3年目。所持金が底をついてしまったので、自慢の自宅を売り払って、実家のある九州へ帰った。ちょうどバブルの最中だったので、家は購入したときよりも高い金額で売れた。その金はすべて別れた妻に渡してしまった。

「だって、僕が全部悪いんだから仕方ないでしょう」

 実家に戻っていた妻は、その金に貯金を足してマンションを購入し、子供たちとともに移り住んだ。一方の上野は、九州でしばらく職探しをしていたが、またしてもパチンコや小倉の競馬にはまってしまい、このままではダメになるからと、愛知県のトヨタ自動車に期間工として働きに出ることにした。

 仕事の中身は、トランスミッションの整備である。2年間真面目に働いて職長から信頼され、社員に推薦して貰えるまでになったが、年齢制限にひっかかって社員になることは叶わなかった。

 上野はいったん九州に戻ってから、再度、上京する決心を固めた。まだ存命中だった父親は東京行きを思いとどまらせようとしたが、九州には就職先が乏しかった。

 上京して、セコム、アラコム、アルソックと警備会社の面接を3社、立て続けに受けた。セコム以外の2社の面接を通過したが、東京に住民票を移していないことを理由に最終段階で落とされてしまった。

 上野はなんとこの間、別れた妻のマンションに居候しながら就職活動をしていた。考えてみれば、無職の中年男性が簡単に借りられる部屋などないのだ。

「どの会社を受けても、人柄は文句ないって言われるんですけどね」

 その点は、元妻も同じ認識だったのかもしれない。だから、一時的とはいえマンションに居候することを許したのだろう。

 警備会社をすべて落とされた後、上野はタクシー業界を考えた。上野の年齢では、もはや他に面接を受け付けてくれるところはなかった。

 そう思い詰めていたところへ、思いがけず、外資時代の先輩社員から連絡が入った。もしも職を探しているのだったら、P生命へ来ないかという誘いだった。P生命もやはり外資系企業であり、元の会社からかなりの人数の社員が流れていることは上野も薄々知っていた。年収2000万~3000万の社員がゴロゴロいるという噂だった。

 先輩社員が言った。

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先輩社員の信じられない言葉