1987年6月6日、山口県長門市トレーニングセンターで龍原砲として初めて、輪島さん・大(元司)さんと対戦した試合は今でも覚えているし、会場で観た人は「あの試合はすごかったね」と今もずっとファンでいてくれるんだ。嬉しいもんだよね。

 何度も話しているけど、その頃はちょうどアサヒスーパードライが新発売された時期で、2人ですっかりハマったんだよね。毎晩、うまいスーパードライを飲むために一生懸命試合をしたというのが正直なところだ(笑)。試合が終わって、朝まで阿修羅とずーっとスーパードライを飲みながら「今度ジャンボ(鶴田)と対戦する時は、ああしよう、こうしよう」とか、そんな話ばっかりだったけど、本当に楽しかった。女房にも「あの時があんたの青春時代だったね」と今でも言われるし、俺もそう思っている。

 ただ、阿修羅とはシリーズが終わると、プライベートでは一切交流がなかった。シリーズが終わると何をしているのか知らなかったし、ミステリアスな男だったよ。お互いに自分は自分で、そういう点でもウマが合ったんだと思う。そしてシリーズが始まると「おお、久しぶり」なんて言って、またガンガンやるんだ。とんねるずの石橋と木梨みたいだろう(笑)。

 阿修羅は多くを語らないタイプだし、崩せないポリシー、譲れないことも多く、頭が堅いところがあった。俺のところにも彼のよくない噂が聞こえてきていたけど、別に俺には関係ないから詮索もしない。俺がどうこうできるもんでもないし、俺が解決するって言ってもカッコつけの阿修羅だから「そんなことしなくていいよ」と言われるのはわかっていたからね。

 阿修羅が全日本を解雇されて北海道に行っていた時、SWSに移籍していた俺は彼のことを迎えに行ったんだ。そうしたら開口一番「源ちゃん、俺をあわれんで来てくれたんだったら、俺はそんなの受けないよ」と言ったんだ。こっちは「カッコいいセリフ吐いて、何言ってんだお前!」って(笑)。

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阿修羅は前にしか進めないタイプ