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クマは大型哺乳類なのにどうして「冬眠」するの?七十二候熊蟄穴(くまあなにこもる)
クマは大型哺乳類なのにどうして「冬眠」するの?七十二候熊蟄穴(くまあなにこもる)
12月11日より、大雪の次候「熊蟄穴(くま あなにこもる)」となります。ご存知のとおり、日本にいる二種類の熊(ニホンツキノワグマ、エゾヒグマ)は冬になると冬眠(正確には冬篭り)します。温かくなる来春まで、木の根の洞などにこもって過ごします。ちなみに宣明暦では「虎始交(とらはじめてつるむ/武始交とも)」で、こちらには陰陽の「陽」の動物であるオス虎が陰の季節である冬の只中で陽の気を発動させる(春の初動)という意味があるのですが、江戸初期の和暦・貞享暦でこれを、熊の冬篭りに書き換えられました。 冬眠するポイントは食性だった 冬眠とは、季節性低温期(冬)に対処するため、動物が摂食・代謝を抑制して大幅に生命活動を抑制して長期間の休眠モードに入ること。変温動物の両生類や爬虫類、昆虫などは土の中や木の隙間などにもぐりこみ、完全に仮死状態となります。哺乳類の仲間は、約4000種の中で、7目183種類が冬眠することがわかっています。そのほとんどはヤマネやコウモリ、リス、ネズミなどの小型哺乳類。これは、小型の生物は体表面積の割合が大きく寒さに弱いためです。体温を0℃近くまで下げて完全な休眠状態となります。冬眠中のリスやヤマネは、つついてもまったく目を覚まさず丸くなったままです。一方、体表面積の割合が小さい大型の哺乳類は基本的に冬眠しません。ですからクマの冬眠は全生物中でも特殊な性質であるといえます。現在クマには大きく分けて八種類の属がありますが、それらの中で中緯度から高緯度に生息するクマ(ヒグマ、クロクマ、ヒマラヤグマ、シロクマ)は冬眠します(シロクマの冬眠はかなり特殊で、活動したまま代謝活動を低下させて冬眠します)。何だか大きな図体なのに小動物みたいでかわいいですよね。 ただし、「冬眠」と言っても完全な休眠状態に入るわけではなく、木のうろなどの暖かい場所にもぐりこみ、体温を3℃ほど下げて摂食を休止し、浅い睡眠状態で過ごす「冬篭り」というのが正確。クマと同じような冬篭りをする動物には、他には中型のアナグマ、寒冷地域のタヌキが知られています。 アナグマ、タヌキ、クマ。これらに共通するのは、食性が雑食で、昆虫や植物をよく食べること。特にニホンツキノワグマ(Selenarctos thibetanus japonicus)は、その大きな体を維持するためのカロリーの大半を昆虫や木の実などから得ているため、それらがいなくなる冬には、絶対的に栄養が不足します。また、食肉目(ネコ目)に属するクマは、雑食とはいえ草食動物のように効率的な消化器システムを持っているわけでもありません。なので、昆虫や植物がほとんど途絶える冬には冬篭りをするのです。人間に飼育されているクマは、そうした餌の心配がないため冬篭りをしません。アナグマやタヌキも雑食 立ち上がる・冬眠する・座ってハチミツを手でなめる・・・「地上最大の肉食獣」は愛嬌満点 クマは「クマ亜科」「ジャイアントパンダ亜科」「メガネグマ亜科 」の三亜科があり、更にヒグマ属(Ursus arctos)、ヒマラヤグマ属(Ursus arctos isabellinus)ホッキョクグマ属(Ursus maritimus)、アメリカグマ属(Ursus americanus)ナマケグマ属(Melursus ursinus)、メガネグマ属(Tremarctos ornatus)、マレーグマ属(Helarctos malayanus)ジャイアントパンダ属(Ailuropoda melanoleuca)の八属にわけられ、そのほとんどは北半球(メガネグマは南アメリカ)の極地から熱帯に生息しています。 ヒグマとホッキョクグマ(シロクマ)は肉食の傾向が高く、ヒグマの中でも大型のハイイログマやコディアックグマは大型の鹿、シロクマはアザラシやセイウチを主食にしています。日本のエゾヒグマ(Ursus arctos yesoensis)も溯上する鮭をよく食べ、シャケをくわえた木彫りの民芸品でもおなじみですね。 けれどもそれ以外の六種は比較的木の実・果物などの植物や昆虫などを主食にする進化をとげています。マレーグマやナマケグマは特にハチミツを好むため「ミツクマ」「ハニーベア」とも呼ばれています。比較的大型のアメリカクロクマも果物やハチミツなどの甘いものが大好き。前足が器用なため、人家に入り込みジャムの蓋を開けて食べてしまったりということがよくあるそう。木の実などが手に入らない冬などに、「仕方なく」シカなどを襲って食べているようです。 そしておなじみのジャイアントパンダは、以前はレッサーパンダと同様アライグマ科に分類されていたのですが、DNA解析によりアライグマよりもクマに近縁であることがわかり、クマ科に分類されるようになりました。寒冷地である中国の四川省などに生息していますが、冬眠しません。というのも、食べるものがご存知の通り笹や竹だけだから。基本的に常緑の竹・笹(春に生え変わり、これを竹秋といいます)ですから、冬眠する必要はないわけです。笹やハチミツ、果物を人間のようにしゃがんで食べている姿は愛らしく、到底「地上最大の肉食獣」とは思えませんよね。 また、クマというと誰しも思い浮かべるのは二本足ですっくと立ち上がる姿。動物園などでも餌をほしがって立ち上がる姿はおなじみですよね。これは蹠行性(かかとをつけた歩き方)のために安定性があり、後ろ足だけで立ったり歩いたりできるわけです。近年、町なかを二足歩行してうろつくクマが海外で話題になっていました。 これもクマの愛嬌のひとつでしょう。 といっても、そんな油断はまさに禁物。機敏ではないはずの蹠行性歩行なのに本気を出せば時速50キロで走る上、オオカミやネコ科猛獣と比べて、自分の獲物に対して極めて執着性が高く、狙いをつけるとどこまでも追ってくる執念深さがあるため、一度狙われたら逃げ切ることは困難。やはり恐ろしい肉食獣であることはまちがいありません。日本でも、クマに襲われる事故は頻発していますね。このため、毎年多くのクマが殺処分されています。クマに注意の標識 クマは減っている?増えている? 日本には、本州と四国にニホンツキノワグマ(頭胴長110~130センチ、体重50~80キロ)、北海道にエゾヒグマ(頭胴長200~230センチ、体重150~250キロ)が生息していますが、その数はニホンツキノワグマが2000年以降およそ15000頭程度、エゾヒグマは20世紀後半には2000頭ほどといわれてきましたが、近年の調査では6000~7000頭ほどになっているといわれています。 ツキノワグマについても、毎年の捕獲(駆除)数が2000頭前後あるため、推定値よりも実はもっと多いのではないか、との推測もなされています。 統計によれば1980年~2000年までは死傷者数5人~36人 だったのが、2001年以降は47人~147人と実際増加しています。今年2016年も、秋田で四人がクマに襲われて命を落していますし、東京にも程近い神奈川県の相模原市でラーメン店にクマが突入してきた、なんていうニュースもありました。 この原因には、戦後すぐの大規模植林で奥山が杉・ヒノキ林に置き換わったためクマの食物となる木の実が慢性的に減衰しているところへ里山の荒廃や開発で自然環境が悪化し、より食物が減って飢えたクマが里に下りてくるようになったとも、シカの頭数増加によりクマの数も増えているからとも言われていて、実態はよくわかっていません。 が、かつてはマタギや杣人など人間が、クマと人の生活圏の緩衝地域やクマの生活圏に入り込んでいたためにクマが人間を怖れていたのが、そのような職種の人の数が減ったため、が、人間を怖がらない世代が多くなってきたからではないか、ということは間違いないようです。人間の姿を見ても悠々と歩いているクマを多く見かけるようになっています。秋田鹿角市で射殺されたクマの胃の内容物を調べたらタケノコに混じって人の肉片や髪の毛が見つかり、人食いグマの増加を懸念する声もあります。 全国的に自然由来の生業・農林業や水産業から消費型の都市生活志向は近年ますます強くなり、人間社会の自然地域からの撤退傾向が顕著となりました。野生動物たちはこの人間界の後退に反応して、町へと進出してきているのではないでしょうか。人間側の生活、志向の変化こそ、クマを山から引き込んでいる、といえるのでは。農林業の分厚い活性化こそ、クマと人との間の緩衝となって、トラブルを減らす手段かもしれません。 世界的に見ても、大都市圏のすぐ近くにクマが生息する自然環境があるのは日本列島の特徴であり、自然が未だ豊かであるという証拠であり、そこに暮らす人間にはクマとの共存の道を講じるのは宿命づけられているともいえます。古くからの暦にすら登場する親しみ深い野生動物。人身被害も、クマたちのむやみな駆除も、ともに減らしていく方法を考えていきたいですね。 <参考> 世界文化社「生物大図鑑動物」 アルフレッド・ローマー「脊椎動物の歴史」 近年の熊被害の推移:http://www.forest-akita.jp/data/sansai/kuma-taisaku/kuma.html 危険生物MANIAX http://tsukinowaguma.etc64.com/知床のヒグマ
tenki.jp 2016/12/11 00:00
[連載]アサヒカメラの90年 第10回
[連載]アサヒカメラの90年 第10回
1964年12月号表紙 60年代前半は広告の現場からデザイナーと写真家をコンビで招聘しグラフィカルな路線を敷いた 1963年10月号 今井寿恵「独<ひとり>」から 1963年10月号 今井寿恵「独<ひとり>」から 1962年2号表紙 構成:細谷巌、撮影:安齋吉三郎。タイトルは「静かなドラマ」 1963年4月号 横須賀功光「黒」 1962年1月号 奈良原一高「モードの周辺」 1963年1月号 田中光常 日本野生動物記 第1回「モモンガとムササビ」 1966年1月号 佐々木崑 小さい生命 第1回「サケの稚魚」 「女流」写真家の挫折  1960年代前後は、日本の写真史上ではじめて、女性の写真家たちに注目が集まった時代だった。戦後の女性解放と社会進出の気分を背景に、アメリカのマーガレット・バーク=ホワイトやベレニス・アボットなどの活躍も知られており、日本の女性たちの活躍への期待も高まっていた。  ことに注目されたのが、前号でもふれた「第三の新人」の今井寿恵である。今井のデビューは56(昭和31)年7月の銀座・松島ギャラリーでの初個展「今井ヒサエ写真展 白昼夢」で、モノクロとカラー合わせて30点のシュルレアリスティックで実験的な作品は、写真で描く心象的な詩として「フォト・ポエム」と形容された。  今井の父は浅草と銀座の松屋デパートで写真室を経営する写真家だが、彼女自身には写真を手掛けるつもりはなかったという。しかし母校である文化学院講師の柳宗理に勧められ、初個展を見た美術評論家の瀧口修造からは励ましを受けて、手ごたえを覚えた。また同年の奈良原一高、細江英公の個展からも非常な刺激を受けた。  今井の本誌初登場はこの年の10月号で、横浜の赤線地帯などの女性をテーマに初個展「女から見た―働く女性」(同年4月)を開いた常盤とよ子とともに、「個展を開いた二人の女流写真家」という記事で紹介されている。常盤が報道写真をめざす「リアリズム派」、今井が前衛芸術の「アブストラクト派」という位置づけであった。同じ女性の立場から女性のおかれた社会的状況をとらえた常盤は、木村伊兵衛から「数少ない日本での本格的な女流報道写真家」への道を歩むよう期待をかけられた。一方の今井は、これから「実用的な商業美術の方向に進んでゆきたい」との希望を口にしている。  翌57年6月、今井と常盤は二人展を月光ギャラリーで開いた。また赤堀益子を世話役として、関西のベテランの山沢栄子らを加え結成された、女流写真家協会に参加している。同会は活動2年で自然解散となったが、これも写真界のなかでの女性の地位が変わりつつあることを予感させた。本誌では、こうした流れを受けて8月号で座談会「写真商売うらおもて(5) 女流プロカメラマン」が企画され、今井と常盤のほか、主婦の友社の小川千恵子、フリーとしてダム建設や造船業の現場をルポしている赤堀が参加した。司会をつとめた文芸評論家の中島健蔵は、座談会の冒頭で、彼女たちは日本で初の「女流写真家」と呼ばれる人たちであり、「女性カメラマンの進出でこれから写真界がどう変わっていくかということは興味深々(ママ)」と話を切り出している。  これら女流写真家のなかで、今井の活躍は抜きんでていた。59年には日本写真批評家協会新人賞、翌60年には「カメラ芸術」誌の芸術賞を受賞。また、自身が望んだように「ハイファッション」「装苑」「婦人画報」などのファッション雑誌でも活躍を始めたのである。  しかし本誌62年8月号の「写真界消息」欄には、彼女のつらい近況が報告された。6月22日早朝に横浜で交通事故に遭い入院、現在は自宅療養中とあるのだ。この事故が今井に与えたダメージは大きく、顔面に大けがを負い、一時は左目失明の危険さえあった。また入院中に婚約を一方的に解消されるという精神的ショックも受けていた。  それでも翌63年に復帰し、以前と同様の活躍を始めるが、心に落とした影は大きかった。その影は、この年6月の復帰個展と10月号の本誌に発表した作品「独<ひとり>」に表れている。編集部の紹介には「完全に立ち直って」とあるが、作品は女性の顔をさまざまな手法で変形させたもので、痛々しさを感じさせる。彼女自身が付した作品解説からは、生と死、美と醜をめぐる強い葛藤の末に生まれた重たい表現だったことがうかがえる。 「生のままの顔が美しすぎるとき、私はその顔を死の世界へ送り込んで、永遠に生かし続けたい欲望が起きます」  今井や常盤の登場の後にも、本誌に女流写真家は登場する。「女性自身」誌での唯一の女性スタッフカメラマンからフリーの社会派となった清宮由美子、アジア各地を撮影した上野千鶴子などだが、その数は少数にとどまり大きな活躍はなかった。つまり「女流」とは、完全な男性優位社会というきわめて高い壁を表現するときに使われる形容詞だったのである。 「広告」写真家の飛躍  今井の活躍にみられるように、60 年代前半には多くの写真家が広告やファッションなどを手掛けるようになっており、その潮流は本誌の掲載作品によく反映されている。たとえば奈良原一高が62年に連載した、イマジネーションあふれる「モード写真の周辺」などは、ファッション写真の仕事を契機に生まれた斬新な作品といえるだろう。  復刊後における商業写真と本誌との関係を振り返ると、まず復刊の翌50(昭和25)年には、戦前に盛んだった広告写真懸賞が復活している。これに2年連続で入選を果たして才能を見せたのは、米子のアマチュア写真家だった杵島隆である。その杵島は知人の紹介で53年に上京して、2年前に設立されたライトパブリシティに入社する。そこでデザイナーの波多野富仁男とのコンビで能力を発揮し、「同社の表現スタイルを決めた」(中井幸一『日本広告表現技術史』玄光社)と評される仕事を相次いで発表した。また57年に入社した早崎治は、64年に開催された東京オリンピックの有名なポスター写真を担当して日本の広告写真表現の水準を世界に示している。  その間58年には日本広告写真家協会(APA)が結成され、60年には日本を代表する企業8社(朝日麦酒、旭化成、富士製鐵、東芝、トヨタ自動車販売、日本光学、日本鋼管、野村證券)の出資により日本デザインセンターが誕生した。玄光社から専門誌として「コマーシャル・フォト」が創刊されたのも60年である。潤沢な資金を背景に、さまざまな表現上の技術的実験が試みられていた当時の広告写真の世界は、現場の写真家にとっても写真雑誌にとっても魅力的なジャンルになりつつあった。  本誌における広告写真ムーブメントの影響は表紙にみられる。59年からグラフィックデザイナーと写真家が数カ月ごとにコンビを組んで担当するようになり、より視覚的にインパクトの強いものになっているのだ。これは広告業界でも話題になり、なにより手掛ける若い写真家やデザイナーたちがやりがいを感じられる仕事であった。  例えば62年は、細谷巌がデザイン、写真が安齋吉三郎というライトパブリシティのコンビが1年を通じて担当している。このときの経験について細谷は、原稿料が安くロケには行けないため、イメージをデザインするのに工夫を凝らしたと、愉快そうに語っているのである。(『タイムトンネルシリーズVol.19 細谷巌アートディレクション1954→』ガーディアン・ガーデン)。制作予算は少ないがデザイナーと写真家には、自由な発想による実験的な表現ができたのである。  より若い広告写真家たちは、誌面においてもその存在感を増していく。それは新しい写真家を発掘するためのページによく表れた。本誌では新人の紹介のために61年5月号から「現代の感情」を、翌62年から4年間は「新人」欄を設け、自由な作品発表と写真家の自作解説、そして評論家の伊藤知巳による写真家評が掲載されている。ここに登場した写真家は計56人に上るが、広告写真家の割合は編集部の予想より多かったようだ。64年6月号の編集後記には、同欄の編集担当者が取り上げるべき硬派な「社会科のフリーランサーがきわめて少ないこと」が最近の悩みの種だと告白しているのである。  ここに登場した広告写真家で伊藤に絶賛されたのが、63年4月号で作品「黒」を発表した横須賀功光である。資生堂の広告で才能を発揮していた横須賀は、白と黒の衣装を着た女性モデルによるコンポジションを、特有のハイコントラストなライティングによって際立たせた。さらにページ構成はデザイナーの村瀬秀明が、衣装には三宅一生が協力している。  伊藤は「発想とイメージの新鮮さ」を追求する横須賀の妥協なき姿勢に可能性を感じ、「第三の新人」たちの個性に「正面から太刀打ちできる強烈な個性が、いまようやく私の前に立っている」と書いた。とくに「奈良原の出現以来、もっとも新人らしい新人」だと評した。  また翌64年11月号の「新人」にはライトパブリシティの篠山紀信が登場して「肖像」を発表している。横須賀、細江、秋山庄太郎、今井、木村、北井三郎の6人の写真家をモデルに、彼らの作風にのっとって、その肖像を撮ったものである。  伊藤は篠山の感受性の非凡さを認めつつ「容易なことでは自己の正体を他人の前にさらけ出そうとはしない」複雑さを持つ写真家であり、あるいはそれを「極度に恐れる人間」と指摘する。そして本作も、既成の権威に対する血気にみちた反抗と否定とが、いまだ体系的な秩序や論理をもたぬままに、いわば八方破れ的にここに打ち出されていると評した。  篠山自身もまた、それを認識していたようだ。この一作をもって彼に影響を与えてきた先人たちの仕事、つまり「過去の記憶から生まれた影像」とは決別することを自身の言葉で付しているのである。 「動物」写真家のフロンティア 「新人」欄が始まったのは、伊藤が横須賀について述べたように、「第三の新人」たちに対抗できる才能が待たれていたからだった。だが、それはなかなか見つけられない。その理由について伊藤は、広告業界の活性化や、週刊誌の創刊ラッシュなどによる、写真の商業化と関係があると考えていた。  つまりこの時代の新人たちは、最初から表現上の制約や了解のなかで、仕事をこなすところから出発しなければならない。そのため多くの自由を与えられた「新人」欄の作品も、全力で取り組みながらも結果的にオーソドックスなものに落ち着いてしまう。だから「通観してみて、とくにズバ抜けた者もいないかわり、とくに目立って質のおちる者もいない」( 63年1月号「私の見た《新人》たち」)のだと、伊藤は分析した。  こうした時期の本誌に新しい風を吹かせたのは、動物写真という新しいジャンルだった。具体的には、63年にはじまる田中光常の「日本野生動物記」がこの分野を開拓した。  田中が動物をライフワークとしたのは53年からで、当時の主な撮影地は動物園だった。なぜなら野鳥以外の動物の分布図がなく、機材の選択肢も乏しかったからだ。その半面、ベビーブームの追い風を受けて日本中で動物園の数が増え、施設や動物種も拡充されていた。  田中はまた、アメリカの動物写真家イーラが出版した『動物の世界』(平凡社 57年)の生き生きとした描写や、ディズニーの「砂漠は生きている」(55年日本公開)などのネイチャードキュメンタリー映画から強い刺激を受けた。そして58年に、動物園で撮りためた作品で「田中光常動物写真展」を開催すると正統派動物写真家として注目された。そこで次のステップとして、本誌で野生動物の撮影を試みるのである。  田中は連載にあたり、まず朝日新聞社の図書室で、動物に関する各新聞の切り抜きをチェックするなど資料を精査した。さらに全国を調査して、白地図に動物の分布図を書き込みながら撮影を行った。こうした準備を経て連載の第1回は小田原で撮影した夜行性の「モモンガとムササビ」で、これらは幼少期にはじめて自然の怖さを意識させた印象深い動物であった。 「日本野生動物記」は2年で終了したが、シリーズは「続・日本野生動物記」(66、67年)へと続き、やがて海外にも足を延ばして「アメリカ野生動物記」(69年)、「世界野生動物記」(70、71年)に発展、計7年の長期連載となった。さらにこの間、朝日新聞社から、68年には写真集『日本野生動物記』が、70年には同『世界野生動物記』(全5巻)が刊行された。  この間動物写真は多くの写真ファンを獲得し始めており、ライバル誌の「カメラ毎日」でも岩合徳光の「カメラ博物誌」が64年2月号から始まっている。田中と岩合は、これらの仕事によって、日本のネイチャーフォトの展開にひとつの基礎を築いていくのである。  また、昆虫や魚など、微細な生物の発生の瞬間をとらえた佐々木崑の連載「小さい生命」が66年から始まっている。読者に新鮮な驚きを与えたその第1回は「サケの稚魚」で、誌面では孵化した直後の姿を見事にとらえている。しかし、この一枚が成功するまでに、ライトの熱で水槽の水温が上がり、シャッターを切る前に魚が煮えてしまったという。  こうして思いどおりにならない対象を相手に失敗や苦労を重ねながら「小さい生命」の連載は79年6月号まで続いた。さらに約4年間のブランクの後、83年3月号からは「新・小さい生命」として復活し、8年後の91年12月号に終了した。ふたつの連載を合わせるとその連載期間は約22年、計256回は、今後抜かれることのない数字となった。  60年代前半の本誌は、全体的に高度経済成長期の明るい高揚感を反映している。もちろん社会には矛盾や問題が多く、それは経済成長に比して増大していた。これに続く時代にはこうした流れに、さまざまなレベルで抗する写真家たちが登場する。  そして彼らの批判は、日本の写真表現の歴史的展開にも向かうのである。
アサヒカメラの90年
dot. 2016/09/21 00:00
「ほこ×たて」は動物虐待? 視聴率のため動物たち犠牲に
「ほこ×たて」は動物虐待? 視聴率のため動物たち犠牲に
NPO法人「地球生物会議」は「子犬や子猫を見せてかわいさを強調するなど、テレビは誤った情報を発信している」と指摘。フジテレビは「真剣勝負を標榜している番組の継続は不可能」としたが……(撮影/写真部・山本正樹)  猿の首に釣り糸を巻きつけて無線操縦車につなぎ、引っ張り回すことで、追いかけているように見せる──。  フジテレビは11月1日、そんな「演出」をしたバラエティー番組「ほこ×たて」の放送終了を発表した。同社にとっては、演出によって真剣勝負への信頼性を損なったことが致命的だったという。だが番組制作のために動物へ虐待行為をしたことこそ、より大きな問題ではないだろうか。動物愛護法はこう定めている。 「動物が命あるものであることにかんがみ(中略)苦しめることのないように」適正に取り扱うようにしなければならない(2条)。「愛護動物をみだりに傷つけた者」は2年以下の懲役か200万円以下の罰金に処する(44条)。今回の「演出」は、同法違反に問われかねない「事件」だったのだ。  テレビ局によるずさんな動物の取り扱いは少なくない。例えばNHKは2年前の「爆笑問題のニッポンの教養」で、ハムスターを箱に入れて絶叫系マシンにのせ落下させる「実験」をした。NHK広報局はこの実験は「専門家の指導の上で、問題がないことを確認した」とする。だが国際的に提唱されている動物実験の三原則(苦痛軽減、代替法活用、使用数削減)に照らせば、あえてハムスターを使う必要があるとは考えにくい。  日本テレビの「天才!志村どうぶつ園」には、タレントが野生動物を屋内で飼育したり、「生まれたばかりの子犬」をスタジオに登場させたり、動物の生態への配慮に欠けた企画が散見される。 このような状況はなぜ生まれるのか。動物番組の内情にくわしい業界関係者はこう話す。 「視聴率のためです」  動物のありのままを伝えるまじめな内容よりも、犬の赤ちゃんをスタジオに連れてきてタレントがキャーキャー言いながら抱き上げるほうが、ヒット企画としてもてはやされるという。 「撮影の現場では、出演タレントにも見せられないような暴力が動物に振るわれることもありますが、動物を思い通りに動かすためには黙認される。下請け会社のディレクターは『いい絵』を作らないと死活問題。テレビ局の社員は視聴率が出世につながる。そういう構図のなかで、動物にしわ寄せがいく」 ※AERA  2013年11月25日号より抜粋
AERA 2013/11/21 16:00
インド・ジャドゥゴダ ウランが染みる村
インド・ジャドゥゴダ ウランが染みる村
 インドで唯一、ウラン鉱山がある小さな村。危険を知らされなかった村民たちの周囲では"異変"が起きていた。フォトジャーナリストの木村肇氏が取材した。 *  *  *  ジャールカンド州ジャドゥゴダ。インド東部の都市カルカッタから西に300キロ。インドで唯一のウラン鉱山がある村だ。稼働中の19基、建設中の8基の原発を抱えるインドの核開発の基礎を支えてきた土地でもある(11年1月時点)。人口の28%がアンタッチャブル(カースト制度からも外れ、激しい差別をうけている人々)にすらなれない先住民とされ、自給自足の生活を送る者も多い。  いまだ手つかずの自然と野生動物が残るジャドゥゴダに、インド国営のウラン公社、通称UCIL(Uranium Corporation of India Ltd.)がやって来たのは1962年だ。その5年後には鉱山が本格稼働を開始。74年には、インドで初めて核実験が行われた。  日本がジャドゥゴダの調査を始めたのは2001年のこと。京大原子炉実験所の小出裕章氏がフィールドワークを行った。02年の調査報告書によると、当時稼働していたウラン鉱山は三つ。工場でウランを精製する際に生じる鉱滓(こうし=鉱石から金属を製錬する際などに生じる非金属性の不純物)を廃棄するための鉱滓池(テーリングダム)は二つあり、三つ目を建設中だった。その周辺半径5キロ内に15の村が存在し、約3万人が生活を営んでいる。  08年、IDPD(India Doctors for Peace and Development、平和と発展をめざすインド医師連盟)はダム周辺半径2.5キロの住民(3690人)を対象にした調査報告書「Black magic」を発表した。それによると、46%の住民がUCILで働いており、そのうちの約3分の2が鉱夫だった。同地区の先天性異常者率は4.42%(163人)で、30縲鰀35キロ離れている対象地区(5077人)に比べて約2倍高い。また、半径1キロ以内の七つの村では、47%の女性が月経不順で、18%が5年以内に流産か死産を経験しているという結果も出ている。 「1人目の子は流産したのよ」  ダムから約2.5キロの村に住むドニヤン・オラムさんが目を伏せながら、ぽつりと語った。彼女には26歳の息子と24歳になる娘がいるが、2人とも言語障害と下半身不随を患っている。 ※週刊朝日 2012年6月8日号
原発
週刊朝日 2012/09/26 00:00
あなたのペットはこう守れ!
あなたのペットはこう守れ!
 神奈川県鎌倉市に住む47歳の主婦、薫さんは5月に、愛犬ラブラドルレトリバーのラブちゃん(オス、6歳)を連れて海へ遊びに行った。ラブちゃんが下痢と嘔吐(おうと)に見舞われたのは、その夜のことだ。  かかりつけの獣医師に診てもらうと、 「ただの遊びすぎで、疲れからきたものでしょう」  と言われたが、「放射能の影響では」という知人のひと言で不安がかき立てられた。  もともと放射能によるペットへの影響を心配していた薫さんは、震災後はペットフードに混ぜていた野菜をすべて西日本産に変え、昆布が放射能除去にいいと聞くと、野菜を煮るときにとろろ昆布を入れて与えていた。 「私たちよりも体が小さいので、少しでも放射能の影響を受けないように、できる限りのことをしています。本当は、一緒に日本を脱出したいぐらいなんです」  3月11日の東日本大震災後、環境省にはペットに関する意見や問い合わせの電話やメールが増えている。  多くは、 「福島第一原発から20キロ圏内のペットを早く助けてあげて」 「民間ボランティアをもっと投入してほしい」  と被災地のペットのことを心配する内容だが、 「ペットフードに放射能の出荷基準はないのか」  という飼い主の切実な不安の声もあるという。 ◆散歩は雨どいや草むらを避けて◆  この問いに対する答えは、 「ペットのエサはペットフード安全法で原産国名や原材料などの表示が義務づけられていますが、放射能に関する基準はなく、今後も作る予定はありません」(環境省動物愛護管理室)  というものだ。残念ながら、基準がないと、愛犬家や愛猫家の不安は解消しないだろう。  自治体や市民団体の調査が進むにつれて、福島県内に限らず、首都圏でも、千葉県柏市や我孫子市など各地で、局所的に放射線量が高い「ホットスポット」ができていることが確認されてきている。  国際放射線防護委員会(ICRP)は、一般人の年間被曝(ひばく)限度を「1ミリシーベルト以下」と定めているが、千葉県内では毎時0・6マイクロシーベルト、年間換算で5・26ミリシーベルトを超える地域も見つかっている。  このため、埼玉県川口市や千葉県野田市など、独自の基準を設ける自治体も増えてきた。川口市では、年間1ミリシーベルトに、自然界に元から存在する放射線量を加えた年間1・64ミリシーベルトを安全の基準とし、毎時0・31マイクロシーベルトを超えた保育所や小中学校では、屋外での授業を3時間以内にすると決めた。  となると、やはりペットへの影響も気になってくる。放射線量が高い地域で暮らすペットへの健康被害はないのだろうか。  まず、犬についてはどうだろう。ペットに対する放射線の影響について詳しい日本動物高度医療センター(川崎市)の夏堀雅宏院長によると、放射能の影響はヒトも犬も大きな差はないという。  飼い犬が被曝する可能性が高いのは、外を歩き回る散歩の時間だ。各地の調査では、側溝や雨どいの下、公園の草むらなどで周囲よりも高い線量が計測されたケースが多い。いずれも、犬たちが興味津々で近づいてにおいをかいだり、転げ回って遊んだりしがちな場所だ。  このため、北里大の伊藤伸彦教授(獣医放射線学)はこう指摘する。 「心配ならば、放射性物質がたまりやすい場所に近寄らせないことが大切です」  放射線量は雨の後に高くなりがちなので、水たまりにも近づかせないほうがいいという。  だが、いくら気をつけても、飼い主の言うことをちゃんと聞く犬ばかりではない。このため、前出の夏堀さんはこう言う。 「少なくとも、犬の体についた泥を部屋へ持ち込ませないようにしたほうがいいでしょう。室内に入れるときは、手足とおなかの毛を、草むらでゴロンとしたときには、背中もふいてあげるといい。毛が長い犬は表面積が広くなる分、放射性物質がつきやすい。とはいえ神経質になる必要はなく、普段どおりのブラッシングや、定期的なトリミングをしていれば心配はいりません」  エサや水からの内部被曝は大丈夫なのか。 「与える水は水道水で全く問題ありません。ペットフードは、心配ならば、原料や産地を調べて、自分が安心できる場所の商品を選べばいいのではないでしょうか」(夏堀さん)  ただ、犬は人間よりも寿命が短いので、低線量の被曝であれば、「寿命を全うするまでに症状が出る可能性は低い」(同)という。  では、猫の場合はどうだろう。  室内から出さない「家猫」の場合は、飼い犬のように屋外で被曝する可能性は低いが、家の中と外を自由に行き来できる「外猫」だとやや事情が異なる。  前出の伊藤さんが言う。 「とくに、地方で暮らすお年寄りは、猫を自由にさせていることが多い。半日から長いと数日間、家に戻らないことも珍しくないが、その間、どこで何をしていたのかをつかむのは困難です」  毛づくろいで体にたまった体毛を吐き出すために、外猫は放射性物質で汚染された外の草を食べたり、ときにはネズミを食べたりして、わが家に帰ってくるかもしれない。  体内に入った放射性物質は尿や糞とともに排出されるので、「排泄物は手早く片づけることが大切」(伊藤さん)だ。  魚や鳥、ウサギなど、ほかのペットの場合はどうか。  伊藤さんが言う。 「基本的に屋内で飼う魚や鳥の被曝リスクはほとんどなく、心配はいりません。とくに、水は空気中の放射線を遮るため、水槽の中で泳ぐ魚は外部被曝からより守られることになる。心配すべきは、水槽に入れる水が汚染されているかどうかですが、基準値内の水道水であれば大丈夫です。庭で飼うウサギなどは多少、汚染の影響を受けるかもしれませんが、人が普通に暮らせる地域であれば問題はないでしょう」  ウサギは野菜を食べるが、東日本産の野菜を与えても心配ないのか。 「外国産の野菜でも農薬の心配がありますし、東日本産だから危険だとは言えません。旧ソ連のチェルノブイリ事故から数年たった時期に日本の農家が使っていた輸入飼料のなかには、いま日本国内で出回っている東北や関東地方産の野菜よりも放射能を多く含むものもあった。それほど神経質にならなくても大丈夫です」(伊藤さん)  そもそも魚やウサギ、マウスなどのげっ歯類は被曝に対する耐性がヒトより強い。犬<ヒト<サル<ウサギ<魚・虫の順番に、耐性は強くなっていくという。  ある生物の集団に放射線を照射した場合、半数が死に至る線量の強さを「半数致死線量」という(最終ページの表参照)。  たとえば、ヒトの半数致死線量の推定値は3~4グレイ(Gy≒3~4シーベルト)だ。ヒトに3~4グレイの放射線を照射すると、骨髄の細胞が損傷して白血球や赤血球、血小板が減少する。まったく治療せずにいると、30日以内に半数が感染症などを発症して死に至るという意味だ。 「ヒトと犬、ヤギは同程度の耐性を持ち、霊長類のサルは約1・5倍です。ヒトより体の小さいハムスターは人の約2倍で、ウサギに至っては放射線への耐性が2倍以上になります」(伊藤さん)  人間より体が小さいからといって、必ずしも放射能に弱いというわけではないというのだ。  青森県六ケ所村にある財団法人環境科学技術研究所は1995年から、マウスに放射線を照射する実験を通じて、人への影響を調査・研究している。  福島第一原発の事故で放出された放射性物質と同じセシウム137によるガンマ線を、400日にわたって1日0・05ミリグレイ(0・05ミリシーベルト)の強さで照射した結果では、マウスの寿命やがんの発生率に変化はなかったという。  同研究所生物影響研究部の田中公夫部長はこう話す。 「1日1ミリグレイ(1ミリシーベルト)に照射量を上げると、メスのマウスでわずかに寿命が短くなりましたが、がんの発生率に大きな変化はみられなかった。このようなことを考えると、長期的に健康の検査をすることは大切ですが、ただちに影響を心配することはないでしょう」  同様に、ペットを介した飼い主への被曝も心配する必要はないが、気になる場合は口移しで物を与えるなどやたらに接触することは避け、ペットを触った後は手を洗い、排泄物は手早く始末するなど、「感染症の予防と似た感覚で気をつけるといい」(伊藤さん)という。 ◆災後100日、被災地のペットはいま◆  福島市の中心部から車で20分ほどの緑深い工業地域にその建物はある。  鉄筋むき出しの倉庫の前に車を止めると、それまで静かだった倉庫の中から「ひゃん、ひゃん」「バウー、バウッ」という切なげな鳴き声が聞こえてきた。 「いつもは静かにしているんですけどね。どうしても、人が来たことがわかると鳴くんですよ」  福島県保健福祉部食品生活衛生課の大竹俊秀副課長が目を伏せた。  ここは福島第一原発から半径20キロ圏内の警戒区域で保護された犬約140頭、猫約50匹が住むシェルター(保護施設)だ。  県が民間企業から倉庫を借りて運用しているが、シェルターであることが知られると、ペットの捨て場所にされる恐れもあるため、場所は一切公表していない。  倉庫のドアを開けると、ツンとすえた獣特有のにおいとともに、100頭近い犬が目に飛び込んできた。  およそ250平方メートルの室内には、ゴールデンレトリバーにビーグル、マルチーズ、雑種など、大きさも犬種もさまざまな犬が1匹ずつケージに入って並んでいる。  ケージの上には、保護した日時と場所、「やせすぎ、耳に疥癬(かいせん)」といった症状や投薬状況を記したカルテが置かれていた。なかには、凶暴なのか「扱い注意」の「注」とデカデカと書かれている犬もいる。   大竹さんは言う。 「保護すると、すぐに放射能に汚染されていないかをチェックし、獣医師に診察してもらうのですが、保護直後はストレスもあったのでしょう、多くが下痢や栄養失調など、何らかのトラブルを抱えていました」  だが、診察を行ったある獣医師はこう証言する。 「警戒区域の住民のなかには、犬の飼い方が昭和30年代から変わっていない人も多い。ワクチンもフィラリアの予防接種も打っていない。今どき、ドッグフードじゃなく、汁かけご飯を食べさせていたりもする。栄養失調も病気も、震災によるものかどうかはわからないですよ」  いずれにせよ、シェルターに保護され、治療を受けられた幸運なペットはまだごくわずかだ。  県と環境省は、4月下旬から警戒区域内のペットの保護を行ってきた。  住民の一時帰宅が始まった5月10日からは「動物班」が2トントラックなどを使って、犬や猫を保護回収する規模を拡大してきたが、6月22日までに保護できたのは犬186頭、猫76匹だ。  震災が発生した当時、警戒区域内で市町村に登録されていたペットは犬だけで約5800頭。保護できたのは30分の1にとどまる。  環境省自然環境局総務課動物愛護管理室の西山理行室長は言う。 「今も1日10匹くらいは保護しています。ただし猫はつかまりにくい。防護服を見て怖がってしまうんです」  環境省は震災直後から、職員を交代で現地入りさせるなどして対応にあたっていたが、「救出が遅い」「動物を見殺しにした」などの中傷がインターネットで出回った。 「ペットの警戒区域からの連れ出しは震災の発生直後から関係機関と協議していましたが、なかなか認められず、実際の救出までに時間がかかりました。その間、抗議の電話が鳴りやまず、通常の業務ができないほどでした。一匹でも多く救いたいと思うのは、私たちも同じなのですが......」(西山室長)  震災直後から、避難所のペットの診察などに尽力してきた「千葉小動物クリニック」の獣医師である河又淳さんは、対応の遅れの背景には「人災」の側面があると感じている。 「国や県の対応が遅いからと、無断で警戒区域に入ってペットを保護しながら、現場に『どこで預かっています』というメッセージを残さない、明らかにルール違反のNPO団体などもあった。これは保護ではなく"連れ去り"です。動物を思う気持ちは一緒なのでしょうが、お互いを責め合ってばかりで、足並みがそろわず、逆に事態を混乱させていた」  震災から3カ月が過ぎ、住民と行政の協力態勢が整ってきたところもある。これまでペットの同伴が禁止されていた福島市内の「あづま総合運動公園」避難所には6月6日、犬、猫の避難所ができたのだ。  前出の河又さんは言う。 「震災の直後は避難所内の雰囲気も殺気立っていて、ペットのことなんてとても言いだせなかった。そのため、ペットを飼っている人は避難所に入れず、狭い自家用車の中で生活していました。しかし、公園を管理する県都市公園・緑化協会と県獣医師会、ペット販売大手のコジマが協力し、避難所住民の理解を得た上で、公園内の建物を改装し、ようやくペットを避難所の近くに住まわせることができるようになったのです」  犬17頭が暮らす避難所は、施設に動物のにおいが移らないよう、ピンクや緑などカラフルな壁紙が張られている。飼い主は愛犬と好きなときに触れ合えるが、夜9時半までというルールだ。順番で施設内の清掃も行っている。  毎日、良い環境で触れ合えるからだろう。犬も飼い主もとてもおだやかな表情をしていた。  原発事故も震災もまだ先は見えない。だが、行政も住民も、前を向くことはできるのだ。 ◆特需にわくペットビジネス最前線 迷子札やペット用飲料がバカ売れ◆  局所的に放射線量が高いホットスポット、水道水からの放射性物質の検出、計画停電--。愛するペットへの影響を懸念する飼い主は少なくないようだ。  物言えぬペットのために、できる限りのことをしてあげたい。そんな飼い主の愛情が、ペットビジネスを過熱させている。  国内の代表的な通販サイト「楽天市場」のペット用品コーナーで「放射能」と入力して検索すると、犬用レインコートの画像がズラリと並ぶ。赤や黄、青といった色鮮やかなものから、ミリタリーデザインのものまでそろう。放射性物質を含んだ雨から散歩中の愛犬を守ろうというのである。  「オピタノ」のブランド名で、東急ハンズなどでペット用品を販売する「宇サブロー」(東京都江東区)によると、同社の犬用レインコートの売り上げは前年比で3~5割増。今年はすでに、昨年1年間の販売数(約500着)を上回ったというから驚きだ。  スキーウエア用の防水素材を使用し、価格は1着6千円から1万円もするが、一部商品はすでに売り切れ、次の入荷は秋だという。 「レインコートだけでは全身を覆えず、胸の部分が開くため、念を入れて防水エプロンを同時に買うお客様もいます」(幸寺司代表)  ペットの飲み水を考え直す飼い主も増加中だ。  ペット用飲料水で国内トップクラスのシェアを誇る「アース・バイオケミカル」(東京都千代田区)は、ポカリスエットやオロナミンCでおなじみの大塚グループの会社で、「ペットスエット」や天然水を販売している。都の水道水から乳児の飲用基準を超える放射性物質が検出された3月下旬以降、商品に関する問い合わせが急増した。 「飲料水は震災直後、欠品になるほど売れました。その後も順調で、5月末までの累計で前年比2倍以上を売り上げています。震災をきっかけに認知度が上がったのが大きいですね」(営業企画推進部)  人間用のミネラルウオーターをペットに与えると、ミネラル分が過剰で、分解できずに尿結石になる恐れがある。そのため、ペット用の飲料水を求める人が増えているのだという。  ペットにとって怖いのは放射能だけではない。節電が推奨される折、夏の猛暑は命にかかわりかねない。  暑さ対策では、電気を使わずに涼しくなるグッズが大人気だ。国内126店舗のペットショップを展開するイオングループの「ペットシティ」(千葉市)では、ペットが寝そべるとヒンヤリする「冷感ジェルマット」や首に巻く「ひえひえマリンバンダナ」が人気を集めている。 「今年の夏は、ペットがお留守番している最中に計画停電でクーラーが止まる可能性がある。それを心配した飼い主の購入が増えています」(営業企画部)  こうした暑さ対策グッズの売り上げは、前年比2割増で伸びているという。  さらに、余震への対策も進んでいる。 「いざという時にペットを運ぶキャリーバッグを買うお客さまが増えています」(ペット用品最大手の「アイリスオーヤマ」広報室)  震災前と比べると2倍近い売れ行きで、プラスチック製よりも、軽くて折り畳める布製が人気だ。 「もしもの時にかさばらないのがポイント。関東・東北地方を中心に売り上げが伸びています」(同)  キャリーバッグを取り扱う都内のペットショップによると、バッグの側面にペットの出入り口が付いているものが売れ筋だ。 「バッグを置くと、そのままペットのハウスとして利用できる。避難所で生活することを考えたうえでの選択でしょう」(店員)  さらにさらに、ペットが迷子になってしまった場合を想定して、ヒット商品となっているのが「迷子札」だ。ペットの名前や飼い主の連絡先を書いて首輪に着けるペンダント型が多い。皮膚下に埋め込む電子型の迷子札であるマイクロチップも品薄になったという。 「今回の震災でペットと離ればなれになった例もあり、飼い主の意識が高まった。迷子札の売り上げは平常時の3割増です」(ペット用品通販の「ペピィ」)  ペットを愛するあまり、こんな相談事も寄せられる。 「避難所では行儀の良いペットが人気者です。もしもの時に可愛がられるために、しつけに関する問い合わせが増えています」(仙台在住のブリーダー)  1兆円規模ともいわれる国内ペット市場。可愛いペットのためならお金は惜しまないようだ。 ◆3・11 あの日から飼い主たちは◆  地震に津波、果ては終わらぬ放射能の不安--。未曽有の事態を前に、ペットの飼い主はどう対応したのだろうか。  過敏に反応したのは、被災地よりもむしろ、都市で暮らす愛好家たちだ。  東京都に住む大山さん(仮名)は"わが子"を守るため、1・5リットルで千円以上するハワイで取れたピュアウオーターなる水を愛猫に飲ませているという。 「震災から放射能を気にして、猫用の水を探していました。猫は腎臓が弱いので、マグネシウムなどを含まないというハワイのピュアウオーターを飲ませています。え? 私? 私と旦那は相変わらず水道水を飲んでますよ」(大山さん)  大山さんのように、水に気を使っている飼い主は多い。東京都内のドッグランでは震災後、備え付けの水道水ではなく、持参したミネラルウオーターを犬に与える飼い主が目立っている。  なかには、 「原発の事故が収束するまで東京に戻らない」  と、犬を連れて広島へ逃げた人もいた。  放射能を恐れる飼い主はみな、 「体が小さい分、私たちより影響が出るのでは」  と口をそろえる。  実際のところ、どこまで気にするべきなのか。  動物病院での勤務経験が豊富で、犬のしつけ家として活躍する後藤三枝子さんはこう話す。 「相談に来る飼い主さんには『普段のままで大丈夫』と答えています。それでも心配なら、いま、ご自分が気を付けている程度のことと同じぐらいの注意を払ってあげてください」  震災後の食欲低下や下痢症状を、「放射能の影響では」と疑う飼い主もいるが、「ストレスや不安の表れである可能性が高い」(後藤さん)という。  しかも、人間と同じように、症状や程度には個体差があるようだ。  2匹の猫を飼う都内の40代女性が言う。 「震災後、一匹はケロッとしていましたが、もう一匹は夜鳴きや、いろんな場所での排泄行為が増えてきたので、ときどき動物用の安定剤を飲ませています」  不安で体調を崩すペットへの接し方について、東京都港区にある赤坂動物病院の柴内裕子院長はこう話す。 「飼い主の戸惑いを見て、動物も戸惑っていることが多い。余震後に、『大変! 怖いね』と言って急に強く抱きしめると恐怖感をあおるので、飼い主さん自身が平常心でいることが重要。できる限り穏やかな態度で接してください」  猛暑に節電のダブルパンチで、今後とくに心配されるのが、熱中症だ。 「(飼い犬の)ルナちゃんの熱中症が心配なので、夏は旦那を置いて2人で避暑地に避難する予定です」(東京都世田谷区・50代女性)  という"強者"もいるが、そんな優雅な飼い主ばかりではない。  では、どんな工夫をすればいいのだろう。前出の柴内院長はこう提案する。 「大理石のような石の板を置いたり、アイスパックをタオルで包んでおいたりするのも一つの方法です。食欲不振になったら、水分の多いものを与えることも大事。とくに気をつけたいのは、6月末から7月にかけてです。この時期は、人間と同じでまだ暑さに慣れていないため、急激な気温上昇には注意が必要です。幼い犬猫、高齢、病気の犬猫にはとくに配慮してください」  大げさに、ではなく冷静な対処で、"わが子"の健康を守りましょう。 ◆野生の鳥や動物は追跡調査が必要◆  福島県は面積の7割を森林が覆う。コンクリートやアスファルトで覆われた市街地と違い、森林を汚染した放射性物質は生態系の循環に組み込まれ、生物の間を行き来する。  なかには渡り鳥のように、長距離を移動する生物もいる。鳥インフルエンザでは、野鳥や渡り鳥の糞などを介して感染が広がった可能性が指摘されている。  ウイルスと放射性物質は違うので、単純に比較はできないが、高濃度に汚染された野生動物が街や人里を歩き回れば、汚染物質をまき散らす恐れもあるのではないか。  だが、福島県鳥獣保護センター所長で獣医師の溝口俊夫さんはこう話す。 「まだ実態がつかめていないので、渡り鳥が汚染をまき散らす可能性があるかどうかなんて、いまの段階では言えません。ただ、私たちも野生動物の被曝状況や、人間への影響を調べる必要があると考えています。そうしなければ、野生動物を治療する自分たちの安全も確保できませんからね」  同センターでは、年に数百匹の野生動物を対象に、筋肉や内臓などの汚染状態を調べ、10年程度にわたって長期的に追跡していく方針だという。 ◆錦鯉から猛魚まで 都会でポイ捨てされた1万2千の命◆  家族のように心配されるペットがいる一方で、都会では人知れず見捨てられた命もある。  多摩川の環境保護を進めてきた川崎河川漁協(川崎市)の山崎充哲さんは、飼いきれなくなった観賞魚や両生類などの放流を防ごうと、2005年から「おさかなポスト」と名付けた生け簀を設置している。多摩川には近年、外来種が繁殖し、生態系の破壊が危惧されていたからだ。  震災後、この"避難所"がパンク寸前になっている。 「預け入れは、この100日間で1万2千匹を超えました。1~2月は計2千匹だったのに、震災翌日の3月12日だけで2千匹。計画停電や水槽の故障といったやむを得ない事情をきちんと説明してくれた人も多くいましたが、震災後の混乱で飼うのが面倒になっただけの人もいたでしょうね」(山崎さん)  なかには、金魚やミドリガメのほか、値の張りそうな錦鯉から、ワニのように口先がとがったガーパイクやピラニアなど"肉食系"の外来魚までいる。"育児放棄"はけっして褒められた話ではないが、それでもポストに預けられただけマシだと山崎さんは言う。 「震災のあと、ポリプテルス(アフリカ産の淡水魚)など熱帯魚の死骸が大量に多摩川に浮いているのを見つけました。3月の冷たい水温で生きられるはずもないのに捨てたのです。『生ゴミ』として処分した人がいたとも聞いています」  救った魚たちのエサ代だけで月に100万円を超えることもある。だが、山崎さんは800万円の借金をして、"孤児"の命と多摩川の生態系を守っている。 「金銭的にはとっくに破綻していますが、魚たちを見捨てるわけにはいきません。スポンサーを必死に探しているところです」  一度ペットにした以上、人間が"親"になる以外、救う道はないのである。 ◆被災地経験者が語る「重要なのはしつけと首輪」◆ "わが子"を守るために、いま、何をすべきなのか。 「まずは、ふだんのしつけが重要」と話すのは、被災ペットの問題を長年追い続けているジャーナリストの香取章子さんだ。 「犬は避難所でムダ吠えしないよう、家以外の場所で他の人や動物と過ごせる社会化としつけをしておくことが重要です。猫はキャリーバッグで移動できるようにしておきましょう」  携行品で見落としがちなのが薬だ。 「コンビニなどが営業を再開すればフードや水は確保できますが、薬は手に入りにくい。ペットに持病があるなら必ず薬を持って避難することです」(香取さん)  実際に震災を経験した飼い主の声も聞いてみよう。愛猫の生態をほのぼのと描いた『アメショっす!』(主婦の友社)などの著書もある人気猫ブロガーの「桃にゃん」は、仙台市に住んでいた08年に岩手・宮城内陸地震に遭い、その後、福島県へ引っ越して、今回の大震災に見舞われた。 「08年のときは、地震の揺れで閉めていた窓が開き、そこから猫が飛び出しました。運良く捕まえたものの、ペットが逃げ出すと、飼い主は自らの危険を忘れて追いかけてしまう。自分の身を守るためにも、しっかり施錠しておくことが大事です。また、キャットタワーは完全に固定するか、背の低いものを使ったほうがいい。揺れに驚いた猫が逃げ込むとか、倒れたタワーで窓が割れ、猫が逃げ出してしまう恐れがあります」  桃にゃんは08年の経験から、緊急避難袋に猫用品を追加した(写真)。今回の震災では放射能の不安もあるため、新たに1カ月分のフードやペットシーツ、猫砂などを用意し、玄関に置くようになったという。 「震災ショックで食欲が落ちるペットも多い。そんなときでも『これだけは喜んで食べる』という一品を見つけ、避難袋に入れておくといいと思います」  被災地では、避難指示のために泣く泣くペットと別れた飼い主も多い。前出の香取さんはこう提案する。 「野良化や餓死といった悲劇を起こさないためにも、自分の身の安全が確保できたら、必ずペットを連れて避難しましょう」  万一はぐれてしまった場合は首輪がものをいう。 「今回の震災では『首輪をしていれば』と悔やんでいる飼い主もいます。首輪ははぐれたペットと飼い主をつなぐ鍵になる。室内飼いでも普段から着けることをお勧めします」(桃にゃん) ◆"わが子"を救う8カ条◆ <その一>社会化としつけが重要 <その二>ペット用の避難袋を用意せよ <その三>キャットタワーは完全に固定 <その四>扉の施錠は完璧に <その五>首輪はライフライン <その六>同行避難が鉄則 <その七>薬を持ち出せ <その八>好物を知ろう ■放射線への耐性の違い■ 種     放射線 半数致死線量(Gy=グレイ) ヒト    γ線  3-4(推定値) ------------------- ヒツジ   γ線  2.05 イヌ    X線  2.44-3.03 ロバ    γ線  2.56 ヤギ    X線  3.06 モルモット X線  4 マウス   X線  5.21-6.38 サル    X線  5.22-5.46 ウサギ   X線  6.80-9.11 ハムスター X線  7 ラット   X線  7.96 (北里大の伊藤伸彦教授作成) 週刊朝日
週刊朝日 2012/09/26 00:00
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