【現代の肖像】精神科医・松本俊彦 「クスリをやった」と言える治療の場を
薬物依存症の人が警察への「通報」に怯えず、安心して治療できる場が必要と説く。「社会通念」との格闘が続く(撮影/山本友来)
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大麻や覚醒剤を使用したとして何人もの著名人が逮捕されてきた。そのたびに噴出する批判とバッシング。クスリの依存症の人をたたき、厳罰に処しても、クスリをやめさせることはできない。必要なのは「やめ続けられる」道筋だ。松本俊彦は依存症の人が「クスリをやった」と言える場をつくりながら、治療に臨む。それは守秘義務と通報の間での闘いでもある。
芸能人が覚醒剤や麻薬を使って逮捕されると、多くのメディアは殺人犯並みにたたく。“薬物に溺れる者は快楽ばかり求めて生活が荒んで狂暴”といったイメージが流布される。
そうした先入観が、7月下旬、東京都小平市の国立精神・神経医療研究センター(NCNP)病院を訪ねて、こっぱみじんに打ち砕かれた。
平日の昼下がり、リハビリフロアに三々五々、薬物依存症の人たちが集まってきた。ネクタイを締めた男性、しゃれたパンツスーツの女性にジーンズ姿の若者……。外見はごく普通の人が、覚醒剤や大麻、あるいは処方薬、市販薬の乱用をやめ続けようと集団認知行動療法プログラム「スマープ(SMARPP)」に通ってくる。
スマープは、精神科医の松本俊彦(52)が手塩にかけて育んできた。週1回90分、ワークブックの「引き金と欲求」「強くなるより賢くなれ」などのテーマに沿って行われる。1クール24回、半年で修了すると賞状が贈られる。ミーティングが始まった。約30人の参加者それぞれが近況を話す。
「クスリへの渇望は強いけど、あと2日で保護観察終了なので頑張ります。外で警察が見張っているなと感じる勘ぐりは消えません」
「入院中です。覚醒剤の夢ばかり見ます。毎朝、ここに隠したはずだとベッドの下を捜してしまう。情けない……。まさか病院にはありませんよね」
笑いが起きる。そのあとだった。
「昨日、滑っちゃいました。落ち込んで、寝る前にちょっと」
「滑る(スリップ)」とは断薬中につい覚醒剤を使ってしまうことを指す。一瞬、わたしは体が強張った。「覚醒剤取締法違反」が脳裏をよぎる。
だが、誰もその人をとがめたり、嘆いたり、ましてや警察に告げたりはしない。滑らずにはいられない「痛苦」を一緒に受けとめている。切迫感のなかに不思議な安らぎが漂う。
スマープのプログラム終了後、看護師やソーシャルワーカー、支援者らを集めてミーティング。リラックスした雰囲気でスタッフをねぎらう一方、薬物依存症の参加者、一人ひとりへの目配りは細やか(撮影/山本友来)
■「やめられない」の告白は「助けてくれ」の意味
松本は薬物依存症との向き合い方を、こう語る。
「薬物依存症は、クスリの作用で脳の一部の働きが変化し、やめようと思ってもやめられない状態です。再発と寛解をくりかえす慢性疾患。だから制裁だけではだめ。事実、刑務所を出所した直後の再使用が圧倒的に多い。処罰だけでなく、回復、つまり『やめ続けられる』道筋があることを、当事者、家族、支援者、一般の方にも知ってほしい」
スマープに参加すれば回復が早まるのだろうか。
「ワークブックで治るほど単純ではない。テキストは治療継続の手がかり。重要なのは『つながり』です。当事者は差別や偏見にさらされ、孤独です。薬物依存の専門家は少なく、支援者との距離が遠い。そこをつなぐプログラム。まずは出会い。そのためには当事者が安心して『クスリをやりたい』『滑った』と言えて通える場が必要です」
クスリをやめるためにクスリを使ってもいい? と、戸惑っていると松本は言い添えた。
「犯罪の幇助ではありませんよ。ただ、薬物依存症の人が人前で『やりました』と言うのは、すごく勇気がいります。本当に使いたければ、黙って家でやる。なのにわざわざプログラムに足を運んで言うんです。これは、失敗したけどこのままではいけない、やり直したいと思っているからです。『やめられない』という告白は『助けてくれ』なんです。だから医療者は守秘義務に則って、その人を守らなくてはなりません」
こうした松本の姿勢は、処罰感情の強い世間の反感を買う。以前、出演したテレビ番組のサイトには「あの医者は犯罪者を擁護している。頭がおかしい」「薬物に手を出した奴は死刑にしたらいい」とクレームが寄せられた。それでも松本は「辱めと排除では解決できない。求められているのは科学的根拠のある対処」とまっすぐ前を見すえる。
「依存症の本質は快楽ではなく、むしろ苦痛です。虐待のトラウマで、死にたい苦しみを一時的に薬物で緩和する人。DVのつらい関係性に耐えようとクスリで脳を麻痺させて生きのびた結果、依存症に罹った女性もいる。研究者の実態調査では薬物依存症患者の約55%に統合失調症などの精神障害の合併が認められます。大半は、先に精神障害が発症し、後で薬物乱用が始まっている。病気に犯罪の烙印を押しても回復はしないのです」
松本の目線は、当事者に近い。
スマープは、薬物依存症者が回復から社会復帰を目ざす民間リハビリ施設、八王子ダルクともつながっている。八王子ダルク代表・加藤隆(52)は、毎週、スタッフの一員としてプログラムに参加し、体験を語る。当事者がダルクに関心を示せば、バーベキュー大会などのイベントに招いて接触を持つ。加藤は、松本の存在について、こう述べる。
「松本先生は、僕らが言いたくても言えないことを代弁してくれています。タレントが大麻に手を出して逮捕、保釈後、土下座して謝る。カメラに追い回され、友人や家族もバッシングされる。あんな光景には自分が責められているようなつらさを感じます。だけど僕らはそれを口にできない。声に出したら、ヤク中は黙ってろ、刑務所に行け、と言われかねない。そこで松本先生は声に出してくれる。それだけで安心できます」
松本もまた加藤に信頼を寄せている。
「薬物依存症の人は、他人に依存できず、クスリという物に依存します。人間関係が崩壊し、孤立する。もう一度、ダルクや自助グループ、あらゆる社会資源を使って他人との関係を結び直す。支援の受け皿は多いほどいい」と松本は言い切る。
ほんの10年前までスマープは松本が細々と実践する程度だったが、いまでは精神科医療機関42カ所、全国の精神保健福祉センター69カ所のうち40カ所が導入している。松本は、逆風をものともせず、サイエンスの旗を立てて進む。その力の源泉、マイノリティーへの「共感」を読み解く鍵は、ひりひりするような思春期に埋め込まれていた。
都内の自宅から東京都小平市のNCNPまで電車で通っている。通勤の流れと逆の車内は空いていて、座って大量のメールを読み、返信をする。オフィスに入ったら、もう臨戦態勢。後進の医師教育も忙しい(撮影/山本友来)
■じゃんけんで負けたため、依存症専門の病院へ
1980年代初頭、松本少年が通う神奈川県小田原市の公立中学では校内暴力の嵐が吹き荒れた。教室の窓ガラスや壁は、いつもどこかが壊され、トイレにはシンナーやたばこのにおいが充満する。生徒が教師を殴る事件が起き、警察官が暴れる生徒を羽交い締めにしてパトカーに押し込む。その荒れた中学で松本は生徒会の役員を務めた。
後年、当時の心境を次のように書き綴っている。
「私が嫌だったのは、教師と不良グループの生徒たちの乱闘騒ぎだった。立場上、私たちはそれを止めに入らなければならないが、たいてい、教師も生徒も極度な興奮状態にあり、しばしば双方の『流れ拳』を受けるはめになった。(略)ある時期から私は、学校で乱闘が始まったのを察知すると、さりげなくトイレの個室へと雲隠れするようにしていた」(「月刊みすず」2018年5月号)
松本は一刻も早く中学を卒業したかった。高校は地元の進学校に入り、1年浪人して国立の佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)に進んだ。ほとんど大学には行かず、本と映画と演劇の日々を送る。病棟実習が始まる5年次に教養のドイツ語の試験を受けたというから、授業に出なかったのは本当だろう。最後の2年間で猛勉強をして医師国家試験に合格。佐賀を離れ、神奈川の横浜市立大学医学部附属病院に研修医で入った。
医師になって5年目、大学医局の関連病院で、アルコールや薬物の依存症が専門の「せりがや病院(現・神奈川県立精神医療センター)」に医師の欠員が出た。医局が補充しなくてはならない。ところが、手のかかる依存症は不人気で、誰も応じず、「じゃんけん」で負けた松本が「1年だけ泣いてくれ」と上役に頼まれて赴任した。
依存症の最前線に立った松本は、「何だ、これは。またここ。この世界なの」と愕然とする。夜回りの教師が病院に連れてくる少年、少女は中学時代の不良とそっくりだった。ヤンキーのファッションも価値観も変わっていない。そのころは、戦後の第1次、暴力団が覚醒剤を資金源にした80年代の第2次に続く、第3次覚醒剤乱用期。静脈注射に加えて粉末を火で炙って煙を吸う「アブリ」が若年層に広まっていた。松本がふり返る。
「依存症患者にアルコールや薬物を拒ませる治療薬はありません。薬の処方以外に何ができるか、死に物狂いで考え、援助の引き出しを増やしました。海外に比べて薬物が蔓延していない日本で10代からそれに手を出すのはよほどの理由がある。どこにも居場所がなく、自分はこの世にいていいんだろうか、と悩む者どうしが出会ってシンナー、クスリで絆を深める。恋愛は互いのイニシャルを体に彫るような息苦しいものになるんです」
中学時代の嫌な記憶が、ブーメランのように医療的な問いをはらんでかえってきた。
シンポジウムでの語り口は軽妙だ。依存症への偏見・差別・排除をなくすためには、「薬物依存症対策基本法」のような理念法が必要と説く(撮影/山本友来)
■尿検査で陽性反応の場合、通報か守秘義務か
松本は、患者のカルテを精査して症例を分析し、特性を抽出して新たな知見を加えて論文をまとめた。その論文が、先達の精神科医、村上優(現・国立病院機構さいがた医療センター院長特任補佐)の目に留まる。74年に九州大学医学部を卒業した村上は、アルコールを中心とする依存症の治療を開拓してきた。村上は厚生労働省の委託研究班に松本を招き入れる。村上が回想する。
「思春期の患者は、融合と衝動の葛藤をはらんでいます。融合でベターッと仲間とくっつくかと思えば、衝動で自殺する。その特性を踏まえてどうするか。松本さんは探究心旺盛だった。僕らは、とにかく患者さんにいつでも戻っておいで、と関係を切らない。通っている間に本人に変わるきっかけをつかんでもらう。でも、僕らは少数派、珍しかったんだ。よそは閉鎖病棟に入れたり、大量の向精神薬でおとなしくさせたりしていたね」
松本の研究内容は英国の医学雑誌に掲載され、博士号、学位論文へと昇華した。松本は、せりがや病院から横浜市大医学部医局に戻り、さらにNCNPに移る。個人史的には神奈川の地方区から全国区へ順調にステップアップしたかにみえる。
だが、薬物依存症を犯罪とみなす社会通念は岩盤のように硬く、厚かった。「禁止薬物の依存症は犯罪だから医療の問題ではない」と主張する精神科医がいた。いや、いまでもかなりいる。
有名な都立の精神科病院では、新任院長が覚醒剤の尿検査で陽性反応が出た患者は全員警察に通報すると方針を掲げた。治療の守秘を重んじる依存症専門医は、これに反発し、全員退職したという。現場の判断は病気と犯罪の間で揺れ動く。
はたして病院にすがる薬物依存症患者を医師が警察に通報するのは妥当なのか、それとも誤りか。
覚醒剤に絞って考えてみよう。刑法134条は、医師、薬剤師、助産師らに正当な理由がない限り患者の秘密を漏らしてはならない、と守秘義務を課している。覚醒剤取締法には、医師の捜査機関への通報に関する規定はない。
一方、刑事訴訟法239条は、公務員が職務を通して犯罪があると思料するときは、告発しなければならない、と通報を義務づける。最高裁05年7月19日判決は、患者の尿から違法な薬物成分が検出された場合、医師が捜査機関に通報することは許容され、守秘義務に違反しない、と示した。
しかし松本は「守秘義務のほうが重い」と説く。
「患者さんの尿、検体の所有権は厳密には本人にある。調べるのは治療のため。通報に利用したら目的外使用でしょ。刑法の守秘義務のほうが手続き法である刑訴法の公務員の告発義務より重い。たとえ公務員医師でも、その人の本分は医療だから守秘義務が優先されます。医師は『白衣を着た捜査官』じゃない。海外の精神科医は、医師が通報するなんて、おまえの国は正気か、と驚きます」
世界の主流は刑罰より治療の優先だ。松本は臨床と研究で奮闘し、岩盤のような社会通念に挑んだ。事態が動くのは16年、再犯防止推進法の施行がきっかけだった。近年、元受刑者の再犯率が高まり、社会復帰が困難になっている。とくに覚醒剤の乱用は、初犯で約6割、50歳以上では84%の再犯率といわれる。同じ人が何度も捕まり、刑務所に入るけれど回復せず、また捕まる。
同法は「薬物依存症の人への適切な保健医療や福祉サービスの支援」の閣議決定を義務づけた。18年には薬物犯罪の捜査に力を注いできた厚労省に「依存症対策推進室」が新設される。
そして今年3月、厚労省の啓発イベントで画期的なシーンが展開された。対談セッションのホスト役だった松本は、何の前触れもなく、16年に覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けた元プロ野球選手の清原和博をゲストに迎えたのである。法を犯した人が国のイベントに登壇するのは前代未聞だった。清原は専門的治療を受け、断薬を続けている。松本は「(治療に至る過程で)つらい時期はありました?」と問いかけた。
清原は、ひと言ずつ噛みしめるように語りだす。
「そうですね。2週に1回、病院に通って、テキストを勉強し、薬物について勉強し、そうすることでどんどん自分はこうだったんだ、ああだったんだと理解できて、すごくよかったと思います」
「自分の体験なんですが、薬物というものは一時的にやめられても、やめ続けることは自分自身では難しいことだと思います。勇気を出してですね、専門の病院に行ってほしいなと思います」
■清原和博がイベント登壇、いま苦しいと言える
「ご本人を支えているご家族や、友人にメッセージありますかね」と松本が聞くと、清原はやや緊張の色を浮かべ、視線を宙に這わせて、答えた。
「ほんとに自分、いま、いろんな人に支援していただいて、支えられています。身近な人に正直にものを言えることが、自分はいま、一番変わったことだと思います。薬物使っているときは、それがために嘘をつき、自分をどんどん追い詰めてしまい、ほとんど苦しみの日々でした。それが、近くにいる人の理解があれば、いま、自分が苦しいんだ、つらいんだと言える環境があります」
プロ野球のスーパースターは薬物で奈落の底に突き落とされ、新たな人生を見つけていた。
松本は「海外では回復した人は尊敬されます。(元米大統領の)オバマ、ブッシュは依存症の自助グループに行ったことを堂々と述べています」と対談を締めくくった。
冒頭で触れたNCNPの集団認知行動療法プログラム・スマープが大詰めにさしかかっていた。
参加者は内面を吐露し合い、次の1週間を乗り切るエネルギーを蓄える。ミーティングの合間に席を立って尿検査に向かう人たちがいた。大切な自己確認であろう。閉会が告げられ、それぞれの生活に戻っていく。その先に何が待つのか……。
松本はことあるごとに「薬物依存症から回復しやすい社会をつくろう」と呼びかける。
かつて「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」という啓蒙CMがテレビで頻繁に流された。これを真に受けてはいけなかった。人間はそれほど単純でも、愚かでもない。覚醒剤をすぐにやめられなくても、回復への坂道をのぼれる。たとえ3歩前進、2歩後退だったにしても、希望は「つながり」のなかにある。
(文中敬称略)
■まつもと・としひこ
1967年 神奈川県小田原市に生まれる。父は不動産業を営み、3人きょうだいの長男として育つ。
80年 公立中学に入学。激しい校内暴力の洗礼を受ける。たばこ、シンナー、乱闘が日常茶飯だった。
87年 公立進学校から、1浪後、佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)に入学。読書と映画にのめり込み、市民劇団でも活動する。医学生らしくない生活を送る。妻となる医学生と出会う。
93年 佐賀医科大を卒業し、横浜市立大学医学部附属病院の研修医に。
96年 神奈川県立精神医療センターの精神科救急に配属され、鍛えられる。その後、同センター「せりがや病院」に異動し、依存症治療の最前線に立つ。10代の薬物乱用に直面し、自身の思春期との運命的「再会」を感じる。
2000年 横浜市大医学部附属病院精神科に戻り、助手。
03年 横浜市大医学部精神医学教室医局長に。
04年 国立精神・神経センター(NCNP、現・国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所に移る。司法精神医学研究部専門医療・社会復帰研究室長に就く。
06年 米マトリックス研究所のモデルを参考に「スマープ(SMARPP:Seri gaya Methamphetamine Relapse Prevention Program)」開発。
07年 NCNP自殺総合対策推進センター・自殺実態分析室長。翌年、薬物依存研究部室長を併任。
11年 第17回日本犯罪学会学術奨励賞受賞。
15年 NCNP薬物依存研究部部長に就く。その後、NCNP病院・薬物依存症センターセンター長も務める。著書に『自傷・自殺する子どもたち』『アルコールとうつ・自殺』『薬物依存症』など。
■山岡淳一郎
ノンフィクション作家。『神になりたかった男 徳田虎雄』(平凡社)、『田中角栄の資源戦争』(草思社文庫)、『原発と権力』(ちくま新書)他、著書多数。近著に『生きのびるマンション』(岩波新書)。
※AERA 2019年9月9日号
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AERA
2020/01/09 12:00