おおたとしまささん(本人提供)
おおたとしまささん(本人提供)

 私が「中学受験に向いていない」と感じる親のセリフが3つある。「あなたのため」「いい教育を与えたい」「選択肢を増やしてやりたい」だ。

「あなたのため」は、ほとんどの場合、「あなたはわかっていないから私が決めてあげる」という意味にほかならない。親と子はまったくの別人格であり、もっている価値観も特性も違えば生きる時代も違う。なのになぜ、「あなたの人生について私のほうがわかっている」と思えてしまうのか。自分の経験則から「世の中はこういうものだ」「人生とはこういうものだ」と思い込んでおり、視野が狭くなっているからだ。いくら愛情とはいえ、時代錯誤な価値観をもとにした損得勘定を押しつけられる子どもはたまったものではない。

「いい教育を与えたい」と言うひとの話をよくよく聞いてみると、「いい教育」が暗に「他人よりも優れた教育」「費用面や学力面で簡単には得がたい教育」の意味で使われていることが多い。他人との比較からしか教育の良し悪しをとらえられていない。しかし私に言わせれば、たとえばお爺ちゃんやお婆ちゃんが昔話をしてくれたり、手遊びや歌遊びを教えてくれたりするのは最高の教育だ。同様に、長年の取材経験に基づいて言わせてもらえば、偏差値に関係なく、たいていの学校は「いい学校」だ。

「選択肢を増やしてやりたい」と言うひとは、受験を頑張って偏差値の高い学校に行けば、そのぶん選べる職業の選択肢などが増えると考えているようだ。決して間違ってはいないが、そのために努力を重ねて“いい学校”に入ったとすると、それによって増えた選択肢の差分からしか人生を選べなくなることがある。この理屈で中学受験を始めると、望みの学校に合格できたとしても、さらに大学受験で「最低でも早慶くらいには進学しなければ……」というような呪縛に囚われる。しかも、自分よりも低い偏差値の学校に進むひとたちのことを、無意識で見下す視点をもってしまう危険すらある。

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親が自分の未熟さを認められるか