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淡路島男女5人殺害 「通報しないで」言い残した警官
淡路島男女5人殺害 「通報しないで」言い残した警官
※イメージ  今年3月に兵庫・淡路島で発生した男女5人殺害事件。犠牲となった平野毅さん(享年82)と恒子さん(同79)夫妻の娘、Aさんは、H容疑者(40)は事件まで度々、地元で問題を引き起こしてきたという。ジャーナリストの今西憲之と本誌取材班がレポートする。 「お宅は風俗店ですかという電話がひんぱんにかかるようになりました。ワケがわからず、電話が繰り返され、亡くなった両親も不安がっていました。そして知人が『ネットでも同じ内容の書き込みがあった』と言うのです。調べると、H容疑者が書いていました」  そしてH容疑者は、いきなり毅さん宅にやってきては、「俺の悪口を言っているのか」と食ってかかり、写真を勝手に撮影するようになった。同じく3人が殺害された平野浩之さんの家族に対してもネットで中傷し始めた。  また、知人が来ると、奇声をあげたり、ジロジロと睨み付ける。朝からバイクのエンジンをふかして騒音をまき散らすなど、いやがらせに及び、不審な行動を繰り返すようになる。 「H容疑者の父親に話をすると、『確かにネットの書き込みは息子が書いた。消すように言うので』と言いつつ『妄想がきつくて』などと言い訳していました」(Aさん)  そして2009年7月、H容疑者は毅さんの孫、Bさんともトラブルになる。  一方的に悪口を言い、バイクのエンジン音を響かせたので、業を煮やしたBさんがH容疑者に向かっていくと、バイクをいきなり発進させたという。 「Bはバイクを何とかよけて反撃。鉄パイプを持ち出し、H容疑者と乱闘。洲本署が駆けつける大騒ぎになりました」(Aさん)  その後、Bさんが殴ったことを認めて罰金刑となり、洲本署もH容疑者と周囲のトラブルを認識したという。 「ネットに書かれたことを名誉毀損で刑事告訴してくれれば、こちらも動くことができる」と洲本署の勧めで毅さんらはそのとおりにした。そして10年12月、H容疑者は逮捕。  不起訴処分だったが、そのまま兵庫県明石市内の精神科病院に措置入院することになった。  平穏な日々が続き、毅さん宅では家のリフォームを始めた。その日々が今年2月14日、「きぇ~」という突然の奇声で破られた。  地元に舞い戻ったH容疑者がカメラで近所を撮影しながら、奇声をあげていたのだ。  その様子を目撃したBさんによると、H容疑者は重そうなリュックサックを背負って、目の焦点が合っていなかったという。 「どう見ても病人。これは大変なことになったと思いました」(Aさん)  戦慄が走ったAさんらはすぐにH容疑者の父親に話を聞きに行った。そのときの会話を記したメモが今もAさんの手元にある。 ≪明石で入院していたがトラブルで淡路島に帰ってきた≫≪帰ってきた直後はおとなしかったが、病人という認識がなく服薬も拒否して徘徊≫≪金銭、パソコンは与えず電気も切っている。何かあれば警察に動いてくれるよう連絡した≫  その話で、より不安に思ったAさんらは、近所の駐在所に連絡。H容疑者の状況を調べてほしいと依頼する。  そして、2月15日に再度、申し入れをしてパトロールを強化してもらうよう要請したという。  2月16、17、20日の駐在所や洲本署とのやり取りを記したメモには次のように記されていた。 ≪民事裁判が適切≫≪一般的に統合失調症など精神疾患があれば逮捕できない≫ ≪Hに刺激を与えてないでしょうねと言われ、していないと答えた≫  同21日午後2時ごろ、周辺をウロウロしていたH容疑者に睨まれた恒子さんが恐ろしくなり、110番通報したときのメモにはこう記されていた。 ≪Hに睨まれたくらいで通報しないでと言い残して、駐在所の警官は帰った≫  そして同22日には毅さんに対し、駐在所の警官がこう言ったという。 ≪Hは先方さんの大事な息子。刺激しないで≫  Aさんはこう言う。 「被害者として不安なのに、刺激するなとH容疑者側の肩を持つようなことばかり、警官は言う。根本的な解決にも動く気配はなく、裁判だ、市役所になどとたらいまわしにするようなことばかりで、不安は日々募っていきました」 (今西憲之、本誌取材班=牧野めぐみ、小泉耕平) ※週刊朝日 2015年8月7日号より抜粋
週刊朝日 2015/07/31 07:00
「元少年A」手記 「Aは非礼では済まない乱暴なことをした」
「元少年A」手記 「Aは非礼では済まない乱暴なことをした」
 長い沈黙が、突如として破られた。  1997年、神戸市で連続児童殺傷事件を起こした  加害男性(32)が「元少年A」の名義で6月10日、手記『絶歌』(太田出版)を出版したのだ。  手記ではAが殺人願望に取りつかれて14歳で事件を起こすまでの経緯や心境が記されている。また、医療少年院を経て2004年に社会復帰して以後、時にマンガ喫茶や簡易宿泊所を転々としながら日雇いバイトや溶接工の仕事を行っていたことも明かされた。  出版前に、被害者家族への相談はなかったという。Aに殺害された土師(はせ)淳君(当時11)の父親は「メディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました」とコメントし、出版の中止と本の回収を求めた。  太田出版の岡聡社長は、経緯をこう説明する。 「私の所に人を介してAの原稿が持ち込まれたのは3月頭。以降、本人とやり取りしています。文学的なセンスがあると思い、出版を決めた。独特の文体なので、加筆などはせず、本人が書いたもの。反発も予想したが、加害者本人の声は読む価値があると判断した。初版は10万部で、印税は本人に渡すことになっています」  だが、太田出版の関係者はこう言う。 「他の有力出版社に持ち込まれた原稿が“ボツ”になって、社長同士が親しいウチに回ってきたと聞いた」  Aの関係者も、出版は寝耳に水だったという。  A一家は事件直後、被害者遺族からの損害賠償請求を起こされ、約2億円の負債を背負っている。 「Aの両親は退職金や手記本『「少年A」この子を生んで……』の印税などで、これまで約8700万円を返済。Aの仮退院後も返済を続け、直近まで毎月7万円(Aが1万円、両親が6万円)を支払っていた。被害者の命日にもAが謝罪の手紙を送り続けてきた。だが、今回の件で被害者との信頼関係が崩れてしまった。遺族から、Aの手紙の内容がよくなったという談話も出してもらっていたのに、自らぶち壊してしまった」  Aが入院していた当時の関東医療少年院院長で精神科医の杉本研士氏も戸惑う。  「『困ったことをしてくれた』と思いました。犯罪被害者の家族のほとんどはPTSDなどに長く苦しむ。加害者への怒りと拒否の段階から少しずつ立ち上がっていかなければいけないのに、こんな突出した行動に出るとは。非礼では済まない乱暴なことです」  手記には、小説のような「文学的」な表現が目立つ。殺害した淳君の頭部を中学校の正門に置くため家を出る場面はこうだ。 <葉型に拡がったカーテンの裂け目に両手をかけ、僕は外界の処女膜を破り、夜にダイブした>  不可解な点もある。  97年の家裁審判の決定文では、「スパルタ教育」だった母親から厳しく叱責され続けるなど、母親の「過干渉」がAの人格形成に大きな影響を与えたことが、かなりの分量を割いて記述されている。  しかし手記では事件前の記述で母親との関係についてほとんど語られない一方、<母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった>と、これまでの「定説」に反論しているのだ。神戸家裁でAの審判を担当した井垣康弘元判事が語る。 「Aが20歳の時の少年院の収容継続審判の際、母親が『本当にあんたが(事件を)やったんやね?』とAに尋ねた。直接、息子の口から聞かない限り、信じないという母親の思いを知り、百八十度変わったのだと思う」  前出の杉本氏も言う。 「手記では少年時代の『心の骨格の歪み』がどう形成されたのか、まとめ方が曖昧。母親との関係に正面から向き合うべきだと思う。ただ、社会復帰後の生活の記述では切迫した心情も見える。事件直後には『早く吊るしてくれ』と叫んでいたが、今は<僕は今頃になって、『生きる』ことを愛してしまいました>と告白している。それを信じたい」  Aは12年冬に溶接の会社を辞めた後、短期バイトなどをしながら執筆を続けていたという。本当に更生の道を歩んでいるのか。 「崩れそうな自分を支えるために本で吐き出さざるをえなかったとすれば同情できるが、文章を発表することでまた人を傷つけてしまう可能性が大きい。自重と幸運を祈りたい」(杉本氏) (本誌取材班=一原知之、上田耕司、小泉耕平、長倉克枝、永野原梨香、牧野めぐみ、山岡三恵/今西憲之 菅野朋子) ※週刊朝日 2015年6月26日号
週刊朝日 2015/06/17 07:00
「毒ガスだ、逃げろ」 地下鉄サリン被害者が語った忘れられない記憶
「毒ガスだ、逃げろ」 地下鉄サリン被害者が語った忘れられない記憶
※イメージ写真 @@写禁  地下鉄日比谷線北千住発中目黒行きの午前7時46分発の電車に、実行役の林泰男死刑囚は、杉本繁郎受刑者の運転する車で上野駅から乗り込み、秋葉原駅でサリン液の入った三つのポリ袋を傘の先でついた。その結果、電車は築地駅で緊急停止。死者8人、重軽傷者約2500人を出し、日比谷線のこの電車はサリンがばらまかれた丸ノ内線、千代田線などの5本の電車の中で最大の被害が出た。当時、会社員だった石橋毅さん(51)は、埼玉県越谷市で暮らし、朝の出勤途中、電車に乗り合わせた。そのときのことを石橋さんが振り返る。 *  *  *  1995年3月20日は普段と何ら変わらない、晴れ渡った朝でした。日比谷線神谷町駅の近くにある会社のビルのメンテナンスに出勤するため、午前7時くらいに自宅を出て、越谷駅から東武伊勢崎線に乗り、日比谷線の北千住駅で席に座り、車内ではスポーツ紙で好きなプロ野球の記事を読みながらウトウトしていました。  日比谷線の人形町駅か八丁堀駅を過ぎたころ、何か2回くらいドスンというような音がして、目が覚め、車内を見回したら、左斜め前に立っていた初老の男性がいきなり、のど元に手を当て、体を硬直させながら後ろ向きに倒れた。  2メートルくらい離れたドアの近くには水たまりのようなものがあった記憶があります。車内にはシンナーのようなにおいが漂っていて、クラクラした気分になった。キャーという女性の悲鳴も聞こえた。  スーツ姿のサラリーマンが、ハンカチを口に当てながら、ドアの近くにあった非常通報ボタンを押して、電車は築地駅で緊急停止した。「毒ガスだ、逃げろ」という声が聞こえ、乗っていた人たちは、ドアをこじ開け、一斉に走りだした。私も駅の外へ逃げようと全力で走ったが、階段を上っている途中で、足が動かなくなった。四つん這いになって地上を目指した。  階段を上り切って、外に出ると築地本願寺のそばに出た。青い空、澄みきった空気でした。  何が地下鉄で起きたのかはわからなかったが、とにかく会社へ行くことだけを考えていた。築地本願寺の前あたりから市場のほうへ交差点を目指して歩き、交差点でタクシーを拾い、後部座席に座り込んだ。運転手さんと話をしているうちに、息苦しくなり、大きく口を開けてハアハア言うようになって、そのうち気を失ってしまった。  気づいたら、タクシーの運転手さんにかつがれて、虎の門病院の受け付けへ到着していた。病院ではソファに倒れ込んでいる人、ハンカチで口を覆ってうずくまっている人、駆け回る看護師さん。パニック状態でした。  私は集中治療室(ICU)に運ばれ、点滴を受け、しばらく気を失っていた。スタッフが電話で「えー、サリンだってよ」と話している声が聞こえてきた。それで、サリンがまかれたのを知りました。病室がとても暗く感じました。後で知ったのですが、目の前が暗く感じるのはサリンの中毒症状だそうです。  4日間入院しました。その後、通院しているときに、病院で警察の方からも事情を聴かせてほしいと言われ、話をしました。警察官から、地下鉄の電車の車内に、私が通勤の緑のバッグを忘れたと教えられました。中には弁当が入っていました。  事件後、疲れやすく、膝に力が入らないなどの症状があり、誰かにつけられているという妄想にとりつかれた。精神科に入院したりもしました。  3~4年勤めていたメンテナンス会社は、事件の半年後に辞め、地元の新潟県に戻ってきました。サリン事件後、5回転職し、結婚もしたけれど、5年で離婚。離婚してからプライベートでは何一つ楽しいことがない日々が続いた。  2008年12月、政府はオウム真理教による八つの事件の被害者に対し、給付金を支払いました。  そのとき、私は特に申請もしなかったのですが、一時金100万円を給付されました。  その際に、警察の方が尋ねてこられ、新潟にもそういう被害者が十数人いるということを聞きました。  今は新潟県長岡市の地元の会社に勤めて14年ほどになります。心の病や引きこもりの人たちがタレントとして活動する地元のグループ「K−BOX」に参加し、地下鉄サリン事件を題材にした詩を作って朗読したり、ピアノの弾き語りをするようになり、心の安定が得られるようになりました。 (本誌取材班=上田耕司、牧野めぐみ、原山擁平、福田雄一/今西憲之) ※週刊朝日  2015年3月27日号
週刊朝日 2015/03/19 07:00
柄本明がうつ病だった妻・角替和枝のため続けた1年の努力
柄本明がうつ病だった妻・角替和枝のため続けた1年の努力
※イメージ写真  夫が主宰する劇団東京乾電池に妻も所属し、互いに俳優として活躍する柄本明さんと角替和枝さん夫婦。結婚して34年経つおしどり夫婦だが、5年ほど前、ニューヨークへの旅行で起きた心臓の痛みをきっかけに、角替さんのうつ病が発覚した。 夫「旅そのものはすごく楽しくてね。帰国してから改めて病院へ行ったんだ」 妻「検査入院の最終日にお医者さんが『精神科へ行きなさい』と。『心臓が悪いんじゃないんですか』って聞いたら、『心臓は“心の臓”ですよ』。頭と胸の痛みがつながっていたんです」 夫「以前にも本で調べて、不調の原因にうつ病を疑っていたんだよね」 妻「でもその時は、病院行こうって気持ちには全然ならなかった。怒られると思ってたんですよ。『あんたの甘えだ! もっとひどい状態の患者さんだっているのに』って。だから、初めて病院で『これはうつですね。今までさぞつらかったでしょう?』って、言葉を聞いたとたん、うわぁーって涙が止まらなくなって、まるで子どもみたいに声を上げて泣きました」 夫「10年ぐらいの間にいろんなことがあったから」 妻「その場で抗うつ薬と精神安定剤を飲んで帰宅したんですが、病院からの道すがら、風景に色が戻ってくるのがわかるんですよ。『あ、空が青い。木が緑だ。ドトールの看板が黄色い!』。それまで、目にしている景色がモノクロに見えていた。そのことにさえ気づいていなかった。あの体験は本当に不思議でしたね」 夫「で、次の診察には私もついて行って」 妻「この病気には家族の理解と協力が大切だってことで、仕事の都合を調整してついてきてくれた。それからですね、えもっちゃんが変わった。優しくなったというか、優しさの深みが増しましたね。さすがに私がいなくなったら困ると思ったのかも」 夫「何が起きてるんだかわからないんじゃ、こっちも対処できないからね。その時先生に言われたのが、『朝6時起床、夜10時就寝』」 妻「そう。『これだけはがんばってください』と。とにかく朝6時には起きて体を立てる。夜10時には枕に頭をつけて、体を横たえる。昼寝はしてもいいけど、絶対に横にならない」 夫「1年、続けたんだよね」 妻「この人はとにかく、こうと決めたらずーっと、続けられる人なんです。毎朝、私より早く起きて『和枝!6時だよ!』って」 夫「1年たって、先生からもう大丈夫、って言われた」 ※週刊朝日 2015年3月6日号より抜粋
病気
週刊朝日 2015/03/03 07:00
認知症リハビリ 専門医「健康保険適用は大きな一歩だが…」
認知症リハビリ 専門医「健康保険適用は大きな一歩だが…」
※イメージ写真  薬に頼らずに認知症の症状を改善させる「認知症リハビリ」をご存じだろうか。折り紙や絵画などを通し、認知機能を回復させるもので、症状が改善したという声が多数あがっている。これまで介護保険のなかで実施されていたが、効果が実証され、2014年4月からは健康保険でも利用できるようになった。  医療現場への導入で注目される認知症リハビリだが、普及にはまだ問題がある。  介護保険でも当初そうであったように、健康保険でも試験的導入という位置づけで、医療機関も対象となる患者も限られる。実施している医療機関は全国で95病院(15年2月時点、編集部調べ)しかなく、対象も、精神科病院などの認知症治療病棟に入院している患者や認知症の専門病院に入院している重度の患者に限られる。  さらに実施できても、保険診療として認められるのは、入院した日から1カ月以内に週3回を限度に1回20分だけと決まっている。それ以上やってはいけないわけではないが、その分は、医療機関のボランティアになってしまう。  リハビリを中心とした医療サービスを提供、在宅復帰を目的とした介護老人保健施設やグループホームなどを運営する医療法人「大誠会」の理事長の田中志子医師は、認知症リハビリを実施するタイミングの難しさについて、こう指摘する。 「大事なのは、その方の気持ちが乗っている時間にリハビリに導けるかなんです。逆に言うと、気持ちが乗っていないときに無理強いしてしまうとダメ。気持ちが乗らなければ、『じゃあ、またあとでやりましょうね』と時間を変更したり、中止したりする必要があります。また、認知症リハビリに持っていくまでの数十分、実施する20分、終わった後の数十分というトータルで考えることが重要で、24時間生活している流れのなかで、リハビリの厚みを出していくことが大切なんです」  認知症リハビリが健康保険で導入されたこと自体は大きな一歩だ。しかし、もっとも食い止めなければならない早期の軽度認知症には適用されず、まだ「風穴が開いたにすぎない状況」(田中医師)だ。多くの認知症患者の受け皿になるよう、有効性を示すデータが報告され、普及していくことが望まれる。 ※週刊朝日 2015年3月6日号より抜粋
介護を考える
週刊朝日 2015/02/28 00:00
少年審判までに誰が後見人に? 佐世保高1殺害事件・少女Aの家庭崩壊
少年審判までに誰が後見人に? 佐世保高1殺害事件・少女Aの家庭崩壊
 当時わずか15歳だった少女Aが同級生を殺害し、遺体をバラバラにした佐世保高一殺害事件。本誌は動機の“核心”に迫るAの肉声の“記録”を入手した──。そこには、「猫より人間の方が(殺すことを想像すると)興奮する。楽しい」など事件の3日前に継母に伝えた少女Aの言葉があった。  同日、Aとの会話を継母は精神科医に伝えたが、対応は肩すかしだったという。 「『そうでしょうね』と精神科医に当たり前のように言われ、今日は時間がないから書面にしてきてくれと、言われたのです」(継母)  父親と継母はAの言動を書面にして翌々日の25日に精神科医とカウンセラーに見せ、「入院させたい」と訴えたが、医師らは「入院は難しい」と回答した。  父親と継母は同日、児相に電話をしたが、時間外だから月曜日に電話するように言われた。そして翌日に事件が起こったのだ。  さらに事件後、長崎県福祉保健部こども政策局が発表した資料によると、この精神科医が児相に通報の電話をしたのは6月10日──。  通報を放置した児相の対応ばかりが問題になっているが、Aの父親と継母は事件後まで、精神科医が児相に通報した事実さえ、全く知らされていなかったというのだ。  「父親らは精神科医との連携不足を嘆いていた。事前にもっと知っていれば、対応できたのに、という無念の思いもあったようです」(父親の知人)  精神科医としての守秘義務があるとはいえ、なぜ保護者にこうした事実を伝えなかったのか。  本誌は精神科医を直撃したが、無言。病院事務長から以下の回答があった。 「すべての社からの取材を断っておりまして、なにもお答えできません」  少女の精神鑑定の期限は12月24日。だが、鑑定が終わっても前途は多難だ。 「少年審判が開かれても、親権者がいなければ、壁にぶち当たってしまう。今後は被害者との損害賠償交渉などもある。父親の自殺後、継母は体調を崩し、長崎の病院に入院したりしていたが、祖母の死亡確認に立ち会ったり、Aの兄の相談にのったりと親代わりのようなことをしていた。だが、実家の両親から、A家と縁を切り、長崎を出るように説得されているので、今後どうなるかは全くわからない。審判までにきちんと後見人を立てなければ、少年審判を始めることも難しくなります」(地元司法関係者)  Aは10月、佐世保署の霊安室で、自殺し遺体となった父親と十数分、対面し、涙をこぼし、すすり泣いていたという。五里霧中の中、真相はどこまで明らかになるのか。 (本誌・牧野めぐみ、上田耕司/今西憲之) ※ 週刊朝日  2014年11月21日号より抜粋
週刊朝日 2014/11/13 07:00
酒鬼薔薇、バスジャック事件 元医療少年院院長ら語る「親ができること」
酒鬼薔薇、バスジャック事件 元医療少年院院長ら語る「親ができること」
 幼なじみのクラスメートを殺害し、遺体を解体した長崎県佐世保市の少女A(16歳)。小学校時代から次第にエスカレートする少女Aの攻撃性を亡き母など家族や周囲は危惧。6月には相談を受けていた精神科医が県の児童相談所に「放っておけば、人を殺しかねない」と相談したが、放置され、事件は起こった。  危険を親が事前に察知していた点では、2000年に当時17歳の少年が引き起こした「西鉄バスジャック事件」に類似している。佐賀市から福岡市に向かう高速バスに牛刀を持って乗り込み、女性1人を刺殺し、女性2人に重傷を負わせた事件だ。当時、少年の母親から助けを求められた精神科医の町沢静夫氏はこう言う。 「母が『鍵をかけてあった息子の部屋に入ると、包丁、ナイフ、牛刀が並べてあって、殺せ殺せと聞こえると記された紙があった』と相談を受けた。家庭内で解決できる問題ではないと捉え、入院治療を勧めました。今回も前兆があったのだから、時間をかけた入院治療が理想的だったと思う」  町沢氏は、神戸で当時14歳の少年が男児の首を切って中学の校門の前に晒(さら)した酒鬼薔薇事件と少女Aの病理は類似しているとも言う。 「動機は殺して遺体をバラバラにし、快感を感じているので、『サイコパス(精神病質)』と言えます。極端に冷酷で感情が欠如しており、他人に対して思いやりが乏しいことが特徴。先行して動物を虐待している点も共通しています」(町沢氏)   少年犯罪で多くの精神鑑定を手がけた上智大学名誉教授の福島章氏(犯罪精神医学)はこう指摘する。 「思春期の女の子が、母親の死を理解するには時間がかかるのに、父親は数カ月で再婚してしまい、その事実についていけなかったのではないか。父の愛情を失い、感情の動きが激しくなったため、事件の引き金になったと考えられます」  長崎地検は少女Aの精神鑑定を実施するため、今後、鑑定留置する方針だ。少年犯罪に詳しい関西学院大名誉教授の前野育三氏は言う。 「解剖への興味が強くて人格的に大きな歪みがあるようなので、医療少年院に送致される可能性が高い。神戸の事件でも、医療少年院送致になり約7年の矯正教育が行われました」  神戸の事件で少年の矯正教育に携わった関東医療少年院元院長で精神科医の杉本研士氏はこう言う。 「人はまず、生理的欲求を満たそうとし、次いで承認され愛されることを求めます。ケンカなど人間関係の程よさというものは原則、家庭で学ばなければならない。少女Aは複数回、小学生時に漂白剤を給食に混ぜ込んだというが、家庭で徹底的に問題を掘り下げただろうか。家庭が機能不全のまま、少女はグロテスクな欲望を発展させたのだろう。模擬家庭なりを作って何年もかけて〝育て直し〟をするしかないと思う」  少女Aのようなモンスターを育てないため、まず、ものの善悪、他人に共感するという情緒を幼い頃からしっかりと教えることが重要だという。 (本誌・今西憲之、上田耕司、山岡三恵、小泉耕平、牧野めぐみ) ※週刊朝日  2014年8月15日号より抜粋
出産と子育て
週刊朝日 2014/08/08 07:00
STAP細胞疑惑 “チーム小保方”の逆襲はあるか?
STAP細胞疑惑 “チーム小保方”の逆襲はあるか?
窮地の小保方氏も“反撃”を準備? (c)朝日新聞社 @@写禁  論文の不正疑惑に揺れる「STAP細胞」問題が、いよいよ“ガチンコ対決”に発展しそうだ。  理化学研究所(理研)は4月1日に開いた会見で、調査委員会の最終報告書を発表。小保方晴子ユニットリーダー(30)について、 <ねつ造に当たる研究不正行為を行った>  と断罪した。これに対し小保方氏は<驚きと憤りの気持ちでいっぱい>とのコメントを発表し“徹底抗戦”の構えを見せた。小保方氏は独自に4人の弁護団を立て、調査への不服申し立てを行う予定だという。  理研側は小保方氏が「心身ともに疲れている」として会見に出席させなかったが、神戸市内の自宅マンション付近で撮られた小保方氏の写真が大々的に掲載されるなど報道は過熱する一方。勤務先の研究所にも無数の報道陣が押し寄せたという。千葉県の実家に住む小保方氏の母親も、娘のサポートのため神戸に滞在しているようだ。  そんな中、小保方氏は神戸のマンションで「週刊新潮」(4月10日号)の直撃取材を受け、「私が死んでも、STAPの現象は起こります」と語ったと報じられた。言いたいことも多々あるようだ。精神科医の香山リカ氏はこう推測する。 「STAP細胞を最初に発表したときのキャラクターから考えると、小保方さんは自己愛が強いタイプ。こうした人物は傷つけられると強い怒りを示すことがあり得ます」  弁護団の広報担当を務めるのは、大阪弁護士会所属の三木秀夫弁護士。食品偽装問題などで2008年に廃業した「船場吉兆」の“ささやき女将”こと湯木佐知子社長の代理人を務め、昨秋の阪急阪神ホテルズのメニュー偽装表示問題の調査では第三者委員会のメンバーとなるなど、“偽装”問題の経験は豊富。果たして「チーム小保方」の逆襲はあり得るのか。東大医科学研究所の上(かみ)昌広・特任教授は、厳しい見方を示した。 「会見で『悪意はなかった』と弁明しても、信頼は回復できないでしょう。仮に故意の間違いがなくても、大事な画像を他のものと間違うなどというミスはあり得ない。今後、再び研究者として活動していくのはきわめて難しいと思います」  体調を崩し、入院説も報じられる小保方氏。だが、理研内部の事情を洗いざらい暴露するなど、一発逆転の“爆弾”を用意している可能性もある。渦中の「理系女子の星」が何を語るのか、日本中の注目が集まっている。 ※週刊朝日  2014年4月18日号
STAP細胞
週刊朝日 2014/04/09 07:00
ボケを見て医師がメモ 松本ハウスが学会で異様な漫才
ボケを見て医師がメモ 松本ハウスが学会で異様な漫才
 幻覚や妄想という症状が特徴的な精神疾患・統合失調症。お笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷さんはかつて統合失調症を患い、一時活動を休止。その後、入院などを経て症状を乗り越え、コンビ復活にまで至った。そんな加賀谷さんが『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)を出版。同じ症状を持つ人や、医学界からも注目されているという。相方の松本キックさんとともにその反響を明かした。 ――反響はいかがですか? 松本キック:同じ統合失調症の患者さんやご家族の方から「共感する」というメッセージをいただいています。 加賀谷:精神科医のお医者さんからも「良い本ですね」とご感想いただくんですよ。 キック:日本統合失調症学会という大学教授や医療関係者が400人ぐらい集まっている前で、加賀谷が経験したことを講演させてもらいました。司会の方に「時間が余ったんでネタやりませんか」と言われたんですが、それはさすがにと思って(笑)、「次の機会にお願いします」と断って、楽屋に戻ったんです。そしたらまた司会の方が来られて「スタンドマイクがないので、ハンドマイク2本で大丈夫ですかね」って、いつの間にかやることに決めてきたんやと(笑)。しょうがないからやりましたよ。 加賀谷:でも「ホラー映画」という僕がウオーと叫ぶネタだったのがまずかった。 キック:加賀谷が叫ぶたびに何人かの先生がメモを取っているみたいなんですよ(笑)。なにかの症状かと(笑)。たぶんあれ、カルテですわ。 加賀谷:突然だったんで、後半「あわわ」となったらまたなんか書かれて(笑)。僕の持ち味なんですけれど。 キック:あんな視線味わったことなかったで。 加賀谷:僕は味わっていますよ、診察のときに。診察の雰囲気でした。 ――お二人の出会いは91年、プロダクションのオーディションに同じ時期に合格されてからなんですね。 キック:初めて加賀谷を見たときは「なんだこいつ」と思いましたね。そわそわしていますし、付き人をしていてコーヒー買ってきて、と言われてもミルクティーばかり買ってきますし、事務所の用事を頼んでもずっと帰ってこないとか(笑)。遅刻も多かったですし。 ――病気のことは知らなかったんですか。 キック:最初は加賀谷は全部(病気の情報を)クローズしてて隠していたんですよ。お互い漫才やりたい気持ちもあったので、軽い気待ちでコンビを組みました。変なところは個性でもありますから。でも、加賀谷は人をひきつける力と言葉のチョイスにいいものがありました。僕らの漫才は作ってきた台本を壊して舞台の上でまた作り上げていく形で、加賀谷は台本を超えてくるんですよ。こっちは「そうきたか」と、さらに上をいこうとする。そういう相乗効果があっておもしろい。 ※週刊朝日 2013年10月25日号
病気
週刊朝日 2013/10/17 07:00
子どもに罵声あびせる「毒親」 その胸の内は
子どもに罵声あびせる「毒親」 その胸の内は
母によって、無残にも落書きされた娘の結婚写真。認知症で娘が自分のお金を盗ったという妄想に取りつかれた母は、あの手この手で娘を追い詰める(撮影/写真部・山本正樹)  自分の子どもに対して支配や虐待、そして依存する「毒親」の存在。子どもは成長して自立しても、親が要介護になったとき、再び苦しめられることになる。  しんしんと雪の降る日の未明、けたたましいインターホンの音が鳴り、販売職の美智子さん(仮名、54)は跳び起きた。玄関ドアを開けてみると、風呂敷包みの中に、美智子さんの結婚写真が。写真は、「ドロボ女ブタ」「バカヤロ」などの罵りの言葉とともに、顔が黒く塗りつぶされていた。震える文字は、母(82)の手蹟だ。これを届けるためにわざわざタクシーに乗って来たのか。母の悪意を感じ、ぶるぶると手が震えた。  レビー小体型認知症で「要介護1」の母は、美智子さんの自宅から車で10分ほど離れた場所にひとりで暮らしている。父と兄はすでに他界。母の介護は、美智子さんが仕事をしながら一手に引き受けている。現在は週2回ヘルパーに来てもらい、週1回はデイサービスを利用。通院や買い物などは、美智子さんが車を出して付き添っている。  認知症になってから、母は「娘が自分のお金を盗(と)った」という妄想に取りつかれるようになった。変貌した母に戸惑い、症状について調べるうちに、自分の母は「毒親」だったのだと気づいた。思えば、これまでも母はすぐ他人に嫉妬し、美智子さんは子どもの頃から自尊心をたびたび傷つけられた。 「ドロボー。カネカエセ」  昼夜を問わず美智子さんに電話して罵る母。電話攻撃のせいで美智子さんは眠れなくなり、精神的に追い詰められていった。 母が親戚に「娘が泥棒をする」と吹聴することも、美智子さんを苦しめる。一見しっかりと受け答えをする母の言い分を周囲は鵜呑みにした。 「私が何をされれば一番ダメージを受けるか、動物的なカンでよくわかっているんですよね」  2年前に症状が悪化し、母が大暴れしたときに、美智子さんは警察を呼んで、母を精神科に強制入院させることにした。死ぬのは自分か母か。極限状態でのギリギリの判断だった。しかし、心身ともに疲弊している美智子さんを、親戚は「なぜ入院させたのか。年をとったのだから、仕方のないことだろう」と容赦なく追い詰めた。治療のおかげで母は落ち着き、退院後は穏やかな日々を送っている。しかし、わだかまりが消えたわけではない。今は母と手をつなぐのが、何よりも苦痛だ。  子どもに対してトラウマとなるほど虐待や支配を行い、そして依存する親のことを「毒になる親(略して毒親)」と呼ぶ。毒親からひどい仕打ちを受けてきた人は、それを心の奥にしまい、生きづらさを抱えながら大人になるケースが多い。しかし、何とか親から離れて自分を取り戻しても、親の介護に直面し、再び親と向き合わざるを得なくなる局面が増えている。  カウンセラーの信田さよ子さんは、介護を受ける親の気持ちについてこう分析する。 「介護によって、親子の力関係が逆転します。それまで子どもに対して圧倒的強者としてふるまっていた親は、その立場逆転が許せません。だから、いつまでも子ども、特に娘を支配下に置こうとして、一層ひどい言葉で傷つけるんです」 ※AERA 2013年10月14日号
介護を考える
AERA 2013/10/10 16:00
副作用で「けいれんが止まらない!」 子宮頸がんワクチンは“薬害”になる
副作用で「けいれんが止まらない!」 子宮頸がんワクチンは“薬害”になる
「あ、うちの子が、いる」  介護事務の仕事をしている横浜市の母親(48)は今年5月、夕食時にテレビで流れた子宮頸がんワクチン被害者の映像を見て、画面から目が離せなくなった。  びくびくと、けいれんが続く女の子の姿。「娘と全く同じ。そういえば、娘も、ワクチンを打った後からおかしくなった」。そう気づくと、ショックで血が凍った気がした。  高校2年になった次女A子さん(16)は、中1のときから剣道一色だった。通っている公立中学は関東大会に出るほどの強豪。部活のあとにはまた剣道を練習し、帰宅は夜中になることも多かった。実績を上げ、「将来は武道を生かせる警察官か自衛隊員になる」と夢を膨らませていた。  ところが中3の夏、子宮頸がんワクチン「サーバリックス」を打ってから、接種した部位が大きく腫れた。しびれた感じもあった。「筋肉注射だから、そんなものでしょ」。母親は湿布したが、数日たっても痛みは続いた。  ひどくなったのは、昨年2月に3回目を接種したころからだ。痛みは関節や腰に広がり、頭や目も痛んだ。剣道の稽古の途中でも突然ふらついたり、体が重くて思うように動かないことが増えた。  9カ月後からは、けいれんも始まった。「お母さん、Aちゃんがおかしいよ!」。ある晩、長女が言いにきた。見ると、うつぶせに寝ていたA子さんが、魚のように、びくびくとはねていた。ひざから下が、背中につくほど大きく跳ね上がっている。A子さんを起こすと、「気持ちが悪い」と言う。激しいけいれんは1時間ほども続いた。  行きつけのクリニックで診察を受けても異常は見つからない。だが、A子さんは、学校帰りの地下鉄内でつり革を握る手が震えだし、全身に震えが広がった。けいれんは頻発し、授業中にも震えが出る。早退せざるを得なかった。  脳外科を受診。CT検査をし、脳波も調べたが異常はなかった。震える映像を撮影して医師に見せ、てんかんの検査もした。  中学でのハードな練習がトラウマでは。部活の人間関係か。入院して調べましょう――。医者にも言われ、精神科への入院もやむなし、と考えていたとき、テレビで子宮頸がんワクチン接種後の被害者の映像を見たのだ。  母親はインターネットを検索し、「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」に連絡した。連絡会の斡旋で、首都圏の被害者たちが国立精神・神経医療研究センター病院(東京都小平市)に集団受診する直前で、そこにA子さんも参加した。 ※週刊朝日  2013年7月26日号
がん子宮頸がん病気
週刊朝日 2013/07/23 07:00
皇后への道は前途多難? 不安視される雅子さまの皇室外交
皇后への道は前途多難? 不安視される雅子さまの皇室外交
 皇太子ご夫妻に「天皇皇后」が務まるのか。そんな議論が吹き荒れている。外交官出身の雅子さま。「いざ皇后になれば堪能な英語で皇室外交に取り組まれるのでは」と期待する国民は多い。どうだろうか。  ご病気のため「人前で食事をするのが特にご負担」という雅子さま。苦戦されているのが国内での接待だ。最重要行事は、国賓が来日した際に開かれる宮中晩餐(ばんさん)会で雅子さまは欠席が続いている。 「一昨年、ブータン国王夫妻が来日した際の宮中晩餐会は、天皇陛下が入院中で両陛下は欠席。皇太子さまが代役でホストを務めましたが、傍らに雅子さまの姿はなかった。女主のいない宴はとても寂しいものでした」(宮内庁関係者)  だが、代役ではないが、強力な「助っ人」が登場した。今月初めに開かれた仏大統領を招いての宮中晩餐会では、黒田清子さんが元皇族として初めて出席。男性誌で特集が組まれるほどアイドル的な人気を誇る秋篠宮佳子さまも今後、「デビュー」する。  たとえ女性宮家が実現しなくても、清子さんを前例に、眞子さま、佳子さまら若い世代の女性皇族が、ご結婚後も、晩餐会に出席して、華やぎを添えていくかもしれない。  外国訪問はどうか。「皇室外交は、あくまで親善外交。形式的なことを好まれない雅子さまが、皇后になってもされるかは微妙」(精神科医の香山リカさん)。  海外の王室についての著作が多い評論家の八幡和郎さんは言う。 「『あの国には行って、この国は行けない』というのは、相手国に対する非礼です。外国で静養したければすればいいと思いますが、それを『公務だ』というのは間違いです」  思いのほか前途多難だ。 ※週刊朝日 2013年7月5日号
佳子さま皇室雅子様
週刊朝日 2013/06/26 11:30
宅間守はなぜ自ら入院したのか?
宅間守はなぜ自ら入院したのか?
 2001年に大阪教育大学附属池田小学校で起きた無差別殺傷事件。犯人である宅間守は2004年に死刑が執行されたが、彼の行動を心理学者の小倉千加子氏が分析する。 *  *  *  京都府立洛南病院は単科の精神科病院である。そこで副院長を務めていた臨床医の岡江晃氏は、都道府県立の精神科病院は重大犯罪を起こした精神障害者あるいは治療困難な患者の治療を率先して行うべきだと考えていた。  宅間守の精神鑑定を依頼されて、岡江氏は、たとえ世間から非難を浴びても自説を主張しようと心に決めてそれを引き受けたという。  重大犯罪を起こした統合失調症や妄想性障害の人たちは刑罰を受けるべきか治療を受けるべきかについて、氏の考えは明確である。統合失調症なら完全責任能力はない。しかし、大阪拘置所の面会室で宅間守に会って話を聞いてみると、統合失調症との判断はすぐに消えてしまった。  宅間守は統合失調症ではない。これに関しては鑑定人や鑑定助手ら4人の意見は一致した。最近出版された『宅間守精神鑑定書』は、氏が大阪地方裁判所に提出した精神鑑定書をほぼそのまま収載したものである。  岡江氏は宅間守と合計17回の面接をした結果、恐らくそれまでの人間観と医療観を変えたのである。岡江氏が宅間守を「惰性欠如者」という古典的な名称で鑑定したのは、その名称に人格への非難・批判が内包されているからである。  宅間守は大阪教育大学附属池田小学校での事件の前から、数々の粗暴な犯罪を繰り返している。その中には精神鑑定書を読むまで知らなかったことがいくつもある。宅間守には奈良少年刑務所出所後に、トラックやダンプの運転手をしていた時期があった。その時期に宅間守が関係し相手が死亡した交通事故が2回あったという。 「一回目は、『二十五、六歳の頃』の『産業廃棄物を十トンダンプで山奥にゴミ』(原文ママ)を捨てる仕事をしていたときに、『前に腹立つ車がおったから、そいつをあおっとった』ところ、自分の車が『下りのカーブでブレーキ踏んだらスピンして』、『対向の十トントラックにボカーンと当たって』、『十トンの奴が何日か後に死んだ』(笑う)。警察には『向こうがセンター割ってきた』と『嘘』をついて、『不起訴になった』。二回目は、平成四年ころ、トラックを運転中に首都高速の付近で、『乗用車とかぶせあい』となり『割り込んでブレーキ』を踏むことを『十回くらい繰り返して』いるうちに、相手の乗用車が側壁にぶつかり運転者が『アホやから』『失敗して』『死んだ』(笑う)。知らん顔して逃げたので事件にはならなかった」  宅間守は事件と事件の間にしばしば精神科を受診している。1回のみの診察を含めると15人以上の精神科医に診察を受けている。たとえば、強姦をした後に精神科を自ら受診して入院し、学校の用務員だった時にお茶に薬物を混入した事件の後にも警察官と共に精神科病院に来ている。  宅間守を診察した精神科医が各々証人尋問で述べている内容には共通点がある。「注察妄想」(周囲から、あるいは街中などで他人から観察されているという妄想)と「関係妄想」を訴えた。「統合失調症の疑い」(もしくは「統合失調症」)と診断したが、思考の異常は目立たなかった。  宅間守はなぜ自ら精神科に診断を受けに行ったのか。精神科医の一人は証人尋問で述べている。「その診察の後で医局会を開いております。そのときに数人の医者でもって、宅間君のお茶事件について論議して、そして、なんや、これは彼が二十一歳のときの入院も偽装やで、偽装やでというふうな結論に達したわけで」 (この項続く) ※週刊朝日 2013年6月28日号
病気
週刊朝日 2013/06/25 11:30
12畳ワンルームから開始 心の病気に食事でアプローチ
12畳ワンルームから開始 心の病気に食事でアプローチ
 今、うつ病などの心の病に対して、食生活からのアプローチが効果を上げている。  うつ病や統合失調症など、心の病気になった人の食事や、生活リズムを整え、食卓を一緒に囲むことで元気になることを実践している場所が、東京都調布市にある。松浦幸子さんが代表を務めるNPO法人「クッキングハウス」。合言葉は「『おいしいね』から元気になろう」。  松浦さんが12畳のワンルームを借りてスタートさせたのは、1987年。当時、松浦さんは精神科ソーシャルワーカーとして、精神病で入院している患者の退院支援を行っていた。しかし、退院して地域で暮らし始めた人たちが、ほどなくして再発し、病院に戻ってしまう。  彼らの食生活は、「一人ぼっちでテレビを見ながら、買ってきたお弁当とかカップラーメンを食べるだけ」。生活のリズムも乱れて、昼夜が逆転する人が多かった。松浦さんが、「こんな暮らし方が病気の回復にいいはずがない。健康的で普通のごはんを昼間、一緒に食べられたら、再発しないかもしれない」と思い立ったのが始まりだ。  自分たちでメニューを話し合い、一緒に買い出しに行き、料理をして、食べる。「語り合いながらおいしいものを食べると、楽しい。『食事会に間に合うように起きよう』と思えるようになり、生活のリズムが整っていきます。再発して入院する人もぐっと減りました」(松浦さん)  勤められるようになった人が仕事帰りに寄ったり、朝起きられない人も食べに来られるように、夕食会も行っている。 「精神障害者の強制入院の要件を緩和する精神保健福祉法改正案が国会で審議中です。ごはんを一緒に食べて、語り合える場があれば、入院を減らし、地域で一緒に暮らしていけることも知ってほしい」(松浦さん) ※AERA 2013年6月17日号
AERA 2013/06/23 16:00
宅間守 精神鑑定書
宅間守 精神鑑定書
 2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小学校で、児童8人が死亡し、児童13人、教諭2人が重軽傷を負う痛ましい事件が起きた。逮捕された宅間守は当時37歳。03年8月に大阪地裁で死刑判決が出、弁護団は控訴するも宅間自身が控訴を取り下げたために死刑が確定。04年9月、異例の早さで死刑が執行された。  岡江晃『宅間守 精神鑑定書』はその宅間守の鑑定医による本。タイトル通り精神鑑定書がほとんどそのままの形で収められている。先週の本欄で取り上げた堀川惠子『永山則夫 封印された鑑定記録』が事件の核心に迫る驚きの内容だったので、本書にも期待したのだが……。  宅間守は1963年、兵庫県で生まれた。小中学校時代から粗暴な言動が目だつ。同性の友人はおらず、女性に対する態度も逸脱的。公務員だったこともあるが職を転々とし、犯罪歴も多数。精神科への断続的な通院歴と4度の入院歴がある。4度の結婚と離婚をし(最初の2人の妻は十数歳年上)、犯行の直前には3度目の元妻への復讐を考えていた。  同情しにくい人生ではある。鑑定書が出した結論は人間的な感情に乏しい「情性欠如」。ただ、あまりに常軌を逸した行動が多すぎて逆に気になる。鑑定書もまた〈いずれにも分類できない特異な心理的発達障害があった〉といい、〈現在の精神医学の疾患概念には当てはめることのできないほど、バラバラな症状と非定型的な症状である〉と述べる。 〈僕もパイロットになりたくなってしまった〉。それでちょっと勉強し〈国立の中学校に行きたいと思った〉。一貫して自暴自棄な三十数年間で唯一健全性がうかがえる、宅間の高校時代の反省文の一部である。〈自らもかつて入学を希望したがかなわなかった池田小〉という判決文に呼応するのも唯一ここだけ。  鑑定書という本の性格上、本書から宅間守の全貌を知ることはできない。まとまった形のノンフィクションを誰か書いてほしい。あれだけの事件を、だって風化させられる? 週刊朝日 2013年6月21日号
今週の名言奇言
dot. 2013/06/13 00:00
避難所を和ませた「リーダー」はなぜうつ病になったのか
避難所を和ませた「リーダー」はなぜうつ病になったのか
 大震災直後、カキや海苔の養殖が盛んな宮城県東松島市に、36人の被災者がひとつの家族のように暮らす小さな避難所があった。その中心には、いつも笑顔を絶やさない「避難所のリーダー」がいた。だが、仮設住宅への入居が始まり、「大家族」はバラバラに。最後まで避難所に残ったリーダーは現在、精神科に入院しているという。  彼は東松島市会議員の菅原節郎さん(61)。津波によって妻の郁子さん(当時53)と息子の諒さん(当時27)を亡くし、自宅も流されてしまった。  それにもかかわらず、同じように家族を亡くした避難所のメンバーを気遣いながら、毎日せわしなく避難所を切り盛りしていた。  朝は「おはようございまーす」とみんなに声をかけ、率先して掃除を始める。救援物資の洋服が届いたときには、「バーゲンセール始まるよー。早いもの勝ちだよー」と、大きな声で呼びかけ、避難所のメンバーを和ませたりもしていた。  避難所は7月いっぱいで避難所は閉鎖された。そして、菅原さんの心身の異常を最初に感じ取ったのは、娘の杏さん(25)だ。 「父は、避難所を出てから落ち込むことが多くなりました。『生きる希望が見つからない』とか『本当は死のうと思ったけど、その勇気もないから今日も生きてしまった』とか、すごくネガティブなことばかり言うようになったんです」  震災直後から東松島市でボランティア活動を行う酒田達臣さん(47)は、11月ころ、たまたま市内で菅原さんと会い、声をかけた。 「すごくやせていて『俺もうダメなんだ』ってしきりに弱音を吐いていたんです。だから、避難所のメンバーに声をかけて"励ます会"をやろうと思ったんです」  しかし、12月2日に行われた「励ます会」に、菅原さんは現れることはなかった。同じ日、菅原さんは入院することになったのだ。  菅原さん自身が、当時の心境をこう語る。 「避難所にいたころは、自分の目に見えるところに『お世話する人』がいた。でも、解散して、バラバラになってしまって。借家でひとりポツンといると、みんながどこで何をしているかがわからない。自分の将来もどうしたらいいかわからなくなって......。正直、自らの命を自分で閉ざすことすら考えていました」 ※週刊朝日 2012年3月23日号
週刊朝日 2012/09/26 00:00
知られざる精神科ソーシャルワーカーの凄絶
知られざる精神科ソーシャルワーカーの凄絶
 精神保健福祉士として診療所に勤める綾子(仮名・28歳)の仕事は、主に「患者の手助け」。つまり「医療行為以外ならなんでもする」という内容だ。「なんでもする」と書くのは簡単だけれど、その仕事は壮絶を極めていた。 「常に『死』というものがそこにある仕事やな。しかもそのほとんどが自殺やねん。訪問したら患者さんが首をつってたこともあったなあ……」  患者の家を掃除するために訪問し、玄関を開けると、患者が包丁を持って立っていたこともある。彼は覚せい剤中毒から精神病に悪化した元暴力団の男性だった。うつむいていて表情はよくわからないが、太い腕の先の包丁の刃は、確実に自分に向けられている。背筋に汗が流れたが、不思議と「怖い」という感情はわいてこなかったと綾子は言う。 「私の仕事で一番大事なことは、患者さんの話を聞くこと。その患者さんからも、『幻聴に悩まされている』という相談をさんざん受けていたから、冷静でいられたんやと思う。おそらく彼は、私に殺されるか攻撃されるような幻聴が聞こえたんじゃないかな。患者さんが攻撃するときは自分を守ろうとしていることが多いから」  毎日、幻聴や幻覚の恐ろしさを語る患者を相手にしている綾子は、 「彼らの住む世界に比べれば、包丁くらい平気や」  と笑う。 「包丁までいかんでも、玄関先で『帰れ!』と怒鳴られることはしょっちゅう。『死ね』とか『殺す』では、もう傷つかへんよ」  綾子が今年で6年目になるこの仕事をやろうと決めたのは、短大生のときだ。「なんとなく」進学した社会福祉系の短大は、ちょうど彼女が入学した2001年から「身体」「知的」「介護」に加え、新たに「精神」という学科を設けたばかりだった。 「他の学科はどんな人を相手にするのかだいたい想像できるけど、『精神』っていうのはなんやろう? 『精神保健福祉士』って、どんな仕事なんやろ?」  まったくイメージできないことで、俄然、興味がわいた綾子は「精神学科」を選択した。そして、実習に行った精神科の診療所で、衝撃を受ける。  そこには、統合失調症、アスペルガー症候群、発達障害、鬱病、薬物中毒など、さまざまな症状に苦しむ10代から70代の患者がいた。  いきなり叫びだす人、何を言っているのかわからない人、人に「うるさい!」と注意をしながら大声で話す人などなど......。綾子は診療所に訪れる患者たちを見て素直にこう思った。 「これだけいろんな人がいるんやなあ。みんな違う世界で生きてるみたいや」  患者の体調は目まぐるしく変わる。先週、笑顔で別れた患者が、なぜか今日はにらんでくる。昨日怒って帰った人が、今日は自分の体調を気遣ってくれる。  綾子はそんな患者の変化や行動を観察するのが好きだった。それは、 「どんな人間がいてもいい」  という自分の願いにも近い理念を再確認することができたからだ。  本格的に精神保健福祉士を目指すことに決めた綾子は、実習先の診療所でアルバイトをしながら勉強を続け、卒業後なんとか資格を得た後、晴れてその診療所で精神病患者専門のソーシャルワーカーとして正式に採用された。 「働いてみて初めてわかることばかりだった。学校の勉強が無意味だったとまでは思わないけど、資格を取っても実態は何もわからんことを知った」  綾子の一日は朝9時のミーティングから始まる。その日の仕事内容を確認すると、所内のデイケアフロアにやってくる患者とマージャンやカラオケなどをして遊び、相談を必要とする患者や家族が来所すれば、相談室に入って相談を受ける。相談の内容は、保険の制度説明から日常の生活までさまざまだ。  その合間を縫って、患者の家など訪問先へ出向く。「掃除ができない」と言われれば掃除にいき、「買い物ができない」と言われれば買い出しに走る。気づいたら夜になっているなんて日はしょっちゅうあった。週に2日は時計を見て慌てる。診療所がナイトケアとしてフロアを患者に開放しているため、夜もそこへ戻らねばならないからだ。  そんな生活が「つらい」と、途中で辞めてしまう人は少なくない。なかには患者の話に感情移入しすぎて、働く側が精神病になってしまうケースも見た。 ◆家族にも拒まれ行き場ない患者◆  先進国の中でも特に精神病患者へのケアが遅れていた日本で、精神保健福祉士という資格が誕生したのは1997年のことだ。  その仕事の内容は多種多様で、病院や役所の窓口で患者の対応をする行政サービスもあれば、福祉施設や作業所で精神病患者たちの生活を支援する仕事もある。  給料は職場や地域によってバラバラ。綾子いわく、個人のクリニックや作業所に比べ、行政サービスに就いている精神保健福祉士は比較的給料が高いそうだ。それでも同じ国家資格である看護師と比べると安い。  綾子の初任給は15万円だった。そこからいろいろと引かれ、手取りは12万と少し。日当でみると数千円だ。  現在、精神保健福祉士の登録者数は約4万8千人。近年、鬱病の増加など精神病の患者数は増えているものの、福祉士は、給料格差に加え、精神的・肉体的につらい仕事のため、慢性的な人手不足となっている。  綾子は定期的に訪問する患者を含め、常に10人ほどの患者を担当していた。  息つく暇もない仕事の中で、綾子が「一番やっかい」と言うのは入院の交渉だ。入院治療が必要な患者が出ると、受け入れてくれる病院を探す。そのとき必ず、 「自傷行為はありますか?」  と尋ねられる。心の中で、 〈自殺するかもしれんから入院が必要なんや!〉  と突っ込みつつ、 「はい。あります」  と答えると、相手の声が変わる。 「いやあ、今、ベッドに空きがないんですわ~」  病院としてはリスクを減らしたいのだろうが、行き場のない患者を抱える側としては怒りもわく。 〈ほな、最初からそう言えや! 嘘がみえみえやわ〉 と、出せない言葉をのみこんで、綾子はまた次の病院に電話をかける。 「見つかるまで探さなあかんねんけど、なかなか受け入れてもらえへん。入院施設があるとこやったら、ここらで電話したことない病院はないと思う」  そんな現実の中で、厚生労働省は精神科のベッド数削減に取り組んでいる。精神病患者への訪問支援を本格的に導入するという建前のもとで進められているのだが、綾子に実情を聞くと、そんな簡単な話ではないことがよくわかる。 「確かに世界的に精神科のベッド数は減ってる。日本もそれに倣って、長期入院だけではなく、地域全体で患者を支えるという方向はいいと思う。でも、作業所も足りない、ケアする人も少ないというこの現状で、先にベッド数だけ減らしてどうするんや」  憤りがわくのは当然だろう。病院だけではない。綾子はこれまで何度も患者を拒む家族を見てきたのだ。  精神科の患者は、他の疾病よりも家族と疎遠になっている割合が高い。そのために、適切な治療が受けられない患者がいる。  医師によって入院が必要と判断された場合、通常はまず、本人か家族の同意を得ねばならない。しかし、入院を要するほど病状が悪化している患者を説得し、同意を得ることは難しい。精神科医や警察などの同意で強制的に入院させることもできるが、患者の人権を考えると、できれば避けたい。運よく入院先が見つかっても、家族と連絡が取れないまま、病状が悪化していくケースもある。 ◆患者の死に泣き患者に救われる◆  そんな苦労も、 「仕事と割り切って頑張るしかないわ」  と言う綾子が、唯一落ち込むときがある。患者が死んだときだ。 「私は患者とは線を引いて仕事をしてるほうだと思う。でも、普段接している人が亡くなったときは本当につらい。ついこの前まで一緒にカラオケしてた人が、なんで今日飛び降りたんやろ。なんで一緒に笑ってた人が今、目の前で首つってるんやろって。かかわった人が死んでいく悲しみは、この仕事をしてから、嫌というほど味わった」  亡くなった患者を前に、彼女には悲しみにくれる時間さえない。家族と疎遠になっている患者は、葬儀の手配や遺体の処理まで精神保健福祉士が担うことが多いのだ。綾子は去年だけで4人の患者の葬儀を手配したという。  心が折れそうになるとき、綾子を救ってくれるのは「患者さん」だった。 「Aさん、最近、いろんな声が聞こえてしんどいんやろ? 入院したらどう?」  数年前の春、綾子は入院を拒む統合失調症の患者Aさんを説得していた。 「入院したほうがAさんも楽になると思うけどな」 「嫌や! ぜったい入院せん! 嫌や! 嫌や!」  何を言っても聞かないAさん。綾子は思わず、 「ドライブ行こっか」  と誘った。  言った自分も驚いたが、Aさんはもっと驚いたようだ。目を丸くしながら綾子の車に乗り込んできた。診療所を出て車を走らせると、開け放った窓から春のにおいが入ってくる。 「Aさん、気持ちいいなあ」  運転しながら助手席に向けて声をかけた綾子に、Aさんはボソッと、 「入院してもええよ」  と言った。  綾子はこう振り返る。 「そのときは、たまたまうまくいったからよく覚えてる。この仕事は、人が相手やから正解はないねん。統合失調症の人は気い遣いが多いから、Aさんも私に気を遣ったんかもしれんな」  綾子に、「辞めたくなったことない?」と聞くと、 「ないなあ。やっぱり元気になっていくのを見るとうれしいし、それに私、しょっちゅう患者さんに癒やしてもらってんねん。下向いてると、『疲れてんの? 無理しんときや』って声かけてくれる人もいる。みんな、めっちゃ優しいんやから」  と、誇らしげに目尻を下げた。 (本誌・小宮山明希)     * 京都出身の「おきばり(頑張り)」記者(28)が、「これ、どないやねん!」と思った事件やできごとをシリーズでお届けします 週刊朝日
週刊朝日 2012/09/26 00:00
医師676人のリアル

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すべては命を救うため──。朝から翌日夕方まで、36時間の連続勤務もざらだった医師たち。2024年4月から「働き方改革」が始まり、原則、時間外・休日の労働時間は年間960時間に制限された。いま、医療現場で何が起こっているのか。医師×AIは最強の切り札になるのか。患者とのギャップは解消されるのか。医師676人に対して行ったアンケートから読み解きます。

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どんな人にも「忘れられない1日」がある。それはどんな著名な芸能人でも変わらない。人との出会い、別れ、挫折、後悔、歓喜…AERA dot.だけに語ってくれた珠玉のエピソード。

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