食材つき情報誌「食べる通信」 編集長は元リーマン
山口沙弥佳さん(34)/「つくりびと~食べる通信fromおおさか~/大阪府」編集長/リーマン・ブラザーズでは地方銀行担当の営業ウーマン。朝6時から深夜0時まで働くこともザラだった。いまは、生産者を訪ねて大阪府全域を走り回る(撮影/藤岡みきこ)
赤木徳顕さん(52)/「神奈川 食べる通信/神奈川県」編集長/2016年から岩手大学でソーシャルベンチャーを教える赤木さん(中央)。一貫して、「スモールネットワークシステムの構築」に興味を持っている(撮影/編集部・石田かおる)
2013年に東北で生まれた「食べる通信」。誌面はいずれもオリジナリティー豊かだが、目を引くのが陣頭に立つ編集長たちだ。金融やITの先端を走っていた彼らがなぜ惹きつけられるのか。
「片手はダメ。下に両手を入れて丁寧に引き上げて。折れたら商品にならないから」
河内れんこんの生産者に収穫の手ほどきを受けるのは、「つくりびと~食べる通信 fromおおさか~」の編集長、山口沙弥佳さん(34)だ。冬だというのに汗だく。泥の中のれんこんを掘り出すのは、思いのほか重労働だった。
「れんこんの収穫はワイルドに見えて実に繊細。改めて、大変手間のかかる作業だということがわかりました」
こう話す山口さんは10年前は「ヒルズ族」。京都大学経済学部を卒業後、米投資銀行リーマン・ブラザーズに就職した。
「大学では医療経済学を専攻しました。お金を特定の場所に停滞させるのでなく、循環させることが世界の貧困対策にもつながると思ったからです」
しかし入社3年目、産休中に会社が倒産。副社長などを招いた結婚式の2週間後だった。破綻はニュースで知った。
夫が暮らしていた関西に移り住み3児の母に。再就職は厳しく、悶々と専業主婦を続けた。食に意識が向いたのは長女が3歳のとき。きちんとした「だし」の取り方をみせたいと思い立ち、かつお節を削るところからやってみせた。だしの香りが立ったとき、娘は言った。
「『クサッ!』って。これはまずい、と思いました」
味覚や身体は食べたものによって形づくられる。それなのに、「何を食べるか」を選択しようにも世の中には食の情報があふれ、何を信じ、どう教えればいいのかわからなかった。行き着いたのが、「知産知消」。
「ときどき、母方の田舎から野菜が届く。結局、知っている人が作ったものを食べるのが一番の安心なんです」
調べると、大阪には漁師が千人以上いて、農家もたくさんある。生産者とつながることで多くの消費者に「身近な田舎」を持ってほしい。昨年5月、子育て世帯をターゲットに、絵本付き「食べる通信」を創刊した。
全国で発行される「食べる通信」。山口さんは創刊号で「泉州水なす」を特集した。B5判16ページの冊子に食材が4人分、水なすを主人公にしたオリジナル絵本も付いて3980円。以後、奇数月に発行し、偶数月には料理教室や生産地バスツアーなどを企画している。ヒルズ族から生産者と消費者をつなぐ「食べる通信」の編集長への転身で、山口さんが求めたものは何だったのか。
「リーマンの破綻は、実体と離れた信用経済の破綻でした。現場に足を運び、自分の目で見て、触れて、話を聞く。不便で効率が悪くても、そんな原点に返ることが必要だと思うんです」
●間に入ることで事件
「神奈川食べる通信」の編集長を務める赤木徳顕さん(52)は、IT起業家からの転身。昨年12月初旬には、築300年のかやぶき屋根の古民家に「神奈川食べる通信」の読者と生産者が集まって餅をつき、具だくさんの豚汁を作った。食材の中には11月号で特集した「苅部大根」もあった。
「苅部大根を丸ごと1本おいしく食べる調理法は?」
「お餅がカビないようにするにはどうしたらいいですか?」
頬張りながら会話もはずむ。
赤木さんは大学を卒業後、野村総合研究所に就職。1995年にマサチューセッツ工科大学スローン経営大学院に留学し、シリコンバレーに駐在した。2000年に鮮魚販売のネットビジネスを起業したのが食との最初の接点。05年に横浜に地産地消レストランを開いたのは、こんな思いからだ。
「生産者と消費者の間に多くの工程が入ることで、雪印などの食をめぐる事件が起きていた。両者を直接つなぐことが大事だと思いました」
しかし、店に足を運べる人の数は限られ、思い描くような、地産地消をサポートするコミュニティーの確立にまで発展させることは難しい。ジレンマを抱えていたころに「食べる通信」を知り、14年11月、都市部では初となる創刊を果たした。
楽なスタートではなかった。
「東北食べる通信の読者が1500人。500人くらいはすぐ集まると思ったのですが……」
県内のコミュニティースペースを行脚して座談会を重ねた。
「すると、自分だったら特集の生産者に会いに行く、という人がいたんです」(赤木さん)
産地と消費地が近いのが都市部の強みだと気づいた。宅配ではなく生産現場を訪ねて「食べる通信」を受け取ることもできるようにするなど、現地体験型の神奈川方式を生み出した。
●社会が動くさまを実感
取材した日、イベントの参加者は約20人。その一人で読者の野田雅子さん(46)は言う。
「10年以上住んでいますが、神奈川について何も知らなかった。食べる通信のイベントでいろんな場所を知ることができ、生産者の知り合いもできて楽しい」
赤木さんも言う。
「生産者と消費者が一緒に料理をし、食べ、語り合う。まさに僕が描いてきた地産地消の究極のイメージです」
前職までのスケール感と、ギャップが大きすぎませんか?
「以前の僕が相対していたのは数字。いまは、小さくてもそれぞれが自律的かつ有機的に動くことで、社会が動くさまを実感できる。ワクワクします」
英訳付き「やまぐち食べる通信」を発刊する和田幸子さん(57)も約20年間、メリルリンチ、JPモルガン、モルガン・スタンレーなど、名だたる外資系金融機関を渡り歩いた。旅した国は30カ国。現在は、東京・神楽坂で食のセレクトショップを営みながら山口県に通う日々だ。
「旅行は好きでしたが、国内を旅することはほとんどなかった。山口は、三方を海に囲まれた“食材の宝庫”。地元の人たちが『当たり前』として見過ごしているものの中に、宝ものがいっぱいあると感じました」
昨年3月の創刊号で取り上げたのは、地鶏の「長州黒かしわ」と海水を原料に伝統の製法で作った「百姓の塩」。外資系金融時代、ニューヨークやロンドンで触れたのとはまた別の「異文化」に直面しているという。
「よそ者の疎外感を感じることもあります。でも、異文化だからこそ好奇心がかきたてられ、都市と地方、世界と地方の懸け橋になれるのではないかという思いも募る。今後は東京と山口での2拠点生活を考えています」
将来的には、食を中心にして旅行業にも広げていきたい。
「地方は手つかずの魅力がまだたくさんあるフロンティア。先端の仕事についていた人ほどクリエイティビティーが刺激され、引き寄せられるのだと思います」(和田さん)
昨年11月下旬、宮城県の「東松島食べる通信」編集長、太田将司さん(43)は東京・銀座にいた。老舗和食店「銀座こびき」で、秋号に掲載するちぢみほうれん草を使った料理を撮影するためだ。テーブルには、3代目の金子大史さんが作ったちぢみほうれん草料理が並ぶ。カメラを手に撮影するのも、取材、執筆するのも太田さんだ。
●中心を突き抜けて外へ
ブランド家具店などで働いてきた。11年夏、東日本大震災で津波の被害を受けた東松島市に行き、ボランティアの夏祭りを手伝った。帰り道、多くの家屋が倒壊したままの光景を目にした。震災からすでに数カ月。衝撃を受け、移住した。
「漁師の仕事を初めて見たとき、嫉妬するほどかっこいいと思った。彼らの仕事は命につながっていますから」(太田さん)
14年2月の「東北食べる通信」が東松島の海苔漁師を特集。漁師の思いに触発された同市アンテナショップのスタッフが「もっと彼の海苔を売りたい」と言うのを聞いて思ったという。
「町おこしのツールに使える」
3誌目の「食べる通信」として創刊した。メインターゲットは東松島市民だが、創刊号から黒字。400人弱の読者の半数以上を市外在住者が占め、東京の人気シェフが腕を振るう。
「中の人たちが楽しめないようでは、外の人も楽しめない。内側へ内側へとグルグル人を巻き込んでいったら、いつの間にか中心を突き抜けて外側に渦巻きが広がっていきました」(太田さん)
各地の「食べる通信」が共有するのは、「社会を少しでもよくしたい」という等身大の思い。グローバルを知るからこそローカルの魅力がよくわかる。その複眼が、何かを動かしていく。
(編集部・石田かおる)
※AERA 2017年2月6日号
AERA
2017/02/03 16:00