それまで、福島さんは彼らに忍び寄る死を撮影しているものとばかり思っていた。
「ほんとに、孤独なのがわかるんですよ。つらいし、悲しいし、『もう死にたい』とか言う。でも、ぼくがお弁当を渡して、次のお客さんのところに行くときにはもう、その弁当を食べている。それって、ほんとうにすごいな、こんな状況でも人は生きていくんだ、と。ぼくは人間が生きるしぶとさや力強さにずっと感動していたことにようやく気がついた」
■ぼくの弁当屋の10年間
アルバイト初日に受けた衝撃はあまりにも大きく、「高齢化問題を撮る」という思考にとらわれてしまった。この状況を伝えなければならない、写真家とはそうあるべきだ、という考えに縛られてきた。
「だから、『弁当屋のにいちゃんが撮った写真』ではなかったんです。ずっと」
弁当を届けたとき、冗談交じりの会話をすることもあったという。
「でも、レンズを向けるときは『かわいそうな独居老人』みたいな感じで、記録的に撮る自分がいた。『弁当屋のにいちゃん』と『写真家』が、自分の中でぱっくりと二つに分かれてしまっていた」
しかし、神戸の写真展をきっかけに「肯定的に向き合うようにスイッチが切り替わった。その瞬間から、ほんとうに世界がガラッと変わりました」。
「それからは、なんか、ポップな感じで撮れるようになって(笑)。ほんとうに弁当屋のにいちゃんが撮るような写真になりました。けっこう近くから撮影した食べている写真とかも増えた。で、1年ぐらいばーっと撮って、もう十分だな、と思って、弁当屋を辞めた」
この写真集は「まあ、追体験です。ぼくの弁当屋の10年間を凝縮した」。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)