■過渡期のトラブル
「保護者も教員もどちらも悪くない」と話すのは、教育行政学を専門とする千葉工業大学准教授の福嶋尚子さんだ。
「コロナ禍での対応は準備がなかったことで、保護者が学校にあれこれ頼みたくなったのも無理はない。ただ、準備がないのは学校も同じだった。教育行政の条件整備が間に合わないなか、全て背負わなければならなかった学校現場は非常に苦労した。過渡期のなかで起こったトラブルであり、教員と保護者が互いを責め合う状況は非常に不幸だったと思います」
一方で福嶋さんは、コロナによって社会常識が大きく変わり、以前なら非常識とされた要望が受け入れられるものに変わった面もあると指摘する。
「たとえばコロナ前までは、『マスクをつけないと登校しづらい』という一部の子どもたちの存在が問題視されていましたが、今では逆にマスク着用が当たり前の世の中になりました。制服以外での登校も以前は不可だったところ、コロナ禍では洗濯可能な体操服での登校を求める声があがり、認められるようになった。そのように、かつては『問題行動』と捉えられていたことが、コロナ禍で当たり前になるという逆転現象がいろんなところで起きたのです」
コロナ以前から進行していた変化もある。校則など学校ルール全般は、ここ5年ほどの間に社会全体で見直しが進んだことで、以前は「モンペ」呼ばわりされた保護者の要求が、今では学校で正式に採り入れられていることも多い。
■変わりゆく「境界線」
たとえば学校に持参する水筒の中身だ。かつては「お茶とスポーツドリンク以外は不可」が多かったが、今では「各家庭の判断でよい」という考えが主流になってきた。ツーブロックや髪染めを禁じる頭髪指導も、以前は当たり前と思われていたが、最近では「学校の理不尽」の象徴として、保護者からも教員自身からも疑問視されるようになった。
かつては禁じられた学校へのスマホ持ち込みや、教科書やノートなどを学校に置いて帰る「置き勉」も、GIGAスクール構想でタブレット端末の使用が定着するなかで、いまや「普通」になりつつある。
どこまでが正当な要求で、どこからが過度な要求か、境界線は今後も変わっていくだろう。 前出の小野田さんは言う。
「学校側は保護者の声に拒絶反応を示すのでなく、要求に耳を傾けて、一つひとつ吟味して、対応可能なものかどうか考えてほしい」
(ライター・大塚玲子)
※AERA 2022年8月29日号より抜粋