「俺は昔の全日本の楽しい思い出もあるし、今は俺がトップの団体だから、阿修羅が来ることを誰も反対しないし、ウエルカムだからやってほしい」と伝えたら「そういう気持ちだったら、俺ももう1回頑張るよ」って復帰してくれたんだ。
ただ、最後はラグビーのボールが破裂するように、彼の人生も破滅に向かって、隅に追いやられてしまったね……。彼はラグビーと一緒で前にしか進めないタイプ。いつもガンガンぶつかって行くから、俺も見ていて面白かったし、気持ちいいだろうなと思うことが多かったよ。
でもその分、譲れないプライドを持っていて、時としてそのプライドが邪魔になることもある。多くの人は大人になってそのプライドを曲げたり、妥協したりするけど、彼はそれができないし、そんな自分に酔っている部分も無きにしもあらず、だったと思う。
阿修羅からはよく、ラグビーの日本代表の遠征で外国に言ったときの話も聞いていた。日本代表として海外で試合をするときは、向こうも選手を尊重してくれるし、しっかりもてなしてもくれていたのだろう。プロレスの海外修行とは雲泥の差、屁みたいなもんだ。
だから余計にプロレス界の小ささやちまちました部分に呆れたり、がっかりした部分もあったと思う。普通は妥協して収まるところに落ち着くんだけど、阿修羅はそれができなかった。記者やファンからは特異な男で片づけられたけど、本当はそんなんじゃない、規格外の男だったんだよ。
そんな阿修羅との一番の思い出は、(スタン・)ハンセンに後ろからタックルされてコーナーポストの金具で顔に大ケガした時だ。顔の側面がざっくりと切れて、すごく傷が深かったから試合後に「病院に行って縫ってもらった方がいいよ」と言ったら、「大丈夫だよ、こんなの」って。傷口にテープを縒ったのをペタペタ張って「じゃあ、元気が出るように焼肉食いに行こう」って、そのまま焼肉屋に行ったんだ。
焼肉屋のおばちゃんが傷を見て「これなら朝鮮人参酒を飲めば治るよ」なんて言うもんだから、阿修羅も朝鮮人参酒をくいくい飲んじゃってね。案の定、翌朝になると顔がパンパンに腫れあがって、さすがにこれはダメだとなって、ようやく病院に行って縫ってもらった。たしか20数針縫ったかな。阿修羅はその日も試合に出ると言っていたけど、さすがに休まされてたよ。阿修羅も焼肉屋のおばちゃんも、いい加減なもんだ(苦笑)。このことが阿修羅とのエピソードで一番印象に残っているよ。