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「毎日がアルツハイマー」シリーズの関口祐加監督に聞く 介護には愛より理性
関口祐加(せきぐち・ゆか)/1957年生まれ。大学卒業後、オーストラリアに渡り29年を過ごす。その間、「戦場の女たち」「THEダイエット!」などドキュメンタリー作品を発表。各種映画祭で高評価を得る。2010年、母の介護のために帰国。認知症を患う母との日々を綴った「毎日がアルツハイマー」シリーズが大きな反響を呼ぶ(撮影/編集部・石臥薫子)
シリーズ完結編「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル~最期に死ぬ時。」のワンシーン。7/14(土)からポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開 (C)2018 NY GALS FILMSシリーズ前2作『毎アル』『毎アル2』の再上映も予定公式サイト http://maiaru.com/
関口祐加さんが、認知症の母、ひろこさんとの日常を記録し、YouTubeに投稿し始めたのは2009年。動画は200万回以上再生され、12年にドキュメンタリー「毎日がアルツハイマー」として結実した。「認知症あるある」な出来事をユーモラスに描き、見る人を笑わせ、泣かせ、考えさせる映画は、多くの共感を呼んだ。続く第2弾で関口さんは、認知症の人を一人の人間として尊重し、その人の視点でケアを行う「パーソン・センタード・ケア」に出合う。そして今年7月公開の完結編では「死に方」をテーマに据えた。
――「毎日がアルツハイマー」を見ると、認知症は怖くないと思えてきますが、関口さんがポジティブに対応できるのはなぜですか。
私が小学生の頃に認知症になった母方の祖母の影響が大きいですね。祖母は、実の娘たちのことはすっかり忘れてしまったのですが、母の兄のお嫁さんのことを「お姉ちゃん」と呼んで甘えて、お嫁さんも一生懸命面倒をみてくれました。最期はお腹いっぱいご飯を食べて、「眠くなった」と横になってそのまま逝っちゃった。子ども心に、ボケてお腹いっぱい食べて死ぬって最高だなと。
――でも自分の親が認知症になったら、普通はそこまでポジティブになれません。
私は認知症というのは嘘発見器だと思っているんです。認知症になると、世間体のために取り繕ったり、隠したりしていたことがどんどんなくなって、素が出せるようになる。
例えば今の母は、私の息子とは1週間以上、同じ家にいられません。息子に嫉妬してしまう。孫はかわいいけど、私の関心が息子に向いてしまうのが、母はイヤなんですね。でもそれは人間としての素直な反応であって、私はいいと思うんです。認知症のお陰で本音が可視化されれば、人間関係の築き方や対策が考えられる。
実は、母は私の妹と折り合いが悪く、妹に介護されるのはイヤだというのを認知症になるまで言えませんでした。母は認知症になる前は、とても真面目で優等生。実は、妹はそんな母によく似ています。反対に私は、親の言うことなんか聞かないし、勝手にオーストラリアに行って映画監督になって、母にとっては理解不能な人間でした。でも認知症になったら、不思議に自分と正反対な私のほうに介護してもらいたかったんですね。母にだって、誰に介護されたいのかを言う権利があると思います。
もし、認知症の人が暴れたとしたら、それはその介護者を拒否しているのではないでしょうか。言葉で言えなければなおさら、行動で表すしかない。認知症で人が変わったわけではない。介護する側は、きょうだいで順番にとか、長男の嫁だからとか、自分たちの勝手な都合で介護する人を決めてしまいますが、たとえそれが自分の子どもであっても「介護されたくない」ということがあると思います。「認知症は嘘発見器だ」というのはそういうことです。
認知症になると、その人の本音が見えてくる。だからよく人間観察をして、その人が本当に欲していることを理解し、それに沿ったケアをすることが大事です。
――それが2作目のテーマとなっている「パーソン・センタード・ケア」の考え方ですね。
そうですね。その人の心を探り、心の不安があればそれをどう取り除くのかを考えるケアです。「パーソン・センタード・ケアなんて簡単だ」とよく言われますが、とんでもない。実は一番難しい。なぜなら認知症になっても十人十色で、私の母のケアと隣のおばあちゃんのケアは全く違いますから。生き様も、性格も食べ物の嗜好も全部違うので、まったくマニュアルが通用しない。非常に高度なスキルなんですね。だから家族にケアができないのは当然ですよ。
――「毎アル」シリーズではそれを関口さんが明るく、サラッとやっているので、自分もできるような気になってしまいますが、実際には難しいと。
私はドキュメンタリー映画の監督で、人間観察をするのが商売だし、母とは性格も真逆なので、被写体として面白い。そういう特殊事情があるからというのもあるでしょう。対談した認知症の専門医も「僕は冷たくてドライだ」と言っていましたが、私もまったくそう。そのくらい距離がないと認知症の介護はできないと思います。
結論を言えば、家族に認知症の介護はできない。それを無理してやろうとすると、家族の負担が大きくなって介護殺人が起きたりする。厚生労働省が「住み慣れた自宅で最期まで介護」なんて旗を振るのは罪です。自宅にいることが重要なのではなくて、どこであっても安心できる場所にしてあげるスキルこそが必要なんです。
パーソン・センタード・ケアについては、施設に勤める「専門職」と言われる人たちでさえ、きちんとした教育を受けていないのではないでしょうか。だから虐待が起きてしまう。とにかく、高度なケアができるプロを、国を挙げて育成するということが急務です。
――シリーズ3作目は、監督自身が両股関節の手術を受けるシーンから始まります。介護する側が年をとったり、病気をしたりする中で、どのように介護を続けていくのか。多くの人にとって切実な問題です。
両股関節の痛みはずっと前からあって、手術をする直前は車椅子が必要な状態にまで悪化していました。手術で人工股関節に全置換して、いま身体障害者3級、介護保険では「要支援2」がついています。
2回の手術でリハビリも含めて7週間入院しましたが、母の介護については事前に「チーム関口」の体制をしっかり作りました。おかげで入院中は、母から解放されて、担当医もイケメンで、実はすっごく楽しかったんです(笑)。
ただそのためには段取りが命。闘う必要もあります。例えば、母をお風呂に入れるのに、ヘルパーさんではなく訪問看護師さんをお願いしています。母は幼いころから看護師になりたいと夢見ていた人なので、看護師のケアは喜んで受けるだろうと考えたんです。
でもかかりつけ医は「お母さんは要介護3でまだ歩けるので、訪問看護師は必要ない」と言いました。でもそこで諦めちゃダメ。私は地元の横浜ではなく、テレビで知り合った名古屋の医師にお願いして、「看護師が必要」という指示書を書いてもらいました。
さらに、デイサービスに行きたいと思ってもらえるように、母好みのイケメン介護福祉士をケアマネさんに探してもらいました。いろいろな場面を想定して、ひとを動かす。こういうのがパーソン・センタード・ケアですし、私も楽しい。
――そこまでお母さんのことを考えて手を尽くすというのは、すごい愛がなければできないのでは?
いえ、愛じゃないんです。愛だと考えると「相手を思って私はこんなにやってるのに」となって、かえってややこしくなる。ウェットな愛じゃダメなんです。母が心穏やかに過ごしてくれれば、私がハッピーな入院生活を送れる。回り回って私が得をするというドライな考え方。動機は「Me(自分)センタード」でいいんです。「人のため」なんていう綺麗ごとではケアはできません。
――介護に必要なのは「愛」じゃないと?
介護に必要なのは愛じゃなくて理性です。もっと言えば科学、サイエンスですね。パーソン・センタード・ケアは究極のサイエンスですから。動機は「Me」だけれど、ケアは介護される側が一番心地よく過ごせるパーソン・センタード・ケア。それが理想の介護だと思います。
――映画では、老いと尊厳ある死についても考察を重ねています。
死ぬことを忘れてしまった母を、どうやって看取るのか。さらに、私自身が手術や入院をしたことで、死に方の選択肢について考えるようになりました。今回、日本ではまだ馴染みのない「自死幇助(ほうじょ)」についても取り上げています。医師が薬を使って絶命させる「安楽死」とは違い、医師が薬の準備はするものの、その薬を使って命を終わらせるのは自分自身、という方法です。
ちょうど5月初めに、オーストラリア人の104歳の植物学者が、私が映画で撮影したスイスのクリニックで、幇助を受けて自死したというニュースが世界中で報じられました。彼は90歳くらいまでは元気で学者としてフィールドワークもできて幸せだった。でもそこからの14年間は、頭ははっきりしているのに、体の自由がきかなくなって車椅子での生活。毎日身体の痛みもひどい。目も見えなくなってきた。こんな人生に何の意味があるのかと悩み、自殺も試みたんですね。それでも死ねなくて、入院させられて精神科医にかかり、なかなか退院が出来なかった。
今回のケースは、世界で初めてターミナルな病気を持たずに人生の最期を自分で決めることが許されての、自死幇助になりました。
本当の尊厳死とは何なのか。深く考えさせられました。暴れるからといって老人をベッドに縛り付ける、管だらけにして生かす、ということがいいのかどうか。死に方の選択肢については、これから大きな課題になってくると思います。
――認知症の場合、本人の意思がわからないので、尊厳ある死をどう考えるか、余計に難しいですね。認知症のお母さんは映画の中で「ある日ぽっくり死にたい」と言っていますが、なかなかぽっくり死ねないのが現実です。
私はゆるーい介護をしてあげるのが、一番いいんじゃないかと思っています。いまの一般的な介護の考え方というのは、歩けなくならないように筋トレをさせたり、ボケないように漢字や計算のドリルをさせたりという発想ですよね。医者に「朝食後にこの薬を飲ませて下さい」と言われれば、無理やり起こしてご飯を食べさせ、薬を飲ませる。
ゆるーい介護というのは、そういうガチガチの管理型の介護はやめて、本人がゆっくりと自然に死に向かっていけるように寄り添う介護のことです。
今の日本社会を支配しているのはできることを良しとする価値観。だから、できなくなることに対して、みんな恐怖がある。それは老いを受け入れていないということです。現実にはみんな年をとるのに、年をとっていろいろできなくなることがダメだと考えれば、その延長にある死はもっとダメになってしまう。そういう価値観自体を、変えていかないといけない。それが、私がこの映画の製作を通して強く感じたことです。
――介護する側も、される側も老いを受け入れていく必要があると。
よく「介護には終わりがない」といいますが、私は「終わりからの介護」を提唱したいです。
「終わりからの介護」という考え方に立って、朝食後に飲む薬を処方した医師にこう聞いてみる。「これは絶対に朝食後に飲まないといけないんでしょうか。うちの母は午前中は起きられないことが多いんです」と。すると、医師も「これは循環器系の薬だから、お母さんが一番元気な夕食後に飲んでも大丈夫ですよ」と言ってくれるかもしれない。これで母を無理に起こさなくて済むわけです。
常に介護される側の立場で考え、疑問を持ち、その人が自分らしい死を迎えられるように、どのくらいゆるく介護してあげられるか。
それには、ケアをする側が自分の頭で考える力が必要です。日本の介護のあり方と教育のあり方を同時に考え直す時期に来ていると思います。
(構成/編集部・石臥薫子)
※AERAオンライン限定記事
AERA
2018/06/03 07:00