米大統領選にトランプ氏正式指名 共和党の票田「レッドステート」1700キロを走った
トランプのマスクやTシャツを喜んで買う人も多い(撮影/モーガン・フリーマン)
高速道路から降りると、農道がくねくねと続くインディアナ州デール。「行き止まり」の標識の先は、持ち主が去った農場だった(撮影/モーガン・フリーマン)
ドナルド・トランプが、米共和党大会で大統領選候補に指名された。世界中が眉をひそめる「暴言王」に、米国人はなぜかくも傾倒するのか。中西部の保守地盤「赤い州」約1700キロを旅して探った。
「赤い州(レッドステート)」という表現は現地では滅多に使えない。放送禁止用語ではないが、インタビューする際は丁寧に「中西部の価値観を知りたい」と遠回しに話を切り出す。それでも「レッドステートの白人をバカにしたくて、記事を書くのか」と言われたりする。
最初にゾッとしたのは、イリノイ州オファロン(人口約3万人)でのこと。街の中心にあるバーに行った際だ。「銃持ち込み禁止」のサインがあるドアを押して入ると、店の中は白人ばかり。スーツ姿はなく、刺青にジーンズ姿が目立ち、カウボーイ風の革のベストやジャケットを羽織った男性もいる。
旅の途中、地元バーの常連をインタビューするのは常套手段だ。念のため、女性バーテンダーに聞いた。
「日本の記者で、政治の記事を書いています。なじみ客で、話をしてくれそうな人はいますか」
「今日はいないわ」
と彼女は即答した。
すると、トロイ・マーブル(54)という音楽家が話しかけてきた。彼は、今年の選挙は、「二つの腐ったリンゴ」から選ばなくてはならない初の選挙だ、と不満げだ。
「離婚して子ども2人を育てるために、四つの仕事を掛け持ちしている。生活は苦しいし、中間層が支えてきたこの街では誰もが二つ以上の仕事をしている。政治は人々のためにあるはずなのに、今は最もかけ離れたところにある。しかも、良いリンゴではなく、傷だらけのリンゴから選べというのは、民主主義社会ではありえない」
●「政治の話はよくないここは酒を飲む場所だ」
マーブルとの会話の後、外に出ると、黒いカウボーイハットの太った男性に声を掛けられた。
「ここで何をしている?」
「大統領選の年なので、政治についての考えを取材しています」
彼は、遠くを見ながらこう言った。
「政治の話はよくないな。ここは酒を飲むところだ」
レッドステートとは、米中西部や南部など、歴史的に保守層の住民が圧倒的に多く、大統領選では党色を赤とする共和党が強い州を指す。今回旅した中西部は南北戦争(1861~65年)で、黒人解放を拒んで連邦を脱退こそしなかったものの、連邦に残った州政府に反対する一派が南部のアメリカ連合に加わった経緯がある。
白人至上主義や人種差別主義的思想がいまだに根強く、銃の保有を合衆国憲法が定める権利として強く主張し続けている。キリスト教信仰もあつく、ダーウィンの進化論を否定し、神が世界を創造したと学校で教えている地域さえある。
中間層が圧倒的に多く、人口の流動性があまりないレッドステートは、米国の「葛藤」と「不満」のたまり場だ。
ニューヨークのような大都市であれば、国際派でリベラルな市民が多く、自由に発言できる。しかし、白人ではない記者にとってレッドステートは、言葉遣いにも気を配らなければならない地域だ。
●まずいバーガーか腐ったバーガーか
マーブルと同じような意見だったのが、オハイオ州スプリングフィールド(人口約6万人)で会ったゲイリー・リチャードソン(63)。静かで歴史ある街だが、2011年、全米で「最も不幸な街」に選ばれた。ダウンタウンから少し出ると空き家が立ち並ぶ。以前あった工場などが立ち退き、若者の失業率は高い。そんな歴史を目の当たりにしてきたリチャードソンは、誰に投票するか、気持ちが定まっていない。
「投票の権利は行使する。でも、まずいバーガーか、腐ったバーガーのどちらかを選べと言われても……」
トランプ人気の一方で、「古き良き時代」を知る人々は、トランプの政治家としての力量に疑問を抱いている。しかし、一方で、共和党を支えてきた土地柄、ヒラリー・クリントンに票を投じることにはかなりの抵抗がある。
リチャードソンは、ベトナム戦争の退役軍人で、過去20年間はトラック運転手をしてきた。話し始めてすぐに、彼は手提げ袋から、年金の通知を取り出した。
「20年も働いたのに、月1200ドルの支給が530ドルになると言ってきた。生活のためにまだ働けると思って、マクドナルドの店員から守衛まで毎日職を探しているが、誰も雇ってくれない。この先、またいつ支給が減額になるかもわからない。この国では、引退すらできないのか。どうして、こんなことになっているのか」
スプリングフィールド在住の50代の主婦クリスも同意する。
「夫が引退したら、昔の米国人のように、日本やオーストラリア、アフリカを旅したかった。でも、子どもの教育費もかかり、そんなの夢に終わるに決まっている。私のママでさえ、71歳になるまで働かなくてはならなかった。今の米国では、夢を描いたら、つらくなるだけなのよ」
一面に広がるトウモロコシ畑の中を2車線の道路が走る。インディアナ州デール(人口約1500人)のマーク・ラベフセン(60)は農場経営者だ。周辺は小規模農家が多く、身を粉にして働き、質のいいトウモロコシを出荷することに誇りを持つ。
ラベフセンは、秋の収穫祭実行委員長。彼の農場の看板には「ウイ・ラブ・コーン」と書いてある。飼料用トウモロコシの価格は、原油価格や需給関係により大きく変動して収入を左右するため、不安が絶えない。彼の息子は、先物市場のブローカーとの連絡を毎日欠かさない。
ラベフセンの不満は、首都ワシントンの政治家の仕事ぶりに向けられた。
「今の党派主義的な議会では、何も決まらない。でも、とことん議論するのが議員の仕事だ。法案について採決に持ち込めないなら、徹夜して、何日も閉じ込められてでも、採決すべきだ。作物や牛は待ってくれないから、俺たちは徹夜もする。政治家が徹夜してでも、法案を採決しようとしないのはなぜなのか」
●タキシードや背広にもカウボーイハット
インタビューをしていた公園の木のテーブルを何度も平手で叩き、ラベフセンは別れ際に突然こう言った。
「この土地では、謙虚、質素、誇りを持つこと、それがすべてなんだ。俺はこの土地を離れられない。だから、農業を続けさせてくれるリーダーが必要だが、今の候補者2人には期待できない」
中西部の精神を探るため、農業が盛んなオクラホマ州オクラホマシティー(人口約63万人)の国立カウボーイ・西部歴史博物館を訪ねた。キュレーターのエリック・シングルトンは、同州の農場の生まれだ。
「カウボーイというと、ノスタルジーを抱く人が多いが、とてもつらい仕事だ。牛は、食わせなくてはならないし、休みはくれない。ある冬の寒い日、父親がコートのジッパーを上げて、唇を巻き込んだが、寒くて気がつかなかった。家に帰り、ジッパーを下ろした途端、血が噴き出した。そこで学ぶのは、文句は言うな、気高くあれ、という文化だ」
農村が広がる中西部で、農家やカウボーイらが厳しい自然や農場の環境と対峙しながら育んできた誇り高き精神。しかし、農家やカウボーイの数は、大企業が経営する大規模農場に押されて、減る一方だ。それでも、中西部の精神を忘れないため、同博物館は、カウボーイ150年の歴史、牛や馬に乗る時間を競うロデオなどを、膨大な展示物で網羅する。対立、そして迫害しながらも、革細工などで文化的な影響を受けてきたネイティブ・アメリカンの遺産を紹介するコーナーもある。
シングルトンは、カウボーイハットを二つ持っている。
「タキシードやスーツでも、カウボーイハットをかぶる。そうやって、文化や誇りを忘れないようにしていることの表れが、この博物館になった」
旅の終着点である中西部の都市、オハイオ州クリーブランド(人口39万人)では、7月18日から共和党大会が始まった。19日には、各州の代議員が各候補に何票を投じるかを発表する形式で指名投票が行われ、トランプの指名が正式に決まった。南部・中西部の代表が、ドラマチックにトランプの名前を叫ぶ。北東部や西部の州とは、異なる盛り上がりぶりだ。街には全身赤いスーツ、ワンピース、Tシャツ姿の人があふれる。
●ソーシャルメディアが煽る有権者の怒り
中西部ミシガン州から駆けつけていた救急隊員タイラー・シーツ(22)は、極右のラジオ番組やウェブサイトを常にフォローしている。
「トランプは人種差別主義だ、というのは、おかしい。彼は2万2千人の従業員を食わせていて、そのうち6割が移民だ。有力紙ワシントン・ポストなど、メインストリームのメディアがトランプの攻撃ばかりするために、偏向していると思われて当然だ。彼らが言うことは聞き飽きた。変化が必要だから、トランプがワシントンには必要なんだ」
シーツはそう主張する。
一方、オハイオ州メダイナ(人口約18万人)で出会った世論調査会社で働く男性ブライアンは、反対の立場だ。同州生まれだが、クリントンを支持している。
「今の共和党は全くおかしい。トランプが大統領になるなんて、想像すらできない。それなのに、これまで投票に行ったこともない人が、トランプに熱狂している。それに、今回の選挙は、なんでこんなにも嫌悪が立ち込めているのか。両候補者も含め、誰もが怒鳴りあっていて、まともな議論ができない。いつも批判ばかりでポジティブさがない」
その傾向はソーシャルメディアのせいだと、ブライアンは続ける。
「ソーシャルメディアのおかげで、不満を抱えた人たちが好きな時に、攻撃的なコメントを見て、『いいね!』できる環境ができてしまった。それが有権者の怒りを煽ることになる」
ガールフレンドのモニカも、こう指摘する。
「大統領選に出る前から、多くの有権者がツイッターでトランプの論調に慣れてしまっているから、大統領になってから何をするかなんて考えずに、支持している」
近くでこの2人の話を聞いていた老人は、怒ったようにこう言葉を放った。
「単なるショーマンシップだろう! 大統領になったら、人が変わったように仕事をする。心配するな」
中西部のレッドステートの人々は、葛藤と不満の中で、ポピュリストのトランプになびいている、と米国のメディアや知識層は思い込んでいる。しかし、本来は、自らの生活が良くなる大統領を選びたいという純粋な人々だ。「古き良き時代」を支えた中間層が縮小し、生活苦にあえぐ中で、その純粋さが失われ、怒りへと変わってきている。(文中敬称略)
(ジャーナリスト・津山恵子)
※AERA 2016年8月1日号
AERA
2016/07/29 16:00