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10月号 上智大学外国語学部教授 小川公代 Ogawa Kimiyo 弱きものの“命をあずかる”
10月号 上智大学外国語学部教授 小川公代 Ogawa Kimiyo 弱きものの“命をあずかる”
『パンダ・パシフィカ』  高山羽根子 著 朝日新聞出版より10月7日発売予定  高山羽根子はデビュー以来、一貫して“命をあずかる”責任について書いてきている。“命をあずかる”とはどういうことか。それは子どもを授かった親のケア実践かもしれない。あるいは、医療従事者が提供するケアかもしれない。獣医もまた大切な命をあずかっている。無数の名もなき人たちも、日々小さくて、脆弱な生きものの命を育て、見守っている。高山のデビュー作「うどん キツネつきの」では、宇宙生物である可能性が示唆される犬が、三人姉妹の愛を一身に受ける対象として描かれている。芥川賞受賞作『首里の馬』では、主人公がたまたま庭で遭遇する「宮古馬」をケアする物語である。高山は、あまり速く走るようにはできていない宮古馬の性質におそらく自分を重ねる主人公の弱さにも光を当てている。  本書には「あずかりさん」と呼ばれる人も登場するが、彼女の言葉は、まさに自己責任論が蔓延する社会に生きる人びとの心に刺さる。「人間の社会全体でだれかの生きものを預かって生かしている以上、逃がすことは絶対にしちゃいけない」、そう語る。本作は、高山文学の神髄――つまり生きものへのケアに満ちた想像力をしなやかにことばで表現する感性――が見事に結実した作品である。主人公の篠田モトコは日中の仕事に加えてカラオケのアルバイトもしているが、彼女は行きがかり上、同僚の村崎さんが海外に行っているあいだ、彼が飼っている生きものの世話をすることになる。「キンギョ」くらいしか飼ったことのないモトコが、彼の生きものたちの世話をし始めるのだ。彼女は、体調を崩したファンシーラットの「シナモン」を動物病院で診察してもらい、手術まで受けさせる段取りをつける。その後、弱ったこの生きものにごはんや水を与えるため、わざわざ自宅に連れ帰ったりもする。  とはいえ、村崎さん本人が海外に渡航したまま、なかなか日本に戻ってこないと、さすがのモトコも「このままこちらに帰ってこないんじゃないだろうか、という不安」を抱き始める。しかし、モトコの村崎さんへの不信は少しずつ払拭されていく。それは彼の生きものに対する真摯な姿勢をその飼い方から感じ取っているからだ。たとえば、生きものを「人の視線から遠ざけ」たり、生きものにとって「余計なストレスがかかるのかもしれない」飾りものは置かないという配慮である。最初は生きものについて村崎さんから指示をもらうことから始まったメールでの対話は、次第に哲学対話の様相を帯びてゆき、モトコは傷つけられる生きものについての思索を深めていく。たとえば、絶滅危惧種であるジャイアントパンダと中国の外交史を辿ったり、ネズミの命をめぐり、命は「消すよりもある状態を維持するほうが大変なようにできている」という気づきを得たり、飼っている生きものが亡くなったらどのように供養するかを教えてもらったりしている。  本作を読みながら思い出したのが、絲山秋子による『沖で待つ』という同期入社の男女の物語である。二人とも住宅設備機器メーカーで九州に配属になるが、彼らがまた関東に異動が決まったとき、ある約束を交わす。それは、もしどちらかが先に死んだら、相手のノートパソコンのHDDを壊すというものだった。約束を交わす、そしてその責任を果たすということが、恋人でも、親友でもない仕事仲間の間で実現されることの気高さ、誠実さに心動かされる。  おそらくモトコが生きものの世話を引き受けてしまう理由は他にもあるだろう。そもそも、彼女が従事しているのもケア労働である。カラオケ店の早朝シフトで入ってくるモトコがするおもな仕事は、ゲストのレジ締め作業と部屋の掃除、そして、昼シフトのスタッフたちが来る前に店の準備をととのえることである。家庭でのケア実践もケア労働も社会的弱者に集中してしまう不条理を悲観的に語っているというより、むしろそういう日頃不可視化されているケアの実践が、生きものの命も経済活動も陰で支えている現実があることを見えるようにしている。そしてモトコ自身も生きものたちのケアを通して、父親に関するある記憶を忘却から掘り起こすことができた。かつて自販機の取り出し口に除草剤の入った瓶飲料が入っていた事件が多発したとき、父親がさりげなく「自動販売機の商品取り出し口に一度手を入れ」てから、娘のジュースを買うことで命を守ってくれていたという記憶である。 「弱い生きものの多くが命を落とすことを前提としているなら、ケガをした野生動物はその時点で手を伸ばされるべきではないのかもしれ」ない。しかし「見てしまって伸ばせる手を持っていればうっかり伸ばしてしまうのが本能というもの」という手の倫理がある。ここには、“命をあずかる”というケア責任の普遍性がそっと提示されている。
最初の読者から 2024/10/02 10:00
日本の「世界自然遺産」がさらされている“2つの危機”とは?
日本の「世界自然遺産」がさらされている“2つの危機”とは?
白神山地(青森県・秋田県、1993年登録)  日本の自然が世界自然遺産に初めて登録されてから約30年。全部で5カ所ある登録地やその魅力、それぞれどんな課題に取り組んでいるのかを探ってみましょう。 小中学生向けのニュース月刊誌『ジュニアエラ2024年4月号』(朝日新聞出版)からお届けします。 屋久島の訪問客 島の人口の30倍に  鹿児島県の屋久島と青森・秋田両県にまたがる白神山地が、日本で初めて世界自然遺産に登録されてから30年が過ぎた。その後の登録もあり、国内の自然遺産は5カ所となった。それぞれの抱える事情や経緯は違うが、5地域は、連携して課題解決や魅力発信に取り組もうと動き始めた。  屋久島と白神山地は1993年12月、世界遺産に登録された。屋久島の周囲は約130㎞。中央に2千m級の高山が位置し、亜熱帯から亜高山帯までの自然植生と生態系が連続して見られるのが特徴だ。ただ観光客は、樹齢数千年といわれる縄文杉などに集中した。  遺産登録後の2007年度の訪問客は、島の人口の30倍にあたる約40万人を記録。地域住民の生活や自然環境、景観などに悪い影響を与えるオーバーツーリズムが心配された。このため町が公認するガイド制度を採り入れるなど、エコツーリズムに力を入れ、その後の遺産地域の一つのモデルとなった。 屋久島(鹿児島県、1993年登録)/島で産卵するウミガメを守るため、浜への立ち入り制限をする一方で、地元住民がガイドとなって観察会を実施。観光客が払う参加費は、保全活動や地域振興に使われる 白神山地の魅力と今後の課題  白神山地は、原生的なブナ天然林が世界有数の規模で分布していることが評価された。遺産地域への立ち入りが制限されたこともあり、04年度に8万人以上だった入山者は、22年度は約1万6千人にまで減った。いくら自然の価値が高いからといって、人から遠ざけていたのでは意味がない。保護と利用の両面からあり方を考えていく必要があるだろう。  遺産地域が青森県の西目屋村など3町村、秋田県の藤里町にまたがることもあって地域での一体的な取り組みもなかなかできなかった。このため関係市町村などは11年、環白神エコツーリズム推進協議会を発足させた。地域全体で協力した白神の魅力の発信に力を入れている。  白神山地は手つかずの自然だと思われているが、縄文時代から人が暮らし、林業や鉱業が営まれてきた。江戸時代の紀行家、菅江真澄も炭焼きなど人々の営みを記録に残している。  世界自然遺産を正しく理解するには、人とのつながりを合わせて継承していくことが重要だ。屋久島では、11年から地元の語り部が歴史や文化、産業などを案内する「里のエコツアー」を実施している。白神山地も、訪れた人たちにもっと文化的、歴史的な意義を伝える必要があるだろう。   自然遺産がさらされている「二つの危機」  白神山地と屋久島の登録から30年を迎えた昨年、国内の世界自然遺産5地域の関係自治体の首長らが屋久島町に集まり、5地域会議の発足を宣言した。今年1月には第2回が京都市で開かれた。  日本の世界自然遺産は、知床(北海道)、小笠原諸島(東京都)、奄美大島・徳之島・沖縄島北部及び西表島(鹿児島県、沖縄県)を加えて現在5地域。自然遺産はこれ以上増えないとみられている。  これまで地域ごとに自然保護や地域振興に取り組んできたものの、日本の自然遺産全体としての価値を国内外にアピールする機会や、共通する地域課題に統一的に取り組む機会はほとんどなかった。関係自治体の横の連携も不十分だった。  関係者は「それぞれがおもしろい取り組みをしているが、遺産を生かし切れていない地域や元気のない地域もある。まとまることでより存在感を示せる」と期待する。  日本を含め世界の自然遺産は、地球温暖化と生物多様性の喪失という二つの危機にさらされている。世界を代表する自然を守れなければ、いずれは私たちの身の回りの自然も失われ、生活環境も悪化する。世界遺産を担当する国連教育科学文化機関(UNESCO)は、温暖化が遺産に与える影響について指摘、早急な保護や対策の必要性を訴えている。 知床(北海道、2005年登録)/ヒグマなど野生動物とのあつれき回避や植生保護のために、観光客に対するレクチャーやガイドツアーの義務づけなどを実施。マイカー規制やシャトルバスの運行にも取り組む 小笠原諸島(東京都、2011年登録)/固有種が多い島ではペットの野生化による影響が甚大。村は、ペットの登録、マイクロチップ、去勢手術の推奨などを盛り込んだ条例を制定、関係団体とともに取り組んでいる 奄美大島・徳之島・沖縄島北部及び西表島(鹿児島県・沖縄県、2021年登録)/アマミノクロウサギ、ヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコなど希少種の交通事故死(ロードキル)が問題になっており、道路への侵入防止柵の設置などの対策を強化している  (解説/朝日新聞編集委員・石井徹) ■世界遺産 国の枠を超えて人類全体に重要な価値を持つもので、自然遺産、文化遺産、両方の価値を持つ複合遺産がある。国内最初の文化遺産は1993年、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)と姫路城(兵庫県)が、白神山地と屋久島とともに登録された。国内には文化遺産20件と自然遺産5件がある。
世界遺産ニュースジュニアエラ
AERA with Kids+ 2024/05/29 07:00
飼い主が切望「泡を吹いて死んだ」愛猫の死の真相 獣医病理医がすすめない「ネコの飼い方」の結果
飼い主が切望「泡を吹いて死んだ」愛猫の死の真相 獣医病理医がすすめない「ネコの飼い方」の結果
ネコの外飼いで後悔した飼い主さんの話です(写真:gettyimages)    飼っている動物が病気になったら、動物病院に連れて行きますよね。動物病院には外科、内科、眼科など、さまざまな専門領域の獣医師がいますが、獣医病理医という獣医師がいることを知っていますか?  獣医病理医は直接患者さんと接する機会はあまりありませんが、手術で摘出された患部を顕微鏡で観察して病気の診断をしたり、亡くなった動物を病理解剖して死因を明らかにしたりしている、獣医療や獣医学になくてはならない存在です(ただし動物病院に獣医病理医がいることはまれです)。  この記事では、獣医病理医の中村進一氏がこれまでさまざまな動物の病気や死と向き合ってきた経験を通して、印象的だったエピソードをご紹介します。今回は、ネコの死を巡るお話を、2回に渡ってお届けします(こちらは前編です)。 ネコは自由に出歩けるのが幸せ?  サザエさん一家が飼っているタマのような「外飼い」のネコ、もしくは地域住民がみんなで、将来的に飼い主のいないネコをなくしていくことを目的に面倒を見ている「地域ネコ」と呼ばれるネコたちがいます。  その多くは、外にいるといっても首輪をつけていて、餌もきちんと与えられている毛艶のいいネコたちです。  そんな外飼いのネコの飼い主さんのなかには、「ネコという動物は外を自由に出歩けたほうが幸せだろう」と考えておられる方が一定数います。よかれと思って、あえてネコを出歩かせているのですね。  ネコという動物には「自由」とか「気まま」とかといったイメージがありますから、飼い主さんたちがそのような気持ちになるのもわからなくはありません。  ただ、多くの動物の死に接してきた獣医病理医としては、ネコの外飼いは決しておすすめできません。屋外はネコにとって死に直結する危険にあふれており、ぼくはこれまで外飼いが原因で死亡したネコたちをたくさん見てきました。 泡を吹いて死んでしまった 「うちの子が急にもだえ苦しみ出して、泡を吹いて死んでしまったんです」  50代の男性が、飼いネコの遺体を持ってやってきました。  飼い主さんは独身の男性で、ご両親もすでに亡くなり、その雄の茶トラのネコと家族のように接して暮らしていたそうです。遺体を解剖して死因を探ってほしい――病理解剖(剖検ともいいます)の依頼でした。普段から外を自由に出歩いているネコということでした。  外を出歩いているネコが亡くなるとき、その死因はさまざまです。  最も多いのが交通事故死。いわゆる“ロードキル”です。車を運転される方なら、誰しもが一度は、道路上に横たわるかわいそうなネコの遺体を見たことがあるのではないでしょうか。  認定NPO法人「人と動物の共生センター」が行ったネコの路上遺体回収数調査(ロードキル調査:2018)では、日本国内でロードキルによって死亡するネコの数は、保健所で安楽死処分されるネコの数の約10倍にものぼるとされています。  ネコという動物は、急に動き出したかと思えば突然止まったりと、ぼくたちの予想外の行動をしますから、ドライバーの努力にも限界はあります。  誰の目にも死因が明らかなロードキルとは別に、原因不明で特に目の前で苦しんで亡くなったとき、飼い主さんがぼくのような獣医病理医に剖検を依頼されるケースがよくあります。泡を吹いて急死した茶トラのネコは、このパターンでした。  早速、解剖をしてみると、遺体の皮下にはほどよく脂肪があり、栄養状態はよい。毛の状態もよい。一見して健康状態は良好で、大事に飼われていたことがうかがわれます。感染症が疑われる所見であるリンパ節や脾臓の腫れなどは確認できません。  そんなネコが急死したとなると、可能性が高いのは、何らかの毒物を摂取したということになります。ぼくのところに遺体が持ち込まれてくる外飼いのネコに最も頻出する死因が、外傷と並んで誤飲と中毒です。  ネコに舐められたことがある人はおわかりかと思いますが、ザラザラしていてちょっと痛いですよね。  というのも、ネコの舌には細かい無数のトゲ(正式には糸状=しじょう=乳頭といいます)が生えています。そのため、口にしたものが引っかかりやすく、持ち前の好奇心でくわえたものをそのまま飲み込んでしまいやすいのです。  また、ネコは舌で毛繕いをする習性がありますから、その際に屋外で毒物にさらされた被毛を舐めてしまうということがよく起こります。ネコの体には人間やイヌが持っているような薬物や毒物を代謝するある種の酵素がないということもあり、中毒から死に至ることが珍しくありません。  このとき、茶トラのネコが中毒を起こした毒物の種類まではわかりませんでした。死亡したのが人間でしたら、科学捜査研究所(科捜研)などでより詳しい分析が可能なのでしょうが、動物について、毒物の精密な分析ができるような機関は国内にはほとんどありません。  おまけに自由に出歩くことができる外飼いのネコの場合、外でどのような毒物にさらされたのか飼い主が見ていないので、判断がとても難しいのです。 摂取した毒物は農薬か除草剤?  獣医病理医として、死亡した動物の胃の内容物や、毒物が含まれている可能性のある肝臓、腎臓、筋肉、血液などのサンプリングはします。しかし、その段階で原因が明らかにならなければ、そこが現状、病理検査の限界であることは多いのです。  ただ、このネコが飼われていたのは周囲に田んぼが多い地域であり、日常的に家の外を出歩いていたとのことですから、ぼくの経験上、原因となった毒物は農薬か除草剤、あるいは何らかの有毒植物ではないかと推測できました。  農薬はともかく、近年製造されている除草剤は生体への害は少ないのですが、農業の現場では、数十年前から農家さんが所持されていた毒性の強い除草剤や殺虫剤がいまだに廃棄されずに保管されていることがあります。  茶トラのネコがこれらの物質で中毒を起こし、急死した可能性は十分に考えられます。  ネコの誤飲や中毒といった事故は、思いもよらぬタイミングで起きます。農薬のような明確な毒物にかぎらず、ぼくたちの身の回りに普通にあるタマネギ、アボカド、ユリ、チョコレート、コーヒー、タバコなども、ネコにとっては危険な毒となります。  家の中で起きた場合は何を口にしたかの推測ができ、まだ対処のしようもあるでしょう。しかし、外に出ているネコの場合は、何に触れ、何を口にしたかがまずわかりません。  胃に物が残っているならまだしも、口にしたのが液体であれば特定は困難を極めます。中毒症状が出るまでの時間も、毒物によってまちまち。原因物質が特定できなければ、有効な治療も難しくなります。 病原体を家に持ち込むことも  この茶トラのネコのケースでは死因の可能性から除外しましたが、外飼いされているネコが感染症を起こし、重篤化してしばしば死に至ることもあります。  例えば、ネコが外に出て病原体を保有している野良ネコと交尾やけんかをすれば、猫免疫不全ウイルス感染症や猫白血病ウイルス感染症といった、さまざまな感染症の病原体に感染する危険があります。  ネコがネズミやカラスなどの野生動物を捕食したり、蚊やダニなどの病原体を媒介する動物と接触したりすれば、 それらが持っている病原体にも感染する可能性があります。  そして、この中のいくつかの病原体は、ネコだけでなく人間にも感染するのです。 「ネコは外を自由に出歩けたほうが幸せだろう」という考えは、ネコへの愛情からくるものでしょう。ただ、獣医療に従事している者としては、「外を自由に出歩けるネコは、完全に室内で飼育されているネコよりも不幸になる可能性が高いのですよ」と言わざるをえません。  愛情だけで動物は飼えません。ネコを大事に飼いたいのであれば、飼い主さんにはこのような知識をしっかりと持っていただきたいと思います。  ぼくたち人間も、できることならなるべくけがをせず、病気にならないように過ごしたいですよね。ネコにも健康で長生きしてもらいたいなら、安全な家の中で飼うのが一番良いでしょう。 後編(愛猫を失った男性の「ネコは外が幸せ」という誤解)は、こちらからお読みいただけます。 (中村進一 : 獣医師、獣医病理学専門家 、 大谷智通 : サイエンスライター 書籍編集者)
東洋経済オンライン 2024/05/24 14:00
自宅の庭で犬、狼、ジャッカル、狐、ハイエナと暮らした男 偉大な功績を残した犬奇人・平岩米吉
自宅の庭で犬、狼、ジャッカル、狐、ハイエナと暮らした男 偉大な功績を残した犬奇人・平岩米吉
『ヤマケイ文庫 愛犬王 平岩米吉 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男』片野 ゆか 山と渓谷社  犬を愛し慈しむ人を「愛犬家」と呼んだりするが、その愛が大きすぎるが故、"犬奇人"と呼ばれた男がいる。今回紹介する片野ゆか氏の著書『愛犬王 平岩米吉 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男』(ヤマケイ文庫)は、一生を犬に捧げ、偉大な功績を残した「平岩米吉」の生涯の物語を垣間見ることができる。 同書の主人公である平岩米吉は、江戸時代から続く裕福な竹問屋に生まれた。就学後の学業成績は常にトップ。10歳ごろには家業の主要義務を完璧にこなし、"神童"と呼ばれるほどだったという。 そんな米吉の生涯を決めた物語といっても大げさではない、曲亭馬琴作・葛飾北西画の読本『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)に出会ったのは、6、7歳の頃だった。主人公と狼にまつわるエピソードに心を捕らわれた米吉。とはいえ、米吉はすぐに動物方面の道に進んだわけではなかった。 自己暗示にかかりやすい性質を持っていた米吉は、自分で「こうだ」と思うとそれが体調や行動に大きく影響してしまうところがあった。裏を返すと、人並み外れた集中力と自分を信じる力があるということなのだが、この気質が複数の分野の才能を開花させることになる。 短歌をはじめとする文学活動、連珠(五目並べのルールを進化させた競技)など、さまざまな分野で活躍できる素地のあった米吉は、連珠の世界で生きることを決意する。 その後、米吉が動物学へ転換する理由はいくつかあるが、その中でも自身の子どもたちが生まれたことも大きな要因のひとつだった。米吉は子どもたちの育児日記をつけることで、生命の神秘や発達の過程に圧倒され、驚き、感動した。いつしかその体験は他の生き物、つまり"犬"への好奇心へと繋がっていったのだ。 好奇心と探求心という大きなエネルギーに動かされた米吉は、昭和4年、自由が丘の屋敷に家族と移り住み、本格的に生き物の研究に専念することに。そして犬や狼など、さまざまな野生動物を飼育するために屋敷をフェンスで取り囲んだ。 屋敷をフェンスで取り囲んだ理由は「生き物の研究をするには"生きている状態のままを観察することが最適"であり、そのためには一緒に暮らすことが一番いい」と考えたからなのだが、実際にこの考えを有言実行することは相当な覚悟と情熱がなければできなかったことだと思う。 ちなみに動物と生活をともにした研究・観察によって動物の生態を知るという方法は、動物行動学者の父として知られるコンラート・ローレンツが有名だ。しかし米吉が犬科動物の研究を始めた当時は、日本はもちろん世界でも「動物行動学」という分野は確立されていなかった。そして転居の翌年、昭和5年に「犬科生態研究所」を設立し、米吉の研究生活が本格的にスタートすることになる。 複数の犬科動物を飼育していた米吉だが、なかでも熱心に研究していたのが狼だった。そう、冒頭で触れた『椿説弓張月』の影響がここに繋がったのだ。とはいえ、憧れがあるからといって実際に狼と暮らすということはなかなかできることではない。「今日まで狼を飼育して失敗した人々は、いずれも肉食は危険になる、という迷信から無理に菜食させていたのである」(同書より) 現代に生きる私たちでも"狼は肉食、人に噛みつく"という先入観を少なからず持っている。もともと断片的な伝承や土地に伝わる噂話、思い込み、人間の都合で作られたマイナスのイメージが強かった狼。骨格を主にした犬研究専門の斎藤 弘と協力し、日本で初めての本格的な狼研究をスタートさせ、既存のイメージと実際の狼の習性は違うということを米吉は証明したのだ。 昭和9年、米吉は私財と動物文学の会員などから募った資金をもとに研究を委託。「フィラリア研究会」を設立した。「日本の犬の多くの命を奪ったフィラリアを撲滅したい――」(同書より) 自身の愛犬"チム"の死をきっかけに、多くの犬の命を奪ったフィラリアを撲滅したいと考えたからだ。実際に研究を進めたのは米吉ではないが、米吉が私財を投じ行動に移していなかったら、フィラリア予防薬の完成は大幅に遅れていたのではないかと思う。 同書の著者である片野氏は、「犬への愛情に裏付けられた探求心を貫いた結果、晩年には『日本を代表する犬奇人』と呼ばれるまでになった」と説明している。 「犬奇人」という言葉は、犬への愛を貫き人生を捧げ、偉大な功績を残した平岩米吉にふさわしい敬意のこもった言葉なのだ。この機会に自身の人生を犬に捧げた男の物語を覗いてみてはいかがだろうか。
BOOKSTAND 2024/05/15 18:01
千葉・房総半島で「キョン」が大繁殖、北上して茨城県に迫る 「防衛ライン」で阻止できるか
米倉昭仁 米倉昭仁
千葉・房総半島で「キョン」が大繁殖、北上して茨城県に迫る 「防衛ライン」で阻止できるか
キョンは住宅地にも出没し、家庭菜園を食い荒らす=千葉県自然保護課提供   「ギャー」と悲鳴のような不気味な声で鳴き、農作物の食害などが問題になっているシカ科の特定外来生物「キョン」が、房総半島を北上している。繁殖力が強いために、駆除に取り組む自治体も拡大を止めきれない状況で、すでに利根川を越えた茨城県内でも見つかっている。地元の猟師らは駆除したキョンの有効活用方法を提案して、キョンの阻止を訴えている。 *   *   * 「この地域には、キョンがいっぱいいる。人間より出合うんだから」  太平洋に面した千葉県いすみ市。地元の石川雄揮さん(46)に連れられていった竹林で、体長70センチほどのキョンがうずくまっていた。脚には、くくりわなに使った細いワイヤが巻きついていた。  キョンは日本のシカより小型で、中国東南部や台湾に生息する野生動物だ。本来は日本には生息していないが、勝浦市内にあったレジャー施設「行川(なめがわ)アイランド」(2001年に閉園)」で飼われていたものが逃げ出し、1960~80年代に房総半島に定着したとされている。  その後、生息域が拡大し、県は2000年に「県イノシシ・キョン管理対策基本方針」を策定。地元自治体が駆除に取り組んできたが、生息頭数や分布域の拡大は止まらなかった。県の推計によると、06年度は約1万頭だったが、22年度には約7万頭に。同年度の農作物被害は約3億円にのぼっている。  生態系や農業被害の拡大を受け、環境省は05年にキョンを特定外来生物に指定している。   「くくりわな」で捕らえたキョン=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影    シークヮーサーを栽培している農家の女性は、キョンの食害に悩まされていると訴える。 「キョンは毎日やってくる。みんなまるまる太っている。人の顔を見ても逃げないし、本当に憎たらしい」  食害に苦しむ農家などの依頼を受けて、キョンの駆除と活用に取り組んでいるのが石川さんだ。生き物を殺す作業は精神的にもつらいが、 「それでも続けてきたのは、獣害に遭ってきたおじいちゃんやおばあちゃんが泣きながら『ありがとう』と言ってくれるからです。誰かがやらなければ、という使命感が僕を支えてきた」  と話す。     千葉県いすみ市で、キョンの駆除と活用を進める石川雄揮さん=同市、米倉昭仁撮影   「報奨金で儲かる」ことはない  生息数を増やしているキョンの対策として、県内の自治体の多くが、キョンを捕殺した猟師に1頭あたり6千円の報奨金を支払っている。 「報奨金では、まったくもうからないですよ」  と、石川さんは引きつった笑みを浮かべた。  捕獲に使うくくりわな1個1万円弱。ねらったキョンではなく、力の強いイノシシがかかるとすぐに壊されてしまい、修理の手間や費用がかかる。  さらにやっかいなのが、アライグマだ。体は小さいが獰猛で、わなにかかると徹底的に噛んで使い物にならなくしまう。しかも生息数がかなり多い。 「アライグマにわなを壊されると、気力が失せます」  さらに毎日、設置したわなを見回らなければならないので、ガソリン代もばかにならない。  有害鳥獣の駆除は、ボランティアに近いのが実態だという。   千葉県で大繁殖するキョン。約7万頭(2022年)いると推定されている=千葉県自然保護課提供   命がただ「処分」されている  石川さんはもともと報道番組制作会社のディレクタ―で、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」や後発番組の「サンデーフロントライン」などにも携わっていた。  14年に狩猟免許を取得し、翌年に東京からいすみ市に移り住んだ。現在は狩猟体験やグランピングなどを提供する合同会社「Hunt+(ハント・プラス)」を経営しながら、地域の獣害低減に取り組んできた。石川さんのもとには、千葉県の有害鳥獣の担当者も相談に訪れるという。    石川さんは、捕殺したキョンの活用を訴えてきた。その一つがジビエだ。  台湾でキョンの肉は高級食材として扱われているといい、赤みが主体の肉はとても上品な味だ。  最近は駆除した有害鳥獣を食肉処理する施設も、ジビエを提供するレストランも増えてきた。しかし、一般的な食肉としての需要がなかなか伸びていかないと、石川さんは嘆く。   千葉県で捕獲したキョンのなめし革に染色を施して漆で模様を描いた「印伝」=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影    さらに石川さんは、地元で捕れたキョンの革の利用を模索してきた。  キョン革の繊維は非常に細かく、強度と柔軟性、汚れの吸着性を併せ持つ。そのため、宝飾品やメガネ、楽器などを拭く最高級品のセーム革や、弓道の「ゆがけ」と呼ばれる手袋の材料として利用されている。  シカの革を使った関東、近畿地方の伝統工芸品「印伝」(いんでん)にも、キョン革が使われている。なめし革に染色を施して漆で模様を描き、革袋などが作られる。  現在の印伝の製品は、ほぼすべてが中国から輸入されたキョン革が使われているが、石川さんは「房州印伝」の商標をとるなどして国産化を試みてきた。 「年間数十万頭ものキョンの革を中国から輸入していながら、国内で捕獲したキョンはほとんど利用することなく、その命の多くをただ処分しています。この状況を少しでも良くしたい」  千葉県も今年度から、県の事業で捕獲したキョンの肉や加工品、革製品をふるさと納税の返礼品として用意するなど、活用に力を入れ始めた。   千葉県産のキョン革で作った財布=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影   茨城県にも迫る  房総半島内で、拡大を続けてきたキョン。  千葉県は21年度に、半島中央部の東西に位置する一宮町と市原市を結んだ「分布拡大防止ライン」を設定。キョンの北上をはばむ「防衛ライン」として、この付近での捕獲を集中的に進めている。  しかし、すでに県北部の成田市や柏市の周辺でも、キョンの目撃は相次いでいる。県自然保護課の市原岳人副課長は、 「ラインの北側に、キョンの生息域は広がっていないと認識しています」 と説明する。「防衛ライン」を越えて確認されているのはオスばかりで、メスは目撃されていないためだ。キョンは群れをつくらずに単独で行動することが多く、さらにオスはメスよりも行動範囲が広いと考えられている。     キョンを捕獲する「箱わな」を設置した石川雄揮さん=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影    一方、さらに北側の茨城県では昨年12月、利根川を越えた下妻市でキョンの死がいが見つかった。22年に石岡市、23年にも筑西市でも確認されており、県内で4例目となる。すべてオスだという。  茨城県環境政策課の飯村勝輝課長補佐は、 「対岸の火事どころではない状況です。かなりの危機感を持って対応を考えています」  と話す。来月には有害鳥獣の捕獲対象にキョンを追加し、自治体で駆除ができるようにするという。    房総半島で被害を増大させながら、生息域を拡大してきたキョン。  今後、半島内の「防衛ライン」を突破し、さらに利根川も越えてしまえば、もうだれも止められない――。「脅威」が、静かに広がっている。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)    
キョン外来生物
dot. 2024/03/22 10:00
新幹線で噴射されたクマ撃退スプレーの中身 原型は「兵器」、浴びれば「焼けるような痛み」
米倉昭仁 米倉昭仁
新幹線で噴射されたクマ撃退スプレーの中身 原型は「兵器」、浴びれば「焼けるような痛み」
クマ撃退スプレーの噴射(期限が切れたものをテスト噴射。周囲に人家がない山中で許可を得て撮影)=2023年7月、北海道    東海道新幹線の車内で2日、強い刺激物を噴射する「クマ撃退スプレー」が撒き散らされ、乗客が病院に運ばれる騒ぎがあった。クマの出没が全国で相次ぎ、死傷者が過去最多の212人に上った今年、クマから身を守る道具として注目されている。しかし、クマを追い払える「威力」があるだけに、厳重な取り扱いが必要だという。 *   *   *  報道によると、2日夜、東京に向かっていた東海道新幹線「ひかり518号」の乗客から「車内でスプレーがまかれた。乗客がせき込んでいる」と警察や消防に通報があった。  列車は浜松駅で緊急停止し、乗客全員はホームに避難。5人が目やのどの痛みを訴え、病院に運ばれた人もいたという。  原因とみられているのが、クマ撃退スプレーだ。浜松駅で乗車した登山者が持っていたもので、何らかのはずみで誤って噴射した可能性があるという。    クマ撃退スプレーを誤噴射したとみられる事故は、これまでにも起こっている。  2019年3月、北アルプスの新穂高ロープウェイのゴンドラ内で異臭が発生し、乗客約10人が体調不良を訴えた。ドア付近には、クマ撃退スプレーから噴出したとみられるオレンジ色の液体が付着していたという。  同年10月には北海学園大学(札幌市)で、学生5人がのどの痛みなどを訴えた。当時、建物内にいた山岳系サークルが「クマ撃退スプレーを誤って噴射したかもしれない」と大学に申し出たという。   浴びると大変なことに  国内では現在、10種類以上のクマ撃退スプレーが販売されており、なかでも自治体や国立公園管理団体、警察、自衛隊などでの採用実績があるのが米国製の「カウンターアソールト」だ。  ただ、輸入総代理店の「アウトバック」(盛岡市)の藤村正樹・代表取締役によると、今回の浜松駅での「事故」について現段階で警察などからの照会はなく、噴射されたスプレーが「カウンターアソールト」かどうかは不明だという。     【こちらも話題】 ヒグマの“恐ろしさ”を知らしめた「日高福岡大ヒグマ事件」とは 「土饅頭」に隠されていた遺体 https://dot.asahi.com/articles/-/206665     店頭に並ぶヒグマ撃退スプレー。ヒグマの目撃情報が増え、問い合わせが増えているという=2023年6月、札幌市中央区北2条西4丁目の「モンベル 札幌赤れんがテラス店」    カウンターアソールトも含めた一般的なクマ撃退スプレーの主成分は、唐辛子に含まれる「カプサイシン」だ。  食べ物に含まれるものだけに、カプサイシンが人や動物の体内に入っても害はない。しかし、ガス状になったカプサイシンを浴びると、目や鼻、口、のどなどの粘膜に焼けるような痛みを覚え、呼吸が難しくなる。   万が一、顔に付着したときは冷たい水で目や鼻の中をよくすすぎ、十分にうがいをする必要がある。頭髪や衣服も洗わなければならない。45分経過しても痛みがとれない場合は、医師の診察を受けたほうがいいという。   原型は対人用の「兵器」  藤村さんの資料などによると、クマ撃退スプレーの原型は、1930年代に米軍が非致死性の兵器として開発したもの。これがクマ対策に使えると米モンタナ大の研究者が着目し、1986年にカウンターアソールトが誕生したのだという。    藤村さんは1990年にクマ撃退スプレーを日本で初めて商業目的で輸入し、普及させた人物だ。野生動物、特にクマによる被害防止に取り組んできた一方、 「(クマ撃退スプレーの)事故防止に関して、カタログにくどいほど詳しく書いてきました」  と話す。  クマを撃退する威力があるだけに、スプレー上部にある噴射レバーを間違って押さないように、レバーを挟むように「セイフティ・クリップ」が設けられている。  そして藤村さんによると、スプレーを山中以外で持ち運ぶときには、セイフティ・クリップが外れないように専用のホルスターなどに入れるかビニールテープなどで固定し、そして製品をビニール袋に入れて密閉し、さらにエアーキャップなどの緩衝材で包む、という「厳重さ」で取り扱うべきものだという。     【こちらも話題】 「朝一番でシャッターを開けたらクマがいた」 秋田の「マタギ」男性75歳が語る“今年の異常” https://dot.asahi.com/articles/-/206039     クマ撃退スプレーを手にする動物写真家・宮崎学さん=2017年10月、長野県駒ケ根市、米倉昭仁撮影    それだけの道具だけに、使用期限を過ぎた後の処分方法も大変だ。  ごみとして捨てる前に、周囲に誰もいない山の中などで噴射して、カートリッジの中を空にする必要がある。その際は雨具の上下を着用し、ゴーグルとマスク、ゴムかビニールの手袋で完全防備が必要だ。そのため、専門業者に処理を依頼することを勧めている。  万が一、室内で噴射すると、カプサイシンの粒子を完全に除去することは非常に困難だという。    なお、クマ撃退スプレーは預け荷物であっても、航空機内へ持ち込むことが一切認められていない。所持したまま空港を訪れると、搭乗前に没収されてしまうため、現地の登山用品店などで購入、もしくはレンタルする必要がある。  危険な道具だけに、藤村さんは「電車など公共交通機関への持ち込みはご遠慮下さい」と話している。   噴射されたクマは「ギャーッ」 「これまでに何回もクマ撃退スプレーに助けられました」  そう語るのは、NPO日本ツキノワグマ研究所の代表の米田一彦さんだ。  米田さんは、秋田県自然保護課でクマ対策に従事していた50年ほど前から、数え切れないほどクマに出合ってきた。さらに、襲われたことも珍しくないという。 「一般的な攻撃とは違う、殺人的な攻撃で襲われたのは9回。捕まえるときに麻酔で失敗したとか、越冬穴に入ったら襲ってきたとか」  いずれも重大な事故にならなかったのは、経験によってクマの動きを読めたこともあるが、クマ撃退スプレーを使ったことも大きいという。 「迫ってきたクマの鼻先に向けて噴射すると、ギャーッと逃げていきます。クマは唐辛子成分が付着して、まっ黄色になる」     【こちらも話題】 「人喰いクマ」は複数いた? 秋田県で8人死傷した「十和利山クマ襲撃事件」の真相 https://dot.asahi.com/articles/-/207256     常にクマ撃退スプレーを噴射できる状態で中央アルプス山麓を歩く動物写真家・宮崎学さん=2017年10月、長野県駒ケ根市、米倉昭仁撮影    しかし、クマにばったり出くわしたときに落ち着いて対応するには、備えが必要だ。  山中を歩く際はスプレーを手の届く位置に、いつでも使える状態で携帯しておくことが重要なうえ、パニックになってもセイフティ・クリップを外し、適切な距離でクマに噴射しなければならない。切迫した状況下で一連の動作を行う練習用として、カプサイシンが含まれていない製品も販売されているという。    登山用品店などにクマ撃退スプレーを卸している業者によると、クマによる人身被害が増えた今年は、特に問い合わせが多かったという。  しかし、クマ撃退スプレーはクマから身を守るための「最後の手段」だ。山中ではホイッスルを鳴らすなどして人の存在をクマに知らせ、クマと出合わないことが何よりも大切だ。  長年、カウンターアソールトを愛用してきた米田さんは、こう語る。 「メーカーによると、90%の撃退実績があるそうです。でも残り10%はそれでも襲われる。どんなに可愛らしく見えても、クマはクマでしかありません」  道具の「力」を過信することも、その危険性を過小に見ることもないようしたい。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)   【こちらも話題】 国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇 https://dot.asahi.com/articles/-/207250  
クマヒグマツキノワグマ
dot. 2023/12/07 10:00
国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇
米倉昭仁 米倉昭仁
国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇
「三毛別ヒグマ事件」が起こった場所に展示されているヒグマのレプリカ。住居を襲う様子を再現しているという=8月、北海道苫前町    今月2日、北海道南部の大千軒岳(福島町、標高1072メートル)を登山中だった北海道大学の学生が、ヒグマに襲われて死亡した。道内でのクマによる人身被害を振り返ると、明治から大正にかけての開拓時代に重大な被害が多発している。なかでも1915(大正4)年に起こった「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」は、死者7人を出した日本史上最悪の獣害事件だ。さらに23(大正12)年の「石狩沼田幌新事件」では3人が亡くなった。悲劇が繰り返された理由を、専門家は「ある意味、人災だった」と指摘する。 *   *   * 「三毛別ヒグマ事件」は、作家・吉村昭のドキュメンタリー小説「羆嵐」やテレビドラマ、マンガなどで紹介され、広く知られるようになった事件だ。  事件が発生したのは道北の天塩地方、日本海沿岸の苫前村(現・苫前町)。  この地域は大正中期まで、ほぼ全域がヒグマの生息地。クマに襲われた2軒の開拓農家は、三毛別川の河口から20キロほどさかのぼった、そんな山間部で暮らしていた。    第一の事件は12月9日の昼前に起こった。突然、沢の近くにあった家屋(太田家)に巨大なクマが侵入。在宅中の妻と男子を襲って殺した後、妻の遺体を運び去った。  翌日、捜索隊は130メートルほど離れた地点で、ササなどを被せた遺体と、その近くにいたクマを見つけた。遺体のほとんどは食べ尽くされ、頭と四肢下部を残しているにすぎなかった。クマは捜索隊に向かってきたが、鉄砲などで反撃されると立ち去った。  取り戻された遺体は太田家に安置されたが、その夜にあった通夜の最中、クマが再び襲ってきたのだった。     【こちらも話題】 国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇 https://dot.asahi.com/articles/-/207250    なぜ、クマは攻撃を繰り返したのか? 「ヒグマは捕獲した獲物に対して強く執着します。遺体にササをかぶせるのは『自分の食べ物だ』という印です。クマはそれを取り戻そうとしたわけです」  長年、ヒグマの生態を調査してきた北海道野生動物研究所の門崎允昭(まさあき)所長は、こう説明する。     三毛別ヒグマ事件の復元地=8月、北海道苫前町    クマは棺桶をひっくり返したが、空砲を撃つなどしたところ、外へ逃げた。  ところがその直後、第二の悲劇が起きた。逃げたクマは森に帰らず、太田家の北500メートルほどのところにあった明景(みよけい)家に侵入したのだ。  この家には妻子6人のほか、同宅に避難していた4人、計10人がいた。ヒグマは1時間近く人を襲い続け、妊婦の腹から引き出された胎児を含めて5人が亡くなった。遺体のほとんどに食害が見られた。    14日、十数人の猟師による狩りが行われ、クマは太田家の北2キロほどの地点で射殺された。  門崎さんはこのクマについて、冬眠直前だったと見る。 「ただ、当時の新聞記事を読むと、痩せていたという記述はありません。ですから、特に食べ物に困っていた、という状況ではなかったでしょう。それでもヒグマは人を襲って食べる猛獣だということです」     【こちらも話題】 リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体” https://dot.asahi.com/articles/-/12434   夏祭りの帰り道での悲劇 「石狩沼田幌新事件」も、北海道開拓時代の1923年8月21日に起きた。  現場となった沼田町は、「三毛別ヒグマ事件」が起きた苫前村にも近い。開拓民一家が夏祭りの帰りにクマに襲われ、食害された事件だ。  現在の留萌本線・恵比島駅跡の近くで太子祭が行われていた。村はずれの開墾地に暮らしていた村田さん一家ら5人は、祭りを楽しんだ後、帰路についた。そして午後11時半ごろ、川沿いの道を北へ4キロほど歩いた地点で突然、闇の中から現れたヒグマに襲われたのだった。    クマは抵抗した2人の息子を激しく攻撃した。ほかの3人は近くの家に逃げ込んだものの、クマはそれを追ってきた。窓に両手をかけて覗き込み、家の中へ入ろうとした。     「石狩沼田幌新事件」が起こった沼田町・炭鉱資料館に展示されている、牛を襲ったヒグマのはく製=沼田町提供    なんとかクマの侵入を防ごうと、シラカバの皮を次々と炉に投げ込み、部屋を明るくするともに、家を覗き込むクマに対して手当たり次第にものを投げ、大声を上げた。  クマは驚いた表情で顔を引っ込めたが、表口の戸を押し倒して、家屋へ侵入してきた。みな、梁の上や押入れ、便所の中に隠れた。  ところが、子どもの身を案じた妻がふらふらと屋外に出たところ、クマが襲いかかった。夫は我も忘れて外へ飛び出し、「ちくしょう、ちくしょう」とクマをスコップで乱打したが、まったく効果はなく、妻を引きずって笹薮の中へ入ってしまった。ヒグマは音を立てて食べ始めたが、誰もどうすることもできなかった。    朝になってクマが立ち去ったので妻の姿を探すと、下半身を全て食いつくされた遺体が見つかった。地面に倒れていた息子の1人も絶命していた。  翌22日に消防団と青年団などが警戒にあたったが、クマは姿を見せなかった。さらに23日、となりの雨竜村(現・雨竜町)から助っ人の猟師らが加勢した。そのうち一人が「俺が仕留める」と言って森へ入ったが、戻らなかった。   「石狩沼田幌新事件」でヒグマに使用されたとされる弾丸=沼田町提供    その間に警官や御料局員らが到着し、24日から総勢220人体制で本格的な討伐作戦が始まった。  午前11時半ごろ、林内を約1.5キロ進んだところで、クマが隊員を襲ってきた。負傷者を出したものの、隊員は発砲。クマは急所を打ち抜かれて動かなくなった。  行方不明になった猟師の遺体はそれほど離れていない場所で発見された。残っていたのは頭だけだった。  仕留められたクマは体長2メートル、体重340キロ。オスの老獣だった。その毛皮は現在も沼田町の炭鉱資料館に展示されている。     【こちらも話題】 「朝一番でシャッターを開けたらクマがいた」 秋田の「マタギ」男性75歳が語る“今年の異常” https://dot.asahi.com/articles/-/206039   「石狩沼田幌新事件」で射殺された体長2メートル、体重340キロのヒグマの毛皮=沼田町提供   クマに無防備だった入植者  道内では当時、クマによる人身被害が後を絶たなかった。それはなぜなのか。  門崎さんは、 「北海道はヒグマを害獣に指定していたにもかかわらず、住民に対してはクマ対策をまったく行っておらず、無防備だったんですよ」  と指摘する。  一方、役人らには「クマよけラッパ」が支給されていた。それは人の存在をクマに伝えるもので、豆腐屋のラッパのような甲高い音が鳴り響くものだ。ところが、開拓民に対してはクマよけラッパを支給することも、使用の奨励もしなかった。    一方、昔から北海道に暮らしてきたアイヌは、外出する際は「タシロ」と呼ばれる鉈(なた)と、「マキリ」という小刀を腰の左右に身につけていた。 「クマは人を攻撃する際、抱きついて頭をかじったり、爪で引っかいたりします。そのとき、どちらかの手が使えれば、タシロかマキリを突き刺せます。アイヌはクマに痛みを感じさせることで撃退できることを、経験的に知っていたんです」  最近の事例では、今年10月に道南の大千軒岳を登山中の消防士がクマに襲われた際、ナイフで目の周囲や首を突き刺すと、クマは逃げ出したという。  しかし、そのようなアイヌが培ってきたクマ対策は、開拓民に活かされなかった。   「石狩沼田幌新事件」でヒグマに襲撃された家=沼田町提供    さらに両事件では、クマは容易に家屋に侵入している。  当時は、家屋の窓や戸口の下に、くぎがたくさん突き出た板を置くといった侵入対策があったが、開拓民のどの家も無防備だった。  門崎さんは、ヒグマはライオンやトラと同じ食肉目に属する猛獣であることを強調する。 「行政はそれを踏まえたうえで、入植者にクマ対策を周知すべきでした。ところがそのような教育がまったく行われず、本州からやってきた人々をクマの生息域に送り込んだわけです。その結果、多くの犠牲者が出ました。なので、人災の側面が大きいと感じています」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)   【こちらも話題】 ヒグマの“恐ろしさ”を知らしめた「日高福岡大ヒグマ事件」とは 「土饅頭」に隠されていた遺体 https://dot.asahi.com/articles/-/206665  
ヒグマ北海道クマ
dot. 2023/11/24 17:30
ヒグマの“恐ろしさ”を知らしめた「日高福岡大ヒグマ事件」とは 「土饅頭」に隠されていた遺体
米倉昭仁 米倉昭仁
ヒグマの“恐ろしさ”を知らしめた「日高福岡大ヒグマ事件」とは 「土饅頭」に隠されていた遺体
人を見て、不快感を示すヒグマの成獣=門崎允昭さん提供    北海道南部の大千軒岳(福島町、標高1072メートル)の山中で11月2日、北海道大学水産学部(函館市)の大学生の遺体が発見された。近くではヒグマの死がいも見つかっており、クマに襲われたとみられる。そしてヒグマに詳しい専門家は「このクマは、食べるために人間を襲った」と言い切る。遺体は隠すように土や木の葉で覆われており、いわゆる「ヒグマの土饅頭(つちまんじゅう)」がつくられていたからだ。 *   *   *  北海道ヒグマ対策室や現地報道によると、北大生(22)が日帰り登山で大千軒岳を訪れたのは10月29日。この日にクマに襲われたとみられている。  その2日後、近くの消防署に勤務する消防士3人がこの山を登っていたところ、突然クマに襲われた。  消防士は持っていた山菜採り用の刃物を使って抵抗。眼の周囲や首などを刺したところ、クマは逃げ去ったが、40代の消防士2人が負傷した。  11月2日、行方不明になっていた北大生の遺体とクマの死がいが発見された。北海道や道警などが現場に残されていたクマの死がいを調査。クマはオスで、体長125センチ。消防士のナイフが首の大動脈に達し、致命傷を負わせていたことがわかった。    消防士たちは登山中、ホイッスルを鳴らし、存在を周囲に知らせていた。にもかかわらず、クマは立ち去るどころか、堂々と人間に近づき、襲ったということになる。なぜなのか?  長年、ヒグマの生態を調査してきた北海道野生動物研究所の門崎允昭(まさあき)所長は、見つかった大学生の遺体が土や木の葉で覆われ、「ヒグマの土饅頭(つちまんじゅう)」がつくられていたことに着目する。  つまり、ヒグマは大学生の遺体を、「食べ物」として扱っていたことを意味する。 「おそらくクマは当時、大学生の遺体とともに登山道の近くにいた。そこに消防士たちが接近してきた。クマは『食べ物』を守ろうとして、消防士を排除しようとしたが、ナイフで刺され、遺体の近くに戻ったところで息絶えたのでしょう」     【こちらも話題】 キャンプ場でクマに襲われた女性が3年ぶりに歩いた「現場」 人の食料の味を覚えたクマの“その後” https://dot.asahi.com/articles/-/199930     専門家が撮影した「ヒグマの土饅頭」。エゾシカの死がい上に、ササなどがかぶせられている=帯広自然保護官事務所提供    ヒグマは、捕らえた獲物の死がいに隠した後も、しばらく近くにとどまる習性があるという。 「シカやキツネだけでなく、家畜や人間に対してもそうです。わざわざササを噛み切って、置く場合もあります。それは『自分のものだよ』という印です。クマは自分の獲物に固執しますから、人間が近づいても絶対に逃げません」  土饅頭からは強烈な腐敗臭がするため、離れていてもその存在に気づくという。  しかし、興味本位で近づいてはいけない。近くにクマが潜んでいれば、襲われる可能性が高いからだ。   クマにつけ狙われた福岡大生  登山者がヒグマに襲われて死者が出たのは、1970年に起きた「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件」以来、約半世紀ぶりである。  当時、日高山脈を縦走していた若者5人は、食べ物に執着するヒグマの習性を知らなかったために、繰り返しヒグマに襲撃され、3人が亡くなった。  事故報告書によると、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のパーティーが入山したのは7月14日。日高山脈北部から南へ向けて、縦走を開始した。  23日、主峰・幌尻岳を通過し、さらに南下。ヒグマと遭遇したしたのは夏合宿の終盤、25日夕方だった。  夕食後、全員がテントのなかでくつろいでいると、6~7メートル先にヒグマがいるのを見つけた。しかし、緊迫感はない。 「みな、珍しがって見たり、カメラに収めたり、自慢話ができるといった具合で、恐怖を感じたものはいなかった」(報告書)    ところが、30分ほどすると、テントの外に置いていたザックの中の食料をあさり出した。  さすがにマズいと感じたメンバーは、クマの隙を見て、ザックをテント内に収容した。クマを追い払うためにたき火をし、ラジオの音量を上げ、食器を打ち鳴らした。     【こちらも話題】 「クマはクマでしかない」 米田一彦が写したクマの実像 https://dot.asahi.com/articles/-/195765   幌尻岳から日高山脈南部を望む。福岡大のパーティーはこの山頂を踏んだ2日後、ヒグマに襲われた=帯広自然保護官事務所提供    クマはいったん離れたものの、翌朝4時半ごろテントに手をかけて引っ張り始めた。負けじと部員たちは内側から引っ張り返した。約5分後、もうもたないと判断。部員たちはクマとは反対側の出入口から一斉に逃げ出した。振り返ると、クマは悠然と食料をあさっていた。  2時間ほどすると、クマは茂みの中に姿を消した。それを見た部員たちはテントとザックを回収した。    しかし、そのときクマは、食料の入ったザックを「自分の所有物」と認識していたに違いないと、何度も遭難現場を訪れた門崎さんは言う。 「部員たちが3度にわたりザックを守り、取り戻そうとしたことから、ヒグマはザックを確保するために彼らを徹底的に排除しようとしたのでしょう。ヒグマは本当に執念の動物です。やりたいことをやり通そうとする」  恐るべきことに、このクマはその後、福岡大パーティーを2キロ以上にわたって執ように追い続け、次々に部員たちを襲ったのだ。 衝撃的な事件は大きく報道され、ヒグマの執ような行動が全国に知られるようになった。   鈴よりホイッスルを  ヒグマが人間を襲うことはまれだが、決して「異常」な行動ではないという。  門崎さんが行った96件の人身被害の調査によると、ヒグマが人を襲う理由は「排除」「食害」「戯れ」の3つに大別される。  このうち最も多いのは「排除」で、確保した食べものを保持し続けるために邪魔になる人の存在を取り除くために攻撃する。福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件や、大千軒岳で消防士たちを襲ったケースがこれにあたる。子グマを守ろうとする母グマが人間を襲うこともある。 「食害」は人を食べるために襲うもので、動物性の食物を渇望しているときに起こる。大千軒岳で北大生が襲われたケースは食害にあたると、門崎さんは推測する。 「戯れ」は好奇心旺盛な満2歳のクマに多く、人にちょっかいを出すことをさす。   【こちらも話題】 リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体” https://dot.asahi.com/articles/-/12434   人に気づき、警戒する母子グマ=門崎允昭さん提供  ヒグマの生息域に足を踏み入れる際には、クマに出合わない方法や、万が一襲われても被害を最小限にする対策をあらかじめ準備しておく必要がある。  門崎さんが必需品とするのは、高い音が響き渡るホイッスルと、刃渡り20センチほどの鉈(なた)で、この二つを常に持ち歩いてきた。 「森の中で人間の存在を知らせるために鈴やラジオが使われることが多いですが、風が強い日や沢筋では音がかき消されてしまい、十分な効果を発揮しません」  自発的にホイッスルを時々吹くことでクマに対する警戒心を持続しやすく、吹かないときは邪魔な音がないので、クマの存在を察知しやすい。   ヒグマ除けのホイッスルと反撃するための鉈(なた)=門崎允昭さん提供   最後は戦う覚悟を  ただ、ホイッスルを吹いてもクマに出合ってしまう場合もある。 「そんなときはまず、クマの様子を観察します。向こうがぼくに気づいていなければ、『ホイホイ、ホイホイ』と声を出します。さらに『お前、何してんの』などと話しかけます。するとクマは気がついて、ほとんどの場合は離れていきます」  門崎さんが感じている、クマと人の「臨界距離」は約30メートル。 「話しかけてもクマが立ち去らず、30メートル以内に近づいてくる場合は要注意です。一見して不快そうな顔つきのクマや、本当に冷徹な表情のクマもいます。『ダメダメ』『こっちに来るな』とか、大声を出してクマから離れます」  その際、重要なのは決して背中をクマに見せないことだ。クマは背を向けて逃げる動物を襲う習性があるからだ。 「柔和な表情でこちらに歩いてくる場合は、私の横を通って行きたいだけなので、そのまま通り過ぎます。2、3メートル横を歩いていったことが何回もあります。ただ、一般の人にはお勧めしません」     【こちらも話題】 キャンプ場でクマに襲われた女性が告白「死を覚悟した」 経験から得られる教訓を生かすには https://dot.asahi.com/articles/-/40650   双子の子クマと母グマ=門崎允昭さん提供    執ように近づき、襲ってくる場合は鉈を使用する。無抵抗だと最悪の場合、殺されてしまう。  昔からクマの生息域で暮らしてきたアイヌは屋外に出る際、「タシロ」と呼ばれる鉈と、「マキリ」という小刀を腰の左右に身につけ、クマから身を守ってきた。 「ヒグマは人を襲う際、抱きついて頭をかじったり、爪で引っかいたりして攻撃します。抱きつかれた状態でもどちらかの手が使えれば、タシロかマキリを抜いて、突き刺せます。クマに痛みを感じさせることで攻撃を止めることができることをアイヌは経験的に知っていたんです」   死んだふりは通用しない  門崎さんは、大千軒岳でクマと遭遇した消防士たちの対応が、非常によかったと評価する。 「登山中、ホイッスルを吹きながら歩いていましたし、クマに襲われたときには山菜採り用のナイフで反撃した。それによって、クマは攻撃するのを止めて、逃げたわけです」  ちなみにアイヌには「死んだふりをすれば難を逃れられる」という口承はないという。  クマは人を襲うこともある猛獣である。それをきちんと認識したうえで、豊かな北海道の自然を味わってほしい、門崎さんは言う。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)   【こちらも話題】 クマ駆除抗議に研究家が抱く危機感 襲われて死亡した被害者宅に「自業自得だ!」の残酷電話も https://dot.asahi.com/articles/-/205988
ヒグマ北海道クマ
dot. 2023/11/19 09:00
「犬」に吠えられると一目散に逃げる「クマ」の心理 なぜ「野生のクマ」は「犬」にだけ弱いのか
大谷百合絵 大谷百合絵
「犬」に吠えられると一目散に逃げる「クマ」の心理 なぜ「野生のクマ」は「犬」にだけ弱いのか
体格差があるクマにも犬はひるまない。画像はイメージ(GettyImages)    日本中で人がクマに襲われる被害が相次ぐなか、犬がクマを撃退する事例がいくつも報告されている。飼い犬に吠えられて逃げ出すクマの動画がSNSで拡散されたり、軽井沢町では民家エリアに近づいたクマを森に追い返す「ベアドッグ」が活躍していたり。しかし、クマはなぜ、自分よりも小さな犬を怖がるのだろうか。『ざんねんないきもの事典』シリーズの著者で、動物学者の今泉忠明さんに解説してもらった。 *  *  *  なぜ、クマは犬を怖がるのか。今泉さんにその理由をたずねると、「正確には、怖がるというより、避けたがっている。かつて里山に暮らしていた野良犬の記憶が残っているのでしょうね」と返ってきた。 「クマが野良犬の縄張りに入った場合、犬は追い出そうと立ち向かってきます。どんな犬も単独ではクマにかないませんが、2~3頭以上の群れをなして集団で攻撃してくる。これがなかなか厄介なのです」  野良犬たちの戦術は、こうだ。まず1頭が、クマと正面から向かい合う。そして他の仲間はクマの後方に陣取り、隙を見て後ろから足にかみつく。アキレスけんを切れば獲物の動きが止まることを、本能的に知っているからだ。そして怒ったクマが後ろの犬を攻撃しようとすると、今度は最初に正面にいた犬が、再び後ろから足にかみつく……。 【こちらも話題】 クマ駆除抗議に研究家が抱く危機感 襲われて死亡した被害者宅に「自業自得だ!」の残酷電話も https://dot.asahi.com/articles/-/205988 餌をもとめて海岸沿いをうろつくヒグマ。写真はイメージ   野良犬に「かく乱」されてきたクマ  クマはあっちを向いたりこっちを向いたり、犬たちにかく乱されるというわけだ。もちろんクマが本気で突進すれば、包囲網は抜けられる。しかし、多少なりともケガをするリスクがある以上、犬との接触を事前に避けようとするのは、当然の反応だろう。  では、飼い犬と一緒に歩いていればクマを撃退できるのかというと、そう簡単ではないようだ。今泉さんは「近年のクマは犬が厄介な動物であることを忘れつつある」と、警告する。  日本では、1950年に制定された狂犬病予防法のもと、野良犬の駆除が進められてきた。今泉さんによると、10年ほど前にほぼすべての野良犬が姿を消したといい、その結果、犬に襲われた経験のないクマや、母グマから犬を避けるよう教わっていない子グマが増えているというのだ。  ここ最近、犬の散歩中にクマに襲われる事件が頻発している背景には、このような“犬を知らないクマ”の存在があると、今泉さんは分析している。 「『人ともちがう、なにか見慣れない生き物が来たな』と関心を持たれてしまい、犬の存在がクマを引き寄せている可能性があります。また、鉢合わせた際に犬が激しく吠えると、クマが興奮して突進してくることも考えられる。犬を連れていることで、むしろクマの被害に遭うリスクが高くなる恐れがあるのです」 今年は連日のように熊が人を襲うニュースが報じられている。写真はイメージ   クマ出没は「野良犬駆除」の結果  さらに踏み込むと、「野生動物が人里に下りてくるようになったこと自体が、野良犬の駆除の結果だ」というのが、今泉さんの持論だ。  かつて、クマだけでなくシカ、イノシシ、サルなどにとっても、野良犬は厄介な存在だった。そのため、野良犬が暮らす里山は、自然界である山と、人が住む町の間の“防波堤”となり、野生動物を人のそばに寄せつけない機能を持っていたのだという。 「野良犬を駆除したことで狂犬病は撲滅できたけど、代わりに獣害が増えてしまった。人間の都合だけで自然に手を加えてはいけないという、典型的な例です。一度壊した生態系は、なかなか元には戻らない。大変な時代になってしまったね」  今泉さんによると、最近のクマは犬だけでなく、もはや人のことも怖がらなくなりつつあるという。人が山に捨てる残飯の味を覚えたことで、クマよけの鈴の音を聞くと、エサを期待して逆に寄ってくるケースが指摘されているのだ。  人間側の都合によって、クマはその生態をどんどん変化させ、私たちに牙をむくようになった。自然界からの“しっぺ返し”が収まる日は、来るのだろうか。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) 【こちらも話題】 クマ駆除抗議は公務員の宿命? “カスハラストレス”感じてもクレーム電話を切れない職業心理 https://dot.asahi.com/articles/-/205511
ヒグマ野良犬
dot. 2023/11/10 17:00
東北サファリパークで飼育員を襲ったライオンはどうなる? パンク町田氏「殺処分はナンセンス」
吉崎洋夫 吉崎洋夫
東北サファリパークで飼育員を襲ったライオンはどうなる? パンク町田氏「殺処分はナンセンス」
「休園日」の看板が掲げられていた東北サファリパーク(2023年9月29日)   「東北サファリパーク」(福島県二本松市)で男性飼育員がメスのライオンに襲われ死亡する事故が9月28日に起きた。報道によると、何らかの理由でライオンと飼育員を仕切る鉄格子の扉が開いており、襲われたと見られている。監視役として別の作業員もいたが、襲われて悲鳴が上がるまで気づかなかったという。安全管理はどうなっているのか。事故を起こしたライオンはどうなるのか。 *  *  *  飼育中の動物による事故はサファリパークなどで散発的に起きている。2016年には「群馬サファリパーク」で、女性従業員が車で巡回中、ツキノワグマに襲われて死亡した。車の窓についている防護用のパイプが外れ、襲われたとされる。  12年には富士サファリパーク(静岡県)で、男性飼育員がアジアゾウに襲われて亡くなった。出産直後の母ゾウが子どものゾウに危害を加えようとしていたため、助けるために檻に入ったところ襲われたとされる。  一般的にサファリパークなどでの安全管理はどのように行われているのか。  動物研究家のパンク町田さんは「ライオンなどの猛獣は『間接飼育』と言われる方法で飼育されている」と指摘する。  間接飼育とは、人と動物が一緒の空間に入らないようにして飼育する方法だ。人と動物のあいだが鉄格子などで区切られ、動物から危害が加えられないようになっている。パンク町田さんはこう説明する。 「間接飼育であれば、動物が人を襲おうとしても防げるようになっているため安全です。今回のような事故が起きるとしたら、不注意など人為的なミスや、自動で閉まるはずの扉がしまらなかったなどの機械的な不具合が原因として考えられます」 東北サファリパークにいるライオン(事故を起こしたライオンかは不明)    普段から接している飼育員であれば、“仲間意識”や“情”のようなものが生まれ、襲われるリスクも下がるような気もする。だが、人に慣れている猛獣ほど襲ってくるリスクが高くなることがあるという。 「人が抱きついても平気なように訓練されている猛獣もいますが、サファリパークや動物園などの動物はそういった訓練はされていません。野生の猛獣であれば人に警戒して近づいてこないものですが、飼育されている分、人への警戒心が薄らいでいます。そのため、野生の動物よりも人を襲いやすいという側面もあります」(パンク町田さん)  ライオンやクマなどの猛獣が危険というのは想像しやすいが、実は草食動物の飼育のほうが、事故が起きやすい環境にあるという。パンク町田さんはこう解説する。 「草食動物の飼育では、動物と人が同じ空間にいることがあります。ただ、ゾウなどライオンよりも強い動物は多いです。人を食べないと言うだけで人を襲ってくるリスクはあり、同じ空間にいることがあるぶん、草食動物のほうが事故が起きやすいです」  事故が報じられた後、SNSでは、〈ライオンは殺処分されるのだろうか〉などと心配する声があがっている。事故を起こした動物はいったいどうなってしまうのだろうか。パンク町田さんはこう語る。 「動物園が飼育する動物の多くは野生動物です。また、保護されるべき動物でもあります。こうした事故の原因は人間の側のミスなので、動物に責任はありません。殺処分になることはないと思いますし、殺処分になることがあればナンセンスな話です」  では、これまで通り展示が続くということだろうか。 「人間に危害を加えた動物をこれまで通りに表に出すことはないと思います。年老いた動物やいじめられた動物を隔離する設備がありますので、そういった場所で飼育することになるのだと思います」  なぜ事故が起きてしまったのか。改めて人間側の責任が問われている。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
東北サファリパーク死亡事故ライオン
dot. 2023/09/29 18:00
特集は「知って備える大震災」/小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ9月号」8月12日(土)発売
特集は「知って備える大震災」/小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ9月号」8月12日(土)発売
親子で楽しく読めて、中学受験・高校入試の勉強にも役立つニュース月刊誌「ジュニアエラ」9月号が、2023年8月12日(土)に発売されます。特集は、「関東大震災から100年 知って備える大震災」。ニュース解説は、「スポーツの世界大会を楽しもう!」「LGBT理解増進法とは」などを掘り下げます。スペシャルインタビューには、8月25日公開の映画「Gメン」で初主演する、岸優太さんが登場。HiHi Jets連載は井上瑞稀くんです。   今号の特集は、「知って備える大震災」。今年は、約10万5千人の死者・行方不明者を出した関東大震災から100年の節目の年です。日本の地震災害史上最大の被害を記録したマグニチュード7.9のこの地震では、犠牲者の9割が焼死しました。関東大震災とはどんな地震だったのでしょうか。また、阪神・淡路大震災、東日本大震災との違いはなんでしょうか。そして、地震大国・日本ではいつ大地震が起きても不思議ではありません。教訓を生かし、今後起こりうる大地震に備えるためには何をしたらいいのかについても、じっくり考えます。 ニュース解説記事は「スポーツの世界大会を楽しもう!」。パリ五輪を1年後に控えた2023年は、さまざまなスポーツの世界大会が花盛り。7月の世界水泳、7、8月の女子サッカーワールドカップなどに続き、8月から9月にかけては、世界陸上、男子バスケと男子ラグビーのワールドカップが相次いで開催されます。そんな大会の見どころを、スポーツジャーナリストの生島淳さんが詳しく解説します。 このほか、「LGBT理解増進法とは」「マイナ保険証で問題続出」「もうすぐ実現? 空飛ぶクルマ」といったニュースを、小中学生にもわかりやすく説明しています。 スペシャルインタビューは、俳優の岸優太さん。「10代は好きなことをやって、じゃんじゃん楽しんで!」という岸さんに、映画「Gメン」への思いや、夏休みの思い出など、いろいろと聞きました! 読者のお悩みにもアドバイスしてくれています。 読者から寄せられた質問にHiHi Jetsが答える連載「放課後はまかせて!」は、井上瑞稀くんが登場。「緊張で人とうまくしゃべれない」という13歳に、撮影現場での話を織り交ぜつつ、「気にしなくていいんじゃない?」と、力の抜き方を教えてくれました。 もしも歴史人物がSNSを使っていたら…をマンガで紹介する歴史人物SNSは、江戸時代後期に日本で初めて測量で地図を作った、伊能忠敬にクローズアップ。50歳にして暦学と天文学の勉強を始めた忠敬は、測量のために地球1周分も歩いたといいます。どのように測量したのか、また、本当の目的は何だったのかを、詳しく紹介します。 【そのほかにも、盛りだくさん!】 ・一色清の「一色即発」 電動キックボードが自転車並みに ・フンダラ姫のNewsなひとこと ・「科学漫画サバイバル」初の体験イベント徹底ルポ ・「クイズ王」に挑戦‼ QuizKnock クイズで1000本ノック ・マンガ コリゴリ博士の暴投ステーション ・はばたけ!スーパー・キッズ スポーツスタッキング 久場雄真人さん ・AI時代のハローワーク 未来のお仕事案内 恐竜ライブプロデューサー ・夕日新聞 日本全国B級ニュース ・子ども地球ナビ マレーシアの男の子 ・のぞき見探偵が行く! 海上保安庁 横浜海上防災基地 ・サイエンス・ジュニアエラ 野生動物の剝製を使って「ひっつき虫」を調査! ・読者のページ ジュニステ 2コマまんがdeあ・そ・ぼ/川柳教室/こなやみ相談室 ・旬のたべものレストラン 梨 ・ニュースのニューシ問題 地震列島の日本に関する問題 ・ジュニアエラ検定 ・連載・クイズ全員ウソつき ・コリゴリ博士と読む7月のニュース ・パックンのすぐに使えるオモシロ英語   ジュニアエラ9月号 特別定価:499円(本体454円+税10%) 発売日:2023 年8月12日(土曜日)
AERA 2023/08/10 12:01
「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦
米倉昭仁 米倉昭仁
「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦
広島県、2013年7月。なぜ、このように倒木の上や土が露出した所で眠りたがるのか。クマはマムシ避け、害虫避け、それに腹部の冷却をしているようだ(撮影:米田一彦)    ツキノワグマを追って50年になる米田(まいた)一彦さんによると、クマは本来、臆病な動物で、人間の存在を察知すると、そっと逃げていくという。 *   *   * 「クマは森林の動物ですから、森の中にいるときは非常に穏やかな顔をしているんですよ」  米田さんの作品には、夏の小川のせせらぎのなかであおむけになって気持ちよさそうに昼寝をするクマの姿や、森の中に座ってのんびりと毛づくろいする様子が写っており、なんともほほえましい。  一方、狭い穴の中で迷惑そうな目でこちらを見るクマの写真もある。 「これはクマが越冬している穴の中にカメラを持った腕を突っ込んで、ストロボをたいて写した写真です。カシャっと撮った瞬間、ガーッとカメラをかじられた。レンズに装着したフィルターに穴が開いた」と、淡々と語る。  これまでに米田さんが出合ったクマは数えきれない。襲われることも珍しくない。 「一般的な攻撃とは違う、殺人的な攻撃で襲われたのは9回。捕まえるときに麻酔で失敗したとか、越冬穴に入ったら襲ってきたとか」  いずれも重大な事故にならなかったのは、経験によってクマの動きを読めたからだという。 広島県、2012年7月。クマは森の中では自由自在、座って20分も毛づくろいをしていた。動きは黒い毛皮を着た人のようだ。北米先住民も、そう言う(撮影:米田一彦) ロボットカメラは嫌い  米田さんは1948年、青森県十和田市で生まれた。秋田大学を卒業後、秋田県庁に就職し、生活環境部自然保護課に配属された。 「50年前、行政も研究者も、クマのことは何も知らなかった。研究は全く揺籃(ようらん)の時期だった。クマの管理といえば駆除がほぼ100%だった。そこで不法な捕殺行為がたくさん行われていた」  米田さんの業務は農作物被害をもたらす野生動物や、希少生物の確認だった。 「その際、写真を撮って確認を行うんですが、それをきっかけに、写真に凝るようになった。『アサヒカメラ』もずいぶん読みましたよ。それで、機材をたくさん買わされた。大迷惑ですよ(笑)」  昭和40~50年代はニホンカモシカによる食害が深刻だった。 「それで撮影したカモシカの写真を何げなく『アサカメ』に送ったら、カラーで大きく掲載された」  米田さんはいわく、「カモシカは明るいところに出てくるから、撮影は簡単なんです」。 「一方、クマの撮影は難しかった。森の中は暗いので、高感度フィルムを使ってもほとんど写らない。なので、クマがやってくる場所にロボットカメラなどを仕掛けて、ストロボをたいて撮るしかなかった」  ロボットカメラというのは、クマがカメラの前を横切ると自動的にシャッターが切れる仕組みだ。 「でも、ロボットカメラは好きじゃない。できるだけ自分の手でシャッターを切りたかった」 広島県、1998年8月。枯れ木にニホンミツバチが巣をつくっているが爪で破壊できず、上から入ろうとしている。ミツバチの蜜はもちろん、クロスズメの幼虫も好物だ(撮影:米田一彦)  米田さんは森の中に1畳ほどのスペースの小屋を設け、クマが訪れるのをじっと待った。 「クマは来る場所は決まっています。夏は沢で草を食べているし、秋は実のなる木の上にいる。そこにカメラを仕掛けて、クマが来たら遠隔操作でシャッターを切る。昼も夜も、日曜日も。ずっと仕事の延長だった」 「動物写真家とやっていることは変わらないですね」と、筆者が言うと、「へっへっへ」とうれしそうに笑う。 秋田から広島へ  ちなみに、最近のクマの研究は、クマにGPSを装着して人工衛星で行動を追跡したり、体毛やふんなどから取り出した遺伝子の分析が主流になっている。  それに対して、米田さんの研究は、山に分け入って、クマはどのようなところで暮らしているのか、「森を見る」と表現する。 「最近の研究者はずいぶん遠くからクマを見ている感じがします。彼らが話すクマの生態は、本当のクマの生き方とは違うような気がしてね」  86年、米田さん秋田県庁を退職し、90年にフリーのクマの研究者として広島県廿日市に移住した。 「環境省が『西日本のクマの実態は全然わからない。研究者が誰もいない』って、言うんですよ。それで、こっちに引っ越してきた。広島県の一番山奥です」 広島県、2013年7月。若いクマは林内では見晴らしのよい地点から危険なクマがいないかうかがう。ブナ林内でクマを待つのは非常に寒くて私は主に夏に観察する(撮影:米田一彦)  秋田県とは異なり、中国地方に生息するクマは「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されている。  クマとの共存を訴える米田さんは、農作物被害を防ぐために捕獲したクマを殺さずに山奥に放つ「奥山放獣」を始める一方、これまでと同様、クマの観察や撮影を続けた。 「最近はカメラがデジタルになって、感度がすごく上がったのと、さまざまな画像処理が施せるようになったので、暗くて陰影の強い森の中でもふつうに撮れるようになりました」 秋田で撮り続ける理由  米田さんは7月18日から東京・新宿のニコンサロンで写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」を開催する。 「写真作家の登竜門と言われるニコンサロンに応募して、通ったわけですから、もう写真家だよね。ははは」 秋田県、2021年7月。雨の中に直立して6メートル先の私を見続ける。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」五段目に出て来る雨に濡れた「斧定九郎」みたいな虚無感と殺気を感じて足がすくんだ(撮影:米田一彦)  展示作品の約半数は自宅のある広島県で写した写真だが、その他は比較的最近、秋田県で撮影したものである。理由を尋ねると、衝撃を受けた。 「秋田の写真は16年に4人が殺された『人狩り熊』の延長で撮影しています。個体識別をする必要があるので、クマの顔写真を全部撮っています」  山菜採りに入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った本州最悪の獣害事件、いわゆる「十和田山熊襲撃事件」である。  事件はすでに終息しているはずだが、なぜ今も当時の現場に通い、クマを撮り続けているのか。 「あの事件は1頭が起こしたわけじゃないんですよ。関係したクマが6、7頭いる。それが、どう駆除され、残存しているのか、写真を撮って、識別している」  先に書いたように、クマは基本的に臆病な動物で、不意に鉢合わせしたりしなければ、まず人を襲うことはない。 「ところが、クマが人を襲う重大事件はどの地域でも同じように起きているのではなくて、特定の地域で継続して起きている。そこには攻撃性の強い、凶暴な家系のクマが生息していると、研究者の間では言われています」 秋田県、2020年7月。牧草に隠れるぐらいの幼熊を2頭つれた100キロ級のメスグマ。クローバーを食べている(撮影:米田一彦) それでも襲われる  広島県の自宅周辺の森では5メートルくらいまでクマに近づいて顔のアップを写したりする。クマの対処法を知っているので、それほど怖くないという。  一方、秋田県で写した写真の多くは大豆やソバの畑にやってきた来たクマである。 「畑で撮るのが一番怖いですね。相手からこちらが必ず見えていますから。もちろん、気づかれないように『だるまさんが転んだ』方式で接近します」  クマが他の方向を見ているときに、たたっと走って、止まり、クマにレンズを向ける。 「この母子グマの写真は距離10メートルくらいです。非常に緊張しました。子連れの場合はどう反応するか、わかりませんから」  襲われた場合は、催涙スプレーの一種である「クマ撃退スプレー」を使用する。 「これまでに何回もクマスプレーに助けられました。メーカーによると、90%の撃退実績があるそうです。でも残り10%はそれでも襲われる」  米田さんは「クマがクマの世界で暮らしている姿をみんなに見てもらいたい」と言う一方、「場合によってはクマは害獣でもある。だから殺すことも手伝ってきた」と語る。 「私はクマの被害対策をずっとやってきたわけですが、今、山村の人々の被害意識と、都市住民の愛護の意識との乖離(かいり)がひどいんですよ。クマを捕獲すると、地元の自治体に『殺すな』と電話がたくさんかかってきて、事務停滞を引き起こす。なので、都市住民にもクマの実像を伝えたい。日本の中心で写真展をやるなんて、望まなかったんだけれど、やることになっちまった、という感じです」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】米田一彦写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」 ニコンサロン(東京・新宿) 7月18日~7月31日
アサヒカメラツキノワグマ写真家米田一彦
dot. 2023/07/17 17:00
ムツゴロウさんが「娘として育てる」と誓ったヒグマを棒で殴り殺そうとした理由
ムツゴロウさんが「娘として育てる」と誓ったヒグマを棒で殴り殺そうとした理由
写真はイメージ/Gettyimages 23年4月に逝去した「ムツゴロウさん」こと畑正憲氏はかつて、離乳期のヒグマのメスを娘として育てると誓い、人間とヒグマの共存に挑戦した。そして、その記録を小説に書き記しているのだが、その顛末は衝撃的なものだった。(イトモス研究所所長/小倉健一) ムツゴロウさんが決意したヒグマとの共存生活  フジテレビ系の大人気番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」などを通じて、また、「ムツゴロウの青春記」などの数々の小説を通して、多くの国民に親しまれた「ムツゴロウさん」こと、作家の畑正憲氏が4月5日、心筋梗塞で亡くなった。87歳だった。  1986年には自身が監督・脚本を手がけた映画「子猫物語」が約750万人の観客動員を記録している。  ムツゴロウさんが、麻雀がものすごく強いとか、幼少期を満州で苦労して過ごしたという解説をする人も多いが、やはりムツゴロウさんといえば、動物研究家としての活動だろう。子どもの頃から動物と共に過ごし、小学3年生で日本に帰国してからは、大分県日田市で暮らし、手づかみで魚を捕るなどして過ごしたという。  東京大学を卒業後、33歳で「われら動物みな兄弟」で第16回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したことを契機に、作家の道に進んだ。  1970年、ムツゴロウさんは猛獣として知られる「ヒグマ」を北海道の無人島で飼うことを決意し、その模様を「どんべえ物語」という小説に書き記している。この本は、ムツゴロウ流の動物記なのであるが、いわゆる動物観察日記かと考えて読み進めると、面を食らうハメになる。  ムツゴロウさんによれば、それまでの北海道民とヒグマの関係というのは、暗いものであったという。  あるとき、稚内の近くでヒグマが一頭、海を泳いでいたそうだ。これに驚いた漁師たちが総出で船を寄せ、カイ(オールのこと)でめった打ちにして沈めたのだという。そんな話を聞いたムツゴロウさんは、「キザな言い草だが、ヒグマと共同生活をするために必要なのは力ではなく、やさしい粘り強い愛であろう。害を与えない仲間として人を認識させねばならぬ」と決意したのだ。 20年飼育していたヒグマが飼い主を惨殺する痛ましい事件も  しかし、ムツゴロウさんは当然知っていたと思われるが、ヒグマは「友情」などという概念を基本的に理解できるか、できないのかがよく分かっていない動物である。  ちょうど最近も、クマが20年間にもわたって飼っていた飼い主を惨殺するという痛ましい事件が起きている。  2022年11月28日午前9時20分ごろ、長野県松本市五常の住宅で、この家に住む丸山明さん(75)がクマに襲われたと家族から警察に通報があった。警察官が駆けつけたところ、扉が開いたおりの近くに倒れている丸山さんの周辺を、体長1メートルほどのクマがうろうろしたり、おりから出たり入ったりしていた。そのため、地元の猟友会のメンバーがクマを射殺したという。その後、松本市内の病院へ搬送された丸山さんの死亡が確認された。  この事件を扱ったNHKの記事『飼っていたクマに襲われ 75歳男性死亡 松本』は次のように報じている。 「警察によりますと、丸山さんはおよそ20年間、このクマを飼っていたということで、丸山さんの73歳の弟は『兄は山に仕事に行った時に親からはぐれた子グマを見つけ、それからずっと飼っていた。こんなことになって残念だ』と話していました」「松本市保健所によりますと丸山さんは、クマの飼育の許可を受けていたということで、ことし5月におりの構造や施錠などについて検査を受け、問題はなかった」 「友情」という人間の概念をクマは理解できるのか 『人間とクマは「友達」になれるのか?』(GIZMODO、17年3月23日)でインタビューに答えたイスラエルの生態学者によると、クマは野生動物で、「友情」という観念は人間の作ったものであり、クマは人間の作り出した「友情」というコンセプトが理解できないのだという。よって、母グマが子どもを守ろうとしたからか、冬眠前で手当たり次第に食べ物を探していたからか、人間の手からものを食べていたクマが、次の日にはその人を食べてしまうこともあり得るのだという。  やはり、クマは「友情」を理解できないのだろうか。  その報道に真っ向から反論していたのが、一般社団法人日本熊森協会の顧問である宮沢正義氏(96歳、22年11月29日当時)だ。宮沢氏は10頭のツキノワグマと20年間家族として暮らしてきたという。宮沢氏は、人間とクマの間に友情は存在すると話す(以下、引用は「一般社団法人日本熊森協会ホームページ」より)。 「クマはね、噛むことで親しみを表す動物なんだ。クマ同士遊ばせておくと、楽しそうに首とか絶えず噛み合っているよ。好きな人がいたら、どんどん噛んでくるよ」 「クマの皮はものすごく厚くて硬いから、クマ同士はどうもないが、人間は皮膚が薄いから、こんなことされたらひとたまりもない」  つまりクマにとっては戯れているつもりなのかもしれないが、丸山さんは不幸にも人間としてその戯れに付き合っていたら死んでしまったのではないかということだ。先の丸山さんが殺害された事件については、こう解説している。 「事故後、クマ(オス、80キロ)は、丸山さんのすぐ横をうろうろしていたというから、逃げ出そうとしたわけでも、丸山さんを噛み殺してやろうとしたわけでもなく、最大の親しみを込めて抱き着いていっぱい噛んだら、丸山さんが倒れてしまったので、戸惑っていたことが考えられます。クマ君は、自分がなぜ射殺されねばならないのか、訳がわからなかったと思います」 ムツゴロウさんが「娘」のヒグマを棒で殴り殺そうとした理由  向こうが殺すつもりはなく、ただ戯れて遊んでいるだけなのに、人間にとっては致命傷になるというのは、いかにクマが危険な動物かを表しているようにも思う。ムツゴロウさんは、こうした危険を承知した上で、「(離乳期から育てることができれば)ヒグマといえども友だちになれるだろう」と考えて、無人島でヒグマを飼うことにしたのだった。  果たして、ヒグマの子どもを育てるというのは、動物研究家のムツゴロウさんといえども、やはり命懸けだったようだ。  一緒にいて、おならをすると、まず耳を立てて、それからにおいを嗅ぎにやってきて、鼻を引くつかせた後で、おしりをガブリと噛むのだという。ヒグマはふんのにおいに敏感らしく、ムツゴロウさんにとってトイレの時間が一番危険な時間なのだという。  さらには、ヒグマは戯れているつもりで鼻を噛んでくるのだ。気分にもムラがあり、自分より弱いと判断したムツゴロウさんの妻や娘のいうことを全く聞かない。  そんな毎日のイライラがついにピークに達してしまったムツゴロウさんは、娘として育てると誓ったヒグマを棒でぶん殴って殺そうとしてしまう。 「僕の腹ワタは煮えくり返り、胸に熱い怒りが込み上げてきた。もうこれまでだ。僕は左手で持っていた鎖を手放し、両手で棒を引きむしると、ありったけの力を込めて棒を振り下ろしていた。ガツン。鈍い音がした。渾身の力をこめて振り下ろした棒は、どんべえの右腕に食い込んだ。―――死ね! 隠さず正直に書こう。その時の僕の怒りは、どんべえ(子ヒグマのメスのこと)をぶち殺しかねないものだった。手をかけて愛育しておきながら、棒には愛などひとかけらもこめられていなかった」  激しいムツゴロウさんの怒りをぶちまけられたヒグマの子だったが、幸いにして命に別状はなく、また怒りの甲斐があって、ヒグマはムツゴロウさんのいうことをきちんと聞くようになったのだという。「世界中の人に誇りたい気持ちだった」というムツゴロウさんは、ヒグマとの共存ができると確信したのだった。  ムツゴロウさんのようにヒグマと命懸けで共存を図るならできなくもない。しかし、多くの人にとっては、そしてクマにとっても、やはりクマと人間とは、別々に生きていたほうが良さそうである。本書を読んで、ヒグマの生態が嫌というほどよく分かった。今はただ、ムツゴロウさんのご冥福を祈りたい。
ヒグマムツゴロウ
ダイヤモンド・オンライン 2023/05/24 08:00
リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体”
永井貴子 永井貴子
リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体”
「ヒグマという最強動物の獰猛さと恐ろしさを伝えるために、あえて生々しく描いた」と安島さん(gettyimages)  31歳の独身、女猟師が北海道を舞台にエゾヒグマを追う狩猟漫画『クマ撃ちの女』が人気だ。リアルな狩猟の描写が話題となっている同作品。実際の狩猟現場に同行するなど綿密な取材を得意とする作者の安島薮太(あじま・やぶた)さんに作品への思いを聞いた。さらに、近年、北海道を震撼させている怪物ヒグマ「OSO18(おそじゅうはち)」について、どう見ているのか。 *  *  * 「クマはナイゾウからタべるってキいたことがある…」「おネエちゃんもそうやってタべられるんだ… ……ワタシはどうなる…」  主人公のチアキと姉は、狩猟の帰りに「片耳のヒグマ」に襲われる。そのヒグマに姉が車から引きずり降ろされるのを、当時大学生だったチアキは後部座席で呆然と見つめた。ヒグマは姉の左足に食いつき、離さない。 「いぎぃいいいっ…」      恐怖と痛みのなかで叫び声をあげる姉を目の前に、チアキは意識あるままに柔らかい内臓から食われる恐怖を想像する。  姉の次に食べられるのは、自分だ……。  幸いにも猟師の車が通りかかりヒグマは逃げた。グチャグチャにされた姉の足は義足になったが、命は助かった。“襲撃”のあと大学を卒業したチアキは北海道を離れて就職するも、その後、北海道に戻り、女猟師となった。姉の足を奪った「片耳のヒグマ」への敵討ちに執念を燃やす――。  そうしたヒグマと人間の生々しい対峙場面が随所に描かれているのが、漫画『クマ撃ちの女』。作者の安島さんは、大阪芸術大学を卒業後、映像制作の仕事を経て漫画家になった。緻密な描写と綿密な取材に基づいた作品は、北海道の自然に生きるヒグマの強さと恐ろしさを伝えている。 愛らしいイメージ「壊す」  冒頭のように、登場人物がヒグマに襲われるシーンは何度か出てくる。  チアキに猟を指導する猟師も、彼女の目の前で襲われる。ヒグマの大きな爪が猟師の顔を覆いかぶさるシーンは、思わず目をそむけたくなる。 「クマは愛らしいというイメージを持つ人も少なくありません。それを壊そうと思った。ヒグマという最強動物の獰猛さと恐ろしさを伝えるために、あえて生々しく描いているんです」 「クマ撃ちの女」から(安島薮太/新潮社)  安島さんは、ヒグマやクマの恐ろしさを知らない観光客が野生のクマへのエサやりをしたり、安易に近づいて写真を撮ったりするような行動がなくならないことに、危機感を持っている。  確かに日本でも、ヒグマやクマへエサやり体験ができる牧場や施設がある。飼育員によるエサやりが公開される施設では、お辞儀をしてエサをもらったり愛らしい仕草をしたりするクマがテレビ番組などで取り上げられ、その動画はネット上にも残る。 著者の安島薮太さん(撮影/永井貴子)  22年4月改正の自然公園法では、国立公園や国定公園でクマなど野生動物へのエサやりや接近行為をやめない人に30万円以下の罰金が科されることになった。 「北海道の知床国立公園では、観光客がクマを近くで撮影したいがためにエサでおびき寄せる行為が長い間、問題になっていました。エサを与えられ人間を恐れなくなったクマは市街地に出没する危険性もあり深刻な問題です」 顔面を爪でやられた猟師  安島さんは漫画を描くために北海道での狩猟に同行し、ヒグマに襲われた猟師から体験談も聞いている。  ヒグマが走る速さは時速50キロ以上といわれる。1秒に約14メートル、4秒もあれば55メートル強の距離を移動できてしまうことになる。 「恐ろしいのは、ヒグマの圧倒的な筋力と鋭い爪です。話を聞いた猟師によると、倒木のかげに隠れていたヒグマと出合いがしらに遭遇した際、彼は反射的に銃を撃ちました。が、顔面を骨ごと爪でやられ、あごが皮一枚でぶらんとぶら下がっている状態だったそうです。お会いしたときはお元気で、すでに顔もきれいに治っていましたが、ゾッとする話です」  クマとの遭遇は、山に限らない。  今年は例年より雪解けが早い。冬眠明けのクマの活動が活発になっているせいか、4月に入り北海道ではクマの目撃報告が増えている。市街地である札幌市内にも出没している。 「クマ撃ちの女」から(安島薮太/新潮社)  そして、北海道で注目されているのは、怪物ヒグマ「OSO18」の存在だ。  最初に出没が確認されたのは2019年の夏、北海道川上郡標茶町(しべちゃちょう)で牛が襲われた。これまでに牛60頭以上を襲撃しているといわれるが、警戒心が強くカメラにとらえられたのもわずか数回。北海道庁は、最初の被害現場である標茶町オソツベツと幅18センチの大型の足跡から、「OSO18」と名付けた。  安島さんが描く『クマ撃ちの女』の連載が始まったのは、2019年1月。「OSO18」の出没と同じ年だ。安島さんの連載のほうが数カ月早く、「片耳のヒグマ」のモデルではないという。それでも、怪物を思わせる不気味さなど重なる部分がある。 「OSO18」伝説化に疑問  安島さんは、OSO18はどのようなヒグマだと推測するのか。 「OSO18については、被害が牛にとどまっているのが救いです。僕の漫画よりインパクトのあるヒグマは登場しないで欲しいですね……。ただ、OSO18は『頭がいい』、神出鬼没な『忍者グマ』など伝説化されていますが、僕の知り合いの猟師たちは、ごく普通の臆病なクマではないのかと見ていますね。カメラで姿を捉えられないのも、カメラを避けているというより、臆病で人間に近づかないから結果として姿が捉えられてないだけ。猟師から見れば、ごく普通のヒグマではないか、とのことです」  安島さんも同意見だという。広大な自然と野生の動物を相手にする猟師は、分析を一つ誤れば死に至る可能性もある。うわさやイメージに惑わされず、ヒグマが木に残した爪痕やフン、足跡など、現実にあるものを冷静に分析して判断する。 「ただ、不思議なのは、60頭を超える牛を襲っているのにほとんど食べてないところですよね。クマって肉食のイメージが強いと思いますが、実は、全体の7割は植物性の食べ物を口にしています。出産や冬眠明けの春は、フキやセリ科の草本類、去年に落ちたドングリなどを食べます。そのため山菜採りに来た人と遭遇する事故が起こるんです」  初夏には、植物や果物を摂取しつつもアリやザリガニ、セミの幼虫、スズメバチなど動物質のものも食べる。  山に食料となる動植物がなく家畜を襲って食べるクマの話はよく聞く話だが、OSO18は襲った牛をほとんど食べず放置している。何を目的に襲うのかかがわからない。そこは「ミステリアスだ」と安島さんは首をひねる。 怖いクマはヒグマだけじゃない  ただ、ヒグマだけが恐ろしいクマではない、と警鐘を鳴らす。 「本州や四国に生息するツキノワグマも、とても恐ろしいです。体が小さい分、立木や倒木のかげに隠れやすい。ヒグマは200メートル先に人間を見つけたら逃げるほど、基本的には臆病だといわれますが、ツキノワグマは逆に人に寄ってくる、好戦的だといわれています。クマが怖いのは、表情が読めない動物という点です。目の上に筋肉がないから無表情。怒っている、興奮している、怯えているといった様子がわからないから怖いんです。クマは人慣れした牧場や動物園のクマが当たり前なのではなく、本来、恐ろしいものだということを、漫画を通じて読者に知ってもらいたい」  新潮社のウェブ媒体「くらげバンチ」で連載を続ける『クマ撃ちの女』は、紙と電子コミックで現在10巻まで発売されている。合わせて約40万部。30代の男性がメイン読者だという。  ただしサイン会を開けば、女性読者の姿も目につく。  何より、動物園や牧場、猟師や銃砲店などへの緻密な取材を下地にした作品には、関係者のファンも多い。ベテラン猟師からは「よく描けている」、若手ハンターからは「バイブルにしています」とエールをもらうこともある。  ウェブ連載だけに、読者の反応もダイレクトだ。 「狂暴に描くなんてクマがかわいそう」  ウェブには、そんなコメントが書かれることもある。しかし、安島さんは、こうきっぱりと話す。 「クマも人間も自然の一部です。けた外れの筋肉と爪と牙を持つ最強動物のヒグマを相手にするのです。猟銃が当たらず車がなければ、シカや他の動物以上に人間はもろいのは当たり前です。この漫画を読んでくれた人が、カメラで撮影したいがために接近したりエサをあげたりしようと思わないくらい、迫力のある漫画を描きたい。そして狩猟の世界のいいところも悪いところも、清濁併せ呑んだクマ撃ちの世界を描いてゆきたいですね」 ◯安島薮太(あじま・やぶた)大阪芸術大学卒業後、映像制作会社を経て漫画家に。新潮社のウェブ媒体「くらげバンチ」で『クマ撃ちの女』を連載中。愛知県豊田市(旧稲武町)出身。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
OSO18クマ撃ちの女ヒグマ安島薮太漫画
dot. 2023/05/06 17:00
女性の国立大学長は日本で5人だけ! 時代を切り開いた総研大・長谷川真理子さんの原点とは
高橋真理子 高橋真理子
女性の国立大学長は日本で5人だけ! 時代を切り開いた総研大・長谷川真理子さんの原点とは
長谷川真理子さん   世界経済フォーラムが毎年発表するジェンダーギャップ指数で日本は最下位グループをウロウロするばかりなのは、広く知られるようになった。国会議員や閣僚に女性が少ないことが大きく足を引っ張っているのだが、学術の世界でも女性比率の低さは世界で際立つ。86ある国立大学で、女性学長がいるのは5大学である。ひょっとすると「え、5人もいるの?」と驚かれたかもしれない。そう思ってしまう人が少なくないところに日本社会の姿が端的に表れていると思う。  5人のうちの1人が進化生物学者の長谷川真理子さんだ。総合研究大学院大学(総研大)の学長を2017年から務め、今年3月で2期6年の任期を全うする。学部がなく大学院だけなので大学の一般的な知名度は高くはないが、長谷川さんは著書や訳書も多く、マスコミにもしばしば登場する有名人だ。  女性比率の低い日本の学術界で奮闘する女性研究者たちに話を聞くインタビューシリーズは、長谷川さんに幕を切ってもらうことにした。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) *   *  *――野生動物の研究をされてきたんですよね。  私は生物を丸ごと研究したかったんです。それで、房総半島(千葉県)のサルとかアフリカのチンパンジー、イギリスのシカなどの行動を観察するフィールドワークをしてきました。ただ、職を探さないといけないとなったとき、女性で、チンパンジーとかシカとかの行動観察をやってたっていう人の就職先はないわけ。それで、すごく苦労して専修大学法学部の教養の先生になりました。1990年から2000年まで10年務めて、2000年から6年間は早稲田大学政治経済学部の教養の先生でした。この16年間、私の研究者としての人生はお休みだった。2006年に総研大で新しく生命共生体進化学専攻というのをつくるからって呼ばれて、そこで初めて本当に研究ができる場所に来た。  でも、総研大に来ても最初は新しい専攻を立ち上げるための準備室長で、1年たってから研究科長、専攻長と交互に何年もやって、それで副学長になって学長になったので、研究の時間はあまり取れなかった。  その中で10年前に「思春期の進化学的研究」が始まった。東京ティーンコホートという、3500人の当時10歳の子供をずっと調査するというプロジェクトで、思春期というのがどういう意味があってどういう重要な時期かというのをいろいろ多角的に研究するんです。私はA01班の責任者で、 全体の責任者は東京大学医学部の笠井清登教授。笠井さんとずいぶん進化的な話をしながらスタートさせたので、それは本当に良かった。学長を引退したらここに戻って研究しようと楽しみにしています。 ――アフリカにはどれくらい行っていたんですか。  2年半です。まず、博士課程2年のときに文部省(当時)の科学研究費で半年間、タンザニアに行きました。  私の憧れはドリトル先生で、前人未踏の奥地に探検に行きたいとずっと思っていました。前人未踏とはいかなかったけれど、それに近いところに行けて嬉しかった。もともと、その場所を国立公園にして保全するという計画があり、日本がそれを援助するということで、国際協力事業団(JICA、現・国際協力機構)が調査のために専門家を2年間派遣していました。それで、改めて私と夫(長谷川寿一さん。進化心理学者。東大教養学部助手などを経て東大大学院総合文化研究科教授、現在は名誉教授)は大学を休学して、そのJICAの専門家としてタンザニアの奥地に行きました。 調査で半年間滞在したタンザニアでの一枚(長谷川真理子さん提供)  電気なし、ガスなし、水道なしで、村人を30人くらい雇わないといけない。時計もカレンダーもない人たちに毎日9時に来なさいというのは大変で、毎晩、トシ君と「どうしてあの人たちは働かないんだろう」と愚痴を言い合ってました。でも、いま振り返るとあの体験が良かった。文化が違えば人々の考えがどれほど違うのか痛感したし、逆に文化がどれほど違っても人間はみな同じだと思ったことも多々あった。人類進化の原点に近い伝統社会の生活を教えてもらって、ものすごく視野が広がりました。 ――ご夫婦で行けたのが良かったですね。そもそもドリトル先生に憧れた理由や、生物を丸ごと研究したいと思ったきっかけは何だったのでしょう。  私の原点は、紀伊田辺の海なんです。2歳から5歳ぐらいまで母親が結核でずっと入院してしまったので、和歌山県田辺市の海岸近くにある父方の祖父母の家に預けられた。あのころの紀伊田辺の海はテトラポッドもなくきれいなところで、磯があって砂浜があって、いろんな海の動物がいて。  私は生き物の多様性と美しさ、エレガンスを目に焼き付けて育ちました。それと同時に、一緒に住んでいた父親の姉、私にとってはおばさんが中学校の先生をしていて、彼女が何か小さな図鑑をくれたの。その図鑑を見て自分でとってきたものと比べるのがとっても楽しかった。 ――幼稚園児にして生物学者の片鱗を見せていたわけですね。  そういう経験がないと、生物学を志さない。多分それが私たちの世代なんですよ。だけど今の40代より下になると、子供時代にそういう自然に接していない。うちの大学院に来る学生を見てもそう。私みたいに生き物への強烈な興味を原点に持つ人はこれから時代的に出ないかもしれません。 ――小学校は東京で。  母が治ったんです。それで東京に戻ってきて、千駄谷小学校に入りました。そのころは東京の千駄ケ谷でも路地みたいなところがいっぱいあって、雑草もいっぱい生えていて、野良犬が死んでいたこともあった。2年生のときに両親が郊外の小金井に家を建て、東京学芸大学付属小金井小学校に編入しました。そのときの担任は大野先生という女の理科の先生で、本当にいろんな動物や植物について手に取って教えてくれた。大野先生のおかげでますます生物が好きになりました。 ――中学高校時代は。  実はそこで化学や物理も好きになった。実験器具を買ってもらって実験していました。二酸化マンガンにオキシドールをかけてブクブク酸素を出すとか、そういうのが好きだったのよね。それでちょっと興味がぐらついた。  そして高校紛争がありました。我々は2年生で、直接やったのは3年生なんだけど、バリケードで封鎖されたりしたから結構大変だった。だいぶ影響されて、全然勉強する気がなくて、同級生のほとんどが浪人、私も1浪。 ――入学されたのは東大の理II(農学部・理学部進学コース)ですね。  今と違って研究室紹介もなくて、何ができるか全然わからないのに入ったんですよ。3年に進学にするときの進学振り分けで、生物学科を選ぼうとしたら、私が好きな丸ごとの生物をやっているところがなかった。農学部の害虫だったらできるかもしれないと言われて、でも誰かが自然人類学教室に行ったらおサルならできるよって言ったんです。別にサルが好きだったわけでも、人類に興味があったわけでもないんだけど、人類に行くしかなかった。 ――そうだったんですか!  今はオープンキャンパスとか、研究室紹介とかもいっぱいあって、情報が溢れてるじゃない? 行動生態学をできる大学はどこかとか、調べて受験するでしょ。あのころは何もなかった。 ――人類学に進んで、どうでしたか?  自然人類学教室は東大と京都大学の二つにしかないんです。卒業生の大半は、いわゆる基礎医学の解剖学に行くか、博物館に行くか。私はどちらもやりたくなくて、本当にナマの生き物の行動と生態をやりたかった。それで、3年生の夏休みに将来の夫となる長谷川寿一と一緒に千葉県の高宕山の野生ニホンザルの調査に出かけました。 >>【後編:「夫を置いていくのか」指導教員に大反対されても留学を強行 得たものは? 総研大・長谷川真理子学長】に続く 長谷川真理子/東京生まれ、東京大学理学部卒、理学博士(東京大学)。専修大学法学部助教授、教授、早稲田大学政治経済学部教授を経て総合研究大学院大学教授、副学長、学長。主な著書に『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)、『進化と人間行動』(長谷川寿一との共著、東京大学出版会)、『進化生物学への道』(岩波書店)、『私が進化生物学者になった理由』(岩波現代文庫)など。
進化生物学長谷川真理子
dot. 2023/01/03 17:00
オオカミ幻想の深層に白き「イヌ」あり。日本人とオオカミ、その過去と未来【後編】
オオカミ幻想の深層に白き「イヌ」あり。日本人とオオカミ、その過去と未来【後編】
前編では、古代から続くとされてきた「オオカミ信仰」が、実は近世から現代にかけて徐々に出来上がってきた新しいものであることを解き明かし、一方で日本の民間信仰には、より古い犬神・白い犬・大山祇神の眷属という三つの側面が見られることについて触れました。 後編では、近世以降に広まったオオカミ札の流行とニホンオオカミ滅亡の関係性、そして「イヌ」という名から解き明かせる「戌の日」の安産祈念について解説します。 ☆あわせて読みたい! オオカミ信仰はあった?なかった?日本人とオオカミ、その過去と未来【前編】日本の「おいぬ様」信仰の根源にあるのはオオカミではなく白い犬? オオカミ駆除の隆盛こそがオオカミ信仰の起源だった!? 日本人が歴史的にはさほどオオカミを意識してこなかった、と言われると、オオカミを愛する現代の多くの人から、異論や反論があるかもしれません。 けれども実際、東北で行われてきた「オオカミ祭り」こと「オイノ祭」(オイノは『御犬』の意味)とは、オオカミを崇拝する祭りではなく、オオカミ被害が特に多かった東北において被害を減らし、祟りを鎮める目的で行われていたもので、信仰とは言い得ません。 『遠野物語』(柳田国男 1910年)にも、いくつかオオカミに関する伝承が記載され、村人が山の洞穴でオオカミの子供を見つけて殺したところ、それからその村をオオカミが襲い馬を殺すようになり、オオカミ対村人の凄惨な戦いが始まる話で、ここには当時の人々のオオカミへの仕打ちや、オオカミを賢いが復讐心や執着心が強い恐ろしい生き物と見らていたことがわかります。 埼玉県秩父市の三峯神社や東京都の武蔵御嶽神社など、オオカミを「大口真神」として描いた御札を害獣、火災などの災難除けとするオオカミ信仰があるではないか、と言われるかもしれません。しかし「オオカミ信仰」で最初に名が上がるほど有名な三峯神社の歴史は比較的新しいものです。 18~19世紀には各地でオオカミ被害が頻発し、全国の各藩が「狼落とし」なる落とし穴でオオカミを捕殺していたことが記録に残っています。江戸時代の農村には害獣駆除のために申請登録された鉄砲が何挺か保有されており、巣穴に煙を焚いていぶり出し、鉄砲で狙って撃ったようです。こうしてオオカミ駆除が盛んになると、オオカミの遺骸から頭骨や牙、毛皮などを、他の草食害獣除けのまじないとして利用するという発想が生まれました。もともと犬神が獣霊の憑き物落としや獣害に効果がある(四国を中心とした犬神呪法)という信仰が素地にあるものですから、修験者や願人坊主(正規の僧侶ではなく、僧侶のいで立ちで放浪する大道芸人)が、オオカミの骨や毛皮、オオカミ絵札を各地で売り歩いて商売としたのが、いわゆる「狼札」の由来とされています。 私たちが「オオカミ信仰」としているものとは、実際にはオオカミの駆除を基礎にした経済活動の副産物だったのです。 明治時代に入り、オオカミや野犬の駆除はさらに激化しました。鎖国から貿易開放となり、外貨を稼ぐ自国産業として、絹糸や自生ユリなどとともに、日本列島の野生動物の毛皮が輸出品として注目され、大々的な野生動物の捕殺が行われたことに端を発します。西洋からのより性能の高い銃も普及しましたし、高い値で買われるために民間の捕殺も増えました。日本中にいたニホンカワウソは、それによって絶滅しましたし、大型獣の鹿の毛皮は特に集中的に求められ、大量に捕殺されました。北海道でのエゾシカ狩猟は苛烈なもので、明治五年から十三年の8年間で、40万頭ものエゾシカが狩猟され、輸出されました。 それまでエゾシカを狩っていたエゾオオカミや野犬にとってこれは死活問題で、彼らは開拓使により設営された畜産農場の家畜を襲ったのです。これにより、人間は毒薬や鉄砲、ワナなどを仕掛け、高額な報奨金を拠出して徹底的なオオカミ狩りを行いました。こうしてエゾオオカミは、19世紀末には絶滅してしまいました。エゾオオカミ駆除のノウハウは、内地にも持ち込まれ、エゾオオカミ絶滅から10年も経たないうちに、ニホンオオカミも全土から絶滅してしまいました。安産祈願の愛知県の伊奴神社。愛知・静岡は犬信仰と伝承がなぜか集中します なぜ「戌の日」に腹帯を巻く?謎の安産祈願の本当の意味 オオカミ信仰幻想を一つ一つ取り剥がしていきますと、日本人がオオカミを含めた「イヌ」というものをどう捉え、習俗信仰の中に組み込んできたかの素の有り様が見えてきます。 前編で短く触れた、オオカミ(イヌ)を眷属とし、使役する大山祇神(おおやまつみのかみ 大山津見神とも)。 その生成譚にはいくつも異伝がありますが、『日本書紀』神代上第五段の一書第七では、火の神軻遇突智(かぐつち)の出産で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大やけどを負ったことに怒った伊弉諾尊(いざなきのみこと)が軻遇突智を三つに切り裂いた際、頭が雷神(いかづちのかみ)、胴体が大山祇神、下半身が高龗(たかおかみ ※龗は龍の意で水神)となった、とされています。 この神話で、大山祇神が雷神・水神とともに生まれていることは示唆的です。火山の噴火が雷雲を起こし、天から降り注ぐ雨が山に降り落ちて水源(龍の棲み処)となるダイナミックな自然の営み、天象・水象を神格化したものと考えられます。 全国の山住神社、三島神社など、大山祇神を祀る社の総本社とされる伊予国一の宮で愛媛県今治市の大山祇神社では、摂社に雷神と高龗神とを祀り、この三柱の関係の深さをうかがわせます。奈良県桜井市の三輪山の神を見てわかるとおり、山の神とは蛇神、龍神であり水神でもあるのです。龗(おかみ)と狼(おほかみ)の音の共通性にもご注目ください。 「妊娠五か月目の戌の日に腹帯(岩田帯)を巻いて安産を願う」という有名な日本独特の風習は、起源が謎とされています。安産や子供の守り神は古来、水天宮などの水神社、子安観音や地蔵菩薩などで、ぱっと見て犬・オオカミは結びつきそうもありません。犬は子沢山で安産だからあやかるため、とか「戌の日はおめでたいから」といった説明がされることが多いのですが、十二支には他にもネズミやウサギなど、犬よりもはるかに多産で安産の動物がいますから、これは後付けの俗説でしょう。また、「戌」という文字は「滅ぶ」を意味し、季節では真冬直前の晩秋から初冬にあたります。出産という慶事にとって、ふさわしい意味とは思えません。 しかし、大山祇神が水神の性質も包含していることを知れば、関連性が見えてきます。愛知県名古屋市西区にある伊奴(いぬ)神社は、全国的にも「おいぬ様」の神社として有名ですが、祭神に高龗神が見られますし、主祭神である伊奴姫神(伊怒比売とも)は、大山祇神の子供である大年神の妃です。イヌ信仰の在るところ、大山祇神が必ずあるのです。 関東地方周辺には広く「犬供養」という習俗があり、飼い犬や身近な野良犬などが難産で死んだり死産だったりすると、卒塔婆を立ててイヌの魂を供養し善徳を積むことで、人が出産の際に安産となるという信仰がありました。おそらくこのような風習が「戌の日の腹帯」に関連はありそうです。 「犬供養」に見られる、イヌが死ぬと世話になった飼い主に福をもたらす、というモチーフは、古来多く知られています。「花咲か爺」は中でも、もっとも有名なものでしょう。『今昔物語集』(平安末期 作者不詳)の巻第二十六に所収された「参河国始犬頭糸語」もその一つで、平安時代に参河国(三河国とも 現在の愛知県東部)で租税である調の献上物として納められた名産である絹糸「犬頭糸」の、名の由来を語ったもので、 夫から冷遇されるある女が、稼業である養蚕もふるわず、たった一匹残った蚕も飼い犬の白いイヌが食べてしまった。嘆いていると、その犬の鼻から白い糸が伸び出てきて、竿に手繰り寄せると世にも美しい絹糸が巻き取られた。糸が全てなくなるとイヌが死んでしまったが、イヌを桑の木の元に埋葬すると、その白い絹糸と同じような質の良い絹を吐き出す蚕が育ち、女は富貴となった。 というものです。死ぬことで人に福徳をもたらす、これらの不思議なイヌの正体は何なのでしょうか。なぜ安産祈願の腹帯を「戌の日」に貰いうけるのか。その習俗の根底には 「イヌ」の名を探ることで、幸せの白い犬が何者かが見えてきた! ところで、日本語で犬を意味する「いぬ」とは何が語源となっているのでしょうか。現在の仮説は、「すぐいなくなるからいぬ(去ぬ)」などの説しかなく、基本的に語源は謎とされています。 日本語の基層言語の一つとされるアイヌ語では、犬は「セタ(もしくはシタ)」と言います。お隣の朝鮮語では「ケ(개)」で、これは日本語の「犬」の音読み「けん」のほうに近い音です。中国語では狗/犬は「ゴゥ」で、この音が清音化して、朝鮮語や日本語の「ケ」「ケン」になったのでしょう。 一方、沖縄の琉球語では犬は「いん」と言います。これは日本語の「いぬ」とほぼ重なります。 日本語はオノマトペ(擬音語)が極めて豊かな言語です。名詞や形容詞や副詞、動詞にも擬音語から発生した単語が多く見られます。アイヌ語の「セタ」は、セハセハとせわしなく呼吸しタタタタと駆けよる、イヌという動物の騒々しくも愛らしい様をよくあらわした音です。ゆえに、先史時代の日本語のイヌを表す言葉は「セタ」だっただろうと推測ができます。現在でも東北のマタギは連れ歩く猟犬を「セタ」と呼びます。 とすると、それとはまったくかすりもしない異質な「いぬ」(琉球語のいん)という名はどこから来たのでしょう。 エジプトの冥府の神・アヌプ(ギリシャ名ではアヌビス)は狗頭人躯の神です。エジプトの古語では、イヌのことを「インプ」と呼びました。西の最果てのエジプトの言葉が日本語になるとは考えにくいかもしれませんが、以前にも当コラムで小正月行事「どんど焼き」は、エジプトの太陽信仰から生じた不死鳥伝説が日本に伝わったものであると解き明かしました。(不死鳥は炎とともに空高く・小正月行事「どんど焼き」の深層とは《後編》) 「アヌプ/インプ」と「イヌ/イン」というエジプト語圏と日本語圏の音の共通性は見過ごしてよいレベルではないように思います。そして「いぬ」という名称は、東アジア文化圏において異質で、他に起源を求められないのです。 古代エジプトといえば、有名なツタンカーメン王に代表されるように、死後の復活を願い、ミイラ作りが盛んでした。初期王朝時代にはじまったミイラ文化は、新王国時代(BC15~10世紀ごろ)には、「死者の書」と名付けられたツリン・パピルス文書が多く記録され、祭礼の作法と死者の辿る道程についての思想が明示されました。死者は来世、西の果てにあるオシリスの支配する楽園アールウに復活しますが、その際、生前の肉体がないとそこにたどり着けないとされたのです。そのため肉体を腐敗しないように保存されたものがミイラです。このミイラづくりの神こそが冥府の神・アヌプだったのです。処理が施された遺体は、最終的にアヌプ役のミイラ職人によって白い麻布を巻かれて安置されます。 戌の日に巻くさらしの白い岩田帯、そして犬頭糸の物語の蚕の繭玉を思い出すと、ミイラに巻く白い麻布と似ています。麻布にくるまれて再生を待つミイラは、まさに繭玉の中のサナギに重なります。 白とは、五行思想では西方をあらわし、守護獣も白虎です。死装束は白ですし、現在では喪服は西洋の影響で黒ですが、かつては葬儀参列者も皆白を纏いました。貴人の出産に際しても、立ち会う者たちは皆白装束でした。現世という「生の国」から出入りするときには呪術的に白が用いられたのです。 そう理解しますと、前編で紹介した日本書紀と古事記の日本武尊(やまとたける)が、山の神が変じた「白い鹿」に激しく動揺した理由もわかりますし、亡くした恋人を思い出して嘆いた意味も通ります。ノビルの実が当たった程度で死んでしまう鹿は、まさに武尊に「死」を見せつけ、怯えさせることを目途としていたわけです。そしてこのとき、遭難しかけた武尊を救うのは「白い犬」なのです。生と死のあわいの際どいシーンで、武尊を死に導くのも生還へ導くのも「白い」動物だったのです。死と福徳という対極的とも思える(ただし、信仰の世界では浄土と楽園は重なりますから矛盾はしていません)贈り物を携えて現れるのが「白い動物」「白い犬」だったのです。再生とミイラ作りの犬神アヌビス(アヌプ)。「イヌ」との符号が意味するものは 現在、アメリカなどでの成果を受けて、食害をもたらす増えすぎた草食野生動物の抑止のために、オオカミを山に復活させよう!という運動もあるようです。その効果についてはともかく、イヌを、人を援ける良き動物と考えてきた歴史を見ますと、オオカミを含めたイヌ属と人間との、よりよき関係を考えていくことは必要なことではないでしょうか。 (参考・参照) 産育習俗語彙 柳田国男 国書刊行会 遠野物語 柳田国男 新潮社 古代エジプトの物語 矢島文夫 教養文庫 おいぬ様 和漢三才図絵 獣類 古代参河国と犬頭糸・白絹 犬にゆかりのある2つの神社|岡崎ルネサンス人とオオカミが共存できる未来はある?
tenki.jp 2022/12/19 00:00
大きいわりに繊細なキリン トレーニングとケアで動物に優しく長生きを目指す取り組み
大きいわりに繊細なキリン トレーニングとケアで動物に優しく長生きを目指す取り組み
「キリンは歩き方と走り方が違う。足の運びなども観察してみて」と多摩動物公園の飼育員・清水勲さん。同園の開園時間は午前9時30分~午後5時。水曜休園(撮影/工藤隆太郎)  首が長くて動物園で人気のキリンは、実は繊細な動物だ。かつては蹄の伸びすぎで死ぬことも多かったが、近年は蹄のケアで寿命が延びるようになった。飼育方法を進化させる動物園の取り組みを紹介する。AERA 2022年9月19日号より紹介する。 *  *  *  きっかけはコロナ禍だった。神奈川県在住の女性、にゃんたろうさん(ハンドルネーム)は気分が落ち込みがちになり、何か新しい趣味をと一眼レフカメラを買った。何を撮ろうかと、小学校の遠足以来になる多摩動物公園(東京都日野市)を訪れた。さまざまな動物を撮って帰宅。写真を見て気づいたのが、 「キリンってこんなに表情豊かなんだ」  他の動物園へも足を運ぶようになり、キリンにも性格がいろいろあると気づいた。特にお気に入りの野毛山動物園(横浜市)の「そら」と宇都宮動物園(宇都宮市)の「テリー」は、人工保育で育ったこともあり人懐こい。「そらくん」と呼ぶとついてきて、ガラスをぺろぺろなめることもあるという。  8前に多摩で生まれた「ワビスケ」をきっかけにキリンにハマったというのは都内在住の女性、高嶋さん。ちょうどプライベートで人間関係に嫌気がさしていたときだった。 ■人にこびないのが魅力  休みの日は必ず動物園へ。それも開園から閉園まで過ごすようになった。多摩のキリン17頭はすべて顔と名前を見分けられるが、キリンのほうは高嶋さんを覚えていない。でも、「そこが好き」なのだという。普段世話をする飼育員は判別しても、来園者を見分けはしない。もしキリンが自分の顔を覚えてくれたら、期待するし欲が出てしまう。それは嫌なのだ。 「キリンは人間にこびないし、それでいい。そこが犬猫やペットと違う野生動物の魅力。その子がただ元気でいてくれることが幸せなんです」  ワビスケは繁殖のため、1歳半で沖縄こどもの国(沖縄県沖縄市)へ引っ越した。以来、年4、5回は会いに行く。他にも多摩で生まれ旅立っていった子たちを見るために全国を回った。北海道・帯広、札幌、盛岡、仙台、石川、愛知・豊橋、兵庫・姫路、高知……。行った先で元気な様子を見て、ホッとした。 今年6月に安佐動物公園(広島市)から多摩動物公園にお嫁に来た「アカリ」(写真:にゃんたろうさん提供)  そもそもなぜこんなにキリンの移動が多いのかと言えば、繁殖のためだ。  コロナ禍で近年は減っているが、例年20件程度は国内でキリンの引っ越しがあると教えてくれたのは、多摩動物公園の飼育員・清水勲さん。キリンを担当して22年目のベテランだ。  多摩動物公園は国内でキリンを一番多く飼育していて、全国193頭(2021年12月末時点)いるキリンの血統管理を担う。近縁な関係にある個体同士の繁殖を避け、遺伝的な多様性を保つためだ。各地の動物園から「オスが欲しい」「メスが欲しい」などのリクエストがあれば、適した組み合わせを分析して調整をする。 子どものキリンは座って休んでいる時間も多い/多摩動物公園(撮影/工藤隆太郎) ■移送中に命を落とす 「体が大きくなると運ぶのが難しく、ストレス耐性もなくなるので、原則として3歳前後までに移動するようにしています。暑さや寒さで負担をかけないよう、引っ越しは春と秋に集中します」(清水さん)  大きいわりに繊細なキリン。今年4月には、王子動物園(神戸市)の「ひまわり」が岩手サファリパーク(岩手県一関市)への移送中に命を落とす事故も起きた。輸送箱内で体勢を変えようとして転倒し、呼吸不全に陥ったのが原因と公表された。  移送以外にも、金網に角が挟まって抜け出そうとして頚椎(けいつい)を損傷するなど事故死が少なくない。だが、死亡原因の多くはキリンの蹄(ひづめ)の伸びすぎだ。  前出の高嶋さんにとって忘れられない「ユズ」(13年に多摩から盛岡市動物公園に移動)が17年に死んだときも、蹄が伸びて関節症を起こしたことが遠因だった。動物園で暮らすキリンは、野生と違って運動量が少なく蹄が伸びやすい。蹄が伸びると歩き方に影響し、関節が悪化して立てなくなり、死に至る。  かつてはそれが寿命で、しかたのないことだと思われていた。体重が1トン近くもあるキリンの足を押さえつけて蹄を削ることなど到底無理だからだ。  ところが、今では多くの動物園で蹄のケア(削蹄)ができるようになり、寿命が延びている。可能にしたのがハズバンダリートレーニング。削蹄のために足を出したり、採血のために首を曲げたりなど、健康管理に必要な動作を動物が自主的にするようにご褒美を与えながら訓練する方法だ。 盛岡市動物公園にいた「ユズ」。蹄のケアの重要性など「学ぶきっかけをくれたキリン」(高嶋さん)(写真:高嶋さん) ■飼育環境への配慮も  キリンのハズバンダリートレーニングの第一人者が、大森山動物園(秋田市)の飼育員・柴田典弘さんだ。 「小さい動物なら爪を切ってあげられるのに、キリンにできないのは当たり前とされていた。それが我慢できなかった」  担当していたキリンが蹄の伸びすぎで死んだ悔しさもあった。1990年代から水族館で取り入れられていたこのトレーニングに注目し、11年にキリンで初めて成功させた。また、2週間に1回採血も行う。データを蓄積できれば、健康管理はさらに進化する見込みだ。  近年の動物園は、飼育環境への配慮もするようになった。 「昔は少しぐらい寒くても追い立てて外に出していましたが、今は無理に出すことはしません。キリン本位の飼育になり、だいぶ信頼関係が築けるようになりました」(多摩の清水さん) 「その動物が幸せに暮らしているか」という視点で動物園を歩いてみれば、これまでと違った楽しみ方もできるかもしれない。(編集部・高橋有紀) ※AERA 2022年9月19日号 
AERA 2022/09/18 14:00
「赤道」直下の国々ばかりを撮り続ける写真家・小澤太一 危険な目にあっても撮影をやめないワケ
米倉昭仁 米倉昭仁
「赤道」直下の国々ばかりを撮り続ける写真家・小澤太一 危険な目にあっても撮影をやめないワケ
ケニア(撮影:小澤太一) *   *   * 突然ですが、問題です! 赤道が陸上を通過している国は全部でいくつあるでしょう?  答えは11カ国。インドネシア、ウガンダ、エクアドル、ガボン、ケニア、コロンビア、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、サントメ・プリンシペ、ソマリア、ブラジル。  それを知った写真家・小澤太一さんは「意外と少ないな。全部まわって撮れるかも」と思った。2015年3月、サントメ・プリンシペを訪れたときだった。 「もう、そこからわけがわからないですよね、サントメ・プリンシペって何? って感じ」と、小澤さんは笑った。世界地図を広げ、指さしたのはアフリカの西にある大西洋上の点だった。 「サントメ島とプリンシペ島っていう小さな島があって、2つ合わせて東京都の半分くらいの面積の国なんです」 サントメプリンシペ(撮影:小澤太一) ■赤道はいけるんじゃない?  7年前、小澤さんは親しい旅行会社の担当者に「なんか面白い国、ないですかね? アフリカで」と尋ねた。およそ誰も行ったことがなく、現地の情報もほとんどない国に足を踏み入れてみたかった。すると、サントメ・プリンシペの名前が挙がった。元バックパッカーの担当者は現地を訪れたことがあった。写真を見せてもらうと「直感的に面白そうだなと思った」。その約1カ月後、旅立った。  予想どおり、サントメ・プリンシペはいい島国だった。 「島の人の生活はぜんぜん裕福そうではないんですが、気持ちに余裕が感じられた。外国人から金をせびろうとか、盗んでやろうとか、そんな感じがぜんぜんない。撮影を受け入れてもらえそうな感じがしました」  取材中、サントメ島の南に位置する小島に渡った。「そしたら、これがあったんですよ」。見せてくれた写真には高さ2.5メートルほど石碑が写っている。赤道を示すモニュメントという。その下にはタイルで作られた大きな世界地図が広がっている。 「これを見た瞬間、『うわー、赤道だ』って、北半球と南半球をまたいで写真を撮ったりした。そして、ふと作品のテーマとして『赤道はいけるんじゃない?』と思った」  3年半にわたる赤道の国々を訪ねる取材が始まった。 「ただ、かけ足で訪れるのはよくないと思った。必ず、1回の旅は1国にして、丁寧に撮ろうと決めました」  そして、小澤さんは「サントメ・プリンシペは比較的治安がいい、接しやすいアフリカの国だった」と口にした。筆者はその言葉を軽く受け止めた。後で気がついたのだが、それは意味深な言葉だった。 ケニア(撮影:小澤太一) ■留置場で人生を考えた  次に訪れたのは野生動物観光で有名なケニアだった。 「アフリカのなかではふつうの国ですね」と、筆者が何げなく口にすると、思いもよらない言葉が返ってきた。 「ぼくはここで留置場に入れられたんです。(国際テロ組織)アルカイダ容疑です」。もう小澤さんの目は笑っていなかった。  赤道に近いナニュキの村で何げなく犬を撮っていると、突然、背後から首をつかまれ、軍に拘束された。 「たった4日間の留置でしたけれど、いつ出られるかわからない4日間は地獄でした。2日目に裁判所とかに連れていかれて、『お前、なんでここにいるのか、わかっているか?』みたいなことを英語でペラペラ言われた。3日目が終わったとき、もう一生出られないかもしれないと思いました」  なぜ、小澤さんはテロリスト容疑がかけられたのか? 「ケニアに来るふつうの外国人は四輪駆動車に乗って、ガイドがついて、国立公園に動物を撮りに行く。だから、観光地でもない村でずっと写真を撮っている外国人は怪しい。留置場で出会った人はそう言っていました」  筆者は反政府勢力と認識され、軍や警察から暴行を受けた写真家を何人も知っている。 「留置場から出られてよかったですね」と、心底から言うと、「本当ですよ。4日間、結構人生を考えました。それがあって、ぼくは結婚したかもしれない。ちゃんとしないといけないな、と思った」。小澤さんはしんみりと語った。 ガボン(撮影:小澤太一) ■暴動で戦車が出動  今回の取材では「アフリカで結構やられた」と言う。ガボンでは暴動に巻き込まれた。  赤道直下の東アフリカで金環日食が見られることを知った小澤さんは「時間があまりないなか、取材を強行した」。それがガボンだった。5~6日の滞在で日本に帰る予定だった。  ところが、「日食を見た日に、家が燃えていたんですよ。選挙で『不正があった』とかで、突然暴動が起こった。どこかの部族が『この先には行かせねえ』みたいな感じで、首都への道路を封鎖した。それで、帰れなくなってしまった」。 コロンビア(撮影:小澤太一)  道路の真ん中で車がひっくり返され、火が放たれた。戦車が出動した。 「戦車が走っていって、バリケードを破り、その後ろに車が50台くらいバーっと続いた。映画みたいだなあ、って思った」  道は開いたものの、バスは止まったままだった。仕方ないので、「この日の飛行機に乗りたいので、なんとかお願いします」と、首都に向かう車をヒッチハイクした。 「ところが、首都のほうがもっと燃えていたんですよ。大きなモールも襲撃された。ホテルも危ない、ということでガソリンスタンドに泊まった」  燃料が貯蔵されたガソリンスタンドは「重要拠点」として比較的警備が厳重だった。 「銃を持った人がいるから、安全に泊まれる」と言われて、車中で寝た。 ウガンダ(撮影:小澤太一) ■もう取材をやめて帰ろうか  ケニアの隣国、ウガンダでは「ホテルの部屋に強盗が入って、カメラを根こそぎ持っていかれました」。  首都カンパラから「赤道の村」を訪ね、ホテルに戻ってきたときだった。 「部屋に置いていたカメラボディー(キヤノンEOS-1DX)、交換レンズ数本、パソコン、10万円相当のドル紙幣がなくなっていた……とても切なかったです」  被害額は? 「軽く3桁万円です。しかも、そのときだけ旅行保険に入っていなかったんです。仕事でバタバタしていたので。搭乗口で気がついたんですが、『今まで大丈夫だったから、まあいいや』と思って、保険なしで行っちゃった」  クレジットカードだけは助かったものの、パソコンがないので撮影した写真をそこに保存できない。まだ日程は2週間以上残っていた。 「もう取材をやめて帰ろうか、と思いました。葛藤の末、最終的にウガンダの旅を続ける決断をした。でも、心が病んでしまった」  ホテルの防犯カメラには小澤さんの部屋から出てくる容疑者の顔がはっきりと写っていた。 「こいつだ、ってわかるから、すごいムカつくわけですよ。『もう、ちくしょう、ウガンダ死ね』と思った」  小澤さんは列車でビクトリア湖に向かった。そのとき写した写真には車窓からの光がぼんやりと女性の顔を照らしている。 「もう傷心でしたね。湖に行ってのんびりすれば少し癒やされるかなって。そこで旅を復活させられるか、考えようと思ったんです」 ソマリア(撮影:小澤太一) ■日本に帰れないかも  ソマリアではパスポートと現金5000ドルを強奪された。 「ちょっと油断していたら突然、襲われた。パスポートを盗まれたのは初めてだったんですけれど、もう、ヤバすぎました」  なぜ、それほど小澤さんは動揺したのか?  訪ねたのはソマリア内の未承認国家「ソマリランド」だった(国際的にはソマリアの自治区と認識されている)。未承認国家なので、日本大使館も領事館もない。パスポートの再発行どころか、出国さえも危うかった。 「未承認国家に行くって、不安じゃないですか。お金がいくらかかるか、お金を下ろせるか、クレジットカードは使えるか、全部不安で、3週間で5000ドルを持っていった。ホテルに置いておくのも心配で、リュックに入れて持ち歩いた。それが裏目に出た」  14歳くらいの2人の少年から撮影をせがまれた。「OK! カシャ。で、バイバイと言おうとしたら、『写真を見せてよ』と言われた」。2人はそばまで来ると、いきなり小澤さんが背負っていたバッグを開け、パスポートと現金の入ったポーチを奪った。  容疑者の顔はばっちり撮影している。警察に被害を訴え出た。 「結局、彼らはぼくから盗んだ金で買った車で逃げていたんですけれど、盗難から1週間後、事故を起こして大破して、警察に捕まった」  小澤さんは盗まれたものを返還してもらう手続きをとり、裁判を起こした。 「最終的にパスポートだけは戻ってきましたけれど、もし犯人がパスポートを捨てていたら、日本に帰れなかったかもしれない。お金では解決できない問題でしたから」 コンゴ共和国(撮影:小澤太一) ■コンゴもこりごり  赤道11カ国の旅の最後はコンゴ共和国だった。 「ちなみに、コンゴにもう1回行くかって言われても、行きたくないないですね。もう『針のむしろ』でしたから。どこを歩いていても『誰に許可を取って、撮っているんだ? 金を出せ』。それが、ありとあらゆる人からなんですよ。お金を出せば撮れるのかもしれないけれど、ぼくはそういうポリシーではないから、ものすごく撮りにくかった」  それにしても大変な話ばかりである。いい思い出はあったのか?  すると、意外にも「ものすごくいっぱいあります。いいことしかないです(笑)。つらいことがあったぶん、ささやかなことが心にしみた」。  ケニアで留置場に入れられたとき、中の人に言葉を教えてもらった。ガボンの小さな町で出会った人に家に招待され、妻や子どもを撮らせてもらった。そんなやりとりがとてもあたたかいものに感じられた。 「そこで暮らしている人々の日常にすごくドラマがあって、それがぼくにとっては一番大事に思えた。すごい場所に行って決定的瞬間を撮ったのとは対極の写真。何でもない日常の、折々の面白さみたいなところにひかれたんです」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】小澤太一写真展「赤道白書」キヤノンギャラリー銀座 9月6日~9月17日キヤノンギャラリー大阪 11月29日~12月10日
アサヒカメラキヤノンギャラリー写真家写真展写真集小澤太一赤道白書
dot. 2022/09/05 17:00
キャンプ場や山に潜む手ごわい「マダニ」と「ヤマビル」 記者も“絶叫”したかみつきの恐怖
米倉昭仁 米倉昭仁
キャンプ場や山に潜む手ごわい「マダニ」と「ヤマビル」 記者も“絶叫”したかみつきの恐怖
楽しいキャンプ。でも対策は怠ることなく。油断は禁物だ(gettyimages)  各地で次々と梅雨明けし、6月から厳しい暑さが連日続いている。その猛暑を逃れようと、夏休みに自然豊かなキャンプ場でのんびりと過ごす計画を立てている人もいるだろう。ところが、知らぬ間に恐ろしい生物が忍び寄り、気がついたときには悲鳴を上げる事態も起こりうる。「マダニ」と「ヤマビル」だ。この時期、活発に活動し、人間の皮膚に張りつき、血を吸う。特にマダニは特効薬のない「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」を媒介することも問題になっている。対策などを専門家に取材した。 *   *   *  えたいの知れない生きものが皮膚に張りつき、うごめいているのを目にしたときの恐怖。まずは、筆者がマダニにやられたときの体験を語りたい。  3年前、家族で神奈川県のキャンプ場に出かけ、帰ってきた日の夜のことだった。  就寝前、トイレに行くと、股間に何やら、茶色っぽい小さな粒がついている。さっき風呂に入ったのに、なんで落ちなかったんだろう。おかしいな――。  ゴミだと思い、指ではじいたもののビクともしない。えっ、なんで?  再び指で触ったときだった。 「うぁぁぁー!」  深夜のトイレで絶叫した。突如、小さな物体から足が突き出て、動いたのだ。  一瞬で眠気が吹き飛んだ。  これはたぶん、ダニだ……。  まだしっかりと張りついたままだが、急いでパソコンを立ち上げた。画面の写真と見比べて確認し、対処法を調べる。すると、無理に引っ張るとダニの一部がちぎれ、皮膚の中に残り、傷口が化膿してしまう、などとサイトに書かれていた。あそこが膿(う)んだら大変だ――。  だが、吸血が終わると自然に外れる、とも書かれていた。  どんな場面でダニにやられたのか、まったく思い浮かばない。よりによって、こんなところに食いつきやがって――心の中で悪態をつく。  場所が場所だけに子どもたちには黙っていた。妻には報告したが、無言である。  そのうちにとれるのではないか? かすかな希望を抱き、数日間、様子をみたが変化はなく諦めた。トイレに行くたび、アイツを目にするストレスに耐えられなくなったのだ。  近所の皮膚科を訪ねた。  ズボンを下ろすと、医師は驚く様子もなく「ああ、マダニですね」と言った。ピンセットでマダニの胴体をつまむと、手慣れた様子で皮膚から外し、小さな瓶の中に放り込んだ。 「最近、キャンプに行ってマダニにやられる人が多いんですよ」  そう言って医師が瓶を揺らすと、底に沈んでいたたくさんのマダニが溶液の中を舞った。たっぷりと血を吸ったのか、小豆みたいなやつもいた。 写真はイメージです(gettyimages) ■「死亡のおそれ」もある感染症  いま厚生労働省はマダニ対策を強く呼びかけている。見た目の気味悪さや吸血の恐ろしさ以上に、日本紅斑熱、ライム病、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)など、さまざまな感染症を媒介することが問題となっているからだ。  特に重症化すると死亡することもあるSFTSは治療薬やワクチンはなく、対症療法しかない。SFTSは2013年に国内(山口県)で初報告以来、年々報告数は増加し、東日本にも広まっている。  では、マダニはどんな場所に生息しているのか?  厚労省によると、マダニはシカやイノシシ、野ウサギなどの野生動物が出没する環境に多く生息しているという。民家の裏山にもいる。もちろん、山あいのキャンプ場も要注意だ。  草むらなどに潜んだマダニは通りかかった人間に跳びつく。身を守るには服装選びが大切で、腕や足、首など、肌を露出しないこと。当然のことながら、半ズボンやサンダル履きは不適当である。  虫よけ剤を使用すると、マダニの付着数を減らす効果があり、有効成分「ディート」「イカリジン」などが配合されたものが市販されている。ただし、虫よけ剤だけでは完全にマダニを防げないので、服装などと組み合わせて対策するとよい。  では、マダニにかまれた場合はどう対処すればいいのか?  先にも書いたが、吸血中のマダニを無理に引き抜こうとすると、その一部が皮膚に残り、化膿するおそれがある。医療機関(皮膚科)で除去、洗浄してもらうと安心だ。その後、数週間程度は体調の変化に注意し、発熱などの症状があった場合は再度、医療機関を受診してほしいという。 ■ものすごい勢いで首筋まで…  マダニ同様に、人間の血を吸うやっかいな生きものもいる。  ヤマビルだ。  以前、筆者は「森を歩いていたら、ヤマビルが雨のように降ってきた」という話を聞き、震え上がったことがある。  ところが、「それは俗説です。ヤマビルが木から落ちてくることはありません」と、写真家の三宅岳さんは言う。  三宅さんは神奈川県の山里に暮らし、森で植物を撮影することや林業などの取材をすることを生業(なりわい)としている。そのため、ヤマビルとの遭遇は日常茶飯事で、あらゆる部位に吸い付かれた経験があるという。 「以前、テレビ局のロケに同行したとき、ヤマビルが若い女性ディレクターの首に吸い付いたんです。『きゃー』と叫び、恐怖のあまり、泣き出してしまった。彼女も『上から降ってきた』みたいなことを言っていました」(三宅さん)  やはり、ヤマビルは木の上にもいるのでは? 「実は、ヤマビルってそうとう俊敏なので、そんなふうに誤解されるんです。やわらかい肌を好むので、足元から首筋までものすごい勢いで登ってくる。要するにスピーディーな尺取り虫みたいな感じです」(三宅さん)  ヤマビルは普段、落ち葉の裏などに潜んでいる。黄土色で、成長すると体長5センチほどになる。移動するときは体長が数倍に伸びる。  個人差はあるが、ヤマビルが皮膚に吸い付いても自覚症状がない場合もあるという。 「ときどき親指の先くらいの丸いものが家の中に落ちているんです。それは血を吸い終えて皮膚から外れたヤマビルで、そのとき初めて、ああ、やられたな、と思うくらいで。くっついているときは実感がない」(三宅さん) ■水道周辺や日陰に生息  なぜ、吸血されている間、自覚症状が表れないのか?  環境文化創造研究所内ヤマビル研究会の谷重和さんによると、ヤマビルは吸血のために肌にかみつくと同時に痛みを感じさせないモルヒネのような物質を出すという。 「そのため、吸血後、衣類や靴下などが赤く染まっていることに気づいて、ヤマビルに吸い付かれたのを知ることが多いんです。ヤマビルは吸った血が凝固しないように、ヒルジンという物質を分泌するので、血が止まりにくい。それだけに驚かれると思いますが、人命にかかわることはありません」(谷さん)  吸血中のヤマビルを見つけた場合は、どうすればいいのか? 「虫よけ剤をスプレーすれば簡単にとれます。無理にはがすと傷口が大きくなるといわれることもありますが、それは誤解です。吸血されていたら、すぐにヤマビルをはがしてください」(谷さん)  傷口は流水でよく洗うことが大切だという。 「傷口から血を押し出すようにして洗ってください。ヒルジンなどヤマビルの体液を押し出すことでかゆみや腫れを軽減できます。最後に抗ヒスタミン剤(虫刺され薬やかゆみどめ)を塗布すればよいでしょう。出血が続く場合は傷口にばんそうこうを貼っておくといいです」(谷さん)  ヤマビルは北海道と青森県を除くほぼ全国の低山や山里に生息している。湿り気を好むため、雨が降っているときや雨上がりに活発に活動する。 「キャンプ場では、水道周辺の湿った場所や日陰にヤマビルが多く生息しています。裸足になるときは十分に注意してください」(谷さん) ■熱中症対策も万全に  ヤマビルは人間の呼吸に含まれる二酸化炭素と体温に反応して、取りつき、よじ登ってくる。 「ほんの少しの隙間からでも侵入してくるので、靴下を必ずはくようにしてください。できれば、靴下の中にズボンの裾を入れ、長靴や靴を履くと安心です。暑い日は大変だと思いますが、おすすめです。同時に熱中症対策もお願いします」(谷さん)  さらに谷さんはヤマビル対策として、虫よけスプレーを勧める。 「靴下や靴に虫よけ剤やヤマビル専用の忌避剤をスプレーすると対策の効果が増します。雨が降らなければ3、4時間は効果が持続します」(谷さん)  マダニもヤマビルも、吸い付かれると精神的なショックが大きい。マダニは感染症の心配もある。キャンプを楽しい思い出とするために、準備を怠らないようにしてほしい。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
キャンプヒルマダニ登山
dot. 2022/07/02 10:00
世界屈指の生命の宝庫・南米パンタナール湿原でジャガーを追う写真家・岩合光昭
米倉昭仁 米倉昭仁
世界屈指の生命の宝庫・南米パンタナール湿原でジャガーを追う写真家・岩合光昭
パラグアイカイマン (C)Mitsuaki Iwago *   *   * 世界有数の野生動物の生息地として知られる南アメリカ中央部に位置するパンタナール。その面積は広大で、日本の本州に匹敵する。雨期になると川が氾濫し、1年のうち半年が水に浸かるこの土地は、金色の猛魚「ドラド」が釣れる場所としても知られてきた。  45年前、作家・開高健はブラジル釣り紀行の取材でパンタナールを訪れた際、小型飛行機でこの地に降り立ち、「贅沢でも何でもなく、奥地に飛ぶにはこれしかない」(『オーパ!』集英社)と書いた。要するに当時、パンタナールには道がなかったのだ。 スミレコンゴウインコ (C)Mitsuaki Iwago ■「すごいところに来ちゃったな」  岩合さんが初めてパンタナールを訪れたのは4年前。サンパウロから飛行機で主要都市クイアバに降り立ち、そこからパンタナールのポルト・ジョフレまでは車で約250キロの道のりだ。 「あちこちに水たまりがあって、そこからチョウが踊り出すように車の周囲に舞い上がった。車を止めて撮影していたら、カピバラが悠々と目の前を通りすぎた。ドライバーに待っていてもらったら、今度はアナコンダが横切った。これはすごいところに来ちゃったな、と思いましたね」  これだけ多種多様な動物がいて、しかも人間を恐れないのはとても珍しいという。 「同じブラジルでもアマゾンの動物はすぐに逃げちゃうんですよ。人間がやって来ると狩猟で殺されてしまうのを知っているから。だからカピバラを見つけても200メートルくらいまで近づくと姿を消してしまう。なので、写真は撮りずらいんです」  広大なジャングルというイメージのアマゾン。しかし、実際は相当奥地まで開発が進んでいるという。一方パンタナールの入植者は少なく、牧場があるくらいだ。その牧場も原野とほとんど変わらない。 「要するにパンタナールは『氾濫原(はんらんげん)』で、お金にならない土地だった。だから開発を免れた。それで豊かな生態系がほぼ手つかずのまま残された」 ジャガー (C)Mitsuaki Iwago ■いきなり毎日ジャガーと遭遇  岩合さんがパンタナールの存在を知ったのは約35年前。アフリカ・セレンゲティの特集を「ナショナルジオグラフィック」で組んでいたとき、編集者から「次はどこを撮るんだ?」とたずねられた。「オーストラリア」と答えると、「パンタナールはどう?」と言われた。 「調べてみると、撮りたかったジャガーがいることがわかった。でも、当時、ジャガーを見ることはとても難しかった。1年滞在しても撮れないといわれていた。道もない。そんなわけでパンタナール行きに二の足を踏んで、動きだしたのは2010年を過ぎてからですね」  ある日、パンタナールで撮影したジャガーの写真が目にとまった。それは釣り人が撮影したものだった。 「その写真がSNSで広まると、ジャガーウオッチングに火がついたんです。観光客がやって来るようになると道路が整備された。観光は『ボートで巡るサファリツアー』という趣なんですが、最初は2~3艘だったボートが、観光客を急増して20艘、30艘と増えた」  岩合さんを案内してくれたのは、ジャガーのことなら何でも知っているという「ミスタージャガー」こと、ジュニヨさん。 「初めて訪れたときは、1週間しか滞在しなかったんですよ。それなのに、毎日ジャガーが見られた。すごくびっくりしました」  フサオマキザル (C)Mitsuaki Iwago ■ついに撮れたジャガーの狩りの一部始終  しかし、ただジャガーが写っているだけでは意味がない。 「歩いたり、昼寝をしたり。そんなジャガーの写真だったらいくらでもあります」  何としても撮りたかったのはジャガーが獲物を仕留めるところだった。 「観光客のボートは川を上り下りしてジャガーを探すんです。で、見つけたら無線で仲間に知らせる。すると、ボートが集まってきて、獲物となるワニが逃げてしまう。ジャガーも狩りを諦めて森に入ってしまう。その繰り返し」  一方、ジュニヨさんは「ジャガーの味方なので、絶対にジャガーの前に出ようとしないんですよ」。そして、「大丈夫、きっと撮れるから。前に出るよりもジャガーの動きをフォローしたほうがいい」と、岩合さんを諭した。 「彼によってぼくはパンタナールとジャガーについて教えられたような気がしますね」  決定的なシーンが撮れたのは3回目の訪問だった。観光客はエアコンの効いたロッジに戻って昼食をとる。岩合さんはボートの上で弁当を食べながら粘り強くジャガーが現れるのを待つ日が続いた。 「ある日、川の中州にボートを泊めて、弁当を食べ始めた。ミスタージャガーが日よけの布を下げようと立ち上がったら、バシャーン、って、水音がした。彼は叫び、岸辺の崖から川に飛び込んだジャガーが鋭い牙でワニの首を仕留めた様子が目に飛び込んできた」  ワニは体長3メートルもある大物だった。ジャガーはその場では獲物を食べない。他のジャガーに見つからないように、茂みの中に隠そうとする。 「自分よりも大きいワニをくわえて、顎の力だけで崖の上に運び始めた。すごいなあ、と思いましたね」  30分後、ワニが崖の上に消えたとき、考える間もなく、ジュニヨとハイタッチした。 カピバラとウシタイランチョウ (C)Mitsuaki Iwago ■鈍そうなカピバラが5メートルの大ジャンプ  一方、岩合さんはジャガーがカピバラを襲う様子を何度も目撃した。しかし、狩りが成功したことは一度もなかった。カピバラはジャガーに対して非常に警戒心が強く、意外なことに俊足だという。 「カピバラって、鈍そうじゃないですか。ところがすごく敏感なんです。カピバラの家族が川上のほうを見ていたので、視線の先を追いかけたら、『あっ、ジャガーだ』って、気がついたことがあります。500メートルくらい先でした」  ジャガーは木立の影からカピバラを狙い、俊敏に動く。ところが、カピバラの瞬発力もそれに負けない。 「鉄砲玉のように走ってきて、崖の上から5メートルくらいジャンプして、水に飛び込み逃げるところを見たことがあります」  一方、観光客を乗せたボートが水を蹴散らして近寄ってきてもカピバラは逃げない。 「カピバラを写していたら近づいてきて、レンズをのぞき込まれたこともあります。なぜ、カピバラは人間のそばに来るかというと、そうすることで、ジャガーに襲われないことを分かっているから。面白い関係だと思いますね」  カピバラを撮影している岩合さんの背後にワニがうようよいる写真がある。襲われないのか?  すると、「ここでは、彼らは魚専門です」と言う。パンタナールの川には魚が豊富にいるので、わざわざほかの動物を襲う必要がないらしい。 「雨期が終わって、乾期になると、川の水がどんどん減ってくる。すると魚は細い流れから、太い流れに逃げてくる。そこでワニは何をするかというと、流れが変わるところで口を開けて待っている。すると、魚が口の中に流れ込んでくる。それを水中カメラを真正面50センチくらいにかまえてアップで撮りました。もう彼の頭の中には魚しかなかったと思いますね」 マザマジカ (C)Mitsuaki Iwago ■害獣から金のなる木になったジャガー  ある朝、川面を何かがぽっかりと流れてきた。 「なんだろうと思ったら、ワニの死体でした。死因は分かりませんが、ひっくり返った状態で流れてきた。そばに行ったら臭いぞって言われたんですが、近寄って感じたのは、このワニはパンタナールで生まれて、パンタナールで死んだ、ということ。命の循環を改めて感じました」  初めてパンタナールにやって来たとき、縦貫道はでこぼこで、木造で朽ち果てそうな橋が架かっていた。でも、通った4年間で、道路は平らに整備され、橋は立派なものになった。 「観光業が盛んになって、いろいろなことが変わりました。昔は牧場主がウシを襲われないように、ジャガーを見つけると撃ち殺していたんです。ところが、いまパンタナールでロッジを増やしているのは彼らです。ジャガーを見せることがお金になることを知ったから。それでジャガーは殺されなくなった」  人間の都合で害獣から金のなる木になったジャガー。一方、カピバラはジャガーから身を守るため、人間に近づく。動物たちは、人間と関わりながらたくましく生きている。 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】岩合光昭写真展「PANTANAL パンタナール 清流がつむぐ動物たちの大湿原」東京都写真美術館 6月4日~7月10日 「こねこ」角川武蔵野ミュージアム 6月18日~9月4日 「岩合光昭の世界ネコ歩き2」角川武蔵野ミュージアム 9月7日~11月27日
アサヒカメラパンタナール写真家写真展写真集岩合光昭東京都写真美術館
dot. 2022/06/04 08:00
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