撮影:福島あつし
撮影:福島あつし

 作品の前に立ち止まり、涙を流し続ける来場者もいた。

「あれだけ仲よく話していたお客さんを、自分は『かわいそうな存在』として撮っていたことに気づいたんです。『すごい写真撮りましたね』と、ほめてくださる方もいて、それが罪悪感を増幅させた。自分は、(人としてどうなんだろう)と思った。それで決意した。弁当屋を辞めよう、写真もやめよう、と」

 そう言うと、福島さんは彼らの姿に自分の未来を重ねていたことを語った。

「この仕事を始めるまで、日本はとても豊かな国だと思っていた。老後は、おじいちゃん、おばあちゃんが縁側でお茶をすする、みたいなイメージを抱いていた。ボケずに、体も悪くならず、ぽっくりと死ぬと思っていた。それがこの現場に足を踏み入れたことで、全部ガラガラと崩れてしまった。人生のゴールテープの直前って、こうなんだ。自分も最後はこうなるのか、というのを毎日、まざまざと見てきた。写真を撮ることで、その世界ともろに対峙してしまった。生きるって、こんなにつらいのか、と」

撮影:福島あつし
撮影:福島あつし

■「忍び寄る死」を撮るのではなく

 弁当屋を辞めて平塚市の実家に戻った。ほとんど何もせず、時間をつぶした。カメラにも触れなくなった。

「ところが、また弁当屋に戻るんです。自分の中で壊れた価値観は自分で解決しなければいけない。『答え』はここにしかない、ということが感覚的にわかっていた」。少なくとも、そのつもりだった。

「でも、あがいたけれど、『答え』は得られなかったんです」

 再び、弁当屋を辞めた。気持ちが少し落ち着くと、また戻った。「それを3回ぐらい繰り返しましたね」。

 ようやく、「答え」が見つかったのは13年、「ギャラリーをやっている神戸の友人が、『写真展をやろう』と言ってくれて」、個展「弁当の味」を開いたときだった。会場を訪れた一人がこう言った。

「福島君の写真を眺めていると、最初は、うわーっ、かわいそうだな、つらいな、と思う。自分の親とか、自分の将来を考えたりする。でも、ずーっと見ていると、なんか死から生に転換する瞬間があるんだよ」

 その言葉を聞いたとき、「すべてが氷解した。いままで、自分が何を撮りたかったのか、わかった」。

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ぼくの弁当屋の10年間