見ることです。最初の子どもは生まれてすぐに死んでしまったのですが、そのあと女房と二人で行った伊豆の遊覧船に乗っている彼女のスナップ、そのあと生まれた娘が幼い笑顔で女房と笑い合うスナップなど「あぁ、こういうときがあったなぁ」と家族の歴史を思い出すような写真を見るんです。そうすると胸にじんわりとしたものを感じます。 スマホに準備した回答を読み上げながら取材に応じてくれた代々木さん(撮影/写真映像部・上田泰世)  じんわりとした、そのあたたかいものは、感情です。感情は「今」この瞬間にしか存在しません。この瞬間、瞬間の積み重ねこそが愛ではないでしょうか。いずれにしても愛は定義するものではなく、感じるものです。そして「今」に宿るものだと思います。 Q:熟年離婚しないために大切なことは? A:僕の作品に出てくれる女性に離婚に至る原因を尋ねると、多くに共通するのは、夫が妻に、妻が夫に、本当の自分を出してこなかったということです。良いところだけでなく、弱点やコンプレックスも全部見せるなかで信頼関係が生まれます。  夫婦間に会話があればお互いにわかり合えている、というわけではありません。  かつて、サイト上で女性からの愛と性の相談に乗っていたころ、やってきた奥さんは離婚寸前という状態でした。旦那さんに何を言っても理屈で返され、それがもう耐えられないと言うのです。旦那さんからすればコミュニケーションが取れている。でも、奥さんが求めているのは論理的な解釈ではなく「心」だったわけですね。これは大きなすれ違いです。一般的な社会生活ならば、頭脳と頭脳のコミュニケーションで成り立ちますが、夫婦生活においては、お互いの心が交わるコミュニオンと、相手を思いやる「対人的感性」が必要不可欠です。  その「対人的感性」は心がイクオーガズムによって成熟します。心と心がつながる営みができれば、セックスレスはもちろん、不倫や離婚、DVや虐待まで激減するのになぁと僕は思うのです。 (構成/大道絵里子)※週刊朝日  2023年6月2日号より抜粋
格差社会を生きる現代の若者へ 勇気を与える“幻だった名作”
格差社会を生きる現代の若者へ 勇気を与える“幻だった名作” ※写真はイメージです (GettyImages)  1951年から続いてきた「週刊朝日」の書評欄「週刊図書館」。本誌休刊を前に、執筆陣の方々が「次世代に遺したい一冊」を選出した。 *  *  * ■『忘れられた日本人』(宮本常一 岩波文庫) 選者:詩人・小池昌代  山に入る人のイメージに長く捕らわれてきた。日本語の文学の内には、古より、吸い込まれるように山道を行った老若男女の旅姿がある。宮本常一『忘れられた日本人』をあげる。土佐の山中の橋の下の乞食小屋で、来し方の女を語る盲目の元馬喰。奔放な旅を重ねた世間師たち。彼らは、意外にも個を際立たせ、行動においては強烈、荒々しく性的だが、霊妙な品格を感じさせる。こんな人間がいた。生きていた。そのことを知るだけで力となるような人々だ。 ■『侍女の物語』(M・アトウッド著 斎藤英治訳 ハヤカワepi文庫) 選者:翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子  アトウッドは「予言者」と言われてきた。『侍女の物語』を今ぜひ読んでほしい。キリスト教保守政党が一党独裁する管理社会を描いたディストピア小説だ。極端な男女隔離政策を敷いたその国では、深刻な少子化の原因は「女性の未婚、晩婚化」にあるとし、「侍女」たちが子産み機械として酷使される。LGBTへの迫害もひどい。本作が書かれた1985年にはこんなことがアメリカで起こるはずがないと言われたが、現実はどうだろう! ■『茨木のり子詩集』(茨木のり子 岩波文庫) 選者:ノンフィクション作家・後藤正治  茨木のり子は多くの読者をもつ詩人である。第一詩集『対話』は29歳の時に刊行されているが、冒頭にあるのは「魂」で、最終連はこうある。「いまなお<私>を生きることのない/この国の若者のひとつの顔が/そこに/火をはらんだまま凍つている」。私はまだ<私>を生きていない。<私自身>であれ、裏返していえば<あなた自身>であれ──。それは終生、茨木の詩に通底して流れる問いかけであり続けた。だから故に、多くの読者をもち続けてきたのだろう。 ■『ドウォーキン自伝』(A・ドウォーキン著 柴田裕之訳 青弓社) 選者:作家・比較文学者・小谷野敦  ラディカル・フェミニスト、アンドレア・ドウォーキンの自伝だが、文学や藝術に惹かれる多感な少女時代と、崇拝の的だったアレン・ギンズバーグへの失望、結婚と夫の暴力などをへて、私たちの知るドウォーキンが形成されていったさまは実に興味深い。  さらに、ヒラリー・クリントンが民主党の大統領候補になる10年も前に、ドウォーキンはクリントン夫妻を批判していた、そのことの価値が訳者の解説により鮮明になっている。 ■『奴隷 小説・女工哀史1』(細井和喜蔵 岩波文庫) 選者:文芸評論家・斎藤美奈子  作者はあの有名な『女工哀史』の著者。京都の丹後地方に生まれた少年が一念発起して家出、大阪の大工場の労働者として成長する姿を描いている。恋あり夢あり挫折あり。プロレタリア文学なのにエンターテイメントという稀有な青春小説だ。原著の発行は1926年。続編の『工場 小説・女工哀史2』ともども2018年に岩波文庫に入るまでは、幻の作品だった。読書の楽しみを再発見し、格差社会を生きる現代の若者たちにも勇気を与えるにちがいない。※週刊朝日  2023年6月2日号より抜粋
老親の老人ホーム選びで「決められない」のはなぜ? 親が緊急搬送、退院が迫って子が考えるべきこと
老親の老人ホーム選びで「決められない」のはなぜ? 親が緊急搬送、退院が迫って子が考えるべきこと ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  親が病気やけがで病院に運ばれ、退院後の一人暮らしは無理といわれたときから、ばたばたと老人ホームなどの入居施設選びが始まるケースは多いようです。どの家族も施設のパンフレットを手に入れ、見学に訪れ、職員との面談を希望します。しかし、「その前にやっておいてほしいことがある」と介護アドバイザーの高口光子さんは言います。それがなければ施設選びは不可能だとも。どのようなことなのでしょうか。 *  *  * ■親の緊急入院。その後の施設選択が急がれる  一人暮らしをしていた親が脳卒中や転倒による骨折などで急に入院。遠方に住むあなたはとりあえず駆けつけ、命は助かってほっとしたのもつかの間、「退院後の一人暮らしは難しいでしょう」という診断。しかも運び込まれた急性期病院は1カ月ほどで退院しなければならないとのこと。親との同居をするつもりがないなら、施設あるいは一人暮らしのための在宅サービスを選ばなければなりません。 元気がでる介護研究所代表・高口光子氏  一般的には、こうなってもあわてずにすむように、「親が70代80代になったら、心の準備をしておいてください」といわれていますが、それでも現実にその状況になると、やはり驚き、あわててしまい、後悔につながる展開となってしまうこともあります。だからこそ、病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)やケアマネジャーなどの介護スタッフへの相談は必須となります。  しかし、相談の場に臨んで、一番大切なこと、必要なことを押さえていない人が多いのです。それは、子どもであるあなた自身の意思です。 ■制度のことはわかっているが、決められない  母親が脳梗塞で倒れて左半身にまひが残り、それまでの一人暮らしが続けられなくなった、と訪れた50代半ばの男性(息子)の相談も、そんな内容でした。  まずおかあさんのおおよその状況を聞いたあとで、介護保険サービスでできること、高齢者施設の種類、施設にはそれぞれ特徴があること、おかあさん本人や家族の希望に合わせて選べることなどを、パンフレットを見てもらいながらくわしく説明します。すると、「わかってる、わかってる。だからうちの母親の場合、どうしたらいいんですか。それを教えてください」との答えです。  適切な施設を紹介するために、「将来的に、あなたの奥様が仕事をやめて、自宅で介護をされるおつもりですか」とたずねると、「まだわからない」、「施設は、いままでお母様の住まれていた地域がいいですか、それとも今の(男性の)お宅の近くのほうがいいですか」「まだ決めてない」といった答えです。こちらが「では一度、もち帰ってもらって、ご家族で相談してください」と勧めると、「そんな時間はない! 専門家のあなたたちがどうしたらいいか言ってほしい」の一点張り。せっかちに結論を促す男性に何度も堂々巡りを繰り返して、私たち職員はむなしく疲れ果ててしまいました。 ■自分の生活についての意思がないケースが多い  時間をかけたにもかかわらず、なぜ面談は平行線に終わってしまったのでしょうか。  私は、男性に、親の介護を含めた自分の生活に対する「意思がない」ことが原因だと思っています。勘違いされがちなのですが、この「意思」は親ではなく、「子ども(自分)の生活、幸せの形」についてのものです。  自分は介護離職をするのかしないのか、いままでどおり親とは離れた場所で暮らすのか、妻には仕事を続けてもらうのか、自分の子どもたち(老親にとっては孫)にも介護に参加してもらうのかなど、自分で自分の生活をつくる意思と、それを具体化するためのプランがなければ、親の施設を選ぶことはできません。 「私のことはどうでもいいんです、母親(父親)のことなんですよ」と言われるかもしれません。もちろん、親の考えや希望を尊重するのはいうまでもありません。しかし救急搬送されたそのときから、施設を選ぶというような親の生き方を子どもが決めるという状況では、得た情報を選択して主体的に進めていくのはあなたの意思なのです。どうでもいいはずがありません。そこでは、親の介護や生活は、あなたの幸せの形の一つとして、つまり「自分のこと」として考えていいのです。  それがないと、前述の男性のように施設の選択のしようがありません。 ■意思を実現するために介護サービスを利用する  介護にかかわる制度やしくみ、サービスは、あなたの意思に沿って選択し、じょうずに活用することで、初めて生きてきます。制度やサービスがあるから安定した生活ができる、幸せになれる、ではないのです。制度やサービスは意思を実現するための道具にすぎません。  親が救急病院に運び込まれてから、急性期病院の退院~回復期病院への転院~回復期病院の退院まで、通常、2~3カ月は時間があります。この間に家族と話し合って、親の気持ちや希望を大切にしつつ、自分の幸せについて意思を固める、そして医師などの医療スタッフやMSW、ケアマネジャーなどに相談すれば、なんらかの道筋はつけられるでしょう。医療からスタートした相談を、地域包括支援センターなどの地域に広げていけば、その先にもまだ選択肢は必ず用意されているはずです。 「私たちはどうしたらいいのでしょう」ではなく、「こういうふうな生活をして、このような幸せを守りたい。そのためにはどんな施設がふさわしいですか」という問いかけから、施設選びは始まるのです。 (構成/別所 文) 高口光子(たかぐちみつこ) 元気がでる介護研究所代表 【プロフィル】 高知医療学院卒業。理学療法士として病院勤務ののち、特別養護老人ホームに介護職として勤務。2002年から医療法人財団百葉の会で法人事務局企画教育推進室室長、生活リハビリ推進室室長を務めるとともに、介護アドバイザーとして活動。介護老人保健施設・鶴舞乃城、星のしずくの立ち上げに参加。22年、理想の介護の追求と実現を考える「高口光子の元気がでる介護研究所」を設立。介護アドバイザー、理学療法士、介護福祉士、介護支援専門員。『介護施設で死ぬということ』『認知症介護びっくり日記』『リーダーのためのケア技術論』『介護の毒(ドク)はコドク(孤独)です。』など著書多数。https://genki-kaigo.net/ (元気が出る介護研究所)
別格の品格の雅子さまの着物姿 園遊会でもてなしの心あふれる着こなしを歴史文化学研究者が解説
別格の品格の雅子さまの着物姿 園遊会でもてなしの心あふれる着こなしを歴史文化学研究者が解説 東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた「春の園遊会」での天皇、皇后両陛下(代表撮影/JMPA)  5月11日に東京・元赤坂の赤坂御苑にて開かれた令和初の春の園遊会。あいにくの雨の悪天候であったが、天皇、皇后両陛下に続いてお出ましになった女性皇族の方々が一列に並んだ着物姿は絢爛でまさに圧巻だった。それぞれの「らしさ」あふれる着物に関して、皇室の装いに詳しい歴史文化学研究者の青木淳子氏が解説する。 * * *  園遊会の中盤は落雷もあったほどの悪天候だったが、晴れやかな気持ちにさせてくれたのは、天皇、皇后両陛下と招待者たちの弾む会話と、何より雅子さまのお召し物だ。 控えめながらも別格の気品あふれる雅子さまの着物姿(代表撮影/JMPA)  女性皇族のお召し物は、「平成」の時代の園遊会では和装、洋装を、当時の皇后陛下・美智子さまがお決めになったとされている。この春の園遊会は和装であったが、「もし令和も平成の流れを踏襲されているとしたら、今回の園遊会では、日本の代表的衣装である着物をお召しになる、と雅子さまが皇后としてお決めになったと考えられます」と青木氏は指摘する。  青木氏は今回の園遊会への雅子さまの気持ちをこう読み解く。 「和装は準備から着付けや身のこなしなど、洋装に比べて簡単ではなく、体への負担も大きいものです。でも、あえて和装になさったのは、コロナ禍からの久々の『あけ(明け)』や『ハレ(晴れ)』の気分を皆さまに味わっていただきたい、との思いがあったのではないでしょうか。そしてもちろん、そこに皇后としてのお気持ちが感じられます。園遊会での雅子さまの笑顔やお話ぶりを拝見すると、そのお気持ちは、皇后としての意気込みとかお覚悟とかいった、堅苦しいものではなく、自然体で、(国民の皆さまを代表していらっしゃる)招待客の皆さまを、晴れやかなお気持ちにさせたい、そしてそれを通して国民の皆さまにも、そう感じ取っていただきたい、そんなお心の表れではないか、と思いました」(青木氏)  そんな雅子さまのお隣にいる天皇陛下は、会話の中で声を出して笑い合うなどの様子も見られ、まさに天皇、皇后両陛下ともに自然体だった。 東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた「春の園遊会」での天皇、皇后両陛下(代表撮影/JMPA) 「雅子さまの着物は訪問着で、グレーにも見えるごく薄い水色の地で、流水に紫の菖蒲や黄色の菊もしくは蒲公英(たんぽぽ)ともとれる模様。流水に葉と花が立ち上がるデザイン。菖蒲は5月の節句にちなんだお花。菖蒲は長寿のまじない、魔除けとして用いられています。園遊会に集まる方々の長寿を願う、という意味にもとることができます。また、菖蒲は古くから勝負と掛けることもあります。今回オリンピックの選手の方々との会話もありましたが、応援するお気持ちも読み取れます。帯は金に近い銀色。裂(きれ)取りのように、所々に朱や緑などの薄い色味がある、あたたかな印象の帯でした。二重太鼓に結ばれており、帯揚げは白(クリーム色)、帯締めは帯と似たような金銀色で揃えられていました」(青木氏) まるで庭園の四季を描いたような雅子さまの着物の模様(代表撮影/JMPA)  園遊会は天皇、皇后両陛下が主催であるが、雅子さまの着物は主催側として、落ち着いていて控えめながらも圧倒的な品格のある、おもてなしの心があふれる着こなしでいらした。 「今回の雅子さまの着物は、5月という季節に合わせた菖蒲が描かれ、まるで庭園の四季の表情を表したかのようでした。2018年11月の秋の園遊会では、紅葉の図柄の着物でしたが、園遊会という戸外での行事の雰囲気に合わせて、自然を感じる図柄を選択されています。自然な雰囲気の中で招待客の皆さまをお迎えされるそのお気遣いが素敵でいらっしゃると改めてと思いました。皇后になられて5年目ですが、自然の風物を表した着物姿に、その会話や笑顔も相まって、皇后としての自然体のお姿から慈愛にあふれた心を見せていただけた思いです」(青木氏)  雅子さまの別格の気品とは違った形で華を添えたのは、園遊会デビューをされた秋篠宮家の次女・佳子さまの振り袖姿だ。 東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた「春の園遊会」での振り袖姿の秋篠宮家の次女・佳子さま(代表撮影/JMPA) 「佳子さまは、振り袖をお召しでした。クリーム色の地に、菊など四季の花々やおめでたい松などが、朱の地の雲取りの中に配置されています。金箔も使われ、豪華な印象です。帯は格式のある華文で、緑色を基調にし、補色の朱が差し色になっていて、古典的な配色ですが、とても若々しいコーディネートです。豪華な振り袖と帯ですが、髪の毛をアップにせず下ろしたヘアスタイルからあまり気張らない親しみやすさを大切にされた感じがしました」(青木氏)  この振り袖は、過去にもお召しになったもので、青木氏は続けてこう解説する。 「着物は19年9月16日にオーストリア、ファンダーベレン大統領を表敬訪問されたとき、帯は19年9月20日にハンガリー、アーデル大統領を表敬訪問されたときのものです。チャールズ英国王の戴冠式でもサステナビリティーがテーマの一つでしたが、佳子さまも近年のSDGsなどを念頭におかれていると思います。初の園遊会でしたが、様々な工夫を凝らしてお手持ちの衣装を、より素敵に着こなされていますね。佳子さまにとって、オーストリア、ハンガリー訪問は初の海外ご公務であり、内外からも評価を得たことと思います。このようなときに着用した着物と帯だからこそ、園遊会デビューにふさわしいと選択されたのかもしれません。何かと注目される難しいお立場ですが、ひとつひとつのご公務に真摯に取り組み着実にこなしていきたい、とお考えなのではないでしょうか。今回は、着物や帯の色柄の選択よりも、こうした姿勢に『自身をいっそう大切にされながら、新しい皇族女性の在り方』、言い換えれば『皇族としての自分らしい在り方』を模索されている『佳子さまらしさ』を感じます」(青木氏)  佳子さまらしさに合わせて、母である紀子さまとの息の合った姿も素敵だったと青木氏は指摘する。 東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた「春の園遊会」での秋篠宮ご夫妻と次女・佳子さま(代表撮影/JMPA) 「紀子さまは、クリーム色の訪問着でした。梅や菖蒲といった花々に、雅楽の楽器である笙(しょう)や鼓が描かれています。雅な調べが聞こえてきそうな図柄です。帯は深い金色系の格のある蜀江柄(しょっこうがら)です。蜀江文とは中国から伝来した蜀江錦に織り出されている柄です。八角形と四角形がつながれたような文様で、きりっとした装いにまとめられています。雅楽という古典のモチーフや格式のある柄の帯を選択された紀子さまから、皇族としての矜持を保つ姿勢を感じます。紀子さまと佳子さまは、着物の地色をクリーム色に合わせられ、ヘアスタイルも下ろしたまま。親子でお立ちになったときに、とても良いバランスです。おふたりとも、下ろしたヘアスタイルで、あまり気張らない自然さを大切にされたお心を感じました」(青木氏) 赤坂御苑の丘に一列に並ばれた女性皇族。写真中央、深い紫色の訪問着の三笠宮家の長女・彬子さま、写真右の華やかな訪問着の高円宮家の長女・承子さまなどそれぞれ個性的(代表撮影/JMPA)  佳子さま以外の若い女性皇族は、振り袖ではなく、それぞれ個性的な訪問着で参加されたことが印象的だった。 「三笠宮家の長女・彬子さまの訪問着は深い紫地で、雲枠の中に、小花や松竹の葉が朱や緑の刺繍で表されています。匹田(ひった)絞りの地が趣味的で、目を引きました。帯は緑を挿し色にした朱の華文で、大ぶりの珊瑚の帯留が凝った装いです。着物と帯、それぞれ古典的な色柄文様であるにもかかわらず、紫と朱の取り合わせが大胆で、帯留などの小物もあしらわれ、柔らかな色の着物が多い中、鮮明で、ある意味、個性的に感じられました。高円宮家の長女・承子さまは、クリーム色の地にオレンジ系の草花が全体に描かれ、金色の藤の図柄が背景に広がる、華やかな訪問着でした。帯は名物裂の間道(かんとう)。間道とは、室町時代に中国から渡来したしまの裂です。漢渡、漢島、広東とも書き、高級な織物として、茶人の間で大切に保存され伝えられた織物でもあります。ゴージャスな雰囲気で、承子さまに良くお似合いでした。独身の女性皇族でも、一律に振り袖、というのではなく、それぞれ個性を大切にした着物姿に成熟した人間としての魅力を感じます」(青木氏)  それぞれの「らしさ」あふれる着物の競演であったことが振り返られる。 「招待客のスピードスケートの高木美帆さんは総絞の振り袖でしたが、絞りは、布を一つひとつ括るところから始まります。その制作工程には途方もない労力が尽くされています。制作者の心がこもったこの着物を選択して園遊会に臨んだ高木さんの意気込みが、装いから伝わってきます。他の参加者の方々も、それぞれの思いをこめた着物を着用されたことでしょう。大雨でしたが、着物の方々が集ったからこそ、その方々の意気込みとあたたかなエネルギーが伝わってきました。そしてそれを大きく受け止める天皇・皇后両陛下、皇族の皆さまの笑顔が素敵でした」(青木氏)  何より雅子さまが自然体でいらしたのは、あたたかなエネルギーに包まれていたからかもしれない。 (AERA dot.編集部・太田裕子) 〇青木淳子/歴史文化学研究者、学際情報学博士(東京大学)。元大東文化大学特任准教授(2020年3月任期満了にて退職)、現在、大東文化大学・フェリス女学院大学・実践女子大学・学習院女子大学非常勤講師。日本フォーマル協会特別講師。著書に『パリの皇族モダニズム』(KADOKAWA)、『近代皇族妃のファション』(中央公論新社)など。大学卒業後婦人画報社(当時)にて、『美しいキモノ』特集号、『結婚の事典』の編集を担当。
元日経記者・後藤達也 日銀キャップ退職に「会社員の立場を捨てることに家族のほうが前向きだった」
元日経記者・後藤達也 日銀キャップ退職に「会社員の立場を捨てることに家族のほうが前向きだった」 「日経の退社に関し妻は『辞めろ』に近い勢いだった」と後藤さん(撮影/小山幸佑)  後藤達也さんが日本経済新聞社を辞め、会社員からフリーランスに転じたのが2022年4月。今の仕事状況は? 普段見せないプライベートは? アエラ増刊「AERA Money 2023春夏号」より5ページのインタビューを抜粋してお届けする。  ツイッターのフォロワー数50万人超(2023年4月20日現在/以下同)、ユーチューブのチャンネル登録者数約25万人、noteの有料読者約2万人といった驚異的な数字を、経済系インフルエンサーでは史上最速レベルで達成した。  フリーランスへの理想形のような転身に成功した後藤さんだが、インタビューでお会いしたときは濃紺のスーツにネクタイ姿。絵に描いたような「大手企業に勤めるエリートビジネスパーソン」に見えた。  実際、エリートだったことは間違いない。文春オンラインが2022年3月、実名こそ伏せたが「精緻(せいち)な解説で人気だった日銀キャップが退職届を提出」したことを報じたとき、業界に衝撃が走った。  日銀記者クラブは報道各社が精鋭記者を投入する経済報道の主戦場。現場責任者である「キャップ」は出世コースに乗った人が通る道だ。  後藤さんは妻と子どもの3人暮らし。日経を離れることに家族の反対は全くなかったという。本人の気持ちはどうだったのか。 「辞めたくて仕方がないほど嫌気が差していたわけではありませんが、仕事は過重気味で窮屈さはありました」  退社直前、ニューヨーク特派員時代にはじめたツイッターのフォロワー数は30万人を超えていた。独立にあたってこのアカウントは閉じ、イチから再スタート。 「情報発信で生計を立てられるほど世の中に求められているか……。不透明でしたが、試してみたい気持ちが強まりました」  迷う心境を妻に話したら「『辞めろ』に近い勢いで強力に背中を押してもらいました(笑)。もしかしたら日経にずっと残るほうがリスクなのではないか、と」。 「妻はシンクタンクで働いていて、収入があります。少しは貯金もあったので、1年働いて100万円しか稼げなくても、すぐに生活に困るわけではないだろう、と。全然食えないとなったら、また職を探せばいいと楽観的に考えていました」 「ツイッターなどのSNSで経済に関し『断言』する人は信じないほうが」  後藤さんは慶應義塾大学経済学部を2004年に卒業し、日経入り。金融市場全般と日銀、財務省、企業調査を主なフィールドにニューヨーク特派員も経験し、取材や執筆の幅を広げてきた。  記者の仕事は情報入手で競う面が強いが、後藤さんは日経在職中に米国コロンビア大学留学も経験している。シンクタンクのCJEB(日本経済経営研究所)で2年、エコノミストとしての修業を積んだ。  独立して、暮らしはどう変わったか。 「気が向いたとき、働きたいときに働いています。夜9時に寝て深夜2時に起き、執筆することもある。午前3時に寝ることも」  どんなに忙しくても1日6~7時間の睡眠は確保する。寝不足は大敵。 「家では自室に行けばいつでも仕事ができてしまうので、オンとオフの境目があいまいになった感じはあります」  後藤さんとマーケットとの接点は学生時代にさかのぼる。 「2000年夏のマネックス証券上場直前、創業者の松本大(おおき)さんの講演を聞いて株に興味を持ちました。当時は大学生でしたが、なけなしの貯金でマネックスの株を買ったのが最初です。  その後20年以上も経って松本さんと対談(2022年12月28日「マネクリ」<マネックス証券のマネー情報メディア>)したときはうれしかった」  一口にお金や経済の情報と言っても、ツイッター、note、ユーチューブ、テレビ番組と各媒体に適した伝え方がある。 「noteは日本経済新聞に近いかもしれません。月500円の課金をしてでも勉強したい人たちが読んでくださっているので、『つみたてNISA(少額投資非課税制度)って何?』みたいな超初心者向けの内容はマッチしづらい。  ツイッターのフォロワーも金融リテラシー(お金や経済の知識と判断力)が高めの人が多いように感じます。ユーチューブは視聴者の視聴結果を元におすすめ動画が表示されることもあり、少し受け身。  とはいえ経済に興味のある人が見る前提ですから、わかりやすいグラフを自作し、視聴してくれる層を探っています。 「正直にやる。小金目当てに読者の信頼を失うほうが怖い」  テレビは『関心はなかったけど、たまたま(後藤が)出ていたから見た』という人も多いでしょうから、金融の知識ゼロの人にもわかるような解説を心がけています」  お金についての興味や勉強の熱意は千差万別。だからこそ一律に同じ情報を発信するのではなく、伝えるべきポイントや話し方も変えていく必要がある。  後藤さんファンにはどんな人が多いのだろう。なぜここまで支持されているのか。 「金融機関も大手メディアも相手にしてこなかった『カネにならない人たち』がついてきてくれている気がします」  証券会社や銀行では、高い手数料を払ってさまざまな金融商品を買ってくれる人が「いい顧客」だ。買わせるために、あの手この手で新商品の紹介をする。  相場解説もどちらかといえば「上昇期待」に寄る傾向にある。大手ウェブメディアや雑誌はクライアントの絡みもあり、いいものは褒めるが悪いものには触れない(けなさない)ことが多い。  テレビは「年金の運用成績が悪い」「投資で損した」など悪い話のほうが視聴率を稼げるので、民放が大きく報じるのはネガティブな話題——。 「日経新聞の読者は数百万人。その読者には、金融や経済を知り尽くしたプロもいます。その対極に『消費者物価指数やFOMC(米連邦公開市場委員会)などという言葉を見かけるけど、実はよくわからない』『NISAなどで資産運用をしたいが知識ゼロ』という人がいて、こちらが数的には圧倒的に多い」 「NISAって何?」「投資信託はどれを買えばいいの?」という情報はあっても、経済の流れを自分で判断できるようになる力が養える場はなかった。  後藤さんの言う通り、この層を鍛えてもカネになりにくいのである。NISAで低コストなS&P500の投資信託を買う「だけ」の人は、証券会社の利益にはほとんど貢献しない。  複雑に絡み合う経済動向をわかりやすく解説するのはプロでも難しい。そして経済の知識が豊富な人が、初心者に理解させるスキルを持っているわけではない。 「SNSなら忖度(そんたく)なしに情報発信できます。ネットのおかげで、これまで情報が届かなかった人たちにアプローチできています。  経済を知らなくても生きていけるし、興味がなければ調べなくてもいい。でも、よほどの富裕層でない限り、預金以外での資産形成は避けて通れない問題でしょう」  わかりやすく、おもしろく、偏りなく。後藤さんの情報発信に共通する3カ条だ。ツイッターでもnoteでもユーチューブでも、読者数や再生数を稼ぎたいための過激な「釣り見出し」コンテンツはない。  ネット上には有料無料を問わず、情報があふれている。大げさなもの、間違っているものも多々ある。 「特定のインフルエンサーの1人か2人だけを信奉することは勧めません。『この人に聞けばすべて完璧』なんて、ありえないからです。  また、断定口調を連発する人は危険かもしれない。株価や為替の見通し、買うべき金融商品を断定的な言葉で語られると、インパクトがあって『この人の言うことはすごい』と思ってしまうかもしれませんが……ご注意ください」  金融機関やきちんとしたメディアは基本的に断定口調を使わないので、特に初心者は「言い切られると新鮮に感じる」のだ。言葉のマジックである。 「マーケットと長年向き合っていると、断定口調で話すことが恥ずかしくなってくるものです。世の中は複雑ですから。明日は何が起こるか、誰にもわからない」  ツイッターもユーチューブも、怪しいもののほうが多いと思うぐらいでちょうどいい。発信するのに資格は不要だし、過激なことを言うほど注目され、フォロワーも増える。  大手金融機関に勤めていたことを信頼性の担保にする人もいるが、どの部署にいたかで知識の程度は変化する。正確な情報を丁寧に発信している人ほど目立たない(後藤さんを除く)。  最近はSNSだけでなく、書籍も見極めないと危ない。フォロワー数の多さに目をつけた版元から声がかかり、付け焼き刃の知識しかない人が出す「トンデモ本」が存在する。  証券会社のレポートや新聞にも、それぞれのバイアスがかかっている。  そういえば後藤さんのSNSには、アマゾンアフィリエイトのリンクすらない。アマゾンアフィリエイトとは、読者がリンクを踏んでから一定時間内に何か買い物をすれば、アカウント保有者に売り上げの一部がバックされる形のネット副業の定番だ。 「そもそもツイッターのリンクを踏んでもらうことで直接稼ぐ気がありません。自分が本を出したらお知らせしますが、そのリンクにさらなる収益の仕掛けは入れない」  自分の本なら、本を買ってもらうだけで多少なりとも収益につながるから、そこにわざわざアフィリエイトは仕込まないというわけだ。何かと正直な人なのである。 「自分の小金稼ぎのために、フォロワーにとって重要じゃなかったり、時には有害だったりする情報も発信すると思われたら、信頼度が下がってしまう。アフィリエイトで得られる目先の利益を優先して信頼を失うほうが、よっぽど損だと思います」  政府は2024年、値上がり益や配当が非課税のNISAを拡充。年間投資枠を最大360万円、非課税保有限度額を1800万円に広げる。後藤さんはどんな資産運用を勧める? 「NISAに工夫なんて、必要ないです。他の人が知らない裏ワザもありません。よくわからなければ、米国主要企業を網羅するS&P500や全世界株式に連動する投資信託をつみたてればいいと思います」  この1年で1ドル=一時150円超えまで円安が進み、全資産を円だけで保有することのリスクに気づいた人は多いはず。 「日本の円預金以外に、米国株などの海外資産をある程度保有することは必要でしょう。儲けるためではありません。自分の資産や生活を守るためです」  後藤さんは高校や大学で金融教育の出張授業も行う(2023年5月末まで募集、予定が埋まり次第終了)。謝礼どころか交通費も不要という。現在、はじめての著書を執筆中。日経BP社から発売予定だ。  最後に素顔をのぞくべく、お酒について。 「ウイスキーが好きです。『マッカラン12年』などのスタンダードな銘柄。あとは日本酒。吟醸香や甘味の強いものより、すっきりした味のものを選びます」 ◯後藤達也(ごとう・たつや)/経済ジャーナリスト。1980年生まれ、大阪府出身。慶應義塾大学卒業後、日本経済新聞社入社。金融市場全般、日銀、企業取材などの記者になる。その後、シンクタンク系の部署を経て2016年よりコロンビア大学ビジネススクールの付属機関、日本経済経営研究所(通称CJEB=Center on Japanese Economy and Business)へ。2019年4月~2021年9月、ニューヨーク特派員。このときツイッターによる経済情報の発信をスタートし、フォロワー数30万人超に。2022年3月に日本経済新聞社を退社、ツイッターアカウントも改めて新規で立ち上げ、現在のフォロワー数は50万人超。現在は「note」で月額500円のメンバーシップマガジン(会員数約2万人)やツイッターで情報を発信。YouTubeやテレビなどにも出演し、ファンを増やし続けている。“経済をわかりやすく、おもしろく、偏りなく”がモットー。既婚、子ども1人。好きな食べ物はすし、好きな酒はウイスキーと日本酒 編集/綾小路麗香、伊藤忍 ※『AERA Money 2023春夏号』から抜粋
医師が提案する抗がん剤を断りたい ステージ4患者「そこまでしなくても」【医師との会話の失敗例と成功例】
医師が提案する抗がん剤を断りたい ステージ4患者「そこまでしなくても」【医師との会話の失敗例と成功例】 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  病院に行き外来で主治医にいろいろ聞こうと思っていても、短い診療時間でうまく質問できなかったり、主治医の言葉がわからないまま終わってしまったりしたことはありませんか。短い診療時間だからこそ、患者にもコミュニケーション力が求められます。それが最終的に納得いく治療を受けることや、治療効果にも影響します。今回は、86歳の前立腺がんステージIVの患者が医師から提案されている抗がん剤治療を断りたいと考えています。医師との会話の失敗例、成功例を挙げ、具体的にどこが悪く、どこが良いのかを紹介します。  西南学院大学外国語学部の宮原哲教授と京都大学大学院健康情報学分野の中山健夫教授(医師)の共著『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版)から、抜粋してお届けします。 *  *  * 「失敗例:エピソード1」と、「成功例:エピソード2」を順番に紹介します。 『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版) 【患者の背景と現状】  Hさんは86歳の男性で、前立腺がんステージIVの患者です。妻は昨年亡くなりました。長い間サラリーマン生活をし、定年まで仕事一筋でがんばりました。幸い3人の子どもはそれぞれ家庭を持ち、7人の孫と2人のひ孫にも恵まれ、入院前は一人で生活していたHさんを訪れ、にぎやかで楽しい時間を過ごすことができました。  前立腺がんはかなり進行した状態で見つかったので、手術は困難です。これまで放射線治療を行ってきました。がんの進行をある程度抑えられてはいるものの、今後治療を継続しても根治する可能性があるかは疑問です。  Hさんは、今かかっている病気以外に特別に健康上の問題があったわけでもなく、仕事にも、結婚生活や家庭にも満足した生活を送ってきました。振り返ってみると幸せな人生だったとHさんはもちろん、周りの人たちも思っています。  医師からはまだあきらめないで、一日でも長く生きることを目標に治療を継続することを提案されています。一方のHさんは「先生や他の方々には十分がんばってもらったし、自分としてはもう……」という気持ちです。 【エピソード1】 医師:Hさん、今日はどうですか。血圧や脈拍には異常はないし、顔色もいいですね。 Hさん:ええ、まあ。 医師:このまま、もうしばらく放射線治療を続けて、今後抗がん剤治療も始めて、少し様子を見てみましょうか。 Hさん:あ、いや。もうそこまでしなくても……。もう十分尽くしてもらったし、私はいつでも、です。もうすぐ90歳にもなるし、抗がん剤は苦しいと聞きますし、治療はもうあまり……。 医師:最近は高齢の方のがん治療も進んで、Hさんより上の方でも治療を受けられていますよ。薬の副作用を抑える薬もありますし、まだ望みはあります。それに最近では免疫療法もかなり効くようになってきましたし。 Hさん:いやあ、もう、そんなにしてもらわなくても。もっと若くて、先がある人のために医療費を使わないと、もったいない。 医師:じゃあ、もう少し検査をして様子を見てみましょうか。 Hさん:うーん……。 【このときの医師の気持ち】  前立腺がん自体は治すことができなくても、上手に付き合いながら一日でも長く、子どもさんの家族と楽しく過ごしてもらえるようにするのが医療者の務め。確かに治療にはいくらか辛さがともなうかもしれないが……。  一昔前まではがんは治らない病気と考えられてきたけど、今では新しい薬や治療法が日進月歩で開発されている。まだできることは多い。治療法があるなら、それをやらない理由はない。Hさんは「もういい」と口では言っているけど、本当はもっと生きたいと思っているだろう。Hさんの気持ちに寄り添いながらも、医療者としてあきらめないで、最善の治療法を考えて実施しよう。Hさんはもちろん、家族の皆さんもきっと喜んでくれるはずだ。 【解説】  医師法には、医師は患者の診察や治療を拒むことができないという応召義務が定められています。しかし、そんな法律には関係なく、病気で苦しんでいる、しかも自分の病院、施設に治療を求めて来た患者は、たとえ患者本人が「もういい」と言ったとしても、少しでも病気を治して、元の生活に戻れるよう手を尽くそう、と医師は考えることでしょう。  患者は、医師はそんな気持ち、態度で患者と接し、病気に立ち向かおうとしている、ということを認識する必要があります。もちろん、Hさんの気持ちの伝え方に問題があって、医師との対話がHさんの意図、希望通りに進められなかったのはすべてHさんの責任、というのは酷でしょう。  それでも、医療者にとっての治療と、患者にとっての治療とは同一ではない、ということを考え、理解しておくことも大事です。生きることの目的、そして治療を受ける目標は何か、という点に目を向けることが大切です。痛みや苦しみに耐え、一日でも長く生きることが最も大切なのか、それとも少し短くはなるかもしれないが、楽に生きるほうが大切なのかを考え、決めるには究極の目的力が求められます。  医師も良いと考える助言や提案をする務めを担っていることを理解したうえで、その目的力を発揮して最終的な判断ができるのは、患者自身である、という役割力も必要です。 【エピソード2】  時間が限られている回診のときではなく、Hさんから「先生とお話がしたいので来てもらえないか」と頼んで、病室に来てもらった。 Hさん:先生、お忙しいところわざわざ来てくださってありがとうございます。 医師:そんなことはありませんよ。いつでもおっしゃってください。で、どうしましたか? Hさん:この前おっしゃっていた今後の治療ですが……抗がん剤や放射線はもういいと思っています。 医師:え? あれ、この前はもう少し様子を見ようということで、分かってもらっていたかと…… Hさん:先生のお気持ちは、ありがたいのですが……。私なりによく考えてみました。 医師:……。 Hさん:今まで80年以上、いや90年近く生きてきて、いろんなことがありました。仕事が忙しくて、でもやりがいのある仕事だったので一生懸命打ち込んで、妻や子どもたちをそれなりに支えてきたつもりです。もちろん家族からの応援や、忙しくて十分に家族と時間を過ごせないことを我慢させたという、ある種の犠牲があったからこそ最後まで仕事を続けることができたと思っています。 医師:そうでしたか。Hさんの以前のことは、あまり伺っていませんでしたね。 Hさん:定年後は、妻と、実はいろいろとありましてね、お恥ずかしい話ですが。「え、お前そんなこと考えてたのか」とか、妻は妻で「私、あなたがこんな人だとは思わなかった」なんて、いろいろありました。でもね、先生、そんな、下手すれば熟年離婚にもなりかねない事態を乗り越えて、再びいい夫婦になれたと今では思っています。妻は去年亡くなりましたが……。で、子どもたちも本当に「親はなくとも子は育つ」と言う通り、立派に育ってくれて、楽しい家庭を築いてくれました。 医師:ときどきお見えになるお孫さんや小さなひ孫さんたち、Hさんと楽しそうにしていますよね。見ていて、本当にうらやましいです。うちの子たちもあんなになれるか、心配ですよ。 Hさん:ありがとうございます。先生にそう言ってもらえると、本当にうれしいですよ。でも、妻が先に逝ってしまったときは「なんで?」「どうして俺が先ではないんだ?」と気持ちの整理ができませんでした。 医師:そうでしょうね。 Hさん:……で、今後のことなんですが、頭がしっかりしている今、自分で決めておきたいんです。幸せな人生なんて、答えが一つではないので分かりませんが、少なくとも自分で決めた生き方であれば、人を恨んだり、後悔したりすることはないはずです。ただ、痛くて苦しむのはいやなので、緩和ケアはお願いしたいのですが、がんを治したり延命したりするための治療はもういい、と考えています。 【このときの医師の気持ち】  今考えてみると、Hさんとは、これまで病気、薬、治療、副作用など、当然と言えば当然だが、医師と患者という関係、文脈で、病気に関することしか話題にしなかった。しかし、今回じっくり話を聞いてみて、「同じ」病気でも人によっては受け止め方、がん告知後の気持ち、治療に対する態度、考え方が微妙に、あるいは相当違っていることがあらためて実感できた。  もっと若くて、家族のため、会社のため、地域のためにまだまだ力を尽くしたいし、少々苦しい治療でも、それを乗り越えれば先がある、という人と、Hさんのようにこれまで後悔もあるが、概ね幸せな人生を送ってきた、という人では病気の種類や進行度が同じでも、同一と考えることはできない。   Hさんの辛さや、これまでの人生という長い歴史における今回の病気には、Hさんにしか分からないことがたくさんある。その本人が熟考の末、「治療はこれまで」と決断したのだから、医師としてそれを尊重すべきだろう。今後は、痛みや苦しさをできるだけ抑える緩和ケアを中心とした方針に切り替えることにしよう。 【解説】  Hさんは今の気持ちはもちろん、これまでの人生を振り返り、楽しかったこと、辛かったこと、そしてこれからどうしたいのか、という希望を簡潔に、しかし言葉に重みを持たせて語った結果、医師を納得させることができました。この「語り」には、自分の考えを相手である医師に理解、納得させる役割が当然あります。同時に、語るという発信の行為を準備する過程で、人生を振り返り、気持ちを整理し、どんな順番で、どのような言葉を使って医師に伝えようか、十分に考え、そしてそれを伝えたことによってカタルシス効果を生むことができています。  カタルシスとは「心の浄化」で、精神的な新陳代謝を指します。思っていることを言葉という「乗り物」にのせ、口に出し、外に運ばせて初めて自分の考えとして姿を現し、Hさん自身が気持ちを確認したり、あるいは初めて気づいたりすることができます。このように患者の語りを通して、その患者が病気をどうとらえ、そして今後どうしたいか、ということを明確にし、その意図や希望を考慮して行う医療をNBM(ナラティブに基づく医療)と呼び、近年注目されています。  Hさんが家族のことや、これまで医師には伝えなかった気持ちを吐露した結果、医師も「うちの子たち……」と、Hさんと同じ深さの個人的な話をしています。「自己開示の返報性」が表れ、Hさんと医師は患者と医療者以前の、「人と人」の関係を築いています。  がんという病気に屈するのが悔しくない人はいないでしょう。しかし、がんに侵され、治療を受けたにもかかわらず、根治はおろか、改善もしない状況においてまで、自分では大切なことを決められないということほど、人間の尊厳を奪う状況はありません。患者が目的力、役割力、認識力、そして発信力を総動員して自分の気持ち、希望などを表しているのですから、医療者もそれを理解して患者のメッセージを正確に、適切に認識するよう努めるべきでしょう。 ※『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版)より 宮原 哲/西南学院大学外国語学部教授 1983年ペンシルベニア州立大学コミュニケーション学研究科、博士課程修了(Ph.D.)。ペンシルベニア州立ウェスト・チェスター大学コミュニケーション学科講師を経て現職。1996年フルブライト研究員。専門は対人コミュニケーション。ヘルスコミュニケーション学関連学会機構副理事長。 主な著書:「入門コミュニケーション論」、「コミュニケーション最前線」(松柏社)、「ニッポン人の忘れもの ハワイで学んだ人間関係」、「コミュニケーション哲学」(西日本新聞社)、「よくわかるヘルスコミュニケーション」(共著)(ミネルヴァ書房)など。 中山健夫/京都大学大学院医学研究科健康情報学分野教授・医師 1987年東京医科歯科大学卒、臨床研修後、同大難治疾患研究所、米国UCLAフェロー、国立がんセンター研究所室長、京都大学大学院医学研究科助教授を経て現職。専門は公衆衛生学・疫学。ヘルスコミュニケーション学関連学会機構副理事長。社会医学系専門医・指導医、2021年日本疫学会功労賞。 主な著書:「健康・医療の情報を読み解く:健康情報学への招待」(丸善出版)、「京大医学部で教える合理的思考」(日本経済新聞出版)、「これから始める!医師×患者コミュニケーション:シェアードディシジョンメイキング」(医事新報社)、「健康情報は8割疑え!」「京大医学部のヘルスリテラシー教室」(法研)など。
「夫は私の人生をより楽しくする最強の結婚相手」 慎重な性格の妻と行動が早い夫
「夫は私の人生をより楽しくする最強の結婚相手」 慎重な性格の妻と行動が早い夫 北野智大さんと北野文香さん(撮影/高橋奈緒)  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2023年5月22日合併号では、ミクステンド代表取締役の北野智大さん、取締役の北野文香さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫28歳、妻26歳のときに結婚。その2年後に長男誕生。 【出会いは?】夫も妻も大学を休学し、リクルートの新規事業部のインターンに。朝から終電まで一緒にいることが多く、意気投合。 【結婚までの道のりは?】自分が自分らしく、相手も相手らしくいられる存在だった。出会ってから1年後に交際スタート、3年後に結婚。 【家事や家計の分担は?】料理や風呂掃除は妻。食器洗い、洗濯、掃除など家電を利用する家事は主に夫。家計は振り込まれた給与を、それぞれの口座に一定額“お小遣い”として残し、残りはすべて共通口座に貯金。食費・生活費はそこから支払う。 夫 北野智大[32]ミクステンド 代表取締役 きたの・ともひろ◆1990年、大阪府出身。関西学院大学理工学部在学中にウェブクリエーターとして活動開始。インターンとしてリクルートの新規事業部門で関わった「調整さん」などの関連事業を譲受し2018年に現在の会社を創業  夫婦で意見が違ったり、疑問に思ったりしたら、しっかり話し合います。察してもらう期待は無意味だというのが、共通認識。もちろん相手に敬意を持つ対話で、敵対はしません。だって最終ゴールは、二人のいい暮らしですから。  子どもができて変わったのは、仕事と家庭を両立させる意識を持つようになったこと。  仕事の大切なパートナーである妻に負担はかけられないし、僕も子育てをしたい。一方で会社が運営するサービスを、よりよくしたい情熱も常にある。そこで家では、便利家電や時短アイテムなどを、徹底的に研究して導入。最近、大正解だったのは、外食時用のベビーチェア。旅行にも持って行くほどの必需品です。  働く時間が制限された職場は、誰もが生活を楽しめる環境に整えました。今は週4日5時間勤務の母親や、海外を旅してリモート勤務の同僚がいます。すると最近、優秀な人材が集まって、会社がよくなってきた実感がある。こうした働き方で、業績アップができればうれしいですね。 北野智大さんと北野文香さん(撮影/高橋奈緒) 妻 北野文香[30]ミクステンド 取締役 きたの・あやか◆1993年、千葉県出身。筑波大学理工学群卒業後、新卒で日本オラクルに入社。データベース、サーバー等を中心としたクラウド製品のインサイドセールスを担当。2019年6月に現在の会社に参画  担当する業務がハードでも私が頑張ってなんとかなるなら、わざわざオペレーションを変えないことが多いかも。一歩踏み出すことへのハードルが高い、慎重な性格です。子育て用品を買う時ですら、使用頻度や後のことを考えて躊躇します。おやつが食べたくても、ご飯に響くかもと、よく考えて我慢したり(笑)。  一方で夫は大きいことも小さいことも悩まず、行動が早い。私が困っていると、いつも本気で「より、よくしよう」と、背中を押してくれます。  育ってきた環境が随分違うので、考えが一致しないことも。でもその分、話し合い、強みや弱みを理解して公私ともに補える。ちなみに彼が自覚する弱点はすぐ行動すること。長所でもありますが、ときどき優先順位を考えないかな。先日は寝ていたはずが、急にドタン、バタンと音がして夜中に何をしているのかと思ったら、絵本棚を組み立てていました。「それ、今?」って笑うと、素直に納得。そんな夫は、私の人生をより楽しくする最強の結婚相手です。 (構成・三宮千賀子) ※AERA 2023年5月22日号
“スーパー乳酸菌”を探せ 市場拡大、コロナ症状を緩和する乳酸菌も  
“スーパー乳酸菌”を探せ 市場拡大、コロナ症状を緩和する乳酸菌も   コロナ禍で人々の健康に対する意識が高まった。乳酸菌に関する研究が進んでいる(写真:gettyimages)  乳酸菌は「人類にとって最も有益な細菌」ともいわれ、近年、市場が拡大傾向にある。背景には何があるのか。AERA 2023年5月22日号の記事を紹介する。 *  *  * 「生後間もない子どもがいたので、感染症が心配で、海外でも毎日のように親子で乳酸菌飲料を飲んでいました。周囲でも『子どもに乳酸菌』は当たり前でしたね」  2020年にコロナ禍で緊急帰国するまで、夫の赴任先の東南アジアで暮らしていた48歳の女性はこう語った。自宅近くに乳酸菌飲料を作る日本企業の工場があり、子連れで工場見学に出掛けたこともある。  東京都在住の40代男性も、この2年はヨーグルトや乳酸菌飲料、乳酸菌入りサプリなどが自宅に常備されている。2人の子どもは年子で昨年、今年と中学受験が相次いだ。大切な時に新型コロナウイルスやインフルエンザに感染しないようにと、妻の提案で乳酸菌を取るようになった。受験は終わったが、習慣は今でも続いている。 「体に良さそうなことをいろいろやっていたので、乳酸菌のおかげかどうかはわかりませんが、家族全員、風邪一つ引きませんでした」(男性) ■免疫力や睡眠に関心  乳酸菌とは、ブドウ糖や乳糖などの糖を分解し、乳酸を作り出す微生物の総称だ。この市場が現在、拡大傾向にある。TPCマーケティングリサーチの堀越滉平さんによれば、乳酸菌関連商品の市場規模は21年は前年比0.1%増の7784億円。22年は0.3%増の7805億円の見込みだ。  乳酸菌といわれれば、すぐにヨーグルトや乳酸菌飲料を思いつくかもしれない。だが、いま、市場拡大を牽引しているのは、健康食品と加工食品だ。カテゴリー別で市場を見ると、前者は横ばい傾向だが、健康食品は前年比8.9%増、加工食品は同6.9%増だった(21年の結果/TPCマーケティングリサーチ調べ)。 「乳酸菌の訴求は、従来は整腸作用や抗肥満が中心でした。最近は多様化し、特に『免疫力向上』『ストレス緩和』『睡眠サポート』といった訴求の商品が、コロナ禍と相まって、売り上げを快調に伸ばしています」(堀越さん)  21年は、「免疫力向上」が前年比28.5%増、「ストレス緩和」が同29%増、「睡眠サポート」が同50%増だ。人の関心がどこにあるかが見て取れる。 「商品の広がりも特筆すべき点で、『免疫力向上』を謳うプラズマ乳酸菌を配合したお茶や紅茶、グミやチョコレートといったお菓子も登場しています。消費者にとって健康食品より身近で取りつきやすく、今後も、健康食品・加工食品を軸に、市場は拡大していくと考えています」(堀越さん) ■ウイルス感染防御機能  キリンが研究するのは「プラズマ乳酸菌」だ。乳酸菌ラクトコッカス・ラクティス(Lactococcus lactis)の一種で、キリンホールディングスが2010年に発見。12年には、人間に対してもウイルス感染防御について免疫力が活性化することを世界で初めて確認し、発表。20年8月には、日本初となる免疫機能を追求する機能性表示が受理された。  プラズマ乳酸菌の「プラズマ」は、プラズマサイトイド樹状細胞(pDC)からきている。pDCは主に四つの重要な免疫系の細胞(NK細胞、キラーT細胞、B細胞、ヘルパーT細胞)に指令を出す役割を担う。 「プラズマ乳酸菌はpDCを活性化させ、免疫系細胞を広く活性化させます。臨床・基礎の研究で、インフルエンザウイルス、ロタウイルス、デングウイルスなどに対して高いウイルス感染防御機能があることが報告されています」(キリンホールディングス・コーポレートコミュニケーション部主務・備前沙栄さん)  4月30日、このプラズマ乳酸菌が新型コロナウイルス感染症に罹患した患者の症状を緩和させることが日本呼吸器学会学術講演会で発表された。研究を行ったのは、長崎大学客員教授の山本和子医師(現・琉球大学大学院教授)ら。  それによると、プラズマ乳酸菌を取っている人のほうが、取っていない人より、コロナに罹患した場合の回復(味覚障害の消失、ウイルス量の減少、pDC維持)が有意に優っていた。  残念ながら研究で使われたプラズマ乳酸菌4千億個入りカプセルは市販されていないが、研究成果については特許出願済みだという。  乳酸菌シロタ株を研究するのはヤクルトだ。シロタ株は創始者の代田稔医学博士により1930年に発見、強化培養された株だ。特徴は、生きて腸に到達し、腸内環境を整えること。「ストレス緩和」や「睡眠の質向上」を訴求するYakult1000とY1000は、21年の全国発売直後から話題を呼び、品薄状態が続いている。 「1ミリリットル当たりシロタ株10億個という高密度によって、一時的な精神的ストレスがかかる状況下でのストレス緩和や睡眠の質の向上につながる機能が臨床試験で得られました」(ヤクルト本社広報室の市川弥寿子さん)  乳酸菌が注目される背景には、間違いなく健康に対しての意識が高まっていることがあるだろう。日本有数の健康寿命で知られる長野県には、味噌、醤油、漬物など豊かな発酵食文化が根付いている。 ■木樽に特有の乳酸菌  信州大学農学部の下里剛士教授は、この地の利を活かし、乳酸菌の研究を行っている。主要な内容の一つが「乳酸菌を“鍛え”“育てる”こと」だ。 「乳酸菌に関する論文で最近指摘されているのが、個人差や個体差です。ある乳酸菌の商品が、自分には合っているが、ほかの人には効果がないということは起こりえます。私の研究室では、すでに見いだされている乳酸菌を過酷な環境で培養し、たとえば腸内への定着性を高めるなど、プラスアルファの効果を持つよう育種しています。作物の品種改良と同様のことを、バクテリアレベルで行っているのです」(下里教授)  下里教授は「まだ見ぬ乳酸菌の発見」にも力を入れている。長野には歴史ある醸造蔵がいくつもある。そういった蔵で代々受け継がれてきた木樽に特有の乳酸菌が棲みついており、中には非常に機能が優れた“スーパー乳酸菌”が見つかることもあるのだという。  乳酸菌の可能性は、これから先、さらに広がっていく。 ■「プラズマ乳酸菌」の最新研究、新型コロナの症状を緩和  この対象は、長崎市内の7病院で「コロナ軽症」と診断され、宿泊療養所へ滞在、その後自宅療養となった100人(20歳以上65歳未満男女)。50人にプラズマ乳酸菌4千億個を含むカプセルを、50人にプラセボ(偽薬)を無作為に投与、14日間の様子を比較した(最終的な対象はプラズマ乳酸菌群50人、プラセボ群46人)ところ、味覚・嗅覚障害の消失、ウイルス量減少、pDC維持について、プラズマ乳酸菌が有意に優っていた。 「プラズマ乳酸菌群では9日目以降に嗅覚、味覚障害点が改善し、4日目でウイルス量が減少しました。また、新型コロナ感染症の経過中、プラセボ群ではpDCが減少しましたが、プラズマ乳酸菌群では維持されていました」(山本医師)  ただし、自覚症状全体の総合点についてはプラセボ群との差は認められなかった。これは、研究計画時の流行はデルタ株だったが、実施時はオミクロン株であり、主な自覚症状の種類が設定した症状に含まれなかったことが関係したとも考えられる。 「プラズマ乳酸菌を摂取すれば、pDCが維持され、ウイルスが早期に排出されて、味覚や嗅覚障害の改善につながる可能性があります」(山本医師) (ライター・羽根田真智) ※AERA 2023年5月22日号より抜粋
JPX山道裕己CEO「日本株1株から買えない」「プライム市場多すぎ」の疑問に回答<独自取材>
JPX山道裕己CEO「日本株1株から買えない」「プライム市場多すぎ」の疑問に回答<独自取材> 2023年3月まで東証社長、4月からJPX CEOの山道裕己氏(撮影/写真映像部・高野楓菜)  2023年4月。東京と大阪の2大取引所を運営するJPX(日本取引所グループ)の代表に、東京証券取引所の社長だった山道裕己氏が就任した。アエラ増刊「AERA Money 2023春夏号」より山道氏のインタビューをお届けする。  重責を担う山道氏が取締役としてJPXに迎えられたのは2013年6月。野村證券時代に、欧州や米国の現地法人のトップ、花形の投資銀行部門専務を歴任したキャリアを買われた。 「外国人投資家の売買シェアは東証で60%ほど、先物取引に特化した大阪取引所で75%。日本の投資家はもちろん、海外へも日本株の魅力を伝える必要があります」  海外に目を向ける山道氏の土台を作ったのは父親かもしれない。山道氏の父は、自動車のマツダで営業部長を務め、監査役にもなったエリートだ。 「父は1924(大正13)年生まれですが、英語が話せたんです。就職活動前の私に『これからは海外だ、世界を股にかけるビジネスマンになれ』と言っていました」  山道氏は京都大学法学部卒。1976年春、大学4年生になる直前にはすでに銀行や商社の内定があった。今風に言えば「就活強者」。  当時の就活は、人材関連会社から送られてくる分厚い企業案内集が必須アイテムだった。付録の資料請求はがきを送ると、企業側が学生にコンタクトしてくる。 「案内集の野村證券のページに『インターナショナル・フィナンシャー・ノムラ』と大書きしてありました。ノムラは国際金融を担っているってことです。今の基準では、明らかに誇大広告だと思いますが(笑)」  野村證券の大阪支店に行ってみると、あっさり採用された。京大で体育会合気道部に所属し、部活とアルバイトに明け暮れる生活を送っていた山道氏を含めて、野村の新入社員は体育会が多かった。 「当時は人事部次長で後に社長、会長に上り詰める鈴木政志さんから『厳しい支店長とやさしい支店長のどちらがいい?』と尋ねられました。うっかり『厳しい支店長に鍛えてもらいたい』と言ったら想像以上に厳しくて。横浜駅西口支店に同期4人が配属されましたが、2年後に残ったのは僕だけ」 二日酔いで留学試験に合格し、ペンシルべニア大学でMBA(経営学修士)を取得   支店では1年上の先輩に助けられた。当時は野村をもじって「ノルマ証券」の異名を取るほど、営業目標達成の圧力が強かったが、山道氏は天性の営業力と人当たりのよさで顧客から好かれた。  チャンスが訪れたのは入社3年目。社内留学生の選抜試験があった。「世界で活躍できる」と率先して手を挙げたが、試験当日の体調はボロボロだったそうだ。 「試験前日に『留学なんてしなくていい』と言う先輩の深酒に付き合わされ、ひどい二日酔いで。でも、なぜか合格しました」  米国東部の名門、ペンシルべニア大学ウォートン校で2年学び、MBA(経営学修士)を取得した。  ウォートン校同期の日本人は15人前後。後に三井住友フィナンシャルグループの社長、会長になる國部毅さんや、社長として新生銀行再建を指揮することになる当麻茂樹さんらもいた。今でもゴルフなどを通じて旧交を温めている。 「新人時代の激務のあとに留学したので、現地では心身ともにのびのびしていました。第二の青春でしたね。  人事部から、社費留学生は出発時に独身なら帰国不可、結婚もダメと言い渡されましたが、僕は構わず日本に戻って現在の妻を米国に連れ出し、帰国時には子どもがいました(笑)。そんな僕が後に人事部長になったわけで、野村は鷹揚(おうよう)というか懐が深い」  山道氏の型破りなキャラクターのルーツを探るべく、幼少期にさかのぼろう。生まれは広島市。広島駅の南東、父親の勤務するマツダ本社にも近い黄金山(おうごんざん)や比治山(ひじやま)周辺が、山道少年の遊び場だった。 「悪ガキでした。いたずらが過ぎて母が小学校の先生に呼び出されることもしばしば。20メートルはあろうかという崖を登ったりして。よく落ちなかったなぁ」  小学5年生のとき、父の転勤で兵庫県宝塚市に転居。高校はカトリック系の広島学院で学んだ。言わずとしれた名門だが、「いずれ広島に戻ることがわかっていたので中学校は広島学院の姉妹校である六甲学院中学校(兵庫県神戸市)に進学しました」。 「日本株の魅力を知ってほしい。市場改革はこれからも続く」(山道裕己JPX CEO)  受験も営業成績も国際派ビジネスマンになる夢も、自分の努力でモノにする。目標に対して必ず成果を残すのが山道スタイルなら、証券市場のさらなる活性化も期待できそうだ。  そこで山道氏に質問した。政府は資産所得倍増を掲げ、2024年にNISA(少額投資非課税制度)を全面刷新する。  株式やETF(上場投資信託)が最大1200万円買える成長投資枠もあるが、東証ETFに注目が集まっている。投資信託にないメリットは? 「ETFは株式と同様に取引所でリアルタイムに売買できるのが特長です。また、組み入れ銘柄の配当はすべて分配金として投資家に支払うルールがあります。透明性の高さは投資において重要です」  山道氏はコストの安さも強調した。たとえばS&P500の東証ETFには信託報酬(年率、税込み/以下同)0.077%のものが為替ヘッジの有無により計6本。TOPIX(東証株価指数)や日経平均株価のETFは最安が0.0495%。いずれも通常の投資信託より安い——まさに、立て板に水。優秀な営業マンだった山道氏の商品説明力は健在である。  現在、NISAの人気は米国株関連に集中している。日本の資金が米国へ流出していくようにも映るが、山道氏はどう見ているか? 「ここ数年の値動きで日本株より米国株に軍配が上がるのは事実です。しかし、アップルやマイクロソフトなどの巨大IT企業を除けば日米で極端に差が開いているわけではありません。 東証の上場企業は3803社(2023年3月末)。優れた技術を武器にBtoB(企業間取引)で高い世界シェアを獲得している企業、魅力的な商品・サービスで国際展開をしている企業は多いのです。 日本に住む人にとって日本株は身近で、情報も集めやすいはず。株式投資を通じて応援してほしいと思います」  JPXだけで解決できない問題もある。最低投資金額の高さだ。1株単位から買える米国株に対し、日本株は最低100株単位。株価1000円なら10万円が必要だ。 (編集部注:ネット証券等の端株サービスを利用すれば日本株を1株単位で買うことは可能。ここでは、日本株の一般的な最低投資単位について書いています)  山道氏は「多くの人がもっと手軽に買えるように、という声は認識しています」と言った。  欧米では1株につき1つの議決権があるが、日本では会社法の定める単元株制度により、1単元以上の株式を保有する株式にのみ、議決権等の権利が付与される。 「東証は毎年、最低投資金額の高い企業に対して『投資単位の引き下げに係る考え方および方針等の開示』をお願いしています。2022年10月には引き下げに向けた株式分割の実施を要請し、約30社が応じてくれています。  株価が高い銘柄を誰もが買いやすくしたいという気持ちは私にもあります」。  東証は2022年4月に市場1部、2部、マザーズ、ジャスダックの4市場を「プライム」「スタンダード」「グロース」の3市場に再編した。  だが、旧東証1部銘柄の84%がプライム市場を選択。上場基準に満たない企業まで「経過措置」の名の下にプライム市場へ移行させたことを批判する声があるが、どう考えているのか。  山道氏は、この質問にも逃げなかった。「先進国では最上位市場の銘柄数が最も多いのは珍しくない」と断ったうえで、「大事なのは銘柄数ではなく、上場基準の適合に向かって取り組んでいただくことです」と答えた。  2023年3月末現在の上場企業数はプライムが1834社、スタンダード1446社である。ここからは本誌の臆測だが、上場基準を満たしていない企業は中長期的に「退出」の方向に動くかもしれない。  東証ものんびりしているわけではない。外部有識者による「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」の議論を踏まえ、上場会社に対し、資本コストや株価を意識した経営の実践を要請した。  上場企業に対して求めた一連の対応は、次の通りだ。 ●まずは自社の資本コストや収益性を的確に把握する ●その内容や市場評価に関して、取締役会で現状を分析・評価する ●そのうえで、改善に向けた計画を策定・開示する ●投資家との対話の中で、これらの取り組みを継続的に更新する 「日本株は再評価の余地が大きい。企業経営者に、投資家と目線を合わせてもらうことが重要です」  現在、TOPIXの主要500銘柄の4割以上がPBR1倍を割っている。現金や土地などの資産価値が100円だったとして、株価は99円以下に「ディスカウント評価」されている状況だ。 「知られざる優良銘柄という言い方もできますが、企業側がIR活動にもっと力を入れる必要もあると思います。経営者は夢を語っていただきたい。成長しそうだと思う企業に投資家は注目します」  山道氏はJPXのトップとして今後も激務の連続が予想される。 「休日は仕事でもプライベートでもゴルフが多い」という。ちなみに好物は子どもの頃から食べていたお好み焼き。 「土曜の午後、小学校から家に帰り、祖母にもらった30円でお好み焼きを買うのが楽しみでした」  やはり焼きそばの入った「広島風」ですかと質問した。すると山道氏はちゃめっ気たっぷりに、しかし大真面目に答える。 「我々にとっては、あれが『お好み焼き』で、他に関西風がある感じです。『広島焼』と看板に書いてあったら、店主は広島人ではないぞと思って入りません(笑)」  なるほど、大変失礼しました。 「クレープみたいな薄い生地の上にキャベツを山盛りにして、豚バラでふた。イカ天やかまぼこ、天かすもパラパラ。卵。あっ、仕上げにオタフクソースをたっぷりね。よだれが出てきちゃったよ」  日本有数の国際金融マンの心の奥には、広島の山を駆け回り「正真正銘の」お好み焼き(30円)を頬張る少年が元気に生きていた。 ◯山道裕己(やまじ・ひろみ)/JPX(日本取引所グループ)代表執行役グループCEO。1955年生まれ、広島県出身。1977年、京都大学法学部卒業後、野村證券(現野村ホールディングス)入社。同社常務取締役などを経て2007年、野村證券専務執行役。2013年、大阪証券取引所(現大阪取引所)代表取締役社長。2020年、日本取引所グループ(JPX)COO(最高執行責任者)。2021年、東京証券取引所代表取締役社長。2023年4月1日、JPX代表執行役グループCEO(最高経営責任者)に就任 編集/綾小路麗香、伊藤忍 ※『AERA Money 2023春夏号』から抜粋
60代はまだ若手 カツオ漁の町の暮らしでわかった生涯現役の秘訣
60代はまだ若手 カツオ漁の町の暮らしでわかった生涯現役の秘訣 名物のカツオのタタキ  65歳で「若手」と言われる生涯現役の町がある。高知県西部に位置する海辺の漁師町を訪ねた。400年以上前から“カツオの一本釣り”が盛んだ。気張らず自然体に、現役で働き続ける秘訣とは。その暮らしぶりに迫った。 *  *  * 「ここは定年という概念がない。70代、80代でバリバリ働きゆう人がどっさりおるし、90代でも働きゆう人がおる。だから60代っていったら、ヒヨッコみたいなもんよ」  高知市から車で約1時間ほどの場所にある、海辺の漁師町、中土佐町・久礼(くれ)。港で水揚げされたばかりの新鮮な魚が並ぶ久礼大正町市場を中心に、昔ながらの街並みが続く。市場では、その日とれたばかりの生のカツオが食べられるとあって、県内外から多くの人が訪れる。  初鰹の時期を迎え、市場が特に活気付くこの季節。市場の食堂で刺し身に舌鼓を打っていたら、冒頭の会話が聞こえてきた。  確かに周りを見渡せば、生き生きと立ち働くシニア世代の姿が目立つ。みんなテキパキとよく動き、よくしゃべり、よく笑う姿が印象的だ。働く人々に、現役の秘訣を聞いてみたくなった。 「健康の秘訣? そりゃカツオとニンニクやろ」  こう言って笑うのは、地元の味を全国に届けようと2007年に久礼大正町市場の商店主ら4人で企業組合を立ち上げ、現在組合の会長として商品作りや販売などを行う川島昭代司さん。企業組合の名称は「企画・ど久礼もん企業組合」。土佐弁の「どくれもん」(素直じゃない人の意味)に、町の名前である久礼をかけたネーミングで、カツオのたたきや加工品などをネットで販売するほか、食堂も切り盛りする。これら加工品や食堂のメニューなどを考案し、76歳にして今も現役で組合を引っ張るのが川島さんだ。  川島さんは、中学卒業後、15歳で漁師の道に入り、28歳までカツオ一本釣りの船で漁師をしていた。釣り上げた20キロのマグロが目に直撃するという災難を機に、漁師の道を断念せざるを得なくなった。しかし、漁師をやめた後に「大酒飲みという趣味と実益を兼ねて」夫婦で始めたスナックは、今も町の人に愛される大切な場所だ。川島さんは企業組合の仕事と並行し、夜7時から夜中0時ごろまでスナックを開ける。 企業組合会長の川島昭代司さん(76)  加工品の仕込みがある日の川島さんの朝は、それから2時間後、夜中の2時というから相当早い。主力商品の一つが、カツオの焼き節にニンニクを利かせた「漁師のラー油」だが、これらの仕込みは今も、川島さんが自ら行う。朝9時ごろから行う瓶詰め作業までに焼き節を冷ましておく必要があるため、大鍋を使った仕込み作業の開始は、必然的に夜中からとなる。まとめて千個分ほど仕込むときには、大鍋で何度も繰り返し、仕込みを重ねる。 水揚げされたカツオ 「昔、カツオ船に乗りよったときから料理が好きで、コック長の代わりに食事を作ったこともけっこうあった。カツオはダシがよく出るき、カレーとか八宝菜に、肉の代わりに入れてもうまい。そういうカツオの使い方が、組合の商品作りにもいきちゅうがよ」(川島さん)  過去には自分の音楽CDを出したこともあるほど音楽好き。仕事の合間には、パソコンで音楽を作ったり、ギターを弾いて歌ったり。ITスキルも高く、「趣味で専門学校の夏期講座で習った」というデザインソフトを使いこなし、ポスターやチラシも自分で作るから驚きだ。 「元気でおるには、目的があるというのが大事やと思う。これをやらな、あれをやらなと予定や段取りを考えゆううちが花やね」と川島さん。体の不調はほとんどないが、数年前から少し喘息が出るようになった。 「まあ、たばこを1日2箱吸いゆうき、喘息にもならあ(笑)。でも毎日、うまい魚を食べゆうき十分元気。漁師の友達からもらう、ほんの2~3時間前に釣れたばかりのビリビリのカツオをニンニクで食べるのが最高やね。まだまだ道半ばで続けていきたいき、元気でおらないかんね」(同) ■1日でも休むと相場感がずれる  お次は71歳にして、一年のうち、「休みは元日だけ」という驚異の営業スタイルを貫く松沢章夫さん。「八百虎」の屋号で、母親から受け継いだ青果店を営む。松沢さんの一日は、毎朝6時半ごろに、隣町にある市場に仕入れに行くことから始まる。毎日欠かさず市場に行くのが松沢さんの鉄則。無論、状態の良い青果を仕入れるためだが、仕入れ値の相場を常に知っておくためでもある。 青果店を営む松沢章夫さん(71) 「毎日、値段を確認せんと、自分の相場感がずれてくる。1日休んだだけでも、前日の値段がわからんなるき休めん。そうやって積み重ねて初めて見えてくるもんがあるがよ。それに毎日通う中でこそ、いいものを見極める目も養われるきね」(松沢さん)  店先には、旬の野菜や果物がずらり。4月はいちごや文旦、山菜類などが店先にひしめいていたが、今は初夏に旬を迎える柑橘・小夏の最盛期だ。朝10時から昼2時ごろまで、妻と二人で店を切り盛りする。全国に客を持つが、長い客は20年以上の付き合いだ。 「ちゃんとうまいのを選んで売ったら、また次につながって、なじみになってくれる。そうやって店の信用ができていく。信用を得るには、しっかりした物を扱わないかん」  瞳の奥をキラッとさせながら、楽しそうに語ってくれる松沢さんだが、好物の酒の話になると、さらに饒舌になる。 「休みやったら朝から酒ばっかり飲んで座りゆうき、店を開けちょき」と周囲から言われ、元日だけが休みという営業スタイルに落ち着いたとは本人談。新型コロナウイルスが広がる前までは、毎晩家で熱燗を5合飲んでから近所のスナックに飲みに行くのがお決まりのコース。外で酒を飲めなくなったコロナ禍を“酒量を減らす良いチャンス”だと捉え、今は毎晩の熱燗を3合にまで減らした。飲み方も、コップ酒でグイグイ飲むスタイルから、お猪口でちびちび飲むスタイルに変化した。 「体の不調もなく元気なのは、毎晩の“アルコール消毒”のおかげやね」(同)  魚を食べない日はないというのは、松沢さんも同様。いい魚が入ったら、市場の魚屋から声がかかる。今の時期は毎日、カツオ三昧。その日の鮮度や気分によって、刺し身で食べたり、タタキにしたりと“地の魚”を存分に楽しむ。 「ここの空気とか人の感じ、全てが自分に合う。真面目な話、本当の健康の秘訣は、“水が合う場所におること”やと思う。それに店を通じて、いろんな人との出会いがあるき、毎日退屈せん。このまま80歳までは続けたい」(同) 100年続く店の暖簾を守る本井友子さん(83) ■何かしてないと落ち着かない  久礼の名物としても知られ、暑い季節には店先に行列ができるのが、大正10年創業の“ところてん”の老舗店「高知屋」。ところてんといえば、地域によって食べ方が異なることでも知られる。関東は酢醤油+青のり+和がらしが一般的だが、関西では甘い黒蜜をかけてデザート感覚で食べるのが主流だ。  一方、ここ高知では、冷やしたカツオだしに地元産の生姜を添えて食べるのがお決まりだ。「高知屋」のところてんもしかりで、こだわりの鰹節にじゃこ、醤油、そして四万十川源流域の伏流水で作ったカツオだしのつゆは絶品。だしの利いたつゆごとザブザブッとかきこむ同店のところてんは、100年にわたる久礼の夏の風物詩としても知られている。  そんな同店の2代目で、83歳にして現在も店に立つのが本井友子さん。現在は3代目となる息子さんが店を継いで切り盛りしているが、本井さんも手伝いを続けている。 「じっとして、ようおらん(じっとしていられない)性分ながよ。今は腰が痛くて、立って仕事するのがしんどくなってきたけど、どれだけ腰が痛くても、何かしてないと落ち着かんき」(本井さん)  23歳で同店に嫁ぎ、夫の実家の家業である店を手伝い始めた。夫は漁師で、一度漁に出ると8~9カ月は帰ってこない生活。そこで近くに住む妹と一緒に、3人の子育てをしながら長年にわたって店を切り盛りしてきた。夏場の繁忙期は、夜中の1~2時から仕込みを開始。子育て中は、深夜から仕込み作業をして、夜が明けたら配達に行き、そのまま子どもの部活の試合を見に行って、店に戻って営業するなど、休む間もない生活だった。 「忙しかったけど、それが楽しかった。いっぱい働いて、いっぱい遊んで、いっぱい飲んで(笑)。昔は忙しい中でも、週4~5日は外で飲むのを欠かさんかったけど、今は自家製の果実酒をコップに1杯。とにかく体いっぱい動いてきたき、後悔はないね」(同)  今も少しでも隙間時間を見つけると、畑仕事をしたり外に出かけたり、何かを始めたり。80歳を過ぎた今も、じっとしている時間はほとんどない。 菓子を作る西村勝己さん(80)  一緒に店を切り盛りする娘さんも、「こっちが疲れるぐらい動きます」と苦笑する。本井さんに「ゆっくりしたいと思うことはないんですか?」とつまらぬ質問を向けると、「全然ない」ときっぱり。 「ゆっくりしよったらイライラするがね(笑)。とにかく仕事が好きやし、仕事ができゆううちが楽しい。今も腰さえ痛くなければ、もっともっとやりたいし、あれもこれもしたいという気力はある。死ぬまで動き続けたいね」(同)  大正町市場の入り口に位置し、半世紀を超えて愛されてきたのが1950年創業の手作り菓子の店「西村甘泉堂」。2代目店主の西村勝己さん(80)が、先代から受け継いだ味を守り、丹精込めて日々さまざまな菓子を作り上げる。特に夏場になると、秘伝の手作り蜜のかかったかき氷を求め、多くの人が訪れる菓子店だ。昔懐かしい手作り菓子は、店のみならずスーパーや道の駅などでも販売されている。 ■リラックスして一生懸命が大切  西村さんの朝は、まだ外が真っ暗い夜中の2時から始まる。毎日4時半ごろまで仕込みをし、その後朝食を食べて6時ごろから配達へ。7時ごろに帰宅し、1時間ほど新聞を読んでコーヒーを飲みながら一息つく。その後、9時に店をオープンし、夕方4時まで店に立つ。寝るのは夜8時。仕込みは80歳の今も、西村さんが一人で全て行っている。 「自分でも年齢を聞いたら気絶しそうになるけど、ありがたいことに全く体の不調がない。いまだにお客さんに呼ばれたら、走って出ていくもん。この80年間、一度も入院したことがないし、体を壊したこともない。特段、健康について考えたこともないし、歩いたり体操したりの健康法も特にしてないけどね。母も95歳まで現役で働いて、99歳まで生きたき、その遺伝もあるかもしれんね」(西村さん)  学校を出た後、18歳から47歳まで東京のホテルで洋食を作りながら働いた。初代にあたる父親が亡くなったのを機に、店を継ぐことに決めた。洋食一本でやってきたため、菓子については門外漢。そこで高知に戻ってからは、母親と職人の背中を見ながら必死に菓子作りを覚えた。今も新たな味を出すことはせず、昔ながらの味を徹底して守り続ける。  例えば高知の郷土菓子でもある「中菓子」。飴とセンベイの中間という意味から名付けられた菓子で、小麦粉、砂糖、水飴を配合して作られる、どこか懐かしい味わいだ。小麦粉のケンピも、今も同店で作り続けられる味の一つ。東京から高知に戻り、洋食から菓子の世界に転身して33年。「あのとき、継ぐ決心をして良かった」と満足げにほほ笑む。 「勤め人と自分の店をやるのと、両方を経験して思うのは、いい仕事をするには、ある程度リラックスすることが大事ということ。もちろん緊張感も必要やけど、気を使ってばかりやなくて、周囲の人と調和してリラックスした上で、一生懸命やる。それが何よりの長生きの秘訣で、仕事を続けていけるコツやないかな」(同)  年齢をものともせずに、淡々と、そしてイキイキと働き続ける“カツオの国”久礼の現役なシニアたち。そこには巷にあふれる健康法などに頼らぬ、それぞれの現役哲学があった。長い人生いろんなことがありながらも、「まだまだ、もっとやりたい」と明るく前を見据えるその姿には、コロナの影響など微塵も感じさせないエネルギーが満ち溢れていた。(フリーランス記者・松岡かすみ)※週刊朝日  2023年5月19日号
『鬼滅の刃』不死川玄弥を「鬼喰い」へと駆り立てた兄への深い愛 
『鬼滅の刃』不死川玄弥を「鬼喰い」へと駆り立てた兄への深い愛  鬼殺隊の不死川玄弥(画像はアニメ鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」公式HPより) 【※ネタバレ注意】以下の内容には、今後放映予定のアニメ、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。  アニメ『鬼滅の刃』刀鍛冶の里編・第6話の放送が終わり、玄弥が風柱・不死川実弥の実弟であることが明らかになった。かつては仲が良かった不死川兄弟であったが、ある事件がきっかけとなって、絶縁状態が続いている。戦闘において天性の才を見せる実弥と比べると、玄弥は自らの才能不足を嘆く。しかし、この玄弥には、他の誰も持っていない「稀有な能力」があったのだ。そして、この特殊能力には、兄と家族にまつわる、玄弥の“特別な思い”が関係していた。 *  *  * ■不死川実弥の“才能がない”弟  炭治郎らの同期にあたる玄弥は、鬼殺隊入隊試験「最終選別」の時から、暴力的な言動が目立っていた。彼のフルネームは「不死川玄弥」。あの風柱・不死川実弥の実弟だった。玄弥は実弥から「テメェみたいな愚図 俺の弟じゃねえよ」(13巻・115話)と言われており、今は絶縁状態にある。  玄弥は兄に会うために、必死の思いで鬼殺の修行に励んでいた。しかし、玄弥には鬼殺隊剣士として、決定的な欠点がある。  鬼を滅殺するためには、太陽の光を鬼に直接あてるか、陽光の力を含む「日輪刀」で鬼を攻撃するしかない。刀鍛冶の里で作られる「日輪刀」は、太陽の超自然的な力を秘めているだけでなく、持ち主である剣士の「呼吸」と呼ばれる能力に合わせて「色変わり」し、それによって真価を発揮するのだった。しかし、玄弥はこの「呼吸」という技が使えないのだ。 ■玄弥にしかない唯一無二の才能  「呼吸」が使えない剣士は、「日輪刀」の効果を十分に発揮させることができない。しかし、玄弥はその代わりに、自分にしかない「特異な才」を使うことに成功する。分裂した半天狗が玄弥に致命傷を与えるが、玄弥はそれに耐えることができる「特殊な肉体」を手にしていた。その一方で、玄弥の身には、外見と感情の面で大きな変化が起こってしまう。 「!? !? !? 玄弥か!? 何だあの姿は まるで…」(竈門炭治郎/13巻・第113話「赫刀」)  炭治郎は「まるで…」の後につづく、「鬼のようだ」という言葉を飲み込んだ。鋭い牙、異様な目、獣のように荒い息づかいの玄弥は、まるで正気を失っているかのように見えた。炭治郎の首を絞めようとする姿は、まさに「鬼」そのものだった。 ■「鬼化」した人間たち   これまで、鬼滅の物語では、鬼化しても理性を保っていた人間たちが登場した。炭治郎の妹・禰豆子や、鬼の珠世、鬼の愈史郎が、それにあたる。禰豆子の場合は、炭治郎と水柱・冨岡義勇、元水柱・鱗滝左近次の尽力と、「眠り」によってエネルギーを回復させられる自身の特殊な体質によって、人を襲うことを思いとどまった。珠世は外科的処置と少量の血液摂取によって、人喰いの欲求をコントロールし、愈史郎は、珠世の助力により、人間を喰わない状態を保っていた。この3人は「鬼の血液が体内に入った」ことで鬼化しているのだが、玄弥だけはちがう。 「鬼喰い」――玄弥は自分の身体能力の不足、「呼吸」が使えないという欠点を補うために「鬼」の肉を喰い、それを体内に取り込んで、自分のパワーへと変換させていたのだった。 ■人間の「生」を逸脱するタブー  現実世界ではもちろんだが、鬼滅の世界でも、「人間は人間を食べてはならぬ」という絶対的なルールが存在する。鱗滝は禰豆子の助命嘆願のために「もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は 竈門炭治郎及び―…鱗滝左近次 冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します」(6巻・第46話)と述べたことがあった。罪を犯していない兄の命を賭けるだけは足りず、「柱」と「元柱」の命をかけねばならぬほどに、「人喰い」の罪は大きい。 『古事記』において、イザナキノミコトが、妻であるイザナミノミコトを「黄泉の国」まで迎えに行った時、イザナミが「吾は黄泉戸喫(よもつへぐい)しつ」=「私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまったのです」、と答えていた場面がある(次田真幸『古事記』上 全注釈、講談社学術文庫、2006年)。「食べてはならぬものを食べたかどうか」、これが元の世界に戻ることができるのかどうかの境界線になるのだ。  鬼滅の世界では、鬼化しても人間を喰わなければ、人の世を生きることが許される。では、鬼を喰った玄弥はどうなるのだろうか。玄弥が口にしてきた鬼の肉は、人間の血肉を糧として作られたものだ。間接的にではあるが、玄弥の「鬼喰い」は「人喰い」を思い起こさせる。この時点では、兄の実弥がこれをどう思うかを知る術もないが、玄弥はこの方法でしか鬼と戦うことができない。 ■人間の願望と「鬼化」の関係  あらゆる鬼は、鬼化後にも人間時代の性格を残しており、とくに願望や欲求にまつわるところは、肥大化する傾向がある。鬼の総領・鬼舞辻無惨は、病弱だった身体に思い悩み「完全な肉体」に執着している。下弦の伍・累(るい)は、「健康な体」と、鬼になった自分のことも愛してくれる「家族」を追い求めた。下弦の壱・魘夢(えんむ)は、夢、とりわけ「悪夢」に対する探究心が強かった。上弦の伍・玉壺(ぎょっこ)は、子どもの死体への執着と、独特な美意識が強く、上弦の肆・半天狗は、保身のためのうそをやめることができない。  では、玄弥が鬼化した時は、彼のどのような感情が肥大化したのだろうか。 ■玄弥が完全に鬼化しない理由  炭治郎が鬼化した玄弥とはじめて接触した時、玄弥は柱になりたいと言った。それはなぜか。 「俺 才能なかったよ 兄ちゃん 呼吸も使えないし 柱にはなれない 柱にならなきゃ 柱に会えないのに 頑張ったけど 無理だったよ」(不死川玄弥/13巻・115話「柱に」)  玄弥の願いは、兄・実弥に会いたい、ただそれだけだった。どんなにいらだっても、どんなに凶暴化しても、玄弥が口にするのは、その願いばかり。  不死川兄弟が鬼殺隊を目指す原因になったのは、「母親の鬼化」と、実弥による「母親殺し」の事件だった。実弥の行動は、玄弥を守るためのものだったにもかかわらず、混乱していた玄弥は、実弥に対して「人殺し」と叫んでしまう。玄弥はそれをずっと後悔しつづけていた。 「酷いこと言ってごめん 兄ちゃん」「ごめん兄ちゃん」「俺は兄ちゃんの弟なのに!!」……まるで子どもだった時のままに、実弥のことを兄ちゃん、兄ちゃんと呼ぶ玄弥は、もう一度兄の笑顔がどうしても見たい。  他の鬼たちとは異なり、玄弥の心には兄・実弥のことしかない。鬼殺隊柱にまでのぼりつめた兄を救える弟になりたいという強い意志が、玄弥を完全なる「鬼化」の手前で押し留めているのだ。 ■弟への隠された思い  兄と一緒にいたいという理由で、「鬼食い」をする玄弥の心は、遊郭の鬼・堕姫と妓夫太郎と少し似ている。死にかけている妹の梅を救うために鬼化を承諾した妓夫太郎。遊郭の兄妹は、互いが「人間としての生」を捨てようとも、離れ離れにならないことを選択した。しかし、不死川兄弟の場合、「自分だけが鬼狩りの剣士として戦う」という実弥の意志が強すぎるがあまりに、「兄と一緒にいたい」と願う玄弥の思いを断ち切ってしまった。  これから後、実弥と玄弥を取り巻く鬼との戦いは激化の一途をたどる。弟を鬼狩りの道から遠ざけようとする実弥の思いと、兄のために戦いたいという玄弥の気持ちのどちらの意志が貫かれるのか。今後の展開を見届けたい。 ◎植朗子(うえ・あきこ) 1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた「鬼滅夜話」(扶桑社)が好評発売中。
「トランプ劇場」今も米国翻弄 起訴された「被害者」の印象を持たせ、支持率が上昇中
「トランプ劇場」今も米国翻弄 起訴された「被害者」の印象を持たせ、支持率が上昇中 トランプ前大統領は裁判所に出頭して罪状認否に臨み、無罪を主張した。米大統領経験者が起訴されたのは前代未聞/4月4日、ニューヨーク(代表撮影/ロイター/アフロ)  前代未聞の米大統領経験者起訴に対し、ドナルド・トランプ氏が反撃に出ている。自らを「被害者」とするイメージ戦略で、世論調査では支持率が上昇中だ。世界一の大国は今なお「トランプ劇場」に翻弄されている。AERA 2023年5月15日号の記事を紹介する。 *  *  *  ドナルド・トランプ氏の起訴後、彼の選挙陣営は「焼け太り」状態だ。まず、3月下旬に起訴近しとメディアが報道した際、「来週火曜日(3月21日)に逮捕される」とSNSに投稿し、3日間でおよそ150万ドル(約2億円)を集めた。  起訴発表後の24時間では、400万ドル(約5億4千万円)もの寄付金が転がりこんだ。  トランプ氏と彼の陣営は支持者に対し、起訴が違法かを問うのではなく、「司法制度が不正」で、トランプ氏は「不当な扱いを受ける被害者」というイメージを植え付けることに成功している。  支持率も上昇中だ。  WSJは24年米大統領選の共和党候補指名争いで、誰に投票するか調査を行った。現在対抗馬とされているフロリダ州知事のロン・デサンティス氏とトランプ氏のどちらに投票するかを尋ねたところ、昨年12月時点ではデサンティス氏がトランプ氏を14ポイント上回っていたが、今回(4月)の調査ではデサンティス氏38%、トランプ氏51%となり、トランプ氏が13ポイントもリードしている。 ■好感度ではデサンティス氏、バイデン大統領も出馬表明  ただ、好感が持てるかという質問では、デサンティス氏が84%、トランプ氏は78%だった。また、大統領選本選挙で、4月25日に公式に出馬表明したジョー・バイデン大統領に勝てる可能性が高い候補を聞いたところ、共和党予備選有権者の41%がデサンティス氏、31%がトランプ氏と回答している。  では、デサンティス氏とバイデン氏の勝敗はというと、デサンティス氏が48%で、バイデン氏の45%を上回った。トランプ氏対バイデン氏では、バイデン氏がトランプ氏を3ポイント負かしている。  ただ、リードはいずれも誤差の範囲内。20年大統領選ではバイデン氏が4.5ポイント差と、余裕を持ってトランプ氏を破った。  世論調査の結果が示すように、勝敗はまだら模様だ。しかし、特にトランプ氏とデサンティス氏との対立は、滑稽とも思えるほど過熱している。  トランプ陣営は、新たなオンライン広告をツイッターで公表した。 「18年フロリダ州知事予備選があった際、デサンティスの支持率は対立候補よりも17ポイントも低かった。トランプが公認したことで、支持率は跳ね上がった。アメリカを再び偉大な国にできるのは、たった一人しかいない(トランプだ)」 デサンティス米フロリダ州知事(中央)の表敬訪問を受ける岸田文雄首相。左はデサンティス氏の妻ケイシーさん/4月24日、首相官邸  一方、デサンティス氏は来日中の4月24日、岸田文雄首相と会談し、日本の防衛力強化の取り組みについて「高く評価している」などと述べた。デサンティス氏は実は、まだ正式に大統領選に出馬表明をしていない。しかし、一州知事であるにもかかわらず、国家首脳を訪問するのは、外交能力を顕示するためのパフォーマンスだ。  ロイター通信によると、「近隣地域が厳しいことを私たちは理解している。強い日本は米国にとって良いことで、強い米国は日本にとって良い」と、台湾情勢などを想定したとみられる発言をもしている。また、日本は「素晴らしい同盟国」であり続けていると称賛したという。これも、米国では党派を超えて一致する日本に対する歴史的認識だ。 ■警察は過激な行動を警戒、支持者が社会不安をあおる  ところが、米記者にトランプ氏に支持率で水をあけられていることを尋ねられると、からかうようにこう答えた。 「私は、大統領候補じゃないしね」(CNNから)  トランプ氏起訴に始まる混乱は、米社会に不安をもたらしている。「起訴へ」という米メディアの報道が始まったのと同時に、ニューヨーク市警は検察局や裁判所があるエリアを通行止めにし、バリケードを張り巡らせた。トランプ支持者らが、反対デモにとどまらない過激な行動に出ることを警戒したためだ。ワシントンや南部ジョージア州など、トランプ氏を訴追する捜査を行っているエリアは、警戒が強化された。  しかし、犯罪の専門家らは、トランプ氏や彼の身辺を捜査している関連地を警備するだけでは不十分だと指摘している。集団が起こす行動は予測ができるが、単独犯の過激な活動は司法当局のアンテナの外にあるケースが多いためだ。  法を犯し起訴された事実を、トランプ氏は「特殊能力」を駆使して、自らを被害者ヒーローにする。さらに、ヒーローが復活し大統領となることで、国家を救うというシナリオを支持者に信じこませる。  米国史上、米憲政史上あり得なかったトランプという存在が、米国を混乱させ、世界での地位を危うくしているのは間違いない。  そしてこの「トランプ劇場」が、少なくとも来年夏にある共和党の大統領候補の指名まで続く。トランプ氏が指名候補とならなければ、支持者らがさらに活気づき、社会不安をあおる事件に発展するかもしれない。米国では、この劇場の主人公に翻弄(ほんろう)される事態が続いている。(ジャーナリスト・津山恵子=ニューヨーク) ※AERA 2023年5月15日号より抜粋
「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力
「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力 東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた「春の園遊会」での天皇、皇后両陛下(代表撮影/JMPA)  5月11日、東京・元赤坂の赤坂御苑で天皇、皇后両陛下主催の「春の園遊会」が開かれた。園遊会が開かれるのは2018年秋以来およそ4年半ぶり、令和になってからは初。車いすテニスの第一人者で国民栄誉賞を受賞した国枝慎吾さんや、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さん、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん、東京五輪卓球金メダリストの伊藤美誠選手ら各界の功労者1000人余りが出席した。あいにくの雨の中だったが、天皇、皇后両陛下は大幅に時間を超えて懇談された。そんな中で、マナーの専門家は雅子さまのとっさのひとことに感嘆したという。 *  *  *  令和初ということもあり、注目を集めていた園遊会であったが、あいにくの雨となってしまった。 「例年なら14時10分ごろには両陛下はじめ皇族方々が中池の丘の上にお出ましになりますが、時間になってもなかなか出てこられなかった。次第に雨が強くなったのに、14時21分、雨が一旦ぴたりと止みました。それからしばらくして14時27分ごろ、普段より15分程遅れての両陛下のお出ましになりました」(皇室記者)  天皇陛下、雅子さまに続き秋篠宮ご夫妻と初めて参加される秋篠宮の次女・佳子さまと皇族の方々が順に出てこられ、丘の上に横一列に並ばれた。雅子さまは、落ち着いた水色にアヤメかショウブと思われる文様がほどこされた着物をお召しになっていた。大手企業のマナーコンサルティングやNHK大河ドラマ、映画などのマナー指導も務めるマナーコンサルタントの西出ひろ子さんは、園遊会での雅子さまの着物の色味に着目する。 令和初の園遊会での雅子さまの着物(代表撮影/JMPA) 「女性皇族のほとんどがイエロー系の暖色の着物をお召しになっていた中、雅子さまは寒色の薄いブルー系でいらっしゃいました。落ち着きのある品格がにじみ出て、まさに皇后さまらしいともいえる本当に素敵な色合いでした。いままで以上にといいますか、ますます皇后さまらしさに磨きがかかっていらっしゃると感じました」(西出氏)  令和初の園遊会での雅子さまでマナーの専門家が「さすが」と感嘆したのはコミュニケーション能力の高さだという。まずは、その表情。 園遊会での雅子さまの微笑み(代表撮影/JMPA) 「ここ最近、お出ましになるとき雅子さまの表情はとてもにこやかでいらっしゃいます。今回も園遊会に招待された方々との会話を心から楽しまれ、ほほ笑まれている表情が瞳の輝きから伝わってきました。マスクで顔の半分が隠れているにもかかわらず、お優しい表情が見て取れました」(西出氏)  そんな表情とともに雅子さまのコミュニケーション能力の高さを感じたのは、片岡仁左衛門さんとの会話の瞬間だという。 「雅子さまが『後進の育成は』という質問を発したときに、土砂降りになってきた雨音のせいかマスク越しの会話のためか片岡仁左衛門さんが聞き取れなかったようでした。とっさに、雅子さまは『若い方の~』と言い換えられました。この言い換えには、さすがでいらっしゃると感嘆しました。現在、私は新入社員に対してビジネスマナーの講習をしている時期でもありますが、そういった研修で伝えているのは、相手が分かりやすい言葉に言い換えること。雅子さまが、状況に応じて『後進の育成』を瞬時に『若い方の~』と言い換えられたのは、雅子さまが相手の様子をしっかり受け止め、臨機応変に振る舞われることができるコミュニケーション力、マナー力、人間力が備わっていらっしゃると感じた瞬間でした。雅子さまならば、それくらいのことはできて当たり前だと思われるかもしれませんが、とっさのひとことは、なかなか簡単に対応できるものではありません。1000人以上もの招待客に対して、セリフがきちんと書かれた台本があるわけではないと思いますので、本当に素晴らしいなと感じました」(西出氏)  雅子さまのコミュニケーション能力が発揮される理由を西出氏は指摘する。 「園遊会は、明治13年に国際親善のために外国の方々を招いたことから始まった秋の観菊会が前身です。現在、招待客は国内の方々が主ですが、雅子さまはご結婚前は外交官でいらしたので、園遊会はまさに雅子さまがご活躍される場所のおひとつであることを今回のお姿を拝見して改めて思いました。自然に色々な話題を振り、会話をつないでいき、気さくな雰囲気の中にも堂々とされていて、世界のどこにお出ましになっても素晴らしい、本当に私たちが誇れる皇后さまだと思いましたね」(西出氏) 赤坂御苑の中池の丘の上にお出ましになられた天皇、皇后両陛下(代表撮影/JMPA)  招待客との会話が途切れなかったためか、例年よりも時間が大幅に超えた園遊会となった。お付きの人から時間を告げるお声がけもあったそうだが、丁寧に会話を続けられたという。 「雅子さまは、卓球の伊藤美誠選手とお母さまが作られたおにぎりの話をなさっていらっしゃいましたが、そのあと、伊藤選手の前に既に話を終えている高木美帆選手にもお話を振られ一緒に会話をなさいました。一度、目の前を通り過ぎた人との会話は終わりではなく、共通の話題であれば『一緒にお話しいたしましょう』という思いやりの場をその場で作られました。コミュニケーションをみんなで取りましょうという心配りと優しさ、その思いやりに強く感動いたしました。一般的にもたくさんの方が集まる会合などでは特にですが、誰とも会話せずにポツンと立っている瞬間は寂しいものですよね。私の職業柄からそういう視点から拝見していましたが、雅子さまのコミュニケーション能力、思いやりの真心からのマナーは本当に素晴らしかったです」(西出氏)  今回の園遊会の時間が大幅に超えたのも、さすが雅子さまと思える瞬間がたくさん詰まっていたからかもしれない。(AERAdot. 編集部・太田裕子) ◯西出ひろ子/マナーコンサルタント、マナー評論家、マナー解説者。大学卒業後、参議院議員秘書職を経て、マナー講師として独立。31歳で渡英。オックスフォード大学大学院遺伝子学研究者(当時)と英国にて起業。帰国後、企業のコンサルティングをはじめ、大河ドラマや映画、CMなどのマナー指導など多方面で活躍中。
紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか
紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか チャールズ英国王の戴冠式の会場に到着された秋篠宮ご夫妻=5月6日、ロンドン(ロイター=共同)  英ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた、チャールズ国王の戴冠式。長引くインフレや失業率の高さなどに配慮して、これまでより簡略化された式典となった。参列者のドレスコードも緩やかになり、各国の王妃や皇太子妃らがひざ丈のドレスなどで臨むなか、松竹梅の柄の着物をお召しになって参列した秋篠宮家の紀子さま。和装を世界にアピールする場にもなったが、親子2代にわたって皇室に着物を納めてきた関係者はため息をつく。 *   *   *  1億ポンド(約170億円)規模と報道されたチャールズ新国王の戴冠式。これまでより参列者の数も絞られ、かつてのような豪華な夕食会も開かれなかった。  参列者のドレスコードも緩やかになった。  2013年のオランダ国王の即位式では、東宮であった天皇陛下と雅子さまが参列した。雅子さまは、日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)をお召しだった。  一方、チャールズ新国王の戴冠式では、ひざ丈のドレスやナショナルドレス(民族衣装)の装いで出席した各国のロイヤルメンバーもすくなくなかった。  宮内庁関係者がこう明かす。 「英国側からドレスコードについて何度か連絡があり、その度に基準が緩やかになったと聞いています。最後は、ナショナルドレスでも構わないということになり、紀子さまも着物を選ばれたそうです」 ■「一体どうされた?」  戴冠式が執り行われるウェストミンスター寺院に向かう秋篠宮ご夫妻。にこやかに微笑むおふたりの写真は、世界に配信された。  モーニング姿の秋篠宮さまの隣で歩を進める紀子さまが選んだ着物は、吉祥文様である松竹梅や小花や波柄、そして金彩がほどこされた淡い色の訪問着。七宝文様の袋帯には、慶事に合わせる白金の帯締と帯揚げ、金銀の祝扇をさしている。金色のバッグも明るさを添えている。  紀子さまの帯は、18年にオランダ・ハーグ市を訪問しマルグリート王女と歓談した際や、19年の都内での公務でもお召しであった品だ。新調せずに、馴染んだ和装を選ぶ紀子さまに、不況が続く国内外への配慮がうかがえる。 オランダ国王の即位式に臨む雅子さま=2013年4月、オランダ・アムステルダム  目を引くのは、背と両袖に秋篠宮家の家紋を入れた、三つ紋の訪問着である点だ。  天皇と皇族方は、それぞれの家紋を持っている。  天皇ご一家である内廷皇族は、十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)。他の皇族は、十四葉一重裏菊(じゅうよんようひとえうらぎく)を用いる。  各宮家は、創設にあたり紋章(家紋)をつくる。  皇嗣家である秋篠宮家は、中心に十四弁の菊の花を置き、周りに横向きの菊花と秋篠宮さまのお印である栂(つが)の枝葉を四つずつ円形に連ねた意匠。  ご夫妻で相談しながら選んだという。  紀子さまらしい、華やかながら控えめな和装である。  だが、「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、ため息をつきながら戴冠式の様子を見ていた。今回の着物は、泰三さんが納めたものではないが、「染の聚楽」は、昭和の時代から皇室に着物をつくり納めていたこともある。 「日本の伝統文化を世界にアピールするよい機会ですから、和装をお召しと知り、楽しみにニュースを拝見したのです。お召しの着物は、手の込んだ刺繍はなく、染で細かな意匠を描いた訪問着でした。むしろ色無地の方が帯を引き立たせたかもしれません」  一方で泰三さんは、紀子さまの映像や写真を目にして驚いたという。 「着物業界の人間も同じ思いを抱いたようで、私のもとに何件も『紀子さまのお着物は、一体どうされたのか』と問い合わせがありました」 ■着物を着こなす紀子さま  具体的に、どのあたりに違和感を持ったのか。 「真っ先に目についたのは、紀子さまの着物のたるみとよれ具合です。日本の新聞やテレビでよく使用された写真を見ると、歩く紀子さまの裾が妙にたるんで、よれています。裾も大きく崩れ、後ろがめくれています。和装の顔ともいえる袋帯も内側の袋の部分がぐんにゃりと生地がヘタっているようにも見えます」  紀子さまは、普段からよく着物をお召しで和装には慣れている。今回のように、歩くだけで足元が大きく乱れることはない、と泰三さんは首をひねる。 第8回太平洋・島サミットに出席する各国首脳らとお茶会に臨む紀子さま=2018年5月、皇居・宮殿 「質の良い正絹は、幾重にも絹糸を重ねて密度が濃く織り上げられます。そのため昔は、目方つまり重量で正絹の価値を測っていました。良い正絹は生地自体の重みがあるため、身体にきれいに沿う。逆に、正絹の織の密度が粗い場合は、ペラペラと薄い着物になります。生地も軽いため、歩いていても着物の裾にたるみやよれが出たり、めくれやすくなったりします。紀子さまの着物にこれほどたるみとよれが出てしまったのは、薄い生地であったためかもしれませんね」  天皇や皇族方は、国内外の要人の接遇を行い、厳粛な式典にも出席する。装いは、接遇の相手やそこに集まる人々に敬意を示す手段でもある。  装いが注目される皇后や女性皇族は、360度どの角度から写真や映像を撮影されても困らないような、気遣いと立ち居振る舞いを常に求められる。   和装では着くずれやしわを防ぐため、公務の際に車で移動するときもシートに背中をもたれないよう配慮している。さらにシルエットを整えるために帯板を何枚か重ねるなど、工夫を重ねるケースもあるという。 「紀子さまは、普段の公務では美しく着物を着こなす方です。それなのに、たくさんの『しわ』が寄ったような和装の写真が世界中で用いられてしまったのは、残念です。ともあれ、戴冠式は各国の王族が集まり、世界中に映像や写真が配信される場です。日本の伝統文化と技術をアピールできる和装を選んでいただいたのは嬉しいことです」  天皇の名代として、戴冠式への参列と国際親善の役目をとどこおりなく果たした秋篠宮ご夫妻。  皇嗣家として重責を担うご一家には、ますますの活躍が求められそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
親子で映画“マリオ”を見た鈴木おさむが「たった1時間半でなかなかない」と感じたこととは
親子で映画“マリオ”を見た鈴木おさむが「たった1時間半でなかなかない」と感じたこととは 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、映画“マリオ”について。 *  *  *  映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」が大ヒットしています。公開二日目に家族3人揃って見てきました。僕は1972年生まれの51歳。小学5年生の時にファミコンを買ってもらい、マリオブラザーズのおもしろさに衝撃を受け、中学になるとスーパーマリオが発売になり、度肝を抜かれたそんな世代。大人になってからも、マリオだけは新作が出るとやり続けていました。  そして、7歳の息子・笑福は、任天堂スイッチの「スーパーマリオ オデッセイ」をやる僕の横でマリオに魅了されたのが3歳のころ。僕の横でやったつもりになり、YouTubeでHIKAKINのゲーム実況を見てどんどんマリオにハマっていきました。親子二代、マリオをやり続けています。妻はゲームはまったくやらず。  映画を見に行き、僕は泣きそうになりました。40年近くやり続けているマリオが、世界的に大ヒットして共感を得ていることに。  正直言いますと、ストーリーはあってないようなもの。ただ、マリオをずっとプレイしている僕と笑福からすると、やっているからこその「これこれ!!」と言いたくなるものが沢山あり。確認と共感的な。この後何が起きるか大体わかるのに興奮していく。この感覚なんだろうと思う。  ディズニーランドの「スター・ツアーズ」に乗っているような、そんな感覚に近い。だけど、さらに近いのは、超おもしろいゲーム実況を見ているようなそんな感じなのかもしれない。  おなじみの「?」ボックスから出てくるあのアイテムに「これ出ると超ラッキーなんだよな~」と、まさしくゲーム実況を見ているような思いで楽しんでいる。ちなみに妻も超面白かったと言っていました。  見た人の感想は賛否あるようですね。そりゃそうです。これだけ大ヒットしていると目線も上がるし。だけど、映画って色々な形があっていいと思うんです。子供と同じ空間で同じものを見て興奮して感動できる。たったの1時間半で。これってなかなかないですよね。 映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」の一場面(c)2023 Nintendo and Universal Studios  あらためて映画見て思うのですが、マリオってキャラとしてはイケメンでもないし、格好いいわけでもない。なのに、このキャラが世界中を魅了している。  ネットで色々見てみると、マリオの産みの親、宮本茂さん(任天堂代表取締役フェロー)が答えていた。元々はドンキーコングの中のプレイヤー側のキャラだったマリオ。ゲームが8ドットとか10ドットなので、細かい顔を描けない。口や鼻を書いても分かりにくい。だからわかりやすく、ひげを書き、帽子をかぶらせてオーバーオールにしたんだとか。  そして名前。ドンキーコングが大ヒットしてゲームを海外に輸出したとき、倉庫にいた人の顔がマリオに似ていて、その人の名前が「マリオ」だったので、「マリオいいじゃん!」ってなったのだとか。そんなところから大ヒットキャラは生まれるんですね。制約の中から生まれたキャラクターがマリオだというのも、とても日本っぽいなと思います。  そんな日本発の哀愁漂うマリオ。応援したくなるんだよな~。あ、今回の映画で今まであまり感情移入してこなかったルイージのことも結構好きになりました。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)、長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が好評発売中。漫画原作も多数で、ラブホラー漫画「お化けと風鈴」は、毎週金曜更新で自身のインスタグラムで公開、またLINE漫画でも連載中。「インフル怨サー。 ~顔を焼かれた私が復讐を誓った日~」は各種主要電子書店で販売中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が発売中。
70歳のアクションスター、リーアム・ニーソン アルツハイマー病の殺し屋を演じて得た境地
70歳のアクションスター、リーアム・ニーソン アルツハイマー病の殺し屋を演じて得た境地 Liam Neeson 1952年、イギリス・北アイルランド生まれ。代表作に「シンドラーのリスト」「フライト・ゲーム」、「96時間」シリーズなどがある/撮影:James Mooney  映画「シンドラーのリスト」などで知られる演技派俳優のリーアム・ニーソンさん(70)。50歳を過ぎてからアクション作品への出演が増え、人生の苦みと渋みをたたえた”大人のヒーロー像“で数々のヒット作を生み出してきた。最新作「MEMORY メモリー」(5月12日公開)では、なんとアルツハイマー病を発症した殺し屋を演じている。どんな思いで演じたのか。 * * *  完璧な仕事をする殺し屋として裏社会を生きてきたアレックス。その日も任務を終えて車に戻った彼は、愕然とする。 「車のキーは一体どこだ?」  演じるリーアム・ニーソンさんは「ユニークな設定に惹かれたんです」と話す。 「本作のオリジナルで2003年に公開された『ザ・ヒットマン』(エリク・ヴァン・ローイ監督)を知って、おもしろいと思いました。ヒットマンが登場する映画は数多く作られてきましたが、アルツハイマー病を患い、病と闘いながら仕事をする殺し屋というのはなかったですからね」  引退を決意したアレックスは、これが最後と決めて仕事を引き受ける。だが、ターゲットの一人はまだ幼い少女だった。 「アレックスはずっと罪を犯してきた、いわば悪人です。しかし彼は『絶対に子どもは殺さない』という信念を貫いてきた。そこで彼はなぜ少女が殺されるような状況になったのか、背景にあるものを探り始めます」  混濁していく記憶と戦いながら、アレックスは背後にある人身売買組織の存在を突き止める。 「彼は『これは間違っている、正さなければいけない』と考え、そのための行動に出ます。しかしその『悪』には自分自身も含まれている。これはある種、贖罪の物語でもあるのです。僕は自分が演じるキャラクターには、たとえ悪人であろうと、どこかに道徳的な側面を見つけようとするんです。今回のアレックスもそうでした。彼の行動にはギリシャ悲劇のようなヒロイズムがある。そこが気に入っています」  アレックスが部屋番号や電話番号を腕に書いたり、重要な情報をメモリースティックに入れたりして記憶障害と戦う姿はリアルで切なくもある。さらに同じ病で記憶を失いつつある兄をホスピスに訪ねるシーンは、短いながら美しく心に残る。 「MEMORY メモリー」 5月12日(金)からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。(C)2021, BBP Memory, LLC. All rights reserved. 「アルツハイマー病については入念なリサーチをしました。ドキュメンタリー番組なども見ましたが、実は同じ病を患っている友人がいたんです。その経験を少しアレックスの人物描写に取り入れることができました」 「友人を見舞い、彼と多くの時間を過ごすうちに、彼が僕のことを忘れてしまっていることに気づいてはいたんです。昔の話をしたりすると、やっぱりわかってしまうんです。でも彼は人をがっかりさせることを絶対にしたくない性格の持ち主で、そのことに気づかせないように振る舞っていました。僕はすごく彼らしいなと思ったのです。たとえ病を患っていても、その人はやはりその人なのだなと。この映画で兄とのシーンを演じながら、そんなふうに心を動かされたことを思い出していました」 「友人は最近、残念ながら亡くなりました。ですが僕はある意味、ほんの小さな形ではありますが、彼をしのび、その何かを映画に残すことができたのかもしれないと思っています」  同時に病をことさらに強調することはしたくなかったとも話す。 「この映画は基本的にはアクション・スリラーです。こうした作品はテンポやペースが大事。病の要素が極端にそのペースを乱すものになってはいけない。やりすぎないようにマーティン・キャンベル監督とも話し合いながら、なるべく抑制の効いた形で表現することを心がけました」  さすが数々のアクション作品に主演してきたリーアムさんらしい。70歳にしてキレのあるアクションは衰え知らずだ。 「映画の主役を任されるような役者は、ある程度のフィジカルをキープしなければいけないと思っています。朝早くから自分を待っているスタッフが100人いたりしますからね。ただ、そこまでハードにジムに通う必要はないと個人的には考えています。僕がやっているのはパワーウォーキング(フォームを意識した早歩き)、ダンベル運動や基本的な腹筋や腕立て伏せなど。それらを1週間に5~6日、30分ほどこなすくらいです。それに休息を取ることも重要です。十分な睡眠と、ある程度の健康な食生活を心がけています」 「MEMORY メモリー」 5月12日(金)からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。(C)2021, BBP Memory, LLC. All rights reserved.  イギリスの北アイルランドに生まれ、ベルファストの劇団で演技を学んだ。舞台俳優としてキャリアをスタートさせ、28歳で映画デビュー。09年にはおしどり夫婦として知られた妻で俳優のナターシャ・リチャードソンさんを亡くす試練もあった。人生のさまざまを乗り越え、これまでに100本を超える作品に出演。近年はユニセフの親善大使としても活動している。 「親善大使を務めていることを誇らしく思っています。それが演じる役の道徳心や正義感に反映されているとすればうれしいし、そうであってほしいとも願っています。ユニセフの活動には敬意を抱いているんです。例えばユニセフで1ドルを募金した場合、そのうちの95セントがサポートを必要としている子どもたちやその母親などにちゃんと届きます。ほかのチャリティー団体だと募金の40%ほどしか必要としている人に届かないこともありますから」 「僕の人生のターニングポイントは1980年にジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』に出演したことです。それをきっかけにロンドンに引っ越して4年半ほど暮らし、その後アメリカ、ロサンゼルス移って4年ほど、さらにその後ニューヨークに移り、いまも住み続けています。『96時間』でアクション作品に挑戦し始めたのは55歳のときですから、我ながらがんばったと思います(笑)」 「僕は人生には『ウィンド・オブ・チェンジ』(変化の風)が吹くときがあると考えています。その風が吹くと、次のステップに行かなければならないという気がするんです。その思いが自分を動かしてきました。いまのところ風が吹くことはもうないんじゃないかな、と思っていますが、どうでしょうね」  シニアの星の、さらなる進化に期待大だ。 ※週刊朝日オリジナル記事 (フリーランス記者 中村千晶)
藤竜也と山口果林、まさかのゲートボール初共演「スティック重くてビックリ」
藤竜也と山口果林、まさかのゲートボール初共演「スティック重くてビックリ」 藤竜也(ふじたつや)/ 1941年8月生まれ、神奈川県出身。国内外で話題を集め、報知映画賞主演男優賞を獲得した「愛のコリーダ」のほか、「村の写真集」「龍三と七人の子分たち」「台風家族」など100本以上の映画に出演。 山口果林(やまぐちかりん)/ 1947年5月生まれ、東京都出身。朝ドラ「繭子ひとり」(NHK)で主演デビュー。舞台、テレビドラマ、映画など多方面で活躍。2008年から広島・長崎の悲劇を語り継ぐ朗読劇を続けている。(撮影・伊ケ崎忍)「それいけ!ゲートボールさくら組」元ラグビー部仲間を演じる石倉三郎、大門正明、森次晃嗣、小倉一郎もゲートボールで魅せる。5月12日から全国公開。(c)2023「それいけ!ゲートボールさくら組」製作委員会  ベテラン俳優たちが織りなす人情喜劇「それいけ!ゲートボールさくら組」が5月12日から公開される。ゲートボールに初挑戦したという主演の藤竜也さん(81)とヒロイン山口果林さん(75)が語り合った。 *  *  * ──芸歴60年の藤さんと50年超の山口さんだが、共演は今回が初めて。高校時代にラグビー部だった桃次郎(藤)はある日、マネジャーだったサクラ(山口)に再会。彼女の窮地を救うため、かつてのラグビー部仲間と共にゲートボールで再起を図ろうとする。 藤:ゲートボールはこの映画が初めて。だから、撮影前にクラブに入って、相当うまくなってから出たいと思ったんです。それを監督に言ったら「みんな何もできないところから始めるのでできなくていいんです」と。ただ、「CGで球はどこにでも自由自在ですから」と言うので「それはいいな」と思っていたんですが、実際は全然、自由自在ではなく、「球はきちんと入れてください」って。多い時は10回ぐらいNGを出しました。 山口:私もスティックが重くて驚きました。事前に練習はされたんですか? 藤:家の近くの公園で少し。あとは現場で。コツコツ練習していました。ボールを打つだけだったらみんな撮影期間中の練習で入るようになったんですが、(チーム競技なので)戦略が高度らしい。僕たちは台本どおりに動いていましたけど、全くわかりませんでした。ゲートボールは高齢の方が気楽にやっている印象でしたが、相当トレーニングしないとダメだと知りました。でも、ゲートボールができる場所って意外と少ないんですよね。 山口:いろんなところでロケをしましたね。埼玉県東松山、神奈川県相模原……。 藤:千葉県の奥のほう(苦笑)。皆さん自分の車で通勤していましたけど、私も1日6時間ぐらい車の中にいたことがありました。石倉三郎さんと「この現場通いを乗り越えられたら自分を褒めてやりたい」って言い合っていたくらい遠かった。 「それいけ!ゲートボールさくら組」元ラグビー部仲間を演じる石倉三郎、大門正明、森次晃嗣、小倉一郎もゲートボールで魅せる。5月12日から全国公開。(c)2023「それいけ!ゲートボールさくら組」製作委員会 ──ラグビー部のキャプテンだった桃次郎は、ゲートボールでもキャプテンとして、かつての部員たちを引っ張っていく。藤さんはリーダーのあるべき姿について熟考したという。 藤:大切なのは、話を聞くことなんでしょうね。みなそれぞれ自我があるわけです。それを聞いて、なんとなく和を保てるような空気を作っていくことではと思っていました。 山口:だから私も藤さんに泣きつくことができたんだと思います! 小道具を作り直してもらえたのは、藤さんがリーダーだったから。本当に頼れるリーダーでした。 藤:山口さんは想像していたとおり、信頼できる芝居をしてくださる方でしたよ。 山口:私はこのオファーを受けた時、ちょうど体力的に自信がなくなっていた時期だったので、随分悩みました。台本にこんなことを書いていたの。「認知症になるとは、社会的な規制から抜け出して、カッコづけを捨てること。だから、いろんなことをまとわなくていい。TPOなんて忘れていい、自分の好きなように生きられる」と。そんなつもりでこれを受けようと思ったんです。藤さんは普段、モチベーションをどう保っていらっしゃるんですか。 藤:仕事を少なくする。年に1、2本。多くて2本です。僕のペースとしてはそれくらいがいいんです。演じることは、楽しいからやっている。飽きてしまったら最悪です。「演じたい」という欲望がある時に仕事の依頼が来ると、ガッと食いつけるじゃないですか。年中だったらおなかいっぱいで、咀嚼(そしゃく)もできなくなってしまいますよ。 山口:私は果林という芸名を決めた時に易にみてもらったんです。その時20歳ちょっと上ぐらい。希望としては、70歳まで現役で仕事をしたいと思っていました。その頃にはきっと記憶力も悪くなるから、演出意図のわかるエキストラになろうって。だから、初心は貫徹したかなと思ってるこのごろです(笑)。でも、他の人になれるこの仕事は面白いですよね。 「それいけ!ゲートボールさくら組」元ラグビー部仲間を演じる石倉三郎、大門正明、森次晃嗣、小倉一郎もゲートボールで魅せる。5月12日から全国公開。(c)2023「それいけ!ゲートボールさくら組」製作委員会 ■好奇心なくさず瞬間の積み重ね 藤:楽しいだけではないですけどね。自分ではない人物に無理やり入っていくわけだから。 山口:人間に対する興味があると、想像力をたくましくして入れます。 藤:そうですね。念ずると役も近づいてくれる。「念ずる」という言い方はおかしいけれど、必死になるということかな。僕は好きなタイプの役はないんですが、キャラクターが台本の中でどう生きているかは重要。やっぱり本、ですね。 山口:私はいくら役でも暴力が苦手です。今回もスティックでみんなのお尻をたたくシーンは何回もNGになりました。 藤:僕はオカルト映画が怖くてダメです。 ──齢70、80を超えて思うこととは。 山口:私はずっと、どちらかと言うと映像より舞台をやりたかったんです。今はお声がかかればどちらでも。お役に立つのだったら出ようかなという心境になってきました。これは若い時にはなかったかもしれません。これからの人生はデクレッシェンド、看板は下ろさないけどスッと消えていきたいという希望があるの。それが夢です。 藤:僕はアクション映画に随分出演してきましたので、実際に亡くなった方も見てきました。若い時分は妻(芦川いづみ)に敬礼して家を出ました。もう二度と帰れないかもしれないから。一本撮り終わるまで生きていればいいという刹那的な、その瞬間の積み重ねです。それは今も同じですね。 山口:この映画は「人生には遅すぎることなんて一つもない」と謳っていますが、私にとってはまさに、この映画に出ることがそうでした。サミュエル・ウルマンという米国の詩人に、「青春」という詩があります。好奇心や挑戦する勇気、探究心や興味といったものがあり続ければ若い。老いはそういう心のありようを失った時に始まると。この詩も挑戦を後押ししてくれました。 藤:僕も人間は好奇心をなくしてしまったらダメだと思います。僕は毎日料理をしますが、今、ベーコンを作り始めたんです。妻が好きなんですよ。 山口:私は足が痛くなってからリハビリを兼ねて毎日散歩をしています。今日も8千歩は歩いています。何でも挑戦ですね! (構成/ライター・坂口さゆり)※週刊朝日  2023年5月19日号
先輩社員から聴いた「遺言」 青山で思い出す アサヒグループホールディングス・小路明善会長
先輩社員から聴いた「遺言」 青山で思い出す アサヒグループホールディングス・小路明善会長 アサヒグループホールディングス 小路明善会長/物質的な豊かさと共に心の豊かさや幸福感も大切にするべきとして繰り返し口にしている「Well-being」。経済界で同調者が増え手応えを感じている(撮影/狩野喜彦)  日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年5月1-8日合併号では、前号に引き続きアサヒグループホールディングス・小路明善会長が登場し、思い出の地・青山を訪ねます。 *  *  *  東京・青山に、青山学院大学法学部で4年、朝日麦酒(現・アサヒビール)の労働組合本部の専従役員で10年弱、毎日のように通った。計14年。故郷の長野県松本市で高校を卒業するまで過ごした年月に次ぐ長さで、第2の故郷のようだ。  ことし2月、労組本部の事務所が入っていた南青山のビルがあったところを、連載の企画で一緒に訪れた。  企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れて多様性に触れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。 ■「夕日ビール」と揶揄されたころ 苦難続いた10年  国道246号(青山通り)の表参道交差点から東の赤坂方面へ歩き、すぐ右折して路地に入り、ほどなく足を止めた。 「ここに、朝日麦酒労働組合の本部が入っていた3階建ての小さなビルがありました」  1980年3月、28歳で休職し、労組の専従役員になった。翌年、ビジネスパーソン人生で『源流』になった出来事に、出遭う。  辛口生ビール「アサヒスーパードライ」が発売され、大ヒット商品となる6年前。朝日麦酒は市場シェアが落ち、酒販店や飲食店で「朝日ならぬ夕日ビール」と揶揄され、悔しい思いが続いていた。経営が苦しいなか経営陣は人件費の削減に、約530人の希望退職者の募集に踏み切った。会社の苦境を知る労組も受け入れ、本部役員らが対象となる年長の社員たちに会って、退職を促すような会話を重ねる。自分も、青山から職場を巡った。  忘れることのない言葉を聴いたのは、東京・隅田川にかかる吾妻橋の脇にあった会社で最も古いビール工場だ。相手は50代の従業員。会社の苦境と希望退職に伴う恩典を説明したが、退職を促すような口調になっていたのかもしれない。静かに聴いていた相手が、真っ直ぐ目を向けてきて、口を開く。 「分かった、私は辞めていく。でも、声の大きい人の話を聴くだけではなく、声なき声、コツコツと真面目に仕事をしてきたのに辞めていく人たちの声を聴いてくれ。これは俺の『遺言』だ」 母校へ来るたびに思い出す幼稚園。賛美歌を歌ってキリスト教に触れクリスチャンにはならなかったが、それからの人生の大事な一歩だった(撮影/狩野喜彦)  胸の奥まで染み込んで、『源流』が生まれた。その通りだ。多くの場合、どうしても声の大きい人たちに耳目が集まり、その言い分だけが残る。でも、多くは語らなくても真面目に仕事をしている社員によって、会社は成り立っている。その声を、大事にしなければいけない。社長になったときに「社員は会社の命だ」と言い切ったのも、その思いからだった。 ■社長に教わった「熱気球論」の人材育成の秘訣  33年ぶりに労組本部があったところを訪れ、振り返ると、樋口廣太郎さんが浮かんでくる。主取引銀行で副頭取を務め、朝日麦酒の社長になったのは86年3月、労組の書記長だった。樋口さんは経営再建の一環として新製品に力を入れ、在庫期間が長くなったビールは引き上げて廃棄する、と決めた。それを労使協議の場で「億円単位のコストがかかるし、業界に例がない」と指摘すると、「市場をよくするための経営判断に、何を言うか」と激怒された。  退かずにやり合った相手が、終わるとそばにきて肩を叩き、「きみも私がやりたいことの意味をわかっていながら、書記長の立場として言ったのだろう。理解してくれよ」と言う。烈火の如く怒るが、それ以上にフォローするトップ。ファンが多かった。  その樋口さんから、三つの言葉を教わる。一つは「前例踏襲をするな」だ。古くなってきたビールの廃棄ではないが、それまでのやり方を続けていてはダメ。常に新しいやり方で進めるのが、変化する社会への対応だとの趣旨で、「前例は自らがつくるもの」とも言われた。  二つ目は「人間熱気球論」。人間は心の奥に「向上したい」という気持ちがあるから、経営者や管理職はその気持ちを阻害している要因を取り除いてあげれば、気球のように自然に上がって成長していく。そう説かれ、「なるほど」と頷いた。  もう一つは「チャンスは貯金できない」で、聞いて「貯めることもできるのでは」と首をひねった。でも、樋口さんは「偶然は人生で二度とこないから、貯金はできない。大事なのは、チャンスがきたらいかにものにするか、常に考えていることだ」と言った。アサヒグループホールディングス(HD)の社長になって、5年間に2兆5千億円を投じて欧州、中東、豪州のビール事業を買収した胸中に、この言葉があった。 ■変わらぬ街と変わらぬ母校に口ずさむ賛美歌  母校の青山学院大学は、表参道交差点の労組本部と反対側、渋谷の方へ歩くと左にある。周囲のビルはいくつか建て替えられたが、街の雰囲気は変わっていない。一昨年に学院の理事になり、30年ぶりくらいに訪れた。以来、月1回の理事会に出ている。人生のキーワードになった「青山」との縁は、続く。  学校の正門から続く並木道も、変わっていない。キリスト教プロテスタント系の学校で、歴史的な建物が2、3あり、神学部の校舎だった建物にツタがからまっている。ペギー葉山さんが歌って大ヒットした『学生時代』の歌詞「ツタのからまるチャペル~」のモデルとされ、大学の本部事務所になっていた。  1951年11月に松本市で生まれ、キリスト教系の幼稚園へ通い、賛美歌に触れた。クリスチャンにはならなかったし、大学で礼拝堂にいかなかったが、賛美歌が耳に入った。自らの歩みでキリスト教の存在は、小さくない。最近、「社員が幸せでないと経営ではない」という立ち位置にいるのも、それが背景にある。たまに賛美歌を口ずさんでいる自分に、気づく。  入学した71年は学生運動が激しかった時期で、キャンパスは学生にロックアウトされ、登校するのは週2日くらいだった。部活は武道に興味があって合気道、アルバイト先は大学から歩いていけるスペイン料理店。週に2、3度は夜に働き、楽しみは仕事の後の食事。シェフが客に出すのと同じ食材や調理で、「パエリア」などを食べさせてくれた。下宿生活だったので、大いなる魅力だった。  順風満帆のように映るかもしれないが、思い悩んだこともある。とくに95年秋から7年、課長から部長、担当執行役員まで務めた人事部門のときだ。人事制度の改革を進める陰で、「自分は将来どういうビジネス人生を送っていけばいいのか」と悩み続けた。営業部門で始まり、労組という全く違う世界へいき、どちらもたくさんのことを学び、充実感があった。  ところが、突然の人事課長という辞令に「人事とは何か?」との疑問から悩みが始まる。ある日、自宅近くの書店でデール・カーネギー著の『人を動かす』と『道は開ける』の2冊が目に入り、買ってみた。読むと、『人を動かす』に「人を非難する代わりに理解するように努めると、人は動くよ」とあり、気が晴れた。「Again」で寄ったスペイン料理店の跡のバーで、そんな日々を思い出す。  事業子会社のアサヒビールの社長を4年8カ月、持ち株会社のグループHD社長を5年、そして会長3年目のいまも、社内で行き交う社員たちに何気なく話しかける「声かけ」が続く。相手の反応から、社内の不満や悩みを探っている。『源流』となった「声なき声を聴く」の言葉から、身に付けた一つだ。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2023年5月1-8日合併号
モンゴルの「いま」と、女性の外面と内面の美しさを描く映画「セールス・ガールの考現学」
モンゴルの「いま」と、女性の外面と内面の美しさを描く映画「セールス・ガールの考現学」 (c) 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures  モンゴルの大学に通うサロールは、ケガをしたクラスメートに代わってアダルトグッズショップでバイトをすることになる。大人のオモチャを買いにくる客に対応し、オーナーの謎めいた女性カティアと交流するうちに、サロールに変化が訪れる──。モンゴルの「いま」を切り取った話題作。連載「シネマ×SDGs」の50回目は、映画「セールス・ガールの考現学」のジャンチブドルジ・センゲドルジ監督に見どころを聞いた。 (c) 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures *  *  *  アーティストは常に自分の内なる世界を表現したいと考えるものです。今回、私はサロールとカティアという二人の女性を通して、自分の内面を表現しようと試みました。女性は私にとって研究してもし尽くせない芸術的な存在です。そんな女性の外面と内面の美しさを描きたいと思いました。 (c) 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures  サロールは親に言われるまま、大学で原子力工学を学び、自分自身をまだ発見していない女の子です。カティアはロシアで名声を得たバレリーナで、自分の得た知識や美意識が周囲よりも少し先に進んでしまったゆえに、そのずれに苦しんでいる女性です。彼女はサロールに人生のさまざまを教えます。カティアはある種の私の理想です。若い人を導いてくれるこんな人物がいたらなあと思います。舞台をアダルトグッズショップにしたのは映画をおもしろくするための装置です。伝えたいことはその奥にある「自分の人生を選ぶとは、どういうことなのか」なのです。 (c) 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures  モンゴルにも「女性はこうある方が幸せだ」という考え方がいまもあります。ですが一方で全く違った感性を持つ、若い人たちが出てきているのも事実です。サロール役のバヤルツェツェグ・バヤルジャルガルは300人のオーディションから選んだ新人です。ヌードシーンがあることも伝えましたが、それでもやるとOKしてくれました。まさに新しい時代の俳優で役にピッタリだったと思います。 ジャンチブドルジ・センゲドルジ(監督・脚本・プロデューサー)JANCHIVDORJ Sengedorj/モンゴル・ウランバートルの映画芸術大学を1999年に卒業。テレビ、演劇も手がける。28日から全国順次公開 (c) 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures  モンゴル人は総じて新しいもの好きです。「家業や遊牧を継がなければならない」という縛りもなく、自由に大きな夢を追いかける若者が多いと感じます。チンギス・ハーンの時代から女性の役割が大きかったことが歴史書にも記されており、もともと女性の地位は高かったと思います。私もいま、家長である妻を恐れているんです(笑)。 (取材/文・中村千晶) ※AERA 2023年5月1-8日合併号
石山アンジュ×荒川和久 異次元の少子化対策でも人口は激減 安心・安定のための生き方とは
石山アンジュ×荒川和久 異次元の少子化対策でも人口は激減 安心・安定のための生き方とは 社会活動家の石山アンジュ氏(左)と独身研究家の荒川和久氏  少子化対策をどんなに頑張っても、日本の人口減少を止めることはできない。これまでの価値観や制度が通じなくなっていく中で、私たちはいかにして安定、安心を得ることができるのか。社会活動家の石山アンジュ氏と、独身研究家の荒川和久氏が新しい生き方や社会のあり方について意見を交わした。【後編】 記事前編「石山アンジュ×荒川和久 伝統的な家族観ではもう限界 非婚・子なしでも子育てにかかわる家族とは?」から続く *  *  * 荒川 出生率を増やすという議論は、1億2千万人という今の日本の人口規模にとらわれている感じがあります。いまの人口を維持するためには、1人の女性が最低5人産む必要がありますが、不可能でしょう。  国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2100年には日本の人口は6000万人程度になります。出生率を増やす議論とともに、人口が減少した新しい状況にどう適応するかも考えていかないといけません。 石山 少子化対策で人口が増えようが、減ろうが、何が人生に豊かさをもたらすのか、ということを考えないといけないと思っています。それは単純に経済の成長率であったり、人口数ではないですね。 荒川 幸せに生きる、という意味では、人とのつながりをいかに確保するか、がいま問われていると思います。  地域コミュニティや職場コミュニティが失われて、孤立して生きるような状況が多くなっています。 石山 会社とか町内会といったコミュニティが、なし崩し的に溶けて、人と接点を持つ機会が、狭まってしまったと思います。  コミュニケーション能力が高かったり、SNSでつながれる人は接点を持ち続けられますが、そうではない人も少なくありません。 荒川 体育会系の人たちの間では昭和的なコミュニティが残っていたりしますけどね(笑)  ただ、コミュ力がないと社会で生きずらくなるというのは何とかしないといけないと思います。 荒川和久(あらかわ・かずひさ) 独身研究家、コラムニスト。大手広告会社において、企業のマーケティング戦略立案やクリエーティブ実務を担当。その後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として活躍。新刊に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』 石山 独居老人が増えて、孤独死や鬱も社会問題になっていると感じますね。 荒川 いまの高齢者の方々は、仕事人間だった人が多いんです。  会社勤めで友だちがたくさんいると思っていたが、退職後に本当の友達がいなかったと気づくことも多いです。そうすると、話す人が妻だけになって、依存するようになるんです。「妻唯一依存症」ですね。妻の買い物にもついていくようになるんです。 石川 趣味とかがあればいいんですけどね。それがないから、妻に依存してしまうのでしょうか。 荒川 そうですね。だから、私は職場という「所属するコミュニティ」があるうちに、「接続するコミュニティ」もできるだけつくっておきましょう、と勧めています。  例えば、趣味のメンバーと接続したりすることです。ネット探してトークイベントに参加したり、自治体の読者会にいくというのでもいいと思います。  私は所属するコミュニティを「居場所」、接続するコミュニティを「出場所」と呼んでいます。出ていくことで「出場所」はつくることができます。  趣味とかがない人には、仕事を続けることを勧めています。少なくとも、仕事を通じて、人との接続はしやすくなりますから。 石山 シェアリングエコノミーも解決策の一つになると思います。消費という行動で、人とつながることができるからです。  コミュ力がなくても経済活動でつながることができる。人とつながることのハードルはかなり下がると思っています。 荒川 若い人たちが、多様な体験を喪失していることも気になっています。  いま出産や子育ては特権的な行為になってきています。例えば、東京23区で出生率が高いベスト3は、中央区、港区、千代田区で、平均所得が高い区です。  他方で、かつて出生率のベスト3の常連だった江戸川区、足立区、葛飾区は、15年をピークに急減少しています。これらの区は平均所得も低く、家賃相場や住宅購入の相場も安い地域です。 石山アンジュ(いしやま・あんじゅ) 社会活動家、Public Meets Innovation(PMI)代表理事、シェアリングエコノミー協会代表理事、デジタル庁シェアリングエコノミー伝道師。テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」や複数の報道番組などでコメンテーター、新しい家族の形「拡張家族」を広げるなど幅広く活動。PMIでまとめたミレニアル世代による提言書『昭和平成の家族モデルを超えた、多様な幸せを支える社会のかたち』(https://pmi.or.jp/thinktank/millennial_paper/family/white_paper.pdf )。著書に『シェアライフ―新しい社会の新しい生き方』 荒川 平均所得と出生率の関係を見ると、正の相関がある。つまり、所得の高い人たちは子どもを持つことができて、所得の低い人たちは子どもを持ちにくいということです。 石山 どういう影響があるのでしょうか。 荒川 所得の高い家庭の子どもたちは、同じような人たちが集まるコミュニティで成長することになります。  山手線内の内側に住んで、私立の幼稚園に通い、そのままエスカレーターで名門の大学を卒業し、大企業に就職し、高年収を稼ぐ。周りも同じような境遇の人たちで占められる。いわば世襲型の同類縁のようなものです。  驚いたのが、先日、とある新入社員の方と話したんですが、販売や飲食などのアルバイトをしたことがない、というんですよ。家庭教師を1回やったくらいだと。  接している世界が狭い。いろんな人たちと出会う体験を失っているんです。 石山 それは子どもの多様性を育むうえで、良くないですね。同級生とか、近所の人、たまたま知り合った人、色んな人から実体験を通じて学んでいくのが理想ですが、そういった機会を失っているんですね。  同じような危惧を抱いたことがあって、10歳下の子と話したとき、親がマンション暮らしの核家族で育ったことで、地域とつながるという感覚がないんですよ。周りに住んでいる人たちとつながる経験がまったくないんです。 荒川 アンジュさんのシェアハウス(※)に来る若者はどんな動機があるのでしょうか。※シェアハウス「Cift(シフト)」のこと。血縁や制度によらない「新しい家族のかたち」をつくっている。記事前編より 石山 お金の価値観について変わってきていて、このグローバル時代に、日本で1千万円稼いでも、為替とかインフレの影響とかで、価値が目減りしてしまう。自分の力ではどうにもできない。お金が一番の価値ではないと思う人も多くなっていると思います。  生きていく中で、人とのつながりが大切と思う人も増えてきて、そこでシフトなどに注目する人が増えているのだと思います。人に何かを頼むということは、自分でコントロールできますから。 荒川 これまでの価値観では生きていけないことを感じ取っている若者もいるわけですね。 石山 若い人たちにとって、安心、安全のステータスが変わってきているなと感じています。特に、コロナ以降、リスクと共存する社会というのが前提になっていると思います。  今は大企業でも倒産する、何が起こるかわからない時代。そういう時代だからこそ、複数の選択肢を持っているということが、安心や安定につながります。  例えば、この仕事がなくなっても、じゃあこっちの仕事とか。子どもを預かってもらいたいときに、親や施設だけではなくて、相談できる人やグループがあると安心ですよね。  人とつながることで、自分のアイデンティティも見えて、安心もする。そういうライフスタイルを選んでいるように思えます。 荒川 社会が変わっていくことは確実ですし、どこかで大きな変化があるという前提で、選択肢を複数持っておく必要がありますね。  自分の生き方を一本道のように考えていると、そこから外れたときに悲劇を見る。結婚しなければいけない、子どもをもたなければいけない、金持ちにならなければいけない、ということはありません。 石山 日本は宗教的な意識が薄れてきた結果、「私は良い人間であるか」と自分の良心に問う機会を弱めてしまったと思います。  その結果、お金が大きな尺度になって、すでにある仕組みや制度に頼るようになってしまったところがあると思っています。  そういうものが必要ないと言いませんが、それが本当に自分の人生を豊かにするのか、自己の良心に問うというのがもっと大事だと思うんです。  実は、私がシフトで実践しようとしているのは、そういった意識の修行です。誰かと意見がぶつかったとき、自分が何か悪くなかったか。すぐに別れるのではなく、どうしたらこの人とずっと一緒にいられるか。わかりあえない人同士が、家族というフィルターを通して、どこまで向きあえるか修行しています。 石山 例えば、シェアハウスのメンバーで誰か交通事故にあったとき、どこまで治療費を出せるか。1千万? もっと? 強要はしませんが、そういうところまで話しあえる関係が必要だと思います。 荒川 シフトのようなコミュニティって、昔は日本にもあったんだと思います。江戸時代の長屋に似ているかなと。有象無象の人が一緒に暮らしている。一緒に洗濯をしたり、食事を作ったり。自分ができることを交換し合う関係ですね。  シェアリングが根付く民俗的な土壌は日本にあるのだと思います。 石山 そうですね。お隣さんに「おしょうゆ貸して」というコミュニティは少し前までありましたし、今はシェアリングエコノミーがそうした関係を可能にしてくれています。 荒川 必要に応じて集まったり、助け合ったりする「接続するコミュニティ」というのも大事だと思っています。  刹那的にでも人とつながって、自分の気持ちや考えを伝えあう。そして、新しい自分を発見する。そういうことの積み重ねで、人生の満足度は変わってくると思います。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

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