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イクメン不倫騒動の影でマタハラ… 金子恵美議員が涙した国会議員の“男社会”
イクメン不倫騒動の影でマタハラ… 金子恵美議員が涙した国会議員の“男社会”
国内での流通が認められていない「乳児用液体ミルク」の導入に力を入れる。お湯で溶かす必要がないため、育児負担の軽減はもちろん、衛生環境が整わない災害時にも役立つ。先月、推進派の小池都知事と面談した(写真部・長谷川唯)  日本の衆参両院の国会議員(717人)のうち、女性は94人。世界を見渡しても、日本の国会議員の女性比率は低い。彼女たちは男社会の永田町でもがき、懸命に闘っている。オヤジ化した自分と決別する女性議員も出始めた。金子恵美衆議院議員(38)=総務政務官=に話を聞いた。 *  *  * ――“イクメン”で知名度を上げた夫、宮崎謙介衆院議員(当時)の不倫騒動。妻の金子恵美衆院議員は渦中で妊娠、出産を経験した。その体験談から男社会の実情が見えてくる。  宮崎(謙介氏)のことがあったので、大変つらい、苦しい思いもありました。でもおかげで、悩んでいる女性からメッセージが届くようになった。民間企業で働く多くの女性は結婚、妊娠、出産も含め、仕事との両立で悩んでいます。私自身もあの(不倫)騒動に関係なく、マタハラに近い経験もしましたから。 ――昨年末から今年2月、金子氏と宮崎氏は社会の注目を集めた。発端は、昨年12月に宮崎氏が国会議員の育休取得を宣言したことだった。  騒動の件では、皆さんにご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っています。今は子どもの存在が頑張れる原動力になっていますが、妊娠、出産についていろいろなことを言われました。衆院議員は、解散・総選挙がいつあるかわからない常在戦場ですが、「妊娠するタイミングもわからないのか」とか、「男(のような政治家)であり続けてほしかった」とも。私はおなかの大きな状態で国会に出ていました。(妊娠や出産は)女性にとって大切なことのひとつと考えていましたが、その姿に厳しいことを言う人もいました。 ●女を政治に持ち込むな ――当時を振り返った金子氏。この瞬間だけ、悔しさで目を潤ませた。宮崎氏の育休宣言後、金子氏は衆議院の所属委員会の委員から外れた。  産休に入っていないうちから「もういつ休んでもらってもいい」と言われました。民間企業でいうポストがないのと同じですよね。ほかにも、「お前たち(夫婦の育休宣言)のせいで迷惑を被っている」とか、「女、子供を政治の世界に持ち込むな」とか。私は地方議員を含めて約10年、政治家をしていますが、女性が政治にかかわることを否定されたら、全否定ですよね。当時は絶望感が大きかった。  結局、意識改革が必要なんです。例えば、学校の保健体育の授業で女性の体の仕組みをタブー視しないで教える。教育を通じて、妊娠や出産がどれだけ奇跡的で、壮絶なのかが男性にもわかれば、意識改革にもつながる。政治というより、社会全体の話だと思います。 ――宮崎氏の育休宣言はイクメン普及に取り組むNPOなどに好感され、国会議員の育休取得の法制化も浮上した。だが、金子氏が2月に男児を出産した直後、宮崎氏の不倫が発覚する。  時間が経って、地元を回る中で、人生の先輩に当たる50~60代の女性から「どの家庭にもいろいろあるのだから、簡単に離婚しちゃだめよ」とよく言われました。「たまたま日本中に恥ずかしいことが広まっただけで、負けちゃだめよ」とも。とてもありがたかったです。  私は、一度や二度の過ちによって人生が終わってしまう社会ではいけないと思います。もっと寛容な社会であってほしい。本人が反省して生まれ変われるなら、私はその可能性を信じて応援したい。そう思い、宮崎の手を離さない決断をしました。 ●離婚しないからこそ ――宮崎氏は2月に衆院議員を辞職した。金子氏も猛烈な逆風にさらされた。  私の支援者の前で先輩議員から「我々の教育、しつけが悪かった。こんな議員を生んで申し訳ない」と言われたこともありました。そんな時、野田聖子議員や小渕優子議員、三原じゅん子議員といった先輩の女性議員に相談をしました。男性議員のなかにも、激励してくれる人もいました。  地方議員時代、私は「お嬢ちゃん」と呼ばれることもありました。それが嫌で、「おじさん」議員になるよう自分を切り替えた。でも今は母親になって、逆に気楽になったような気がするんです。私は女性で、妻で、ママであるほうが、強さを出せるんじゃないかと。無理して男になろうとするより、自然体の「お母ちゃん」でいるほうが強くなれるのではと思っています。  子育ては1人ではできない。今は両親が東京に来てくれ、宮崎もイクメンをしている。私も夜に帰宅して母乳で育てるなど、限られた時間でスキンシップを取るようにしています。 ――かつてヒラリー氏も、夫であるビル・クリントン大統領(当時)の不倫騒動に巻き込まれた。  ヒラリーさんは男勝りという方もいますが、ヒラリーさんの強さは、妻であり、母であり続けたからこそだと思っています。守るものがある人は強い。自分のためだけじゃないから。ヒラリーさんも(ビル氏を)手放していたら、今の強さはないと思う。私もそうありたいんです。等身大の自分で、これまで自民党からは届きにくかった、有権者のママさんたちと向き合いたいです。 ――世界経済フォーラムが毎年発表する各国の男女格差で日本は今年、144カ国中111位だった。昨年の101位から順位を下げた。金子氏は8月、総務政務官に就任した。  私が子育てしながら働き続けることに期待してくれる人もいる。子育てや介護をしながら仕事を続ける女性が大勢いる。そういった人たちの思いを受け、社会の環境を少しでも改善していくことが、私の責務だと改めて思っています。(構成/朝日新聞記者・石田耕一郎) ※AERA 2016年11月14日号
働く女性出産と子育て
AERA 2016/11/09 11:30
「十日夜」は旧暦10月10日に行われる収穫祭です
「十日夜」は旧暦10月10日に行われる収穫祭です
木枯らし1号が発表された地方もあり、立冬をすぎると秋から冬へと季節が変わっていくのが感じられます。 今日11月9日は「トオカンヤ」といい、旧暦八月の十五夜、九月の十三夜とともに三月見といいわれ、全ての月を見ると縁起が良い、という言い伝えもあります。またこの日は稲の刈り上げを祝う収穫祭が関東、中部地方を中心に多くみられるようです。 さて「十日夜」はどんなお祭なのでしょう? 「十日夜」ってあまり聞きませんが、何をするの? 「十日夜」はおもに関東、中部地方で多く行われており、西日本では「亥の子の祝い」としておなじような収穫の行事があります。 古来稲作は日本の基盤をなしてきました。苗代づくりに始まり、米作りの無事と豊作を祈るお祭りは、日本全国にみられます。一年かけて育ててきた稲の刈り取りは、収穫の喜びそのもの。田の神に感謝をささげ、翌年の稔りを祈る人々の思いが、このお祭りにあらわれているといえるでしょう。 地方により行事はさまざまのようですが、お餅を搗くというのはどうも共通しているようです。その他にもいくつかあるようですよ。 子供たちは新しい稲藁を束ねて「藁鉄砲」をつくり、大地を叩き唱えごとをしながら大地の神様を励まし、作物にいたずらをするモグラを追い払います。 「案山子上げ」といって田んぼを見守ってくれていた案山子に、搗いたお餅などをお供えしてお月見をしてもらう、というのもあるようです。 そしてこの日、田の神さまが山へお帰りになるといわれています。来年の春にまた山から下りてきていただくまで、田んぼは冬ごもりになるわけですね。 「1粒の米には7人の神様がやどる」ともいわれるくらい、日本人がお米を大切にしてきた心を知ることができるそんな日、が「十日夜」ではないでしょうか。 「宝の山」はお米を収穫した後にもありました 新藁にふわりふわりと楽寝かな  一茶 秋の陽差しを浴びた新しい稲藁の山にぽーんと身体を投げ出したら、どんなに気持ちがいいでしょう。一茶の笑い声が聞こえてきそうな秋の一句です。 稲穂からお米を取り出した後に残る「籾殻」や「稲藁」。これはどれも大切な宝物でした。 今はあまり見られませんが、「籾殻」は壊れやすい卵やりんごを箱詰めするときに緩衝材として使われました。また「稲藁」はそれこそ日本人の日常生活になくてはならないものだったんですよ。 今でも時代劇を見ていると気づかれるとおもいます。足にはわらじを履き、雨が降ればレインコートがわりに蓑を着ていますね。ビニールシートはありませんから藁で織った莚をしいていました。 つい何十年か前までお米は藁で作った俵に入っていました。また雪国では藁靴をはいていました。藁靴は保温性があってゴム長のように冷えないそうです。藁をつかってわらじを編んだりや莚を織ったり、また綱を綯ったりするのは農作業の合間の大切な仕事だったことでしょう。 今でも「藁」を身近に見ることが出来ます。 皆さまの中にも、お正月は藁を使ったお飾りをする方も多いことでしょう。神社に行くと太くて大きなしめ縄が神殿の前に架けてありますね。毎年お正月を迎えるために新しく作り変えていることはごぞんじですか? お正月は歳神様を迎え、新たな一年の健康と幸せを願い、祝うものといわれてきました。歳神様はお正月の飾りを目印にやってきて、松の内の間その中に宿り、出た後もその場所を清めるお守りになる、と言われているそうです。その目印を、今年収穫したお米の真新しい稲藁を使って作り、歳神様をていねいにお迎えすることで、翌年の豊作を願ったそうです。 収穫したお米とそのあとに残る稲藁、どこにでも神様を感じて祈りながら、厳しい自然を生き抜いてきた日本人の静かで強いエネルギーを感じます。 「藁を食べていた!」ってホント? 「藁をたべる!?」ってどういうことでしょうか? 「納豆のことかしら?」と思われた方も多いと思います。今でも藁苞に包まれた納豆が売られているのを見るとうれしくなって買ってしまったりします。ゆでた大豆を藁で包むと発酵して栄養豊かなあの納豆ができること、また「鰹のたたき」は藁焼きがおいしいってことは皆さまご存じですよね。 実は、「藁」を利用するのではなく、食料として食べていたのです。 稲作りは自然に恵まれてはじめて豊かな稔りを得られるもの。お米作りは台風や冷夏、日照りなど稲の生育を妨げる自然との闘いです。稲が稔らない、お米がとれないそんなことで飢饉にみまわれたとき、藁でつくったお餅、「藁餅」が食べられていたという記録が残っています。 作り方を見ると、藁を水に浸してよく砂を洗い流し、穂先や根の硬い部分を切り落として叩いて柔らかくし、細かく切って太陽に干して乾かします。これを臼で挽いて粉にしたものに穀物の粉末をいれ水でねり、せいろで蒸して餅にしたということです。穀物は米がなければ、稗や粟などの雑穀だったのでしょうか。 少ない穀物をいかに増やすか、手間ひまかけ工夫をして食料をつくりだしていた苦難が伺えます。 江戸時代の資料『因府(鳥取県)年表』の天明の飢饉の記事によりますと、「藁餅」について「ことの他食べ難きもの」とありますが、これによって餓死者はでなかった、とも書かれています。藁で命を繋いだということですね。 品種改良がすすみ、日本中どこでもお米の収穫が可能になり、いつでもおいしいごはんが食べられる今の時代に生きている私たちのしあわせを、あらためて感じます。 今夜の月は月齢10日。見応えはいまひとつかもしれませんが、しっかりと寒さ対策をして今年最後のお月見を楽しむのも、秋の名残になるかもしれません。
tenki.jp 2016/11/09 00:00
なぜ叩かれる? 行きたくない街NO.1「名古屋の生きる道」
なぜ叩かれる? 行きたくない街NO.1「名古屋の生きる道」
名古屋城 (c)朝日新聞社  行きたくない街ナンバーワン──。名古屋はまたも不名誉な称号を得ることになった。  名古屋市は国内主要8都市(東京23区、札幌、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡)で、インターネットによる「都市ブランド・イメージ調査」を実施。8都市の住民各418人に聞いた。「買い物や遊びで訪問したい街」でトップに立った京都市の37.6ポイントに対し、名古屋はわずか1.4ポイント。ぶっちぎりの最下位に沈んだ。  河村たかし市長は「よほど危機感を持っておもしろい街を造らにゃあ」と意気込みを見せるが、わざわざ新たなマイナスイメージを付加してしまった感さえある。  名古屋在住のライター、大竹敏之氏があきれる。 「何でもバカ正直に公表すればいいというものではありません。調査は名古屋市のブランディング化を図るための下調べだったのに、逆ブランディングしたも同然です。そもそも比較するのが、日本を代表する観光都市ばかりです。魅力ある都市ランキングの指標とされるべきは『住みやすさ』であり、その方向で調査すればまったく異なった結果になっていたでしょう」  名古屋のネガティブイメージは、1980年代にタモリが「名古屋人はエビフライをエビフリャーと言う」などと嘲笑したネタをルーツとする。「名古屋弁はみゃーみゃー言ってうるさい」「田舎臭い」などと、さんざん揶揄(やゆ)され、土壇場で誘致に失敗した88年の「名古屋五輪」の悪夢も、外国人タレントのコンサートの“名古屋飛ばし”も、コンプレックスに苛(さいな)ませるに十分だっただろう。  しかし、2005年の愛知万博「愛・地球博」開催を機に転換期を迎える。中部国際空港が開港し、トヨタ自動車に牽引(けんいん)された中部経済の隆盛が全国から注目されたのである。 『やっとかめ探偵団』シリーズなどで知られる名古屋出身の作家、清水義範氏はこう語る。 「愛知万博の年は、名古屋は全国的なブームになりました。中部経済界は慎重な実利主義で、バブルに踊らなかったことで景気の回復が早かった、と持ち上げられました。相乗効果で名古屋メシも珍重されました。私もその1年間だけで30回もインタビューされました」  名古屋コンプレックスはタモリ発言など知らない若者層を中心に克服されたはずだった。  ところが、市の都市ブランド・イメージ調査の結果が呼び水となり、「週刊ポスト」が今年8月以降、実に4回にわたって「名古屋ぎらい」を特集。名古屋の気質や文化を「ダサい」「ケチ」とし、名古屋メシの「奇妙」さを取り上げた。  清水氏はこう分析する。 「万博の騒ぎが収まると、名古屋メシはひつまぶしにしてもあんかけスパにしても、元々あるものに妙な工夫を加えて新しいように見せていただけということがわかった。東京でも“工夫メニュー”は珍しくない。名古屋の街を見ても建物のデザインで目立つのは、モード学園のビルくらい。実利主義であるから付加価値がわからないのか、多くが四角四面のビルで、見るべき話題のスポットもありません。元の木阿弥となっただけでは」  そんな総括をしてしまうと身も蓋(ふた)もないのでは……。話がここで終わってしまうので、名古屋の魅力を辛抱強く分析していこう。  名古屋文化に関するイベントや講演会を主催する「大ナゴヤ大学」の加藤幹泰学長は「名古屋人は、地元の良さを客観視できていない」と指摘する。 「名古屋は工業都市であって観光を売りにする街ではありませんが、県外から来た人に喜んでもらえる観光スポットや文化もあるのです。例えば、戦災で焼失する前の名古屋城は城郭として国宝第1号でした。市長が木造での再建を主張していますが、実現させて観光の目玉にすればいい。イケメンゴリラのシャバーニで有名な東山動植物園は、北海道の旭山動物園のように見せる工夫をしています」  昼間は緩慢な態度の動物たちも、夜には元気な姿を見せる「ナイトZOO」を開催したという。  市内の観光業者の一人も「名古屋人は自己PRが下手」と嘆く。 「名古屋の観光プランなんか売れんから作らんけど、絶叫アトラクションの遊園地の『ナガシマスパーランド』(三重県桑名市)は、名古屋市内から車で30分。トヨタ産業技術記念館もあれば、リニア・鉄道館もある。東海地区だけで採算が取れるので、全国にアピールしない。来てくれんでもいい、という発想なのです」  要するに、目立ちたくないということか。都市の魅力に欠けるというよりは、名古屋の良さがあまり知られていないという解釈だ。 『名古屋あるある』の共著者の一人、大山くまお氏はこう分析する。 「製造業が盛んで、外部に積極的に打ち出さなくても、それなりに豊かにやってこられたことが大きいのです。大学進学も就職先も地元志向が強い。上京したがる子どもを地元に引き留めるため、車を買うことを条件に出す親はどこにでもいそうですが、家を買ってやるから残りなさいというのが名古屋の感覚なのです。ケチと言われるのは実は誤解で、コスパのいいお得感のある『お値打ち』価格を重視し、使うときにはドンとカネを出す」  最大の繁華街・栄地区の防災訓練に参加していた、日本語学校に通う20代女性の中国人留学生3人に声をかけた。日本人が「行きたくない」との烙印(らくいん)を押した街を、どう感じているのだろうか。 「東京や大阪、にぎやかな街はだいたい好きではありません。ナゴヤは静かだけど何でもそろって便利」  なるほど。「大いなるイナカ」で「住みやすい」ということか。彼女らに「行きたくない街ナンバーワン」になったことを伝えると、ひとりが怒気をはらんだ口調でこう訴えた。 「ナゴヤ、どうして行きたくないか! 1カ月仕事休んで来て、ひつまぶし食べて、みそ煮込み食べて、それから決めてほしい」  名古屋人の悔しい胸の内を代弁してくれているかのようだ。“失地回復”の切り札は、やはり「名古屋メシ」と言うのは、前出・地元ライターの大竹氏だ。  朝は喫茶店のモーニングサービスに始まり、昼はみそかつにきしめん、台湾ラーメン。夜はひつまぶしや名古屋コーチンで接待と、バリエーションは幅広い。 「郷土料理がこれほど豊富なのは名古屋と沖縄だけと言います。名古屋メシの中心的存在は豆みそ(赤みそ)ですが、日本食の特徴であるうまみ成分が強い。みその中で唯一、煮込んでも風味が損なわれない。だから、みそ煮込みやみそかつなどの料理が可能なのです。食をはじめ身近な文化的背景を見直し、自信を持つべきです」(大竹氏)  卑屈になったり劣等感を抱いたりする必要はないのだ。独自の文化を発信する名古屋は、東京と大阪の間で燦然(さんぜん)と輝いている。  ほんでもよー、NHKの「ブラタモリ」(※1)、全然来やせんな! ※1 タモリ出演の街歩き番組。放送開始からすでに50回を超えるが……。 ※週刊朝日  2016年11月11日号
週刊朝日 2016/11/08 07:00
衆院議員・野田聖子が語る「障害児の息子がくれたもの」
衆院議員・野田聖子が語る「障害児の息子がくれたもの」
障害児の母として社会の嫌悪を感じてきたという衆院議員の野田聖子さん。障害者施設で起きた殺人事件に「いつか起きると思っていた」(撮影/写真部・長谷川唯) 真輝くんといると母親の表情に戻る野田さん。真輝くんは胃ろうや気管切開などの医療的ケアが必要だが、元気に走り回ることもできる(写真:野田聖子さん提供)  障害をかかえる息子、真輝くんを育てる野田聖子さん。日々子育てをしながら、また相模原事件を受け、何を思ったか。母親として国会議員として、いまの社会に伝えたいことを聞いた。 ──今年7月、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で元職員、植松聖容疑者(26)が入所者19人を殺害する事件がありました。容疑者は逮捕後の取り調べでも一貫して「障害者は不要な存在」と主張し、ネットではその主張に共感する書き込みも見られます。  私はこの事件に驚きませんでした。こういう事件がいつか起きるんじゃないかという思いがずっとありましたから。  息子の真輝(5)は、へその緒の中に肝臓が飛び出す「臍帯ヘルニア」と、本来2本ある心臓につながる血管が1本しかない「心臓疾患」の障害を持っていることが、生まれる前にわかっていました。生まれた後も、食道と胃が分離する「食道閉鎖症」が見つかり、それが原因で気管軟化症となり呼吸が止まったため、気管切開して人工呼吸器もつけました。これまで手術を11回も受けています。  真輝が生まれてから、障害者を嫌悪する社会の空気をずいぶん吸い込んできたので、今回の事件は、単に用意されていた導火線に火が付いただけなんだと感じたんです。 ──どんなときに「嫌悪」を感じてきたのでしょう。  最初に感じたのは息子に対して「かわいそう」って言われたときです。自然に出てくる言葉で悪意はないんだけど、かわいそうという言葉は上から目線だし、言われた瞬間、排除される感じがした。そこには障害者に対する不要感が漂っている。悪気がないだけ、社会のスタンダードなんだと感じました。 ●医療費に「金食い虫」 ──「障害者=不幸」と思っている人は多い。  うちの子はいろいろ不具合があるけど、私の家で十二分の看護体制のもと生活して、保育園だって看護師をつけて通っている。父親は仕事をなげうってまで看護してくれて両親に愛されている。「かわいそう」って言われたらギャップを感じます。私は真輝を障害児と思って育てていない。私にとっては最初で最後の子なので誰かと比べようもないし、「野田真輝」として育てているだけなんです。 ──ネットでもいろいろと書かれています。  たくさんのチューブにつながれて生きる息子は「ばけもの」扱いされました。私は半分母で半分国会議員なんで、国会議員としてはなんともないんだけど、母親としては、見ず知らずの人の言葉の暴力が息子に向けられて、とても恐怖を感じました。「殺すのもやぶさかじゃない」という人たちだから、私が生きている間は息子を守れるけど、死んだあとはどうなるのだろうかと。ほかには、医療費がかかって「金食い虫」と言われたり、「医療費がかかる息子を見殺しにしろ」と言われたりね。 ──作家の曽野綾子さんの著書『人間にとって成熟とは何か』では、野田さんについて、「自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない」と書かれていますね。  社会には「障害者は役立たずで国に負荷をかけている」と考える人がいますが、息子が今後どう社会に貢献するかわからないじゃないですか。少なくとも、今年改正された障害者総合支援法に「医療的ケア児」の言葉が入ったのは、息子の存在が大きかった。 ●息子のおかげでプラス ──植松容疑者も「障害者は生きていてもしょうがない」と話していました。  周囲の人がその人がいることで潜在能力が引き出されて、世のために力を発揮する例も多い。例えば、ナミねぇのニックネームで知られる竹中ナミさんは、重度の心身障害がある娘がいたから起業して、誰もが生き生きと働ける社会実現のために活動を始めて、政府の会議の委員もされている。彼女は障害を持った子の親となったことで、社会へとても貢献していますよ。  私も息子のおかげでプラスになった。息子が生まれてきてくれたことで、自分に一番欠けていた政治家の資質を手に入れることができた。これまで弱者のための政治というのを頭でわかっていても、理解できていなかった。それが、この子によってストンとわかるようになった。差別は、こういう嫌な思いをするんだとかね。当事者感覚で受け止められるようになった。  ただ、一般的には、「障害児を産んだ母親は、家で24時間世話をしなきゃいけない」的な圧力があって、働くこともできずに貧困になっちゃう人が多い。そこは改善していきたい。 ●休息も許されない親 ──今回の事件では被害者の名前も公表されませんでした。  一部の遺族のお気持ちもわかるけど、私はやっぱり名前を出してほしかった。被害者が生きてきた何十年という人生がないことになってしまう。東日本大震災の犠牲者は未来永劫記憶に残るけど、今回の被害者は残らない。思い出すことで事件を検証できることもあるのに。 ──出生前診断が広がり、染色体異常がわかれば中絶を選ぶ人が増えています。  私は、その判断については是も非もないと思う。障害のある子を育てていけるかどうかという環境にかかっているから。この国の空気はまだ冷たい。私がおなかの子に障害があるってわかって産むことを決めたのは、育てていける環境にあったから。でも環境がない人もいる。  しかも、産んだらペナルティーとして「まずは親が育てろ」みたいな社会の圧力がある。在宅医療の介護者はレスパイト(休息を取ること)も許されない。24時間働けますかの世界。異常ですよ。  私たちも真輝が2歳3カ月で退院したとき、胃ろうで数時間おきに食事を取っていたし、気管切開しているのでこまめなたんの吸引が必要でした。夜じゅう「あ、ご飯だ」「あ、アラームが鳴ってる」という状態。一睡もできない日もあるし、3時間寝られたら御の字という生活でした。当時は自民党の総務会長で仕事も忙しかったから、本当に大変で。(指さして)この足の傷は当時、目が回って官邸の階段から落ちたときのものです。 ──今も生活は落ち着きませんか。  今は、真輝が午後6時半に保育園から帰宅して、だいたい午後7~8時に訪問看護があって、メディカルチェックとお風呂。その1時間にだいたい夫が急いでご飯をつくって食べます。私も会合があっても2次会には行かず、午後9時すぎには帰ります。月曜日と水曜日は休肝日と決め、保育園のお迎えも私が担当。その日は夫に息抜きしてもらっています。 ●母子同伴求める学校 ──野田さんのブログに登場する真輝くんは、とってもわんぱくで、「医療的ケア児」のイメージを覆します。  医療的ケア児というと、イメージがわかないでしょう。今回の改正障害者総合支援法案の国会審議のときには、真輝の写真を資料にほしいと頼まれました。人工呼吸器や胃ろうをしていても、他の子と同じように歩いたり走ったりできる子もいる。  医療が発達してこれまで助からなかった赤ちゃんも助かるようになり、医療的ケア児は増えていたんだけど、肝心の社会基盤を支える法律の中で存在が認められていなかった。だから問題が次々起きた。  一番大変なのは教育。医師法のもと、家族以外は医師、看護師しか医療的ケアができない。でも、学校には医師、看護師は常時配置されていないので、例えば、時折たんの吸引と胃ろうをしてくれればちゃんと小学校に通える子が通えず、義務教育が受けられないという憲法違反にも近いことが起きている。うちの息子も来年小学生になるんだけど、特別支援学校ですら看護師がいなくて、通学するには「母子同伴で」と。でもそんなの学校じゃないし、毎日学校行ったら、母親の私は国会議員の仕事ができなくなっちゃう。  養護教諭がある一定の研修を受ければ医療的ケアをできるようにしたらいい。食物アレルギーの子どものために、緊急時には教師や保育士もエピペンを打てるようになった。変えようと思ったらできるんです。 ●見えがあるから伸びる ──保育園でも入園を断られるケースがほとんどです。  今年、「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログが話題になりましたが、そもそも落ちる保育園もないんだよというのが我々。  私は、自分の給料から看護師を雇って、真輝を保育園に通わせています。看護師がいれば真輝のような子でも保育園に通えた、というエビデンスを出して、制度が変われば、次の人たちは実費負担をせずとも保育園に通えるようになる。そのために捨て石になろうと思っています。  なにより、子どもは保育園に通って成長する。うちの子もトイレトレーニングは保育園のおかげで進んだ。やっぱり親には甘えちゃうから、家にいるときはオムツがいいって言う。でも保育園では1回ももらさずにおしっこもうんちもできるようになった。子どもだって見えがある。だから伸びる。  いま私が掲げようと思っている政策が、保育園・幼稚園の義務化。そうすれば、障害のある子も当然入る権利が出てくる。健常の子たちも小さいうちから多様性を知ることができます。 ●健常者なんて幻 ──社会は障害者とどう接していいのかもわかっていません。  まずは慣れてほしいと思うんですよね。やっぱり無知・無関心がやっかいな壁。日本ではもっともっとコマーシャルにも障害者を使ってもらいたい。アメリカでは、当たり前のようにオムツのコマーシャルにダウン症の子が出演していたりする。  大手広告会社の社長と会ったときに「どんどん出してください」と伝えたら、視聴者から「障害者をさらすな」という意見が来ると言っていました。  でもどんどんさらしてほしい。変な話、ちょっと前まで(お笑いのトレンディエンジェルの)斎藤さんのように薄毛の人もテレビに出てこないタイプだった。でもさらされているうちに私たちも気にならなくなった。障害者もさらしていくしかない。  ただ、ブログやメディアで息子の話や写真を載せることについて、夫婦で意見が分かれているんです。夫は一般人なので、二つ心配していて。息子が物心ついたとき傷つくかもしれない、もうひとつは顔が知られて社会でターゲットにされたらどうするのかと。私も不安はありますけど、真輝のおかげで声を上げられなかった医療的ケア児がアクティブになって、息子の存在が社会の役に立っている。彼のプライドを保てると言って強引に夫を説き伏せています。 ──この社会は障害者と健常者に溝があります。  昔は社会の要は男で、頑丈な人が国を代表し、それ以外は女性も年寄りも障害者もアウトでしたから、その名残じゃないかと思います。  女性でも恋も女も捨てて「男」として働く人たちは社会の一角として生きられて、障害者もホーキング博士のような非常に優秀な人は食い込むことができたけど、普通の女性や障害者は社会で活躍できない。でも、社会は少しずつ変えることができる。今年は4月に障害者差別解消法が施行されました。 ──政治家・野田聖子としてやりたいことはなんですか。  私は世の中の価値をすべての人が共有し実感できるようにしたい。人材ミスマッチで、能力があるのに障害があり就職できないから単純作業をしています、というのはもったいない。多様な人々の働き方のメニューをつくり、働き方改革ができたらいい。  そして「健常」っていう言葉をなくしたい。健常者の定義なんてないでしょ。健常と障害の境目なんてどこにあるのか誰にもわからないし、健常者って正直、幻だと思います。年を取れば誰もが障害者になる可能性があるんですから。(編集部・深澤友紀) ※AERA 2016年11月7日号
AERA 2016/11/05 07:00
「扶養枠内で働きたい」 “配偶者控除議論”主婦たちの本音は…
「扶養枠内で働きたい」 “配偶者控除議論”主婦たちの本音は…
パートで働く主婦が戦力になっている工場などでは、勤務時間を拡大して雇用する動きが広がっている(撮影/写真部・長谷川唯) 妻が170時間パート時間を増やしても手取りは2万5千円ダウン(AERA11月7日号より) 配偶者控除の対象範囲 103万円から150万円に拡大へ?(AERA11月7日号より)  政府は所得税の「配偶者控除」の廃止を見送った。増税になる世帯が増えるため、反発を恐れたからだ。かわりに浮上したのが、控除の適用対象年収を150万円まで広げる案だ。 「会社からもう少し働く時間を増やしてほしいと言われました。夫の扶養の範囲で働いているのでどうしようか悩んでいます」  都内に住むミキさん(仮名・30代)は、寿退職をしてから近所で経理のパートタイマーとして働いている。  今、ミキさんのように夫の扶養に入りながらパートで働く女性たちを悩ませているのが所得の“壁”。公務員や会社員の配偶者(妻)は、保険料を納めなくても、夫の扶養に入っていれば健康保険の給付が受けられ、65歳になると老齢基礎年金(国民年金)が受け取れる。厚生年金と健康保険への加入が義務付けられて保険料の支払いが生じるのは、勤務先の正社員と比較して、1週間の所定労働時間と1カ月の労働日数が4分の3以上など。年収130万円未満の人は加入しなくて済んだのが、制度改正で今年10月から年収106万円以上に金額が下げられた。これが“106万円の壁”だ。  新たに設けられた厚生年金と健康保険への加入の条件とは、(1)1週間の勤務が20時間以上、(2)月収8万8千円(年収106万円)以上、(3)同一の職場に1年以上勤務する見込みがある、(4)勤務先の従業員が501人以上、(5)学生ではない──という五つの項目。 ●“働き損”のケースも  この制度改正で加入対象のパートは25万人にもなるという。  ミキさんが相談したのは、『制度を知って賢く生きる 人生を左右するお金のカベ』(日本経済新聞出版社)の著者で、社会保険労務士の北村庄吾氏。 「景気が少し上向いてきたのと、慢性的な人手不足から、多くの会社ではパート従業員にもっと働いてもらいたいというニーズが生まれてきました。そのせいか最近、ミキさんのような主婦の方から働き方についての相談が増えました。将来、子どもの教育費や住宅ローンの返済など出費がかさむ時に備えて、少しでも家計の足しにしようと働く時間を増すと、“働き損”をするケースが出てきてしまいました」  妻が働く際には、“106万円の壁”ともう一つ大きな壁があり、それを考慮して働くべきかどうか決めた方がいいという。  それが“103万円の壁”だ。 「年収103万円まで所得税は課税されません。年収103万円の人は、給与所得控除額65万円と38万円の基礎控除を差し引くと残りは『0円』。つまり、課税する所得がないのです。さらに、夫の年収から一律、38万円の『配偶者控除』を差し引くことができます。夫にとって妻を扶養に入れれば、納める税金が少なくなる。妻の年収を103万円未満に抑えようとするのはこのためです」(北村氏) ●「夫婦控除」導入は白紙  働く時間を増やすのであれば、夫の扶養の範囲内で働くケースと、扶養枠を超えて働くケースを比較してから決めた方がいいという。 「ミキさんのケースで実際にどれだけ社会保険料と税金が増えたのか計算してみました。夫は年収が500万円で、その時、ミキさんは年収103万円で働いていました。仮に1千円の時給で労働時間を年間170時間増やし、年収を120万円にしたら、世帯での手取り額がトータルで2万5千円ダウンしてしまうことがわかりました」(同)  社会保険料の負担だけでなく、夫の所得から控除される「配偶者控除」がなくなったことで税負担が増えた。さらに、夫の会社から支給されていた月1万5千円の「家族手当」が打ち切られて、夫の年収は500万円から482万円に減ってしまったのだ。 「家族手当」とは、「扶養手当」ともいい、妻の年収が103万円未満などの社員に、独自の基準で給料に上乗せして支給している企業が多い。  ミキさんのケースで年間17万円の収入を増やすため170時間働くと、世帯の手取りは減る計算になる。これが“103万円の壁”を超えるということだ。妻の年収が130万円になると、社会保険料や増税分を手取り分がわずかに超えてくる。ただし、これ以上働く時間を増やすと子育てにも影響が出てくる。  今、2017年度の税制改正議論の焦点になっているのが“103万円の壁”。パートで働く妻が労働時間を調整していることから、政府税制調査会は当初、「配偶者控除」を廃止して、共働きなどの働き方を問わず、夫婦なら一定額を控除する「夫婦控除」の導入を議論していた。ところが、増税になる世帯が多いため議論は白紙に。  妻がフルタイムで働くことができない世帯にとっては、配偶者控除や家族手当がなくなるデメリットのほうが大きいからだ。 「年明けにも衆議院の解散総選挙が取りざたされる中、増税となる専業主婦世帯の反発を招くのを恐れたのでしょう」(同) ●増える「時短切れ転職」  安倍政権の「女性が輝く社会」を追い風にするどころか、逆風が吹いた。そんな中、今度は配偶者控除を適用する対象を103万円から150万円に引き上げる案が出た。自民党の税制調査会は12月10日ごろに結論をまとめる方針だが、女性たちは、振り回されてしまっている。  実際に子育てしながら働く女性たちはどう思っているのか。  人材サービス「しゅふJOB」の調査機関「しゅふJOB総研」(東京都新宿区)が、今年6月、「社会保険料と働き方」をテーマに行ったアンケート調査(有効回答799件)によると、今年10月から社会保険の適用範囲が拡大となったが、「今よりも年収を下げて扶養枠内に収める」と答えた人が55.9%にもなった。 「扶養枠内に収まりたい理由として最も多くの方が選んだのは、『無理のない範囲で仕事と家庭を両立させたい』という意見でした」(同総研の川上敬太郎所長)  子育てしながら女性が働きに出るためには、やはり保育の受け皿を増やして待機児童問題を解消することが先だ。  正規雇用で働く女性にとっても、働く環境は相変わらず厳しい。育児・介護休業法は、3歳未満の子がいる従業員が利用できる、原則1日6時間の短時間勤務(時短)制度などを設けるように企業に義務づけている。厚生労働省の調査によると、制度がある企業は15年度で約6割。ところが今、時短が適用されなくなる時期に、派遣などの非正規の仕事に変わる「時短切れ転職」が増えているという。 ●「時間の自由度」が大事  20時以降の預かりに対応していない保育園や学童保育所が多いので、残業してしまうとお迎えに間に合わない。また、親として夜遅くまで子どもを預けることへの抵抗感も強いという。  残業の多い会社では、仕事と育児の両立は難しくなる。  神奈川県内に住むユイさん(仮名・36)は、営業職として働いていた会社を今年1月「時短切れ前」に辞めた。フルタイムで働くと、長女(3)の保育園のお迎えに間に合わなくなるからだ。 「10年以上勤めた会社だったので『正社員なのにもったいない』と親からも引き留められましたが、もう体力の限界でした」(ユイさん)  自宅から職場まで片道1時間かかるので、18時半の終業時刻から保育園にお迎えに行くと、20時すぎになってしまう。 「同僚は残業や夜間の呼び出しにも対応しているのに、定時で帰るのも厳しい状況でした。また、保育園で最後の1、2人になるまで娘を待たせてしまうのは、かわいそうなので、親としての罪悪感がありました」(同)  ユイさんはインターネットで派遣の仕事を見つけ、半年後、直接雇用に切り替わった。現在は、週4日、10時から17時まで働く。時給は1900円なので、すでに夫の扶養を超えている。  子育てしながら働くために大事なのは、扶養枠を設けるよりも、「時間の自由度」だとユイさんは言う。現在は、子どもの急な発熱にも対応できるように「テレワーク」も取り入れて働いているという。“103万円の壁”を超えて働くために何が必要なのか。国はもっと当事者の声を聞くべきだ。(ライター・村田くみ) ※AERA 2016年11月7日号
転職
AERA 2016/11/04 11:30
忙しいアナタに教えたい薬とのうまいつき合い方
熊澤志保 熊澤志保
忙しいアナタに教えたい薬とのうまいつき合い方
その場で血糖値やコレステロール値などを測定できる薬局も増えた/東京・蔵前のみどり薬局(撮影/編集部・長倉克枝)  仕事に追われているときに限って、体のどこかが気になり始める。そんな経験をしたビジネスパーソンは少なくないだろう。病院に行くのもいいが、「2時間待って診療3分」では、あまりに非効率。ならば、市販薬があるじゃないか──そう思ったアナタ、「クスリ」との付き合い方を考え始めるチャンスです。  東京都内の会社員の女性(32)は、ちょっとした不調なら、薬局で買う薬で済ませている。 「平日に仕事を抜け出して病院に行くのは難しいし、会社近くで夜間も開いているクリニックも増えてはきたけれど、混んでいます。病院に行っても診察はあっという間のことが多くて、待ち時間を考えれば、風邪くらいなら薬局で薬を買ったほうが断然、コスパがいいんです」  医薬品は医療用、一般用に分けられる。医療用は、医師が自ら使うか、処方して患者に出す薬で、効き目が強いが、時に重大な副作用を起こす可能性がある。一般用は市販薬とも呼ばれ、処方箋なしに買えるが、効き目は穏やかで、副作用も比較的少ないとされる。  全国の薬局の数は約5万8千。コンビニエンスストアより多い。忙しい働く世代にとっては、病院やクリニックに行くよりも、近所の薬局やドラッグストアで手に入る手近な市販薬のほうが使い勝手がいい。 ●よく効く市販薬増加中  その上、市販薬の質も良くなってきている。 「医療用医薬品の成分が市販薬に転用され、薬局などで買えるようになってきました。市販薬の質は、かつてとは全く変わったといっていいでしょう」  薬剤師で、慶應義塾大学教授の山浦克典さんが言う。  解熱鎮痛薬「ロキソニンS」、胃腸薬「ガスター10」……。  薬局やドラッグストアにずらりと並ぶ市販薬の中でも、ひときわ目立つ扱いのこれらの薬は、かつて医師が処方していた薬だ。それらが、薬局でカウンター越し(Over The Counter)で買えるようになったことから「スイッチOTC医薬品」と呼ばれる。  これまでに承認されたスイッチOTC医薬品の成分数は82。ここ10年で急増し、薬局などに並ぶ市販薬全体の1割以上を占めると見られている。  医療用医薬品に負けず劣らず、よく効く市販薬が増えてきたのだ。だが当然、その分リスクも高まる。 「薬は化学物質を体内に入れるので諸刃の剣。コンビニで食品を買うのと薬局で薬を買うのは全く違います。市販薬を買うときは、まず薬剤師に相談をしてほしい。市販薬との付き合い方はすでに変わってきているのです」  と山浦さんは言う。  薬局との付き合い方も変わりつつある。 「風邪や体調不良でも、過去の経験から市販薬で良くなったというものがあれば、まずは薬剤師や登録販売者に相談してみてください」  そう話すのは、薬剤師で日本OTC医薬品協会顧問の西沢元仁さん。  市販薬を服用したり休養したりして1週間ほどでよくなる体調不良は、本来なら医療機関にかかる必要はない。だから代わりに、薬局へ──。 ●市販薬で税金も控除  こうした背景にあるのが、政府が成長戦略として推進する「セルフメディケーション」だ。普段から自分で健康を管理し、軽い体調不良なら薬剤師などを活用して自分で治すことを推奨している。  来年1月からは、特定の市販薬を年間1万2千円以上購入した世帯への医療費控除が始まる。風邪薬や胃腸薬、水虫薬などスイッチOTC医薬品が対象になる予定だ。薬のレシートは捨てずにとっておきたい。  さらに、「かかりつけ医」と同じように、「かかりつけ薬剤師」を普及させようと、今年4月の診療報酬改定で報酬が新設された。一人の患者が受診している医療機関や服用している薬を把握した上で指導し、重複処方などを防ぐのが狙いだが、調剤だけでなく市販薬も同じ薬剤師に相談すればいいだろう。  今年10月からは「健康サポート薬局」の届け出が始まった。研修を受けた薬剤師が24時間対応したり、一定以上の市販薬の品ぞろえがあったりする、といった条件をクリアした薬局が名乗ることができる。 「全国の薬局のうち、約3割は届け出をすると見られています。自分に合った薬剤師や薬局を選ぶときの一つの目安になるでしょう」(山浦さん)  医薬分業として医療機関の周辺で主に処方薬だけを扱う「門前薬局」が一時増えたが、最近では、いつでも健康の相談を気軽にできる、「昔ながらの街の薬局」の姿へ戻りつつあるのだ。  横浜市金沢区で75年にわたって開業する小田薬局の代表で薬剤師の小田兵馬さんは言う。 「かかりつけ薬剤師を見つけるのは、恋人をつくるようなもの。薬局でもドラッグストアでも、自分に合う、普段から付き合いができるような薬剤師をひとり見つけてほしい」 ●日本人は薬の知識不足  しかし、薬局や薬剤師を活用したセルフメディケーションには課題も多い。  日本医療政策機構理事で医師の宮田俊男さんは言う。 「医師と薬剤師の本来の役割を考えれば、セルフメディケーションを伸ばしていく意味はあります。ただし、消費者リテラシーの向上も必須です」  ある製薬企業関係者は、日本の環境を「特殊」だと感じている。医師にかかることが当然で、薬も医師に頼り切っている人が多いのではないか。 「米国に赴任していたときは、最寄りのクリニックまで車で30分以上かかるところも多く、治療費も高額という環境でした。近所の年配の女性でさえ、薬の副作用や飲み合わせについて一定の知識を持っていました。日本の消費者は、『市販薬なら安全だろう』と思い込み、作用と副作用を適正に理解していない節もあります」  一方、小田さんはこう言う。 「薬の知識をゼロから自分で勉強する必要はありません。薬剤師を『使って』ほしい。わからないことや知りたいことを薬剤師に積極的に聞いて、メモをとるようにしてください」  医療機関を受診すべきか迷うときもあるだろう。そういうときも、薬局が医療機関への橋渡しになる。  小田さんが以前、一日600~800人の利用者が訪れる薬局店舗で調査をしたところ、来店客のうち、市販薬を買っていたのは2~3割で、やけどやけが、肌のかぶれといった人が多かった。そのうち約1割には、医療機関の受診が勧められたという。 ●血液検査も薬局で  薬局と医療機関の連携は、健康管理でもはじまりつつある。  東京都台東区の主婦(61)は、健康診断でLDL値が高いと言われたことが気になっていた。歯科医や花粉症の治療で調剤を利用していた近所のみどり薬局を訪れたところ、その場で簡易検査ができると教えてもらった。  薬剤師の説明を受け、渡された採血キットで指先から自分で採血し、測定器にかけて約6分。結果は正常値内で、ほっと一安心。  みどり薬局のように、その場で自ら採血をして、血糖や脂質、肝機能などの簡易測定ができる薬局が増えている。薬剤師から説明を受けて10分程度で受けられ、かかる費用は1項目あたり500~1千円程度だ。  健康チェックのために、こうした「検体測定」ができる薬局は2年ほど前から徐々に広まり、推進している検体測定室連携協議会によると、9月末時点で全国に1304カ所ある。 「検体測定では診断はできませんが、正常値よりも外れていたら、医療機関を紹介します」  と薬剤師でみどり薬局代表の坂口眞弓さんは言う。坂口さんは、処方薬から市販薬、日常の気になる健康の話題まで利用者の相談に乗っている。  日常の健康管理から、ちょっとした体調不良、医療機関との連携──。こうした、個人の健康のハブとなるのが今の薬局の姿だ。  では、自分に合った薬局や薬剤師はどのように選ぶのか。前出の山浦さんは言う。 「まずはアクセスがいいところ。自宅や職場の近くで見つけてください。調剤だけでなく、市販薬の品ぞろえが充実していると、医療機関にかかっているときもいないときも利用できます。今後増えていく『健康サポート薬局』は目安になります。検体測定ができるところでは、日々の健康管理ができるのでよいでしょう」  いい薬剤師を見つけ、市販薬をうまく活用し、大病にも備える──薬とのそんな付き合い方を身につけるのが、時間に追われる大人のたしなみになりつつある。(編集部・長倉克枝、熊澤志保) ※AERA 2016年11月7日号
AERA 2016/11/02 11:30
20代、30代も…「介護離職」その後の新しい働き方
20代、30代も…「介護離職」その後の新しい働き方
介護離職後の再雇用のしくみを設ける企業はまだ一部。介護経験者はこうした問題にどう向き合うのか (※写真はイメージ)  離職した従業員が、介護を終えて再び元の勤め先に戻れる。そんな支援制度が、近年広がっている。  奨学金貸与事業などを担う日本学生支援機構は、介護を理由にやめた職員の再雇用制度を4月に始めた。介護を終えて職場に戻りたい場合、3年以内だと退職時相当の給与で復帰できる。 「ハッピーターン」などの菓子メーカーの亀田製菓は、介護や育児などでやめる従業員が復帰希望を登録できる「ハッピーリターン制度」を昨年11月に始めた。大日本印刷の「re‐work制度」は、介護や育児で退職した勤続3年以上の社員を再雇用するしくみだ。介護理由での利用者の中には、20代後半と30代前半の社員もいた。人事担当者は「介護は中高年の課題と思われがちですが、若い世代も突然関わるもの。先の話と思う若手も含め、社員への周知が課題」という。 「2~3日で勘を取り戻せた」「マニュアルの整備で以前より働きやすい」  こんな体験談が並ぶのは、外食チェーンのすかいらーくのサイト。離職したパートらの再雇用を広げようと、職場に復帰した人らの生の声を今年3月から伝えている。  再雇用のしくみを設ける企業はまだ一部。離職者の多くは、新たな生活の糧をどう得るかに悩む。  明治安田生活福祉研究所とダイヤ高齢社会研究財団が2014年に発表した調査「仕事と介護の両立と介護離職」を見ると、厳しい実態がわかる。  介護のために転職した正社員が新職場でも正社員として働けたのは、男性が3人に1人、女性が5人に1人。転職前後の年収を比べると、男性は557万円から342万円に4割減り、女性は350万円から175万円へと半減していた。  退職の決断、再就職の苦労、新たな働き方探し……。介護経験者はこうした問題にどう向き合うのか。  電気工事業の向洋電機土木(横浜市)の横澤昌典広報部長(44)は、介護離職を経て9年ほど前に同社へ転職し、正社員として働き始めた。きっかけは、当時の社長の一言だった。 「うちには今、介護で困っている社員がいない。君が働きやすい職場になれば、いい会社になれる。会社の将来につながる」  自らが味わった苦労を、ほかの人には経験させたくない。そんな思いから、新たな職場では介護や育児に関するさまざまな「使える」制度づくりを進めてきた。  法定に沿った制度に加え、介護休暇は年5日以上(有給)とし、失効した有給休暇を介護や看護に使えるように積み立て制度を創設。モバイル機器を使い、場所や時間にとらわれずに働けるテレワークもとりいれた。業務担当を原則2人とし、カバー態勢を整えた。  父(69)に胃がんが見つかったのは約12年前。「余命半年」と宣告された。「畳の上で死にたい」との願いをかなえようと、母と自宅で介護を始めた。  当時は独身で、転勤の多い大手企業で働いていた。仕事後の真夜中に高速道路を走り、横浜の実家へ戻る日々。相談できる人がなく、ヘルパーに頼める買い物なども自分でやり、介護を背負い込んだ。横澤さんはこう振り返る。 「夜遅くに帰り、父の世話をして仮眠。朝3時に起きて洗濯し、朝食を準備して5時に職場へ向かう毎日でした。点滴を打ちながら、介護を続けました」  父は手術を経て奇跡的に回復したが、歩行が困難となり、要介護3に。半年後に実家へ近い事業所に転勤できたが、今度は母が体調を崩した。 「このままでは、家族みんながダメになる」  有給休暇を使い果たした横澤さんは、介護休業の取得を申し出た。しかし、上司から「前例がない」「売り上げに影響して困る」と突っぱねられた。管理職で組合の助けも借りられず、30代前半で退職した。  職場で起こった上司との出来事が、今でも忘れられないという。  会議中、携帯電話に「父が危篤」と知らせが入った。中座したいと告げたが、返ってきたのはこんな言葉。 「今帰っても、間に合わないでしょう。君の発表は代わりがいないから、困る」  耳を疑ったが、結局終わるまで退席できなかった。  会社をやめてから、父の世話を続けつつ、介護に理解がありそうな会社へ転職した。ほっとしたのもつかの間、入社数カ月後に転勤の打診が来る。「話が違う」と反発したが、入社から1年もたたずに再び離職に追い込まれた。  横澤さんはこう話す。 「短時間勤務や有給休暇取得など、制度を整える企業は増えました。ただ、実際に使えないと意味がない。今の会社では、介護や育児で時間に制約があっても力を発揮できるしくみ作りを任された。ニーズを掘り起こすため、社員一人ひとりの聞き取りから始めました」  実体験を生かした地道な取り組みが評価され、仕事と家庭の両立支援に取り組む企業として表彰されるまでになったという。 ※週刊朝日 2016年11月4日号より抜粋
介護を考える
週刊朝日 2016/11/01 07:00
新潟県知事選で脱原発系候補が当選、泉田知事が語った身の危険
新潟県知事選で脱原発系候補が当選、泉田知事が語った身の危険
東京電力柏崎刈羽原発の様子。脱原発系候補が当選した“新潟ショック“で、投開票日翌日の東電HDの株価は急落した (c)朝日新聞社 選挙戦の結果を受けてか、穏やかでホッとした表情を見せた泉田知事 (c)朝日新聞社  東京電力柏崎刈羽原発の再稼働への対応が争点となった新潟県知事選で、泉田裕彦知事の慎重路線を継承すると訴えた米山隆一氏が当選した。泉田路線は引き継がれるのか。 「米山さんの当選は、県民のみなさんの選択の結果と受け止めています」  新潟県庁3階にある知事室。退任が4日後に迫った20日、泉田裕彦知事を訪ねると、穏やかにそう口を開いた。  経済産業官僚から新潟県知事へ転身し、東京電力福島第一原発事故以降は一貫して同柏崎刈羽原発の再稼働にノーを突き付けてきた。10月の知事選を控え当初は続投に意欲を見せていたが、8月30日に急遽、不出馬を表明。そこから周囲がざわつき始めた。新潟県知事選が、全国の原発再稼働問題の今後を左右しかねない重要な地方選挙になったからだ。 ●原発利権からの圧力  不出馬の理由として泉田氏が挙げるのが、地元紙による県の日本海横断航路計画に関する契約トラブル報道。報道内容が事実と違うというのが県の主張だ。泉田氏が言う。 「随分前から新潟日報の虚偽報道には抗議してきましたが、こちらの考えが一切伝わらない。そんな状況で私が出馬しても日本海横断航路計画が争点の選挙になってしまう。新潟の未来をどうすべきかの選挙がそれでは県民にとって不幸です。選挙をやれば勝つと思っていましたが、争点が原発で勝たないとその後、国との交渉力が出てこない」  県内では約46万部を発行する新潟日報の影響力が大きい。とはいえマスコミは地元紙一社ではない。全国紙もある。知事の考えを幅広く世論に問うたら良かったのではないか。  その疑問をぶつけると、不出馬を発表する1週間前に新潟日報に訂正を要望したことを記者会見で伝えたが、他のメディアは報道しなかったのだという。 「撤退表明の時、他社の記者から『私たちがそのときの会見内容を報道していたら知事の不出馬の判断は変わったか』と聞かれました。変わった可能性があります」  現役の官僚が小説という形で原発利権の存在を告発した『原発ホワイトアウト』では、知事が困難に陥るくだりがある。泉田氏がモデルといわれるだけにリアルだが、在任中「原発利権勢力」から圧力はあったのか。 「東電を取材していた報道の人が『それ以上取材するとドラム缶に入って川に浮かぶ』と脅され、私にも気を付けてと言ってくれたことがありました。また、日本海横断航路問題を使って知事の首を取るプロジェクトがあるということも聞いています。ちょっと前には何者かに車で後をつけられました。その利権者はだれなのか。はっきりとした証拠がないのでいまはこれ以上話せませんが、いろんなことがあったのは事実です」 ●踏みとどまった脱原発  知事選に話を戻すと、自民、公明は前長岡市長の森民夫氏を推薦。一方、共産、社民、自由の野党3党は医師や弁護士として活動し、泉田路線の継承を公言する米山隆一氏を擁立した。  政権与党の支援を受けた森氏が当選すれば、柏崎刈羽原発の再稼働の動きが加速することも十分に考えられる。危機感を抱いた脱原発派は早速、米山氏支援に動いた。再稼働阻止全国ネットワークに所属する東京在住のメンバーたちが初めにやったことは、民進党へ米山氏の支援を要望することだった。 「民進党の新潟県連は米山氏を推薦せず、自主投票を決め込みました。支持母体の連合の組合員に東電関係者が多数いるためだと聞いています。そこで我々は民進党本部へ乗り込み、党として米山氏を応援するよう求めたのです。そもそも米山氏は先日まで民進党所属。それを応援しないとはけしからんと抗議しました」(再稼働阻止全国ネットワークの山田和秋氏)  そのかいもあってか、選挙戦最終盤に蓮舫代表が新潟入りし、米山氏の選挙応援演説をした。山田氏らも新潟で昼は街頭演説の応援、夜は2千件に上る電話で米山氏への投票を呼びかけた。序盤は森氏が大きくリードしていたが、米山陣営も徐々に追い上げていった。 「原発は怖い。事故が起きたら生活基盤が危うくなる。だから泉田路線を引き継ぐ米山さんを応援するという声がだんだん多く聞かれるようになったのです。それに泉田さんは圧力で辞めさせられたと考えている県民も多かった。途中から、これはいけるなと感じました」(山田氏)  ふたを開けてみれば米山氏は53万票近くを獲得。次点の森氏に6万票以上の差をつけて勝利した。米山陣営のスタッフですら、「手ごたえは感じていたが、まさかこんな大差で勝つとは」と驚くほどだった。  再稼働阻止全国ネットワークの共同代表を務めるルポライターの鎌田慧氏はこう期待する。 「鹿児島の知事選では原発停止・点検を訴えた三反園(訓)氏が勝ち、新潟では反原発を鮮明に打ち出した米山氏が当選した。市民レベルで反原発が最大課題になっている。この動きは全国に波及していくだろう」 ●泉田路線継承は未知数  各地で起こされている脱原発訴訟にも影響を及ぼすと言うのは脱原発弁護団全国連絡会共同代表の海渡雄一氏。 「関西電力大飯原発(福井県)の控訴審は旗色が悪かったのですが、名古屋高裁金沢支部で19日に開かれた控訴審では一転して裁判長が『基準地震動がもっとも重要な問題』だとして、我々の申請した専門家の証人尋問が認められる方向になったのです。裁判所も原発が危険だという民意の流れを感じ取っているのではないでしょうか」  米山氏は自民党、日本維新の会、民進党と各政党を渡り歩いてきた。泉田氏は、中越地震からの復興を祈念した山古志マラソンも一緒に走ったというが、どこまで泉田路線を継承してくれるかは未知数だと話す。 「例えば当選後に米山さんは住民投票をやると言っていますが、それを聞いたときは正直、うーん、それは泉田路線ではないと思いました。というのも住民投票は一度、県議会で否決されているのです。議会を通せない以上、条例案を出せば否決される。住民投票をやるというのは私のやってきたこととちょっと違い、自分の首を絞めることにもなる」  とはいえ、原発を争点にした知事選で当選したこともあり、期待は大きいようだ。 「あれだけ私と会うのを嫌がっていた原子力規制委員会の田中(俊一)委員長が米山さんと会うと言っている。原子力防災にどう向き合うのか。不可能を現場に押し付けている原子力防災指針を選挙戦で語った結果として米山さんは当選した。これで国としても地元の声を聞きやすい環境ができた。国に対する交渉力を増した可能性があります」  一方、東電や国の対応には依然として厳しく注文を付ける。現在、柏崎刈羽原発6、7号機は安全審査が進み、「安全が確認された原発は国の方針通り、再稼働へ動くことになる」(経産省幹部)。だが泉田氏は、それはあり得ないと話す。 「知事室に東電の広瀬(直己)社長が来て言ったのは、『東電だけでは安全確認が十分かどうか、自信がない。第三者の目を入れたいので6、7号機の安全審査を申請させてください』です。再稼働のための申請とは一言も言っていません。もし再稼働のためなら最初からウソをついていたことになる」 ●知事退任後の挑戦とは  避難計画にも不備がいたる所にあると言う。 「原発震災が起きた際、UPZ(緊急時防護措置準備区域)は屋内退避。しかし熊本のように大地震の後にさらに大きな地震があれば屋内退避はかえって被害が大きくなり、死傷者が出る可能性があるのです」  屋内退避したあとの避難方法も現実的ではない。 「放射線量毎時500マイクロシーベルトが避難の基準ですが、域内の人口44万人を年間被曝限度量の1ミリシーベルトに達するまでのわずか2時間でどうやって避難させればよいのか。また、ヨウ素剤はどうやってその人たちに配りに行くのか。実際には無理なことばかりが指針には書いてある。こうした問題点を、国と交渉して直すことが次の知事の仕事です」  突然起きる災害を考えたら24時間気が抜けない知事職を退任するのは10月24日。その後は、 「荷物の整理をしながら、とりあえずちょっとゆっくりするつもり」  土俵際で踏みとどまった知事の新たな挑戦に期待したい。(ジャーナリスト・桐島瞬) ※AERA  2016年10月31日号
原発
AERA 2016/10/27 07:00
出雲に神々が集まって、全国から神様がいなくなるから神無月ってほんとにホント?
出雲に神々が集まって、全国から神様がいなくなるから神無月ってほんとにホント?
10月の古い呼び名は神無月。旧暦では今年は10月31日より神無月となります。よく語られる薀蓄に、「神無月は出雲(島根県)では神在月(かみありづき)で、全国から主だった神様が集合して人間の縁結びの相談をするのだ」というものがありますね。事実島根では「神在月」といわれ、出雲大社や佐陀神社で祭りが行なわれます。 でも、「神無月」を「神の無い月」と読み解くこと自体がこじつけで、「水無月」が「水の月」という意味であるのと同じく「神(の)月」の意味というのが定説です。 この時期、神々は縁結びのために出雲に集まるのでしょうか?それとも?出雲大社のしめ繩 イジワル兼好法師「おまえら神無月に神々が集まるとかいってるけど何の根拠もないんだが(笑)」 まずは現在言われている「出雲の神在月」の概略を整理してみましょう。 出雲で旧暦の10月を「神在月」というのは、出雲大社の大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の元に全国から神々が集まるため、神々がひしめいて「神が在る月」で「神在月(かみありづき)」という。神々は稲佐の浜から上陸し、竜蛇神の扇動で出雲大社の神楽殿に導かれる。ただし伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)と諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)だけは参集しない。 そして出雲大社に集まった神々が「神議(かむばかり)」という会議をして、来年の人々の縁、仕事運などを差配する。 と、おおよそこのように言われています。でも実はこれは中世以降に出雲大社(明治以前までは杵築神社といわれていました)の御師(おし/昔のツアーコンダクター、観光宣伝係)が盛んに全国に広めたいわば俗説、作話です。 あの「徒然草」の吉田兼好も、「十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。(中略)この月、万の神達、太神宮に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説なし。(第202段)」つまり、「十月には大神宮(伊勢神宮)に神様たちが集まるとか言う説があるが全然根拠ない話だよね」と記しています。ここでは、神無月の神々の集合を否定するばかりではなく、出雲大社ではなく伊勢神宮に集まるという説がある、と書かれています。当時、伊勢の御師も似たような客寄せの口上を広めていたとも考えられますが、中には吉田兼好の勘違い、と言う者もあります。が、兼好は実は占部家という名門神官の家系であり、神道の風習については一般人よりはるかに詳しかったといわれ、知らなかったとか勘違いと言うことはないでしょう。ここで出雲大社(杵築神社)に触れていないのはおそらく意図的で、杵築神社の客寄せ口上など話題にすらしてやらん、という意思のように読み解けます。 起源は神々の母・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を偲ぶ「お忌さん(おいみさん)」と新嘗の斎戒 本来の「神在月」の「神在」とは「じんざい」と読み、鎮齋(ちんさい)すなわち斎(いつ)き鎮まる=物忌みをし、厳しく斎戒をする月、という意味でした。これは新嘗祭(にいなめさい)の古来の姿だといわれています。これを相新嘗(あいにいなめ)といい、その年の新穀を神に献ずる儀式で、それに先立ち心身を清めるための厳しい斎戒を行ったのです。大宝律令が制定されて以降、伊勢神宮のみを尊重の意味をこめて先行して新嘗祭を9月に繰りあげ、その他の神社では11月に繰り下げられたために新嘗祭と言うと今や11月というイメージです(現代では新嘗祭にあわせて11月23日が勤労感謝の日という祭日になっていますよね)が、本来は旧暦10月におこなわれていたのです。そして出雲国ではこの古来の新嘗の祭が固守されていました。 また、旧暦10月は多くの神々を産み落としたとされるイザナミノミコト(伊弉冉/伊邪那美/伊弉弥)が神去った(亡くなった)月であるという伝承があります。古事記では「かれその神避りし伊弉那美の神は、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山に葬りき」とあり、現在の鳥取県との境、島根県安来市伯太町横屋の比婆山の山頂に埋葬されたとされ、現在は比婆山久米神社が、山頂に奥の宮、山麓に下の宮の社殿が建てられています。そしてそのことから、以降八百万の神々は毎年この月になると出雲に集い母神を偲ばれるのだとされ、つまり、父神イザナキにより母神イザナミの殯(もがり・死者を悼み、その死体の腐敗を見届ける儀式)をおこなった出雲の地に神々が由縁の月に集うという伝説と、人々の新嘗の斎戒=忌み行事が重なって、「お忌さん」と呼ばれる神在月の祭りと信仰が形成されたのが実態なのです。 神在祭の期間中は、歌舞音曲や喧騒はもちろん、造作等も慎む禁忌の祭でした。祭は陰暦10月11日から25日までの15日間で、11日から17日までが上忌で準備期間としての散祭(あらいみ)、18日から25日までが下忌で致祭(まいみ)とされ、重んじられたのは下忌の方で、25日の神等去出(からさで)神事が終わるまで特に厳しい謹慎斎戒に服しました。 この上忌と下忌を、今では神々がまず出雲大社にお立ち寄りになり、そのあと佐陀神社においでになる、というふうに言い換えられてしまっていますが、これは出雲大社では上忌が残り、佐陀神社は下忌が残った為に作られた後付のストーリーです。佐陀神社の本殿 大国主神がゆずった「国」とはどこの「国」なのか それにしても、どうして出雲だけが特別に古来の神在祭が残り、また神話にたびたび登場するのでしょうか。スサノヲがおいおいと泣いて「妣(はは/亡くなった母親を表す言葉でここではイザナミを指します)の国根の堅州国(かたすくに)に罷(まか)らむと欲ふ」とうったえた根の堅州国と言うのも、出雲を指します。「根の国」の「根」は、今でも「島根県」という名前に残存していますよね。 とりわけ有名で重要な逸話は「大国主神の国譲り」ではないでしょうか。 この大国主神とはどんな神なのでしょうか。 日本書紀本文ではスサノヲの息子とも、古事記、日本書紀の一書(異伝)ではスサノオの六世の孫、または七世の孫などとされ、大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち)・大物主神(おおものぬし)・八千矛神(やちほこ)・葦原色許男神(あしはらのしこをのかみ)など数々の異名を持ち、またその子供は何と180有余ともいわれる子沢山。子沢山のゆえに大国主神を祭る出雲大社は縁結び・子孫繁栄のご利益の神社となっているわけです。 大国主神は外来神の少彦名命とともに葦原中国(あしはらのなかつくに)を史上初めて平定した国づくりの偉大な神といわれています。そして高天原からの天孫降臨により国を明け渡せとせまられて、「隠れた(この世から去った)」と伝えられています。 この葦原中国(あしはらのなかつくに)は現在の西日本一帯、北九州から中国・近畿・紀伊半島までもふくめた広い地域の統一国家もしくは連合国を指し、その首都もしくは首長国が「出雲」だったのです。今の日本で言えば東京都にあたる地域が、古代では出雲だったのでした。 神話の中では、「黄泉の国」と同定される(厳密に言えばまったく違うのですが)こともある「根の国」のことも指し、出雲地方一地域のことも指し、また古代統一国家「出雲大国」の意味であった出雲。異なる意味合いがこめられていることが混乱の元。 これは、その出雲の首長であり創始者である大国主神についてもいえることでした。 タケミナカタは負けていなかったし国をゆずったのもオオクニヌシではなかった? 大国主神がスサノヲの息子とか何代後の子孫などと言われているのは「大国主」というのが固有名詞ではなく、「皇帝」や「大統領」と同じく、引き継がれた古代国家の支配者の尊称でもあったことを示しています。多くの異名があるのも、時代ごとに習合された神があるためです。 因幡の白兎や、スサノヲの元から物部の十種の神宝を強奪した大国主神と、フツヌシもしくはタケミカヅチに国譲りを迫られた大国主神は代替わりしていると考えられます。だからこそ、「息子の事代主(コトシロヌシ)に聞いてくれ」とわけの分からないことを言っているのです。つまり、このときもはやもとの偉大なる大国主神はすでにおらず祖霊となっていて、支配者はコトシロヌシだったのです。「代(しろ)」と言うのは息子とか跡継ぎの意味です。つまり「事」の跡継ぎ。「事」とは、尊称である初代「大国主神」の固有名、本当の名前だという説があります。 そして抵抗してタケミカヅチにやっつけられてしまうタケミナカタの神とは、まったくオオクニヌシの系譜に出てこないため、古事記の創作だと思われます。記紀が編纂された当時の最高権力を握っていた藤原氏の氏神であるタケミカヅチを活躍させるために登場させられたわけです。高天原の神の武力が上であることを示すために利用してしまったタケミナカタの神様に申し訳ないと怖れる気持ちが、現在の八百万の神大集合伝承の中でもアマテラスとともに「タケミナカタはおいでにならない」という免責・遠慮事項に現れていて面白いですよね。 出雲の神在月の祭りには神社社殿を造営しなかった古い時代の信仰の名残としての神奈備信仰の地として、出雲の神名樋山(かんなびやま)に神々が去来するという信仰にも関わりがあります。由緒や起源は書き換えられていても、「神々が集う」という信仰自体は古くから正真正銘受け継がれてきたものです。 特に、出雲国二の宮「佐陀神社」の祭・行事は古代の姿をとどめているといわれます。佐陀神社の祭神は出雲四大神の一柱、佐太大神。現在は猿田毘古大神(サルタヒコ)と同一神とされていますが、明治時代に佐太大神を猿田毘古大神に変えよと命じられた際、神官・氏子たちが断固拒否したという曰くの神です。実際サルタヒコは伊勢の神様で、佐太大神とはちがうのですが・・・これはまたいつかの機会に。 今年2016年の神在月の期間日程は、出雲大社が11月9日~11月16日、佐陀神社が11月20日~25日です。 特に25日の夜の神事は必見。境内の灯りが消された中で500年以上変らず伝えられてきたという神事が行なわれます。 古代の神様の姿を垣間見られるかもしれません。因幡の白兎
tenki.jp 2016/10/26 00:00
バイバイが似合う秋…夕暮れによみがえるあの名曲
バイバイが似合う秋…夕暮れによみがえるあの名曲
恋とクルマと音楽と:コラムNo.4 「恋とクルマと音楽と」今回は、“夕暮れの帰り道”をテーマに名曲をご紹介します。 このコラムは、Amanekチャンネルの番組「恋とクルマと音楽と」と連動しながら、一年中、胸キュン前線が停滞、四季折々のドライブシーンやデートシーンを“妄想”して行きます。 そして、写真はいつものように、写真家:安藤きをくさんの心に届く小説のような優しいカット。 静かな時間をお楽しみください。 女性の言葉が勲章になる まさに、一雨ごとに気温が下がる今日この頃。気温が5度下がると洋服一枚増やすのが目安とも言われていますが、着る服がややこしい時期でもあります。 寒そうなので自分の上着を脱いで相手の肩にかけてあげたりする行動は、少年が男になる途中にぶつかる振舞の壁的なものですが、この行動を起こすときの体感温度の上昇感は5度どころではありませんし、脱いだこっちは、下がるどころか上がる感じでしたね。 そして、「えっ、ありがとう。でも、〇〇くんは寒くないの?」とか、 「優しいところあるんだね」とか、 少し背伸びした男子の心の中に、こんな女性のさりげない一言が勲章として飾られます。 中には、この勲章をコレクションし始める男子もいますから、コレクターなのか本心なのかを見分ける目を女性は身に着ける必要があります。 それはさておき、部活や仕事を終えて帰る頃にはいい感じの夜空に遭遇することが増える季節、レコチョクでもラブソング押しが本格化し始めるので、僕も、絶妙なラブソングを二曲お勧めしようと思います。 もう少し一緒にいたいよね時間 例えば、バスや電車に乗る彼女を見送るときのアレです。 もちろん、自分の家の方が遠くとも、先にバスの時間が来ても自分が先に帰るなんていうことはもってのほか。 スマホのあるこの時代は、「そんなの意味ないよ」なんて声も聞こえてきそうですが、そんな時代だからこそ、きちんと見送ることでスタンプ以上に伝わるものがあるはずです。by 昭和の男 バスターミナルや駅の改札などで“バイバイ”ってする時は、明日も会えるのになんとも切ない気持ちになったものでした。付き合い始めや、きっと両想いなんだろうと感じてはいるけれど言葉で確認しあっていない二人…恋のシーズン1なんて思い出しただけでもむずむずしますね。 みなさん、一度や二度、ありましたよね? さぁ、井上陽水さんの「帰れない二人」を聴いてみましょう。 そしてもう一曲は、南佳孝さんの「Midnight Love Call」。 電話がなかなか切れないときのアレです。 “先に切りなよ” “いやっ、先に切れよ” “お休みって同時にいおっか?” とか。 ということで、だまされたと思って一度聴いていただきたい名バラード、僕の中のJ-POPトップ10に入っています。お互いの気持ちも確認しあって、優しさと優しさを直接つなげたような電話をしている恋人たちのワンシーンを歌にしたものですが、数十万人のアラ50に空を見上げさせること間違いなしの名曲です。 人に言えない思いやあの子に言えない気持ち…そして、理想の恋愛を歌ってくれている曲を聴きながら必死で恋をしてました…。 そう言えば、レコチョクのサービスのキャッチコピーに「思い出が再生する」というものがありますが、まさに、それです! みなさん、この秋、”思い出を再生させてみませんか?” ということで、今回はこの辺で、また来週お会いしましょう。 ラジオ版「恋とクルマと音楽と」 ぜひ一度お聞きください! 次回の放送は、11月7日19:30からの予定です。
tenki.jp 2016/10/25 00:00
「ビールは文化」日本でも花開いた原点は500年前のあの国
「ビールは文化」日本でも花開いた原点は500年前のあの国
「けやきひろば」の会場は、なかなか会えない造り手と直接話したり、飲み比べセットをシェアして語り合ったりと熱い客でいっぱい(撮影/まつざきみわこ) 鍋料理にオススメのクラフトビール/塩ベースやポン酢だれなら優しい味わいのヴァイツェンがぴったり。すき焼きなど、こってりしたものならIPA 秋の夜長のお供はコレで/読書など、じっくり時間を楽しむなら、味わい深い個性派を片手に、がいい ホームパーティーのおもたせには/秋はお呼ばれも多い。おしゃれなパッケージなら、話も弾むはず  ビールの祭典が「オクトーバーフェスト」と呼ばれるように、空気も爽やかになる秋はまさにビールの季節。国内市場が縮小する中、気を吐いているジャンルがある。クラフトビール。今、日本で花開いた理由とは。  9月15日から5日間、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)で開催された「けやきひろば 秋のビール祭り」。全国のブルワリー(ビール醸造所)が89ものブースを出店し、400種類以上のクラフトビールが提供された。あちこちで「乾杯」の声があがり、席を確保するのも難しいほど。酔いすぎ防止のミネラルウォーターを片手に、10時間以上滞在する猛者もいた。  ビール愛飲家たちのどこかポップでほがらかな空気が会場にあふれ、いるだけで楽しくなってくる。この熱気と勢いそのものが今の日本のクラフトビールブームを表しているようだ。 ●60年代の米国で誕生  今のブームの源流は、米国のクラフトビールブームにある。  1960年代ごろから、ドイツやベルギー、英国などのスタイルを元に、米国で新たなビールが造られるようになった。ブルワリーが、製法や製造過程はもちろん、パッケージングから販売までの工程をすべて手掛けたことから、職人が丹精込めて作り上げた「手工芸品」を意味する「クラフト」という言葉が使われるようになった。  米ブルワーズ・アソシエーションが掲げるクラフトビールの定義は、(1)小規模であること(2)独立していること(3)伝統的であること、の三つ。  日本では、94年の酒税法改正が大きなきっかけになった。ビールの製造免許を取得するのに必要な年間最低製造量が2千キロリットルから60キロリットルにまで引き下げられたのだ。これによって、各地で「地酒」ならぬ「地ビール」が盛んに造られるようになった。  ところがこの時点では、重点が「街おこし」という造り手も多く、品質を置き去りにしたブルワリーが淘汰されるとともに、地ビールブームは沈静化した。  しかし、ブームが去ってもずっと変わらず、研究を続けるブルワリーも残った。10年近い時を経て、技術は格段に向上。そこに米国からクラフトビールの波が押し寄せ、若い世代を中心に火がついた。  折しも、今年はドイツで「ビール純粋令」が公布されて500年の節目の年だ。純粋令は1516年、原料も造り方もバラバラで時に劣悪な品質の製品も出回っていたビールの品質を安定させるため、原料を麦芽、ホップ、水に限定(その後、酵母を追加)。ビールが世界的なアルコール飲料に飛躍するきっかけになったとされる。  明治時代に始まり、欧州などと比べれば歴史が浅い日本のビール。経済成長と人口増加の波に乗って「大量生産大量消費」を優先し、味などの個性が目立たない時期が最近まで続いた。地ビールブームから20年以上を経て、日本のビール文化が一皮むけたことが、最近のクラフトビールブームを呼んだと言えるだろう。 ●大手メーカーも参入  実際に、ビール大手もクラフトビールに参入。一昨年、クラフトビール大手のヤッホーブルーイング(長野県軽井沢町)とキリンビールが業務資本提携し、コンビニに置かれるようになったことも、クラフトビール人気に一役買った。 「ビールとはブルワーの“表現”そのもの。造り手が造りたいビールをイメージして、モルトや使用するホップの種類、初期比重に発酵度数、色や苦みまでを計算してレシピに落とし込む、極めてロジカルな飲み物なのです。ブドウの出来によって味が左右されてしまうワインとはまったく違う考え方です」(日本ビアジャーナリスト協会代表の藤原ヒロユキさん)  2004年からビール造りを始めた志賀高原ビールの醸造責任者、佐藤栄吾さんも、オリジナリティーを追求してきた一人だ。  多くのブルワリーが原材料を海外から輸入するなか、「他の人が造れないものを造りたい」と地元でホップの栽培を始めた。長野・北信地方は、昭和30年代まで日本有数のホップの産地で、地域のお年寄りには若い頃、ホップ収穫のアルバイトを経験した人もいるほど。そんな先達に指南役をお願いし、いらない電柱をもらってきて「半ば遊び気分で」ホップの栽培を始めた。  今夏は100人以上が収穫の手伝いに参加。取れたてホップを使った限定生ビールは、乾燥ホップには出せないフレッシュな香りがはじけ、飲み口は優しいけれど染み入るみずみずしさが感じられる、と評判を呼んでいる。 「ビール造りというと、製造の技術ばかりにこだわりがち。でも僕らの仕事は、農産物を加工してお酒にすることだから、農とのかかわりを大切にしたいんです」と佐藤栄吾さん。  トレードマークのふくろうをラベルに描く常陸野ネストビールを造る木内酒造(茨城県那珂市)は、輸出にも力を入れる。昨年は約50カ国に1千キロリットル超のクラフトビールを輸出した。京都市では、外国人3人によるブルワリー「京都醸造」が誕生するなど、国境を越えた動きも始まっている。  14年度末で174のブルワリーが個性を競うクラフトビール。どうやって自分好みの一品を探せばいいのか。 ●料理に合わせ選ぶ手も 「季節やシチュエーション、どんな料理に合わせるかによって、クラフトビールの楽しみ方は無限大。必ず好みの銘柄が見つけられるはず」  そう教えてくれたのは、ビアジャーナリストの野田幾子さん。  料理と合わせるペアリングのコツを覚えれば、ビールを広く深く味わえる。まずは、その料理が持つ(1)甘み、(2)苦み、(3)酸味、(4)塩味、(5)うまみに注目。一番味わいたいポイントを決める。そこにビールの持つ個性を合わせていけばいい。肉料理のうまみは苦みに合うので、それを引き立てるなら同じく個性も苦みも強いIPAを。ポン酢を使った鍋なら、酸味を和らげてくれるさわやかな甘みを持つケルシュと合うはずだ。  奥深いクラフトビールの世界にこの秋、踏み出してみては?(ライター・まつざきみわこ) ※AERA 2016年10月24日号
グルメ
AERA 2016/10/23 11:30
ストレス社会に負けない! 忍びの健康術「忍者食」がスゴい
ストレス社会に負けない! 忍びの健康術「忍者食」がスゴい
「忍者食」って?(※イメージ)  高い壁を身軽に飛び越え、敵に見つかると手裏剣を打ってドロンと消える──。スパイとして活躍したとされる忍者。主な仕事は、秘密情報を集める諜報活動と奇襲攻撃だったと思われる。ストレスフルな環境で、肉体と精神を維持するために、いったい日ごろどんなものを食べていたのだろうか。その食事から、現代社会にも通じる健康維持のヒントを探った。  忍者の生活について、研究を進める久松眞さん(三重大学名誉教授)に聞くと、驚きの話が耳に飛び込んできた。何と忍者は、農民だったというのだ。 「農作業の合間に忍者の修行をしたと考えられている。半農半武士のような生活ですね」(久松さん)  だから普段の食事は、そのころに農民が食べていた内容がベースで“粗食”だったという。 「基本は1日2食で、主食は雑穀類。ヒエやアワの雑炊を主食とし、おかずはぬかを原料にしたみそ、山菜や野草など。バッタや蛇、カエルなども食べていたと考えられています」(同)  こんな食事で丈夫な体を作ることができるのだろうか。 「今よりバランスは良いですよ。今、私たちが普段食べている白米は、胚やぬかなど大事な栄養素をそぎ落としたもの。最近は雑穀類を主食とすることで、エネルギーの補給だけでなく栄養素を摂ることができる。昆虫・爬虫類・両生類は、タンパク質などの栄養価に富むんです」(同)  粗食の背景には、忍術のために体重を増やせない事情もあった。身長の基準は不明だが、体重は60キロが限度とされていた。 「忍びのときには跳んだり走ったりするために、常に身軽な状態でいることが鉄則でした。普段から、質素だが栄養価に富む食事で調子を整え、いざというときに備えていたのです」(同)  飽食の時代といわれる現代。忍者食を取り入れれば、生活習慣病の予防にもつながりそうだ。蛇やバッタはお断りにしても、普段の食事に取り入れるコツはないのだろうか。「エリート忍者の聖地」といわれる三重県伊賀市で、忍者料理を現代風にアレンジして提供している飲食店経営者の藤林孝行さんに聞いた。 「まずは、白米に雑穀や古代米、玄米などをまぜることで、タンパク質をはじめビタミンやミネラルなど多くの栄養素を摂ることができます。ヨモギやハト麦などの野草や、クリや松の実などの木の実も栄養価が高くお薦めです」  そこで普段の食事に取り入れやすい、忍者食をベースにした秘伝の献立を3日分、考案してもらった。 【1日目】朝は「アワのお粥(野草、シイタケ入り)」、昼は「豆腐」と「タンポポのごまあえ」、夜は「小豆とハト麦のお粥」と「梅干し」。 【2日目】朝は「豆腐」と「こんにゃくと芋のみそ煮」、昼は「赤米のにぎり飯」と「大根と干し柿のなます」、夜は「キビのお粥(カブ、シイタケ入り)」と「おから(野草入り)」。 【3日目】朝は「アワ餅」と「インゲン豆のみそ汁」、昼は「豆腐」「こんにゃくのごまあえ」「アザミとウドのきんぴら」、夜は「ヒエとハト麦のお粥」と「梅干し」。  藤林さんによれば、忍者食をうまく取り入れると「バランス良く、健康的に痩せることができる」という。1食あたりの品数も少ないので、ぜひ普段の献立を考えるときの参考にしてみてほしい。  一方で、“忍者モード”のときに食べていたのが、携帯食だ。厳しい環境に耐えられることを前提に考案された忍びの食べ物で、パワーフードとして重宝されていたという。  その代表的なものが「兵糧丸(ひょうろうがん)」と「水渇丸(すいかつがん)」と呼ばれるもの。兵糧丸は砂糖をベースに5種類の生薬を加えたもので、「滋養強壮」「鎮痛」「救急医薬」「エネルギー補給」「疲労回復」「健康維持」の六つの薬事作用を持つという。水渇丸は、梅干しと砂糖をベースに「麦門冬(ばくもんどう)」という生薬を加えたもので、喉の渇きを抑えるのに役立ったそう。 「砂糖によってカロリーを補給し、漢方の生薬によって気力を回復したといわれています。忍者にとってはお守りのような、スーパーキャンディーのような位置づけですね」(前出の久松さん)  漢方専門店などに行けば生薬も手に入る。どうしても試してみたいという人のために、比較的簡単に作れる水渇丸のレシピも用意した(下記)。ハイキングや登山のおやつの一つとして携帯してもいいだろう。  忍者の食生活は、ぜいたくとはまた違った意味で豊かだったよう。シンプルな食生活に回帰することが長生きの秘訣なのかもしれない。 「水渇丸」の作り方 【材料】梅干しの果肉…約37g、氷砂糖…約7.5g、麦門冬(ジャノヒゲの根を原料とした生薬)…約3.7g 【作り方】(1)梅干しの果肉部分と種の部分を分ける。(2)残りの材料を、フードプロセッサーやコーヒーミルなどで粉末にする。(3)1と2を混ぜて、手でよくこねる。1cm程度に丸め、天日干しにして乾燥させる。 ※週刊朝日  2016年10月28日号
レシピ健康
週刊朝日 2016/10/21 07:00
親に促されてDNA鑑定する“父親”が急増、鑑定現場の人間模様が泣ける
親に促されてDNA鑑定する“父親”が急増、鑑定現場の人間模様が泣ける
「私的鑑定」の鑑定書の一例(法科学鑑定研究所から)。遺伝子座のなかの反復数(DNAの繰り返し領域)を調べることで親子関係の有無がわかる(撮影/大野洋介)  DNA鑑定によって親子関係を確認したいと希望する人が着実に増えている。その鑑定現場にはさまざまな人間模様が渦巻いていた……。  休日の昼下がり、生後半年足らずの息子が寝静まったのを見計らって、Aさん(30代)の奥さんが買い物へ。見送ってからしばらくして、Aさんは口を開けて眠る息子の口に綿棒状のものを差し入れた。口腔内の粘膜を採取しようと試みたのだ。 「妻は飲み歩くのが大好きで、日付が変わる時間まで帰ってこないこともしょっちゅう。それも、あっけらかんと私に『◯◯くんと飲んでたんだよ』と、男の名前を挙げて報告する。結婚当初は気にしないようにしていたのですが……妊娠したのがわかってから妙に気になって」  金融機関に勤務するAさんの仕事はハードだ。海外の投資家とやり取りする際には、仕事が深夜に及ぶことも。自然と結婚当初から“夫婦の営み”は少なかったという。妊娠が発覚した時期も月に1度程度だった。 「本当におれの子どもなのか?」  そして、ついには妻の目を盗んで、息子と自分のDNA鑑定を行うことにしたのだ。 ●両親の無言の圧力 「フィリピンクラブで働く女の子との間に子どもができてしまったんです」  そう話すBさん(30代)も、同じく子どもと自分の親子鑑定を行った。20代で離婚を経験したBさんは、一昨年から仕事場近くのフィリピンクラブに週1ペースで通うようになったという。そこでフィリピン人女性と深い仲に。コンドームは使用しなかったが、“中”には出さないように注意していた。ところが、昨年夏に妊娠が発覚。式は挙げず、バタバタと引っ越しと入籍だけ済ませた。 「自業自得だと半ば諦めて再婚したのですが、当初から『本当におれの子を妊娠したのか?』という疑問は少なからずありました。ほかの客とアフターするのを頻繁に目撃していたので」  今年春先に生まれたのは、かわいらしい女の子。前妻との間に子どもがいなかったBさんは素直に喜んだ。が、母親の血を色濃く継いでいるのは一目でわかっても、自分の面影は見てとれない。趣味のダイビングをパタリとやめ、イクメンぶりを発揮する一方で、Bさんの疑念は次第に大きくなっていった。  実は、Bさんの両親は息子の“できちゃった婚”を快く思っていなかった。孫の顔を見せに行くと、「おまえにあまり似てないな」と漏らす。結局、両親の無言の圧力を受けて、鑑定を行うことに決めた。  近年、このように親子鑑定をする人が増えている。それも、特に多いのが、「両親に促されて」行うパターンだという。DNA鑑定を専門に行っているNPO法人遺伝子情報解析センターの山田浩史代表理事が話す。 「4年前から親子鑑定を請け負うようになって、毎年10~15%ずつ依頼が増えています。特に依頼が多くなるのが、お盆と正月。帰省したときに、父親の両親が『似てない。一度、鑑定したほうがいい』と息子を説得するケースが多いのです」 ●鑑定料金は半額に  同センターでは毎月150件ほどの鑑定依頼を受けているという。そのうちの40%が父親、40%が母親で、残り20%が祖父母からの依頼だという。  裁判所や捜査機関からのDNA鑑定依頼も多く受けている法科学鑑定研究所の山崎昭所長も次のように話す。 「父親の両親は将来、遺産が孫に相続される可能性があることから、意外に冷静。『息子が“できちゃった婚”したから』『息子の嫁は夜遊びが激しかったと聞いた』といった理由で、息子と孫のDNA鑑定をしたいと問い合わせてくる人も少なくない」  鑑定依頼が増えた背景には、鑑定料金の低下と芸能人のスキャンダルがあったという。 「鑑定用の試薬の価格が引き下げられたうえに、鑑定所が増えたことで、鑑定料金はこの10年で半額程度になりました。加えて、2013年には女優の喜多嶋舞さんと俳優の大沢樹生さんの騒動がありました。DNA鑑定の結果、2人の結婚中に生まれた子どもが、大沢さんと親子関係がなかったことが明らかになり、これによりDNA鑑定が注目を浴びるようになったのです」(山崎氏)  一般に、親子鑑定には2種類ある。「私的鑑定」と「法的鑑定」だ。前者は、鑑定依頼者の身分証明書の確認などが不要な簡易鑑定。子どもと依頼者の口腔内から採取した粘膜を専用の袋に保存して郵送するだけで鑑定してもらうことが可能だ。一方、法的鑑定は必ず、当事者立ち会いのもと、身分証明書の確認が必要で、鑑定人による口腔内の粘膜採取を経て、DNA鑑定が行われる。その名のとおり、法的拘束力を持ち得るため、裁判資料等で提出される場合には法的鑑定が行われるという。 ●「よっしゃー」の雄叫び  料金は私的鑑定が2万~4万円程度。法的鑑定は7万~8万円が相場。鑑定人が立ち会うため、出張が伴う場合は、別途交通費が上乗せされる。鑑定結果が出るまでに要する時間は、どちらも1~2週間程度。その間、鑑定所ではさまざまな人間模様を目撃することができるという。 「先日来られた20代の男性は、浮気相手にできた子どもを連れての私的鑑定でした。2週間後に結果を手渡すと、すぐさまガッツポーズ。その場で『ありがとうございます!』と腰を90度に曲げて感謝されました。親子関係はなかったんです。エレベーターの扉が閉まったあとも、『よっしゃー!』という雄叫びが聞こえてきました(笑)」(山崎氏)  一方で、依頼者の涙に心を打たれることもある。 「先日は、生まれたばかりの子どもを連れた30代のご夫婦が『父子鑑定、母子鑑定、両方やってほしい』と訪れました。聞けば、長い間不妊治療を行い、体外受精で授かった子ども。異なる人の遺伝子が入っていないか? 本当に自分たちの遺伝子を受け継いだ子どもなのか?と不安を感じていたようです。完全にお二人の子どもだとわかって、涙されるのを見たときは私も涙をこらえられませんでした」(山崎氏) ●親子関係ナシは2割  実は、親子鑑定において、「親子関係がない」と判断されるケースは少ない。 「年間2千件以上の鑑定を行っていますが、80%以上は『親子関係がある』という結果。ほとんどが『自分の子どもなのか?』と疑いを持っての鑑定の割には、親子関係が認められないケースは少ない」(山田氏)  冒頭のAさんは最終的には鑑定を取りやめたのだが、Bさんは鑑定の結果、自分の子どもであることが確認できたという。「ホッとした」と話すが、逆の結果が出ていたら、大騒動に発展していたことは間違いない。離婚問題などを数多く手掛けるアディーレ法律事務所の吉岡一誠弁護士が話す。 「婚姻期間中に懐胎した子について、生物学上の父子関係が否定されれば、妻の不貞行為が認められ、離婚請求は基本的に認められるでしょう。100万~300万円の慰謝料を請求することも可能。ただし、法律上の父子関係が認められる場合は、DNA鑑定で生物学上の父子関係が否定されても、養育費については支払い義務を負います」  子どもが生まれてから1年以内なら、DNA鑑定で生物学上の父子関係が否定された証拠とともに嫡出否認の訴えを起こすことで、法律上の父子関係がないと認めてもらうことも可能。  だが、1年を過ぎている場合にはその訴えが認められるケースは少ないという。血が繋がっていなくても、養う義務が発生するのだ。だからこそ、幼いわが子を連れて、鑑定に訪れる人が後を絶たない。不倫騒動がたびたびニュースになる昨今だけに、DNA鑑定の依頼者は当面、減ることはなさそうだ……。(ジャーナリスト・田茂井治) ※AERA 2016年10月24日号
出産と子育て男と女
AERA 2016/10/19 11:30
「就活イベントでしゃしゃってくる黒縁眼鏡男子は慶應経済」「早稲田出身者の英語できますは半掛け」…永遠のライバル・早慶のあるある
熊澤志保 熊澤志保
「就活イベントでしゃしゃってくる黒縁眼鏡男子は慶應経済」「早稲田出身者の英語できますは半掛け」…永遠のライバル・早慶のあるある
事あるごとに比較される早稲田と慶應。「ライバル心」や「子どもに行ってほしい」かを聞いたところ……  名門私大として、事あるごとに比較される早稲田と慶應。お互い母校のどこに誇りを持ち、相手校をどう捉えているのか。彼らの本音を探ってみた。  由緒ある文化施設、イギリスはロンドンのバービカンセンターのレストランに集まった同窓生は、200人近かった。  2011年秋、英国三田会の総会に参加した1999年法学部卒のAさん(40)は、その衝撃をこう振り返る。 「これほど人が集まるとは思っていませんでした」  当時、自身は仕事を1年間休み、エディンバラに留学中で、慶應出身の友人に誘われての参加。志木高から大学まで慶應で過ごし、同窓生と親しくしてきたが、三田会の結束力を目の当たりにしたのは初めてだった。  会話が弾むよう卒業年次順にテーブルはまとめられ、代表のあいさつや乾杯にはじまり、フルコース料理を堪能した。終盤には、東京─ロンドン間の往復航空券など豪華景品が当たるくじ引きも行われた。 「会の締めには、全員で肩を組んで『若き血』を歌いました。三田会のネットワークの強さを感じた瞬間でした」  慶應といえば、三田会。慶應の魅力に、卒業後の人脈を語る人は少なくない。  85年法学部卒で高校の教師をしているBさん(56)も、 「大学を離れてからも、困ったとき助けてくれたのは、塾員、塾生諸君でした」と振り返る。  大学院生時代は割のいい家庭教師や翻訳などのアルバイトをあっせんされ、社会に出てからは慶應出身の政経教師の勉強会に参加し刺激を受け、そのつながりは今も続くという。  早稲田にも稲門会という同窓生組織がある。 「稲門会は、三田会に負けていませんよ!」と息巻くのは、損害保険会社に勤める早大90年法学部卒のCさん(50)だ。  Cさんは在学中も卒業後も、母校に思い入れを感じたことはなかった。佐賀に単身赴任した40代になって、考えが変わった。稲門会に行ったのがきっかけだ。 「『ひとりで寂しいでしょう』と、家族のある同窓の部下に勧められて、食事会に参加するようになりました。佐賀といえば、創設者・大隈重信公の出身地。毎月命日に集まったり、稲門会員の文化人を招いたりと、非常に充実していました」  鳥栖市長夫妻から市政についての話を聞き、同窓生らと大隈公の墓に詣でた。もちろん、こちらも締めは歌だ。 「最後は校歌か『紺碧の空』を、肩を組んで歌う」  6年後、東京に戻ってから、意識的に同窓生とつながりを持つようになった。近年、年次稲門会も発足し、老後の生活を充実させるべく、イベントの企画も始めている。  ほかにも、「北京駐在時、稲門会に参加した。上下関係も大雑把で気楽に人脈をつくれた」(94年卒・法・男性)など、稲門会をたたえる声が多かった。  AERAネットは、9月下旬、早稲田と慶應の卒業生を中心にアンケートを実施した。寄せられた回答は、早稲田166、慶應95。それぞれが、母校の魅力や相手校の印象を回答した。  何かと比較される両校だが、両者が母校に抱く誇りと、互いに抱く感情を読み解いていこう。 ●バンカラ早稲田は健在  早大81年商学部卒のDさん(58)は、「早稲田は地方出身者が多く、教室でも方言が飛び交っていた」と当時を振り返る。  五木寛之氏の『青春の門』が大ヒット。自身も、主人公の伊吹信介が筑豊から上京し、早稲田に通う「自立篇」に共感し、貧乏生活にも憧れた。 「友人の狭い下宿に泊まったり、大学周辺の酒屋で立ち飲みしたり、雀荘で徹夜で麻雀したり。夜通し歩く本庄~早稲田100キロハイクでは、お互い悩みを話しながら歩きました」  いわゆるバンカラな校風は、脈々と受け継がれているようだ。 「先輩の下宿がぼろアパート」(早大90年卒・商・男性) 「飲み屋が小汚い居酒屋」(早大01年卒・二文・女性) 「馬場の飲み屋は死ぬほど安い」(早大現役・社学・男性)  校風は、寛容・寛大とする声が多く寄せられた。 「サークルの後輩に慶應の学生がいる。逆はないだろう」(早大89年卒・法・男性) 「留年したり卒業後無職になったりする人も多いが、なんだかんだ復活して社会で活躍している人が多い」(早大01年卒・一文・男性)という自由さも、魅力のひとつのようだ。 ●虐待されるワセジョ  早大の女子学生は、「ワセジョ」といわれる。女子たちは、本人たちですらやや自虐的に自らをカテゴライズする。  01年二文卒の女性が「ワセジョお断りのサークルがあった」といえば、14年政経卒の女性は「ワセジョお断りのインカレサークルが多数あった」と強調し、15年教育卒の女性は「ワセジョと名乗るだけで、恋愛対象から外され、飲み要員として扱われた」と嘆く。  なにしろ、ワセジョは逞(たくま)しい。 「長期休みの旅行先が他大の女子と違うことに、4年時に気づいた。周囲ではブラジルやペルー、ネパールやカンボジアなどが人気で、大学生女子の総意だと思っていた。慶應や上智の女子の行き先は、欧米オンリーだった」(早大05年卒・社学・女性) 「女子でもお酒をガブガブ飲む。ビール瓶や焼酎を手に、とにかく飲む。私も居酒屋のテーブルに立ってビール瓶片手に飲んでいた」(早大10年卒・商・女性)という申告もあれば、「神宮球場で、早稲田の女子学生が一升瓶をラッパ飲みしていた姿が忘れられない」(慶大90年卒・理工・男性)との声もある。  ワセジョを賛美する声も多い。 「サークル唯一のワセジョは、個性的かつ素晴らしいコミュニケーションスキルで、他大学の女子と仲良くなっていた」(早大87年卒・法・男性) 「慶應の女性が一番と思っていたが、妻と出会って見解が変わった。ワセジョは美しいひとが多く、聡明(そうめい)でサバサバしている」(慶大90年卒・経済・男性) ●勝ち組オーラの慶應  慶應生に対しては、世間のイメージどおり、「金持ちが多い」との証言が相次いだ。  財力は、車に表れる。 「とある授業のレポートを友人から求められ、レポート完成を連絡したら、ご一行がベンツ4台で取りに来た」(慶大09年卒・経済・男性) 「フェラーリでドライブに来た」(早大16年卒・政経・男性) 「先輩の慶大生の家の車がポルシェだった。嫉妬で涙が出た」(早大現役・政経・男性)  お金持ちはやっぱりモテる。 「早大生がダンスパーティーで女子大生を取り合っていたのに、慶應医学部のパーティーでは女子大生が積極的だった」(早大78年卒・政経・男性) 「友人が入学早々彼女をつくり、慶應の恐ろしさを思い知った。イケメンではなかったのに」(早大11年卒・基幹理工・男性) 「合コンで、女性陣の対応が早大生に対して雑だった。慶大生にはサークルやゼミの話を、目を輝かせながら聞いていた」(早大現役・政経・男性)という恨み節も。  もちろん、慶應にも庶民や苦学生はいる。お金持ち、遊び人とのイメージに、居心地の悪さを覚えた卒業生も少なくない。 「贅沢しているように勘違いされた」(慶大85年卒・法・男性) 「同性からいらぬ嫉妬を受けることが多かった。金持ちと思われ、おごらされることも」(慶大88年卒・文・男性)  社会に出ると、男女ともに「財界に顔がきく」「世渡り上手」といった意見が寄せられた。 「就活イベントでしゃしゃってくる黒縁眼鏡男子は慶應経済」(早大・法・女性)  という指摘も、就活重視の実利主義ゆえか。  早慶戦、とりわけ六大学野球のそれは、両校が火花を散らす象徴的な場だ。呼び方一つにも、両者の意識があらわれる。早大卒業生が、「慶早戦と呼ぶところが慶應」と突っかかれば、「早慶戦っていわれるとモヤモヤする」と慶應卒業生が返す。早稲田が、「神宮球場のスタンドには、圧倒的に早稲田が多い。慶應は冷淡」といえば、慶應は「応援中、現役生と卒業生の間に一体感が生まれる」と応じる。 ●実は仲良し?  アンケート結果によると、愛校心は、「大いにある」「多少はある」が早大で約95%、慶大で約93%を占めたが、相手校へのライバル心は、「大いにある」「多少はある」が早大で約74%、慶大では約49%に留まっている。慶大側は「意識していないよ」と言わんばかりだが……。  慶大法学部の現役生で慶應塾生新聞会代表の小林良輔さん(21)は、「サークル同士のつながりがあって、早慶は実は仲がいい。切磋琢磨する関係かな。対抗意識をつくりだして、楽しんでいるきらいがある」という。  慶大85年法学部卒のEさんは、学生時代の体験談をこう明かす。 「早慶戦後、仲間と銀座に繰り出し『若き血』を歌いながら歩いていたら、黒塗りの高級車が通りかかり、窓から老紳士が顔を出したんです。勝敗を問われ、『勝ちました!』と答えると、1万円札を差し出し、『これで祝杯をあげてくれ』と言い残して去っていきました」  慶大03年文学部卒の女性は、笑みを含んでこう言った。 「雑誌で早慶のランキングがあれば、ウチが上かを確認します。どんな試合も、10年負け続けも10年勝ちっぱなしも、最高につまらない。早稲田にはいつまでも好敵手であってほしい」 (編集部・熊澤志保) ※AERA 2016年10月17日増大号
AERA 2016/10/16 16:00
ワタミが売却した老人ホームは今どうなっているのか
ワタミが売却した老人ホームは今どうなっているのか
有料老人ホームなどのブランド名はワタミ時代の「レストヴィラ」から「SOMPOケア ラヴィーレ」に変更した えんどう・けん1954年3月生まれ、1976年3月早稲田大学政治経済学部卒。同年4月安田火災海上保険入社、2004年損害保険ジャパン(合併による社名変更)執行役員、07年常務執行役員、10年専務執行役員、11年ジャパン保険サービス(現・損保ジャパン日本興亜保険サービス)代表取締役社長、15年4月損保ジャパン日本興亜サービス代表取締役会長などを経て、15年12月SOMPOケアネクスト代表取締役社長に就任(撮影/Takeshi Yamamoto) 「本格的な研修施設をつくり、研修に力を入れている」という SOMPOケアが運営する有料老人ホーム内のカフェ 「ワタミの介護」を買収時、「職員の処遇改善」を掲げていたが、どこまで改善できるのか  SOMPOケアホールディングスは、昨年(2015年)12月1日付けで、大手居酒屋チェーンであるワタミから介護事業の子会社「ワタミの介護」を買収・子会社化して、「SOMPOケアネクスト」に社名変更。旧「ワタミの介護」が運営してきた有料老人ホームなどのブランド名も「レストヴィラ」から「SOMPOケア ラヴィーレ」に変更した。買収から約10ヵ月が経過した現在、経営を引き継いだ有料老人ホームの運営の課題や今後の展開などについて、SOMPOケアネクストの遠藤健社長に聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 山本猛嗣) ●「人がすべての業界」と痛感 社員教育の充実とICTの導入 ――「ワタミの介護」の時代、親会社のワタミが「ブラック企業」として週刊誌などからバッシングされたほか、運営する有料老人ホームでも入居者の入浴中の溺死事故などが起こり、訴訟が発生しました。このため、ブランドは失墜し、経営が悪化していました。経営改善のためにどんなことに着手しているのですか。  私自身、社長就任後、まずは現場を見ようと思い、有料老人ホームやデイサービスなどのすべて施設、約130ヵ所を回り、ホーム長や介護スタッフ、看護師らと面談しました。もちろん、ホームに入居されている利用者の方々にも挨拶し、いろいろとお話を伺いました。  約10ヵ月経過して、介護事業は非常に奥深いと感じました。現在、約7100人の従業員がいますが、従業員は入居者や利用者の方々とは切れることがなく、ほぼ24時間365日、ほとんONとOFFのない世界で働いている。正社員もパート社員も基本的には同じ作業をしています。つくづく重要なのは、人であり、人がすべての業界だと痛感しました。  そこで、まず、取り組むべきと思ったことが、「社員の教育」。次に、「ICT(情報通信技術)の積極的な導入」、そして「地域との交流・連携」の3点です。  実は、各ホームの職員らにヒアリングした際、「もっと体系的で均質な教育をしてほしい」という声が多かった。介護の方法は、各ホームによって異なることが多く、職員独自の「俺流」で行われていることも多い。良い方法があるならば、特定のホームだけでなく、すべてのホームで標準化した方がいいに決まっています。  そこで、今年4月に東京・芝浦に「ネクストステップセンター」という本格的な研修施設をつくりました。約150坪の施設内には、有料老人ホームを再現した居室が3部屋、浴室が3部屋あり、現在、フル稼働で、これまで約5300人が研修を受講しています。4月からは中途採用や新卒の新入社員の教育も行ってきました。年に社員1人当たり平均2回は研修を行う予定です。 ――ICTとは、居室や浴室などで事故を防ぐための「見守りシステム」などを設置するということでしょうか。 「ICTの導入」については、我々は安全性だけでなく、生産性と効率性を高めるためにも導入したいと考えています。  その代表的なものが排泄ケアへの応用です。超音波センサーで膀胱内の尿量の変化を検知することにより、排尿パターンを把握できます。そうすれば、夜間の排泄ケアの効率化のみならず、「介護の質」の向上にも役立ちます。  排泄ケアのセンサーについては、上半期は実験的に行って来ました。今後、本格的に展開し、今年度中にはすべてのホームに導入する予定です。この分野は日進月歩です。いち早く導入して、経験を積んでいきたいと思います。  またワタミ時代は、地域とのつながりもあまり強くなかった。地域の病院や自治体との連携を高め、地元の人たちが出入りするようなホームを目指し、透明性も高めていきたい。 ●「生活リハビリ」の視点を強化 入居者の自立支援を促す ――「ワタミの介護」の子会社化による職員や入居者の反応はいかがでしたか。  懸念していた職員の退職などはありませんでした。入居者からも損保ジャパンの子会社となったことで、「経営が安定する」と評価していただける声が多かったので、ホッとしています。入居希望の見学者からも経営の安定面からは好意的に評価されているようです。 ――有料老人ホームの運営について、「ワタミの介護」から意識的に変えた点は何ですか  ワタミ時代はどちらといえば、ホテルライフのような「おもてなし」を重視していた傾向がありましたが、我々はむしろ「生活リハビリ」の視点を強化しています。  つまり、ホームでの暮らしを通じて、少しでも入居者の自立支援を促すものです。歩けない方には歩けるようになっていただく、寝たきりの方には少しでも改善していただく狙いがあります。このため、10月1日付けで本社には「生活リハビリ推進課」を設置しました。介護専門の理学療法士や認知症対応の専門家など10人ほどのチームで、各ホームの指導を行う予定です。  また、「VOG(ボイス・オブ・現場)」というキャッチフレーズのもと、現場の職員や入居者の声がストレートに経営層に届くように仕組みを改善しました。そして、ホーム長や地域のホームのまとめ役の「統括」への権限委譲を進めました。  ちなみに、ワタミの時代から「食」については、力を入れ、こだわりを持っていました。最近の大手有料老人ホームでは、チルド配送による食事が多く、キッチンスタッフがホームに常駐して食事をつくるのは、大手チェーンの有料老人ホームでは珍しいと思います。キッチンスタッフは介護の研修も受けており、オープンキッチンで入居者の顔色を見て、コミュニケーションを取りながら調理しています。きちんとした食事は、認知症予防にもなります。このように良い点はそのまま残しています。 ●ワタミ時代に沈んだ入居率 今年度中には80%台に回復させる ――肝心な有料老人ホームの入居率ですが、ワタミ時代に入居率は70%台まで落ち込んでいました。通常、有料老人ホームが健全に経営されるには、85%程度は必要と言われます。入居率は回復しているでしょうか。  ワタミ時代、一時期は73%まで落ち込みましたが、現在は76%まで回復しています。今年度中には80%台に回復させる予定です(目標82%)。今後の3ヵ年計画では、90%以上を目標としています。  会社の業績も今年度は赤字ですが、来年度には単年度黒字を見込んでいます。 ――「人が重要」と言われる介護業界ですが、仕事が大変な割には低賃金であり、職員の処遇や慢性的な人手不足が問題となっています。退職金制度のある介護会社もほとんどないのが実情です。SOMPOホールディングス(当時は損保ジャパン日本興亜HD)がワタミの介護を子会社化した際、「職員の処遇改善」を掲げていました。  SOMPOブランドの向上のためにも、手当て、キャリアパスの改善など長く働いてもらう仕組みについて、業界内で率先して取り組みたいと思っています。退職金制度については、現在の弊社にはありませんが、今後、検討していきます。  介護福祉士の比率は各ホームの加算(介護報酬制度による収入)にも影響するので、増やしていきたい。現在、35%だが、近いうちに5~6割まで増やしたい。正社員の比率も現在(9月1日時点)の45%から今年度中に53%(2016年度目標)まで高めるつもりです。  人材確保については、ワタミ時代に募集した2016年4月入社の新入社員はわずか19人でした。17年4月に入社予定の内々定者は約80人となっています。毎月採用している中途採用者は60~70人と比較的順調に推移しています。  また、SOMPOグループとなって、通信教育や団体保険、レジャー施設の利用などの福利厚生制度の面では手厚くなりました。
シニア介護を考える
ダイヤモンド・オンライン 2016/10/11 00:00
Sansanサービスの導入社数を飛躍させた立役者に聞いた「成功の法則」
福井洋平 福井洋平
Sansanサービスの導入社数を飛躍させた立役者に聞いた「成功の法則」
どんどん増えるSansan導入社数(写真:Sansan提供) 芳賀諭史(はが・さとし)/大手総合人材サービス会社で約10年間、人事業務に従事したのち転職。中央官庁受注時は全社朝会でドラが鳴った(写真:Sansan提供)  上からはプレッシャー。下からは突き上げ。両方にさらされる存在が「課長」だ。日本経済が停滞する中、労働環境の厳しさも増している。それでも結果を出さねばならない。「課長」が大切にする基本とは。  クラウド上で名刺データを管理するサービス「Sansan」を法人、個人向けに「Eight」を提供するSansan(本社・東京)。俳優・松重豊がCMで「それさぁ、早く言ってよ~」と嘆く、あれだ。  エンタープライズ営業部シニアマネジャーの芳賀諭史(はがさとし)さん(37)は、このサービスの導入社数を飛躍させた立役者の一人だ。 ●会社史上最大の案件  週末、課のメンバーを集めた「オフサイトミーティング」でこんなクイズを始めた。 「このメンバーの中に、バスケットボール年代別代表に選ばれた人がいます。誰でしょう?」  普段とは違う場所で開いた、特別な会議。事前に聞き出しておいたメンバーのプロフィルをクイズ形式で共有し、親睦を深めるのが狙いだ。  何のためにこんなことをしたのかは後述するとして、2013年に大手の総合人材サービス会社から「よりベンチャー気質の会社で仕事がしたい」と、Sansanに転職。営業担当になった。営業の経験はほとんどなかった。一から勉強しようと、ハウツー本を積み上げて読んだり、ユーザーが出展する展示会に足を運んで、Sansanが使われる現場を見て直接サポートしたりした。 「相手が製品を使うシーンを想像できるようなセールストークができるようになりました」  新しいことに取り組む前は「基本」に返ること。それが芳賀さんの成功の法則だ。当時は、営業職に求められる基本を学び、それを徹底した。身だしなみは清潔にして第一印象をよくする。メールには少々事務的でもなるべく早く返信する。夜の接待は得意ではないが、そのぶん「新たな提案書を作ってみました」「こういう使い方はどうでしょうか」と営業先の担当者に繰り返し働きかけて、人間関係を築いた。  入社して約1年で、07年の会社創業以来初という1部上場企業の大型案件受注に成功した。 「それまでは月100万円以上の受注はなかったのですが、これは月140万円近い額となりました」  契約にはまだ遠いとみられていて、未経験者の芳賀さんに担当が回ってきたことがきっかけだったと振り返る。 「費用対効果はどうか」 「クラウドサービスのセキュリティーは信頼できるのか」  稟議(りんぎ)が上がっていくたびに、先方の担当者から指摘が飛んできたが、自社の法務部門や開発部門にも頻繁に足を運んで解決法を探り、契約にこぎつけた。 「営業先の要求と社内でできる範囲が離れていても、なんとかできる可能性を探りたい、と思って進めました」(芳賀さん)  他の部署に面倒な手続きが発生する場合は、手順書を整理して渡し、説得する。そういった仕事を着実にこなし、15年には中央官庁との契約に成功。中央官庁が導入したことで、Sansanのサービスに対する信頼度は大きく向上した。 ●マネジャーに転換中  半年前、シニアマネジャーとして部下を率いる立場に昇格。プレーヤーとしてのスキルはあっても、前職も含めてマネジメントの経験はなかった。 「正直、会社ではプレーヤーとして結果を出すことがすべてと思っていました」  再び「基本」に立ち返った。開いたのはドラッカーの名言を集めた『仕事の哲学』。 <組織内の摩擦は、相手の仕事、仕事のやり方、重視していること、目指していることを知らないことに起因する>  その指摘への答えが、冒頭のオフサイトミーティングだった。 「部下には男性も女性もいるし、全員に『飲みに行こうか?』と誘うのも難しい。そんなメンバー同士が打ち解けるイベントはどうすればいいか考えて、このスタイルを思いつきました」  プレーヤーからマネジャーへ。難しいシフトチェンジ実現にも、やはり「基本を忠実に実行すること」だと芳賀さん。  一昨年に結婚し、今年長女が誕生した。独身から夫、父へのシフトチェンジも敢行中だ。 「やっぱり育児書をたくさん買い込んで研究しています」  と、妻の明恵さん(35)は笑う。 (編集部・福井洋平) ※AERA 2016年10月10日号
仕事
AERA 2016/10/05 16:00
gm、らぶりつ…32歳男性記者が進化する“若者言葉”に戸惑いっぱなし!
gm、らぶりつ…32歳男性記者が進化する“若者言葉”に戸惑いっぱなし!
SNS用語辞典あ~か行 SNS用語辞典か~は行 SNS用語辞典は~わ行  ネットにあふれる言葉がわからない──。中高年から最近、こんなボヤキが聞かれるようになった。そんな人のために、今回、編集部では「若者ことば辞典」を作ることに。言葉は生き物。世相も反映する。言葉から若い世代に歩み寄り、心の若返りをはかろう。 *  *  *  今回、辞典作成の任務を託された編集部の若手記者(男性・32歳)の自信は早々に打ち砕かれた。若者のツイッターをのぞいてみると……。 「ほーんとに講義お暇。まじメンディー。しかもバイトシフト明日提出とかなえぽよフィーバーのポヨポヨピーナッツなんすけど。ワンチャン居眠りして家まで秒で帰るわ。」  ポヨポヨピーナッツ!? わ、わからん……。  ツイッターやLINEなどコミュニケーション手段の多様化によって、若者の言葉は“進化”している。子や孫が使う言葉がよくわからないという読者は多いのではないか。そんな読者のために、編集部では、ネット上やSNSを中心に使われる若者の言葉を理解するための「基礎語彙表」を作成した。しかも、難易度別、採点表付きだ。  ただ、言葉は使いこなせないと意味がない。作成した記者も完全マスターすべく、基礎語彙表を携え、若者文化を発信する街、渋谷センター街へ。SNSネイティブをつかまえて、知識をブラッシュアップしようと思ったのだ。  仕事とはいえ、“イケイケ”の若い子に声をかけるのは、かなり勇気がいる。いかにもサラリーマン然とした記者は浮いて、あやしいキャッチかナンパに思われているよう。誰も目を合わせてくれない……。  おやじ狩りにおびえながら粘ること、3時間。 「こんな時間まで仕事して大変ですね」  夜8時、同情してくれる女の子が2人現れた。まさに神!(注:驚き感心するときに使われる接頭語)。はなちゃん(18)と、つるちゃん(23)という原宿系の女の子で、充電ができる場所でお茶をおごることを条件に協力してくれた。はなちゃんは基礎語彙表を見て、さっそくツッコミ。 「『あーね』は言わないですね。古い古い(笑)」  最新の言葉だと思っていたのに……。記者として情報収集能力の低さを指摘されたようで落ち込む。 「今は『あーね、り』です。『あーなるほど、了解』のことを言うんです。ノリで使う感じですね」(はな)  な、なるほど。使い方の問題か。間髪入れずに次のツッコミがくる。リストの中に「gm」(注:「おはよう=Good Morning」の略語)を見つけて、はなちゃんは言う。 「gmは、大文字のGMじゃなくて必ず小文字にする。おしゃれな感じで使わないと」  ごめんなさい。言っている意味がわからない。 「gがかわいいから、オシャレなんですよ。GMはダサい」(同)  字の形の丸い感じがかわいいのだという。全く共感できなかったが、「わかります、わかります。なんとなく」と調子を合わせた。今度はつるちゃんが言う。 「『らぶりつ』(注:ツイッターで「いいね!」と「リツイート」をしてほしいときに使う用語)は、高校生がツイッターとかで使ってる。『らぶりつください』って。いま、ドクモもどきみたいな子が多いから」  え、ドクモ?  聞き慣れぬ言葉に、おずおずと「『DOCOMO』もどき?」と聞き直す。 「ドクモになりたい子たちが多いから」(つる)  それでも理解できず「毒も?」と聞くと、 「読者モデル!」(はな) 「もう何年も前の言葉ですよ~」(つる)  とあきれられる始末。雑誌の読者モデルになりたい子が、自分のPRのためにリツイート(相手の発言のコピーを拡散する行為)をお願いすることが多いそう。 最後に、冒頭の「ポヨポヨピーナッツ」はどういう意味か聞いてみた。笑いをこらえながら、はなちゃんが教えてくれた。 「わけのわからないことを遊びでつぶやく感じで、意味はないですよ。訳すと、『本当に講義が暇。マジで面倒くさい。バイトのシフトを明日提出するの、すごく気持ちがなえる。ちょっと居眠りして、すぐ家に帰るわ』です」  さすが、完璧な翻訳。  別れ際、連絡先を教えてもらい、参考までに親とのLINEのやりとりを画像で送ってほしいとお願いした。もちろん、ナンパ目的ではありません。  その後、「これでどうですか」と画像が送られてきたので、返信で腕試し。 「おけまる(顔文字)」(記者) 「おけまる!笑 宜しくお願い致します!!」(はな)  違和感なし。ちなみに親ともこんな言葉を使っているのか尋ねると、 「『り』とか『りょ』はママも使いますよ。『いま電車のったー』とかLINE送ったら、ママが『りょ』とか。初めてそれが来たときはなんかかわいくてニヤニヤしました」(同)  とのこと。親が娘と良好な関係を築くのに一役買っているようだ。  言葉はお互いを理解するためのツール。基礎語彙表を熟読すれば、若者たちの感性を理解でき、歩み寄れるはず。18歳とちょっと距離が縮まったと思ったのは、記者の勘違いではない、と信じたい。 ※週刊朝日 2016年10月7日号
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週刊朝日 2016/10/03 07:00
それでも医師になる 現役545人アンケートで見えた格差
熊澤志保 熊澤志保
それでも医師になる 現役545人アンケートで見えた格差
医師だって人間だけど、普通のひとでは務まらない。命を左右する職業に私たちは、どうやって報いるべきなのだろうか(撮影/写真部・松永卓也) 医学の道は日進月歩。どんどん進化する薬や器具に、医師はついていかなければならない。生涯、学び続けなければならない過酷な職業だ(撮影/写真部・松永卓也) 年収、一日の勤務時間は? 現役医師に聞いた「医師の本音」 現役医師がみるこれから厳しくなる科、将来性のある科  年収1千万円、2千万円は当たり前。病院を白衣で闊歩し、先生と呼ばれ、地位も名誉も保証された夢の職業、医師。しかしその声を集めると、専門科ごとに少なからぬ格差があった。  度を超えたハードワークだ。毎朝8時に病院に出勤し、患者の診断や治療法について話し合う「カンファレンス」に備える。日中は診療や手術に追われ、夜は会議や自身の研究、論文執筆、学生の指導にあてる。退勤時間は午前2時。平日の4日間、一日18時間労働をこなしている。残る平日の1日と土曜の午前は、外勤として違う病院で働き、休日は土曜午後と日曜日のみ。  これが、東京都内にある有名私立大学病院の外科に勤めるAさん(40代・男性)の日常だ。准教授という役職にあるが、正規の月間給与は額面で約45万円にすぎない。  正規の給与を、一般に「アルバイト」と呼ばれるほかの病院での外勤で補う。1コマ半日勤務で5万円、週に3コマをこなせば、15万円ほどの収入になる。 「学会や勉強会があれば、外勤には行けません。外勤で月に40万~50万円入ればいいほうです」  現在の年収は1400万円程度。世間から見れば十分な高収入だが、医師の年収からすると、決して高い額ではない。しかも、これだけの重労働を続けてだ。  少子高齢化や医療制度の変革を受け、医療界は揺れている。医師たちは今、何を考え、どのように働いているのか。AERAは9月初め、医師専用コミュニティーサイト「MedPeer(メドピア)」の協力のもと、現役医師にアンケートを実施し、医師の実態を探った。回答を寄せたのは、20代から60代までの全国の現役医師545人。30代から50代がボリュームゾーンだ。 ●半数は「収入に満足」  今回のアンケートによると、開業医、勤務医とも年収1500万円以上が半数を超える。 「給与が安すぎる」(30代・内科・勤務医)、「経営不振で常に恐怖」(50代・眼科・開業医)という声もあるが、半数近くが現在の収入に「ある程度満足している」「満足している」と答えた。  もちろん、内容は一様ではない。勤務医と開業医で比較すると、よく言われるように、勤務医より開業医が高い傾向にあった。年収2千万円以上の割合は勤務医が21%なのに対し、開業医は34%を占める。  専門科による差もある。勤務医の中で比較すると、年収1500万円以上の割合は産婦人科では6割超、外科でも6割近くを占めるが、眼科では3割に満たない。  また、全体でみると、収入1千万円未満の医師も全体の18%、600万円以下も5%いる。  前出のAさんは、今回のアンケート結果から考えれば、平均収入以下ということになる。では、医師としての実績に乏しいかというと反対で、専門分野の臨床と研究の最先端に立っている。腹腔鏡技術を用いた手術も多数行うなど、日本でトップクラスの実力を持つ医師の一人だ。  積んだキャリアに後悔はない。「専門分野は一通りこなせるので、自分の腕でいつでもどこへでも行ける」との自負もある。ただ、実績や地位とかけ離れた形で収入が決まる現状には、不満だ。 「はやっている開業医ならいざ知らず、勤務医は2千万円稼げればいいほう。特に、大学病院の給与は総じて高くない。私大病院が国立大学病院より安い理由は、経営を考えねばならず、人件費が削りやすいからでしょう。労働時間と社会貢献度を考えれば、正直、5千万円は欲しいところ」(Aさん) ●病院はコンビニじゃない  日本の医療システムの構造そのものに、問題意識を持つ医師も少なくない。  研修1年目のBさん(25・男性)もその一人だ。 「日本の医療は、医療従事者の責任感と我慢で成り立っていると思います」  Bさんは、研修先の救急科で救命のため奮闘する医師たちの姿に感銘を受け、将来は地元に帰り、救急医療に尽くしたいと考えている。一方で、医師たちの労力や医療費が無駄に費やされる現場も何度も目にした。 「深夜、泥酔して病院にやってきて検査を要求する患者も、救急車をタクシー代わりに使っている患者もいました。コンビニのように、24時間望む医療を受けられて当たり前、医師がそこにいて当たり前、という患者側の意識には疑問も感じます」  長時間労働が常態化しているため、人生設計もままならない。「子育てとの両立は難しい」(20代・皮膚科・男性)という意見も多数寄せられた。  現在、産休を取得している内科医のCさん(43・女性)は、妊娠のハードルの高さを実感した。生理不順に悩んでいた後輩から、相談されたことがある。 「排卵日が近いので、早く帰っていいですか」  Cさんは快諾した。 「翌日、彼女から外科医の夫が帰ってこなかったと聞きました。『子どもがいるから帰ります』ならまだしも、『子づくりしたいから早く帰る』は、仕事が仕事なだけに、言いづらいですよね」(Cさん)  自身はつわりの時期に吐きながら診察し、出張もこなした。5月に第1子を出産し、復帰後はフルタイムで働くつもりだ。 「実家に近い都心で、託児所を併設しているか、子育て支援の環境が整っている病院を探すつもりです」(同)  今回のアンケートでも、多くの医師が自由回答に「忙しすぎる」と訴えた。「医師は肉体労働者」との声も複数あがった。 「漆黒に限りなく近い職種」(30代・病理・勤務医)、「生活の質は相当悪い」(50代・小児科・勤務医)という意見もある。  勤務医の一日当たりの勤務時間は8時間以上が8割、10時間以上が3割を占める。診療科別にみると、産婦人科が最も勤務時間が長く、10時間以上が4割超を占める一方、眼科では2割に満たない。 「自分や家族の時間より仕事を優先することを当たり前に求められる」(30代・内科・勤務医)に代表されるように、人命を預かる責任感からだろうか。「カネじゃない、やりがいだ」(50代・内科・勤務医)、「寿命を削ってやっている」(30代・産婦人科・勤務医)など、真摯な意見も目立つ。 ●「時間なので帰ります」  責任感ゆえにハードワークが続く就労環境は、万人にとって持続可能であるはずがない。医師の中にも、仕事は仕事と割り切り、私生活を優先する層も増えている。  山陽地方の大学病院に勤める血液内科医のDさん(42・女性)は、こんな体験を何度もした。  退勤時間が近づいていたが、患者の容体が安定していない。Dさんが、帰ろうとしている後輩の若い担当医に声をかけると、予想もしない返事が返ってきた。 「ぼくは一度診ました。時間なので、帰ります」  担当医なら残って様子を見るのが当然と考え、Dさん自身もそうしてきた。朝7時に出勤し、退勤は日付をまたぐことがほとんど。「この医師には当直を任せられない」と、自ら残業を買って出たこともある。 「人の体は、予定表通りには動かないものなのに」と、Dさんは嘆く。  医師たちの意識の変化を、医師のためのキャリアコンサルタントの中村正志さんも感じ取っている。 「どの業界も同じでしょうが、忙しくなく、ワーク・ライフ・バランスを取れる科や病院に行きたいという若年層の相談が目立ちます。熱量の低い医師が増えたという印象があります」 ●しがらみ離れ待遇改善  これまで医師たちは、学んだ大学の医局を中心にキャリアを積んでいくのが一般的だった。医局から様々な関連病院に派遣され、医局のあっせんする外勤をこなす。就業先が豊富で、キャリアを築きやすいというメリットもあるが、上下関係など閉鎖的な側面もあり、医師の負担は重くなりがちだ。  経験を積んだ後、医局を離れる決断をしたのは、認定内科医の資格を持つEさん(38・女性)だ。今春、所属していた都内の私大病院の医局を抜け、民間病院に移った。  これまで、医局の関連病院を都市部、地方と2、3年ごとにまわっていた。体力の限界を感じるようになったのはここ数年。朝から翌日の夕方までの当直勤務がつらかった。 「年下の医師が離職しないよう大切に育成される一方で、自分のような中堅にしわ寄せが来ているとも思いました。円満に転籍できるよう、半年前から調整しました」(Eさん)  民間病院に転籍すると、ワーク・ライフ・バランスは大幅に改善した。 「いまの病院は、9時5時の常勤で当番制。患者の急変時に病院に呼ばれるオンコールもなく、当直はすべて外勤の医師が行ってくれます」(同)  しかも、年収は200万~300万円ほど上がったという。  中村さんによると、Eさんのようなキャリア構成のルートは珍しくないという。 「開業しないなら、卒業後10年ほどを目安に、医局に残って教授を目指すか、条件のよい民間病院に転籍するかを決めることになる。女性のほうが早く決断する傾向にあるようです」  最初から医局に頼らず、地方への赴任を選択した医師もいる。  血液内科の森甚一医師(35)は、大学卒業後、出身大学の医局に入らず、当時学生間で人気だった都立病院で初期研修と後期研修を受けた。その後、自分で東京大学大学院を受験した。  研究漬けの大学院生活の傍ら、知人に紹介された福島県いわき市へ外勤に通った。「人口あたりの勤務医数が少ない市町村のひとつで、80歳過ぎの医師が当直している現場もあった」(森医師)という。  大学院を修了するとき、外勤先のときわ会常磐病院に誘われ、常勤医になった。着任以来、患者は引きも切らずやってきて、地方の専門医療の必要性を痛感した。  いわき市で働く週5日は、帰宅すれば論文を書くなど、仕事漬けなのは東京勤務のころと変わらない。週末は東京の自宅で家族と過ごすが、子どもが寝付けば文献を読み、学会にも参加している。収入は以前の1.5倍程度になった。 「東京は医師が多く、若い医師も都市部に行きたがるから、自分の代わりはいくらでもいる。ところが、少し地方に行けば、どこも慢性的に人手不足で需要があり、医師の待遇を整えてくれる病院もある。今は、いわき市で新しい科の立ち上げに全力を尽くします。結局、働くことが好きなんでしょうね(笑)」(同) ●不安が増す外科医  変わるのは、医師の意識だけではない。世界の中でも著しく進む少子高齢化が、患者の数や病気の内容といった外部環境を大きく変えることが予想される。いま経営が「安泰」の診療科がずっとそのまま、とは限らない。  アンケートでは、今後経営が厳しくなると予想する診療科も尋ねた。  ワースト1位は産婦人科だ。出生数減少によって、患者の絶対数が減ることや、医師1人当たりの訴訟件数が整形外科と並んでトップクラスという訴訟リスクを理由に挙げる医師が多かった。分娩は時間をコントロールしづらいため、時間外の呼び出しも多く、医師の負担自体も大きい。 「労働環境が医療界でも際立って過酷」(30代・男性・勤務医) 「不眠不休の科は敬遠されるでしょう」(40代・男性・開業医) 「言葉を選ばずにいえば、3K(きつい・汚い・危険)」(40代・女性・勤務医)  ワースト2位は小児科。少子化に加え、モンスターペアレントを懸念する声が多かった。 「不況により、教育レベルに問題のある親も増えている」(40代・男性・勤務医) 「手間がかかるのにもうからない」「夜間対応が大変」といった声も寄せられた。  ワースト3位は外科。かつては花形だったが、志望者が激減している診療科だ。 「諸外国に比べて、手技の対価が極端に安価」(40代・男性・開業医)、「患者が大病院に偏る」(60代・男性・勤務医)、「ロボット技術の発達により、仕事がなくなる」(40代・男性・勤務医)といった意見があがった。  ワースト4位の内科は、医師数がもっとも多い診療科だ。総数は10万人を超える。各学会ごとの認定から「日本専門医機構」による認定へ移行が準備されている「新専門医制度」の影響を大きく受けると予想されることや、「団塊の世代がいなくなれば(医師が)余る」(60代・男性・勤務医)といった声が寄せられた。  将来性に期待できる科はどこなのか。 ●将来性ある科は「なし」  アンケートでは「なし」が133人でまさかのトップで、2位の内科の3倍以上と、大きく引き離した。「人口減が進み医師数過剰の時代がくる」など、今後医療業界が厳しくなると考える医師が多いようだ。  2位の内科は高齢化と、急増する地域での看取りのニーズが背景にある。「薬漬け、検査漬けでどんどん稼げる。心臓カテーテルを行う循環器内科は大変だと思うが、普通の内科はウハウハ」(50代・男性・勤務医)といった冗談とも本音ともつかぬ声も。  続くのは整形外科、老齢医療で、現場の医師らが高齢社会を強く意識していることがわかる。  国の医療費抑制政策などもあり、医師という職業に不透明な部分があるのは事実だ。 「金持ちになりたいなら、他の職業を勧める」(30代・男性・勤務医)、「昔ほどうまみのある職業ではない」(40代・男性・勤務医)と、シビアな視点の医師もいる一方で、医師を志望する若い世代に、こう助言する医師も多かった。 「人の命と人生を預かる仕事。覚悟を持ってきてほしい」(30代・男性・勤務医) (編集部・熊澤志保) ※AERA 2016年10月3日号
医療
AERA 2016/10/01 16:00
デーブ大久保に角盈男…元プロ野球選手と話せる“野球酒場”
デーブ大久保に角盈男…元プロ野球選手と話せる“野球酒場”
角盈男(すみ・みつお)/1956年、鳥取県生まれ。投手。77年、巨人入団、78年に新人王獲得、81年、最優秀救援投手に。89年日本ハム、92年ヤクルトに移籍。92年に現役引退。「昭和歌謡曲バー『m-129』でお待ちしています」(撮影/植田真紗美) デーブ大久保(大久保博元/おおくぼ・ひろもと)/1967年、茨城県生まれ。捕手。85年、西武入団、92年に巨人に移籍、同年前半戦で12本塁打を打ち活躍する。95年、ケガで現役引退。2015年、楽天の監督に。同シーズン終了後退任(撮影/写真部・加藤夏子) 「あのプレーはよかった」「あのとき、あと1本が出ていれば……」。そんな野球談議が元プロ野球選手とできる、夢のような酒場を紹介する。 「現役時代は、食べることも仕事のようでしたね。各地の遠征で食べたうまいものを集めてお店に出しています。どこのお店にも負けないですよ」とは2016年3月に東京・新橋に居酒屋「肉蔵でーぶ」をオープンした前楽天監督のデーブ大久保さん。現役時代は西武や巨人でバッターとして活躍。現在はバットを包丁に持ち替えて腕を振るう。  プロ野球選手は、現役引退後に第二の人生として居酒屋などの飲食店を営むことが多い。どのお店もオーナーである元プロ野球選手たちのお眼鏡にかなった逸品を出しているので、味も折り紙つき。 「実は、フォークボールは投げられないんだよね〜」とか、「負けると、その日は全く寝られなくなる!」など、おいしい料理やお酒をいただきながら、今だから話せる現役時代のエピソードなどの話が聞けるのは、まさに珠玉の時間。  セ・リーグは広島の25年ぶりの優勝で盛り上がり、ペナントレースは終盤を迎えている。だが「プロ野球酒場」は、まだまだ熱いシーズンが続く。 ■昭和歌謡曲バー「m‐129」(角盈男さんのお店) 東京都渋谷区恵比寿南1‐1‐3マツダイビル2F/営業時間/19:00~24:00(L.O.)/定休日:日・祝/本人がいる時間帯 20:00~24:00 角盈男さんがマスターを務めるこのバーは、扉を開けると懐かしいお店に迷い込んだよう。店内には昭和歌謡曲が心地よく流れている。「お客さんのお話や年齢から、僕が曲を選んでいます。常連になればリクエストにもお応えしますよ(笑)」(角さん)。お店の雰囲気に反して音響は最新で最高のものを装備している ■かねいし(金石昭人さんのお店) 東京都品川区上大崎1‐1‐14トーカン白金キャステール2F/営業日:11:30~13:30、17:30~23:00(日祝は夜のみ)/定休日:月/本人がいる時間帯:18:00~19:00 「昔から寿司が好きでね。行きつけの店の大将が辞めちゃったのが、私が飲食店を始めようと思っていた時と一緒だったので、じゃあ一緒にやろうよ、と」(金石さん)。99年11月に開店した寿司屋は大成功。麻布十番に鉄板焼き店も2店開いた。本人は連日3軒に顔を出している ■肉蔵でーぶ(デーブ大久保[大久保博元]のお店) 東京都港区新橋3‐3‐7 信友ビル1F/営業日:11:00~14:00、17:00~23:00(L.O.)(土は夜のみ)/定休日:日・祝/本人がいる時間帯 18:00~23:00 博多の屋台を模した居酒屋部とカウンター部からなる約12坪の店内はデーブさんの夢の世界。「肉は板橋の高級ステーキ店に紹介してもらったところから仕入れています。開店の際、いろんな名店の秘伝のレシピをこっそり教えてもらったから、味には自信あります」(デーブさん) ■海鮮山(小松辰雄さんのお店) 愛知県名古屋市中区錦3‐18‐13アミューズ錦2F/営業日:月~金/17:30~25:00(L.O.24:00)土/17:30~24:00(L.O.23:00)/定休日:日・祝/本人がいる時間帯 18:00~23:00 「僕の地元・能登料理を中心に出しています。名古屋でもウチでしか食べられない逸品ばかりですよ」(小松さん)。能登料理の名店として有名で、元中日の小松さんのお店とは知らずに訪れる人も多いとか。「あっ! 小松だ!と驚かれるけど、楽しそうな姿を見るのは幸せですね」 ※週刊朝日  2016年10月7日号
週刊朝日 2016/10/01 11:30
2035年正社員が消える…20年後の「働き方大革命」報告書
2035年正社員が消える…20年後の「働き方大革命」報告書
9月2日、「働き方改革実現推進室」の看板をかける安倍晋三首相と加藤勝信1億総活躍担当相 (c)朝日新聞社  AI(人工知能)やロボットとの共存が当たり前になる20年後、日本の会社から正社員は消えている──。衝撃的な未来を予測した厚生労働省の報告書「働き方の未来2035」が注目されている。企業が続々と副業や兼業、在宅勤務を解禁するその先に何があるのか? 【2016年50歳→2035年69歳 女性】 《50過ぎまでは、会社で経理を担当していました。でも、経理業務はどんどんAIに代替されていきました。15年ほど前に転職し、いまは地域の病院に勤めながらカウンセラーの資格も取得しました。私の仕事は、AIを使った問診のお手伝いです。患者さんは不安で「すぐ治りますよ」と声をかけるだけで気持ちの支えになり、人間にしかできない仕事です》 【2016年36歳→2035年55歳 男性】 《自動車メーカーA社に勤めていました。自動運転技術が出はじめたころ、職場の仲間数人で「自動運転の警備巡回マシンをつくろう」と盛り上がり、本業のかたわら開発に打ち込みました。製品化して会社を立ち上げましたが、収益化には時間がかかりそうだったので、週の半分はA社に勤務し、残りの半分で自分たちの会社を経営していました。3年ほど経ったころからビジネスが軌道に乗り、A社を退職して自分たちの会社の経営に専念しました。世界各地に赴き営業し、いまでは50カ国以上の警備会社に採用されています》 【2016年61歳→2035年80歳 男性】 《新卒で入社した会社の定年は65歳でしたが、人手不足で結局70歳まで働きました。といっても66歳からは小さな会社を起業したので、それが副業となり、71歳以降も働くことにしました。といってもインターネットで受注したボランティアの仕事です。私の専門だった仕事はすっかりAIを搭載したロボットに取って代わられたのですが、文化保護団体が昔の仕事のやり方を保存したいということで、私に仕事が来ます》  ──実はこれ、AIなどの技術が進化した2035年を舞台とした働き方のシミュレーションで、厚生労働省が8月に発表した報告書「働き方の未来2035」に登場する未来予想図だ。  30ページに及ぶ報告書の冒頭にはこう記されている。 《2035年にはさらなる技術革新により、時間や空間や情報共有の制約はゼロになり、産業構造、就業構造の大転換はもちろんのこと、個々人の働き方の選択肢はバラエティに富んだ時代になる》  報告書でAIは、人から職を奪うネガティブな存在としてではなく、さまざまな問題を解決するテクノロジーとしてポジティブにとらえられている。  今後、AIが使われると予測される分野はマーケティング、経理、金融、医療、教育、法律、人事、警備・防犯、農業、物流、土木・建築など多岐にわたる。代替される可能性が高いのは、認識や動作の習熟を必要とするものの、判断を必要としない定型的な業務だ。  一方、AIが医療画像でがんを検出した後の診断など判断を必要とする仕事、例外的な事象に対応する監督業務などの仕事は、人がAIと共存して担うことになる。人はAIが進化するたび、学び直し、スキルアップを否応なしに要求されるが、こうした技術革新は、会社のあり方を大きく変革させるという。  報告書を作成した懇談会事務局長を務めた柳川範之・東京大学大学院経済学研究科教授はこう分析する。 「スマホ、スカイプ電話などの出現で、会社に集まらずとも会議ができるようになりました。AIの進化で自由度はさらに進み、時間、場所、空間に縛られない働き方が可能になります。その結果、フルタイムで毎日、勤務する必要もなくなり、介護や子育てがある人でも働きやすくなるなど働き方にバリエーションができます」  報告書では、働き方の多様性が求められる背景には、日本の少子高齢化問題もあると指摘している。  日本の人口は35年には、1.27億人から1.12億人まで減少すると予測され、高齢化率も現在の26.7%から33.4%まで上昇。  逆ピラミッドによる労働力不足を補うために、将来、高齢者や子育て中の女性、家族の介護を担う人など、フルタイムで働きづらかった人たちにも働いてもらわなければならなくなるという。さらに35年には、驚くべき社会が到来すると報告書は予測している。 《2035年の企業は、極端にいえば、ミッションや目的が明確なプロジェクトの塊(かたまり)となり、多くの人は、プロジェクト期間内はその企業に所属するが、プロジェクトが終了するとともに、別の企業に所属するという形で、人が事業内容の変化に合わせて、柔軟に企業の内外を移動する形になっていく。その結果、企業組織の内と外との垣根は曖昧になり、企業組織が人を抱え込む「正社員」のようなスタイルは変化を迫られる。(略)企業に所属する期間の長短や雇用保障の有無等によって「正社員」や「非正規社員」と区分することは意味を持たなくなる》  終身雇用と年功序列型の日本社会の象徴、正社員が将来的に消えてしまう……。前出の柳川教授の解説。 「人口逆ピラミッド問題などで、会社が終身雇用を維持するのは、限界にきている。技術革新した20年後、どれだけの会社が生き残っているでしょうか? 今後は倒産、リストラなど正社員であっても安泰ではない。今までと違う働き方、安心が模索されるでしょう」  会社がプロジェクト型の組織になれば、働き手は自分の希望に応じたプロジェクトを選択することが可能になる。複数の会社で、複数のプロジェクトに同時に従事するというケースもあり得るという。 《仕事内容に応じて、一日のうちに働く時間を自由に選択するため、フルタイムで働いた人だけが正規の働き方という考え方が成立しなくなる。(略)パートタイマーという分類も意味がないものになる。さらに兼業や副業、あるいは複業は当たり前のこととなる》  そして最近、こうした未来予想図へ近づこうとする企業の動きが目立っている。  中でもソフト開発大手、サイボウズの取り組みは、「時間や空間に縛られない働き方」の手本といえる。  同社の「選択型人事制度」では、勤務時間と勤務場所を段階的に組み合わせた9種類の働き方があり、ひと月ごとに選択し直すことが可能だ。  たとえば「今月はオフィス勤務の時間を長く、在宅勤務を少なくしよう」「来月はオフィス勤務を短く、在宅勤務をやや多めにしよう」という具合に、その時々のライフスタイルに合わせて働き方を柔軟に選べるのだ。このように時間や場所に縛られず働くことができれば、家事や育児、介護などと仕事を両立しやすく、副業もしやすくなる。  同社は06年からこうした働き方の改革を実行し、12年からは社員の副業も全面的に支援。会社に損害を与える仕事でなければ、何をするのも自由で上司に報告する必要もない。給与は転職相場などから独自に算出され、定年はない。しかし、退職金も出ないという。 「50歳を過ぎると給与は下がる傾向に。社員には会社に頼らなくても生きていけるよう自立することを求めています」(同社広報)  2月にはロート製薬が社員の副業を認める「社外チャレンジワーク制度」を発表し、話題となった。  その一方、創業当初から「専業禁止」の方針を打ち出した会社もある。  11年にオールアバウトから新設分割し、インターネットサービス事業を展開するエンファクトリーだ。加藤健太社長はこう語る。 「実際は副業を強制しているわけではなく、副業の機会を提供しているだけです。サラリーマンでは決して持ちえない経営者目線が身につきますから。そうなると社員一人ひとりが成長し、会社にとってもプラスになります。つまり私たちが副業を勧めるのは、飲食店のバイトなどではなく、自分で商売をしてほしいということです」  実際、同社の社員になってから個人事業を始める人は多い。その一人、山崎俊彦・ショッピングユニットCSマネジャーは、人気犬種パグの衣類などを受注生産するネットショップの経営者だ。開業から2年半を経た今年8月に法人化を果たした。 「副業の規模が大きくなると、普通は会社を辞めるものかもしれませんが、私は辞める気はありません。エンファクトリーにいる限り副業は自由にできますし、社員の安定性はやはり魅力です」(山崎さん)  同社は裁量労働制、フレックスタイム制で、出社・退社時間は決まっていない。業務時間中に副業をするのも自由だ。唯一のルールは、半年に1回、全社員の前で自分がどんな副業をしているか発表すること。飲食を伴うフランクな発表会が、「副業に対するすべての懸念を払拭する」と加藤社長は言う。 「副業をコソコソやっていると社内の目も厳しくなりますが、オープンにすれば、他の社員たちの刺激にもなるし、応援してもらえる。そうなると、本業で成果を出さなければカッコ悪い。副業をオープンにすることで、本業をサボれなくなるという効果があります」  自由に副業ができる分、本業でいっそう結果が求められるわけだ。この発表会には、他社の人事担当者も見学に訪れるという。  そして「時間や空間に縛られない働き方」の一環として、「リモートワーク」を導入する企業も増えているという。  リモートワークとは、自宅やカフェなど、オフィス以外の場所で仕事をすることだ。リクルートホールディングスは、今年1月から全従業員を対象に上限日数のないリモートワーク制を導入。グループ全体で約2千人が活用している。また、トヨタ自動車は1万人規模の社員を対象に今年10月から週1日、数時間だけ出社すれば、自宅や社外などで働ける在宅勤務制度を拡充することを発表。三井物産、ホンダ、日本マイクロソフト、リコーなども試験的に在宅勤務を取り入れる。  だが、一方でこうした自由な働き方が許容され、会社の管理が緩くなると、懸念されるのは、社員の転職へのハードルが低くなることだ。多くの企業が副業解禁に消極的なのは、ひとつには人材流出を恐れるからと指摘されるが、杞憂のようだ。前出のサイボウズは、かつて離職率の高さが問題となり、06年から働き方の改革に取り組んだ。 「離職率は大幅に低下しています。多様な働き方を認めることが、社員の定着につながったのだと思います」(広報の杉山浩史さん)  同社の離職率は、05年に28%と過去最高だったが、06年に最長6年の育児・介護休暇制度、07年に選択型人事制度、12年から副業を解禁し、16年現在の離職率は4%以下まで低下した。  前出のエンファクトリーの加藤社長も「副業解禁が人材流出に直結するとは思わない」という意見だ。 「かつてサラリーマンは終身雇用で退職金も潤沢、一生一つの会社に勤めていれば安泰でした。しかし今は、どんな会社でも安心できる時代ではありません。なのに、会社が社員を囲い込もうとすれば、優秀な人ほど辞めていくと思います。社員より会社論理を優先するような会社についていく気になれないですからね」  副業解禁は、いまや企業にとってリスクではなく、アピールポイントと言うべきかもしれない。「副業OK」で検索すると、多くの就職情報サイトの特集ページがヒットする。「求人情報に副業可と書かなければ、優秀な人材が来てくれない」という人事担当者の声も聞かれる。  一方、懸念されるのは、ダブルワークによる長時間労働だ。仮に「時間に縛られない働き方」を選べるとしても、二つの仕事をするとなると、必然的に労働時間が長くなるのではないか?  エンファクトリーで副業をする山崎さんは自身の体験をこう語る。 「確かに本業が忙しい時期は、副業のために睡眠時間を削ることもあります。でも、仮に『今夜7時から会社の飲み会がある』となったら、みんな必死で仕事をして、早く終わらせますよね。実はダラダラ残業していただけで、作業時間は圧縮できるものです。私は副業をすることで、時間を効率的に使えるようになりましたよ」  同社の加藤社長も、「副業を推奨し始めたら、分社前より残業が2割減った」と話す。社員の副業は、会社にとってもメリットになっているわけだ。  前出の柳川教授のもとに最近、副業に関する企業からの問い合わせが多く寄せられるようになった。 「副業を解禁すると、労働基準法などによる制限を受けるのではないか、と懸念する声もあります。でも、議論もせず、多様な働き方を認めないというのは労働者のためにならず、本末転倒です。労働法制は時代と共に変わるべき。いずれ年金の支給開始年齢が70歳になるかもしれない状況下で、ほとんどの人にセカンドキャリアが必要になる。その準備、訓練という意味でも副業を認める流れになっています」(柳川教授) (ライター・伊藤あゆみ、本誌・森下香枝) ※週刊朝日 2016年10月7日号
仕事働き方転職
週刊朝日 2016/09/30 07:00
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