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入院から1週間が経ったカニエ・ウェスト、病状に関する専門家の見解とは?
入院から1週間が経ったカニエ・ウェスト、病状に関する専門家の見解とは?
入院から1週間が経ったカニエ・ウェスト、病状に関する専門家の見解とは?  カニエ・ウェストが疲労と睡眠不足による体調不良の為にロサンゼルスのロナルド・レーガンUCLAメディカル・センターに入院してから1週間以上が経った。その間に彼の病状についての情報や、退院がいつになるのかも公式には発表されていない。  米ピープル誌が今週報じたところによると、カニエの妻、キム・カーダシアン・ウェストは夫の状態について「とても心配」しており、夫は依然として正式に診断されていないと話しているという。現在医師たちは量を調整しながら様々な薬を投与しているが、入院してからあまり状態に変化は見られず、医師たちも憂慮しているそうだ。  カニエの長期入院が何を意味し、今後どのように回復していくのか、米ビルボードは精神医療の専門家に意見を聞いた。カリフォルニア大学アーバイン校精神科の精神科医、ジョディ・M・ローレス医師は「(カニエが起こしたような騒動後に)患者が長期入院するのは、回復にそれだけ時間が必要であるということを意味しているだけです」と話す。ローレス医師はカニエの現在の状況について直接詳細を知っている訳ではなく、過去に彼を治療したこともないが、似たような状況で患者を受け入れる場合は必要なだけ入院させ、それ以上は1日も長く居させないと説明する。必要以上に入院するとかえって患者の健康に悪影響が出るからだ。  「疲労と睡眠不足は時に常軌を逸した、精神病的な、被害妄想的な思考を引き起こすことがあります。そして多くのパフォーマーや職業人だけでなく、社会全体として睡眠は足りていないのです」と彼は説明し、「彼のようにパフォーマンスしたり、自身の技を披露したり、インタビューに答えたり、人前に出なければならない人は大きなプレッシャーに晒されています。入院した理由が脱水と疲労だとされているなら、体調不良の原因がそれだけなのか詳しく調べる為に長引いているのかもしれません」と意見を述べた。  ライブのMCでドナルド・トランプ次期大統領への支持を明言し、ビヨンセとジェイ・Zをディスり、コンサートをたった30分で切り上げ、【セイント・パブロ・ツアー】の残り日程全キャンセルし、病院へ搬送される数時間前にファッション・カタログの写真を99枚インスタグラムに連投したりと、数々の奇行が続いた後に入院したカニエ。異様だったり、厄介な行動が続いた後の緊急入院は、2008年に似たような状況で措置入院させられたブリトニー・スピアーズを思い起こさせる。当時彼女は一時的な成年後見制度のもと、日常業務の管理を父親に任せることになり現在も今もその状態は続いているが、パフォーマーとしてのキャリアは復活している。  カニエの【セイント・パブロ・ツアー】は、2016年8月25日に米インディアナポリスで開幕し、9月と10月の間は毎晩もしくは一晩おきに公演を行なっていた。キャンセル前にカニエは86日間で40ステージをこなしていた。米ビルボード・ツアー・チャート“Boxscore”によると、キャンセル前までに3,450万ドル(約38.7億円)の興行収入があったこのツアーは、残り21日程分の払い戻し金額がおよそ2,730万ドル(約30.6億円)に上ると推定されている。
billboardnews 2016/11/30 00:00
特 集 障害者に愛されるテレビとは!?  私たちが放送に期待すること ~障害者の現場から
特 集 障害者に愛されるテレビとは!? 私たちが放送に期待すること ~障害者の現場から
権利条約の大切さをやさしく説いた絵本(汐文社) NPO法人日本障害者協議会代表日本障害フォーラム幹事会議長藤井克徳 ●GALAC(ぎゃらく)最新号のご案内AmazonでGALAC12月号を買う 障害者をめぐる問題は、いかに「当事者意識」を持てるかがカギとなる。 障害のある人たち、そして現場で支える人たちにとって、現在のメディア状況はどう映っているのだろうか。   ●社会のリーダー層の中にも横たわる優生思想     2016年7月26日の未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件の第一報を、私は早朝のラジオで聞きました。何かいやな予感がしました。「T4作戦」のことが頭をよぎったのです。  「T4作戦」とは、ナチス政権がユダヤ人虐殺の前にドイツ人の障害者や病気の人を殺害した計画です。結局20万人以上がガス室で殺されました。この事実を番組にできないかと私はNHKと共同取材し、ETV特集「それはホロコーストの“リハーサル”だった~障害者虐殺70年目の真実~」などの番組が制作されて、15年と16年に放送されました。  やまゆり園の事件では、容疑者が元職員であること、衆議院議長に「障害者を抹殺する」という手紙を出していたことがわかってきて、いよいよT4作戦とオーバーラップしました。  人類の遺伝的素質の改善を目的とする「優生学」は、イギリス、ドイツなどで19世紀後半から広がり、スウェーデンやアメリカでは遺伝性障害のある子どもの誕生を防ぐ「断種」が行われていました。ドイツで1920年に精神科医と法律家が「価値なき生命の抹殺行為を解禁する」という趣旨の本を出し、33年に政権を獲ったヒトラーがこれを利用します。優生思想はヨーロッパを中心にじわじわと広がり、ヒトラー政権で極みに達したのです。  T4作戦による障害者の抹殺は、600万人以上の命が奪われたユダヤ人虐殺のいわばリハーサルでした。このことは長年ドイツでも日本でもほとんど知られていませんでした。ETV特集が再放送されている時期にやまゆり園の事件が起き、こんな形で優生思想が日本に姿を現したことは驚きでした。  報道によると、植松聖容疑者の自宅にはヒトラーに関する資料はなく、本人が供述したようなヒトラーの影響というより、もともと持っていたナショナリズム的な発想と優生思想が合体した結果のようです。彼の行為はもちろん看過できませんが、日本にこういう思想を許す土壌があることに目を向けなくてはなりません。  過去を振り返ると、1966年から74年まで、兵庫県は「不幸な子供の生まれない県民運動」を行いました。また、99年に石原慎太郎都知事は重い障害のある子どもを見て、「ああいう人に人格はあるのかね」と発言しました。07年には愛知県の神田真秋知事が「いい遺伝子」「悪い遺伝子」という言葉を使い、09年には鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が「高度な医療が障害者を生き残らせている」という趣旨のブログを書いています。記憶に新しいところでは、15年に茨城県教育委員会の長谷川智恵子委員が特別支援学校を視察して、「こういう子は出生前になんとかならなかったのか、障害者はもっと減らせるのではないか」といった発言をしました(役職はすべて当時)。日本ではこういう社会のリーダー層のなかにも、また行政の施策にも、優生思想が横たわっています。   ●被害者の匿名報道に見るメディアの主体性の欠如     やまゆり園の事件の翌月、私が日本外国特派員協会で講演したときに質問されたのは被害者の匿名報道についてでした。個人的には被害者を尊重するために名前は公表すべきだと思っています。名前、年齢、性別を知ることによって、私たちの手の合わせ方も変わってきます。  ETV特集のなかに出てきますが、T4作戦のあと、ある父親はナチスに虐殺された障害者の妹の名前を、死ぬまで娘に明かしませんでした。家族のなかに妹はいないことになっていたのです。ナチスに殺され、家族にも黙殺され、二重の殺人になっていたと、その娘が語っています。やまゆり園の事件では家族が匿名を希望したと警察は言っています。もしそうだとしたら、家族の結婚や就職に影響するといった理由があるにしても、もう一歩踏み込んでほしいと思うと同時に、家族にそう思わせてしまう背景が社会の側にあることを感じます。これがこの国の障害者観の到達点というのは辛い話です。  事件後の報道は容疑者の措置入院と施設の防犯対策に集中しました。県が設置した事件の検証委員会が、テーマをこの二つに絞り込んでしまったからです。これは特化したというより矮小化に近い。障害者をとりまく社会が投影された事件ですから、もっと深い検証が必要です。  そもそも障害者入所施設という形態はどうなのか、90人もの人が同じ敷地内にいて、しかも同朋が惨殺された場所に居住し続けることをどう考えるのかなど、さまざまな問題が含まれています。措置入院、防犯対策も大事ですが、そこだけを切り取るのはあまりに対症療法的であって、19人の犠牲の報いにはつながりません。  障害者問題の啓発、誤解の払拭においてメディアは大きな役割を担っていますが、今回は検証委員会に振り回されて主体性が薄いように思います。容疑者があのような思考に至った過程、バックグラウンドを報道機関はもっとえぐらないといけないのに、ほとんどが踏み込んだ報道にはなっていません。いま、精神障害者の社会的入院も問題になっています。国が公表しているだけで7万人以上が医療以外の理由で入院しています。今回の事件はこういった障害者問題の遅れを取り戻す機会にもなるはずです。   ●国連の障害者権利条約への対応を問われる放送事業者     では、テレビはどうすればいいのか。キーワードは「参加」だと思います。直接か間接かは別として、番組の企画、制作、そして中身を点検するモニタリングに、障害者が参加するのです。  その話をする前に、いまから約10年前に国連で定められた「障害者の権利に関する条約」を紹介します。日本は14年に批准し、現在は国内法にもなっています。そこではメディアについても問題提起がされています。  まず、第八条には「あらゆる活動分野における障害者に関する定型化された観念、偏見及び有害な慣行(性及び年齢に基づくものを含む。)と戦うこと」と書かれています。日本の法律で「戦う」ことを定めているのはここだけです。総理も民間人も戦うし、自分のなかにある優生思想とも戦うのです。また「全ての報道機関が、この条約の目的に適合するように障害者を描写するよう奨励すること」とされています。  続く第九条ではハード面のテレビへのアクセスについて定められています。第二十一条には「マスメディアがそのサービスを障害者にとって利用しやすいものとするよう奨励すること」とあり、第三十条には「障害者が、利用しやすい様式を通じて、テレビジョン番組、映画、演劇その他の文化的な活動を享受する機会を有すること」と書かれています。  今後はテレビもこの国際規範に沿わなければなりません。条約が作られる過程で、議場で何回も繰り返されたのが「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」というフレーズでした。私はニューヨークの国連本部で100日にわたる審議の約半分を傍聴しましたが、当事者参加の方針から、毎回障害者が発言する機会がありました。WHO(世界保健機関)は全人口の15%、アメリカ連邦政府は20%が障害者だとしています。もうマイノリティとは言えません。障害者が参加して考える過程があったから、権利条約はすばらしいものになったのです。  同じようにテレビ番組の制作にも、当事者に加わってもらえばいいと思います。当事者の意見がいつも正しいわけではありませんから、ときには激しく議論する。理念だけ言っていてもダメなので、企画、制作、モニタリングの各段階に当事者が加わる仕組みを意図的に作る。いまは制作者個人の資質に任されていますが、今後は「参加」の実質が問われていくでしょう。   ●メディアは生産性、経済性の論理に従いすぎていないか     今年8月にはNHK Eテレ「バリバラ」が、日本テレビ「24時間テレビ」のような感動的な障害者の描き方について取り上げて話題になりました。「24時間テレビ」は30年を超えて国民に定着している番組です。ただ、感覚的にではありますが、どうもピタッとこない。何か違和感がある。それは当事者性が薄いからではないかと思うのです。当事者の顔が見えなくて健常者側の論理になっていると、作られた感動に見えてしまいます。もちろん視聴率は大事ですが、まずはメディア側の努力と工夫が必要です。  「バリバラ」は頑張って工夫していますが、独自の道を行っていますから、必ずしも標準的な障害者の感覚ではありません。いずれにしても、番組の企画段階から当事者が参加し、多様な意見が入る仕組みを作ることが大事です。  グローバリゼーションが進む現代は、国も地域も一つの大きな器のなかに入ってしまって序列化されています。軸になっている尺度は生産性、経済性、効率性です。障害者、病気の人、高齢者など、生産性が乏しい人は人間的に価値がないと見られるのは70年前の「価値なき生命の抹殺」と原理的に近い。市場原理、競争原理、勝ち負けといった言葉で表されていますが、優生思想と地続きのような流れがあります。  社会は進歩しないといけないし、生産性や経済性は大事です。上へ上へという発想を持たなければ人類は進歩しません。でも、生産性という縦軸だけではなく個人の尊重、弱い人との共感、つながりなどの横軸も同じぐらいのエネルギーを使って広げてほしいのです。縦軸一本やりでは、そのうちパタッと倒れてしまいます。  世界はこぞって縦軸ばかりの進歩を目指し、メディアもそれに従っている感じがしますが、縦と横が均衡に発展していかないといけません。   ●手話放送は1%以下進んでいない障害者向け放送     障害者はテレビを見るとき、字幕、音声解説、手話の3つをよく使います。放送時間に占める字幕放送の実績(※総務省調べ)はNHK総合76%、在京民放キー局58%で増えていますが、9月の台風のときは入っていないことがありました。緊急時に情報が欲しいのは障害者も同じです。音声解説は各10%、2%。手話は各0・2%、0・1%と低く、ほとんど伸びていません。テレビへのアクセスの平等性をどう確保するかは、テレビ業界に課せられた大きな課題です。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、今後4年間で業界をあげて取り組んでほしいところです。  東京オリンピック・パラリンピックは「障害者が住みやすい社会はみんなが住みやすい」ことを実感できる街づくりのチャンスです。パラリンピックは最近ようやく新聞の社会面からスポーツ面で扱われるようになり、オリンピックと同じように放送されるようになりました。この機会に、選手だけでなく障害者一般のスポーツ、レクリエーションの問題も考えてほしいと思います。  ラジオも障害者問題を正面から取り上げる番組は少ないですが、NHK第2が「視覚障害ナビ・ラジオ」という番組を毎週日曜の夜7時半から放送しています。行政や福祉機器の情報、提言など、優れた番組です。キャスターも障害者で、当事者の意見を聞いていますし、スタッフの尽力が大きいと思います。民放ではTBSラジオ「荻上チキ・Session―22」が障害者問題をときどき取り上げています。   ●対等にふるまうための個別的支援をテレビはどう実現するか    今年8月、東京メトロ青山一丁目駅のホームで視覚障害者の品田直人さんが転落死されたとき、テレビは障害者団体が現場を視察したことを報道していました。しかし、一瞬で終わってしまい、取り上げ方が浅いと感じました。社会福祉の問題は起こった現象と背景の両方を見る必要があります。この転落事故もやまゆり園の事件も、障害がなければ起きませんでした。そこにスポットを当てる視点が欠けています。自分が目隠しをしてホームを歩いたらどうなるか、鉄道会社のリーダー層の想像力の欠如など、背景までえぐり、当事者も入って解決策を考えるところまで報道されればよかったと思います。12月3日からの障害者週間に今年の障害者にまつわる事故、事件を振り返ってほしいですね。  国連の権利条約を受けて、日本では今年4月に「障害者差別解消法」が施行されました。この法律でいう「差別」とは何かというと、権利条約の第二条に「障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む」と定義されています。特に「合理的配慮」にどう関わるかが、放送局には問題になるところです。合理的配慮とは、私とあなたが対等にふるまうための個別的な支援です。これを提供しないと差別になってしまいます。  私は「重箱の三段重ね」で説明するのですが、例えば、駅にエレベーターがあれば障害者、高齢者、ベビーカーを押す人、二日酔いの人も助かります。これが重箱の一段目のユニバーサルデザインです。二段目は車いすでも切符が買えるように券売機を低くしたり、点字をつけたりする、障害者共通の支援策です。そして三段目の合理的配慮は、ホームと電車のすき間が大きくて車いすで乗れないとき、駅員さんに助けをお願いするような個別的対応です。  メディアはこの法律にどう対応すればいいのか。テレビは字幕、手話、解説放送など、重箱の二段目までで終わっています。ただ、二段目の障害者共通の支援策も最初から共通だったわけではなく、障害者個人のニーズから始まったものです。いまは知的障害者にもわかりやすいように、ゆっくりと平易な言葉を使った放送の研究も進められています。海外では英BBC、米NBCやCNNなどがさまざまな研究、実践を始めています。この法律は国家公務員、地方公務員には義務づけられていますが、交通事業者、放送事業者に対しては努力目標ですから、まだ安心していると思いますが、今後は問われてくると思います。「障害者が住みやすい社会は誰もが住みやすい」。ぜひメディアもこの視点を強化してもらえるよう期待します。(談)G ふじい・かつのり 1949年福井県生まれ。都立小平養護学校教諭を経て、日本初の精神障害者の共同作業所「あさやけ第2作業所」や「きょうされん」(旧共同作業所全国連絡会)活動に専念。自身、視覚障害で、著書に『見えないけれど観えるもの』『えほん障害者権利条約』など。 インタビュー ・ 構成/仲宇佐ゆり
dot. 2016/11/29 16:00
発達障害のピアニスト・野田あすかを救った恩師の言葉とは?
発達障害のピアニスト・野田あすかを救った恩師の言葉とは?
初めての東京公演に臨んだ野田あすかさん(撮影/写真部・岸本絢)  22歳になるまで障害のあることがわからなかった。いじめ、転校、退学、そして自殺未遂……。周囲に誤解され、戸惑いながらも、努力と感性で生きてきたピアニストが今、大きく羽ばたこうとしている。  なんて幸せそうにピアノを弾くんだろう。1曲弾き終えるたびに、小さな手のひらで自分に、観客に、一生懸命拍手をする。光をたたえるような笑顔、やさしさあふれる音色……。  ピアニスト野田あすかさん(34)のコンサートが10月19日、東京・王子ホールであった。東京では初めての公演だ。1部でショパンの「幻想即興曲」などクラシック5曲、2部で自作した5曲を演奏。アンコールでは「今の心境」を即興で曲にし、観客を魅了した。  前日の取材で、あすかさんはこう語った。 「2部は自分で作った曲なので、『私はこんな人です』と自分を紹介するような気がします。この曲を聴いた人たちがちゃんと私のことを聴いてくれるかなとか、『へんてこりんな子だな』って思われないかなとかそんな緊張があります」  へんてこりんな子──。あすかさんは幼い頃から周囲の誤解の中で生きてきた。  1982年、広島県生まれ。4歳からピアノを習い始めた。母恭子さんの指導は厳しかった。和音を聞かせて「何の音?」と尋ねる。間違うと、「そうじゃない!」と叱られ、泣きながら鍵盤に向かっていた。  父福徳さんの転勤に伴い、宮崎市に転居。小学校では、先生に校庭の草むしりを頼まれれば、一心に抜き続け、チャイムが鳴ってもやめずに怒られた。言われたことをやっているのに怒られる理由がわからなかった。「右向け右」と言われると、左を向いてしまった。みんなと同じことができない。でも、両親は「ユニークな言動は娘の個性」と思い続けていた。  あすかさんは小学生時代に、すでにピアニストになることを夢見ていたが、中2の頃、自傷が始まった。高1でいじめに遭い、不登校になった。転校して元気を取り戻し、2000年に宮崎大学に現役で合格。だが、入学して間もなく人間関係のストレスからパニック症状に見舞われ、過呼吸の発作を起こして倒れるようになった。  頻繁に倒れるため、精神科を受診。ここで診断されたのが解離性障害だった。  解離性障害があると、強いストレスなどをきっかけに、自分が自分であるという感覚が失われてしまう。ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちたり、まるでカプセルの中にいるような感覚にとらわれたりし、自分をコントロールできなくなってしまうことがある。  医師は「ピアノが原因かもしれない」と判断し、半年間、弾くことを許可しなかった。入院中には洗剤を飲んだり手首を切ったりし、自殺未遂を繰り返した。本人は「先生がどうして私からピアノを取り上げるのかわからず、気持ちを抑えられなくて、暴れるしかなかった」と振り返る。  いったん退院すると、「本当の地獄が始まった」(福徳さん)。夜中に近所を徘徊したり、泣きわめいて2階から飛び降りようとしたり。福徳さんが互いの腕を紐でしばって寝る夜もあった。恭子さんは、娘を抱きしめてなだめた。泣き叫ぶ声を聞いた近所の人から虐待を疑われ、警察に踏み込まれたこともあった。  大学は2年で退学。1年以上経って、あすかさんが「ピアノを弾きたい」と言いだした。宮崎女子短期大学音楽科(当時)に長期履修生として受け入れられた。ここで人生を変えてくれる恩師、田中幸子先生に出会う。 「田中先生は、私のテクニックがなかったり手がちっちゃかったり、右足のこと(後述)もそれが悪いとは絶対言わない。『それならそれで』と全部受け入れてくれた」(あすかさん)  先生はこうも言った。 「あなたは、あなたの音のままでとてもすてきよ」  それまで自分を否定したり、諦めたりすることしか考えられなかったあすかさんにとって、「救いの光のような、すごくびっくりする考え方だった」。  私は、私のままでいい──。そう気づいてから、ピアノの音色が変わった。自分の音が好きになった。  先生との出会いが症状を安定させ、ピアノへの情熱をさらに駆り立てた。  22歳だった04年、ウィーン国立大学での5日間の短期留学ツアーに参加。ところが、現地で過呼吸発作を起こしてしまう。入院先での診断は「広汎性発達障害」(現在の用語では「自閉症スペクトラム障害」)。帰国後、改めてその障害が確定された。医師から「発達障害は生まれながらの脳の機能障害です」と告げられ、両親は途方に暮れた。 「私のどこがいけなくて、障害のある子どもを産んだのか」。恭子さんは自分を責め続け、娘の見舞いにも行けなくなった。  広汎性発達障害は、社会性やコミュニケーション能力などの発達遅滞を特徴とする発達障害の総称。人の気持ちを理解するのが難しく、他者との意思疎通がうまくできない▽言葉が覚えられない▽興味の幅が狭く特定のものにこだわる──といった特性がある。  あすかさんは、幼い頃から人の顔を見るのが苦手だった。顔を見てもその人が誰だかわからず、表情を読むこともしぐさを感じることもできない。小学校の通信簿には「誰にでも、わけへだてなく声をかけています」と書かれたが、それは「誰が目の前にいるのかもわからなかったから」。 「発達障害」は、彼女が幼少期だった90年代はあまり知られていなかった。両親も、娘が人の目を見て話さないのは視力がよくないせいだと思っていた。一つのことに集中するのも長所と理解した。障害があるとは夢にも思わなかった。  あすかさんの場合、広汎性発達障害が放置されていたため、解離性障害を引き起こしたとみられている。05年春には、解離性障害の影響で、2階の窓から飛び降りて右足を粉砕骨折した。今も不自由なままだ。  ただ、あすかさんは診断を前向きにとらえた。医師の「あなたの努力が足りないのではなく、そういう障害が生まれつきあったからだ」との言葉に納得できた。発達障害の人は自分の興味があることは、普通の人よりもっと上手にやっていくことができる。そう知って、ますますピアノに一心に打ち込んだ。  06年、第12回宮日音楽コンクールに出場。学生時代によく練習していたプーランクの「3つの小品」を選んだ。 「すごく不安でした。松葉杖をついている状態だったので、『弾いたら帰ればいいね』という程度だったんです。ところが、以前の音色とはまったく違いました。聴いているうちに心が震えるんです」(恭子さん)  結果は、グランプリ。あすかさん自身も驚いた。 「小さい頃は、コンクールに入賞するために、その曲に合った音色どおりに弾かなければと、自分を抑えて弾いていました。まねごとのピアノはつらかったです。でも、田中先生に教えてもらうようになってからは、良くても悪くても自分の『心の音』を出せるようになって、ありのままの自分でいいと思うようになりました」(あすかさん)  解き放たれた彼女の心が聴く人の心に共鳴する。心の痛みがやさしく修復されていく。そんな音色だ。  09年、カナダで開催された第2回国際障害者ピアノフェスティバル。銀メダルのほか、オリジナル作品賞と芸術賞のトリプル受賞をはたした。カナダ民謡をあすかさんが編曲したオリジナル曲は「舞台の神様が演奏者に乗り移った感じがする」と絶賛された。  注目度が高まり、イベントなどに呼ばれるようになった。テレビ宮崎は、あすかさんのドキュメンタリー番組を制作。日本テレビ系「24時間テレビ」にも2年連続で出演した。29歳でソロ公演に挑戦。宮崎市の清武文化会館半九ホールは500人を超す人々で埋まり、大成功を収めた。  発達障害に早く気がついてあげれば、解離性障害を防ぐことができたかもしれない。そんな後悔に苛まれてきた福徳さんと恭子さんは娘に謝った。あすかさんは両親にこう言った。 「悲しい気持ちや不安な気持ちと一緒にいるから、やさしい音ができ、曲も書ける。謝らないで」  東京公演の前日、「何をどうすればプロのピアニストになるのかわからないけど、今回のコンサートがスタートになれるように頑張ります」と語ったあすかさん。終演後、ロビーには長い列が続いていた。その先には、ちっちゃい手でしっかりペンを握り、一心にサインを書き続ける彼女の姿があった。 ※週刊朝日 2016年12月2日号
発達障害
週刊朝日 2016/11/27 07:00
差別意識が「正義」 相模原大量殺傷事件はなぜ起きたのか?
差別意識が「正義」 相模原大量殺傷事件はなぜ起きたのか?
7月26日、戦後最悪の殺傷事件が起こった「津久井やまゆり園」には救急車両などが集まり救助活動が続いた (c)朝日新聞社  神奈川県相模原市の障害者施設で、刃物を持った男が入所者らを襲い、19人が死亡、26人がけがをする事件が7月26日未明に起こった。なぜこのような事件が起きたのか。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された解説を紹介しよう。 *  *  *  多くの人が亡くなり、傷つき、今も不安で眠れない人がたくさんいることに、まずは想像力を働かせてみよう。そうすれば、いかに理不尽で無残な事件だったかがわかるはずだ。この事件の背景を、社会や国家に焦点をあててみていこう。  今年4月、障害をもつ人への差別を禁止する「障害者差別解消法」がスタートし、日本は障害のあるなしにかかわらず、共に生きる社会を目指すことを法で定めた。一方で、働いて社会に貢献することに人の価値をみる経済中心主義も広まっている。その流れの中で、生産労働には不向きの障害をもった人々が、就職や昇進、あるいは結婚や居住、就学において差別を受けることがある。容疑者の発言には、障害者には価値がなく不幸であり存在しないほうがいい、という間違った考えが見られたが、それは社会に残る障害者差別の線上でもある。だがさらに、障害者を積極的に社会から排除すべきという優生思想も語られた。いのちを社会や国家が選別し、無用とされ負担となるいのちを政策的に抹殺しろという主張である。容疑者は国に代わって大量殺人を行ったと自負し、あの行動を「正義」だとも考えている。この確信的な行動は、いうまでもなく、障害者を対象にしたヘイトクライムだ。国際的に厳しい対応が求められる人権侵害である。そのうえ、今回の犯罪は日本が目指してきた共生社会に真っ向から反する「テロ」でもある。  刑事事件としての捜査が進行するなか、政府の対応は、容疑者が措置入院(※)を命じられていた事実を重く見て、措置入院制度の改革や、障害者施設の安全確保のための隔離という方向に進んでいるようだ。だがこの対応はテロに屈したともいえる。障害のあるなしにかかわらず、共に同じ地域やコミュニティーで生きていく共生社会という目標とは反対の方向に舵を切ったともいえる。もしそうなら、それは容疑者がある意味で望んでいた方向ではないか。  いま私たちに求められるのは、これまで日本においてさまざまな障害者団体や個人が尽力してきた、共生という方向性を前進させることである。狂信者が恐れ憎む自由や寛容、人間性こそ、狂信者への断固たる態度になりえるのだ。(解説/慶應義塾大学教授・岡原正幸) ※自分や他人を傷つける恐れがある場合に、都道府県知事などが、本人の同意なしに指定の精神科病院に入院させること 【キーワード:優生思想】 生きる価値のある生命とない生命、優秀な生命と劣った生命とを分けて、社会国家の繁栄や質の向上のために、劣った生命を排除し減らすべきという思想。 【キーワード:ヘイトクライム】 特定の特徴(民族、宗教、性的指向、障害の有無など)をもった個人や集団への、差別や憎悪による犯罪行為(傷害・殺人など)。 ※月刊ジュニアエラ 2016年10月号より
AERA with Kids+ 2016/10/11 16:00
医療の枠には収まらない「スーパー医師」が社会を変える
医療の枠には収まらない「スーパー医師」が社会を変える
作家 久坂部羊さん(61)/筆名はお気に入りの作家名と本名の組み合わせと、ヒツジ年生まれであることなどから。患者の言葉から発想が膨らむこともある(撮影/大嶋千尋)  臨床に研究に、ただでさえ超人的な能力を期待される医師。それにとどまらず、別の才能をも開花させている「スーパー医師」たちがいる。  医師と並ぶ難関資格の双璧と言えば、司法試験だろう。日本における医師、弁護士の「ダブルライセンサー」の先駆けが、獨協学園の理事長を務める寺野彰氏(74)だ。  少年時代は法学を修めて官僚になることを望んでいたが、母の強い意志に押し切られて、東京大学医学部に進学した。折しも学生運動真っ盛り、無給で不安定な卒業後のインターン制度の廃止などを唱え、闘士として名をはせた。そこで感じたのが、「医学は純粋科学ではない。社会問題抜きには語れない」ということだった。 ●社会に根差した医師に  卒業後、浜松市の病院に勤めていたときに結婚。東京に戻ろうかと考えた矢先に、近くで診療所を開いていた義父が倒れ、診療所を手伝うことになった。診療所では診療が忙しい上に、環境も整っていないため医学研究ができない。それならば、好きな法学を勉強しようとの思いが頭をもたげてきた。  200キロ以上離れた東京まで車を駆って、山ほどの法律書を買い込んで帰った。診療の傍ら、ほぼ独学で3年目。司法試験に合格したのが32歳の時だった。  2年間の司法修習を終えると、「どっちつかずになる」のを嫌って、軸足を医師業に戻した。消化器内科医としての腕前を一流と認められるまでに上げ、薬のように飲み込むだけで、大腸などの消化器の内部の画像を撮影できる「カプセル内視鏡」を日本に導入する立役者になった。また、獨協医科大学の病院長、学長を歴任した。  だからといって、弁護士業も諦めたわけではなかった。1998年に弁護士登録し、主として患者から医療訴訟を持ちかけられた弁護士仲間の相談に乗った。今は週2回、弁護士の仕事をして、医療以外の事件を手掛けることもある。 「70歳も過ぎたことだし、法律に根差した社会活動をやるのもいい」  そんな中でも、週1回の回診は欠かさない。「週に8日は欲しい」となお精力的だ。  そんな寺野氏の背中を見て、古川俊治参院議員(自民党)らが後に続いた。そして、2004年の法科大学院開設で、いろんな経験を積んだ社会人に法曹界への門戸を広げようという動きが強まり、新世代の医師兼弁護士が次々と誕生している。  浜松医科大学で医療法学を教える大磯義一郎教授(41)は、早稲田大学法科大学院の1期生だ。父が弁護士、父方の祖父が裁判官、母方の祖父も弁護士、とまさに法曹一家だったが、自身は99年に日本医科大学を卒業した。横浜市立大学病院の患者取り違えや、都立広尾病院の薬誤投与など医療事故が立て続けに起こり、医療不信が声高に叫ばれるようになった年に当たる。  いま取り組んでいるのが、医療訴訟のデータベースの分析だ。医療事故では、患者と接する時間が長く、最終行為者となる若い医師が、当事者となることが多い。「同種の事故を防ぐことで、患者はもちろん、現場の若い医療従事者も救いたい」と考えたのだ。医学生への法学の教育に没頭する傍ら、週1回は内科のクリニックで診療も続けている。 ●森鴎外から続く道  作家兼医師の草分けは、陸軍軍医のトップにまでなりながら、旺盛な作家活動を展開した森?外だろうか。その?外に続けとばかり、その後も文壇に進出する医師は多い。  現代の医療ミステリーの旗手で、15年秋に『破裂』『無痛』と相次いで作品がテレビドラマ化された久坂部羊(くさかべよう)氏(61)もその一人だ。  作家を夢見る青年だったが、医師である父の勧めで大阪大学医学部に進んで外科医に。手の施しようがないがん患者への関心が薄くなりがちな大学病院で、緩和医療という言葉もない時代に手探りで終末期医療に挑む毎日。疲れ果て、海外をめざして外務省の医務官に応募。9年間の在外公館勤務という珍しい経験をまとめたエッセーが、本格的に作家デビューするきっかけになった。  さらに帰国後、リハビリテーション施設や在宅医療で高齢者と向き合った経験から、虚構の世界を通じた問題提起をしようとの思いにつながった。『破裂』では、役人が高齢者を抹殺するという極端な世界を提示して反響を呼んだ。  徐々に軸足を作家業に移したが、今も週1日、クリニックで非常勤勤務を続ける。「医師として育ててくれた人に報いる意味でも、責任を果たせる範囲で、診療は続けたい」  TBSのテレビマンから医師に転身したのが、帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏(69)。32歳で九州大学医学部を卒業し、精神科医院を開業。ギャンブル依存症の専門診療などに取り組みながら、作家業を続けている。『閉鎖病棟』(山本周五郎賞)のほか、『生きる力 森田正馬の15の提言』のような精神医学の専門書もある。  08年に急性骨髄性白血病に倒れて入院したとき、生まれて初めて「3食昼寝つきの専業作家」になって、無菌室で『水神』(新田次郎文学賞)を書き上げた。快癒した後も年1作のペースを守り、テーマは医療にとどまらず、社会派の意欲作を送り出す。  執筆には、医学を学んだ経験が大きく生かされている、と思っている。「まず患者を観察し、次に病気の由来をたどりつつ、資料を調べるなどして自分なりの考察を出す」のが医学なら、執筆でも書きたいテーマをよく見て、調べ、最後の段階で自分なりにそのテーマを「揺さぶってみる」ことが不可欠だからだ。  医師としての診療は、よろず相談のようでも患者の役に立っていると思えるので、80歳ぐらいまでは続け、そして「小説家としては、遺言のつもりで1作品でも多く残せたら」と考えている。 ●薬の「掲示板」で急成長  起業を志す医師もいる。医師専用SNSのメドピアを起こした石見陽氏(42)は、現役の医師兼経営者。同社は今や医師会員10万人余りを抱えるまでに成長し、14年には東京証券取引所マザーズ市場に株式上場を果たした。  母方の祖父、伯父、いとこと医師の多い家系に生まれた。2歳上の兄も医学部に進み、医師は身近な存在だった。99年に信州大学医学部を卒業し、循環器内科を専門に据えた。  最初の起業は、大学院時代。研究で病棟勤務を一時的に離れることになり、空いた時間で、医師向け求人サイトを束ねるポータルサイトを立ち上げた。ITブームにも乗って順調に業績を伸ばし、それを元手に07年、医師同士が診療について自由に意見をやりとりできるサイトをオープンさせた。  その翌年から、社長自ら学会を行脚して会員を勧誘した。出版社とも提携して会員が増えたところで、勝負に出た。グルメサイトの「薬版」とばかりに、医師向けに薬の口コミ掲示板を設けたのだ。そこに製薬会社が広告を出してくれるようになり、一気に利益体質に転換した。 「社長業」へのコミットを決意し、循環器内科医としての道を究めることは諦めたが、医師を辞めたわけではない。上場後も、週1回の外来勤務を続けている。現場感覚を持って医師のニーズをつかむことはもちろん、医療業界を変革していくためには「医療の中の人」であることに意味があるからだ。 「最終的に“患者を救う”のが会社の理念。全国の医師たちをつなぎ、その“集合知”で医療現場を変えたい」 ●CGで治療を手助け  11年に東京大学医学部を卒業した瀬尾拡史氏(31)は、CGクリエーターの顔も持つ。医学部在学中にデジタルハリウッドでCGも学び、臨床研修中にサイアメントという会社を設立した。  もともと中学時代にテレビ番組で見たCGに感化され、面白くてためになる科学分野のCG制作で身を立てることを決めていた。医学部に進んだのもその延長線上にある。 「専門的な医学をちゃんと学びたかった」  2年間の研修医生活を終えた後、診療からはすっぱり手を引いたが、これまでの医学知識や人脈をフル活用してCG制作に挑む。例えば、12年から開発に取り組む気管支鏡検査のシミュレーション用の3次元CGは、医師が事前に見ることで、手術や検査の時間を短縮し、患者の負担を減らすこともできる。 「優秀な医師は世の中に大勢いるので、患者さんの治療は任せればいい。僕は単にコンテンツを作るだけでなく、治療や診断に役立つことを目指す」  医学部は、究極の「職業訓練校」でもある。しかし、医学部を卒業することは、医師以外の道を閉ざすことではなく、むしろ地平線を広げる可能性を秘めていることを、出会ったスーパー医師たちは教えてくれたような気がする。(ジャーナリスト・塚崎朝子) ※AERA 2016年10月3日号
病院
AERA 2016/09/30 11:30
滅私奉公なんてクールじゃない 効率最優先のイマドキ医学生
熊澤志保 熊澤志保
滅私奉公なんてクールじゃない 効率最優先のイマドキ医学生
(撮影/写真部・松永卓也) 勉強を始めた時期、医学部に進学した理由、ワーク・ライフ・バランスの希望は? 希望年収額は? 研修先の病院を選ぶ基準は?(医学生215人アンケートから)  いつの世も、医師になるには難関を突破しなければならない。現代のエリートたちはどうやって勉強し、何をめざしているのか。  夏を過ぎたこのごろ、医学部6年生らは、卒業試験と医師国家試験に向け、準備を進めるまっただ中だ。 「試験はすべてハード。大学によっては1学年20人近い留年者が出たと聞きました。卒業試験に通らないと、国家試験を受けられないので、皆必死です」  東京都内の私立大学医学部に通うAさん(24)は言う。  入り口の医学部入試の難易度は年々上がっている。河合塾のデータによれば、国公立大学医学部の偏差値は、1985年に比べ、軒並み上昇。医学部は全国の優秀な学生が集まる傾向にあるのだ。 ●講義はオンラインで  医師国家試験対策のオンライン予備校medu4を主宰する穂澄医師は「彼らは中高時代から人気講師のオンライン講座を受け、最短距離で医学部に勝ち上がってきた世代。効率よく学ぶ習慣が身についています」と指摘する。  その一人であるAさんは、こんな疑問を口にした。 「卒業試験の内容が国家試験に準拠しない大学もあり、医学生にとっては負担。効率よく勉強しようと考えると、大学の教授の講義より、オンライン予備校の講義が断然いい」  AERAは、現役医師アンケートと同時期の9月、現役医学生を対象にしたインターネット調査を実施。国家試験や研究室進学に関心のある層を中心に、215人(うち男性124人、女性91人)の生の声を集めた。  回答では、62%が大学生活で「勉強・進級に苦労した」としている。  国家試験の合格率は高く、毎年9割程度の受験者が突破する。落ちる不安は少なそうに見えるが、医学生らにとってはプレッシャーだ。 「ほとんど落ちるのならいいが、9割が受かる試験に落ちるのは絶対に避けたい」  と思うのだ。 ●私生活とバランスを  最近は国家試験の難易度も上昇傾向と言われ、 「大学の講義と過去問だけで、国家試験に挑む医学生は激減。直前対策を含めれば、ほぼすべての受験生が国家試験対策の講義を受講しています」(穂澄医師)  以前はどの専門科に進むかという進路相談も多かったが、いまは国家試験に向け学習計画を立ててほしいという相談が多いという。  では、医学生が勉強一辺倒かというと違うようだ。部活やサークルの所属者が9割近く、アルバイトをする学生も5割超いる。医学部に入る勉強を始めたのは、8割超が高校生以降だ。前出のAさんも、高校時代は野球部の部活や文化祭を思う存分楽しんだ。大学でも野球部に入り、現在は研究室での活動に熱中している。  そうした背景からか、将来は仕事と私生活のバランスを重視する層も多い。今回の調査でも私生活重視型がやや勝り、希望する診療科を聞くと、人気、不人気にくっきり表れた。  1番人気は小児科。現役医師アンケートで将来性が低いとされた科だけに意外だが、「子どもを助けたい」といった、熱い思いが目立った。人を包括的に診るとして、国が進める総合診療医の人気も高かった。 ●人生設計も現実的  最も敬遠されたのは外科。「体力的にハード」(宮崎大6年)、「腰痛持ちには立ちっぱなしはつらい」(埼玉医科大6年)などの声があがった。  そんな彼らは、人生設計でも現実的だ。ある都内私大に通う5年生の女性Bさん(23)は、周囲の医学生カップルが別れのラッシュを迎えている。 「付き合っていれば結婚が視野に入るし、先がないなら別れる。卒業や初期研修を待たず、5、6年生で結婚して、出産する人もいます」  別れるのも、早々に結婚や出産を選ぶのも、これからのキャリアを見据えるがゆえだ。  地方私大の5年生女性Cさん(23)は、温かい家庭を築きたいから、安定した職業として医師を選択した。卒業後はまず結婚し、子育てをしてから、3、4年後に初期研修をと考えている。 「バリバリ働きたい人は、私のまわりではまれ。結婚して子どもがほしいという人が多い」  医学生の多くは目標に対し、合理的に考える傾向があるようだ。  順天堂大学練馬病院で指導医を務める小松孝行医師(33)は、現状に懸念も感じている。  医師として入る現場は、時には正解がない。前提や条件から自分で想定し、考える必要があるからだ。 「研修もマニュアル化が進み、全員がある程度、質を担保できるようになっています。が、効率を重視するあまり、肝心の思考力や人間力がおざなりになっていないか。どんなに優秀でも、医師一人でできることには限りがある。患者や医療従事者らと信頼関係を築く能力を身につけてほしい」 (編集部・熊澤志保) ■希望する科ランキング 1.小児科  小さい頃から憧れていた(愛知医科大6年・男性 ほか多数) 2.総合診療科  今後需要が高まるから(福島県立医科大1年・男性) 3.内科  パートでも働き口が多い(大分大4年・女性) 4.外科  移植手術に携わりたい(新潟大6年・男性) 5.麻酔科  ひとり立ちが早い(海外大2年・女性) ■希望しない科ランキング 1.外科  体育会系のノリが嫌い。家庭を保てる気がしない。バツ4など離婚話をよく聞く(千葉大5年・男性) 2.ない・わからない  まだ自分の可能性を狭めたくない(多数) 3.精神科  患者の話を聞くのはちょっと(慶應義塾大6年・男性) 4.産婦人科  少子化が進み訴訟率も高め(獨協医科大6年・男性) 5.皮膚科  生死に直結しない(浜松医科大4年・男性) ■研修でも効率を求める医学生 東京の人気病院より経験積める地方を選ぶ  医学生の将来を大きく左右するのが、卒業後の研修をどこで受けるか。その選び方にも、今どきの医学生像が透けて見える。  神戸大学医学部6年生の永江真也さん(23)はこの夏、研修先に仙台厚生病院を選んだ。地方の拠点病院とはいえ、地元でもない東北をなぜ選んだのか。  永江さんは実は当初、東京での研修を考えていた。診療科がそろう都内の総合病院を2、3カ所ピックアップしていたという。患者も多く、バランスよく研修を受けられると思っていたからだ。  しかし、先輩医師に相談すると、「有名病院だから、経験を積めるとは限らないよ」。  そこで、日本内科学会の「教育病院・大学病院年報」を使い、内科医1人当たりの年間受け持ち患者数と、年間救急入院患者受け入れ数を自分で計算してみた。 「驚きました。研修先として人気の有名病院が、必ずしも受け持ち患者数や救急患者数が多いわけではなかったからです」  例えば、東京の国立国際医療研究センター病院は受け持ち患者数は150人足らず、救急患者数が二十数人。一方、仙台厚生病院や千葉県の民間総合病院などは受け持ち患者数がともに300人以上、救急患者も数倍、受け入れていた。  できるだけ経験を積みたいと考えていた永江さんは結局、仙台の地を選んだ。「将来は消化器内科に進み、胃カメラの技術を身につけたい」と話す。  以前は、学んだ大学の病院や系列病院での研修が一般的だったが、2004年に制度が変わり、医学生は希望する研修先を病院側とマッチングして選べるようになっている。  アンケート結果では、研修先の病院を選ぶ基準は、「研修に力を入れている」が39%を占め、「忙しく、経験を積める」(20%)、「忙しくなく、ゆとりがある」(15%)と続いた。  病院により専門分野や得意分野は異なる。学生間での研修先の人気は、研修医らの口コミによるところも大きかったが、「積める経験」の根拠を精査して進路を決める医学生が増えそうだ。 ※AERA 2016年10月3日号
仕事医療
AERA 2016/09/29 11:30
レーズンエクササイズって何? うつ病の心理療法「マインドフルネス」
レーズンエクササイズって何? うつ病の心理療法「マインドフルネス」
レーズンエクササイズって?(※イメージ)  うつ病治療の3本柱は、「環境調整」「薬物療法」「心理療法」。今回は、心理療法の一つ、認知行動療法として近年注目を集める、「マインドフルネス」。治療の最前線を紹介する。 「これはトマト、こっちはインゲン、こっちはピーマン。苗はホームセンターや近所の農家から買っているんですよ」  こう言って記者に写真を見せてくれたのは、関東地方在住の小川一夫さん(仮名・70歳)。毎日の土いじりで日に焼け、真っ黒になった顔に笑みが広がる。  うつ病とは縁遠いように見える小川さんだが、これまでに3回発病。いずれも仕事が激務だったのが原因で、人間関係のこじれもあった。大学病院の精神科などに入院し、休職期間は合わせて1年以上にも及んだ。  小川さんがうつ病から再起を遂げるきっかけとなったのが、野菜作りだ。抗うつ薬のデプロメール、パキシル、トレドミン、抗不安薬のセルシン、デパス……。闘病中は次々と処方が変わったが、どれを飲んでも頭がボーッとするだけで、体調が良くならない。そんな小川さんの様子を心配した父親から「気晴らしにどうか」と誘われたのが、父親の趣味、家庭菜園だった。 「手伝い始めてしばらくしてからです。芽が出て、幹が太くなり、実をつける。野菜の伸びようとする姿に感動してしまって。生きる力や希望を与えられた気がしました」(小川さん)  さっそく自宅近くに農園を借り、家庭菜園を始めた。水や肥料やり、害虫対策、雑草取りなどに精を出すうちに、体調も回復していき、薬も不要になっていった。復調して13年あまり。その間に復職や定年退職、再就職などを経験したが、再発もなく、体調は良いままだ。 「私は、もともと負けず嫌いで、凝り性。何事もやりすぎる傾向があって、無理が続いた結果、うつになってしまいました。悲観的な気持ちから離れられるようになったのも、野菜作りのおかげです」(同)  小川さんの再起は、「マインドフルネス」という概念と大きくかかわりがある。これは、アメリカの脳科学者ジョン・カバットジンが「ヨガ」や「禅」の思想を発展させて生み出した手法で、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」(日本マインドフルネス学会)と定義される。日本の認知行動療法の第一人者、大野研究所の大野裕医師が解説する。 「うつ病の患者さんは、ものごとを悲観的、後ろ向きに捉える傾向があり、自分を守ろうと現実の世界から遠のいてしまいがちです。その結果、自分の考えが事実かどうかを確かめられなくなっています。そうしたときに、考えに縛られずに自然体で現実を受け入れていく。それがマインドフルネスです」  五感に訴えることがマインドフルネスにつながることから、大野医師は、小川さんの「土をいじる、土の匂いを嗅ぐ、植物を育てる、自分の畑で採れた野菜を味わう」といった体験が、マインドフルな状態を作り出し、病気の回復につながったと見ている。  このマインドフルネスを治療に生かす試みを始めているのが、慶応義塾大学病院の精神・神経科だ。現在は協力を承諾した患者約10人のグループに、週に1回2時間のセッションを、合計8回行っている。セッションでは瞑想や呼吸法、ボディースキャン(体の感覚に注意を向ける)などが行われる。見学はかなわなかったが、マインドフルネスを指導する同科の佐渡充洋医師の指導で、セッションの一部「坐瞑想を中心にした練習」を体験させてもらった。  まず、ヨガマットの上に楽な姿勢で座り、目は閉じるか、軽く開ける。暗めにした部屋で、佐渡医師の合図と鐘の音に従って、自分の呼吸に意識を集中する──はずなのだが、なかなか難しい。すると、「意識がほかに飛んでも、違うことを考えても、それをあるがままに受け入れて。責めないでください」と佐渡医師。「最初からできる人なんていませんから、大丈夫です。体験者は何回か繰り返すことで、『何か違う』と感じていくようです。8回のセッションの最後のほうで、『マインドフルネスの意味がようやくわかった。腑に落ちた』と言う方もいます」  体験者からは、「家族に対してこれまでは怒りしかなかったが、怒りを受け入れる余裕みたいなものができてきた」「ストレスを感じると胸のあたりがキューッとなる。その場所に息を吹きかけるとそこがほぐれて、ストレスが和らぐことがわかった」といった感想などが聞かれたという。 「人は誰でも落ち込んだり、不安になったりします。このとき、心は現在にありません。落ち込むときは、『何であんなことをしてしまったのだろう』と過去に意識が飛び、不安を感じるときは、『失敗したらどうしよう』と未来に意識が飛んでいます」(佐渡医師)  健康な人は、落ち込みや不安があっても、「仕方ないか」と現在に戻ってくることができる。だが、うつ病になると、落ち込みや不安を反芻してそこから抜け出せなくなってしまう。マインドフルネスの手法を身につけると、落ち込みや不安の反芻が始まっても、意図的に意識を“今”に持っていくことができる。  うつ病への効果は、「再発しにくくなる」というエビデンス(科学的根拠)が欧米から報告されている。  残念ながら、研究を行っている慶応大学病院も含め、現在、日本では医療行為としてマインドフルネスを実施している医療機関はほとんどない。だが、症状が完全に良くなっていて、主治医の許可のもとであれば、自分で試すこともできる。うつ病の症状が残っている場合は、症状が悪化する可能性があるため、自己流で実施するのは控えたほうがよいそうだ。  マインドフルネスの代表的なセッションの一つが、「レーズンエクササイズ」だ。用意するのはレーズン1粒。レーズン以外にも、小さくて、香りや味があり、表面に凹凸があるようなもの(粒チョコ、小さめの梅干しなど)で代用してもOKだ。前出の大野医師はこう解説する。 「レーズンエクササイズは、見た目や匂い、触感、味、風味、のど越しなどを通じて、五感を研ぎ澄まそうとする練習法です。最初は五感に集中するのは難しいでしょうが、コツコツと続けていくことで、徐々に集中できてくると思います」  レーズンエクササイズ以外にも、佐渡医師、大野医師らが監訳した『自分でできるマインドフルネス:安らぎへと導かれる8週間のプログラム』(創元社)や、ジョン・カバットジン著の『マインドフルネスストレス低減法』(北大路書房)などの書籍のほか、大野医師が監修するサイト「こころのスキルアップ・トレーニング」などもあるので参考にしてほしい。 「セッションを実践しなくても、冒頭の小川さんのように感覚に働きかけるような趣味を持ち、それに集中することができれば、マインドフルネスにつながります」(大野医師) 【レーズンエクササイズ】(概要) 1.レーズンを1粒用意する。苦手な場合、ない場合は小さくて香りや味がして表面に凹凸があるようなもの(粒チョコ、小さめの梅干しなど)で代用してもOK 2.親指と人さし指で挟み、押したり、見る角度を変えたりして、弾力や表面の形、色、光の反射具合、凹凸などをよく観察する 3.手のひらに置いて、転がすなどして動きや表面の様子などを観察する 4.親指と人さし指で挟み、ゆっくりと鼻に近づけながら、匂いの性質や強さなどを観察する。その後、ゆっくりと鼻から離しながら同じように観察する 5.ゆっくりと口に含む。噛まずに舌の上で転がす。表面の状態、風味などを観察する 6.ゆっくりと噛み、味や風味の広がりを観察する、噛みながらそれらの変化を観察する 7.ゆっくりとのみ込む。のどの奥から食道、胃へと移動していくことを感じる ※週刊朝日 2016年9月30日号より抜粋
週刊朝日 2016/09/23 16:00
医師を困らせる“モンスターペイシェント” その実態とは?
医師を困らせる“モンスターペイシェント” その実態とは?
“モンスターペイシェント” の実態とは?(※イメージ)  医師や看護師らに理不尽な要求をする“モンスターペイシェント(患者)”。暴力を振るう人などもいて、医療現場の悩みの一つだ。本誌は、困った患者の実態を医師向けの情報サイト「MedPeer(メドピア)」の運営会社の協力を得て、現役医師526人にアンケートした。 「暴言や無理難題など対応に苦慮する患者の診察経験がありますか」との質問に、過半数の268人が「ある」と答えた。勤務医の53%、開業医の43%。比率は、勤務医のほうが高かった。  メドピア社長の石見陽・医師はこの結果を、「医院やクリニックが風邪や生活習慣病など日常的な病気を診るのに対し、勤務医の働く病院は重病の患者が多くて専門的な治療が必要とされる。患者の期待の大きさも違うのでしょう」と話す。  回答で目立ったのは薬のトラブルで、21人が挙げた。千葉県の精神科医は患者に「依存性がなく、すぐ寝つける弱い睡眠薬が欲しい」と言われた。「すべてに一致する夢のような薬はありません」と処方しなかったという。奈良県の一般内科医は「睡眠薬を出せ」と威嚇され、警察を呼んだ。  待ち時間やカルテの改ざん要求など診察に関するトラブルは7件ずつあった。  中国地方の精神科医は「調子が悪いから来たのに、待たされて余計にイライラした。謝れ」と怒鳴られた。7時間も病院内に居座られ、医師が頭を下げて患者はようやく納得したが、「本当に不本意」と憤る。  こうした患者の対応マニュアルを設ける医療機関も多い。マニュアルに沿い、警備員や警察を呼ぶなどしたケースも18件あった。  大阪府の循環器内科医は「一度だけそういう経験がある」と打ち明ける。もめた患者は、夫婦だった。  まず妻がスタッフとトラブルを起こした。後日、持病の薬を取りに来た夫も妻の話題を持ち出してキレ、「なんや、おまえは!」とつかみかかる始末。スタッフは警察を呼び、その後の対応を弁護士に任せた。  関東地方の女性内科医は、個人の連絡先をしつこく聞かれた。断ると「24時間相談にのるのが医者だろ」と、ストーカーまがいの行為を受けた。九州地方の小児科医は「患者の依頼を渋ったら、一方的な批判をSNSで拡散された」という。  前出の石見医師も、勤務医時代に経験した悲しい思いを忘れられないという。長期入院中のある高齢男性患者を看取ったときだ。  心臓の筋肉がダメージを受け、血液が全身にまわらない重い症状。患者は血流が悪くなって持病の痔が悪化し、肛門の周囲に膿がたまった。石見医師は毎日、患者の妻と一緒に傷口を洗浄するなどの処置をしたが、最終的に感染症を起こして亡くなった。 「毎日、毎日、おしりを洗って、専門外の合併症も早期に発見して。全身を管理できていた実感がありました」(石見医師)  結末は残念だった、これは現代医療の限界。そう思ったが、家族の思いは違っていたという。 「『先生、よく診てくれたけど、最後は対応が遅れましたよね』と言われました。人の死は大きな出来事です。最後は誰かのせいにしたくなる気持ちはわかりますが、その一言を聞いて悲しい思いをしたことは今でも覚えています」(同)  人としての礼儀、何より“思いやり”がなければ、信頼関係を築けない。最後は人、なのである。 ※週刊朝日 2016年9月2日号
病気
週刊朝日 2016/08/29 07:00
120人に1人の統合失調症 “結婚できない”三次的障害も
120人に1人の統合失調症 “結婚できない”三次的障害も
“結婚できない”三次的障害も…(※イメージ)  発症すると一生付き合うとも言われた統合失調症。幻覚や幻聴のほか、抑うつ症状のために社会生活を送るのが困難になる。薬物療法に、心理社会療法を組み合わせて社会復帰を目指す、新しい治療法が増えてきた。  統合失調症は、約120人に1人がかかると言われており、それほど珍しい病気ではない。10代後半~30代で発症する人が多いが、治療を受けない人もかなりいると見られている。  主に仕事のストレス、対人関係の軋轢(あつれき)、家族の死といったストレスがきっかけで発症する。直後の急性期には幻覚や幻聴、被害妄想のほか、考えがまとまらないといった陽性症状が出る。  本人は病気であるという認識があまりないのも統合失調症の特徴だ。この時期に自傷行為や家族への暴力などがあれば、入院して治療にあたる。その後、陽性症状がなくなり、抑うつ症状が出てくることが多い。引きこもりがちになり、社会生活にも支障をきたす。  山井俊さん(仮名・23歳)は高校生で初めて発症した。受験勉強で寝不足や過度なストレスがかかり、情緒不安定になっていた。近所の人たちが自分について噂をしていたり、自宅に盗聴器が仕掛けられていたりすると考えるようになった。  不安が強くなり外出しなくなったため、家族に連れられ精神科のクリニックを訪れた。統合失調症と診断され、薬物療法と休養を1カ月間続けたところ、症状は改善した。その後大学受験に成功し、大学に通うようになった。 「統合失調症の基本の治療は、薬物療法と心理社会療法の組み合わせです」  こう話すのは、統合失調症の早期治療に詳しい東邦大学医学部精神神経医学講座教授の水野雅文医師だ。薬物療法で幻覚や妄想などの症状を除いたうえで、心理社会療法で日常生活に必要なリハビリテーションをおこなう。  薬物療法は、抗精神病薬を服用する。統合失調症の症状は、神経細胞同士の情報伝達を担う「ドーパミン」の働きが悪くなるのが原因と考えられており、抗精神病薬はこのドーパミンの働き方を調節することで、幻覚や妄想などの症状を取り除く。中でも1990年代から使われるようになった「非定型抗精神病薬」は、比較的副作用が少なく、使いやすい。また、うつ症状にも効果があると言われている。  統合失調症では症状による二次的障害として、生活を送るのに必要な能力が損なわれる。またそのために、仕事ができなくなる、結婚ができない、といった社会的不利益を被る三次的障害もある。  そこで、薬物療法と組み合わせて心理社会療法を受け、通常の生活や社会復帰を目指す。作業療法や生活技能訓練などがある。医療機関によって受けられる療法は異なるが、精神科デイケアなどに含まれることが多い。  ところが、これらの治療を受けても、実際には通常の生活や社会復帰ができない患者は多い。その原因として最近注目されているのが、記憶や注意、遂行機能といった認知機能の障害だ。 「統合失調症の症状の中でも、社会生活に最も大きな影響を及ぼしているのが認知機能障害です」と国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所所長の中込和幸医師は言う。認知機能が低下するために、薬物療法などで症状が落ち着いても、生活に支障が出るのだ。従来の治療では、認知機能の向上は難しい。  そこで中込医師らは、認知機能を改善して、社会復帰につなげるための認知機能リハビリテーションのプログラムを導入し、医師や作業療法士ら向けの研修プログラムを実施している。 ※週刊朝日  2016年8月19日号より抜粋
健康病気
週刊朝日 2016/08/16 07:00
前触れなく発症か 相模原殺人容疑者の“精神疾患”
前触れなく発症か 相模原殺人容疑者の“精神疾患”
容疑者の“精神疾患”とは…(※イメージ)  50 分間に 45 人をメッタ刺しにし、死者 19 人、重軽傷者 26 人。抵抗できない重度障害者をねらった犯行だった、相模原・障害者施設19人殺害事件。精神科医で昭和大学医学部精神医学講座教授の岩波明が、精神疾患の観点から容疑者を分析する。 *  *  *  加害者に何らかの精神障害があるというのは間違いないと思います。妄想性障害や薬物性精神病性障害などが診断されていますが、こうした精神疾患は兆候があるものではありません。問題行動などの前触れもなく、自然発生的に発症する例が多いのが特徴です。  過去の事件を考えると、1999年の池袋通り魔事件と類似性があります。池袋の事件でも、犯人による殺害をほのめかすメモの中に、「努力しない人間は生きていてもしょうがない」といった内容が記されていました。この犯人は周囲から孤立し、世間への不満や社会に対する恨みをきっかけに事件を起こしたと見られています。犯人は最初「パーソナリティー障害」と診断され、その後「統合失調症」と診断されたものの、一、二審で「責任能力はあった」とされ、死刑判決が確定しました。  今回の犯人も、恐らく統合失調症に絡むような、奇異な思考や誇大妄想に陥るベースがあったと考えられます。こうした精神疾患に加え、施設で働いた体験にもとづく恨みや被害妄想などが、犯行につながったのではないでしょうか。報じられる犯行内容を見る限り、衝動的なものではなく明らかに計画的。社会的機能も一定は保たれていたため、責任能力がなかったとは言い逃れできないでしょう。  大麻の陽性反応が出たという話ですが、大麻だけではあれほどの犯行には及ばないはずです。もし薬物による行動だったとすれば、覚醒剤など他の薬物も使用していた可能性が高いと思います。  衆議院議長宛ての手紙での、「安倍晋三様にご相談頂けること」という願いなど、特定の人に執着する傾向は、統合失調症の人に見られるものです。  今回、措置入院のときに食い止められなかったのかという意見も多いですが、現状の措置入院はフォローアップの仕組みが全くなく、警察も司法当局も病院に丸投げしている状況です。病院の判断のみで退院させられるし、退院後の通院については病院が促すだけ。だから本人が通院しなくなれば、それで終わってしまいます。強制的に通院させることは医療機関では難しい。本来であれば警察や司法当局が動かなければならないところだと思います。  何らかの精神疾患を抱えていて、少なからず危険性がある人を、誰がどこまで、どのように監視するか。これからの大きな課題だと思います。 ※週刊朝日  2016年8月12日号
週刊朝日 2016/08/04 07:00
相模原障害者施設19人殺害事件 この狂気を生んだものは何だったのか
古田真梨子 古田真梨子
相模原障害者施設19人殺害事件 この狂気を生んだものは何だったのか
事件が起きた障害者施設「津久井やまゆり園」。緑に囲まれた静かな場所が、救急車や消防車が行き交う壮絶な事件現場に一変した (c)朝日新聞社  7月26日未明。異常極まりない卑劣な犯行により、障害者19人の命が奪われた。植松聖容疑者をこの凶行に駆り立てたものは何だったのか。 「戦後最大級」という被害規模。予告通りに職員を拘束し、障害者ばかりを標的にした「差別思想」を育んだ背景と原点は何なのか。  神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の植松聖容疑者(26)が刃物で入所者に次々と襲いかかり、19人が死亡、26人がけがをした。  現場のかつての地名は津久井郡相模湖町。東京都や山梨県の境にほど近く、山や湖、ダム湖に囲まれた緑深い山あいのまちだ。最寄りのJR中央線相模湖駅からは約2キロ離れており、植松容疑者の自宅はさらに500メートルほど奥にある。駅行きのバスも1時間に1本程度。徒歩圏内にコンビニもなく、車を持っていないと生活はかなり不便な立地だ。空気は澄み、騒音もなく、凶悪な事件の発生を予感させるような特性は全くない。しかし、たった一人の若者が、全てを壊した。  筆者(大平)は事件記者として30年近く過ごし、全国で発生した殺人など凶悪事件を数多く取材してきたが、今回ほど結果の重大さと犯人の矮小さのアンバランスな事件は経験したことがない。彼がネットに自ら残した画像や動画、送検時に見せた幼児のような笑顔は、何かを達成しようと本気で取り組んだり我慢したりしたことがない人間にしか見えない。それが犯罪史上例がないほどの刃物による大量殺傷をした人物像と結びつかないのだ。  植松容疑者は7月26日午前2時ごろ、園内東側の居住棟1階の窓をハンマーで割って室内に侵入、19歳の女性らを所持していた刃物で次々に襲った。この間、見つけた夜勤の職員を用意していた結束バンドで拘束。難を逃れた職員の110番通報で神奈川県警津久井署員が駆けつけたときに姿のなかった植松容疑者は同3時ごろ、血のついた刃物3本が入ったかばんを持って同署に出頭。犯行を認めたため殺人未遂などの容疑で逮捕し、送検時に容疑を殺人などに切り替えた。 ●恐怖でなすすべなく  一方で、植松容疑者は今年2月14、15日、犯行予告ともとれる手紙を衆院議長公邸に持参した。「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と宣言している。「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」と異常な主張を披露し、「作戦内容」として、まさに今回実行に移したことと酷似した内容の犯行計画を書き記していた。  警視庁が神奈川県警にこの情報を提供し、植松容疑者は2月19日に退職。相模原市が措置入院させ、尿と血液の検査から大麻使用の反応が出たものの、3月2日に退院させていた。市は県警には大麻反応の情報を伝えていなかった。  犯行時の様子について捜査幹部はこう語る。 「犯行に用いた刃物は計5本。最初は胸や首を刺していたが、刃こぼれしたり先が折れたりして、現場に2本放置したようだ。夜勤の職員は8人いて、うち5人が見つかって縛られた。ある職員はロビーで容疑者を見かけ、知らずに『植松さん』と声をかけたところ、よく見ると包丁の先からポタポタと血が垂れていて『ちょっと来てくれる』と容疑者に凄まれ、恐怖のあまりなすすべもなく縛られたそうです」  植松容疑者は取り調べには応じているが、薬物検査に関して変わった反応をしたという。検査では、薬物の種類ごとに意向を聞いて尿を任意提出するのだが、覚醒剤と危険ドラッグに関しては了承したのに、大麻については拒否したため、強制採尿することになった。 「自宅の家宅捜索でも大麻らしき植物を押収したし、本人に使用している自覚があったのでしょう。派手な入れ墨をたくさん入れていて、暴力団や周辺者と付き合いはあるが『自分は違います』と言っている。ムエタイ(タイ式キックボクシング)の経験もあるようです。園の職員当時、勤務態度は怠惰でサボりぐせがあり、入所者の手にいたずら書きをするなどして注意されたこともあったが、暴力を振るうまではなかったようです」(前出の捜査幹部) ●教育実習で人気者  フェイスブックやツイッターに入れ墨や仲間と酔っ払ってはしゃぐ写真などを自慢げにさらし、予告通り凶行に及んだ植松容疑者は、意外にも自宅周辺での評判は悪くない。小学校教諭の父と、母との間のひとりっ子として育ち、ハキハキと挨拶のできる明るい子どもで、徒歩20分ほどかかる小学校へは集団登校で6年生時にはリーダーとして引率していた。私立大学在学中に母校の小学校で教育実習した際も、人気者だったという。近所の70代の男性は言う。 「その小学校は1学年1クラスしかなくて、彼は3年生を受け持って、ウチの孫がいたんです。孫は『休み時間に僕たちのやりたいことを一緒に遊んでくれる』と喜んでいました。彼は放課後も近所の子どもを集めて『先生』と呼ばれて嬉しそうに遊んでました。父親は勤め先が東京・八王子の小学校で、始発の5時半過ぎのバスで出勤するところをよく見かけましたね」  植松容疑者は小学校の教員免許は取得したものの、採用はされなかった。 「大学卒業後はしばらく、清涼飲料水の自動販売機の入れ替えの仕事をしていて『給料安くてヤバいですよ』なんて言ってたね。父親は駅で顔合わせても挨拶しないで目を背けるような人だったけど、彼は笑顔の絶えない好青年だった。家の前の道路にゴザを敷いて上半身裸で日光浴してたから、背中の入れ墨にも気づいてたけど、周囲を威嚇するようなこともなかったしね。最後に顔合わせたのは事件の4日ぐらい前の朝。車で出かけるときに目が合って、いつも通りニッコリ『おはようございます』。てっきり、やまゆり園でずっと働いていると思ってましたよ」(別の近所の男性) ●近所に告げず親転居  しかし、植松家の中では随分前から異変は起きていた。4年ほど前、ひとり息子を2階建ての建売住宅に残したまま、両親は八王子市内のマンションに転居したのだ。母親が野良猫を餌付けしていたことで近隣トラブルとなり、居づらくなって出て行ったという説や、息子と折り合いが悪くなったという説などいろいろあるが、いずれにしても近所の誰にも転居の理由は伝えていない。  そして、両親に干渉されることのなくなった植松容疑者を狂気の奥底にまで引きずり込んだ原因はなんだったのか。  今年2月に衆院議長公邸に手紙を持参したころと相前後して、特に異常な発言が目につくようになる。「障害者は周りの人を不幸にする。いないほうがいい」などと話し、園側が「それはナチスの考え方と同じだよ」と諭しても「考えは間違っていない」と言い張ったという。  ここまで歪んだ考え方を持つようになった背景のひとつには、過酷な労働とバランスを欠く低賃金があったのかもしれない。「やまゆり園」は神奈川県立だが、運営しているのは「指定管理者」と呼ばれる社会福祉法人だ。小泉純一郎政権下で進んだ規制緩和政策の一環で、公の施設の管理を包括的に民間が代行できる制度が始まった。ある福祉施設関係者は言う。 「県立の施設なら、かつて職員は限りなく県職員に準ずる厚遇だったが、指定管理者制度になってからは労働条件も低く抑えられるようになった」 ●経済合理性が生む差別  実際、同園のアルバイト募集の時給は県の最低賃金レベルだし、植松容疑者が職員になってからの月給も約19万円。さらに、福祉を学んだ経験のない植松容疑者が、介護の延長程度の認識で、強度行動障害など重度の知的障害者の生活と24時間向き合う施設で働くとどういう現実に直面するのか。前出の福祉施設関係者は言う。 「東日本大震災である障害者施設に避難していた入所者たちが、この4月に5年ぶりに福島に戻ったとき、迎えに来た保護者は一人もいなかった。もちろん高齢者が多いのも理由ではありますが、避難している間も訪ねてきた保護者は5年間で3分の1だけ。誰からも褒められないし、利用者の成長も感じられないまま現状維持をずっと続けていく。職員にとっても、やるせない労働現場であることは間違いないんです」  だからといって、腹いせに入所者を殺害する道理はまったくない。だが、事件後、ツイッターには植松容疑者の犯行や動機を擁護するような書き込みさえ、複数見られた。 「15人が死亡し、およそ20人がけがという手段はおかしいかもしれない。だが『障害者に安楽死を』という目的は非常に合理的だと思う」「植松容疑者が言ってることも正直言ってわかる。でも、殺すのはダメで。なんか、複雑」  いま、ネットの中にはむき出しの悪意に満ちた言葉があふれ、街角では耳をふさぎたくなるようなヘイトスピーチも起きる。こうした風潮が、植松容疑者の行動を正当化し、後押しした面もあったのかもしれない。精神科医の斎藤環さんは言う。 「ヨーロッパの移民差別やドナルド・トランプを見ても、過激な言説が喝采を浴びやすく、本音の部分を臆面なく出す社会状況がある。それが一番凝縮された形で表れた事件」  社会学者の千田有紀・武蔵大学社会学部教授もこう言う。 「弱者への福祉は全体のためになっていないという考え方は、この社会の中で目にする論理。昔は『気持ち悪い』『くさい』だった差別が、今は『ムダ』という表現になった。現在の差別は経済的合理性によって作り出されている」  福岡県の多機能型施設「あごら」の恒遠樹人施設長(45)は、現場の視点からこの考え方を真っ向から否定する。 「重度障害で役に立たないとか成長しないというのは完全に間違いです。障害者が発するメッセージを受け取る感性が当人にないだけ」 ●名前を出せない社会  今回の事件で、犠牲者は41~67歳の男性9人、19~70歳の女性10人と公表されているだけだ。県警によると遺族全員が公表を強く拒んでいるという。ここに恒遠さんは違和感を抱く。 「名前を出さないのは障害者への配慮じゃなくて、周囲の都合ではないでしょうか。本来は、障害者が堂々と名前を出せる社会にならないと。今回の事件の背景には、そういう社会全体の風潮もあると思います」  恒遠さんは、障害者のスポーツ大会で参加者名簿を見て思ったことがある。 「男の子の名前は健康の『健』とか、雄大の『雄』とか『大』とかがすごく多いんです。ああ、これが親の願いだったのかなって。この容疑者はそんなことも考えずに名無しの障害者としか見なかったんですよね」  ヒトラーの降臨を気取る差別主義者の凶行に、正当性など微塵もないのだ。(編集部・大平誠、高橋有紀、古田真梨子) ※AERA 2016年8月8日号
AERA 2016/08/02 11:30
熊本地震2カ月、被災者に劣らず支援が必要な人が
熊本地震2カ月、被災者に劣らず支援が必要な人が
災害時の心のケアのニーズ  熊本地震の被災地では、生活インフラの復旧が進み、仮設住宅も建ち始めた。その順調さの裏で、被災地の人々へ新たに迫りつつあるのが「心の危機」だ。  最大震度7の地震に2回襲われてから2週間が過ぎた4月下旬。保健師の要請で熊本県内の避難所を訪れたDPAT(災害派遣精神医療チーム)のメンバーは、相談内容に変化を感じ始めていた。未就学児の親が増えてきたのだ。 「前はできていたのに、着替えができなくなった。赤ちゃん返りをしているようだ」 「すぐ泣き出してしまう」 「落ち着きがなくなった」  不安を訴える母親らに、医師と看護師が丁寧に説明していく。 「避難所は普段の生活環境とは異なるためストレス反応が出ているんです。時間が経ち、状況が改善していくにしたがって収まっていくと思いますよ」  DPATは、災害時に被災者の心をケアするため、医師や看護師らが中心になって作られるチームだ。東日本大震災後の2013年に厚生労働省が制度化し、翌年の広島県の土砂災害で初出動した。  熊本地震で出動要請があったのは、前震から数時間後の4月15日未明。午前中には沖縄や佐賀など5県から先遣隊が被災地入りした。  活動は最初、精神科入院患者の転院搬送から始まるが、それだけではない。時期によってニーズが変わるのだ。 ●まずは不安解消から  DPAT事務局の渡路子次長は言う。 「1週間以内の急性期は被災した精神科のサポートや精神疾患を持つ被災者に対応し、以降は避難所支援と支援者支援が大きなミッションになりました」  余震が続くなか、わが家を離れ、大勢の人間とともに避難所生活を余儀なくされる──被災者がさらされるストレスは想像を超える。家屋に被害があれば、生活再建への不安も重なる。眠れない、焦燥感があるといったストレス反応が出てもおかしくない。  だが、こうしたストレス反応に過剰に介入するより、この時期は大切なことがある。 「まず、『安全を確保する』『眠る場所がある』などと、現実の不安を解消することです。生活再建のメドが立てば、次の一歩を踏み出しやすくなります」  現場でDPATを統括する熊本県精神保健福祉センターの山口喜久雄所長はそう指摘する。  5年前の東日本大震災でも、被災者の心のケアが問題になった。震災後、福島に支援に入り、今年4月に福島県南相馬市でほりメンタルクリニックを開いた堀有伸医師は、被災者の心の状況には段階があると話す。 「直後は災害に衝撃を受けた『茫然自失期』になり、次にいたわり助け合う『ハネムーン期』、現実に直面する『幻滅期』を経て、再建期を迎えると言われています」  ハネムーン期では地域の一体感が増し、多くの人が課題に向かって力を合わせ、頑張る傾向にある。 「ただし頑張りすぎれば反動もある。予定を入れすぎず、余力を残しておいてほしい」(堀医師) ●住環境戻った後が危険  うつ病のリスクが増すと堀医師が見るのが、その後の幻滅期。東日本大震災でも、住む環境が安定してからがそうだった。  6月に入り、熊本の被災地でも水道、電気、通信などのライフラインの復旧が進み、仮設住宅への入居も始まりつつある。復興は順調に見えるが、これから心の問題が深刻になる時期に入ることになる。  加えて、この時期に心配されるのが自治体の職員たちだ。  医療ボランティアとして熊本県に入った内科医の中尾誠利医師も、こんな経験をした。  自治体の男性職員が「風邪だと思う」と訪れた。症状などを聞き取っていたときのことだ。 「なんか、つらいんです」  そう言って、涙を流したのだ。  東日本大震災での支援経験もあり、中尾医師はピンときた。  大災害時、自治体職員は住民との板挟みになりがちだ。被災状況の把握、住民向けの広報、避難所の運営。必死に働くが、時に住民から詰め寄られたり、罵声を浴びたりすることもある。 「ただ、黙って話を聞きました。そして、『住民のために、復興のために、一生懸命やってくれてありがとう』と伝えました」(中尾医師)  男性職員は泣きやみ、ほっとしたように診療室を後にした。 ●逃げ場ない自治体職員  前出の山口所長は、多くの自治体職員たちこそ逃げ場がない、と懸念する。 「立場上言い返せず、使命感があるため休みづらい。肉体が疲労すれば心の疲労もたまりやすい。『まだ大丈夫』と思って頑張っているうちに、心のバランスを失ってしまう」  職員が1人倒れれば、数百人の住民に影響が出てしまう。  DPATは、自治体職員ら「支援」に回る人たちに向けた活動も重視する。セルフコントロールの重要性を訴えるのはもちろんだが、カギになるのは自治体の首長や役職者だ。  震度7の激震に見舞われ、現在も500人超が避難所生活を送る熊本県西原村。6月末には仮設住宅が完成し、復旧は次のフェーズに入ろうとしている。  避難所に近所同士、数戸単位のパーテーションを採り入れ、村民たちのコミュニティーを分断しないよう努めてきた日置和彦村長がいま、気を配っているのが職員たちの様子だ。  国や県内外の自治体から応援の職員も派遣されてはいるが、人手は常に不足しがち。そのうえ、職員自身も被災している例が大半で、家を失った職員もいれば、子どもを実家の母親に預け、仕事を続けている職員もいる。顔見知りの住民も多く、「こんなときこそ頑張らなければ」という思いもあるだろう。みな、なかなか休みたがらないが、日置村長は職員の顔を見れば、限界が近いとわかる。 ●「帰りなさい。命令だ」 「休めば効率が上がることもあるから、無理せず休みなさい」 「きついときは、自分からも言ってほしい」  こう声をかけ続けている。  気をつけているサインが、冗談を飛ばした後の反応だ。その場は笑っても、机に向かうと憔悴した表情に戻る。そんなときは、断固として言う。 「帰りなさい。命令だぞ」  西原村では、職員を4班に分け、全員が週末に1日は休めるようにした。  ただ、村長自身はほぼ不休だ。6月の初めに「休み」を取ったが、村の状況が気になって、結局2時間で職場に戻っていた。 「手が回らず休むどころではないという現場の思いは、痛いほどわかります。そんな支援者をどうサポートするかは大きな課題です」  自身も被災者の一人である山口所長は自戒を込めて話す。  被災者や支援者の心を守るには、これからどんなことが大切なのか。  地震、津波、さらに原発事故と大災害が三つ重なった東日本大震災は、生活再建が遅れたためにハネムーン期が不自然に長期化し、幻滅期が遅れるなど特殊だったが、学んでほしいことは大いにある、と前出の堀医師は指摘する。 「個人の能力を超えて負荷がかかる。孤立して援助を受けられない。そんな状況から逃れられない。この三つの条件がそろうと、人は自殺しやすくなります」  堀医師は12年7月末、仮設住宅近くで毎朝のラジオ体操を企画。「みんなのとなり組」というNPO法人もつくった。コミュニティーを復活させたいとの思いからだ。  参加者たちは、短時間の体操の後、雑談をして、いつもの生活に戻っていく。それを繰り返すだけだ。  それでも、自分を心配し、認めてくれる人がいる。話し相手がいて、孤立していないと感じる。うつから心を守るには、日常の小さな実感の積み重ねこそが、大切だ。(編集部・熊澤志保) ※AERA 2016年6月20日号
健康熊本地震
AERA 2016/06/15 07:00
清原被告のように中高年増加中の“薬物依存” 最新治療とは?
清原被告のように中高年増加中の“薬物依存” 最新治療とは?
なぜ再び薬物に手を出すのか。その理由は…(※イメージ)  元プロ野球選手の清原和博被告、歌手のASKA氏に代表されるように、覚せい剤で検挙される中高年が増えている。再犯者も多い。そうした中、薬物依存の新しい治療プログラムが開発され、効果を上げている。  警察庁の調査では、2015年の薬物事犯の検挙人員は1万3524人、そのうち約8割が覚せい剤事犯だ。特に覚せい剤は再犯者率が64.8%と高い。  一度逮捕されたにもかかわらず、なぜ再び薬物に手を出すのか。国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師はこう話す。 「意志や性格の問題ではなく『薬物依存』という病気にかかっているからです」  薬物依存とは薬物に対する強い欲求をコントロールできずに、使ってしまう状態を指す。薬物によって脳の状態が変容することで精神依存が生じる。  薬物依存になり乱用を繰り返すと、やがて「薬物中毒」になる。代表的な症状が幻覚や妄想、肝臓や肺などの臓器障害だ。薬物中毒は投薬や入院治療で治るが、薬物依存を治す薬はない。  東京都に住む会社員の斉藤隆之さん(仮名・45歳)は、20代前半のころ人にすすめられ、覚せい剤を数回吸入した。20代後半で結婚してからは使用していなかったが、40代になり、仕事のストレスから再び覚せい剤に手を出した。年に数回、仕事が非常に忙しいときに疲れたからだに鞭打つ目的で使用した。  しかし会社の業績が悪化し、業務量が増えるにつれて使う機会が増加。やがて覚せい剤離脱後の疲労から朝起きられず、欠勤する日が増えた。不審に思った妻に問い詰められ、やめようとするが、仕事に行くと覚せい剤の欲求に襲われ、再使用を繰り返した。  斉藤さんは妻と相談し、国立精神・神経医療研究センターの薬物依存症外来を受診した。そこで松本医師に紹介されたのが、「スマープ」(SMARPP、せりがや覚せい剤依存再発防止プログラム)だ。松本医師が米国で実施されている統合的覚せい剤依存外来治療プログラムを参考に06年に立ち上げた。 「日本では精神科医の間でも薬物依存は『犯罪』であり、『治療』の対象ではないと認識されていました。しかし海外の研究では『薬物事犯の再犯防止には刑罰よりも地域での治療が有効』ということが明らかにされています。また薬物依存の人が最も再使用しやすいのは刑務所出所直後、あるいは保護観察終了直後です。そこで薬物依存を病気としてサポートする仕組みが必要だと強く感じたのです」(松本医師)  スマープは認知行動療法を取り入れた外来プログラムで、週に1回精神科医師や臨床心理士などのスタッフと患者10人程度が集まり、ワークブックを使用しながら設問に答えたり、話し合ったりしながら進めていく。1回90分程度で半年(24週)かけて1クールが終了。「どんなときに薬物が欲しくなるのか」「欲しくなる状況を避けられないときはどう気持ちを切り替えるのか」といったことを学ぶ。 「スマープで最も大切なのは薬物を再使用しないことよりも、治療を継続することです。なぜなら薬物依存は、回復はしても完治はしない慢性疾患だからです。実際に治療を中断した人よりも、継続している人のほうが断薬率が高い。たとえ断薬できなくても、治療を継続しているほうが逮捕など覚せい剤による弊害を減らせるのです」(同)  松本医師がスマープを立ち上げた神奈川県立精神医療センターせりがや病院(現・神奈川県立精神医療センター)では従来、覚せい剤依存症患者の約7割が初診から3カ月以内で治療をやめていた。  そこで、スマープでは中断を避けるため、スタッフは歓迎する態度で患者に接し、無断欠席があれば連絡して次回の参加を呼びかける。毎回尿検査をするが、陽性でも通報したり自首をすすめたりせず、参加したことをほめ、共に対策を考える(覚せい剤使用について医師に通報義務はない)。  斉藤さんはスマープに参加するにあたり休職し、徐々に覚せい剤の使用頻度が減った。なにより覚せい剤を使っても嘘をつかなくていい場があることに安心できた。参加者の中に長期間断薬している先輩がいることも励みになった。  また、参加者に誘われて、自助グループにも参加するようになった。薬物依存から回復した人たちが、薬物依存の人を支援するために活動しているグループだ。  斉藤さんはスマープ終了後に職場に復帰し、自助グループに参加するほか、2カ月に1回は外来を受診。約2年間断薬している。  スマープは10年以降、厚生労働科学研究班のプロジェクトとして効果が検証されている。その結果、初診後3カ月時点における治療継続率はスマープに参加した人で約92%、参加しなかった人は約57%だった。さらに自助グループなどの社会資源の利用率を高めることも明らかになった。 「スマープ参加中は薬物の再使用は減りますが、終了すると再び使用してしまう人もいます。それを防ぐためにも自助グループや民間リハビリ施設などの社会資源につなげることが重要なのです」(同)  厚労省は全国の精神保健福祉センターでもスマープを導入することを決定。医療機関でも現在21カ所で実施されている。 ※週刊朝日  2016年6月3日号より抜粋
清原和博麻薬
週刊朝日 2016/05/31 07:00
保釈 清原を待ち受けるシャバの試練
保釈 清原を待ち受けるシャバの試練
保釈後まっすぐに医療機関へ向かう、清原被告を乗せたワゴン車 (c)朝日新聞社  逮捕から45日目、元プロ野球選手の清原和博被告(48)が3月17日、ようやく保釈された。保釈保証金は500万円。持病の糖尿病治療を理由に、清原被告を乗せたシルバーのワゴン車は、警視庁本部から医療機関へと直行した。 「マスコミを避けるためにも、その後、精神科病院に長期入院する可能性が高い。公判まで2カ月もあるので、薬物への強烈な欲求を抑えられるような環境に身を置くことが重要。量刑は懲役1年6カ月、初犯なので3年の執行猶予が付く見込みです」(薬物問題に詳しいジャーナリスト)  再犯率が高いとされる覚醒剤事件だが、清原被告も再び薬物に手を染める恐れはないのだろうか。 「有名人であることが幸いするのではないか。清原のことは警察も当分の間マークする。薬物を売りつけたらヤバい人間のことを“ヤクネタ”というんだけど、数年は売人のほうから寄り付くことはないだろう。この間の報道を見ても、球界関係者たちは清原を見捨てるようなコメントはしていないし、何とか立ち直れるのではないか」(同前)  しかし、昭和大学医学部精神医学教室の岩波明教授は「楽観視はできない」と指摘する。 「覚醒剤による精神疾患は幻聴・幻覚、被害妄想による異常行動など統合失調症と症状はほぼ同じです。まだ解明されていない部分も多いが、清原被告のように長期連用していると脳の機能が明らかにダメージを受ける。1年経てば、5年経てば症状が消えるというものではない。しばらく向精神薬による治療を受けることになるでしょう」  しかも、妻に見放され、2人の息子とも容易に会うこともできない孤独な環境は、逮捕前と変わらない。 「薬物依存症からの回復支援施設のダルクなどが行う集団療法が必要になってくるが、こうした自助グループにつながるには家族が一緒に行くなど周囲のサポートが不可欠。それがないのが心配です」(岩波教授)  一方で、売人ルートの全容解明については捜査が難航しているという。 「清原に覚醒剤を譲渡していた小林和之被告がほとんどしゃべっていないようだ。群馬ルートは、関東を拠点とする指定暴力団の傘下団体の関与が当初から指摘されたが、捜査は詰め切れていない」(捜査関係者)  注目の初公判は5月17日に、東京地裁で行われる。(本誌・西岡千史、牧野めぐみ、藤村かおり、亀井洋志、松岡かすみ、長倉克枝、上田耕司/菅野朋子) ※週刊朝日 2016年4月1日号
清原和博麻薬
週刊朝日 2016/03/23 11:30
「私、死んだ方が保育園に入れますか?」壮絶保活で母親うつに
「私、死んだ方が保育園に入れますか?」壮絶保活で母親うつに
子どもを保育園に入れるための「保活」は相変わらず熾烈を極める(※イメージ)  待機順位は200番台、見学予約さえままならない……子どもを保育園に入れるための「保活」は相変わらず熾烈を極める。保活に翻弄されて、ゆっくり育休も取れない現実に迫る。  都内で会社を経営する40代の女性は、胎児の心拍を確認した直後から、住んでいる区内の認可、認証、認可外、事業内保育所すべてに電話したが、すでに後れを取っていた。待機順位は100番台、200番台はざらで、ときには300~400人待ち。見学予約を取り付けるためのウェイティングを余儀なくされるところや、「再来年の春まで埋まっている」と言われた施設もあった。「不妊治療を始める前にお金を払って認証をおさえた」という母親もいた。  妊娠5カ月の時には、近隣4区まで範囲を広げて探すことにした。電車と徒歩で自宅から45分かかるところも候補に入れた。116軒の認証・認可外のリストを手に、すべての施設に連絡して見学をスタート。「都心の一等地にある月20万円の認証」すらいっぱいだった。預けられるところといえば、ラックに固定された哺乳瓶からミルクが自動フィードされて「保育」ならぬ「飼育」をしているような、劣悪な環境の施設ばかりだった。  切迫早産で自宅安静を言い渡されても、保育園の見学予約はキャンセルできない。夫に付き添ってもらったりタクシーを使ったりしながら見学をこなし、申し込める施設にはすべて待機リストにのせてもらった。  出産1カ月前にはさらに体調が悪化して入院したため、保活は中断せざるを得なかった。生まれてからしか予約できない施設45軒には、あらかじめ申込書に子どもの名前以外をすべて記入しておき、帝王切開で出産した翌日に夫が名前を記入して提出した。  産後1カ月で仕事を再開するため、待機していたすべての施設に電話して順位を確認したが、絶望的な状況だった。他区へ引っ越そうかと物件を探したが、どの区も確実に保育園に入れる保証はなく、あきらめた。新たに7軒を見学したところ、夫と子どもが手足口病に感染し、重症化して入院。女性も40度超えの熱でダウン。しかも、産後うつになっていた。“保活うつ”も併発していたのだろう。 「私、死んだほうがいいですか? お母さんがいないほうが、子どもは保育園に入れますか?」  精神的に追い詰められていた。精神科医のアドバイスもあり、産後4カ月からはベビーシッターを利用することにした。利用料は1時間2800円と高いが、認可に申し込む時の加点のためだと割り切っている。  都内のあるベビーシッター会社によると、ここ数年で保活のためだと思われるシッターの需要が増えているという。 「月に複数回シッターを利用したという既成事実をつくり、保育が必要だということをアピールするようです」(経営者) ※AERA 2015年12月21日号より抜粋
待機児童
AERA 2015/12/22 16:00
認知症と“間違いやすい”2つの疾患とは? 市販の風邪薬で起こる場合も
認知症と“間違いやすい”2つの疾患とは? 市販の風邪薬で起こる場合も
もしかしたら薬が原因かも?  認知症の人がやがて800万人になる社会が来るとうたわれ、世の中の関心が高まる一方、高齢者の認知機能が一時的に下がっただけで「認知症」とみなされるケースも出てきている。「ぼーっとすることが増えた」「急に攻撃的になる」「気分の変動が激しい」。このように認知症と似た症状があっても、認知症ではない疾患には、「せん妄」や「薬剤性認知障害」があげられる。これらは認知症とは異なり、原因を取り除くことで症状が治まることが特徴だ。  神奈川県在住の主婦、伊藤直子さん(仮名・75歳)は2015年4月、急につじつまの合わないことを話しだし会話が成立しなくなり、また、時折興奮したように大きな声を出すようになった。  家族は、伊藤さんの認知症の発症を疑い、翌日、伊藤さんが落ち着いたタイミングで、横浜市のいなほクリニックを受診した。同クリニックは、県内に4カ所クリニックを展開しており、心療内科、精神科をおもに診療している。他院からの紹介も多く、同クリニック受診者の約3分の2を高齢の患者が占める。  伊藤さんを診た、いなほクリニック副院長、都甲崇(とこうたかし)医師の問診によると、伊藤さんは、夜間に前述のような症状がみられるが、日中は穏やかな様子だったという。都甲医師は1日の中で症状が変動すること、急に症状が出現することから、伊藤さんの症状は認知症によるものではないと判断した。 「認知症は1日のうちで症状の変動がほぼ見られないことから、せん妄の可能性を疑いました」(都甲医師)  せん妄とは病名ではなく、急に落ち着きがなくなる、自分のいる場所がわからなくなる、興奮して歩き回ったりするといった一時的な状態を指す。せん妄は認知症の周辺症状としても起こるが、単独でも発症する。せん妄による症状は認知症とは異なり、発症の原因やきっかけを取り除くことで症状は治まるのが特徴だ。  せん妄の原因としては、高熱、肺炎、糖尿病といったからだの疾患や、特定の薬の服用があげられる。特に高齢者に多くみられ、痛みやかゆみなどの身体的なストレス、入院などの環境の変化や不安などの精神的ストレスがかかっている状態で生じやすい。  都甲医師はせん妄の診断についてこう話す。 「診断は丁寧な問診が基本となります。どのような症状がいつみられるのかとともに、症状がみられたときの本人の意識の状態を、家族など同伴者から聞き取ります。さらに、症状がみられる前に体調や病状の変化がなかったか、精神的ストレスがかかるような環境の変化がなかったか、市販薬を含めて新たな薬剤の服用を開始していないかなどを確認します」  都甲医師が伊藤さんの薬の服用歴を確認したところ、伊藤さんは発症の前日に鼻づまりがひどく、市販の風邪薬を服用していたことがわかった。 「風邪による高熱でせん妄が起こることもあります。しかし伊藤さんの場合、発熱はなかったため、熱によるせん妄ではないと考えました。伊藤さんが服用していた市販の風邪薬を調べたところ、抗ヒスタミン剤が含まれており、さらに、薬を服用し始めたタイミングがせん妄の症状が出始めたタイミングと同じことから、抗ヒスタミン剤の影響によるせん妄と考えました」(同)  都甲医師は伊藤さんに抗ヒスタミン剤を含む風邪薬の服用の中止を指示、抗ヒスタミン剤が含まれていない薬剤を処方した。また、夜間にせん妄の症状が起きた場合の頓服薬としてグラマリールを処方した。すると2、3日で、伊藤さんのせん妄は治まった。  都甲医師はせん妄の原因となる薬をこう説明する。 「高齢者は特に抗コリン作用のある抗ヒスタミン系の薬、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬や抗不安薬、H2 ブロッカーといった胃薬、ステロイド薬を服用すると、せん妄がみられることがあります」  高齢者では複数の疾患があり、それぞれ別の病院を受診し、多数の薬を飲んでいることが少なくない。  医師から処方された薬の服用によって、認知症のような症状が起こることがある。これを「薬剤性認知障害」という。薬剤性認知障害は、アルツハイマー型認知症や血管性認知症といった認知機能の低下が不可逆性のものとは異なり、服用している薬剤を適切な量、処方に調整することで症状が治まる、可逆性の疾患といえる。  複数の薬を服用しており、顔色が悪い、言葉のもつれ、歩き方がおぼつかない、転倒が増える、手や脚の微細な震えといった症状がみられたら薬剤による副作用(有害事象)を疑うという。薬剤性認知障害はこのような有害事象のひとつだ。 ※週刊朝日 2015年12月18日号より抜粋
病気
週刊朝日 2015/12/15 07:00
母を入院させ一人になった 子どもの貧困の現場を歩く
母を入院させ一人になった 子どもの貧困の現場を歩く
病気の母と2人。気の遠くなるような時間を啓太さんはこの部屋でテレビゲームをして過ごした(写真/家老芳美) 毎日自炊する。得意メニューは豆腐のみそ汁と、ネギと卵のチャーハン。たまの贅沢は「ちょっといい」ベーコンを買うことだ(写真/家老芳美) 散らかっているからと友人を家に呼ぶことは滅多にない。取材中、水道工事の許諾に世帯主として対応。子どもでいられる時間はほとんどない(写真/家老芳美) 圧倒的な絶望感のなかを生きる子どもたちがいる。就学援助の受給率が東京23区内で最も高い板橋区を取材した。(編集部・竹下郁子)  油のこびりついた台所。擦り切れたカーペット。古いアパートには隙間風も入る。  昨晩は毛布にくるまって眠ったんだ、と笑う啓太さん(仮名・19歳)は、夜間の定時制高校に通う4年生。生活保護を受けて、東京都板橋区のアパートで一人暮らしをしている。もともと母子家庭で2人暮らしだったが、母親が2年前、統合失調症で入院した。  母はパートを掛け持ちしながら啓太さんを育ててきた。忙しくて滅多に家にいなかったため、幼稚園から小学3年生まで、啓太さんに母と過ごした記憶はほとんどない。 ●生活保護費をやりくり  そんな母の異変に気づいたのは、小学4年生のときだ。具合が悪いと言って家にひきこもりがちになった。会話もかみ合わないことが増え、精神科への通院が始まった。  同時に啓太さんも学校に行かなくなった。勉強が嫌いなわけでも、いじめられていたわけでもない。初めてできた「母と一緒に過ごす時間」を大切にしたかったのかもしれない、と今になって思う。病院に付き添い、テレビゲームをして過ごす毎日。母は食事をつくることすら難しくなり、母の財布からお金を抜いて、コンビニでパンを買って食べることが多くなった。  不登校の背景に何があるのか。気づいてくれる大人は誰もいなかった。  心のバランスを崩した母と2人きりで過ごす時間は、嬉しいと同時に、どうしようもなく不安で怖かった。九州出身の母には身近に肉親もいない。自分がしっかりしなければと、小学6年のとき勇気を出して登校し、母の病気のことを担任の教師に相談した。返ってきたのは、思いも寄らない言葉だった。 「そんなこと言う暇があったら学校に来い」  大人が嫌いになった。助けを求めることすらできない自分のことは、もっと嫌いになった。その後一度も教室に入ることなく、小、中学校を卒業した。  定時制高校入学後、母は病状が深刻化し、一日に何度も倒れるように。啓太さんが呼んだ救急車がきっかけで入院が決まった。医師の判断とはいえ、嫌がる母を半ば強制的に入院させた罪悪感は今も消えない。  一人になった啓太さんは、生活保護費をやりくりして、家賃、学費、光熱費、食費などすべての家計の管理をこなした。今後の不安で眠れない夜が続く。当時の気持ちを、砂漠の中でお気に入りの砂粒を一つ見つけてこい、と言われるようなものだったと表現する。圧倒的な絶望感。一体これから自分と母はどうやって生きていけばいいのか、自問自答を繰り返した。 ●東京“周辺区”に集中  高層マンションやオフィスビルが立ち並ぶ大都市・東京。だが、目を転じれば、足元に貧困は転がる。所得格差が拡大し、裕福なエリアと、貧困のエリアが色濃く分かれつつある。  生活が苦しい小中学生に対し、学校生活に必要な経費を自治体が支給する「就学援助」の受給率が東京23区内で最も高いのは、板橋区だ。公立小中学校の入学説明会会場で、生活保護の申請書類を置くことも多い。  中川修一教育長は、就学援助や福祉施設の充実、都内最多を誇る精神科病床数など、「福祉の板橋」としてのセーフティーネットを求めて移住してくる人が多いのではと推測する。区の教育担当者は、家賃の安い都営住宅や障害者施設などが板橋のような東京の“周辺区”に集中しているため、それらを必要とする人が集まり、税収は減る一方で、福祉予算がかさむ悪循環が生まれているという。板橋区の2015年度予算では、教育費の割合が12.6%なのに対し、福祉費は58.7%にのぼった。  限られた教育費は何に投資されているのか。貧困層への対応よりは、先端教育への取り組みに力が入る。今年4月に新設した教育支援センターでは、英語教育やアントレプレナーシップなど、リーダー層を担う子どもの育成に向け研修を行う。ICT(情報通信技術)教育にも力を入れ、区内の公立小学校52校すべての教室に電子黒板を完備した。1校あたり年間リース代は約130万円。来春には全公立中学校にも入る予定だ。  だが、取材の中で貧困を抱える子どもたちと接するうちに、限られた税金の使い方として有効なのかと疑問が湧いた。 ●授業崩壊、勉強は塾で  学校現場では、経済格差が意外な問題を引き起こしている。  板橋区内の公立小学校5年生の亜子さん(仮名・11歳)は、算数の宿題をしながらこう不満を漏らす。 「あ~まただよ。こんな公式、まだ習ってないもん」  最近、学校の授業が成立していないという。クラスメートが床に寝そべったり、勝手に教室を出ていったり、教師が誰かを注意している隙に別の誰かが何かし始めたり……。その結果授業が遅れ、宿題には習っていない範囲が出されるのだという。そんな振る舞いをするのは決まって、学習塾に通っている子だ。 「塾に行ってるから授業を聞かなくても良い点数が取れるんだよ。金に頼りやがって」  そう文句を言う亜子さんに、中学生の兄が注意する。 「塾に行ってるからっていいわけじゃないよ。大切なのは予習と復習をしっかりすること」  妹を励まし、算数の公式を教える。目下の悩みは、学校の影響なのか、妹の言葉遣いが“ヤンキーっぽく”なってきたことだと苦笑いした。 ●モスキート音で排除  亜子さんのクラスでは暴力も日常茶飯事。でも一番嫌なのは、やはり勉強が進まないことだ。塾に行かない亜子さんにとって、学校は唯一の学びの場。悪いことをして教室の外に出されるほうが自習がはかどるのでは、とまで最近は考えるようになった。亜子さんはこう言い切る。 「電子黒板は税金の無駄遣い。先生もほとんど使わないし、そのうち誰かに壊される。もっと根本的なことを見直さないと」  亜子さんは、母親の離婚を機に板橋に引っ越ししてきた。母親は契約社員として働きながら兄妹を育てるシングルマザー。板橋に決めた理由は家賃の安さだ。都営三田線沿線で不動産屋をあたると、板橋に入った途端、家賃が下がった。教育熱心な保護者が多く、有名校も多数ある文京区や千代田区には、とても住めなかったという。  もう一つ大きな決め手になったのは、無料で通える児童館が多数あり、母親が仕事で遅くなっても安心できることだ。だから、「子育て支援」の名のもとに、児童館が乳幼児向けに変わると知ったときは、ショックが大きかった。移行に反対する保護者も多数いたが、区の方針は変わらなかった。  居場所が激減し、子どもたちが漂流している。その多くが、塾や習い事に通えず、放課後の時間を持て余す貧困層だ。貧困家庭の支援を行うNPOの活動拠点となっている、いたばし総合ボランティアセンター所長の篠原恵さんは、集合住宅やマンションの駐車場で夕方、ゲームをしている小中学生を頻繁に見かけるようになった。最近、耳を疑うような話を聞くという。 「たむろする子どもたちを追い払うために駐車場に“モスキート音”を流しているマンションが増えているらしいんです。社会で子育てをするという空気がなくなっていると痛感します」  行政のセーフティーネットからこぼれ、地域からも排除される子どもたち。貧困といっても、背景はさまざまだ。複雑な事情を抱えた子どもたちにこそ、家、学校、そして“第三の居場所”が必要だと言うのは、板橋区で無料塾を展開する「ワンダフルキッズ」代表の六郷伸司さんだ。毎週日曜日、子どもたちが勉強したり遊んだり、ルールをつくらず自由に過ごせる場所を提供している。  冒頭の啓太さんも、高校1年から通う。母親が入院してひとりで暮らす不安な気持ちを唯一、素直に吐き出せたのが六郷さんだった。「僕にできることは何でもするから」そう言って話を聞いてもらうだけで楽になったという。加えて、貧困や不登校など、同じ課題を抱えた子どもたちと触れ合うなかで、初めて前向きな気持ちになれた。 「昔は両親がいてお金の心配もない普通の人生がうらやましかったけど、今はこんな自分もアリかなと思える。いろんな人や価値観に出会えたからかな」  と、啓太さん。今は毎日授業に出席し、就職活動も始めた。クリスマスには母の病室を訪ねる予定だ。母が退院したら一緒に穏やかに暮らしたい、とはにかんだ。 ※AERA 2015年12月14日号
出産と子育て貧困
AERA 2015/12/07 00:00
介護する側・される側の負担軽減「ユマニチュード」とは
介護する側・される側の負担軽減「ユマニチュード」とは
認知症の治療は薬だけではない?  認知症の治療は薬物療法が中心だが、根本的な治療(キュア)は期待できない。「不治の病」に対処するため、医療現場もケア重視に傾いている。  アルツハイマー型、脳血管性、レビー小体型、前頭側頭型という4タイプの認知症のうち、薬の効果が期待できるのは主にアルツハイマー型だ。1999年に抗認知症薬「アリセプト」が発売され、2011年には3剤が加わった。アリセプトはレビー小体型にも効果があり、14年から健康保険適用になっている。  いずれの薬も症状の悪化を遅らせることはできるが、認知症を根治する効果はない。しかし、順天堂大学精神科の新井平伊(へいい)教授は「認知症の治療は薬だけではない」と話す。 「むしろ患者さんと介護する家族が適切な環境のもとで精神的に落ち着いて生活できることが重要で、それを支援する医療や介護の役割は大きい。認知機能が低下しても、穏やかに過ごせればいい人生を送れる。新薬の開発も大事ですが、それ以上にいま認知症と闘っている目の前の人を救う医療や介護が求められているのです」  その潮流を象徴するケアとして注目を集めるのが「ユマニチュード」。フランス語で、人間らしさを取り戻すという意味だ。  東京医療センター(東京都目黒区)では、認知症の症状がある入院患者に、11年から実践している。ユマニチュードを日本に導入した同センター・総合内科医長の本田美和子医師は「このケアの柱は『あなたを大事に思っていますよ』と、相手にわかる形で伝えること」と話す。 「たとえば時間を知りたいと思ったとき、いきなりすれ違う人の腕をつかんで、時計をのぞきこんだりしませんよね。でもケアの現場では、突然病室を訪ねて『おむつを交換しますね』とズボンに手をかけることは珍しくありません。状況がわかっていない患者さんはびっくりするし、怖いので、思わず『やめて』と意思表示する。ケアする側は拒否されたとか攻撃的になっていると感じますが、実はごく当たり前の反応で、自分を守ろうとしているだけなんです」  おむつ交換のときはまず、これから行きますよという合図のノックをし、反応を待ってから近づく。そして目を見て穏やかに「調子はどうかなと思って会いに来ました」と伝える。おむつ交換が目的でも、おむつの話から始めないようにするのだ。 「ケアの間は、目を見てポジティブな話をし、優しく触れながら『あなたが大事』という思いを伝え続けます。相手はメッセージを感じ取り、穏やかにケアを受け入れるようになります」  ユマニチュードの導入後、患者の行動・心理症状(BPSD)だけでなく、職員の疲弊度も明らかに改善したという。病院や施設が導入するのに加え、家族に学んでもらい、在宅介護に生かす取り組みも始まっている。 ※AERA  2015年11月2日号より抜粋
介護を考える
AERA 2015/10/30 07:00
メロスもビックリ!? 太宰治、親友を熱海に放置「走らない太宰」事件とは
メロスもビックリ!? 太宰治、親友を熱海に放置「走らない太宰」事件とは
 先日、自身初の中編小説『火花』にて芥川賞を受賞したことで、ますます注目を集めている又吉直樹さん。その又吉さんが敬愛してやまない作家、太宰治。 39年の生涯のなかで世に送り出した、『人間失格』『津軽』『走れメロス』をはじめとする名作の数々が語り継がれるのみならず、心中未遂、精神科への入院等、波瀾万丈な人生そのものもまた注目されることの多い太宰ですが、実際のところは如何なる人物だったのでしょうか。 本書『もっと太宰治』に収められている、太宰にまつわるさまざまなエピソードからは、ときに従来の破天荒なイメージとは異なった、朝型人間・子煩悩といった意外な一面も浮かび上がってきます。 また本書には、交流の深かった作家たちとのエピソードも収録。なかでも太宰と仲が良かったのは、昭和8年の秋に交遊がはじまったという檀一雄。 玉川での入水を含め、3度の心中をはかったことのある太宰ですが、なんと檀一雄を心中に誘ったこともあるのだといいます。「昭和十二年春のある晩のこと、ふたりは、荻窪の鰻屋に飲みにいった。そこでいいかげん酔っているのに、さらに酒一升買って、太宰のアパートで酒盛のつづき。ぐでんぐでんに酔っぱらうと、太宰は檀に、いっしょに死のうと言いだした。(中略)今度はガス自殺しようと言う。檀も、酒で完全に思考力がマヒ。すっかりその気になって、コンロからゴム管を引き抜いてガスを出した。それでふたりで布団にもぐり込んでいるうちに、太宰は熟睡。だが運よく、檀は寝込む前に正気にかえり、あわててガスコックを閉じたという」(本書より) また太宰と壇には、こんなエピソードも。昭和11年末、熱海で遊びまわった二人の財布は、気付けば空。そこで太宰は、檀を人質として宿に残し、金策のため一人東京に戻ったそう。しかし、檀がいくら待っても太宰は戻って来ず。あまりに戻ってこないため、料理屋の主人に連れられて、檀は様子を見に帰京。そして太宰を捜して井伏鱒二の家を訪れると、当の太宰本人は、縁側でのんきに将棋をさしていたのだそうです。自身の小説『走れメロス』では、主人公メロスは、人質となった親友の元へ戻ってきましたが、作者の太宰は「走る」ことはなかったのです。 151個にも及ぶ、太宰治にまつわるエピソードの数々。そのなかには、鉄の胃袋の持ち主、虫歯だらけ、かなづち、犬嫌い......といったものも。又吉さんならずとも、その魅力に思わず惹きつけられるのではないでしょうか。
BOOKSTAND 2015/08/08 09:30
淡路島殺害事件の被害者遺族が怒りの告発「両親を見殺しにした兵庫県警」
淡路島殺害事件の被害者遺族が怒りの告発「両親を見殺しにした兵庫県警」
※イメージ  兵庫・淡路島の静かな集落でH容疑者(40)が突然、刃物で近隣の住民5人を次々と惨殺したあの悪夢から約5カ月。その犠牲となった平野毅さん(享年82)と恒子さん(同79)夫妻の娘、Aさんが今までの沈黙を破り、「兵庫県警に見殺しにされた」と本誌に訴えた。ジャーナリストの今西憲之と本誌取材班がレポートする。  3月2日、洲本署に何度も言われたので、洲本市役所に出向く。人権推進課から、弁護士の無料相談を紹介され、洲本署生活安全課にも連絡を取ってくれた。翌3日、親族たちは相次いで生活安全課の担当者を訪ねた。メモによれば、 ≪ネットの写真の削除方法の説明を受けた≫≪Hの生活状況を3月5日、6日にHの父親に連絡して洲本署で聞き取りして報告≫≪事件化について相談した≫  Aさんはこう振り返る。 「これまで警察に何度も相談をしたが、ゼロ回答だった。市役所から洲本署の担当者につないでもらって、具体的に動いてくれる。正直、これで助かったと思いました」  だが、約束の3月5日、そして6日になっても洲本署生活安全課からの回答はなかった。そして9日朝に悪夢が現実となる。 「事件当日、私たちが自宅に駆けつけても警察は状況を説明しなかった。仕方なくインターネットで速報を見ると、毅、恒子とも死亡したというニュースがすでに流れていた。警察は何をしているのかと怒りでいっぱいでした」  そして、日付が10日に変わった深夜。洲本署の副署長ら3人が姿を見せた。 「パトロールを強化し、3月5~6日にH容疑者の父親と会って、私たちに報告するはずだった、と問い詰めると、『H容疑者の父とは会ってない。話もできていなかった』と言われました。3月3日以降、パトロールに来たというが、声などもかけてこず、本当に来ていたのかわかりません。アホらしくなり、帰りました」(Aさん)  それ以降は、弁護士を通じ、洲本署と事件対応の疑問点のやり取りをした。  6月12日付の村田久美署長名で寄せられた回答は、 ≪健康福祉事務所(兵庫県所管の保健所)から「関係者は自傷他害の恐れはない」旨連絡を受けていた≫≪危険性、切迫性など健康福祉事務所に通報すべき必要は認められない≫  だが、精神保健福祉法23条では、警察官は異常な挙動や周囲の事情から判断して、自身や他人を精神障害のために傷つける可能性があるときは、保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならないとされている。  もし、警察が通報していれば、医師の診断で措置入院させることができた可能性があった。実際、H容疑者は措置入院させられた過去がある。  兵庫県障害福祉課に洲本署からの通報の有無を確認すると、こう回答した。 「警察から通報があったのは、05年9月と10年12月の2回だけです。それ以降も、県はH容疑者の家族から相談を受けていたので、必要に応じ、警察と情報共有はしていた。最後にH容疑者の家族から『息子の具合がよくない』と相談があったのは14年10月。『何かあったらよろしくお願いします』と明石署、洲本署に情報提供したが、それ以降、やり取りをしていない」  兵庫県警県民広報課は本誌の取材に対し、事件前のH容疑者には「刃物所持や暴力などの危険性、切迫性は認められなかった」と、Aさんへの説明とほぼ同様の主張を繰り返した。また、「3月5日、6日に回答するとは発言していません」と、Aさんとの「約束」を否定した。  精神科医の片田珠美氏はこう疑問を呈する。 「今回の場合は、警察が23条通報して措置入院させるべきだった。H容疑者の両親、近所の方々も警察などに相談。話の内容や相談の回数から自傷他害の恐れがあるとわかる。しかもH容疑者自身も服薬を拒否していたのであれば、病院に強制的に連れていくなど、対応しなければいけません。妄想が再燃する可能性がきわめて高いからです。警察がきちんと対応しなかったことが、事件につながったのではないか」  H容疑者のようなケースでは、病気という自覚がない場合も多いという。 「妄想が激しくなると、それを家族や周囲に否定されて、攻撃的になることがあります。自分が迫害されているように感じるので、家族、周囲で対応するには限界があります。やはり警察が動くべきだったと思いますね」(片田氏)  Aさんはこう訴える。 「いい加減な対応をされ、怒りでいっぱいです。悔しくてたまらない。両親は警察がちゃんと対応してくれたら死なずに済みました」 (今西憲之、本誌取材班=牧野めぐみ、小泉耕平) ※週刊朝日 2015年8月7日号より抜粋
週刊朝日 2015/07/31 07:00
医師676人のリアル

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すべては命を救うため──。朝から翌日夕方まで、36時間の連続勤務もざらだった医師たち。2024年4月から「働き方改革」が始まり、原則、時間外・休日の労働時間は年間960時間に制限された。いま、医療現場で何が起こっているのか。医師×AIは最強の切り札になるのか。患者とのギャップは解消されるのか。医師676人に対して行ったアンケートから読み解きます。

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