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森で暮らす夫婦が出会う自然の営み 仲良し夫婦は「喜び二倍、悲しみは二十倍」?
森で暮らす夫婦が出会う自然の営み 仲良し夫婦は「喜び二倍、悲しみは二十倍」?
小手鞠るい(こでまり・るい)/1956年、岡山県生まれ。『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞受賞、ほか受賞多数。2019年には『ある晴れた夏の朝』で小学館児童出版文化賞を受賞(撮影/植田真紗美)  AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。「書店員さんオススメの一冊」では、売り場を預かる各書店の担当者がイチオシの作品を挙げています。  小手鞠るいさんによる『空から森が降ってくる』は、ウッドストックの森の中の一軒家での日々の暮らしの中で見つけた、美しく厳しい自然や野生動物との交流、旅先でのできごとなどが綴られたエッセー集。著者の小手鞠さんに、同著に込めた思いを聞いた。 *  *  *  ニューヨーク州郊外ウッドストックにある森の一軒家に住む小手鞠るいさん(63)。『空から森が降ってくる』には、たくさんの自然に囲まれた生活が描かれている。  とても印象的なこのタイトルとよく似た表現が1999年に出版された『ウッドストック森の生活』のあとがきに出てくるのだが、純然たる「続き」という意味合いはなかったらしい。 「あの時は落ち葉などが空から降ってくるって感じだったんですけど、今回はもっと幅広い意味を込めて、自分の中からこの言葉がもう一回出てきたということです。同じ1行を書くにしても、今回はもっと深まったんじゃないかと自分では思っています」  エピソードのひとつひとつから、小手鞠さんが季節ごとに咲く野の花々や紅葉を、森にやってくる野生動物を心から愛でているのが伝わってくる。停電が多かったり、雪が深かったり、自然は決して優しい顔ばかり見せてくれるわけではないが、それでも森の生活を心底楽しんでいる。  表紙や文章に添えられた写真を撮影したのは夫のグレン・サリバンさん。  野生のシマリスにジョーと名前をつけたり、熊が来たら呼んでと頼んだりするグレンさんの少年のような様子も微笑ましい(夫婦円満の秘訣は「夫を『少年だ』と思うこと」と本書に書かれている)。そして、とりわけ愛猫プリンを亡くした時の、「ふたりでいると喜びは確かに二倍になるが、(中略)悲しみは二十倍になる」という話は、仲良し夫婦ならではのことで胸を打つ。 「悩みも昔は彼に相談していたんです。でも、そうすると悩みが深刻化してもっと大きく膨らんでしまう。彼に言わないで自分で解決すれば小さく収まる。だから最近はつまんない話は打ち明け合わないようにしています。ただ、ここぞというときは相談します。それで彼の明快なアドバイス一言で解決することもあるんです」  ありとあらゆる生き物に優しいまなざしを向ける小手鞠さんに不躾ながら、「森の家にはゴキブリは出ないんですか」と尋ねると、ひとしきり笑った後に、「初めて聞かれましたよ。でもいい質問かもしれない」と応じてくれた。 「森にはいません。でも都会にはいます。ニューヨークのゴキブリは日本みたいに羽がツヤツヤじゃないんですよ。だからあんまり抵抗感がないんですけど、日本のゴキブリはどうなんだろう。やっぱりむやみには殺したくないわね」 (ライター・濱野奈美子) ■ブックファースト新宿店の渋谷孝さんのオススメの一冊 『不浄を拭うひと1』は、特殊清掃の経験から、人との繋がりを描いた1冊。ブックファースト新宿店の渋谷孝さんは、同著の魅力を次のように寄せる。 *  *  *  孤独死──。人生100年時代、健康長寿を謳う日本が抱える社会問題のひとつであり、死後数カ月もたって発見されることなど、しばしばニュースにも登場する。  その現場に立ち入り、原状復旧をサポートするのがここに登場する「特殊清掃業者」だ。妻子を持ちながらも脱サラしてこの仕事を始めた山田正人(39)が、病死、変死、自殺などの現場となった住居に立ち入って目の当たりにした光景は、遺品に群がる女性たち、あきれるばかりの収集物、ゴミ屋敷、ペットの死骸、風呂場に貼りついた手袋のようなもの……といったさまざまな状態で死を迎えた人びとの「生活の跡」だった。  数々の特殊清掃の経験から感じ取ったその暮らしぶりや、人との繋がりを淡々と描く異色のコミックから見える現代社会の闇。これは私たち自身の物語なのかもしれない。 ※AERA 2019年12月16日号
AERA 2019/12/11 17:00
大都市も“野生化”寸前? 地図が冷静に示す“日本の惨状”
大都市も“野生化”寸前? 地図が冷静に示す“日本の惨状”
※写真はイメージです  今回、小説家・長薗安浩氏が「ベストセラー解読」で取り上げたのは『地図で見る日本ハンドブック』(レミ・スコシマロ著 神田順子・清水珠代訳 原書房 2800円※税別 3000部)。 *  *  *  元号が令和になって5カ月が過ぎ、消費税が10%に上がった。人口減が続くこの国の未来が厳しいことは覚悟しているが、もう少し多面的に現状を知りたいと考え、この『地図で見る日本ハンドブック』を手に取った。  著者のレミ・スコシマロは日本を専門とする地理学者で、フランス国立日本研究センターと日仏会館の研究員も務めている。著者は各テーマ毎にカラーの地図をいくつか紹介し、事実に基づく解説文を添えて客観的な知見を明快に提示する。  たとえば、過疎化を扱った項目では、「日本の野生化」という日本列島の地図を紹介。人がクマに襲われたり、イノシシやサルやシカによる農作物被害を受けている地域が、いかに人口密度が低いか端的に表現している。 <うちすてられた村々は植物におおいつくされ、野生動物が跋扈(ばっこ)している。この野生化の波は大都市近郊にもおしよせている>  人口減が野生化へと連鎖する地図に驚いたように、21世紀の日本の貧困問題の現状も、いくつかの地図の関連を見ることで理解できる。それは、失業率、若年層失業率、結核による死亡率を色別で表した列島の形を重ねてみると、一目瞭然となる。  明るい展望を持ちたいと願うなら、まずは正確な現状把握は不可欠だ。そこには認めたくない事実も多々あるだろうが、そうやって後回しにする余裕はもうこの国にはない。この本に大量に登場する地図が冷静に、具体的に示している私たちの過去と現在を、まずは知ること。その上で、現政権が頓珍漢な政策を打ち出さないよう監視する責任が、私たちにはある。 ※週刊朝日  2019年10月18日号
週刊朝日 2019/10/14 17:00
ニホンウナギ、ジュゴン、ヤンバルクイナ… 日本にいる絶滅危惧種って?
ニホンウナギ、ジュゴン、ヤンバルクイナ… 日本にいる絶滅危惧種って?
絶滅の危険性が極めて高いと言われるヤンバルクイナ (c)朝日新聞社  日本で絶滅危機にある生物たちにはどんなものがいるのだろう。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説する、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』6月号は、「絶滅危惧種からのSOS」を特集。そのなかに掲載された記事を紹介する。 *  *  *  日本にはわかっているだけで、9万種を超える生物が生息している。野生動物をはじめ、絶滅のおそれがある生物がいるのは、日本も同じ。日本は島国のため、世界でもここにしかいない生物もたくさんいるが、国土が狭く、人口も多いので、生物が安全に生きられる場所はわずかだ。日本で絶滅のおそれがある野生生物を環境省がまとめた「レッドリスト」には、私たちにとって身近な生物も多く見られる。たとえば小学校で習うメダカや、いくつかの動物園で見ることができるツシマヤマネコ、昆虫図鑑でもおなじみのオオクワガタなども、このまま対策をとらなければ、将来、私たちの目の前からいなくなってしまうおそれがある。  日本で絶滅のおそれがある生物、絶滅してしまった生物、絶滅の危機から救われた生物の中から、一部を紹介するよ。 ■タンチョウ 【絶滅の危険が増している】 生息地:主に釧路湿原など北海道東部 昔話「ツルの恩返し」でおなじみ。乱獲や生息地である湿原の開発で激減し、一時、絶滅したと考えられていた。しかし、1924年に十数羽が再発見された後、人工的にエサをやるなどの保護活動により、約1800羽まで増加。 ■ラッコ 【絶滅の危険性が極めて高い】 生息地:北海道東部沿岸など 海にすむ哺乳類としては最小。出産・育児・食事など、生活のほとんどを水の中で行う。その密度の高い毛皮を目的に乱獲が行われ、絶滅寸前に。 ■トキ 【絶滅の危険性が極めて高い】 生息地:佐渡島 日本産のトキは、かつては日本の農村部で当たり前に見られた鳥だったが、羽毛を目的に乱獲されたり、田んぼへの農薬使用の影響でエサのドジョウなどが少なくなったりして絶滅してしまった。現在日本にいるトキは、中国からもらって人工的に繁殖させたもの。訓練してから野生に放っている。 ■ニホンウナギ 【絶滅の危険性が高い】 生息地:北海道中部以南の日本各地 日本中に生息していたが、食べるために大量に捕まえられたり、稚魚の育つ河川がコンクリートで固められ、石垣のすきまや石の下にもぐってくらすことができなくなったりした結果、数が大幅に減少。 ■アホウドリ 【絶滅の危険が増している】 生息地:伊豆諸島・鳥島、尖閣諸島など 繁殖期になると毎年同じ繁殖地に戻ってくるが、羽毛をとるための乱獲や繁殖地の破壊などで、一時は絶滅したと考えられた。しかし1951年に十数羽が再発見された後は、鳥の置物(デコイ)と音声を使ってより安全な場所へ導く「デコイ作戦」などにより、5千羽まで増やしている。 ■メダカ 【絶滅の危険が増している】 生息地:北海道をのぞく各地 童謡「めだかの学校」でも知られ、親しまれてきたメダカは、一昔前まで田んぼの脇の用水路や小川でたくさん見ることができた。しかし、土でできた用水路はコンクリートで固められ、流れが速すぎて生息するのが難しくなっている。 ■ジュゴン 【絶滅の危険性が極めて高い】 生息地:沖縄島北部沿岸 かつては食用にされたり、誤って漁網にかかってしまったりした。海の浅い場所に生える海草を食べるが、埋め立ての影響で海草は激減。確認されていた3頭のうち、3月に1頭が死亡。 ■ツシマヤマネコ 【絶滅の危険性が極めて高い】 生息地:対馬 ユーラシア大陸と陸続きだった昔に日本にやってきて、そのまま今も残っている。対馬だけに生息しているが、生息地である広葉樹林が伐採されたり、交通事故などで命を落としたりして数を減らしている。現在は約100頭ほどしかいない。 ■アマミノクロウサギ 【絶滅の危険性が高い】 生息地:奄美大島、徳之島 昔、奄美群島の島々がユーラシア大陸とつながっていたころに移動してきて、約170万年前の海面上昇などにより、島に取り残された。以来、ほかの島との行き来がないため、原始の姿を残す。特徴は耳が短いことだ。開発で森が減ったり、マングースなどの外来種に襲われたりして減少してきたが、最近は保護策の効果も見られる。 ■ヤンバルクイナ 【絶滅の危険性が極めて高い】 生息地:沖縄県北部 日本で唯一の飛べない鳥。生息する「やんばるの森」には天敵がいなかったため、飛ぶ必要がなくなったといわれる。しかし、毒を持つハブというヘビを退治するために海外から持ち込まれたマングースや、野生化したネコやイヌなどに襲われたり、交通事故にあったりして激減している。 ■ニホンオオカミ 【日本では絶滅した】 世界最小級のオオカミといわれていた。1800年代まで本州から九州の山地に生息。家畜を襲う害獣として駆除されたことなどが絶滅の理由だといわれる。しかし、ニホンオオカミの絶滅後、農地を荒らすシカやイノシシが増えているという。ニホンオオカミがいたころは、彼らがシカやイノシシを食べていたので、増えすぎないように生態系のバランスがとれていたらしいのだ。 ■「外来種」も絶滅の原因のひとつ 人間が海外からペットとして連れてきたり、物が運ばれてくるときにまぎれこんだりして、日本に来た生物がいる。それらが野生の状態で定着したものを「外来種」という。そうした外来種が、その土地に昔からいた動植物(在来種)を食べてしまったり、生存場所をうばったりすることで、在来種が減少してしまうこともある。これらも、絶滅の原因になるとして、大きな問題となっている。  例えば外来種には、ペットとして輸入されたアライグマやカミツキガメ、食料やエサとして入ってきたアメリカザリガニ、輸入した荷物についてきたヒアリなどがいる。 ※月刊ジュニアエラ 2019年6月号より
朝日新聞出版の本ジュニアエラ読書
AERA with Kids+ 2019/06/13 14:00
クラゲと間違えてプラごみを食べてしまうオサガメ 大絶滅の原因は“人間”
クラゲと間違えてプラごみを食べてしまうオサガメ 大絶滅の原因は“人間”
海に捨てられたプラスチックごみが海の生物に深刻な問題となっている (C)朝日新聞社  地球上に生命が誕生して約40億年。いまは、第6回目の生物の大絶滅期にあたる。これまでは火山活動や隕石の衝突など自然の大きな変化が原因だった。だが現在起きている絶滅の原因は“人間”だ。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説する、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』6月号は、「絶滅危惧種からのSOS」を特集。そのなかに掲載された記事を紹介する。 *  *  *  動物たちの多くは、広い地球上のごく限られた地域に、その環境に適応したものだけがすんでいる。そのため、ちょっとした環境の変化や人間の活動が大きな影響をあたえ、動物たちは数を減らしてしまう。  20世紀以後は、船や飛行機、自動車などで人の行き来する範囲が広がり、それまで人間が足を踏み入れなかった場所が開発されたり、めずらしい動物が狩猟の対象にされたりするようになり、動物たちがピンチに陥っている。つまり、今、起きているといわれる大絶滅の原因は、人間の活動と非常に深い関係があるのだ。動物たちを絶滅に追いやる原因は大きく四つ。それぞれの原因によって絶滅の危機にある主な動物をあげているけれど、動物が減少するときは、いくつもの原因が重なっていることがほとんどだ。 ■ケース1:畑や住宅地開拓で生息地が奪われる  森林や山、川、湖、海など、野生動物がくらす場所のことを「生息地」という。その生息地が人間たちの生活のための活動によってどんどん失われている。たとえば森林や草原を切り開いて畑や住宅地をつくったり、木が木材として使われたりしている。 【オランウータンの嘆き】  私たちがすむ熱帯雨林が、人間にどんどん切り倒されてしまっているの。理由はアブラヤシという農作物の農園をつくったり、紙の原料になるアカシアという木を植えたりするため。アブラヤシから採れるパーム油って知ってる? ポテトチップスやインスタント麺、洗剤などに使われるそうよ。私たちは一生のほとんどを木の上でくらすのに、その木も、食べ物の果物などもなくなっているの。そのうえ、大切な子どもをペットとして売ろうと、親から引き離す人間もいるのよ!! ひどすぎるわ。 ■ケース2:毛皮や牙のために乱獲が進む 「貴重だから」「きれいだから」「高く売れるから」と肉や毛皮、角や牙を手に入れるために、あるいは楽しみのために野生動物を狩猟の対象にして捕獲しすぎることを「乱獲」という。動物たちが自然のペースで増えるよりも獲物になる数のほうが多くなると、その動物が減る原因となる。 【アフリカゾウの嘆き】  ボクたちの牙のことを人間は「象牙」とよぶらしい。この牙は、水を飲むために地面を掘ったり、木の皮をはがしたりするのに、大切なもの。それなのに、飾り物やアクセサリーとして高く売れるからって、牙ほしさに、人間はボクたちを殺すんだ!! 「ワシントン条約」っていうのがあるらしいけれど、殺しにやってくる奴は後を絶たないね。それとボクたちは体が大きい分たくさん食べるから、植物を食べつくしてしまわないように、移動しながらくらしている。けれど今、アフリカって人口がすごく増えていて、ボクの生息地も人間が住むために開発されて、行き場がなくなっているんだ。 ■ケース3:ごみや化学物質で環境が汚染される  川や池、海に捨てられたポリ袋などのプラスチック製品、食べ残し、流れ出た油や自動車の排ガス、排水管から流れてくる生活排水や有害な液体……。人間が排出するごみや化学物質は、空気や土、海や川や水を汚し、自然の中にすむ野生動物のくらしも危険にさらしている。 【オサガメの嘆き】  アタシの大好物はクラゲ。でも最近クラゲと間違えて、人間が捨てるたくさんのポリ袋などを食べてしまうの。人間だって、そんなの食べたら大変なことになるでしょう!  アタシたちも消化できず、ときには死んでしまう仲間もいるの。海のごみ問題は、アタシたちウミガメだけでなく、海のなかでくらす多くの生物にとっても深刻な問題。また漁業の網にからまって、息継ぎができずに死ぬことだってあるのよ。きれいな砂浜にテニスボールぐらいの卵を産むんだけど、最近はごみだらけの砂浜も多いし、せっかく産んだ卵を人間に掘り起こされたり、野生のブタに食べられてしまったりするのも悲しいわ。 ■ケース4:止まらない地球温暖化が動物を追い詰める  人間の活動によって、二酸化炭素などの温室効果ガスが増え、地球の平均気温が上がり続けている。それにともなって気候が変わり、台風が大型化したり、集中豪雨が起こったり、異常気象に見舞われることも増えている。気温が上昇すると、氷がとけて海面が上昇し、海氷の上で生活する生物の生息地が狭まったり、海水温が上がりサンゴが死んでしまったりするという事態も起こる。 【ホッキョクグマの嘆き】  オレが冬になると氷の上にいるのは、同じように氷の上で生活するアザラシを食べるためさ。でも、地球温暖化っていうやつのせいで、氷がなかなか一面に張らないんだ。そうするとアザラシもいなくなるし、食べものもなくなるし……。獲物を探して氷から別の氷のところへ泳いでいくのもひと苦労。いくら泳ぐのが得意でも、泳げる距離にも限界があるだろう? 泳ぎ疲れて、おぼれる仲間が出ないか心配だな。 ※月刊ジュニアエラ 2019年6月号より
朝日新聞出版の本ジュニアエラ読書
AERA with Kids+ 2019/06/13 14:00
致死率ほぼ100%の”狂犬病” 海外渡航前に気をつけるべきこととは?
山本佳奈 山本佳奈
致死率ほぼ100%の”狂犬病” 海外渡航前に気をつけるべきこととは?
山本佳奈(やまもと・かな) 1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書) ※写真はイメージです(写真/getty images) 「海外旅行先でサルにかまれてしまいました」「ネコにかまれて、現地で1回ワクチンを接種して帰国しました」    このように、大型連休明けの勤務先のクリニックでは連休中の旅行先で動物にかまれてしまったというケースが、多く見受けられました。  5月11日、フィリピンを旅行中に犬と接触した24歳のノルウェー人女性が、帰国後「狂犬病」を発症した後、死亡したとのニュースが全世界を駆け巡りました。海外へ渡航する前の狂犬病ワクチンの接種の必要性を実感していた直後のことでした。  死亡した女性は、2月に友人と共にフィリピンを訪問中にやせ細った子犬を路上で発見。彼女はその子犬を宿泊先のホテルに連れて帰り、ケアをしたところ次第に回復し、ホテルにいた他の犬とも元気に遊ぶようになったのですが、彼女もその際、指をかまれてしまったといいます。狂犬病の予防ワクチンを接種していなかったにもかかわらず、かまれた後も狂犬病に対して未治療のまま帰国し、その後体調を崩して死亡に至ってしまったというのです。 「狂犬病」は「イヌ」にだけかまれると感染すると思っていませんか。「イヌが感染しないようにワクチン接種している病気じゃないの?」と思っていませんか。実は、感染源となる狂犬病ウイルスは全ての哺乳動物に感染する可能性があります。私たちが狂犬病に感染して発症すれば、ほぼ100%死亡する、極めて恐ろしい感染症なのです。  そこで、今回は「狂犬病」についてお話ししたいと思います。狂犬病は、狂犬病ウイルスに感染している動物にかまれたり、傷口や粘膜をなめられることで唾液が体内に入り、その唾液に含まれるウイルスが侵入してくることで感染します。日本やスウェーデン、アイスランドやアイルランド、ニュージーランドやグアム、ハワイ諸島などの一部の国を除いて、世界150カ国以上の国と地域で発生していることが報告されており、海外ではほとんどの国で感染する可能性がある病気です。    日本は、世界でも数少ない狂犬病清浄国。1957 年以降、国内で狂犬病は発生していません。ネパールで犬にかまれ帰国後に発症した事例が70年に、フィリピンで犬にかまれ帰国後に発症した事例が2件あったのみです。イヌへのワクチン接種の義務化やわが国が島国であることがその要因として考えられています。  2004年の世界保健機関(WHO)の調べによると、狂犬病ウイルスに暴露された後の年間推計ワクチン接種者数は1500万人であるにもかかわらず、狂犬病の年間推計死亡者数は5万5千人。そのうちアジア地域が3万1千人、アフリカ地域が2万4千人を占めています。また、ヒトにおける狂犬病の感染源の99%がイヌであったと報告されています。    しかしながら、感染源となる動物はイヌだけではありません。ヨーロッパではキツネやコウモリ、アジアではイヌやキツネやコウモリ、アフリカではコウモリやマングースやジャッカル、北米ではアライグマやスカンクなどがからの感染も報告されているのです。なお、ヒトからヒトに感染することはないため、感染した患者から感染が拡大することはありません。  感染から発症までの潜伏期間は1~3カ月。侵入した狂犬病ウイルスの量やかまれた部位、傷口の程度によってさまざまであり、まれに1週間から長いと1年という歳月を経て発症したというケースもあります。  発症すると、発熱、頭痛、倦怠(けんたい)感、食欲不振、といった感冒のような症状などが生じることから始まります。そして、ウイルスが中枢神経に広がるにつれて、不安感、恐水症(水への恐怖)および恐風症(冷たい風への恐怖)、興奮状態、まひ、幻覚、精神錯乱などの神経症状脳や中枢神経には進行性の致命的な炎症が生じます。これらの症状が生じると数日後には昏睡(こんすい)状態となり、死んでしまうのです。  残念ながら、狂犬病後の有効な治療法は現時点ではありません。感染しないようにするためには、旅行先などで不用意にイヌをはじめとした野生動物に近づかないという注意とともに、渡航前の狂犬病ワクチン接種が大切です。  4週間隔で2回接種、6~12ヶ月後に3回目の接種を行うことで、高い確率で免疫を得ることができ、狂犬病に対して1年から1年半の予防効果が期待できます。渡航前までに3回接種を終える時間がなさそうだ、という場合、2回だけでも接種して渡航しておくといいでしょう。  しかし、こちらから近づいてはいなくても、イヌにかまれてしまった、コウモリに襲われてしまった、なんてケースが起きてしまうことも十分考えられますよね。  渡航前にワクチンを接種していても、接種していなくても、渡航先で動物にかまれたり、引っかかれたり、なめられてしまったりぶつかった場合には、とにもかくにも、できるだけ早急に、大量の水で傷口を徹底的に洗うことが大切です。その上でワクチン接種が必要となりますので、すぐに病院を受診してください。  予防接種を受けていなかった場合、初回接種日を0日として、3日、7日、14日、30日、90日の計6回のワクチン接種による発症を予防することができると言われています。予防接種を受けていた場合も、接種初日と3日後の2回のワクチン接種が必要です。    発症すれば、ほぼ100%死亡する狂犬病。海外旅行へ行くことが決まった、行こうと思っているという方は、余裕を持って狂犬病ワクチンを接種していただきたいと思います。 ○山本佳奈(やまもと・かな) 1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
病気
dot. 2019/05/22 07:00
なぜ、娘と性交で「無罪」なのか? 被害者が明かす、実父の性暴力に抵抗できない理由
なぜ、娘と性交で「無罪」なのか? 被害者が明かす、実父の性暴力に抵抗できない理由
 2019年3月26日、実の娘(当時19)と性交したとして準強制性交等罪に問われていた男性被告に、一審・名古屋地裁岡崎支部は無罪判決を言い渡した。公判において、男性被告の弁護側は「娘は抵抗できない状態になく、性交にも同意があった」と主張していたという。  同じく実父により、13歳から7年間にわたって性暴力を受けていた女性がいる。性暴力被害者支援看護師として活動をする山本潤さんだ。山本さん自身も、状況的に抵抗が困難だったわけではないようにみえるにもかかわらず、被害に遭っているときは、父親に抵抗することが適わなかった。それは、なぜだったのか?  被害者だからこそわかる当時の心境を『13歳、「私」をなくした私』(朝日新聞出版)から紹介する。 *  *  *  あのことは私に何の影響も与えていない。そんなにひどいことはされていない、性被害であるはずがない。私は大丈夫、そう思いたかった。  その一方で、こんな目に遭っているのは私だけだとも思っていた。それに、もし私が父親から性的に触られたことがある人間だと知られたら、そんな異常な体験をした私は、石もて追われると信じ込んでいた。 ■なぜ逃げられなかった?  30代半ばに「トラウマ」という概念を学んでようやく、父のしたことがなぜそれほどまでに私を損ない、人生に大きな影響を与えるのかそのメカニズムを理解できたと思う。  トラウマになるような「死ぬかもしれない」と思わされる出来事に遭遇すると、人間の身体は生き残ることに全てを集中させる。脳のスイッチが切り替わり、人間がサバンナにいたころから用いてきた生き残り戦略が優先されるのだ。  そして逃げることも戦うこともできないとき、もう一つの自衛策としてフリーズ(凍りつき)が起こる。医学生物物理学博士で心理学博士であるピーター・リヴァイン氏は、フリーズ(凍りつき)も逃走や戦闘と同じように、生き残るためには普遍的で基本的なものだと述べている。  もし、サバンナでインパラがチーターに襲われ逃げられなかったとしたら、その土壇場でフリーズ(凍りつき)が起こる。インパラは地面に倒れこむ。それは、死んだふりをしているように見えるかもしれない。しかし実際には変性意識状態に入り、痛覚や知覚などの全ての感覚を下げ、チーターの鋭い歯や爪で引き裂かれている間、苦しまずにすむようにしているのだ。  この文章を読んだとき、野生動物は噛まれているときも痛そうな顔をしないと聞くが、こういうことが起こっているのかと感じた。  怖い気持ちが強すぎて、当時の私は抵抗することもできず凍りついていた。  その恐怖のエネルギーと痛みは私の身体にずっと残っている。  私はもう安全な場所にいるのに、被害のことを思い出したり考えたりするだけであのころに引き戻されて、息ができなくなったり、泣きそうになったり、体が震えだしたり、気分が悪くなったりする。  それは日常生活全般に及んでいて、性被害のニュースに触れたり、父と同じような体格や年齢、言動をする男性に接したりすることで心臓が喉元にせりあがってくるような気持ちになり、動悸や息切れに襲われることがよく起こった。  それでも、性被害のニュースなどには注目せずにはいられない強い引力を感じることもある。そうやって引きつけられてはダメージを受ける。その繰り返しだった。  だからこそ、普段は考えないように感じないようにし、男性にもなるべく近づかないようにして過ごしていた。それでも、症状は漏れ出てくる。 ■「私」をなくした私  被害を受けている間は、戦場にいるようなものだと思う。どうすれば逃れられるのか、これ以上ダメージを受けないためにはどうすればいいのか。  体は硬直し思考はすごい勢いで回転するけれど、空転しているだけでどうにもならない。頭では動かなければと思うけれど、筋肉は強張り、夢の中にいるように身体は思い通りにならない。心臓は早鐘のように打ち出し、呼吸は浅いのに拍動が2倍にも3倍にも大きく感じられる。  そんな緊張状態の中で、全身から血の気が引き、その血液がすとんと足元に落ち手足が硬直して冷たくなるのを感じる――。  こんな戦場からやっと逃げてこられたそのとき、逃げてきた自分の手や足がないことに気づいたとしたら……。自分の身体に大きな損失があるなんて、誰でも思いたくない。  私がなくしてしまったのは、自分自身だった。空が美しいと思えたり、季節の移り変わりを感じたり、好きな人に胸をときめかせる時間の代わりに私が得たのは、何を見ても無感覚で空っぽな感情、男性というだけで恐怖心がわき上がってくる心、自分が生きているかも死んでいるのかもわからない凍りついた感覚だった。  失ったものの大きさや、自分の歪んだ認識、生活のしづらさに気がつきながらも、なお被害を認めることはできないのだった。  しかし症状が出てきた以上、全てを遮断していた状態には戻れなかった。力がなくても前に進むしかない。  でも、それは痛みと向き合うことだった。
朝日新聞出版の本読書
dot. 2019/04/13 16:00
愛媛県・青島「猫の楽園」の未来 昨年の不妊・去勢手術後もトラブルがたえず…
愛媛県・青島「猫の楽園」の未来 昨年の不妊・去勢手術後もトラブルがたえず…
港を散歩する猫(撮影/瀬戸内みなみ)  2月22日は#猫の日。猫たちの楽園と今や世界的な人気となっている愛媛県の「猫島」。その来るべき未来について考えてみたい。 *  *  *  愛媛県大洲市の青島は、かなり特殊な「猫島」である。  まずは猫の数だ。島に一歩足を踏み入れたとたん、猫の大群が波のように押し寄せる。そしてつきまとって離れない。日本全国に「猫島」と呼ばれる、猫がたくさん暮らす小さな島は幾つもあるが、ここまでの迫力のあるところはそうそうない。 来訪者が猫に餌をやる場所は決まっている(撮影/瀬戸内みなみ)  豊かな自然に囲まれた静かな瀬戸内海の島に、のんびりのどかに暮らすたくさんのひと懐こい猫たち――そんなイメージがテレビや雑誌、そしてSNSで広まり、青島は数年前から一躍世界的に有名になった。今では猫を見るためだけに、国内外からたくさんのひとがやって来る。ゴールデンウィークやお盆の時期などは大変な騒ぎで、対岸の長浜から一日二往復だけ出ている定員三十四名の定期船に乗り切れないほどだ。  だがここは本当に、猫の楽園なのだろうか? 「あんたも猫を見に行くんか」  何度目かの青島訪問の際、定期連絡船「あおしま」に乗り込んだ筆者に向かって船員さんがいったことが忘れらない。 「いつも、思うんじゃ。今にこの連絡船が通らんようになったら、島の猫たちはいったいどうなるんか。間違いなく、もうすぐ連絡船はなくなる」  彼はいらだたしげにそう続けた。きっとこれまで能天気で無責任な訪問客たちに向かって、何度となくこの問いを繰り返してきたのだろう。答えが得られることなど期待はせずに。 定期連絡線のそばで(撮影/瀬戸内みなみ)  船がなくなるとき。それはつまり島からひとがいなくなり、無人島になるとき、ということだ。この懸念は決して大げさなものではない。  青島の人気が急激に高まった数年前には、島の人口は15人、そして猫は100匹以上といわれていた。だが入院や死去などで住民はどんどん減っていき、現在では3世帯6人にまでなっている。  言うまでもないことだが猫(一般に飼われているイエネコ)は野生動物ではなく、家畜である。ひとの住んでいないところに猫はいないし、たくさんいる地域でも、住民が減れば猫の数もだいたい減るものだ。ところが青島では違った。昨年10月、衝撃的な事実が発覚したのだ。なんと猫の数が200頭以上にまで増えていたのである。  愛媛県内で猫の保護活動をしているSさんは、以前から青島の状況に危機感を覚えていた。島民の平均年齢は70歳を超え、島で中心となって猫たちの面倒を見ているKさん夫妻も、負担の大きさと体力の不安を感じ始めている。もしもいつか本当に無人島になってしまったら、猫たちはいったいどうなってしまうのか。 餌をねだりに人間に近づく(撮影/瀬戸内みなみ) 「みんなで山のなかに入って小鳥やネズミを捕って暮らす、なんてことはあり得ません。ひとが食べものをやるから猫は生きていけるし、だからあんなに増えたんです」  とSさんはいう。  もし島からひとがいなくなっても、猫たちは誰かがやって来て、食べものをくれるのを待ち続けるだろう。これまでずっとそうしてきたのだ。そして年をとった猫、幼い猫、病気の猫と順々に、飢えて倒れ、死んでいくのだろう。しかし、そんな光景を見たい人間が、いったいこの世の中にいるだろうか?  しかも今や、青島は猫の島として世界中から注目を集めているのだ。  ほんの周囲4キロメートルの島のなかで、人間が暮らしていける平地は海沿いのわずかな場所しかない。そこに猫たちも密集して暮らしている。海に隔てられているから周辺地域との交流はなく、当然猫たちの間では近親交配が進むことになる。これによる健康上の問題も顕著になっていた。子猫たちのなかにはひょろひょろとして手足がか細く、目に異常のあるものも少なくない。たくさん生まれてもバタバタと死んでいくのだという。それでも猫たちは交尾し、子どもを産む。 春に生まれた子猫(撮影/瀬戸内みなみ)  だからまずは、猫がこれ以上繁殖して増えないよう、不妊・去勢手術をしなくてはいけない。それも全頭、一斉にだ。一対でもつがいが残れば、驚くほど繁殖力の強い猫はそこからまたあっという間に数を増やしてしまう。  そう考えたSさんは4年かけて粘り強く島民を説得し、大洲市に働きかけ、県内外に協力を呼びかけ続けた。そしてようやく昨年、大洲市は青島の猫問題のために予算を計上したのである。そして動物愛護団体「公益財団法人どうぶつ基金」と協力し、市のプロジェクトとして猫たちの一斉手術を行うことになったのだ。 「新しく生まれなければ、猫は必ず減っていきます。すぐにゼロにはなりませんが、数が限られてくれば、その後のことも考えられるようになる。キャットフードや寄付などはこれまでも島外のひとたちの善意に支えられてきましたが、手術が済めばもっとお願いしやすくなりますし、万が一のときには、みんなで手分けをして猫たちを島から出すこともできるでしょう。でも100頭もいたら、それはとても無理ですから」 青島の子猫。この子は元気そうだ(撮影/瀬戸内みなみ)  一斉手術は昨年10月に実施された。その当日島に上陸したのは、青島の猫問題解決のために奔走してきた大洲市市議会議員の弓逹(ゆだて)秀樹さんと市役所職員数名、獣医師3名、獣医師を派遣した公益財団法人どうぶつ基金のスタッフ。それからSさんをはじめとする、十数人のボランティアたちだ。  手術のための猫の捕獲が始まる。作業するボランティアはふだんから保護活動をしているひとが多いから、猫の扱いには慣れている。連携して手際よくことが進んでいく……と、悲鳴が上がったのはこのときだ。 「ケージが足りない。200匹以上いる!」  Sさんは島民のKさんといっしょに猫の数について事前に確認し、全体で160頭くらいだろうと計算していたという。だが結局は、毎日猫に餌をやり、猫のことを気にかけているひとでさえも把握できないほどの状況になっていたということだ。 若宮神社で雨宿りする猫(撮影/瀬戸内みなみ)  捕獲した猫を入れておくケージは急遽、島外の支援者に要請して数を増やし、作業を続行。翌日から獣医師による手術が始まった。予定では予備日を入れて3日間で完了させることになっていたが、開始後まもなく、台風の接近で翌日午後の船が欠航するかもしれないという情報が入ってきた。青島には旅館や商店どころか、自動販売機さえもないのだ。住民以外の参加者は全員、毎日対岸から通うことになっていたから、船が出ないということになれば猫たちの手術が中途半端に終わってしまう。ということは……。 「今夜は手術会場に泊まり込み! 徹夜してでも完了させます!」  その日の深夜、ようやく最後の1匹が終了した。それから関係者は全員着の身着のまま、1枚ずつ支給された災害時用の備蓄毛布にくるまって床に雑魚寝したのだった。 春に生まれた子猫(撮影/瀬戸内みなみ)  最終的に捕獲された数は210頭。うちすでに手術済みだった猫を除いた172頭を、一昼夜で手術するというハードなプロジェクトになったのだ。  翌朝早く、麻酔から覚めた猫たちをケージから放し、関係者は午前便の船に乗り込んで島を出た。朝の光の中でSさんと島民Kさんが手を取り合い、涙を流しながらプロジェクトの成功を喜んでいた。  Kさんはこのときこう話していたという。 「これまでは猫たちがかわいそうでした。ここで生まれた子猫たちはすぐ死ぬんですよ。オスに噛み殺されて、頭だけになったり、手足だけバラバラになっていたり。もうそんなの見るのはイヤなんです。メスも、ごはんを食べることもできないくらい、オスに囲まれて襲われ続けていたんです。オス同士はケンカして、ケガが絶えなくて。だから手術をすることでそんなことがなくなって、みんなが穏やかに暮らせるようになれば本当にうれしい」 人気猫・ドキンちゃん。片耳の先がカットされているのは手術済みの印(撮影/瀬戸内みなみ)  さて、これから青島はどうなっていくのだろうか。Kさんが望むような平和な日々が、すぐにやってくればいいのだが……。  猫に手術をして生殖の権利を奪うのは、人間のエゴだという意見もある。一面では確かにその通りだ。青島への訪問者たち、「青島ファン」からも、ほんの一部だがそんな声が上がっていたという。猫がかわいそうだ、そんなことをして島から猫がいなくなったらどうするのか。もちろん、部外者の無責任な意見に耳を傾ける必要はない。  だが問題なのは、当の島民の間にもどうやらそういう不満が残っているらしいということだ。島民全員の意向を確認したうえで、市はプロジェクトを実施したのにも関わらず、である。 手術済みで片耳の先をカットされた猫(撮影/瀬戸内みなみ)  昨年10月には210頭の猫が不妊・去勢手術済みであることが確認されたわけだが、実はそのほかに、未手術の猫が10数頭ほどいたことが後になってわかった。不満を持つ島民がこっそり隠していたのだ。  しかもその猫たちや島外からの支援で届けられるキャットフードなどをめぐって、現在トラブルが深刻化しているという。たった3世帯しかない狭い島でのこと、なんと厳しい状況なのだろう。 船着場で待つ猫(撮影/瀬戸内みなみ)  今では大洲市が住民の間に入っているそうだ。市に責任があるとは思わないが、問題に対応できるのも、市しかないのではないだろうか。青島は本当に特殊な「猫島」なのだから。  それでもやはりその本質は、普遍的なものなのかもしれない。人間のエゴと都合のぶつかり合い。複雑怪奇で、ときに泥沼化していく人間関係。そしてそれに振り回されて犠牲になるのは、いつも弱い立場にある猫たちなのだ。猫問題とは、つまり人間の問題にほかならない。  その意味でも、青島の未来はこれからも注目され続けるだろう。 (文と写真・瀬戸内みなみ)
ねこ動物
dot. 2019/02/22 17:01
天然痘からエボラ出血熱、エイズまで…多くの命を奪った病原体の歴史
天然痘からエボラ出血熱、エイズまで…多くの命を奪った病原体の歴史
インフルエンザ(写真:Gettyimages) エボラ出血熱(写真:Gettyimages) HIV(写真:Gettyimages)  2018年のノーベル医学生理学賞は「免疫」の研究をしている本庶佑さんたちが受賞。免疫は、私たちの健康にかかわる大切な体のはたらきだ。小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』2月号では「免疫」を特集。免疫とはどんなもので、どんなはたらきをしているのか、そのしくみを大調査している。ここでは、多くの人々の命を奪った代表的な病原体を紹介する。 *  *  * ■神のたたりが原因!?  人類の歴史は、病原体が、体の中に入って増えること(感染)で起こる「感染症」との戦いの歴史ともいえる。  病原体は、はるか昔から地球上に存在し、人類とともに生きてきた。そして、人類の文明が始まったころから、人々の集まるところに現れて感染症を引き起こし、数えきれないほどの人の命を奪ってきた。  一国の歴史だけでなく、世界の歴史の流れまで変えることすらあった。  ただ、当時は原因がわからず、神のたたりなどと考えられていた。 ■病原体を発見!  19世紀後半以降、科学の進歩により、細菌やウイルスといった病原体が原因であることがわかった。その結果、有効な治療法としてペストや結核などの細菌には抗生物質、天然痘やインフルエンザなどのウイルスにはワクチンが開発された。  しかし、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)やエボラウイルスといった新しい病原体などは完全な治療法がまだなく、今も多くの人が苦しんでいる。進化し続ける病原体と人類の戦いは終わっていない。 ■多くの命を奪った代表的な病原体 【人類vs.病原体(1)】 <ウイルス> 天然痘 ●人類が唯一、根絶に成功  人々の貿易・交流や戦争の発生とともに世界に広まった。非常に感染力が強く、かつては人類の10分の1が天然痘で死んだともいわれている。19世紀にワクチンが開発され、1980年には地上から根絶された。 [症状] 発熱のあと赤いぶつぶつが顔、腕、足を中心にでき、水ぶくれになって激しく痛む 【人類vs.病原体(2)】 <細菌> ペスト ●中世ヨーロッパで大流行  過去に3回、世界的に大流行した。14世紀のヨーロッパの大流行では人口の約3分の1が死んだ。ワクチンはない。20世紀に入り、抗生物質によって治療できるようになった。 [症状] リンパ節が腫れて痛み、紫がかったぶつぶつができる 【人類vs.病原体(3)】 <ウイルス> インフルエンザ ●毎年冬になると流行!  毎年、冬になるとはやる「季節性」と、何十年かに一度の大流行によって多くの犠牲者を出す「新型」とがある。20世紀にワクチンがつくられ、21世紀に抗ウイルス薬のタミフルやリレンザが開発された。鳥インフルエンザ(H5N1)が変異して起こる、「新型」の流行が恐れられている。[症状]  高熱や頭痛など、ウイルスの性質によってさまざま 【人類vs.病原体(4)】 <ウイルス> エボラ出血熱 ●もっとも危険なウイルス  1976年に中央アフリカで発見されて以降、繰り返し集団感染が発生している。有効な治療法や予防法はなく、地球上でもっとも危険なウイルスのひとつとされる。熱帯地方のコウモリにウイルスがひそみ、森の中の野生動物に感染しているが、その動物の死骸や生肉に触れると人にもうつる。 [症状]  嘔吐や下痢が続いた後、全身から出血 【人類vs.病原体(5)】 <ウイルス> HIV(ヒト免疫不全ウイルス) ●免疫細胞を破壊  免疫細胞の情報伝達官・ヘルパーT細胞を壊すため、ほかの免疫細胞も機能しなくなる。そのため、健康な人だと感染しない病原体にも感染してしまう。この状態を「エイズ(後天性免疫不全症候群)」という。感染者の血液や体液が粘膜や傷口から体内に入ると感染する。特に性行為による感染がもっとも多い。ワクチンはまだなく、治療薬のみ。 [症状] あらゆる感染症にかかりやすくなり、症状が重くなる。悪性リンパ腫などのがんを発症することも ■人への感染はどうやって広まる? <現代社会が感染を広げる>  発達した航空機や鉄道、自動車などの交通システムは、人だけでなく、病原体も運ぶ。国から国へ、これまでに存在していなかったような病原体が運ばれたり、人が密集する場所で人から人へと爆発的に感染したりすることが起こるようになった。 <野生の動植物のすみかに足を踏み入れた>  ウイルスなどの病原体は、もともと野生の動植物と共存し、ほとんどが無害だった。しかし、人間がそうい った病原体と動植物のすみかに足を踏み入れ、生活を始めたり、環境を破壊したりしたために、動物から人へのウイルス感染が起こるようになった。 【メモ】 細菌による病気の治療薬として抗生物質が使われますが、それに対抗するように抗生物質が効かない耐性菌も増え、問題になっています。 ※月刊ジュニアエラ 2019年2月号より
ジュニアエラ朝日新聞出版の本読書
AERA with Kids+ 2019/02/11 11:30
「狩りガール」が急増 “狩猟”に女性が魅せられるワケ
「狩りガール」が急増 “狩猟”に女性が魅せられるワケ
福井県高浜町の児玉千明さん 北海道むかわ町の本川哲代さん  一見すると超男社会と思われがちな狩猟の世界でも、女子の進出が増えている。山を駆け回り、危険とも隣り合わせで、仕留めた獲物を山から引きずりおろしてくる女性たち。趣味としてや野生動物の駆除、動物好きなど動機はさまざまで、高齢化で減少する狩猟者の世界を活気づかせている。 *  *  *  美容師の児玉千明さんは25歳で大阪から福井県高浜町へUターンした。2015年には最年少の26歳で町議会議員となった。その間、銃免許を25歳で取得した。 「田舎で暇だった。日本海側は冬に天気が悪くて、することがなく、冬の趣味がほしかった」  児玉さんは山に一人で入ることが多く、シカやイノシシを撃つ。獲物は軽トラックまで運び、自らさばいて食べている。  都内に住む30代のOL、有賀千春さんは射撃に興味があった。クレー射撃に取り組もうとしていたが、狩猟関係者の勧めで狩猟をすると決意。なじみがなかったので、冬の猟期には北海道を訪ね、釧路を拠点にエゾシカを撃つ猟師に同行することを5年ほど続けた。昨年、ついに銃免許を取得。現在は千葉県で猟友会メンバーとシカやイノシシ、カモを撃っている。 「猟期の週末は猟に出かけっぱなし。獲物は仲間と分けて持って帰ることが多い。狩猟はずっと続けたい」  猟師が高齢化し減少するなか、最近は女性が増えている。大日本猟友会の会員数は1978年度42万4820人のピークから減少傾向だったが、17年度は10万5786人と前年度に比べ528人増加。女性会員は15年度1183人、16年度1571人、17年度1908人と増加し、全体を底上げしている。  狩猟の世界に若い人が入らず、3分の2が60歳以上で、大日本猟友会は危機感を持っている。「山ガール」ブームにヒントを得て、ここ数年は「狩りガール」のキャンペーンを展開し、女性に浸透しつつある。  趣味として狩猟をする女性もいる一方、野生動物の農作物被害が増え、駆除に立ち上がる女性もいる。  三重県大台町でオートキャンプ場の管理人をする瀬古愛弥さん。7~8年前の20代初め、銃免許を取得した。地元は庭先の植物をシカが食べていくところで、農作物を守るためシカやイノシシなどを駆除する猟師になった。自分で3代目という猟師一家だ。仲間と猟に出て、シカやイノシシは解体し食べている。地元のほか、鳥羽方面の答志島でも活動する。 「イノシシは海をわたり答志島に来たようだ。島にエサが少なく、以前は骨ばった姿だったが、かなり駆除して、最近はまともな姿になってきている。数も減って、観光客も安心して散歩できるようになった」  瀬古さんによると、獲物の解体は3~4人で3~4時間かかる。男性の作業は粗っぽいが、女性は処理がきれいと重宝されている。  最近は各地でイノシシやシカ、クマが畑を荒らし、人里に出てきて、人を襲う被害も出ている。野生動物が増えているのは、温暖化で積雪が減り、冬に死なず越冬するようになったため。また、以前は希少で保護を優先した法制面の問題もある。さらに、農林業者の高齢化や減少で農山村が衰退し、耕作放棄された果樹園や畑がエサ場となり、人がいなくなり野生動物が人を怖がらなくなったという。  猟師のすそ野を広げる動きは大学にも出ている。早稲田大学で昨年4月、狩り部というサークルを立ち上げ、顧問に人間・環境学が専門の岩井雪乃准教授が就任した。部員は16人で、うち女性が3人。料理、ジビエ好きが多いという。  岩井さんによると、9月初旬に千葉県君津市で「学生狩猟サミット」があった。酪農学園大学や東京農工大学、東京大学、奈良女子大学、三重大学、高知大学、九州大学など十数大学の狩猟団体が集い、狩猟や地域課題を議論した。参加者は30人ほどで女性が3分の1ぐらい。学生時代に狩猟に関心を持ったことで狩猟者になる女性も増えそうだ。  女性狩猟者には動物好きもいる。北海道で最大震度7を記録した9月の地震の震源地近く、むかわ町で猟師をするのは本川哲代さん。小学6年生のとき家の事情で愛犬を手放し、保健所へ連れていった体験がいまも強く心に残る。猟師の高齢化や減少というテレビ報道で、シカを殺すのを見てかわいそうになったという。  数が多くなりすぎ悪者扱いされるシカへの強い愛情が、数を減らせば悪者扱いされなくなると本川さんを猟師に駆り立てた。11年に38歳で会社を辞め、札幌で農業を学びながら銃免許を取得。「親分」と呼ぶ先輩猟師の紹介で、むかわ町に移住。親分のもとエゾシカ猟をして、「むかわのジビエ」代表としてシカの解体処理にも携わる。 「シカにはいっぱい愛情をかけていて、肉になってもいとおしい。シカを殺し食べることは、私にとって償い。食べることで体の中で生きてもらう」  長野県泰阜村で「けもかわプロジェクト」代表を務める井野春香さんも、小さいころから動物好き。郷里の熊本の高校では畜産科で学んだ。島根大学生物資源科学部に進学した際、アルバイトが猟師へのきっかけとなった。駆除期間に猟師が捕ってきたシカを、山の解体現場で体重を量るなど手伝う仕事だ。 「おじいちゃん猟師たちが山を駆け回っていて、すごいなあと思った」  井野さんが銃免許を取得したのは4年ほど前の20代半ば。数人の仲間とシカを中心にイノシシも捕る。肉を扱うところは多いが、誰も扱わない皮の活用から始めようと「けもかわプロジェクト」に取り組む。  井野さんによると、最近は近隣でも女性が狩猟の世界へ入ってきており、ジビエへの興味や、狩猟を取り上げた本や漫画を見て関心を持った人たちだという。  NPO「いのちの里京都村」事務局長の林利栄子さんは5年ほど前の20代半ばに銃免許を取得した。大阪で生命保険会社の営業をしていたが、仕事が合っていないと辞め、現在のNPOに転職。京都府内の地域物産を企業につなぐなど農村と都市部を結びつける仕事だ。地域のことを何も知らないまま仕事を始め、猟師なら週末に山に入れると勧められたのがきっかけ。猟期の毎週日曜は仲間とシカやイノシシを捕る。  女性から見た猟師について、早大准教授の岩井さんは経験と知識の奥深さから「かっこいいなあ、すごいなあ」と話す。猟師はけもの道で足跡を見分け、交差点もわかるのは驚きで、いつも通る道、季節により一時的に通る道まで見分けるという。どこで水を飲むのか、植物や天候、地形などあらゆる知識がないと野生動物は捕れないと話す。  岩井さん自身も狩猟者になった。夫が脱サラして千葉県鴨川市で農業を始めたが、イノシシが作物を全滅させた。岩井さんは駆除に立ち上がり、3年前に、わな免許を取得している。  女性が狩猟を始める動機はさまざまだ。大日本猟友会の浅野能昭専務理事は女性狩猟者が増えている理由について、農作物被害に農家の女性や、社会的貢献として一般女性が立ち上がっているほか、ジビエブームで関心を持つ女性が増えていると指摘。男社会の猟友会に女性が入ると「高齢猟師がもう少しがんばろうと引退を撤回するなど活性化につながっている」という。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日  2018年11月16日号
週刊朝日 2018/11/12 11:30
心が折れそうなとき「悲しみに寄り添ってくれる本」10選
心が折れそうなとき「悲しみに寄り添ってくれる本」10選
『へろへろ雑誌「ヨレヨレ」と「宅老所よりあい」の人々』鹿子裕文著/ナナロク社:介護の現場を舞台に、どんな困難も知恵を出し乗り越えてゆく人々の姿に勇気をもらえる  大切な人との死別、病とともに生きること、犯罪の被害に遭った時、どこにも行き場がない時……。そんなときに寄り添ってくれる本がある。 *  *  * ●『へろへろ雑誌「ヨレヨレ」と「宅老所よりあい」の人々』 鹿子裕文著/ナナロク社 介護の現場を舞台に、どんな困難も知恵を出し乗り越えてゆく人々の姿に勇気をもらえる ●『悲しんでいい大災害とグリーフケア』 高木慶子著/NHK出版新書 長らく心のケアに携わってきた著者が、その豊富な経験をもとに、悲しみと寄り添い乗り越える手段を説く ●『さよならもいわずに』 上野顕太郎著/エンターブレイン 漫画家・上野顕太郎と最愛の妻との最後の日々。残されたものの「悲しみ」をあらゆる技巧で表現した真実の物語 ●『弟の夫』(全4巻) 田亀源五郎著/双葉社 父子家庭の親子のもとへ、弟の「夫」が訪ねてくる。喪失や偏見が融解し、心を重ね合わせていく様子を丁寧に描く ●『カラフル』 森絵都著/文春文庫 命を失った主人公がある中学生の人生を歩むことで、見えてきた世界。思い込みを変える勇気を持ちたくなる ●『絶望名人カフカの人生論』 頭木弘樹編訳/新潮文庫 人を前に進めるのは、前向きな言葉だけとは限らない。あの文豪でさえも絶望の日々だったということが時に背中を押す ●『それでも人生にイエスと言う』 V.E.フランクル著/春秋社 精神医学者で、強制収容所での日々を書いた『夜と霧』の著者が、平易な言葉で生きる意味と価値を語った講演集 ●『悲しみの秘義』 若松英輔著/ナナロク社 著者の琴線に触れた、挫折や死別などの「悲しみ」の言葉たち。優しくも美しい文章でつづられる25編のエッセーに心ゆさぶられる ●『新装版 Alaska 風のような物語』 星野道夫著/小学館 アラスカの雄大な自然と表情豊かな野生動物、人々の暮らしに迫る写真文集。温かなまなざしに触れ、深呼吸が生まれる ●『悲しい本』 M・ローゼン作/Q・ブレイク絵 谷川俊太郎訳/あかね書房 大切な人を亡くしたら、何をしても悲しみから逃れられない。深い悲しみから目をそらさず、その先の慰めを描いた絵本 ※AERA 2018年10月15日号
読書
AERA 2018/10/13 16:00
いよいよ9月も終わりに、第四十七候「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」とはどんな季節?
いよいよ9月も終わりに、第四十七候「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」とはどんな季節?
難しい字ですね。でも「啓蟄」なら知っていますね。春に冬ごもりを終えて虫たちが土から這い出してくる時期です。春から夏にかけて大地に出て活動していた虫たちが冬支度をはじめるのがこの時期、それが「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」なのです。秋はこれから、という時にもう冬ごもりの支度? と驚くかもしれませんが、長い冬を越すのは野生動物たちにとっては命をつなぐ大事業なのです。秋のこの時期は動物たちにとって大切な役割を果たしているんですよ。 動物たちの冬ごもりは生死の戦い、生き延びるために必要なものは何? 冬支度に大切なのは何といっても食べ物ですね。冬眠することで知られている熊は肉食もしますが、主流は草と葉っぱやいちご類そして夏は昆虫を食べています。ところが秋になると食べ物は大きく変わり、どんぐりといった木の実を中心に旺盛な食欲を発揮して長い冬にそなえるということです。秋の山の豊かな実りをお腹いっぱい食べて太り、飲まず食わずの冬眠にはいるのです。 どんぐり、といえばリスがどんぐりの実を両手でもって囓る姿は愛らしく、リスらしい姿としておなじみです。リスはクマと違い眠り続けるのではなく、時々起きて冬眠用に貯蔵しておいたどんぐりなどを食べ排泄もしているということです。 動物それぞれの冬眠がありますが共通しているのは木の実、私たちも木の実は栄養価が高く身体にいいと言われています。木の実は土中に落ちればやがて双葉が出て、何年何十年と成長していく木々の生命が育つ養分が詰まっているのです。これをしっかり食べて冬を越すのは動物たちの生きる本能がもつ知恵というわけですね。 秋の里山は生きるものすべてに、冬を越すために必要な食べ物を用意してくれています。まさに宝の山だと気づかされます。 参考:環境省「クマに注意!」どんぐりの実 私たちにも身近な木の実がありますね、ピーナッツもそのひとつです ピーナッツは柿の種といっしょに食べるほかにもクリームにしてパンに付けたり、ビールのおつまみとしては定番です。ところでピーナツはどんな風に実をつけるのかご存じですか? 写真はピーナッツの収穫の一場面です。草の根っこのところにある粒がみんなピーナッツ、つまり土の中で実を結びます。漢字では「落花生」と書きますが、これを見るとピーナツのできかたが何となく理解できますね。果実はみな花が咲いて実がなります。普通は花のあとに実を付けますが、ピーナツはそれが地中に伸びて実になる、という珍しい実のつけ方をするのです。根っこについた<さや>にピーナッツは入っています。土から抜き<さや>を下にして乾燥させて収穫します。お米の収穫の時に作る<藁ぼっち>のように山積みするそうです。産地ではピーナツの<ぼっち>が点々としている畑に、秋の情景を見ることができそうです。 取れたてピーナッツは茹でて枝豆のように食べることができます。乾燥している食べ慣れたピーナツと違い、軟らかな口当たりはまた違う味わいと美味しさがあります。食べてみてください、本当に驚きますよ。これは産地でしか味わえないと思っていましたが、最近茹でピーナツとして冷凍されて出まわっているようです。茹でたてピーナツを食べられるチャンスがありましたら是非試して下さい。新しい味に出会えること請け合いです。ピーナッツの収穫 よく食べる「クルミ」の実はどんな風に木に生るかしら? ピーナツの殻とよんでいるあの瓢箪形は、実は軟らかい<さや>だったんですね。そう考えながら頭に浮かんだのはバレエ「くるみ割り人形」でも有名なクルミです。この人形は硬い殻を割る道具です。そんな道具がいるくらい硬いクルミはどんな風に木に生っているのでしょうか? クルミはクルミの木に雄花と雌花が咲き受粉して実を結びます。青い実です。丸くてちょっと硬そうなしっかりした感じです。私たちが知っているゴツゴツしたあの殻のクルミは青い実につつまれた種のようです。実が熟して落ち腐っていけば自然とクルミは中から出て来ますが、青い実からクルミを取り出す時は、水につけて実を腐らせるということです。子供の頃梅干しの種を口にいれてなめ続けたことはありませんか? なめたり噛んだりしていると種が軟らかくなり、あるときヒョンと種が割れると中から小さな種がもうひとつ出てきます。天神様、などといって楽しみましたが、クルミの実は正にあの天神様とおなじ。種の中の実。次の世代のためのクルミの養分がつまったもの。大切なものだからしっかりと硬い殻に包まれているんですね。 食欲の秋はクマやリスなど冬を眠って過ごす動物だけでなく、冬の寒さを乗り越えるためには人間にとっても大切な時期だということがわかります。身の回りにいつでも食べ物のある私たちは、ピーナツやクルミといった栄養たっぷりの木の実など食べ過ぎないように気をつけることも、必要ではないでしょうか。私たちも食欲の秋、実りの秋をおいしくいただいて冬支度を!
tenki.jp 2018/09/28 00:00
二十四節気「秋分」考。現代人はなぜヒガンバナに魅せられるのか
二十四節気「秋分」考。現代人はなぜヒガンバナに魅せられるのか
9月23日より二十四節気「秋分」となります。またその初日は祝日「秋分の日」であり、この日を中心に前後三日を合わせた七日間がいわゆる「お彼岸」です。同じく「春分」の初日を中心とした七日間とともに、お彼岸には先祖供養のために墓参をする風習が現代でも存続していますね。これは古い天道(てんとう)信仰が仏教に吸収習合された日本ならではの習俗。天道信仰、そして彼岸とは?そして、秋の彼岸でひときわ存在感を放つあの花について解説します。 秋分には天の門が開く? 春分と秋分(二分)には昼夜の時間が同じになる、と解説されますが、厳密には大気の屈折率や太陽の地球から見た直径分などで、日本の緯度では約十数分昼の時間が長くなり、実際に昼夜の時間差がもっとも少なくなるのは春分の場合は春の彼岸の入り直前の日(春分の日の四日前)、秋分の場合は彼岸明け直後の日(秋分の日の四日後)となります。ではその日が春分・秋分になるのではないか、というとそうではなく、春分と秋分の日には太陽が真東の方角から昇り、真西の方角に沈むのです。このことが、この両日が特別な意味を持つ大切な日である理由です。 天空には、天の赤道(地球上の赤道を垂直に空に伸ばしていき、天球につきあたった場所)と、天の黄道(太陽の公転周期により、太陽が一年かけて移動していくルート)とがあり、この二つの巨大なリングは地球の自転軸の太陽に向けての傾きの分だけずれています。そして天の赤道と天の黄道が交接する箇所が、春分と秋分なのです。天動説だった時代には、この二箇所は、この世(此岸)とあの世(彼岸)に通じるゲート(出入り口、門)と考えられ、この門に太陽が位置するとき、この世にありながらあの世と接続できる、と信じられてきたのです。 春分と秋分には、太陽が真西から穢土(此岸)を西方の彼方にある浄土(彼岸)に向けて照らし、浄土からのお迎え(来迎)に導く。つまり彼岸にあると言われる極楽浄土の世界への転生が聞き届けられる日、とされたのです。 日本では、先史時代から続いてきた独自の太陽信仰と、道教の天道思想・仏教の涅槃思想とが結びつき、中世から近世にかけて庶民の間で「天道念仏」と呼ばれる信仰行事が盛んになりました。各地によりバリエーションがありますが彼岸の日に「南無阿弥陀仏」を唱えながら鉦と締太鼓の調子に合わせて輪になって踊り、また太陽の運行に合わせて集落の東、南、西と寺を巡り念仏を唱えて回りました。現在では、主なところで対馬(長崎県)、播磨地方(兵庫県)、北総地方(千葉県)などで天道念仏の風習が残っています。 秋彼岸のシンボル・ヒガンバナ。いつどこから来たかわかっていません 単に「彼岸」という場合、季語が春になり、春彼岸のほうがメジャーな印象がありますが、花に関しては秋のほうに軍配が上がります。春分草という草は存在しないのに、秋分草は存在します。そして、知らない人はいないであろう、秋彼岸の時期に毎年咲き出す真紅のヒガンバナ。 でもよく知られている植物にもかかわらず、実は日本文化・社会とこの花との関わりは、よくわかっていないことが多いのです。 キジカクシ目ヒガンバナ科に属するヒガンバナ(Lycoris radiata)は、染色体が三倍体で不稔性が強く、ごくまれに種子を創ることはあっても、日本に繁殖するヒガンバナのほとんどは根によって増殖したクローンだといわれています。水田の畦、川土手、里山の林道、祠・路傍の石仏の周囲や寺の境内、そして墓地のような人里の環境に限って生育する典型的な人里植物です。在来種ではなく大陸由来の帰化植物であることはわかっていますが、いつごろ日本に渡ってきたのかわかっていません。というのも、江戸時代以前の上代、中世の残存する文献には、一切ヒガンバナに関する記述が見当たらないからです。万葉集に所収されている柿本人麿作ともいわれる一首「路の邊のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は(巻11‐2480)」、この謎の花「いちしの花」がヒガンバナのことである、と植物学の大家・牧野富太郎が1952年に提唱し、このため「奈良時代にもヒガンバナはあった」という説が一時主流となりましたが、現在では「いちしろく」の「しろく」を明るい=赤と読んで赤い花とするには、万葉集の「いちしろく」の別箇所での使用例がすべて白に当てられていることから妥当性が低いと考えられるようになりました。 ヒガンバナが明確に「曼珠沙華」として文献に登場するのは室町時代になってからで、室町時代には、インド原産の珍しいあでやかな花として珍重されていたようです。 これが、江戸期に入ると「本草綱目」や「和漢三才図会」などに取り上げられ、次第に巷に知られる花となって行きました。おそらくその頃全国の農村に伝播し、各地でさまざまな呼び名をつけられるようになりました。1000を超えるとも言われるヒガンバナの別名の異常な数多さは、愛され親しまれていたからではなく、普及が比較的遅く(江戸前期から中期)、また急速に広まったため、各地域で好き勝手な名前がつけられたためだと思われます。 江戸時代、土葬の広まりとともに全草に毒のあるヒガンバナが野生動物の墓荒らしの防御のために墓場に盛んに植栽されたことから、次第に不祝儀な花、忌まわしい花になっていきました。 弁柄の 毒々しさよ 曼珠沙華 (森川許六) 長く上向きにのびたヒガンバナの蕊(しべ)を、ヘビの長い舌に見立てて気味悪がったり、墓地に目立つことから死人花、地獄花、幽霊花、墓花などの名もつけられました。彼岸花という名も、墓参りとの関連からつけられたものでしょう。 また、毒草であることから、ユリ科のツルボ(すみら)や同じヒガンバナ科のニラ(くくみら)など、葉のすらりとした単子葉植物全般につけられる「みら」に毒を冠して「ドクスミラ」などとも名づけられています。江戸期においては、総体的にはあまりイメージのよくない花として、絵画にもほとんど登場しないことから、美意識的な訴求力はさほどなかったようです。 ヒガンバナの咲き乱れる光景は都市生活者の思い描く「幻影の故郷」である 昔ながらの農村で咲く彼岸花の開花風景を求めて出かけてみると、地権者の農家の方によって他の雑草とともに容赦なく刈り取られて廃棄されているのを見かけることもしばしばです。咲いていればさぞ見事だっただろうにと思うのは都市生活者の感慨で、農家にとっては、モグラなどの害獣除けと土手の強化に根が地中に張っていれば問題なく、花に対しての思い入れはさほどないようです。このドライな感覚は、おそらく江戸時代の人々と同じものでしょう。 ヒガンバナは、都市生活者が日本の原風景的な「田舎」「農村」を思い描くとき、ぞくりとする美しさをもってたちあらわれてくるものなのではないでしょうか。 これは、日本全体が近代化=都市文明化がはじまった明治以降、ヒガンバナが文学のジャンルで突然脚光を浴びることになったことと合致します。正岡子規、河東碧梧桐、夏目漱石、北原白秋、種田山頭火、伊藤左千夫、古泉千樫、斉藤茂吉などの文人がこぞってヒガンバナを詩歌に詠み、このことにより独特の情緒をかきたてる花のイメージが創出されました。 きんいろの 日光すみて壕向う 静けき土手の 曼珠沙華の華 (古泉千樫) この歌では忌まわしいイメージを払拭するように、明るい秋の陽光のもとにヒガンバナを歌い上げています。一方で 彼岸花さくふるさとは お墓のあるばかり ここを墓場とし 曼珠沙華燃ゆる   (種田山頭火) のように、墓、死、寺と結びついたややゴシック風味に誇張されたイメージも形成されました。そして昭和初期の「新・秋の七草」ではヒガンバナが選出されたことは、その頃には秋の花の中でも代表的な地位を得るほどになっていたことをうかがわせます。戦後は、絵画作品や映画、ドラマ、アニメーションなどにもたびたび登場し、特に村里の秋の風景の欠かせないアイテムとして印象が強くなりました。うねうねとヘビのように連なる田んぼの畦を、まるで血管のように赤く染めていくヒガンバナの群落は、村落共同体の血縁の絆のようにも、農民たちが施政者の圧制に苦しみ、流してきた血のようにも見えます。根無し草のようにアイデンティティの喪失におびえる都市生活者の心は、因習にとらわれた村里を忌まわしく恐怖すると同時に、その忌まわしさも含めて懐かしさをおぼえ、幻想の中の故郷の風景の象徴としてのヒガンバナに、強く魅せられるようになったのではないでしょうか。 近年では、ヒガンバナの大群落が観光地化し、ときに自治体が名物として推す傾向も強くなってきていますね。一見、純粋にヒガンバナの花としての美しさやあでやかさを鑑賞できるようになったのかとも思えますが、かといって自宅の庭一面に曼珠沙華を植える人はいませんよね。やはり、遠くの別世界=彼岸に咲いていてほしい花であることはそうそう変わらないようです。現代でもヒガンバナはまさに「彼岸の花」であると言っていいでしょう。 (参考) ヒガンバナの博物誌 (栗田子郎 研成社)
tenki.jp 2018/09/23 00:00
映画『皇帝ペンギン』監督が送る続編、12年後の南極の姿とは
映画『皇帝ペンギン』監督が送る続編、12年後の南極の姿とは
Luc Jacquet/1967年生まれ。フランスの映画監督。生物学の高等教育修了後、南極にあるデュモン・デュルヴィル基地で14カ月にわたる越冬を経験し「皇帝ペンギン」を撮影。2010年、NGOワイルド・タッチを設立(撮影/植田真紗美) 「皇帝ペンギン ただいま」/米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した前作「皇帝ペンギン」(2005)の続編。全国順次公開中 (c)BONNE PIOCHE CINEMA - PAPRIKA FILMS - 2016 「きつねと私の12か月」/発売元:コムストック・グループ、販売元:ポニーキャニオン、価格3800円+税/DVD発売中 (c)Bonne Pioche Productions - France 3 Cinema - 2007  AERAで連載中の「いま観るシネマ」では、毎週、数多く公開されている映画の中から、いま観ておくべき作品の舞台裏を監督や演者に直接インタビューして紹介。「もう1本 おすすめDVD」では、あわせて観て欲しい1本をセレクトしています。 *  *  * ■いま観るシネマ 「前作『皇帝ペンギン』を撮ったあと、南極には何回か行ったけれど、彼らの繁殖地に入ったのは10年ぶり。繁殖地で皇帝ペンギンたちを見たときには、予想していなかった、特別な感情がわきおこってきたよ。一言で言えば『会いたかった』という気持ちだな」  そう語るのはリュック・ジャケ監督。デビュー作「皇帝ペンギン」は、「世界で最も過酷な子育てをする鳥」と呼ばれる皇帝ペンギンの1年を丁寧に追いかけ、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞をはじめ、数々の栄誉ある賞に輝いた。  前作でタキシードを着たような皇帝ペンギンの不思議な生態を知った人は多いだろう。零下40度、時速250キロというブリザードが吹き荒れる真冬の南極で、オスは2カ月ものあいだ立ったまま、自らの足の上にタマゴをのせて温め続けるのだ! 「前作を撮ってから12年経ったあいだに、撮影技術は驚くほど進歩しました。今回は水中写真家で海洋生物学者のローラン・バレスタ、野生動物写真家のヴァンサン・ムニエ、ダイバーのヤニック・ジャンティなどにも参加してもらい、4Kカメラとドローンも使っています。新しい映像は緻密で繊細、そしてダイナミックになりましたよ」  画面からはペンギンの柔らかな羽毛や青い空を映した南極の氷山など、これまでに観たことがなかった映像が展開する。  とりわけ水温マイナス2度、水深100メートルの海を無呼吸で潜水し、飛ぶように狩りをする皇帝ペンギンの姿は圧巻だ。  だが、躍動的な皇帝ペンギンたちが暮らす南極の環境は、地球温暖化の影響で年々厳しくなっている。 「今回の撮影で初めて、雨が降りました。これは驚くべきことです。皇帝ペンギンのヒナの羽毛には防水機能がありません。雨に濡れたあとの寒さで、死んでしまうヒナが多いのです」  生命力にあふれたペンギンたちに感動すればするほど、南極という類いまれな自然環境を破壊している人類の現状を考えさせられる。どんな解決策があるのか。野生動物が生き続けられる地球に私たちは住んでいるのだろうか。 ◎「皇帝ペンギン ただいま」 米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した前作「皇帝ペンギン」(2005)の続編。全国順次公開中。 ■もう1本 おすすめDVD「きつねと私の12か月」  白く厳しい世界である南極を舞台にした「皇帝ペンギン」の対極にあるような、豊かな色彩にあふれる自然を舞台にしたのが、ジャケ監督の「きつねと私の12か月」。フランス・アルプス地方の四季を背景に、野生のきつねと少女の一年を追いかけた作品だ。  フランスの山深い村に暮らす少女・リラは、ある日、学校帰りに野生のきつねに会う。とび色の毛皮におおわれ、つぶらな瞳を持つきつねに、リラは恋に落ち、「テトゥ」と名付ける。警戒心が強い野生のきつねは、なかなか姿を現さないが、リラは毎日、森へと通う。春がやってきて、母親になったテトゥに再会するリラ。少しずつ慣れてきたテトゥに、リラはしてはいけないことをしてしまう……。  動物行動学者でもあるジャケ監督は、熊や狼、さまざまな森の動物も描きだす。きつねに夢中になるリラを通じて、自然とはなにか、自然が人間を惹きつけるのはなぜか。そして人間が守るべき姿についても、静かに示してくれる作品だ。 ◎「きつねと私の12か月」 発売元:コムストック・グループ 販売元:ポニーキャニオン 価格3800円+税/DVD発売中 (ライター・矢内裕子) ※AERA 2018年9月3日号
AERA 2018/09/02 11:30
8月16日は月遅れ盆の最終日。送り火にこめられた信仰とは?
8月16日は月遅れ盆の最終日。送り火にこめられた信仰とは?
8月16日は、多くの地域でお盆明けにあたり、送り火が焚かれる日となります。懐かしい我が家で数日を過ごした故人を、送り火を焚いてふたたびあの世へと送り出します。でも、どうして8月16日?どうして火を焚くの?そもそもどうしてお盆の季節は8月13日から16日?そういえば新盆っていうのもあったような?ややこしくてちょっとよくわからないお盆について、ちょっと詳しく解説してみましょう。京都五山の送り火 旧盆・新盆・月遅れ盆・盂蘭盆。ややこしい「お盆」用語をまずは整理しましょう 「盆暮れ正月」「盆と正月が一緒に来た」「盆踊り」などの成語ことわざ・行事を見ても、正月と並び立つほど重要な日であるととらえられてきたことがわかるお盆。でも「実家に帰省する夏休みのイベント」「ご先祖様が家に帰ってくるイベント」とはわかっていても、なぜ夏のこの時期なのか、どうして故人が帰ってくるのかなど、考えてみると理由がわかりませんよね。 しかも、お盆にも七月と八月があって、新だとか旧だとか聞くとさらにややこしい。そこに「うら盆」などと聞くと「ん?おもて盆もあるの?じゃあ七月のお盆が表で八月が裏のお盆=うら盆?」とか考えてしまう人もいるとか。 「うら盆」は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」で、お盆の正式名です。「盂蘭盆」とは三世紀ごろの中国で成立した儒教的道徳を教えるための仏教経典のていを取った「仏説盂蘭盆経」から来ています。修行者目連が、その神通力で亡くなった実母が冥界で餓鬼として苦しんでいる様子を透視し、救うために手を尽くしますがどうしても母親は救えません。お釈迦様に教えを請うと、「すべての救われないものの為に供養をする心で祈れば救われる、と説き、その通りにすると母親も地獄の責め苦から救われた、といういきさつを語ったものです。この親孝行の象徴的な物語が民間に浸透し、盂蘭盆経信仰は次第に中元節とむすびついて、「盂蘭節」となっていきました。お中元の語源でもある「中元節」とは、旧暦7月15日にあたり、死者があの世からこの世に出てくる期間であるために丁重にお迎えしてもてなす行事。この行事が日本に伝わり「お盆」となっていきました。 明治以前の太陰暦だった時代には、この盂蘭盆会(中元節)は太陰暦(旧暦)の文月の満月の日、つまり7月15日でした。明治政府が西洋に倣い太陽暦を採用した際、今後お盆は新暦の7月15日とするように、と通達しました。東京近郊の都市部などはこのため新暦のお盆、つまり現代の暦の7月15日をお盆とする地域が出てきましたが、地方ではその通達も十分行き届かず、そのまま旧暦のお盆の日にちを踏襲していました。 けれどもカレンダーや新聞などの日付と旧暦のずれの不便が次第に問題となり、それならと旧暦のお盆の日付に近い8月15日を「月遅れ盆」として丸ごと一ヶ月ずらして行われるようになりました。 つまり「新盆」は毎年7月15日を中心とした7月13~16日、「月遅れ盆」は毎年8月15日を中心とした8月13~16日、そして「旧盆」は今年は8月25日を中心にした前後の期間、ということになります。送り火 迎え火 本来お盆は一ヶ月続く! 現代の風習では、15日の二日前、13日に墓所などの祖霊のいる場所に一族もしくは代表者が赴いてちょうちんをかざして祖霊をお迎えし、お盆の翌日の16日に今度は送り火でふたたびあの世に帰ってもらう、と言うものが一般的。 けれども本来、お盆は旧暦の7月の間続く長いものでした。先述したとおり旧暦七月は別名「鬼月」また「鬼節」と呼ばれ、旧暦の一月と七月は閉じられていた冥界の出入り口が開き、月が閉じる三十日まで一ヶ月間この世に死者たちがさまよい出てくるという言い伝えがあります。「鬼」というのは、あの昔話に出てくる悪い妖怪ではなく、本来死者の魂全般を指す言葉です。「魂」にも鬼の字が入っていますよね。 ですから、かつてはお盆も旧暦七月の間ずっと続くものでした。岩手県の花巻では、現代でも長く続く昔ながらのお盆のかたちが残存する地域。日にちの設定こそ「月遅れ盆」で行われますが、そのはじまりは8月7日。これを「ナヌカビ」と呼び、墓地の清掃を行った後、一族全員で墓参りをします。なぜ七日なのかは、「七日帰り」という習俗信仰と関係があるものと思われます。人は死ぬと、七日目に一度家に帰ってくる、とかつて日本では信じられていたのです。ですから故人が死んで七日目には自宅の縁側に編み笠姿の三本足の依代人形を作って供えておき、日付が変わる深夜12時に人形を村はずれまでもって行き置き去りにします。死者は人形とともにを送り返されるのです。こうした信仰のため、旧暦7月、つまり月遅れで8月の1日に地獄の釜の蓋が開くと、七日かけて故郷に帰ってくる、ということになります。墓所はいわば死者と生者の待ち合わせスポット。墓石の上に干し昆布をたらし、墓前には松根を炊き、「オフカシ」という赤飯や青果類、煮物などの供物を供え、そのまま放置。貧者や野生動物の食べるに任せます。14~16日はお盆の中心で、連日夕方に家族の誰かが墓参りをします。また、14日以降の夜には「カドヒ(門火)」と称して連日必ず火をたきます。20日は「ハツカボン」で寺での施餓鬼供養が行われ、30日の「送り盆」で最後のカドヒを炊いて死者を送り出し、ようやくお盆は終わります。かつてのお盆はこのように約一ヶ月続く念入りなものでしたが、現代は四日間ほどに省略されているのです。京都大文字送り火 灯篭流し なぜ「送り火」なのか?日本各地のお盆さまざま お盆の祭礼としてもっとも有名な京都五山の送り火(大文字焼き)も、素朴な村の送り火を壮大にしたもので、室町時代から続く冥界に戻る死者たちを送り届けるかがり火です。歴史があるにもかかわらず、旧盆ではなく月遅れ盆の日付で8月16日に行われるのはちょっと不思議ですね。 長崎県を中心に、佐賀県、熊本県の一部で行われる初盆(前年のお盆以降に四十九日の忌明けを迎えた故人が迎える初めてのお盆)行事に、精霊(しょうろう)流しがあります。さだまさしの同名の唄でしんみりした行事かのように思っていると、そのドハデさとにぎやかさに意表を突かれます。真っ赤なしずく型の「みよし」と呼ばれる舳先に家紋や家名、町名などを印した大小さまざまな精霊船に故人の御霊を乗せ、火消しのまといのような印灯篭をつきあげて煽る若者を先頭に、そろいの法被で爆竹を辻々で鳴らし、鉦を鳴らしながら、「ちゃんこんちゃんこん(鎮魂の意)どーいどい」と掛け声をかけあいながら、炊き上げの場所まで町を引き回して練り歩きます。 長崎市や諫早市では、お盆の墓参りではそれぞれの家の墓前で花火をする風習もあります。この花火もまた「送り火」のバリエーションの形です。夏祭りで各所で花火が上がるのもまた、送り火の意味があるのです。 このように、形はさまざまでも「火で死者を送る」というならわしは、意識的であれ無意識的であれ、日本人の心理の深層に根付いたものなのです。 実は日本では死者を火によって弔うというならわしの起源は古く、縄文時代や弥生時代に既に火葬を行っていましたし、古墳時代の遺跡のかまど塚は、さまざまな副葬品とともに貴人が焼かれた施設が見つかっています。文献で登場するのは「続日本紀」の文武4(AD700)年の僧・道昭の火葬で、「天下の火葬、これよりはじまれり」と記されています。その後、持統天皇をはじめとして天皇の火葬が行われるなど、主に上流階級の一部で火葬は行われていました。また、近世になると家屋の密集する大都市、江戸、京都、大阪などで一般市民も火葬され、無縁仏の遺骨は「江戸の五三昧」(小塚原、千駄ヶ谷、桐ヶ谷、渋谷、炮禄新田)、などの共同埋葬場に埋められ、お盆には夜にちょうちんを点し、鉦を鳴らしながらこれらの墓所を巡って供養をするという風習があり、これは歴史の中のひとつのお盆の形でした。 もちろん全国的に見るとほとんどの地域は土葬で、火葬は風葬や水葬などとともに少数派の埋葬法でした。それが大きく変換したのは昭和40~50年代、つまり1970年代前後の比較的近年、市営・町営の火葬場が続々と建設され、短時間で重油で焼き尽くしてしまう葬送法が一般的となってから。でも、先進国でも未だに土葬が当たり前のアメリカなどと比べて日本が火葬を急速に一般化させたのは、日本の基層に火葬の風習は存在し続けたこと、そして小正月のどんど焼き、お焚き上げなどでのご神体や古い縁起物を焼き払う行事などで、穢れたもの、この世で機能を果たさなくなったものを丁重に焼き払い、炎と煙に換えることで別世界に返す、という習俗が深く広く根付いていたためであろうと思われます。 お盆の迎え火からはじまって送り火で結ぶならわしも、そのような日本の民俗風習と大きく関わっているものなのでしょう。長崎の精霊流し お盆のアイテムに「精霊馬」があります。夏野菜で作った馬と牛で、馬はきゅうりで、牛はナスでつくるのがポピュラーですが、馬は家に来るときにできるだけ早がけで到着してもらうため、牛は帰るとき名残を惜しんでゆっくり黄泉へお戻りください、という思いをこめてのものといわれます。いかにも素朴な民俗信仰ですが、それだけに故人と一族の絆や思いをあらわしているようで、道端に精霊馬を見かけると、心が温まりますよね。皆さんの生まれ故郷には、どんなお盆の行事がありますか? 参照 死・墓・霊の信仰民俗史 (新谷尚紀 歴博ブックレット) 日本人の原風景3-田園祝祭 さと (旺文社)
tenki.jp 2018/08/16 00:00
かわいいルックスでタフに生き抜く!小さなアイドル・カナヘビの活動期です
かわいいルックスでタフに生き抜く!小さなアイドル・カナヘビの活動期です
暖かい季節になってくると、全国どこでも普通に見られる小さなトカゲ・カナヘビ。昭和年代に子供時代をすごした男性なら、おそらく誰もが夢中で追いかけ、捕まえた思い出があるでしょう。戦後一貫して日本が都市化し、身近な野生脊椎動物が減少する中、カナヘビとヤモリ、コウモリは常に人里近くに寄り添い続けてきました。中でも昼行性であるカナヘビは、春から秋、ちょっとした空き地や草むらにもたくさんいて、ミニチュア恐竜のようなその姿で、男の子たちに愛され(虐待され?)てきたアイドルでした。 でも、どうして正真正銘トカゲなのに、カナ「ヘビ」なのでしょう?その由緒には実にややこしい理由がありました。 ヘビじゃないのにヘビ?カナヘビの名前の謎 カナヘビ、正式にはニホンカナヘビ(Takydromus tachydromoides)は、有鱗目トカゲ亜目カナヘビ科カナヘビ属に属する爬虫類で、日本列島本土全域で普通に見られ、日本のトカゲの代表種であるとともに、日本列島のみに生息する固有種です。成体の体格は全長150~250mmほどですが、全長のうち3分の2から4分の3(75%)ほどを占める長い尾が特徴です。体色は、背面から側面にかけて茶褐色から黄褐色、おなかの側は白っぽく、やや黄色味を帯びます。うろこには一つひとつに小さな隆条があり、さわるとざらざらした感触で、つや消し効果があり、爬虫類独特のぬめぬめとした印象がなく、親しみやすい印象を与えるようです。 顔立ちも瞳のはっきりとしたぱっちりとした目が可愛らしく、つかまえて観察すると瞬きをしたり口を開けて小さく鳴いたりなど、表情豊か。 ここから「カナヘビ」という呼び名は、「愛らしい」「可愛らしい」を意味する古語の「愛し(かなし)」から来ている、とする仮説が一般的によく語られます。ちょっと素敵な説ですが、これは残念ながら俗説。「カナ」と名のつく生物は、たとえば植物だとカナムグラ。これは「鉄葎」で、強靭な茎を金属の鉄に喩えたことからついたもの。昆虫ではカナブンがいますが、漢字で書くと金蚉、金蚊で、ハナムグリの仲間で金属光沢のある種を○○カナブン、とかコガネムシ(黄金虫)とか呼ぶもの。また、カナフグ(金河豚)も、金褐色を帯びた色彩からそう名づけられています。 「カナ」を「可愛らしい」という意味で名づけられた生物はいないのです。ですから、カナヘビの「カナ」も、金属や金属光沢から名づけられていること、つまり「金蛇」で間違いありません。 けれども前述したように、カナヘビは爬虫類には珍しく光沢のない種で、金属光沢には程遠い色をしています。その上ヘビでもないのにヘビ。カナもヘビも、まったくのミスマッチな名前です。カナヘビ。ツヤのないからだと長い尻尾が特徴 カナヘビといわれていたのは、メタリックなあいつのことだった 実はかつてはカナヘビと呼ばれていたのは今で言うカナヘビではなく、日本列島のもう一つの代表種、ニホントカゲ(Plestiodon japonicus)のことでした(ニホントカゲは、DNA解析により近年三種に分けられ、主に本州西部から西日本に分布するのがニホントカゲ、東日本には亜種ヒガシニホントカゲ、伊豆半島から伊豆諸島には近縁種オカダトカゲが分布する、ということにされていますが、その差異は微妙で、実際のところそうした分布域が正確かどうかも怪しいため、ここでは便宜上まとめてニホントカゲとします)。 全長はほぼカナヘビと同じくらいですが、尻尾はずっと短く、その分胴体はカナヘビよりも大きく、がっしりした印象です。幼体の頃はオスメスとも尻尾は鮮やかなメタリックブルーで、胴体は黒または藍色の地に5本の水色の縦じまが入ります。大人になると、メスは尻尾の青はそのまま残り、オスは全身がこげ茶に黄色のストライプが入り、繁殖期にはさらに赤みを帯びて独特の赤銅色になります。そしてかわいた感じのカナヘビと違い、爬虫類らしいテカテカとした光沢を帯び、まさに「金」=カナにふさわしいのはニホントカゲのほうだと一目でわかります。 民俗学者の柳田国男は、「西は何方」(1948年)において「東部日本の人々は一般に、蜥蜴に二種あることを認めている。(中略)一方が只のトカゲで他の一方はカナヘビ、或は青蜥蜴と謂って彩色の鮮やか」と、東日本の人々は二種類のトカゲの存在をよく知り、ひとつは「ただのトカゲ」もう一つは「彩色の鮮やかな青トカゲ」でそれを「カナヘビ」という、と記し、明らかにニホントカゲをカナヘビとしています。現在でも、栃木県など、特に関東近辺では、ニホントカゲをカナヘビという地域が残っています。 それがどうして変化したかといえば、明治期、日本の動植物の正式和名を決定する際、いわゆる「青トカゲ」の方を、日本の代表的固有種であるとして「ニホントカゲ」の名を冠したことによります。それでも民間でその名前が定着するのには時間がかかり、未だにニホントカゲをカナヘビと呼び習わす地域もある、というわけです。ニホントカゲのメス では、どうしてヘビでもないのにカナ「ヘビ」なのかというと、古くはトカゲのことを「ヘビノジ」=蛇の父/爺、と呼び習わし、トカゲはヘビの親とか先祖、親戚である、という民族伝承があったからです。その他、蛇神の使いがトカゲである、という信仰もありました。これらの民間信仰は、ヘビノジのほか、ヘビノオバサ、ヘビノバンド(バンドは伝令という意味)、ヘビノイシャなどの名もありました。つまり、カナヘビの「ヘビ」は、これら「ヘビノ○○」が略されて残ったものなのです。 ではカナヘビはかつてはどう呼ばれていたのか。というと、カマキリとかカマギッチョなど、昆虫のカマキリと同じ名前で呼ばれていたことがわかっています。これは、とかげ全般をあらわす「カガミチョ」(カガまたはカガミはヘビの異称で、チョは、その眷属とかしもべというような接尾語でしょう)からカナチョロ、カマチョロなどと変化し、バッタ類をあらわす「ギッチョ」のチョと、カナとカマなどが混同され、いつの間にか同じ名前になってしまったものと思われます。 つまりややこしいことにかつてはニホントカゲがカナヘビ、カナヘビがカマキリといわれていた、ということになりますね。 ニホントカゲとカナヘビは、生息域はかぶっていますが、特技は真逆。ニホントカゲは強い前足で土を掘るのが上手く、冬眠以外の通常の睡眠でも、土を掘って地面にもぐり眠ります。産卵のときにも地面の中に巣を作り、そこで子トカゲを産んで、大きくなるまで育てます。 一方、カナヘビはさほど土にはもぐりません。卵も産みっぱなしでほったらかし。ただ身軽な体で木登りや塀のぼりを苦としません。そのためカナヘビは、高い塀や建造物などの障壁の多い市街地でも、自由に乗り越えて繁殖地や餌場を広げられるのに対し、垂直移動の苦手なニホントカゲは、限定された地域に閉じ込められて、市街地では絶滅することが多くなります。山や森に行くとニホントカゲが多いのに、市街地ではカナヘビよりも見かける頻度が低いのはこのためです。 秘技「トカゲの尻尾切り」は、命がけの大技! さて、トカゲというと、もっとも有名な成語・ことわざは「トカゲの尻尾切り」でしょう。人間社会では、組織の領袖が保身のために末端構成員に責任を押し付ける、という意味に使われ、イメージはよくありませんが、本家トカゲの尻尾切りは、正真正銘自分自身の大切な尾を切り離す行為ですから、そのような汚い行為とは違います。 カナヘビもニホントカゲも、そしてトカゲの仲間のヤモリも、ピンチに陥ったとき尻尾切り、正式には「自切」を行います。トカゲにとって尻尾は栄養を溜め込み、日射面積を上げて体温を上げ、運動時にバランスをとりすばやく動く舵と推進力の役割を果たす重要な器官。これを危機に際し自ら切り離して捕食者に差し出す代わりに本体が逃げるという荒業です。並大抵のことではないのです。 尻尾は切り離したあともしばらく(数十分ほど)はランダムに活きているように動き続けるので、捕食者の気を引く機能も十分。 自切の仕組みは、尻尾の中心を通る尾椎の、一つひとつの椎骨の真ん中付近に、二次的軟骨と呼ばれる切り離れやすい箇所があり、この位置に沿って筋肉や脂肪組織にも隔膜と呼ばれる切断しやすい構造があり、これを脱離節といいます。切り取りのミシン目がいくつもあるようなイメージでしょう。尻尾付近を押さえつけられて捉えられそうになったとき、反射的にこの尻尾のどこかの脱離節隔膜の周辺の筋肉が収縮し、椎骨がひっばられて中央部の軟骨がちぎれ、すっぱりと尻尾が分断されます。 尻尾は、自切した場合のみ、切れた箇所から再び再生しますが、再生した箇所は骨はなく、芯は軟骨で作られています。能力上、一度切れた尻尾よりもさらに近い部分では自切面は残っていますから、何度でも自切は可能ですが、尻尾切りは激しくトカゲの体力を消耗しますので、場合によっては自切したことにより衰弱したり、運動能力が落ちて(実験では、20%前後も運動能力が落ちたといわれます)命を落とすこともあるというほどつらい大技。二度も三度も切っていては、命そのものを落としてしまう危険性が高いため、一般的に「トカゲの尻尾切りは一度きり」といわれます。 尻尾を切ったトカゲは、しばらくすると尻尾を落とした場所に戻り、自分の尻尾が残っていればそれを食べてみずからの栄養にするといわれます。もし、切れた尻尾が落ちているのをみつけても、持ち帰ったりつぶしたりせず、そのままにしておいてあげてください。 カナヘビもニホントカゲも、決して生きやすいとは言えない都市環境で、必死にけなげに生きている小さな野生動物です。大切に見守ってあげたいものです。
tenki.jp 2018/04/28 00:00
2月22日は「猫の日」。今、奄美群島がネコを巡ってゆれています!
2月22日は「猫の日」。今、奄美群島がネコを巡ってゆれています!
今日、2月22日は「ネコの日」。「ニャンニャンニャン」のネコの日の認知度もすっかり定着しましたね。昨年12月に発表された調査によると、全国のネコの飼育総数は953万匹、イヌの飼育総数は892万匹と、1994年の調査開始以来はじめて、ネコがイヌを上回りました(日本ペットフード協会調べ)。ネコ関連商品や映像作品などは増加の一方、ネコカフェやネコの島も相変わらずの人気ぶりで、ネコブームの盛り上がりは衰える気配がありません。 しかし、その一方で都市化が進む環境の中で、野良猫と人間社会との軋轢も未だに解決されないまま。都市部だけではありません。鹿児島県の奄美大島と徳之島では、ある特殊な事情から、野良猫たちが大ピンチに陥っています。 「ネコの日」に考えてほしい、南の島のネコたちの受難 奄美群島は、行政上は鹿児島県に属しますが、文化的には琉球(沖縄)文化圏に属し、九州と沖縄諸島の間の、亜熱帯の海に浮かぶ島嶼群です。もっとも大きな中核の島である奄美大島は、「東洋のガラパゴス」の異名を持っており、奄美大島と徳之島以外には生息しないアマミノクロウサギをはじめ、やはり奄美固有種のオオトラツグミ、奄美群島と琉球諸島にしか生息しないアマミヤマシギ、ルリカケスなど、希少生物が多く生息する特異な島です。 多くの希少野生動植物を有することから、奄美・琉球がユネスコ世界遺産センターの世界遺産暫定リストに追加記載されることとなり、世界遺産登録への気運が高まっています。しかし、このことから、奄美群島、特に奄美大島と徳之島に生息する野良猫が、その希少生物の捕食被害などの生態系への害をなす外来生物として、早急な駆除対象として槍玉にあがることとなってしまいました。世界遺産登録に前のめりな地元行政や環境省では、捕らえた野良猫を殺処分する方向性を打ち出し、物議をかもしているのです。 奄美大島の野良猫の数は600~1200匹ほどいると推測されています。そして、野良猫が、希少生物のいる原生林へと入り、特に動きの鈍いアマミノクロウサギを捕食し食害を与えているとされ、今年の夏に控える世界遺産登録のためには、何としてもすぐに「駆除」したい対象のようです。 けれども、徳之島では既にTNR不妊手術(Trap=捕獲 Neuter=不妊去勢手術 Return=元の場所に戻す。手術済みの印として耳先をさくらの花びらのようにV字カットする)が先行して行われ、現在では90%以上の野良猫が避妊済みとなっています。これ以上増えることはありません。奄美大島でもTNR不妊手術をほどこし、譲渡斡旋をするなどで野良猫の数を制限することを動物保護団体や獣医団体が提言していますが、申請団体としては、近々訪れるユネスコの視察の際、貴重な自然の生態系が太古から守られている島、という体裁を整えるために、野良猫にうろうろされてたら困る、ということなのでしょう。 「アマミノクロウサギを殺しているネコを今すぐどうにかしなければ滅びてしまう!」と言わんばかりですが、本当にそうなのでしょうか。野良猫は、本当にアマミノクロウサギなどの希少生物を絶滅に追いやるほどの食害をもたらす存在なのでしょうか。奄美大島の猫たちが危機⁉ はるか昔から島で共存してきたネコとアマミノクロウサギ 奄美大島では、江戸時代の嘉永3(1850)年の薩摩藩士・名越左源太の「南島雑話」において、江戸時代当時の島の自然や人々の生活が詳細に記述されています。 それによると、島にはネコ(地元の方言でマヤ)が飼われている。というのも、人家にネズミが入り込み、そのネズミを狙ってハブがやって来るので、ネコにネズミを獲らせる為に大事にされているとのこと。もちろん現在のような室内飼いではない時代です。ネコは自由に家の外と戸外を行き来し、特にオスネコは人家に居つかず、山(森林)に入っていき、野性化して生活している、と記されています。とすると、少なくとも江戸時代には、多くのネコが山の中に入って生活し、当然アマミノクロウサギなどの野生動物を捕食していた、ということになります。 アマミノクロウサギは、1920年代くらいまで、人里に下りてきて畑の作物を荒らす害獣で、また、盛んに人々によって狩猟され食べられてきたほど数多く生息していました。ウサギですから、繁殖力の強い生き物なのです。つまり、ネコとアマミノクロウサギは、もう何百年間も、ともに島の環境で共存して、共栄していたのです。 「奄美は多様な生態系を維持した貴重な自然遺産である」と言います。しかし、実際にははるか以前から人間により外来のクマネズミが繁殖し、「手付かずの自然の生態系そのもの」ではないのです。これは決して奄美大島の価値を貶めているわけではありません。そのようにして人間と自然が折り合い、溶け合い、ともに生活してきたという歴史が事実であり、そしてそうした環境下で、多くの希少種が生き延びてきたことが、貴重なことであり大切だということです。 奄美のネコは山に入りますが、そこには毒蛇であるハブがいて、かなりの数のネコがその毒にやられて命を落としているらしいことも判明しています。ハブがいて、ネコがいて、ネズミがいて、アマミノクロウサギがいる。その、いわば「里山的自然環境」の中で均衡が取れていたのが、近代以前の奄美の姿でした。アマミノクロウサギ。かつては島中に生息していました クロウサギをもっとも殺しているのは… アマミノクロウサギが激減したのは、戦後の森林開発と、ハブの駆除を目的としたマングースの移入です。奄美大島は島の70%が森林ですが、その森林のうち原生林はわずか3割。あとの7割は植林による人工林です。原生林に暮らすアマミノクロウサギは、人間によって住処を奪われ、1970年代、人間の連れてきたマングースにより捕食されまくったのです。 マングースの駆除作業がほぼ完了した現在では、クロウサギの数と生息域は次第に増えてきています。そして、それに伴い次に脅威となっているのは、島内に8万台以上あるといわれる自動車によるロードキル(交通事故死)です。交通事故による轢死は、犬やネコなどによる捕食よりもはるかに多い数なのです。 既に、世界遺産登録前の呼び込み効果で島内の観光客が増えたことで、クロウサギのロードキルが既に増加傾向にあります。世界遺産に登録されることで、更に観光客が増え、クロウサギの轢死が増えることは充分考えられます。人間はネコがクロウサギを狩ることには目くじらを立てても、人間の都合で殺すことはかまわないと思っているのでしょうか。 また、近年野良猫(山に入った野良猫を「ノネコ」とも言います)の数が増加したのは、もちろん手軽なキャットフードの存在もありますが、ハブの買取制度が出来たことで人間がハブをせっせと捕獲し、それによってネコの天敵がいなくなったことも原因です。 人間がまず力を注ぐべきことは、野生動物が交通事故にあわないよう、アンダーパス(道路を横切る地下トンネル)やオーバーパス(道路上に渡した通路)を各所に設け、また、無闇な森林伐採や開発を行わない、などの措置なのではないでしょうか。 ネコブームの陰で、奄美のネコたちに下されるかもしれない残酷な仕打ちを、どうにか思いとどまっていただきたいものです。マングース。ハブを駆除するはずが… 環境省 希少種保護事業について 奄美のノネコを救え!大量殺処分計画の環境省に獣医師ら異議! ペット数、猫が犬を初めて逆転 飼い主の数は犬が多数
tenki.jp 2018/02/22 00:00
ネコから人へ感染で国内初の死亡例 あなたのネコは大丈夫?
ネコから人へ感染で国内初の死亡例 あなたのネコは大丈夫?
電子顕微鏡で見たコリネバクテリウム・ウルセランス菌(1万倍)。ジフテリア菌と同じ仲間で、予防にはジフテリアの予防接種(ワクチン)も有効だと考えられている(国立感染症研究所提供) 【表】主な動物由来感染症(AERA 2018年2月5日号より)  2016年、餌をあげていたネコから感染し、女性が呼吸困難で死に至った。 ネコの3.6%が保菌との調査もある。日本の飼いネコ953万匹は安全なのか。  1月10日、厚生労働省は、国内で初めて「コリネバクテリウム・ウルセランス感染症」による死亡例があったことなどを念頭に、都道府県などに注意を促し、情報提供を依頼した。  この感染症は、動物から人に感染する「動物由来感染症(人獣共通感染症、ズーノーシス)」の一種。原因となるコリネバクテリウム・ウルセランス菌はイヌやネコ、ウシなどペットや家畜だけでなく、フクロウなど野生動物からも見つかる。症状はジフテリアに似て、喉の痛みやせきなどが生じ、ひどい場合には呼吸困難になって死亡することもある。だがほとんどの場合、医療機関で処方される抗生物質で回復する。  日本で人への感染は2001年に初めて報告された。確認されている国内の感染例は25件。19件は文献に記載され、うち13件はネコからの感染が疑われている。4件はイヌ。2件は不明。  国立感染症研究所の岩城正昭研究員によると、この細菌はウシの乳房炎の原因菌として知られていたが、1970年代から生乳を通じた人への感染が海外で報告され始めた。その後、ネコやイヌからも感染したという報告が国内外で相次いだ。  ただ、「この病気になる人が増えてきたとは限りません。周知が徹底されて医師たちも注目するようになってきたからだという可能性もあります」と岩城研究員は指摘する。  人から人へ感染した可能性がある事例もわずかながら海外で報告されている。  国内初の死亡例は福岡県に住んでいた60代の女性で、餌をあげていたネコから感染したと推測される。16年5月、呼吸困難で救急搬送され、3日目に死亡。17年4月の学会で報告された。  ネコは人にとって最も身近な動物だが、日本のネコはこの菌にどれくらい感染しているのか。  大阪健康安全基盤研究所の梅田薫研究員らが11年から14年にかけて大阪市内のネコ137匹を調べたところ、5匹(3.6%)からこの菌が検出された。イヌ125匹、ネズミ29匹からは見つからなかった。感染していたネコ5匹はいずれも体調が悪く、うち4匹は飼い主がわからなかった。この5匹から検出された菌は遺伝学的に同じもので、ネコの行動範囲はそれほど広くないことからも、菌がすでに大阪市内のネコに広く分布している可能性が浮上した。  この3.6%という保菌率は昔からなのか、それとも最近なのか。「両方の可能性があると思います」と梅田研究員は言う。今後については「これら感染したネコを介して広がっていく可能性はあるでしょう」。研究者たちは「感染による死亡例は起きてほしくなかったが、海外で事例があることを考えると、日本で起きてもおかしくないとは思っていた」と口を揃える。  とはいっても、むやみに怖がる必要もないだろう。日本では約546万世帯がネコを飼っている。イヌは約722万世帯。これだけの人々が飼っていて、17年間で感染例の報告が25件ということは、普通に考えれば「めったにない病気」である。もちろん報告されていない症例もあるだろうし、今回の通知で情報が集まり件数が増えるかもしれない。だとしても、「ネコから感染する殺人細菌が蔓延中」などと理解するのは無理だろう。  では16年の死亡例は、それまでの感染例と何が違っていたのか。「治療が遅れてしまったということです」と厚労省結核感染症課は説明する。「もう少し早く受診していたら助かっていたと推測されます」  厚労省や研究者たちが推奨する予防法は、動物との過度な触れ合いを避ける、動物に触った後には手を洗う、具合が悪そうな動物は早めに獣医師に診せる、といったごく常識的なことである。そうすれば、ほかの動物由来感染症も防ぐことができる。  梅田研究員は「今回のことが契機になって、こうした病気を知ってもらい、注意していただければと思います」と話す。(サイエンスライター・粥川準二) ※AERA 2018年2月5日号
ねこ動物病気
AERA 2018/02/03 07:00
意外なあの動物もレッドリストに? 絶滅危惧種と侵略的外来種の今
意外なあの動物もレッドリストに? 絶滅危惧種と侵略的外来種の今
今年2月、長崎県対馬で撮影されたカワウソ(動画の画面)。生きている野生のカワウソが国内で見つかったのは38年ぶり(写真:琉球大学動物生態学研究室提供)  夏から秋にかけてニュースをにぎわせたヒアリとカワウソから、日本の野生動物がおかれた環境について考えてみよう。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  長崎県の沖合に浮かぶ対馬で、今年2月、野生のものとみられるカワウソが自動撮影カメラに写っていたと、琉球大学の伊沢雅子教授たちが8月17日に発表し、大きな話題となった。  日本には、ニホンカワウソが明治時代まで全国に生息していたが、毛皮を目的とした乱獲や生息環境の悪化により、1980年代~90年代に絶滅したと考えられている。  対馬にも、江戸時代にカワウソがいたという記録が残っている。ということは、カメラに写ったのは絶滅を逃れたニホンカワウソの生き残りではないか? 誰もが期待を抱いたが、10月12日に環境省が、採取したふんから、雄のユーラシアカワウソのDNAを改めて検出したと発表。「ニホンカワウソが生き残っていた可能性は低い」との見解を示した。  ニホンカワウソのニュースに注目が集まったのは、国内ですでに絶滅した、あるいは絶滅が心配される野生動物が多いからともいえる。哺乳類に限っても、ニホンカワウソのほかにニホンオオカミやオキナワオオコウモリなど7種がすでに「絶滅」したと、環境省のレッドリスト(※)に載っている。「近い将来、野生での絶滅の危険性が極めて高いもの(IA類)」には、ツシマヤマネコ、イリオモテヤマネコ、ジュゴン、ラッコなど12種があげられている。 (※)レッドリスト=すでに絶滅したり、その心配があったりする野生生物の「絶滅危機の度合い」を評価した一覧表。国際自然保護連合(IUCN)が1966年からほぼ毎年、発表している。これとは別に、日本では環境省が国内の生物について同様のレッドリストを91年から公表、約5年ごとに見直しをしている。 ■侵略的外来種ヒアリに注意  多くの動植物が絶滅の危機にさらされる中で、海外から船や飛行機で運ばれて日本国内に入り込み、分布を広げる種が増えている。これら「外来種」のうち、地域の自然環境に大きな影響を与え、人間の生活に被害や悪影響を及ぼすものは、「侵略的外来種」と呼ばれている。  5月に兵庫県尼崎市で国内で初めて発見されたヒアリは、侵略的外来種として広く世界で警戒されている。貨物船で中国から運ばれてきたコンテナの中から見つかったが、その後も、港の近くを中心に各地で見つかり、調査とともに、定着させないための懸命の対策が行われている。ヒアリは強い毒を持ち、刺されると最悪の場合、死ぬこともあるという。  すでに国内に定着・繁殖して自然環境や人間に悪影響を及ぼしている動物としては、アライグマ、マングース、グリーンアノール(トカゲ)などがある。アライグマはペットとして飼われていたものが捨てられるなどして野生化し、各地で農作物を食い荒らし、家屋に侵入して天井裏をふんや尿で汚すなど、深刻な被害をもたらしている。マングースは、毒ヘビのハブを駆除する目的で沖縄本島や奄美大島に持ち込まれたが、ハブはほとんど食べずにヤンバルクイナやアマミノクロウサギなど希少な在来種を食べることが明らかになった。両島では本格的なマングースの駆除が進行中で、その成果が現れ始めている。グリーンアノールは、小笠原諸島では60年代にペットとして持ち込まれたものが父島で野生化し、世界で小笠原にしかいない昆虫類にも大きな被害を与えている。 ■人間の都合が生態系を乱す  人間の勝手な都合により乱獲され生息環境を奪われた種は絶滅に追い込まれ、人間の勝手な都合や不注意により外国から侵入した種は、分布を広げて在来種の生息を脅かす。侵略的外来種と呼ばれる種は、一般的に多様な環境への適応力が強いから、駆除するのも簡単ではない。長い年月がつくりあげてきた日本の豊かな自然を守るために、これ以上の絶滅種は出さない、これ以上の外来種は増やさないという意識をみんなが持つことが大切だ。(サイエンスライター・上浪春海) 【環境省のレッドリストの分類とその例】 <絶滅 日本ではすでに絶滅した種> 動物:46種 植物等:62種 具体例:ニホンオオカミ、ニホンカワウソ <野生絶滅 人が飼育・栽培したものだけが生きている> 動物:3種 植物等:13種 具体例:トキ <絶滅危惧種> ◎絶滅危惧IA類:近い将来、絶滅の危険性が極めて高い  具体例:ツシマヤマネコ、ジュゴン、ラッコ、コウノトリ、ヤンバルクイナ、シマフクロウ ◎絶滅危惧IB類:IA類ほどではないが、絶滅の危険性が高い  具体例:イヌワシ、ライチョウ、ニホンウナギ  ※IA類とIB類合わせて   動物:689種   植物等:1354種 ◎絶滅危惧II類:絶滅の危険が増えている  動物:683種  植物等:908種  具体例:アホウドリ、ハヤブサ、タンチョウ、オオクワガタ、オオサンショウウオ <準絶滅危惧 現時点で絶滅の危険は小さいが、可能性がある> 動物:952種 植物等:422種 具体例:トド、エゾナキウサギ、ニホンイシガメ、トノサマガエル <情報不足 評価するための情報が足りない> 動物:348種 植物等:194種 具体例:エゾシマリス、ニホンスッポン <計> 動物:2721種 植物等:2953種 【侵略的外来種】 ◎ヒアリ 南アメリカ中部原産だが、アメリカ、中国、台湾、オーストラリアなどに侵入、定着している。強い毒を持ち、毒針に刺されるとアレルギー反応により死ぬことがある  ・体長2.5~6ミリ  ・体は赤茶色  ・触角の先端はこん棒状  ・二つのこぶ毒針(見えない)こともある)  ・腹部は暗い色 ◎マングース ◎アライグマ ◎グリーンアノール 資料:環境省、農林水産省「生態系被害防止外来種リスト」 【外来種の被害を予防するための三原則】 ・入れない ・捨てない ・拡げない ※月刊ジュニアエラ 2017年11月号より
ジュニアエラ朝日新聞出版の本読書
AERA with Kids+ 2017/11/19 16:00
秋の行楽にご用心! 病気運ぶマダニがあなたに迫る
秋の行楽にご用心! 病気運ぶマダニがあなたに迫る
宮崎県が作製した、マダニの注意喚起のポスター (c)朝日新聞社  高く澄み切った秋の青空。ゴルフや、紅葉する山に登ってのキノコ狩りやキャンプ、家庭菜園まで、自然と親しむには、いい季節である。  しかし油断はならない。山や畑、民家周辺のあぜ道や草むらなどあらゆる場所に生息するマダニを媒介した感染症が日本各地で確認され、死亡例も出ている。  国立感染症研究所昆虫医科学部の沢辺京子部長によれば、マダニは世界に800種以上、国内には47種が生息するという。 「主に、シカやイノシシ、野ウサギといった野生動物やイヌ、ネコ、ネズミ、人の血を吸って栄養源とするため、病原体の媒介者となり感染症を広げやすいのです」  野生動物が食べ物を求めて、山から町におりれば、マダニも拡散する。マダニによるウイルス性のダニ媒介脳炎、細菌性の日本紅斑熱などの感染症で死者が出ているが、特に警戒したいのは、致死率が20%とされる重症熱性血小板減少症候群(SFTS)だ。  国内では2013年に初めて確認され、現在まで約300人が感染。うち60人ほどが死亡している。発病した動物や人から感染した例もある。昨夏には、西日本在住の50代の女性がSFTSを発症した野良ネコに手をかまれたのち、死亡しているからだ。 「シカなどの野生動物と違い、SFTSに弱いとされるイヌやネコ、人は、発症すると死に至る危険性が高いです」(沢辺部長)  マダニに刺されないようにすることが最大の予防策なのだが、自然豊かな場所や公園に出かけるときは、長袖の服を着用し、皮膚を露出しないこと。ディートやイカリジンの成分を含む虫よけ剤も有効だ。  では、刺されてしまった場合はどうすればよいか。  2~8ミリほどのマダニは、数時間から数日、種類によっては1カ月近くも皮膚にはりついて血を吸うため、大きくなって発見されることが多い。沢辺部長が続ける。 「吸った血液で1~2センチの大きさになる種類もいます。『ほくろやイボが大きくなった』と思って見るとマダニだったということも。無理にはがそうとすると、マダニの牙が皮膚に残り化膿する危険があります。処置は医師に任せてください」  マダニの活動期は春から秋と言われるが、寒い時期に活動する種類もいる。 「病気を運ぶマダニ」は年中無休のようだ。(本誌・松岡かすみ、太田サトル、秦 正理、永井貴子/黒田 朔) ※週刊朝日 2017年10月13日号
週刊朝日 2017/10/05 07:00
桜の花をちぎり取ったのは誰!? 七十二候「雀始巣(すずめはじめてすくう)」
桜の花をちぎり取ったのは誰!? 七十二候「雀始巣(すずめはじめてすくう)」
3月20日から春分の初候「雀始巣(すずめはじめてすくう)」となりました。宣明暦での春分初候「玄鳥至(げんちょういたる)」が、貞享暦を編纂した渋川春海により本朝七十二候でこのように改変され、そのまま現代の暦でも採用されています。人間にとってもっとも身近な野鳥であるスズメは、春を迎えるこの頃より繁殖をはじめ、年に2~3回子育てのサイクルを繰り返します。近年では彼らの子育て事情も人間社会と同様厳しくて、少子化が加速しているようです。 まるでサスペンス!? スズメたちの子育て 人間社会の形成する村落や都市に依存して生息する野生動物をシナントロープ(synanthrope/ギリシャ語が語源でsyn=共に+anthrop=人間)といい、スズメ(Passer montanus)はその典型。 有力な説では、遠い昔、アフリカで進化した人類が全世界に散らばるのに伴って、アフリカからユーラシア大陸全域に生息を広げた、といわれています。 アフリカにいるオオスズメは羽に鮮やかなレモン色が目立ちますが、人間のすぐそばで暮らすために、現在のスズメのような茶とグレーの目立たない羽色に適応変化したと考えられます。 スズメが人間の近くで巣作りするのは、言うまでもなく他の天敵、カラス、ヘビ、野良猫、ネズミ、いたち、モズなどが近づきにくいため。人間の町に暮らさず森に住むスズメは、タカやフクロウなどの巣のすぐそばに寄生するように巣がけて、ちゃっかり彼らを用心棒に使います。 スズメは木の洞や空になった蜂の巣のほか、瓦屋根の隙間などが大好きで、かつては盛んに人家の屋根にイネ科の草を運び込んで巣を作りましたが、近年瓦屋根も木造の隙間の多い構造もなくなり、巣作りの場所さがしに苦労しているよう。よく見られるようになった場所として電柱のトランス(変圧器)を固定する器具や、看板の金属枠のポールの中、信号機の隙間など。都市部のスズメの巣の調査では、ほとんどが電柱などの器具の穴、隙間に作られていたそうです。 母鳥は5個前後の卵を毎朝早朝に一個ずつ産み、「止め卵」と呼ばれるちょっと殻の色が白かったり斑が変わっている卵を産むと、抱卵をはじめます。 ところでスズメはつがいごとに広範囲の縄張りを作る他の野鳥と異なり、一定の集団で高密度に固まって巣作りをする習性があります。ごく狭い範囲にスズメの巣が数十個あることも普通。こうして集団をなすことで身を守る知恵なのでしょうが、逆に集団内でのトラブルも起きることになります。たとえば仲間の巣の卵やヒナを外に捨てて乗っ取ってしまうなんてこともおきます。 また、実はスズメは一夫多妻で、オスは2~3羽の「妻」をかけもちして、それぞれのメスの巣の卵も抱卵して回るのですが、これなども集団性から来る習性でしょう。 抱卵期間は約2週間ほど。同じ巣の卵は同時に孵化しますが、別の巣とは同じ日とは限りませんよね。オスは抱卵までは全ての妻に協力しますが、どれかの巣の卵が孵化すると、先に生まれた巣の雛の世話しかしなくなります。 給餌というのは労力がかかるわけで、全てを面倒見ることは不可能だからでしょう。しかしそうなると、孵化が遅れた巣のメスは、母鳥だけで給餌を行わなくてはならず、雛が餓死してしまう確率が高まります。 そこで、なんと遅れた側のメスは、先に生まれたメスの巣を隙を見て襲撃し、雛を殺してしまうという暴挙に出るこことも!そうすれば、父鳥が自分のところの雛の世話をしてくれるようになるからです。 何とも痛ましいというかドロドロしていて、昼ドラかサスペンスを見るようですが、それくらい子育てというのはメスにとってもオスにとっても、必死なものだということでしょう。 スズメのつがい関係は冬が近づいて繁殖期が終わるとリセットされ、翌年はまた別の異性とつがいになるといわれています。 ちなみに、スズメは生まれた場所にとどまるのはオスで、メスは生まれ故郷から別の場所に移動します。そして別の場所のオスとつがい、子育てをするようになるのです。 一番身近ゆえに一番「憎らしい鳥」に? スズメは稲などの食害をもたらす印象が強く雑穀食と思われがちですが雑食性で、特に子育て期間は盛んに昆虫を食べ、また雛の餌にも高たんぱくの昆虫類や節足動物を与えます。 中国では文化大革命の大躍進政策の時代に、ハエ、カ、ネズミとあわせてスズメを四害虫のひとつとして徹底的に駆除する作戦「除四害運動」に出ました。スズメを大量に駆除したことから、「打麻雀運動」「消滅麻雀運動」(中国ではスズメを麻雀と表記します)ともいわれました。 けれども害虫をせっせと食べていたスズメの駆除は、かえって害虫の大量発生を招き、農業生産に壊滅的な被害が生じ、大凶作に見舞われたといいます。 作物を食べるからとスズメを駆除してかえって害虫が発生してひどい目にあった、というような戒めの昔話は世界の各地にあるのに、知らなかったのでしょうか。 もっとも、日本でもスズメは実は大いに嫌われていました。東日本、特に新潟県を中心とした地域で小正月(1月14、15日)の頃に行われている「鳥追い」行事では、「鳥追い歌」が歌われますが、そこで追い立てる「憎らしい鳥」の代表として、必ず登場するのはスズメなのです。 おらがいっち(一番)にっくい鳥は ドウ(トキ)とサンギ(サギ)とコスズメと 柴を抜いて追ってった どこからどこまで追ってった 佐渡が島まで追ってった (北魚沼郡堀之内町) おらが浦の早稲田の稲を なあにどり (何鳥) がまくろうた すずめ鳥がまくろうた すずめ諏訪鳥 飛立(たち)やがれホーイホーイ ホンヤラホンヤラホーイホーイ (佐渡) 農作物を食べる害鳥としてカラスでもムクドリでもなく、スズメがくりかえし登場しています。 そして、スズメと同様の立場に立たされているのが意外なことに特別天然記念物に指定され、保護繁殖活動が続けられているトキ(朱鷺、鴇、Nipponia nippon)であること。 トキは江戸時代までは全国に数多く繁殖し、典型的な田を荒らす野鳥であった、といわれています。 それが明治の狩猟解禁と肉食解禁によりいっせいに大量に捕獲され、瞬く間に数を減らして1934年の天然記念物指定もむなしく、戦後の水田の農薬使用や乾田化により餌が減少し、日本国内のトキは絶滅してしまいました。トキは目立つ上に悠長な動きの鳥で狩猟されやすかったからということもありますが、その背景には「害鳥」という固定観念があったからこそ、ためらいなく狩りつくされたのではないでしょうか。 桜の花をちぎり取るのも、スズメたちは人を見て覚えた? 花の蜜を吸うのに特化した蜜食生物というと、昆虫のミツバチや蝶、スズメガなどが代表的です。長い吻を花に差し込み、あるいは体ごともぐりこんで花の蜜を吸います。鳥の中でも花の蜜が好物のメジロは、細長いくちばしを持っていて、容易にくちばしを突っ込んで花の蜜を吸います。 実はスズメも甘い花の蜜が大好きなのですが、ご存知の通り彼らの嘴は木の実をつついたりするのに適した太く短いペンチのような嘴。うまく花の蜜をすえないスズメは、花の付け根をくわえて根元からちぎり取り、裏側の萼筒(がくとう:花と枝をつなぐ茎のような部分)から蜜を吸い取ります。このやり方、私たちも子どもの頃つつじの花をちぎって根元の蜜を吸ったことがありせんか。ちょうどあれと同じです。 普通は、生物がある餌を食べられるようになるには、世代交代を経て形状を変化させるのが普通です。スズメにはそうした変化は見られません。花をちぎって蜜を吸う鳥は、まずスズメ以外にはありません(もしかしたらカラスもやるかもしれませんが、体の大きいカラスには、面倒で実入りが少ないためにあえてやりはしないのかも)。 さらに花をちぎって蜜を吸うのはたいてい桜。人間の品種改良で大量に大きな花をつけるようになった桜を知能の高いスズメは、人間がそうして花をちぎって蜜を吸っていたのを見ていたのではないでしょうか。そしてまねるようになったのかもしれません。お花見で浮かれている樹下の人間たちに樹上からこっそり参加して、花の蜜でイッパイやってるつもりかもしれません。 人間社会の都市化に苦戦し、かつてと比べて個体数が減っていることが、ほぼはっきりしてきたスズメ。それでもまだまだ、もっともよく見かける野鳥であることに変わりはありません。 ありふれているからとぞんざいにせず、私たちの身近で精一杯生きているかわいらしい姿の隣人を見守ってあげたいものです。 (参考) 都市の鳥-その謎にせまる-(保育社) 身近な鳥の生活図鑑 (三上修・ちくま新書) イラスト図説「あっ!」と驚く動物の子育て―厳しい自然で生き抜く知恵 (長澤 信城・ブルーバックス)
tenki.jp 2017/03/21 00:00
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