検索結果2074件中 701 720 件を表示中

31歳の早稲田大4年生 コンプレックスに翻弄された「地獄の仮面浪人生活」を経て得られたものとは
31歳の早稲田大4年生 コンプレックスに翻弄された「地獄の仮面浪人生活」を経て得られたものとは
「9浪」で早稲田大に合格した教育学部4年の濱井正吾さん(Twitter:@hamaishogo1111) (撮影/写真部・高橋奈緒)  早稲田大学教育学部4年、31歳。「9浪はまい」としてYouTube等で活動している濱井正吾さんだ。編入して入った大学を卒業後もコンプレックスを抱え「職場仮面浪人」で受験費用を稼ぎ、高校卒業から数えて9年後、早稲田大に合格した。なぜ彼は挑戦し続けたのか。9年間の道のりを聞いた。 *  *  * 「私は偏差値40の商業高校から『9浪』して早稲田大学に合格しました」  濱井さんは自身のYouTube動画の冒頭でこう自己紹介する。兵庫県の出身。両親と自分、弟、妹の5人家族だが、父親は濱井さんが10歳のときに脳出血で倒れ、重度の障害を負い介護施設にいたため、高校卒業後は家計のために働くつもりでいた。 「勉強していると馬鹿にされるような学校で、野球部ではいじめを受けていました。ボロボロのスパイクを無理やり買わされたり、グローブを勝手に捨てられたり……プロレスごっこと称して暴力を振るわれることも日常的でした」  2年次には野球部を辞め、逃げるようにして深夜までオンラインゲームにのめり込んだ。そこには同じコミュニティーを通じて大学生と交流する場があり、初めて大学という環境に興味をもった。 「大学って楽しそうだな、自分がいるのとは違う世界だなと思いました」  ■「いじめていた同級生を見返したい」受験を決意  3年次の説明会で、自分の高校から大学に進学するのは全体の1割に満たないことを知った。だが自分をいじめていた同級生を見返したい、こことは違う環境に行きたいとの思いで受験を決意。1日1回、学校の先生からもらったお題に沿って小論文を書き続けた結果、学校推薦型選抜で大阪の私立大学に合格した。 「しかしその大学は、自分の高校とあまり環境が変わらないのです。みんな授業中に騒いだり、寝ていたり……自分は大丈夫でしたが、周りにはいじめられている人もいたようでした」  大学では、国内のユースホステルを巡るサークルに入った。そこで京都大や同志社大の学生と交流したことが、濱井さんの人生を方向付けることになった。 早稲田合格までの9年間で複数の単語帳を使いつぶした(撮影/写真部・高橋奈緒) 「みんな大学に入ったばかりなので受験が共通の話題だったのですが、京大の人は人を見下したりすることなく、『大変だったよね』と気遣いながら受験の苦労話を聞いていたのです。同い年なのになぜこんなにも違うのかと、自分に失望しました。悔しかったです。努力したからこそ落ち着いた優しい人になれるのではないかと、その姿にあこがれました」   それを機に、より入試難易度が高いとされる大学への編入をめざした。編入に必要なのは、授業の単位と成績、英語の試験、小論文、面接。授業に真面目に取り組み、英語の勉強を続け、3年次編入で龍谷大経済学部に入った。 「学生がみんな静かに授業を受けていたことに感動しました。中学卒業以来、5年ぶりのちゃんとした授業でしたね」  龍谷大時代は、甲子園球場でソフトドリンクやアイスクリームを売るアルバイトに精を出した。趣味が高じて競馬研究会も立ち上げた。ゼミでは所得が生活に及ぼす影響、学歴と年収の関係などについて調査した。やっと自分も充実した大学生活を送れるようになった――ところが3年次の後半で、ある負の感情が沸き上がるのを感じた。 「同級生のプレゼンを聞いていると、みんな自信をもって論理的に話すのです。自分とは違い、高校で真面目に勉強して、学力と教養があり、努力して一般入試で入ってきたからこのような理知的な話し方になるのではないかと思ったのです。“一般入試コンプレックス”でした」  ■「学がない自分が本当に悔しかった」  その日から英単語帳を開き、受験勉強の日々が始まった。東大、京大、早稲田大……日本人なら誰でも知っている大学に行けばこのコンプレックスは解消されるのではないか。とはいえ、今の学力では無理だ。親族からも、「そんな馬鹿なことを言うな」と怒られた。  4年次には、誰もが知る大手企業に就職すればコンプレックスは消えるかもしれないと考え、テレビ局など80社以上の入社試験を受けた。しかしどこにも縁がなかった。あるキー局の面接で一緒になった慶應義塾大の大学院生は、自身が学会の冊子に寄稿した記事のことを堂々とアピールしていた。「学がなく、そうした経験のない自分が本当に悔しかったです」と濱井さんは当時を振り返る。  最終的には中堅の証券会社から内定をもらった。だがその会社は入社10日で辞めた。大学受験のためだ。 受験勉強をしながら働いていた会社では、全社1位の営業成績を残した(撮影/写真部・高橋奈緒) 「営業に出るために資格を取らなければならないのですが、その勉強が想像以上に大変そうだったのです。そのせいで受験勉強ができないのは困りました。とはいえ収入がないのも困るので、辞めて10日後に配置薬の営業の会社に再就職しました」  濱井さんの計画はこうだ。3年間、働きながら塾に通い、300万円を貯金する。新卒4年目は会社を辞めて受験に専念し、大学に合格する。そうすれば26歳で大学に入学し、20代のうちに新しい大学4年間を過ごすことができる。 「朝6時に起きて、数学の参考書を読み、朝7時半から夜7時半ぐらいまで働いて、8時15分から予備校の授業を受けていました。会社は親族経営で、給料の未払いが多発していました。若手にはなるべく給料を出していたようなのですが、周りには月に4万、5万円しか払われなかった人もいるような会社でした」  仕事では、営業所内の成績1位を取った。周りの社員と違い、顧客一人ひとりとコミュニケーションの時間を多く取り、信頼関係を築くことを重視した結果だった。続いて全社1位の成績も取った。しかしそれによってコンプレックスが消えることはなかった。 「仕事の成績は社内の人でなければその努力のすごさが分かりません。でも出身大学は、誰でもすごさが分かる。その名前のブランド力は大きいと思います」 ■「受験に向いてない」言われてもあきらめなかった  受験費用の節約のため、会社を辞めて受験に専念するまでは大学に出願しないことにした。新卒2年目、濱井さんにとっての「6浪目」には初めてセンター試験を受けたが、5教科7科目の得点率は39%。予備校のチューターから「詰められた」ときの言葉が今でも忘れられないという。 「これじゃお前がいた龍谷大にも入れないぞ」「お前は受験に向いてないよ」  それでも濱井さんはあきらめなかった。 「高校で自分をいじめてきた同級生を見返したいという反骨心が大きな理由です。それに日本史は中学生のころから成績もよかったですし、自分は暗記ならできなくはないと思っていました。小さな成功体験を思い出すことで、自分はできると言い聞かせていました」  予定よりも早く300万円がたまり、新卒3年目の10月に会社を辞めた。その年のセンター試験は前年より10ポイント上がり、49%。努力は少しずつ点数に表れていた。 地獄の9年間を経たことで「コンプレックスはなくなった」という(撮影/写真部・高橋奈緒)  新卒4年目、26歳で満を持して大学に願書を出した。国立の大阪大に加え、早稲田、慶應、同志社、上智、明治などの私立大も受験した。マスメディアの勉強ができればと、人文系学部を受けた。センター試験の得点率は58%。結果は「全落ち」だった。 「早稲田大を4学部受けたのですが、全然だめでした。商学部の試験では6割ほど取れていたのですが、ほかの学部は5割にも届いていませんでした」  貯金はほとんど底をつきかけている。しかし受験で初めて訪れた早稲田キャンパスの荘厳な雰囲気が忘れられない。兵庫の実家を出て、京都で4畳1万2000円の部屋を借りた。新しく入りなおした塾では、自分ができていなかった高校の基礎を丁寧に教わった。前の塾と違い、静かな自習室で受験生たちが黙々と勉強している様子に刺激を受けた。英語、国語、日本史の3科目に絞り、新しい環境で勉強に打ち込んだ。 「金銭的にも最後のチャンスでした。これでだめならあきらめようと思っていました」   受験したのは早稲田大の5学部をはじめ、計14日程。関西で立命館大と同志社大を受験した後、夜行バスで上京し、ネットカフェに宿泊しながら6日間連続受験という過酷なスケジュールを走り抜けた。関西の2大学に合格していたことが心の支えだったという。 ■「9浪」して得られた人生の教訓  受験を終えて帰った4畳の下宿で、早稲田大教育学部国語国文学科の合格発表を確認した。27歳のことだった。 「うれしいというよりは、やっと終わったという安堵の気持ちでした。なぜか家から2時間、清水寺まで歩いて何もせずに帰りました」  入学後、同級生に経歴を話すと最初は怪訝(けげん)な反応をされたが、次第に友人にも恵まれた。この稀有(けう)な経験を知ってほしいと思い、学内でYouTube活動をしている学生のアルバイト先に出向き、「動画に出してほしい」と売り込んだ。コラボを重ねて知名度を上げ、「苦労しました、9浪だけに!」のフレーズとともに学内の有名人として知られるようになった。  この3月に大学を卒業し、長きにわたる浪人経験を生かすため、教育関連のベンチャー企業に就職する。そんな濱井さんが「9浪」したからこそ得られた人生の教訓は。 「この地獄の9浪の経験よりもつらいことはなかなかありません。だから大抵のことは無理だと思わなくなりました。これまでコンプレックスが嫌で人を見返すことばかり考えていたのですが、この経験を生かして、多くの人に勇気を与えられたらと思っています」 (白石圭)
dot. 2022/02/17 10:00
不調の原因?自律神経は木曜日に乱れる 1日15分の「ぬり絵タイム」を医師がすすめる理由
小林弘幸 小林弘幸
不調の原因?自律神経は木曜日に乱れる 1日15分の「ぬり絵タイム」を医師がすすめる理由
順天堂大学医学部教授小林弘幸医師  日常生活で、吐き気や倦怠感、頭痛、肩こり、動悸、めまい、不眠などに悩まされていませんか。これらは、自律神経が乱れているとおこりえる症状の例です。不調を感じたとき、自律神経を整える努力をするだけで毎日をラクに過ごせるようになることもあります。順天堂大学医学部教授の小林弘幸医師は長年、自律神経の研究を続けてきました。その集大成『結局、自律神経がすべて解決してくれる』(アスコム)から一部を抜粋してお届けします。 *  *  * ■「変化」が苦手  自律神経とは、心身の機能をバランスよくコントロールするシステムです。具体的には、内臓の働きや代謝、体温などの機能を調節するために、意思とは関係なく24時間働き続けているものです。この機能が乱れてしまうと、さまざまな不調が引き起こされることがわかってきました。  小中学生が訴えるようなめまいや頭痛をはじめ、一般的に50歳前後の女性に多いとされる更年期障害などから、がんの増殖や転移に関係しているという研究もあります。  だからこそ、世代を問わず、「自律神経が喜ぶ生活」を送っていくことがとても大切だといえます。  ですが、自律神経はちょっとしたことで、驚くほど簡単に乱れます。ちょっと怒ったり、不安を感じるだけで、自律神経のシステムはバランスを崩してしまうのです。  自律神経が乱れる要因は、精神的なストレス、過労による肉体労働、睡眠不足、偏った食事などといわれています。  人生には、いろいろな変化があります。人事異動や引っ越し、親しい人との別れなどはもちろん、一般的には「おめでとう」と声をかけてもらえるような出来事、たとえば進学や就職、結婚や出産なども生活の変化を伴います。  そんな変化があったとき、うれしいことなのになぜか疲労感を覚えたり、おなかの調子が悪いことが続いたり、眠りが浅くて夜中に何度も目が覚めてしまったり、なんてことはありませんか?  現在、なんらかの不調を感じているとしたら、それは「自律神経を整えよう」という体からのサインでもあるのです。  さらにいま、日本中の人たちが、将来への不安や、やり場のない怒りを抱え、また、出口の見えないトンネルを走り続けてきたことによる疲労がピークに達し、自律神経がとても乱れやすい状態になっていると思います。  そんな頑張ってきた皆さんに、どんなときに自律神経が乱れるのか、どんなことに気をつけて生活を送れば自律神経が整っていくのかを解説していきます。 ■乱れやすいタイミング  自律神経が乱れやすいタイミング、というのは、いくつかの観点から指摘することができます。  まず、1週間の範囲なら、何曜日がいちばん乱れやすいか想像できますか?  思いつくのは月曜日かもしれません。翌日が月曜日だから、また長い1週間が始まるのかと考えると、どうしても後ろ向きな気持ちになる方もいるでしょう。  しかし、研究から得られた結果は違いました。  実験データを分析すると、水曜日、木曜日、金曜日に自律神経のトータルパワーが下降し、土曜日になると上昇する傾向が見られたのです。その3日間のなかでは、木曜日が最低でした。  週末に近づくにつれて楽しい気分になりそうに思えるかもしれませんが、実際は疲労が蓄積している分、自律神経も乱れるのかもしれません。  1年のサイクルで考えるとどうでしょうか。四季がはっきりしている日本では、つねに季節は変化しています。変化はいつでも自律神経を乱す原因になりえますが、全体としては春先から夏にかけて、つまり寒い時期から暑くなる時期にかけてのほうが、より自律神経が乱れやすい傾向にあるようです。  あくまで仮説ですが、温暖化の傾向がはっきりしてきたなかで、冬は比較的過ごしやすくなってきているのに対し、夏は暑さや湿気が厳しくなってきていると感じます。  限度はありますが、寒くて眠れない、ということはあまりありません。基本的に眠りは体温が下がっていくことと同じですから、寒い時期との相性は悪くありません。 『結局、自律神経がすべて解決してくれる』(アスコム)  反面、暑い時期はなかなか眠れません。気温が下がらなければ体温も下がりにくいからです。暑くて寝苦しい時期は、エアコンを使うことをためらわないほうが体によいでしょう。  ■うれしい昇進後も乱れる  職場での昇進は、基本的におめでたく、喜ばしいことのはずです。肩書きも立派なものになり、責任感も生まれます。もちろん、お給料もよくなるでしょう。何より、それまでの仕事ぶりが認められたことは素直にうれしいですし、部下や後輩を指導することを誇らしく感じる瞬間が多々あるはずです。  ところが、昇進に伴って、体調を崩してしまう例が、じつは少なくないのです。  疲れやすくなった、なんとなく体が重い、睡眠が浅い、すぐにイライラしてしまう……こんな状態が、散発的に起きるようになります。  自分だけではなく、配偶者やパートナーがこのような状態になってしまえば、プライベートにもよくない影響が及んでしまうかもしれません。  最近では、とくに若い世代の方々は、そもそも出世なんてしたくないと考える人が増えていると聞きます。責任が増える、ストレスが増す、そして女性の場合では、仕事と家庭の両立が難しくなる、などの理由が挙がるようです。  このような状況のなか、昇進する、管理する立場になる、というのは、社会人としての自分にとって、大きな環境の変化そのものです。  そして、前述のとおり、「変化」は自律神経を乱す大きな原因のひとつになりえます。  ということは、結果的に、出世や昇進が自律神経失調症の原因となってしまった、とう状況は、案外簡単に成立してしまうことになります。  変化に伴うストレスは、適切でさえあれば、自分を人間として成長させてくれるスパイスにもなります。  この点をわかっていて、自律神経の整え方を知っていれば、昇進に伴う変化を、いい形にだけ生かして自分を伸ばしていけることでしょう。 ■夫婦ゲンカの原因のことも  夫婦のちょっとしたケンカやいさかいごと。どこの家庭でも多かれ少なかれ起きることかもしれませんが、「夫婦仲が悪くなる状態」を分析すると、ふたつの解釈ができます。  ひとつは、トラブルの原因や、考え方などの違いがはっきりしているもの。もうひとつは、なんだかイライラしていて「つい相手に当たってしまう」「心にもない言葉をかけてしまう」場合のものです。  しかし、女性のイライラにはPMS(月経前症候群)が影響していることも多いということは知っておいていただきたいです。PMSは月経開始の3~10日前から始まる精神的・身体的症状で、イライラや不安感、のぼせや動悸など、自律神経失調症に似た症状が現れることがあります。  では、イライラしてつい当たってしまったり、当たられてしまったりしたときは、どう対処すればよいでしょうか。  ぜひ覚えておいてほしいのは、単純な行動パターンをすることで、自律神経を整える方法です。具体的には、「とにかく沈黙する」「階段をひたすら上り下りする」「皿を洗う」といったものです。  とくに家庭内では皿洗いがおすすめです。皿を洗うことで自分の意識は落ち着くんだ、こうして食器洗いをしている自分はすばらしい、決して一時の感情に流されず、自分らしくいよう……こんな考え方とつねにセットで行うようにすれば、自律神経も整い、台所も片づくので、一石二鳥です。 ■整えるための毎日の習慣  では、自律神経が整った生活を送るためには、どうしたらよいのでしょうか。いくつかありますが、拙著『結局、自律神経がすべて解決してくれる』より、取り入れやすそうなものを3つ紹介します。 朝日を浴びて活性化  自律神経を整えるための睡眠とは、ズバリ「早寝早起き」です。暗くなったら眠り、明るくなったら光を浴びて起きる。人がずっと続けてきた、ごく自然な生活のリズムです。  起床のもっとも好ましい形は、たっぷりの朝日を浴びて、自然に目覚めることです。自律神経は、朝日を浴びた瞬間から活性化します。  しかし、現代のほとんどの寝室にはカーテンが引かれています。簡単な対策は、寝る直前、照明を消したあとにカーテンを開けておくか、光を通すレースなどのカーテンだけにしておくことです。  週1回「睡眠のための日」  よい睡眠の確保は、自律神経を整えるためにもっとも大事な要素のひとつです。  目覚めたときにすっきりしていて、「今日はよく眠れた!」と感じる日は、眠りの質はよかったといえます。  そんな日を増やすためには、眠る際に「△時に寝て朝×時に起きる」などと、「枕に向かって誓う」だけで意識は変わってきます。また、寝室内にリラックスして眠れるような仕掛けや環境を整えてみるのも手です。リラックスできる音楽、眠りを誘う香り、読むと眠くなる本……そんなものをそろえてみましょう。  忙しくてなかなかまとまった睡眠時間をとれない場合は、せめて週に1回は「睡眠のための日」を作りましょう。睡眠不足のまま仕事や勉強を続けても、パフォーマンスは落ちてしまいます。  1日15分「ぬり絵タイム」  ぬり絵には、規則正しい行動に集中する、没頭する、継続するという効果があり、これらが自律神経を整えます。ぬり絵という単純作業に没頭することで、悩ましい問題やネガティブな感情の連鎖を断ち切り、心を「無」にできるからです。  ぬる色によっても効果が違います。赤色は交感神経を、青色や紫色は副交感神経を刺激するので、さまざまな色を使うぬり絵は、交感神経も副交感神経もともに活性化し、自律神経全体の活動量をアップさせる効果があります。  より自律神経が整う「ぬり絵」には、コツもあります。次のポイントに気をつけてやってみてください。 ・ゆっくり丁寧にぬる ・自分の好きなところからぬる ・自分の使いやすい画材を選ぶ ・いろいろな色を使ってみる ・1日15分程度で、毎日習慣化してみる ・寝る前のリラックスできる時間帯にする  ぬり絵の本は、規則的な絵柄が並んでいるものがベターで、私のおすすめは和柄です。できあがったらきれいな絵が完成するので、やりがいも得られますし、美しい色を目にすることで、心も癒されます。  自律神経が乱れる大きな原因は、「ストレス」「不規則な生活習慣」と心に留めつつ、拙著『結局、自律神経がすべて解決してくれる』を参考に、日常生活で取り入れられる整え方はどんどん実践して、心身ともに健康な毎日を送りしょう。 小林弘幸(こばやし・ひろゆき)/順天堂大学医学部教授。日本体育協会公認スポーツドクター。自律神経研究の第一人者として、プロスポーツ選手、アーティスト、文化人へのコンディショニング、パフォーマンス向上指導に関わる。みそをはじめとした腸内環境を整える食材の紹介や、自律神経と腸を整えるストレッチの考案など、様々な形で健康な心と体の作り方を提案している。『医者が考案した「長生きみそ汁」』、『最高の体調を引き出す 超肺活』(アスコム)などの著書多数。
医師小林弘幸木曜日自律神経順天堂大学
dot. 2022/02/17 09:00
セクハラ発言は「Sキャラ」のちょっかいなのか 加害男性の高笑いに「被害」を実感した
北原みのり 北原みのり
セクハラ発言は「Sキャラ」のちょっかいなのか 加害男性の高笑いに「被害」を実感した
写真はイメージです(Getty Images)  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、組織におけるセクハラや性暴力について。 *    *  * 2月10日、東京高裁で性暴力事件をめぐる控訴審で逆転勝訴の判決が出された。一審では性暴力が認定されなかったが、二審では原告の主張が認められたのだ。  ひどい事件だった。  原告は、川崎市にある会社の取締役である男性上司から2年半にわたって性暴力を受け続けた女性だ。会社の飲み会で意識がなくなるまでアルコールを飲まされ、その帰りに性的暴行を受けたのがはじまりだった。その後も、深夜にわたるまで飲み屋を連れ回されたり、男性の自宅に連れていかれたりなどする日々が2年半にわたり続いた。抵抗しようにも解雇をちらつかされ、従うしかない状況だった。女性は心身の健康を損ない会社を辞めざるを得なくなったが、その後も電車に乗れないなどのPTSDのために長期にわたって失職状態が続いている。  一審の判決は最悪だった。裁判官は、女性が会社を「自主退職している」ことと、最初の性被害から長期にわたる性的行為があったことをもって、「男女関係にあった」としたのだ。  二審の判決が素晴らしかったのは、事件を被害者の視点で捉えなおしたことだった。一審では長期にわたった被害をもって「男女関係にあった」と決めつけたが、二審では長期にわたったことの悪質さも含め、性暴力を認定したのだ。また、事実を把握していたにもかかわらず全く対応しなかった会社の管理責任も問うた。  今年大詰めを迎える性犯罪の刑法改正では、地位や関係性に乗じた性暴力の刑罰についても審議されている。就活中の女性が性被害にあったり、知的障がいを持つ人が施設職員から性被害を受けたり、教師からの性被害にあったり、上司からの性被害にあったり……、立場を利用し、相手が訴えるはずがないと考え、性交を強いる暴力がある。この裁判の支援者によると、加害男性の会社はこの判決を「不思議な判決だと感じた」とコメントしたという。加害者側は本当に「わからなかった」のかもしれない。女性の尊厳を守り、敬意を払って、共に働くことがどんなことなのか。性暴力がどういうものなのか。  地位・関係性を利用した性暴力についての意識をアップデートしていかなければいけない組織は、日本中に山ほどあるのではないか。決定権を持つ女性が社内におらず、安い使い捨ての労働力として女性を考えているような組織であればなおのことだ。  先日、私の会社が某イベントに出展したときのことだ。他の出展社の男性が近寄ってきて、スタッフに「お姉さんも、バイブ使ってるの?」と聞いてきたのだった。健康に関する商品を扱う数百社が集うビジネスライクなイベント会場でのできごとである。そういう時は一切相手をしないと私たちは決めていて、そのスタッフも「そういう質問には答えません」と言った上で、「そのような発言はセクハラにあたるからやめたほうがいいですよ」と注意してあげたそうだ。立派な振る舞いだと私は思う。が、その男性(50代半ばくらいか)は、彼女がそう言ったとたんに激高したという。何を注意されたか、ではなく、女に注意されたことが気にくわなかったのだろうか。「そんな態度でやってけると思ってんのか?」と声を荒らげたそうだ。  その報告を受けた私は、イベントの主催者に安全に仕事をするために環境を整えてほしいという旨を伝えた。  それからが大変だった。私のクレームがどう伝わったのかは不明だが、さらに激高した男性がまた威嚇しに来てしまったのだった。主催者側の人に来てもらったが、男は大きな声を出し、私たちを侮辱し続けた。「セクハラされたくないなら、こんなもの(ドイツから輸入した女性向けのトイ)売ってんじゃねーよ」などという男性の挑発に、残念ながら私は乗ってしまい「謝れ!」「気持ち悪いよ!」と男に向き合ったが、私が怒りを見せると今度はハハハハハと高笑いするのだった。怒っても、冷静に対処しても、何をしても私たちが「勝つ」ことも、「気が済む」ということもなかった。それが被害にあう、ということなのだろう。  繰り返すがビジネスの場である。もちろんそれがどんな場であっても男の振る舞いは許されるものではないが、やはり衝撃を受けた……日本の企業、どうなってますか?   その後、主催者側の人もいろいろとフォローしようとしてくれたのだが、つくづく日本の企業はきちんとしたセクハラ研修を受けておらず、問題に対応する能力が欠けているのではないかと感じるものだった。以下はこの日、私たちが主催者側にかけられた言葉の一部だ。 「あの人(私たちを怒鳴った男性)はSキャラで有名なんですよ」 「ふだんはおもしろい人なんですけどね」 「現場を見てないので、私たちは何も言えませんね」 「これからは、ちょっかいを出さないように注意しときますから」  男性だけでなく女性もそんなふうに私たちを「慰め」ようとし、「戒め」ようとし、そしてただひたすら頭を下げてきた。私たちはその度に、「謝るのは皆さんじゃないし、そもそも皆さんに謝ってほしいのではなくて、対応を考えてほしいんです」と伝えたが伝わらないようだった。「もう、ちょっかいを出さないように注意しときます」と言われたとき、あまりに残念だったので私は、「ちょっかいじゃなくて、ハラスメントです。ハラスメントを軽く捉えないでほしいです」と伝えた。すると、その男性の顔色が一瞬で変わり、いらだちが伝わってきた。何が悪いかわからないまま、頭を下げてくれていたのだろう。そしてこういうやりとりをすればするほど、加害者が問題化されず、声をあげる被害者側が「めんどうくさい人」になっていく空気も生まれてくる。ああ、やりきれない。  同一労働同一賃金の原則が守られず、多くの女性たちが男性よりも低賃金で働かされている。決定権行使の場に行けば行くほど女性の姿は少なくなり、わずかに残った女性たちも、女性の立場をよりよくすることよりも、男性に同化する道を選んでしまいがちだ。それが生き残る道、とでもいうように。でも、当たり前のような顔をして女たちの人生を潰す、そんな組織に未来はあるだろうか。  だから組織は本気で学ばなければいけないのだと思う。「キャラだから」とセクハラを放置せず、「どっちの言い分も聞かなくちゃわからない」と泣いている被害者を戒めずに、セクハラや性暴力について学んでほしい。そっちから見たら「ちょっかい」だったり「からかい」だったりするかもしれない。そっちから見たら「恋愛」かもしれない。けれど、こちらから見たらそれは「性暴力」なんだよ。そんな声に耳を傾け、今回の高裁判決のようなアップデートがこれからの組織には求められるはずだ。誰もが安心して自分の尊厳が損なわれることなく働ける、当たり前の社会であってほしいのだ。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
セクハラフェミニスト性暴力
dot. 2022/02/16 16:00
安住紳一郎「テレビやラジオは2年ごとに飽きられる」 だからこそ見せる“牽制球”
安住紳一郎「テレビやラジオは2年ごとに飽きられる」 だからこそ見せる“牽制球”
安住紳一郎さん(左)、池谷裕二さん (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)  脳研究者・池谷裕二さんの連載「パテカトルの万脳薬」が500回を迎えました。これを記念し、池谷さんがコメンテーターとして出演する「新・情報7daysニュースキャスター」(TBS系)のキャスター、安住紳一郎さんとの対談が実現。人生100年時代の生き方などを語り合いました。 *  *  * 池谷:安住さんとは、お酒の席で2、3度楽しく過ごしたことはありましたけど、こうしてお話ししたことはないですよね。 安住:赤坂でしたね。テレビ界がもう少し華やかだったころは、オンエアが終わってから、みんなで食事をすることもあったんですが、コロナの前から、もうそういうノリじゃなくなっちゃって。 池谷:ああ、そうだったんですね。 安住:今、テレビ界では、どの番組も池谷先生をキャスティングしたいんですけど、とても難しくて。 池谷:実は「ニュースキャスター」の前身の「ブロードキャスター」から、この番組は好きなんですよ。30代でアメリカ留学したときも、親に録画を頼んで、1カ月分をまとめて国際便で送ってもらっていました。 安住:いやいや、うれしいですね。池谷先生は私たちの番組に義理立てて、ほかの番組には出ないんですよ。今はもう私が門前の小僧みたいになって、「池谷先生? だめです、だめです」と断っている、みたいな(笑)。池谷先生のお話は唯一無二ですよね。先生は情報番組の中では切り込み隊長的な存在。池谷先生が「こうだろう」と言うと、他局なんかでもザーッと同じ方向にいきますから。すみません、私、普段は口が悪いんです(笑)。 池谷:最初のころは思い切ったことを言ってたんですけど、いろんな人からいっぱいメールが来て、だんだんと当たり障りのないことを言うようになっちゃいました。自分でもつまんない人間だなあと思ったりもするんですが……。 安住:いや~、先生の立場では、なかなか言いづらいこともありますよね。私もそこらへんは気を使うようにはしているんですけど、すごいプレッシャーだろうなと思います。本番終わったあとに、池谷先生がちょっとへこんでることがあって。 安住紳一郎さん(左)、池谷裕二さん (撮影/写真部・戸嶋日菜乃) 池谷:ああ、言っちゃったなあって。 安住:毎回、プレッシャーや自分に対する批判みたいなものを正面で受け止める覚悟、リスクを取ってお話ししてくれる池谷先生は貴重な存在です。 池谷:安住さんは番組を台本どおりにやらないですよね。「あの映像あったよね? 今流せる?」と急にスタッフに振ったりして、番組が始まってから番組を作っているような感じ。私はそれを、横でハラハラしながら、おもしろく見ているんですけど。 安住:予定調和じゃないところにおもしろさが生まれたりするんです。テレビやラジオは2年ごとに飽きられる時期がくると言われていまして。 池谷:だから番組を変えたりするんですね。 安住:ええ。まず自分が飽きて、スタッフが飽きて、視聴者が飽きるという順番だと思うので、たまに変な牽制球を投げたりして。スタッフには嫌がられたりもしますけど、意外に急な変更には気合を見せてくれるんですよ。でも渋谷の公共放送では絶対許されませんけどね(笑)。ところで池谷先生、この「パテカトルの万脳薬」は10年続いたんですか? 池谷:そうなんですよ。週刊なので、1年にだいたい50本程度掲載されて、10年経つとちょうど500回を数えるんです。それで、ぜひ誰かと対談しませんか?と編集部から今回提案をいただいたんです。 安住:お声がけいただいてありがとうございます。 ◆論文1千本から連載テーマ選ぶ 池谷:私は毎朝、100~200本の論文を読むので、1週間で1千以上はチェックするんですね。その1千本の中から1本を選んで、この連載に掲載している感じです。 安住:すごいですよね。論文を読むのをサボることはないんですか? 池谷:それはないかな。最近DeepLという翻訳ソフトを使い始めたらすごく楽で、英語を読まなくなっちゃいました。実は識字障害があるので、英語を読むのに時間がかかっちゃうんですよ。 安住:共通一次試験とかどうしてたんですか? 池谷:英語より、国語が大変でしたね。国語は時間内に最後まで読めなかったです。でも、みんなそうだと思ってたんですよ。読めなくても、大意をつかんで答えるのが国語だと思っていて。 安住:ええ~! そうしたらみんなちゃんと最後まで読んでると知って驚いたわけですか(笑)。おもしろいなあ、あまり周りにいない天才ですよね。先生って、確か人の顔の認識も苦手なんですよね。 池谷:相貌失認というんですけど、顔があまり覚えられないんですよ。 安住:奥さんや娘さんの顔を間違うということはあるんですか? 池谷:大丈夫です、それは(笑)。さすがに10回くらい会えば、誰でもわかるようになるんで:うちのラボのメンバーも間違えないです。 安住:よかった~! 池谷:でもマスクするようになってきつかったですね。やっと目だけで判断できるようになりました。安住さんは逆に、マスクをして外を歩いていても、不自然じゃなくなったんじゃないですか? 安住:私はスーツが制服みたいなもので、私服になると意外性があるようですね。お正月に実家に帰ると、姪っ子が気づかないことがあります。 池谷:イメージと違うから! 安住:ええ。以前、私が夜中に私服でアナウンサーセンターに入ったら、アナウンサーの江藤愛さんに「不審者がアナウンサーの机をごそごそやっている」ということで警備員に通報されたんです。ひどくないですか? 池谷:アハハ! それはひどいですね。 安住:その屈辱があったんで、次に江藤さんがその部屋にいるとき、トイレに行って髪を直してから入ったんですよ。そのときマスクをしていたんですが、あまりに目力が強すぎたみたいで、今度は「あ、今度入った新人くん?」って。 池谷:おもしろい。そういえば私も、飲み会のときに安住さんが私服で眼鏡をかけていらっしゃって、誰かわからなかったことがありました(笑)。 ◆フリーランスか組織に属するか ――共に長く第一線で活躍する池谷さんと安住さん。裏にはそれぞれ独自のインプット法があるようだ。 池谷:安住さんがコメントされるとき、街の様子をきちんとご存じだなあと感じるんですが、結構外出はされるんですか? 安住:そうですね。インプットと言うとちょっとカッコ良すぎるんですが、とにかく街を歩け、人の話を聞け、人の生活を見ろ、物の値段を知れ、反対意見に耳を傾けろ、変わった人に会いに行け、人気のない映画を見ろ、というのはアナウンサーとして昔からしつけられていますね。 池谷:やっぱり普段から、家の中にひきこもっている感じではないのか。 安住:家にいたい気持ちに鞭打って、とりあえず外に出ています。だからオフを過ごすというよりは、どこかで仕事に役立ったらいいなと過ごしている感じです。ちょっとワーカホリック気味ですけど、楽しいんですよね。 池谷:反対意見にも耳を傾けるとおっしゃってましたが、何か工夫をしているんですか? 安住:どうしても自分に対していいことを言ってくれる人の意見を聞きたくなりますけど、そこはぐっと、仕事だと思って聞くようにしてます。闘いですよね。最終的には、褒めてくれる人のほうを見ちゃいますけど(笑)。 池谷:ネットでもいつもいろんな情報を調べていらっしゃいますよね。 安住:マニアックなんですよ。たとえばおいしいお菓子を食べると、そのメーカーの本社がどこにあって、工場がどこにあるのかまで知りたくなっちゃう。国内旅行をしても、その土地で会う人の特徴を見つけて、共通項を見つけ出して、最終的にウィキペディアでその街の出身の芸能人とか著名人を見て、「やっぱり!」と思うのが好きなんです。 池谷:でもそれ、全部仕事に生きますよね。 安住:そうですね。ただ、すぐにしゃべると生臭いので、しばらく寝かすんです。これが当店の秘伝でございます(笑)。 池谷:なるほど。塩漬けにする、と(笑)。 安住:池谷先生も、キルギスに行ってましたよね。 池谷:そうそう。娘がチューリップの原種を見たいと言ったので。 安住:キルギスにチューリップの原種が咲いているんでしたっけ。さすが学者の娘さんという感じでおもしろいなあ。 池谷:娘を利用して、親の願望をかなえたかったというところも若干あります(笑)。でも、原種を探すのは本当に大変で、現地のガイドにも、それを知っていたらガイドを引き受けなかったと言われました。 安住:野生のチューリップが咲いてるんですか。 池谷:そうです。何日も探して、最終日に、壊れそうな橋を渡った向こう側にたくさん咲いている場所を見つけたんです。それは本当に感動しましたね。当時、幼稚園児だった娘はすでにチューリップを見たことを忘れていて、親としては悲しいですが。 安住:すごいけど、小さな娘さんを連れていく旅行とは思えない(笑)。 ――現在、池谷さんが51歳、安住さんが48歳。人生100年時代とすると、ちょうど折り返し地点に来ている。後半戦の青写真を、どのように描いているのだろうか。 池谷:安住さんは月~木が「THE TIME,」で、土曜日に「ニュースキャスター」、日曜日にはラジオ番組の「日曜天国」を持っていらっしゃって。相当お忙しいですよね。 安住:フリーランスで働いたほうが楽だなと思うんですけど、テレビ、ラジオがちょうど曲がり角に来ているんですよね。放送が好きで就職したので、そういう変革期にラディカルにかかわれるのは局員だなと思って、会社に残る決断をしました。先生も東大に所属しているのが、いいときと悪いときと両方ありませんか? 池谷:そうですね。総合的に見て、プラスのほうが多いなとは思います。私の場合は、教授に向いてないなあと思うことがよくあります。教授というのは管理職なので、学生のこと以外にも、入学試験や大学の運営を考えないといけない。研究費を取ってきて、自分で研究をしていた准教授時代のほうが合っていたなと思います。 ◆まだまだ戦える高みを目指して 安住:私は最近、人の名前が出てこなくて。チャレンジするのも怖くなってきましたし。これって脳の衰えなんですか? 池谷:科学的に脳の回路構造を見ている限り、70歳、80歳になってもあまり衰えませんね。固有名詞は増えていくので、情報が多くなって検索に時間がかかって出にくくなることはありますが。 安住:そうですか、じゃあ言い訳なんだ。それこそ学者は60歳、70歳でもトップスピードで研究できますよね。 池谷:そうですね。日本では定年がありますけど、アメリカだと定年がないんです。だから、すごい業績を80歳になってあげる人もいるので、学者はおもしろい。私も今手がけている研究には将来ビジョンがあるので、少しずつ証明していきたいと思っています。 安住:私は、朝の情報番組が始まりましたので、情報番組の司会者としてもう少し高みを目指したいなと思っています。 池谷:そのうちAIが原稿を読むことも出てきますよね。 安住:アナウンサーはAIに取って代わられる仕事の代表格なんですよ。 池谷:でも安住さんのアドリブはAIには無理ですから。私はいつも、車を運転しているときにネットのニュースをAIに読ませているんですけど、この間、オリンピック選手のインタビューで「次はカネが欲しいです」と読み上げたんです。なんでカネが欲しいんだろうと考えて、「ああ、金(メダル)か」と(笑)。 安住:一番間違えちゃいけないところだ(笑)。 池谷:AIのおもしろさはそういうところですよね。人間はしないけど、AIがしそうなミスはある。これからは、AIが読み間違えないようなニュース原稿を書くとか、新しいテクニックが記者に必要になってくるのかもしれません。 安住:そうですね。テレビは少し曲がり角に来ていますが、まだまだ戦える部分はありますので、足並みをそろえて新しいアイデアを取り込んでやっていきたいし、先頭に立ってやりたいな、という気持ちはあります。まあでも、人の気持ちは変わりますけど(笑)。 (構成/大川恵実、本誌・佐藤秀男) 池谷裕二(いけがや・ゆうじ)/脳の健康や老化について探求している。本誌連載をまとめた『脳はすこぶる快楽主義』(朝日新聞出版)、『できない脳ほど自信過剰』(朝日文庫)などが発売中。2013年、日本学士院学術奨励賞を受賞。 安住紳一郎(あずみ・しんいちろう)/1997年、TBS入社。他の担当番組はテレビ「THE TIME,」(月~木)、「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」、ラジオ「安住紳一郎の日曜天国」。TBSの北京冬季五輪中継の総合司会も務める。 ※週刊朝日  2022年2月25日号
週刊朝日 2022/02/16 11:30
「全盲の受験生」が司法試験に合格! いかにして難関を突破したのか
「全盲の受験生」が司法試験に合格! いかにして難関を突破したのか
抱負を語る奥山さん(明治大学で)  幼いころのアクシデントで両目の視力を失った奥山茂さんは、昨年、法律系の資格試験で最難関とされる司法試験に合格した。なぜ弁護士になろうと決意し、どんな勉強法を重ねたのか。全盲の受験生が合格を勝ち取るまでの長い道のりと、これからの目標を語ってもらった。 *  *  *  2021年9月7日、奥山茂さんは東京都内の自宅で友人と待機していた。5月に受けた司法試験に合格したか、目が見えない自身に代わって友人に確かめてもらうためだ。発表は午後4時。その瞬間、法務省のホームページにアクセスが集中し、ページが読み込みにくい状態になった。  スマートフォンで奥山さんの受験番号が掲載されているのを確認した友人に、「2056番で合ってる?」と尋ねられたが、すぐには合格を信じられなかった。「司法修習の打ち合わせをするため研修所に行くことになった段階で、初めて現実味が湧いてきました」  福岡県久留米市で生まれ育った。8歳のとき、小学校の体育館にある平均台で友達と遊んでいて、コンクリートの床に落下した。「頭を打っただけ」と最初は思っていたが、翌日にかけて視力が失われていった。 「オレンジ色のサングラスをかけたように、視界がだんだん黄色がかった感じになっていきました」  翌日、母親に連れられ病院で診察を受け、即入院。眼球の内側にある膜がはがれる「網膜剥離(はくり)」と診断された。半年間で4回手術を受けたものの視力は戻らず、約1年後に盲学校に転入した。  障害者に限らず、さまざまな人と接する機会を広げたいという思いから、高校進学を機に東京へ。筑波大学附属視覚特別支援学校を経て、亜細亜大に進んだ。司法試験を受けると決めたのは大学2年生のときだ。 「そのころ視覚障害者の仕事といえば、はり・きゅう・あん摩が定石でしたが、他にも道はあっていいと考えていました。障害者の場合、家ひとつ借りるのにも難色を示されることがある。弁護士資格があれば同じ状況下で困っている障害者も助けられると思いました」 点字で受験していた時期に使っていた司法試験の問題集  予備校に通うことは難しかったため、インターネットで教材を買い求め、卒業後もひとり勉強を続けた。実家の仕事を手伝うなどしながら10回以上、司法試験に挑んだが、壁は厚かった。  障壁となっていたことが主に二つあった。一つは、受験環境の問題だ。  司法試験の科目は短答式(憲法、民法、刑法)と論文式(公法系、民事系、刑事系、選択科目)からなる。奥山さんが大学を出たころは、視覚障害者は試験を点字で受けていた。試験時間は一般受験者の約1.5倍あるが、書き込みをすることで考えを整理できない視覚障害者は、頭の中で解答を組み立てるのに時間を要する。その結果、試験時間が足りなくなる受験者が続出していたという。奥山さんもそのひとりだった。  03年、受験条件の改善を求める請願が参議院に出されたことなどから、現在ではパソコンでの答案作成が認められている。個室で受験し、自分が入力した答えは音声ソフトで確認できる。以前に比べれば前進だが、一般の受験者に比べ、心理面や身体面で視覚障害者の負担はなお大きい、と奥山さんは訴える。 「司法試験は4日に分けて行われます。一般受験者の終了時刻は18時でも、解答に時間がかかる視覚障害者は夜22時近くまで及び、その翌日の集合が朝7時半だったこともありました。ストレスは大きかったです」  もう一つのネックは論文対策。短答式は独学でも対策ができたが、論文を書くのが奥山さんは不得手だった。 「私のころは、盲学校では文章作成の授業が非常に少なかった。自分では論文のつもりでも、人から見れば何を書いているのかよくわからない状態だったと思います」  司法浪人を続けるうちに、試験を取り巻く環境は変わった。旧司法試験は11年に終了し、06年にスタートした新制度では、受験するには原則として法科大学院を修了しなければならなくなった。受験回数も「5年以内で5回」の制限が設けられた。  奥山さんは都内にある私大の法科大学院を修了したが、5年以内の合格はかなわず、受験資格を再び得るため、19年に明治大の法科大学院(法務研究科)に再入学する。入試時の成績から特待生扱いとなり、学費は免除された。 授業を受けるときに使っていた音声ソフトが入ったパソコン  勉強にはパソコンの音声ソフトを活用した。同大の法務研究科事務室のバックアップが大きな支えになった。職員が早い段階で授業計画を把握し、講義で使われる書籍や教材を、音声ソフトが読み込める形式のテキストデータに変換。奥山さんに提供した。  データをただ渡すのではなく、「同義語が多いものは平仮名になっていたり、改行が多いものは段落ごとにまとめてくださったりと、とても配慮が細やかでした」と奥山さんは感謝する。  授業中は片耳にイヤホンを当て、音声化されたデータを聞きながら、もう片方の耳で講師の話を聞いた。  奥山さんは職員から提供されたデータをもとに、一問一答形式の問題を1千問以上、自作した。答えをパソコンに打ち込み、読み上げながら正解と照らし合わせる。それをひたすら繰り返した。目が見える受験者と違い、マーカーや単語カードは使えない。その場で覚えることを心がけた。論文対策は過去問をもとに答案を作り、授業で教員の講評を受け、ブラッシュアップする作業を重ねた。 「『書く順番が違う』『何を書いているかよくわからない』など、忌憚のないご指摘を講師からいただき、自分の文章の癖に気付けました」  周囲のサポートや自身の努力が実り、明大の大学院を修了した昨年、ついにチャレンジが実を結ぶ。法務研究科事務室の中崎奈緒子さんは、奥山さんの合格をわがことのように喜んだ。 「お渡しするデータのことから、『最近どう?』といった雑談も含め、奥山さんが事務室にいらしたときはよくお話ししていました。ハンディキャップがありながら努力を続ける姿勢には心を打たれるものがあり、合格を聞いたときは涙が出るほどうれしかったです」  視覚に障害がありながら活躍する弁護士は、まだまだ少ない。奥山さんは自らの経験を生かし、将来は障害者の就労サポートに取り組みたいと考えている。 「障害者雇用に関する講習会の開催を企業に働きかけるなど、障害者が働きやすい環境を作る手助けをしていきたいです」  現在は司法修習生として、弁護士になる夢に向かって着実に歩みを進めている。(本誌・松岡瑛理)※週刊朝日  2022年2月18日号
週刊朝日 2022/02/14 11:30
全盛期のベッキーを彷彿!? 井上咲楽が「バラエティー新女王」になる日
丸山ひろし 丸山ひろし
全盛期のベッキーを彷彿!? 井上咲楽が「バラエティー新女王」になる日
井上咲楽 「新婚さんいらっしゃい!」(テレビ朝日系)の新MCにタレントの井上咲楽(22)が決まった。3月末で勇退する桂文枝と山瀬まみの後任にお笑いタレントの藤井隆と井上が抜擢され、4月からコンビで番組を盛り上げていく。 「新婚さん~」は、放送開始50年を超える長寿番組。ゆえに、新MCを誰が務めるのかは大きな注目を集めていた。決定後、SNSを見ると藤井に対しては「ピッタリすぎる」「なかなかいいチョイス」と歓迎ムード。井上には「ハキハキしてて明るいイメージあるし良い」との声がある一方で、「一生懸命なのはわかるけど、前へ前へ出ようと頑張りすぎる感じがする」「話についていけるか?」という意見もあり、賛否両論あるようだ。 「井上さんはMC経験も少ないので、賛否があるのは仕方ないと思います。しかし、頭の回転の良さなど、彼女のポテンシャルを考えると意外とハマるかもしれません。番組で共演する大島由香里も『新婚さんをイジりつつ、盛り上げている感じがすぐ想像がついた』と褒めています。また、以前、インタビューで『なるべく耳の遠い親戚にも分かるスピード、声の高さでしゃべるように心掛けている』と話していたこともあるので、年齢層の高い視聴者もすんなりと受け入れてくれるかもしれません」(テレビ情報誌の編集者)  元々、勉強家で番組出演の際には入念な下調べをしているという井上。一つ一つの仕事について、しっかりと考えながら臨んでいるようだ。 「ワイドナショー」(フジテレビ系)に高校生コメンテーターとして出演していた当時の「高校生新聞オンライン」(2018年1月19日配信)のインタビューでは、「新聞のスクラップを始めました」と明かしている。それに加え、記事の空いたスペースに感想を書き留め、深い部分まで理解できない時はニュースに詳しい大人に聞いて、取材ノートにまとめているとのこと。MCともなれば、そうした綿密な下準備は大きな助けとなるはずで、アドリブで不用意に前に出て場が微妙な空気になる心配もなさそうだ。 「相手の話を引き出すのもうまいと思います。1月に放送された『チャンスの時間』(ABEMA)の人気企画『大悟の人間性検証ドッキリ!』では、井上が仕掛け人となり『バラエティーでの立ち振る舞い方が分からない』と、喫煙所で千鳥の大悟に相談したんです。すると大悟は『自分は事前に何も考えないようにしてる。用意したものが出せなかったときに、出せてないと焦っちゃうしダメだってなっちゃうから』とアドバイス。『荷物は少ないほうがいい。旅行と一緒。荷物をいっぱい持って行ったら不便ではないけれど、その旅は楽しくないやん』と“名言”が飛び出した。大悟の仕事に対する考え方をしっかり引き出したと、SNSでも話題になっていました」(同) ■ディズニーランドから代打で局に直行  現場スタッフからの評価も上々のようだ。「どんなバラエティー番組にも対応できるのでは」と言うのは民放バラエティー制作スタッフだ。 「現在、芸能界では新型コロナ感染で出演者が次々と変わっていますが、井上の場合、欠席することになった出演者の『代打要員』としても活躍しています。自身も1月放送の『アッコにおまかせ!』(TBS系)で、『代打のお仕事が結構多い。前日の夜とかに“明日代打で来られますか?”と来たりとか』と話していました。2月3日放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)も、友達とディズニーランドで遊んでいたところ、マネージャーから『今から代打で来られるか』と要請があり、すぐ電車でテレビ朝日に行ったことを報告していました。そうやって重宝されるのは、まさに対応力が評価されている証拠。基本的に『新婚さん~』のMCは話の聞き手に回るケースが多いでしょうから、表情やリアクションの豊かさは武器になるでしょう。体も丈夫で体力もありそうですし、トークもうまい。まだまだ若いですが、化ける気配は十分です」  芸能評論家の三杉武氏は井上咲楽についてこう評する。 「明るく元気で愛想も良く、それでいてあの若さで“空気”を読む力にもたけています。どんな番組や状況でも自分が求められている立場やキャラクターをしっかりと理解し、最善を尽くす姿を見ていると、テレビタレントとしての能力の高さが感じられます。当初は太眉のイメージが強かったものの、イメチェンにより顔立ちもかなり整っていることが広く知られるようになりました。同世代からはかわいい、面白いと支持される一方、年配層からは娘や孫のような感覚で愛される。スキャンダルを起こす前の、全盛期のベッキーさんをほうふつとさせますね。加えて井上さんの場合、昆虫食に造詣が深かったり、政治や国会に詳しかったり、また最近では大食いタレントとしても活躍しています。振り幅の広さも大きな武器になるでしょう」  芸能界の「代打要員」から「主力」へのステップアップとなりそうな新MC抜擢。大いに期待できそうだ。(丸山ひろし)
ベッキー井上咲楽新婚さんいらっしゃい!藤井隆
dot. 2022/02/13 11:30
夜中に目が覚めて眠れなくなったときはどうすればいい? 専門医がすすめる不眠改善法
夜中に目が覚めて眠れなくなったときはどうすればいい? 専門医がすすめる不眠改善法
※写真はイメージです(写真/Getty Images)  不眠症で眠れないと「夜いかに眠るか」にばかり目が向きがちになるが、実は、夜眠るためのからだの準備は朝目覚めたときから始まっている。快眠のために、生活やからだのリズムを整えることの大切さを理解しておきたい。 *  *  *  不眠症とは、夜眠れず、そのせいで日中の生活に支障をきたすことをいう。不眠改善のためには一日を通して生活を見直すことが必要だ。スリープ・サポート クリニック理事長の林田健一医師はこう話す。 「私たちは、朝早く起きて日中に活動してからだが疲れること、そして、からだに備わる『概日リズム』という24時間周期のサイクルが正常に働くことで、夜になると自然に眠くなります」  夜、よく眠るためには昼間しっかりからだを動かすことと、概日リズムを整えることが大切だ。生活を見直すだけで不眠症状が改善する人も多いという。そのための第一歩が、毎朝なるべく同じ時間に起床し、朝日をしっかり浴びる習慣をつけることだ。  東京足立病院院長で日本大学医学部客員教授の内山真医師はこう話す。 「夜眠れないからといって起きる時間も遅くなるのではなく、朝、一定の時間に起きることが大事です。そのときにカーテンを開けてしっかり朝日を浴びてください。朝日を浴びることで体内時計がリセットされ、からだが夜眠るための準備を始めるのです」  高齢になると、夜中に目が覚めたり、朝早く目が覚めたりすることがある。これは加齢により睡眠時間が短くなることも一因だが、眠れないからと早い時間からふとんに入ることで、かえって不眠となっている可能性も。そのため、「早寝早起きではなく、少し遅寝早起きをすすめる」と内山医師。  また、適度な運動をすることもすすめられる。 「夜は、寝る時間に向けて深部体温(身体の内部の温度)がだんだん下がっていくことで、スムーズに眠りに入れるようになります。夕方ごろ軽い運動をして深部体温を上げておくといいでしょう」(林田医師) ■眠れないときは一度ふとんから出る  一方で、昼寝はなるべくせず、「眠りたい欲求を夜までとっておけるのが理想」と林田医師。どうしても眠い場合には、15時ごろまでに20分程度の仮眠にとどめることが望ましいという。  夜の過ごし方で避けたほうがいいこととして、就寝4時間前ぐらいからのカフェインやアルコールの摂取、脂っこい食事、激しい運動などが挙げられる。寝つきをよくするために寝酒がいいと考える人もいるが、アルコールは不眠の原因になる。 「お酒を飲むと少し寝つきがよくなることもあります。ですが、アルコールは4~5時間程度で代謝されるため、夜中に目が覚めて眠れなくなることに。そのせいで酒量が増え、肝臓をこわすという悪循環に陥るリスクもあります。眠れないからお酒を飲むという発想はやめましょう」(同)  また、日常的にベッドの上で食事や仕事をしたりすることも、避けることが望ましいと林田医師はいう。ふとんやベッドは寝るためだけのものにし、寝ると決めた時間、あるいは眠くなるまでは、ふとんに入らないことをすすめている。  眠れないことへの不安が強いと、「また眠れないのでは」という思いがさらなる不眠を招き、不眠症の慢性化につながることも。なかなか寝つけないときや、夜中に目が覚めて眠れなくなったときには、「一度ふとんから出てしまうほうがいい」と内山医師はいう。 「人間は本能的に、暗いところにいると警戒心が強くなって緊張します。寝るためには暗くて静かな環境がいいといわれますが、眠れないときに暗いところに長くいると不安になって悪いことばかり考えてしまったり、緊張や孤独感が強くなったりして、よけい眠れなくなってしまうでしょう」 ■症状1カ月以上が医師に受診の目安  一方で、リラックスして眠りにつくためにすすめられるのが、自分なりのルーティンを決めておくことだ。「ぬるめのお風呂にゆっくり入る」「音楽を聴く」「本を読む」など自分の好きなことをして過ごす。  できれば、「入浴後にストレッチをする→音楽を聴きながら本を読む→ラジオでニュースを聴いてふとんに入る」など、毎日同じ行動パターンにするといい。自分なりのルーティンといっても、スマホやパソコンなどのデジタルツールを使っての習慣は避ける。  眠れないとき、市販の睡眠改善薬を使用する人もいるだろう。ドラッグストアなどで購入できる睡眠改善薬を、用法用量を守り一時的に使用することは問題ないと両医師はいう。ただし薬を使っても、生活スタイルが変わらなければ根治的な解決にはならないとも話す。  不眠に悩んでいるなら市販薬も一つの手だが、医療機関に早めに相談することも検討したい。 「眠れなくてつらい、あるいは眠れないせいで日中の生活で困ったことがあるという状態が1カ月以上続いている場合は医療機関を受診し、相談することが望ましいでしょう」(林田医師)  不眠症の診断や治療は、精神科や心療内科などで受けることができる。どこを受診すべきかわからない場合は、「まずはかかりつけ医でもいいのでは」と内山医師はいう。 「不眠症か、別の病気かの鑑別も含め、必要に応じて専門医を紹介してもらってもいいでしょう。また厚生労働省では、良い睡眠のための生活習慣や環境について、ライフステージやライフスタイル別にまとめた『健康づくりのための睡眠指針2014~睡眠12箇条~』を公開しています。ホームページで見ることができるので、参考にするといいでしょう」 (文・出村真理子) ※週刊朝日  2022年2月18日号
名医病気
dot. 2022/02/12 10:00
在宅医「『焼香に来い』はありえない」 立てこもり医師死亡事件を考える
松岡かすみ 松岡かすみ
在宅医「『焼香に来い』はありえない」 立てこもり医師死亡事件を考える
渡辺容疑者を乗せた車  在宅医が患者家族に殺害される悲惨な事件が起こった。行き場のない歪んだ感情が医療者に向けられてしまったこの事件。患者と家族の生活の場に入っていき、生死と向き合う在宅医の仕事には、時にトラブルもつきまとう。その実態を追った。 *  *  * 「こんな事件があったら、患者宅に行くのが怖い」  全国の在宅医を震撼させる事件が起こった。埼玉県ふじみ野市の住宅で、1月27日夜、男が散弾銃を発砲し、医師の鈴木純一さん(44)らが死傷した立てこもり事件が発生。殺人の疑いで送検されたのは、住人の渡辺宏容疑者(66)。胸を撃たれて死亡した鈴木医師は、事件前日に亡くなった容疑者の母親(92)が数年前から利用していた在宅クリニックの担当医師だった。  渡辺容疑者は、母親と二人暮らし。仕事はしておらず、一人で母親を介護していた。母親の死亡は、かかりつけ医である鈴木医師らが確認。渡辺容疑者は、鈴木医師を含む在宅クリニックの関係者数人を名指しで指定し、「27日午後9時ごろに焼香に来てほしい」と呼びつけた。鈴木医師ら男女7人が自宅を訪れると、死後1日以上が経過している母親を前に、「生き返るはずだから心臓マッサージをしてほしい」と依頼。鈴木医師らが蘇生は難しい旨を説明して断ると、散弾銃を取り出して発砲したとみられている。容疑者は警察の調べに対し、「医師やクリニックの人を殺して自殺しようと思った」などと供述しているという。 「行き場のない歪んだ感情が、医療者に向けられた悲惨な事件。患者と家族の生活に入り込んでいく在宅医療の怖い面も見せつけられた」  こう話すのは、関東地方でこれまで多くの在宅看取りに携わってきた在宅医だ。在宅医療や在宅介護の現場では、患者本人はもちろんのこと、家族との関わりも重要になる。本人が意思決定できない場合には、家族に判断を委ねる場面も多く、在宅医をはじめとした援助者の仕事には、家族へのケアも含まれる。そんな中、患者への思い入れが強すぎるゆえに「どうしても死を受け入れることができない」家族がいるという。 現場に向かう警察官ら  例えば、死期が迫って意識が低下していることを受け入れられず、投与している薬のせいにする。自分の知識や価値観のみで判断しようとし、治療方針に強い不満を抱く。また死期が明らかに迫っているのに、「まだ食べられるはず」「お風呂にも入れるはず」と、医師の言うことを聞かない家族もいるという。 「患者がいつまでも死なないと思っている家族は、一定数います。そうした人ほど思い込みが強く、固執するところがあり、なかなか会話が通じない。結果的にトラブルにも発展しやすい」(前出の在宅医)  治療方針を巡って、医師と家族の意見が合わないことは少なからず見られることだ。延命治療をするかどうか、入院するかどうか、在宅医療ならどこまで何をするか──。「これでいい」と命の判断をすることは家族にとっても医療者にとっても難しい。患者を思うあまりに、行き場のない感情を爆発させてしまう家族もいる。自身も在宅医であり、45年にわたって医療の現場を見てきた小笠原望医師(大野内科理事長)は言う。 「命に限りがあることを認められない家族がいるときの医療は、とても難しい。そして家族と折り合わない中での在宅医療は、さらに困難を極めます。今回の事件は、『母の命を永久に』というのが、容疑者の医療への要求だったように見える。医療に対する度を越した要求の高さ、そして“母子分離”ができていない母と息子の関係性が事件の引き金になったのでは」  年齢を重ねてもなお、親と子との距離感が非常に近く、子が親に依存したり、必要以上に執着しているケースは少なからず見られる。80代の親が、自宅に引きこもる50代の子どもの生活を、経済的にも精神的にも支える「8050問題」が取り沙汰されるようになって久しいが、無職の息子である容疑者と年金受給者の母親という構図から、今回の事件にもこうした問題が潜んでいると見る向きも強い。子が親に依存し、互いの距離感が近いケースには、実は「80~90代の高齢の母と60代前後の息子」という構図が多く見られるという。訪問看護師としても活躍する大軒愛美さんが言う。 現場近くには花が手向けられていた 「60代前後になっても、精神的にも経済的にも親から自立できていない男性と高齢の母親、という組み合わせは珍しくありません。過去に携わったケースで、98歳の母親と60代の息子さんの二人暮らしがありましたが、息子さんはどうしても母親の死を受け入れられず、『何とか助けてほしい』と泣いて懇願していました。世間一般では、大往生と言える年齢であっても、どうしても死を受け入れられない。そうしたケースは、母と息子の二人暮らしであることが少なくない印象です」 ◆「焼香に来い」はありえない連絡  前出の関東地方の在宅医が携わったケースの中には、死亡確認をして死亡診断書を書いた後に、息子が救急車を呼んだケースもあった。 「自分の世界は母親だけ、というまま60代になってしまったような人でした。亡くなってからもずっと母親を撫で回して離れない。どうしても死を受け入れられないことから、わらにもすがる思いで救急車を呼んだのでしょうが、医療にも限界がありますから……」  一般的に、「この医療機関を利用する」という決定権は利用者側にある。医療機関は、一度患者を受け入れたら、患者や家族が困難な人物であっても、途中で「うちで診ることは難しい」と正面からは言いづらい。だが「どうしてもの場合には、何らかの理由をつけて逃げることもできなくはない」と、ある在宅医が明かす。「ただし、鈴木医師のように地域の8割の在宅患者を担当していたという状況では、見捨てて手を引く、という選択肢はなかったのかもしれない」(前出の在宅医)  さらに今回の事件のように、家族から「焼香に来てほしい」という連絡が医療機関に入ることは、複数の在宅医や看護師が「普通はありえないこと」だと首を振る。在宅医の仕事は、患者の死亡診断書を書いた時点で契約が終わるからだ。だが鈴木医師は事件当日、自身を含む関係者7人という大所帯で容疑者宅に弔問に訪れていた。25年にわたり、家での看取りを支援し続ける桜井隆医師(さくらいクリニック院長)は言う。 「おそらく、容疑者に問題があると認識していたからこそ、母親が亡くなった後の彼へのケアと労いの意味合いを込めて、関係者全員で行ったのでは。そこまでしてくれる医師は、普通いません。容疑者は他に関わっている人がいないからこそ、一番よく面倒を見てくれた人に攻撃を向けてしまったのでは」 (フリーランス記者・松岡かすみ)※週刊朝日  2022年2月18日号
週刊朝日 2022/02/09 08:00
友達がナンパされたときのもう一人の選ばれなかったほうの女の心理
友達がナンパされたときのもう一人の選ばれなかったほうの女の心理
※写真はイメージです(GettyImages)  SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する。 テレビの突撃取材を受ける二人組「あの~すいません、〇〇テレビですけど」  最近、テレビをよく見る。  一時期テレビを見ない生活をしていた反動なのか、とくに面白く感じるのだ。バラエティからニュースまで、髪を乾かしているときやご飯を食べるときに見ているのだけれど、一際目につくのは、ワイドショーなんかでよくやっている街頭インタビューだ。面白いというか、なんか、何かが気になるんだよな。 「ちょっとお話いいですか?」  いつも見かけるたびに何かがひっかかって、街頭インタビューのコーナーになるとついじっと観察してしまうのだ。  テレビ番組の突撃インタビューというのは、だいたい二人組に声をかける。カップルのときもあれば、親子のときもあるし、友達同士のときもある。その中でも私がつい見入ってしまうのは、女友達二人組に声をかけている場合だ。 「どうしてこの店に来たんですか?」「今日のファッションのポイントは?」「この辺で面白い店知りませんか?」「お仕事何されてるんですか?」  街頭インタビューというのは実にありとあらゆる質問をするものだけれど、やはり女二人組にはそれらしいことを聞いたりもする。彼氏いるんですか? 今日は何しに来たんですか? これからどこに行くんですか? 云々。  そういうのを見るたび、私は何か変な違和感を覚えてしまうのだ。なんだろう。何かがひっかかっているような……納得いかないような。自分の過去にも、抱いたことがあるような、何か、変な感じ。  それが何なんだろうと、ずっともやもやしていたのだけれど、その正体に気がついたのは深夜にやっていたとある街頭インタビューを見たときのことだ。ブランドショップに買い物に来ている若い女の子二人組に声をかけていた。たぶん、高校生か、卒業して大学に入ったばかりくらいだろうか。 「え~どうだろうわかんないきゃははは」  楽しそうに笑う画面の向こうの女の子。それを見て笑うワイプの人たち。  かわいい。かわいらしい。とてもかわいい。かわいい……。  あっ! そうだ! これだ!  そうなのだ。気がついてしまった。とても残酷な現実。気がつきたくはなかったけれど、どうしても目を向けざるを得ない現実……。  そう、二人並んでいる女子のうちの、インタビューを受けている方がかわいいという現実である! 「え~と、今日は買い物にきました」「彼氏ですかぁ~? いないです~」「え~もうちょっとどうしようっ」  そう言って照れくさそうに笑いながら、隣にいる友達の肩を軽く叩く女の子は、かわいい。とてもかわいい。別の言い方をすれば、華があるのだ。目がキラキラしていて、ちょっと恥ずかしそうにして、「テレビに話しかけられて困っている女の子」として完璧な振る舞いをする。でも少し自信があるそぶり。きっと今までにもそういう経験をしたことがあるのだろう。ああいう子たちというのはだいたい、人に話しかけられることに慣れている。きっと街を歩いていてナンパされたりすることもよくあるのだろう。その照れくさそうにしている受け答えの仕方もなんだかとてもこなれている。  でも、隣にいるインタビューされていない友達のほうはどうだ。私は画面の端っこに半分見切れている女の子を見やる。うーん、たしかにインタビューされている子のほうが華がある。うん。これは現実だ。彼女はどんな思いで隣に立っているのだろうか。私はさらによく彼女の気持ちを読み取ろうと、インタビューされていない子の顔を凝視した。傷ついているのだろうか? 若干笑顔が引きつっている? 悲しそう? 切なそう? どうだ? この顔はどんな気持ちだ? 声をかけられるのはいつも彼女のほうだった  彼女の顔が一瞬、大きく映った。その顔を見て私はハッとした。いや、違う。これは違う。彼女は悲しいわけでも怒っているわけでもない。これは……この顔は……。  走馬灯のように、その顔を見たときのことが蘇ってくる。そうだ。あれは中学生の頃だったか。当時一番親しかった友人は、とても華がある子だった。目立つ。学年の人気者。明るくて、ちょっと気分屋なところがあるけれど、それでも愛される。先生からもよくいじられる存在。見た目もかわいい。男にもモテる。そういう子だった。  私はその子ととても仲が良くて、学校帰りにも休みの日にもよく渋谷に遊びに行った。カラオケや買い物をしたり、ゲーセンでプリクラを撮ったりして遊んだ。彼女は本当に魅力的な子だった。小悪魔的、と言ってもいいのかもしれない。ちょっとわがままで、無意識に人を振り回すようなところがある。でもそんなところも、人を惹きつける要素の一つに過ぎなかった。  私も彼女に惹かれていた人間の一人で、話していてとても楽しかったし、人として大好きだった。彼女といつも一緒にいた。人気者の彼女と一番仲が良いという事実がなんだか誇らしかった面もあった。  彼女と私のペアは最強なんじゃないかと思っていた。街を二人で歩いているとよく声をかけられたし、「どっかみんなで遊ぼうよ」と男二人組に声をかけられるなんてこともあった。私は彼女と仲良くなったことによって自分も華のある人間になれたような気がして、嬉しかった。  でも、あるとき突然気がついた。  話しかけてくる人たちがいつも、私のことを見ていないことに。  私一人だと、誰にも声をかけられないことに。 「ねえねえ、これからどこに行くんですか?」  そうやって声をかけられるのはあくまでも私ではなく彼女のほうだった。いつも人が来るのは彼女の側だった。それは私がツンとした顔立ちで、声をかけづらいからなのだと言い聞かせていたけれど、違うのだ。彼らの視界に、私ははじめから入っていなかったのだ。  彼らが声をかけたかったのは「彼女」であって、その隣にいるのは誰でもよかったのだ。私でも、別に他の友達でもよかった。私は、「女二人組」でいることによって話しかけやすくするという要素の一つに過ぎなかった。  話しかけられているのは、「私たち二人」ではなく、「彼女一人」なのだ。  もちろん、そのことに気がついてから、私は動揺した。なんで彼女ばかりが声をかけられるのだと思った。理不尽じゃないか。失礼じゃないか。女二人いるのなら、両方に話しかけるべきだ。一方を無視するなんておかしい。平等に接するべきだと思って憤慨した。  でも、そんなことが繰り返し繰り返し起こるうちに、私の中に諦めの感情が芽生え始めていた。  これは、仕方のないことなのだ、と。  世の中には華がある人間と、華がない人間がいて、そのどちらかに一度分類されてしまったら、もう一つのカテゴリーに移ることはできないんだと、気がついたのだ。  でも、理解してからは、早かった。「そういうもの」だとわかっていれば、「目立たない存在」として落ち着いていられる。彼女のように目立つわけではないけれど、実はきちんと状況を把握できている人間。そう、叶姉妹で言えば叶美香さん的存在。彼女がエキセントリックな恭子さんだとすれば、私は落ち着いて姉を支える堅実な美香なのよ。そう自分に言い聞かせていた。それで精神を保っていた。  そして、テレビ画面の向こうの彼女も、そんな顔をしていた。 「大丈夫、いつものことよ」と、彼女は自分自身に、言い聞かせているような気がした。悟った顔をしていたのだ。何かに焦っていたり、イライラしていたり、動揺していたりする様子はない。「別に大丈夫」、そんな落ち着いた顔。そう、まさに叶美香さん的顔だ。  ああ、きっとこの子も、いつもこの目立つ女の子と一緒にいて、こういう現象には慣れきっているのだろうなと私は思った。なんということだ。この子は健気じゃないか。私はあの頃の自分を思い出し、彼女と重ね合わせて涙が出そうになった。 「選ばれない人間」にこそ真の魅力があると、思いたい  ねえ、どう思いますか。  この現象、どう思いますか。  いや、華がある人間は羨ましいし、私はそうなりたいと、今でも思う。黙っていても目立って、何もしなくてもなぜか人がよってくるような、そういう人間に私はなりたい。  でもこうやって自分の立場をきちんとわきまえて、「私は大丈夫」と本当は目立ちたい気持ちをこらえつつ、それでも大人な対応をしている、おそらく弱冠十八歳程度の女の子のことを、とても愛おしいと思うんです。ねえ、そうは思いませんか。  どう見てもたったの十七とか、十八とかそこらだ。まだまだ目立ちたくて、何か素晴らしい存在になりたいとか思っている年齢だ。それなのに、自然と「自分は目立たない」と理解して、それで振る舞い方をきちんと考えている若い女の子。ああ、切ない。なんて切ないんだろう。私はその子のその表情にいたく共感してしまったのだ。  私は言いたい。街頭インタビューで声をかけられない女の子にこそ、真の魅力があるのだと。目立たず、立場をわきまえ、じっと息をひそめる賢さを持っているのだと。ぱっとしないどころか地味だし、一見普通の女の子にしか見えないけれど、そういう「選ばれないほうの人間」として苦労してきた人間だからこそ醸し出すことのできる、その人独特の魅力があるのだと、私は言いたい。  だから、声をかけてほしい。華がないほうの人間にこそ、声をかけてほしい。華があるほうの子は、何もしなくても声をかけられるのだから。陰でひっそりと咲く選ばれない女の存在を、知ってほしい。知ってほしい。  たのむ。どうか気がついてくれ。  じゃないとなんだか私が報われないんだと、よくわからない不特定多数の誰かに主張したくなった、夜だった。 川代紗生(かわしろ・さき) 1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。 2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。 「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。 メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。 現在はフリーランスライターとしても活動中。 『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。
ダイヤモンド・オンライン 2022/02/07 17:30
久本雅美「私たちは楽屋のハンガーを集めるただの劇団員」
久本雅美「私たちは楽屋のハンガーを集めるただの劇団員」
久本雅美さん(左)と林真理子さん [撮影/小黒冴夏、ヘアメイク/梅原麻衣子、スタイリング/前田みのる]  笑顔とトークが弾ける久本雅美さん。作家・林真理子さんとは、控える舞台のこと、劇団に入ったきっかけ、そして老後についてなど、大盛り上がり。最後にお二人、「楽しみ」な約束をして……。 【前編/久本雅美、藤原紀香を「ノリオ」と呼ぶ 「結婚は面倒だけど憧れもある」】より続く *  *  * 林:久本さんは、たまたま佐藤B作さんの「東京ヴォードヴィルショー」の舞台を見て、お笑いの世界に飛び込んだんですよね。俳優座とか文学座とか劇団四季とか、いろんな道があったのに「東京ヴォードヴィルショー」に入ったって、すごいセンスですよね。 久本:それがね真理子さん、私、演劇にいっさい興味なかったんですよ。たまたま友達に「新劇の舞台をやりたい。東京に舞台を見に行くからついてきて」って言われて、一緒に東京に遊びに来て、「いま『東京ヴォードヴィルショー』ってすごい人気だよ」って言われて、見たら私がハマっちゃったわけ。私、劇団に入ってから、ほかにこんなに劇団があるんだってわかって、慌てて見たんですよ。 林:そうなんですか。 久本:それこそ紅、黒のテントから「東京乾電池」「第七病棟」「天井桟敷」とか、とにかく勉強のために、アングラから何から、片っ端から見たんです。もちろん、「民藝」「文学座」「青年座」とかもね。でも、いまは青年座とかそういうお芝居も大好きなんですけど、あのとき最初にそういうお芝居を見てたら、自分が入ろうとは一ミリも思わなかったと思います。あの世界の役者さんに対する尊敬はあっても。 林:久本さんの心をとらえなかったんだ。 久本:「東京ヴォードヴィルショー」は、笑いがあって、走り回ってエネルギッシュで、笑いで人を感動させてることに驚いたし、そこにひかれるものがあったと思うんです。運命っていうんですかね。自分が行かなきゃいけないところにめぐりあったというか。よく言うじゃないですか、「偶然じゃなくて必然だ」って。 林:柴田理恵さんとの出会いも。 久本:そう。彼女は富山から東京に出てきて、明治大学の劇研(演劇研究部)に入って、そして「東京ヴォードヴィルショー」に私より先に入っていたという、これまた運ですからね。不思議なものに引っ張られてるところがあると思うんです。 久本雅美 [撮影/小黒冴夏、ヘアメイク/梅原麻衣子、スタイリング/前田みのる] 林:でも久本さん、ふつうの女優さんとしても十分いけたんじゃないですか。 久本:いけないですよォ~。 林:「ミヤコ蝶々ものがたり」(2007年)で蝶々さんの役をおやりになったし、やれそうなもの、いろいろありますよね。森光子さんの「おもろい女」なんかも、ぜひやっていただきたいですけど。 久本:(藤山)直美さんがやってらっしゃいますからね。太刀打ちできないですよ。 林:このあいだ、NHKの「サラメシ」に「ワハハ本舗」の稽古場が出てきましたけど、まかないが一食300円というのも驚きだったし、看板女優の久本さんとか柴田さんが、若い人たちとふつうに一緒に食べているので、ちょっと感動しちゃいました。 久本:いやいや、私も柴田さんも、舞台終了後はそれぞれ、自分の役割の作業をしてますからね。私はハンガー係で楽屋のハンガーを集めてるし、柴田さんはカゴ係でカゴを集めてるし、ただの劇団員なんですよ、私たちは。 林:でも、舞台が終わったあとは、座員たちを連れてごちそうすることもあるんでしょう? 久本:コロナ禍の前は、絶対ごはんに行ってましたよ。グループに分けて、きょうはこの子、きょうはこの子ってまんべんなく呼んで。だからお金がたまらないんだけど、私もおいしいものを食べて息抜きになるし、元気になるし、かわいい後輩たちと一緒に行くのは、ぜんぜんイヤじゃないです。最近は、ぜんぜん行けていませんけどね。 林:素晴らしいです、それって。 久本:うちはほんとに仲がいいんですよ。聞くと、ほかの劇団は終わると気の合った人たちだけでちょっと行ったり、まったく行かないで三々五々だったりするみたいですけどね。 林:私も「ワハハ本舗」の舞台を拝見したことがありますけど、最後、踊ったりするじゃないですか。そのために体形もキープしておかなきゃいけないんですよね。 久本:普段からそんなに気にしているわけじゃないですけど、うちの劇団は最低3曲ぐらいは踊るので、私もパーソナルトレーナーについてトレーニングしてます。私もトシなんで、ケガしない体をつくらなきゃいけないと思って、真理子さんと同じトレーナーさんのところに行ってるんです。 林:最近、うちの近所にキックボクシングのトレーニングジムができたんですよ。 久本:えっ、行く気? 林:行こうかと思って。 久本:さすが! アクティブ! 林:運動しないと体がナマっちゃって、背中が丸まっちゃう。久本さんは私よりずっと若いからまだ気にしなくていいと思うけど、私は老後のことを……。 久本:えっ、真理子さん、老後考えてます? 林:考えてますよ。 久本:どうするの? 教えて! 参考にする。 林:施設に行こうと思って。お金ためて。 久本:マジで? お金たまってるくせに、ねえさん(笑)。 林:いい施設に入ろうと思ってますよ。 久本:よく大御所の方が入ってる施設? いろんなものが全部整ってるような。 林:そうそう、そういうところ。いまのうちを売って。 久本:ご主人と一緒に行くつもりなの? 林:夫は先に入ってもらわないと(笑)。メチャクチャお金かかるみたいで、二人で一緒に行くお金はないから。だからそろそろ断捨離もしなきゃいけないし。 久本:私は妹(歌手・タレントの久本朋子)が近くに一人で住んでるんですけど、一緒に住むつもりはないし、でも一人だとコワいじゃないですか。倒れて起き上がれなくなって、そのまま3日間、とかってなると。 林:劇団員がいるじゃないですか。皆さんこれだけ久本さんにお世話になって、その恩は忘れてないですよ。 久本:私、コロナ禍の前は、劇団員にビールを注ぎながら「老後、頼みま~す」ってやってましたから(笑)。 林:中尾ミエさんにこの対談に出ていただいたときに、アパートを持っていて、何かあったらその店子(たなこ)がすぐ駆けつけてくれるっておっしゃってましたよ。 久本:そうそう、私も聞いたことある。ああいうの、いいですよね。私もシェアハウスなんかどうかなって一瞬よぎったんですよ。1階にうちの劇団員を何人か住まわせて、2階に自分が住んで、お互いのプライベートは絶対に確保しつつ、飲みたいときに一緒に飲んで、しゃべりたいときにしゃべるという。劇団員も安く住めるしね。 林:いいじゃないですか! 久本:だけど、それで1階に住んでいる劇団員が次々と結婚していったら、結局自分一人になっちゃうな、どうしたらいいんだろうと思って。彼らの幸せも考えなきゃいけないしね。老後のこと、マジで考えなきゃいけない。もう63(歳)だから。 林:えっ、63? まだ50代だと思ってた。 久本:今年64ですよ。真理子さん、おいくつでしたっけ。 林:67です。老後ってまだ先だと思ったら、「もう老後じゃん」って人に言われて、ちょっとショックを受けましたよ。 久本:いやいや、私、もう完全に老後だと思ってますよ。ちょっと転んで骨折でもしたら、大変なことになるっていう年齢じゃないですか。 林:女優さんの老後ってどうするんだろう。石井ふく子さん(プロデューサー)は、京マチ子さんと若尾文子さんと同じマンションに住んでるんですって。京マチ子さんは亡くなられたけど、ナントカの郷みたいに。 久本:「やすらぎの郷」? でも、どうなんだろう。よっぽど仲のいい人だったらいいけど、そうでもなかったら、ちょっと気をつかいますよね。 林:私、このあいだ石井先生が演出なさった新派の朗読劇を見に行ったんです。そのとき私にある脚本家を紹介してくださいっておっしゃったんですよ。今度テレビのお仕事、一緒にしたいからって。それってすごくないですか。 久本:すごすぎる! 生涯現役! もう九十いくつでしょう? 林:95ぐらいかな。 久本:わっ! こんな言い方あれだけど、まだやる気なんだ。すごい挑戦というか、そのパワーは素晴らしいですね。パワフルだァ~! パワフルすぎる。私、また目標が出てきたな。だけど、真理子さんだって若いよ。若い、若い。 林:うれしいです。 久本:真理子さん、またイケメンとの食事会やりましょうよ。いま、あるイケメンに声をかけてますから。 林:まあ! 久本:コロナが終わったあとよ。要するに私たちはイケメンとごはんを食べて、心にヒアルロン酸とコラーゲンを注入するだけのことですからね。誰にも害はないです。 林:楽しみだなあ(笑)。 久本:やりましょう。林真理子という“名刺”をガーンと出せば、みんな「えっ、林さんと一緒にごはん食べられるんですか?」ってなるから。 林:そ~んな人、いるわけないじゃないですか。「あのオバサン、ちょっとコワそう」ってみんな思ってるから。 久本:そんなことない、そんなことない。楽しみだなあ。私もそれで“栄養補給”するから(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 久本雅美(ひさもと・まさみ)/1958年、大阪府生まれ。81年、東京ヴォードヴィルショーに入団。84年、WAHAHA本舗設立。翌年テレビ「今夜は最高!」へ出演して以来、バラエティー、テレビドラマ、ラジオ、映画、CMなど多方面で活躍。現在、テレビ番組「秘密のケンミンSHOW極」「ヒルナンデス!」などでレギュラー。昨年、著書『みんな、本当はおひとりさま』を上梓。俳優・藤原紀香と共演する舞台「毒薬と老嬢」(3月16~20日、新橋演舞場、4月16~24日、大阪松竹座、地方公演あり)の公演が控える。※週刊朝日  2022年2月11日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2022/02/06 11:30
『呪術廻戦』出演・内山昂輝 デビュー29年で思う「子役から声優になった今の自分」
『呪術廻戦』出演・内山昂輝 デビュー29年で思う「子役から声優になった今の自分」
内山昂輝さん(画像=事務所提供) 『劇場版 呪術廻戦 0』で狗巻 棘(いぬまき・とげ)役を演じた声優の内山昂輝(31)さん。前編では狗巻 棘という人気キャラクターを演じる難しさや『呪術廻戦』の魅力について聞いたが、後編では自身のキャリアについて振り返ってもらった。3歳で役者をはじめ、デビュー29年目を迎える内山さんが考える「職業としての声優」とは――。 *  *  *――内山さんはすでに声優としてのキャリアを20年以上積み重ねています。声優になるにあたり、転機になった出来事はありましたか。  僕は3歳で親に今の事務所に入れられて、ドラマや映画などに子役として出演することを目指してレッスンに通っていました。そして小学5年の時から吹き替えの仕事が始まって、そこからは役者と声の仕事を並行してやっていくようになりました。  振り返ると、役者の仕事と学業をこなしながら、いつの間にか声優になっていたという感じなんです。学業もちゃんとやりたいという思いがあったので、大学も普通に通っていて、留年もせず普通に卒業しました。その後、なだらかに20代も終わっちゃったし、いつの間にか声優で生活していく状況になってた感じです。 ――そうだったのですね。それでも声優を職業にして生きていこうと決意されたタイミングはあったのでは。 大学3年の就活の時期に、こちらからは「就活をするので新たな仕事を入れないでください」といったストップはかけずにいたんです。それで、就活が本格化する時期になっても、仕事で毎日アフレコに行くような状況になっていて、何も就職活動ができなかった(笑)。  なので、自分が「明確にストップをかけなかったこと」が決意といえば決意なのかもしれないです。漠然とこれからの人生はどうなるんだろうなと思いながらも、流されるままに声優の仕事をしていて、幸運なことに大学在学中には自立可能なお金を稼げるようになった。だから、「この先食べていけるのかな」という悩みはゼロのまま今に至っているんです。それは本当にラッキーだったと思います。実家を出て独り立ちできる収入が見込めないなら、たぶん他の仕事をしてただろうし。そして、喉を大きく壊したこともないですし、そんなに大きな挫折もなくここまで来てしまいました。 内山さんが演じた狗巻 棘。(C) 2021「劇場版 呪術廻戦 0」製作委員会 (C)芥見下々/集英社 ――大きな挫折がないというのはすごいですね。内山さんは物事を器用にこなせるタイプなのでは。  いえ、器用なほうではないと思います。声優の技術を専門学校とかで学んだ経験がないので、基礎的な面で未熟な部分は多かったですし、全部スタジオの現場で一つ一つ教わっていきました。テクニカルなことを本当に何も知らないまま、子ども時代から10代を過ごしてきたし、大人になっても、おそらく常に足りない部分がありながらやってきてしまった。それを日々のトライ&エラーで、足りない部分を少しずつ補いながら進んでいきました。知らないことやできないことは本当に多かったですし、それをとくに気にせず駆け抜けてきてしまったという感じです。 ――キャリアを重ねる中で、仕事のやり方が変化してきたところはありますか。  この3~4年ぐらいで、前よりもコミュニケーションを重視するようになった気がします。子どものころから仕事をしてきたせいか、以前は大人が設定したハードルを飛び越えればOKという感覚でやってきました。声優は、監督やスタッフが作りたいものの部品として組み込まれる仕事だから、それはある意味で正しいとは思います。 でも、僕自身も大人になって年を重ねていくと、大人も120%パーフェクトな人なんていないと感じるし、作品の制作途中はどんな完成品になるのか読み切れない部分がある。その中で、「こうかな」と懸命に探りつつ作っているんだなとだんだん分かってきたんです。セリフの収録中、袋小路に陥りそうな状況では、「こういうのはどうですか」とこちら側がズバッと意見を言ったほうが、案外スムーズに進んだり、風通しがよくなったりすることがあるとわかってきました。 そうした学びの中で、スタッフサイドに「どういうものが作りたいですか」と聞いた上で、自分からも邪魔にならない程度に意見やアイデアを出したり、ディスカッションしたりすることを重視するようになった感じがします。ある意味でずうずうしくなっているし、ずけずけと物を言うようになってしまった(笑)。 『劇場版 呪術廻戦 0』のキービジュアル。(C) 2021「劇場版 呪術廻戦 0」製作委員会 (C)芥見下々/集英社  声優は役者さんと違って、いろんな作品を掛け持ちでちょこちょこ参加していく仕事のスタイルが一般的です。朝はAというアニメのアフレコに参加しながら夜はBのアニメに出ていたり、次の日の朝はCというナレーションをやって、その後Dという吹き替えをやっていたりというように、毎週何本もの作品にかかわります。 なので、それぞれ濃度の違いはあれど、参加する本数はどんどん増えていくので、「ここではこの表現が正解だったけど、あっちでは全く通用しない」ということもよくあります。だからある意味で、作品に対してニュートラルになれたり、俯瞰して考えられることもある。シチュエーションによっては、これまでのキャリアを作品に生かせることもあるんだと経験則で分かってきたので、今はなるべく自分の意見を出すようにしています。 ――これからどんな役にチャレンジしたいですか。  自分は31歳なのですが、今の自分の年齢に近い、等身大のキャラクターをやってみたらどうなるんだろうと興味がありますね。リアルでナチュラルな表現ができたら面白いだろうなと思います。  あと少し話はずれますが、業界全体で変えていけたらいいなと思うことが一つあります。『呪術廻戦』はTVシリーズから始まっているので声優中心のキャスティングになっていますが、例えばこれがオリジナルの大作アニメーション映画で、それを今回と同じような規模で全国公開しようとなると、メインキャストが声優ではなく、俳優やタレントの方になることも多いと思います。そういう手法がダメだというつもりはないし、求められる声質や演技の雰囲気とか、アニメ映画のビジネスとしての側面を考えれば十分理解できるんですが、ただ一方で、アニメやゲーム、吹き替えなど普通の声優業をやっているだけでは、たどりつけない領域があるということを、20代を通して痛感しました。なので、業界全体でそういう状況を打破できたら、もっと面白くなるんだろうなと思いますね。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和) 【前編】『呪術廻戦』狗巻役・内山昂輝が語る 「おにぎりの具」「呪言」のセリフに込めた喜怒哀楽
内山昂輝呪術廻戦声優狗巻棘
dot. 2022/02/05 11:00
YouTuberが必ずぶつかる「年齢の壁」を上手に生かす方法とは
なーちゃん なーちゃん
YouTuberが必ずぶつかる「年齢の壁」を上手に生かす方法とは
 YouTubeの仕事をしていると、若い感性に触れていなければならない、という使命感が常にあります。しかしながら、肉体や脳は確実に老いていて、自分自身が25歳、28歳、32歳のときにガクンと何か歳をとった感覚になりました。肌質や体質や体型の変化が起こり、脂っぽいものを食べられなくなったり、徹夜で働けなくなったり、少しの運動で体の調子が悪くなるなどの、若い頃には感じなかった感覚が起こります。  もし私が若者向けのYouTubeチャンネルの演者であったら、この感覚は非常に大きなハンデとなるでしょう。ターゲットと共通点が少なくなればなるほど、運営が難しくなるからです。仮に、目の前にYouTubeを始めようとする人がいて、何かアドバイスを求められた場合、自分自身の年齢を意識することを伝えます。YouTubeは何歳からでもスタートできますし、上限の年齢制限がありません。自分自身の年齢は問題ではないのですが、ターゲット層やチャンネルの内容やコンセプトを決めるときに重要な要素だからです。  YouTuberとしてコンテンツを制作していると、さまざまな壁にぶつかります。まずは年齢の壁です。とくに顔出しをしているYouTuberには深刻な問題で、皆さんがYouTuberと聞いてイメージするようなマルチ系と呼ばれるジャンルのYouTuberは、約30歳で年齢の壁が訪れます。一般的に言えば、30歳は仕事の幅が広がったり、キャリアが楽しくなる年齢ですが、マルチ系YouTuberの場合は異なります。  30歳は15歳からすれば、ずいぶんな大人だと思います。中高生とは思いのほか共通項が少なく、ジェネレーションギャップが顕著になる年齢です。この年齢の壁は音楽業界にも存在し、作曲する人は「10代や20代前半までの感性をいかに鮮明に保つか」を意識するそうです。10代や20代前半は多感な時期で、恋愛などをテーマにした曲でも、他の年齢よりも気持ちが強く共感度が高いためだそうです。30歳の大人にとって、10代はもはや思い出になりつつあり、現在の10代の子とはカルチャーが異なります。この感覚の差が年齢の壁につながります。  とくにYouTuberの場合、他に10代や20代前半のチャンネルも多く存在するので、ファンがより自分の年齢の近いチャンネルに移動してしまうパターンもあります。メイク系動画にもこの壁は存在します。ターゲット層を自分の年齢に近づけるか、自分の感性をターゲット層に近づけるなどして切り抜けますが、チャンネルが無数にあるYouTubeの世界で人気を集めるのは非常に大変です。若年層向けに顔出しで投稿するジャンルは、年齢の壁が最も大きな壁になります。もし、YouTubeを始めようとしている場合、年齢の壁は意識すべき問題だと思います。  逆に、年齢の壁があまり存在しないジャンルもあります。一つが、中高年向けのコンテンツです。芸能でも音楽でも、中高年のファンは、10年以上継続している場合が多くあります。音楽でいうと、演歌歌手のファンは、とても根強く長く同じ歌手のことを応援します。目まぐるしくコンテンツを消費する年齢層ではなく、スパンが長い(おそらくは体感時間の違いがある)ため、長期的な人気を獲得することができます。自分の年齢が40歳を超えている場合、コンテンツも40歳以上向けに制作すると長期的な活動をしやすいです。  なぜか、YouTubeやSNS等での発信というと、個人も企業も若者向けへのアプローチを重視しがちですが、人口や所得の多さ、流動性の低さを考慮すると、中高年やシニア層に向けてアプローチする方が盤石なコンテンツになります。ペット動画や料理動画、筋トレやスポーツ動画など、演者以外の要素が強いコンテンツも、年齢の壁が訪れにくいジャンルです。年齢の壁は、感性の違いが原因で起こるため、「年齢関係なくそのことについて話せる」ようなジャンルの場合は、壁に当たりにくいと思います。年齢の離れた人同士でも話が盛り上がる趣味などがあれば、それを元に息の長いコンテンツを制作できます。  年齢を意識する、というと「歳だから」「もう〇〇歳だから」とマイナスなイメージを持たれることがありますが、そうではなく、自分がどのフィールドで戦えるのかを正確に把握するのが重要です。年齢は、巻き戻すことができません。年齢の壁に当たった時は、無理に時を戻そうとするのではなく、冷静にターゲット層の選定をすべきです。
dot. 2022/02/04 07:00
替え玉受験事件の当事者が目の前にいた30年前の衝撃 放送作家・鈴木おさむ
鈴木おさむ 鈴木おさむ
替え玉受験事件の当事者が目の前にいた30年前の衝撃 放送作家・鈴木おさむ
放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、31年前の替え玉受験事件について。 *     *  * このコロナ禍の中で受験する人達は大変だが、受験と聞いて思い出すことがある。  今から31年前。1991年。ワイドショーやニュースでかなり話題になった事件。「明治大学替え玉受験事件」を覚えているだろうか?  当時、かなりの人気タレントだった「なべおさみ」さんの息子さん、他計20人近くの人達の替え玉受験が発覚した。  受験する生徒の代わりに、明治大学などの学生が「替え玉」として受験をするのだ。まあ、立派な犯罪である。  その仲介をするブローカー的人がいて、替え玉として受験した学生たちには、その人たちから対価が支払われるのだろう。  結果、それがバレて、大騒ぎになった。当然、替え玉として受験した学生は、大学を辞めることになる。僕は当時19歳。ニュースで見ていて「この人達、人生終わったな」と思っていた。  それから数カ月がたち、1992年の2月。僕の放送作家としての人生が始まる。  ラジオ局のニッポン放送で、放送作家見習いとして仕事をすることが出来た。仕事と言ってもギャラ0円だが、憧れのメディアで、ラジオ局で、ずっと聞いてきた人気番組ばっかりやってるその局で見習いだろうが働けることは夢のようだった。  二本の番組で勉強できることになった。一個は山田邦子さんの番組。そしてもう一個が、火曜日の深夜3時からやっていた「槇原敬之のオールナイトニッポン」である。今はCreepy Nutusがやってる枠ですね。  初日、深夜24時ごろにニッポン放送に向かう。そしてスタッフに挨拶する。その番組についていた作家さんは全部で2名。チーフ作家とセカンド作家。セカンド作家のAさんは僕より4つほど年上で、数カ月前に入って来たばかりでとても優しい人だった。  皆さんに挨拶すると、Aさんは僕がやるべきことを指示してくれる。すると、そこに、番組のディレクターのHさんが来た。すべての決定権があるHさんは、僕にとっては神。この人に認められなければその先はないわけだ。かなり緊張する。  Hさんは「鈴木君、君は何をしているの?」と聞いてきたので、明治学院大学の生徒であること、千葉県出身であることなどを話したが、まったく興味持ってくれない。  と、Hさんは、セカンド作家のAさんの肩を掴み「鈴木君ね。このA君はね、あの明治大学替え玉受験事件の犯人なんだぞ!!」と言った。  そうです。あの明治大学替え玉受験事件で替え玉をして大学を辞めることになってしまったうちの一人が目の前にいたのです。大学を辞めてから、放送作家になっていたのです。そしてHさんは言った「すげーーーだろ!!」と。  そこで僕の人生の価値観が変わった。僕が人生が終わったと思っていた人が目の前に放送作家として働いていて、「すげーだろ」と言われている。  僕の中では「ダメだ」と思っていたことが、この世界では「付加価値」になるんだと思った瞬間。そしてHさんは「君には何があるの?」と言って去っていった。  そこから僕は大人に認められたくて必死になった。自分にしかない付加価値を求めて、突っ走って来た。そこから30年。  振り返ってみる。自分にしかない付加価値を持った人になることが、最大の強みであることを教えてくれたあの人達には本当に感謝している。  ちなみに、ニッポン放送は、僕も含めてだが、よくわからない若者を拾っては育ててくれた。僕のちょっとあとくらいに、とある番組に放送作家として入って来た人がいる。  その番組の女性ディレクターは僕に言った「金がないんだけど、すごくおもしろいライターがいるから、番組の放送作家として手伝ってもらってるのよ」と。  その「金はないけどすごくおもしろいライター」は、リリー・フランキーさんである。  おもしろがって人を育てられる大人は最強だ。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)は発売中。「お化けと風鈴」はLINE漫画でも連載スタート。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。作演出を手掛ける舞台「怖い絵」が2022年3月に東京・大阪にて上演。
受験放送作家替え玉
dot. 2022/02/03 16:00
結婚は主君の許可が必要だが、離婚するときはどうだった? 江戸時代「武士」の一生行事
結婚は主君の許可が必要だが、離婚するときはどうだった? 江戸時代「武士」の一生行事
イラスト/さとうただし 週刊朝日ムック『歴史道Vol.10』から  武士全体の9割以上を占めていたという四十九石以下の下級武士たち。限られた収入の中、分相応の生活を営み、愉しんでいたという。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.10』では、江戸三百藩の暮らしと仕事を解説。ここでは誕生、元服から家督相続、隠居まで武士の一生の行事を一挙紹介する。 *  *  *  上は将軍から、下は御家人などの下級武士に至るまで、武士は同じような行事や儀礼を経験しながら一生を送ったが、誕生からしばらくの間は祝い事が続くのが習いであった。生まれてから1年だけをみても、お七夜、御宮参り、お食い初めの行事と続いた。  当時は医療水準がまだまだ低く、乳幼児の死亡率は非常に高かった。家族にしてみると、無事生き続けたことをその都度祝いたい気持ちが強かった。よって、家族による祝い事が幼少期に連続したわけである。 イラスト/さとうただし  誕生から7日目の行事・お七夜では、父親からは武士の魂である刀や産着などが贈られるのが定番だった。約一カ月後のお宮参りは今でもみられる行事だ。百日目にはお食い初めの行事となる。  5歳になると、袴着の行事が執り行われる。初めて袴を着ける儀式であり、子供を吉の方向に向けて碁盤の上に立たせ、左の足から袴をはかせた。武士の場合、外出時や人に対面する時は袴を着用するのが習いであったことから、その練習をさせたのである。袴を着用し始めた時から、腰には刀を差すようになる。 イラスト/さとうただし  15歳くらいになると元服の儀式が執り行われる。もともとは公家が初めて冠を被る儀式であり、髪を結って冠を被る加冠の儀と称された。武士の場合は前髪を落とし月代を剃って髷を結う儀式だったが、その役を担った者は烏帽子親と呼ばれ、後見人のような役割を担うことになるのが通例である。 イラスト/さとうただし  元服に伴い、名前も変更となる。幼名から実名(諱という)に改めたが、実名で呼ばれることはほとんどなく、普段はもう一つの名前である通称で呼ばれた。例えば、坂本龍馬の諱は直柔だが、通称の龍馬で呼ばれるのが通例だった。なお、元服は吉日が選ばれたが、年の初めの正月の吉日に執り行われることが多かった。 イラスト/さとうただし  20歳を過ぎると、家督相続の有無に拘らず嫁取りの話となる。嫁は自分と同じか、少し上の家禄を持つ武士の家から迎えるのが通例である。裕福な商家の娘を迎えることも珍しくない。家計が苦しい家にとり持参金は魅力的だったからだ。だが、武士と商人では身分違いであるため、武士の養女としてから嫁に迎えた。 イラスト/さとうただし  武士の場合は、結婚には主君の許可が必要とされた。逆に離婚の場合も、結婚を許可した主君に届け出て、その許可を得る形が取られた。  嫁取りの次は家督相続の運びとなる。家督を継ぐにも婚姻と同じく主君の許可が要件だったが、家督を相続しても役職に就けるとは限らない。逆に相続せずとも役職に就く事例は少なくない。当人の能力次第だった。  幕臣にせよ藩士にせよ、役職に就けない者の方がはるかに多かった。役職に就かずとも家禄は保障されており、何とか生活することはできたが、家禄を増やすには役職に就くしかなかった。そのため、就職活動は熾烈なものにならざるを得なかった。  50代に入ると、家督を譲って隠居の身となる事例が多くなるが、隠居と家督相続はセットになっており、これもまた主君の許可が必要だった。家禄は家督とともに跡継ぎに譲られたが、隠居後も役職にとどまる事例もあった。その場合は別に手当が支給された。  隠居後も長く生きる事例は珍しくなかった。泰平の世であったこともその一因だった。 ◎監修・文/安藤優一郎あんどう・ゆういちろう/1965年千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。近著に『江戸の旅行の裏事情』(朝日新書)、『越前福井藩主松平春嶽』(平凡社新書)、『お殿様の定年後』(日経プレミアシリーズ)他、著書多数。JR東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」等で江戸をテーマとする講師も務める。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.10』から 
歴史道
dot. 2022/01/31 08:00
夫がため込んだマスク1400枚の片づけ方
西崎彩智 西崎彩智
夫がため込んだマスク1400枚の片づけ方
ダイニングの上に物が常駐。テレワーク中は家から逃げ出したくなった/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.16自分の片づけと夫の片づけ「抱えこむ」より「切り分ける」夫+子ども/会社員  片づけの相談に来るほとんどの女性が、「物を捨てるのに抵抗がある」「手放し方がわからない」と言います。親世代のもったいない精神に影響を受けていたり、片づけを教わったことがなかったり、背景はさまざまです。  一人分なら物を管理できていたという人でも、仕事が忙しくなり、家族との共同生活が始まって物の量に反比例して自由な時間がなくなると、一変。段ボールたった一個の床置きを許したら、雪だるま式に物があふれてしまった……というのはよくある話です。  夫と保育園に通う子どもと3人で暮らす女性も、「人生であんなに物があふれた時期はなかった」と片づけ前の日々を振り返ります。                      結婚して数年間、大人2人が自分のペースで暮らしていた時期はまだよかった。収拾がつかなくなったのは、子どもが産まれてやることが山のように増えた頃から。  片づけられなかった理由の一つは、月に数回の出張があり、日中は仕事で家にいないという生活スタイル。休日は「抱っこ、抱っこ」とせがむ幼い子の世話にかかりきりになります。「こんなに働いているのに片づけなんてできない」と、出産や育児用品など使わなくなった物をドサッと段ボールに入れて、奥の部屋に置くということが続きました。実家にいた頃、彼女が捨てた物をチェックして拾うほど物を捨てなかった母の影響か、「処分」を考えることはあきらめがちだった、と彼女は言います。  もう一つは、買い物と物の収集が好きな夫と何も相談してこなかったこと。夫は使わなくなった炊飯器に鍋、洋服まで何でもとっておきます。処分するには彼の許可が必要で、話し合う煩わしさから「お互いが機嫌よく暮らすには無関心なくらいがいい」「私はなんて諦め上手なんだろう」と都合よく考えてきました。 これが片づけ習慣化の成果。パソコンや書類などはワゴンにまとめました/After  状況が変わったのは昨年の夏。コロナ禍で、出張以外は家で仕事をする生活に切り替わったときです。  シーンと静かなダイニングでパソコンを開き、ふと顔をあげると目の前はごちゃごちゃ。 「私は昨日と同じ今日を繰り返している。今日と同じ明日は絶対に嫌だ。そう思いました。でも、ここまで来ると何をどうしたらいいかわからなくて」  忙しくなくなる日なんて絶対に来ない、何かしなければ……。そんな折に、家庭力アッププロジェクトに出会いました。  彼女がハマッたのは、毎朝みんなで10分間だけ片づける「朝活」でした。睡眠時間を削って夜に片づけるより、時間制限のある朝の決まりごとは、1日を動かすスイッチになります。 「片づけ本も読んでいて『やればできる』と思っていたのですが、実際にやると進まなくて。行動の壁を越えるのに朝の10分は大きかったです。“一人じゃない感”にもあと押しされました」  普段ならソファでお茶を飲んでいる時間に段ボールを1個でもあける。待っていてもやる気なんて起きないから、1ミリでも動く。すると次の行動へのハードルが低くなります。「やり方を知っているけどやっていない」のと「やっている」は次元が違います。小さな行動こそ、習慣化の第一段階なんです。  階段を上がるように片づけは進んだけれど、見だけでフリーズしてしまう部屋の存在が最後まで残りました。夫の管理下の通称「ドラッグストア部屋」。いつの間にか物置になってしまった場所です。 「日用品を買ってきてくれるのはありがたいんですけど、買った物が段ボールやレジ袋に入ったままなので、また同じ物を買ったりして物が増えるばかりで」  そこには、歯ブラシからリュックサックが壊れた時のストックまで保管され、不用品も混じっていました。でも、週末の買い物は夫の気分転換でもありました。夫を尊重してその部屋はあきらめ、穏便にやり過ごすほうがいいのかも。迷った末に、私やプロジェクトの同期に相談を持ちかけました。 「そのときに言われたのが、『他人の問題や家族の問題をみなさんが引き受ける必要はない』という言葉。少し光が見えました。自分と家族の問題を切り分けたら、できることが見えてきたんです」 夫が買い込んだ日用品。これで「一部」だというから驚きです  まず、夫の許可を得て、ドラッグストア部屋にある箱の中身を全部確認することにしました。出てきたマスクは、なんと約1400枚。 「家族のためを思って買ってきた彼の成果だから感謝です。だけど、大人2人で毎日使っても2年近く使える。その事実を伝えたら『使っていかないとなぁ』と気づいてくれたみたいです」  彼女は事実を可視化すること、物を仕分けることが自分のできることだと考え、透明の袋に在庫を入れて量や種類がわかる状態をゴールとしました。もちろん夫に相談して許可を得たうえで、です。フリーズしてしまいそうな時は、子どもを巻き込みました。 「同じものを並べてみてね」「はいっ!わかりましたー!つぎはー?」「次は、同じ子をこの袋にお願いしまーす」「わかりましたー!つぎはー?」  という具合。2歳の子どもも仕分けに参加して、時間はかかったけれど、集中できたそうです。 「売りたくなったときに必要だ」という商品の箱は、たたむか大きい箱に小さい箱を入れて量を減らすことにしました。箱一個捨てるのに許可がいるなんてと思いつつ、勝手に捨てられるんじゃないかと不安そうな夫に「人の物は絶対に勝手に捨てないよ」とフォローを入れながら。  プロジェクトが終わる1週間前には、夫に少し変化が見られました。自分がため込んだ不用品が可視化されたからなのか、自らリサイクルショップに出向き、着ないスーツもまとめて処分。以前はあきらめていたコミュニケーションの成果かもしれません。  仕事場にもなるダイニングは明るく変身。物置部屋も在庫が確認しやすい状態になり、彼女の45日間のプロジェクトは完了しました。 ダイニングから見えるリビングも一変。ソファもすっきりしました/Before/After 「今はテレワークでも集中できて本当に幸せです。ダイニングから見える景色が変わりました。家をまるごと片づける方法がわかった安心感もあります」  共同生活の中で物の整理に迷うこと、ありますよね。そんな時は、まず自分の物、自分の問題、自分ができる範囲と思って片づけ始めてみてください。物を分ける、片づけのテリトリーを分けるだけでもいいのです。問題を人の分まで抱え込みすぎない。毎日の「10分アクション」で、状況はきっと変わっていきます。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
西崎彩智
AERA 2022/01/31 07:00
「鎌倉殿の13人」ゆかりの開運スポット 金運、出世運アップも!
「鎌倉殿の13人」ゆかりの開運スポット 金運、出世運アップも!
【銭洗弁財天宇賀福神社】 神奈川県鎌倉市佐助2-25-16 拝観料:無料 (画像提供:鎌倉市観光協会)  新大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台となる神奈川県鎌倉市には、散策しながら詣でたいドラマの登場人物ゆかりの開運スポットが多数ある。その中でもぜひ行っておきたい、三つの神社仏閣を紹介したい。各寺社のコロナ対策を守って安心・安全に参拝しよう。 *  *  *  2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が1月9日から放送されている。源頼朝の正室・北条政子の実弟であり、幕府の第2代執権に上り詰めて武家政治の基礎を築いた北条義時を主人公に、武士たちの熾烈なパワーゲームを描く。  脚本は「新選組!」「真田丸」を手掛けたヒットメーカーの三谷幸喜、義時役は大河初主演で昨年末の主演ドラマ「日本沈没─希望のひと─」が高視聴率をたたき出した小栗旬とあって、初回視聴率17.3%の好発進となった。  ドラマの舞台は19年に市制80周年を迎えた神奈川県鎌倉市。同市観光協会では、大河ドラマ放送による県内への経済波及効果を約307億円と見込んでおり、3月1日から23年1月9日までは鶴岡八幡宮境内の鎌倉文華館鶴岡ミュージアムにドラマの世界観を再現した大河ドラマ館をオープンするなど、大河観光のインフラ整備を急いでいる。  早春の鎌倉まで足を延ばすなら立ち寄りたいのが、パワースポットとして注目される市内の寺社だ。鎌倉武士たちが武運を祈った名所・古跡が残っており、中には、主人公の義時や、義理の兄に当たる頼朝などドラマの中心人物とゆかりの深い寺社もある。  そこで本企画では、長引くコロナ禍で沈みがちな気分を切り替え、新しい年の金運や出世運、商売繁盛などのご利益にあずかりたい人のためにオススメの寺社を紹介する。  金運を授けてくれる神社として全国的に有名なのが、同市佐助の銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにせんべんざいてんうがふくじんじゃ)だ。同神社は、巳年(1185年)の巳の月、巳の日の夜、人頭蛇身の宇賀福神が天下平定を目指す頼朝の夢枕に立ち、「この地に湧く水(銭洗水)で神仏を供養すれば、世は太平に治まる」と告げたことから創建されたと伝えられる。  その後、義時のひ孫に当たる第5代執権の北条時頼がその水で銭を洗って一族の繁栄を願ったことにならって参拝する人々も同じように銭を洗うようになり、やがてそれが、「洗ったお金は倍になって戻ってくる」という民間信仰につながったらしい。  お参りに際しては、岩窟のトンネルと鳥居が並ぶ参道をくぐった先にある社務所で有料のろうそくと線香を譲り受け、お金を洗うのに使うザルを借り、奥宮から本社、上之水神、下之水神、七福神社などに詣でた後、再び奥宮に戻る。そこで、紙幣や硬貨をザルに入れ、銭洗水を柄杓ですくってかけながら洗う。  紙幣を洗うときはびしょびしょに濡らすのではなく、隅を湿らせる程度でいいという。  同神社では「洗い清めたお金は世に出すことが重要なので、お守り代わりにしまい込むのでなく、感謝をもって有意義に使ってほしい」と助言する。 【佐助稲荷神社】 神奈川県鎌倉市佐助2-22-12 拝観料:無料 (画像提供:鎌倉市観光協会)  同市佐助の佐助稲荷神社も、頼朝とゆかりが深い。平治の乱に敗れ後白河上皇に伊豆へと流された頼朝の夢に、「かくれ里の稲荷」を名乗る翁が現れ、平家討伐の挙兵を促した。  夢のお告げに従い平家を倒した頼朝は、感謝の印に部下に命じてかくれ里の祠を探し出し、神社を再建したという。頼朝は配流される前の官位「従五位下・右兵衛権佐」から「佐殿(すけどの)」と呼ばれており、「佐殿を助けた稲荷」の意から「佐助稲荷」と命名されたという。  頼朝は平家打倒後に鎌倉幕府を興して征夷大将軍に就任したことから、同神社は「出世稲荷」の異名を取り、仕事や商売の運気を上げるパワースポットとして知られる。近年はペットや飼い主に寄り添う神社としても人気があり、犬や猫の絵馬やお守りが充実している。なお、「鎌倉殿の13人」放送に当たり、22年は特別な御朱印を出している。 ◆義時ゆかりの覚園寺薬師堂  稲荷神社とあって、参道には神域への入り口を示す赤い鳥居がずらりと並ぶ。歴史を刻む石の祠が多数ある境内の片隅からは「霊狐の神水」と呼ばれる神聖な湧き水が出ており、ペットボトルなどに入れて持ち帰ることもできる(飲水は不可)。  同神社の丹下昭憲さんが勧めるのは、神狐(陶器製の白狐像)の奉納だ。境内の各所には善男善女が願を掛けた白狐像がひしめき、幻想的な雰囲気を醸し出している。 【覚園寺】 神奈川県鎌倉市二階堂421 拝観料:500円 ※境内の定時拝観案内は休止中だが、個々に参拝可能(10~16時) 境内の写真・動画撮影は原則禁止(境内にフォトスポットを数カ所用意) 「鎌倉殿の13人」の主人公・義時との関わりが深いのが、同市二階堂にある真言宗泉涌寺派の覚園寺(かくおんじ)。同寺の前身は、薬師如来を信仰する義時が建立した大倉薬師堂だ。お堂には当時、鎌倉時代の大物仏師・運慶の手になる十二神将像が安置されていたとされ、そのうちの一体、戌神像には義時の命を救ったという逸話も残る。  幕府の第3代将軍・源実朝が右大臣に任命され、鶴岡八幡宮でその拝賀式が執り行われたときのことだ。実朝の列に加わっていた義時は、楼門近くにいた白い犬を見て急に気分が悪くなり、源仲章に代理を頼んで屋敷に戻った。  その後、実朝は甥の公暁に暗殺され、仲章も命を奪われてしまう。実は、この白い犬は戌神像の化身で、義時に命の危険を知らせるために姿を現したというのだ(諸説がある)。  その後の1296年、第9代執権・北条貞時が元寇の再来がないよう祈願し、大倉薬師堂を正式な寺院・覚園寺に改めたとされる。義時が建てた大倉薬師堂は火事で焼失し、現存する薬師堂は1354年に再建された建物に修繕を重ねたもの。  同寺住職の仲田順昌さんは、「荘厳なたたずまいで古都・鎌倉の面影を残し、義時公ゆかりの仏様もまつられている。参拝してその雰囲気を感じてほしい」と話す。  今年は、「鎌倉殿の13人」にちなんだ特別御朱印も配布している。ご本尊である薬師如来のお守りや、自分で祈願する内容を書いて巾着袋に入れて持ち歩く「道」お守り、薬師十二神将の守護札など授与品も、ご利益がありそうだ。(ライター・森田聡子)※週刊朝日  2022年2月4日号
ドラマ歴史
週刊朝日 2022/01/31 07:00
看取り士は最後のワガママを聞いてくれる? 在宅死を考える
松岡かすみ 松岡かすみ
看取り士は最後のワガママを聞いてくれる? 在宅死を考える
利用者に寄り添う看取り士(写真提供=日本看取り士会)  看取り士の派遣など、介護保険の対象とならない自費でのサービスをプラスすることで、在宅療養の満足度が高まることもあるという。訪問医療や訪問介護がベースとなるのは変わらないが、どのような場合に自費サービスを考えればいいのか。 *  *  * 「看取りについて、ちゃんとわかっている人がそばにいることの安心感は、とても大きかった」  こう話すのは、2年前に母を自宅で看取ったAさん(64)。末期がんで余命宣告を受けた後、「最期は自宅で過ごしたい」という母の希望のもと、自宅での療養生活がスタートした。余命宣告を受けた母のそばを片時も離れたくはなかったが、Aさんは自営業で飲食店を切り盛りしており、一日中家にいることはどうしても難しい。  帰宅が深夜になる日も多く、特に夜間が心配だった。在宅療養生活は、在宅医を中心に、ケアマネジャーや看護師、ヘルパーなどが訪問して支えてくれるが、常に自宅で見守ってくれるわけではないため、母が一人の時間に何かがあったらと思うと不安だった。  そこで「急な変化が起こったときのために」と、自費で依頼したのが看取り士の派遣だ。看取り士とは、一般社団法人日本看取り士会が認定する民間資格で、看取りのサポートを行う人のこと。家族や医療機関などと連携しながら、最期を迎える看取り全般を支える。  Aさんが看取り士に依頼してから、母が亡くなるまでの期間は約1週間。看取り士とボランティアスタッフで構成されるチームは、契約した日の夜からAさんの母に付き添い始め、シフトを組んで24時間態勢で見守った。看取り士は、医療行為や介護はできないが、そばで見守ることが大きな仕事の一つだ。  優しく声をかけ、体に手を添えて「大丈夫ですよ」と繰り返す。他愛ない話にも寄り添い、話し相手になることもサポートの一つだ。訪問看護や訪問介護では、「話し相手になってほしい」といった要望や「不安だからそばにいてほしい」という依頼には十分に対応できない。最期が近づくにつれ膨らみがちな不安や心細さにも、しっかり寄り添うことが看取り士の仕事だ。 ※写真はイメージです ◆自費サービスは高額のみならず  母が危篤状態に入ったと看護師から連絡を受けて駆けつけたAさんと家族、看取り士が見守る中で、Aさんの母は静かに息を引き取った。その後、看取り士から「体が温かいうちに、優しくさすって、抱きしめてあげてください」「遺体が温かいうちは、故人のエネルギーを受け取り、故人を労う大切な時間です」と言われ、涙ながらに時間をかけてお別れをした。  葬儀を終え、母がお骨となったとき、そのお別れの時間を思い出しては、「あのときしっかり抱きしめて感謝を伝えられて、本当に良かった」と実感したという。 「人を看取るという経験をしたことがないと、人が死ぬときにどんな状態になるのかもわかりません。臨終前に母の呼吸が変わってきた時点で、私一人ならパニックになっていたと思いますが、“看取りのプロ”の落ち着いた対応や『こういうふうにしてあげてくださいね』という声がけによって、私も家族も落ち着いて“その時”を迎えられたと思います」(Aさん)  在宅死を支えるベースとなるのは、介護保険サービスの対象となる訪問医療や訪問介護だが、看取り士の派遣など、介護保険の対象とならない自費でのサービスを加えることで、在宅生活の満足度がぐっと高まることもある。  現在では、利用者の多様なニーズに対応するために、一人ひとりの要望に合わせ、介護保険内と介護保険外のサービスを組み合わせたプランを提案する「選択的介護(混合介護)」と呼ばれる仕組みも、一部自治体でモデル事業としての取り組みが始まるなど、少しずつ整備が進められつつある。自費での介護保険外サービスというと、高額な費用がかかりそうに思うが、必ずしもそうではない。  例えば冒頭のAさんが依頼した看取り士も、介護保険の対象とならない自費サービスだが、契約料の1万1千円と臨終時の3時間程度の付き添いであれば、合計3万7千円程度で済む。  もっとも利用者が多いという1カ月の基本プランでは、1日5時間・月90時間まで、エンゼルチームと呼ばれる“看取り士の卵”によるボランティアの見守りがつき、看取りのサポート全般を担う内容で、月11万円かかる。看取り士の契約は、終末期に入った段階で依頼する人がほとんどであるため、契約してから1カ月以内で亡くなる人が多いという。看取り士は、自宅での看取りを支えることがほとんどだが、病院や施設でのサポートもできる。看取り士派遣サービスは、全国各地に29カ所ある拠点を中心に広がっており、現状では東北地方を除き、各地方への派遣も可能だ。  看取り士の体制は、契約者1人に対し、看取り士1~2人とボランティアスタッフを含めた10人がつく。1日5時間、月90時間までの付き添いは、看取り士とボランティアスタッフが交代制で行う。最期を迎える本人に対しては「看取り士」であることは伏せ、看護師などと名乗る。現在、看取り士は50~60代の女性が半数以上を占め、看護師や介護福祉士の資格を持っている人が多いという。余命宣告を受けた親を自宅で看取るために、看取り士の資格をとる人も増えているという。  日本看取り士会会長の柴田久美子さんが言う。 「看取り士の派遣は、お金がないと依頼できないサービスと思われることも多いのですが、実際には生活保護世帯の利用もあります。訪問医やケアマネジャーを探すといった相談対応や臨終時の立ち会い、月90時間までのボランティアスタッフによる付き添いのほか、食事を作ったり掃除をしたりと、依頼されたことは基本的に何でもやります」  ただ、死が目前に迫った本人から多い“依頼”というのは、食事や掃除といった日常的なものより、「私はもう死ぬの?」「死ぬってどういうことなの?」と繰り返し質問されるなど、「確かな死生観に寄り添いたい」という思いが強い傾向にあるという。 「落ち着いた姿勢でじっくり寄り添い、『大丈夫ですよ』と明るく励ましながら付き添います。心細くなる終末期に、誰かがそばにいることそのものに安心感を覚える方は多い」(柴田さん) ◆オーダーメイドで希望を実現  こうした看取りを支える“自費サービス”もあれば、もっと広く在宅での日常生活を支える自費サービスもある。  例えば訪問介護の自費サービス。介護保険内の範囲の訪問介護では、主に入浴や排泄介助、食事の介助などの「身体介護」と、本人の居室の掃除やゴミ出し、本人分の食材や、嗜好品以外の日用品の買い物などの「生活援助」、家から病院に通院する際の「通院等乗降介助」の三つが対象となる。身体介護は、同居家族の有無に関わらず、ケアマネジャーが必要だと判断してケアプランに組み入れれば利用できる。 (週刊朝日2022年2月4日号より)  生活援助は、一人暮らしや同居家族に障害があり、家事ができない状況に限り、ケアプランに組み入れれば利用できる。あくまで本人の日常生活での援助が対象で、本人が使わない部屋を含む大掃除や庭の草むしり、窓のガラス拭き、生活必需品以外の買い物などは介護保険の対象外となり、依頼することができない。通院の介助についても、家から病院までが介護保険の対象で、病院内の移動や待ち時間などの付き添いは介護保険サービス外となる。  だが、例えば「エアコン掃除をしたい」「鉢植えをちょっと動かしたい」「高いところのものをとってほしい」など、介護保険の対象外の範囲でも、日常生活の中で困ることは少なくない。こうした要望をかなえるのが、自費の訪問介護という選択だ。細かなルールや費用などは事業所によっても異なるが、大掃除や窓拭き、通院時の病院内を含む付き添い、旅行や外出の付き添いなど、「やってほしかったけどできなかったこと」をオーダーメイドでかなえることができる。費用は1時間単位の時間制で決められていることが多く、1時間につき2千~3千円前後が目安だ。  自費の訪問介護サービスも展開している社会福祉法人嘉祥会(東京都)事務局長の彌一勲(ひさしかずひろ)さんが言う。 「介護保険は、最低限の日常生活で必要なことやものが対象で、“生活の質”という視点で考えたとき、介護保険の範囲内だけでは賄えない部分がどうしても出てきます。そうした意味で、介護保険に自費サービスを組み合わせることで、生活の質をぐっと上げることができる。自費の訪問介護はオーダーメイドの内容で、基本的にはどんな要望でも対応できます」  彌さんの事業所で要望が多い自費サービスは、大掃除と通院介助。大掃除は民間の掃除業者に頼むこともできるが、在宅介護を見据えた部屋の片付け方ができるという意味で、介護事業所に依頼したいという声も聞かれるという。なお、自費サービスは訪問するヘルパーを指名することもできる。 ◆看護師付き添い同窓会に出席 「例えば、普段動く動線の中には荷物を置かない、薬箱など毎日使うものはわかりやすい位置に置くなど、介護視点で片付けるにはいくつかポイントがあります。利用者の声では、『掃除業者に頼んだこともあるけれど、介護の専門知識がある人に掃除を頼みたい』ということも聞かれました」(ヘルパーステーションぬくもりの園管理者・齋藤歩さん)  齋藤さんが付き添った例では、70代の難病を抱えた女性の買い物に同行することもある。当日の移動は、タクシーと車椅子で、齋藤さんが自宅に女性を迎えに行き、タクシーに同乗。タクシーを降りてからは車椅子を使い、日用品の買い物に付き添った。自分一人では買い物に行けないという女性は、数日前から買いたいものをリストアップしたメモを持参し、当日をとても楽しみにしている様子だったという。 「多くの女性にとって、買い物はいくつになっても息抜きでリフレッシュになる体験。買い物代行やネットで買うのではなく、実際に店に行って、自分の目で商品を見て触って品物を選びたいという買い物好きな方は多い。私が付き添った女性も、ずっと家にいる生活の中で、気分転換になったと喜ばれていました」(同)  自費での訪問介護と同様に、「プライベート看護」とも呼ばれる自費の訪問看護もある。行きたいところがあるけれど、一人で行くには不安。家族が一緒であっても、「出先で何かがあったら」と尻込みしてしまうケースもある。そうしたときにもヘルパーと同様、看護師に同行してもらうこともできる。  料金や具体的なサービス内容は事業所によって異なるが、1時間につき6千~1万円前後が目安。健康チェックや食事・入浴介助、清潔ケア全般、散歩や通院の付き添いなどをはじめ、採血や点滴、在宅酸素、がん終末期のケアなど看護ケアサービスも受けられる。基本的には24時間、365日の対応が可能だ。まずは自分が利用している訪問看護の事業所が、自費でのサービスを行っているか確認してみるとよい。  看取り士の資格も持つ看護師の大軒愛美さんは言う。 「在宅療養は、家に引きこもるということではなく、身体が許せば自由に外に出たらいい。そのときに自費サービスを活用することで、安心して外に出ることもできる。例えば冠婚葬祭や同窓会などの外出に、3~4時間程度付き添ってほしいという依頼もあります。家族が一緒にいる方でも、痰の吸引が必要な方など、外出先で急に苦しくなったらと不安に思う方は少なくありません」  自費サービスは、介護保険のように細かな制約がないため、思い切って希望をかなえることができる。行きたい場所、会いたい人、やりたいこと──終末期が近づけば、やり残したあれこれが頭に思い浮かぶこともあるかもしれない。 “最後のワガママ”をかなえるための選択肢として、考えてみてはどうだろう。(フリーランス記者・松岡かすみ)※週刊朝日  2022年2月4日号
週刊朝日 2022/01/29 17:00
多頭飼育現場からレスキューされた兄弟猫の運命の分かれ道 「また一緒に暮らす日まで」
水野マルコ 水野マルコ
多頭飼育現場からレスキューされた兄弟猫の運命の分かれ道 「また一緒に暮らす日まで」
仲良し兄弟の可愛い寝姿(提供)  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回、お話を聞かせてくれたのは神奈川県在住の会社員の石井さん。子どものころからの“猫と暮らしたい”という願いを叶え、NPO法人のシェルターから2匹の兄弟を迎えました。人懐こい彼らと幸せに暮らしていましたが、思いがけない事態が起きて、兄弟は2度と会うことができなくなります……。今の心境を語って下さいました。 *     *  * 私は今、夫と、さくらという雄猫と暮らしています。推定8歳ですが、とても甘えん坊で、私や夫の膝に乗るのが大好きな子です。さくらには、ふぶきという兄弟がいて、2年前まで私たちは賑やかに、幸せいっぱいに暮らしていました。  残念ながら、ふぶきは一昨年、虹の橋を渡りました。急に容態が変化して、まさに“さくらふぶきが舞い散る”ようにあっという間のできごとでした。あの子のことを記録に残したくて、今回、応募しました。 ◆おにぎりみたいな顔に「世界一かわいい」  私にとって、さくらとふぶきは“人生初”の猫。ずっと猫と一緒に住むのが夢でしたが、5年前の2017年の春にマンションを購入。ついに念願の猫を迎え入れることにしたのです。  迎えるなら保護猫がいいなと思っていました。また、私たちは共稼ぎで長時間のケアはできないので、子猫よりは成猫、さみしくないように1匹より2匹がいいかなとも考えました。  引っ越す前月から、NPO法人が主宰するシェルターを訪問。2度目にシェルターを訪れた時、「世界一かわいい!」と思う2匹がいました。それが、当時3歳(推定)だったさくらとふぶきなのです。大柄で、何といっても“おにぎりみたいな大きな顔”が特徴(笑)。少し離れたところにいても、兄弟とわかりました。  スタッフの方から、多頭飼育で飼いきれなくなった家から兄弟8~9匹と一緒にレスキューしたと聞きました。人に懐いていて、夫の膝にすぐに乗ってきたんですよ。夫はもう、いちころです。 ルックスがよく似ている、ふぶき(手前)とさくら(提供)  2匹とも目が悪いことに私は気づきました。ふぶきは左の眼球がもともとなくて、さくらは左目が白濁して、明るさだけ感じるみたい。どちらも、子猫時代に罹った猫風邪の影響のようです。  でも私は目のことは気にならなかったし、夫なんて(スタッフさんに言われるまで)気づかなかったくらい。猫自身、不自由なく動きまわっていて、片目がないふぶきのほうが、さくらよりむしろ運動神経がよい感じでした。とにかくかわいい2匹でした。  猫を迎えるにあたり、ひとつだけ心配がありました。夫に猫アレルギーがあったのです。でも、環境の工夫である程度は解決できると思ったのです。  たとえば人間が居住するスペースと、猫が動けるスペースを分ける。カーテンは毛のたまりやすい布のカーテンから縦型のスクリーンに変える。空気清浄機を2台設置して、ソファーをペットの毛がすぐ取れるものに買い替える。事前の準備が功を奏し、夫は健康を害すことはなかったですね。  猫たちも、わりとすぐに家に馴染みました。最初、ふぶきはキャットタワーのハウスに隠れて様子をうかがっていましたけど、家でくつろいで過ごすさくらを見て「ここは大丈夫」と学んだようですね。 家に来て二日目、右は隠れながら食事するふぶき(提供)  少し慎重なふぶきと、マイペースなさくら。どちらかというとふぶきのほうが兄のような存在ですが、とにかく仲良く四六時中一緒。そんな2匹を抱くと、思ったよりやわらかくて、「赤ちゃんみたいだ」なんて思いました。  それから、私の生活は猫が中心になりました。夜は猫が気になって早く帰るようになり、日々の様子が見られるようにカメラも猫部屋に設置。夫婦で旅行に行く時は猫シッターさんに来てもらいました。 仲良しな姿に癒されて……(提供) ◆何かまずいことが起きている  猫たちは毎日もりもりと食べて、追いかけっこをして遊んで、とにかく元気いっぱいでした。2匹とも体重があっという間に5キログラムを超え、獣医さんから「これがこの子たちの限界ですよ」といわれるほど。ただ、ふぶきは、さくらに比べて少し、お腹の調子を崩しやすいようでした。 家に来て一週間するとすっかり家に馴染みました(提供)  予兆は2019年。家に来て2年経った時、ふぶきのうんちが出なくなり、元気を失くしたのです。便秘でした。  病院に連れていくと、すぐさま「摘便(てきべん)」という処置が施されました。先生に、固くなったうんちを肛門から掻きだしてもらったのです。すると、翌日からふぶきはすっかり元気になったので、「この子は便秘をしやすいから気を付けてあげよう」と思ったものです。  その後しばらくは元気に過ごしていたのですが、一昨年の10日2日、ふぶきがごはんを食べなくなりました。よく観察すると、うんちが出ていません。また便秘かなと思って、病院に連れていくとやはり便が詰まっていて、先生が摘便をしてくれたのですが……。  前と違って、ふぶきの体調はよくなりませんでした。  その病院では、摘便をする時に(暴れないように)麻酔をしていました。だから最初は、今回は麻酔が切れるのが遅いのかと思いました。しかし、帰宅してもふぶきはつらそうにぐったりして、ごはんを食べません。翌日になっても元気がでない。水を飲もうとしても飲めず、尿の色も濃い。私はふぶきの中で何かまずいことが起きていると感じました。  その翌朝、夫とふたりでふぶきを病院に連れていきました。まさかそのまま、ふぶきと「お別れ」することになるとは、夢にも思いませんでした。 夫の膝で幸せそうに甘えるふぶき。名前はさくらと共に漫画から命名した(提供) ◆目の前で心臓マッサージ「うそでしょう?」  病院に連れていくと「黄疸が出ている」といわれました。私たちは猫を飼うのが初めてで、猫の黄疸は見たことみたこともありません。「とにかく状態がよくないので至急、処置が必要です。このまま預からせて下さい」と言われ、先生にふぶきを託したのです。  そして、家に帰ってしばらくしたら、病院から電話がありました。「危ないので早く来て下さい、心臓が止まりかけています」と。  慌てて病院に戻ると、ふぶきは心臓マッサージを受けている最中でした。 「ふぶき、なんで」 「うそでしょう?」  その後のことは、はっきり覚えていません。  ふぶきを家に連れて帰ってきて寝かせたのですが、さくらは、大好きな兄弟がそこに寝ていることに気づかず、匂いも嗅ぎにきませんでした。私も夫も、ふぶきを家に置いておくのがつらく、病院で紹介してもらった霊園に、その日のうちに預けました。箱でこしらえた棺に、大好きなおもちゃを入れて……。  推定6歳半。早すぎるお別れがつらく、夫婦で泣きました。私は2日ほど、仕事を休みました。 ◆ 人間も動物も運命には抗えない  ふぶきは亡くなった日に病院で血液検査をしていて、後から結果を聞きました。白血球が高かったので、急性の感染症だった可能性もあるということでした。でも結局、死因はわからずじまい……。 ふぶきの遺影をのぞくさくら。「兄ちゃん、僕は元気でやってるよ」(提供)  生き物なので、私たちより先に亡くなるのは頭ではわかっていたけど、目の前で起きたことはあまりに急で覚悟なんてできていなかった。もしかしたら、摘便時に何かあったのではないか、麻酔をかける前に検査をすれば別の結果になっていたのではないか……原因のわからないふぶきの死に、悩み、葛藤しました。  とはいえ、その病院を選んだのは私たちです。いちばんわけがわからなかったのは、ふぶき自身でしょう。あっという間にお空にいって。  人間でも事故でふいに亡くなることもあるし、いつでも死ぬ機会は隣にあるんですよね。車に急に轢かれたり、思いがけない病で倒れたり……。人間であっても動物であっても、「運命」にはあらがえない。  そのうち、私はこう自分に言い聞かせるようになったのです。 「短い期間でも、私たちはふぶきを毎日、徹底的に愛していたじゃないの」と。  そうです、ふぶきと出会い、愛したことには悔いがないんです。ふぶきだって、私たちに愛されていると感じていたんじゃないか。それは幸せなことなんだという思いにたどり着きました。  ……そう思うことで、ふぶきの旅立ちを、受け入れることができたのかもしれません。  ふぶきの死後、さくらの心身にも少し変化がありました。  ふぶきがいなくなり3か月ぐらい経って、さくらが吐いて体調が悪くなって。すぐに病院に連れていき、血液検査をお願いしました。でも、数値上はとくに問題が見つからなかったんです。体調不良は、半年ほど続きました。  今は落ち着いて、ご飯もよく食べています。前よりもさくらは、長い時間、私に“くっつく”ようになったかな?ひとりぼっちになって、さみしかったのかもしれません。 石井さんに甘える最近のさくら(提供) ◆いつかまたみんなで会える日まで  さくらはシェルターにいた時も、いろいろな猫の近くに寄っていき、兄弟だけでなく「仲間」の猫がすごく好きな様子でした。  だからこれから先、1匹でいるよりも、元気なうちにお友達にきてもらうのもいいかなと、最近になって思うようになりました。  さくらも、そのお友達も、みーんな一緒に、いつかお空で暮らしましょう。  だからそれまで待っていてね。私たちが心から愛した猫、世界一かわいいふぶきへ。世界一幸せな飼い主より。 和室を改造した猫の寝室(提供)  (水野マルコ)
ねこ
dot. 2022/01/29 14:00
pecoが苦戦する“マイペース”3歳息子 ryuchell「僕らは競争心を持たせたくない」
ryuchell & peco ryuchell & peco
pecoが苦戦する“マイペース”3歳息子 ryuchell「僕らは競争心を持たせたくない」
撮影/写真部・松永卓也  子育て世代から大きな支持を集めるryuchell(りゅうちぇる)さんとpeco(ぺこ)さんに、日々の育児エピソードを紹介してもらうAERA dot.連載「ryuchell&pecoの子育て日記」。隔週で交代しながら登場してもらう本連載ですが、2回目の今回もお二人同時に登場してもらい、いま子育てで苦戦していること、そして実践していることについて語ってもらいました。 *  *  *  ――お二人が最近、子育てで苦戦していることはありますか。 りゅう 朝、学校に行くとき、けっこうゆっくりマイペースで、毎日戦いだよね。 ぺこ 戦い、本当に。あれは性格的なものだと思う。 りゅう あれは沖縄の血!? 何、あののんびりは。 ぺこ お友達に言われたけど、「悪く言えば協調性がない、よく言えば、自分を持っている子だね」って。周りにあわせようとかは思わないタイプやんか。 りゅう 僕が朝めちゃくちゃ急いでいるのに、なんで準備を急いでくれないんだろうって思うときって、ただのんびりしているだけじゃなくて、お歌を歌ったりとか… ぺこ そう、何かしたいことがあんねん。 りゅう そう。それはのんびりじゃなくて、マイペースみたいな。自分のやりたいことと、僕が求めているものが違うだけ。こっちは「ワー!!」ってなるんだけど。 ぺこ そう。でもたまに、「急いで」って言ったとき、ほんま気いついたら全部済ませて玄関の前に立っているとか。 りゅう 速い時は速い。 ぺこ できんねん。できんねんけど、いま歌を歌いたいから、歌を歌いながら靴下を履こうかなーとか。 りゅう 皆さんは、僕たちのイメージ的として全然怒らなさそう、と思っている方も多いと思うんですよ。 ぺこ え? 思っているかな。りゅううちぇるには思っているけど、私には思ってなくない? りゅう 思っているよぉ。こんな優しそうな人相の二人いる? こんな優しそうな人相の夫婦はいないと思うし。 ぺこ おるおる。 撮影/写真部・松永卓也 りゅう でも、やっぱり怒っちゃうよね。 ぺこ めちゃくちゃ怒る。 りゅう あはは。笑 ぺこ ほんま「もう怒らんとこ」って思うほど怒る。それこそ幼稚園に送り出す前なんて一番ハッピーな状態でバイバイしたいのに。朝、お母さんとか兄弟とケンカとか揉めてちょっとでもグチグチした雰囲気になってから学校に行くのとさ、なんもなく平和に行くのと学校に着いたときの気分も全然違うやん。 りゅう 違うさね。 ぺこ 気持ちよく送り出したいけどさ、「もうバス来る!」って言うてんのにさ、ぼーっとしてるやん。 りゅう してる。笑 ぺこ 「早よ履き」ってずっと言ってるやん。 りゅう ずっと言っているけど、それでものんびりしていて。 ぺこ そう。それでいろいろ考えねん。どうやったら早くしてくれるやろうって。「早くして」って言うのはあんまりよくないなって、自分でもわかっているから。「よしじゃあ、まず右足靴下履けるかな?」とかさ。でも、無理やん、そんなこと時間あるときにしかできへんねん。「時間ない!」、言うてるときにそんなこと言うとられへんから。 りゅう 朝って本当に大変だよね。 ぺこ りゅうちぇるは仕事で夜に帰ってくることが多いから、学校から帰ってきた瞬間って知らんやん。やばいで、帰ってきたときとか。 りゅう なに? ぺこ 帰ってきました。まず玄関座ります……「靴脱ぐのにどんだけかかんねん!」って、まず思うやん。それでどうにかして靴を脱ぎました。それで寝転ぶねん、玄関で。 りゅう でも、そういうスイッチのときあるもんね、帰ってきてね。 ぺこ 毎日やで。そんで「アイス食べようー」って言いながら、「早くして早くして早くして」って心の中で思ってんやで。 りゅう 手洗い、うがいもしないといけないし。 ぺこ 「はよ、手洗って!」って思いながら、「おやつ食べようー」って言っているのに、本人は上の方を見ながらボーっとしてる。 撮影/写真部・松永卓也 りゅう 天井見てるんだ。 ぺこ 天井見たり、鏡で自分のいろんな顔を見たりしてるときもある。 りゅう それは絶対僕の血だと思う。僕もぺこりんに言われるもん、「早よして!」、「まだ?」とか。僕も気づいたら、鏡を見て、いい年してやっているから。 ぺこ マジでこの一年一番言った言葉、「早よして」やもん。それでなんとか洗面所まで連れて行きました。引っ張ってるわ、半分。引っ張って着きました、なんとか蛇口まで手を伸ばしました、そしたらまた鏡を見て…。 りゅう あはははは。笑 ぺこ 「洗って! 早く。水、出てるから」みたいな。やっと洗ったと思ってもさ、タオル拭くまでに時間かかるし。ほんまに一個一個がめちゃくちゃゆっくりゆっくりでさ。 りゅう こうやって話してたらちょっと面白いけど、思い通りにいかないことが子育てだなって思うね。そこは自分の機嫌とりが大事になってくるんだな、って思いますね。 ぺこ そこは、子どもとは何一つ共通点がないって思ったほうがいいかもって最近思い始めた。ほんまに何一つとして同じ考え、したいこと、気持ちはないんや、と割り切ったほうがいいと思ったもん。  手洗わんにしても、「はい、今あなたは変顔の練習がしたいんですね。私は早く手を洗ってもらいたいけど、あたなは手を洗うより、鏡を見たいんですね」って。ほんまに別々ってしっかり思わないと、あかんなって思った。 ――お子さんに動いてもらう方法はありますか。 ぺこ ご飯を食べるのもめちゃくちゃゆっくり。だから、そのときに好きなキャラクターを言って、「あのキャラクターやったら、メチャクチャ大きいお口で、めっちゃ食べんの早いからなぁ」って言ったらバーって食べだしたり。それこそ恐竜が好きだから、息子をティラノサウルスに見立てて、「あっ、ティラノサウルスおるんちゃう、ティラノサウルス食べるよ食べるよ」って言ったら、食べだしたりするけど、それもすぐ効果がすぐ落ちるやん。 撮影/写真部・松永卓也 りゅう そう。 ぺこ 一瞬の効果だから、持続性はないよね。難しい。 りゅう 本当に。 ぺこ あと、私、競争心を持たせたくなくて。 りゅう それはわかる。家庭によって違うと思うけど。 ぺこ でも一番子どもが動くのって、競争心やんか。 りゅう そうなんだよね。そこは難しい。 ぺこ もちろん競争心を持たすことも必要なことだと思うけど、私たちは競争心よりも、「自分は自分」と思っていてほしいから。 りゅう だから、どこかに着くまでに「誰が早いかな」とかやらない。 ぺこ そう、あんまりお友達とかとやりたくなくて。 りゅう そうそう。 ぺこ でも、最近、家ではいいやって割り切るようにしてる。「パジャマ着るの、ママとどっちが早いかな?」とか。そしたら「ママもっとゆっくりしてー!!」とか言ってきたり。そこでも私はゆっくりせぇへんけど。競争は家の中だけと決めてる。 りゅう 「恐竜さんだったらもっと食べるの早いよー」みたいなことも言うけど、この間、息子が「ポッ」とか言い出して。「え? ポッてなに?」って、こっちも力抜けて。だから、ちょっと放っておいた。放っておくのもいいと思う。それで、僕のほうは普通に食べて、「食ーべたっ♪」みたいなことを言うと、食べ始めたり。 ぺこ そうそう。 りゅう 本当にうまくいかないこともありますよね。 ぺこ 恐竜も競争もそうだけど、息子は今年の1月で3歳半になったから、私も現実的に「こうしたら、こうなってしまうんだよ」っていう繋がりをしっかりと教えたくて。ご飯とかのんびり食べてたら、そのままのんびり食べさせる。そしたら「テレビ見れなかったぁ」って泣くんだけど、「なんでテレビ見れなかったかわかる?」って聞いて、子どもが「ご飯食べるの遅かったからぁ」って言ったら、「そうだよー、じゃあ次どうする?」みたいなことを最近めちゃやり取りしている。 りゅう そこは時間をかけているよね。 ぺこ けっこう「うざいママ」かなって自分でも思うけど、小さなことでもめっちゃこの会話している。 りゅう 大事なことだと思います。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
ぺこりゅうちぇる
dot. 2022/01/23 11:30
中国の塾産業が“消滅”し大量失業 一方で「早く死んで早く生を得たほうがいい」と政策支持する声も
中国の塾産業が“消滅”し大量失業 一方で「早く死んで早く生を得たほうがいい」と政策支持する声も
モニュメントは「北京五輪まで50日」を示すが、人々の日常に変化はない。北京市はコロナ対策のために、固く門を閉ざす(photo gettyimages)  中国で隆盛を極めた塾業界が、政府からの通達一つで事実上消滅した。塾産業に従事した人々は苦境にあえいでいるが、一方でこの政策を支持する人もいる。AERA 2022年1月24日号の記事を紹介する。 *  *  * 「まるで雪崩だよ。塾産業に関わっていた2千万人がゼロから仕事を探すことになったんだから」  そう話すのは、北京市内の大手学習塾「巨人教育」で5年間、講師をつとめていたという男性(31)だ。  担当は個別授業。夏休みや冬休み、そして週末には、朝8時から時には夜10時まで、1対1で子どもたちを教えた。平日の授業は学校が終わる午後4時以降だが、朝から準備に追われ、授業の後も保護者への対応に時間を割いた。激務と引き換えに、多い時は彼の地元の公立校教師の3倍以上に当たる1万5千元(約27万円)の月給を手にしていた。しかしその生活は、昨年7月に政府が突然公表した、いわゆる学習塾禁止令でひっくり返った。  2021年、中国ではITや芸能など、いくつかの業界を対象に大規模な締め付けや摘発が相次いだ。中国共産党と中国政府が連名で出した、小中学生向けの学習塾を一律非営利団体化し、週末と長期休暇の授業を禁止する通達「宿題と学習塾が義務教育段階の児童・生徒にもたらす負担のさらなる軽減について」は、その最たるものだ。格差解消を目指す習近平(シーチンピン)指導部が掲げたスローガン「共同富裕」の一環と見られているが、これほどの激変を、北京の人々はどう受け止めているのか。 ■1点の差で「1万順位の差」 熾烈な受験戦争で人口減  冒頭の男性が勤務していた巨人教育は、彼の2カ月分の給与を未払いにしたまま、北京市内に100カ所以上あったすべての教室を8月に閉鎖し、同月31日に破綻を宣言。男性は妻とともに、実家のある河北省の田舎町への引っ越しを余儀なくされた。講師を務める学生を勧誘するなど営業部門の社員なら転職先もある。しかし、教師たちは他の業界への転職も一筋縄ではいかない。「教えるのが好き」というこの男性は、地元の公立小学校の教員への道を考えたこともあったが、月給が4千元(約7万円)と低すぎて断念した。 「家族を養うにはとても無理」  目下、公務員試験の勉強中だという。  極端な「市場主義」でどんどん高級化する塾の人気ぶりは、格差やゆがみの象徴でもあった。冒頭の男性が担当していた個別授業の受講料は1カ月に6千元(約10万円)とも言われる。 「あんな塾は閉鎖されて当然」  と息巻くのは、中国版ウーバー「滴滴」の運転手として北京に出稼ぎにきている男性(48)だ。地元で妻と暮らす中学2年生の娘は、大学まで進学させたい。だが、毎月の稼ぎが約7千元(約12万6千円)の男性に、塾通いの費用を捻出することは難しい。  中国の受験戦争は、全国大学共通試験の1点の差が「1万順位の差」と言われる熾烈さだ。義務教育は、日本よりレベルの高い英語力などの「結果」を出している一方で、公立校への投資は少なく、地方都市の教師の給与は北京の警備員並みだ。  塾産業は受験を有利に勝ち抜きたい親子にきめ細かいサービスを提供し、みるみる高級化した。懇切丁寧な1対1の個人指導サービスなら、2時間で1千元(約1万8千円)前後。「名門校の先生が教えてくれる」という口コミの中学生向け補習クラスは、12人のクラスで90分授業10回が6千元(約10万円)と日本以上だ。子どもたちの心身の負担も問題になっていた。  2歳の子どもを育てながらIT企業で働く女性(39)は、いらだちを隠さない。 「もし中国がこれまでやってきた『試験対策教育(応試教育)』をこの期に及んで変えないなら、人間への害は本当に大変なことになるわよ。国からすれば、それは想造力の欠如。ノーベル賞が取れないのはこの教育の土壌のせいだと思う」  2千万人とも言われる大量の失業者を出す一見乱暴なやり方について尋ねると、彼女はのみ込むように一拍置いて、こう答えた。 「改革は必要なの。今までのやり方はもう合っていないんだから淘汰される。だったら早く死んでそのぶん早く生を得たほうがいいわよ」 (AERA 2022年1月24日号より)  一部を犠牲にすることで大多数が「結果」を手にできるなら、バッサリと切り捨てる。大多数の合理性こそが、中国で優先される価値観だ。  人口問題との関係を指摘する声もある。過酷で均一的な競争社会の生きにくさに対する市民の意思は、人口の激減に表れた。中国の合計特殊出生率は、日本を下回る1.3。北京や上海などの大都市だけでなく、儒教的伝統が色濃く残る農村を含めた中国全土の数字としては、信じがたい低さだ。  学習塾禁止令の背後には、政府の産業戦略があると指摘する声もある。  世界各国で、国を凌駕する勢いで巨大化するIT企業。中国は、こうした企業の国営化や国有化を進めており、今回の塾禁止令もその一環ではないか、というのだ。実際、政府はこれまで塾が提供してきたインターネットを通じた家庭教師サービスと同様のサービスを、より安く提供しはじめている。米国で上場する「新東方」や「好未来」などの大手民営塾がとりわけ壊滅的な打撃を受けたことは、中国国内からのデータ流出を嫌い、米国上場企業を排除しようとする動きにも符合する。  数千年変わらぬ古い農村社会の基盤の上に、世界一「圧縮」して成し遂げられた経済成長を重ね、さらに高度のIT社会に向かう中国。積年のゆがみと矛盾を抱えギリギリで巨体を回す中で、民営塾をつぶして国営塾を設立するという前代未聞の荒行は起きた。(ライター・北野ずん(北京))※AERA 2022年1月24日号より抜粋
AERA 2022/01/23 09:00
更年期をチャンスに

更年期をチャンスに

女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

更年期がつらい
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
カテゴリから探す
ニュース
〈地方に赴く皇族方〉佳子さまの絶妙なセルフプロデュース力「強い意思を感じる」皇室番組放送作家
〈地方に赴く皇族方〉佳子さまの絶妙なセルフプロデュース力「強い意思を感じる」皇室番組放送作家
佳子さま
dot. 7時間前
教育
静かで透明で、寄る辺がなくて……でもときどき意表をつく鋭さと洞察が 劇壇ガルバ「ミネムラさん」
静かで透明で、寄る辺がなくて……でもときどき意表をつく鋭さと洞察が 劇壇ガルバ「ミネムラさん」
AERA 2時間前
エンタメ
春風亭一之輔、スズムシは心地いいけど、蚊やゴマダラカミキリムシはちょっと……「ぷーん」と「ギジギジ」なんで
春風亭一之輔、スズムシは心地いいけど、蚊やゴマダラカミキリムシはちょっと……「ぷーん」と「ギジギジ」なんで
春風亭一之輔
dot. 1時間前
スポーツ
巨人がかつて敢行した“抜け道補強” ルール違反で制裁金、大学生を中退で引く抜く“裏技”も
巨人がかつて敢行した“抜け道補強” ルール違反で制裁金、大学生を中退で引く抜く“裏技”も
プロ野球
dot. 1時間前
ヘルス
高嶋ちさ子“カラス天狗化”で露見した「ボトックス」のリスク 町医者の副業、自己注射まで…美容外科医が警鐘
高嶋ちさ子“カラス天狗化”で露見した「ボトックス」のリスク 町医者の副業、自己注射まで…美容外科医が警鐘
高嶋ちさ子
dot. 8時間前
ビジネス
家事・育児は重要な経済活動 なのに評価は置き去り 紙幣経済のみを“経済”と呼ぶようになった弊害
家事・育児は重要な経済活動 なのに評価は置き去り 紙幣経済のみを“経済”と呼ぶようになった弊害
田内学の経済のミカタ
AERA 10/5